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説明: 説明: ber117

 

少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そう

2006.7.15初稿、2007.6.16補註

 

 <目次>

はじめに

第1章 日本は「少子化する高齢社会

第2章 少子化の原因と背景

第3章 このまま進むとどうなるか

第4章 適正人口という目標を

第5章 従来の保育所一辺倒は誤り

第6章 専業主婦を差別するな

第7章 脱少子化は社会全体で取り組むべし

第8章 全員参画の方策を立てよう

第9章 家族の復権がポイント

第10章 家庭の回復・強化を図るには

第11章 家族再生型の方策は可能だ

第12章 学ぶべきオランダの事例

結びに〜日本が世界での役割を果すために

 

説明: 説明: ber117

 

はじめに

 

脱少子化と日本の再建は、一体の課題である。脱小子化には、国家目標を立て、実現すべき社会のビジョンを掲げ、具体的な方策を実行する必要がある。本稿は、その取り組みについて述べるものである。

日本を愛し、日本の将来を憂える人々は、わが国で進みつつある「少子化・高齢化・人口減少」の改善・解決について、ともに考えていただきたい。

 

 

第1章       日本は「少子化する高齢社会

 

 わが国は、少子化とともに高齢化が進んでいる。さらに人口が減少し出した。この社会をどうとらえ、どういう対策を立てるべきだろうか。

 

●少子化する高齢社会への対応

 

今日見られる世界的な人口増加は、17世紀の半ば、欧州で始まった。人口増加の開始時期は、資本主義が発達し、近代化が進みだした時期と一致する。ここにいう近代化とは、生活全般の合理化であり、文化・社会・政治・経済の各分野で進行する。

18世紀半ばにイギリスで産業革命が起こると、人口増加が加速した。近代化する社会において、保健医療の発達と子供の数の減少とには時間差が生じた。そのため、多くの国は、以下の過程をたどっている。

 

「多産多死」→「多産少死」→「少産少死」

 

具体的にいうと、伝統的な社会は、「多産多死」つまり多く生まれるが多く死ぬことで、人口は安定していた。近代化は、経済の発展や科学の発達を生み、生活の豊かさや衛生のよさを実現する。それによって、子供の死亡数が減少し、「多産少死」の社会への移行をもたらす。この過程で、急激な人口増加が起こる。その後、近代化が進行するに従って、子供を生む数が減り、「少産少死」の社会に移行する。この段階で起こるのが、少子化である。これと同時に、高齢化が進行し、少子高齢社会が出現する。

欧米では、「多産少死」から「少産少死」への移行は、第2次世界大戦前にほぼ終了していた。1970年代以降になると、多くの国で、合計特殊出生率が人口維持に必要な2.08を割り込み、さらに低下を続けるようになった。1980年代前半には、欧米は、現在のわが国とほぼ同じ少子化水準に達した。

わが国の場合は、戦前から「多産」から「少産」への変化が現れていた。戦後、ベビーブームが終息すると、昭和20年代半ば以後、合計特殊出生率は急激に低下した。その後、昭和48年(1973)以降は、第2次ベビーブームの一時期を除いて、坂道を下るように低下を続けている。平成12年(2000)には1.36。以後は、1.33→1.32→1.29→1.29と下がり続け、平成17年(2005)に1.26と過去最低を記録した。

(補註:平成18年は1.32に。ただし、長期的な低下傾向は変わっていない。1.20台から1.30台の水準に低迷している)

 

長期低落を続けている国が多い中で、出生率が反転して高くなっている国もある。アメリカ、フランス、スウェーデン、デンマーク、オランダなどである。これに比し、わが国の少子化対策は、少子化の進行をとどめえていない。従来の少子化対策は、根本的に再検討しなければならない。このような観点に立つとき、注目すべき本がある。金子勇氏の『少子化する高齢社会』(NHKブックス)である。氏は、北海道大学大学院教授で、少子高齢社会学の専門家である。
 本書の目的について、金子氏は次のように書いている。
 「本書は、人口減少社会を『少子化する高齢社会』と理解して、最終的な適正人口を1億人と想定し、現状が抱える問題点を明らかにして、そのうえでの対応策を総合的にまとめあげたもの」であると。
 金子氏は、現代日本社会を「少子化する高齢社会」と理解する。つまり、少子化と高齢化の両者を「相互に連動した問題」と把握する。昨年の平成17年(2005)からわが国の人口は減少し始めた。これから人口減少が続くと予測される。この「人口減少社会」は、少子化と高齢化が同時に進む社会でもある。少子化・高齢化・人口減少という三つの同時並行的な現象を「三位一体の人口変化」とも金子氏は呼ぶ。
 そして、氏は、少子化・高齢化・人口減少が三位一体となって進む「少子化する高齢社会」の「根本的な解決」をめざす。そのため、数値目標を掲げる。2040年の人口として予測される1億人を「適正人口」と位置づけ、「適正人口1億人」を実現すべき目標とする。
 目標達成のために、氏は本書で「基本的な論点」を具体的に提示し、「現状を整理して、時代動向を半歩でも一歩でも先取りして、『少子化する高齢社会』への社会全体での最適な対応の必要十分条件を明らかにするように努めた」という。そして、氏が「必要十分条件」と呼ぶところの対策を提唱している。

 金子氏の現状認識は、近年、政府が発表している現状認識の不備を明らかにし、政府による対策の欠陥を鋭く指摘するものである。それと同時に金子氏は、少子化を乗り越える具体策を示している。少子化対策は、15年ほど前から行なわれているが、平成13年4月に発足した小泉政権は、少子化対策基本法を制定し、担当大臣を置くかたわら、経済優先・個人主義・フェミニズムの政策を推進した。金子氏は、個人主義の蔓延やフェミニズムの浸透を少子化の原因ととらえ、政府の少子化対策が個人主義的・フェミニズム的であるがゆえに、効果を挙げていないことを的確に指摘している。個人主義の蔓延とフェミニズムの浸透は、少子化の基盤的な条件の一部をなすものと考える私が、金子氏の主張に注目する所以である。こういう現状認識をもとに、氏は当然、対策についても、個人主義的・フェミニズム的発想でなく、共同性・公共性を重視する考え方を打ち出している。

以下、氏の論述を整理しながら、私見を述べて行きたい。

●現状認識

 少子化の進行については、拙稿「脱少子化と日本再建は一体の課題」に詳しく書いたが、本稿では少子化と高齢化を連動した問題としてとらえるために、ここで高齢化に関することを補いたい。

少子化の進んできたわが国では、平成17年(2005)に高齢者が人口の約5分の1となった。高齢者とは、65歳以上をいう。平成25年(2013)には、高齢者の割合が4分の1に、また平成37年(2035)には3分の1になると予想されている。
 少子化は、一方向的に進むものではない。子供を生む人が増えれば、改善されるからだ。しかし、わが国の合計特殊出生率は、昭和48年以降、30年以上にわたって低下傾向にあり、平成12年から17年にかけての6年間は毎年、最低を更新した。昨年(平成17年)は、1.26となった。今後多少持ち直すことがあったとしても、日本人が根本的なものの考え方、生き方を改めない限り、大きな改善は見込めないと私は見ている。
 少子化は、若年人口の減少となるので、人口における高齢者の割合が高くなる。総人口に対する65歳以上の割合を、高齢化率という。金子氏は「少子化は確実に総人口を減少させるが、あと数十年は高齢者が増加するので、高齢化率は上昇する」と述べている。

高齢化の進行において、これから10年以内に顕著なことが起こる。それは戦後第1次ベビーブームに生まれた「団塊の世代」が定年を迎え、高齢者の仲間入りをしていくことだ。
 金子氏は団塊世代を昭和22年(1947)〜25年(1950)生まれとする。来年(補註:平成18年7月現在)の平成19年(2007)には、昭和22年生まれが、60歳の定年を迎える。そこでこれを「2007年問題」という。来年から始まって「団塊の世代」約800万人が、3〜4年のうちに定年となる。そして、金子氏によれば、「最後の1950年生まれが65歳になるときに、わずか4年間で800万人が高齢者の側に分類されるようになる」。その「団塊世代全員が高齢者に仲間入りするのが2015年」である。
 すなわち、高齢化は、「団塊の世代」という特異に人口の多い世代が高齢者の仲間入りをすることによって、これから顕著になるわけである。
 今後も少子化が改善されないと、高齢化率は高くなる。また、少子化と高齢化の相互連動的な進行によって、人口は減少していく。金子氏は、「今後約30年間は人口減少が続く」という予測を記している。日本は、少子化・高齢化・人口減少が三位一体で進む社会となっている。子供が減り、年寄りが増え、日本人そのものが少なくなっていく社会である。
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第2章 少子化の原因と背景

 

少子化の原因は何だろうか。またその背景には、何があるのだろうか。


●少子化の原因

 

 少子化の原因は何か。金子勇氏は、「少子化の原因は、未婚率の漸増と既婚者の出生力の持続的低下である」と明快に指摘している。これらこそ、少子化の直接的な原因また二大原因である。

 

 まず原因の第一である未婚率の上昇については、昭和55年(1980)と平成12年(2000)を比較すると次のようになる。

男性の場合、25〜29歳では55.1%から69.3%へ、30〜34歳では21.5%から42.9%へと倍増した。女性の場合、25〜29歳では24.0%から54.0%へと倍増し、30〜34歳では9.1%から26.6%へと3倍に増えている。

 女性の場合、25〜29歳では、1970年代では、5人に1人が独身であったが、30年間に、2人に1人が独身となっている。男性の25〜29歳では、同じく、2人に1人が独身であったが、現在は、10人に7人が独身となっている。

 すなわち、男女とも晩婚化が進んでいる。それとともに、単身者が増えている。この単身者を「シングル」と呼ぶ。「独り者」である。特に「学卒後もなお、親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」を「パラサイト・シングル」という。寄生動物(パラサイト)のように親に依存する単身者をいう。社会学者の山田昌弘氏が作った言葉である。

 「パラサイト・シングル」は、親と同居することにより、自分の好きなように時間と金銭を使用できる。それが主な発生要因とみられている。フリーターやニートの増加により、独立して生計を営むのが困難なために、パラサイトになった者も増えている。


 次に原因の第二である既婚者の出生力の低下については、晩婚化すると、女性が子供を産む年齢が高くなる。これを晩産化という。女性が出産できる期間は年齢的に限られているから、結婚が遅くなれば、子供を産める期間が短くなり、その結果、子供を産む数が少なくなる。これを少産化という。

 子供を産む数が少なくなっているのには、経済的な理由もある。一人当たり大学卒業までの子育て費用は3000万円かかる。この経済負担を回避するために子供を産まないか、少なくするという傾向が出ている。

 なかでも結婚しても子供は産まないという考えを持つ女性が増えている。共稼ぎで子供を持たない夫婦を、「ディンクス(DINKS)」という。「共稼ぎの子無し夫婦」である。そういう夫婦も増えている。

 こうした晩婚化、晩産化、少産化、無子化等が重なり合って、既婚者の出生率の低下となっている。

 
 このように未婚率が上昇し、結婚しても出生数が減れば、当然、国全体として子供の数が減るわけである。これらが直接的な原因となって、合計特殊出生率の長期的な低下が生じているのである。


●背景にある事実


 上記の少子化をもたらす直接的原因には、「背景」となる事実があると金子氏は述べる。その「背景」をマクロレベルとミクロレベルに分けて列記している。


 まずマクロレベルでは、

@  コミュニティレベルに存在していた既存の子育て支援システムの崩壊

A  小家族化による子育て支援の家族力の喪失

B  女性の社会進出に伴う機会費用の増大

C  友人関係ネットワークによる子育て支援システムの弱まり

などである。

またミクロレベルでは、

@  ライフスタイルの非社会的で自己中心型への転換

A  短期的で負担回避型のライフスタイルの蔓延

B  産み損・育て損に象徴される社会的不公平性の増加

C  子供が減少する社会への想像力不足

などである。


 ここに金子氏が少子化の「背景」として挙げていることは、戦後の日本社会の変化、特に高度経済成長期以降の社会的変化を表している。つまり、村落共同体の解体、人口の都市への流入、大家族から核家族への縮小、女性の社会進出、都会での人間関係の希薄化等である。そして、それらの変化の上に加えて、特に1980年代以降に表われてきた価値観や生活様式の変化を、氏は「ライフスタイル」という言葉を使って指摘しているものと思う。


 金子氏が挙げる「原因」と「背景」は、専門家による社会学的な分析であり、私は特に異存ない。そのうえで、私は少子化の進行する基盤的な「条件」があると考えている。

 その基盤的条件とは、以下のようなものである。

 

(1)敗戦による民族の劣化

(2)自虐的歴史観による呪縛

(3)男性の権威と役割の低下

(4)知識の高度化による女性の高学歴化

(5)個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合

(6)フェミニズムの浸透と性の快楽化

 

こうした基盤的条件まで掘り下げて把握しないと、少子化対策は、真に有効なものとならないと私は考える。

 これらの条件の転換には、生命に基礎を置く生き方、考え方を回復しなければならない。そして、新憲法の制定、教育基本法の改正、男女共同参画社会基本法の見直し、フェミニズム行政の転換等が必要である。つまり、日本という国のあり方を根本的に改めないと、脱少子化はなし得ない。この点は、拙稿「脱少子化と日本再建は一体の課題」に書いたところである。(註1


 さて、私が挙げる基盤的な「条件」の(5)のうちの個人主義の蔓延と(6)のうちのフェミニズムの浸透は、金子氏が挙げるミクロレベルでの少子化の「背景」と一部重なっている。

私は、個人主義の蔓延を、戦後の現行憲法に淵源すると見ており、フェミニズムもまたその個人主義に基礎を置くと見ているので、金子氏より長期的な60年以上の歴史を視野に入れて述べている。

 金子氏は、これに対し、20〜30年の期間で見ているようである。氏の挙げる「@ライフスタイルの非社会的で自己中心型への転換」、「A短期的で負担回避型のライフスタイルの蔓延」、「B産み損・育て損に象徴される社会的不公平性の増加」は、戦後の個人主義の蔓延とそれに基くフェミニズムの浸透に、深くかかわっている現象である。

 金子氏の少子化に関する分析は、政府による分析より、実態に迫っている。政府は、個人主義の徹底とフェミニズムの浸透をよいことと捉えている。そのため、社会現象の見方に思想的なゆがみを生じている。そこから出てくる政策は、「個の確立」「個人の自立」によって個人主義を徹底し、また「女性の自立」によってフェミニズムを促進するものとなる。それに比べ、金子氏は、個人主義とフェミニズムの弊害を深く認識している。だから、政府があいまいな指摘にとどめたり、言及を避けたりしている部分を、金子氏は、問題点として国民に明らかに示しているのである。そこから出される氏の政策は、共同性・公共性を重視するものとなっている。(ページの頭へ

 

 

3章 このまま進むとどうなるか

 

少子化がこのまま続くと、日本はどのような国家になっていくだろうか。

●予測1〜負のスパイラルが起こる

 わが国は、敗戦後の復興を成し遂げ、高度経済成長により、国民の年間所得が飛躍的に増えた。物質的に豊かな社会は、個人主義的な生き方を可能にする。
 個人主義の価値観は、近代西欧で生まれた。文化的近代化として、キリスト教、特にプロテスタンティズムは個の意識を先鋭にし、社会的近代化として、共同体の解体と都市化は個人個人を切り離し、経済的近代化として、資本主義・産業主義の発達は、経済活動を個人の労働に変えた。しかし、欧米の社会では、なお共同性・公共性は持続していた。顕著は変化が現れたのは、1980年代のアメリカにおいてである。この時期以後、アメリカでは、個人主義的な生き方が顕著になった。その生き方が日本に流入した。「個人主義的ライフスタイルは1980年代から日本社会全体で広く容認されて今日に至っている」と金子氏は言う。そういう生き方も個人の自由であり、個人の権利を制限することはできないという理解がわが国に広がった。
 前章で引いたように、金子氏は、ミクロレベルでの少子化の「背景」の中に、「
@ライフスタイルの非社会的で自己中心型への転換」「A短期的で負担回避型のライフスタイルの蔓延」を挙げている。こうした、「個人主義的ライフスタイル」の表れの一つが、シングル(独身者)やディンクス(共稼ぎの子無し夫婦)の増大だと言えよう。

 豊かな社会が、いつまでも豊かに成長を続けられるとは限らない。資本主義経済には景気の循環がある。不況や成長率の鈍化も起こりうる。わが国は高度経済成長の絶頂で「バブルの崩壊」を経験し、それ以後、長期的な不況に陥っている。
 しかし、豊かな社会にかげりを生じても、人は一度味わった物質的な豊かさを捨て、物質的な欲望を抑えることがなかなかできない。豊かさを獲得した社会では、我慢や忍耐は美徳ではなくなる。欲しいものは欲しい、したいことはしたいという思う人が増える。欲望の追求が自由であり、自己実現だという考え方が強くなる。子供のときから豊かな生活環境で育った世代は、特にそうだろう。ものの豊かさは、かえって心の貧しさを生み出しもするのである。
 こういう社会では、男女が結婚するにあたっても、結婚前のそれぞれの生活の豊かさを維持したいと思う人たちが現れるだろう。または子供を持つ前までの豊かさを保ちたいと思う夫婦も現れるだろう。それらの夫婦は、共稼ぎをして収入を増やすことを考える。ないしは、子供を産まないか、子供を産む数を減らすことによって、支出を減らそうとする。子供を産み育てる喜びや使命よりも、自分たち自身の生活の豊かさに価値を見出す。
 さらには、生活の豊かさを維持するために、結婚をせずに独身で暮らすことを選ぶ人たちも出てくるだろう。

 ここで注意すべきことがある。金子氏は次のように言う。「個人が自由に選択したライフスタイルの維持は、社会システムが通常に作動してはじめて可能」である。そして、次のような予測を述べる。
 「短期的には子供を産み育てないかまたはその数を減らすという個人的対応が、個人生活の豊かさを維持させる。それによって社会全体で年少人口が減少し、加えて総人口まで漸減するようになり、市場が縮小する。それはモノもサービスも売れにくくなることを意味し、企業業績の低迷を引き起こす。年少人口層でも総人口全体でも全体としての購買者が少なくなるので、消費水準が落ち、企業活動は停滞し、その業績も悪化する。
 その結果として企業内部のリストラによる失業も増大し、つかの間の豊かさを満喫していたディンクスもシングルもリストラ組に回される危険性が高まる。企業低迷と失業者の増加という社会的危機が、それまでの個人生活の豊かさを直撃する。
 個人や家族が支持する政府による真摯な少子化克服策が発動されなければ、21世紀の日本社会はこの負のスパイラルに入ることはほぼ確実である」と。

 豊かさによって個人の自由が拡大するが、個人の自由を無制限に追求すると、その基盤である豊かさが失われていくという反転が起こる。今のままでは、わが国が金子氏のいう「負のスパイラル」に入ることは避けがたい。

 

●予測2〜個人を守るもののない社会へ

「個人主義的ライフスタイル」の広がりは、経済的な側面だけでなく、社会的な側面にも大きな影響を及ぼしていく。金子氏は大略次のように予想している。
 少子化を放置すれば、これまで豊かな生活を維持してきた社会の仕組みが崩壊する恐れがある。
 少子化によって平均世帯人員が減少し、家族の機能が低下する。また過疎地域は荒廃し、都市部では町内会の加入率の低下が進み、地域社会も機能が低下する。失業が増え、派遣社員やパートが増え、職場も安心基盤とは見なせなくなる。これらによって、家族・地域社会・職場という個人を守るセイフティネット力が弱まっていく、と。

 私見を述べると、金子氏が述べていることの根底には、ここ400年ほどの間、近代化の進行によって、世界の多くの社会で起こってきた変化がある。即ち、村落共同体の解体、都市化、大家族の小家族化、企業の利益集団化等の変化である。近代化は、個人と国家の間にある様々な共同体を解体して、集団を個人化していく。それを推進するのが自由主義の思想であり、個人主義の価値観である。
 個人主義の先鋭な形態の一つが、フェミニズムである。フェミニズムは、女性の自由と権利の拡大を追及する思想・運動であり、女性における個人主義の推進と見ることが出来る。女性が、生命のつながりや家族の絆よりも、個人の自由と権利を求める動きである。

 近年、わが国の政府が採って来た政策は、経済優先・個人主義・フェミニズムを特徴とする。伝統より経済、集団より個人を優先し、老若男女の中で女性を優先するものである。経済的近代化としての市場原理と自由競争の推進の結果、家庭では家族の紐帯が弱まり、社会では企業における日本的経営(終身雇用・年功序列・稟議制度等)が否定されてきた。個人主義の徹底、フェミニズムの浸透は、社会の様々な集団の共同性を低下させており、個人は、自己の所属する集団の支えを失いつつある。
 こうした社会では、一度大きな失敗をすると、「個人の自立」や自己実現を達成することが難しくなる。心身の不調、病気、絶望、自殺など、個人が個を確立するどころか、個の自壊へ向かいさえする。
 社会学者の山田昌弘氏は、現代日本の社会は、経済的格差が社会的格差を生み、さらに心理的格差を生んでおり、将来に希望の持てない人が増える「希望格差社会」となっているととらえている。(『希望格差社会』筑摩書房) また、ジャーナリストの三浦展氏は、かつては国民の多数が中流意識を持っていたが、現在は中流の多くが下流に下がった「下流社会」に変貌し、「下流」の一部は、上昇することの困難な「下層」に固定し始めていると指摘している。(『下流社会』光文社新書)
 ところが、政府は、これまでの政策を改めないどころか、経済優先・個人主義・フェミニズムの政策をさらに進めようとしてきた。(補註:本稿執筆時は小泉政権)

 こうした政策を継続すると、どういう国家が出現するか。金子氏は、社会学者・作田啓一氏の言葉を引く。「国家と個人との間にある中間勢力が一掃された後は、国家は全ての権力を一手に集中する。強大になり過ぎた国家と弱小になり過ぎた個人との関係は、疑いもなく全体主義社会を成立させる母胎である」(『価値の社会学』)
 そして金子氏は、大略以下のように述べる。「『家族破壊』を主張し、個人化を促進する先鋭化されたフェミニズムは、好むと好まざるとにかかわらず、国家の前に個人を剥き出すという潜在的逆機能を担っている」「家族の代わりに、自治体、会社、組合、工場、宗教団体、政党、階級、学校、地域集団、ロータリーやライオンズなどの『近代的中間集団』が、失業者を精神的にも経済的にも支えてくれるであろうか」「とりわけ本人の事情や会社の都合で就業が不能になった個人は、家族が支えなければバラバラの原子化された大衆の一員になってしまう」「『社会的紐帯のゆるみ』(トクヴィル)を伴う平等主義が家族や親族までも『個人化』したら、残ったものは原子化された個人でしかない」と。

 その結果は、どうなるだろうか。私見によれば、原子化(アトム化)した個人が集合しているような社会は、人々の共同性が失われ、バラバラの個人を政府が直接管理する統制主義国家に変貌する。大衆は、独裁者や独裁集団によって意識操作される対象となる。それゆえ、個人主義は極端に進むと、その反対物である統制主義に転化する。自由を追求してきたはずが、いつの間にか不自由に反転するのである。

 私たちは、これまでの政府の政策を点検し、大きく軌道を修正すべきときにある。
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4章 適正人口という目標を

 

少子化・高齢化・人口減少が同時に進む社会は、経済的には「負のスパイラル」に入り込み、社会的には個人を守るもののない社会となることが予測される。さらに、個人を守るもののない個人を、政府が直接支配する統制主義国家となるおそれがある。
 私たちが迎える日本の将来は、このような国家・社会であってはならない。金子勇氏は、今後日本が目指すべき目標を掲げて、具体的な達成方法や方策を提案している。画期的な提案であるので、以下考察を続けたい。

●目指すべき目標と達成の方法

 金子氏は、これまでの政府の少子化対策を次のように批判する。「現今の少子化対策は、最終的な少子化阻止という具体的目標が不鮮明であり、同時に社会全体における世代内・世代間の協力方法が鮮明には描かれていない」。つまり、目標とその達成方法がともにあいまいだというのである。
 これに対し、金子氏は、「少子化・高齢化・人口減少という三位一体の人口変化が進む社会すなわち『少子化する高齢社会』を『適正人口社会』に質的に転換する」ことを、大方針として提示する。そして国家全体の人口の目標値と、出生率の目標値を挙げる。
 国立社会保障・人口問題研究所の『2003年予測』は、日本の人口を、2040年の人口は1億人、2050年には9000万人を割り込むと想定している。金子氏は、「適正人口」をこの1億人と位置づける。
 何人が適正かを検証することは難しいが、目標を立てることは、必要である。日本の人口は放置していれば、やがて1億人を割り込み、9千万人、8千万人と減少し続けるだろう。周辺諸国との関係で安易に外国人労働者を多数入れることは危険である。だから、具体的な目標として1億人という数字を掲げ、その目標に向けた方策を検討することは、私は有意義だと思う。

 人口1億人という「適正人口社会」を目指すために、金子氏は、少子化ではなく「増子化」を唱え、数値目標を掲げる。氏は、約30年後の2035年に「合計特殊出生率1.80」を達成することを目標とした増子化を展望したいという。
 1.80とは、平成11年(1999)ないしは13年(2001)の沖縄県の合計特殊出生率に当たる。1.80とした根拠は、「94年にそれまでで最低の合計特殊出生率1.65を記録したフランスがその後、子育て家族支援を熱心にやった結果、ほぼ10年で1.90まで反転させたという経験を参考にして設定した」と金子氏は言う。わが国の実態は、1994年のフランスより合計特殊出生率が低いので、目標値を下げたものだろう。
 このように単に少子化を抑えるというだけでなく、数値目標をあげて増子化を目指し、日本国を適正な人口の社会に転換しようという意見は、画期的なものである。

 次に、こうした目標を達成する方法について、金子氏は自らの考えを提示している。
 私は「男女共同参画社会」という理念は、個人主義とフェミニズムの推進でしかなく、この理念を修正しない限り、少子化・高齢化・人口減少を脱し得ないと見ているが、金子氏もまた次のように言う。
 「少子化する高齢社会は、旧来の『男女共同参画社会』という考え方では乗り切れない」「男女共同参画社会基本法のいう『男女』とは、法律には明記されていないものの、どう読んでも60歳までを対象に想定したと考えられる」「高齢社会は60歳を過ぎた人が増加する社会であることから、『男女共同参画社会』では不十分」だと批判する。
 年金にしても健康保険にしても、男女の関係だけではなく、世代間の関係で制度が成り立っている。それゆえ、「社会構成員を男女ではなく、老若男女をセットとして位置づける」必要がある。つまり、ジェンダー(性差)だけでなく、これにジェネレーション(世代)を結合して、社会のあり方をとらえなければならない、と金子氏は言う。
 そして、金子氏は「『男女共同参画社会』という考え方を含みつつ、若い男女も年をとった男女も、中年の男女も全部包括した『老若男女共生社会』」という概念を提唱する。

 金子氏は、社会目標を、男女共同参画社会から「老若男女共生社会」に転換する。「『老若男女共生』とは社会全体での『共生』にほかならず、男女共同参画社会づくりはその一里塚という歴史的意義をもっている社会目標である」と位置付け直す。
 そして、「老若男女共生」により、少子化を増子化に転換して、適正人口1億人社会を創造するというのが、金子氏の説く目標達成の方法である。

 私見によれば、男女だけでなく老若、性差だけでなく世代をもとに、社会のあり方をとらえるのは、当たり前のことである。人間は生命ある存在であり、集団生活を営むことによってしか存続・繁栄できない。人間はこの世に生まれ、成長し、男女の結合によって子供を産み育て、その子供がまた次の世代を産み育てていく。その間、自らは老い、やがて死を迎える。
 こうした人間社会のあり方を、過去の学者は、18世紀には個人、19世紀には階級、20世紀には性差に重点を置いてとらえてきた。しかし、どれも生命あるものとしての人間社会の全体像をとらえ損なっていると思う。ものを見る根本的な枠組みが違っていれば、そこから編み出す対策も、ポイントのずれたものになる。従来の政府の少子化対策はそれだった。
 その点は、次章に書きたい。
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第6章 従来の保育一辺倒は誤り

 

わが国の政府は、過去約15年間にわたり、少子化対策を行なってきた。それなのに、どうして少子化の進行を止めることが出来なかったのだろうか。

●既婚者対象で保育一辺倒の政策は誤り

 少子化の直接的な原因は、未婚率の上昇と既婚者の出生力の低下である。これらに正面から向き合うことなくして、効果的な少子化対策は成立しえない。ところが、「従来の政府系の少子化対策は未婚率の上昇を視野に収めず、ひとえに既婚者の出生力低下の阻止という大義名分から構成されていた」と金子氏は言う。
 「未婚率の増大を少子化の原因にはっきり特定すると、結婚の自由や出産の自由をめぐる権利などの人権問題への言及が必要になってくるため避けようとする国の姿勢」があると、金子氏は指摘する。
 若者の独身者が増え、晩婚化が顕著になっている。わが国は欧米諸国に比べ、婚外子が少ない。結婚して子供を生む、または子供が出来たから結婚するという人が多い。そうすると当然、結婚を奨励したり、結婚をしやすい環境をつくったりする対策が必要だ。さらに、私の述べているように、日本人全体が根本的なものの考え方、生き方を改めることが大切だ。
 しかし、金子氏が指摘しているように、政府は未婚率の問題に向き合おうとしていない。個人主義を徹底し、フェミニズムの浸透を図る政策は、結婚や出産・育児の奨励とは、両立しない。結婚するもしないも個人の自由、産む産まないも個人の自由、育てる育てないも個人の自由であって、結婚・出産・育児には一切公共性がないいう理解では、政府は国民の生活に関与できない。このような理解に立てば、政府は、未婚の男女に働きかけることをなしえない。

 では、政府は何をやってきたのか。この約15年間、政府の少子化対策は、既婚者のみを対象とし、既婚者の出生力を上げることに限定していた。しかも、働く女性のために、保育所を増やし、子供を保育所に預けやすくする対策に集中してきた。これを金子氏は「保育一辺倒の少子化政策」と断じている。
 一体、この政策は効果を上げたのか。否。政府が少子化対策として約15年間取り組んできた保育育児路線の破綻を、現職の厚生労働大臣が平成17年(2005)2月に認めたのである。

 従来、政府は「仕事と子育ての両立支援策推進」と「待機児童ゼロ作戦」を打ち出してきた。仕事と家庭を両立させる「両立ライフ」を支援する。また保育所に入所待ちの子供をなくす。これが政府の少子化対策のエッセンスである。
 しかし、これは「バブルの崩壊」以後、長期的な不況に陥ったわが国の財界が、女性を安価な労働力として利用するために、家庭から外に引き出し、一個の労働者として働かせるやり方だと私は思う。乳児期はもちろんのこと、3歳くらいまでは、母子が密着して子育てをすることが、子供の発達上、極めて重要である。子供は、母親を求める。それなのに、わが国の政府がやっているのは、乳幼児さらには誕生間もない0才児を持つ若い母親まで、子供から引き離して家外労働をさせようとする政策なのである。経済優先で、人間の命や心の発達を軽く考える、間違った政策である。

●財界とフェミニストの思惑が一致


 にもかかわらず、こうした母子ともに有害な政策が採用・推進されてきたのは、なぜか。財界の思惑が、フェミニストの思惑と一致したためである。
 フェミニストは、男女の同権という当初の目的を超え、男女の性差の否定を追及する。男らしさ、女らしさという生命に基く性差を否定し、男女の特徴の無化をめざす。フェミニストの多くは、社会で働く女性であり、その中心は、学者や官僚や政治活動家らである。彼女達は、男性と競い、男勝りの仕事をして、自分の能力を発揮しようとする。そのために、旧来の慣習や文化を、女性への差別だとして排除しようとする。
 この時、働き競うフェミニストは、彼女達を不利にしているのが、専業主婦の存在だと考えた。専業主婦がいることが、働く女性に対し、社会的に不利な条件を与えていると見なして、専業主婦を攻撃した。そして、すべての女性が、家庭から外に出て働くように仕向ける政策を推進している。
 すべての女性が社会で働く社会とは、全女性を労働者にし、子育てを公的機関で行なう社会主義社会に似たものとなる。もともとフェミニズムは、共産主義から現れている。基本的な発想は、男女の関係を支配ー被支配関係ととらえ、男女の闘争を通じて女性の権利の獲得・拡大をめざすものだ。「女性の自立」を求めた結果は、旧ソ連や東欧諸国のような集団主義の労働者社会となる。

 わが国では、あらゆる女性が、家庭から外に出て働くようにしようとするフェミニストの思惑と、女性を安価な労働力として利用しようとする財界の思惑が一致した。その政策を少子化対策という、まったく別の看板をつけて推進してきたわけである。

 私は、近年の政府の少子化対策は、むしろマイナスだったと断言する。政府が誤った舵取りをして、多くの女性を家庭の外で働く労働者とした。その結果、単身化や非婚化、晩婚化・晩産化・少産化が助長された。
 これらは、経済優先・個人主義・フェミニズムの政策を採って来た日本国政府の大失策である。
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関連掲示

・拙稿「急進化したフェミニズムはウーマン・リブ的共産主義

 

 

第6章 専業主婦を差別するな

 

保育所一辺倒の対策は、専業主婦への差別となることによって、国家の基礎である家庭と地域社会を弱体化してきた。

●専業主婦への差別は逆効果

 政府は、働く女性の「仕事と家庭の『両立ライフ』だけを特別視して、これのみを特に支援の対象としてきており、現在でもそれは変わっていない」と金子氏は言う。本年度(平成18年度)予算でも「依然として仕事と家庭の『両立ライフ』支援と保育重視に特化している」。依然として「待機児童ゼロ作戦」のために、保育所の受け入れ増を図るのが、対策の中心である。
 私は、働く女性の権利の拡大をめざすフェミニストの主張が、こうした国策に強く影響していると思う。金子氏も言う。「男女共同参画社会基本法の理念が社会全体に浸透すれば少子化対策になる」という主張があるが、「これはおそらく不可能」である。「男女共同参画社会基本法で欠落している点」は「共同参画した後のイメージが湧いてこないところにある」。「ある程度の共同参画が達成された後で、何を狙いとするのか」。「フェミニストの言動には『男女共同参画が進めば、少子化などはどうなってもよい』と判断する傾向がある」と指摘する。

 実は、政府の「両立ライフ」支援の保育偏重、「待機児童ゼロ作戦」には「差別体質」があると金子氏は告発する。
 平成17年(2005)の内閣府の意識調査では「保育園に通園する子供は全体の22%程度」である。「ところが待機児童ゼロに固執する内閣と関連省庁は、このわずか2割程度の子供たちだけに、平均で月額11万円すなわち年額130万円もの税金を支出する積極的根拠を与えてきた。残りの8割に属するうちの幼稚園は平等に門戸開放されているから問題ではないが、それ以外の専業主婦の子供や『無認可保育所』に通う子供への支援は皆無に近い。これが男女共同参画論者のいう保育重視の実態であり、大きな差別といわざるをえない」と金子氏は言う。
 金子氏は、「『仕事と子育ての両立支援策推進』と『待機児童ゼロ作戦』こそが専業主婦の子育て負担を無視して、結果的にそれらの「作戦」が日本社会全体の不公平性を拡大した」と指摘する。

 私見を述べると、社会で働きたいという女性が働きやすいように保育所を整備すれば、子供を多く産んでくれるだろうという考えは、もともと効果が期待できない。なぜなら子供を多く産み育てているのは、専業主婦だからである。
 既婚者対象に少子化を改善するなら、専業主婦が出産や育児をしやすいような経済的・社会的な環境を整えることが第一の方策である。次に、働く女性は短時間の労働でも生活水準を維持でき、家庭保育ができるような制度をつくることが、第二の方策となる。

 先にも書いたが私は、近年の政府の少子化対策は、むしろマイナスだったと断言せざるをえない。政府が誤った舵取りをして、多くの女性を家庭の外で長時間働く労働者とした。その結果、単身化・晩婚化・少産化を助長した。

実際は子供を多く産み、育てているのは、専業主婦である。職業婦人ではない。子供を多く産み育てている専業主婦を減らすような政策が、少子化の改善になるわけがない。子供を産み、育てられる年齢にある女性を、男性同様に家外に出して働かせ、家庭にいる時間を少なくしたことにより、むしろ少子化は進んだのである。社会で働く女性への支援に特化した政策は、少子化対策とは、逆のことをやってきたのである。
 また、女性が家庭にいる時間が少なくなったことにより、家庭の機能が低下している。子供に接する時間が少なくなったために親の教育力が低下し、しつけもできていない子供が増えている。

しつけは親が家庭で行うものである。乳幼児期から親と接する機会の少ない子供は、親から基本的な生活習慣・社会規範をしこまれないまま成長する。保育園においては「3歳児崩壊」といって、保育士が指導しても従わない幼児たちが問題になっている。しつけは、「つ」のつく間にせよという。「九つ」までの意味であるが、小学校ではしつけのできていない児童が、他の子供達をも落ち着きや秩序のない環境にさらしている。中高生の学力の低下、学習習慣の崩れ、引きこもりやニートの増大等も、家庭における教育力の低下に相当の原因があるはずである。
 近年のわが国の政府が取ってきた経済優先・個人主義・フェミニズムの政策は、少子化を助長しただけでなく、「劣子化」をも助長している。これは日本の大失敗である。
 子供が減っても人口は少なくなった方が、環境を考えるとよいことではないかと言う人がいる。数は減っても心身ともに健全な子供が育っているのならまだよいだろう。しかし、現実に進行しているのは、量の減少だけでなく、質の低下までが進行しているのである。これは、日本国及び日本民族の衰退自滅の道である。
  
 もう一つ見逃されやすいことであるが、政府の少子化対策が差別してきた専業主婦の活動は、単に家庭にあって自分の子供を産み育てているだけではないことである。専業主婦は、地域の大人が協力して子育てをする活動にも参加している。学校におけるPTA活動がそれであり、また自治体における子供会等の活動も、専業主婦なくしてはなりたたない。
 金子氏は、さらに広く地域社会における専業主婦の役割に注目する。「現代日本に1200万人の専業主婦が存在し、そのうち少なからぬ人々が全国の市町村で、住民運動をやってPTA活動をして、小学生の下校を見守って、消費者運動をやって、住民参加の主力となっている」と。
 社会の様々なところで共同性が低下しつつある日本において、専業主婦は地域社会の共同性を支えているのである。
 「にもかかわらず政府もその背後に存在する男女共同参画社会関連の審議会でも、専業主婦の『家庭と地域の両立ライフ』を貶めてきた」と金子氏は政府の姿勢を批判する。

 政府の少子化対策は、働く女性を支援することにばかり特化し、専業主婦を差別し、貶めてきた。それは少子化プラス劣子化を助長し、家庭の機能を弱め、同時に地域社会の共同性を弱めるものともなっているのである。
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関連掲示
・家族に関する問題は、拙稿「家族の危機を救え!」をご参照のこと。
・しつけについては、拙稿「『しつけ』あっての教育」をご参照のこと。

 

 

第7章 脱少子化は社会全体で取り組むべし

 

 ここまでの章では、少子化の現状と原因、将来予測や従来の政策の失敗等を見てきた。本章からは、今後とるべき方法・方策について書く。

金子勇氏は「最悪の事態をさけるために、数十年かけて適正人口社会として日本社会を再生させる試みを開始しよう」と呼びかけている。氏の唱える方法・方策は、どのようなものか。

●シングルもディンクスも子育てに参加を

 少子化の二大原因は、未婚率の上昇と既婚者の出生力の低下である。金子氏は、これらの原因を緩和するために社会全体で取り組みをすること、また社会全体での負担と受益との均衡点を速やかに探求することを提案する。そして、具体的な方法を提示している。

 最初に金子氏は、「社会全体」という時の中身が重要だと言う。従来の政府の少子化対策において「社会全体」という言葉は、「国、自治体、地域社会、企業、親」を意味してきた。しかし、それだけでなく、「パラサイト・シングルやディンクスまでも含むことが正確な定義となる」と金子氏は主張する。これまでは、「社会全体」の中にシングルやディンクスが含まれていなかったのである。結婚していない人や、子供を作らない夫婦を除いては、社会全体にはならない。しかも、単身者や共稼ぎで子無しの夫婦の増加は、少子化に重大な影響をもたらしているのである。
 金子氏は、政府の認識を是正し、「社会全体」とは「未婚既婚を問わず、一定年齢以上の全社会構成員」とする。そして、「構成員すべてが次世代育成へ何らかの責任を持つ」べきとする。独身で暮らす人がいてもいい、子供を持たない夫婦がいてもいい。「産まない選択も育てない生き方も自由である」。しかし、「次世代を現世代が『社会全体』で支え合うことへの合意がなければ、抜本的な少子化対策は実行できない。なぜなら、個人の自由と社会の存続との接点に少子化対策は位置付けられるのであるから」と金子氏は述べる。
 少子化対策は、個人の自由と公利国益のバランスという問題と深くかかわっているわけである。日本の公と私、集団と個人という倫理の問題抜きに、少子化の根本的な改善策は立てられない。

 金子氏は、少子化の「背景」のうち、ミクロレベルの
Bに、「産み損・育て損に象徴される社会的不公平性の増加」を挙げている。氏はこの点を強調し、「少子化克服は連帯性を阻害する社会的不公平性の解消を根本におくことからはじまる。この発想の転換から適正人口1億人社会づくりのための『行動計画』が生み出されるはずである」と言う。
 この発想の適否は、後に検討することにして、氏の意見を続けたい。

 金子氏は「子供は自分で産まず(つくらず)、他人に産んで育ててもらう。そして年をとったら他人が産んで育てた子供世代に面倒をみてもらう」ような人たちを「子育てフリーライダー」と呼ぶ。フリーライダーとは「ただ乗り」をする人を意味する。シングルやディンクスは、意識しているいないにかかわらずこれに当たることになる。
 現代の日本では、子供一人当たり、大学卒業までの子育て費用が3000万円かかると推算される。「一方で一人の子育てに3000万円を費やす男女がいて、他方では直接的な子育て費用がゼロの子育てフリーライダーが増殖してきたことで、社会保障全般への不公平感が強まってきた」と金子氏は述べる。
 この不公平性を是正するために、金子氏は、結婚しない人も、子供を持たない人も、等しく子育てに参加してもらうことを提案する。

 氏は言う。「個人は自由なライフスタイルを選ぶ権利を持つが、次世代をきちんと育成することに関心をよせ、今以上に何らかの行動を起こすことは社会の構成員としての個人の義務である」「二人暮らしが楽しいというディンクス、独りが気楽というシングルであっても、次世代育成にもっと関与する義務がある。それを放棄すれば、楽しいはずの二人にも気楽なはずの一人にも、少子化は大きな負の影響を及ぼす」と。
 この「負の影響」とは、先に書いた「負のスパイラル」であり、また社会の共同性の低下である。
 そして金子氏は言う。「『勝ち犬、負け犬』などの個人レベルに収束する生き方論争をやめ、全員が次世代育成に関与する少子化克服の『子育て共同参画社会』を志向したい」と。これは国民全員に公共倫理を問う提案である。公共倫理の根本問題として、少子化対策を問うのである。
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関連掲示

・公と私、集団と個人については、拙稿「日本の公と私」をご参照のこと。

 

 

第8章 全員参画の方策を立てよう

 

では、どういう風に国民みなに子育てに参加してもらうのか。

金子勇氏は、シングルやディンクスも含む社会全体で少子化を増子化に転換し、「適正人口1億人社会」を創造することを提唱する。

そのための方策として、氏は、「子育て基金」、選挙制度や省庁の改革等を提案している。主な点を見てみよう。


●「子育て基金」と選挙制度・省庁の改革


 第一の提案は、「子育て基金」の創出である。金子氏は適正人口1億人を目標とし、約30年後には合計特殊出生率1.80という増子化をめざす。そして、「子育てフリーライダーも加わった『社会全体』で『子育て基金』を設立」することを提案する。

「子育て基金」とは「社会全体での公平な次世代育成の手段」として考えたものだと言う。具体的には、「既婚・未婚を問わず、子供の有無にかかわらず、30歳から64歳まで、すなわち日本人の半数を占める6000万人国民のすべてが次世代育成の責任を分担する」。この理念の下に、「子育て基金」として「年間5万円の個人拠出として制度化」する。

5万円とは、全勤労者の平均年収を500万円として、平均年収の1%を拠出するものである。月額にすると、4167円となる。65歳以上の年金受給者は「年金の1割」を拠出するものとしている。


 こうして社会全体で拠出した「子育て基金」は、合計で年間3兆円と推計される。この基金を「子育ち資金」に当てる。すなわち「0歳から18歳未満までのすべての国民2300万人に月額4万円(年間48万円)」を「子育ち資金」として支給するというわけである。

この提案を金子氏は介護保険になぞらえて、次のように説明する。「親の生死とは無関係に40歳以上の日本国民は全員が介護保険料を支払っているので、5年続いた介護保険では、現世代が文字通り『社会全体』で前世代を支えていると解釈できる」。その「理念」を増子化に「応用する」ものという。

子育て基金の拠出は、国民が広く子育て費用を分担するものである。金子氏は「それには国民全員の負担が重くなるので、社会的公平性の観点から調整する。同時に、資源配分面においては、高齢者偏重を緩和しつつ、子供・家庭支援への優先へと変更する」と述べている。


 私は、国民が広く子育てに参画するという理念には賛成だが、金銭的支援を中心とする発想には、十分検討が必要だと思う。この点は重要なので、後の項で詳しく述べたい。


 第二の提案は、選挙制度の改革である。金子氏は「老若男女共生」のために選挙制度を改革することを提案する。「老若男女共生」とは、若い男女も年をとった男女も中年の男女も全部包括したものである。

「社会は、ヨコの組立としての地域社会、タテの組立としての社会階層によって、合わせ重ねて構成されている」。そこで、「国政を担当する政治家は地域代表者が半分、年齢階層代表者が半分」として、「地域代表制と世代代表制を並立」させるという案である。氏は、この点に関し、憲法の改正を要することを述べている。少子化の中でも子供を育てている親の意見、高齢者の意見等、世代特有の意見をもっと国政に反映しやすくするというのが狙いだろう。


 氏の提案は、現状の政党の役割、比例代表制、参議院の機能等とどう関係するのか詳細は不明である。拙稿「脱少子化と日本再建は一体の課題」第8章で私見を述べたように、少子化対策に有効な新憲法をつくるなら、もっと抜本的な改正が必要である。氏の提案はそこまで踏み込んだものには見えないが、注目に値するものだと思う。


 第三の提案は、省庁の改革である。「世代と男女とを統合する発想による制度の見直し」である。

これまでのジェンダー(性差)を中心とした男女共同参画社会という目標像は、少子化の対策にはならない。ジェンダーにジェネレーション(世代)を組み合わせた「老若男女共生社会」をめざさないと、増子化は図れない。適正人口に向かうこともできない。

そこで、氏は、内閣府の「男女共同参画局を速やかに老若男女共生局に格上げして、都道府県と市町村にその担当を配置する。加えて、厚生労働省と総務省、それに文部科学省と内閣府の機能のうちいくつかを取り出し、それらを融合させて『子供家庭社会連帯省』を新設する」ことを提案する。

 

私は、狙いはよいが、方法が適切でないと思う。男女共同参画局は、日本にフェミニズムを浸透させる司令塔のような存在になっているのではないか。それを「格上げ」する形で「老若男女共生局」をつくるのでは、フェミニズムの害毒は除去できないだろう。氏の発想を真に生かすには、新憲法を制定したうえで、男女共同参画社会基本法は一旦廃止し、改めて「老若男女共生社会基本法」を制定してから、省庁改廃をした方がよいと思う。


 以上で金子氏の提案の紹介を終える。次章でそれを踏まえた私案を述べたい。ページの頭へ

 

 

9章 家族の復権を

 

本章では、私の脱少子化の方策、すなわちわが国が直面する少子化・高齢化・人口減少への対策について述べたい。
 図るべきは、未婚率の低下と既婚者の出生率の上昇である。未婚率を下げるには、結婚する人が増えなければならない。未婚者の結婚への意欲を高め、また結婚したいという希望を実現しやすくすることだろう。また既婚者の出生力が上がるには、既婚女性にもっと子供を産むようになってもらわなければならない。仕事中心の生活の人が、子供を生み育て、家庭で保育できるような条件を整えること。専業主婦が、もっと子供を多く産み育てやすい環境を提供することだろう。
 これらを進めるには、別稿「脱少子化と日本再建は一体の課題」に書いたように、生命に基づいたものの考え方、生き方を取り戻すことが、根本的に必要である。

 そういう考え方、生き方の実践をするには、家族を重視し、家庭の機能を回復・強化する方策が求められる。その方策の実行にために、憲法に家族条項を盛り、教育基本法に家庭教育・幼児教育を盛り、男女共同参画社会方法を白紙に戻して作り直す。そのうえで、家庭の機能の回復・強化による脱少子化方策を実行するというのが、私の考えである。

(補註:教育基本法は平成18年12月に改正され、家庭教育・幼児教育に関する条項が新設された。私はその意義を評価しつつ、さらに全体を再改正することを提案している)

 次に、金子勇氏の少子化対策をさらに検討する中で、私の基本的な考えを述べ、その後に具体策を示すことにする。

●金銭的支援は必要十分条件ではない

 金子氏の対策案は、既婚者の出生力の向上に重点が置かれている。未婚率の上昇を押さえ、逆に低下させ方策は、述べていない。氏の方策の中心は「子育て基金」だった。氏はこれまでの政府の保育一辺倒の政策は必要条件でしかないとし、必要十分条件となるものとして「子育て基金」を中心とした政策を提案している。
 確かに、これから結婚する人たち、子供を産み育てようという人たち、二人目・三人目を産むかどうか考えている人たちに、金銭的な支援をすることは必要だろう。それによって、出生率を下げている経済的な要因は、減少し得る。また、私は支援を国民全体で負担し合うという点で、この発想は、優れていると思う。
 しかし、こうした方策を行なう前提として、人々の価値観が、生命に基づくものの考え方、生き方へと転換していくように推進しなければならない。それなしには、折角の方策が、お金のばらまきに矮小化するやも知れない。また、基金を負担していることをもって、結婚しないことや、子供を持たないことを正当化する人も出てくるだろう。

 金子氏は「子育て基金」の仕組みについて、介護保険を例に挙げていた。しかし、家庭において子供が親を介護するのが本来の姿である。介護保険の考え方は、介護の「外注化」を前提としているために、家庭の機能を一層、弱めてしまう可能性がある。
 介護保険に似た形の発想で少子化対策基金を考えるのでは、重要なものが見逃されると私は思う。それは、家族の価値と役割である。家族を重視し、家庭の機能を回復・強化するものでなければ、必要十分な少子化対策とはいえない。

●「老若男女共生社会」も単位は家族

 金子氏の問題意識は、主に「社会の秩序と個人の自由という二つの要素の均衡を、どのように創造するか」という点に置かれていた。これは、集団と個人、公と私のバランスの問題である。
 一般にこの問題は、全体と個人の関係として考えられている。全体が優先か個人が優先か、公共の福祉か個人の権利かという問いの立て方である。私は、この「全体―個人」という問いの立て方には陥穽があると思う。

 人間社会は生命的集団であり、その単位は個人より、むしろ家族である。生きている個人は、アトム的で抽象的な要素ではなく、男か女であり、親がおり、また妻がいて子供がいたり、兄弟がいたりするような個人である。いかなる個人も両親なくして、この世に生まれてきたものはいない。いかなる個人も単独では、次世代を残すことができない。家族という集団を単位にしてはじめて、生あるものとしての人間を考えることができる。
 だから、「全体―個人」という二項では、生命あるものとしての人間の社会の実態に迫ることは出来ない。全体と個人の間に、家族という項目を入れ、「全体―家族―個人」という三項で考える必要があると私は思う。

 金子氏の場合、「全体―個人」という二項関係に、性差と世代を組み合わせて、少子化対策を提案していた。性差だけでなく、世代を入れることは正しい。氏の立論の優れた点の一つである。個人と全体を結ぶものには、確かに世代がある。しかし、世代から世代へと生命が受け継がれるのは、家族という集団を通じてである。
 家族とは、夫婦・親子・祖孫によって構成される社会の最小単位である。男女=夫婦と、老若=親子・祖孫が、生命的なつながりを基礎として、共に生きる集団である。
 だから、金子氏のいう「老若男女共生社会」の単位は、家族でなければならない。そして、「老若男女共生社会」の実現には、老若男女がいる社会としての家族の復権がなされなくてはならないと思う。

 「全体―家族―個人」という三項関係を立て、かつ個人単位から家族単位に発想を転換しない限り、真に有効な少子化対策は生まれない。
 家族の復権がなされ、家庭の機能が回復・強化されて初めて増子化が可能となる。また、少子化・高齢化・人口減少の三位一体の進行を反転させ、適正人口社会を実現することもできると私は考える。
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関連掲示

・拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案

・拙稿「日本再建のため、教育基本法の再改正を――ほそかわ私案

 

 

10章 家庭の回復・強化を図るには

 

私は、金子氏の提案に賛同し、適正人口という目標を掲げ、老若男女共生社会に転換しつつ、増子化による脱少子化を図りたいと思う。ただし、先に述べたように生命に基づく考え方、生き方を回復し、「全体―家族―個人」という三項関係を立て、家族の機能の回復・強化を図るという点が、私の加える修正点となる。

適正人口については、金子氏の挙げる1億人を数値目標とし、増子化は、約30年後の2035年に1.80という目標でよいと思う。すなわち、「適正人口1億人、老若男女共生社会への転換、30年後、1.80の増子化」を目標とすることを支持する。私は専門家ではなく、数値分析はできないので、考え方として支持するものである。

金子氏の「子育て基金」の提案については、社会の全構成員が子育てに参画する一環として、直接経済的な負担も負うという考え方に同意する。ただし、負担の金額や子育てのための支援金の配分の仕方については、他の方策と合わせて、総合的に算出するとよいと思う。

他の方策とは、私の考えるもので、家族を重視し、家庭の機能を回復・強化するような方策である。脱少子化という目標は、家族を再生するような方策によってこそ実現すべきものである。

以下がその案である。
 
@保育所中心の保育ではなく、家庭中心の育児の促進に切り替える。
A必要最小限の保育所を除き、保育所の整備にかけている費用を、家庭育児の援助に回す。
B家庭での育児も労働とみなし、賃金収入に当たる分を減税・補助金で補う。年金の払い込みを免除し、期間に加算する。
C特に子供が3歳くらいまでは、母親が家庭にいて子育てができるように金銭的な支援をする。
Dパートタイム労働とフルタイム労働の賃金差をなくし、子育てをする人は短時間の労働でも収入を得られるようにする
E個人単位ではなく、夫婦単位でのワークシェアリングを取り入れる。
F小学生までの子供をもつ人は、午後早く帰宅して、お迎えや下校時の保護、夕食作りに当たれるようにする。
G女性が子育ての期間休職しても、復帰のときに同じ条件とする。

H中学以上の年齢の子供についても、補助金等考慮する

I親学を振興し、高校・大学では必修とし、また社会人教育で講習を行なう。

 こうした政策の多くは、私の独創ではない。諸外国で実施された例があったり、または既に有識者が提案していたりするものである。

 わが国は膨大な財政赤字を抱え、かつ赤字が膨らみ続けている。だから、新たにこうした政策を行うのは、現実的でないと考える人があるだろう。しかし、現在政府は毎年10兆円近い予算を使って、男女共同参画政策を行っている。多くの建物・施設をつくってさまざまな活動をしているが、これは少子化の改善にならないし、それどころか、逆に少子化を助長している。そういう予算の使い方はやめるべきである。その予算を、脱少子化に回すべきである。

 私の発想は、林道義氏に多くを負っている。林氏は、『家族の復権』『父性の復権』『母性の復権』『主婦の復権』など復権シリーズの著作で知られる心理学者である。
 林氏は、名著『家族の復権』(中公新書)に、次のように書いている。
 「いま日本は大きな曲がり角に立っている。すなわち個人を単位にして国作りをするか、家族を単位として国作りをするかの分かれ道である。
 個人を単位とすれば、家族生活の大部分を『外注』し、育児も介護も『社会化』し、夫婦も別姓を名乗り、親子の絆も薄くなってゆくだろう。家族の絆は確実に薄くなり、または壊れていくであろう。この道は財政上の負担を増やす増税への道でもある。
 家族を単位とすれば、子供は家庭の中で育てられ、老人は家族の中で暮らして自分の家で死ぬことができる。親子の連鎖と情愛は密接になり、家族の絆は強まる方向に作用するであろう。国家財政への負担は少なくなり、その分、減税が可能になる。(中略)家族を単位とすることによって初めて国家も健全な形で存在していかれるのである」と。

 本書『家族の復権』は少子化を主題としたものではなく、その点も含めて「家族の復権」を提唱するものゆえ、引用文において、氏は育児だけでなく介護にも触れている。
 林氏が本書に「いま日本は大きな曲がり角に立っている。すなわち個人を単位にして国作りをするか、家族を単位として国作りをするかの分かれ道である」と書いたのは、平成14年(2002)12月。平成11年6月に男女共同参画社会基本法が作られて、全国にジェンダーフリーの嵐が吹き荒れていたころだ。また平成13年4月に小泉政権が発足し、少子化対策の名の下に、経済優先・個人主義・フェミニズム的な政策を強行して、1年半ほどたち、その欺瞞性が明らかになっていたころである。
 林氏は、こうした状況の危機を最も深くとらえた日本人の一人であり、国民に強く警告するとともに、具体的な改善策を提示し、また行動もしてきた。
 私の本稿は脱少子化を主題としているので、ここではその点にしぼって氏の著書を参考にするが、現代日本における家族の大切さに気付いた人に、必読の書としてお勧めしたい。

 具体的な説明は次章で述べる。
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11章 家族再生型の方策は可能だ

 

脱少子化をめざす方策は、経済優先・個人主義・フェミニズム的でなく、家族を重視し、家庭の機能の回復・強化を図るものでなければ、効果は上がらないと思う。

家族再生型の方策の策定には、政府・企業・労働者の三者を中心とした国民的な合意が必要である。日本再建のための大方針をしっかり立て、政府・企業・労働者のそれぞれが責任と役割を果す、言い換えれば負担を分かち合う覚悟を共にしなければ、有効な方策は実行できない。そうした国民的な合意を形成できるかどうかは、日本人が日本の精神的伝統を取り戻すことが出来るかどうかにかかっていると私は思う。

以下、方策について説明する。


@保育所中心の保育ではなく、家庭中心の育児の促進に切り替える。


 従来の政府の少子化対策は、保育所の拡充によって「仕事と家庭の両立」をできるようにすれば、女性は働きながら子供を産むだろうと考えていた。しかし、保育所が完備普及している北欧諸国でも、少子化の傾向は他の先進諸国とほとんど変わらない。保育所一辺倒の少子化対策は、専業主婦を差別したことによって、かえって少子化を助長している。

考え方を変え、保育所は必要最小限にとどめて、基本を家庭育児に移すようにする。家庭での育児に対して、できるだけ経済的に有利になるような制度をつくる。子供を産み育てようという女性、できれば家庭で子供を育てたいという女性を支援することにより、増子化が期待できると思う。


A必要最小限の保育所を除き、保育所の整備にかけている費用を、家庭育児の援助に回す。


 家庭で育児をしている家族には税の優遇策をとる。家庭育児に対しては、社会的施設で行なわれる育児と同等の補助金を与える。

林道義氏は、今の保育所に行っている援助をやめて、家庭で育てている母親への援助にその分をまわすとよいという。氏は、「現在の制度では、子供を保育所に預けている親は、おおざっぱに計算して乳幼児一人当たり平均月10万円くらいの補助を受け取っていることになる。子供二人なら20万円である。これだけの金額を親に直接振り分ければ、母親は働かなくても、家で子供を育てることは十分に可能である」と述べている。

予算的には、保育所施設に投資し保育士を雇用し長時間労働の賃金を支払うよりも、家庭育児に補助金を出す方がはるかに安くつくだろう。


B家庭での育児も労働とみなし、賃金収入に当たる分を減税・補助金で補う。年金の払い込みを免除し、期間に加算する。


 外に働きに行かないで家庭で育児をしている場合は、社会保険料を払わなくとも払ったと同等とみなし、年金の期間に加算する。


C特に子供が3歳くらいまでは、母親が家庭にいて子育てができるように金銭的な支援をする。


 現在の制度は、国が乳幼児の母親も働かせるという原則で政策を立てている。これを逆に乳幼児の母親は働かせないという方針で、政策を考える。3歳くらいまでの乳幼児の母親に対しては、国が経済的な援助をして、できるだけ働かなくてもいいようにする。

育児は国事である。


Dパートタイム労働とフルタイム労働の賃金差をなくし、子育てをする人は短時間の労働でも収入を得られるようにする。


 親が家庭で子供を育てることを可能にする労働形態を創造し、普及させる。女性が家外で働く場合でも、仕事と家庭や育児とを両立できる働き方を提供する。両立といっても、子供を保育所に預けて母親が長時間労働することは、真の両立ではない。

乳幼児を保育所に預けて母親が働きに出るのは、親が行なうべきしつけや、基本的な家庭教育が不十分になる。子供が一人ぼっちで食事をする「孤食」も増える。こんなことでは、子供が心身ともに健やかに成長できるわけがない。親が家庭において自分の手で子供を育てることができるような制度を整え、それが増子化につながるような方策を行なうべきである。

日本人は長時間猛烈に働く。男性はそれでいい。女性の一部にはそういう人がいてもいい。しかし、近年わが国が取ってきたのは、乳幼児や児童を持つ母親までも同じように働けるようにするという発想だった。そのため、働く女性が保育所に子供を幼い時から長時間預けられるようにするという方策の一辺倒になった。これは少子化を助長した。8時間の保育時間が12時間、13時間の保育となり、さらに24時間対応の保育所まで出現している。

こんなことで母子の愛情豊かなふれあいができるわけがない。子供は母親の愛情を受けることにより、心身ともに健全に成長できる。母親を剥奪され、母親から隔離されると、子供は、泣くことさえやめ、ふさぎ込み、成長が遅滞してしまいさえする。

これまでの固定的な労働形態でなく、もっと柔軟で多様な労働形態に切り換える。子育て中の女性は、一人当たりの労働時間を短くし、かつ時間当たりの賃金を、フルタイムの労働者とパートタイムの労働者で同等にする。短時間労働者も正社員並みの待遇を保証する。

そうすれば、家庭で子育てをする人は、自由に柔軟に労働時間を決めることができる。これは、家庭での親の介護にも適用すれば、高齢者にも優しい方法ともなるだろう。

 

E個人単位ではなく、夫婦単位でのワークシェアリングを取り入れる。


 「フルタイムー保育所」方式から「パートタイムー家庭保育」方式へと発想を転換する。父母の働き方を組み合わせ、夫婦単位で労働を考え、二人で一つの単位と考える。

 夫婦単位で労働時間を減らして、しかも時間当たりの賃金を正社員並みに確保すれば、夫婦二人が1.5人分働いて、手分けして育児や介護に当たることができる。それでも不十分な分だけ国や自治体が補助するようにする。


F小学生までの子供をもつ人は、午後早く帰宅して、お迎えや下校時の保護、夕食作りに当たれるようにする。

 

労働形態を多様化し、夫婦単位のワークシェアリングを導入すれば、午後早く帰宅して、お迎えや下校時の保護、夕食作りをすることも可能になる。子供は帰宅したときに、家族が迎えてくれることが、心の癒しになる。できれば母親がいればよいが、夫婦で交替で家にいるようにしてもよい。

 

G女性が子育ての期間休職しても、復帰のときに同じ条件とする。


 小学生を持つ母親、特に3歳までの子供を持つ母親が職場復帰をする際、雇用条件を配慮する。

 

H中学以上の年齢の子供についても、補助金等考慮する

 

たくさん産んで育ててもらうには、子供が大きくなったときの教育費等の負担について考慮しなければならない。そこで、補助金等を考慮する必要があると思う。私は「子育て基金」については、中学生以上の年齢の子供を対象とするとよいと思う。その際、第1子より第2子、第2子より第3子というように、後の子供ほど公的扶助を厚くするようにするとよいと思う。

これに関連して、わが国の社会保障費の相当部分が医療費である。日本は世界最高水準の医療保障を実現しているが、国民の実態は病人・半病人が多い。国民が健康面の自己管理を怠り、簡単に医者にかかって医療を受けるような生活をしているので、医療費がふくらみ、国家財政を圧迫している。これでは「少子高齢社会」ではなく、「少子高齢病人社会」になりかねない。私は国家目標として「健康社会」をめざし、国民の健康管理をうながし、医療費を削減して、歳出を削減し、その一部を青少年の育成にあてるとよいと考える。高齢者が健康になればなるほど、子育てにお金を回せるという仕組みである。


I親学を振興し、高校・大学では必修とし、また社会人教育で講習を行なう。

Iは経済的な方策ではなく、教育的な方策である。@〜Hは、教育的な方策が同時に実行されてこそ、有効なものとなる。

日本を立て直すには、しつけからやり直す必要がある。それには、しつけのできる親を育てる必要がある。親になるための勉強、親が親らしくできるようになるための訓練、言い換えると「親学(おやがく)」が求められている。これこそ、現代社会に最も求められているものではないか。


 人間は他の動物に比べ、本能と学習の関係が複雑で微妙になっている。本能のある部分は、後天的に生活環境のなかで発現するようになっており、また学習によって身につけていく部分が非常に大きい。

アヴェロンの野生児のように、人間の子であっても、狼に育てられれば、言葉を話せないどころか、二足歩行すら出来ない状態になる。それが、人間である。子育てについても、後天的に子供の育て方を学ぶことのできる環境がないと、うまく子育てができない。昔は大家族で、自分の弟や妹が生まれると、親が育てているのを見たり、あるいは自分が子守をしたりした人が多かっただろう。それが記憶して蓄積された。また、自分が親となったときには、同居している自分の親や祖父母から育て方を教えてもらいながら、子育てができた。しつけにしても、親だけではなく、祖父母や親戚・地域の大人など、総がかりでなされていた。おそらく人類は、そういう仕方で、何万年、何十万年とやってきたのだろう。

 

ところが今は、急速に核家族化が進み、世代間の経験知の伝承が家庭でうまくなされなくなっている。それに加えて、共稼ぎの家庭が多く、母親が家庭にあって子育てに専念できないケースが増えている。また地域の人間関係も希薄になってきている。こうした家庭と社会のかつてない変化に対応して、家庭教育のあり方を補強するものを打ち出す必要がある。そういうものとして、私は「親学」に注目する。

たとえば、地方公共団体や大学で、子供を持つ人や、これから親になるような人たちに「親学講座」をする。保育園・幼稚園では、親や祖父母に対して「しつけ講座」をする。高校の家庭科や大学の一般教養で「親学」を教える。方策はいろいろあると思う。運転免許の場合、交通安全のために更新のたびに講習をするが、ビデオ一つ、冊子一つ見るだけでも、人の意識は変わる。

子育て期間中として減税・補助金支給・年金払込免除等の優遇を受ける人は、この講習を受けることを必須する。

子供の問題のほとんどは、親に問題がある。子育てに自信がなく、子育てがうまくできないとか、子供をつくることに関心がなく、育てることにも関心がないとかいう若い人たちが増えている。学校教育・社会教育を挙げて、「親学」の振興を真剣に行なうことが、日本の教育の改革、そして日本国の再建に欠かせない。「親学」の振興を、教育基本法に盛り込むことを、私は提案する。

教育基本法に「親学」を盛り込むべし、とまで言っているのは、まだ私だけかもしれない。しかし、親殺し・子殺しの増大、人類社会で前例のない少子化とこれに重なる劣子化を見たり、また若い親たちの言動を見たりするにつけ、早急に「親学」の振興・普及が必要だと強く思う。

親学の振興は、家族の復権を促し、家庭の機能の回復・強化となり、ひいては増子化にもつながると思う。

 

以上10の方策を述べた。これらはすべて、憲法の改正、教育基本法の改正(補註:私は新教育基本法の再改正を提案している)、男女共同参画社会基本法の老若男女共生社会基本法への作り変えを行なうことを前提としている。繰り返しになるが、ここでも改めて強調したい。

脱少子化のために、現行の憲法・関係法のままでもできる部分はあるだろうが、効果は半減またはそれ以下となると思う。脱少子化と日本の再建は一体の課題であって、憲法から変えることが絶対不可欠である。 ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「親学を学ぼう、広めよう

参考資料

・「親学会」のサイト

http://www.oyagaku.jp/index.htm
・親学会篇『親学のすすめ―胎児・乳幼児期の心の教育』(モラロジー研究所)

 

 

第12章 オランダの事例

 

家族を大切にする制度を実行して、経済復興をなしとげた国が、オランダである。「オランダの奇跡」といわれる。脱少子化という点では、顕著な成功例というわけではないが学ぶべき点があると思う。

拓殖大学教授の長坂寿久氏の著『オランダモデルーー制度疲労なき成熟社会』(日本経済新聞社)は、そうしたオランダの例を伝えている。私が先に挙げた経済的な方策のいくつかは、彼国に前例がある。

 

オランダは1980年代にはヨーロッパで最悪の経済状態を示していた。財政状態は破綻して巨額の財政赤字を生み、国際競争力は低く、失業率は二桁。税金は高くなり、労働組合運動は激化し、深刻な危機状態にあった。「オランダ病」という言葉があった。それが90年代になると一変し、ヨーロッパ一の経済優等生になった。これを「オランダの奇跡」という。

この間、毎年、EU平均を超える成長を続け、ユーロ圏11カ国で最初に財政赤字の基準値を達成した。99年には、財政が25年ぶりに黒字に転じた。失業率は、他のEU諸国が10%前後なのに比べて、ずっと6〜7%を維持し、99年には3・1%にまで低下した。


 オランダが成功したのは雇用改革による。ワークシェアリングをうまく導入したのだ。フルタイム労働とパートタイム労働の差別を撤廃した。96年に法律で1時間あたりのパートタイム労働の賃金はフルタイム労働と同一にしなければならないと決めた。またフルタイムの労働時間を短くした。

こうして労働時間差差別の廃止、労働時間短縮等によって、労働市場に柔軟性を持たせたところ、パートタイム労働者が急増し、いまやサービス産業を中心に、全労働人口の3分の1がパートタイマーであるという。パートタイマーはフルタイムワーカーと同じ地位が与えられ、昇進や社会保障、組合参加などで差別されることはない。

こうした雇用改革は、政府・企業・労働組合の三者が合意を結び、賃上げ抑制、時短、減税、財政赤字削減などに取り組んだ結果、実現した。


 人々は三つの働き方から自由に選択する。週36〜38時間労働で週休2日の「フルタイム労働」、週30〜35時間労働で週休三日の「大パートタイム労働」、週約20時間労働の「ハーフタイム労働」の三つである。いわゆるアルバイトは「フレキシブル労働」という。

このように労働形態を多様化して、ワークシェアリングを取り入れたことにより、雇用が増え、失業率が低下した。人々は、人生の多様な局面に応じて、自由に働き方のパターンを選択できるようになった。また夫婦共稼ぎによって家族所得が増えた分、消費が増大し、経済が成長した。


 オランダモデルの私が最も注目する特徴は、家族を基盤とし、家族の絆を強めることができるシステムだという点にある。

共稼ぎというと、今までは二人がそれぞれフルタイムで二人分の時間働くという方式しか考えられなかった。これに対し、オランダ人は、二人で1.5人分の時間働けばいいという考え方をとった。あとの0.5人分の時間は、育児、疾病ケア、介護、趣味などに当てるのである。最大の長所は、親が子供と一緒にいられる時間が増えた点にある。それによって家族の絆が強まった。経済政策として実行したことが、結果として家族政策としても成功したわけである。


 次に、本稿の主題である少子化という点を見ると、オランダの合計特殊出生率は、1980年代から1990年代の初めには、1.53から1.60だった。それが、2000年代には、1.70代へと微増した。雇用政策が少子化にも顕著な効果を生んでいるとは言えないが、いまや1.26(平成17年度)にまで出生率が低下したわが国にとって、オランダの道には参考にできるところがあると思う。

金子勇氏は、増子化の数値目標を1.80とする際に、フランスの例を参考にしていた。しかし、フランスの場合は婚外子が多い。結婚によらない男女関係で生まれる子供が多いのだ。子供の数が増えても、母子家庭や父子家庭が増え、または親から見捨てられた子供が増えるのでは、新たな社会問題を生じることになる。

わが国は、夫婦・親子・祖孫という家族のつながりを強化しつつ、増子化ができるのでなければいけない。国情や国民の価値観が異なり、一概には言えないものの、オランダは伝統的に婚外子が少ないことにおいて、わが国と共通点があり、フランスより考え方が近い。

脱少子化方策が経済的に負荷の大きいものであったら、実行は難しい。しかし、オランダの例は、経済の好転、家族の復権、少子化の改善を同時に実現する道がありうることを示唆している。

もう一つ特筆すべきは、オランダの場合、家庭出産が多いことである。1979年から自宅出産が35%前後で安定しているという。オランダは助産師先進国といわれ、助産師の85%が開業助産師だという。助産師と家庭医と産科医の三者の関係を決めたガイドラインがあり、健康面に問題のない人は家庭で多く出産し、リスクのある人には病院が対応しているという。

わが国では、昔はお産といえば、自宅に産婆さんが来て産むものだった。ほとんどが家庭出産だった。戦後、アメリカの占領期間に、日本人の出産を見たアメリカ人が、こんな不衛生なことをしているのかと誤解し、GHQによって施設出産に切り換えさせられた。その結果、病院で出産するのが、普通となり、ほとんどの人が病院で出産するようになった。助産師のほうもほとんどが病院勤務をし、助産所をしていても家庭出産を受ける人は少ない。

近年、自然分娩を希望する女性が増え、また家庭出産を希望する人も極少数ではあるが増えつつある。私自身は、自然分娩の可能な人は、是非お勧めしたい。家庭出産は、それを受けてくれる助産師が近くにいれば、可能であるが、近くにいなければ、出来ない。もし事情が許せば、自然分娩でかつ家庭で出産できることは、お産の理想的なあり方だろう。

この点でも、ワークシェアリングの導入という方法は、家族の絆を強め、親による子育てを促進しうるだけでなく、家庭出産の実現にも有効だろう。

 

脱少子化は、単に子供が多く生まれればよいというものではない。その子供が、明るく暖かい家庭で育つような家庭環境・社会環境が必要である。脱少子化には、家族の復権、家庭の回復・強化と併せて取り組んでいきたいものである。ページの頭へ

 

 

結び〜日本が世界での役割を果すために

 

結びに、全般的なことを述べたい。

私が書くことは、大まかな方向や基本的な考えである。専門家ではないので、分析や方策は粗雑だろうが、従来、政府がやってきたことがまともなものとは、到底思えない。それゆえ、拙稿は、国民同胞に問題の認識と発想の転換を呼びかけるところに眼目がある。

現在のわが国の社会は、もの中心、お金中心、個人中心、権利中心の世の中である。その傾向は1990年代以降、ますます顕著になってきている。アメリカ型の自由主義・個人主義・市場原理主義の弊害は、わが国の伝統・精神の破壊や格差の拡大等だけでなく、少子化の進行にも現れている。

このしわよせは、どこに行くか。子供たちに行く。さらにその次の世代には、もっとしわよせが行くに違いない。

少子化・高齢化・人口減少は三位一体となって進んでいく。いま目標を立て、ビジョンを描き、方策を実行しなければ、日本国及び日本民族は衰退の道をたどることになる。東アジアの厳しい国際関係を考えると、亡国・自滅の道をたどると言った方がより正確だろう。

 

この日本の危機は、もの中心、お金中心、個人中心、権利中心の価値観から、いのち、心、家族、共同互助を中心とする価値観へと、文明の原理を転換しないと、改善・解決されないと思う。

 

世界全体で見れば、少子化の問題は人口問題のひとつである。地球人類の人口問題は、発展途上国における人口増加と先進国における少子高齢化に特徴がある。

資本主義が発達し、近代化が進む17世紀半ばから、欧州で人口が増加し始めた。18世紀半ばイギリスで産業革命が始まり、人口増加が加速した。マルサスの『人口論』はこの世紀の末期に書かれている。17世紀半ば以降の時代の人口増加は、人類史の中で特異な現象だったのだが、それでも当時5億だった人口が10億になるのに200年かかった。増加はまだまだ緩やかなものだった。

世界人口が急激に増えだしたのは、1950年代以降である。発展途上国を中心に「人口爆発」といわれる現象が始まった。発展途上国も近代化の過程に入ったからだろう。1950年(昭和25年)に25億だった人口が、1987年(昭和62年)には50億に倍増した。今は70億くらいになっている。これから人口100億の段階に入っていくだろう。

 

地球全体において、どのくらいの人口が適正人口といえるのか、私はまだわからない。環境破壊や他種の絶滅という点からは、既に人類は増えすぎているという見方もできよう。逆に自然環境と調和する文明に転じ、食糧やエネルギーの配分を公平にすれば、諸国民・諸民族が共存共栄する地球社会を建設可能という考え方もできる。

私は後者の考えに立つ。そして、こうした地球社会を建設するため、日本には重要な役割があると信じている。それは、日本文明の中には、人と人、人と自然が調和して生きる生き方があるからである。そして、日本人はこうした可能性のある国を自ら滅ぼしてはならない。日本人は日本を再建し、世界と地球に貢献できるよう最善を尽くさなくてはならないと思う。これは、日本及び日本人に課せられた使命であると思う。

こうした認識と自覚をもって、私は、日本精神の復興とそれによる日本の再建を訴えている。また再建を目指して、憲法、家庭、教育、国防、外交等について拙論を述べている。脱少子化についてもその一環として私見を述べたものである。

 

保守的・良識的・愛国的な人々の中で、脱少子化について踏み込んだ意見を明らかにし、具体策を語っているものは少ないように思う。しかし、少子化の問題を放置して、皇室も歴史も、憲法も財政も、国防も外交も、家庭も教育も論じ得ない段階に、わが国は既に入っている。むしろ、脱少子化を中心課題においてこそ、国家的な課題を真に論じうるとさえ、私は思う。他の諸問題がいくら改善されても、その間、少子化が改善されないと、国家・社会の全体がじわじわと傾いていくだろうからだ。


 脱少子化と日本の再建は一体の課題である。日本を愛する人々、特に若い世代の方々には、この課題について是非、ともにお考えいただきたいと思う。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「脱少子化と日本再建は一体の課題

参考資料

・金子勇著『少子化する高齢社会』(NHKブックス)

 

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