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  家族・教育

                       

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■食と健康と日本の再建

2007.3.13

 

 <目次>

  はじめに

第1章 なぜ今、食育か

第2章 現代日本の食の危機

第3章 日本人の健康と食とのかかわり

(1)食の乱れを表わす「食」

(2)生活習慣病の増加

(3)生活習慣病の低年齢化

(4)自給率の低下と大量投棄の矛盾

第4章 食育基本法とは

(1)基本法制定の必要性

(2)食育基本法の内容

第5章 食の危機の原因と方策

(1)健康面

(2)家庭面

(3)伝統面

(4)自然面

(5)国家面

結びに〜食と健康と日本の再建は日本精神の復興から

 

 

 

はじめに

 

食の問題は、安易に考えられがちだが、奥が深い。健康・家庭・伝統・文化・財政・安全保障・自然環境など、さまざまな問題につながっている。現代日本の諸問題は、食に集約されているという見方さえできる。食と健康を立て直すことは、日本の再建には欠かせない。

わが国の食の危機を確認し、食育の重要性について、以下考えたい。

 

第1章 なぜ今、食育か


●食育とは


 食育とは何か。平成17年7月に施行した食育基本法では、定義が明確ではない。前文には「『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる」という表現がある。とりあえず、これに従って、食育とは「食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる教育」と理解しておこう。

この食育について、食育基本法は、「食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付ける」とし、「家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいく」としている。

同法のもと、内閣総理大臣を会長とする食育推進会議が設置され、都道府県・市町村には各レベルの食育推進会議が設置されている。そして、それぞれ食育基本計画を立て、実施することになっている。

たかが食に大げさな、と思う人も多いかもしれないが、日本の食の危機を知れば、むしろ取り組みが遅すぎたことに愕然とするだろう。


●日本の再建に食育は不可欠


 私は、日本の再建のために、日本精神の復興を呼びかけているが、健全な精神は健全な身体に宿るとともに、健全な身体は健全な精神によって養われる。日本を立て直すには、精神面だけを考える唯心論ではいけない。もちろん身体面だけを考える唯物論はもっといけない。日本人のあり方は、精神面だけではなく、心身両面で改善されなければならないと思う。心身の調和、物心の調和こそ実現すべき目標である。ページの頭へ

 

 

第2章 現代日本の食の危機

 

●飽食の中での食の危機


 日本人は、戦後の焼け跡と飢餓から立ち上がって、経済を復興させ、高度経済成長を成し遂げた。豊かになった日本人は、「飽食」といわれるほど、贅沢な食生活を送っている。現在、世界の人口は約60億。そのうち、食べ物に困っている人が8億人。日本人の人口の7倍もいる。5歳になる前の子どもたちが、1日に1万1千人餓死しているという。

 ところが、日本列島では、豊かになった食が原因で、健康を損ない、子どもたちの心身がむしばまれている。今やわが国は、食の建て直しを国民的課題としなければならないような危機的状況に陥っている。その危機に対応するために、平成17年6月に、食育基本法が成立した。


 食育基本法は、前文の冒頭で、「二十一世紀における我が国の発展のために」大切なこととして、「子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにする」こととともに、「すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすること」の2点を挙げている。こうしたことを法律に謳わねばならないほどに、食の問題が深刻化している。

 食育基本法は、現代日本の食に関して、以下のような問題点を挙げている。


・栄養の偏り

  不規則な食事

  肥満や生活習慣病の増加

  過度の痩身志向

  「食」の安全上の問題

  「食」の海外への依存の問題

  地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機


 こうした問題に取り組むため、食育が提唱されているわけである。食は、健康、生活、精神にいたるまでの、生きるために必要な基盤である。食が乱れると、心身の働きが乱れ、生きる力が損なわれてしまう。食が乱れると、家庭が乱れ、社会も国も乱れる。わが国の危機の実態と対応について、以下、具体的に述べていきたい。ページの頭へ

 

 

第3章 日本人の健康と食とのかかわり

 

 現代日本の食の問題は、広範囲にわたって生じている。そのうち、数点にしぼって具体的に述べたい。以下は問題の例示であって、事の深刻さを確認するためのものである。

 

(1)食の乱れを表わす「食」


 かつて日本の家庭では、毎日の食生活を通じて、親から子へ、祖父母から孫へ、食の基本を伝えることが自然にできていた。しかし、現代では、家庭で、食の知識・技術が伝承されなくなってきている。核家族化、女性の社会進出、共稼ぎ、家族それぞれの生活行動の多様化等により、食を介した家族のかかわりが減り、家族が食事をともにして、団欒の時を過ごす機会が少なくなっている。家族のあり方の変化、家族関係の変質が、食事の習慣や行動の乱れの大きな原因となっている。


 今日の日本人の食の乱れを表わす言葉に、「こ食」がある。「こ」のところに、いろいろな漢字を入れると、食の乱れ方がよくわかる。


【孤食】 朝食を一人で食べる子どもが増加している。子どもが一人ぼっちで夕食を食べることもある。しかもコンビニの弁当だったりする。

【小食】 食べる量が少ない。痩身願望の強い若い女性が、細くなりたいと願って、食べる量を極端に抑えて、健康を害している。

【個食】 家族がそれぞれ自分の好きなものを食べる。同じ献立をともに食べるのでなく、思い思いのものを食べる。同じ料理を一緒に味わう機会が減っている。

【粉食】 粉を使った主食を好んで食べる。御飯に味噌汁という、日本人の伝統的な食事ではなく、パンやスパゲッティ、パスタ等を食べることが増えている。

【固食】 自分の好きな決まった食べ物、固定したものしか食べない。家族で食事をともにすることが少ないので、子供は注意されないから、偏食になる。

 

(2)生活習慣病の増加


 今日の日本では、大病院が建ち、テレビに薬のコマーシャルがあふれ、製薬業界は潤っている。それなのに、いっこうに病気は減らない。世界的な長寿国である反面、病人が多く、「1億総病人時代」ともいわれる。

 病気の原因には、病原菌や有害物質、遺伝的な要素などが挙げられる。それとともに、食事、運動、休養、嗜好などの生活習慣も、病気の原因となる。かつて成人病と呼ばれていた病気は、今日、生活習慣病と呼ばれている。それは、生活習慣が原因となっている病気が多く、大人に限らず、子供にまで広がっているからである。糖尿病、高血圧、ガン等の低年齢化が進んでいる。


 生活習慣病には、糖尿病、高血圧、高脂血症、歯周病などが上げられる。我が国では現在、690万人が糖尿病と推計されている。予備軍を含めると1,400万人ともいわれる。10人に1人以上だ。また、高血圧、高脂血症の人々の数は3,000〜4,000万人と推定される。こちらは、3〜4人に1人だ。日本人の3大死因であるガン、脳卒中、心臓病の発症や進行にも深く関わっているのが、生活習慣病である。生活習慣病で死亡する割合は、全死亡率の約60%を占める。病気になるような生活をしているから、病気になるのである。

 病気を防ぐには、早期発見や早期治療だけでは、足りない。むしろ、生活習慣の改善を中心にした健康増進・発病予防が重要である。病気にならないような生活を心がけることである。

生活習慣病の原因には、栄養、運動、休養、たばこ、アルコールの5つがあげられる。本稿は、食育を主題としているので、食生活の問題点について触れたい。


 食生活のあり方によっては、健康で長生きができる。逆に、食生活のあり方が病気を生み出しもする。食が病気の原因になっている病気を 「食源病」ともいう。

今日の日本人は、食の豊かさが、食の乱れを生み出し、食の乱れによる生活習慣病が深刻になっている。その一例として、大腸ガンの増加がある。日本人は欧米人より腸管が2メートルほど長い。古代から、繊維質が多い穀類や野菜といった植物性食品を主に食べてきたから、それに適した体のしくみになっている。そういう消化管の構造を持ちながら、肉食をすると、腸内菌の働きで発ガン性のものができ、それが長く腸に接触する。その結果、便秘やガンになりやすくなり、特に大腸ガンの主要原因になっていると見られている。

 

(3)生活習慣病の低年齢化


 生活習慣病の問題で重要なのは、生活習慣の乱れが子供に広がり、子供の心身の健康が損なわれていることである。近年子供に多い病気・症状を年齢別に挙げてみると以下のようになる。


【授乳期】 食物アレルギーや便秘、下痢

【幼児期】 偏食、食欲不振、肥満、瘠せ、貧血

【学童期】 肥満、瘠せ、虫歯

【思春期】 肥満・生活習慣病、貧血、摂食障害、骨粗しょう症、深刻な食物アレルギー


 こうした症状の多くが、生活習慣に原因を持つ。生活習慣の乱れによる症状を持った子供は、そのまま成長を続けると、心身の健全な発達ができなくなる。成人しても、健康な心身を持ち得ない。

 生活習慣病の低年齢化の原因には、生活のリズムの乱れ、不自然な生活環境、環境の汚染、親共々の夜更かし、野外での遊びをしないことによる運動不足、ゲームのやりすぎ等、いろいろな原因があるだろうが、食という点も重要である。日本の子供たちは、食べ物に恵まれすぎて、逆に病気になっているとも言える。


 私が懸念していることの一つは、母乳で子どもを育てられる女性が減っていることである。母乳で育児のできる人が、約30%になった。10人のうち3人しか、自然な仕方で子どもを育てられない。これは粉ミルクのない時代だったら、10人のうち7人の子どもは、お乳を与えられずに死んでいくことを意味する。

 ここには、食の乱れが、生命力の弱さを生じている点があるだろう。母親が不健康だったり、生命力が低下したりすると、心身ともに弱い子供が生まれる可能性が高くなる。その子供の世代が親になって同じ傾向が続くと、次の世代はさらに心身が劣化する。そういう悪循環が見えてきている。これは、それぞれの家の子ども、子孫が劣化するだけではない。国民・民族の全体が劣化してゆくことを意味する。

 国民の健康を重視し、健康を基盤においた国づくりをしないと、経済的にはいかに発展・繁栄しようとも、わが国は国民の心身から衰退していくことになる。

 

(4)自給率の低下と大量投棄の矛盾

 

  自給率はわずか40%


 わが国の食料の自給率は、熱量に換算して40%という低さである。40%ということは、毎日の食卓に並ぶ食料の60%は、外国から輸入しているということである。

 カロリーベースでの食料自給率は、昭和40年には73%だった。それが、約30年後の平成10年には、40%となった。その後は横ばいで推移している。40%というのは、先進国の中では最低水準である。

 特に食料の中心となる穀物の自給率を重量ベースでみると、昭和40年には62%だったのが、平成15年には27%に低下した。今や3割にも満たなくなっている。人口1億人以上の主な国での穀物自給率は、我が国が最低である。

 米は自給率99%だが、小麦は9%である。小麦はパン、スパゲッティ、パスタ等に使われる。主食の米の消費が減り、小麦を使った食品が多く食されていることが、自給率を下げている。

 大豆は、味噌・しょうゆ・豆腐など、日本食には欠かせない。その大豆の自給率は5%と驚くほど低い。ちなみに野菜の自給率は86%、魚介類72%、肉類56%である。


 自給率の低さを示すわかりやすい例が、月見とろろそばである。月見とろろそばは、純和風の食事と考えられる。ところが、食材を分析すると、月見とろろそばの自給率は、33%しかない。

 

食品名

自給率(%)

消費熱量(Kcal

国産熱量(Kcal

ゆでそば

18

330

59

大和芋

100

60

60

10

81

ねぎ

98

みりん

99

47

47

しょうゆ

12

合計

33

531

175

  自給率は食品の消費熱量内の国産熱量の割合。

  自給率=(国産熱量÷消費熱量)×100


 上記の表は、そば、卵、しょうゆの自給率の低さが目を引くだろう。


その一方で食品を大量廃棄


 わが国の食料の自給率は、カロリーベースで40%しかなく、60%は外国から輸入している。日本人の飽食は、海外から食材を買い集めていることによって、もたらされている。

 その食材を十分利用しているかというとそうではない。わが国で1年間に排出される食品廃棄物は、約2千万トン(平成8年度度農水省推計)になる。これは、金額に換算すると11兆円にもなる。この金額は、平成12年度の農業総生産額に匹敵する。つまり日本で生産する農産物の総額とほぼ同じ金額の食料を、捨てていることになる。

 毎日食べている食材の60%をも外国から買っているのに、一方では食べずに大量に捨てている。これは尋常な状態ではない。「ありがたい」とか「もったいない」という感覚が薄れている。当然、日本人の食べ物に対する感覚は、麻痺しつつある。

 しかし、世界はこれから食糧危機を迎えようとしている。人口が爆発的に増え続けているとともに、発展途上国の食生活が欧米型に変化し、より多くの穀類・肉を消費するようになり、相対的な食料の不足を生じる。特に人口13億を抱える中国では、国民の食生活が急激に変化するとともに、環境破壊により食糧生産が低下しており、食材の輸入量が増えている。こうした諸条件が重なると、ある時点から地球的な飢餓の時代が始まると予測されている。

 こうした中で、飽食を続け、食の乱れによって病気になり、食糧の自給を怠り、食の恵みへの感謝を忘れた日本人は、大きく考え方を変えねばならないところにきている。 ページの頭へ

 

 

第4章 食育基本法とは

 

 日本人の食の乱れを正すために、食育は提唱され、基本法が制定された。

 

(1)基本法制定の必要性


 東アジアに発達した伝統的な医学では、食を重んじる。医食同源という言葉があるように、食のあり方に心がけることが健康に生き、長寿を得るために重要であり、病の治療においても食の改善が指導される。日本人の伝統的な食生活に変化が始まったのは、明治時代に西洋文明を摂取したことによる。

 西洋の食文化が流入すると、食のあり方が自覚されるようになった。食育という言葉は、明治の時代から用いられている。日本の食養医学の礎を築いた石塚左玄は、明治31年(1898)に、著書『通俗食物養生法』の中で、「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべき」と書いている。また、明治36年(1903)には当時の人気作家・村井弦斎が、報知新聞に連載した小説『食(しょく)道楽』の中で、「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも、食育がさき。体育、徳育の根元も食育にある」と記述している。


 しかし、大東亜戦争に敗戦するまでは、日本人は伝統的な食生活を保っていた。食生活に大きな変化が起こったのは、敗戦後のことである。占領下の日本で、国民は食うや食わずの生活をしていた。アメリカは日本に食糧援助をすることを通じて、日本人にパンを食べさせる政策を行なった。日本人は西洋の食文化を多く取り入れた。短期間のうちに、食事内容が大きく変わった。

 欧米型の食事への変化をもたらした原因の一つは、パン食の普及により、簡単に準備できるパン食を朝食として取り入れるようになったことにある。また、牛・豚等の哺乳類の肉を食べ、牛乳を飲むようになったことにより、日本人は動物性たんぱく質や脂質を多く摂取するようになった。その結果、身長が伸び体重は増えたが、その半面で血液が濁り、西洋人に多い病気を生じた。


 戦後約60年、食の乱れは進み、国民の健康、青少年の育成、農業生産等、重大な事態に立ち至った。ここにおいて、食の建て直しが急務となり、食育基本法の制定が行なわれた。

 食育基本法は、平成17年6月に成立した。同法は、食育について、基本理念を明らかにしてその方向性を示し、国、地方公共団体及び国民の食育の推進に関する取組を総合的かつ計画的に推進するために制定された。


 食育は、国民が、生涯を通じた健全な食生活の実現、健康の確保、食文化の継承等が図れるように行なうものである。子どもから高齢の世代までのあらゆる人たちに必要である。とりわけ子どもたちに対する食育は、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性を育む基礎となる。次世代の国民の育成おいて、食の乱れを正し、健全な食生活を確立することが求められている。

 

(2)食育基本法の内容


●前文の内容


 同法には、長い前文がついている。法律で前文があるものは、教育基本法以外なかった。食育基本法に前文がつけられたということは、立法府が同法を非常に重要なものとしていることを示している。

 食育基本法は、前文で冒頭、「二十一世紀における我が国の発展のために」大切なこととして、「子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにする」こととともに、「すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすること」の2点を挙げる。


 子どもたちについては、「健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにすること」、すべての国民については、「心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすること」を挙げている。


 私見を述べると、上記の考え方を推し進めれば、健康と生命に基礎を置いた国づくりという理念に発展するだろう。憲法改正の際には、健康と生命に関する条項を盛り込むべきである。新憲法私案については、第5章の(5)で述べたい。

 
 食育基本法は、続いて、「子どもたちに対する食育」について述べ、「子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である」とする。「食」が、「豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付け」るために重要としている。

 ここで食育について、次のように述べる。「今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付ける」ことが求められている。また、それとともに、「様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進すること」も求められている、と。

 知育・徳育・体育は、それぞれ知を育てる教育、徳を育てる教育、体を育てる教育である。それに対し、食育は、食についての教育であって、食を育てる教育ではない。そして、食育をもって「知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置付けるというのは、一つの思想である。これは、石塚左玄・村井弦斎らの思想を継承するものだろう。

 今から100年以上前に唱えられていた食育の思想を、教育の基本方針にすえ、そのもとに国家的な取り組みをしようという国家方針を打ち出しているのが、食育基本法である。


 続いて、同法は、食育について、次ぎのように述べる。「もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。」と。

 食育を全国民の生涯教育の教育内容とする中で、特に子どもたちに対する食育の重要性を強調している。子どもたちの「心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるもの」が食育だという。


 次に、同法は、「食」に関する問題を列挙し、課題を掲げる。この部分の文章は、よく整理されていない。冗長で意味が取りにくいところがあるので、整理してみよう。

 食育基本法は、現代日本の食に関して、繰り返しになるが、以下のような問題点を挙げている。

 

・栄養の偏り

・不規則な食事

・肥満や生活習慣病の増加

・過度の痩身志向

・「食」の安全上の問題

・「食」の海外への依存の問題

・地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機

 

現代日本の「食」に関する課題としては、次ぎの諸点を挙げている。

・食生活の改善や「食」の安全の確保、日本の食文化の継承のために、「食」に関する考え方を育て、健全な食生活を実現する

・都市と農山漁村の共生・対流をし、消費者と生産者との信頼関係を構築する

・地域社会を活性化し、豊かな食文化の継承及び発展を行う

・環境と調和のとれた食料の生産及び消費の推進を行う

・食料自給率の向上を図る

・自然の恩恵や「食」に関わる人々の様々な活動への感謝の念や理解を深める

・「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力を身に付ける

 

 そして、これらの課題への取り組みを実践する方法として、以下の点を挙げる。


・家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組む。

・さらに、海外との交流等を通じて食育に関して国際的に貢献する。


 具体的には、


・家庭や学校、保育所等における健全な食習慣の実現を図ること

・地域や各種団体の自主的な食育活動の展開

・生産者や農山漁村と消費者との信頼関係の構築

・伝統的な食文化の継承

・食品の安全性

・食生活に関する調査研究の国際的な交流など


を挙げている。ページの頭へ

 

 

第5章 食の危機の原因と方策

 

 次に、一体どうして、わが国は食の危機に陥ったのか。次にその原因を検討し、改善・向上のための対策を考えたい。

 大東亜戦争の敗戦後、日本弱体化政策が行われた結果、日本人は自己の歴史を否定して、伝統・文化を軽視し、欧米模倣の思想・生活に陥った。それは、食に関しても同様だった。これに加えて、日本人は戦後、経済成長の中で、経済中心・もの中心の価値観に傾いた。健康や生命のことより、物欲や金儲けに走った。敗戦による日本弱体化と物質主義・拝金主義によって、祖先からの伝統や文化を失った日本人は、生命や精神を軽んじた生き方に陥っている。

 これが根本原因となって、日本の国家や家庭や青少年に、深刻な問題が噴出している。その一環として現れているのが、食の危機である。それゆえ、食の危機への対策は、その根本原因を踏まえたものでなければならない。日本人本来の考え方、生き方を取り戻すことなくして、日本人の食の危機は解決されない。

 

 私の見るところ、食の問題について、栄養学や医学の方から取り組んでいる人は、こうした国家的・歴史的な方面から考えない人が多い。一方、政治や歴史から日本の再建に取り組んでいる人で、食の危機を論じる人は少ない。

 この間の隔たりを埋めないと、どちらも片手落ちになると私は思う。日本の再建とは、日本の国家の再建であり、家庭の再建であり、また健康の再建でもある。その再建は、日本人の精神の建て直しから進めなければならない。このような問題意識から、私は、克服すべき課題のひとつとして食の危機もあると考える。それが、私の観点である。

 

 この観点に立って、以下、健康・家庭・伝統・自然・国家の5点に分けて、食の危機の原因と対策を考えてみたいと思う。

 

(1)健康面

 

●欧米型の食生活に傾き、食源病を生む

 

 わが国の食生活は、伝統的に主食であるご飯を中心に、魚や野菜、大豆から作る豆腐や納豆などの副食の中心とするものだった。大東亜戦争の敗戦によって、日本はアメリカによる日本弱体化政策による改造をこうむった。改造は、国家体制・教育・宗教から家族制度・生活文化にまで及んだ。

 アメリカ型の自由・デモクラシーの移植とともに、セックス・スポーツ・スクリーンの3S政策が行われ、アメリカ的・西洋的な食文化が移入された。日本は、アメリカの食糧の市場となり、小麦を中心とする農産物が大量に輸入された。戦後日本人の食文化の変化は、ここに淵源を持つ。

 

 食事内容が大きく変わり、畜産物や油脂などの摂取が増加した。これは、一面では、食事内容の向上となった。栄養学的に見れば、昭和50年ごろには、日本人のカロリー摂取量はほぼ満足すべき基準に達し、たんぱく質、脂肪、炭水化物のエネルギー比率のバランスが取れているなど、いわゆる「日本型食生活」ともいうべき理想的な食生活を達成した。

 問題は、その後も脂質の消費が引き続き増加し、米の消費が減少し続けたことにより、脂質の取りすぎと炭水化物の摂取量の減少が顕著になったことである。日本人の食事は、伝統的な日本食から欧米型の食事へと変化した。その食事が、健康によいものであるならば、日本人は食も西洋化することで、一層の「進歩」を体験できたかもしれない。実際はそうではなかった。欧米型の食事をすることによって、食源病が社会問題となってきたのである。

 

●マクガバン・レポートが問題点を指摘

 

 経済成長を続け、豊かさが膨らんでいく日本で、日本人の食事が欧米型に変化して行った1960年代(昭和30年代後半以降)。アメリカでは、突然死とガンが急増していた。当時、世界は、米ソ冷戦の時代にあった。アメリカ政府は、国が滅びる可能性があるとすれば、他国の軍事的脅威より、自国にはびこっているこの原因不明の病気である、と危機感を持った。そして、徹底的な原因究明を国家プロジェクトとして立ち上げた。

 昭和50年(1975)、マクガバン上院議員を委員長とする上院栄養問題特別委員会が作られた。同委員会は、3千人もの医療チームを結成し、過去150年もさかのぼって、環境・医療・食事など、さまざまな角度から調査した。2年間にわたる調査を経て、昭和52年(1977)に、マクガバン・レポートを発表した。レポートは、「合衆国の食事の目標」と題した栄養的な指針とともに、5千ページ及ぶ膨大な調査記録として公刊された。

 

 「ガン、心臓病をはじめ、多くの病気が増え続けている。そして進歩したとされるアメリカの医学を活用し、しかも巨額の医療費が注ぎ込まれているのに、アメリカ国民は病気ばかり増えてますます不健康になるばかりである。この原因を解明し、根本的な対策をたてないことにはアメリカは病気で滅んでしまう」「われわれは何か重要なことを見落としていたのではないか。また現代の医学が進歩していると考えること自体も間違っているのではないか」

 これが、同委員会が熱心に調査・検討を行った理由である。レポートが出した結論のなかで、最も重要なのは、次の点だった。

 

・ガン、心臓病、脳卒中などアメリカの6大死因となっている病気は、現代の間違った食生活が原因となって起こる“食源病”である。この間違った食生活を改めることでこれらの病気を予防する以外に先進国民が健康になる方法はない。

・現代の医学は薬や手術といったことだけに偏りすぎた、栄養に盲目な片目の医学であった。栄養に盲目でない医学につくりかえる必要がある。

 

 そして、マクガバン・レポートは、「最も健康によい食事は日本食である」と結んでいる。

 

●アメリカの模倣で食源病に

 

 日本人の食事が欧米型に変化して行った1960年代(昭和30年代後半以降)、アメリカでは、突然死とガンが急増した。上院栄養問題特別委員会は、昭和52年(1977)に、マクガバン・レポートを発表し、アメリカ人に食事の改善を呼びかけた。

 ところが日本人は、こうしたレポートが出された時期に、アメリカの後を追うように、食生活が欧米型に大きく変化したのである。その結果は当然のこととして、ガン、心臓病、脳卒中などアメリカの6大死因となっている病気が、日本でも増えた。マクガバン・レポートは、食生活を改めて病気を予防する以外に先進国民が健康になる方法はないと警告したが、日本人はそれを無視するように、食源病の道を進んだ。

 

 戦後日本は、アメリカを模倣し、欧米に追従した。食生活においても、模倣・追従を続け、国民が健康を自ら損なうという事態にはまり込んでしまった。これには、食生活だけではなく、西洋医学への過信と関係していると思う。私は、戦後日本人の食の乱れと、西洋医学への過信は、一体のものと見ている。食から話が少し広がるが、重要なことなので、触れておきたい。

 

●西洋医学への過信

 

 現在、多くの人は、病気になれば、医者へ行き、薬を飲み、手術をすれば良いと考えている。医者といえば、西洋医学の医師のことだと理解している。戦後日本では、大病院が続々と建ち、新薬が薬局で売られ、新聞やテレビには薬のCMが氾濫している。しかし、西洋医学には、多くの欠陥のあることが、欧米においてもわかってきた。その欠陥を補うために、シナやインド等の伝統的な医学が研究され、今日では代替医療の発達を見ている。

 真の日本精神を伝える運動を唱道された大塚寛一先生は、西洋医学の特徴として、物質的であること、専門細分化されていること、細菌恐怖症に陥っていることを挙げておられる。(註1

 

@物質的である

 西洋医学は人間を物質的に扱い、どこかが悪ければ、すぐ手術で切り取る傾向がある。その結果、手術の後遺症を抱えている人が多い。しかし、人体のどれ一つとってみても不必要なものはない。手術は万止むを得ない場合の非常手段である。人間は肉体と精神・生命の両面から成り立っている。人体を損なわず、生理機能を旺盛にして毒素のみを体外に出すことが最高の医学である。

 

A専門細分化されている

 西洋医学の病院では、内科、外科、小児科、婦人科、耳鼻科等の専門分野に分れている。それぞれ専門家がいて、専門の立場から治療にあたっている。しかし、人間の身体はそれぞれの臓器が別々に働いているわけでなく、相互に関連して総合的に機能している。そうした人間の全体を、総合的に見る必要がある。

 

B細菌恐怖症に陥っている

 西洋医学は、病気の原因として細菌やウイルスを追求する。しかし、人類発生以来、人間はあらゆる病原菌に触れてきた。それでも絶滅せず、むしろ人口が増えているのは、人間が細菌に打ち勝っている証拠である。病気になる人とならない人との違いは、抵抗力の違いによる。生命力が活発に働いていれば、細菌に触れても病気にならない。

 

 大塚先生が指摘されるこれらの西洋医学の特徴は、同時に西洋医学の欠陥を示すものでもある。こうした欠陥を補うために、精神の身体への作用に注目したストレスの研究や、生命力を高め病気にならないように努める予防医学が発達してきた。

 こうした点は、東洋医学が重視してきたところであって、わが国の伝統的な医学では、「病は気から」と言って、精神面の影響を重視していたし、また食事や生活習慣に気をつけて、健康長寿を願う養生法が推賞されてきた。

 

 戦後の日本人は、伝統的なものは古いというだけで何でも否定したが、医学・健康法の分野でも、それが起こった。今なお、多くの人は、医学迷信、薬物迷信ともいうべき観念に陥っている。人体に内在する生命力・自然治癒力を軽視し、薬物や手術に頼りすぎている。食に関しても、安易な食生活を送って、病気になれば、薬を飲み、手術をすれば良いと考えている人が多い。それが大人だけの話しならどうか知らぬが、子どもたちまでが健康を損ない、健全な成長が出来なくなったら、取り返しがつかない。日本国全体としても、国が傾き、衰える。こんな状態は、早く脱却しなければならない。

 

●薬物依存をやめ、医食同源へ

 

 病院に行けば、ほとんど必ず薬を与えられる。渡された人は、単純にそれが薬であり、薬を飲めば病気はよくなると信じている。しかし、薬とは本来、@病に適したものを、A適量に用い、Bその病が治る瞬間だけが薬である。薬は病に効いてこそ薬であり、誤り用いる時は、毒に変ずるものである。

 市販されている薬について、大塚先生の説くところに基づいて、@ABを考えてみよう。

 

@市販薬は鉱物性のものが多い

西洋医学の薬は、鉱物性のものが多い。鉱物性の薬は、体内に残留しやすく、長期間の服用は、かえって体の働きを弱めたり、新たな病気の原因となる。薬には主作用と副作用があり、長く服用すると、副作用を生じる恐れがある。

 

A年齢による平均値で適量を決めている

 統計による平均値で使用量を決める仕方は、人それぞれ抵抗力や体質が異なっているので無理がある。アルコールでも、一笑飲んでも平気な人があれば、少量でも真っ赤になる人がいる。薬の特定成分に過剰に反応する人の場合、平均値による量を与えられると、ショックを起こすことがある。

 

B健康保険制度により過剰投与の傾向がある

 現在の健康保険制度では、薬や注射に応じて点数を決め、使用量による出来高払いとなっている。そのため、医者は病院経営のために、薬を多く出す傾向がある。昔、医学は仁術と言われた。人への愛を行う方法である。しかし、今、医は仁術から算術になったといわれる。

 

 さらに重要なことは、病気というものは、薬が治すのではなく、我々の体に自然治癒力があるから治るのである。

 薬は、その自然治癒力の働きを補助するものに過ぎない。自然治癒力が低下していたり、自然治癒力の働きを妨げるものがあったりすれば、それを取り除くことが必要である。それらの条件をそのままにして薬だけを用いても、効果には限界がある。薬もその他の治療方法もみな、その人の自然治癒力を補助するものであって、補助にすぎない。大切なことは、いかに自然治癒力を活発にするかである。

 逆に言うと、普段の生活において、自然治癒力、言い換えれば生命力が活発に働くような生活をしていれば、めったなことで病気にかからない。かかっても治りが早いということである。

 ここに重要な要素の一つとなるのが、食のあり方である。東洋では、医食同源という。病気を治すのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためであり、その根源は同じだということである。私たちの先祖は、医食同源という知恵を持っていた。病気にならないように食生活に注意する。また、もし病気になったら、食事のあり方を正すということが行なわれていた。

 

 ところが、戦後の日本人は、西洋医学を過信し、薬物に依存することによって、病院や製薬会社のよいお得意さんになってしまっている。このことと、食の乱れによる国民の健康状態の悪化は、深い関係があると私は見ている。日本人は、薬物依存から医食同源へと生活の仕方を変える必要がある。

 

●病気の原因を把握し、健康に留意する

 

 病気の原因について、現代の私たちは大きく考え違いをしている点があると思う。真の日本精神を啓蒙されてきた大塚ェ一先生は、多くの人を健康に導いてきた方でもある。先生は、病気の主な原因として三つ挙げておられる。

 一つは心の持ち方、二つ目は体の使い方、三つ目は環境である。この三つのどれかが自分の抵抗力以上に負荷がかかると病気が生じてくるということを、大塚先生は説かれている。

 

 心の持ち方とは、例えば、ものすごい心配事があると一晩で髪の毛が真っ白になってしまうということが現実にある。ひどい場合には、驚きのあまりショック死するということさえある。東洋では、病気とはその文字が示すように、気を病むことと考えられた。気持ちは、体に影響する。西洋医学では、ストレスの研究によって、この点が明らかにされている。ストレス学説を唱えるカナダの生理学者、ハンス・セリエは、病気の7割はストレスによるといい、「何事に対しても感謝すれば、病気は半減する」と説いている。

 次の体の使い方とは、どんなに丈夫な人でも、無理をすると病気になる。過労や睡眠不足、不規則な生活がそれである。運動不足も生理機能を低下させ、病気にかかりやすくなる。

 最後の環境には、健康によくない環境におかれると、心身ともに健康な人でも病気になる。四日市喘息等、環境汚染による病気がそれである。

 

 食については、東洋医学では、食は環境の中の一要素だと昔から考えられてきた。人間は、環境から必要なものを取り入れ、不必要なものを排出する。空気、水についで、食べ物がそれである。食は人間と自然のかかわりそのものだから、環境というとらえ方が、ふさわしいのかもしれない。

 

 これらに加えて、先天的な原因もある。先祖から受け継いだ体質、家系的な要素、遺伝的な要因である。先天的な原因は、しばしば後天的な条件と結合して、病気となって現れる。

 

 心の持ち方、体の使い方、環境の三つを、病気の主な原因に挙げたが、逆に健康な生活を送るためには、心の持ち方、体の使い方、環境に気をつければよいことになる。

 心を明るく、ゆったりとし、適度の運動と規則正しい生活を心がけ、健康によい環境に住む。そのうえで、食についても気をつけることが必要である。食事のあり方一つで、病気にもなれば、健康な生き方もできる。健康な生活を送る一つの鍵が、食である。知恵を働かせてうまく食生活を行っていくことが、私たちの健康を維持していく基本の一つだと思う。

 

 なお、本稿は、食育を主題としているので食に焦点を合わせているが、実は私は食を第一の要素と考えているわけではない。経験上、精神的な面と先天的な要因の重要性を認識しているが、本稿では立ち入らない。本稿の主題は、食育のことだからである。

 

●健康を損なう食生活を改善しよう

 

 食事のあり方一つで、病気にもなれば、健康な生き方もできる。健康な生活を送る一つの鍵が、食であると書いた。

 医食同源が説かれたシナでは、医者のうち、食医が一番位が上だった。食医とは、食事の改善指導をする医者であり、病気にならないような食事を提供する医者である。現代人もまた健康を維持・増進し、病気にならない食生活を心がけることが大切である。この点を考えたとき、マクガバン・レポートが結論として報告したように、「最も健康によい食事は日本食」なのである。ところが、戦後日本人は、最も健康によい日本の伝統的な食文化を否定し、健康を喪失し、病気に苦しむようになった。そこで国民の健康の維持・回復には、まず日本食の復活が望ましい。

 

 食育基本法は、第十三条に、「国民の責務」として、以下のように定めている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

第十三条 国民は、家庭、学校、保育所、地域その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、生涯にわたり健全な食生活の実現に自ら努めるとともに、食育の推進に寄与するよう努めるものとする。

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「家庭、学校、保育所、地域」等とあるが、出発点は家庭である。家庭において、食の大切さを再認識し、家族の健康の維持・増進のために、日本食の価値を見直し、欧米型に偏った食事内容を改めることが望ましい。これは、家族一人一人の健康と幸福のためである。子供も大人も高齢者も、食源病や生活習慣病を抱えているような家庭生活を一新したいものである。

 また、社会的には、米を中心に水産物、畜産物、野菜等多様な副食から構成され、栄養バランスが優れた「日本型食生活」の実践を促進する必要がある。その観点から、食育の取組みに連動して、米や野菜、果物等の消費拡大を推進するよう図るべきである。ポイントは、国内で自給可能な農産物である米の消費拡大である。米の消費が伸び、米を中心とした献立が多くなれば、おのずと「日本型食生活」が回復していくことになる。これを学校、保育所、地域等で推進していけばよいと思う。

 

 平成27年度における望ましい食料消費の姿として、次のことが挙げられている。

 

1.栄養バランスについては、摂取ベースでの成人の脂質熱量割合を25%以下にする

2.脂質を多く含む品目の消費が減少。糖質の消費はほぼ横ばい。カルシウム等微量栄養素及び食物繊維の摂取の増加から豆類、野菜及び牛乳・乳製品の消費が増加

 

 こうした食育の推進は、食だけでなく、医療の見直しと一体となって進められる必要がある。食と言えば、食ばかり、食がすべての中心であるかのような議論になりやすいが、先に書いたように、戦後日本人の食の乱れは、西洋医学への過信と結びついたことによって、健康の低下、病気の増加を招いている。病気にならないように心がけ、医薬に頼らず、健康長寿をめざす生活を、国民が心がけることが大切である。

 

 ここで日本人が心がけるべきは、飽食から「足るを知る」への転換だと思う。「足るを知る」とは、欲望のままに飲み食いをするのでなく、控えめな食事で満足を得るということである。食べすぎは、胃腸に負担をかけ、肥満の原因ともなる。昔から腹八分目という。過剰に食べない。買いすぎ、作りすぎに注意する。調理や保存を上手にして、無駄や廃棄を少なくする。これは健康のためだけでなく、食料廃棄物を少なくし、ごみを少なくすることにもなる。

 

(1)大塚先生は、健康と病気について単に理論を説くだけでなく、実証を示しておられる。現実には、食や生活習慣に心がけても解決しない健康上の問題は、非常に多い。その解決の道を求める人は、別のイトをご参照下さい。

 

(2)家庭面

 

●家庭での食の乱れ

 

 先に「こ食」のことを書いた。「こ食」は、家庭での食の乱れをよく表している。父親は残業が多いとか、父母が共稼ぎであることなどにより、家族で食事をする機会が減少し、「孤食」や「個食」や「固食」が増加している。

 「孤食」としては、朝食を一人で食べる子どもが増加している。子どもが一人ぼっちで夕食を食べることもある。しかもコンビニの弁当だったりする。「個食」としては、家族がそれぞれ自分の好きなものを食べる。同じ献立をともに食べるのでなく、思い思いのものを食べる。同じ料理を一緒に味わう機会が減っている。また「固食」としては、自分の好きな決まった食べ物、固定したものしか食べない。家族で食事をともにすることが少ないので、子供は注意されないから、偏食になる。

 

 ほかにもさまざまな乱れが見られるが、家庭における食の乱れは、子供たちの食行動に最もよく現れている。朝食を食べずに学校に来る児童・生徒が多い。また、朝食の内容が不十分な子供も多い。「朝食にガムを食べてきた」と言う子どもまでいるという。親が早起きをして、子供に朝食を食べさせていなかったり、子供が塾通いや深夜までテレビを見るなどして夜更かしをし、朝早く起きられない場合もある。親がそれを許してしまっているということでもある。

 

 食に関するしつけ、食を通じたしつけができていない子供も増えている。これも家族で食事をともにする機会が減少していることが影響しているだろう。しつけができていないために、食事のマナーの乱れも顕著になっている。はしの使い方が身についていない子供や若者が増えている。

 食欲を満たすことは、本能的・動物的な行為である。しかし、人間の食べるという行いには、文化がある。道具の使い方や座り方、食器の持ち方、食べ物の噛み方、飲み込み方、会話の仕方等に、礼儀作法がある。それを身につけることは、社会の秩序や規範・伝統を身につけることにつながる。

 

 子供にしつけをする際、食のしつけは、重要な位置を占める。子供が、単に本能のままに、また好き放題に食べるのではなく、家から外に出たときに恥ずかしくないように、礼儀作法を身につけ、文化・伝統に沿って食べられるようにすることは、家庭教育において欠かせない課題である。

 ところが、家庭における生活形態の変化や親の意識の低下によって、家庭においてなされるべきしつけができておらず、基本的な生活習慣を身につけることができていない子供、若者が増えている。食に関するしつけだけではない。行動の全般にわたって、社会で生活するうえに必要な規範・行儀・習慣が崩れつつある。本稿は、食に関することに絞って述べるが、原因の根は深い。戦後日本の家庭の変化にあるからである。

 

 戦後日本では、アメリカによる日本弱体化政策が行われ、日本の国家社会の基礎である家庭の弱体化が推し進められた。GHQ製の憲法、それに呼応した民法が、日本の家族のあり方を大きく変えた。

 家庭にアメリカ型のデモクラシーが持ち込まれ、父親の権威が低下し、また母性が低下し、家族がそれぞれ個人主義的な考え、行動をするようになった。三世代以上が同居する大家族が解体され、核家族化が進んだ。また村落共同体が解体され、都市化が進んだ。自営業よりサラリーマンが増え、父親が家にいることが少なくなった。女性の社会進出が進み、共稼ぎの家庭が多くなった。さらに、女性を労働力化する政策により、乳幼児の母親まで、家庭外で労働する人が増えている。

 その結果、食を通じた家庭の団欒の機会が少なくなっている。食事をともにしながら、語り合い、笑い合う時間が少なくなっている。一緒に食事をしていても、テレビをつけ、家族の会話より、テレビを見ながら、それぞれ食べるという行動が多くなっている。

 

●親と教育者の役割

 

 こうした家庭における食のあり方を改めたいものである。食育基本法は、親にそれをもとめている。同法は、第五条に、「子どもの食育における保護者、教育関係者等の役割」として 次のように定めている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

第五条 食育は、父母その他の保護者にあっては、家庭が食育において重要な役割を有していることを認識するとともに、子どもの教育、保育等を行う者にあっては、教育、保育等における食育の重要性を十分自覚し、積極的に子どもの食育の推進に関する活動に取り組むこととなるよう、行われなければならない。

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 法律にこういうことが決められたことを知っている人が、どれだけいるだろうか。周知はされていないようだ。法律に何を決めても、国民がその内容を知り、理解し、意義を認めて実行しなければ、空文と化す。親が家庭で実行しなければ、保育園や学校で教育者がどんなに熱心に食育に取り組んでも、根本的な改善にはならない。なにより各家庭で、具体的にどのような取り組みをするか、それぞれお考えいただきたいと思う。

 参考にしていただきたいことを、続きに書く。

 

●家庭で食育を実践しよう

 

 親は、家庭における食事のあり方を見直し、幼児期から栄養バランスのとれた食事を与えるように努めたい。幼少期に食を通して得られた満足感、基本的な信頼感は、すべてのものに対する肯定的な感情、自尊感情、精神的安定感などを育み、心の発達にも大きな影響を与える。

 その点で、食の出発点は、哺乳である。母親が新生児に母乳を与えるという行為が、食育の第一に置かれねばならない。母親は、子どもを生かし育てるために、一生懸命授乳に努めなければならない。母親が乳房を含ませ、子どもの目を見ながら、授乳することは、栄養と水を与えるだけでなく、母親の愛情を子供に注ぐ行為である。

 

 母親の乳房から、母乳だけでは足りない場合、粉ミルクを与えることになる。乳児に、哺乳瓶から人工のミルクを飲めるように教えることが、その場合の食育となる。そして、やがて離乳食の段階に入る。この段階から「食べる」という行為になるので、普通はここからを、食育という。しかし、私は、哺乳の段階から食育は始まっており、それを含めて食育と呼ぶべきと思う。

 

 子どもが自分の口や歯で、ものを噛んで食べるようになると、さまざまな食品を、調理して、食べさせるようになる。親が手間をかけて作った食事は、愛情を自然に子どもに伝える役割を果たしている。それによって、食は、身体的発達のみならず、心の成長にも深くかかわっている。

 また、食事の場を通じて、家族において守るべきことを身につけることは、子どもの生き方や人格をはぐくむうえで、大きな働きを担っている。さらに、家庭内における決まりや規範を身につけることが、子どもの社会性の発達の基礎となる。

 

 幼少期から思春期に、出来合いのものや冷凍食品など、簡便な食生活しか体験しないと、食を通して身につけるべきことが、欠落してしまう恐れがある。それを防ぐには、親がまず、毎日の食生活を大切に思い、適切な食事作りを行うことが必要である。毎日の献立を決め、食材をそろえ、調理し、運び、並べ、片付け、洗う等の一連の作業のすべてが、子どもの食育につながる。

 買い物や食事作りや片付け、食器洗い等に、子どもたちを参加させるようにすると、その中で、食に関する知識、技術、礼儀作法が身につき、社会において「自立して生きていくための力」となる。また、こういう体験をすることによって、食物や食物を作っている人たちへの感謝の気持ちも芽生えるだろう。

 

●家族で食を共にする努力を

 

 食事作り、片付け等より以前に大切なことは、家族で食事を共にすることである。今や日本の家庭では、その機会が非常に少なくなっている。

 誰かと一緒に食事をすることを、共食という。女子栄養大学教授の足立己幸氏は、共著『食育と家族』(MOA)で次のように述べている。

 「動物の食事は個体単位に捉えられるのに対し、人間の食事は一人だけで食べるのではなく、他の人々と一緒に食べる」「共食の場は、人間が共に人間らしい食の認識や感受性を育てる場でもある」「食事を共にする集団の最も基本的な単位は家族である」

 

 家庭における親子・兄弟・祖孫等による共食が、人間らしい食事の姿である。家族による共食は、人間を人間としてはぐくみ、あるいは人間が築いてきた文化を継承し、さらに豊かにしていく上で、大きな役割を果してきた。家族で食を共にすることによって、子どもは家族関係の中で人格を形成し、また人の気持ちや感情がわかる感性が育つ。それによって、社会性を身につけるための決定的に重要な行為である。

 親は、家族が一緒に食事をとることの重要性を十分理解して、実践することを求められている。食を通じた家族のつながりを大切にし、食を共にする家族の団欒の時間をつくることが必要である。みなで語らい、楽しく食べると、食欲が増し、味覚が働き、おいしく食べられる。

 

 現代日本の家族は「孤族」だという。一つの家に住んではいるが、孤独な個人の寄り集まりだという意味だ。「ホテル家族」とも言う。おなじ建物で寝起きはしているが、行動も食事もバラバラという意味だ。

 確かに家庭では、家族全員がそろって食事をする機会が少なくなっている。父親の帰りが遅い、両親が共稼ぎ、子どもが塾通い、行動時間が違う等の原因がある。

 そこでたとえば、家族全員が少なくとも一日一食は共に食事をしたり、一週間のうち夕食を共にする日を決めたりして、家族が一緒に食事をとる機会を確保し、家族の間で豊かな会話をすることなどを是非習慣にしたいものである。そうしてコミュニケーションの時間を確保して、お互いにその日なりその周なりにあったことを話し、語らいをするように努めたい。特に父親は、家庭で過ごす時間を確保することが、家庭の円満や子どもの教育のために、何よりも重要である。父親こそ、自覚的に努力したいものである。

 

●食のしつけをしっかり行う

 

 子どもを育て、社会でその一員として生活できるようにするために、しつけをすることは、親の重要な役割である。教育哲学者の森信三氏は、しつけの三原則として、挨拶、返事、片づけを挙げている。この三原則に基づいて教育をして、立派な教育をしている保育園や幼稚園があると聞く。しつけを行なう人は、必修の原則である。

 私は、森氏の三原則に学びつつ、さらに前の段階に、食事と排便のしつけがあると思う。人間は、教育をしないと、動物とそう変わらない。子どもは、好きなように飲んで食べて、欲求のままに便をする。飲んで食べて出す、という最も本能的な行為を、社会の決まりや文化の習慣に沿ってできるようにすることは、しつけの基本中の基本だと思う。

 トイレの話はさておき、食に関することを言えば、社会生活に必要なルールやマナーを身に付け、その社会の文化や伝統を体するためには、家庭で、食に関する決まりや習慣を教えることは重要である。そのためにも、共食という行為が大切である。子どもとの食事の機会を通じて、決まりや礼儀、基本的な生活習慣を身に付けさせる。それは親がなすべき責任である。

 食に関するしつけは、挨拶や行儀、姿勢、食をつくってくれた人への感謝や共に食べる人への配慮が含まれる。箸の使い方や、ものの噛み方、食器の持ち方や置き方、食事中の会話等についても、基本的なことを身につけさせねばならない。

 こうした基本的なことを子どもに身につけさせるには、繰り返し反復して教えるしかない。毎日毎食の繰り返しの中で、ようやく身についていくものである。そのための最良の教師は、母親である。

 

 しつけは「つ」のつく間にせよ、と言う。「つ」がつくと言うのは、「一つ」「二つ」と年齢を数えて、「九つ」までが、その年齢に当たる。中でも、3歳までが、特に大切な時期である。「三つ児の魂百までも」と言うことわざがあるが、生後、3歳までの期間が、人間の成長において、特に大切であることは、脳の科学、児童の教育学・心理学・精神医学等でも、共通して言われていることである。

 子どもが3歳までは、母親ができるだけ家庭にあって、子供に接して、愛情を持って育てることは、子どもの心身の発達に非常に重要である。同時に、子どもにしつけをし、基本的な生活習慣を身につけさせるためにも、重要なことである。

 

 そして、5歳の時に一人でできるものとして、「行儀よく食事ができる」、「遊んだ後の片付けができる」といった基本的な習慣の習得を目標にして、子どもにしつけをするとよいだろう。

 しつけは、子どもがやがて親から自立し、社会において、その一員として行動ができるようにする基本的な人間教育である。自分の行いには責任を持つということを子どもに自覚させ、「自分のことは自分でする」、「他人に迷惑をかけない」といったことを、繰り返し教え、聞かせる。できたら褒(ほ)め、できなかったら叱る。根気のよい努力が、しつけには求められる。子どもに対して、それが出来るのは、子どもに対して愛情がわくからである。また、親として子どもを一人前の人間に育てなければならないという責任を感じるからである。

 

 こういう点で、母親が、子供のために手料理をつくって食べさせるということは、子どもにとっても、親にとっても、貴重な行いだと思う。自分の子どもに、これを食べさせてやりたい、あれを食べさせてやりたいと思う母親の心は、愛情に満ちている。子どもが「おいしい」と言って喜ぶ、満足げな顔を見ることは、母親にとっても、喜びであり、満足となる。また、子どもが母親への感謝の言葉を言うことは、一層の喜び、満足となるだろう。

 

●感謝の言葉と心を教える

 

 食事の場において、「いただきます」と「ごちそうさま」を子どもに言わせるように、しつけることも、大切なことである。幼い子どもには、「いただきます」と「ごちそうさま」を言う意味は、まだわからない。しかし、親や年長者が「いただきます」と「ごちそうさま」と言い、手を合わせ、頭を垂れる行為を真似したり、真似させたりすることによって、後々、その習慣に込められた心を理解できるようになる。

 「いただきます」と「ごちそうさま」には、自然の恵みへの感謝や、調理をしてくれた親への感謝、生活を支えてくれている親への感謝、社会で働いている人々への感謝など、さまざまな意味が込められている。

 こうした食における習慣を身につけることが、社会において、その一員として生きるうえで大切な心を育てる基礎となるのである。一定の年齢になれば、そうして「いただきます」と「ごちそうさま」を言うのか、その意味を語って聞かせるとよいだろう。

 

 また、母親は、子どもに対し、父親への感謝を言って聞かせることも、必要である。子どもは、母親が父親に感謝し、尊敬する心を持っていれば、子どもの心にも父親への感謝と尊敬が育つ。そういう子どもは、父親に叱られた時、素直に言うことを聞く。そこに、父親によるしつけが可能になる。

 逆に、母親が父親の働きを当然とし、軽蔑する心を持っていれば、子どもは父親に感謝せず、尊敬もしない。こういう場合は、父親が子どもを叱っても、子どもは言うことを聞かない。親をなめてかかるようになり、わがままを通そうとする。よほど注意すべきところだと思う。

 

 食事の場において、作物ができ、食物として食卓に並ぶまでには、多くの人々が汗を流して働いていることを、折に触れて子どもに話すことも、心がけたい。親がそういう話をしていれば、子どもはやがてその意味を理解するようになり、働く大人への感謝の気持ちを持つようになる。それは、自分が社会の一員として、何かの役割を果たして、社会に貢献することをめざすことにつながっていく。

 

 このように、食を通じたしつけ、家庭教育は、子供の成長や人格形成において、極めて重要なことであり、親がなすべき役割であり、責任であると思う。

 

(3)伝統面

 

●祖先の智恵を忘れた日本人

 

 日本人は、敗戦後、戦前のものを何でも否定してしまった。日本の伝統・文化を捨て、国柄を忘れ、道徳を葬った。食の乱れは、このことの一環である。アメリカの占領を受け、アメリカ文化が移植されることになり、西洋食が多くなった。短期間に食事内容に大きな変化が起こった。

 西洋食は、もともと日本とは風土の違う土地で発達したものである。西洋人の体には合うが、日本人の体には、必ずしも合わないところがある。しかも、マクガバン・レポートが明らかにしたように、欧米人、特にアメリカ人の食事は、多くの生活習慣病の原因となるような健康上、問題のある食事であった。そうした食事へと、戦後日本人の食生活は、急速に変化したわけである。

 食文化・農業にも日本の伝統があり、先祖の知恵が込められている。それを受け継ぐという自覚的な努力が必要である。

 

●伝統的な食文化が心身によい

 

 わが国だけでなく、世界中に、その地域特有の食文化がある。それぞれの民族は、その土地、その場所の自然環境で生活する中で、食文化をつくってきた。食文化の多くは、その地域で採れる農産物を食材として利用することが成り立ってきた。その地で生産された農産物をそこでいろいろな食べ物にして伝統的な食文化をはぐくんできた。

 

 各民族は、先祖から受け継いだ食文化の基盤のうえに、身体みまでが出来ている。この過去からの食べ方を継承してこそ、健康を維持、増進できる。  

 「身土不二」という言葉がある。体と土地は、二つに切り離せないことを表わす。そして、その土地で出来たものを食べることが身体に最も良いという時に使う言葉である。

 それとともに、人間は伝統食を取っていれば、心も安定して、心身ともに活性化するといわれている。それは、日本人にとっては、日本食である。

 

 日本人は、この日本列島で、何千年という時をかけて、独自の食文化を築き上げてきた。現在のような日本の豊かな食事は、縄文時代に始まったことがわかっている。

 縄文時代の貝塚や遺跡から出土する貝類は350種余、魚類が70種余、獣類が70種余あり、植物も、現在の主な栽培植物はすでに食料になっていた。このことは、日本は、世界にも稀なほど豊かな自然に恵まれ、食料が豊富であることを示している。同時に、日本人の先祖は、そうした自然の恵みを農業や調理に生かしてきたことがわかる。親から子へ、子から孫へと智恵と工夫を受け継ぎながら、日本の食文化は、一層豊かなものに発展してきた。

 

●日本食は理想的、見直しと取り戻しを

 

 こうして生み出された日本食は、世界で一番健康的な食事といわれている。5千枚にも及ぶマクガバン・レポートの結論は、それだった。アメリカ人をはじめ、世界の人々が、最も健康に良い食事として日本食を食生活に取り入れている。ところが、ご当地の日本人が、その優れた食文化を失ってきた。それは、伝統的な食文化を失うという意味でも、健康によい日本食から離れるという意味でも、健康の悪化や文化の荒廃につながる。

 こうした伝統的な食文化を取り戻し、また健康によい日本食を受け継いでいくために、最も重要な場所は、家庭である。家庭こそ、伝統・文化の継承の場であり、その受け継ぐべきものの要素の一つに、食がある。

 このように書くと、大げさな話しに聞こえるだろうが、なんのことはない。御飯と味噌汁、魚や野菜、海草等、昔から日本人が食べてきたものを、日々の食事でつくり、味わうということである。パンやパスタ類、肉や牛乳等が全くダメというのではない。バランスを取り直すということである。

 

●年中行事は宗教的情操の涵養にもなる

 

 普段の食生活のほかに、伝統的な年中行事や催事を見直すことも、食文化の継承となる。家庭内での年中行事や催事といえば、正月、節分、ひな祭り、端午の節句、七夕、墓参等がある。こうした時には、必ず食が伴う。その食は、伝統的な食文化の表れである。雑煮、おせち、とそ、甘酒、菱餅、柏餅等、その季節、その行事に特有の食がある。そうした年中行事や催事を家庭で行ない、伝統的な食をつくり、味わうことは、食文化の継承において、重要なことである。

 また、こうした機会は、家族が集まって風習を行い、その時節の食を共にしながら、楽しく語らう場となる。また、家庭内行事は、家族の触れ合いを深めるだけでなく、さらには地域社会との絆を強くする機会ともなる。子どもたちは、自然な形で、わが国の文化・伝統に親しむことができる。 

 

 伝統的な年中行事や催事は、豊かな感性を培う上でも、意義が大きい。初詣や節分で無病息災を祈ったり、家族一緒に墓参りをして先祖と自分との関係に思いを馳せたりして、人間の力を超えたものに対する感情がわく。自然の恵みや生命のつながりに対する感謝を感じるなどして、宗教的な情操を養う体験となるだろう。

 

●米と日本文化の関係を知る

 

 伝統と言えば、日本人は、もともと農耕民族である。日本は豊かな自然に恵まれ、私たちの先祖は、この国で、農作物をつくり、それを食べながら、自然と調和した生き方を心がけてきた。

 日本の食と農の中心となるのは、米である。日本人は、米を作り、米を食べてきた。穀物の中で、米は生産性が抜群である。モミが一粒まかれると、秋には500〜700粒に増えるといわれている。米と麦を単位面積で比較すると、米は麦の約2倍の収穫を得ることができる。そのため、多くの人口を養うことができる。

 そのうえに、米は栄養的に素晴らしい食品である。米にはでんぷん質が75%、タンパク質が7%含まれ、更にビタミンB1・B2や鉄分や食物繊維なども含まれている。これらの栄養素は、精米や調理法によって減少しますが、他の食材に比べ大変栄養価が高いといえる。

 そこで、米を主食とした日本民族は、こうした米の特長を生かした食文化を発達させてきた。

 

 また、日本人の生き方、また日本文明は、米抜きでは考えることができない。日本人は米作りを通じて、勤勉性、団結心、協調性、合議、迷惑を掛けない意識、気配り、思いやりなどを、身につけてきた。それゆえ、米作りによって、日本人は「和」の精神を発達させてきたと言える。

 また、日本人の民族性、祭、生活様式、芸能等の多くが、米と関係がある。米作りの文化は、各地の民話、民謡から絵画や詩歌、工芸品そして建造物や衣服、日用品に至るまで、日本人の生活のすみずみにまで浸透している。

 

 それゆえ、米を語るということは、日本人の心を語ることであり、日本文化の土台と特徴を語ることでもある。逆に言うと、米について知り、米作りを中心とした文化を学ぶことなくしては、日本文化を深く理解できず、日本の心を受け継ぐこともできない。家庭や学校、地域で、米を中心とした伝統文化を学び、受け継ぐことを実践したいものである。

 

●食農と地産地消を進める

 

 米に限らず、農作物がどのようにして生産されていくかを知らない子供が増えている。ご飯を見ても、稲穂を描けない子供がたくさんいるという。枝豆が、大豆(未成熟)のことだったり、落花生が地中で実をつけたりと、結構知らないこともある。そのために、一番簡単にできるのは、家の庭か、ベランダのプランターで野菜や花を育てることである。また、最近の小学校では、学校菜園を作っているところも多くされている。

 農業体験や農作業体験は、国、地方公共団体や農業団体、民間の団体などでも力を入れているところが多くある。それらの催しに参加すれば、身近に体験が可能だろう。また。親子での料理教室なども盛んになっている。家で親子が一緒に料理を作る風習が、子供がいろいろ忙しくなったこともあり、少なくなってきたが、その代わりに、小学校などが主催して親子料理教室を開催するところも増えてきている。

 

 これに関連して、食文化の一部でもある伝統食を作ってみたり、地元で採れたものを地元で消費する「地産地消」に取り組むことが望まれる。地域の産物は新鮮で、それだけに栄養価も高く、味もいい。旬の物を味わうことは、食の喜びの一つである。

 地産地消は食料自給率を高め、フードマイレージを小さくすることによって、地球環境の保全にも役立つ。輸入食糧の場合、遠距離輸送に備えて、出荷前に強力な農薬を使用して、腐敗や虫害を防いでいるものがある。地元で農薬や化学肥料を出きるだけ使わない有機農法、自然農法で作物をつくり、それをより多くの人が食べるようになれば、農薬や化学肥料による自然の汚染や人体への害をなくしていくことができる。

 

 食育基本法は、第七条に次ぎのように定めている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

(伝統的な食文化、環境と調和した生産等への配意及び農山漁村の活性化と食料自給率の向上への貢献)

第七条 食育は、我が国の伝統のある優れた食文化、地域の特性を生かした食生活、環境と調和のとれた食料の生産とその消費等に配意し、我が国の食料の需要及び供給の状況についての国民の理解を深めるとともに、食料の生産者と消費者との交流等を図ることにより、農山漁村の活性化と我が国の食料自給率の向上に資するよう、推進されなければならない。

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 盛りだくさんな条文だが、一つ一つ重要なことである。私は、先に書いたように、上記条項に定めることは、米を中心として推進するとよいと思っている。米の見直しは、食育の鍵になると思う。

 

(4)自然面

 

●生かされていることへの感謝を

 

 人は、ほとんどの場合、自分の力で生きていると思っている。ところが実際は、自分の力というものは、人が生きる上で必要なものの一部に過ぎない。人が生きられるのは、自分を超えたものが存在することが前提となっている。それがあって初めて、人は生きることができる。

 

 生きていくうえで、最も必要な要素は、空気である。子どもがこの世に生まれ出て、最初にするのは呼吸である。それ以来、人は常に呼吸をし続けている。わずか数分間空気を吸うことができないと、人間は死ぬ。空気の存在は、自分の力を超えたものの一つである。

 空気の次に必要なものは、水である。1週間ほど水を飲めないと、人間は死ぬ。これも、自分の力を超えている。次に必要なものは、栄養である。数週間ものを食べられないと、たいていの人は死ぬ。

 子どもの場合は、生後、母乳を飲むことで、水と栄養を得る。人工ミルクの子もいる。乳を飲む技術を身につけることが、最初の食育となる。授乳期間を終えると、自分の口でものを食べることを覚えなければならない。誕生から自分で働いて食べ物を得ることができるようになるまで、子どもは生きることを親や保護者に依存する。それも、空気や水や栄養物が、この世界に存在することが、すべての前提である。

 

 多くの人は、何の苦もなく呼吸ができ、きれいな水を飲めて、飢えを満たす物を食べられることを、特に意識することすらない。有難みを感じることなど、めったにない。しかし、こうしたものがなければ、どんなに自力の豊かな人でも、生きていくことはできない。人間は、自然の恵みを受けて、初めて生きていくことができる。人間は自分の力で生きているようでいて、実は自然の力によって生かされているのである。この厳然たる事実を、深く受け止めたいものである。

 

 さて空気と水は、生活環境に豊富にあるが、食べ物は、人間が努力しなければ、得ることができない。言い換えれば、食べ物を得るためには、労働をしないと、人間は生きていかれない。原始未開の時代、人間は狩猟や採集をすることで、食べ物を得ていた。次に、人間は植物を栽培して食べることを始めた。ここに人間と自然との根源的なかかわりがある。

 

●支配と収奪、欲望と快楽の追求からの転換を要す

 

 かつて土地は、神聖な場所だった。神によって与えられた土地であり、または祖先から受け継いだ土地だった。作物は自然の恵みであり、または神の賜物だった。人々は、作物の収穫を感謝し、つつましく食べ物を食した。

 しかし、西洋近代文明は、人間の生活を大きく変化させた。西洋近代文明において、自然は人間が支配し、収奪すべき対象となった。土地は利用すべき物質であり、そこに生きる動植物は、人間が支配し、その命を奪って、衣食住に関する欲求を満たす手段となった。

 

 生産力の増大は、過剰な消費を可能にした。抑制されてきた欲望が解放された。欲望が解放された人間は、快楽を追及する。食という生物の最も基本的な本能においても、欲望の解放と快楽の追求が始まった。食糧生産力の増大は、生存のための欲求を満たすだけでなく、とめどなく食欲を増大させた。必要量以上に食べるというだけではない。うまいものを、いつでも、たらふく食べるという快楽が追求された。

 近代化とは、生活全般の合理化である。経済的合理主義は、すべてのものの価値を数値で計算し、商品として扱う。近代的人間にとっては、食べ物は、食べられる商品である。土地は、食べられる商品を生む生産工場である。家畜や作物は、食べられる商品をつくる製造機械である。近代的人間は、食べ物を、モノとしてどれだけ商品価値があるか、どれだけ利潤を生むかという観点から計算する。

 

 食に関して、生産も消費もこうした価値観のもとに行われているところに、今日の人類社会の根本的な問題がある。西洋近代文明における欲望の解放と快楽の追及が、地球の自然環境を破壊し、人々の健康を損ない精神の劣化をも生み出している。

 それゆえ、食と健康に関する課題への取り組みは、西洋近代合理主義の弊害を克服し、経済中心、もの中心の価値観を改めることへと進まねばならない。また、この価値観の転換は、自然に対する人間の感じ方、関わり方の変化を伴うものでなければならない。

 

●自然と調和した文明、道義に基づく国家へ

 

 食を通じた自然への関わりにおいて、最も大切なことは、感謝の心だろう。自分が生きていくことのできる拠り所は、自然である。人間は自然の中で生かされている存在である。自然の恵みに対して感謝することを忘れたら、人間は自己を過信し、自然に対して傲慢になる。それが食の問題にも通じている。食の乱れが、健康、家庭、伝統、自然、国家に、さまざまな問題を生み出している。

 

 食育基本法は、第三条に次のように定めている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

(食に関する感謝の念と理解)

第三条 食育の推進に当たっては、国民の食生活が、自然の恩恵の上に成り立っており、また、食に関わる人々の様々な活動に支えられていることについて、感謝の念や理解が深まるよう配慮されなければならない。

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 法律に、「自然の恩恵」とか「感謝の念」という言葉が使われるのは、まれなことだろう。しかし、法律の条文にこうした言葉を盛り込んだことは、非常によいことである。

 人間は、自然の仕組みに従い、自然の法則に沿っていく以外に、健康に生き、また繁栄していくことはできない。「生かされている存在」という自覚を、食生活のなかにどう実践するか。食育の推進は、自然と調和した文明の実現、道義に基づく国家の建設へとつながっていくものとなろう。

 

●「いただきます」と合掌が社会的な問題に


 昨年(平成18年)、学校で給食の際、「いただきます」と言わせないでほしいと言う親がいるということが、話題になった。その後、給食費の未納が4万人分もあり、20億円にものぼることが、さらに大きな話題となった。給食費を払うように親を指導することも、重要な食育である。

 ここで述べたいのは、「いただきます」の問題である。きっかけは、平成17年の秋、TBSラジオの「永六輔その新世界」という番組だった。東京都内に住むある男性から、番組に手紙が寄せられた。永六輔が「びっくりする手紙です」と、 次のように紹介した。「ある小学校で母親が申し入れをしました。『給食の時間に、うちの子に、は、「いただきます」と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか』と」
 申し入れをした母親は、「いただきます」にこめられた意味を知らないようである。「いただきます」という言葉は、誰かに食事をおごってもらったり、ただで食べさせてもらったりする時に使う言葉だと思っているのだろうか。

 番組には、聴取者から、数十通の反応があった。多くは、この母親の申し入れに否定的だった。母親を支持する手紙も数通あったという。平成18年1月21日付の毎日新聞が、このことを取り上げ、全国的に反響を呼んだ。インターネットの世界でも、多数の人が意見を述べ合った。ここでも、やはり賛否両論あった。


 この論争は「いただきます」と言うか言わないかを巡るものだが、「いただきます」と言う時に、「合掌」と言って、手を合わせることを問題にする意見もある。この習慣は、仏教から来ている。それを「合掌」と言って手を合わせるようにするのは、「宗教的行為」ではないかと疑問視し、強制には反対だと言うのである。

 合掌の件は、「いただきます」より10年ほど前に、問題になった。平成8年7月28日、産経新聞が次のような記事を載せた。富山県富山市の呉羽中学校に、同年8年4月、一人の親から手紙が舞い込んだ。給食の折り、「合掌」という言葉とともに「いただきます」を唱和することについて書いてあった。「合掌という言葉には宗教的色彩があり、他の宗教を信じる児童にとって強制されるのは苦痛」などと言うのである。

この手紙をきっかけに論争がおこり、結局、その中学校では、「合掌」という言葉を中止した。産経の記事は、次のように書いている。「富山県では、平成8年以前から『合掌』を避けていた学校もあるが、県教委指導課によると、呉羽中学校以降に『合掌』の号令を取りやめた小・中学校は数十校にのぼる。『日本の風習』が公立学校から姿を消しつつある」と。


 現行憲法には、いわゆる政教分離の規定がある。政府と特定の宗教団体の分離を定めたものだが、その規定を、国家から宗教を一切排除するものと解釈する説がある。厳格分離説という。この説を極端に推し進めると、公教育の場で、合掌のような習慣を行なうことは、憲法違反ではないか、という見方が出てくる。唯物論者やキリスト教信者の一部には、強く支持されている。


●感謝を表わす挨拶を実践しよう


 「いただきます」という言葉には、どういう意味があるのだろうか。「いただきます」という言葉は、仏教の教えと言うより、日本人の習慣による挨拶である。

「いただく」という言葉は、大和言葉である。この言葉は、高貴な存在、目上の人からものを下付されるときに、頭上高く捧げ、頂きへ上げて受け取るということを表わしている。感謝の対象は、目上の人ゆえ、目よりも高く捧げながら、「いただきます」と言うものである。

日本人はまた、神や仏、先祖の霊に供えものをする。その供えたものを下げて食べるときには、神仏祖霊から分けてもらうという意味で、感謝を表わす。その表現が、「いただきます」という言葉であり、頭上高く捧げるという動作である。この場合の感謝の対象は、神仏先祖である。


 こうした風習に、さらに仏教の教えが浸透したのだろう。仏教では、殺生を禁じる。しかし、人間は、他の生物の命をもらわないことには生きていけない。動物や植物の命が、私たちの命をつないでいる。命をもらって生きているのが、人間である。そこで、「いただきます」という言葉は、私たちの食べ物となって、私たちを生かしてくれている野菜や魚や動物に対して、感謝の気持ちを表わすために言うのである。同時に、それらの生き物への慰霊の祈りでもあるだろう。

こうしてもともとは目上の人や神仏祖霊に対する感謝の表現であった「いただきます」は、人間が生きるために命をもらう生き物への感謝や慰霊の言葉となったものと思われる。

瀬戸内海のある地方では、魚供養という行事が行われている。魚等に感謝し、極楽に行って下さいと祈る祭りだという。これも仏教の教えのようであって、日本の神道には、もともと自然物を神と祀る風習や、万物を同根と感じる感性が存在した。それが根底にあってのものだろう。


 私たちは、食べ物を食べて、「うまい」と感じる。穀類・野菜・魚・肉など栄養素と同時に生命力を食している。「うまい」とは、生命力の味わいである。それは、他の命を奪う行為ではあるが、同時に、命と命の触れ合いであり、命の交流である。「うまい」とは、一つの命が他の命に溶け合い、自他が一体になる感覚の表現である。


 食べる前には、「いただきます」と言うが、食べた後には、「ごちそうさま」という。「ごちそうさま」は、馳走という言葉から来ている。馬を駆って、方々から食べ物を集めてきてくれた、その苦労に感謝するのが原義である。さらに、作物を作ってくれた人、運んでくれた人、料理をしてつくってくれた人、家族の生計を支えてくれている人等への感謝も、「ごちそうさま」という一語には含まれているというべきだろう。


 「いただきます」と「ごちそうさま」に共通するのは、感謝の心である。食育においては、何を食べるかだけでなく、どう食べるかが大切である。どういう心で、食べ物を食べるかが大事である。自然の恵みへの感謝と、人への感謝を教えることが、食育の中心に置かれるべきだろう。「いただきます」と「ごちそうさま」を家庭でしつけ、学校や地域でも教えることを実践したいと思う。

 

(5)国家面

 

●国家的な取り組みは始まった

 

 食育基本法は、食育についての国と地方公共団体の責務を以下のように定めている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

(国の責務)

第九条 国は、第二条から前条までに定める食育に関する基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、食育の推進に関する施策を総合的かつ計画的に策定し、及び実施する責務を有する。

 

(地方公共団体の責務)

第十条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、食育の推進に関し、国との連携を図りつつ、その地方公共団体の区域の特性を生かした自主的な施策を策定し、及び実施する責務を有する。

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 さらに、同法は、国は、内閣府に首相を会長とする食育推進会議を設置することを定めている。そして、同会議が食育推進基本計画を作成することを求めている。また、そのもとに、都道府県は、条例によって都道府県食育推進会議を置き、都道府県食育推進計画を作成する。市町村は、条例により、市町村食育推進会議を置き、市町村食育推進計画を作成することを定めている。

 結構なことだが、国を挙げて食育を推進するには、戦後日本の食の危機について、国家的・歴史的な観点から掘り下げて把握する必要があるだろう。

 

●アメリカの対日政策が食にも影響

 

 敗戦後、わが国は、アメリカの支配構造に組み込まれた。アメリカは、まず国防において、日本を軍事的な従属関係に置いた。さらにエネルギーの供給において、日本をアメリカの管理下に置いた。

 もう一つ見逃してはならないのは、食糧においても、日本をアメリカの食の文化圏に組み入れた。わが国は、国防・エネルギー・食糧の三点において、自立することができなければ、アメリカに対して自主的な態度を取れず、主体的な政治・外交を展開することがかなわない。

 

 そのうち食糧については、日本はアメリカの農産物の輸出市場となった。アメリカは日本の伝統的な食文化を変えることにより、アメリカ産の小麦・大豆・トウモロコシ・牛肉・コカコーラ等を日本人の食卓に乗せることに成功した。

 人間は、食べなれたものを好むようになる。洋食を多く摂るようになって、日本人の食の嗜好が広がり、食事内容が短期間に大きく変化した。それが、健康によいものであったならば、よかったかもしれないが、急速な食の変化は日本人の健康に悪影響をもたらすようになった。この現象の根底には、日米の国家間関係が横たわっている。

 

●食文化の取り戻しと自給率の回復が急務

 

 アメリカを中心とした国際的な構造のなかで、日本人が伝統的な食文化を失いつつあることが、カロリーベースの食糧自給率40%という先進国で最低の状態となった大きな原因となっている。わが国の食料自給率は、昭和40年には73%だった。それが、約30年後の平成10年には40%となり、その後、横ばいで推移している。

 世界の食料の需給及び貿易は、常に不安定な要素を有している。農作物の生産は、天候に大きな影響を受ける。不測時においても、国民が最低限度必要とする食料の供給を確保する施策を、政府が積極的に講じる必要である。

 ましてや21世紀の地球は、飢餓の時代を迎えることが予想されている。世界的な食糧危機が迫る中で、わが国が、将来にわたって食糧の安定供給を確保していくには、食糧自給率の回復を進めることが急務である。これは国家安全保障上の重要課題である。同時に、国民の食生活に直結する課題でもある。

 食の安定を図るためにも、日本人本来の食文化を取り戻し、国内で生産する農作物で多くの食材をまかなう食生活に立ち戻る必要がある。

 

●アメリカによる医療改革に対抗する自衛を

 

 これと深い関係があるのは、健康と医療の問題である。先にそのことについて書いたが、病気になれば、医者にかかり薬を飲むのが当然と考えている人は、年間に相当額の医療費を支出している。医療費は、各世帯の家計を圧迫しているだけではない。国家財政をも圧迫している。わが国の財政は今日、4分の1が社会保険給付費となっているが、その相当部分を占めるのが、医療費である。医療費は、欧米諸国に比べるとまだ低いもののGDPの8%に上っている。

 わが国は、1,000兆円以上の財政赤字を抱える世界最大の赤字国家である。その中で、国民の健康管理の怠慢が、財政赤字を増やす一要因となっている現状は、改善されねばならない。

 国家の安泰、民族の繁栄は、健康・生命に基礎をおいてこそ実現・維持できる。自分の健康は自分で守る生活が、医療費の縮小、財政の健全化にもつながる。そのことを国家的に推進しなければならないところに来ている。

 

 アメリカは、1994年から毎年わが国に「年次改革要望書」を突きつけ、日本の国家・社会の変革を求めてきた。既に金融、商法、郵政、保険、司法制度等の分野で、アメリカ企業が日本に進出し、日本経済を支配するための改革が推し進められている。「第二の占領」といえるほどの動きだが、アメリカによる日本占領は、健康の分野にも及びつつある。

 わが国は、国民皆保険制度で、国民の健康を維持してきたが、アメリカは日本政府にこの制度をやめるよう迫っている。医療に市場原理を導入させ、医療の民営化を推し進めようとしている。目指すのは、アメリカの保険会社が日本の病院を経営し、日本の医療をビジネスの対象とすることである。アメリカ保険業界の要望を容れて、公的保険と自由診療を組み合わせる「混合診療」を取り入れると、富裕層は高度な医療を受けられるようになるが、貧困層は高額の自己負担に耐えられず、まとも医療を受けられなくなる。現在の日米関係では、このアメリカの攻勢を防ぐことは難しい。

 

 この点からも、国民は、自分の健康を自分で管理し、家族の健康は家族で守ることが、ますます必要となる。食を含む生活の全般について、健康の維持・増進という考え方をしっかり持つことが生活の防衛ともなる時代が確実に来る。今から価値観、考え方を改めることをお勧めしたい。また一人一人の国民の行動が変わらなければ、国家としての取り組みも成功しない。日本を愛する人は、このことを心に銘記したいものである。(2)

 

●憲法の改正と教育基本法の再改正

 

国家的な取り組みにおいて、最も重要なのは、憲法の改正である。憲法は、国家の基本法であり、国民生活のすべてにわたる定めごとである。食育に関しても、憲法の規定が根本的に関わってくる。

国民は、自らの健康の維持・増進に努めなければならない。そのことを、私は、憲法に規定すべきだと思う。 なぜこんな当たり前のことをあえて言うのか。世界保健機構(WHO)は、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(昭和26年、1951年)と定義している。「健康」とは身体的にも精神的にも社会的にも調和のとれた状態にあることである。
 わが国は、健康保険制度が発達しているが、その弊害として、国民が安易に医療に頼る傾向に陥り、医療費の支出が国家財政を圧迫している。これは、個人としても、国家としても、健康な状態ではない。個人としても、国家としても健康な状態を追求しなければ、病人だらけの財政破綻国家になってしまう。
 現行憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を真に意義あるものにするために、私は新たに健康条項を設けることを提案したい。

人間は健康が資本である。それは個人にとっても、国民にとっても同じである。私は、憲法にも、健康に関する条項を新設し、国民の健康に基礎を置いた国づくりをすべきと考えている。以下のような条文を提案している。

 

新憲法――ほそかわ私案より

 

(健康を求める権利と責務)
第四十四条 国民は、自ら及び相互に、健康の維持・増進に努めなければならない。
2 政府は、国民が精神的、身体的、社会的に健康な生活が出来るよう支援するものとする。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 次に教育基本法についてだが、改正教育基本法には、食育に関する規定がない。方や食育基本法は、食育を「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置付けている。それほど、国として食育を重視するのであれば、教育基本法に食育がまったく盛られていないのは、欠陥だと思う。教育に関わる教育基本法と食育基本法の間に、連携をつけるべきだろう。私は、教育基本法の再改正案において、以下のような項目を盛り込むことを提案している。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

教育基本法再改正――ほそかわ私案より

 

(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
1 知育、徳育、体育を調和をもって施し、幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
2〜5(略)
6 食に関する教育を、生きる上での基本であり、知育、徳育、体育の基礎となるべきものとして推進し、子供を健やかに成長せしめ、また国民の健康が増進すること。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

憲法を改正し、また教育基本法を再改正して、食と健康のあり方を見直し、こうした面からも日本の再建を進めたいものだと思う。(註3ページの頭へ

 

(2)アメリカの日本改造が医療面に及ぶことについては、以下を参考になります。

・本山美彦著『姿なき占領』(ビジネス社)

・関岡英之著『奪われる日本』(講談社現代新書)

(3)憲法については、拙稿「日本再建のための新憲法〜ほそかわ私案」、教育基本法については、拙稿「日本再建のため、教育基本法の再改正を〜ほそかわ私案」をご参照下さい。

 

 

結びに〜食と健康と日本の再建は日本精神の復興から

 

最後に、最も根本的な問題について述べて結びとしたい。

健康とは、人と人、人と自然が調和した生き方によって、もたらされる心身の状態である。国民の健康な生活や子どもたちの健全な成長は、人と人、人と自然の調和の中でのみ得られる。日本人が古来受け継いできた日本精神は、人と人、人と自然が調和して生きる精神である。親子・夫婦・祖孫が調和し、助け合って生きる生き方、自然の恵みに感謝し、環境の保全を心がけ生き方をする精神である。日本人は、その精神をもって固有の食と農を生み出した。米を中心とした農業、米を中心とした食生活、米を中心とした文化が、理想的な食文化を生み出した。

しかし、日本人は、敗戦による弱体化と物質的繁栄の中で、自己本来の精神を失ってきた。数千年、数万年という時間を日本の自然の中で生きてきた先祖の知恵を軽んじ、食においても西洋人の模倣・追従をしてきた。それが、食の乱れをもたらした。

食の乱れは、健康を損ない、家族の絆を弱め、伝統を失わせ、自然を荒らし、国を危うくしている。その根本にあるのは、心の乱れである。日本人が自己本来の日本精神を失ってきたことが、食の危機を生み出している。

それゆえ、日本人が健康を回復し、家族の絆を結び直し、伝統を取り戻し、自然を癒し、国を建て直すには、心の再生が必要である。日本精神の復興なくして、食育は、真の成功に至れないだろう。日本精神の復興を促進してこそ、食育に関する国民的な取り組みは、日本の再建に大いに寄与するものとなるだろう。ページの頭へ

 

関連掲示

・日本精神については、基調をご参照下さい。

 

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