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■戦後教育を呪縛した教育基本法〜その弊害と改正

2002.11.23初版/2007.1.72

 

 <目次>

  はじめに

1.教育の目的と戦後教育の欠陥

2.憲法と教育には深い関係が

3.旧教育基本法の成立事情

4.旧教育基本法の内容

5.こんなところが問題だった

6.欠陥を補う試みもあった

7.教育基本法改正が実現

8.改正教育基本法の内容

9.この教育基本法には欠陥がある

 

 

はじめに

 

日本は今日、政治・経済・社会等、あらゆる分野で深刻な問題を抱えている。最も危機的なものの一つが、教育である。その教育の改革のために、教育基本法が改正された。これからの教育改革は、改正教育基本法のもとで行われる。

旧教育基本法は、どういう経緯で作られ、どのような弊害があったのか。そして、新たな教育基本法は、どういう点を改正したのか。改正教育基本法が持っている欠陥とはなにか。これらについて検討してみたい。

 

 

1.教育の目的と戦後教育の欠陥

 

教育の目的とは人格形成であり、その国を担う次世代の国民を育てることにある。そのためには、知育・体育とともに、徳育が必要である。
 ところが、わが国の戦後教育では、道徳教育が、ほとんど行われてこなかった。家庭では、しつけに始まり社会の規範がきちんと教えられていない。学校では、人としてどう生きるべきかという一番大切なことを教えていない。
 青少年が、家族の一員として、社会の一員として、国民の一人として、人類の一人として、どういう人間になるべきか、ということを、十分に教えてこなかったのである。これは、教育のあり方が根本的に違っているというほかはない。
 どうして、こういうことになっているのだろうか。それは、大東亜戦争の敗北と戦勝国による日本弱体化政策の影響である。戦勝国は、日本人を精神的に骨抜きにするための政策を行った。とりわけ重点のおかれたものの一つが、教育の改革だった。それまで教えられてきた道徳教育が否定され、教育内容から伝統に基づく家庭道徳、社会道徳、国民道徳がなくされてしまったのである。(註1
 こうした欠陥教育を受けて育った戦後世代は、第2世代・第3世代となるに従って、急速に倫理観が低下してきた。いじめ、不登校、学級崩壊、対教師暴力、学力低下等が、学校で深刻な問題となっている。援助交際という名の少女売春、麻薬服用の低年齢化、少年による凶悪犯罪、一方では親の無責任・身勝手・給食費未納問題等々、事態はもはや猶予を許さない。このまま進めば、日本は亡国に至るのみである。
 日本を崩壊から守るには、教育を改革しなければならない。教育を根本的に改革するために必要不可欠とされたのが、戦後教育を規定してきた教育基本法の改正だった。
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(1)日本弱体化政策については、以下の拙稿をご参照下さい。

日本弱体化政策の検証

 

 

2.憲法と教育には深い関係が

 

旧教育基本法は、昭和22年3月に制定された。戦後教育の欠陥は、この法律の中に潜んでいた。教育基本法が、わが国の教育を呪縛してきたのである。
 旧教育基本法は、日本国憲法のもとで作られた。それゆえ、日本国憲法の性格がそのまま同法に反映していた。 (註2
 そもそも憲法と教育基本法とは、どういう関係にあるのだろうか。
 憲法とは、国のかたちを、根本的に規定するものである。憲法は、それに基づく教育が行われて初めて、国民の意識を規定するものとなる。この憲法を担う国民を育てるための基本方針が、教育基本法である。
 明治国家においては、教育の基本方針を示すものは、教育勅語だった。これは明治天皇が国民に呼びかけた御言葉である。明治22年2月に大日本帝国憲法が発布されると、翌23年10月に教育勅語が発布されている。明治天皇に仕えた指導層は、憲法と教育の関係について、実に深い理解をもっていたといえよう。国のかたちは憲法に定めるけれども、その憲法の下で国を担う人間は、教育勅語に基づいて育てるということである。そのことを最も深く認識していたのは、井上毅だった。
 井上は憲法と教育勅語をともに起草した人物だからである。井上の構想では、憲法と教育勅語は別々のものではなく、「憲法―勅語体系」とでもいった、一つの体系をなしていたのだろう。
 大東亜戦争の敗戦後、マッカーサーは、大日本帝国憲法に替えて、GHQで極秘裏に作成した憲法を押し付けた。憲法の施行は昭和22年5月。その前に教育基本法を、22年3月に施行した。
 明治憲法と教育勅語がひとセットだったように、日本国憲法と教育基本法もまたひとセットとして、作成されたと考えられる。戦後日本の組織・形態はマッカーサー憲法で規定するが、その日本国民の精神は教育基本法で変えていくということだろう。明治の井上がそうだったように、マッカーサーも日本における憲法と教育との関係を深く認識していたのである。
 このように考えると、教育基本法は、単に様々な法律のうちのひとつではなく、特別の重みを持つことがわかる。その証として、旧教育基本法には、「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立する」ために、この法律を制定するという前文がつけられていた。
 前文及び条文の内容については、後ほど改めて見ることにする。

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(2) 拙稿「日本国憲法は亡国憲法――改正せねば国が滅ぶ」をご参照下さい。

 

 

3.旧教育基本法の成立事情

 

次に、旧教育基本法の成立過程を振り返ってみたい。
 日本国憲法はGHQによって作られ、銃砲の下でわが国に押し付けられた憲法である。この憲法は昭和21年11月3日に公布された。そして22年5月3日に施行されるに先立って、同年の3月31日に旧教育基本法が施行された。

旧教育基本法は、占領下の日本で、当時のわが国の教育の専門家による教育刷新委員会が原案をつくった。ところが帝国議会に上程される直前に、GHQ(連合国軍総司令部)のCIE(民間情報教育局)の指示により、法案の前文から「伝統を尊重し」という文言が削除された。また「宗教的情操の涵養」という部分も削除された。この変更は重要である。こうして、旧教育基本法は、GHQの情報管理・言論統制の中で成立したのである。

成立した旧教育基本法には憲法順守がうたわれ、「人格の完成」「機会均等」などの教育理念が盛り込まれる一方、愛国心、公共心、伝統の尊重などが欠け落ちていた。わが国の青少年をどういう「日本国民」に育てるか、という目標像がなかったのである。

旧教育基本法は、まさにGHQ製の憲法に基づく教育を行うための法律として生み出された。日本国憲法は、占領基本法という性格を持っているが、旧教育基本法は、その憲法の下での占領教育法というべきものだった。それは、占領後、行われてきた日本弱体化のための一連の占領教育政策を完成し、固定するものだった。

旧教育基本法の欠陥を、さらに決定的にしたのは、教育勅語が廃止されたことである。教育勅語は、明治以来、わが国の教育の理念・目標を示してきたものだった。それはまた日本の道徳教育の根本を示すものでもあった。教育勅語には、親孝行、兄弟愛、夫婦愛、公共心、愛国心などの道徳の基準が示されていた。旧教育基本法の日本側の立法者は、旧教育基本法を、教育勅語と並立し、これを補完するものと考えていた。もしそのまま教育勅語が存続されていれば、旧教育基本法の欠陥は教育勅語によって補われていただろう。しかし、戦勝国はそう甘くはなかった。

旧教育基本法が昭和22年3月に施行された1年3ヵ月後、23年6月に教育勅語は廃止を余儀なくされた。GHQの口頭命令によって、国会が廃止・失効を決議した。このことによって、戦後教育には決定的な欠陥が生れた。わが国の教育を再建するには、教育基本法の改正だけでなく、教育勅語の復権が必要である。(註3ページの頭へ

 

(3)教育勅語については、以下の拙稿をご参照下さい。

教育勅語を復権しよう

 

 

4.旧教育基本法の内容

 

 旧教育基本法は、どういう内容のものだったか。以下に全文を掲載する。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

昭和22(1947)年3月31日 法律第25号

昭和22(1947)年3月31日 施行

 

 朕は、枢密期間の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 

教育基本法

 

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

 

第一条(教育の目的)

教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

 

第二条(教育の方針)

 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

 

第三条(教育の機会均等)

1 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

 

第四条(義務教育)

1 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

 

第五条(男女共学)

 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

 

第六条(学校教育)

1 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

 

第七条(社会教育)

1 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。

2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

 

第八条(政治教育)

1  良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。

2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

 

第九条(宗教教育)

1 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。

2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 

第十条(教育行政)

1 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 

第十一条(補則)

 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

 

附則

 この法律は、公布の日から、これを施行する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

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5.こんなところが問題だった

 

旧教育基本法は、前文と11条の条文による短い法律だった。この法律が、約60年間にわたり、わが国の戦後教育を支配してきた。

はじめに、前文は次のような文章だった。

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」

この前文は、GHQ製が押し付けた憲法と教育基本法が一つの体系をなしていたことを示している。前文によると、日本国憲法は「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献」するという理想を掲げている。そしてその理想を実現するには、教育の力が必要である。だから、教育基本法によって、「日本国憲法の精神」に則った「教育の目的」を定めて、戦後日本の教育の基本を確立しようとしたことがわかる。

問題は、それがどういう教育だったかということである。それは前文の中間部にある。すなわち、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育」だとされる。

「個人の尊厳」や「真理と平和の希求」は大切なことである。それにはおそらく誰も異存はないだろう。しかし、ここには重要なことが欠けていた。自国の歴史や伝統を重んじ、国の発展をめざすということである。「民主」「平和」「個人」などの用語がある一方、「日本人」「民族」「国民」「歴史」「伝統」などの用語がなかったのである。

こうした前文に続いて、第一条に「教育の目的」が規定されていた。すなわち、「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とある。

ここでは、教育の目的として「人格の完成」と「国民の育成」が掲げられている。これはまっとうなことである。しかし、日本人が日本民族としての自覚をもち、歴史と伝統を受け継ぐという観念が、そこにはなかった。

旧教育基本法には、日本人に日本人が日本人としての誇りや民族意識を持ち、自国の歴史と伝統を伝えることが期待されていなかったのである。むしろ伝えないように制約されていたのである。この点で、旧教育基本法は、その源にある日本国憲法と全く同じく、占領政策推進法としての性格を明らかにしている。日本国憲法は、戦争の贖罪意識を色濃くし、自国を守る力を否定し、国民に国防の義務をなくし、日本人が自分の国を自ら守るという意識をもたないように制約をかけている。

この憲法―教育基本法の下では、「個人の尊厳」を重んじるとは、個人の権利の主張、私利私欲の追及にすぎず、「真理と平和の希求」は、戦勝国に与えられた規範への従属と、占領国の力への依存であるにすぎない。「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す」というものの、その「文化」は日本の歴史と伝統に基づくものとは、考えられていない。それもそのはず。戦勝国が持ち込み、外から移植しようとしている外国の文化が前提となっているからである。

すなわち、戦勝国によって、押し付けられた憲法の「精神」を、日本人の青少年に吹き込んで、洗脳するための法律が、旧教育基本法だったのである。

第二条以下では、教育の方針、教育の機会均等、義務教育、男女共学、学校教育、社会教育、政治教育、宗教教育、教育行政などを定めていたが、これらは上記を前提として定められたものである。そのなかで、重要なのは、宗教教育に関する問題である。

「宗教教育」については、第九条に規定されていた。先に日本側の原案には「宗教的情操の涵養」なる文言があったが、GHQによって削除されたと述べた。そのことに現れているように、旧教育基本法には、宗教的な情操教育を大切にするという姿勢はなかった。むしろ憲法第20条3項とともに、旧教育基本法第九条2項は、公立学校での宗教教育を制限するものだった。

マッカーサーは、憲法―教育基本法の施行の前に、戦前の日本の神道を戦勝国にとって危険なものと見て、国家神道廃止令を出した。これに過剰に反応した日本人もいて、日本人の宗教的情感に根ざした教育を教育現場から遠ざけることになってしまった。さらに近年は、憲法と教育基本法の宗教関係の条文を極端に拡大解釈し、あらゆる宗教的な文化・習慣までを否定しようとする傾向が現れている。

しかし、欧米では今日も、公立学校で、キリスト教に基づく道徳教育がされている。実際、道徳教育は、宗教や伝統文化への理解なしには成り立たない点がある。教育において、自国の精神文化を教えなければ、その国民は自国の精神を失って行くことになる。そして、それと同時に、他人への思いやりや、社会に奉仕する心など、人間として大切な要素を失って行くことにもなってしまう。

この項目の前半部で、旧教育基本法は、日本人が自国の歴史と伝統を伝えないような内容となっていたことを述べた。その一環として、日本人の心の中核にある宗教的情操を弱め、次世代に伝わらないようにしようとする意図があったと見られるのである。

旧教育基本法に盛られた占領者の意図が、わが国の教育現場で浸透したのは、日教組の活動による。旧教育基本法は、第10条1項に、教育は「不当な支配に服することなく、」という文言が入っていた。これは、国家による教育が、軍国主義者や超国家主義者によって支配されないようにするというGHQの意思の表現である。

日教組は、この条文を、教育現場への国の関与を排除するための根拠としてきた。学校行事における日の丸掲揚、君が代斉唱等に反対するために利用してきた。その点では、第十条1項こそ、旧教育基本法にこめられた意図を、日教組の教師たちが学校で青少年に浸透させる活動を可能にしてきた極めて有害な条文だったのである。ページの頭へ

 

 

6.欠陥を補う試みもあった

 

旧教育基本法の欠陥は、同法施行当時、多くの人々の認識するところだった。しかし、占領下ではいかんともしがかったのだろう。

昭和26年9月、サンフランシスコ講和条約の調印を機に、吉田茂内閣の天野貞裕文相は、教育基本法の欠陥を補い、道徳教育の指針を打ち立てようと努めた。そのために、天野文相が示そうと試みたのが、『国民実践要領』である。『要領』は、個人・家・社会・国家の4章に分かれている。その第2章及び第4章から、抜粋する。

 

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第2章 家

(1)和合

 家庭は自然に根ざした生命関係であるとともに、人格と人格とが結びついた人倫関係である。それゆえ、その縦の軸をなす親子の間柄においても、横の軸をなす夫婦の間柄においても、自然の愛情と人格的な尊敬がともに含まれている。

(2)夫婦

夫と妻たるものは、互に愛によって一体となり、貞節によってその愛を守り、尊敬によってその愛を高め、かくして互に生涯の良き伴侶でありたい。……

(3)親子

われわれは親として慈愛をもって子に対し、立派な人格となるように育成しなければならない。また子としては敬愛をもって親に対し孝養をつくさねばならない。……

(4)兄弟姉妹

 兄弟姉妹は相睦び、それぞれ個性ある人間になるように助け合わねばならない。……

(5)しつけ

 家庭は身近な人間教育の場所である。……家庭のしつけは健全な社会生活の基礎である。

(6)家と家

 家庭は自家の利害のみを事とせず、社会への奉仕に励むべきである。家と家とのなごやかな交わりは社会の美しいつながりである。

 

第4章 国家

(1)国家

 われわれは国家のゆるぎなき存続を保ち、その犯すべからざる独立を護り、その清き繁栄と高き文化の確立に寄与しなければならない。……

(2)国家と個人

 国家生活は個人が国家のためにつくすところに成り立つ。ゆえに国家は個人の人格や幸福を軽んずるべきでなく、個人は国家を愛する心を失ってはならない。……

(3)伝統と創造

 …国民の精神的結合が強固なものであるためには、われわれは国の歴史と文化の伝統の上に、しっかりと立脚しなければならない。また国民の生命力が創造的であるためには、われわれは広く世界に向かって目を開き、常に他の長所を取り入れなければならない。

(4)国家の文化

 国家はその固有なる民族文化の発展を通じて、独自の価値と個性を発揮しなければならない。その個性は排他的な狭いものであってはならず、その民族文化は世界文化の一環たるにふさわしいものでなければならない。

(5)国家の道義

 国家の活動は、古今に通じ東西にわたって行われる人類普遍の道義に基づかねばならない。それによって国家は、内には自らの尊厳を保ち外には国際信義を全くする。

(6)愛国心

 国家の盛衰興亡は国民における愛国心の有無にかかる。……

(7)国家の政治

 国家は一部特定の党派、身分、階級の利益のための手段とみなされてはならない。われわれは常に国家が国民全体のための国家であることを忘れるべきではない。

(8)天皇

 われわれは独自の国柄として天皇をいただき、天皇は国民的統合の象徴である。それゆえわれわれは天皇を親愛し、国柄を尊ばねばならない。……

(9)人類の平和と文化

 われわれは世界の人類の平和と文化とに貢献することをもって国家の使命としなければならない。

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以上のような内容から、天野の『国民実践要領』は、旧教育基本法の欠陥と教育勅語の廃止を埋め合わせる試みであったことが明らかである。しかし、当時の言論界、教育界などから猛反発に遭い、『国民実践要領』は実現しなかった。

日本が講和によって独立を回復したときに、歴史・伝統に基づく道徳教育を開始していれば、今日の教育の荒廃はなかっただろう。痛恨の極みである。

 その後、旧教育基本法には「よき日本人づくり」が挙げられていないとして、池田隼人首相が中央教育審議会に「期待される人間像」の検討を諮問した。そして、昭和41年10月の中教審答申で発表された。

その内容は、第2部「日本人にとくに期待されるもの」は、第2章「家庭人として」にて、@家庭を愛の場とすること、A家庭をいこいの場とすること、B家庭を教育の場とすること、C開かれた家庭とすることを挙げ、第3章「社会人として」では、@仕事に打ち込む、A社会福祉に寄与すること、B創造的であること、C社会規範を重んずることを挙げ、第4章「国民として」では、@正しい愛国心を持つこと、A象徴に敬愛の念を持つこと、Bすぐれた国民性を伸ばすことを挙げている。

しかし、またもや日教組などの強い反対により、教育界には根づかなかった。

そうした状況において、日教組を批判する教職員団体・日本教師会(会長・田中卓皇學館大学文学部長 当時)が、昭和52年8月に、教育基本法に「伝統の尊重」「愛国心の育成」「自衛心の涵養」を盛りこむことを提案した。しかし、これも改正を実現する有効な動きとはならなかった。

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7.教育基本法改正が実現

 

旧教育基本法は、占領下に作られ、戦後教育を呪縛してきた。同法が制定された後、国会で教育勅語が排除・失効とされ、わが国の教育は、理念や方針に根本的な問題を抱えたまま、行われてきた。

戦後50年となる平成7年ごろから、教育に関する問題が次々に吹き出るようになった。いじめ、不登校、学級崩壊、対教師暴力、学力低下、援助交際という名の少女売春、麻薬服用の低年齢化、少年による凶悪犯罪等々、事態はもはや猶予を許さないところに至った。

このまま進めば、日本は亡国に至るという危機感が強まり、教育基本法の見直しを図る議論が高まったのは、平成14年ころからである。そして、ようやく平成18年12月、制定後、59年ぶりに改正が実現した。

立案・審議の過程には、大いに問題があった。平成18年4月、教育基本法の改正が国会で審議されようとする段階に入る前、自公連立与党は、同法の改正に関し、3年間にわたって、秘密会議で協議していた。議事録も資料も公開しなかった。与党検討会(大森理森会長)は、平成18年4月の最終報告段階になっても条文案を公表せず、要旨だけしか発表しなかった。それに対する国民の批判が高まり、ようやくその内容が、報道された。

その時報道された与党案が結局、そのまま法律となった。自公の関係者は、ごく一部の者の話し合いで案をつくり、それを一気に成立させてしまおうという目論見だったのだろう。彼らは、デモクラシーを保障する「公開の討論」という根本原則を無視していた。これは、従来の自民党にはなかった姿勢である。個人独裁的・中央集権的な体質を持つ公明党=創価学会の手法が、自民党の政治手法に相当影響しているのではないかと懸念される。

自民党は、自らの腐敗・堕落のため、政権を自力では保ちえなくなった。政権に固執する自民党は、公明党=創価学会との関係を深め、彼らの協力なくして選挙を戦えなくなっている。

平成17年、小泉政権のもとで行われた9・11衆議院選挙では、与党が歴史的な大勝をしたが、これは自民党が公明党と一体化を深めた結果である。選挙後は、ますます創価学会の意向に沿うことなしに、自民党は、政権維持・政策実現ができなくなっている。教育基本法の改正は、こうした状態において、国会で審議されたのである。

国会での審議が始まると、教育基本法改正促進委員会(超党派改正議連・亀井郁夫委員長)、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間臨調・西沢潤一会長)、日本会議国会議員懇談会(平沼赳夫会長)などが、与党に修正要求を出した。
 与党案とは別の改正案も準備されていたが、与党案の全般的な修正は難しいという判断のもと、3点に搾って修正要求が出された。「国を愛する態度を養う」と表現した与党案について「態度」を「心」に変えること、与党案に盛られていない「宗教的情操の涵養(かんよう)」を明記すること、教科書検定訴訟や国旗国歌反対運動の根拠とされてきた旧教育基本法の「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は主語を「教育」から「教育行政」に改めること。これらの3点である。
 私も改正私案を公表していたが、3点に絞った修正要求を、最低限の要求として支持した。
 一方、民主党は、独自の対案を提出した。民主党案は、愛国心に関しては、「日本を愛する心を涵養」という文言を前文に入れていた。宗教的情操の涵養に関しては、「宗教的感性の涵養」という文言を入れた。また、教育行政に関しては、「教育は、不当な支配に服することなく、」について、その文言を用いず、独自の条文案を提示した。その限りにおいて、与党案の持つ欠陥を正す内容となっていた。保守系の学者・有識者の中には、与党案より優れていると評価し、与党に対し、民主党案をそっくり受け入れることを求める人もいた。
 しかし、私は、異なる考えを持っていた。民主党は、戦後教育を大きくゆがめてきた元凶ともいえる日教組を、支持団体の一つに持っている。日教組を基盤とした議員もいる。民主党の教育政策は日教組の活動を容認し、日教組は民主党の教育政策を支持するという関係にある。民主党は、教育基本法の改正案には優れた部分があったとしても、日教組を批判して、日本の教育を改革しようと意思は、まったく感じられない。日教組の支持を受けている政党が、歴史教育の偏向、道徳教育の欠落、過激な性教育の横行を是正できるはずがない。それゆえ、民主党の改正案は、単なる国会戦術にすぎないものだと私は疑ったわけである。現在もその考えは変わらない。

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8.改正教育基本法の内容

 

結局、教育基本法の自公案は、一字一句修正されずに、平成18年11月16日、衆議院本会議で採決された。3点に絞った修正要求、民主党の対案については、十分な議論のされぬまま、与党の単独採決によって、自公案が可決された。続いて参議院では12月15日に、採決が行われ、可決された。
 改正教育基本法は、このようにして成立した。内容は、以下のようになっている。

 

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教育基本法(平成18年法律第120号)

教育基本法(昭和22年法律第25号)の全部を改正する。

 

目次

前文

第一章    教育の目的及び理念(第1条―第4条)

第二章    教育の実施に関する基本(第5条―第15条)

第三章    教育行政(第16条・第17条)

第四章    法令の制定(第18条)

附則


 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

 

第一章 教育の目的及び理念

 

(教育の目的)

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 

(教育の目標)

第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 

(生涯学習の理念)

第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

 

(教育の機会均等)

第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。

3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

 

第二章 教育の実施に関する基本

 

(義務教育)

第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。

2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。

3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

 

(学校教育)

第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

 

(大学)

第七条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。

 

(私立学校)

第八条 私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。

 

(教員)

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。

2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

 

(家庭教育)

第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

 

(幼児期の教育)

第十一条 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。

 

(社会教育)

第十二条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。

2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。

 

(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)

第十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

 

(政治教育)

第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。

2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

 

(宗教教育)

第十五条 宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。

2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 

第三章 教育行政

 

(教育行政)

第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。

3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。

4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

 

(教育振興基本計画)

第十七条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。

2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

 

第四章 法令の制定

 

第十八条   この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。

 

附則

 

(施行期日)

1 この法律は、公布の日から施行する。

 

(社会教育等の一部改正)

2 (略 関連法における「教育基本法」は改正教育基本法を意味すること)

3 (略 関連法における対照条項の変更に関すること)

 

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9.この教育基本法には欠陥がある

 

改正教育基本法は、旧教育基本法に比べて、どこが改正され、どこに問題を残したか。主な点を検討したい。
 旧教育基本法は、わが国の教育の専門家による教育刷新委員会が原案をつくったが、帝国議会に上程される直前に、GHQのCIE(民間情報教育局)の指示で、法案の前文から「伝統を尊重し」という文言が削除された。また「宗教的情操の涵養」という部分も削除された。
 出来上がった旧教育基本法は、憲法順守が謳われ、GHQ製の押しつけ憲法の「精神」にのっとった教育を行うものだった。「人格の完成」「機会均等」などの教育理念が打ち出され、「個人の尊厳」や「真理と平和の希求」が盛られる一方、愛国心、公共心、伝統の尊重などが欠け落ち、自国の歴史や伝統を重んじ、国の発展をめざすということが抜けていた。「民主」「平和」「個人」などの用語があるのに対し、「日本人」「民族」「国民」「歴史」「伝統」などの用語自体が使われていなかった。わが国の青少年をどういう「日本国民」に育てるか、という目標像がなかった。むしろ、日本人が日本民族としての自覚を持てず、歴史と伝統を受け継げないようにする内容となっていた。
 「宗教教育」についても、宗教的な情操教育を大切にするという姿勢はなく、憲法第20条3項とともに、公立学校での宗教教育を制限する狙いがあった。旧教育基本法全体が、日本人に自国の歴史と伝統を伝えないような内容となっていたが、その一環として、日本人の心の中核にある宗教的情操を弱め、次世代に伝わらないようにする意図があったと見られる。
 また、教育は「不当な支配に服することなく、」という文言が入っていた。これは、国家による教育が、軍国主義者や超国家主義者によって支配されないようにするというGHQの意思の表現である。この条文は、日教組が教育現場への国の関与を排除するための根拠としてきた。学校行事における日の丸掲揚、君が代斉唱等に反対するために利用されてきた。
 今回の教育基本法の改正で、上記の問題点の一部は、改善された。しかし、重要な部分の改善はされないままに終わった。
 まず、前文に「公共の精神を尊ぶ」が入った。「公」を忘れ、「私」に偏りすぎた戦後教育の理念を一定程度、修正するものとなっている。また「伝統の継承」が入ったのも、前進である。自国の伝統を尊重するという当たり前のことが、ようやく基本法に盛られた。
 その反面、「日本国憲法の精神にのっとり」の文言は残っている。GHQ製の押しつけ憲法の「精神」にのっとった教育という根本は、変わっていない。
 第二条の5号に、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」と盛られた。公明党がかたくなに抵抗したため、「愛国心」という言葉は使用されなかった。また、「愛国心」を用いない場合、「態度」という言葉を「心」に直すべきだという意見が出された。
 当時、内閣府の世論調査によると、愛国心教育は「必要」という人が80.8%もあった。不必要が10.4%、不明が8.8%だった。国民の8割が望んでいるのに、「国を愛する心」が盛り込まれなかったのは、異常である。その一方、「他国を尊重し」と盛り込むのは、自国の国益より他国の国益を尊重することになりかねないと反対があったが、そのまま条文となった。

第十条に、家庭教育の条文が新設されたのは、前進だった。父母その他の保護者が子供の教育について持つ「責任」が明記されている。「生活のために必要な習慣を身に付けさせ、」という文言は、しつけを基本とする基本的な生活習慣の習得を意味するものだろう。この点は、評価できる。
 第十一条に、幼児期の教育について盛られたのも良かった。ただし、問題点がある。「国と地方公共団体は幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備、振興」という文言は、「男女共同参画社会基本法」に引き寄せて理解すれば、フェミニズムによる曲解を許すと懸念される。すべての女性を労働者とするための保育所の増設、超長時間保育の拡大などのフェミニズム行政の根拠とされれば、他の教育改革はすべて基礎から崩れ去るおそれがある。
 第十五条は、旧法の第一項に「宗教に関する一般的教養」という文言を加筆した。第二項は旧法と同じである。多くの国民が求めていた「宗教的情操の涵養(かんよう)」は、盛り込まれていない。神道・仏教・キリスト教などさまざまな宗教について、特定の宗教宗派に偏らずに教育し、宗教的情操を養うことは可能なことである。
 創価学会=公明党は「宗派的な教育でない宗教教育はあり得ない」と反対したが、その反対は、むしろ自団体の活動の利益を守り、また追及するためではないかと疑われる。
 第十六条は、教育は「不当な支配に服することなく、」という文言が残った。この条文は、旧法第10条にあったもので、日教組・全教が国の関与を排除する根拠としてきた条文である。この文言がそのまま存続するので、教職員組合のイデオロギー的・政治的な活動を許すだろう。それを避けるには、教育についての行政責任を明記する必要があったのだが、この点は明記されていない。
 また、改正教育基本法には、食育に関する規定がない。平成17年7月に施行した食育基本法は、前文にて、食育を「『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる」こととしている。そして、「食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付ける」とし、「家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいく」と書いている。
 それほど、国として食育を重視するのであれば、教育基本法に食育がまったく盛られていないことも、欠陥だと思う。教育に関わる教育基本法と食育基本法の間に、連携をつけるべきだろう。
 以上、改正教育基本法は、部分的には前進があるけれども、全体を貫く理念・方針がはっきりしない。国家百年の計というにふさわしい大計のないままつくられたものと、言わざるを得ない。問題山積の教育の改革に取り組むにあたり、この新法からどれだけ実効性を引き出せるか、疑問が残る。
 特に「愛国心」が明記されなかったこと、宗教的情操の涵養が盛り込まれなかったこと、教育に対する「不当な支配」の文言の修正がされなかったことの3点は、重大な欠陥である。今回の改正は、こうした欠陥を持ったままの取り敢えずの改正であり、連立与党の自民党・公明党による政治的な妥協と折衷の産物だと私は思う。
 また、教育勅語との関係がある。旧教育基本法の制定時には、教育勅語の存在が前提とされていた。しかし、制定後、教育勅語はGHQの意思により、国会で排除・失効の決議がされた。そのため、旧教育基本法のもとでの教育は、教育の根本目的、道徳教育の理念を欠いたものとなった。
 今回の教育基本法の改正においては、国会で、教育基本法と教育勅語の関係や排除・失効の決議の法的有効性について、ほとんど議論されていない。教育勅語の見直しや復権はなされていない。それゆえ、新法のもとでも、道徳教育は、大きくは改善されないだろう。この点が、今回の改正における最も大きな欠陥である。新法は、伝統の尊重、公共の精神、国を愛する態度等を盛り込んではいるが、それらを束ねる理念を欠いている。その理念は、教育勅語の復権なくして確立されないものである。
 それゆえ、占領下に定められた教育基本法が、59年ぶりに改正された意義は、大きいものの、私の評価は、ボーダーラインぎりぎりの合格点というところである。今回の改正の成果を踏まえ、さらに早期に再改正をすべきものと思う。
 憲法改正が先に実現すれば、新憲法のもとでの再改正となるだろう。その場合、今回の改正教育基本法は、暫定的な性格のものだったことが明らかになるだろう。

別に、教育基本法の再改正案として、拙稿日本再建のため、教育基本法の再改正を〜ほそかわ私案」を掲示しているで、ご参照願いたい。

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