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日本の心  日の丸

 

題 目

目 次

01 親子で語ろう「日の丸」の話

02 日本人は「日の丸」を掲げてよい

03 「日の丸」は侵略戦争のシンボルか?

04 「日の丸」はナチスの旗とは違います

05 国旗・国歌〜世界の常識を知ろう

06 再び「日の丸」を掲げられた日

07 パラオの国と「日の丸」の

08 あまりに低い青年の国旗・国家意識

 

和の精神

国柄

君と民

日の丸 

君が代

人物

 

武士道

歴史

文明と倫理

自然

世界の声

 

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親子で語ろう「日の丸」の話

 

 どの国でも、国の重要な行事や式典では国旗を掲揚し、国歌を演奏します。国旗・国歌に敬意を払うことは、その国の人々、そしてその国に敬意を表すことです。国旗・国歌を大切にすることは、国際儀礼であり、国際社会に生きる基本的なマナーです。

 学校で国旗・国歌の意義を教えるとともに、家庭において親子で語り合うことが必要ではないでしょうか。

 

 国旗はその国を象徴します。我が国は、太陽にちなんだ国名「日本」にふさわしく、太陽を表す「日の丸」を国旗としています。この旗には、世界に類のないほど長い歴史があります。

 古くから日本人は米を主食とし、稲作を通じて太陽の恵みに感謝して暮らしてきました。そして、太陽を敬い、赤い丸で表すようになったのです。「日の丸」はまた、「清き、明き、直心」を表すともいわれます。日本人は、「日の丸」に表されるような、清らかで、明るく、素直な心を理想としてきたともいえましょう。

 

 古くは、大宝元年(701)に行われた朝賀(天皇の即位式の原形)に、日像幢という太陽をかたどったポールが使用されました。現存している最古の「日の丸」は、14世紀に建武の中興で知られる後醍醐天皇が錦の御旗に使われたものです。その後、戦国時代には、武田信玄、上杉謙信、織田信長などの武将が旗印として多く使用しました。近世では、外国貿易の朱印船に使われ、江戸時代には徳川幕府の御用船の旗となりました。

 

 時は下って、嘉永6年(1853)、米国ペリーの黒船の来航とともに、幕末の日本に動乱の時代が訪れました。西洋物質文明による国際社会の荒波が日本に押し寄せ、日本の船が多数の外国船と接するようになりました。そして、外国に対し、藩という枠組みを超えて「国」という存在を示す旗が必要となりました。この時、最後の将軍・徳川慶喜の父で水戸藩主の徳川斉昭と、薩摩藩主・島津斉彬は、過去の歴史を踏まえ、日本の旗には「日の丸」がふさわしい、と主張しました。幕府はこの案を受け入れて、「日の丸」を日本の総船印とし、さらに御国印、すなわち国旗としたのです。

 万延元年(1860)には、日本人が操る咸臨丸が「日の丸」をつけて、太平洋横断に成功しました。ニューヨークのブロードウェーには、「日の丸」と「星条旗」が掲揚され、勝海舟らの遣米使節は歓迎の礼を受けました。これが「日の丸」が国旗として海外にひるがえった始めです。

 

 明治維新が成し遂げられた後、新政府は幕府時代からの経緯を受け、太政官布告によって「日の丸」を国旗と定めました。明治3年(1870)のことです。そして、「日の丸」は、アジア初の近代国家・日本の国旗として、国際社会で広く認められました。

 

 このように、我が国では、古代より使われてきた「しるし」が国旗とされたわけであり、これほど長い歴史を持った旗は、世界的にも稀です。

 私たちは、こうした国旗に誇りを持ち、「日の丸」に象徴される「日本の心」を子供や孫へと伝えたいものです。ページの頭へ

 

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■日本人は「日の丸」を掲げてよい

 

 いかなる国にも国旗があります。日本は明治の初め、明治3年(18070)に「日の丸」を国旗と定めました。以来、約130年間、日本人は「日の丸」を、日本のシンボルとして使用してきました。そして改めて平成11年8月、日本の国旗として法に定められました。

 

 一部の人々は、「日の丸」はアジアの人々に過去の「戦争」を思い出させる、だから反対だといいます。確かに、不幸にして、昭和戦前期には、「日の丸」が戦争遂行に使用された時期がありました。しかし、どこの国でも、国民は、平和な時代にも戦争の日々にも、国旗とともに歩んでいるものです。幕末の開国後、日本人は今日まで、海外でさまざまな活躍をしてきましたが、外交・貿易・スポーツ・国際親善など、日本人があるところ、常にそこには「日の丸」があったのです。そして、「日の丸」は、国内はもちろん、国際的にも日本の国旗として認められています。

 

 戦後、日本はサンフランシスコで諸外国と講和条約を結び、昭和27年4月28日に、独立を回復しました。そして、昭和31年12月に、国際連合に加盟し、国連本部に「日の丸」が日本の国旗として掲げられたのです。

 国連には、世界のほとんどにあたる185ヶ国(平成8年現在)が加盟しています。その顔ぶれはさまざまです。かつてアジア・アフリカに広大な植民地を持って支配していた国があります。それらの国から独立を勝ち取った国もあります。また過去に激しく戦い合った国々もあります。しかし、それらの国々は、互いに相手国の国旗に、敬意を表しています。そして、共に世界平和の実現のために努力しているのです。日本人だけが過去にとらわれ、「日の丸」を罪悪視することはないのです。

 

 日本の港に入港した外国船は、メインマストに必ず「日の丸」を掲げています。メインマストとは、船橋付近の高所と理解されています。外国船が日本の港で「日の丸」を揚げるのは、日本国及び日本国民に敬意を表すためです。逆に、日本船は外国の港で、その国の国旗を掲げています。これは商船の国際的儀礼です。日本の周辺国の船も例外ではありません。日本の港に入ったときは「日の丸」を掲げています。

 

 平成4年10月に、天皇・皇后両陛下は、中国を御訪問されました。日本の歴史上初めての天皇陛下の御訪中でした。このとき、中国の人々は、日本の国旗「日の丸」を掲げ、国歌「君が代」を演奏して、両陛下を熱烈に歓迎しました。

 

 「日の丸」は、このように国際社会に、日本の国旗として、ゆるぎなく定着しています。日本人は、堂々と国旗「日の丸」を掲げてよいのです。

 

 私たち日本人は、まず自国の国旗や国歌に対する自信を、取り戻すことが大切です。そして、若者や子供に、国旗・国歌の意義と歴史を教え、自然に国旗・国歌に敬意や親しみを持てるようにすることが必要です。

 家庭では、祝日には国旗「日の丸」を掲揚しましょう。その旗を目にする子供たちには、自然に健全な心が育つでしょう。あなたの住む街に、通りに、国旗「日の丸」を掲げましょう。ページの頭へ

 
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■「日の丸」は侵略戦争のシンボルか?

 

 「日の丸」に反対する人々は、反対の第一の理由として、「軍国主義、侵略戦争」のシンボルとして使われたから、といいます。確かに、不幸にして、昭和戦前期には、「日の丸」が戦争遂行に使用された時期がありました。「日の丸」反対の人々は、「日の丸」はアジアの人々に過去の戦争を思い出させる、だから反対だというわけです。

 

 歴史を振り返って見ますと、日本が関わった大戦の前、アジア各地には、数百年にわたって、欧米諸国の国旗が掲げられていました。それらの国々は、アジア各地を植民地として支配していました。有色人種にとっては、欧米宗主国の旗こそ、数世紀もの間、圧政のシンボルだったのです。

 

 しかし、今日ではどうでしょうか。それら欧米諸国の国旗は、世界平和を守る象徴であるかのごとく、国連本部にひるがえっています。大英帝国のユニオンジャック、オランダやフランスの三色旗などーー旧植民地の人々は、これらの旗を「侵略・搾取のシンボルだ」などと、批判してはいません。それらの国々の旗に、敬意を表しています。それが、国際社会の常識、ルールだからです。欧米諸国の人々もまた、自国の国旗に対して誇りを持っています。そして、共に世界平和に努力しています。

 

 日本人だけが、過去にとらわれ、「日の丸」を罪悪視することはないのです。「日の丸」は日本の国旗として、国際社会に広く知られ、定着しています。日本人は、堂々と国旗「日の丸」を掲げてよいのです。

 

 仮に、ある旗が、過去にどのように使われたかによって、問題とすべきだとすると、日本の国旗以上に考えてみるべき旗があります。その旗は、20世紀の世界の多くの場所にひるがえりました。そして、その旗の立つところ、戦争と殺戮が行われ、人々の自由は奪われ、経済は破綻しました。その旗の下に「解放」された国では、大国による支配と搾取が行われました。また、その旗を振って「民族独立」を求めた人々は、打ち続く内戦と飢餓に苦しんできました。ついに、その旗を最初に掲げた国は、自らその旗を放棄してしまいました。

 

 この旗とは、何でしょうかーーー「赤旗」です。「赤旗」は、「共産主義のシンボル」です。

 フランスで1997年に出版された『共産主義黒書』によると、旧ソ連では、1917年の革命から崩壊までの70年間に、共産主義権力によって殺された人々の数は、2000万にのぼります。丁抒氏らの研究によると、共産中国では、毛沢東の大躍進運動と文化大革命によって、2000万人が死に追いやられたといいます。また、アメリカのヘリテージ財団は、共産主義によって殺された犠牲者は、世界で総計1億人にものぼると推定しています。話半分とは言いますけれども。

 近年では、カンボジアでは、「赤旗」の影響を受けた、ポルポトのクメール・ルージュ(=赤いクメール)によって、100〜200万人が虐殺されたといわれます。

 

 「赤旗」ほど、20世紀の世界を、破壊と混乱に陥れた旗はないことは、世界中の人々が知っています。しかし、今なお「赤旗」こそ自由・民主・平和の旗だと期待し続けている人がいます。「日の丸」を最も激しく否定しているのは、「日の丸」を「赤旗」に替えようとしている人たちではないでしょうか。御用心、御用心!

 日本人は、日本の旗、国旗「日の丸」を掲げましょう。ページの頭へ

 
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■「日の丸」はナチスの旗とは違います

 

 日本の国旗について、こういう意見があります。「日本とともに、第2次世界大戦の主な敗戦国だったドイツとイタリアは、戦後、国旗を変えた。戦争中の旗をそのまま政府が使っている国は、日本だけだ。日本も国旗を変えるべきだ」

 これは、正しい見方でしょうか。

 

 いいえ、違います。一般に国旗を変えることは、革命が起きたときとか、独立を果たした時だけです。日本には、そういうことがなかったので、国旗を変える必要がなかったのです。その点で、ドイツ・イタリアとは事情が異なります。

 

 まずドイツは、現在の三色旗がもともとの国旗でした。ところが、戦前、ナチスが政権を取ると、独裁者ヒトラーはナチスの党旗をドイツの国旗としました。戦後は、それを元に戻したのです。

 戦争末期にヒトラーは自殺し、ナチスの一党独裁体制は崩壊しました。1945年5月、ドイツは無条件降伏し、米ソ等による分割占領を受けました。ところが同年9月、ソ連が突然、ベルリンの壁をつくり、ドイツは二つの分割国家となってしまいました。

 当然、国旗も別々です。西独は国旗を以前の三色旗に戻しましたが、東独は三色旗をもとにした新たな国旗を作りました。

 その後、1990年10月、社会主義建設に失敗した東独を、西独が合邦する形で、ドイツの統一が実現しました。統一ドイツは、旧西独の国旗、つまり本来の三色旗を国旗としました。つまりナチスや社会主義の時期を除くと、ドイツの国旗は一貫しているわけです。

 

 一方、イタリアでは、戦前、ムッソリーニ率いるファシスト党が武力によって政権を奪い、一党独裁国家を築いていました。しかし、1943年7月、ムッソリーニ政権は崩壊。独裁者ムッソリーニは、国民の激しい憎悪を浴びて、処刑されました。

 その後、イタリアは、1946年6月に国民投票をした結果、王制を廃止し、1948年1月に共和国憲法が施行されました。それによって、イタリアは王制から共和制に変わりました。こうした体制の変化があったので、イタリアの国旗は変わりました。

 

 ところが独伊と異なり、日本は、戦前・戦後とも国柄が変わっていません。

 日本は、明治維新によって、天皇を中心とする国民国家を築き、アジアで初めて憲法を制定し、立憲議会政治を実現しました。昭和に入っても、独伊とは違い、一党独裁体制にはなることはありませんでした。敗戦後も、国が分断されるとか、共和制に変わるというような変動がありませんでした。ですから国旗も一貫しているわけです。

 

 敗戦国では、歴史上、元首は処刑されるか自殺か亡命をするのが普通です。しかし、日本では、同じ天皇が戦前・戦後と変わらずに天皇の位にありました。

 昭和天皇は、マッカーサーと会見されたとき、「自分の身はどうなっても構わない。国民を助けてもらいたい」と話されました。これに感動したマッカーサーは、天皇を守るために努力するほどに変わりました。また、自ら全国を御巡幸され、国民を力づけた昭和天皇は、国民から深い敬愛と信頼を受け、日本復興の柱ともなりました。(1)

 戦後の憲法にも、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であると規定されており、大多数の国民が皇室を支持しています。

 こうした例は、世界史を見ても他にありません。

 

 このように、日本では、明治時代から今日まで、国の基本的な形が変わっていません。それゆえに、国旗を変える必要が全くなかったのです。

 

 さて、戦後、国旗が変わった例は、共産主義諸国に多く見られます。ソビエト社会主義共和国連邦は、1991年に共産主義を放棄し、その結果、多数の国々に分裂しました。「赤旗」は破棄され、独立した国々は、個性溢れる国旗を掲げています。

  東欧諸国も、ドイツをはじめ、相ついで共産主義を放棄し、自由と民主主義の国として生まれ変わりました。それらの国々も「赤旗」を捨てたのはいうまでもありません。

 

 こうした激動の世界において、日本は、明治維新後に国旗を定めて以来、約140年もの間、一貫して「日の丸」を掲げています。これは、世界に誇るべきことです。また、世界中の人々が、ニッポンといえば「日の丸」を思い浮かべてくれるのです。「日の丸」は、日本人のアイデンティティのしるしでもあるのです。

 

 祝日には、家庭で、地域で国旗「日の丸」を掲げましょう。

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(1)昭和天皇について詳しくは、以下の拙稿をご参照下さい。

マッカーサーは感動した」「御巡幸が国民を力づけた

 
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国旗・国歌〜世界の常識を知ろう

 

 「日本の常識は、世界の非常識」という言葉があります。この言葉は、国旗・国歌について見事に当てはまります。

 世界各国の人々は、自国の国旗・国歌を尊重し、学校教育においても、国旗・国歌についての教育を行っています。そこには、わが国との大きな違いがあります。いくつかの国の例をみてみましょう。

 

◆アメリカ合衆国

 国旗は、連邦法により、公共の建物に毎日掲揚することが義務として規定されています。学校では、連邦法により、学期中には校舎に国旗を掲揚すべきものとされています。

 公立学校では、毎朝、国旗に忠誠を誓う行事が行われています。起立し、胸に手をあてて、次のように誓います。「私は、アメリカ合衆国の国旗に忠誠を誓います。私は、神の庇護の下に一つであって、分裂の許されない国家と、全国民に自由と正義とを擁護する共和国に対して忠誠を誓います」。

 

◆大韓民国

 国または地方自治体の庁舎および学校は、年中掲揚することが規定されています。

 学校では、文教部編纂の「生活礼節」にそって、「国民倫理」「社会科」で、国旗・国歌の教育が実施されています。これによれば、「国旗は国の象徴であり、民族の精神であるので、すべての国民は、この国旗の前では、敬虔な心で民族の矜持を新たにしなければならない」「愛国歌を歌うときは、祖先の輝かしい業績を思いだし、…真心を尽くして民族と国家のためにつくすという決意を、固めなければならない」とされています。

 

◆フィリピン共和国

 施行命令により、公共建物には年間を通じて掲揚し、国の祭日には民間にも掲揚するように規定されています。法律により、すべての教育施設は、毎日国旗に対する儀式を行い、国歌斉唱が義務付けられています。

 

◆タイ

 総理府告示に基づき、義務教育課程では、毎朝授業開始前に、国旗掲揚礼を行い、またそこにおいて国歌が斉唱されています。国旗については、初等学校の社会科の中で、国旗の意味、取り扱い方法などが、教科書記述に基づいて指導されています。国歌については、音楽の授業で教えられます。(1)(2)

 

 日本のように、学校で、国旗・国歌について教えず、入学式・卒業式等できちんと国旗掲揚・国歌斉唱が実施されていないという国は、例外なのです。ましてや、公務員である教師が、自国の国旗・国歌を尊重しないなどということは、他国では考えられません。

 事実、ほとんどの国では、法律において、自国の国旗、外国の国旗ともに、国旗の権威を損なう行為を禁じています。アメリカ合衆国、大韓民国等には、侮辱罪が規定されています。これに対し、日本では、外国国旗の損壊罪は定められていますが(刑法92条)、自国の国旗については、損壊罪・侮辱罪等の規定がありません。よその国の国旗と、自分の国の国旗と、どちらが大切なのでしょうか。

 国際社会の常識を知り、自国の国旗・国歌を尊重する態度を身につけましょう。ページの頭へ

 

参考資料

(1)高橋史朗+『明日への選択』編集部編『日の丸・君が代〜世界と日本、そして私たち』(日本政策研究センター)

(2)『日の丸・君が代の法制化をめざして〜教育の混乱を救済するために』(日本会議)

 
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再び「日の丸」を揚げられた日

2003.5.31

 

 日本は敗戦後、6年8ヶ月にも及ぶ間、外国の占領統治を受けました。この間、日本には主権がないため、公に国旗を揚げることができませんでした。(1)

 

当時、鹿児島の名門ラ・サール高校には、次のようなエピソードがあります。産経新聞社の皿木喜久氏が、書いていたものです。

この学校が開校されたのは昭和25年4月10日。カトリックの修道士会「ラ・サール会」のカナダ人修道士らによってでした。その時の模様が、開校10周年記念誌に書かれています。

 「開校式、入学式は海岸のベランダで行われ…、日の丸の国旗を揚げ、国歌君が代を唱す。父兄の中には日の丸の国旗をみて泣いた人もあった」

 皿木氏は、続いて次のように書きます。「何しろサンフランシスコ講和条約が結ばれる1年以上前、東京裁判で日本人全体が骨抜きの状態にされて間もないころである。日の丸、君が代がいかに新鮮に映ったか。開校時の教員のひとりは記念誌の中でこう回想している。『正面に掲げられた大きな国旗と、国歌の斉唱はそれが敗戦以来始めての経験であっただけに今日に至る迄深く印象づけられている出来事です』」

 ラ・サール高校の初代校長は、マルセル・プティというカナダ人でした。プティ校長は、全く当たり前のこととして国旗を掲げて、生徒に国歌を歌わせたのでした。

 

 皿木氏は、さらに続けます。「実を言うと、ラ・サール会は戦前、日本の軍関係者から迫害めいたことを受けるという辛酸もなめている。しかし彼らは、日本が戦争をしたことは悪いことだったとしても、日の丸や君が代に何の罪もない、という、極めて当たり前のことを理解する賢明さを持っていた。そして、もっと大切なことは、当時の日本の青少年にとって最も必要なのは、自らの国とその文化に誇りを持つことだということを看破していたことだろう。マルセル校長の開校に当たっての訓示は『諸君、よき日本人たれ』だったという」(2)

 

さて、昭和27年4月28日、日本はサンフランシスコ講和条約の発効とともに、悲願の国家主権を回復できました。この日から、日本人は、堂々と国旗「日の丸」を掲げられるようになったのです。4月28日は、日本の主権回復の日また「日の丸」復活の日です。この日の意義を記念するため、国の祝日とし、日本が占領されていた時代があったという事実を国民の心に刻むべきです。(3)

 

実は、昭和27年4月28日を迎えてもなお、日本の主権が回復されない場所がありました。その一つが鹿児島県南西部にある奄美大島でした。

奄美大島は敗戦後、アメリカの信託統治下に入れられました。奄美大島の人々は、それに抗議しました。

「われわれは日本人なのだ。にもかかわらずアメリカの支配を受けて、日本から切り離されたことは、われわれにとり耐えることができない」と。

そして必死の思いで、祖国への復帰運動を展開しました。


  祖国なき人となるより  むしろ死を

われら選ばん 奄美島人


 これは当時18歳の一少年が詠んだ歌です。

 

日本が主権を回復した翌年の昭和28年12月25日、ようやく奄美の人々の努力が実り、日本への復帰が実現しました。その時、現地の新聞は、次のように書きました。

 「ああ、われらは帰った。日本に帰った。昭和28年12月25日午前零時。この瞬間われわれ奄美24万の人民は日本となった。日本人でありながら、日本人でなかった民族の流転史に終止符を打った。まさに歴史的瞬間であった。苦しかった8年、つらかった8年、血を吐いて独立を叫んだ幾多の犠牲者を出したこの8年、だがわれわれは、この瞬間から、歴史を取り戻したのだ」

この日の朝、実に8年ぶりに、奄美大島に「日の丸」の旗が掲げられました。当時の新聞記事は、伝えています。「朝靄の軒並に日の丸の旗がはためき、町から村へ旗風は喜びを呼び、また喜びを呼んで、島の新しい第一日は明け放たれた」と。


 ラ・サール高校と奄美大島――上記の二つのエピソードは、私たちに、祖国というものの存在と、自国の国旗を掲げられることの意義を、再認識させてくれる話だと思います。(ページの頭へ)

 

(1)  戦後日本が占領されていた事実については、以下の拙稿をご参照下さい。

日本弱体化政策の検証

(2)  国旗・国歌の問題については、以下の項目に詳細があります。

日の丸」「君が代

(3)4月28日を「主権回復記念日」に、29日を「昭和の日」という運動が行われています。以下をご覧下さい。

http://www.takano21.com/a news story/2002.4/shukenkaifuku.htm

http://www.znet.or.jp/~tenden/showa.html

参考資料

・皿木喜久著『日の丸・君が代の意味 外国人校長が教えた「誇り」』

(産経新聞平成8年8月14日号夕刊東京版)

    田中卓氏(文学博士・元皇學館大学学長)の講演記録

(日本精神復興促進会編『明けゆく世界』第4集)

 
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パラオの国と「日の丸」の話

2001.12.27

 

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  パラオ共和国は、西太平洋にある島国です。面積は淡路島くらいで、人口は1万5千人程度。平成6年(1994)に独立した、世界で最も新しい国の一つです。

 この国の国旗は、日の丸によく似ています。ただし、青地に黄色の丸です。どうしてパラオの国旗は、日の丸と似ているのでしょうか。それには深いわけがあるのです。

 

 パラオを含む南洋諸島は、かつてドイツの植民地でした。大正3年(1914)から始まった第1次世界大戦の際、日本はこの地域でドイツに勝ちました。戦後、大正9年(1920)に、日本は国際連盟から、パラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを求められました。以来、昭和19年(1944)、大東亜戦争(アメリカ式にいうと太平洋戦争)において、アメリカ軍によって奪われるまで、パラオは日本領だったのです。

 この25年の間、わが国は多数の移民を送り、パラオを発展させようと努めました。鉱山開発、農園、漁業、貿易などが進められました。また、わが国は教育にも力を注ぎました。小学校を作って教育を施し、島民の教育水準を画期的に向上させました。日本人は、パラオで日本語を教え、日本精神を教えたのです。パラオの子どもたちは、一生懸命働くこと、まじめに勉強することを教わりました。その影響は、今日まで続いており、パラオは極めて教育熱心な国となっています。このように、日本統治時代に、パラオは経済的にも文化的にも大きな発展を遂げたのです。この事実は、台湾における話と、よく似ています。(1)

 

 大東亜戦争の後、パラオはアメリカの信託統治領となりました。アメリカ人は、太平洋の島々を、水爆の実験場か軍事基地として利用する対象としてしか見ませんでした。パラオの経済水準は、日本統治時代よりかえって低下しさえしました。日本時代にパラオの人々の生活は電化されていましたが、アメリカの下では電気のない生活に逆戻りしてしまいました。またアメリカは、日本文化の影響を徹底的に取り除こうとしました。日本時代に建てられた南洋神社は取り壊され、学校の校庭にあった二宮金次郎の銅像は取り払われました。

 アメリカの統治は49年間続きました。しかし、パラオの人々は、日本統治時代を懐かしんできました。心の中では、かつて正直・勤勉・誠実の精神を教えてくれた日本人を敬ってきたのです。その証拠に、パラオには、姓名のどちらかに、日本式の名前を付けている人が多くいます。それは、日本統治時代にめぐり会った尊敬する日本人から名前をもらったのだそうです。例えば、ウメタロウさんという上院議員がいます。ウメタロウといっても、名前ではなく姓です。スティーブ・ウメタロウさんというのです。このように、日本式の名前をもつパラオ人は、人口の8割にも及ぶといわれます。

 

 パラオは、平成6年(1994)、アメリカから独立しました。パラオを訪問した藤岡信勝氏(東京大学教授)は、「パラオがアメリカからの独立を決意するに当たっては、日本統治時代に培われた日本精神と日本文化の影響があった。こんな小さな国なのに、アメリカから独立したいという気概を失わなかったのは、日本時代に吹き込まれた自立的精神の影響である」と記しています。

 パラオは、独立にあたり国旗を制定することになり、国民の間から一般公募しました。その結果、日の丸に似た現在の国旗のデザインに決まったのでした。パラオの国旗の青地は太平洋を表します。黄色い丸は、満月を表します。この丸は、日の丸の旗の太陽とは違って、中心から少しずれています。それは、日本に失礼だからと、わざと中心をはずしたのだそうです。

 

 パラオ共和国の旗は、日本の国旗「日の丸」が、いかにこの国で愛されてきたかを示しています。またこの地で、私たちの先輩・先祖は、長く尊敬を受けるほど立派なことをしたことが、分かります。私たちは、かつて日本人が持っていた豊かな精神を、取り戻すべきではないでしょうか。ページの頭へ

 

(1)台湾については、以下の拙稿をご参照下さい。

 「『日本人よ、しっかりしなさい!』〜金美齢

参考資料

・藤岡信勝著『呪縛の現代史』(徳間書店)

 
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あまりに低い青年の国旗・国歌意識

2005.5.15

 

日本の国民の大多数は、青少年にもっと愛国心を育てる必要があると感じている。内閣府が平成17年1〜2月に行った世論調査によると、「国を愛する気持ちをもっと育てる必要があると思うか」という質問に「そう思う」と答えた国民は、81%にのぼった。これは、過去最高の数字である。最近の中国や韓国における反日運動の高揚より前の時期の調査であるから、おそらく現在、調査をし直すならば、この数字はもっと高くなるに違いない。

 国民の大多数が愛国心を育てる必要があると思っているのは、わが国の青年に、国家・国民としての意識が低いと感じているからだろう。それを示すデータがある。財団法人日本青年研究所が発表した青少年の国際世論調査の結果である。この調査は、平成16年9〜12月、日・米・中の3カ国の高校生合計3,649名に対して行われたものである。

 まず国に対する誇りを持っているかという質問については、以下のような回答だった。

 

 

日 本

米 国

中 国

強く持っている

15.4%

29.4%

29.3%

やや持っている

35.5%

41.5%

50.1%

余り持っていない

32.7%

17.9%

15.7%

 

 誇りを強く持っていると答えた者は、日本は米国・中国の半分程度である。やや持っているという答えと合わせると、米国は約7割、中国は約8割と多数であるのに対し、日本は50%程度にとどまる。あまり持っていないと答えた者が3割以上いる。

 次にこの傾向は、国旗・国歌については、一層顕著な対比となる。自国の国旗を見てどう思うかという質問に対する答えは、以下のようである。 

 

 

日 本

米 国

中 国

親しみを感じる

20.8%

14.7%

49.4%

誇らしいと感じる

13.3%

53.9%

48.4%

何とも感じない

56.5%

29.2%

18.5%

 

 日本は何とも感じないと答えている者が、56.5%。半数以上いるのである。自国の国旗を誇らしいと感じる者は、日本では13.3%しかいない。

 また、自国の国歌を聞いてどう思うかという質問については、以下のようである。

 

 

日 本

米 国

中 国

親しみを感じる

10.5%

15.8%

46.8%

誇らしいと感じる

11.1%

54.8%

50.0%

何とも感じない

64.6%

27.7%

20.3%

 

 国旗の場合以上に、日本は何とも感じないという者が、約3分の2もいる。親しみを感じる、ないしは誇らしいと感じる者は、それぞれ1割程度しかいない。

 こうした結果が示すものは、日本の高校生は米国・中国の高校生に比較して、国家国民の自覚が低く、国旗・国歌についての教育をろくに受けていないということであろう。

その理解を裏付けるのは、次の質問である。すなわち、学校行事で国旗掲揚、国歌吹奏に対し起立して威儀を正すかどうかいう問いに対する答えは、以下のようになっている。

 

 

日 本

米 国

中 国

起立して威儀を正す

30.2%

81.6%

67.0%

どちらでもよいことと思っているので、特別な態度はとらない

37.7%

8.8%

2.2%

 

 起立して威儀を正すと答えた者は、米国では約8割、中国では約3分の2いるのに対し、日本では3割程度しかいない。これは、明らかに国旗・国歌について、きちんと意義を教えられていない証拠であろう。国旗・国歌というような国を象徴するものに対して、意義を理解しておらず、適切な行動をすることが身についていなければ、自国に対して誇りを持つということもできないだろう。

 上記の質問の回答は、現代日本の青年・高校生の意識を表わすと共に、日本の教育及び日本という国のあり方そのものをよく示していると思う。こうした実態を踏まえて、青少年に愛国心を育てる教育を充実させていくべきである。ページの頭へ

 
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