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  家族・教育

                       

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いよいよ道徳が教科化される

2015.1.9

 

 <目次>

  1.道徳の教科化が実現する

2.有識者の見解

3.親学の振興を

 

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1.道徳の教科化が実現する

 

道徳の教科化がようやく実現する。昨年10月21日、中央教育審議会(会長・安西祐一郎日本学術振興会理事長)は、道徳教育の教科化について下村博文文部科学相に答申した。

答申は、小中学校の「道徳の時間」を、数値評価を行わない「特別の教科」に格上げし、検定教科書を導入することを主旨とする。文科省は答申を受けて学習指導要領を改定し、早ければ平成30年度からの教科化を目指すとのことである。

道徳は戦後、日教組などの反対にあい、正式な教科とされなかった。昭和33年に「道徳の時間」が特設され、「道徳教育の要」とされ、各教科や他の領域を補充・深化・統合する役割を果たすものとされてきた。だが実際はホームルームや運動会の練習、自習、他教科に振り分けられるなどし、きちんとした道徳教育がされてこなかった。

教育には、知育・徳育・体育の三要素がある。これらがバランスよく機能して、始めて健全な青少年が育つ。ところが、日本の青少年は、学校で徳育がほとんど実施されていないため、礼儀やマナーの低下、いじめや凶悪な少年犯罪の増加など、道徳面での劣化が目立つ。

中教審の答申は、道徳教育について「本来、学校教育の中核として位置付けられるべきもの」と明記した。道徳教育について「学校や教員によって指導の格差が大きいなど多くの課題が指摘されている」などと強調し、道徳の時間が他の教科に比べて軽視されがちだと指摘し、教育課程に「特別の教科 道徳」(仮称)として新たに位置づけることを求めた。

道徳の教科化については、「価値観の押しつけ」だという批判がある。しかし、答申は、価値観の押しつけや言われたままに行動するような指導は「道徳教育が目指す方向の対極にある」と、明確に否定した。

答申は、「道徳教育の充実を図るためには、充実した教材が不可欠であり、全ての児童生徒に無償で供与される検定教科書を導入することが適当」と指摘した。民間の教科書会社の創意工夫により「バランスのとれた多様な教科書を認める」とし、郷土資料など多様な教材を活用することも提案している。

答申は、小中学校の発達段階や学年により「正直」「誠実」「公正」・「正義」「信頼」「思いやり」など留意するキーワードを明示した。いじめ問題への対応を求め、学校での指導方法を改善して、対話や討論など言語活動を重視することも要望した。

答申は、「道徳性は、極めて多様な児童生徒の人格全体に関わるもの」とし、数値などによる評価は不適切とした。数値評価をする代わりに、指導要録に専用の記録欄を設け、道徳性に関わる子供たちの成長の様子を多面的・継続的に文書で記述することを提案した。

今後、文部科学省は平成30年度から特別教科としての実施を目指し、学習指導要領の改定と教科書の作成を進める。

ここにおける課題は、まず充実した内容の教科書づくりである。戦後のわが国は、民間の教科書会社が学習指導要領に沿って作った教科書を検定するという仕方を取っている。道徳の場合、他の教科より、題材の選択や主題の表現に自由度が大きい。それゆえに、わが国の伝統・文化・国柄を踏まえた内容の教科書をつくることもできれば、共産主義・フェミニズム・反日思想を盛り込んだ教科書をつくることも可能だろう。より良い内容の教科書が作成されるようにするには、教育関係者だけでなく政治家や保護者、さらに一般の国民が道徳教育に関心を持ち、発言していくが必要だと思う。

次の課題は、教師の姿勢や指導力の向上である。仮に良い内容の教科書が作られても、それを使って道徳を教える教師が、道徳教育に情熱を持ち、また子供たちの心に響く指導を行う教育技術を磨くことが必要である。イデオロギー教育や過激な性教育を行うなど、もってのほかである。私は、学校長が中心となって、教育者として、また社会人として豊かな経験を持った教師が、しっかり研究を重ねて、子どもの心を育てる教育をできるように努めてほしいと思う。他の教科と同じく道徳を専門とする教師の養成も必要だろう。

次の課題は、道徳教育に関する学術的な研究である。戦後わが国には、大学に道徳教育を本格的に研究する専門家がほとんどいない。教職課程では、ごくわずかの時間の履修であり、他の専門の教授者が教える。その程度だから、道徳教育の本格的研究者が必要とされなかった。だが、教育における徳育の重要性を考えると、まず道徳教育の裏付けとなる学問を、哲学・倫理学・心理学・教育学・宗教学・文化人類学・国際関係学等を結集して構築することが必要だろう。学際的な道徳教育学が発展してこそ、現場で教育に当たる教師の養成も、質的に向上するだろう。

最後に、実は学校における道徳教育以上に重要なものがある。教育は、家庭教育、学校教育、社会教育が有機的に連携してこそ、充実したものになる。これらの基礎となるのは、家庭における親によるしつけである。親が子供をしつけ、人間としての土台をつくってこそ、その上に学校・社会における教育が豊かな花を咲かせることができる。今の日本では、子供にちゃんとしつけのできない親が増えている。実は世界的な傾向でもある。そこで振興が求められているのが、親学である。私は、学校における道徳の教科化を成功させるには、親学の振興が最も重要だと考える。ページの頭へ

 

2.有識者の見解

 

道徳の教科化について、有識者の意見を紹介する。

昭和女子大学人間社会学部教授で日本道徳教育学会会長の押谷由夫氏は、道徳の教科化の意義を次のように述べる。

「不透明な時代。不安は尽きない。だからこそ確かな未来を求めて、子どもの教育に目が向けられる。そして、学力の育成。その学力も、社会の変化に主体的に対応できる知識や技能が強調される。確かに、それらは重要である。しかし、何かが足りない。未来を生きていくのは、子どもたちなのだ。子どもたちの幸せ感と一体となったところに、それらの知識や技能の獲得がなければならぬ。それには、何が必要か。いうまでもなく、人間としての心の育成、つまり道徳教育である。その道徳教育を充実させる切り札として『特別の教科道徳』が提案されているのである」と。

「そもそも道徳は、一般に言われる教科とは異なる。教科はそれぞれに専門分化したものだが、道徳は総合されたものである。したがって、道徳は、各教科全体を包み込んで人間として生きる根幹となる道徳的価値の自覚を計画的発展的に図るという意味で、特別の教科なのである」という。そのために、道徳教育をどのようなものにしていくべきなのか、について、押谷氏は、目標は「自律的に道徳的実践のできる子どもを育てる」、教科書は「開発資料も使えるようにする」、指導者は「全員で取り組む」、評価は「良さの成長を伝える」という4点を挙げる。

これらのうち、目標については、「自ら気づき(感じ)、考え、判断し、意欲して道徳的な行為ができる人間」を育てることとし、さらに重要なのは「そのような道徳的思考や実践を習慣化(日常化)すること」と述べている。そして、押谷氏は、次のように呼びかけている。「道徳教育は、子どもたちの未来やこれからの社会を、明るく希望に満ちたものにしていくものでなければならない。基本的な道徳的価値を窓口として、互いに励まし合い、助け合って、それらを共に発展させ高めていけるようにしていくのが『特別の教科道徳』である。『特別の教科道徳』が教育課程にしっかりと位置づけられ機能するようになることによって、学校教育が人間教育の場となっていく。そのことに夢を託して、皆さんと一緒に『特別の教科道徳』を創り上げていこうではありませんか」と。

 

次に、シナ思想史家の加地伸行氏は、道徳の教科化への反対論は「〈道徳教育は一定の価値観の押しつけ〉という硬直した思いこみの感情論であり、道徳とは何かと考えたことがないことを露呈している」と指摘する。

加地氏によると、道徳は、絶対的道徳と相対的道徳とに二大別できる。絶対的道徳とは、古今東西において共通する道徳である。人を殺すなかれ、他人の財物を盗んだり焼亡することなかれ…といった、社会秩序の鉄則である。それは公徳であり、きちんと教えなくてはならない。相対的道徳とは、それを実行するには自己が判断し決定する種類のものである。これは、古くから道徳教育の大きなテーマとして存在する。今日では、ディスカッションの形で学ぶことが多い。一般にはモラルジレンマ(生きかたにおける苦渋の決断)と言う。例えば、海上に3人が乗っている1隻の舟があるとする。しかし、その舟の能力では1人しか乗れない。では3人はどうするかーーというような問題について考えさせるものである。正解はないが、議論して道徳の実践における選択と自己の決断という生き方を学ぶ訓練となり、それが道徳心を高める。

加地氏は、さらに個人における修養を挙げる。「小中学生が自分一人で修養を積むのはなかなか難しい。そこで例えば偉人の伝記や人々のエピソードを知ることによって啓発される可能性が高い。こうした修養は、私徳であり、生涯にわたって続くこととなり、その人の人生を左右する。そのための種まきが道徳教育なのである。そのどこがいけないのか」と加地氏は言う。

そして加地氏は、次のように主張する。「日本の教育の不幸は、政府の行うことを、左筋の者が常に悪く悪く解釈し悪宣伝をするところにある。モラルジレンマの訓練・討論など知らないで悪口雑言だけ。彼らにこそ道徳教育が必要だ。文部科学省よ、自信をもって道徳教育を推進すべし。それは明日を担う少年少女のためである」と。

 

次に、元国立市教育長で教育評論家の石井昌浩氏は、「道徳の教科化により、道徳教育は新しい時代を迎えたのだ」と評価している。「道徳教育で問われているのは、社会の一員としてどう生きるかについて自ら学び、自ら考え、問いを立て、答えを見つけて実践する力である。未来の社会の在り方を見据えつつ、独立自尊の精神を身につけ、自らの生き方の座標軸を持つことである」と石井氏は言う。

ただし、石井氏は「道徳の教科化さえ実現すれば、『いじめ』などの難問が、すぐにでも解決するように期待する人もいるが、それは幻想というものだ。教科化は特効薬ではない」と指摘する。

道徳が教科化されることで何がどのように改善されるかについて、石井氏は「まず、検定教科書が使われることが特筆すべき変化である。従来の副読本などに加えて、教科書を使用することにより、学校や教員によって授業内容に格差が生まれていた状況が解消されるだろう」と述べる。

石井氏は「教科化に伴い、大学において道徳を対象とする領域が開設され、専門の教員配置が実現するだろう」と言う。「これによって初めて、道徳の目的・内容・評価・指導法などについての学問的な研究体制の確立が期待できる」とする。

石井氏によると、道徳教育に限って教員免許制度と教員養成制度が未整備のままに長い間放置されてきた。教職課程で道徳の必修単位は2単位、つまり、1回90分の「道徳の指導法」の講義を年間15回受ければ小中学校の道徳授業が可能という軽い位置づけである。さらに道徳が教科でないため、道徳を専門とする研究者の育成がされずに、大半は専門家ではない大学教員が道徳の講義を担当しているのだという。

とはいえ、戦後の長きにわたり試行錯誤の連続だった道徳教育が教科化した途端に手品のように変容するはずもない、と石井氏は指摘する。「戦後70年、私たちは教育の根本にあるはずの道徳について深く論じることはなかった。教科化をきっかけに、他の教科と同じように科学的な学問体系を築いていく必要がある」と石井氏は主張している。

 

次に、武蔵野大教授で日本道徳史・道徳教育論が専門の貝塚茂樹氏は、「今回の教科化によって、道徳教育の形骸化が解消されたかといえば、問題はそれほど単純ではない」と言う。

貝塚氏は、中教審の答申が検定教科書の導入を提案し、授業の指導法にも積極的な提言を盛り込んだことは大きな成果であるとして評価する。だがその一方で、答申では、道徳の専門免許は見送られ、大学での教員養成改革への実質的な提言はない。「これで本当に形骸化が克服できるのか。私には疑問である」と言う。

貝塚氏は、「形骸化の元凶」は「道徳教育の理論研究の貧困」であるとし、それは「道徳が教科でないことで、大学に道徳教育を専門的に研究する講座や専攻分野がほとんどないことに起因する」と指摘する。そのために、道徳教育の研究者は極めて少数であり、道徳教育の専門でない教員が大学の講義を担当することは決して珍しくない。大学での理論研究の貧困は教員養成の機能不全をもたらし、教育現場での教育実践(指導法)の停滞を引き起こしている。これこそが道徳教育の形骸化の本質だ、と貝塚氏は主張する。いわば「負のスパイラル」に陥っているわけである。

 貝塚氏は、道徳を教科化する根本的な理由は、この状況に風穴を開け、「正のスパイラル」へと構造的に転換することだ、と述べる。そして、この構造転換に必要なものが、道徳の専門免許だと主張する。その理由は、教員養成は免許と連動しているので、専門免許を制度的に担保しなければ、大学で道徳教育を研究する基盤が形成されないからだという。これに加えて、いじめと自殺の深刻化やインターネットの拡大など、子供たちが直面している現実はますます複雑となっている。こうした中で、子供の心に響く適切な授業を展開するためには、教師の側に高度な専門性が求められることも、貝塚氏は指摘する。そして、次のように主張する。「教科化しても何も変わらない」ではもはや済まされない。「仏作って魂入れず」と後世に揶揄されるような教科化では何の意味もない。道徳教育改革に魂を入れるのは、これからが正念場である」と。ページの頭へ

 

3.親学の振興を

 

●親学の振興を

 

 冒頭に、私見として、親学の振興が必要だと述べた。学校での道徳教育の回復・強化は急務だが、もっと重要なことは、学校教育に先立ち、家庭で親が子供にしつけをし、子どもの心を育てることである。家庭教育は、人格形成の基礎作りとなる。基礎が出来ていないと、その上に、立派な建物を建てようとしても、柱も立たない。それゆえ、学校における道徳教育の充実以上に、親が親になる教育、親学の振興が必要である。親学を振興してこそ、学校における道徳の教科化を成功させることができる。また、親や大人が協力して行う社会教育も成果を上げることができるだろう。親学については、様々な機会に書いてきたので、下記の拙稿をご参照願いたい。

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関連掲示

・拙稿「親学を学ぼう、広めよう

・拙稿「『しつけ』あっての教育

・拙稿「道徳の教科化と親学の振興で道徳教育の充実を

 

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