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105 日本の心  君が代

 

題 目

目 次

01 「君が代」に表れた日本の文化

02 「さざれ石」は実在します

03 民主主義に「君が代」は似合わない?

04 平和を愛する人は「君が代」を歌おう

05 「君が代」は世界的名曲

和の精神

国柄

君と民

日の丸 

君が代

人物

武士道

歴史

文明と倫理

自然

世界の声

 

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「君が代」に表れた日本の文化

 

 あなたは最近「君が代」を歌ったことがありますか? いつ歌ったかわからないという人が、案外多いと思います。

 国歌というものは、どこの国でも、国の重要な行事や式典で演奏されます。そして国民は誰もが誇りをもって、国歌を歌います。

 ところが、わが国では、近年まで「君が代」は、学校では、ほとんど歌われてきませんでした。現在も、歌の由来や意味は、ほとんど教えられていないようです。

 

   君が代は 千代に八千代に さざれ石の

         いわおとなりて こけのむすまで

 

 この歌は、天皇を中心とするわが国が、小さな石が集まって岩となりその上に苔がむすほどまでに永く、平和で繁栄することを願う歌です。

 「君が代」は、10世紀に編まれた『古今和歌集』の「読み人知らず」の歌に由来します。『古今集』では「我が君は 千代に八千代に」と始まる歌でしたが、民衆の間に歌い継がれていくうち、鎌倉時代の初期までには「君が代は」という現在の歌詞に変わっていました。その後、江戸時代には、浄瑠璃や謡にも歌い込まれ、舟歌や盆踊りの祝い歌にも現れました。

 このように1,200年もの間、「君が代」ほど、日本の歌謡として、広く親しまれてきた歌はないのです。

 明治時代になって、日本が近代国家となったとき、国歌を定める必要を生じました。明治2年、イギリス軍楽隊のフェントンは、国歌の制定を勧めました。大山厳らは、庶民に広く親しまれてきた「君が代」こそ国歌にふさわしいものとして選び、フェントンに作曲を依頼しました。しかし、西洋的な旋律では歌詞にあわず、宮内省の林広守らにより、日本古来の雅楽の旋法にのっとって作曲され、現在の国歌が出来上がったのです。

 日本には、古来より「和歌の文化」があります。万葉集には、天皇から名もなき庶民までのさまざまな歌が収集されています。今日も正月に行われる「歌会始め」においては、国民各層の中から選ばれた歌が宮中で歌われ、これに対し、天皇・皇后両陛下が歌でお応えになります。こうして、昔から身分や立場に関わりなく、国民が歌に思いを表し、歌によって君も民も一つに結ばれているということは、他国に見られない、日本独自の文化です。こうした日本の国の姿が、「君が代」のわずか32文字の中に、表されていると言えます。

 諸外国の国歌の中には、戦いや自国の優越を歌った勇ましいものもありますが、「君が代」は平和と繁栄を祈る歌であり、古式ゆかしい旋律は、人の心を鎮め、その場の雰囲気を厳かにします。これこそ、平和文化国家と言われる日本にふさわしい国歌だと言えましょう。

 お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さんから、子供や孫へ、「君が代」を歌い継ぎましょう。ページの頭へ

 

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「さざれ石」は実在します

 

  国歌「君が代」には、「さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで」という歌詞があります。岩が小さくなるというのなら分かりますが、小さな石が固まって本当に大きな岩となるのでしょうか。この疑問に答えてくれる「さざれ石」の現物が、岐阜県揖斐郡春日村(いびぐん・かすがむら)に実在します。

  春日村は、伊吹山や国見峠を間に、滋賀と接しています。村には、伊吹山の登山口にもなっている「さざれ石公園」があります。そこに、岐阜県の天然記念物に指定された「さざれ石」があります。そして、皇居・総理大臣・有名神社等に寄贈されています。( 1)

 春日村は、「君が代発祥の地」としても知られています。その村に伝わる伝承によると、時は平安時代の初め。文徳(もんとく)天皇の第一皇子、惟喬親王(これたかしんのう)は第四皇子(後の清和天皇)に皇太子の座を先んじられ、一時期、近江の小椋郷(永源寺町)に隠れ住みました。

 当初、天皇は親王を推すつもりでいたらしいのですが、第四皇子の生母が摂政を務める藤原氏の出だったことから、これをはばかったと言われています。その非運の親王が後にお椀や鉢などを作る木地師(きじし)の祖神とされ、小椋郷は彼らのふるさととして聖地のようになっていきました。

 さて、その親王に仕えていた木地師の一人が、小椋郷の君ヶ畑から良材に恵まれた春日の地へやってきました。あるとき君ヶ畑に向かう途中、今ある公園付近の地でめずらしい石を目にし、それを見たまま感じたまま歌に託しました。

 

  わが君は 千代に八千代に さざれ石の

          いわおとなりて 苔の生すまで

 

 やがてこの歌は、京の都で評判を呼び、勅撰和歌集の『古今集』に採録されるまでになりました。後に、最初の「わが君は」が「君が代は」に変わり、民衆の間に歌い継がれていきました。

 男は身分が低かったため、『古今集』では「よみ人知らず」として扱われましたが、やがて名もないこの男がスッポトライトを浴びることになります。

 朝廷から歌のうまさを認められ、石にちなんで「藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)」の称号を賜ったのです。村の中央部に当たる小宮神(こみやかみ)地区には、今も木地師の遺族や系図などが保存され、その一族とみられる末裔(まつえい)九十余戸も残っているとのことです。

 国歌「君が代」には、由来の伝承があり、また歌詞に読み込まれた「さざれ石」は、実在しているのです。ページの頭へ

 

(1)さざれ石の写真と説明

 http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/zukan/tigaku/205000.html

さざれ石のいわれ

 http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/tigaku/kasuga/kasuga01.jpg

 

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■民主主義に「君が代」は似合わない?

 

 日本は民主主義の国だから、「君が代」は国歌にふさわしくない、という意見があります。この点に関して考えてみましょう。

 「『君が代』は国歌にふさわしくない」という意見には、日本は民主主義国なのだから天皇がいるのはおかしい、という考えが基本にあるようです。そもそも近代の民主主義つまりデモクラシーとは、何でしょうか。それは簡単に言えば、「民衆が国家権力に参加する制度」を意味します。そして民主主義の政体には、共和制と君主制があります。共和制の国であれば、君主は存在しません。たとえば、革命で王制を廃止したフランスや、移民が建国した国のため国王がいないアメリカがそれです。これに対し日本は、天皇がいるのですから、共和制ではありません。

では、君主がいるような国は、民主的ではないのでしょうか。実際は、君主を持つ民主主義国が、世界には多数存在します。たとえば、イギリス、スペイン、スウェーデン、デンマークなどです。民主主義と君主の存在は、矛盾するものではないわけです。それゆえ、今日の日本に天皇が存在していることは、何らおかしなことではありません。

 そこで改めて、「君が代」が民主主義国・日本の国歌として適当かどうかを、考えてみましょう。民主主義というと共和制の国をイメージする人が多いようですが、そもそも近代民主主義の発祥の国は、イギリスです。そのイギリスには君主がおり、国王の統治権の下に、民衆が国政に参加する民主主義が発達しました。今日イギリスは、責任内閣制による議会制民主主義の模範とされています。このイギリスの国歌は、どういう歌でしょうか。それが有名な、"God save the Queen"です。歌詞は次の通りです。

 

「神よ我が尊き女王を守り給え 我が気高き女王に御長寿あらしめ給え

  神よ女王を守り給え 女王に勝利と幸福を与え給え 

 我らの上に長く君臨されんことを 神よ女王を守り給え」

 (2番以下は通常歌わない)

 

 この歌は、国王の長寿や治世の永続を、神に祈る歌です。これが、近代民主主義発祥の国の国歌なのです。"God save the Queen"と比較してみるとき、「君が代」が、民主主義国・日本の国歌にふさわしくないとは、言えないことがわかるでしょう。

 むしろ、「君が代」は、我が国の国柄と伝統に基づき、しかも現在の国のあり方にもかなった歌であると考えられます。日本は、古代から今日まで天皇が存続している、世界に類例のない国です。戦後は、現行憲法によって、主権在民(国民主権)を原則とし、また象徴天皇制を取っています。

日本国憲法は、フランスやアメリカの共和制憲法と異なり、第一に天皇について規定しています。憲法第1章は、天皇に関する条項です。そこで、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。続いて、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とされ、同時に「皇位は世襲のもの」(第2条)であるとも規定されています。「国民の総意に基づく」とは、天皇と国民が信頼と敬愛で結ばれているということです。「世襲のもの」ということは、それが日本の長い歴史と伝統に基づくということです。こうした憲法の条文が示すように、現代日本は、固有の国柄と伝統に基づき、天皇を象徴として頂く、ユニークな民主主義国家なのです。

 「君が代」は、このような日本国の特徴を表現している、またとない歌です。それゆえ、「君が代」は、日本の国歌として、まことにふさわしいものと言えましょう。ページの頭へ

 
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平和を愛する人は「君が代」を歌おう

 

 わが国の国歌「君が代」は、穏やかで厳かな歌です。これに対し、世界の国歌には、さまざまな歌詞のものがあります。中でも、独立戦争や革命によって建国された国の国歌には、戦闘的・攻撃的な内容の歌詞のものがあります。そうした国の国歌と、「君が代」の歌詞を比べてみましょう。

 

◆アメリカ「星条旗」

 米英戦争(1814)で捕虜になった弁護士が、星条旗に感動して詠んだ歌です。

 

「おお 激戦の後 暁の光に 照らし出された星条旗が見えるか

 夜通し砲弾が飛び交った後 我らの星条旗が翻っている

 自由な祖国 勇敢な家庭 星条旗を振れ 星条旗を振れ

 

 戦闘が止んで 微風が吹く中に 濃い朝霧の中 絶壁の上に

 見え隠れしているものは何か 暁の光に川の上に輝いたもの

 これこそ 我らの星条旗

 神よ 星条旗を振り続け給え 自由の祖国 勇敢な家庭の上に」

 

◆フランス「ラ・マルセイエーズ」

 フランス革命に介入した外国軍と戦うため、義勇兵が出陣の際に歌った歌です。

 

「ゆけ、祖国の国民 ときこそ いたれり。

 正義の われらに 旗は ひるがえる、旗は ひるがえる。

 聞かずや、野に、山に、 敵の 叫ぶを。

 悪魔のごとく 敵は 血に飢えたり。

 立て、国民、 いざ、ほことれ。

 進め、進め、 あだなす敵を ほおむらん」

 

◆中国「義勇軍行進曲」

 抗日映画の主題歌が国歌になったもの。 今日も(!)、日本を「敵」として歌われています。

 

「起て 奴隷となるな

 血と肉もて築かん よき国

 われらが危機迫りきぬ 今こそ戦うときはきぬ

 起て起て 心あわせ敵にあたらん

 進め進め 進めよや」

 

 これらの3国の国歌の歌詞は、いかにも勇ましく、激しい内容です。こうした「戦いの歌」が、「平和の祭典」オリンピックでも、国歌として堂々と披露されています。しかし、我が国では、「戦い」「血」「敵」などの言葉が、国歌にふさわしいと思う人はいないでしょう。

 我が国も明治維新という大変革を経験しましたが、維新後に国歌として選ばれたのは、「君が代」という古歌でした。

 

  君が代は 千代に八千代に さざれ石の

            いわおとなりて 苔のむすまで

 

 この歌詞は、天皇を象徴とするわが国の平和と繁栄を願う歌です。また、メロディーは、各国の「戦いの歌」が、軍歌のように行進曲調であるのに対し、「君が代」は、厳かな祈りの曲調です。その調べは、雅楽の「壱越調律旋(いちこつちょうりつせん)」という古式ゆかしい旋法にのっとっています。雅楽は、最近、心と身体を癒すヒーリング・ミュージックとしても注目されています。

 こうした「平和の歌」、「君が代」を国歌としていることは、日本の「和の精神」の表れでしょう。そして、「君が代」は、世界平和をめざす国際協調の時代にふさわしい国歌といえましょう。ページの頭へ

 
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「君が代」は世界的名曲

 

 日本の国歌「君が代」は、旋律が西洋音楽とは違います。そのため、今風の音楽に親しんできた人々には、異質に聞こえるかもしれません。「君が代」は、日本の伝統音楽である雅楽の旋律に基づいています。雅楽は、最近は邦楽家の東儀秀樹氏によって、一般的にも注目されており、「癒しの音楽」としても、愛好者が増えています。

 そんな雅楽に基づく「君が代」は、音楽的にも素晴らしいものだと、高く評価している人がいます。わが国が生んだ世界的な作曲家・故黛敏郎氏、三枝成章氏らです。実は「君が代」は、世界国歌コンクールで1等になったほどの名曲なのです。

 ここで声楽家の安西愛子氏の言葉を借りることにしましょう。

 「日本人は昔から単純、素朴なものに美しさを発見してきた民族でした。国旗の『日の丸の旗』は代表的なものです。それと同時に、国歌『君が代』は単純、素朴な中に言い知れぬ美しさを祕めていることを私達は思い返さなければなりません。

 この『君が代』が明治36年、ドイツにおける世界国歌コンクールで1等になったというのも、余り外国のものをほめない英国人が『君が代』を天上の音楽であると言って激賞したといわれているのも、むべなるかなと言えましょう」(金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌』講談社文庫)

 「君が代」が生まれた経緯は、明治の初めに、わが国は国歌を創る必要を生じ、『古今集』に由来する「君が代」が歌詞として選ばれました。これにつける曲は初め、イギリス軍楽隊の隊長フェントンが作曲しました。ところが、それでは、五七五七七の大和言葉による歌詞には、なんともなじみませんでした。

 そこで、改めて日本人自身の手によって、作曲されることになりました。この作曲に当たったのは、宮内省雅楽課の林広守でした。林は「壱越調律旋(いちこつちょうりつせん)」という雅楽の旋律をもって作曲しました。そして新しい「君が代」は、明治13年に完成し、その年の天長節(天皇誕生日)に発表されました。

 このように「君が代」の旋律は、雅楽に基づく日本風のものです。しかし、和声は洋楽によっています。ここにもう一つの特徴があります。和声は、東京音楽学校のドイツ人の音楽教授エッケルトが担当したものです。

 安西愛子氏によると、歌詞の「君が代は」まではディビジョンといってハーモニーが付かずメロディーだけで進みます。それでかえって言葉が明瞭に響くようになっています。そして「千代に」からハーモニーが付き、曲に厚みが増し、荘厳な歌へとなっていくのも特徴となっているのです。20世紀を代表する大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンは、「世界の国歌のうち最も荘厳なもの」と称えました。

 作曲家・編曲家の内藤孝敏氏は、次のように語っています。

 「『君が代』が、今まで歌い継がれてきた理由は、何よりも『音楽』として優れたものであるといふところにある」と言っています。また、次のように語っています。「日本の音楽の底流には、二つの大きな源流が存在しています。…国歌『君が代』の旋律は、その第一の源流を伝える宮内省雅楽課の作品であり、また、その和声は、第二の源流である西洋音楽による作品であります。つまり、『君が代』の音楽は、和・洋の二つの音楽の役割を明確に旋律と和声に分けることで成功した日本初の記念碑的作品であります」(『日本の息吹』平成11年12月号 日本会議)

 「君が代」は、日本古来の音楽と、西洋近代の音楽とを融合して作られた曲なのです。まさに「和魂洋才」による傑作が、国歌「君が代」だと言えましょう。ページの頭へ

 
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