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203-05   家族・教育

                       

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脱少子化と日本再建は一体の課題

2006.6.23初版、2007.6.11補注

 

 <目次>

  はじめに

第1章 出生率1.26の衝撃

第2章 中国からの移民が日本を埋める?

第3章 少子化が進む6つの基盤的条件

(1)敗戦による民族の劣化

(2)自虐的歴史観の呪縛

(3)男性の権威と役割の低下

(4)知識の高度化による女性の高学歴化

(5)個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合

(6)フェミニズムの浸透と性の快楽化

第4章 少なくなる子どもに膨らむ負担

第5章 生命に基づく考え方を

第6章 生きることの意味

第7章 生命の道を歩もう

第8章 憲法から変えねば!

結びに〜若い人々へ

 

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はじめに

 

平成17年(2005)の合計特殊出生率は、過去最低の1.26となった。政府の予想は、やはり甘かった。予想を大幅に上回るほど、少子化は進んでいる。
 日本人はここでものの考え方、生き方を根本的に改める必要がある。そうしないと日本民族は退縮し、日本国は衰滅する。脱少子化と日本の再建は、一体の課題である。

では、どうしたらよいか。その点について考えてみたい。

 

第1章 出生率1.26の衝撃

 

合計特殊出生率とは、女性が一生のうちに産む子供の数の平均値である。15歳から49歳の間として推計したものだ。
 わが国の出生率は、第1次ベビーブーム(昭和22〜24年)を過ぎた昭和25年の時点では3.65だった。兄弟姉妹が3人、4人が普通だった。第2次ベビー・ブーム(昭和46〜49年)を過ぎると出生率が目だって下がり、昭和48年以降は2.08以下となり、低下し続けている。昭和55年には1.75となり、30年前の昭和25年の半分以下になった。その後も低下が続き、平成16年には1.29。今回はさらに前年比で0.03ポイント減り、1.26となった。これで5年連続最低を更新した。

少子化の進行は、底が見えない。まだ減少する可能性がある。1.20、1.15等と益々下がっていくかもしれない。

(補注:幸い平成18年度は1.32に。ただし、長期的な少子化傾向は変わっていない)
 
 人口を維持するには、出生率が2.08以上なければならない。父母と子供2人で人数は維持されるように思えるが、子供は、病気で死んだり、事故で亡くなる場合がある。そこで、人口維持には、2.0人より少し多く、2.08人が必要なのだ。日本の現状は、それを大きく下回っている。このままでは、日本の人口は確実に少なくなっていく。実際、平成17年から人口が減少し始めた。

 

わが国は、少子化・高齢化・人口減少の三つが、同時に進行するというかつてない事態に入っている。そのうち、本稿は主に少子化という点から、この事態の解決を考えるものである。

近年の急速な少子化は、何が原因か。北海道大学大学院教授の金子勇氏は、「未婚率の漸増と既婚者の出生力の持続的低下」を、二大原因と挙げる。未婚率の上昇とは、結婚していない人が増えていることである。女性が社会に進出し、経済的に自立し、結婚しなくとも生活ができる人が増え、20代後半、30代の単身者が増えている。それとともに晩婚化が進み、初婚の平均年齢が上がっている。既婚者の出生力の低下とは、結婚している人の子供の数が減っていることである。結婚する年齢があがることを、晩婚化という。晩婚化に伴い、晩産化が進んでいる。女性が初めて子供を産む年齢が高くなっているのだ。初産の年齢が上がれば、産む子どもの数は減る。また、住居費・教育費・医療費等の経済的事情により、子供を多く持てない家庭が多い。そのうえ、結婚しても子供をつくらないという考え方の夫婦が増えている。
 また、ここ5年ほどの間に社会的格差が広がり、「中流」の一部が「下流」に低下し、年収300万円台以下の低所得層が増えた。そのため、結婚したくとも、収入が少ないために、結婚できない男性が増えている。ほかにもいろいろな要因が指摘されている。

 少子化に加えて、わが国では、世界最速で高齢化が進んでいる。昨年、65歳以上の高齢者が、5人に1人の割合となった。このまま進めば、2020年には、国民4人に1人が65歳以上という世界最高齢国となる。その時点の日本は、14歳以下の子供の数が高齢者の半分という超少子高齢国となると予想されている。わずか14年ほど先の話だ。
 現在は、高齢者1人を、生産年齢人口(15歳〜64歳)の4.8人で支えている。今後、ますます少なくなる青少年が、いよいよ多くなる高齢者を支えなければならなくなる。2020年には2.3人で高齢者1人を支えることになり、若年層の負担は、これだけでも2倍に増える。

 わが国は、平成10年(1998)からデフレが続いている。この経済状況で超少子高齢化がこのまま進むと、経済に影響が出てくる。平成19年(2007)から3年間ほどの間に、団塊の世代が定年を迎える。その数は、800万人に上る。これを補う青年層の人口は少ない。若年層の労働人口が減ると、生産力が低下する。それに伴って収入が減り、消費力も低下する。団塊の世代が一時的に活発に消費したとしても、やがて年金生活に移ると、その消費力は低下する。高齢者の多くが個人預金を食いつぶす生活になれば、これまで日本経済を支えてきた個人貯蓄の貯蓄額が減少する。すると、企業に融資される金が減り、企業の倒産が増加するだろう。かくして国民経済が縮小し、これまでの豊かさは維持できなくなると予測されている。国民の多数が「下流」に、さらにそのうちの多くが「下層」に固定化していくだろう。
 デフレからの脱却を行わないと、年金制度は段々行き詰まる。年金収入を見込んで設計している高齢者医療制度や介護保険制度は機能しなくなる。
 
 そのうえ、もっと重大な事態に陥る。周辺諸国、特に中国との間で生じる事態である。
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第2章 中国からの移民が日本を埋める?

 

超少子高齢化がこのまま続くと、日本人の人口は、やがて1億を割り、さらに減り続けていくだろう。2080年代には日本の人口が3000万人以下になるという試算がある。日本人が現在の4分の1に減ってしまうわけである。

それよりもっと起こりうるのは、日本人が減る分を、外国人が埋めることである。


 労働力が減り続ければ、移民を増やして労働力を補充するしかなくなる。平成12年(2000)の国連の国際人口動態についての推計によると、日本は今後、50年間にわたって毎年60万人の外国人労働者を必要とする、ということだった。現在、日本に居住している外国人は約300万人だが、少子高齢化のため、外国から人間を入れないと、減り続ける労働力を維持できない。さらに長期的には、2050年の日本の人口は、3000万人以上が外国人になっている、という推計も出された。一年間に60万人として、50年間で3000万人というわけだ。


 今後、わが国がどういう政策を採るかによることではある。しかし、今のまま少子化が定着あるいはさらに進行すれば、移民受け入れを拡大せよという声が高まるだろう。拡大策を採った場合、日本で働く外国人が年々増え、日本人と外国人の混住と混血が進んでいくだろう。

 その外国人とは誰か。ブラジル、中東、インド等からの流入もあるだろうが、私は、長期的に見ると、中国からの移民が最も多くなる可能性が高いと思う。


 戦前の世界では、人口は国力の一つであると考えられていた。人口の多い少ないは、労働力や軍事力の規模を左右する。優秀な子孫を多く産み育てることは、民族の生存や繁栄にかかわる重大な事柄だった。戦後の日本人は、こういう考え方をあまりしなくなった。個人を中心とした価値観が優勢となり、国家や民族を単位として考えることは、避けられている。また1970年代から、発展途上国を中心とした急激な人口増加、いわゆる人口爆発が起こり、人口増加をいかに抑制するかということが課題となっている。わが国を含む先進国では、戦後、多くの国で少子化が進み、人為的に抑制しなくとも、将来的に人口が減少に向かう傾向を表してきた。しかし、あまり急激な人口の減少は、周辺の諸国との間で、政治的経済的社会的な問題を生じる。

 水は水位が高い方から低い方へと流れる。それと同じように、人口は多いほうから少ない方に移動する傾向がある。人口の多い国からは、海外に移民が多く出る。移民を多く出す国は、移民先の国に自国民が増えるにつれ、その国への影響力を増していく。


 わが国が位置する東アジアでは、中国の存在が大きい。中国は現在、軍事大国、経済大国であり、さらにアジアでの覇権の確立を目指し、軍国主義と愛国主義の政策を進めている。

 中国は、世界第3位の広大な領土(世界の7・07%)に、世界第1位の人口(世界の21・13%)を有する。共産党政府は、人口過剰に対応するため、一人っ子政策を採ってきたが、それでも人口は増え続けている。中国ではまた、農村から都市に「盲流」という職を求める人口が流入して、大量の失業者が生まれ、社会問題化している。その膨大な人口が、少子高齢化の進む日本に、流れ込んでくる。その圧力を考えなければならない。

 平成16年末(2004)に、在日中国人の数が、在日韓国・朝鮮人を抜いた。わが国が移民抑制政策を採っているなかでさえ、じわじわと流入が続いている。


 ある地域で定住外国人が人口の5%を占めると、地方自治体の行政に相当の影響を与えるだろう。既に、住民投票の権利を定住外国人に与えるという自治体が出ているが、その傾向が広がれば、全国の地方行政に波及する。

中国からの移民が増え、多く定住すると、その地域では中国的なものの影響力が増大する。さらに、国民全体の中で、中国人および中国系住民が5百万人、1千万人と増えると、国の社会政策・経済政策等にかかわってくる。

 そのうえ、もし定住外国人に、外国籍のまま国政参政権を与えるという独立主権国家にあるまじき倒錯した法改正がされたなら、彼らの意思が国政を左右するようになる。現在の自公連立政権は、少数者が国政のキャスティングボードを握る事態となっているが、これは日本人の中での話しである。それに比し、少数者の「定住外国人有権者」が力を持つと、外国の政府、特に中国共産党政府が、わが国に強く意思を押し付け得る体制ができる。そうなると、堰を切ったように中国人が日本列島の津々浦々に押し寄せてくるだろう。

既に、中国では、沖縄は中国固有の領土だと学校で教えられている。学者の間には、北九州もそうだという議論もあるという。もともとシナ人は「日本人はシナの呉の太伯や徐福の子孫だ」とか「弥生人はシナ人で、稲作などの先進技術を持ち込んで日本を建国した」などということを常識として持っていると聞く。やがて日本人は中国人の子孫であり、日本列島は古代から中国固有の領土だった、という主張が高まるだろう。もともと自分たちの土地だという意識で入ってくる外国人は、我が物顔に権利を主張するだろう。


 移民の流入を大幅に受け入れることは、わが国が多民族・多文化・多言語社会に変貌する道である。国際化というと美しいが、実態は、治安の悪化、犯罪の多発、格差の拡大、文化摩擦の増大となると予想される。

 このまま放置すればますます青年層は少なく、高齢者が多くなるわが日本の社会は、移民を文化的に同化する力を失うだろう。それによって、日本のシナ化が進むだろう。不衛生、国土の荒廃、砂漠化、エイズの蔓延等といったシナ大陸の惨状が、日本列島にも拡大するおそれがある。

 いかなる社会的な変化の中でも、たくましく成功し、裕福な生活を維持することのできる日本人は、いるだろう。しかし、それは段々一部の人だけになる。沈没する日本を離脱し、海外に移住する人も増えるだろう。在外日本人の多くは、祖国が衰退するにしたがって、根無し草となり、第3世代ともなると、ほとんど自己のアイデンティティを失ってしまう。


 いささか予想が悲観的に過ぎたかも知れない。しかし、少子化・高齢化・人口減少の日本が、自己変革をすることなく、自助努力を欠いたまま、安易に移民拡大政策を採れば、外国人の流入に伴い、もろもろの問題が吹き出て、深刻化するだろう。

 その時、日本人は、日本を守りうるか。日本の国柄や伝統、文化、日本人の精神を守りうるか。これは、日本開闢(かいびゃく)以来の重大危機となる。

 今、一大方針を立案、即刻、対策を実施しないと、取り返しのつかないことになるだろう。日本人は、根本的なところから考え方、生き方を改める必要がある、と私は考える。ページの頭へ

 

 

3章 少子化の進む6つの基盤的条件

 

小泉政権は、少子化対策を重要課題と位置付けた。平成15年7月に少子化社会対策基本法が制定され、基本的施策が盛られた。少子化社会対策会議が発足し、少子化対策の担当大臣を置き、検討結果を報告している。
 しかし、私の見るところ、政府は脱少子化を目指しながら、一方では個人主義を徹底し、家族の紐帯を弱めるような政策を行なってきた。また国家の将来を憂えながら、教育基本法に愛国心を盛ることには消極的である。

 全体がチグハグである。矛盾したことを同時にやろうとしている。個人で言えば、精神分裂のような状態だ。長期的に効果の上がる少子化対策にはなり得ないものだった。もっと根本的なところから考えないとならない。
(補注:教育基本法は、平成18年12月に改正され、愛国心に通じることが盛られたが、郷土と国を愛する態度というようなあいまいな規定となっている。)

 少子化の直接原因は、二つ。未婚率の上昇と既婚者の出生力の低下である。結婚しない人が増え、結婚しても子どもを生む数が少ないことである。脱少子化の対策は、これら二大原因を削減するものでなければならない。その立案・実行のためには、日本人は、根本的なところから考え方、生き方を改めなければならない。二大原因には、さまざまな社会的経済的文化的背景がある。専門家がいろいろな分析をおこなっており、私はその多くに首肯する。しかし、私は、さらにその根底に目をむけ、様々な要因が少子化に結果するところの、国家の基盤的な条件から考察する必要があると思うのである。

私は、まず戦後の日本という国のあり方から考え直すべきだと思う。
 主旨を先に述べると、戦後の憲法や教育、歴史観、価値観等を全体的に見直し、ゆきすぎた個人主義を是正し、家族や民族や国家の意識を高めること。そして、生命に基礎を置いたものの考え方、生き方を取り戻し、家族・民族・国家の存続・繁栄に努めることが、いま日本で必要だと思う。

(1)敗戦による民族の劣化


 少子化が進む基盤的な条件の第一として、わが国が大戦に敗れたという事実と、その影響がある。
 戦後、先進諸国は、どこも少子化が進んでいる。歴史的に文明が進み、生活が豊かになると少子傾向が現れると言われる。ローマ帝国もそうだったという。戦後、先進諸国は、各国とも合計特殊出生率が低下傾向にある。近年、2.00以上を保持しているのは、アメリカだけである。それ以外の国は1.20から1.90の間となっている。うち目立って少子化が進んでいるのは、日本、ドイツ、イタリア、ギリシャ、スペインである。
 中でもドイツは平成6年(1994)に1.24まで下がった。その後、少し持ち直し、平成15年(2003)に1.34になった。イタリアは平成10年(1998)に1.15という先進国最低を記録した。その後、平成15年に1.29まで回復した。日本は、昨年の平成17年(2005)に、1.26と過去最低となり、現在、先進国中で最低クラスとなってしまった。

これらの三カ国、日独伊は第二次世界大戦の敗戦国である。これは、偶然ではないと私は思う。
 

戦争とは、民族間の生存競争である。優勢を得るための生命と生命のぶつかり合いである。戦いに傷つき、敗れた民族は、男性を多く失う。それは民族の劣化を招く。
 わが国は、大戦で男子を多く失った。子孫を残すことなく亡くなった若者が、靖国神社に多数祀られている。わが国の場合、戦争では指揮官が隊を率いて先頭に立って命を捧げる。心身ともに優秀な軍人が多く戦死し、将来を嘱望される学生も戦地に赴き、戦場に散った。その結果、男性全体の質が低下したと思われる。

 どこの国でも戦後は、ベビー・ブームが起こる。わが国でも、昭和22年〜24年(1947-1949)頃のベビー・ブームは、戦争で減少した人口を補う役割をした。その時に生まれたのが、いわゆる「団塊の世代」である。その世代の父親は、戦地から復員してきた人たちが多かったわけだが、戦前の男子に比べると、平均的に心身の劣化が見られただろう。

 上記のことは、ひとつの生物学的な条件である。戦後は、こうした敗戦国としてのハンディをどのように乗り越えていくか、その方針を立てて、日本の復興・再建を進めることが課題だったはずである。
 ところが、わが国は、こうしたものの考え方をしっかり持つことなく進んできた。むしろ、考えないようにしてきたように思う。それは占領政策の影響である。その影響は戦後、世代が代わるに従って、顕著になってきた。私は、近年の少子化の進行には、この影響が一つの基盤的な条件となっていると思う。
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(2)自虐的歴史観による呪縛


 少子化の条件の第二に、自虐的な歴史観の呪縛がある。

数年前に行なわれた世界価値調査(対象37ヶ国)によると、敗戦国の国民は、自国にあまり誇りを持っていないという傾向が示された。自国に誇りがなければ、祖先からの生命を継承するという世代としての責任感が芽生えない。その責任感がなければ、子孫の育成に使命感を感じない。敗戦国に顕著な少子化の進行には、こういう心理的な条件もあるだろう。


 20世紀前半の世界において、戦争は一種の生存競争と考えられていた。戦争は直接的に相手の生命を奪い、生存競争のために必要な施設・手段を破壊することである。戦後の占領政策は、引き続き、武力行使以外の方法で、相手の力を弱めることである。それにより、占領の終了後も、戦勝国は敗戦国への優位を維持することができる。勝者はその優位を永続させようとして画策する。

 

アメリカの占領政策の目的は、日本が再び米国及び世界の脅威にならないようにすることだった。日本国民を精神的に弱体化するために、あらゆる政策が強行された。なかでも、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争犯罪宣伝周知計画)」は、日本国民に、勝者が一方的に決め付けた戦争犯罪を執拗に吹き込み、戦争の罪悪感を植え付けるものだった。その直接的な狙いは、日本人から勝者への復讐心を殺ぐことだった。


 日本国民に教え込まれた勝者の歴史観は、日本人にとっては、自己批判の歴史観となる。国民の意識は、自国の政府の国策や戦争指導層への批判から、民族の伝統や国柄への疑いに移っていく。自己批判的な歴史観は、世代が交代すると、子孫が祖先の営為を断罪するものとなる。

祖先を問責する子孫は、自己の民族を愛することができなくなる。それどころか、自己の民族を嫌い、自己の存在を呪うようになる。自国に対して否定的で、自虐的な歴史観を持つ人間は、民族の存続・繁栄に関して積極性がなくなる。「日本に生まれなければよかった」「日本人はいなくなればよい」などと考える少年は、民族の存続・繁栄を志しなどしないだろう。


 過度の自己批判は、人の意思を弱くする。罪悪感は、人の生命力を低下させる。誇りを失った人間、恥や名誉を忘れた人間は、堕落する。戦うどころか、自らを守ることさえ罪悪視する思想は、生存よりも自滅をよしとする倒錯を生み出す。

こうして勝者によって図られた日本民族の精神的な弱体化は、やがて生命的な弱体化につながっていく。国民の間に、生命の存続・繁栄を追及しようという意志が弱くなれば、いつしか少子化が起こることになる。私は、以上のような考えから、自虐的歴史観は、今日少子化が進行する基盤条件の一つとなっていると思う。

 

(3)男性の権威と役割の低下


 少子化の条件の第三に、男性の権威と役割の低下がある。

 占領政策によって、日本民族は、民族の誇りを打ち砕かれ、意気阻喪させられた。勝者は、日本における男性的権威の損壊を図った。天皇や家父長、男性的指導者の権威が標的にされた。

 男性の権威が低下すると、民族全体が弱体化する。特に男性的権威を貶めるものは、男性のオスとしての役割の喪失である。女性や子供を守るという役割である。国全体で言えば、国を守るという役割である。現行憲法は、国防に大きな制約をかけている。男性に国防の義務がない。生物の集団として、集団を自衛する能力に制約がかかっている。この状態は、男性の権威の低下と自信の喪失を招く。


 このことを、最も明確に指摘している人が、ビル・トッテン氏である。トッテン氏は、日本で活躍する親日的なアメリカ人実業家である。

 「今の日本の男は、弱いものイジメをし、強いものにはへつらう。その原因はオス本来の機能を果たしていないからだ。動物や虫の世界でも、メスは出産し、オスは守るという機能を果たしています。日本以外の独立国も、男はみんなその役割を果たしている。ところが、日本の男だけはその役割を果たしていません。

 誰が果たしているかというと、安保条約でアメリカ人が日本のオスの機能を果たしているのです。しかし、アメリカは安保条約で日本を守るとは言っていません。『日本が侵略されたらとき米国は適切な行動を取る』としているだけで、都合によって何もしないことも十分ありうるわけです。

 そうであるのに、日本人は侵略されたらアメリカに守ってもらえるなどと考えている。これではとても男とはいえません」(ビル・トッテン談「国を取り戻せ、日本人!」『日本の息吹』平成12年5月号所収)


 オスとしての自覚を失った男性は、心身ともに貧弱となり、一部は女性化しさえする。自分の子孫を残し、子孫を繁栄させるというオスとしての本能的な欲求が低下する。日本の男性が、戦えないオスになっていることが、民族の生命力を弱めていると私は思う。

 他国しかも旧敵国・占領者に国防を依存している戦後日本のありようが、今日少子化が進行する基盤条件の一つとなっていると私は考えるのである。


 基盤的条件の(2)(3)つまり自虐的歴史観と男性の権威・役割の低下による影響は、敗戦後、すぐ現れたのではなかった。社会的な現象は、世代交代に伴って顕著に現れる傾向がある。わが国の場合も、敗戦後、約30年近くは、女性の出生率は2.08以上を維持していた。昭和48年以降に合計特殊出生率が人口維持に必要な2.08より下回った。1世代30年というが、少子化への変わり目は、敗戦後約30年たち、世代交代がなされる時期にあたっている。こういう点にも留意すべきだと私は考えている。ページの頭へ

 

 

(4)知識の高度化による女性の高学歴化

 

 少子化の条件の第四に、知識の高度化による女性の高学歴化がある。

近代化の進む社会では、科学と学問の進歩によって、人類はますます多くの知識を獲得していく。知識は産業の構造を変え、企業は高度の知識を応用した商品を開発・生産する。これに伴って、その知識を授けるための学校教育が発達した。先進国では、高等教育が整備され、知識労働を担いうる人材の育成が図られる。とりわけ第2次世界大戦後は、高度の知識を集約した商品の生産が、産業の中心となった。各国で高等教育さらに大学教育を修める女子が増えた。

女子の高学歴化が進むと、高度な知識を学んだ女子は、その知識を生かす職業に就き、能力を発揮する場所を求める。こうして女性の社会進出が進むと、結婚する年齢が上がり、晩婚化が進む。晩婚化は、初産の年齢を引き上げる。晩産化は、女性が産む子どもの人数を少なくする。女性が子供を産むことができる年齢は、40歳台までである。40歳台後半で子どもを産む人は少ない。その前半までが大半である。初産が18歳の女性なら、あと出産できる期間は25年間くらいあるが、初産が30歳の女性なら、あと10年ちょっとしかない。晩産化によって、合計特殊出生率は下がることになる。

わが国では、戦前は高等学校・女学校に進学する者は、優秀でかつ経済的に余裕のある家の者だけだった。大学にまで進学する者は、さらに優秀かつ富裕な者に限られていた。しかし、戦後は、教育の男女平等の理念のもと、少年の多数が高等学校に進学し、高校は全入に近い状態になっている。さらに大学に行く女子も増えた。戦後、少子化が進む反面、大学の数が増え、大学教育を受ける女子が飛躍的に増えた。

戦前は自営業中心で、教育年数の短い社会だった。そこでは、多くの女子は家業の手伝いをし、若くして結婚した。戦後は企業中心で、教育年数の長い社会になった。ここでは、女子が社会に進出する時点で年齢が高く、かつその時から数年間就労する。それにより、晩婚化・晩産化が進むことになる。

わが国においては、こうした近代文明の傾向を把握し、高度化する教育の中で、女性の本質的な役割を啓発する努力が非常に弱かったと思う。そのため、大学教育を受けた女子が、社会進出の方に強く動機付けられ、子どもを産み育てるという生物学的な役割を軽視する傾向が進んだ。この傾向は、次に述べる個人主義の蔓延とも深く関係している。


(5)個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合

少子化の基盤的条件の第五は、個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合である。
 アメリカは占領期に、わが国の伝統的な家族観・国家観を否定し、個人主義を移植した。GHQから押し付けられた現行憲法は、個人の自由と権利を保障するかたわら、国民としての義務は、実質的に納税しかない規定となっている。国防の義務や遵法の義務はない。「公共の福祉」という概念はあるが、これも「個々人の権利を調整し、それら相互の衝突を規制する原理」(宮沢俊義氏)と理解される傾向にある。その結果、家庭や民族や国家より個人が優先され、人々は個人中心、自己本位の考え方に陥っている。

 個人主義が少子化にかかわってくる問題は、現行憲法の第24条にある。その第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めている。
 この規定には、家族という概念がない。婚姻が「両性の合意のみによって成立」するという発想は、家族共同体を重んじる日本の伝統とは正反対のものである。この規定は、個人主義的な結婚観を日本人に植え付け、生命に基づく家族倫理を失わせ、社会の基礎を破壊するものとなっている。

 これを助長しているのが、占領政策に便乗して左翼学者が推進した民法の改定である。イエ制度の否定は、日本の家族制度を封建的・抑圧的なものと決め付けたものだったために、家族の紐帯を弱め、家族を基礎とする民族の団結力を低下させた。姦通罪の廃止は、夫婦の絆をゆるめ、多額の相続税の導入で、祖先から子孫に受け継ぐ家産は縮小させられた。
 また、戦後の復興と高度経済成長の過程で、もの中心、お金中心の価値観がはびこった。この価値観に、個人の自由と権利の尊重を絶対化する家族より個人、民族より個人、国家より個人という思想が結合した。その結果、家族の軽視、民族の軽視、国家の軽視となる考え方が支配的になった。
 今日の少子化の進行には、個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合が一つの条件になっていると私が考えるゆえんである。個人主義の蔓延については、根本的に改善するには、憲法を改正し、新しい理念に基づいた新憲法を制定することが、必要不可欠である。

 

(6)フェミニズムの浸透と性の快楽化

 少子化が進行する基盤条件の第六は、フェミニズムの浸透と性の快楽化である。

個人主義をさらに徹底しようとするものが、今日の急進化したフェミニズムである。フェミニズムは女性の権利の獲得・拡大を求める運動から生じ、個人主義を男女・夫婦の関係に持ち込み、個人主義を徹底する運動となっている。
 フェミニズムは急進したことによって、女性の伝統的役割の価値を失墜させるものとなった。欧米では、急進化したフェミニズムの影響により、若い女性の多くが、結婚と母性に否定的となり、結婚する気も子供を産む気もない人が増えている。
 1960年代から、アメリカを中心に、生殖としての性を否定し、快楽としての性を解放する性革命が進行した。この性革命の洗礼を受けた欧米の女性たちは、いつまでたっても結婚しない。また、離婚率の増大と出生率の低下が示すように、結婚しても、家庭生活は実り少なく不安定なものとなる。

 この風潮がわが国に波及し、劇的な影響を与えている。共産主義とウーマン・リブが合体し、急進化したフェミニズムは、既成の秩序・価値・道徳を破壊し、家族を解体し、性の自由を拡大して、個人の欲望を追求するものとなっている。それが、ひとつの流行や理想のように、深く浸透している。
 1990年代に始まった選択的夫婦別姓制度実現の運動は、その先端を行くものだった。夫婦別姓の導入は、夫婦の別姓だけでなく、親子・兄弟の別姓を生じる。家族を結び付ける姓という印を失った集団は、家族であって家族でない個人の寄り集まりになっていくだろう。
 フェミニストはまた、法律婚と事実婚、嫡出子と非嫡出子の権利における違いを撤廃しようとしている。配偶者控除の廃止、年金の個人単位化等によって、専業主婦の権利を侵害し、女性を家庭から仕事へ引き出そうとしている。介護や育児の社会化、外注化も、家族の紐帯を弱めるものとなっている。
 こうしたわが国におけるフェミニズムの浸透は、女性の自由と権利の拡大のために、結婚という制度を破壊し、家族の形成と維持・繁栄を阻害するものとなっている。
 

少子化の二大原因の一つである未婚率の上昇には、フェミニズムの直接的な影響があると私は思う。フェミニズムの浸透は、若い女性を女性労働者に変え、結婚しない女性、子供を産まない女性、子供を自分で育てない女性を増やしている。マスコミや映画等も「結婚しない女」「自立して仕事に生きる女」が女性の理想像であるかのように打ち出して、大衆の意識を誘導している。少子化のもう一つの主原因である既婚者の出生力の低下にも、フェミニズムの影響がある。夫婦関係を個人の関係とし、女性の個人的自由を優先して、子どもを産まないという既婚女性が増えている。

 

フェミニズムの浸透と連携して進められているのが、児童への過激な性教育である。小学校低学年の児童に、性器の名前を連呼させ、性交に関する技術を教えるような教育が、日教組を中心に学校で行われている。そこでは、家族を形成し、子孫を育成するための性は相対化され、個人の自由と権利としての性が強調されている。
 こうした教育を受けた子どもたちは、家族・民族・国家の維持・繁栄を建設的に考えることができなくなっていくだろう。これは、将来的に少子化を継続または悪化させる条件となっていると思う。

 フェミニズムを全国に浸透させることになったのは、男女共同参画社会基本法だ。同法をそのままにして、少子化対策を講じても、根本的な対策にはならない。
 また、教育基本法第10条にある「教育は、不当な支配に服することなく」の文言を削除することなく、フェミニズム教育や過激な性教育を早期にとめることは、できない。

(補注:教育基本法は平成18年12月に改正されたが、「不当な支配に服することなく」の文言は残った。他の文言を入れたことで、この一節の有害性は弱められてはいるが、なお悪用される余地がある。)
 

政府が過去5年間行なってきた少子化対策は、未婚者は視野に入れず、既婚者のうちでも家庭の外で働く女性を支援することに集中してきた。保育一辺倒の政策である。専業主婦は、少子化対策の恩恵を受けられず、むしろ配偶者控除の廃止や年金の個人単位化等によって、主婦が家庭から社会に働きに出なければ、生活が苦しくなるような政策が強行されている。実際には子どもを多く産んで育てているのは、専業主婦が多い。その専業主婦を経済的に不利にし、専業主婦を減らすような政策をすれば、少子化を助長する。

それゆえ、政府の少子化対策は、脱少子化を真の目的とするものではなく、「男女共同参画社会の実現」という名の下に、日本のフェミニズム化を進めるものとなっている。だから、この政策を続ければ続けるほど、少子化は進行してきたのである。日本丸は大きく舵取りを間違ったのである。

 

●少子化が進行する基盤条件

 

 以上わが国で少子化が進行する基盤条件を6つ挙げた。まとめると、以下のようになる。

 

 @敗戦による民族の劣化

 A自虐的歴史観の呪縛

 B男性の権威と役割の低下

 C知識の高度化による女性の高学歴化

 D個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合

Eフェミニズムの浸透と性の快楽化

 

 私は、こういう基盤的条件にまで、分析を掘り下げないと、真に有効な少子化対策、脱少子化の方策は、構築できないと考える。

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第4章 少なくなる子どもに膨らむ負担

 

 

わが国の少子化には、先に記した6つの基盤条件がある。それを基盤として、未婚率の漸増と既婚者の出生力の低下による少子化が進行している。

未婚率の上昇は、単身者(シングル)の増加をもたらしている。単身者は、結婚しない、または結婚していない男女をいう。結婚は、一人ではできない。相手がいるし、縁というがある。いつの時代も、結婚を希望しても、心身の健康状態や家族の事情、経済状況等によって、単身で人生を送る人はいた。しかし、今日の単身者の増加は、従来とは大きく異なった現象である。

 心身の健康状態や家族の事情、経済状況等については、決して不十分ではないが、結婚に積極的でなく、単身のまま加齢している人が多い。中でも近年増えているのが、「パラサイト・シングル」である。「学卒後もなお、親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」をいうために、社会学者の山田昌弘氏が作った言葉である。パラサイトは、寄生動物をいう。「パラサイト・シングル」は、親と同居することにより、自分の好きなように時間と金銭を使用できる。それが主な発生要因とみられている。こちらは、人生に対する考え方の表れである。これに対し、フリーターやニート(無業者)で、独立して生計を営むのが困難なために親に依存する単身者も増えている。こちらは、経済的な要因によるところが大きいが、そのもとには、人生に対する考え方や性格的・心理的な要因もあるだろう。

現在、30代の単身者が、そのまま結婚せずに年齢を重ね、40歳代になると、男女ともに結婚できる可能性は、低下する。少子化は、同時に中年単身者の増加という現象でもある。子供が少なくなる一方、独身の中年男性・中年女性が増えるわけである。その人たちが高齢化し、年金生活に入る段階になると、年金を支える若年層は、人口が少ないのに、多くの単身高齢者を支えねばならないという構造になる。

 

次に、既婚者の出生力の低下については、晩婚化が晩産化となり、それが少産化に結果しているのが、基本傾向である。それに加えて特記したいことがある。結婚しながら子を設けることなく一生を夫婦のみで過ごすという夫婦の増加である。こうした夫婦を、ディンクス(DINKS)という。


 ディンクス は「Double Income No KidS(=ダブルインカム・ノーキッズ)」の略称で、「共稼ぎで子供は持たない夫婦」という意味である。
 ディンクスは、1980年代の半ば、アメリカから大都市圏の若い世代の新しいライフスタイルとして、わが国にも入ってきた。私(昭和29年、1954年生まれ)より少し下の世代で、高学歴・キャリア志向の夫婦に目に付く。特に妻の側がそういう志向を持っている夫婦が多い。

 子供は授かりものである。夫婦がともに健康であっても、授からない人たちもいる。子供を望んだが得られないという夫婦は、いつの時代、どこの社会にもある。しかし、ディンクスは違う。自分たちの意思で子供を作らない生き方をしている点で違う。

 ディンクスは、夫婦で働き、子供の生活費や教育費を支出することがないから、娯楽にお金を費したり、貯蓄に励んだりする優雅な生活を送っている人が多い。DINKSという言葉は、今も不動産業や保険業等で、商品名に使われている。前記のような夫婦を対象としたマンションや生命保険がいろいろ販売されている。

 最近は「共立(ともだち)夫婦」などという言い方もある。夫婦が自立して、互いを束縛せず、子育てにも煩わされず、自由に豊かに生きる。そういう生き方が、素敵な生き方であるかのようなイメージが広がっている。
 しかし、自分たち夫婦だけが、豊かで楽しい生活が出来ればよい、将来の日本の社会のことなど考えないというのは、自己本位というものだろう。自分たちの世代だけよければいいという考え方をワン・ジェネレーション主義というが、これでは、その世代だけ栄えて、後は消滅ということになる。家であれば、絶家である。家だけではない。その世代を境に、日本という国、日本人そのものが衰滅に向かっていく。これを、亡国という。

 これから10数年たつと、ディンクスの夫婦も、子供を生み育てた夫婦も、ともに年金生活に入っていくようになる。どちらの夫婦も、年金や税金の条件は基本的に同じである。当然、妻が長年、職業生活をしている夫婦は、年金額や貯蓄が多いだろう。
 現在の年金制度は、将来の世代が高齢者を支える仕組みになっている。それを支える子供たちは、子供を持った夫婦が育てた子供たちである。そのため、ディンクスは、子供を育てた夫婦とその子供たちに、老後を依存する関係にある。と同時に、生活費や教育費を費やして自分の子供を育てている夫婦は、ディンクスの老後までを、間接的に経済的に支援する形になっているのである。

 

 先に、単身者(シングル)が中年となり、高齢者となる場合のことを書いた。子供を持った夫婦が育てた子供たちは、ディンクスの高齢者の年金生活を支えるだけではない。単身の高齢者の生活をも支えることになる。子供を持った夫婦は、結婚しない人たちや結婚しても子供を持たない人たちの老後までを、間接的に経済的に支援することになるわけである。

 今後、少子化を根本的に改善していかないと、こうした社会関係をどう是正すべきか、問題になってくるだろう。社会的な不公平を生んでいるからである。これは、単に個人のライフスタイルの問題ではなく、公共倫理の問題として考えるべき事柄である。個人の自由と公共の利益について、適正なバランスを求め、具体的な対応が必要になってきている。

 かつての日本人は、子孫の幸福と繁栄を願って、汗水流して働いた。私たちの祖先は、そうやって豊かで平和な国をつくってくれた。ところが今、この時代を生きている日本人は、ますます少なくなっていく子供たちにより大きな負担を負わせる傾向になっている。しかも、自分の子供や孫ではなく、他人様の子供や孫にまでである。
 繰り返しになるが、結婚にはそれを可能にする条件があるし、縁というものもある。また、子供は授かりものであり、子供を望んだが得られなかったという夫婦と、自分たちの意思で子供を作らない夫婦とは違う。ここで私が述べたのは、自分の意思で結婚せず、または結婚しても子どもはつくらない生き方を選択する人たちについてである。
 おそらく将来、若い世代から、不満と批判が吹き出てくるだろう。その世代は、自分を育ててくれた親の面倒を見るだけでなく、単親生活を生きたり、子供を生み育てようとしなかった高齢者をも養っていかなければならないのだ。だから自分たちの世代だけ、または自分たち夫婦だけよければいい、などと安易に考えてはいけないのである。
 人は、だれしも、いろいろな人に世話になって生きている。直接恩義のある人だけではない。見知らぬ多くの人々にも様々な恩恵を受けながら生活している。それは、過去の世代や同時代の人たちだけではない。この国に生まれ育っていく、将来の世代にも世話になるのだ。それが人間の社会であり、日本の国なのである。
 日本人は、もともと共同互助の精神を持っていた。共存共栄の精神を持っていた。超少子高齢化の中で、そういう日本精神を取り戻すことが、ますます必要になってきている。

 超少子高齢化の問題は、日本人として、日本国民として、みなで考えていくべき事柄である。いま生きている子供たちのために。さらにその先の世代のために。そして、自分たち自身のために。
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第5章 生命に基づく考え方を

 

脱少子化と日本再建のための改革は、未婚率の上昇を下降に逆転させ、また既婚者の出生力の低下を向上させるものとならねばならない。そのための具体的な方法・施策については、別の拙稿少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そうに記しているのでご参照願いたい。

私は、結婚する人が増え、また子どもを産み育てる人が増えるためには、制度・政策の改善より、もっと根本的なところから取り組まなければならないと思っている。

先に私は、敗戦による民族の劣化を指摘したうえで、自虐的歴史観による呪縛、男性の権威と役割の低下、知識の高度化による女性の高学歴化、個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合、フェミニズムの浸透と性の快楽化が、少子化が進行する基盤条件となっていることを述べた。これらの基盤条件から考えないと、少子化対策は、真に有効なものとならないと私は考える。
 これらの条件の転換には、
日本人が、健康と生命に基礎を置いたものの考え方、生き方を回復する必要がある。そのうえで、新憲法の制定、教育基本法の改正、男女共同参画社会基本法の見直し、フェミニズム行政の転換等を行なう必要がある。そして、家族・民族・国家の維持と繁栄をしていくための取り組みを始めるべきなのである。つまり、日本人の精神、そして日本という国のあり方を根本的に改めないと、脱少子化はなし得ない。


 脱少子化と日本の再建は、一体の課題である。日本国民、なかんずく政治・経済・文化等の指導層の人々に、このことをよく認識していただきたいと思うのである。
 そこで本稿では、この点に関して、私見を書きたいと思う。

●生あるものとしての人間

 人間は自然の中で生きている。自然の法則から外れたら、生存していくことができない。
 宇宙船を宇宙に飛ばし、地中をも電車で移動し、コンピュータを使い、ロボットに仕事をさせている21世紀の人間も、10万年前、100万年前の人間も、呼吸をし、飲食をし、排泄をし、生殖をする一つの生き物である点では、同じである。人間が一個の生物であるという、この基礎的な事実は変わらない。生物である以上、生命の原理に反すると、健康に生きることはできず、繁栄を続けることもできない。
 現代人の多くは、こういう根本的なことを見失いがちである。科学が進歩し、文明が発達したことにより、人間の意思でなんでもできると錯覚しているのが、現代人だ。
 特に戦後の日本人は、この傾向が著しい。その結果、平均寿命は延びているのに、多くの日本人は病気をかかえている。生活は豊かになっているのに、子孫は少数化・劣子化している。これは、おかしいではないか。人間は、自分が生物であるという事実に、もっと謙虚になることが必要だと思う。

 自分は、どこから来て、どこにおり、どこに行こうとしているのか。自分がここにいるのは、どうしてか。生きている意味は何か。生の目的は何か。
 問いの答えは、哲学的また宗教的に、いろいろ考えられる。しかし、父母がいて、自分が生まれてきたという事実は、いつの時代、どこの国の人にも共通している。先祖のどこかで、生命の流れが途切れていれば、自分は、ここに存在しない。こういう単純な生命の事実を踏まえて、物事を考えてみることが大事である。

 近代西洋思想は、「個人」を原理とする。個人を要素として集団を考える。これは、質を捨象した数量化である。しかし、現実の個人は、幾何学の図形や機械の部品ではない。生命ある存在とは、身体を持った存在である。呼吸をし、飲食をし、排泄をする生きた存在である。

身体的個人は、成長と変化を続ける存在である。生命あるものは、一時も止まっていない。子供は大きくなり、大人は老い、やがて死ぬ。そういう生命的・身体的な事実を軽視して、個人を考えると、現実の生きた人間の実際の姿から離れてしまう。

 人間は、もともと自己だけでは完結しない存在である。親があって自分がある。自分だけでこの世に生まれた人など誰もいない。生命の継承の流れの中に、自分がある。また自己は、男性的身体か女性的身体のどちらかを有する。男性も女性も、ともに自己一人では完結しない。生理構造がそうなっている。
 もとをたどれば、人間の性は、一つの生命がわかれたものであり、生命の歴史の過程で、生物は有性化した。人間の生命は、男性と女性が結合して新しい生命を生み、世代交代をすることによって、生命を継続していく仕組みとなっている。そして、自己は、異性と出会い、結び合って、新しい生命を産み育てるべき身体を、親から与えられている。またそのような身体を持つものとして、男女はそれぞれ成長する。

その意味をもっと掘り下げて考えるべきなのである。ページの頭へ

 

 

第6章 生きることの意味

 

  生命の原理

生あるものとしての人間についての考察は、さらに生命の原理へと向かうものである。
 生命は、自己の保存と再生を目的とするシステムである。生体は時間とともに劣化する。そこで、生物は自己を保ちつつ、次世代を生み出し、生命を永続させようとする。個体が滅んでも、次ぎの個体に複製・再現される。そこに自衛本能と生殖本能が働く。生命は、次世代を生み出すことで、生体が更新され、持続される。この時、次世代を多数産み出すことで、生命の持続の可能性を高める。これが繁殖である。こういう仕組みを採用しているのが、生物である。

 上記の目的により、生物の世界では、個体の維持よりも、種の存続が追求される。生物の集団は、生命を共有する集団である。その集団的生命の目的は、集団の維持・繁栄である。

人間社会も同様である。人間社会は、抽象的な原子(アトム)的個人の集合ではなく、生きた個体の集団である。その集団の全体で、生命を共有している。自己の生命が、自己の身体で完結していると考えると錯覚に陥る。人間は、集団生活によってのみ生存・繁栄することができる生物なのである。

 個人そのものに絶対的な価値があるのではない。個人を究極的な価値とすると、生命の原理に外れてしまう。生命に基礎を置く考え方に立つと、個人の自由と権利とは、集団の維持と繁栄のために、その限りにおいて尊重されるべきものと位置づけ直される。


●性徴と恋愛

 人間は、赤子から成長し、一定の年齢になると、遺伝情報のプログラムが働いて、性的な特徴を加える。少女は初潮を迎え、乳房が膨らむ。少年はひげが生え、勃起をする。それは、生殖のための個体の変化である。男女が互いを求め、結びつき、子供を産み、育てていくための準備である。この生命の働きに従って、男女が協力して、生命を次の世代に継承することが、生あるものの道である。

 男女は、自分の性だけでは生命の目的を果せない偏片的な存在である。思春期になると異性に関心を持ち、無意識に異性をひきつけようとする。これは、無意識に異性と結びついて、生命の目的を成し遂げようとするものである。その目的のために男女が、それぞれ相手を求める。それが、恋愛である。
 男女は異性と対をなすことによってはじめて具全性を獲得し、生命の目的を実現できる。だから、人生において、恋愛は重要な意味を持つ。

 恋愛は、数ある文学や歌謡の主要なテーマとなっている。恋に陥った若者は、生きている喜びを知る。自分の生命に意味を、存在に価値を得ることができる。

●子作りと性愛

 人間は、男女として愛し合い、協力して子供を産み育てることによって、自己に継承されてきた生命を次世代に受け渡すことが出来る。個体自体に究極の価値があるのでなく、世代を超えて継承される生命にこそ個体を超えた価値がある。

男女の個体は、集団の中で対を組み、子を産み育てるという役割を果すことで、自分が生まれてきた意味、生きる目的、存在の価値を深く知る。その役割をないがしろにしていては、自分の生の意味・目的・価値を、真に認識・自覚することができない。また異性とのつがいづくりに成功できなければ、自己を貫く集団的生命の目的を果たすことができない。

 人間の愛情というものも、個体を超えた価値を求め、実現しようとする心の働きである。その心の働きは、身体と切り離せない仕方で働く。性愛は、人生で最高度の快感を伴う。快感は、生命の自己肯定の全身感覚であり、生の意味の充足である。性の快感は、生命の目的を達成するための促進作用となっている。個体は性行為に快感を覚えることで、生殖活動に積極的になる。それゆえ、生殖と切り離して快楽自体の追求を目的とする性的活動は、生命の目的に反している。また、恋愛が成就せず、または満たされない場合、しばしば精神的な病の原因ともなる。

●子育てと親の愛

 

 男女の出会いと結合によって、子供が生まれると、親は子供に対して、強い愛情を感じる。異性への恋愛は、時に自己を犠牲にしても相手を生かそうとする。しかし、親の子供への愛は、本来、自己犠牲的である。母親は、妊娠し、自己の生命を子供に分け与え、子供の身体を養って、出産する。これは、自己を他に分け与える究極の行為である。子供が生まれると、母親は子供に乳を与える。母乳は、血液が乳化したものであり、母親は自分の血を与えることで、子供を養う。

親は、自分がものを十分食べなくとも、子供に食べ物を与えようとする。そこには、次世代を生き延ばそうとする生命の意思が働いている。この意思は、さらに孫の世代へと延長される。


●生きることの意味

 性徴と恋愛、子作りと性愛によって、人間の生の意味は格段と深まる。それは、さらに次ぎの世代、子孫にまで延長していく。

生きることの意味は、人間の一生において、以下の段階を経て重層化していくと考えられる。

@個体それ自体
 個人はそれ自体、生まれてきた意味、生きる意味を持つ。また集団に一定の貢献をすることができる。しかし、個体のままでは生命の継承に参画することは、できない。生命の目的を実現することができない。

A恋愛
 男女は、異性と結びつくことで、生命の目的を成し遂げようとする。そのために男女は、相手を求める。恋愛によって、個体は生の意味を深く理解する。生きる喜びを感じる。それと同時に、世界のあらゆるものの存在の意味をも感じ取る。

B子供の誕生
 男女の対は子供を生むことによって、さらに深い意味を感得する。次世代を生み出すことで、初めて生命の目的を達成する。子供を育てることは、生あるものを育てる喜びであり、本能的な喜びである。また親が子供の成長と幸福を願って努力することも、生の本能の現われである。

C孫の誕生
 自分の子供に、さらに次の世代が生まれたとき、祖父母はかつてない喜びを感じる。祖父母は、孫の誕生に、自分の子供の誕生の場合とは異なる喜びを体験する。子供のさらに次の世代にまで生命が継承されることを確認することによって、深い満足を覚える。これも生の本能に基づく喜びだろう。それによって、生きることの意味は、一層深く感じられる。生命の永続への確信と安心である。

 こうした4つの段階を経て、生きることの意味は、重層的に増していく。人生の意味を段階的に体験・感得していくことは、生命の原理にのっとって生きることであり、自然の法則にそって進む生命の道である。

 私は、こうした生命に基礎を置いたものの考え方、生き方を日本人は回復しなければならないと思う。
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7章 生命の道を歩もう

 

●かつての日本と現代の危機


 生命を共有する集団の単位は、家族である。男・女・子によって構成されるのが、ここでいう家族であり、最小単位として基本家族とも呼ばれる。家族とは生命を共有する集団である。人間は家族的存在であってのみ、真に生命的存在でありうる。孤立した生命体の生命は、その個体で消滅してしまう。

祖先からの伝統と文化と歴史の継承も、その基礎は、生命の継承にある。子孫を産み育てることは、伝統と文化と歴史を継承する一番の基礎だからだ。家族の維持、子孫の繁栄のために、結婚・生殖・育児をし、教育をする。その教育において、伝統と文化と歴史の継承が次の世代に受け渡される。


 かつてわが国は、こうした生命的・家族的な共同体を基盤として繁栄してきた。その共同体は独自の特色・個性・体質を持っており、それが国柄ともなっていた。日本の国柄には、全体と部分、部分と部分が調和する、自然と生命の法則が見事に現れていた。すなわち日本の国家社会は、生命の原理がよく貫かれた社会だった。

昔の日本人は、ある年齢になれば結婚して、子どもを生み育てていくのが当然だと思っていた。私の親の世代(大正末から昭和初年代生まれ)までは、それが普通だった。また人はこうした生き方の中で、個人としての幸福や喜びを味わってきた。役割や居場所を見出していた。


 ところが、現代の日本では、結婚をしない人、結婚をしても子供を作らない人、自分の生んだ子供を自分で育てない人が増えている。単身者の増加、晩婚化、晩産化、無子化などは、「生命の継承」に対して消極的な姿勢の表れである。この生き方は、生命の原理に外れていく生き方である。自分または自分たちの世代さえよければいいという考えは、生命の法則に反している。


 生命に基づく社会のあり方と日本の国柄が、今日の日本では見失われている。そのために、現代日本の複合的な危機が、劇的に深まっているというのが、私の意見である。

 
●一人一人の意思


 私たち日本人は、生命に基礎を置いた考え方、生き方を回復しなければならない。

いくら国が施策を講じても、最後は一人一人の判断だ。国民一人一人の意思に、日本の運命と将来がかかっている。またそれは、一人一人の人生を決めるような判断ともなる。心身の健康状態や家族関係等の条件の許す人は、適当な年齢で結婚し、子供を産み育てる。そういう生き方を自然し、理想とする考え方を回復していきたいと思う。


 わが国では、結婚しない女性、子供を生まない女性が増えている。女性が結婚をし、子供を育てようとしてくれないと、日本の現状は改善されない。その反面、各種の意識調査では、女性の9割は結婚を望んでいると言う。私はそれが本音ではないかと思う。


 私はこの現状を変えるのは、男性次第だと思っている。男性がしっかりしないと、女性は、生命を産み育てるという独自の役割を果すことが出来ない。生命の核を女性に提供し、生命を育む女性を守る。そういう役割・使命を男性は、よく自覚しなければならない。

男性が権威を失い、自信を失い、自己の生命の役割までも忘れ、怠っているところに、少子化日本の病理がある。先に、敗戦による民族の劣化を指摘し、自虐的歴史観、男性の権威と役割の低下、知識の高度化による女性の高学歴化、個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合、フェミニズムと性の快楽化が、少子化が進行する基盤条件となっていると述べたが、男性には、こうした歴史的・社会的なところを学び、日本人としてのあり方を考えていただきたいと思う。

日本男児よ、誇りを取り戻し、生命の道を歩め、と同胞諸君に申し上げたいと思う。(ページの頭へ

 

 

8章 憲法から変えねば!

 

前章で一人一人の意思の大切さを書いたが、その意思の形成を支え促すのが、社会であり国家でもある。次にその点について書く。


●根本的な改善を目指して


 少子化対策のため、平成15年7月に少子化社会対策基本法が制定された。基本的施策が盛られており、規定に従って少子化社会対策会議が発足し、具体的な取り組みがされている。しかし、私は、日本丸は舵取りを誤ったままさらに進もうとしていると思う。

これまで書いてきたようにもっと根本的なところ、ものの考え方、生き方から改めないと、根本的な改善にはならない。日本の再建と脱少子化は一体の課題である。日本の運命と将来がかかった重大な課題である。

この課題への取り組みを成功させるには、国の根本を定める憲法から改めることが不可欠である。そして新憲法のもとに、教育基本法と男女共同参画社会基本法を改正し、そのうえで現在の少子化対策基本法を練り直さなければならないと思う。

(補注:教育基本法は、本稿の後、平成18年12月に改正されたが、私はその再改正を提案している)


 私は既に、日本再建のための新憲法私案、新教育基本法私案(補注:再改正案にあたる)に、少子化対策にかかわることを盛り込んでいる。その部分をここに再掲し、ご参考に供したい。


―――――――――――――――――――――――――――――――
新憲法〜ほそかわ私案より


(家庭の運営と保護)

第三十九条 家庭は、社会を構成する自然かつ最も基本的な単位である。何人も、各自、その属する家庭の運営に責任を負う。

2 親は、子に対する扶養および教育の義務を負う。子は親に対する孝養に努めるものとする。

3 政府は、家庭を尊重し、家族・母性・子供を保護するものとする。


(婚姻に関する基本原則)

第四十条 男女は互いの長所を認め合い、互いの短所を補い合って、社会の維持及び発展を担う。健常な成年国民は、家族を形成し、子孫を生み育て、教育を施し、生命と文化の継承に努めるものとする。

2 国の行政・立法機関は、次代を担う国民の育成のために、男女の結婚を奨励し、夫婦の子育てを支援する責務を負う。

3 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の信頼と協力により、維持されなければならない。

4 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、人格の尊厳、両性の権利の平等、家庭の保護に立脚して、制定されなければならない。


新教育基本法〜ほそかわ私案より


(教育の目標)

第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

1、2(略)

3 家庭において、親子、夫婦等の家族の敬愛、男女の協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

4、5(略)


(教育の方針)

第三条 教育の目標の達成は、あらゆる機会、あらゆる場所で追及されなければならない。

2 国民は、ひとしく教育の目標達成をめざし、大人及び親として、相互に人格を成長、発展させることに努め、次世代の育成に貢献するものとする。

3 男女は、互いにその特性を生かし、相互に協力し合って家庭、社会、国家を共に担う責務があることを、教育上重視するものとする。


(家庭教育)

第六条 教育の原点は家庭にあり、親は子の教育について第一義的責任を有する。父母その他の保護者は、人生最初の教師であることを自覚し、自らが保護する子供に、しつけを行い、生活のために必要な習慣を身に付けさせ、自立心を育成し、心身の調和の取れた発達を図るよう努めるものとする。

2 国及び地方公共団体は、家族の絆を育成及び強化し、家庭教育の充実を図るため適切な支援を行う責務を有する。

3 国及び地方公共団体は、国民の家庭の形成と家庭教育を支援するため、親となり、子育てをするための学問及び教育を振興することに努めるものとする。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 次に、男女共同参画社会基本法についてだが、同法は、フェミニズム推進法のような性格がある。他のあらゆる法律や施策を、フェミニズムを推進するものに変えてしまう染色力を持っている。政府が行なった過去5年間の少子化対策を大きく捻じ曲げたのも、この法律の影響が大きい。私は、同法をいったん廃止し、新憲法の理念のもとに新しく作り直しすことを提案する。

 また、現在の少子化対策基本法は、現行憲法、教育基本法(補注:旧基本法の意味)、男女共同参画社会基本法の枠組みの中で作ったものである。個人を原理としており、家族・民族・国家の存続・繁栄を根本に置いていない。すなわち生命に基づく考え方、生き方にのっとったものとなっていない。

 日本人自身の手で新憲法を制定し、上記法律を改正した上で、この少子化対策基本法を練り直して、日本の再建を進めるべきと思う。脱少子化と日本の再建とは、一体の課題だからである。ページの頭へ

 

結びに〜若い人々へ

 

締めくくりに、若い人々へのお願いを書きたい。

 私は快活な少年だったが、10代で健康を損ね、心身ともにどん底に落ち込んだ。20代のはじめには自殺を決行しようと思いつめた。そんなことで大学は途中でやめた。
 当時の私は、まともな社会生活はできなかった。仮に生きさらばえていたとしても、廃人に近い人生だったろう。健康上の問題から、就職も結婚も考えられなかった。幸い22歳の時、
大塚寛一先生の教えを知り、人生の大転換を体験し、どん底からよみがえった。

 健康と活力を得た私は、その後、33歳で結婚した。翌年、上の子、さらに2年後に下の子をさずかった。妻は二人の子を安産した。陣痛のない自然分娩だった。私は二度とも出産に立会うことができた。生命の誕生に感動した。妻は母乳で二人とも育てた。父母に孫の顔を見せることもできた。
 子育ては、頭の痛いことが多いが、喜びはその何倍も大きい。孤独と不安に打ち震えていた青春の日々を思うと、しみじみと幸せを感じる。また夫として、父親としての役割を通じて、自己研鑽をすることもできる。それは職業や社会活動で得られるものとは違う、より深い経験だ。

 そんな私から若い人々へのお願いを書きたいと思う。

まず男性に対して。

私が結婚した年齢、男にとっての33歳は、特に結婚が遅いというほうではない。私はいま52歳だが、子どもは二人とも高校生。自分が60歳になるとき、下の子はようやく23歳。何とか自立しているかどうかという年齢だ。そこで自分の人生の設計ということを考える必要があるのだ。

 職業によって違うが、勤め人の場合は、再雇用制度が法制化され、将来的には65歳まで雇用が延長される。しかし、多くの人は60歳を境に収入が減る。定年が55歳またはそれ以下の人もいる。子供の教育には多額のお金がかかる。収入が減っても、教育に多額の支出をし続けることは、自分たち夫婦の老後の生活に影響する。

 そう考えると、結婚は遅くなればなるほど、先の負担が大きくなるわけだ。仮に子供が2人で、ともに22歳まで教育を受けさせるとすれば、男性の場合、35歳までに結婚することが望ましいだろう。仮に38歳までに2児を得たとしても、自分が60歳の時に、下の子供が22歳。ようやく教育を終えるというところだ。
 そこで、男性は35歳を一つの上限と考えてみてはどうだろうか。人生の節目が55歳の人なら、5歳引いて考えるとよいだろう。
 これを読んでいる人には、その年齢を過ぎている男性もいるだろう。そういう人は、さらに自分の人生をじっくり見つめていただきたいと思う。
 人生には決断が必要だ。自分が意志を固めれば、道は開ける。

 次に女性に対して。

一般に言われるように、子供を産み育てるには、若い方がよい。20代のうちに終えたほうがよく、できれば20代前半までのほうがよい。これは生理的な問題である。30代に入ると、女性の体は生理的に変化し、段々、出産の身体的負担が大きくなる。特に初産の場合はそうである。

 私は長年、人生相談のような形で、いろいろな人の話を聴く機会があるのだが、近年、30代独身で子供を産んだことのない女性に、婦人科の病が増えているように思う。子宮筋腫、卵巣嚢腫、乳房や子宮のガンなどである。また、うつ傾向・自律神経失調症なども増えているように思う。
 おそらくストレス、生活習慣、飲食物等、さまざまな原因が複合的に影響しているものだろう。私が特に感じるところを書くと、一般に女性は、10台の早期に初潮を迎え、乳房が膨らむ。それは身体が、性交・妊娠・出産・哺乳をするようにできているからだ。自分の意思とはかかわりなく、身体は生命の原理にのっとって成長・活動する。そのエネルギーは自分が思っているより遥かに大きい。
 結婚や出産をしないまま年齢を重ねている女性は、身体に内在する生命のエネルギーがうまく循環されず、心身の不調や病を生じやすいのではないかと思う。生命の原理に逆らっては、健康を維持することは出来ない。
 三砂ちづる氏の『オニババ化する女たちーー女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)が話題になった。賛否両論あるが、そこに書かれていることは、ささやかな私の経験とはよく符合する。
 自分の考えにばかりとらわれずに、大きなものに自分をゆだねることも人生には必要だ。

 上に記したことは参考にならない人が多いかもしれない。職業・経済・家庭の事情等でいろいろ事情は異なるだろうからだ。しかし、心身の健康状態や家族関係等の条件の許す人は、適当な年齢で結婚し、子供を産み育てていく、そういう生き方を自然とする考え方を回復していただきたいと思う。20代、30代の方々には、これを読むことをひとつのきっかけとして、自分の人生について考えてみてほしいと思う。

 「光陰矢のごとし」と言う。時の流れは速い。漫然と過ごせば、人は30歳となり、35歳、40歳などあっという間に訪れる。
 若い方々に申し上げたい。自分の人生を大切に思い、またこの日本を愛するなら、自分のいのちを子孫に伝える、愛と喜びのある人生を生きられよ。
 いかに幅広い社会経験をし、高邁な知見を得ても、独身のまま歳月を過ごせば、やがて老いが訪れる。
 生命に基づくものの考え方、生き方を学び、伴侶を得て、子供を産み育て、豊かな人生を生きられよ。またそれが家族・民族・国家への貢献ともなることを理解なされよ。
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関連掲示

・脱少子化の具体策については、続いて拙稿「少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そう」をご参照下さい。

参考資料

・「平成16年版 少子化社会白書(全体版)」

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/index.html


・金子勇著『少子化する高齢社会』(NHKブックス)

・三砂ちづる著『オニババ化する女たちーー女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)

 

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