トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール

 

  人権・男女

                       

題目へ戻る

 

ber117

 

夫婦別姓の導入に反対しよう

2002.2.22

 

<目次>

第1章 夫婦別姓の導入に反対する

第2章 夫婦別姓論は個人主義

第3章 別姓導入で何が起こるか

第4章 民法改正案は家庭を破壊する

第5章 子供を犠牲にしてはならない

第6章 国民は夫婦同姓を望む

第7章 他の文化圏との比較

第8章 日本には日本の文化がある

 

ber117

 

第1章 夫婦別姓の導入に反対する

 

 ここ数年、選択的夫婦別姓制の法制化をめざす動きが、国会で繰り返されています。別姓導入の危険性を訴える運動によって、なんとか法制化は押し留められてきました。この法案は時代の趨勢でもなければ、国民の強い希望があるわけでもなく、一部特定の思想を有している人々による世論誘導・行政操作でしかないのです。

しかし、ここへきて法務省は、これまでの方針を変更し、原則は同姓とするが、希望者には例外的に別姓を認めるという「例外的夫婦別姓許容制」(仮称)を検討しているといいます。その内容は、@同姓が原則であることを法律に明記する(「夫婦は夫または妻の氏を称する」)、Aそのうえ但し書き別姓希望者には例外的に別姓を認める、B結婚後に別姓から同姓への変更は認めるが、その逆の同姓から別姓への変更は認めない、という内容であると報道されています。

 この案は、同姓を原則、別姓を例外とする点で、従来の同姓と別姓を同等に扱う「選択制」よりは、ましではあります。しかし、夫婦別姓を導入する民法改正であることに、変わりはありません。

問題は、いかなる方法であれ、夫婦別姓を導入すること自体にあると私は考えます。ここで改めて夫婦別姓導入のはらむ危険性を確認し、安易な法制化に反対を表明したいと思います。

 

夫婦別姓を推進する人たちが、別姓の導入を求める理由は、大体以下の通りです。

 

@  社会の基本原理は「個人」である

A  結婚による女性の姓変更は不便である

B  子供が娘だけのため、家名存続が必要である

C  別姓は時代の趨勢であり国民の支持が半数を越えている。

   

しかし、@に関しては、個人といっても、みな親子・夫婦・兄弟などの家族関係をもった個人です。個人が重視されるあまり、家族の絆が弱くなると、社会の混乱を招きます。これは欧米に例を見ることができます。

Aに関しては、現在の法律でも、夫婦どちらの姓を名乗るかは自由に選択できます。職場など結婚による姓変更が不便な場合は、通称を認めるように法を改正すれば良いのです。

Bについては、少子化時代の家名断絶については、別姓は一時しのぎでしかありません。家名存続には養子を迎えるしか方法はありません。

Cについては、別姓を支持する国民が過半数を越えたといいますが、世論を誘導するような調査の仕方による結果であり、実態を表しているものとはいえません。別姓を積極的に支持している人は、ごく少数なのです。

 このように夫婦別姓論は、根拠が薄弱です。そのうえ、別姓の導入は、家庭を破壊し、心を荒廃させ、社会を混乱に導く危険性を持っています。

ページの頭へ

 

2章 夫婦別姓論は個人主義

 

 まず確認したいことは、夫婦別姓論は、個人主義に基づいていることです。別姓推進派の主張の骨子は、日本国憲法が個人主義を原則としている以上、現民法も個人主義に基づくあり方でなくてはならない、だから、夫婦別姓は当然であるというものです。

個人主義とは、世の中の原理を個人に置き、個人の自由と権利を守ることをなにより優先する考え方です。個人主義は、西洋近代に現れた思想です。その個人主義の思想を家庭にあてはめたものが、夫婦別姓論といえるでしょう。この考え方では、社会の基本単位は個人とされますから、夫婦・家族の一体観よりも、個人の自由と権利が優先されます。

これに対し、社会の基本単位は家族であるとする考え方を、家族主義といいます。家族主義では、人間は親子・夫婦・兄弟などの具体的な人間関係にあるものと考えます。個人といっても、こうした関係から切り離した抽象的でアトム的な存在とは、考えないのです。家族主義は、わが国の伝統的な考え方です。戦後、個人主義的な傾向が強くなったとはいえ、伝統的な家族制度の文化が土台にあるからこそ、日本の社会は安定・調和してきました。しかし、夫婦別姓推進派は、個人主義を徹底することにより、家族主義の伝統を根絶しようとしています。

 

 ここで、代表的な別姓推進論者の意見を紹介しましょう。

 民法学者・滝沢律代氏、曰く「氏(姓)を真に個人のものとして規定し直すことは、社会の根底を個人主義のレベルで把握し直すことにつながり、戦後の改正民法のめざした『家』の解体が、はじめて貫徹されることになる」。

 社民党代議士・弁護士の福島瑞穂(みずほ)氏、曰く「核家族は戦前の家の残滓である。核は分解してアトム、即ち個人個人にならなければならない。男女平等や個人の尊厳の立場からは、戸籍は廃止され、個人籍にすべき。日本の戸籍制度は世界で最も遅れた制度である」。

 また、推進派の人たちの多くは、家庭は個人を抑圧する場所である、という考えを持っています。個人の解放のために家族制度を解体すべきであり、それが個性の尊重であり社会の進歩になる、と考えるのです。明治民法は家制度で人々を縛った前近代的なものであるとし、日本の家族主義を排除し、現在の核家族すらも解体しようというわけなのです。そして、個人主義の社会を実現するために、徹底した男女同権を追求します。その手段の一つが夫婦別姓の導入なのです。

推進派の本を見ると、その多くには次のようなことが書いてあります。

「夫婦同姓でいる限りは、夫か妻かのどちらかが譲歩して相手の姓を名乗っているのだから、男女平等にはなり得ない。相手に譲歩することなく、自分の望む姓を使用できて始めて、平等となる」と。すなわち、推進派が目指しているのは、日本中のすべての夫婦が別姓となることであり、例外制の導入はその目的への一歩を許すものとなります。

 ページの頭へ

 

3章 別姓導入で何が起こるか

 

 わが国で夫婦別姓が導入されると、個人が解放され、社会の進歩が実現するのでしょうか。否、そうではなく、個人が寄って立つ基盤である家族が解体され、夫婦関係や子供の教育、青少年や高齢者の問題等に、深刻な事態が現れることが予想されます。その結果、社会に混乱がもたらされるだけでしょう。

 主に予想されることは、以下の3つです。

 

 (1)事実婚が増加し、結婚制度が否定される

 (2)離婚の急増によって、子供が被害者になる

 (3)老人介護や祖先の祭祀がおろそかになる

 

(1)事実婚が増加し、結婚制度が否定される

 

 別姓が導入されると、正規に届け出た夫婦(法律婚)ではない事実上の夫婦関係(事実婚)が増えます。別姓論者は、別姓が実現した場合、次の目標を「事実婚を法律上認知せよ」というところに定めています。その先には結婚制度の否定があります。

 事実婚の認知は、重大な家庭破壊、社会破壊の引きがねとなるおそれがあります。かつて事実婚を公認した例がただ一つ、一時期のソ連にあります。それは革命後のソ連でした。革命後のソ連では、家族はブルジョワ的なものだから解体せよ、と結婚、離婚を自由化しました。近親相姦や重婚も犯罪リストから除き、堕胎も公認されることになりました。そして1927年には未登録の結婚と同等とし、重婚でさえも合法となりました。

 しかし、その結果、想像もつかない社会問題が起こりました。一つには、離婚と堕胎の乱用の結果、出産率が激減し人口が増えなくなりました。そして、社会的には少年犯罪が激増しました。少年による暴行傷害、重要物の破壊、住宅への侵入略奪と殺傷、学校襲撃と教師への暴行、婦女暴行が横行し、数百万の少女が漁色家の犠牲にされ、数百万の家なし子が生まれたと当時の新聞は書いています。

 さすがのソ連政府もこれは大変だと反家族政策の誤りに気付き、1934年頃から政策を180度転換しました。家族の尊重、結婚、離婚の制限等を実行し、1944年には未登録結婚の制度を廃止して、嫡出子と庶子との差別も復活しました。

 ソ連の共産主義体制は、その後、崩壊しました。当時最も進歩的と信じられていた共産主義の壮大な実験がもたらしたものは、破壊に次ぐ破壊に過ぎなかったのです。

 このように既に結果の出ているものを、あえてわが国に導入することは、愚の骨頂です。

 

(2)離婚の急増によって、子供が被害者になる

 

今、日本では離婚が激増し、多くの子供が両親の争いに巻き込まれて、辛い目に合っています。夫婦別姓が導入されれば、結婚による夫婦の制度的結合力が弱まり、離婚が増え、犠牲となる子供が急増するでしょう。また、お年寄りは、子供夫婦や孫夫婦が別姓を巡って争う姿を見ることになるでしょう。

 1970年代、個人主義やフェミニズムが横行したアメリカでは、現在離婚率が50%に達しています。そのうち71%が3年以内に再婚し、さらにその60%は再び離婚して、3回4回の離婚はざらにあるといいます。人権先進国と言われたフランスでも3組の1組が離婚しています。そうなると被害者は結局子供ということになります。

 アメリカでは子供の60%が18歳までに両親の離婚を経験し、その3分の1が親の再婚と2度目の離婚を経験するということで、継母・継父の児童虐待が深刻な問題となっています。現在報告されているものだけでも、年間2百万件を越え、このような環境で育てられた子供が、少年犯罪や麻薬の汚染、十代の出産に走るのは当然です。

 その子供たちが受ける心の傷は癒しがたいものとなります。21世紀は「心の時代」「精神文化の時代」などといわれますが、夫婦別姓の導入は、その逆、心の荒廃、精神の退化に社会を導くものです。

 

(3)老人介護や先祖の祭祀がおろそかになる

 

別姓となったなら、高齢者は子供や孫が自分たちの世話をしてくれるのかどうか、大きな不安に陥るでしょう。また、家の墓を守ったり、先祖の供養もおろそかになるおそれがあります。

 老年者問題は、現在の政治の重要課題であり、厚生省のゴールドプラン等では、その中心は在宅介護におかれています。在宅介護は、夫婦・家族が一体となった協力がなければ無理なことです。しかし、別姓論者は、結婚によって相手の親族との姻族関係の発生をさけたいという考えをもっており、別姓論者の家庭では、配偶者の老親介護などは考えられないことでしょう。

  平成8年3月10日付けの朝日新聞の世論調査によりますと、「老人介護は社会全体で考えるべき問題」とするのが65%、「老人介護は家族で考えるべき問題」とするのが28%。昔ならば、お年寄りの問題は家族の問題として捉えられて当然でしたが、今や3人に2人は社会の問題、つまり国家が面倒を見るべきだと考えているわけです。

 一方、配偶者の老親介護は国家の問題とする考え方では、配偶者の祖先の祭祀など、行われなくなるでしょう。生きているときに世話をせずして、どうして死後、祖先を敬う心が出るでしょうか。また、これまでは共通の祖先をもち、儀式を共にすることが、家族や親戚の結びつきを暖かいものにしていました。しかし、祖先祭祀が行われなくなるとき、人々の心のつながりは一層薄弱なものとなっていきます。自らの祖先を大切にしない考え方では、他の民族や文化の人々が祖先を大切にし、伝統を尊重する生き方を、決して理解できません。

 このように、夫婦別姓の導入は、家庭を破壊し、心を傷つけ、社会を混乱に導く危険性が高いのです。

ページの頭へ

 

 

4章 民法改正案は家庭を破壊する

 

ところで、マスコミの取り上げ方では、夫婦別姓だけがクローズアップされていますが、現在の「民法改正案」は、夫婦別姓だけではなく、「破綻離婚制度」と「嫡出子と非嫡出子の相続分の同等化」を組み合わせたものとなっています。これらは、個人の権利と自由を追求する一方で、夫婦家族の結びつきを弱める方向に働きます。夫婦別姓の導入論は、これらと合わせて検討することによって、問題の重大性がさらに明確に浮かびあがってくるのです。

 

(1)破綻離婚制度

 

 現在の民法改正案は、破綻主義の明確化を盛り込んでいます。具体的には、5年以上別居している場合は、理由のいかんに関わらず離婚を認めるというものですが、その導入は長期的には、離婚の増加と家庭の崩壊を招くことになるでしょう。

 1970年代、アメリカでは、この30年の間に、各州が破綻離婚制度を導入しました。結婚生活が破綻した以上は夫婦のどちらかの申し出があれば、離婚を認めるという制度です。その結果、離婚が激増しました。第3章の(2)に書きましたが、離婚率が50%に達し、うち71%が3年以内に再婚、さらにその60%は再び離婚、子供の60%が18歳までに両親の離婚を経験、その3分の1が親の再婚と2度目の離婚を経験、継父母の児童虐待が深刻な問題となるなど、アメリカでは今、簡単に離婚できる現行制度を改めて、もっと厳しいものにしようという運動が起こりつつあります。

 一方、日本では、法務省が民法改正案に、破綻離婚制度を盛り込んでいます。アメリカでは既に家族破壊の要因として見直しが始まっているものを、日本に持ち込もうというのですが、結果は、現在のアメリカのような殺伐とした社会になっていくことは目に見えていると思います。離婚の急増とともに、親子夫婦が対立離散し、人間不信が増大する社会を招くでしょう。

 

(2)嫡出子と非嫡出子の相続分の同等化

 

 夫婦別姓の導入を推進する団体の多くは、「婚外子差別撤廃運動」や「住民票続柄裁判」などの運動にもかかわっています。これらは簡単にいうと、正規の夫婦の間にできた子供(嫡出子)と、それ以外の女性との間にできた子供(非嫡出子)との区別をなくしてしまおうという運動です。

 これは、相続に係わる問題です。嫡出子と非嫡出子の相続分を同等にするという考えだからです。現在の制度では、非嫡出子の相続できる金額が嫡出子の2分の1とされています。このことについて、総理府の平成6年の世論調査では、「変える必要が無い」という人が49.4%、「金額を同じにすべきである」という人が

28.0%でした。ほぼ半数の人が現行制度を支持しています。これは、多くの家庭では当然な考えでしょう。それなのに、法務省は国民世論を無視して、嫡出子と非嫡出子の相続における違いをなくそうとしているのです。

 嫡出子と非嫡出子の区別をなくそうという運動家たちは、住民票や戸籍に決められた記載をせずに書類を提出し、役所で受付されないと、訴訟を起こすという「住民票続柄裁判」を執拗に繰り広げてきました。その結果、住民票から長男、長女等という続柄がなくなり、「子」という標記に統一されることになってしまいました。

 私は、現状において一部の人々の救済措置になったとしても、長期的には結婚と家庭を崩壊へと導くものと思います。国民の知らぬ間に、家族制度と戸籍制度が一つ一つ突き崩され、日本の家庭が根底から揺さぶられているのです。

 

 以上のように、「破綻離婚制度」と「嫡出子と非嫡出子の相続分の同等化」と合わせて、夫婦別姓の導入の問題を考えると、民法改正案の危険性が一段と、はっきりしてきます。 

別姓の許容は一度法制化されると、一部に利益を得る人々を生じますから、多々の弊害が明らかになっても、廃止することは極めて困難なものとなると予想されます。夫婦別姓法制化は、日本の家庭を破壊する道なのです。

 

参考資料

・家族問題懇話会発行『ウソで固めた「夫婦別姓」ー国が家族を滅ぼす』

ページの頭へ

 

 

第5章 子供を犠牲にしてはならない

 

 こうした多くの問題点があるにもかかわらず、夫婦別姓推進派は、別姓の導入によって、バラ色の未来が開かれるかのような言説を行っています。その中で、注目すべきことは、道徳観念に関する、首をかしげるような発言です。個人主義の価値観が、大人のエゴイズムとなり、子供を犠牲にしてはならないと思います。

 

(1)不倫と離婚の勧め?

 

別姓推進派は、別姓を勧める本をたくさん出しています。そこには別姓を選んだ女性の体験談がいろいろ載っています。その多くは、夫婦の仲が悪くなったから姓を別々にしたというもので、結婚生活や相手、相手の親に対する不満が、原因になっています。結婚生活や家庭生活に不満を持っている人たちが、他の多数の人々に別姓を勧めているのです。そして、様々な呼び掛けをして世論を工作し、現在の制度を変えようとしているわけです。

 不幸な結婚の救済措置としてなら、その範囲で検討すべきですが、福島瑞穂代議士を初めとする別姓の唱導者たちは、結婚している女性に、恋愛の自由を勧めています。つまり、公然とした、不倫の勧めです。自分の感情のままに生きることを、勧めているわけです。結婚後に、夫婦生活に不満を持ち、別の異性と姦通し、それで夫とうまく行かなくなったら離婚。そして、また相手を求めていく。子供も相手が変われば「産む権利」で産む。ですから、急進的な別姓推進派は、不倫と離婚の奨励派でもあるのです。これは、結婚という制度そのものを突き崩すものです。結婚は、男女両性の愛と信頼によって成り立つものです。その「愛と信頼」をうような「自由と平等」の追求は、人間心理の闇を知らない浅はかな考えです。

異性関係のもつれによるうらみ、憎しみは、最も強烈な感情です。多くの傷害、殺人、自殺、精神病の原因にもなっています。愛憎の果てには、死んでも化けて出てくるほどの怨念の世界が開けており、その悲劇は日本の怪談にも描かれています。エロスは、融合と創造のエネルギーであるとともに、裏へ返せば、対決と破壊のエネルギーに転ずるのです。

それとともに、両親が不倫や離婚を繰り返せば、子供への影響は深刻になります。それが青少年の非行や犯罪等の増加を招くのは、火を見るよりも明らかです。こうした結果を考慮せず、個人の性の自由を追い求める考え方は、親としての無責任、大人のエゴというほかないでしょう。個人の権利と自由の追求には、責任と義務が伴わなければなりません。性欲・物欲をほしいままにする欲望の解放であってはならないのです。

 

(2)子供を犠牲にしてはならない

 

別姓推進派は、徹底的な個人主義を唱え、家庭そのものが個人を抑圧する場所、という考えを明らかにしています。夫婦別姓が導入されれば、家族を結びつける力は決定的に弱められ、家族が個人個人へと解体してしまう恐れがあります。

しかし、家族とは果たして個人を抑圧するだけの存在でしょうか。むしろ個人が自らのアイデンティティを確認できる大切な場所ではないでしょうか。

夫も妻も、親も子も、単なる個人と個人と言う関係でしかなくなったなら、人間関係の根本が揺らぎ、人間の精神が破壊されることになっていきます。「個人の権利と自由」「男女同権」を追求するあまりに、家族がバラバラに解体され、家庭がエゴとエゴのぶつかり合う場所になってしまったなら、人の幸福や安らぎは得られません。家庭という暖かい「住みか」を失った「個人」は、生きるための大切な拠り所を失った「故郷喪失者」となるでしょう。いわば「精神的ホームレス」です。

そこで、最大の犠牲者となるのは、子供です。お父さん、お母さんの「権利と自由」によって、子供が苦しむ。親の勝手で振り回されて、心の傷を負った子供は、非行、犯罪、自殺へと進みやすいのです。

国連は1994年を「国際家族年」としました。今日、世界の趨勢は離婚、孤児の増加など社会不安をもたらすような行き過ぎた個人の権利を抑制すべきだと、家族の役割を見直す方向になってきています。個人主義から家族の回復へーーーそれが21世紀のメガトレンドです。これに対し、現在の民法改正の動きはむしろ世界の趨勢に逆行するものといえるのです。

私たちは、子供たちが明るい未来を迎えられるように、どう考え、どう行動すべきかを考えるべきだと思います。

ページの頭へ

 

第6章 国民は夫婦同姓を望む

 

 日本の国は、親子一体・夫婦一体・祖孫一体が、日本精神の特徴をなしています。そして、日本人は昔から夫婦は一心同体という一体感で結ばれてきました。明治時代には、国民が夫婦同姓を要望し、それが明治民法に反映しました。戦後の民法改正では、夫婦同姓のうえに、さらに男女平等が既に実現しています。それにより、国民の大多数は、夫婦同姓をよしと考えているのです。

 

(1)わが国は親子一体・夫婦一体の国柄

 

 夫婦別姓の推進派は、夫婦同姓の理由として、いわゆる家制度を挙げています。そして、それは「封建的なもの」であり「夫婦同姓は前近代の遺物」「夫婦同姓は悪しき明治民法が家制度に基づいて生み出した人間を抑圧するものである」という説が流れていますが、これは違います。

 もともと日本の国は、親子・夫婦・家族の結びつきが深く、親子一体・夫婦一体・祖孫一体が、日本精神の特徴をなしています。そして、日本人は記紀や万葉集の古代から、夫婦は一心同体という一体感で結ばれてきました。

 昔は貴族・武家等を除く庶民の多くには、姓がありませんでした。村では互いに顔見知りで、姓の必要は無かったのです。「ゴンベエさん、オキクさん」でよかったわけです。姓が必要になったのは、交通や産業の発達によって、人々が広い社会へ出るようになると、同名の人間が多くなり、出身地の地域名などで区別を付ける必要を生じたからです。

 江戸時代には、武家では儒教の影響もあり、別姓が習慣となっていましたが、それは国民の7パーセントほどに過ぎません。人口の大多数を占める庶民には、同姓が多かったと見られます。当時は一般国民のほとんどが農民で、あとは町人が工、商をなりわいとしていました。婚姻によって妻は夫の家に入り、そこで夫婦は一緒になって働きます。貧しくとも夫婦一体の協同作業、共同生活を営むことにより、血統が違っていても、精神的には、自然と夫婦は一体との情感が生まれていたのでしょう。また、わが国には、養子・婿養子によって家を継ぐという慣習があり、養子に入った男子が妻の家の姓を名乗ることも行われてきました。

 

(2)明治民法の夫婦同姓は国民の要望

 

明治になって、初期の民法はだいたい武家の習慣に従いました。武家の習慣を国民全体に広げようとしたのです。明治政府は初め、明治9年の太政官指令で「婦女ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」と布告しました。「所生ノ氏」とは生家の氏ということで、それまでの慣習を踏襲して、夫婦は別々の姓を名乗るべしとされたのです。そして、明治24年10月の「司法省指令」は、「婦女姓氏ノ件ハ、婦女 人ニ嫁スルモ………生家ノ氏ヲ用フベキモノトス」としています。すなわちこれは、儒教的伝統にく「夫婦別姓の強制」でした。別姓論者の一部は、明治民法の制定をもって、国家が同姓を強制した根拠だとしていますが、当初は儒教式の別姓が打ち出されたのです。

ところが、国民は政府の夫婦別姓というお達しに従いませんでした。庶民の夫婦の多くは、同姓を名乗りました。それが、庶民感情にかなっていたからでしょう。さらに国民の間から夫婦同姓を認めよという要望が出されました。地方から続々と要望が来るので、中央の政府はこれに動かされる形で、同姓制度に改革することにしたのです。

そして、明治31年の民法によって夫婦同姓が規定されたのです。すなわち、第746条「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」に規定されました。明治24年の「司法省指令」からわずか数年の間に、夫婦同姓案に変わったのです。日本が近代国家の道を歩み始めて、国民が自由に姓を名乗ることができるようになった時、多くの夫婦は同姓を選択したということは重要です。国民の生活実感からくる「夫婦は一心同体」的な共有感覚が、政府を動かしたのです。ここには、親子一体・夫婦一体・祖孫一体の日本精神が表れているといえるでしょう。

 さて、新につくられた明治民法は、男尊女卑の封建的アジア的な前近代の遺物だと思っている人が多いでしょう。確かに民法曰く、妻は夫に従うもの、財産管理に関して無能力者、妻の財産は夫が管理する、妻は夫と同居する義務を負う等。しかし、こうした明治民法の妻の地位に関する内容は、加地伸行・大阪大学教授によると、当時世界で最も指導的であったナポレオン法典に、逐一同様の規定があるというのです。

 明治民法の制定前、欧米近代国家の民法研究が行われました。その中心文献がナポレオン法典でした。フランス革命によって人権の先進国といわれたフランスの民法の中には、父権、夫権、親族会議の力を示す個所が多いのです。そして、加地教授は「ナポレオン法典の立場が、明治民法に導入されていたと見るべきであろう」と言っています。「夫婦同姓は前近代の遺物」どころか、欧米先進国並みであったわけです。

夫婦同姓は前近代の遺物ではなく、逆に欧米化・近代化の産物でした。しかも、単に欧米の模倣ではなく、わが国の庶民文化と一致し、民衆の要望に応えたものだったのです。

 

(3)戦後民法は男女平等を既に実現

 

夫婦別姓推進論者が、権力による強制を批判するのであれば、大東亜戦争後、占領軍によって行われた昭和22年の民法改正こそ、正真正銘の強制でした。これは、外国の占領政策の一環として行われました。

この際の民法親族相続編の全面改正は、我が国古来の家族制度に重大な変革を加えました。中でも家督相続の廃止と均分相続の導入は、家制度を解体するものとなりました。それに姦通罪を廃止したことも、重大な意味を持っています。しかし、欧米キリスト教文化と共通部分である夫婦同姓は残されました。

 占領軍によって改正された民法では、第750条に「夫婦は、婚姻の定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」となっています。法律上は、男女がまったく平等に規定されています。これは当時、世界で最も「民主的な」婚姻制度であり、他に例がないほどの男女平等が実現したわけです。

 こうした民法の改正により、戦後日本では、その家の事情により、夫の姓か、妻の姓かを選ぶことができます。これは、養子・婿養子によって家を継ぐという慣習のあるわが国では、慣習にもかなったことでした。

多くの国民はこれに満足しています。総理府が昭和59年に、20歳以上の女性を対象に実施した世論調査によると、別姓を認めるほうが良いが19%、認めないほうが良いが57%でした。女性のみを対象とした世論調査ですが、別姓反対が6割弱を占めています。

 欧米諸国の一部では男女平等でなかったから、近年、姓を選べるように制度を変えました。しかし、日本では法律上は男女平等が既に実現しています。そして、大多数の国民は、現在の夫婦同姓制度をよしとしているのです。

ページの頭へ

 

参考資料

・加地伸行著『夫婦別姓こそ前世紀の遺物(月刊『諸君』平成8年7月号)

・加地伸行著『儒教とは何か(中公新書)

 

 

第7章 他の文化圏との比較

 

 ここで家族制度について、他の文化圏と比較して考えてみましょう。

世界の様々な社会には、それぞれの伝統に基づく家族制度があります。婚姻をしても夫婦それぞれの氏は変わらないというのは、キリスト教国を除く世界諸民族の慣習法でした。シナ(中国の文化史的名称)やコリア(韓国・北朝鮮の総称)も、アフリカ等も別姓でしたし、日本も武家では別姓でした。逆に西洋諸国では、同姓でした。それゆえ、別姓推進論者がいうように、単純に別姓は進歩的、同姓は抑圧的だなどとは言えないのです。

それぞれの社会の家族制度は、文化によって、また時代によって変化しています。しかし、共通して根本問題となることがあります。それは、近親相姦を禁じることと、相続に一定の規則を設けることです。そのルールの仕組みが、それぞれの社会の親族構造の根本にあるといわれます。

 

(1)キリスト教文化圏では同姓

 

 近親相姦を厳しく避けるには、男女が同族であるかどうかの識別が重要となります。キリスト教文化圏では、ファミリーネームがここで重い意味を持ってきます。

 加地教授によると「キリスト教では神に誓って結婚した二人の間に生まれた子すなわち嫡出子の権利を保護し、非嫡出子とりわけ父親に認知されていない子とはっきり区別する。そのとき、父親の姓を名乗っていることが重要な意味を持つ」といいます。これは、相続のときの順位という重大な問題に関わってくるわけです。

 「近親相姦を防ぎ、正常な婚姻に基づく家族の財産を保護するという意味がファミリーネームにある。そうした家族の婚姻・出生・死亡に関わっていたのがキリスト教の教会である。キリスト教文化圏の女性は、結婚するとファミリーネームの中に入り夫婦同姓となったのである。これは人間の知恵である」。

 このように加地教授は言います。

 アメリカでは、事実上夫の姓しか選べなかったし、ドイツでは夫婦は夫の姓を名乗るべしと法律で定められていました。イギリスは、夫の姓を名乗る慣習があり、今も続いています。フランスでは、現在まで民法に姓の規定などありませんが、事実上妻が夫の姓を名乗ることになっています。

欧米諸国では1970年代以降、一部の国に夫婦別姓を認めるところが出てきました。それは従来の姓名制度・慣習には男女差別があったからです。

 

(2)東アジア儒教文化圏では別姓

 

夫婦別姓論者は、欧米の別姓論にも追従しながら、別姓の例として、しばしばシナやコリアを持ち出しています。そこで、シナやコリアでうまくいっているのであれば、別姓もいいのかな? と思う人がいるようです。

 これらの国の夫婦別姓とは、どういうものなのでしょうか? それは、現在わが国で唱えられている個人主義的な夫婦別姓論とは全く違います。家族主義による、つまり家を守るための別姓制度なのです。それは儒教の伝統によっており、近親相姦をさけ、相続の規則を守るために、歴史の中で育まれた民族の知恵が込められていたのです。

 シナとコリアは、父系社会です。そして、シナは宗族、コリアは本貫という独自の親族構造を持っています。その親族構造の上に夫婦別姓の制度が成り立っています。父系社会は、部外婚(イクソガミー)の有無で異なりますが、シナ・コリアは部外婚のある父系社会です。儒教では「同姓めとらず」といいます。すなわち、同姓同士の結婚を禁止してきました。しかし、相続の規則はシナとコリアで違います。コリアは均分相続ではなかったのです。

 これらの国は父系社会ですから、人々は必ず父の姓を名乗ります。結婚した女性は別姓ゆえにもともとの父の姓を名乗っています。加地伸行・大阪大学教授によると、シナでは、婚姻によって別の一族から妻となった女性に対し、夫の一族は、他人扱いするのではなく、「一族の女性として認知」し、「死ねばもちろん一族として墓も作るし、祭祀することになる」。すなわち「形式上、夫婦別姓ではあるが」、「実は同族化、つまり夫婦同姓と同じ意味なのである」、といいます。これが本家シナの儒教文化における夫婦別姓なのです。

 一方、コリアは、シナの儒教文化を忠実に取り入れました。小中華といわれる所以です。そこで、基本的にシナと同じ夫婦別姓ですが、この国では、もともと姓が200いくつしかなくて、姓を同じくする男女が結婚することは法律で禁止されています。そこで同姓の男女が恋愛に陥ったため結婚ができないという悲劇が生まれ、今日、同姓でも結婚を認めてほしいという運動がおきているのです。ページの頭へ

 

 

 第8章 日本には日本の文化がある

 

 日本には日本の文化・伝統があります。安易に他の模倣をすべきではありません。また、夫婦別姓推進論者は、急進的な女権論者や共産主義者がいるので、注意する必要があります。

 

(1)わが国には固有の事情

 

 日本は、東アジアにあり、儒教の影響を受けています。しかし、日本は同じく儒教文化圏にあるといっても、シナ・コリアとは社会の基礎をなす親族構造が異なります。小室直樹氏によると、父系社会でも母系社会でもなく、そのどちらにも近くないという独自のものです。儒教はシナの親族構造の上に成立した思想です。コリアはシナと親族構造が同じゆえ、儒教を宗教として取り入れることができました。親族構造が違う日本は、儒教を宗教として取り入れることはできず、主として思想、教養として摂取しました。

 例えば、日本の結婚や養子縁組のあり方は、本来の儒教の規定には従っていません。日本式の養子縁組は、シナ・コリアではあり得ないことです。特に、婿養子を娘と結婚させるのは、シナ・コリアでは、近親相姦と見なされる程といいます。

 このように、かつては夫婦別姓だったといっても、日本とシナ・コリアとでは、基本的な親族構造の違いにく相違があります。シナ・コリアでは、もともと同姓は結婚できません(少数の例外を除く)。だから夫婦別姓なのです。まして、最近の欧米の一部での夫婦別姓とは全く成り立ちが違います。

別姓推進派の一部は、こうしたシナやコリアまで例に出して、「世界の中で同姓制度を採用しているのはいまや日本だけだ」と、日本人の外国コンプレックスを利用して、煽り立てているように思えます。

また、キリスト教文化圏との比較で言えば、日本はキリスト教国ではありません。キリスト教に基づく価値観を、個人が持つのは自由ですが、社会全体にあてはめようとするのは、無理があります。一部の社会運動・市民運動には、キリスト教的な価値観の影響が見られますが、わが国の文化・伝統を無視した運動は、多くの国民の受け入れられるところではありません。

 

(2)欧米の模倣や左翼の策略を排すべき

 

夫婦別姓論は、最近の欧米の一部の思想の強い影響の下にあり、欧米思想のものまねの域を出ません。そして、アメリカやフランス、さらにはかつてのソ連の制度までを賛美し、その一面を見て、欠点・危険性を見ずに、欧米の模倣イコール進歩だと思っているのです。牛肉を食べると牛になり、豚肉を食べると豚になるという類です。

しかも見逃せない点は、別姓推進の急進的な団体には、女権団体があることです。その団体やその影響を受けている人たちは、欧米のフェミニズム(急進的女権拡張運動)の影響を強く受けています。しかし、欧米でフェミニストたちが夫婦別姓を主張したのは、フェミニズムはキリスト教的拘束から逃れようとする反キリスト教の要素があるからです。

さらに、注目すべきことは、わが国の女権団体は、欧米のフェミニストの団体とは、際立った違いがあることです。その違いとは、現在の日本の女権運動には、左翼思想が流れ込んでいることです。左翼は、「革命の祖国」と仰いだソ連の共産主義体制の解体を目の当たりにして、社会主義、共産主義社会の実現の難しさを感じ、日本の家族制度と社会制度の解体を図るところに現在の活動の場を求めているのでしょう。そして彼らの現在の最大目標が、夫婦別姓の法制化なのです。ここにも、夫婦別姓導入に対し、国民が慎重に対処すべき理由があります。

 

以上、様々な角度から、夫婦別姓導入の危険性を述べました。家庭を守るため、子供を守るため、そして日本を守るために、夫婦別姓の導入に反対しましょう。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「急進的なフェミニズムはウーマン・リブ的共産主義

夫婦別姓の狙いは、個人主義と性の解放の徹底にある。根底にある思想は、共産主義とフェミニズムである。この点については、上記別稿をご参照ください。

 

「人権・男女」の題目へ戻る

 

ber117

 

ICO_170

 

トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール