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■過激な性教育の背後に、妄想医師ライヒが

2005.9.1

 

<目次>

 はじめに

性差解消と性器教育の根は同じ

全共闘世代にライヒが影響

性解放を煽動する異端の医師

フランクフルト学派との関係

人類文明に逆らって、性革命を唱導

共産主義に性革命の理論を提供

家族・結婚・教育を破壊

ソ連での失敗を無視

危険思想から日本を守ろう

 

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はじめに

 

ジェンダーフリー運動と過激な性教育は、一つの根っこから出ている。それは、共産主義だ、というのが、私の認識である。

私の見るところ、ジェンダーフリー運動と過激な性教育には、ともに性の秩序を破壊して家族を解体し、それによって革命を醸成する役割がある。つまり、これらは共産主義革命の手段として行われていると私は見ている。

そして、今日こうした危険な教育の背後に、ヴィルヘルム・ライヒが影響しているらしい。20世紀から21世紀にかけて、世界に多大な影響を与えてきたのが、マルクスとフロイトを統合した思想である。その統合を最も過激な形で行ったのが、ライヒである。小論の目的は、わが国の青少年に害毒をもたらしている性差解消・性器性交の教育と、ライヒの関係をさぐるとともに、ライヒの思想の危険性を明らかにすることにある。

 

1.性差解消と性器教育の根は同じ

 

ジェンダーフリー運動とは、「男女共同参画=ジェンダーフリー」と曲解し、「男らしさ」「女らしさ」を否定しようとする運動をいう。過激な性教育とは、小学低学年から性器の名称や避妊の技術を教える、行過ぎた性教育をいう。
 これらの根っこにある共産主義(コミュニズム)とは、コンミューンをめざす思想・運動のこと。コンミューンとは、私有財産と階級支配のない社会であり、個人が自立した個として連帯した社会であるとされる。性の解放を実現して、結婚制度を廃止し、家族を解体して、新しい共同社会をつくり、国家(=支配機構)を死滅させる。それが、コンミューン主義としての共産主義の目標である。
 そして、私の見るところ、ジェンダーフリー運動と過激な性教育には、ともに性の秩序を破壊して家族を解体し、それによって革命を醸成する役割がある。つまり、これらは共産主義革命の手段として行われていると私は見ている。

 ロシア革命後、共産主義者は西欧先進国での革命を試みたが、彼らのいう家父長的権威主義的な家族とキリスト教の性道徳が障壁となった。そこで、まず伝統的な性道徳を破壊し、近代的な家族を解体しようと考えた。この時、課題とされたのが、マルクスとフロイトの統合である。マルクス主義と精神分析の合体は、共産主義に欠けていた性革命の理論を補足した。この試みは、ヴィルヘルム・ライヒとフランクフルト学派によって行われた。
 1920年代から40年代、西欧での先進国革命は、遂に成功しなかった。1950年代以降、マルクーゼが『エロス的文明』で性解放による社会文化革命を唱導し、ライヒが書いた『性と文化の革命』が左翼運動の中で読まれた。これらは、フェミニズム(女権拡大運動)に共産主義と性革命の理論を与えることにもなった。アメリカやドイツ等で性解放の運動が行われた。その流れから、今日のわが国のジェンダーフリー運動と過激な性教育が登場してくる。

 平成4年(1992)は、わが国の「性教育元年」といわれ、学習指導要領に性教育が規定された。この頃から、性教育者の山本直英氏が教育界に大きな影響力を持ち始める。ソ連・東欧で共産政権が崩壊し、共産主義が生き残りに苦慮していた頃だ。
 山本氏が所長をしているのが、「“人間と性”教育研究協議会」(略称 性教協)である。この民間教育研究団体が、教育における性革命の指令塔となっている。性教協は「子どもの現実から、性器、性交、自己決定(選択)、ジェンダーフリーの学習課題を整理する」としており、ジェンダーフリー教育と早期性教育を一体のものとして進めている。それを現場で実行しているのは、日教組である。

 山本氏は、性教協の機関紙で、「エロス・コンミューンというものを実現するために性教育をする」という趣旨のことを述べている。
 「人類が21世紀にかけるユートピアは『エロス・コンミューン』の実現にある。この実現をもって、人間が近代社会で希求してきた自由・平等の理念はほぼ実現する。太古の昔、エロスは抑圧されず、管理されず、自然体でありえたが、今やもろもろの制度と、人間の下半身の中に閉じ込められている。こういう社会では、エロスの発現はえてして非社会的か反社会的なトラブルとなる。(略)
 エロスとは『すべての人間の根底にある、人とのゆるぎない性的なふれあい』であり、コンミューンとは『管理や抑圧や統治されることから自らを解放して、自覚的な個人と個人との共同体』のことである」と。(『ヒューマンセクシュアリティ』創刊号、平成2年10月)
 「エロス」とは、フロイトが、性本能を根底とする「生の本能」につけた言葉である。「エロス・コンミューン」とは、初期フロイトの性解放の思想と、マルクスのコンミューン主義とを結びつけた名称であろう。山本氏のいう「エロス・コンミューン」とは、社会的な管理・抑圧・統治がなく、個人が性の自己決定によって自由な性行動をする社会だとし、そのために彼らのいうところの「科学的性教育」をすることが、山本氏と性教協の目的なのである。

 山本氏をはじめ性教協のメンバーは、精神的自立などよりも、「性的自立」を上位に位置づけ、「性的自立」が人間の自立の最高形態だと言う。「性的自立」とは、性の自己決定だというが、行き着くところはフリーセックスになる。
 山本氏は、「男と女とは、たとえ結婚で結びつかなくとも、婚前でも、婚外でも、たとえ親子の不倫でも、師弟でも、まさに階級や身分や制度を超えて愛し合うことが可能なのである」という。(山本直英著『性教育ノススメ』大月書店、平成6年)
 結婚制度を否定するだけならフェミニストも説くが、「親子の不倫」でさえ「可能」と説くのは、尋常ではない。人類がタブーとしてきた近親相姦を認める危険思想である。

近親相姦については、あらゆる社会において反社会的行動とみなされてきた。人類がどこの社会でも、禁止としてきたことには、重要な意味があるはずである。生物学的な説明としては、近親交配で生まれる子供は、心身の先天性異常の可能性が高くなることがいわれる。そういう子供は生き残る力が弱く、子孫繁栄を望めないので、近親相姦をタブーとするという説明である。嫉妬心に注目したのは、人類学者のマリノフスキーである。家族生活では、お互いの役割を分担し、与えられた役目を果たすことが必要である。ところが、性的な関係が家族間で発生すると、役割の混乱、嫉妬、感情のもつれ等、円滑な運営を妨げる要素になるので、近親相姦をタブーとするという説明である。父と息子が母をめぐって争う、姉と妹が父をめぐって争う、父と息子が孫娘をめぐって争う等の事態は、壮絶な争いとなり、家族の破壊となるだろう。また、そこに生まれ育つ子供は、自分の立場や役割について混乱してしまい、健全な自己形成ができないだろう。

山本氏は、この近親相姦の禁止を含む、人類が築き上げてきた性道徳や性秩序を破壊して、不倫であろうが未成年者との性交であろうが、なんでも自由だという考えを広めている。そして、こういう思想を理論的な裏づけとした性教育が、日本の教育現場を席巻し、青少年に施されている。

 山本直英氏の性教育は、共産主義の性教育であることは明らかであり、その思想はマルクスとフロイトを統合したものであることも間違いない。八木秀次氏によると、山本氏の「論理的根拠」「思想的バックボーン」は、ヴィルヘルム・ライヒだという。あのライヒが? 過激な性革命の理論を説いて、共産党からも追放された、あのパラノイアの医師ライヒが? もしそうだとすると、さらにただならない事態である。
 ライヒを読むのは、約30年ぶりである。まさかこのような形で、ライヒが日本に蘇ってこようとは、思いもしなかった。
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参考資料
・西尾幹二+八木秀次著「新・国民の油断」(PHP研究所)

・過激な性教育の実態については、以下をご参照ください。はじめて見る方は、ちょっとショックを受けるかも知れないことをお断りしておく。
http://popup12.tok2.com/home2/education/

 

2.全共闘世代にライヒが影響

 

わが国の過激な性教育を唱導する山本直英氏は、ライヒの影響を受けているらしい。ライヒとは、いかなる人物か。

 ライヒは、フロイトの弟子で共産主義者だった。マルクスとフロイトの結合を試みた者たちの中で、最も過激な思想家である。あまりに過激だったので、ドイツ共産党からも精神分析協会からも追放された。アメリカ政府からは擬似医療装置の販売禁止命令を受けたが、それでも違反を続けたため投獄され、刑務所で亡くなった。妄想性精神病と診断されていた。こういう人物の思想が、わが国の青少年教育に影響を与えているとすれば、ゆゆしき事態である。
 初期のフロイトは、人間の心理に自己保存本能と性本能を見出した。自己保存本能は飢えのように待ったなしだが、性本能は、意識から無意識の世界に押しこめたり(抑圧)、他の対象に向けたり(置換)、社会的に価値あるものの形に表れたり(昇華)するとした。その後、フロイトは性本能を理性や道徳で自制し、昇華つまり社会的に価値ある行動に変化させることによって、文化が発展すると説いた。

 こういうフロイトを、ライヒは激しく批判した。初期のフロイトは性革命の必要を説いた。その後、彼はそれを捨てた。しかし、ライヒはこの発想に固執し、性的エネルギーの全面的な解放を唱えた。それのみが神経症等の治癒となり、社会問題の解決ともなると主張した。
 ライヒは、結婚するまでは純潔でなければならないという考えはブルジョワが発明したもので、厳格な性道徳性交悪いものという印象を与えて神経症や倒錯を生む、解決策は性を健康的で楽しいものと見なして強制的な性道徳を拒絶することだと説いた。ライヒは、性道徳を廃止すれば、家父長的権威主義的な家庭を解体でき、資本主義国家を転覆できると主張した。そして、性を解放することが社会革命の根本であると訴えた。

 ライヒの主著が、『性と文化の革命』(剄草書房)である。この本は、1960年代に欧米の学生運動・新左翼運動の中で読まれ、フランスの5月革命(1968年)の時は、マルクスの本より、よく読まれたという。わが国でも70年安保闘争の最中、昭和44年(1969)に邦訳が出た。帯に劇作家の寺山修司が推薦文を書き、全共闘世代にむさぼり読まれた。全共闘とは、昭和43年(1968)に形成され46年(1971)に解体した学生運動の組織である。今日、ジェンダーフリー運動を唱導する上野千鶴子氏(昭和23年(1948)生まれ)は、まさに全共闘世代である。彼女なども本書を読んだのだろう。
 この世代が触れたライヒの思想が、30数年たった今、彼らを通じて、地下水のように国のそこここに湧き出ているのだ。

 70年安保前後、全共闘世代は、日本での共産革命に挫折した。その後、赤軍派のように海外に活動の拠点を求めた者、中核派等の幹部になった者、環境運動の市民運動家となった者らが、ごく一部いる。その一方、体制の中に深く入り込み、体制エリートとなった者は多い。彼らは、大学教授、官庁の審議官や局長、テレビ局のディレクター、雑誌の編集長、人権派の弁護士等になっている。年齢でいえばいまの55歳位から60歳過ぎの年齢層が、平成日本の指導層となっている。
 1960年代、欧・米・日の革命運動に多大な影響を与えたマルクーゼは、こう言っている。「すでに確立した制度内に身を置いて働きかけよ」「対決というよりむしろ徐々に侵入、潜入せよ」と。武装闘争で権力を打倒する戦術ではなく、権力の中に入り込んで、権力の装置を用いて、自分たちの思想を普及・実現していく方法を取れ、ということである。
 この方法は、同じく先進国の共産主義運動に強い影響を与えたグラムシの説いた文化革命戦術の一種と理解される。グラムシは、西欧の労働者階級は「文化的ヘゲモニー(主導権)」を確立しなければ、政治権力を奪取することができない、文化的ヘゲモニーは、政治権力の奪取にとって本質的な前提条件なのだと説いた。先進国では、権力を掌握して上から文化革命を押し付けるより、まずは文化を変えよ、そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる。この文化革命戦術には、芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、ラジオ等を、一つ一つ攻め落とし革命に組み込んでゆくことが肝要だ、そうすれば人々は徐々に革命を理解し、歓迎しさえするようになると言う。

 中でも最も重視されるのが、教育である。次世代に共産主義の思想を吹き込むことは、ヘゲモニーの確立となる。
 1970年代に入り、わが国の左翼は、武装闘争による政治権力奪取が難しい状況となった。平成2年(1991)のソ連・東欧での共産政権倒壊後は、ますます難しくなった。こうした状況では、文化革命戦術が有効となる。「まずは文化を変えよ」というグラムシの理論と、マルクスとフロイトを結合した思想とを合体し、それを教育の場で実践するという戦術が立てられる。いまさらマルクスやレーニンの名前を出すことは、できない。青少年の性の意識を変える教育であれば、アメリカやスエーデンの名に隠して行うことができる。そこにライヒが復活する下地ができる。

 ライヒは、「社会の性をめぐるなりゆきは、いつでもその文化のなりゆきの中心点だった」とした。だから、文化を変えるには、性の文化を変えよというのである。ライヒは、性道徳を廃止すれば、家父長的権威主義的な家庭を解体でき、資本主義国家を転覆できると主張した。そして、性を解放することが社会革命の根本であると説いた。このライヒの理論を、日常性の中で実践すれば、共産主義の性革命の理論に基づく文化革命戦術となる。
 ライヒは人間の自立の形態のうち、最高に自立した段階として「性的自立」を挙げている。簡単に言えば、「性の解放」、フリーセックスである。これこそが人間がもっとも解放された状態だと主張している。この主張は、山本直英氏と性教協の思想と一致する。青少年に「性の自己決定」を吹き込むのは、ライヒの性解放による家族解体・共産革命という戦術の実行と見てとれる。

 ライヒの思想が、全共闘の世代に影響を与え、今日、その年代の知識人によって、形を変えて広められている。とりわけ学校教育がその実践の場となっている。全国の学校で行われているジェンダーフリー思想と過激な性教育の背後には、蘇ったライヒがいる。これは恐るべきことである。山本氏のいう「エロス・コンミューン」は、ライヒが妄想したユートピアの変種だと見えてくる。
 実際のところ、近年の急速な性の自由化もたらしているか。性病、少女売春、10代少女の妊娠、堕胎とそれによる健康の喪失、父親のない子供、強姦・監禁等の性犯罪、愛憎による殺人等の増加である。ライヒのユートピアとは、全反対の状態をわが国に生み出しているのである。(註1
 いま必要なのは、性道徳の崩壊を押し留め、性的な快楽より人間的な愛、個人の自由よりも家族の絆、一世代の満足よりも次世代の繁栄を中心においた考え方への転換であると私は思う。(註2
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(1)青少年の動向について補足する。

学校教育での性教育が、現在のように過激な内容になってきたのは近年のようだが、それよりも早く10数年前から、家庭での教育力の低下、メディア(映画・ビデオ・漫画・アニメ等)の性情報の氾濫、表現の自由の下での規制のなさ等が目立ってきており、それらが重なり合って、日本の青少年の意識・行動に急速な変化をもたらしてきているのだろうと思われる。
 このことは、日本青少年研究所が行った日米中韓4カ国の高校生への意識調査の結果が物語っていると思う。
 この調査の問19の項目1「結婚前は純潔を守るべきである」に対し、日本は「全くそう思う」が8.1%、「まあそう思う」が25.2%。早くから性の自由化が行われた米国においてさえ、それぞれ19.1%、32.9%だから、日本は突出している。ちなみに中国は、42.1%、32.9%。韓国は35.4%、38.4%です。日本だけが極端に低いことが分かる。
 これは平成15年現在の高校生の調査結果である。今後、現在のような過激な性教育が続けられれば、3年後、5年後、10年後に高校生となる世代は、もっと各国と顕著な違いを表わすことだろう。
 この意識調査には、このほかにも興味深い設問と回答がいろいろある。
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/
(トップページ下段の「調査・研究」のボタン⇒「高校生の生活と意識に関する調査」2004年2月発表)

なお、私は、現在の高校生以上の青年層については、学校での性教育より、家庭・社会・メディアの影響が大きいのではないかと思う。これに比し、現在の小学校低学年から中学生については、今後、学校での過激な性教育の影響が大きくなっていくことを強く懸念する。 
 過激な性教育が社会的に大きく問題になってきたのは、平成14年である。この年、中学生向けの「思春期のためのラブ&ボディBOOK」や、国立5小での小学校1年への性器教育が問題になった。実際はその数年前から積極的な早期性教育が行われてきたようだが、全国の父母に衝撃が広がったのは、今から3年前だった。それ以後、国会で問題になり、全国的な調査が実施されるなど、実態の把握と軌道修正の取り組みが始まりまった。適正化には、相当の努力を要すると思われる。
 近年の経過については、以下の拙稿をご参照ください。

猛威のジェンダーフリーと過激な性教育

 

 

3.性解放を煽動する異端の医師


 ヴィルヘルム・ライヒは、1897年、オーストリアに生まれた。父親はユダヤ人だった。14歳の時、母親が自殺した。自殺の原因は、母親が家庭教師と浮気している現場を見たことを、自分が父親に告げたためだ、とライヒは言っていたという。これは、少年ライヒにとって、大きなトラウマ(精神的外傷)となる体験だっただろう。
 ライヒは1920年に、ウイーン精神分析協会の会員となり、フロイトの指導を受けるようになった。フロイトの弟子のうち、ユングやアドラーは師と意見が合わず、立ち去った後だった。ライヒはやがて精神分析医として開業し、ウイーンにあるフロイトの精神分析総合診療所で、22〜28年まで第一助手、28〜30年まで副所長を勤めた。
 ライヒは女性患者と性交渉を持つなど、医師としての行動に問題があった。母親の行動と似た点があったのだろうか。

 1917年にロシアで革命が起こり、ソ連では共産主義の理論が政治経済だけでなく、性の解放という形でも実行された。ライヒはフロイトの助手時代から、フロイトと理論上の不一致が目立っていた。フロイトが捨てた性解放の思想に固執し、師を批判したからである。
 ライヒはまた27年からマルクス主義にのめりこみ、28年に共産党員となった。副所長時代までに行った仕事のほとんどは、マルクス主義と精神分析を統合する試みだった。29年の『弁証法的唯物論と精神分析』に続いて、30年には『性と文化の革命』(ドイツ語原題:文化闘争の中の性)を出版した。本書はライヒの主著であり、その後も改訂が続けられていく。
 この年、ライヒはベルリンに移り、ここで性政策計画を提言した。これを容れたドイツ共産党は、30年に「プロレタリア性政策のためのドイツ協会」を設立した。
 ライヒは32年に『性道徳の出現』を刊行し、家父長的権威主義的な道徳を精神疾患と全体主義の原因と論じた。33年には『性格分析』を発行して、共産主義革命やファシズムとの闘いは、性器性欲優位が確立した「性器的人間」によって担われならないと説いた。

 ライヒがこのように共産主義的な性革命理論を打ち出してゆくのに対し、フロイトは30年に『文化の不満』を刊行した。彼は政治的には保守的だった。初期のフロイトは自己保存本能と性本能という二分法を取り、性本能の基底にあるエネルギーをリビドーと呼んだ。そして性エネルギーの解放を説いたが、間もなくリビドーの思想を捨て、エスの欲求に取って替え、理性的な倫理観を強く出すようになった。
 後期の著作である本書では、自己保存本能と性本能をあわせた「生の本能(エロス)」に対し、「死の本能(タナトス)」という概念を対置して、人類の文化を考察し、文明の将来に悲観的な考察を行った。
 これに対し、ライヒは、フロイトは性本能を抑圧する道徳的な考えに変わったために、その文化論が悲観論になるのだと批判した。ライヒは、初期フロイトにあった性解放の発想を共産主義に取り入れ、性革命による社会革命・文化革命を煽動した。ライヒは、性解放は家父長的権威主義的な家族を解体することになり、それによって共産主義を実現できると考えた。
 『性道徳の出現』において、ライヒは、精神疾患と全体主義は家父長的権威主義的な道徳が原因だとして批判した。家父長制家族とは、家父長が家族全体を支配し、祖先から伝わった財産を独占し、財産が男子から男子へと相続され、婦人が父・夫・息子の後見のもとに服する家族のことをいう。ユダヤ=キリスト教社会に特に顕著な家族形態である。また、権威主義とは、自我の独立性を捨てて、自己を自分の外部にある力、他の人々、制度等と融合させることである。
 ライヒは、権威主義の研究においても先駆的ではあったが、やはり直感的で独断的だった。

 ソ連では30年代はじめまで性革命が継続されていた。この最も過激な時期に、ライヒは、マルクスやレーニンに欠けていた性革命の理論を打ち出したわけである。
 しかし、ソ連では、性解放は社会に混乱と退廃を生んでいた。500万人ともいわれる私生児が誕生し、青少年の非行や家庭の崩壊が進んだ。そのため、スターリンは政策を転換し、33年から35年にかけて、性解放を法律で規制した。国家社会の安定と発展のためには、結婚や家庭が重要であることがわかったのだ。それが、共産主義による人類史上初めての性解放運動が残した教訓だった。
 ソ連での政策転換に伴い、コミンテルン下のドイツ共産党は33年、「プロレタリア性政策のためのドイツ協会」を廃止した。党員にライヒの著書を読むことが禁止され、ライヒは党から除名された。しかし、ライヒは性革命の思想に執着した。35年の『性と文化の革命』第2版では、第2部でソ連における性革命への「反動」を批判した。彼は、性解放によって家族を解体することこそ、共産主義革命の実現となると考えた。

 共産党から追われたライヒは、ドイツの精神分析協会からも除名された。国外生活を余儀なくされ、北欧でも彼への批判が強くなると、39年にアメリカに渡った。ここで45年に『性と文化の革命』の第3版を出した。
 その後、ライヒの関心は「オルゴン」と名づける性的なエネルギーの研究に向かっていく。オルゴノンという装置をつくって販売したライヒは、米政府の食品医薬品局から販売禁止命令を受けた。それでも違反を続けるライヒは、57年に懲役2年の刑を受けた。
 ライヒは刑務所で精神科医から、妄想性精神病(パラノイア)と診断された。晩年は、自分をキリストと同一化したり、自分の装置で気象を変えられる、洪水を起こすと言って政府に挑戦したりした。ライヒのパラノイア的な傾向は、20歳台ころから現れていたという。
 獄中につながれた年の10月、ライヒは刑務所で死亡した。死因は心臓麻痺だった。彼の死とともに、その危険な思想は葬り去られるはずだった。だが、わずか数年後に著書が再刊され、欧米や日本に猛毒を及ぼしていくことになる。
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参考資料
・ライヒ著『性と文化の革命』(
初版1930年、第3版1945年、日本語訳1969年、勁草書房)
・コリン・ウィルソン著『性と文化の革命家 ライヒ』(筑摩書房)

 

 

4.フランフルト学派との関係

 

マルクスとフロイトの統合はフランクフルト学派によって為されたというのが、通説である。だが、私は、ライヒとフランクフルト学派によって、とした方が正確だと思う。
 フランクフルト社会研究所は、1923年にドイツのフランクフルトに開設された。メンバーは共産主義者であり、またそのほとんどが、ユダヤ人だった。このグループを、フランクフルト学派という。マルクス主義と精神分析の統合が、研究所の課題の一つだった。これを担当したのが、精神分析医のエーリッヒ・フロムである。また、哲学者のヘルベルト・マルクーゼも、これに関わった。ライヒは、フランクフルト学派ではない。しかし、同時代に、マルクスとフロイトの統合を試みた点で、彼らと近い関係にある。

 ロシア革命後、西欧先進国では革命が追及され、知識人の多くはマルクス主義に心酔した。ライヒもフロムもマルクーゼも、そうだった。1897年の生まれのライヒと同年生まれなのが、マルクーゼである。フロムは3歳下である。3人ともユダヤ人だった。ユダヤ人マルクスとフロイトの理論を、ユダヤ人マルクス主義者たちが統合しようとしたのである。

 ライヒはベルリンの精神分析医の集まりで、フロムと出会った。彼らがどのような議論をしたかはわからないが、フロムは30年からマルクスとフロイトの統合に取り組んだ。同年その主題での最初の論文「キリスト教の教義の変遷」を出し、32年にも彼独自の仕方で統合を試みた論文を出した。これらは、ライヒが『弁証法的唯物論と精神分析』(29年)等で行った先駆的な研究に少し遅れて、世に問うたものである。
 フロムは、フロイトに学びつつも、ライヒのように性解放を精神病の治療や社会改革の根本的な方法などとはせず、精神分析に社会的・経済的な因子を取り入れ、幅広く人間を理解する方向へと理論を進めた。マルクーゼは、当時研究所の同僚としてフロムに協力した。彼自身が積極的にこの課題について論及するのは、後年になってのことである。

 フランクフルト研究所では、30年以降、ホルクハイマー=アドルノを中心に権威主義の学際的な共同研究を行っていた。フロム、マルクーゼは、これに加わっていた。当時、ドイツではナチスによるユダヤ人への弾圧が強まっていた。ユダヤ人学者たちは、ナチズムの根底に権威主義の心理を感じ、その研究を行ったわけである。ライヒは、32年に刊行した『性道徳の出現』にて、精神疾患と全体主義の原因は、家父長的権威主義的な道徳にあるとして、これを批判していた。権威主義についても、彼は先駆的な考察を行っていたことになる。ただし、フランクフルト学派のような学際的な研究とは違うし、またすべてを性の問題から論じていた。
 
 ナチズムは、共産主義者とユダヤ人に容赦なかった。フランクフルト研究所は、33年、ドイツ第一党となったナチスの弾圧を受け、閉鎖された。ヒトラーは議会の決定によって、民主主義的に独裁権を与えられた。ユダヤ人への迫害は激しさを増し、フロムはアメリカに亡命した。翌年ホルクハイマーも渡米し、ニューヨークのコロンビア大学に研究所を移した。ホルクハイマーらの研究成果は、37年に『権威と家族』として刊行された。フロムは社会心理篇、マルクーゼは思想篇を執筆した。

 フロムは、母権制社会の研究を知って、父権制社会をモデルにしたフロイトの精神分析を批判した。それがもとでホルクハイマーらと意見を違え、39年に研究所を離れた。
 その後、41年に著わしたのが、名著『自由からの逃走』である。ライヒとは違う仕方でマルクスとフロイトの統合を行っていたフロムは、本書で西欧近代の精神史を社会心理学的に解明しつつ、ナチズムの発生原因について、深い洞察を示した。
 フロムは49年にメキシコに移住し、65年までここで研究・著作を続けた。戦後のフロムは、生命と幸福と愛を重んじる人道主義的な立場から、マルクスとフロイトをともに批判した。『正気の社会』(1955年)、『マルクスの人間観』(1961年)、『希望の革命』(1967年)等の作品は、当時の知識人に大きな影響を与えた。

 こうしてフロムは世界的な名声を得たが、ライヒは欧米で危険人物視され獄死した。ライヒの著作は、1956年にアメリカで焼却・発禁処分となったが、この年、マルクーゼは『エロス的文明』(原題:エロスと文明)を公刊した。
 マルクーゼは、独自の仕方で初期フロイトの理論を解釈し直して、後期フロイトのエロスとタナトスの二大本能論を継承する立場を取った。マルクーゼは、エロス(生の本能)が文化を創造する力は、抑圧的でない昇華であり、性欲は十分な満足を求めつつ他の対象へとそれを乗り越えていくと説いた。そして、社会構造の根本的な変革によってのみ、プラトン的な意味でのエロスが復興され、労働と遊びの一致する理想社会を実現することができると説いた。
 プラトン的とは、真理の知に至るという意味だろうが、プラトンと違って、マルクーゼは、身体から独立した霊魂を認めない。イデア界と呼ばれる別の世界も認めない。それゆえ、そのエロス論は、魂の解放をめざすものではない。唯物論によって人間の真の解放がかなうかのごとき空想を振りまいたところに、マルクーゼの罪業がある。

 マルクーゼは、フロムに対しては、フロイトの理論から性を削ぎ落とし、社会的な問題を道徳的な問題に還元しているため、人間の全面的な解放は不可能であると批判した。そして、学生や知的労働者やマイノリティを共産主義運動に駆り立てた。対照的にフロムの思想は、共産主義に矛盾・限界を感じる人々を啓発した。
 また、マルクーゼは、ライヒに対しては、抑圧的な昇華と非抑圧的な昇華の区別を立てられず、自由の前進を単に性欲の解放としてか考えられていないと批判した。しかし、彼の『エロス的文明』が1960年代のアメリカでベビーブーマーを中心に読まれ、それがライヒの復活を呼び起こす格好になった。

 マルクーゼの思想が哲学的で理想主義的であるのに対し、ライヒの思想は直接的で、性革命の意義を強調し、性解放を煽動した。それが、性の自由化が進むアメリカやドイツ等で、学生を中心とした若い世代に影響を与えた。
 わが国でも昭和44年(1966)に『性と文化の革命』(勁草書房)の邦訳が出て、全共闘世代に強いインパクトを与えた。革命運動は、闘争の過程で、既成の政治体制を破壊するだけでなく、伝統的な秩序や道徳までも全否定しようというアナーキーな集合心理を生み出す。ライヒの思想は、左翼の若者が無規制の行動を正当化する根拠となったと思われる。
 そして今日、ライヒの影響を受けた世代が社会の中枢に上って、行政や教育、報道等の内容を左右している。なかでもジェンダーフリー教育と過激な性教育が異常な熱意で行われている背後に、ライヒの存在が浮かび上がっている。ライヒ思想の危険性を明らかにしておきたいと私が考えるのは、そのためである。
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5.人類文明に逆らって、性革命を唱導

 

ライヒの基本思想はいかなるものか。主著『性と文化の革命』を中心に見てみよう。

 本書第2版(1935)の序に、ライヒは次のように書いている。
 「人間の感情や思考の構造を支配しているのは性のエネルギーだ。性は、生命のエネルギーそのものなのだから、性を抑圧することは、基本的な生活機能を乱すことだ。障害は医学の領域だけではなく、もっと一般的に起こる」「心の構造の核心は性の構造であり、文化構造は本質的には性欲求によって支配される」
 このように、性を極度に重視するライヒは、師のフロイトを次のように批判する。
 「フロイトの文化哲学の立場はいつも、文化に本能を抑圧し拒否することによってなりたつ、というものだ。根本的な考えは、文化的成就は性のエネルギーを昇華した結果だというものだ。これは論理的にはつぎのようにつづく。文化の発展には性を抑制し抑圧することがなくてはならない。‥‥
 この理論で正しいことは、性を抑圧することが大衆心理的な基礎になり、ある種の文化、つまり家父長的権威主義文化を、そのいろいろなかたちすべてにわたってつくっている、ということだ。間違っているのは、性の抑制がすべての文化の基礎だ、という公式だ。‥‥
 (フロイトの)初期の著作は、はっきりと性革命が必要だという立場から文化を批判するという方向を示していた。ところが、フロイトは、こういう方向には進まなかった。それどころか、こういう方向に向かう試みにはどれも反対し、一度は『精神分析の邪道』と呼んだりもした。フロイトと私の間にどうしようもない意見の違いが起きたのも、まさしく私が初期の試みで文化批判を一緒にした性政策をめざしたためだった」と。

 ライヒは、フロイトが性革命を必要とする考えを早くに捨てたのに対し、性革命に固執し、これを追及する。そのため、フロイトから嫌われ、精神分析協会から追放されることになった。
 ライヒは、フロイトにとって性本能は悪しき衝動、支配されるべき欲望にすぎないと、師を批判した。こうした合理主義的倫理観が、後半期のフロイトの社会文化論、人間観をペシミスティックなものにしたのだと。フロイトは、社会・道徳・文化に歴史的観点を欠き変革の思想がない、権威的家族主義から脱却できていない、プチブル的な道徳主義、とくに父権的家族主義によって制約されていると、ライヒは攻撃した。

 ライヒは、性を抑圧することは、基本的な生活機能を乱すことであり、神経症等の原因となり、さらに社会的な問題の原因ともなると考えた。「性の抑圧がなくなれば、倒錯した衝動や反社会的な衝動もなくなるだろう」と。そして、本能の解放を煽動する。
 「人間が動物と区別されるのは、人間が動物より性的ではないからではなく、もっと強度の性を持つ(いつでも性活動にはいれる状態にある)からだ」とこの精神分析医は認識している。その認識のうえに立って、さらに本能を全面的に解放しようというのである。
 ライヒは説く。「本能が自然に満足させられるようにするには、抑圧するのを止め、本能を解放しなければならない。これが実現されなければ、病気が治ることはない」と。

 私見によれば、性本能の抑圧によって神経症となる事例はあるだろうが、本能の解放によって、不倫や性犯罪の常習者となる者はもっと多いだろう。その犠牲者の大半は、女性であり、子供である。
 西欧には、ドン・ファンの伝説がある。次々に女性を征服して、襲った女性の父親を殺し、それでも悔い改めずに渉猟を続ける。最後は、殺された父親の石像に復讐され、地獄に落とされる。モーツアルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の題材にもなっている。近年のわが国の性犯罪常習者は、ドン・ファンどころではない。悪質・凶悪な例が、続々と表れている。多くの婦人や少女が犠牲になっている。

 人間は自殺をする動物であり、また殺し合いをする動物である。人間には、自然界の動物の姿から逸脱した行動がいくつもある。性本能による行動はその一つである。
 動物には発情期があるが、人間にはそれがない。人間の性行動は常に可能である。問題はむしろ抑圧より過剰であり、なにか本能に壊れを生じていると考えられる。本来、生殖のための性行為だったものが、快楽のための性行為となり、生殖を否定した快楽そのものが追及される。これは、本能の壊れがさらに進んだ状態だと思う。同性愛やサド=マゾヒズム、自体愛、獣姦などは、自然界の種には見られない。
 理性は、基本的には、本能を抑制する働きをするが、逆に本能の壊れを意思的に進め、過剰な快楽を追及する方向にも働く。マルキ・ド・サドは、近代科学を信奉し、啓蒙的合理主義を極限まで進める思想の持ち主だった。ここに理性の両面性がある。人間理性を自然や社会と調和するように用いるものは、良心以外にない。良心すなわち徳性の発達・向上なくして、人間は自らの本能と知能の持つ破壊性を抑止することができない。そこに、人類における倫理・宗教の不可欠的な必要性がある。

 道徳的自制力が発達していないか、または喪失してしまうと、個人においては、本能的な欲望の放恣となり、不倫や性犯罪を繰り返す。社会においては、ローマ文明の性の狂宴(オルジー)やシナ文明の酒池肉林など、文明の爛熟が欲望の肥大を生む。欲望の追及によっては、心は決して癒されない。快楽はさらなる刺激を求め、悪循環を招く。麻薬と似たような中毒症状を表わす。
 だから、人類は、性本能の過剰をかかえながら、これを社会的に規制し、家族の繁栄や公共の秩序を維持するための知恵や仕組みをつくってきた。キリスト教に限らず、仏教も儒教もイスラムも、それぞれの仕方で、性の道徳と秩序を形成している。

 ライヒは、こうした人類の文明史に反抗し、性の道徳と秩序を破壊しようとする。そして、性の解放によって、家族を解体し、社会そのものを変革しようとするのである。ここに彼の思想の持つ非常なる危険性がある。
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6.共産主義に性革命の理論を与える

 

ライヒは、性本能の解放のために、道徳の否定を唱える。
 「道徳の拘束服をぬぎ、それによって自分の本能的欲求のせきとめを解放する」「道徳による規律はもういらないのだ」「自制のメカニズムはもういらない」「性のうえで幸福な個人は、抑制するための『道徳』とか、超自然的な『宗教体験』なんかいらないのだ」という。
 このように唱えるライヒは、道徳を次のようにとらえている。
 「道徳は、未開社会で、ある上層階級が経済のうえで優位に立って、権力を持ち始めたときに、現れた」「権威主義の社会では、一方の少数者が自分の権力を保とうとして社会全体に押し付けている道徳と、他方の個人としてもっている性欲求のあいだの葛藤が、危機をまねいている」と。また「性器的な満足は、どう考えても、現在の法律や家父長制的な宗教とは矛盾する」とも言う。
 こうして、ライヒは、性の抑圧をなくし本能を解放するために、道徳・宗教・法律の破壊を煽動する。

 ライヒのとらえる道徳は、階級支配のためのイデオロギーを意味する。しかし、私見によれば、階級のない社会にも、道徳はある。親子・夫婦・祖孫・兄弟姉妹の間の家族道徳や、族長族員・年長年少等の間の氏族道徳がそれである。家父長制的な文化以外のどのような文化にも、掟やならわしなど一定の決まりごとがある。とりわけ性の道徳については、最大のものが近親相姦の禁止である。また、一夫一妻制以外の社会にも、結婚に関する規律がある。
 ライヒは道徳を狭く解釈し、それを抑圧的なものと決め付けて排除しようとする。これは、性の抑圧の解消というより、無秩序への衝動にすぎない。

 若き精神分析医ライヒは、1927年から共産主義の活動に参加し、マルクス=エンゲルスをむさぼるように読むようになり、28年にはドイツ共産党員となった。そして、性解放の政策を提案し、共産党はこれを取り入れ、組織作りも行われた。
 ライヒの性解放の思想と共産主義の間には、はっきりした共通点がある。共産主義は、私有財産制に基づく支配・搾取をなくすために、階級闘争を推進する。革命の実現をめざして、道徳・宗教・法律等による既成の秩序を破壊する。ライヒは、自分の性解放の思想を普及するために、共産主義が理想的な手段になりうると考えたのだろう。
 共産主義は、政治的・経済的な革命だけでなく、文化革命をも行って、社会の全般を変えようとする思想・運動である。ライヒは、性革命は、この文化革命の中核になるものと理解し、「性改革のたたかいは、いつでも文化闘争の一部だ」と位置づけていた。「マルクスによれば、社会革命の主要な課題は、家族の廃止である」とライヒは理解した。そして、家族の廃止は性革命によって可能となるという理論を提示した。これは、マルクスからレーニンにいたるまで欠けていた性革命の理論を、共産主義に提供するものとなった。

 ライヒの思想は、マルクスとフロイトを統合によって生まれた。初期フロイトは、性本能の基底となるエネルギーをリビドーと呼び、リビドーは、幼児期から口唇期、肛門期、男根期、潜在期を経て発達し、思春期には性器期へと至る。この間の葛藤や精神的外傷が、その人の心に病気や性癖をもたらすと考えた。ライヒの場合は、性器性欲以前の小児性欲が性器性欲に統合された人間を「性器的人間」と呼ぶ。そして、性に関する葛藤から解放された「性器的人間」を「理想的人間」とする。これだけなら、健全に発達した男女のことを意味するや見えるかもしれない。
 ところが、ライヒは、「性器的人間」は、無意識的な近親相姦固着や禁止から解放されているので、どんな罪悪感も恐怖、不安もなしに異性愛の対象と、性器愛をともにすることができるとする。また、「性器的人間」は、性器性欲の優位を守るために、処女の尊重や一夫一妻制などの道徳に反逆し、家父長的権威主義的な家族主義と戦う者だとした。そして、共産主義革命は、性器性欲優位の確立を目指す「性器的人間」によって担われねばならない、とライヒは説いた。(ライヒ著『性格分析』1930年)

 「性器的人間による共産革命」とは、おぞましい言葉だが、中身はもっとおぞましい。人類が作り上げてきた道徳を否定し、性本能を解放して、無秩序な性行動を実現した社会が、「性器的人間」がめざす共産主義社会なのである。わが国の過激な性教育及びジェンダーフリー教育に多大な影響を与えている山本直英氏なら、このような社会を「エロス・コンミューン」と呼ぶだろう。
 山本氏及び過激な性教育及びジェンダーフリー教育と、ライヒとの関係については、9日の日記に書いた。未読の方はご参照願いたい。
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 7.家庭・結婚・教育を破壊

 

ライヒは、「性器的人間」による共産主義革命をめざす。そのために、道徳を否定し、性の解放を行い、規制の秩序を破壊しようとする。その破壊は、家族・結婚・教育に向けられる。

 破壊の対象の第一は、家族である。その家族とは、「家父長的権威主義的な家族」とされる。
 家父長制家族とは、家父長が家族全体を支配し、祖先から伝わった財産を独占し、財産が男子から男子へと相続され、婦人が父・夫・息子の後見のもとに服する家族のことをいう。
 また、権威主義とは、自我の独立性を捨てて、自己を自分の外部にある力、他の人々、制度等と融合させる態度や体制のことである。自己を融合させる第一次的な対象は家父長であり、家父長への服従を基礎として、共同体の長や国家指導者が第二次的な対象となるとされる。
 それゆえ、「家父長的権威主義的な家族」とは、家父長が家族を支配し、家族がその権威に従う家庭であり、またその家族関係が国家指導者に服従する国民を生み出すような家族ということだろう。
 これは、ユダヤ=キリスト教の社会に特徴的な家族である。ドイツにおけるナチズムの台頭・支配の要因として、フランクフルト学派が研究した。特にフロムの『自由からの逃走』が名高い。

 ライヒは、「まっさきに保守主義のイデオロギー的雰囲気が育まれる場所は、権威主義的な家庭だ」とし、「家父長制の家庭は、権威主義の原理に基づくあらゆる社会秩序を、心の構造とイデオロギーのうえで再生産する場所なのだ」とする。そして、この際に攻撃の対象となるのが、父権であり、父性である。「支配階級から権力を奪うことは、家族のメンバーに対する父親の権力を取り去ることでもあり、階級社会の構造を形成する細胞としての家族の中に、国家を代表させることをなくすこと」とする。

 それでは、ライヒは家族を破壊して、何をめざそうというのか。『性と文化の革命』の第3版の序に、ライヒは書く。「われわれの生活文化の徹底的な革命というのは、第一に家父長的権威主義的な家族制度を自然な家族の形に変えることを意味する」と。ライヒの説く家族制度の変革は、性本能のままに無規範に交接し、近親相姦さえ行うような集団を実現することである。それが彼のめざす「よりよい自然な家族のかたち」なのである。
 私見によれば、こうした家族では、父親は権威も指導力も統率力もない。欲望のままに次々と女性と関係を結ぶ自由だけがある。生まれた子供に対しては、父親としての責任を担うこともない。子供は集団的に育てるからだ。

 破壊の対象の第二は、結婚制度である。ライヒは、人間の歴史において、社会の生産手段の私有化とともに結婚が表れ、結婚が存続する理由はこの経済的な基盤にあるとする。また、一夫一妻制の夫婦関係は権威主義的な家族の核であり、家庭が権威主義社会の人員を訓練する場所であることに、結婚の政治上の意義と重要性があるとする。
 結婚制度を破壊するためには、女子の貞操観念をなくせばよい、結婚までは処女であることを良しとする価値観はブルジョワがつくったものだとして、ライヒは、これを廃止しようとする。

 こうしたライヒの思想には、家族を結ぶ夫婦の愛や親子の情は、考慮されていない。男女は、深く愛し合う時には、一対一の帰属を求め、子供が生まれれば、父母として協力して子育てに喜びを見出す。子供は両親を心から信頼し、親の愛に感謝して、その恩に報いようとする。結婚は、こうした家族のあり方を社会的に制度化し、安定させるものであって、権威による支配や服従のためのものではない。
 ライヒが家族や結婚を憎むのは、よほど家庭に恵まれず、両親の温かい愛情を受けることが出来なかったのではないか。14歳で母親が自殺した数年後、ライヒの父親も亡くなった。父親はひどく厳格で、母親は不倫を告げ口されて自殺した。告げ口したのは、少年ライヒだった。
 仮に自分の家が冷たく荒れ果てていたからといって、世の中のすべての家族を解体しなければならないと考えるのは、病的な心理と言わざるを得ない。その病的心理を正当化するために、精神医学や社会科学を道具に使っているのが、ライヒの破壊の思想ではないか。父親を憎む女性が男性を嫌い、恋愛や結婚に失敗した女性が結婚制度を廃止しようとする等も、私には同様の心理と思われる。

 さて、ライヒは「性経済」という独特の概念を使うのだが、これは性エネルギーの使われ方、その研究といった意味とされる。ライヒは言う。「性経済」に従って生活するとは、「なによりもまず、女性と子供が経済的に奴隷のような立場にあるのをやめることなのだ。それから、女や子供が権威によって奴隷のような立場におかれていることも」だと。これは、エンゲルスの、夫はブルジョワ、妻はプロレタリアートという、男女関係を階級支配としてとらえる見方に通じる。
 私の見るところ、家族制度を変革しようとするライヒの思想は、男性から女性に闘争の主体が移ってこそ、本格的な闘争性を持つことになる。なぜならば、家族において攻撃の対象となるのは、父権であり、父性であるからだ。ライヒの理論の赴くところ、父を憎み、男を嫌う女こそが、最も闘争的となる。ライヒの理論を、女性の「性器的人間」が実践すれば、急進的なフェミニズムが表れるだろう。

 実際、ライヒの提唱した「性の政治学」を、女性の立場で継承したのが、急進的なフェミニスト、ケイト・ミレットだった。ミレットは、1960〜70年代、アメリカのウーマン・リブの闘士だった。わが国のフェミニズムにも強い影響を与えている。
 彼女は著書『性の政治学』(1970)の中で、社会体制が男性の女性支配を固定化しているとし、体制の変革を訴えた。とくに男性支配の原単位が、一夫一婦制の家族にあるとし、それを崩すために、婚前・婚外の性交渉、同性愛、女性の社会進出などあらゆる手段を駆使することを主張した。家族の解体のために、性の解放を説く点で、ライヒに通じる。
 ミレットの思想は、当時のアメリカ社会に強い影響を及ぼした。もっともミレットは自ら公言したように、レズビアンだった。無規制の異性愛に向かう「性器的人間」よりも、同性愛者の方が破壊活動の先端に立ったわけである。

 家族や結婚制度を破壊しようとするライヒは、子供に注目した。そこで破壊の対象の第三は、教育となる。
 ライヒは、権威主義の社会では「教育の目的は、まさにはじめから結婚と家庭のための教育だ」と説き、そのために教育を変えることを訴えた。そして、子供への性教育による結婚制度の否定と家族の解体を唱えた。「人々に、非権威主義の心の構造をもたらすことの中心課題は、子供に対する性肯定的な教育だ」と。
 この理論を学校で実践すれば、過激な性教育の実践となるだろう。それが急進的に行われている国がほかでもない。現在のわが日本国なのである。

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.ソ連での失敗を無視

 

共産主義による性革命は、ロシア革命後のソ連で実行された。ライヒは、この実験を評価し、その収束を批判して、さらなる性革命の理論を打ち出した。『性と文化の革命』の第2部は「ソ連における『新しい生活』への戦い」と題され、ソ連での性革命の評価と批判がつづられている。

 ロシアでは、革命後の数年間、急激な性革命が推進された。これは、マルクス=エンゲルスの理論による一大実験だった。ライヒは、次のように書く。「社会の性をめぐるなりゆきは、いつでもその文化のなりゆきの中心点だった。‥‥ロシアでも、経済の革命は、はじめのニ、三年は、性の革命とともに進められた。この性革命は文化革命が起こっていることの明白な現れだった」と。
 彼は、レーニンの政策を次のようにとらえる。「社会革命にとって終局的に性革命が重要だということは、既に1917年の12月19日と20日に、レーニンが二つの適切な政令を発布したことによって、証明される」。一つは「結婚の解消」、もうひとつは「市民の結婚と、子供たちと、結婚登録について」である。「二つの法律はともに、夫から家族における支配の特権を奪い、女性に経済や性のことがらにおける決定をする完全な権利を与え、女性が自分の名前や住所や市民権を自由に決められることを、当たり前のことであると宣言した」とライヒは書く。
 そして、「ソ連での性革命は、家族の崩壊とともにはじまった。全住民のあらゆる階層で、家族は根底から崩壊した」と記す。ここで「家族の崩壊」について、ライヒは、それを悲しむべき現象として書いているのではない。家族が根底から崩壊することを、喜んでいるのだ。それが、性革命の進行であり、理想的な社会への前進だと。

 しかし、「反動的な政策が勝利を収めた」として、ライヒは、その後のソ連の政策転換を批判する。「1923年ごろ、個人及び文化の営みの革命的変化を起こさせまいとする、ある動きがよりはっきりしてきた。しかし、それが反動的な法律となって現れたのは、1933年から35年にかけてだった。このなりゆきが、ソ連における性と文化の革命を抑制するものだった」「いやそれ以上に、性の営みの権威主義的で道徳主義的な規制へと退行した」「1935年の『プラウダ』の論説は、よき家庭人だけが、よきソビエト市民たりうると述べている」とライヒは書いている。
 ライヒは、このロシア革命での「退行」から、教訓を引き出そうとする。「ロシアの文化革命では、『新しい生活』が踊り出たが、理解されたわけではなかった。そして古いものがブレーキをかけた。古い考え方や気持ちが、新しいやり方に、忍び込んだのだ。新しいものは、はじめ、古いものから解放され、はっきりした表現を求めて戦ったが、それを見つけられずに、引き下がってしまった。もし二度と同じ事が起こらないようにするのなら、どのようなやり方で、古いものが新しいものの息を止めたか、理解しようとしなければならない」
 「経済政治的には、ロシア革命は、‥‥マルクス主義の経済政治理論に従っていた。‥‥しかし、文化の革命に関する限りーーその核心、性の革命のことは、何もいわないにしてもーーマルクスもエンゲルスも、どんな研究もしていないので、革命のリーダーたちを指導できなかった。レーニン自身も‥‥性の革命は、性の社会的ななりゆき一般と同じに、唯物弁証法の立場からは全く理解されていない、と強調した。そして、そのことがわかるには、大変な経験を積まねばならないだろうといった」と。

 こうしてライヒは、ロシア革命において、性革命が途中から抑制された理由として、第一に性革命の理論がなかったこと、第二に性革命を指導すべき者たちが、「古い考え方」に囚われていたことを挙げる。彼は「新しい生活」の実現をめざす。「新しい生活」とは、性道徳が否定され、家族が解体し、本能を解放された「性器的人間」が自由に行動する生活である。ライヒは、そのような生活を目指して、ソ連での転換のような「二度と同じ事が起こらないように」するために、共産主義的性革命の理論を構築する。
 しかし、ソ連は何故、政策転換をしたのかが問題なのである。ライヒは、この点を全く理解しようとしていない。問題がなければ、継続されただろう。

 レーニンの指導の下、家族を解体するために、結婚・離婚の自由化が進められ、近親相姦や重婚が犯罪リストから除かれ、堕胎も公認された。やがて、想像もつかない社会問題が起こった。青少年の性行動や家族の秩序が乱れ、堕落と離婚が激増した。その結果、出生率が激減し人口が増えなくなった。家族関係・親子関係が弱まり、少年犯罪・非行が急増した。少年による暴行傷害、重要物の破壊、住宅への侵入略奪と殺傷、学校襲撃と教師への暴行、婦女暴行が横行した。
 「性の自由化と女性解放」というスローガンは、逆に強者と乱暴者を助長し、弱者と内気な者を痛めつけることとなった。数百万の少女が漁色家の犠牲にされ、数百万の家なし子が生まれたと当時の新聞は書いている。その数、5百万ともいわれる。
 事ここに至って、転換が行われた。レーニンを継いだスターリンは、政策を180度転換した。1934年頃から、家族政策・女性政策を根本的に見直し、家族を「社会の柱」として再強化する方針を採り、離婚の制限、妊娠中絶の禁止等を実行した。1936年のスターリン憲法は、家族尊重と母性保護を規定した。1944年には未登録結婚制度を廃止し、嫡出子と庶子との差別を復活させた。さらに子供の保育・教育における両親の責任を重くした。レーニンの唱えた家族の死滅論を撤回し、家族を社会の基礎単位として重視した。女性は、労働者としてより、母親・母性として尊重されるようになった。

 このようにソ連では、ロシア革命後、レーニンがマルクス=エンゲルスの理論を実践したところ、破壊的な結果を招き、混乱のあまり、政策を転換したのである。ライヒは、こうしたソ連の実態を見ようとしない。ソ連での性革命は中途半端だったから、もっと徹底的にやるべきだと考えた。そして、彼のいう「新しい生活」の実現をめざして、共産主義的性革命の理論を打ち出す。それを実行すれば、ソ連における大混乱以上の大混乱が生じ、多くの青少年や婦女子が悲惨を味わうことは明らかであるのに。
 その新たな実験場に、わが国がなりかねない事態にある。共産主義革命の後にではない。いまこの社会で、性革命を進めていこうというのである。それが、過激な性教育とジェンダーフリー教育なのである。
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9.危険思想から日本を守ろう

 

20世紀半ばの世界で、ライヒは、広範に性革命が起こっていると考えていた。それは、ほとんど妄想と言ってよい。

 『性と文化の革命』第3版(1945年)の序に、ライヒは書く。
 「われわれがいま生活しながら経験しているのは、生活文化のまぎれもない、徹底的な革命なのだ。革命は起こっている。‥‥この動物、人間の、自然な生命のはたらきを求める感覚は、何千年もの眠りからさめようとしている。われわれの生き方の革命は、われわれの情緒的な社会的な経済的な存在のしかたの根底にまでゆきわたる」
 「とくに家族生活、この社会の情緒的なアキレスのかかとに起こった革命は、すごい混乱を起こしている。どうしてこの革命がそんなに混乱させているかというと、むかしの家父長制からひきついだ権威主義的な家族の構造が基底からゆすぶられ、よりよい自然な家族のかたちに道をあけようとする過程にあるからで、また社会がこのなりゆきを阻止しているからだ」
 そして、本書の末尾に次のように書く。
 「最後には、人間の自然の力が勝利をおさめ、自然と文化の調和が来るだろう。あらゆるしるしがしめしている。生命が、それが今まで押し込められてきた、重苦しい形に対して、反抗しているのだ。『新しい生活』への闘いが、起こっている」

 実際の社会では、当時のアメリカでも共産圏でも、このような「革命」は起こっておらず、「混乱」も生じていない。ライヒが書いているのは、彼の願望なのである。
 アメリカ政府の命令に違反して刑務所で獄死したライヒは、妄想性精神病(パラノイア)と診断されていた。ライヒの頭の中では、現実社会で性革命が起こっており、将来、「新しい生活」が実現するという妄想を描いていたのだろう。
 彼のいう「新しい生活」とは、性道徳が否定され、家族が解体し、本能を解放された「性器的人間」が自由に行動する生活である。「性器的人間」は、無意識的な近親相姦固着や禁止から解放されているので、まったく罪悪感も恐怖、不安もなしに異性愛の対象と性器愛をともにする。フリーセックスの社会である。それが、ライヒの思い描く共産主義の社会である。
 ソ連では、それが実現できなかった。だから、そういう社会をめざして、性の解放を進めようというのである。そのために、道徳を否定し、家族を解体し、結婚制度を廃止し、子供に過激な性教育をしようというのである。

 こういう妄想的な思想が、彼の死後、よみがえり、わが国の教育に影響を与えつつある。日本の家族を、日本の子供たちを、このような危険な思想から守らねばならない。
 少し家族のことについて補足すると、ライヒは、性の抑圧をなくし、本能を解放するために、家父長的権威主義的な家族を解体しようとしたが、そのような家族は、ユダヤ=キリスト教社会に顕著な家族形態である。ユダヤ教は男性の唯一神を仰ぐ一神教であり、キリスト教は「天の父」と「一人息子のイエス」と「聖霊」の三位一体を説く。父親と男子だけで、母親や女子は、この構成には存在しない。そえゆえ、ユダヤ=キリスト教は、極端に父性原理的な宗教なのである。ライヒの反発は、こうした特殊な宗教文化に基づく家族に対するものである。それを、わが国に無批判に持ち込むのは、誤りである。

 キリスト教のうち、カトリックにはマリア崇拝が表れ、その女性性が男性性を補って、多少バランスがとれた。それが、カトリック社会の安定性をもたらしてきた。しかし、プロテスタントは被造物神化を徹底的に排除し、マリア崇拝は否定され、男性唯一神に特化した。その点ではユダヤ教的な一神教に回帰している。こうしたプロテスタントの国、ドイツや北欧などで、極端な父性原理への反抗が起こり、キリスト教の性道徳を否定し、性解放を進める運動が盛んになった。
 キリスト教の性道徳には、一夫一妻制、離婚の禁止、中絶の禁止がある。アメリカでも、ウーマン・リブによる女権拡大運動は、キリスト教の性道徳に反抗し、一夫一妻制や離婚禁止、中絶禁止からの「解放」という点が、重要な要素にあった。極度に父性原理の強い社会では、規制の制度・秩序・道徳を否定しなければ、女性の権利の獲得ができないという事情があったのである。
 ライヒの共産主義的性革命の理論が、こうした国々で影響を及ぼす土壌があったのだろう。しかし、わが国は、伝統も文化も規範もまったく違う。白人の猿真似は、愚かである。このような思想を持ち込んで、家庭を解体しようという思想・運動から、日本の家族を、また子供たちを守らねばならない。家族については、さらに大きな問題がいろいろあるので、別稿に譲りたい。(1)

 結びに、全体のはじめに話を戻そう。今日、わが国ではジェンダーフリー教育と過激な性教育が行われている。実行しているのは日教組であり、理論を提供しているのは性教協である。八木秀次氏は、その性教協の指導者である山本直英氏は、ライヒの影響を受け、氏の思想の根拠となっていると言う。その点の検討のために、このライヒに関する拙論を書いてきた。

 山本氏は、精神的自立などよりも、「性的自立」を上位に位置づけ、「性的自立」が人間の自立の最高形態だと言う。これはライヒの思想そのものである。山本氏は、また次のように説いている。
 「人類が21世紀にかけるユートピアは『エロス・コンミューン』の実現にある。この実現をもって、人間が近代社会で希求してきた自由・平等の理念はほぼ実現する。太古の昔、エロスは抑圧されず、管理されず、自然体でありえたが、今やもろもろの制度と、人間の下半身の中に閉じ込められている。こういう社会では、エロスの発現はえてして非社会的か反社会的なトラブルとなる。(略) エロスとは『すべての人間の根底にある、人とのゆるぎない性的なふれあい』であり、コンミューンとは『管理や抑圧や統治されることから自らを解放して、自覚的な個人と個人との共同体』のことである」
 「男と女とは、たとえ結婚で結びつかなくとも、婚前でも、婚外でも、たとえ親子の不倫でも、師弟でも、まさに階級や身分や制度を超えて愛し合うことが可能なのである」

 これらの山本氏の主張も、ライヒの共産主義的性革命の理論と、概ね一致する。ここにおいて、山本氏・性教協・日教組によるジェンダーフリー教育及び過激な性教育は、ライヒの思想と密接な関係があると私は判定する。
 危険かつ過激なライヒの思想が、日本の青少年の精神を蝕んでいることは、実にゆゆしき事態である。政府は、徹底的に実態を把握し、教育のあり方を軌道修正すべきである。これは、日本を守るために不可欠の、重大な課題である。
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(1)
家族の問題については、以下の拙稿をご参照ください。

家族の危機を救え!

 

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