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脱少子化は、命と心の復活から

2007.7.23

 

 <目次>

  はじめに

第1章 少子化の原因と実態

第2章 従来の政策は、根本が違っている

第3章 生き方、考え方を変えること

第4章 個人や家族が心がけるべきこと

第5章 国として行なうべきこと

第6章 最も必要なのは、日本精神の復興

補 説 わが家の体験

 

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はじめに

 

平成18年度(2006)の合計特殊出生率は1.32と、過去最低だった平成17年度1.26より上昇した。しかし、これは、政府の少子化政策が効果を上げているものとは、専門かも見ていない。わが国が長期的な少子化傾向にあることは、変わらない。
 脱少子化を図るには、日本人は、これまでの生き方、考え方を根本的に見直し、個人・家族・国家がこの課題に取り組まなければならない。本稿は、そのためには、どうしたらよいかを述べるものである。

 

第1章  少子化の原因と実態


●少子化の原因と現状
 
 わが国は、少子化・高齢化・人口減少の三つが、同時に進行している。その複合は日本の将来にとって重要な問題だが、ここでは少子化を中心的に述べる。
 少子化の直接の原因は、未婚率の漸増と既婚者の出生力の低下の二つである。つまり結婚しない人が増え、結婚しても子供を産む数が少なくなっていることが、少子化の原因である。

 今日、20代後半の男性は、7割が独身。30代前半では、4割。20代後半の女性は、5割が独身。30代前半では、4分の1以上が独身。独身のまま生活する単身者(シングル)が少なくない。結婚する人も、晩婚化が進んでいる。晩婚化は、初産年齢が上がるから、晩産化となる。晩産化すると、子供を産む数が少なくなるから、少産化する。そのうえ、結婚しても子供を持たないディンクス(DINKS)も増えている。

 少子化を考える時に、合計特殊出生率という数値が基準となる。合計特殊出生率は、女性が一生のうちに産む子供の数の平均値である。15歳から49歳の間として推計する。
 第1次ベビーブーム(昭和22〜24年)を過ぎた昭和25年の時点では、わが国の合計特殊出生率は3.65だった。第2次ベビー・ブーム(昭和46〜49年)を過ぎると目立って下がり、昭和48年度以降は人口維持に必要な2.08を下回っている。昭和55年度には1.75となり、30年前の昭和25年度に比べ、半分以下になった。その後も低下が続き、平成16年度には1.29。平成17年度は、1.26。幸い平成18年度は、1.32に上がった。
 このまま上昇を続けてくれるといいが、長期的な少子化傾向は変わっていない。1.20台から1.30台を低迷しているのが、近年のわが国の出生率の実態である。

●「背景」となる事実

 私が少子化問題で注目している専門家に、北海道大学大学院教授の社会学者・金子勇氏がいる。氏の主張・提案は、これまでの政府の政策を根本的に批判し、政策の転換を求めるものとなっている。金子氏は、少子化の二大原因、未婚率の漸増と既婚者の出生力の低下の「背景」には、以下の事実があるという。

 マクロレベルでは、
@コミュニティレベルに存在していた既存の子育て支援システムの崩壊
A小家族化による子育て支援の家族力の喪失
B女性の社会進出に伴う機会費用の増大
C友人関係ネットワークによる子育て支援システムの弱まり
などである。
 ミクロレベルでは、
@ライフスタイルの非社会的で自己中心型への転換
A短期的で負担回避型のライフスタイルの蔓延
B産み損・育て損に象徴される社会的不公平性の増加
C子供が減少する社会への想像力不足
などである。

 これらの「背景」は、戦後の日本社会の変化、特に高度経済成長期以降の社会的変化を表している。つまり、村落共同体の解体、人口の都市への流入、大家族から核家族への縮小、女性の社会進出、都会での人間関係の希薄化等である。そして、こうした社会的変化に伴って、特に1980年代以降に表われてきた価値観や生活様式の変化である。

●根底にある基盤的条件

 金子氏に限らず、現象的なことは社会学者や官僚が詳細に調査・研究している。私は、少子化の原因・背景には、さらに基盤になる条件があると考える。
 基盤的条件とは、以下のようなものである。

@敗戦による民族の劣化
A自虐的歴史観による呪縛
B男性の権威と役割の低下
C知識の高度化による女性の高学歴化
D個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合
Eフェミニズムの浸透と性の快楽化

 次にこれらの
基盤的条件に関して、具体的に述べたい。

(1)敗戦による民族の劣化


 わが国は、大戦で男子を多く失った。子孫を残すことなく亡くなった若者が、靖国神社に多数祀られている。わが国の場合、戦争では指揮官が隊を率いて先頭に立って命を捧げる。心身ともに優秀な軍人が多く戦死し、将来を嘱望される学生も戦地に赴き、戦場に散った。その結果、男性全体の質が低下したと思われる。
 ベビー・ブームは、戦争で減少した人口を補う役割をした。その時に生まれたのが、いわゆる「団塊の世代」である。その世代の父親は、戦地から復員してきた人たちが多かったわけだが、戦前の男子に比べると、平均的に心身の劣化が見られただろうと思われる。

(2)自虐的歴史観による呪縛
 

自国に誇りがなければ、祖先からの生命を継承するという世代としての責任感が芽生えない。その責任感がなければ、子孫の育成に使命感を感じない。
 祖先を問責する子孫は、自己の民族を愛することができなくなる。それどころか、自己の民族を嫌い、自己の存在を呪うようになる。自国に対して否定的で、自虐的な歴史観を持つ人間は、民族の存続・繁栄に関して積極性がなくなる。「日本に生まれなければよかった」「日本人はいなくなればよい」などと考える少年は、民族の存続・繁栄を志しなどしないだろう。
 国民の間に、生命の存続・繁栄を追及しようという意志が弱くなれば、いつしか少子化が起こることになる。

(3)男性の権威と役割の低下
 

男性の権威が低下すると、民族全体が弱体化する。特に男性的権威を貶めるものは、男性のオスとしての役割の喪失である。女性や子供を守るという役割である。国全体で言えば、国を守るという役割である。現行憲法は、国防に大きな制約をかけている。男性に国防の義務がない。生物との集団として、集団を自衛する能力に制約がかかっている。この状態は、男性の権威の低下と自信の喪失を招く。
 オスとしての自覚を失った男性は、心身ともに貧弱となり、一部は女性化しさえする。自分の子孫を残し、子孫を繁栄させるというオスとしての本能的な欲求が低下する。日本の男性が、戦えないオスになっていることが、民族の生命力を弱めていると私は思う。

(4)知識の高度化による女性の高学歴化
 

戦後世界は、知識集約的な産業が発達し、知識の高度化が進んだ。それにより女子の高学歴化が進むと、高度な知識を学んだ女子は、その知識を生かす職業に就き、能力を発揮する場所を求める。こうして女性の社会進出が進むと、結婚する年齢が上がり、晩婚化が進む。晩婚化は、初産の年齢を引き上げる。晩産化は、女性が産む子どもの人数を少なくする。
 わが国においては、こうした近代文明の傾向を把握し、高度化する教育の中で、女性の本質的な役割を啓発する努力が非常に弱かったと思う。そのため、大学教育を受けた女子が、社会進出の方に強く動機付けられ、子どもを産み育てるという生物学的な役割を軽視する傾向を助長した。

(5)個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合
 

個人主義が少子化にかかわってくる問題は、現行憲法の第24条にある。その第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めている。
 この規定には、家族という概念がない。婚姻が「両性の合意のみによって成立」するという発想は、家族共同体を重んじる日本の伝統とは正反対のものである。この規定は、個人主義的な結婚観を日本人に植え付け、生命に基づく家族倫理を失わせ、社会の基礎を破壊するものとなっている。
 また、戦後の復興と高度経済成長の過程で、もの中心、お金中心の価値観がはびこった。この価値観に、個人の自由と権利の尊重を絶対化した、家族より個人、民族より個人、国家より個人という思想が結合した。その結果、家族の軽視、民族の軽視、国家の軽視となる考え方が支配的になった。

(6)フェミニズムの浸透と性の快楽化
 

フェミニズムは女性の権利の獲得・拡大を求める運動から発し、個人主義を男女・夫婦の関係に持ち込んで、個人主義を徹底する運動となっている。また、1960年代から、アメリカを中心に、生殖としての性を否定し、快楽としての性を解放する性革命が進行した。フェミニズムと性革命の影響により、若い女性の多くが結婚と母性に消極的となり、結婚しても離婚率の増大と出生率の低下が示すように、家庭生活は実り少なく不安定なものとなる。
 この風潮がわが国に波及し、既成の秩序・価値・道徳を破壊し、家族を解体し、性の自由を拡大して、個人の欲望を追求する傾向が強まっている。さらに、児童への過激な性教育が行なわれ、家族を形成し、子孫を育成する性の営みが相対化され、個人の自由と権利としての性が強調されている。こうした教育を受けた子どもたちは、家族・民族・国家の維持・繁栄を建設的に考えることができなくなり、将来的に少子化を継続または悪化させる条件となっている。(註1
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1)少子化の基盤的条件として挙げた諸問題については、別に主題的に書いた拙稿を、ご参照下さい。

 「日本弱体化政策の検証

 「家族の危機を救え!

 「急進的なフェミニズムは、ウーマン・リブ的共産主義

 

 

第2章 従来の政策は、根本が違っている


●政府の認識と政策の誤り

 平成13年(2001)5月より小泉政権は、少子化対策を重要課題と位置付けた。平成15年(2003)7月に少子化社会対策基本法が制定され、基本的施策が盛られた。少子化社会対策会議が発足し、少子化対策の担当大臣を置いている。
 政府は脱少子化を目指しながら、一方では個人主義を徹底し、家族の紐帯を弱めてしまうような政策を行なってきた。個人主義の徹底とフェミニズムの浸透をよいことととらえているために、そこから出てくる政策は、「個の確立」「個の自立」によって個人主義を徹底し、また「女性の自立」によってフェミニズムを促進するものとなる。むしろ、政府の少子化対策は、脱少子化を真の目的とするものではなく、「男女共同参画社会の実現」という名の下に、日本のフェミニズム化を進めるものとなっていると私は思う。

 今日のわが国の社会には、物質的な豊かさを追い求める風潮がある。ものやお金に価値を置く考えの人が増えている。こうした物質中心、経済中心の考え方と、個人中心、自己中心の考え方が結合した結果、人々は、家族より個人、生命や心よりものやお金を大切に考える傾向に陥っている。
 脱少子化を目指すには、この考え方を変えて、個人より家族、ものやお金より生命や心を大切にする考え方、生き方に転換しなければならない。しかし、政府が近年行なってきた少子化対策は、こういう根本的なところから立てられていない。だから、少子化の改善になっていかなかったのである。
 昨年10月、小泉純一郎氏に替わって政権についた安倍晋三氏のもとで、従来の少子化政策は、見直されつつある。首相を中心に、10人の閣僚と7人の有識者「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会がつくられ、家族・地域の再生に重点を置いた戦略的な検討がされている。
 いずれ基本的な方針・方策がまとめられ発表されるだろうが、小泉政権で極まった経済優先・個人主義・フェミニズムの政策から、わが国の伝統を尊重し、共生をめざすものへと、少子化政策が転換されることが期待される。新しい脱少子化政策は、戦後体制からの脱却、教育再生や憲法改正と同じ方向に向き、相乗効果の上がるものとならねばならない。

●既婚者限定で保育一辺倒の対策は、むしろマイナスに

 小泉政権時代からさかのぼって過去10数年間の政府の少子化対策は、未婚率の問題は視野に収めず、ひとえに既婚者の出生力低下を阻止しようというものだった。
 ここには、「未婚率の増大を少子化の原因にはっきり特定すると、結婚の自由や出産の自由をめぐる権利などの人権問題への言及が必要になってくるため避けようとする国の姿勢」があると、金子氏は言う。そこで、政府の少子化対策は、既婚者のみを対象とし、既婚者の出生力を上げることに限定していたと考えられる。しかも、働く女性のために、保育所を増やし、子供を保育所に預けやすくする対策に集中してきた。保育一辺倒の政策である。仕事と家庭を両立させる「両立ライフ」を支援し、保育所に入所待ちの子供をなくす「待機児童ゼロ作戦」を展開する。これが政府の少子化対策のエッセンスである。

 これは、バブルの崩壊以後、長期的な不況に陥ったわが国の財界が、女性を安価な労働力として利用するために、家庭から外に引き出し、一個の労働者として働かせるやり方でもあった。政府は、財界の意向を受けて、多くの女性を家庭の外で長時間働く労働者とした。その結果、単身化・晩婚化・少産化を助長したと私は見ている。

●専業主婦への差別が少子化を助長

 近年政府は、専業主婦は、少子化対策の恩恵を受けられず、むしろ配偶者控除の廃止や年金の個人単位化等によって、主婦が家庭から社会に働きに出なければ、生活が苦しくなるような政策を強行している。実際には子どもを多く産んで育てているのは、専業主婦が多い。その専業主婦を経済的に不利にし、専業主婦を減らすような政策をすれば、少子化を助長する。

 専業主婦を家庭外で働くように仕向け、さらにまた働く女性が家庭にいる時間を減らすような政策が、少子化の改善になるわけがない。むしろ、この政策を続ければ続けるほど、少子化は進行してきた。既婚者対象に少子化を改善しようとするなら、逆に専業主婦が出産や育児をしやすいような経済的・社会的な環境を整えることが第一の方策である。次に、働く女性は短時間の労働でも生活水準を維持でき、家庭保育ができるような制度をつくることが、第二の方策となる。

 乳児期はもちろんのこと、3歳くらいまでは、母子が密着して子育てをすることが、子供の発達上、極めて重要である。子供は、母親を求める。それなのに、わが国の政府がやってきたのは、乳幼児さらには誕生間もない0才児を持つ若い母親まで、子供から引き離して家外労働をさせようとする政策なのである。経済優先・個人中心で、人間の生命や心の発達を軽く考える、間違った政策である。
 平成17年(2005)の内閣府の意識調査では、保育園に通園する子供は、全体の22%程度である。待機児童ゼロを目指す内閣と関連省庁は、このわずか2割程度の子供たちだけに平均で月額11万円の補助金を出してきた。年額では130万円もの税金の支出である。残りの8割の子供のうち、幼稚園に通う子供は平等に門戸開放されているが、それ以外の専業主婦の子供や無認可保育所に通う子供への支援は、皆無に近い。これが男女共同参画社会論のもとでの保育重視の実態である。

補足だが、私は、優秀な女性が社会で能力を発揮することは結構なことだと思う。個人的にも素晴らしい仕事をしてくれる女性たちに支えられている。ただし、女性にしかできない子供を産み育て、家庭をつくるという役割の素晴らしさを認識し、体験して、豊かな人生を送っていただきたいと思う。また、女性それしやすいような制度・政策が必要だと考える。また、こうした家庭外で働く女性を対象にした政策よりも、専業主婦の役割をしっかり評価した制度・政策がもっと大切だと考えるのである。


●従来の政策は劣子化をも生み出している

 少子化と同時に重要なことは、女性が家庭にいる時間が少なくなったため、家庭の機能が低下していることである。子供に接する時間が少なくなったので、親の教育力が低下し、しつけのできていない子供が増えている。
 子育ては、3歳までが特に大事である。乳幼児から預ける保育では、しつけがきちんとできない。「三つ子の魂百までも」という。また、しつけは「つ」のつくうちにすべきともいう。「つ」のつくうちとは、9つまでである。しかし、小学校低学年までの子は、親が家庭で子供に接して根気よく教えなければ、しつけはうまくいかない。
 これが、今日顕著になった劣子化の主要な原因だと私は思う。劣子化とは、子供の能力・状態が低下していることをいう。乳幼児期から小学生の時期に、家庭で親が子供の教育に努力しないと、子供は基本的な生活習慣が身につかず、ルール感覚が育たず、社会性・学力・道徳等が低下する。子供の数が低下して少子化しているうえに、さらに質の面でも低下して劣子化するのは、わが国の重大危機である。そして、私は、近年わが国の政府が取ってきた経済優先・個人主義・フェミニズムの政策は、少子化を助長しただけでなく、劣子化をも助長していると思う。これは日本の大失敗である。

 政府の少子化対策は、さらに地域社会の共同性を弱めるものともなっている。 金子氏は言う。「現代日本に1200万人の専業主婦が存在し、そのうち少なからぬ人々が全国の市町村で、住民運動をやってPTA活動をして、小学生の下校を見守って、消費者運動をやって、住民参加の主力となっている」と。専業主婦は、単に家庭にあって自分の子供を産み育てているだけではなく、地域の大人が協力して子育てをする活動にも参加している。学校におけるPTA活動がそれであり、また自治体における子供会等の活動も、専業主婦なくしてはなりたたない。お母さんたちの横のつながりが、子供たちに安心と喜びを与えているのだ。
 家庭の共同性を回復するとともに、地域社会の共同性を回復するためには、専業主婦の役割を再評価し、その力を発揮してもらえるような政策を行なう必要がある。

 従来の政府の政策は、少子化プラス劣子化を助長し、家庭の機能を弱め、さらに地域社会の共同性をも弱めるものとなっている。経済優先・個人主義・フェミニズムの政策の誤りを認識し、日本丸の針路を修正しなければならないと私は考える。
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3章 生き方、考え方を変えること


●必要なのは、根本的な考え方の回復

 脱少子化と日本再建のための改革は、未婚率の上昇を下降に逆転させ、また既婚者の出生力の低下を向上させるものとならねばならない。結婚する人が増え、また子どもを産み育てる人が増えるためには、制度・政策の改善より、もっと根本的なところから取り組まなければならない。

 敗戦による民族の劣化、自虐的歴史観による呪縛、男性の権威と役割の低下、知識の高度化による女性の高学歴化、個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合、フェミニズムの浸透と性の快楽化が、少子化が進行する基盤条件となっている。これらの基盤条件から考えないと、少子化対策は、真に有効なものとならないと私は考える。
 これらの条件の転換には、日本人が、健康と生命に基礎を置いたものの考え方、生き方を回復する必要がある。そのうえで、新憲法の制定、教育基本法の改正、男女共同参画社会基本法の見直し、フェミニズム行政の転換等を行なう必要がある。そして、家族・民族・国家の維持と繁栄をしていくための取り組みを始めるべきなのである。つまり、日本人の精神、そして日本という国のあり方を根本的に改めないと、脱少子化はなし得ない。

●生命の流れの中での自分の役割

 父母がいて、自分が生まれてきたという事実は、いつの時代、どこの国の人にも共通している。親の前には先祖がある。先祖のどこかで、生命の流れが途切れていれば、自分は、ここに存在しない。先祖のおかげで自分たちがいる。
 こういう単純な生命の事実を踏まえて考えてみることが大事である。

 先祖―親―自分―子供―子孫という生命のつながりの中に、自分をおいて考えること。そして、先祖や親から生命を受け渡された自分が、今度は自分が生命を次に受け渡すこと。異性と結び合い、子供を生み、育て、子供や子孫の幸せのために努力する。そこに生ある者の根本的な役割がある。
 日本人は、もともとこういう考え方を大切にしてきた。これは日本人だけのものでなく、あらゆる国や民族の人に共通する。宗教や文化の違いも超えて、共通した生命の事実である。 
 人間は、もともと自己だけで完結しない存在である。親があって自分がある。自分だけでこの世に生まれた人など誰もいない。生命の継承の中に自分がある。その自己は、男性的身体か女性的身体のどちらかを有する。男性も女性も、ともに自己一人では完結しない。生理構造がそうなっている。
 もとをたどれば、人間の性は一つの生命がわかれたものであり、生命の歴史の過程で有性化した。そして、人間の生命は、男性と女性が結合して新しい生命を生み、世代交代をすることによって、生命を継続していく仕組みとなっている。そして、自己は、異性と出会い、結び合って、新しい生命を産み育てるべき身体を、親から与えられている。男女の体が違うのも、男女が協力してはじめて子供が生まれ、生命を受け渡していけるようになっている。
 こういう根本的なところから、生き方、考え方を改めることが、脱少子化を進めるために必要なのだ。

●人間は家族的存在としてのみ真に生命的存在

 生命を共有する集団の単位は、家族である。男・女・子によって構成されるのが、ここでいう家族であり、最小単位として基本家族とも呼ばれる。家族とは生命を共有する集団である。人間は家族的存在であってのみ、真に生命的存在でありうる。孤立した生命体の生命は、その個体で消滅する。
 祖先からの伝統と文化と歴史の継承も、その基礎は、生命の継承にある。子孫を産み育てることは、伝統と文化と歴史を継承する一番の基礎だからだ。家族の維持、子孫の繁栄のために、結婚・生殖・育児をし、教育をする。その教育において、伝統と文化と歴史の継承が次の世代に受け渡される。
 現代の日本では、結婚をしない人、結婚をしても子供を作らない人、子供を自分で育てずに人に預ける人が増えている。単身者(シングル)の増加、晩婚化、晩産化、子を持たぬ夫婦(ディンクス)の増加などは、「生命の継承」に対して消極的な姿勢である。それは、生命の原理に外れていく生き方である。自分または自分たちの世代さえよければいいという考えは、生命の法則に反している。
 家族の中に生まれ、家族の中で成長し、自らも家族をつくり、家族を維持・発展させ、家族の中で死ぬところに、人間的な生命の営みがある。人間は家族的存在であってのみ、真に生命的存在でありうる。一人一人がこういう自覚に基づいた生き方をしていけば、人々はおのずと脱少子化の道を歩むことになる。
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第4章 個人や家族が心がけるべきこと


●自然なお産は、健康な生き方から

 よいお産を目指すには、健康から考えることが大切だ。多くの人は病気になったら薬を飲む。薬が病気を治すと思っている。実はそうではなく、自然治癒力があるから治る。薬は自然治癒力を補助するに過ぎない。現代人は、不健康な生活をして、病気になり、安易に薬や医者に頼る。そのため、病院が満杯になり、医療費が国家財政を圧迫し、財政赤字が増える原因ともなっている。
 まず自分に生まれつき与えられている生命力を維持・増進するよう努力すること。そういう考え方を、個人も社会も国家も基礎に置くこと。お産にしても、健康な生き方、健康な体が先決である。自然分娩でよいお産をするには、まず心・体・環境ともに健康な生活を心がけること。そして、母体となるにふさわしい体に。体質の改善、体力の増進を求めることが、必要である。

●結婚は母性・子供を保護し、家族・社会を安定させる

 お産というと、妊娠期間と出産の時がまず頭に浮かぶが、第一は、妊娠の時の環境である。夫婦が愛と信頼をもって、調和を心がけ、また子供を授かることを心から願うこと。周囲の家族もまた二人を温かく見守ること。明るい家庭を築くことが、よい妊娠をし、よい子を授かることにつながる。
 この点で、結婚という制度は、夫婦の結びつきを確固としたものとする働きがある。結婚は、男性が女性を支配する制度という見方や個人を拘束するものという見方があるが、結婚には、男女の結びつきを周囲が公認するという働きがある。結婚によって、男女の関係は、私的なものから公的なものとなる。公共の社会には、ルールがある。結婚した男女の間にも、公的なルールがある。それを束縛と取るのは、自己本位の考えとなるだろう。自己の存在を、先祖―親―自分―子供―子孫という生命の流れの中で理解し、自己の役割を考えたいものだ。
 結婚にはまた女性や子供を保護する働きがある。男女の関係を公共的なものにすることにより、男性が簡単に誓約を破れないようにし、男性が妊娠させた女性を捨てたり、子供が生まれた後に他の女性に移るといった身勝手を防ぐ。女性は妊娠・育児の際に、男性の養育を求めることができる。単なる同棲では、妊娠や育児中の女性は、保障を得られない。女性と子供の権利を守る上で、結婚という制度は、優れている。また同時に、結婚は、家族の絆を強くし、家族という生命と文化と伝統の継承の場を安定させ、社会の秩序と発展を基礎付けるものでもある。

●家族が支えるお産は、夫婦の和から

 次に、妊娠期間中のことだが、妊婦は、母親であるという自覚をもって、食べ物、飲み物、嗜好品や体の使い方に注意することが必要である。不規則な生活、夜更かし、冷房に当たりすぎや過労等は避けたい。
 また、心の面も重要である。妊婦が、楽しくゆったりした気分だと、へその緒を通じて、胎児に十分血液が送られる。胎児は、母親の血液によって、栄養も酸素もすべてを受け取る。母親が心配事をしたり、いらいらしていたりすると、胎児への血液の流れによくない。母親の心理状態が、子供の成育にも、性格にも影響する。この点で、夫婦の和が、よいお産を可能にする最大のポイントである。
 出産の時にも、夫や家族の協力が大切である。子供を産むのは、妊婦だが、妻を夫がしっかり支えること。夫婦が心を一つに合わせてお産に臨むと、妻は安心を得て、お産が軽くなる傾向がある。おそらくホルモンの分泌がよくなり、出産の時に働くべく女性の体に備わった生理機能がよく発揮されるのだろう。
 病院でも助産所でも家庭でも、夫が出産に立会い、妻の手を握ったり、そばで見守ったり、一緒にお祈りをしたりすることは、よいお産に通じる。立会いができない場合でも、夫が妻のことを思い、妻と生まれてくる子供のために祈ることは、妻の出産に協力し、支えることになる。

●母乳の素晴らしさを再発見しよう

 我が家は、妻が子供二人を完全母乳で育てた。母乳を与える妻と無心に乳を飲む赤子の姿に、私は、深い安心と清らかな喜びを感じた。
 母乳の素晴らしさは、小児科医、助産師、栄養学者等が、等しく語っている。母乳には、子供の発育に必要なあらゆる栄養素がそろっている。赤ちゃんが病気にならないように守る栄養素も備わっている。人工のミルクでは、これらを網羅できない。
 現在わが国では、母乳で子供を育てられる人が、3割台にまで減っている。ミルクのない時代なら、子供10人のうち7人は、乳を与えられずに栄養不良で死んでいるということである。それだけ、女性が自然の命の働きを損ない、心身の健康状態が低下しているのだろう。母乳育児が減ってから、子供の成人病やアトピー性皮膚炎が増えたという説もある。体質的に母乳の出にくい人もいる。しかし、健康に心がけ、正しい指導を受けることで、多くの人は母乳で子育てが出来るようになる。
 母乳による育児は、母親と子供の一体感を生む。子供の心の発達に、最も大切な母親の愛情を最大限に与えることができるのが、哺乳である。また、子供に乳を与えることによって、母親の母性が一段と強く働くように、遺伝的にプログラムされている。哺乳は、わが子へのいとおしさを湧き上がらせる。

 世界の混乱を解決するには、愛が欠かせない。その愛の典型が母の子への愛である。女性が母性愛を失ったならば、社会は殺伐とし、争いと孤独の世の中になる。女性が母性愛を発揮し、子どもに豊かな愛を降り注ぐ時、その子ども達は明るく平和な世界を築く、頼もしい人材となっていくだろう。
 私は、男として、また一人の父親として、そうした女性たちを支え、守り、励まし、また子ども達に知恵と勇気を与えていけるような人間になりたいと思って生きている。
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第5章 国として行なうべきこと

 

●根本的な考え方を転換した上で、具体的目標を

 少子化ではなぜいけないかという質問がある。地球全体で見ると、人口の爆発的な増加により、環境への圧力が増している。少子化で人口が減ることは、いいことではないかというのだ。この問題への取組みには、国際社会の協力が要る。人口増加の要因である発展途上国における人口増加を抑えるのは、貧困と保健の改善がポイントである。
 ただし、この話しは、子供たちにそのままする必要はない。子供たちには、どこまでも希望を与え、明るく生きていけるように話さなければならない。そのためには、いのちの大切さ、家族の絆の素晴らしさを語り、子供達が成人して、相手と出会い、子をつくり育てる喜びを求めていくように導く必要があると思う。子供に話すことと、大人が努力することは、別でいいのだ。

 日本に関して言うと、出生率のある程度の低下はやむをえない。しかし、現在のように、1.20台〜1.30台を低迷しているのは、国家社会の維持・発展に大きなマイナスとなる。現在のあまりにも急激な少子高齢化は、負のスパイラルを招くおそれがある。私は、日本は日本として適正な人口を目標として定め、出生率をもっと高める努力をすべきだと思う。そうして日本の国力を維持しながら、世界全体の文明の転換に貢献できるように努めるべきだと考える。それは、人類の文明を転換し、人類が自然と調和し、また平和に暮らせる世界を創るために、日本には重大な役目があると私は確信していることによる。

 さて、私は、生命を基礎に置いた考え方、生き方への転換が根本的に必要と考えているが、しかし精神論だけでは、国家社会の方針、方策は成り立たない。そこで、日本としてめざすべき人口、それにともなう出生率の上昇という考え方を取るべきだと思う。
 現在2040年の日本の人口は、約1億人と想定されている。金子氏は、この1億人を「適正人口」と位置づける。そして、約30年後の2035年に合計特殊出生率1.80を目標とした増子化を図ることを提案している。私は金子氏の提案を優れたものと認め、適正人口1億人、30年後までに出生率1.80を目標とすることにしよう。

●家庭の回復・強化を図る脱少子化方策

 このように目標を立てた上で、改めて生命のつながりと家族の絆を大切にした脱少子化の方策を考えたい。
 わが国の政府が実現すべき目標としているものに、「男女共同参画社会」がある。従来の政府の少子化対策は、個人主義とフェミニズムに基づくものだと述べた。その政策は、「男女共同参画社会」という理念によっている。私は、この理念は、個人主義とフェミニズムの推進でしかなく、この理念を修正しない限り、少子化・高齢化・人口減少を脱し得ないと考える。また、年金にしても健康保険にしても、男女の関係だけではなく、世代間の関係で制度が成り立っている。
 そこで、ここでも私が注目しているのは、金子氏の「男女共同参画社会」から「老若男女共生社会」への転換という主張である。金子氏は「社会構成員を男女ではなく、老若男女をセットとして位置づける」必要があると言う。つまり、ジェンダー(性差)だけでなく、これにジェネレーション(世代)を結合して、社会のあり方をとらえなければならないということだ。
これは重要な観点だと思う。
 現実の社会は、抽象的な個人で構成されているのではなく、男女という性差、老若という世代差を含んだ個人が家族をなして集合しているのである。それゆえ、また、これまでの社会のとらえ方が「全体―個人」の二項関係であったのに対し、「全体―家族―個人」という三項関係を立てて、家族の役割、家族における男女・老若・祖孫の生命のつながりを重視したとらえ方を取るべきだと思う。

●脱少子化のための10の方策

 脱少子化には、個人を中心でなく、家族を重視し、家庭の機能を回復・強化するような方策が必要である。また、ものやお金が中心ではなく、生命のつながりと心の豊かさを大切にした方策が必要である。
 その方策として、私案を10点挙げたい。

@保育所中心の保育ではなく、家庭中心の育児の促進に切り替える。
A必要最少限の保育所を除き、保育所の整備にかけている費用を、家庭育児の援助に回す。
B家庭での育児も労働とみなし、賃金収入に当たる分を減税・補助金で補う。年金の払い込みを免除し、期間に加算する。
C特に子供が3歳くらいまでは、母親が家庭にいて子育てができるように金銭的な支援をする。
Dパートタイム労働とフルタイム労働の賃金差をなくし、子育てをする人は短時間の労働でも収入を得られるようにする
E個人単位ではなく、夫婦単位でのワークシェアリングを取り入れる。
F小学生までの子供をもつ人は、午後早く帰宅して、お迎えや下校時の保護、夕食作りに当たれるようにする。
G女性が子育ての期間休職しても、復帰のときに同じ条件とする。
H中学以上の年齢の子供についても、補助金等考慮する
I親学を振興し、高校・大学では必修とし、また社会人教育で講習を行なう。

 以上の方策を考えるに当たっては、林道義著『家族の復権』、湯沢雍彦編著『少子化をのりこえたデンマーク』(朝日選書)に多くを負っている。

●憲法から変える

 日本の再建と脱少子化は一体の課題である。日本の運命と将来が懸かった重大な課題である。
 この課題への取り組みを成功させるには、国の根本を定める憲法から改めることが不可欠。
 憲法に、日本の歴史・文化・伝統を表現し、愛国心・伝統の尊重・公共心等を盛る。さらに、家族に関する条項を新設する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

新憲法〜ほそかわ私案より

(家庭の運営と保護)
第三十九条 家庭は、社会を構成する自然かつ最も基本的な単位である。何人も、各自、その属する家庭の運営に責任を負う。
2 親は、子に対する扶養および教育の義務を負う。子は親に対する孝養に努めるものとする。
3 政府は、家庭を尊重し、家族・母性・子供を保護するものとする。

(婚姻に関する基本原則)
第四十条 男女は互いの長所を認め合い、互いの短所を補い合って、社会の維持及び発展を担う。健常な成年国民は、家族を形成し、子孫を生み育て、教育を施し、生命と文化の継承に努めるものとする。
2 国の行政・立法機関は、次代を担う国民の育成のために、男女の結婚を奨励し、夫婦の子育てを支援する責務を負う。
3 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の信頼と協力により、維持されなければならない。
4 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、人格の尊厳、両性の権利の平等、家庭の保護に立脚して、制定されなければならない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 こうした家族条項を盛った新憲法のもとに、教育基本法と男女共同参画社会基本法を改正し、そのうえで現在の少子化対策基本法を練り直さなければならないと思う。(註2

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(2)新憲法私案の全文は、リンク先をご参照下さい。

 

 

第6章 最も必要なのは、日本精神の復興


 生命に基礎を置いた考え方、生き方への転換、そしてそのうえで行なうべき脱少子化の方策を述べてきた。これらの転換及び方策の立案・実行に当たって、最も必要なのは、日本人が先祖から受け継いできた日本人の精神、日本精神を取り戻すことである。
 日本人は、家庭にあっては、親は子供を愛情を持って育ててきた。子どもは親に感謝して年をとっても大切にする。夫婦は互いの特徴を認め合って、欠点を補い合って和を大切にする。祖先を敬い、子孫の幸福を願って生活する。そういう生活をしてきた。また社会にあっては、互いに助け合い、共存共栄を心がける。また自然と調和し、自然環境を壊さないように工夫して生活してきた。こうした日本人の生き方の中には、宇宙の根本法則に従って生きる生き方があった。
 日本精神を取り戻すことは、脱少子化のために根本的に必要なことであり、さらにわが国の家庭・教育・政治・経済・外交等、さまざまな問題を改善するために、不可欠のことである。各自の中に眠る日本精神を発揚し、若い人々が多く結婚をし、家族が協力して子供を産む喜びを体験でき、安心して子育てのできるような国家社会をめざしていこう。
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関連掲示

・本稿の元になっている、より詳しい論説も掲示しています。

脱少子化と日本再建は一体の課題

少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そう

参考資料
・「平成18年版 少子化社会白書」
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2006/18webhonpen/index.html
・金子勇著『少子化する高齢社会』(NHKブックス)
・湯沢雍彦編著『少子化をのりこえたデンマーク』(朝日選書)
・林道義著『家族の復権』(中公新書)

 

 

補説 わが家の体験


 私は、子供が二人いる。妻の出産の時、二度とも立会った。ともに助産院でのお産で、家庭出産ではない。二度とも短時間で楽な自然分娩のお産だった。

これは、大塚寛一先生の教えを実践した結果である。

 

 大塚寛一先生は、真の日本精神を伝える運動を提唱された方である。大塚先生は、日本の文化や伝統には、非常に優れたものがあると説いている。日本人は、人と人が調和し、人と自然が調和して生きる生き方を心がけてきた。そうして生きていた日本人が先祖代々受け継いできた心を、大塚先生は日本精神と呼んでいる。
 ところが、日本人はその大切な日本精神を失ってきている。そこに、今日の社会の問題(健康・家庭・教育・社会・国家等)の大きな原因がある。そして、日本の再建のため、「日本人は日本精神に帰れ」と大塚先生は訴えておられる。
 大塚先生はまた、宇宙にはすべてのものを貫く法則がある、その自然の法則に沿って生きると、健康で幸福に生きられるということを説いている。お産にしても、自然で楽なお産で健康な子が授かるという。
 もともと人間のお産は、動物と同じように楽だった。ところが、お産というと長時間陣痛で苦しむものという既成観念がつくられ、お産は女性の大厄とも言われるようになった。これは本来の姿とは違う。本来の人間の体には、自然なお産で楽に子供を生めるような働きが備わっている。その働きにそっていけば、自然分娩で健康な子供を授かることができる。そういう自然にそった生き方、考え方をお産という場面でも大切にしていくように、大塚先生は、説いておられる。

わが家は、大塚先生の教えを実行することにより、自然分娩による無痛安産で子供を授かった。
 

一度目のお産は、ちょうど私の休みの日だった。妻と二人で助産院に行った。産むのは、妻である。男は、何もすることができない。祈るしかない。妻と二人で祈った。妻は、陣痛で苦しむことなく、助産院の先生から、「静かですね。普通はこんな風にしていられないのですよ」「よくここまでコントロールできますね」などと言われた。妻はいろいろ姿勢を変え、最後は、私が分娩台の端に座り、妻は私の肩に身をもたげ、ひざ立ちで産んだ。
 私は父親として、生まれた我が子のへその緒を切らせてもらった。今もそのときの光景がよみがえる。生命の誕生に感動した。それは、自分の命を受けた子供の誕生への感動でもあった。
 出産後、妻はすぐ分娩台から立って、別の部屋に移動した。先生から、「お産の後じゃないみたいですね」と言われた。

 二度目の時は、別の助産院だった。妻が産気づいたのは、早朝だった。その日は、特に仕事の予定がなく、休みにしてもらった。このときは、産婆さんのやり方が違い、私は妻に精神的に協力する形だった。産婆さんが妻の体をさすっている間、私は産婆さんといろいろな話をした。妻は、まったく痛がることがなく、声一つ出さずに、二度の息みで、子供は産まれた。
 産婆さんに取り上げられた我が子の姿が、まぶしく感じた。産婆さんが。「この子は、元気はつらつだね!」と言ったのが、うれしかった。義母に連れられて入室した上の子が、「赤ちゃん! 赤ちゃん!」と言って喜んだ。
 この時も妻は、すぐ別の部屋に移った。生まれたばかりの子が、手足を高く上げて、大きな声で鳴き続けた。産婆さんがそれを見て、また「元気はつらつだね!」と言った。

 妻は、二度とも産後の肥立ちもよく、完全母乳で二人の子を育てた。子供は、夜泣きをせず、私は睡眠を妨げられて困ったことがない。幸い子どもたちは、二人とも健やかに成長している。
 妻が妊娠してから、自分は、お腹の子供に声をかけたり、歌を歌ったり、テープを作って音楽を聞かせたりした。子供が誕生すると、父親としての役割や責任は、もっとはるかに大きく、重いものだということを実感するようになった。上記のような立会い出産を経験できたことが、その思いを強くしていると思っている。

 私は結婚する前から、足掛け10年ほど、民間の日曜学校のようなところで、小中学生の担当をした。子育てに関わることの大切さ、子供に接する楽しさを感じ、子供にものを教えることを通じて、子供から教えられることによって、自分の性格や考え方がずいぶん変わった。父母の方々と接し、一緒に子育てにかかわることで、人生の先輩からいろいろ学ばせてもらった。
 自分に子供が生まれてからは、それまでこうした活動を通じて抱いていた思いが、格段と深くなった。今日、しつけや家庭教育のことなど、教育や社会問題等に関して、ネット上で発言したり講演したりしているのは、こうした体験に裏付けられてのものである。(
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