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204-01   人権・男女

           

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人権――その起源と目標

2014.2.21 第1〜4章掲示

 

<目次>

はじめに

第1部 人権に関する基礎理論

第1章 人権とは何か

(1)人間とは何か

(2)人権とは何か

(3)人権を基礎づける

第2章 人権の核心をなす自由と権利

(1)人権に係る宗教・道徳・法

(2)人権の核心には自由がある

(3)人格的自由と経済的自由

(4)権利とはなにか

(5)権利の要素

(6)権利の諸性質

第3章 人権に係る権力

(1)権力とは何か
(2)権力の重層構造

(3)権力の変動
(4)フーコーの権力論批判

第4章 人権と国家・主権・国民

(1)国家とは何か

(2)主権とは何か

(3)国家における国民

(4)国益の追求

(5)国家と人権

 

第2部 人権の歴史と思想

第3部 人権の現状と課題

  第4部 人権の目標と新しい人間観

  結びに

 

 

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はじめに

 人権は、現代世界において最も重要な概念の一つである。人権は、現代人の価値観において、欠かせない位置を占めている。価値とは、物事や行為の望ましい性質、あるいは望ましくない性質をいう。個人の好悪の対象になる性質をいう場合と、個人の好悪とは無関係に誰もが「よい」と認めるべき性質をいう場合がある。後者の代表的なものには、真・善・美・聖がある。現代世界における価値には、他に自由・平等・幸福・利益・効用・発展・平和・愛等、さまざまある。その中で、20世紀後半から21世紀にかけて、世界的な規模で重要性を増してきたのが、人権である。
 この間、国際連合によって人権の保障が積極的に推進されてきた。世界の大多数の国が国際連合に加盟し、国連憲章に賛同し、世界人権宣言に基づく国際人権規約や各種の国際人権条約を批准している。人権は、今日の人類社会で、最も広く受け入れられている価値と言えよう。わが国においても、現行の日本国憲法は基本的人権を保障しており、国民は自由と権利を享受している。またわが国は国際連合に加盟し、国際人権規約や各種の国際人権条約を締約して、それらの示す基準の実現に努めている。
 それゆえ、多くの人々は今日、人権は疑うべくもない価値と考えている。だが、人権について考察を始めると、人権をめぐる事柄には難しい問題があることに気づく。一見自明のものと思われている人権が、実は根拠や裏付けが弱く、矛盾や撞着を抱えさえしていることが浮かび上がってくる。

 「人権」は、英語の human rights の訳語である。human rights は「人間の権利」または「人間的な権利」と訳し得る言葉である。これに「人権」という漢語を充て、「人間が人間として生まれながらに平等に持っている権利」であり、「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」と一般に理解されている。
 まず言えることは、人権には、定義や位置づけに関する課題がある。人権を説く哲学や法学・法哲学・国際法・政治学等において、必ずしも共通認識が確立されているわけではない。思想や立場によって、様々な人間観、権利に関する理論、人権についての見解がある。特に人権という観念が発生・発達した欧米と、西洋的な観念を受容してはいるが、伝統的な考え方が強いアジア・アフリカでは、かなり考えに違いがある。これらの間では、個人や集団に関する価値観が異なる。その価値観が違うと、人権に関する考え方も違ってくる。
 次に、日本及び世界の現状に絡む問題がある。第一に、わが国では、人権侵害救済機関設置法案をめぐる議論がある。名称だけ見ると、人権侵害を救済するのだから、結構なことと思う人が多いだろうが、「人権侵害」という概念の定義がされていない。なんでも人権侵害だと拡大解釈を許す恐れがある。また「人間の権利」と「国民の権利」の区別が明確でない。そういう根本的なことがあいまいなまま、強力な権限を持つ人権侵害救済機関が設置されると、国民の自由と権利に規制を受けることが懸念されている。人権そのものが何であるかを明確にしないと、何が侵害か判断の基準を決められない。
 第二に、移民に関する問題がある。私は拙稿
トッドの移民論と日本の移民問題をマイサイトに掲載しているが、移民問題は今日、欧米諸国を中心に重大な社会問題となっている。わが国でも共産中国からの中国人移民が急増しており、深刻な事態が生じてきている。移民問題は、国家・国民と移民の権利に関わる問題である。「国家の権利」としての国権及び「国民の権利」としての民権と人権の関係を明らかにして、対応を策定する必要がある。
 第三に、世界には中国、北朝鮮、スーダン等、その国の国民の権利が著しく侵害されている国が、少なくない。権利として主張し得るのが各国における「国民の権利」だけであれば、専制国家・独裁国家で国民に対して行われる虐殺・虐待・迫害・暴行等に対して、国外からその国の人々の自由の擁護や権利の拡張を訴えることはできないことになってしまう。人権には各国の内政の問題というだけでなく、国際的に保障するための思想や制度、機構が必要である。

 本稿は、ここで書いたような問題意識に立って、人権の起源と目標を考察するものである。

 今日の国際社会では、人権について、近代西欧的な個人主義的かつ普遍主義的な考え方が支配的である。だが、人間は個人的存在であるとともに社会的存在であり、個人の権利は集団の権利あってのものである。本稿はこのような観点に立って、個人中心・個人本位の人権論を打破し、家族・民族・国家を重んじる新たな人権論を提示するものである。

全体の要旨を述べると、人権の起源は、近代西欧における普遍的・生得的な権利という観念にあるが、人権の実態は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。生まれながらに誰もが持つ「人間の権利」ではなく、主に国民の権利として発達する「人間的な権利」である。「発達する人間的な権利」としての人権の目標とすべきものは、個人の自由と選好の無制約な追求ではない。個人においては人格的な自己実現であり、国家においては共同体の調和的発展、人類においては物心調和の文明、共存共栄の世界の実現である。こうした目標を追求するには、新しい人間観として心霊論的人間観の確立が必要である、というものである。

本稿は4部構成となっており、第1部の基礎理論篇では、最初に人権とは何かを問い、自由・権利・権力・国家・主権・国民について検討する。第2部では人権の歴史と思想、第3部では人権の現状と課題、第4部では人権の目標と新しい人間観について書く。

 

1部 人権に関する基礎理論

 

第1章 人権とは何か

 

(1)人間とは何か

 

●人間とは何か

 人権は、一般に「人間の権利」とされている。人権とは何かという問いへの取り組みは、その権利の主体である人間とは何かという問いから、始めなければならない。そこで、最初に人間とは何かということから人権の考察を始めよう。
 人間は生命あるものであり、まず生命を持たない無生物と区別される。次に、人間は動物であり、植物と区別される。動物としての人間は、哺乳網、霊長類、ヒト科に分類される。霊長類は、サル類とヒト類を含む。「人間はサルから進化した」という説があるが、進化論は仮説に過ぎず、検証されたものではない。しかし、人間の特徴を理解するために、他の霊長類との比較は有効だろう。
 霊長類の中で、人間は脳の発達、直立二足歩行、言語や道具の使用等の特徴を持つ。とりわけ大脳皮質の発達により、人間は本能の制約を脱して知能を増大し、知恵と自由を獲得した。そして、比類ない能力を発揮し、他の生物を利用して増殖し、文化を創造し、宗教を形成し、国家を組織し、科学を発達させ、環境を改変しながら、地球で繁栄してきた。今や地上のみならず、地下・海中・宇宙空間にまで活動範囲を広げている。このように人間は生物的存在であるとともに、文化的存在でもある。言い換えると、人間には生物性とともに文化性がある。

人権とは、こうした人間が持つとされる権利である。権利は、英語の right、独語のRecht、仏語のdroit等の訳語である。権利とは人間の個人及び集団が保有するとされるものである。詳しい考察は後に行うが、ここで述べておきたいのは、権利を保有する個人と集団の関係についてである。
 人間は、集団で生活を営む社会的動物である。その特徴を理解するために、より具体的に類人猿で比較してみよう。類人猿とは、霊長類のうちヒト上科ショウジョウ科の猿の総称である。英語では ape であり、その他のサル類 monkey と区別される。尾や頬袋がなく、尻だこはよく発達していない。類人猿はテナガザル、オランウータン、チンパンジー、ボノボ、ゴリラを含む。そのうち身体の大きなものを大型類人猿という。人間は大型類人猿に分類され、ヒトまたはホモ・サピエンスと称する。ホモ・サピエンスには、コーカソイド 、ネグロイド 、モンゴロイド、オーストラロイドの4大人種があるとされる。人種によって身体的特徴は異なるが、同じホモ・サピエンスとして共通性を持つ。ここでは大型類人猿の中での人類の特徴に注目しよう。
 大型類人猿の社会構成は、オスとメスがペアをつくるペア型家族か、複数のオス・メスが交尾して群れをつくる乱婚型集団かのどちらかである。前者の例がゴリラであり、後者の例がチンパンジーやボノボである。
 ゴリラのようにペア型家族をつくる類人猿は、オスとメスの体格が各段に違う。また、メスを獲得するためにオス同士の対立が激しく、オス同士が集団をつくって協力することができない。それに対してチンパンジンーのように乱婚型集団をつくる類人猿は、オスとメスの体格はそれほど違わない。また、オス同士が協力し合い、挨拶行動がよく発達しており、オス同士の敵対関係を緩和する仕掛けが存在する。
 ペア型では、ある程度安定した「つがい」ができている。これは、父・母・子からなる単婚家族の先駆形態とでもいうべきものである。乱婚型では、単婚家族は成立せずに集団を構成している。これらに比べ、人類の場合は、ペア型と乱婚型の両方のプラス面を生かす形になっている。男女が性的結合により、「つがい」を作り、ある程度安定した家族が成立している。それと同時に、男同士が敵対し合わず、集団を作り協力し合う社会を構成している。つまり、男女・親子の関係による家族が寄り集まって集団を作り、その集団の中に家族がいくつか含まれているという社会である。人間の社会では、集団の共同性と家族の独立性とが両立している。こうした社会を形成したことが、人類の生存と繁栄に大きな利点をもたらした。
 家族において、子供を産むのは、女性の役割である。女性にしかできない。また、生後、数ヶ月の間、母乳を与えて哺育するのも、女性の役割である。人類の子供は生後、自力で立って行動することすらできない。大脳が大きく発達するため、胎内で胎児が大きく育ちすぎないうちに産んで、時間をかけて育てる。言い換えれば、ネオテニー(幼形成熟)のため、アドレッサンス(成体となるまでの期間)が非常に長い。子供を育てるため、母親は出産後、数年にわたって子供にかかりきりとなる。こうした母子に対し、食糧を与えたり、外敵から守ったりする仕組みが必要となる。それがなければ、人類は存続できない。その弱い母子を守り支える者が、父親である。父親が母子とともに生活し、守り、面倒を見るという仕組みによって、人類は生存と繁栄が可能になった。また、脳の発達した子供を未熟なうちに産んで、安全に育てながら、さらに能力を発達させることができるようになった。この仕組みを実現した集団を、家族という。
 こうして人類は父・母・子からなる家族を構成し、家族が寄り集まって集団生活を行うという独特の社会を形成した。父母が協力して子供を産み育てながら、集団で狩猟採集を行い、または定住して農耕を行う。こうした複数家族の共同生活が、文明の発達を可能にしたのである。子供の長いアドレッサンスと男女の安定的な結合は、父・母・子の間の愛情を豊かなものにした。そして家族における愛情は、人類の知能を発達させ、文化を豊かなものにしてきた。
 それゆえ、権利の担い手としての個人と集団の関係は、家族という人類独自の集団の特徴を踏まえて理解する必要がある。また、人権を考察するには、ここに書いたような人類学的な視点から見ることが不可欠だ、と私は考える。人権の考察に当たっては、単に個人の自由と権利だけでなく、家族を最小単位とする集団における権利また集団として持つ権利との関係を踏まえなければならないのである。

 

●人間には個人性と社会性がある

 権利の担い手としての個人と集団の関係について先に書いたが、人間には個人性と社会性がある。すなわち、人間は個人的存在であるとともに、社会的存在でもある。個人には性別・年齢・世代等の違いがある。そうした違いを持った個人が家族の構成員であり、家族が集合して社会を構成している。個人はこうした集団の中においてのみ、個人として存在し得る。
 人間の個人個人は、身体的に自立している。だが、人間は集団的にしか生活できない。まず人間は、自力ではこの世に誕生し得ない。個人は男女の結合によってのみ、発生する。個人の生命は、父母から分与されたものである。受胎の後、誰しも誕生、成長、老化、死という過程を生きる。子供は親または大人の養育を必要とする。単独では生きられず、言語を習得したり、知識や技術を学習したりすることもできない。個人は成長して成体となると異性と結合し、子供を造り、養育する。そうすることで、生命を次の世代に受け渡す。やがて自分は老化が進み、死に至る。だが、自分が消滅した後も、生命は次世代に生き続ける。生物の目的は、個体の生命の維持ではなく、集団で共有する生命を継承することである。人間の生命は、世代交代によってのみ継続できる。この事実は、宗教・思想・哲学の違いを超えて、人類に共通する事実である。
 人間の個人性と社会性という両面の中間に、家族がある。家族は、最小規模の社会である。社会は家族を単位として、親族・部族・民族・国民等の集団を重層的に構成する。

個人性に重点をおけば、社会の単位は個人だが、社会性に重点をおけば、社会の単位は、家族である。個人性と社会性の中間に家族という特別の集団を置いて、人間を理解することが必要である。
 家族とは男女とその子供を中心とし、それに兄弟・姉妹・祖父母等若干の親族が加わり、原則として共同生活をしている集団をいう。家族は最小規模の社会だが、単なる個人の寄り集まりではない。家族は生命のつながりを基礎とした社会である。家族は、親から子へと生命を継承するため、すなわち子供を育て、種を維持するための基本単位である。それゆえ、父・母・子の三者が必要な要素である。そして、父・母・子で構成される家族という単位集団を構成したときに、人類は誕生したといえる。
 人間は男女の協力により、親から子へ、子から孫へと、生命を受け継ぎ、受け渡していく。家族は、前の世代や後の世代、つまり祖先や子孫につながっている。家族とは世代間のつながりを持つ社会である。そして、個人はみな、この世代間のつながりを持つ家族の中で、父・母・夫・妻・子・孫・兄・弟・姉・妹等の立場や役割を持つ。個人は単に社会的な存在ではなく、家族的な存在である。そして、家族の中に生まれ、家族と生命を共有し、家族の中で死を迎える。家族は、生から死へ進む人生の時間を共有している集団である。
 家族関係は社会における最も基礎的な人間関係である。子供は、家族の中で人格を形成し、家族において積んだ経験をもとにして、社会的な活動に参加する。そして、自己の属する集団の中で何かの役割を担いながら、自己の人格を成長・向上させていく。

人間は生物的存在であるとともに、文化的存在でもあると書いたが、家族は、子供を育て、子供の人格を形成することを通じて、次世代に文化を継承する場所でもある。継承される文化とは、家族の持つ文化であると同時に、その家族が属する社会の持つ文化であり、また諸社会で構成される人類全体の文化でもある。親や親世代から文化を受け継いだ子や子世代は、新たな文化を創造していく。家族は単に生命の継承のための集団ではなく、文化の継承の場、そして文化の創造の場である。
 欧米の社会は個人主義の傾向があり、親子・夫婦・兄弟・姉妹・祖孫等の区別なく、抽象的な個人を要素として、社会の構成を考える。これに対し、東アジアの諸社会は集団主義の傾向があり、親子・夫婦・兄弟・祖孫等の具体的な家族関係の中で、人間を考える。これらは人間の個人性と社会性の両面をとらえるもので、相補的である。どちらに偏っても人間の全体像はとらえられない。
 人権を考察するには、人間を個人性からだけでなく、社会性からもとらえねばならない。その際、人類学の知見をもとに、人類の種としての特徴を踏まえて、家族を重視してとらえる必要がある。そして実際、家族における人間関係において、権利のあり方の基本的な形態が示されているのである。

 

●人間をとらえるには家族を重視すべき
 
 人類学の研究によって、家族における親子・夫婦・兄弟等の人間関係が、権利のあり方の基本ともなっていることが明らかになった。家族人類学が様々な知見をもらしてくれている。人類学・人口学・歴史学等に通じた巨人エマニュエル・トッドは、家族型には八つの型があるとする。ヨーロッパには平等主義核家族、絶対核家族、直系家族、外婚制共同体家族の四つの型がある。そして、トッドは家族類型論によって、社会・文化・歴史を分析している。その所論は、権利について世界的かつ人類的な視野で考察するうえで、非常に参考になるものである。トッドについて、詳しくは拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」を参照願うことにして、ここではトッドによる家族類型論の概要のみを記す。

家族型の主なものに、平等主義核家族、絶対核家族、直系家族、共同体家族がある。これらの家族型では、主に相続の仕方に違いがある。親が慣習に従って長子相続等を行うか、自由意思で子のうちから相続者を指名するか、兄弟間で特定の者が相続するか、平等に相続するか。こうした相続の仕方の違いが、価値の違いを生む。

@平等主義核家族
 核家族は、夫婦と未婚の子どもで構成される家族である。核家族では、子供が結婚すると独立し、親の家を離れる。そのため、父と子の関係は自由主義的である。ここにいう自由主義とは、自由を主な価値とする考え方を言う。これに対し、平等を主な価値とする考え方を平等主義と言う。
 核家族には、平等主義核家族と絶対核家族がある。平等主義核家族は、遺産相続において兄弟間の平等を厳密に守ろうとするため、兄弟間の関係は平等主義的である。この型が生み出す基本的価値は、自由と平等である。この家族型の集団で育った人間は、兄弟間の平等から、諸国民や万人の平等を信じる傾向がある。この傾向をトッドは普遍主義という。通婚制度、つまり結婚の仕方は族外婚といって、配偶者を自分の所属する集団の外から得る制度が取られている。
 平等主義核家族は、ヨーロッパでは、フランスのパリ盆地を中心とする北フランスと地中海海岸部、北部イタリア、南イタリアとシチリア、イベリア半島の中部および南部に分布する。西欧以外では、ポーランド、ルーマニア、ギリシャ、エチオピアに見られ、スペイン・ポルトガルの植民地だったラテン・アメリカではほぼ全域に分布する。

A絶対核家族
 絶対核家族は、父子関係が自由主義的である点は、平等主義核家族と同様である。違いは、遺産相続において、特に親が自由に遺産の分配を決定できる遺言の慣行があり、兄弟間の平等に無関心な点である。この型が生み出す基本的価値は自由である。自由のみで平等には無関心ゆえ、諸国民や人間の間の差異を信じる傾向がある。この傾向をトッドは差異主義という。通婚制度は族外婚である。
 絶対核家族は、世界中で西ヨーロッパにしか見られない特異な型だった。大ブリテン島の大部分(イングランド、ウェールズ)、オランダの主要部、デンマーク、ノルウェー南部、それにフランスのブルターニュ地方に分布するのみ。植民によって、アメリカ合衆国とカナダの大部分にも分布を広げている。

B直系家族
 直系家族は、子供のうち一人のみを跡取りとし、結婚後も親の家に同居させ、遺産を相続させる型である。その一人は年長の男子が多い。他の子供は遺産相続から排除され、成年に達すると家を出なければならない。父子関係は権威主義的であり、兄弟関係は不平等主義的である。この型が生み出す基本的価値は、権威と不平等である。絶対核家族より激しい差異主義を生み出す傾向がある。直系家族は、権威主義的かつ集団主義的である。通婚制度は、族外婚と族内婚の二つの型がある。族内婚は、配偶者を自己の所属する集団の内部で得る制度である。
 直系家族は、ヨーロッパでは広く見られる。ドイツ、オーストリア、ドイツ語圏スイス、ベルギー、チェコ、スウェーデン・ノルウェーの大部分、イギリスのウェールズ、スコットランドの西半分、アイルランド、イベリア半島北部、フランス南部のオック語地方、及びフランスが植民活動をしたカナダのケベック地方に分布する。ヨーロッパ以外では、日本と朝鮮、そしてユダヤが直系家族である。

C共同体家族
 共同体家族は、子供が遺産相続において平等に扱われ、成人・結婚後も子供たちが親の家に住み続ける型である。父子関係は権威主義的で、兄弟関係は平等主義的である。この型が生み出す基本的価値は、権威と平等である。
 共同体家族は、ロシア、シナ、モンゴル、北インド、ベトナム等、ユーラシア大陸の大半に分布する。ヨーロッパでは、フィンランド、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ブルガリアに見られ、西欧ではイタリアのトスカナ地方およびその周辺のみである。他にキューバにも分布する。
 共同体家族の権威と平等に基づく価値観は、共産主義の一党独裁と社会的平等という価値観と合致する。共産主義は、もともと権威と平等に基づく価値観を持つ社会にのみ浸透し、定着した。価値観の違う社会では、定着しなかった。このことを発見したトッドの業績は、家族型と社会思想との相関性を鮮やかに浮かび上がらせた画期的なものである。

 以上が家族の主要な四つの類型である。こうした家族形態の違いが、各社会の価値観や制度にまで深く影響していることを、トッドは明らかにした。家族における自由と権威、平等と不平等、普遍主義と差異主義という価値観が、社会における法・政治・哲学・宗教・道徳等の基本的な考え方に影響する。自由主義、共産主義、個人主義、集団主義、社会契約論、家族国家論等の思想も、その社会で支配的な家族形態が生み出す価値観が土台にある。家族という単位に注目すると、家族における権利のあり方が、社会における権利のあり方に深く影響を与えていることが明らかになってくるのである。
 私は、ここまでに書いたことを抜きにして、人間とその権利について、真に有効な考察はできないと考える。哲学、倫理学、法学、政治学等は、人類学の研究成果を積極的に取り入れたうえで、人権について議論すべきである。

人間とは何かという問いについては、さらに考察しなければならないことが多くある。ここでは予備的な記述にとどめる。ページの頭へ

 

(2)人権とは何か

 

●人権の観念は近代西欧で生まれた

 

次に、人間が持つとされる権利、すなわち人権とは何かという問いに移る。この問いに答えるには、人権の歴史、思想、定義、内容、現状、課題等の様々な角度から述べる必要がある。ここでは、第2部以降でその論考を行う前に、基礎的な事柄を述べておきたい。

人権は今日、一般に人間が生まれながらに平等に持つ権利とされる。こうした観念が発生したのは、近代の西欧においてである。西欧の封建制社会では、権利は身分に伴う権利だった。封建制社会が解体される中で、人間は人間として生まれてくるだけで等しく権利を持つという考えが芽生えた。

近代西欧に人権という観念が発生するまで、権利とは身分や資格に伴うものだった。先に書いたように、社会は家族を単位とし、家族形態には類型がある。その類型によって価値観が異なる。家族においては、親子・夫婦・兄弟等の立場は、相互に代わることのできない身分であり、資格である。それゆえ、個人の権利はその家族内的な立場に伴うものであって、それを離れた個人の権利は、考えられなかった。家族を単位として構成される社会においても、基本的に権利は社会的な身分や資格に伴うものであって、社会的な身分や資格とは関係なく、誰もが個人として生まれながらに平等に持つ権利、普遍的で生得的な権利という考え方は、近代にいたるまで、世界的にほとんど見られなかった。例外がないわけではない。古代ギリシャのヘレニズム時代や古代ローマの地中海帝国時代、古代シナの春秋戦国時代には、一部の思想家に万人の平等を説く思想が現れた。だが、その社会的な影響はごく限られ、思想史の片隅に記録されているのみである。

人類の歴史はさまざまな文明の興亡盛衰の歴史である。それらの文明はまた幾多の国家の生成消滅に彩られてきた。アーノルド・トインビーは、世界史において「充分に開花した文明」が過去に23あったとした。サミュエル・ハンチントンは、現代世界には7または8の主要文明があるとする。また主要文明以外に、下位の文明が存在する。私が周辺文明と呼ぶものである。

これらの文明社会はみな独自の法を持っている。固有の文化に基づく法である。これを固有法という。法は権利―義務の規定を含む規範の体系であり、それぞれの固有法は独自の価値観による権利義務を定めている。今日の世界で代表的な固有法には、西欧法、ユダヤ法、イスラーム法、ヒンドゥー法、シナ法、日本法がある。歴史的には、古代のバビロニア法、ギリシャ法、ローマ法等も存在した。これらの固有法において、普遍的・生得的な人権という思想が発達したのは、近代の西欧法のみである。

西欧法は、西洋文明に形成された法思想である。西洋文明は、ギリシャ=ローマ文明、ユダヤ=キリスト教、ゲルマン民族の文化という三つの主要な文化要素を持つ。法思想としては、ローマ法、ユダヤ法、ゲルマン法が西欧法の源流になっている。それらが合流して、西欧法という独自の法が形成された。

それではなぜ西欧法では、普遍的・生得的な人権という思想が発達したのか。言い換えると、なぜ西洋文明のみが人権の思想を法の体系において発達させたのか。私は、その理由として、第一に核家族の価値観、第二にユダヤ=キリスト教の人間観、第三に西欧における近代化の開始という三点が挙げられると考える。

第一は、核家族の価値観である。先にトッドの家族類型論に書いたように、西欧には平等主義核家族と絶対核家族が支配的な地域が存在する。核家族は、父と子の間に自由主義的な価値観があるのが特徴である。特にイギリス・オランダ等に多い絶対核家族は、自由を社会における基本的な価値とし、個人の自立を重んじる。絶対核家族は世界で西欧にしか見られない特異な型である。またフランスのパリ盆地等に多い平等主義核家族は、自由と平等をともに基本的価値とする。絶対核家族・平等主義核家族に共通する価値は、自由である。自由を主要な価値とする核家族的な社会においては、個人の権利という意識が強く、個人の自己意識も強い。そこに、人権の思想が発達する家族形態的な土壌があったと私は考える。

第二は、ユダヤ=キリスト教の人間観である。西洋文明では、人間をユダヤ=キリスト教の神(ヤーウェ)が創造したものと理解する。神は土くれから人間を神の似姿として創造したと考え、人間は神から知恵を授けられたとする。人間の理性は神から与えられたものであり、不完全ではあるが神の理性を分有するものとみなす。こうした人間観に基づき、人間の権利は神または造物主から与えられたもの、自然法や神的な理性に基礎を持つもの、またはそうした思想を前提とした自明なものなどと考えた。こうした思想が、すべての人間が神の下に平等であるという観念と結びついて、人権という観念につながっていった。

第三は、西欧において近代化が始まったことである。イギリスでは封建制の崩壊が西欧で最も早く進み、近代資本主義が発達した。農村共同体が解体し、共同体から分離した個人が都市に集住し、都市化が進んだ。近代資本主義社会では、人々は共同体の歴史・伝統・慣習等を失い、裸の個人に還元されていった。大ブリテン島の大部分は、絶対核家族が支配的な社会であり、第一に書いたように、もともと自由を社会における基本的価値とし、個人の権利意識・自己意識が強い。それが近代化によって助長された。先行するイギリスに続いて、フランス・アメリカ等でも、近代化が進行した。個人の自由を価値とする思想は、人権の思想の発達を促進した。

以上、核家族の価値観、ユダヤ=キリスト教の人間観、西欧における近代化の開始の3点が重なり合ったことが、西欧法でのみ人権の思想が発達し、西洋文明のみが人権の思想を法の体系において発達させた理由である、と私は考える。近代西洋文明以外の諸文明では、こうした条件を併せ持つことがなかった。(1)

 

(1)私は、西洋文明及び現代文明について拙稿「西欧発の文明と人類の歴史」、近代化について拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆」をマイサイトに掲示している。本稿の人権論は、これらの拙稿と関連するものである。

 

●人権観念はどのように発生し、発達したか

 人権という観念は、近代西欧で発生し、発達した。
詳しくは第2部及び第3部で述べるが、思想史的には、17世紀のイギリスにおいてトマス・ホッブスやジョン・ロックが発想し、18世紀後半にアメリカ独立宣言に盛り込まれ、フランス人権宣言で発展した。その後、19世紀を通じてヨーロッパ諸国や日本等に広がり、20世紀半ばに世界人権宣言が制定され、多くの国が採択したことにより、世界に大きく広がった。

人権(human rights)は、かつて自然権(natural right)等の言葉で表現されていたものである。自然権は、17〜18世紀西欧の法思想・政治思想で、すべての人間が本性または自然(nature)によって備えている権利、あるいは人間が政府や国家に先行し、またそれらから独立して持つ権利という意味で用いられていた。この人間の自然権を人権と呼ぶようになり、今日では人権という言葉が圧倒的に多く用いられるようになっている。

 イギリスの主要地域は絶対核家族が支配的な社会であり、自由主義の価値観を持つ。ホッブスやロックはその社会を背景にして、個人の自由と権利を主張した。ホッブスは、人間が生まれながらに持つ自然権・生得権として、「各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の意志するとおりに、彼自身の力を使用することについて各人が持っている自由」を説いた。続いて、ロックは「人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間は全て平等であり、他の誰からも制約を受けることはない」と説いた。
 近代西洋思想の骨格を成すリベラリズム・デモクラシー・個人主義・資本主義の思想は、どれも源を探るとロックにたどり着く。ロックの思想は17世紀以降、この21世紀まで、世界に甚大な影響を与えている。その重要性は、カール・マルクスやフリードリッヒ・ニーチェやジクムンド・フロイトの比ではない。わが日本国憲法も、根本思想はロックである。世界人権宣言も、ロックが基底にある。
 イギリスの植民地だったアメリカは、1776年に本国から独立した。初期の北米には、絶対核家族の移民が多く、自由主義の価値観を共有していた。アメリカ独立宣言は「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の不可譲の天賦の権利を与えられており、その中に生命、自由および幸福の追求のふくまれることを信ずる」と宣言した。ここには、ロックの影響が顕著に表れている。
 フランスでは1789年に市民革命が起こった。フランスは、近代化の先進国イギリスの思想の影響を受け、自由主義的な考え方が発達した。パリ盆地は平等主義核家族が支配的な地域なので、自由だけでなく自由と平等をともに基本的価値とする思想が展開された。フランス人権宣言は「人間は、自由で、権利において平等な者として出生し、生存する。社会的な差別は、共同の利益のためにのみ設けることができる」と宣言した。
 このようにして人権の思想は、西欧及び北米の核家族を主とする社会で発達した。その思想のもとに、イギリス・アメリカ・フランス等の各国で、人々の自由と権利が拡大されてきた。だが、フランス革命に対して、周辺諸国は革命の輸出を警戒し、自由と権利の思想の波及に対抗した。直系家族が支配的なドイツ・オーストリアや共同体家族が支配的なロシアは、核家族的な価値観とは異なる価値観を持っていた。直系家族は権威・不平等、共同体家族は権威・平等に基づく価値観であるから、自由を主とする価値観への抵抗は大きかった。絶対核家族・平等主義核家族と直系家族・共同体家族の違いは、個人主義と集団主義の違いである。すなわち、個人を中心とする考え方と集団を中心とする考え方の違いである。だが、近代化の進む先進国の経済力・技術力・軍事力が、他のヨーロッパ諸国に近代化の波を広げた。それとともに、自由と権利の思想が浸透していった。
 ヨーロッパにおける人権の発達の過程は、伝統的な共同体の解体、農民の都市への流入、近代資本主義の発達、近代主権国家の成立、アジア・アフリカの支配と収奪、産業革命による労働条件の悪化、階級闘争の激化、世界的な植民地の争奪戦等の過程でもあった。先進国同士、また先進資本主義国と後進資本主義国の間で利害対立による戦争が繰り返された。
 とりわけヨーロッパを主たる舞台とする第1次世界大戦は、かつてない規模の殺戮と破壊をもたらした。また大戦の末期にロシアで起こった共産革命は、階級闘争の理論のもとに、全体主義の国家を生み出した。共産党官僚が独裁体制を敷き、秘密警察と強制収容所によって、国民の自由と権利が侵害された。
 第1次世界大戦後、国際連盟が設立され、国際平和を維持しようという取り組みがされた。人権に関する動きでは、少数民族保護条約、信託委任統治制度、国際労働機関の設立、不戦条約等が挙げられる。だが、大戦後のヴェルサイユ体制は戦勝国による秩序を固定化しようとするものだったので、これに反発する敗戦国ドイツでナチスが台頭した。ナチスはユダヤ人への大規模な迫害を行った。独ソが欧州での勢力圏分割を密約し、領土拡張の野望を持つドイツがポーランドに侵攻したことで、第2次世界大戦が勃発した。この大戦は、英米仏ソ等の連合国と日独伊の枢軸国の対立を主として戦われた。
 第2次大戦では、科学兵器の発達と国家総力戦体制の構築によって、一般市民への無差別攻撃がしばしば行われた。さらに、核兵器が登場した。広島・長崎への原爆投下は、無差別大量殺戮の極点を歴史に刻んだ。
 第2次世界大戦後、人権を国際的に保障する制度や機構が発達した。この発達を推進したのは、「連合国=国際連合(the United Nations)」だった。いわゆる国連は、連合国が戦後の世界秩序を維持するために制定した国際機関である。
 「国連=連合国」は、「国連憲章=連合国憲章」に、人権に関する規定を設けた。その背景として三点が挙げられよう。第1に、ナチス・ドイツの暴虐によって、人権を各国の国内法で保障するだけでは不十分であり、国際的に保障する必要性が認識されたことである。第2に、大西洋憲章に「恐怖及び欠乏からの解放」と「生命を全うすることを保障するような平和の確立」を掲げて、人権の尊重を戦争目的に掲げた連合国が勝利をおさめ、戦後の世界秩序を形作ったことである。第3に、資本主義諸国にとって、経済活動の自由を保障するため、人権を保障することが、資本と国家の利益になったことである。私は、これらの3点には、ユダヤ人が自らの生存と利益の確保のために、国際的に働きかけをしたことが重要な作用をしただろうと推測する。ユダヤ人にとっては、国家や民族を否定し、個人や市場を強調することが有利だからである。
 1948年(昭和23年)12月10日第3回国際連合総会、すなわち連合国総会で、世界人権宣言が採択された。世界人権宣言は「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と宣言した。この内容は、近代西欧で発達した人権の思想を表現したものである。第2次大戦後、人権の観念と思想が世界に広がったのは、国連及び世界人権宣言によるところが大きい。かつて欧米諸国によって植民地支配を受けていた有色人種が独立を勝ち取ると、国連に加盟し、世界人権宣言に賛同した。1960年代には多数のアジア・アフリカ諸国が参加した。こうした非西欧社会の国々が、西欧的な「人間は生まれながらに自由で、平等の権利を持つ」という思想を受け入れてきた。
 現在では、世界の大多数の国が世界人権宣言に賛同し、そのもとに制定された国際人権規約を批准している。さらに女性や児童に関する条約や拷問を禁止する人権条約を締結した国が多く、またヨーロッパ、米州、アフリカには地域的な人権条約も締結されている。国際法の中には、国際人権法という分野ができ、「国際人権(international human rights)」という概念が使用されている。このように、人権は、今日の世界で最も広く受け入れられている価値と言えよう。
 だが、表面的には、西欧とは異なる伝統・文化・宗教の国々が宣言や規約等に参加し、人権という観念を受け入れてはいるが、その根底に共通した人間観、価値観が確立されているわけではない。ここに人権をめぐる最大の問題がある。本稿は、その問題意識のもとに考察を行うものである。
 なお、本稿における観念と概念という用語について記しておきたい。観念・概念とも西欧単語の翻訳によって作られた漢字単語である。観念は英語のidea、概念は concept の訳語である。ともに「念」という「思い」や「考え」を意味する漢字を核とし、観念は見ることを意味する「観」を加え、概念はおおむねを意味する「概」を加えて、idea concept を訳し分けている。先人の優れた工夫である。idea はイメージであり、そこから抽象し、一般化したものが concept である。ロングマンの英語辞典は、ideaは「an image in your mind of what something is like or should be like」、conceptは「an idea of how something is, or how something should be done」と語義を述べている。いわば be like be の違いである。前者より後者は抽象度が高い。観念(idea)は意識の内容や心的形象を意味するのに対し、概念(concept)は事物に共通の内容を抽象して言語に表現した事物の本質的な特徴を意味する。

 

●人権の名のもとに普遍的権利と特殊的権利が併存

 

人権は普遍的で生得的な権利とされ、その定義が今日、世界の多数の国に受け入れられている。だが、その根底に共通した人間観や価値観が確立されているわけではない。まず本当に人権は普遍的で生得的な権利といえるかどうかが問われねばならない。

ここで普遍的とは、時代や社会、文化等の違いに関わらず、誰しもが平等に持つことを言う。また生得的とは、生まれながらに備えていることを言う。だが、人権の実際は、そうではない。人権は、人類の発生とともに最初から確立された普遍的・生得的な権利ではないからである。人権は、近代西欧で初めて発生した観念である。そして、実態は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。それゆえ、単純に人権は「人間が人間として生まれながらに平等に持っている権利」であるとは、言えない。同じく「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」とも言えない。

一般に普遍的な権利とされる権利は、実際には「普遍的でありたい権利」「普遍的であるべき権利」である。理想であり、目標である。生得的な権利も同様である。その理想・目標に向かって段階的に発達してきた権利が、人権と呼ばれているのである。

17〜18世紀の欧米で唱えられた権利は、精神・生命・身体・財産の自由への権利だった。まとめて自由権と呼ばれる。人権が生まれながらに誰もが平等に持っている普遍的な権利だとすると、この人は持っているが、あの人は持っていないということはない。特定の個人や集団のみに認められる権利は、普遍的な権利ではない。特殊的な権利である。

人権と呼ばれる権利は、国家を離れて存在するものではない。人権と言ってはいるが、ほとんどが各国の国民の権利である。国家成立以前の社会においても、権利は存在したが、その権利は集団を離れて存在するものではなく、ほとんどは集団の成員の権利である。こうした各国の国民や集団の成員に限定された権利は、特殊的な権利である。

たとえば、イギリスにおける自由と権利は、英国民のみに保障したものであって、他国民を対象としていなかった。植民地の有色人種は、逆に英国民によって権利を奪われ、奴隷として虐待された。また国民の権利とは別に、非国民にまで認められる権利は、現実には20世紀まで、ほとんど存在しなかった。非国民にも認められるべきだという思想によって、歴史的・社会的・文化的に拡充されてきたものである。

国民の中の特定の集団の成員にのみ与えられる権利も、特殊的な権利である。政治的な意思決定に参加する権利である参政権は、国民の中の一部に与えられる特殊的な権利である。20世紀に入ると、社会権と呼ばれる権利が発達した。これも人権と呼ばれる。だが、労働者に認められた労働基本権は、労働者という一定の集団に与えられる特殊的な権利である。20世紀後半には、女性や児童の権利が拡張されてきたが、女性の権利や児童の権利も、特定の性や年齢に限定した特殊的な権利である。それゆえ、労働者の人権、女性の人権、児童の人権という概念は、普遍的な人権という概念とは矛盾する。労働者である人間、女性である人間、児童である人間のそれぞれの権利ではあるが、人間一般の権利ではない。

いわゆる人権は、「普遍的でありたい権利」「普遍的であるべき権利」という理想・目標を中核とし、その理想・目標に向かって段階的・漸進的に発達してきた権利をいうものである。

 

●狭義の人権と広義の人権

 今日人権と呼ばれる権利は、実際は普遍的な権利ではなく、特殊的な権利である。だが、世界の現状は、普遍的と特殊的の区別なく人権といい、権利一般の拡大が目指されている。現実からはるかに遠い理想・目標や、職業・性別・年齢等に限定する特殊的権利も含めて、人権と呼んでいる。だから、逆に人権といえば非常に特殊な性格を持つ権利も、人権として普遍的に実現されるべきものという主張がされ、そうすべきであるかのような錯覚を生み出す。その典型がわが国における定住外国人への参政権付与や人権侵害救済機関の設置の動きである。「人権」と言われると、多くの人は反論ができなくなってしまう。観念的な錯覚のためである。その錯覚を打ち破るには、人権の意義を狭義と広義に区別する必要がある。
 人権は、狭義では、国籍や資格、性別、年齢等に関わりなく、人間であれば誰しも持つ権利という概念である。世界人権宣言は、人間は生まれながらに平等の権利を持つことを定め、宣言という形で発表してその実現を助長・奨励している。これに、わが国をはじめ多数の国々が参加している。だが、このような意味での人権は、実際には実現していない。理想・目標であって、現実とは大きな開きがある。
 一方、人権は、広義では、国民や集団の成員、性別・年齢等に限定される特殊的な権利を含む権利一般である。そのため、広義の人権は「人間が人間として生まれながらに平等に持っている権利」「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」という普遍的・生得的な基本的な権利という人権の一般的な理解と矛盾する。
 人権は、狭義の場合は「普遍的でありたい権利」「普遍的であるべき権利」であり、広義の場合は特殊的な権利を含む権利一般である。そして、人権は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利が実態であるのに、これらに同じく人権という言葉を充てて乱用するため、解釈や議論に混乱を生じている。
 人権を狭義と広義に分けて考えると、世界人権宣言、国際人権規約、一連の国際人権保障条約、またわが国の現行憲法における人権という概念は、定義が不十分で、徹底的に検討がされていないことが明らかになる。
 国際連合の世界人権宣言は「宣言」であって、国家における憲法とは性格が異なる。各国の憲法は、政府がその規定に反する行為を行ったときは、その責任が問われる。しかし、国際連合は、「宣言」を発することにより理想・目標を示しているにすぎない。国際連合の加盟国は、「宣言」の理念に基づきつつ、自国の憲法により、国民に対して、その権利を保障する。国民は、その権利に伴う義務を負う。これに対し、世界人権宣言は直接、各国の国民個人に義務を課すものではない。そこに国家という機関と国際組織という機関の根本的な違いがある。国際社会は基本的には主権国家を単位として構成されており、国際組織は主権国家間の共同や連携のための機関であって、地球政府ではない。
 だが、世界の大多数の国々は、上記のような矛盾をはらんだ思想を受け入れ、それを批判することなく、その上に自国の憲法や法律で人権について規定している。また国際機関による人権の保障がされ、実現が促進されてもいる。1966年、世界人権宣言の理念を具体化した国際人権規約が多くの国の参加によって締結された。国際人権規約は、自由権規約・社会権規約等から成り、自由権規約委員会・社会権規約委員会が設置された。これらの委員会が各国の人権状況について発する総括所見は、法的拘束力はないが、勧告的な効果を持っている。平成18年(2006)に国連総会で設立された国連人権理事会は、以前経済社会理事会の下にあった人権委員会より、強い影響力を振るっている。だが、定義が不十分のまま、各種の条約が結ばれ、実行がされないと、実行が促されるという仕組みが出来上がっている。ただし、各国の国内法と異なり、履行しない場合に罰則はない。
 私は、普遍的と特殊的の権利を区別し、また人権の狭義と広義を区別したうえで、人権に関する考察を行い、それを基に世界人権宣言・国際人権規約等を改定し、それに従って国際人権機関の制度や運用を改める必要があると思う。またわが国においては、憲法の改正において、現行憲法の「基本的人権」という概念を再検討し、条文の改定をなすべきと考える。

 

●国際人権法の発達史

 これまで述べてきたことは、国際人権法の発達過程を見ると、一層明らかになるだろう。国際人権法では、いわゆる人権について、歴史的に、三つの段階を認めている。第1段階は自由権、第2段階は社会権、第3段階は「発展の権利」である。
 第1段階では、17〜18世紀の西欧において、新興ブルジョワジーを中心に自由と権利が主張され、普遍的・生得的な権利が主張された。これが自由権である。第2段階では、20世紀の西欧において、平等に配慮した権利が多く主張され、権利の主体が労働者へと拡大された。これが社会権である。
 ここまでは、主に欧米を中心に発達したが、第2次世界大戦後、アジア・アフリカの有色人種が独立と解放を勝ち取り、自由と権利の希求がアジア・アフリカへと広がった。新興独立国の多くが「国際連合=連合国」に加盟すると、それらの国々の主張を背景として、国連では「発展の権利」が主張されるようになった。1986年には「発展の権利に関する宣言」が発せられた。ここにいう発展とは、単に経済的な側面だけでなく、より広汎な社会文化的な面も含むとされている。権利について、個人を主体とした自由権・社会権とは異なる考え方である。「発展の権利」は、1993年の世界人権会議で採択された「ウィーン宣言及び行動計画」にも取り入れられた。ここにおいて、人権の発達は第3段階に入ったとされる。
 第1段階から第2段階への発達は、主に欧米諸国における階級間での権利の拡大である。近代世界システムの帝国の周辺部からの収奪の上に繁栄する中核部で、支配集団から労働者や社会的弱者へと権利が拡大していったものである。それが第3段階では、欧米諸国民から非西洋諸国民へと拡大された。第2段階から第3段階への発達は、民族間の拡大であり、中核部から周辺部への拡大である。
 第3段階では、国際人権規約で自由権・社会権が制定され直した。ここで重要なのは、自由権規約も社会権規約も第1条で、人民(peoples)の自決権を定めたことである。すなわち、「すべての人民(peoples)は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」が、その条文である。ここで私は、peoples を「人民」と訳したが、peoples は多義的な言葉で、国民とも民族とも集団とも取れる。自決の権利は国民自決権・民族自決権・集団自決権のどれでもあり得るものとして、ここでは「人民」と訳しておく。
 人民の自決権は、多くの場合、民族自決権と訳される。これは、一般的に言うと、集団の自決権である。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障されるという思想が、国際人権規約に盛り込まれたのである。人民の独立なければ個人の人権なし、という原則が打ち立てられたのである。これによって、第1段階における個人中心的な自由権を、集団の権利の中に位置付け直す必要が生じた。自由権の上に拡張された社会権も同様である。また自決権は政治的側面だけでなく経済的、社会的、文化的側面にも拡大された。しかし、人民という集団の権利と個人の権利との関係は必ずしも明確に整理されていないのが、人権に関する国際法の現状である。
 個人の権利は集団の権利が確保されていて初めて保障される。近代西欧では諸国の独立と主権が確立されていたから、そのもとで個人の権利が発達し得た。そのことが再認識されねばならない。
 たとえば、17世紀のイギリスは、他国の支配を受けることのない独立主権国家だった。だから、英国民は自由と権利を確保できた。18世紀のフランスは、革命によって人権宣言を発した後、周辺国の干渉を跳ね返した。だから、仏国民は自由と権利を追求できた。このように17〜18世紀の英仏においては、個人の自由と権利の前に、国家の独立と主権が存在していた。それを前提として人権が唱えられたのである。もしこれらの国々が他の集団の支配下にあり、集団として持つ権利を奪われていたならば、国民個々の自由と権利は抑圧されていただろう。

被支配状態にあって、まず目指すべきは、独立であり解放である。そのことをよく示すのが、アメリカ合衆国の事例である。18世紀のアメリカは、イギリスの植民地であり、本国の参政権はなく、自主的な課税権もなかった。植民地の人民は、本国の圧政に抵抗し、独立を勝ち取った。だから、米国民は自由と権利を獲得できたのである。実は、イギリスにおいても、国民の権利の確保と拡大は、ノルマン・コンクェスト以来、フランス系の貴族に支配されてきたアングロ・サクソン系の庶民が国王から権利を守り、主張してきた過程でもあった。
 ここで国家の独立と主権を人民自決権という20世紀的な概念でとらえるならば、英米仏においても、集団の自決権の確立のもとに、国民個人の自由と権利が拡張されてきたのである。

 

●発達する人間的な権利

 国際人権法における人権の発達段階論は、欧米で普遍的・生得的な権利として発生した人権という観念が、もともと歴史的・社会的・文化的な生成物であることを示している。しかし、国際社会は、依然として、第1段階で歴史的・社会的・文化的に形成された「人間が生まれながらに平等に持っている権利」「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」という人権理解をそのままにしている。その状態で、第2段階の権利、第3段階の権利を拡張している。根本的な再検討を行っていないのである。根本的な再検討とは、世界人権宣言の改定に至るような検討である。そのために、今日人権については、普遍的と特殊的、非歴史的と歴史的、個人的と集団的といった基本的な概念の関係が、乱雑な状態になっている。
 これを整理し直すには、人権の狭義と広義を区別し、狭義の人権は理想・目標として規定し直すべきである。また、広義の人権は、その理想・目標のもとに、歴史的・社会的・文化的に発達する権利一般と定義するとよい、と私は考える。
 人権は、普遍的な権利として理想・目標とされる権利を段階的に現実化するとともに、これに種々の特殊的な権利を追加することによって、発達してきた。普遍的な権利とは、17世紀西欧で発達した自由権すなわち
精神・生命・身体・財産の権利であるが、これに特殊的な権利、集団の構成員が集団の意思決定に参加する参政権や、労働者の権利、生存権、教育を受ける権利等の社会権が追加されてきた。そして自由権・参政権・社会権を合わせて、一般に「基本的な人権」と呼ばれるようになった。基本的人権とは、人間が生まれながらに平等に持っている権利だとされる。だが、権利の実態は「生まれながらに人間の持つ権利(natural human rights)」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発展してきたものである。私は、こうした権利の性格をとらえて、「発達する人間的な権利(developing human rights)」と呼ぶ。そして、人権を、17世紀の西欧的な「生まれながらに人間の持つ権利」ではなく、20世紀の世界的な「発達する人間的な権利」として、17世紀西欧にさかのぼって基礎づけ直すべきであると考える。
 ところで、英語で人権と訳す言葉は、human rightsであり、これをわが国では「人権」と訳す。humanには「人間が持つ(of human beings)」という意味と、「人間らしい(being human)」という意味がある。ロングマン英語辞典では、形容詞の human の語義の一部として、「belonging to or relating to people, especially as opposed to animals or machines」と説明している。
すなわち「動物や機械ではなく、人間に所属すること、または人間に関すること」である。
 私が「発達する人間的な権利(developing human rights)」という概念に「人間的な」という言葉を使うのは、「人間らしい」を意味する形容詞としてである。すなわち、「人間らしい(being human)」という言葉を、道徳的価値を含む形容詞として用いるものである。その名詞形は「人間らしさ(humanity)」である。

humanity は、「人間であること」「人間らしさ」と和訳される言葉だが、ロングマン英語辞典はその語義の一部を、「the state of being human and having qualities and rights that all people have」と説明している。「人間らしい状態」や「すべての人が持つ性質や権利」である。
 「人間らしさ(humanity)」という価値は、普遍的なものではない。歴史的・社会的・文化的に変化する。人間の自己認識が変わることによって、何が「人間らしい」かの考え方は変化する。文化・文明の発達によって、その時代、その社会の人々が「人間らしい」と考える内容は変わっていく。私は、そうした可変的な人間観に基づいた権利を「発達する人間的な権利」と呼ぶ。「発達する人間的な権利」としての人権は、それぞれの国民や民族、集団の歴史的・社会的・文化的な条件のもとで追及されてきた権利であり、普遍的・生得的な権利とされてきたものは、その先に置かれた理想・目標である。

今日の国際社会には、人権を法的権利としての人権に限定する見解と、道徳的権利としての人権を認める立場とが対立している。人権は自然権の思想に由来を持つものであり、もともと単に法的な権利ではなく、道徳的な権利としての側面を持つ。また、道徳的な側面の奥に宗教的な要素を持ち、キリスト教の思想を背景にしている。人権の発達の過程では、西欧で道徳的または宗教的な権利として主張されたものが、市民革命を通じて法的な権利として制度化された。その際に、普遍的・生得的な権利という思想の持つ主張の強さが、法制化の推進力となった。

 法的権利となった人権は、実定法に根拠を持つ権利であるが、道徳的権利としての人権は、未だ社会的に公認されていない主張である。だが、人権の発達史を振り返ると、道徳的または宗教的な権利として主張されたものが法的な権利として規定されてきたので、現在一部で主張されている権利が、将来法的な権利とされる可能性がある。もちろんすべての主張が法制化されるのではなく、社会の成員の大多数が承認したもののみがが、法的権利として権力によって保護されたり、強制されたりするものとなる。このことは、人権は普遍的・生得的な権利ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する人間的な権利であることを示している。ページの頭へ

 

(3)人権を基礎づける

 

●世界人権宣言の人間観

 私は、人権を「発達する人間的な権利」と定義し、普遍的・生得的な権利とされてきたものは、そうありたい、そうあるべきという理想であり、目標であると位置づける。こうした整理に立って、従来の人権の概念を見直し、新たに基礎づけ直す必要があると考える。人権については、基礎づけは必要ないという意見と基礎づけが必要という意見があり、これらについては、第2部で人権の歴史と思想、第3部で人権の現状と課題を見たうえで、第4部で現代の人権論に大きな影響を与えている正義論の検討をした後に、具体的に検討する。また最初の項目で人間とは何かという問いについて私の考えの一端を述べたが、この問いについては、第4部で主題的に検討する。ここでは、予備的な考察として、今日世界で広く受け入れられている世界人権宣言の人間観を検討しておきたい。以下の訳は日本国外務省の仮訳文による。
 世界人権宣言にいう人間とは、どのような人間か。言い換えると、どのような人間観に立った人間だろうか。「宣言」の前文には、次のようにある。
 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利(the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family)とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので ……」
 ここに「人類社会」と訳されているのは、the human family という英語である。family は、「社会」ではなく「家族」である。それゆえ、the human family は「人類家族」と訳すべきものである。また、「人類社会のすべての構成員」とは「人類家族のすべての構成員」を意味する。私は本稿の人間とは何かという項目で家族の重要性を述べたが、家族の重要性を主張する立場から、私は「人類家族」という「宣言」の文言に注目する。アメリカ独立宣言やフランス人権宣言では、社会を抽象的な個人の集合ととらえているが、世界人権宣言は、社会を「家族」にたとえている。「宣言」には、人類は一つの家族であるという思想があるのである。そのことを私は強調したい。
 では、「人類家族」の構成員である人間とは、どのような人間であるか。前文に続き第1条に、次のようにある。
 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心(reason and conscience)とを授けられており、互いに同胞の精神(a spirit of brotherhood)をもって行動しなければならない。」
 この条文の冒頭に、人間は「生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」という文言がある。これは、「宣言」の中の最も有名な一文である。人間は、生来自由であり、平等であるという人間観がここに打ち出されている。近代西洋文明が生み出した人間観である。17世紀のホッブス、ロックが主張し、アメリカ、フランス等の市民革命で発達した人間観が、約300年を経て、世界人権宣言において、非西欧社会に受け入れられるものとなったのである。ただし、少し考えてみれば、誰でも分かるように、実際は人間には生まれながらにさまざまな不自由があり、また決して平等ではない。「宣言」がいうのは、事実ではなく理想であり、そうありたいという目標である。理想・目標を述べる主張にすぎない。
 次に、第1条は、人間は「理性と良心」を授けられているという。理性とは reason、良心とは conscience の訳語である。これらもまた、近代西洋文明の人間観に基づく認識である。フランス人権宣言では、人間の理性が強調されたが、世界人権宣言では、理性という知的能力だけでなく、良心という道徳的能力が併記されている。これは後に述べる人格の概念につながっていく。
 次に、注目したいのは、「同胞の精神(a spirit of brotherhood)」という言葉である。先に前文に「人類家族」と訳すべき言葉があることを指摘した。「同胞」は人類を家族に例える考え方によるものである。同胞とは本来、共通の親を持つ兄弟姉妹のことをいう。「宣言」は、人類は家族であり、同胞愛をもって行動すべきだというのである。
 次に、注目すべきこととして、「宣言」は人類家族の構成員について、「個人」の意味で individualという言葉を使っていない。Individualの原義は、「分けることのできないもの」である。「宣言」において、「個人」にあたる用語は、a person である。そして、人間は、人間としての尊厳を持ち、各個人が「人格」(personality)を持つ存在だとしている。ここにいう人格とは、理性と良心を持つものと考えられる。この点に関して、第22条に次のように記されている。
 「すべて人は、……自己の尊厳と自己の人格の自由な発展(the free development of his personality)とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する」
 また第26条2項に、次のように記されている。
 「教育は、人格の完全な発展(the full development of the human personality)並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。……」
 ここには、人格は発展するものであり、自由かつ完全に発展すべきであるという思想が表れている。また、人格の発展のために必要なものが教育であり、教育は人格の完全な発展を目的の一つとすべきだという認識が示されている。
 以上見てきた条文に、世界人権宣言の人間観が概ね表現されている。「宣言」の人間観の主要な要素は、人類家族、自由、平等、理性、良心、同胞精神、人格とその発展可能性である。そして、「宣言」は、人間は自己の尊厳を保ち、人格的発展を追求する権利を持ち、それらに不可欠の条件として、経済的、社会的及び文化的な権利を実現する権利を持つとしている。これは、人格の存在とその成長可能性を認める近代西洋の思想を背景にした考え方である。
 「宣言」はこのように、個人の人格の発展を重要視する。だが、その個人が「人類家族の構成員」であり、その家族の一員として人格的に成長し、発展することを強調していない。また、「宣言」は、親子・夫婦・祖孫等による実際の家族の重要性には、あまり具体的に触れていない。私の見方では、家族は、生命を共有し、精神的なつながりを持つ集団である。個々の人間を「人類家族」の構成員とするならば、個人個人の生命と人格は、人類が家族的に共有する生命・精神の一部と位置づけることができる。そして、個々の人格的発展は、「人類家族」の幸福や繁栄に貢献するものであることが期待される。しかし、「宣言」は、この方向に考察を進めていない。「宣言」は、生命に基づく具体的な家族的人間関係に、立ち入ろうとしていない。同時にそうした家族の巨大な集合体である人類家族についても、具体的に生命的かつ歴史的に考察していない。一定の人間観を表しながら、その依って立つ根拠を示さず、またそこから展開し得るものを秘めた状態に止まっているのである。
 それゆえ、私は、世界人権宣言における人間観は、人間に関する考察が不十分であると考える。人権を基礎づけ直すには、この点の検討が必要である。

 

●人間の尊厳

 世界人権宣言は、第1条に「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と記した。「宣言」の理念を具体化した国際人権規約は、人権を「人間の固有の尊厳」に由来するものとしている。自由権規約は、次のように始まる。
 「この規約の締約国は、国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものであることを考慮し、これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認め、……」
 この項で言及したいのは、人間の「尊厳」についてである。「尊厳」は、英語dignityの訳語である。dignity の原義は「価値のあること」。そこから「尊さ、尊厳、価値、貴重さ」などを意味する。「尊厳」という漢語については、『広辞苑』は「とうとくおごそかで、おかしがたいこと」と解説している。
 では、なぜ人間には尊厳、言い換えれば価値があるのか。実は、世界人権宣言は、人間の尊厳を謳いながら、その尊厳について具体的に書いていない。それ以降の国際人権規約や各種国際人権条約も、同様である。その状態で、国際人権文書は、人間の尊厳という価値の上に、人権の体系を組み立てている。そして、世界の大多数の国々がその文書に賛同し、参加している。これは奇妙な状態である、と言わねばならない。
 世界人権宣言や国際人権規約は、現在世界的に広く受け入れられている文書である。その文書に人間の尊厳について具体的に書かれていない。そのため、人類は、なぜ人間は尊厳を持つのか、その価値の根拠は何か、という問いに対し、まだ文化・文明・宗教・思想の違いを超えて広く受け入れられる回答を持つに至っていない。哲学、法学、政治学、人類学等において、さまざまな議論がされてきたが、まだ世界的な定説はない。世界共通の認識を確立できていないのである。
 私は、人間の尊厳という観念の背景には、キリスト教及びイマヌエル・カントの哲学があると思う。近代西欧から世界に広がった人権の観念のもとにあるのは、ユダヤ=キリスト教の教義である。ユダヤ民族が生み出した宗教では、人間は神(ヤーウェ)が創造したものであると教える。神は偉大であり、人間は神の似像として造られた。それゆえ、人間は尊厳を持つと考えられている。人間は他の生物とは異なる存在であり、地上のすべてを支配すべきものとされる。
 ユダヤ教から生まれたキリスト教は、ローマ帝国の国教となり、近代西洋文明の一要素となった。人間の尊厳という観念は、キリスト教の神学に、受け継がれてきた。教父アウグスティヌスやトマス・アクイナスは、著書に人間の尊厳という観念を表している。彼らの思想は、古いようでいて、決して過去の遺物ではない。21世紀の現代においても、カトリックを中心として、信心深いキリスト教徒に、基本的な世界観・価値観を与えているからである。そこでは、人間の理性は、キリスト教的な全知全能の神の英知を、不完全な形で分有したものとされる。この観念がキリスト教神学にとまるものであったなら、非キリスト教社会に広がることはなかっただろう。キリスト教を信じない者には、そもそも人間は神(ヤーウェ)の被造物という考えは認められない。私は、人間の尊厳という観念が非キリスト教社会に受け入れられるものとなったのは、カントの哲学によるところが大きいと考える。
 私は先に、ロックの思想は17世紀以降、この21世紀まで、世界に甚大な影響を与えており、その重要性は、マルクスやニーチェやフロイトの比ではないと書いた。ロックの思想が世界に広まり、そのうえにカントの哲学が浸透している。象徴的に言えば、ロック=カント的な人間観が今日の世界に普及した人間観のもとなっている。ロック=カント的な人間観とは、人間は、生まれながらに自由かつ平等であり、個人の意識とともに、理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つ、という人間観である。
 カントは、18世紀西欧の「啓蒙の世紀」を代表する哲学者であり、アメリカ独立戦争やフランス革命を同時代として生きた。西欧では、天動説から地動説への転回をきっかけに、中世的な世界観が大きく揺らいだ。カントは、科学と道徳の両立を図って、宗教の独自性を認め、科学的理性的な認識の範囲と限界を定めつつ、神・霊魂・来世という形而上的なものを志向する人間の人間性を肯定し、理性に従って道徳的な実践を行う自由で自律的な人格を持つ者としての人間の尊厳を説いた。
 このようにカントは、人間の尊厳を伝統的なキリスト教の教義から離れて、近代的な哲学によって意味づけ直した。それによって、人間の尊厳という観念は、世俗化の進む西欧社会でも維持され、同時に非キリスト教社会にも伝播し得るものとなった。その観念は、今も世界に広まりつつある。
 ところが、その一方、大元の欧米では、19世紀半ば、ダーウィンの進化論が登場し、人間は神が創造したものではなく、猿から進化したものだという理論が広まった。また、西洋とキリスト教の歴史と現状を考察したニーチェが、「神は死んだ」と言い、ニヒリズムの到来を予言した。こうして、キリスト教的な神の存在を疑ったり、否定したりする思想が社会に影響を及ぼすようになった。ここで、仮に神という超越的な観念を排除すれば、そこには、人間の尊厳という観念のみが残ることになる。
 近代西欧には、科学技術の発達によって、人間は宇宙のすべてを知り、自然を支配することが可能だという考えが、早くから存在した。16世紀後半のフランシス・ベーコンに始まって、ホッブス、サン・シモン、コント等が主張してきた。18世紀以降、こうした科学万能の思想が影響力を強めていった。19世紀後半から20世紀へと進むに従って、欧米では人間の理性への過信や傲りが高じた。とりわけ二度にわたる世界大戦、そして核兵器の登場は、科学と理性について、深刻な反省を要する出来事だった。
 だが、非キリスト教社会は、近代西洋文明が直面している根本問題を徹底的に議論することなく、人間の尊厳という観念を受け入れ、国連憲章や世界人権宣言に賛同・参加してきている。世界の大多数の国々が西欧における近代化の成果、すなわち科学技術や資本主義、主権国家や合理主義等を摂取するのと同時に、人権という観念を輸入したのである。そして、人間の尊厳という観念は、深く検討されることのないまま、21世紀に入った後も、時が経過しているのである。

 

●生命と人間

 今日、人間の尊厳を論じるには、生命の次元から始める必要がある、と私は思う。世界人権宣言をはじめ国際人権規約、あるいは地域的なものである欧州人権条約、米州人権条約、アフリカ人権憲章のどの人権条約も、すべての個人が生命に対する権利をもっていることを規定している。そして生命に対する権利をすべての人権のリストの冒頭に置いている。それゆえ、人間の尊厳を論じるには、最初に生命の考察が必要である。
 たとえば、国際人権規約の自由権規約は、第6条1項に次のように定める。「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。」
 自由権規約委員会は、この条文に定める生命権を、「人間の至高の権利(the supreme right of the human being)」であり、「すべての人権の基礎である」と評価している。
 確かに人は生命を奪われるとすべての権利を失う。したがって、生命に対する権利は、最も基礎的な権利である。自由権規約は、第4条1項にて国家の緊急事態の時は、条約で保障する権利のいくつかについてその効力を一時的に停止することを認めている。これを国家の derogation の権利と言う。derogation は効力停止あるいは条約上の義務からの離脱を意味する。だが、生命権は、緊急時であっても効力を停止できない権利 non-derogable right とされている。
 生命権は、生命の価値を認め、これを権利として保障しようとするものである。生存権ともいう。確かに人間の尊厳が生命の尊厳に基づくことは間違いない。だが、人間は他の生物を食料として摂取することによってのみ、生存することができる。もしすべての生命に尊厳があるとし、それを尊重するならば、人間は他の生物を食することができず、絶滅するしかない。ベジタリアン(菜食主義者)は動物を食料にするのはいけないが、植物なら食料にしてよいと考える。だが、これも生命の尊厳という考えとは矛盾する。植物にも生命があるからである。それゆえ、人間にとって貴いのは、生命一般ではなく、人間的生命であることを認めねばならない。他の動物・植物等の生命に価値を認める場合であっても、それらと人間的生命とを区別し、人間は自らの生命を相対的に価値の高いものと暗黙の裡にみなしているのである。
 ただし、人間的生命に尊厳を認めるとしても、私はこの尊厳は絶対的なものではないことを認識する必要があると思う。人間は、国家や社会の秩序を守るために、その国家や社会の規範に従って人の生命を奪うことがある。犯罪者の処刑や戦争における敵の殲滅がそうである。他人の生命を救うために、自らの生命を懸けることもある。親が子を守る時、軍人が国を守る時などがそうである。また、人間は、より価値のあるもののために、生命を捧げることもある。誇りや名誉のために、命を捨てる場合がそうである。それゆえ、生命は大切な、価値あるものではあるが、絶対的なものではない。相対的な価値である。そうした生命の尊厳を絶対的な価値として、人間の尊厳を説くならば、矛盾を生じ、欺瞞となりさえする。
 それゆえ、生命的な価値以外に、人間の尊厳を根拠づける価値が必要である。人間は生命ある存在というだけなら、他の生物と同じであるが、知恵と自由を持ち、文化を創造し、発展させるものである点に特徴がある。それゆえ、文化の創造・発展に価値を置き、その価値を人間の尊厳の根拠とすることができる。ここで文化とは、人間の社会の持つ生活・活動の総体、つまり慣習・知識・制度・科学・芸術等を意味する。
 私は、生命的価値と文化的価値を合わせて、人間の尊厳を考えるべきだと思う。文化には、物質面と精神面がある。すなわち、大まかに言って、経済・科学・技術等の外面的・物質的所産と宗教・道徳・芸術等の内面的・精神的所産がある。前者を物質文化、後者を精神文化と呼ぶならば、文化的価値には、物質文化的価値と精神文化的価値がある。略して物質的価値、精神的価値ともいう。私は、これらの価値の間に、「生命的価値<物質的価値<精神的価値」という三つの段階があると考える。
 精神とは、理性だけでなく感性を含み、また霊性・徳性を孕むものである。理性的・感性的かつ霊性的・徳性的な精神の働きが生み出す価値が、精神的価値である。ここで先に述べた人格という概念を用いるならば、この精神的価値を実現し、体得するものが、人格である。人間に人格を認め、人格の形成・成長・発展をめざすことは、精神的な価値を認め、個人における精神的価値の増大をいうものである。私は、生命的・物質的・精神的という重層的な価値を創造するものとして、人間をとらえ、そこに人間の尊厳を見出すことができると考えるのである。

 

●個人の人格

 次に、精神的価値を実現・体得するものとしての人格について述べよう。世界人権宣言は、第22条に次のように記している。
 「すべて人は、……自己の尊厳と自己の人格の自由な発展(the free development of his personality)とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する」
 ここに、「自己の尊厳」と「自己の人格」とあるのは、一般的に言えば人間の尊厳と個人の人格となる。そして、「宣言」は、人間は人間としての尊厳を持つとともに、各個人が人格を持つ存在だという認識を示している。
 カントは、人間には、理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つことによって、尊厳があるとした。私はこのカントの思想が「宣言」の人間観に影響を及ぼしていると思う。世界人権宣言の人間観のもとになっているのは、ロック=カント的な人間観であり、それが現代の国際社会の人間観に基本的な枠組みを与えている、と私は見ている。
 ここで人格とは、英語 personality、独語 personlichkeit、仏語 personnalite 等の訳語である。どれも人を意味する person をもととする。person はギリシャ語のペルソナ、「俳優の付ける面」を語源とし、「面を付ける人」から、さらに「人」へと転じた。ロングマン英語辞典は、personality を「someones character, especially the way they behave toward other people」と説明している。「特に他者に対する振る舞い方」を強調している。こうした辞典が開設する日常語としては、personality には他者との関係における自己、他者から見た自己という意味合いが強い。
 personality 等の訳語である日本語の「人格」は、人柄、人品を意味する。こうした日常的に使われる人格という用語を、哲学では道徳的行為の主体、法学では権利義務が帰属し得る主体の意味で用いている。主体とは、対象や環境に対して、能動的に働きかけるものである。主体は、近代西洋思想の基本概念のひとつで、主体―客体(subject-object)という対をなす。認識を主にする時は、主観―客観という。主体・主観は、歴史的・社会的・文化的に限定されるものであり、集団における社会関係に基づくがゆえに、共同主観的・間主体的(inter-subjective)である。客体は対象ともいう。主体は対象でもあり、本稿では、主体間の相互性を表すために、主体を相互的な主体―対象ともいう。
 人格は、人間の心身の発達の過程で形成され、成長・発展を続ける。植物は、<種子→芽→葉→花→実>と、生長の過程で形態を変化させていくが、そこに一貫して持続しているものがある。それが植物の本体としての生命である。人間も、<精子→受精卵→胎児→幼児→少年→青年→老年→死者>と、成長の過程で形態を変化させていくが、そこに一貫して持続しているものが、生命である。そして、人間においては、生命だけでなく、生命とともに成長する精神がある。この生命的・精神的存在を社会的な実践の主体ととらえて、人格という。
 先に書いたように、人間は個人的存在であるとともに、社会的存在である。人間は、家族という種に特有の集団を構成する。個人は家族の一員として生まれ、家族において成長する。個人は、親子・兄弟・姉妹・祖孫等の家族的な人間関係において、人格を形成する。そして親族や地域等の集団の一員として、そこにおける社会的な関係の中で、人格を成長・発展させていく。
 近代西欧では、個人の自由と権利の保障・拡大が追及された。だが、自由と権利は、それ自体が目的ではない。人格の成長・発展こそが、目的である。自由と権利は、人格の形成・成長・発展のために必要な条件であり、また条件に過ぎない。条件と目的を混同してはならない。国家が国民に自由と権利を保障するのは、個人を人格的存在ととらえ、人格の形成・成長・発展のために、自由と権利を保障するというものでなければならない。
 自由と権利の保障は、個人の欲求を無制限に認めるものではない。人は人格的存在であるという認識を欠いたならば、自由は放縦となり、権利は欲望の追求の正当化となる。人権という言葉は、今日しばしば放縦や欲望の隠れ蓑になっている。私は、人格という概念を欠いたまま、自由と権利を人権条約や各国憲法で保障することは、自由と権利が目的化されてしまい、利己的個人主義を助長するおそれがあると考える。
 人格は、自己にだけでなく、他者にも存在する。人は他者にも人格があることを認め、互いにそれを尊重し合わねばならない。個人の人格の発展は、自己のためのみでなく、他者のためともなり、また社会の公益の実現につながるものでなくてはならない。自他は互いに人格の成長・発展を促す共同的な存在であり、自由と権利は相互的な人格的成長・発展のために、必要な条件として、保障されるべきものである。
 世界人権宣言は、一定の人間観を示しながら、人間の尊厳と個人の人格について、具体的に述べていない。私は、「発達する人間的な権利」としての人権を基礎づけるためには、ここまで書いてきたような考察を進めることが必要だと考える。

 

●日本における人権の観念

 わが国には、幕末から明治時代のはじめに、主に英仏の文献の翻訳を通じて、人権の観念が流入した。「天賦人権」等と称され、自由民権運動を経て、大日本帝国憲法において一定の実現を見た。大日本帝国憲法は「臣民の権利」を保障した。その権利は、天皇が国民に与えたものだった。すなわち、闘争によって人民が君主から勝ち取ったのではなく、恩賜によって君主から人民に授けられたものである。「臣民の権利」は日本国民に限定するものであり、国民・非国民を問わぬ普遍的・生得的な人権という観念とは異なるものだった。また個人の自由と権利より、国家公共の秩序が優先された。民権より国権が優位に置かれ、国権の伸長の下で民権が保障された。これは今日的に見れば、国際人権規約に定める人民自決権、また国家の独立と主権の確立が優先され、そのもとで個人の自由と権利が保障されるという体制だったわけである。
 大東亜戦争の敗戦後、占領下において日本国憲法が制定された。GHQが秘密裏に英文で起草した原案がもとになった。現行憲法は「基本的人権」の保障を原則の一つとしているとされ、今日、日本人が人権について考える時は、ほとんど現行憲法の思想に基づいている。そして、日本国民の多数は、人権は「人間が生まれながらに平等に持っている権利」と考えている。だが、現行憲法は、人権とは何かを定義していない。定義のないまま「基本的人権」という用語が使われている。

「基本的人権」には、人間一般の基本的な権利という含意がある。では人間とは何か、人間はなぜそのような権利を持つのか、その根拠は何か、またどうしてその権利を、現行憲法は日本国民に保障するのか。現行憲法は、第97条に基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と記す。だが、「人類の多年にわたる自由獲得の努力」とは、どういう努力なのか、「過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」とは、どういう過去なのか。いつどのように信託されたのか。具体的でない。なにより国民に「基本的人権」を信託したのは誰なのか。天皇なのか、過去の世代なのか、GHQなのか、そもそもその主体がはっきりしない。

 一般に言う人権は、狭義の場合は「普遍的でありたい権利」「普遍的であるべき権利」であり、広義の場合は国民や集団の成員、性別・年齢等に限定される特殊的な権利を含む権利一般である。この区別によれば、日本国憲法における人権とは、狭義の人権ではなく、広義の人権であるということになるが、明確でない。

 人権について、こういう具合だから、現行憲法は、人間の尊厳についても、具体的に記していない。そもそも人間の尊厳という概念が盛られていない。条文に出てくるのは「個人の尊厳」である。それも限られた関係において触れるのみである。また、人格という概念がない。国民が個人として尊重されるとしてはいるが、それは個人が人格的存在だからとは、みなしていないのである。国民は、憲法の条文の文言から、憲法の基づく人間観を想像し、人間の尊厳や個人の人格について推察するよりないのである。

●世界人権宣言等と日本の人権

 わが国は現行憲法のもと、昭和27年(1952)4月28日独立を回復した。そして、「国際連合=連合国」に加盟し、世界人権宣言に参加した。続いて国際人権規約も締結した。その他、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、児童の権利条約、拷問禁止条約等も締約している。その「宣言」にしても「規約」にしても、他の特殊的な国際人権条約にしても、人間の尊厳や個人の人格について、具体的に記していない。人間がなぜ生まれながらに、侵しがたいほどの価値を持つのか。その根拠は何か。「宣言」及び「規約」等の文言から、それらの依って立つ人間観を推量するしかない。日本国民にとって、人権は決して自明なものではない。人間の尊厳についても、個人の人格についても、憲法やこれらの国際人権条約に、明確なものを見出せないのである。

 日本国憲法が保障する権利は「国民の権利」でありながら、普遍的・生得的な権利という近代西欧的な人権の観念に基づくもののようであり、そのうえで国民に対して「基本的人権」を保障するらしき規定になっている。これは、普遍的権利と特殊的権利を区別せず、人権の狭義と広義を区別せずに、条文を作成したからである。

 日本国憲法は、極めて欠陥の多い憲法だが、人権についても欠陥を持つ。それは、欠陥思想に基づいているからである。その欠陥思想に基づく憲法の条文を根拠に、普遍的・生得的な人権を説き、虚構の人権の拡大を図り、夫婦別姓の導入、嫡出子・非嫡出子の相続の均等化、永住外国人への地方さ政権付与、人権侵害の救済機関の設置等の動きがあるのは、国民を欺き、誤導するものである。
 人権は、日本においては、日本の歴史・社会・文化において、国民の権利として発達するものである。他国ではまたそれぞれの事情や段階に応じて、その国の国民の権利が発達していく。そしてこうした国家の間で、相手の国民に対して、必要に応じて一定の権利の保護や支援を行う。世界人権宣言や国際人権規約等は、そうした国家間において、理想・目標を示してこれを共有化するとともに、理想・目標に向かって各国がそれぞれの国情を踏まえて努力するのを、相互的に促進するものである。主体は各国家であり、国際機関は主体の活動を補助するものである。世界人権宣言、国際人権規約等の改定も課題だが、それには世界200か国近い国家や地域に所属する人々の合意を形成しなければならない。これは、膨大な努力を要する大事業となる。それより、まず自国の憲法を改正し、自国で実践して、その成果を国際社会に提供していくのが、為すべき順序であると私は考える。

 わが国の人権の現状と課題については、第3部で詳しく述べる。そこにおいて、人権に関する憲法改正案も提示することとする。

 

●人間観の転換

 人権を「発達する人間的な権利」とし、人間の尊厳と個人の人格という概念を用いて基礎づけようとするとき、再び本稿の最初に書いた人間とは何かという問いに立ち戻る。人間としての尊厳と個人としての人格を持つような人間の権利を考えるには、新たな人間観の構築が必要である。その際、参考になるものに、アブラハム・マズローの理論があると私は考える。
 現代国際社会の人間観に基本的な枠組みを与えているのは、ロック=カント的な人間観だと書いたが、マズローの理論は、その枠組みの限界を超えるうえで参考になる。
 マズローは、人間性心理学及びそれを発展させたトランスパーソナル心理学の創始者である。マズローは、心理学的な研究によって、人間の欲求は、次の5つに大別されるという欲求段階説を唱えた。5つの欲求とは、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」、そして「自己実現の欲求」である。人間には、食欲・性欲のような欲求や、身の安全を求める欲求のような動物的・本能的な欲求だけではなく、愛や名誉や誇りなどの精神的な充足を求める欲求がある。その欲求のより高次の段階には、自己実現の欲求がある。自己実現とは、個人の才能・能力・潜在性等を充分に開発、利用したいという欲求であり、さらに人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという欲求である。
マズローは、自己実現こそ人生の最高の目的であり、最高の価値であると説く。そして、人間が最も人間的である所以とは、自己実現を求める願望にあると説いた。

マズロー以前の心理学は、研究の焦点を下位の欲求に合わせ、より高次の欲求にはあまり注目していなかった。例えば、マルクスの人間観は、19世紀の唯物論的心理学に基づき、「生理的欲求」と「安全の欲求」を中心としている。そのため、人間の幸福の実現には食物と安全が重要だとし、より高次の欲求には否定的だった。共産主義は、権利を闘争的に追求し、階級的に権力を獲得しようとした。しかし、その思想は、人間性に潜在する道徳的・精神的欲求を軽視していた。それを指摘したのは、エーリッヒ・フロムである。

フロイトは無意識の研究を行い、それまでの人間観に画期的な変化をもたらした。彼は性の問題を通じて、より上位の欲求である「所属と愛の欲求」の研究をした。しかし、性の観点からすべてを理解しようとしたために、人間理解を狭くしてしまった。これに比べ、アルフレッド・アドラーは、性格を対人関係からとらえた。彼は、性格は、劣等感を軸とし、その補償としての優越欲と社会的共同感情の相互関係から、社会生活の中で形成されると見た。彼は、人からの尊敬・評価を求める「承認の欲求」を中心に研究した。これに対し、「自己実現」という用語を初めて使用したのは、ゲシュタルト心理学者のクルト・ゴルトシュタインである。彼は「すべての人間の行動を取り仕切る決定的要因」は、自己実現だとした。この概念に注目し、具体的に研究を進めたのが、マズローだった。マズローは、先人であるマルクス・フロイト・アドラー・ゴルトシュタインらの主張・学説の総合を試みた。そして、人間の欲求には階層的な発展性があることを、明らかにした。これは画期的なことだった。彼によって、高次の欲求は、低次の欲求と同じく、人間の中に本能的に内在しているものであり、潜在意識下の衝動の一部をなすことが、広く理解されることになった。

 こうしたマズローの理論は、哲学の伝統的な概念でいえば、人格の成長・発展に関する理論と理解することができる。上位の欲求である自己実現の欲求は、人間の道徳的な能力の発現である。人間には自己実現を達成する能力が潜在しており、これを発揮するとき、人格の高度な成長・発展が可能となる。自己実現とは、人間に内在する人格的な欲求であり、その欲求が働くとき、人は自己実現を目指して、自らの人格を成長・発展させようとする。
 マズローの研究によると、自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになる。自己超越の欲求とは、自己を超え、自分自身を超えたものを求める欲求である。そして、他の多くの人々のために尽くしたり、より大きなものと一体になりたいと願ったりする。自己超越とは、自己が個人という枠を超えて、超個人的(トランスパーソナル)な存在に成長しようという欲求である。それは、悟り、宇宙との一体感、宇宙的な真理や永遠なるもの、社会の進化や人類の幸福などの、より高い目標である。古今東西の宗教や道徳でめざすべき精神の状態とされてきたものである。
 人間には、こうした人格的な欲求が生得的に内在している。その欲求を、少なくとも過去数千年の間、世代から世代へと受け継いできている。現代人は、旧来の経済的・唯物的な人間観を、このような人格に基礎を置いた人間観に転換すべきと私は主張する。

 人権は歴史的・社会的・文化的に発達する人間的な権利である。多くの社会は、宗教を文化の基礎に持ち、多くの宗教は、死後も人間が精神的な存在として存続することを説いている。

マズローは、自己実現の心理学から、自己超越の方向に進み、個を超える、より高次の心理学を提唱した。これがトランスパーソナル心理学である。マズロー以後、トランスパーソナル心理学は、心理学という枠組みを超え、さまざまな学問を統合するものとなり、包括的な視点に立って人間のあり方を模索する学際的な運動となっている。これをトランスパーソナル学と呼ぶ。トランスパーソナル学では、人間は霊性を持つ存在であることを認めている。

人間には身体性とともに心霊性がある。言い換えれば、身体的存在であるとともに、心霊的存在である。ここで心霊性は霊性と同義である。身体性との対のために漢字三文字を併用する。人間に生死を超えた心霊性を認めてこそ、人間観は身体的な局所性を超えて、真に時空に開かれたものになる。死をもって消滅するものは、真の人格とは言えない。新しい人間観は、人間は人格を持ち、自己実現・自己超越の欲求を内在し、また霊的存続可能性を持った存在であるという認識の上に、築かれるだろう。

本章で書いてきたように、人間には個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性の合計3つの対で示される性質がある。人権について考察するに当たり、人間のこうした性質を総合的にとらえて基本的な人間観を掘り下げていく必要がある、と私は考える。

先に価値について書いたところで、私は生命的価値と文化的価値を区別した。文化的価値には、物質的価値と精神的価値があると述べた。人間の心霊性に注目するとき、精神的な価値の一部は心霊性に基づくものであり、それは心霊的価値として区別するのが適当である。それゆえ、人間の生み出す価値には、生命的価値、文化的価値(物質的・精神的含む)、心霊的価値の3種があると整理し直すことができる。また精神的価値は、文化的価値から心霊的価値にまたがるものと位置づけ直すことができる。人格とは、こうした価値を創造・継承する主体であり、人間は人格的存在であることによって、人間としての尊厳を持つ。そしてそのような人間が持つ権利が、「発達する人間的な権利」としての人権である。

さて、「発達する人間的な権利」としての人権が、国際的に広く保障される世界を建設するためには、人類は二つの面で飛躍的な向上を成し遂げることが必要である。一つは経済的技術的な向上、一つは精神的道徳的な向上である。前者は物の面、後者は心の面である。物質文化的価値と精神文化的価値の実現である。人類は、これら物心両面にわたる飛躍的な向上を必要としている。そして物心調和の新たな文明を創造し得たとき、初めて「発達する人間的な権利」が諸社会に広く保障され、またさらに発展し続けるだろう。

 この人類の物心両面の向上と新文明の創造の過程で、私は国家の役割は重要であると考える。諸国家が自国の国民に国民の権利を保障し、さらに拡充していくときに、人類社会全体も物心両面において発達し、新文明の建設が進められていく。国家の役割を排除して、個人個人の努力だけでこの向上・創造はなしえない。また、国際機関は直接、個人個人の人格の成長・発展を支援し得ない。人権は、国家の否定によってではなく、諸国家の調和的発展と共存共栄によってのみ発達し続けることができると私は考えるのである。

この項目で述べたことは、本稿の第4部で詳述する。ここでは、予備的な記述に留める。
 以上で第1章を終了する。本章では人間とは何かを問い、人権について基礎的な考察を行って、発達した人間的な権利として人権を基礎づけるための基本的な考え方を提示した。続いて、第2章で自由と権利、第3章で権力、第4章で国家・主権・国民について検討する。こうした基礎的な検討を踏まえて、第2部以降で人権について総合的な考察を行う。
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第2章 人権の核心をなす自由と権利

 

(1)人権に係る宗教・道徳・法

 

●人権に係る宗教・道徳・法

 これまで私は、人間とは何か、また人権とは何かを問い、「発達する人間的な権利」としての人権の基礎づけに関する基本的な考え方を述べた。その過程において、自由、権利、権力、国家等の基本的な概念について主題的に検討することなく、論を進めた。これからあらためてこれらの概念について、由来、定義、相互の関係、わが国における摂取と展開等を検討する。それによって、人権の考察をより立体的・多面的に進められるものと思う。
 本章では、自由と権利について述べるが、最初に宗教と道徳と法の関係について書いておきたい。人権の観念は、近代西欧の宗教を背景として発生し、道徳との関係を保ちながら概念化され、法に具体化されてきたからである。

人間は、生物的存在として生存・繁栄していくため、また文化的存在として文化を継承・発展させるために、集団生活を営む。集団生活には、社会的な秩序が必要である。秩序とは、物事の規則だった関係である。社会的な秩序を維持するためには、何らかの決まりごとがなければならない。決まりごとがあることによって、集団の成員に「してよいこと」「してはならないこと」「なすべきこと」「なすべきでないこと」等の認識が共有される。

決まりごとには、行為や判断や評価を行う際の基準が必要である。それを規範という。規範には、集団的なものと個人的なものがある。集団的な規範を、社会規範という。社会規範は、集団において共同生活を行うため、成員が行為・判断・評価を行う際の基準として共有されている思想である。個人規範は、これをもとに集団の中で個人が自らに対して定めるものである。

社会規範を示す主なものには、習俗・神話・宗教・道徳・法がある。これらのうち、習俗は最も広い概念であり、ある社会で昔から伝わっている風習や、習慣となった生活様式、ならわしをいう。神話は、宇宙の始まり、神々の出現、人類の誕生、文化の起源等を象徴的な表現で語る物語である。一つの世界観の表現であり、またその世界で生きていくための規範が表現されている。神話においては、宗教・道徳・法は未分化であり、それらが分かれる前の思考が象徴的な形式で表現されている。しかし、その思考には、独自の論理が見られる。神話は、共同体の祭儀において、人類の遠い記憶を呼び覚まし、人間の自己認識と生きることの意味を確認するものだった。

習俗や神話には、祖先から受け継がれてきた規範が含まれており、それが社会に秩序を与えてきた。宗教は、習俗や神話をもとにして、人間の力や自然の力を超えた力や存在に対する信仰と、それに伴う教義、儀礼、制度、組織が発達したものをいう。

宗教には、自然宗教/創唱宗教、アニマティズム/アニミズム/シャーマニズム、祖先崇拝/自然崇拝、多神教/一神教/汎神教、神を立てる宗教/神を立てない宗教、啓典宗教/啓典なき宗教、部族宗教/民族宗教/世界宗教等、様々な形態がある。

宗教の中心となるのは、人間を超えたもの、霊、神、仏、理法、原理等の超越的な力や存在の観念である。その観念をもとにした思想や集団的な感情や体験が、教義や儀礼で表現され、また生活の中で確認・再現・追体験される。宗教は、集団に規範を与えるとともに、個人を人格的成長に導き、心霊的救済を与える。宗教は、社会を統合する機能を持ち、また社会を発展させる駆動力ともなる。国家の形成や拡張を促進し、諸民族・諸国家にまたがる文明の中核ともなる。

 宗教から超越的な要素をなくすか、または薄くすると、道徳となる。道徳は、集団の成員の判断・行動を方向づけ、また規制する社会規範の体系である。善悪の判断や行動の可否の基準を示すものである。道徳のうち、制裁を伴う命令・禁止を表すものが、法である。法は、集団の成員に一定の行為を命じるか、禁じるかし、これに違反したときには制裁を課する決まりごとの体系をいう。法は、成員の間で争いが起こった時は、裁定の基準ともなる。
 近代西欧以前及び以外の多くの社会では、宗教は道徳や法をそのうちに含むものだった。古代のローマ文明やシナ文明では、宗教から自立した道徳思想や法の体系が発達したが、人類史全体では数少ない事例である。
 近代西欧で初めて宗教から道徳や法が明確に分離し、独自性を持つようになった。もとにある宗教は、キリスト教である。キリスト教は、一神教・創唱宗教・啓典宗教で、祖先崇拝・自然崇拝を否定している。ユダヤ民族の神(ヤーウェ)を唯一神としつつ、ユダヤ民族の宗教から民族性を脱し、古代ギリシャ=ローマ文明で広域性を獲得した。西欧ではローマ・カトリック教会が宗教的権威を保持していたが、16世紀初めカトリック教会の腐敗・堕落が、マルティン・ルターやジャン・カルヴァンらの宗教改革運動を招き、キリスト教徒が新教・旧教に分かれて争う宗教戦争に発展した。教皇に対して国王が勢力を増大し、政治と宗教が一定程度分離した。また16世紀半ばより、天動説から地動説へのコペルニクス的転換が起こり、コスモス(宇宙調和)的世界像が崩壊し、機械論的世界像に取って代わっていった。こうした特殊西欧的な展開の中で、教会の権威が低下するに従い、宗教・道徳・法が分化した。
 ここで「宗教」「道徳」「法」という漢字単語について述べると、「宗教」は英語・独語・仏語のreligionの訳語として作られた言葉である。religion は、ラテン語のreligio に由来する。religio は「再び(re)」「結びつける(ligio)」を意味する。神や宇宙、全体性、生命の本源等との再結合を示唆する。19世紀後半、近代西洋文明と遭遇した際、わが国には、神道・仏教・キリスト教等をまとめて表す言葉がなかった。そこで、宗門・教派を表す「宗」と「教」の文字を合わせて、「宗教」という一般名詞が作られた。
 「道徳」と「法」はともに幕末・明治の初期に、西欧単語の訳語として使われるようになった。「道徳」は、シナの老子の説く「道」と「徳」を組み合わせた言葉で、西欧単語の英語 morality 等の訳語に使用された。「法」は仏教の dharma を表す漢語としてわが国に入り、聖徳太子の十七条憲法に「憲法」と使われ、戦国時代・江戸時代には「法度」という禁令にも使われた。こうした「法」の文字が英語law、独語Recht、仏語droit等の訳語に充てられた。仏教の戒律や律令制の律令格式等に使われる「律」と組み合わせて、「法律」という訳語も作られた。
 このように「宗教」「道徳」「法」は、既存の漢字を使用または組み合わせて、西欧単語の訳語として新たな意味を与えて用いられてきたものである。

 

●法と道徳の違い

 人権という観念は、宗教と道徳と法が分化し、法と道徳が一定の自立性を持つようになった近代西欧において発生し、思想として発達した。今日人権の概念は、人間の普遍的・生得的権利とする定義と、歴史的・社会的・文化的に発達する権利とする定義に大きく分かれている。これらの概念の内包を考察するうえで、人権の思想の背景にある法と道徳の違いを確認しておく必要がある。
 西欧における法と道徳の違いについては、多くの哲学者や法学者が論じてきた。主な論点を整理してみよう。
 第一の違いは、法は究極的には物理的強制力によって実現されるが、道徳は必ずしも物理的強制力を伴わないという区別である。法学者ルドルフ・フォン・イェーリングは「強制のない法などというものは自己矛盾であり、燃えない火、輝かない光のようなものである」と述べている。この表現は、法に関しては、その通りである。物理的強制力の裏付けを持たない法は、実効性を欠く。ただし、道徳にも制裁を伴う掟や村八分等、一定の強制力のあるものがある。また国際法は、国内法に比べて、実力による強制装置が組織化されておらず、制裁の実施も国家間の力関係や政治的な駆け引きに左右される傾向がある。
 第二の違いは、法は外面的行為を、道徳は内心を規律するという区別である。哲学者クリスティアン・トマジウスは、法は外面的な行為を規律することを使命とするのに対し、道徳は良心に対し内面的な平和を達成することを使命とするとした。カントは、法は動機とは無関係に行為が義務法則に合致することを要求するのに対し、道徳は動機そのものが義務法則に従うことを要求するとした。しかし、これらの区別はキリスト教文化圏には当てはまるが、別の文化圏には妥当しない。また法においても、殺人が故意か過失か問われるように、個人の内面が問題とされる場合もある。一概に内外で区別できない。
 第三の違いは、法には相手に対する義務があり、道徳は相手がいない義務であるという区別である。法に定める義務は、特定の相手に対して、一定の行為を命じるか、または禁じる義務である。道徳は、困っている人に手助けをしないからといって、罰せられるものではない。自分の内なる良心や祖霊・神・天等の超越的存在に対する義務であると考えられる。ただし、道徳も父母・祖先・君主等の特定の対象への義務であったり、恩義を受けた相手への報恩を果たせなければ、自らを処罰したり、社会的な非難を受けたりする場合がある。
 第四の違いは、法は現実規範であり、道徳は理想規範であるという区別である。法は社会の平均的な人間が守ることのできるものであり、また誰もが守らねばならないとする現実的な規範である。法学者ゲオルグ・イェリネックは「法は道徳の最小限」であるとし、経済学者グスタフ・フォン・シュモーラーは「法は倫理の最大限度」であると述べている。これに対し、道徳はよりよい人格を形成するための理想的な規範である。もっとも法にも国家や国民が目指すべき理想を述べたものがあり、道徳にも人間として最低限守るべき規律を定めたものがある。前者の例が国際平和であり、後者の例が近親相姦の禁止である。
 このように法と道徳の違いには、物理的強制力の有無、外面的行為と内心、相手のある義務と相手のない義務、現実規範と理想規範等の区別が挙げられるが、これらは決定的な相違ではなく、相互に重なり合った部分がある。

人権は近代西欧で発生し、道徳的要求として主張され、法によって保障される権利として発達してきた。だが、法のもとには道徳があり、道徳のもとには宗教がある。宗教とは、人間の力や自然の力を超えた力や存在に対する信仰と、それに伴う教義、儀礼、制度、組織が発達したものであり、宗教から超越的な要素をなくすか、または薄くすると、道徳となる。道徳のうち、制裁を伴う命令・禁止を表すものが、法である。人権は人間の尊厳と個人の人格に基づくものであり、単に法的な権利ではなく、道徳的な権利や主張という側面がある。また、人権は道徳的な側面から宗教にも開かれている。宗教を否定し、道徳を排除したところで、人権を考えるならば、人間の尊厳と個人の人格を見失うことになる。

 非西欧では、宗教の内に道徳と法を含んだ社会規範を保っている社会が、今日も多く存在する。イスラーム教やヒンドゥー教はその典型である。そして、超越的存在の観念を堅持し、それを中心とした社会規範を保ちながら、近代化を進めている文明が複数存在する。近代西欧における宗教・道徳・法の分離形態は、非西欧社会で広く承認された形態ではない。そのことをよく踏まえて、人権の考察は行われねばならない。
 これから人権に関して本章で述べる自由と権利、またそれ以後に述べる権力・国家・主権・国民について、ここに書いたことをもとに検討を行う。その検討は、第2部以降で人権の歴史・思想・定義・内容・現状・課題等を考察するための基礎的な理論を提示するものである。
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(2)人権の核心には自由がある

 

●自由の由来

 人権の思想は、近代西欧で、宗教から現れ、自由を求める動きとともに発生し、発達した。人権は、世界人権宣言・国際人権規約等の国際人権文書では、「人権と基本的自由」という対で使用されることが多い。そこで、自由とは何かという問いから、人権に関する基礎理論的な検討を行いたい。
 「自由」という日本語は、英語の liberty freedom、独語の Freiheit、仏語の liberte 等の西欧単語の訳語である。近代西欧において、自由は主要な理念の一つとなっている。自由は、西欧発の人権という観念の核心にあるものである。

西洋文明は古代ギリシャ=ローマ文明を継承したとされるが、自由の由来を振り返ると、古代ギリシャには、今日われわれがいうところの自由に正確に対応する言葉はなかった。古代ギリシャは、奴隷制の社会だった。ポリスは、自由民と奴隷から成り立っていた。その比率は1対4〜5だった。特権的な市民は奴隷ではないという意味で自由だった。自由民は、参政権を含む諸権利を所有していた。彼らが深い関心を持っていたのは、自由の獲得や拡大ではなく、「善い生活」「善い活動」などの善の実践だった。

アリストテレスは、ポリスの生活について「私の領域」と「公の領域」を二分した。20世紀の哲学者ハンナ・アーレントの指摘によると、「私の領域」とは、奴隷所有者が家庭で奴隷を使役してその生産によって生活する領域だった。市民は自ら労働する必要がなく、ポリスの広場(アゴラ)で行われる政治に参加した。それが「公の領域」である。市民は私的な利益のための経済については語らず、ポリスの公共善について議論した。ポリスの政治は身分制秩序の社会における支配集団のものだった。政治参加をしていたのは、各家族の家長であり、女性や奴隷、外国人には参政権がなかった。

19世紀前半フランスの思想家バンジャマン・コンスタンは、『近代人の自由との比較における古代人の自由において、古代ギリシャのポリスでの政治への参加の自由を「古代人の自由」と呼び、人身の自由、良心・思想・言論の自由、所有の自由、結社の自由等からなる一連の自由を「近代人の自由」と呼んで、これらを峻別した。「近代人の自由」は、法の支配のもとに私的な領域への政治権力の不介入を求めるものであり、この私的な自由が、近代のリベラリズム(自由主義)の枢要をなす。

近代西欧の社会は奴隷制ではなく、封建的な身分から解放された市民が、まず私的な自由を求め、次に政治権力に参加する自由を求めた。その結果、生まれたのがリベラル・デモクラシー(自由民主主義)の社会である。ただし、西欧諸国はアジア・アフリカ等の諸民族を支配し、その一部を奴隷として所有し使役した。この中核部が周辺部を支配・収奪する構造において、上層の西欧社会で自由と権利が拡大された。

 私は、近代西欧における自由の希求は、古代ギリシャの思想よりも、ユダヤ=キリスト教に深く根差すものだと考える。キリスト教の新約聖書では、パウロが書簡の中で自由を意味する語を用いた。パウロが自由の語を使うのは、イエスの使命は人間を罪と死と律法から「解放」することにある、という教義を説く場面である。「解放」という観念は、ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書の「出エジプト記」による。モーゼの率いるユダヤ民族は、エジプトにおける強制労働の苦役から神(ヤーウェ)によって救出された。この隷属からの解放の物語は、キリスト教の教義に大きな影響を与えた。キリスト教では、人間は、神に背き原罪を犯して、神から断絶した。だが、神は人間を愛するゆえにひとり子イエスを使わし、その犠牲によって人間の罪があがなわれ、再び神と結び付いた。神にいたる道はただ一つ、イエスによるのみである、と説く。この原罪からの「解放」が、キリスト教の教義の柱の一つとなっている。
 自由を意味する言葉である英語の liberty freedomは、「出エジプト記」の「解放」の観念に関わる。liberty の語源は、ラテン語訳聖書で「解放」を意味する言葉として使われた libertas である。ルターは聖書のドイツ語訳を作る際、「解放」を意味する言葉に frey(現代綴りではfrei)を用いた。frey は英語の free に通じる。英語の freedom と独語の Freiheit は元が同じである。近代英語の元はアングル人・サクソン人が伝えた中世の独語の方言であり、freedom はこちらから来ている。一方、ノルマン・コンクェストでイギリスを征服・支配したノルマン人は、ノルマン・フレンチというフランス語方言を伝えた。そちらからラテン語系の liberty が英語に入った。ともにユダヤ=キリスト教的な「解放」に源を発するものである。

liberty freedom の異同

 liberty freedom はほとんど同義語として修辞的に使われる場合があるが、語義には違いがある。研究社の『新英和大辞典』は、liberty の意味を「権利としての自由で、監禁・奴隷状態から解放されていること」とし、また freedom の意味は「妨害・制限・抑圧などのないこと」とする。大修館の『ジーニアス英和大辞典』は、liberty を「以前の拘束状態を暗示し、 現在の解放状態に重きを置いた消極的な自由」、freedom を「(束縛・拘束のない状態を積極的に享有する)自由(の状態)、束縛のないこと」とする。
 ここで重要なことを指摘したいのは、liberty freedom も、権利に関する言葉であることである。この点をよく示しているのが、ロングマンの英語辞典である。liberty の語義は、主な部分で次のように説明されている。

1 <freedom> [U] The freedom and the right to do whatever you want without asking permission or being afraid of authority
2 <legal right> [C usually plural] a particular legal right
 ex. civil liberties

 同じくfreedom は、次のように説明されている。

1 [C, U] the right to do what you want without being controlled or restricted by the government, police etc.
2 freedom of speech/religion etc. the legal right to say what you want, choose your own religion etc.

 liberty にも freedom にも説明に right が使われている。ここに注目したい。right つまり「権利・正義・正当性」を表す概念が liberty 及び freedom の重要な要素なのである。自由とは、自由な状態であり、その状態を確保する権利をも意味するわけである。

●日本語の「自由」は翻訳語ではない

 ここで、日本語の「自由」について記しておこう。わが国では、自由は明治維新後、はじめてわが国に入った理念だと思っている人が多い。近代以前の日本に自由などなく、自由という言葉も、西洋思想の翻訳語として作られたものではないか、と誤解しているのである。
 事実は、自由という語は古代から使われている漢語であり、日本語となった自由には、長い歴史がある。比較思想の権威である小堀桂一郎は、そのことを『日本人の自由の歴史』で明らかにした。小堀によると、わが国の最初期の例として、日本書紀(720年)に後漢書からの借用で自由という語が出ている。自由は当初、「ほしきまま」と訓じ、狼藉や勝手気まま、恣意放縦などへの非難の意味で使われていた。だが、鎌倉時代に明恵・道元が精神的な自由の意味でも用いた。以後、仏教では自由自在等の言葉で、肯定的な意味で多く使われた。16世紀半ば、キリスト教が渡来すると、隷属からの「解放」、原罪からの「解放」を意味する西欧単語の翻訳に、自由の語が使われた。そして、遅くとも安土桃山時代には、庶民の間でも、現在の含意とほぼ同じ意味で自由の語が使われるようになった。幕末から明治の初めに、西洋思想が輸入されたとき、liberty freedom に適当な訳語がなかった。当時の知識人がいろいろと日本の古典を探した末、自由の語を当てた。
 このように、日本語の自由には長い歴史がある。しかし、今日、多くの人は西欧言語の liberty freedom 等を訳した言葉だと思い込んでいる。また、日本語の自由の方が、西欧言語の liberty, freedom より精神的に広く、深い意味を持っていることを知らない。日本人は、まずこの認識を改める必要がある。

 

●近代西欧における自由の希求

 近代西欧では、自由を求める思想・運動が起こり、自由は権利として確立されていった。それには、主に四つの理由があると私は考える。第一にキリスト教の分裂、第二に核家族的な価値観、第三に近代資本主義の発達、第四に圧政への反抗・反発である。
 第一の理由は、キリスト教の分裂である。英語のliberty freedom の語義を述べたところで書いたように、ユダヤ=キリスト教には、隷属からの解放と原罪からの解放という解放のイメージがある。それが、近代西欧における自由のイメージとなっている。自由の希求は、宗教改革において信教の自由を求める運動の中で出現した。

キリスト教の母体であるユダヤ教は、神(ヤーウェ)と契約したユダヤ民族が、選民として救世主による集団的な救済を受けるという民族宗教である。そのユダヤ教の改革者としてイエスが登場し、彼の教えを信じる者は神によって救済されるという脱民族的な宗教を開いた。それがキリスト教である。古代ローマ帝国で国教となったキリスト教は、神の代理人である教皇を中心とした教会に所属する信者が、聖職者の秘儀を通じて救済される宗教である。キリスト教は、ローマ帝国の滅亡後、西欧に広く定着した。だが、カトリック教会は大きな富と権力を得たことによって腐敗していった。
 16世紀半ばから17世紀にかけて、教会の権威に反抗するプロテスタントが宗教改革を起こした。ルターやカルヴァンは、聖書に基づき、ただ信仰によってのみ神の救いを求める道を説いた。彼らは、教会の秘儀による救済を否定した。彼らの教えに従う信者は、自己一人で直接、神と対面することになった。ここに個人の信教の自由を求める思想が出現した。
 近代西欧諸国では、専制的な国王や政府によって宗教や信仰を強制されたり、自分の信じる宗教・信仰を奪われたりした。宗教戦争や市民革命を通じて、信教に対する「寛容の原理」としての自由が求められた。そして、宗教的寛容によって、プロテスタンティズムやユダヤ教の信仰が許容されるようになった。イギリスのような国教を持つ国でも、英国国教会以外の宗派・宗教を持つことに干渉されなくなった。
 第二の理由は、核家族的な価値観である。西欧には平等主義核家族が支配的な地域と絶対核家族が支配的な地域が存在する。イギリス・オランダ等に多い絶対核家族は、自由を社会における基本的な価値とし、個人の自立を重んじる。絶対核家族は世界で西欧にしか見られない特異な型である。またフランスのパリ盆地等に多い平等主義核家族は、自由と平等をともに基本的価値とする。これら絶対核家族・平等主義核家族に共通する価値は、自由である。
 西欧では、封建制の成熟と変化ともに、身分制的社会の社会的権力・政治的権力が国王に集中していった。国内の諸権力が集中した結果、王権は国内で最高の権力となった。国王の政府は主権すなわち最高統治権を持つに至った。ここに主権国家が出現した。この間、身分制社会が崩壊し、伝統的な共同体が解体され、そこから解放された個人が、共同体の歴史・伝統・慣習等を失って裸で放り出されるような状態となった。そして、主権国家の政府と個人が直接対峙する社会が生まれた。主権国家が先に出現し、これに伴って近代西欧的な個人が誕生した。
 特にイギリスでは封建制の崩壊が西欧で最も早く進み、近代資本主義が発達した。農村共同体が解体し、共同体から分離した個人が都市に集住し、都市化が進んだ。近代資本主義社会では、人々は共同体の歴史・伝統・慣習等を失い、むき出しの個人に還元されていった。もともと自由を中心とする核家族的な価値観を持つイギリス人は、政治的な自由を求めた。それが、同じく核家族的な価値観を持つ、アメリカ・フランスに広がった。
 第三の理由は、近代資本主義の発達である。近代資本主義の特徴は、勤労の精神、利潤の正当化、合理的な経営の確立である。こうした特徴を持つ資本主義は、西欧にのみ成立した。その原因を、マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理に見出した。プロテスタンティズム、特にカルヴァンの説いた救霊予定説のもと、職業を天職として、労働に救済の確証を求めるという世俗内禁欲の倫理が、「資本主義の精神」となった。こうした精神があってこそ、資本主義は発生した。だが、勤勉と倹約は、結果として利潤を生み、資本が蓄積される。一旦、資本が形成されると、資本は利潤を要求し、利潤を上げるための経営をしなければならなくなる。そのことが合理的な産業経営による近代資本主義を生んだ。資本主義の機構が出来上がると、それを生み出した宗教的な倫理は忘れられた。利潤の追求が肯定され、価値観が大きく転換する。そして、利潤追求を目的とする資本の論理が、経済活動を貫くようになる。こうした経済生活を基盤として、生活の全般に合理化が進展していった。
 近代資本主義では、あらゆる財の所有権が確立され、また、すべての財の売買契約を双方の合意によって結ぶことができる市場が存在することが必要である。この状態を市場の普遍性という。市場の普遍性が成立するために重要なのは、資本主義的な所有と契約の概念である。ここで、所有と契約の自由が求められた。その自由を理論的に打ち出したのが、ロックであり、ロックの思想が英・米・仏で自由を求める革命を生んだ。
 余談だが、ルター、カルヴァンのプロテスタンティズムは、父親の権威が強く、兄弟が不平等である直系家族の価値観を反映している。強い権威を持つ父親のイメージが神に投映されているものである。とりわけカルヴァンの救霊予定説は、神の意思を絶対とし、神に救済される人間は世の始めより予め選ばれており、人間の信仰や努力で神の意思は変えられるものではないとする。ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、次のように書いた。「人間の功績あるいは罪過が、この運命の決定にあずかると考えるのは、永遠の昔から決まっている神の絶対に自由な決意を人間の干渉によって動かし得ると見なすことで、ありうべからざる思想なのだ」と。
 救霊予定説は、近代西欧的な自由を理解するうえで、重要な教説である。予め選ばれた者と選ばれていない者には、絶対的な不平等が存在する。人間は生まれながらに平等だという思想とは、完全に対立する。また、予定説では、人間の自由意思による行いが将来の救いをもたらす余地がない。予定の観念は、究極の不自由である。この不自由から逃れるには、救霊予定説の否定またはキリスト教そのものの否定しかない。キリスト教によって自由を求めるとき、キリスト教からの自由に至るという逆説がここに生じる。
 第四の理由は、圧政への反抗・反発である。イギリスでは、1215年にマグナ・カルタが発布され、国王の専制に貴族や新興階級が抵抗し、権力の行使を制御する約束を取り付けた。1640年には国王への反発からピューリタン革命が始まった。クロムウェルは、議会の前で国王を斬首刑に処し、共和制を樹立した。王政復古の後、再び国王が王権を乱用し、カトリック化を推進したのに対し、1688年名誉革命が行われ、議会を中心とする立憲君主制が確立した。
 イギリスから北米に移民したピルグリム・ファーザーズは、国王の宗教弾圧に絶望し、新天地を求めたピューリタン(清教徒)だった。18世紀後半、イギリスは植民地への課税を強化した。植民地側は本国政府に反発し、ボストン茶会事件を起こした。これに本国が強硬な姿勢を示したのでアメリカ独立戦争が始まった。1776年独立宣言が公布された。フランスでは絶対王政への反発から思想が急進化した。ジャン・ジャック・ルソーや百科全書派らの思想によって、1789年フランス市民革命が勃発した。イギリス同様、国王が処刑されて君主制が廃止され、共和制が実現した。マクシミリアン・ド・ロベスピエールが登場して独裁が行われ、ギロチンによる処刑や反対派の殺戮が繰り広げられた。英米仏に共通するのは、国王の圧政への反抗・反発から、政治的な自由が求められ、闘争の中で自由が獲得・拡大されたことである。抑圧の強さが、自由への熱望を掻き立てた。
 イギリスでは、国王への請願や市民革命を通じて、リベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民衆参政主義)が発達した。リベラリズムは国家権力から権利を守るために権力の介入を規制する思想・運動であり、デモクラシーは民衆が政治に参加する制度またそれを求める思想・運動である。これらがイギリスで融合し、それらが近代西洋文明の政治思想の柱となった。自由とその実現のために政治参加を求めるリベラル・デモクラシー(自由民主主義)が、西洋文明の拡大とともに、世界的に広がった。これのもとは、圧政が生み出したものである。
 近代西欧で、自由を求める思想・運動が起こり、権利として確立されていった主な理由として四つ挙げた。キリスト教の分裂、核家族的な価値観、近代資本主義の発達、圧政への反抗・反発である。これらは、それぞれ文化的、社会的、経済的、政治的の領域における出来事である。これら4点が重なり合ったことが、近代西欧で自由が希求され、権利として発達した条件であると私は考える。近代西洋文明以外の諸文明では、こうした条件を併せ持つ持つことがなかった。
 拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆」に書いたように、西欧の近代化は、文化的、社会的、政治的、経済的の順に各領域で進行した。それらどの領域においても自由が希求された。近代化の過程は、自由の希求と実現の過程でもあった。自由とは、自由な状態であるとともに、その状態を確保する権利である。自由の希求と実現の過程は、権利の発達の過程だった。

●内心の自由と行為の自由

 近代西欧で希求された自由は、「内心の自由」と「行為の自由」に分けることができる。これらを区別する観点から、自由の希求についての説明を補足する。
 紀元後1世紀半ば、イエスの教えを継いだパウロは、人間行動の内外をはっきり区別した。キリスト教徒は、内面において、堅くイエス=キリストを信じていれば良い、外面は良きローマ市民であっても差し支えないとした。これによって、神への信仰と国家への忠誠という二律背反を解消した。このパウロの教説に立って、近代西欧では、個人の行動における内外の峻別が行われた。そこにおいて、あらゆる自由の中で内心の自由こそが最も重要であると考えられた。その他のさまざまな自由は付随的とした。心の中では何を考えてもいいが、外面的行動では国家の法や社会の規範に従うという態度が確立された。この内心の自由の確保がなければ、近代資本主義もリベラル・デモクラシーも近代西欧法も発達することはなかっただろう。資本主義、リベラル・デモクラシー、西欧法の三者は、パウロによる人間行動の内外の明確な区別に淵源を持つ。その点で、近代西欧における自由の希求とその実現は、西洋文明がキリスト教を基軸としていたことに多くを負っている。
 内心の自由は、まず信教の自由として求められた。西欧では、国王や政府によって宗教や信仰を強制されたり、自分の信じる宗教・信仰を奪われたりしない自由が最も強く要求された。宗教戦争や市民革命を経て、信教に対する「寛容の原理」としての自由が求められた。宗教的寛容によって、プロテスタンティズムやユダヤ教の信仰が許容されるようになった。そして、内心の自由は、信教の自由からより広く思想・信条の自由として要求されるようになった。
 内心の自由に続いて求められたのが、行為の自由だった。政府の干渉や制約を受けずに、自分の意思で能力を発揮し、行動できることである。行為の自由は、市民的自由権(civil liberties)と政治的自由権(political liberties)へと具体化していった。市民的自由権は、市民社会における生命・身体、財産・契約、言論・表現、集会・結社の自由などを指す。主に経済的・社会的な自由である。これに比し、政治的自由権は、国家の政治に参加する自由である。議会に代表を送ることや、その代表を選挙することを含む。すなわち、政治的な自由である。これが、後の参政権に発達した。

ここで契約の観念について言及しておくと、近代西欧の契約観念は、ユダヤ=キリスト教に根差すものである。ユダヤ教は、ユダヤ民族の祖先アブラハムが神(ヤーウェ)と結んだ契約が信仰の核になっている。ユダヤ教では、人と人との間の契約も、神の前に誓い、これを証人とすることで有効とされる。キリスト教では、神の前で相互に約束を交わし、証拠を以てこれを固め、これによる責任を遂行し、実行できなければ制裁や処罰を加えられた。それが後の契約及びそれに基づく権利義務の観念に発達した。このキリスト教的な契約観念において、神(ヤーウェ)が個人の良心に取って代わったものが、西欧法的な契約観念である。
 さて、近代西欧では、信教の自由に始まり、より広く思想・信条の自由が求められ、さらに経済的・社会的・政治的な活動について、政府の干渉や制約のない自由な状態が求められた。私は、このような意味での自由が、西欧発の人権という観念の核心にあると考えている。人権は、近代西欧において、自由な状態への権利として発生し、発達してきたものである。あくまで近代の西欧という時間と空間において、歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。
 
関連掲示
・拙稿「西欧発の文明と人類の歴史

・拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆

●自由が主要な理念に

 近代西欧における人権の観念の核心には自由がある。またその自由が、自由な状態への個人の権利として希求されたところに、近代西欧の特殊性があると私は考える。
 近代西欧的な個人のあり様を哲学的に表現したのは、ルネ・デカルトである。「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」というデカルトの命題は、方法的懐疑の末に到達した原理である。あらゆるものを疑えるが、そのように疑い考える我の存在は疑えない。この考える我の確実性を表す命題である。デカルトのコギトは、西洋の従来宗教の神や共同体の歴史・伝統・慣習から離脱した近代的な個人の自覚となった。デカルトは、この認識のうえに、西欧近代科学の方法を打ち立てた。その方法を要素還元主義という。当時の科学思想は幾何学・機械論・原子論を枠組みとするものだった。デカルトの影響を受けたホッブスは、彼の方法や枠組みを社会に応用し、個人を原子(アトム)的な要素とし、社会をその集合ととらえる社会観を打ち出した。それが社会契約論の理論である。
 ホッブスは、近代西欧で自由の思想を最初に公表した思想家である。ホッブスは、自由とは「運動の外的障害の欠如」であると定義した。自らの意思に従ってなすところを妨げられないことを「自由」と考えた。障害・拘束からの自由である。そして、あらゆることに先んじて「個人の自由」が存在すると発想した。『リヴァイアサン』において、ホッブスは、人間が生まれながらに持つ権利として、「各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の意志するとおりに、彼自身の力を使用することについて各人が持っている自由」を説いた。
 ホッブスに続いてロックは、デカルトのコギトの認識に立ちながらも、個人を社会関係の中でとらえ、ホッブスの社会理論を批判的に発展させた。ロックが説いた自由に関する思想が、今日まで世界に影響を与え続けている。ロックは、『統治二論』で、「自然状態とは、人それぞれが他人の許可を求めたり、他人の意志に頼ったりすることなく、自然の法の範囲内で自分の行動を律し、自分が適当と思うままに自分の所有物と身体を処理するような完全に自由な状態である。それはまた平等な状態でもあり、そこでは権力と支配権はすべて互恵的であって、他人よりも多く持つ者は一人もいない」と書いた。そして、ロックは、生命・身体・自由の権利を説いた。生命も身体も財産も所有物とし、所有に関する権利を強調した。これは、自由に所有する状態への諸権利と理解できる。
 自由な状態への権利という意味での自由は、英語では複数形で liberties と記される。わが国では、これが権利であることを強調するために、しばしば自由権と訳す。自由権は、自由な状態を維持・獲得する権利である。より積極的に自由に物事を行う権利ともなる。
 ロックにおける人間は、ホッブスと異なり、夫婦の結びつきをもとにした家族的結合を基礎とする社会で、他人とのつながりの中で生活する人間である。そのような人間が、ロックの自然としての人間(human nature)、自然人である。人間はまず自分の生命・身体・自由を所有する。それゆえ、身体を自由に使って労働して得たものは、その人間の所有物である。この論理によって、ロックは私有財産を正当化した。この自由は、所有の自由ということができる。
 ロックは、当時道徳の原理とされた自然法には他人に要求することを自分もまた受け入れ、自分の主張することを他人にも認めるという相互性が基礎にあるとし、その相互性の最も典型的なものが契約であるとした。自然状態における人間は、生命・身体・自由を持ち、自由に契約を結ぶ。このことによってのみ契約が成立する。この自由は、契約の自由ということができる。
 ロックは、これら所有の自由と契約の自由を説いた。この思想こそ、私有財産と市場経済に基づく近代資本主義を理論的に基礎づけた点で、画期的なものである。この思想は、近代西欧法を所有と契約に係る権利と義務の体系として基礎づけた。また、同時に、自由を求める市民に抵抗権を認め、市民革命の理論を提供したりもした。
 イギリスの主要地域は絶対核家族が支配的な社会であり、自由を社会の基本的な価値とする自由主義の価値観を持つ。ホッブスやロックはその社会を背景にして、個人の自由と権利に係る思想を説いた。彼らが生きた17世紀のイギリスで最初の市民革命が起こった。ピューリタン革命・名誉革命は、新興ブルジョワジーを中心とした集団が自由を確保しようとした運動だった。先駆するイギリスに続いて、18世紀後半には、植民地アメリカで自由と独立を求める独立革命が起こり、追尾するフランスで自由・平等・友愛をスローガンとする市民革命が起こった。
 アメリカは、1776年に本国から独立した。初期の北米には、イギリス同様、絶対核家族の移民が多く、自由主義の価値観を共有していた。アメリカ独立宣言は「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の不可譲の天賦の権利を与えられており、その中に生命、自由および幸福の追求のふくまれることを信ずる」と宣言した。ここには、ロックの影響が顕著に表れている。
 フランスでは1789年に市民革命が起こった。フランスは、近代化の先進国イギリスの思想の影響を受け、自由主義的な考え方が発達した。ただし、パリ盆地は平等主義核家族が支配的な地域なので、自由だけでなく自由と平等をともに社会における基本的価値とする思想が展開された。フランス人権宣言は「人間は、自由で、権利において平等な者として出生し、生存する。社会的な差別は、共同の利益のためにのみ設けることができる」と宣言した。ここには、ロックの思想を急進化させたルソーや百科全書派等の思想が反映している。
 ルソーは、『社会契約論』で言う。「人間が社会契約によって喪失するものは、その生来の自由と、彼の心を引き、手の届くものすべてに対する無制限の権利とである。これに対して人間の獲得するものは、社会的自由と、その占有する一切の所有権とである」と。そして、人間本来の自由・平等を回復するためとして独自の理論を説いた。
 ホッブス、ロック、ルソー等が理論的に思考し、英米仏で権利として発達した自由を、哲学的に掘り下げたのが、カントである。今日世界に広がっている人権の思想は、自由を中心に、理性、良心、人格、自己の尊厳、同胞の精神等を説くものとなっているが、そこにはカントの影響があると私は見ている。
 カントは、『人倫の形而上学の基礎づけ』で、「自由こそは、それが普遍的法則に従ってあらゆる他人の自由と調和しうる限りにおいて、この唯一、根源的な、その人間性のゆえに万人誰しもに帰属するところの権利である」と書いている。
 人間の尊厳と個人の人格に関する項目に書いたが、カントは、アメリカ独立戦争やフランス革命を同時代として生きた。西欧近代科学の発達する時代にあって、科学と道徳の両立を図った。宗教の独自性を認め、科学的理性的な認識の範囲と限界を定めつつ、神・霊魂・来世という形而上的なものを志向する人間の人間性を肯定し、理性に従って道徳的な実践を行う自由で自律的な人格を持つ者としての人間の尊厳を説いた。私は、こうしたカントの哲学によって、自由は近代西欧思想の主要な理念の一つとして確立されたと考える。
 カントに続いて、フリードリッヒ・ヘーゲルは、『歴史哲学』で絶対精神の自己展開としての歴史は自由の実現を目的とするとし、「自由はまさに精神の本質である」と説いた。また『法の哲学』で、市民社会は「自由の理念の現実態」である国家へと止揚さるべきことを説いた。ヘーゲルを批判して唯物論的共産主義を唱道したマルクスの盟友フリードリッヒ・エンゲルスは、自由を共産主義革命の目的とした。『反デューリング論』で、建設すべき共産主義社会について、「人間がついに自分自身の社会的結合の主人となり、同時に自然の主人、自分の自身の主人になること――つまり自由になること」「必然の王国から、自由の王国への人類の飛躍である」と書いている。
 その後も、ジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサー、フリードリッヒ・ニーチェ、ヘンリー・シジウィック等、19世紀欧米の思想家は、様々な自由の議論を繰り広げた。また、欧米では、思想的な展開だけでなく、各国で自由を旗印とする政党・団体が活発に活動した。これは、同時期の非西洋社会とは著しく対照的な現象である。

 

●自己決定権と個人の自由の限界

 自由には、内心の自由と行為の自由があると先に書いたが、この区別を用いると、17世紀から西欧で発達した自由権には、内心において自由な状態を確保する権利と、行為において自由な状態を確保する権利がある。内心の自由に関する権利は、他者に干渉・制約されることなく、自分の信教・思想・信条を自分の意思で決定できる権利である。行為の自由に関する権利も同様に、自分の表現や行動、所有物の扱いを自分の意思で自由に決定できる権利である。それゆえ、自由権は、自己決定の自由に関する権利である。近代西欧においてとりわけ強く希求されたのは、政府の干渉・制約を受けることなく、自己の意思で自由に物事を決定できる自己決定権だった。
 近代西欧的な個人は、市民革命等を通じて、政治的・社会的に自分の意思で物事の多くを決定する権利を得た。それと同時に自分が決定したことの結果に責任を求められることになった。自己決定の主体は、自己責任の主体でもある。自己決定の権利を行使するとともに、自己責任を負うのが、近代西欧的な個人である。自分の自由意思による行為の結果に社会的な責任を負うということは、結果から自由ではないということである。さらに広く言えば、人間は、因果律という自然法則にして社会法則でもある理法から、逃れることができない。このことは、人間の自由は無条件・無制約の自由ではないということを示している。人間は相対的で有限の存在であり、因果律を変える自由を持っていない。この点を忘れると、人間は傲慢になり、また自業自得に陥る。
 自由についてもう一つ重要なことは、自己と他者の関係である。自己は自由を持ち、他者もまた同じ自由を持つ。自他の関係において、個人の自由には、一定の制限が必要となる。すなわち、他者の自由と権利を侵害しない限り、という条件が付く。この点をJ・S・ミルは、19世紀の半ばに、『自由論』で次のように述べた。「その名に値する唯一の自由は、われわれが他人から彼らの幸福を奪おうとしたり、幸福を得ようとしたりする彼らの努力の邪魔をせぬ限り、われわれ自身の幸福をわれわれ自身の仕方で追求する自由である」と。
 これは個人の自由の社会的な条件と限界を定式化したものである。社会において自他が相互の幸福追求を承認し合うところに、個人の自由が相互的に成立する。このことは本来、自由権は、人間が個人的存在であるとともに社会的存在であり、集団で共同生活を営んでいることを前提とするものであり、また集団の共同性を保つ範囲で認められる個人の権利であることを示している。人間の個人性と社会性という両面の中間に家族がある。個人は単に社会的な存在ではなく、家族的な存在である。自由の相互制約性は、自他を抽象的な個人と個人の関係ではなく、親子・夫婦・兄弟・姉妹・祖孫等の家族関係に置き換えれば、一層明確になる。また、自由は根本的に共同性を持つ自他の間で、相互的に成立するものであり、ある程度、平等に配慮したものでなければならないこともわかる。
 家族人類学が明らかにしたように、家族における人間関係において、権利のあり方の基本的な形態が示されており、家族型に基づく家族における権利のあり方が、社会における権利のあり方に深く影響を与えている。この事実を軽視した個人の自由の追求は、自由の限界に突き当たる。自由は、個人と集団という主体の対立軸と、自由と平等という価値の対立軸とが交差する空間において、一定の条件のもとに実現が図られるものでなければならない。

●自由を主とする価値観の広がりと変化

 自由を主とする価値観は、イギリス・アメリカ・フランス等の核家族的な価値観を持つ諸国を中心に、拡大されていった。一方、直系家族が支配的なドイツ・オーストリアや共同体家族が支配的なロシアは、核家族的な価値観とは異なる価値観を持っていた。直系家族は権威・不平等、共同体家族は権威・平等を基本的価値とするから、自由を主とする価値観への抵抗は大きかった。だが、19世紀に入ると、産業革命の進む先進国の経済力・技術力・軍事力が、他のヨーロッパ諸国に近代化の波を広げた。それとともに、自由中心の思想が浸透していった。
 これと併行して、自由中心の思想の側にも変化が現れた。イギリスで発達したリベラリズム(自由主義)は、国家権力の介入を排し、個人の自由と権利を守り、拡大していこうという態度のことである。これを古典的自由主義と私は呼ぶ。古典的自由主義は、個人の自由を中心価値とする。これに対し、19世紀イギリスで新たな自由の思想が出現した。それまでの自由主義を修正したもので、修正的自由主義と私は呼ぶ。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。名前は同じ自由主義だが、古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。先に引用したミルは、修正的自由主義を発展させた思想家である。
 修正的自由主義が現れた背景には、自由とともに平等を求める思想・運動の広がりがある。はじめは極少数の人間の自由と大多数の人間の不自由という対比の中で、後者の自由が拡大されてきた。不自由な状態にある大多数の側が自由を求めるとき、それは平等への志向となる。17世紀イギリスの市民革命では、急進的に平等を求める水平派(レヴェラーズ)と呼ばれる集団があった。18世紀後半のイギリスやフランスでは平等を暴力的に実現しようとする共産主義の思想が出現した。イギリスに始まった産業革命は、それまでの社会を大きく変え、階級分化を促進した。フランス革命では、共産主義者が革命運動に加わり、1848年には、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表した。共産主義は、社会の不平等は私有財産制によるとし、階級闘争によって私有制を廃止し、平等な社会を実現しようとする。これに対抗して、労働条件や社会的格差を改善し、平等に配慮するところに、修正的自由主義が現れた。修正的自由主義は、議会を通じて漸進的に社会を改良しようとする社会民主主義と親和的であり、自由を中心としながら自由と平等の両立を図ろうとする態度である。

 

●自由と平等

 1870年代以降の西欧では、自由と平等という価値の対立軸をめぐって、政治や社会運動が行われた。重点のありかを自由から平等の方へと順に並べると、古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義になる。西欧は、平等主義核家族、絶対核家族、直系家族が多く、家族型的な価値観が共産主義の価値観と異なっている。そのため、共産主義は一部の共同体家族の地域を除いて浸透しなかった。共産主義がもっと深く浸透し、定着したのは、権威・平等を価値観とする共同体家族が支配的なロシアにおいてだった。
 第1次世界大戦末期の1917年10月、ロシアでウラジミール・レーニン、レフ・トロツキー等による共産革命が起こった。ロシア革命の衝撃は大きく、西欧では共産化を防ぐために、労働者の権利を容認・拡大する動きが進んだ。それによって社会権が発達した。社会権は、基本的な権利を労働者階級に広げるとともに、勤労権、生存権、教育を受ける権利等を新たに定めたものである。1919年、ドイツで制定されたワイマール憲法が、初めて社会権を憲法に多く盛り込んだ。一方、共産主義を世界に輸出する根拠地となったソ連の実態は、労働者の国家ではなく、共産党官僚が労働者や農民を支配する官僚専制国家だった。秘密警察と強制収容所で人民を管理・抑圧する自由も平等もない社会だった。
 1920年代以降、西欧では古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義の四つに、さらにファシズムが加わった。これらの思想のぶつかり合いにおいて、自由と平等という価値の相克が繰り広げられた。第2次世界大戦は、その最大の闘争の場となった。
 第2次大戦中、連合国は戦後の世界秩序の構想を進めた。その一環として、戦後、1948年、連合国すなわち国際連合の総会において、世界人権宣言が採択された。「宣言」は、1920〜40年代の激しい価値の相克を経て、生まれたものである。そこには、米英が主導し、自由を中心とした形での自由と平等の両立が盛り込まれている。
 「宣言」は、第1条に、次のように謳った。
 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心(reason and conscience)とを授けられており、互いに同胞の精神(a spirit of brotherhood)をもって行動しなければならない」と。
 冒頭の「生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」という文言には、人間は生来自由であり、平等であるという人間観が打ち出されている。また第2条1項は、次のように定めている。「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」と。
 ここに近代西洋文明が生み出した人間観が、非西欧社会にも広く摂取されるものとなった。
 「宣言」はまた社会保障の権利や労働の権利、生活水準の権利、教育の権利などの社会権を含んでいる。社会権は、平等に配慮する思想に基づく権利である。例えば、第22条に「すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し」、第23条1項に「すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する」、第25条1項に「すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する」、第26条1項に「すべて人は、教育を受ける権利を有する」などと定めている。
 このようにして西欧発の価値である自由は、平等に一定の配慮をする形で、国際的な人権文書に表現されることになった。そして、単なる「宣言」ではなく、より具体的に規定されるものとなったのが、国際人権規約である。その根底にあるのは近代西欧的な人間観であり、象徴的に言えばロック=カント的な人間観である。ロック=カント的な人間観とは、人間は、生まれながらに自由かつ平等であり、個人の意識とともに理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つ、という人間観である。その人間観のもとに、自由と平等の両立が、各国の署名する国際文書に記されたのである。

●西洋文明から非西洋文明への自由の展開

 第2次世界大戦後、アジア・アフリカの有色人種が独立と解放を勝ち取り、自由の希求はアジア・アフリカへと広がった。国連で加盟する発展途上国の数が増え、発言力が増していく中で、国際人権規約は、西欧発の自由権・社会権を制定し直した。
国際人権規約は、「経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約」(A規約、社会権規約)、と「市民的、政治的権利に関する国際規約」(B規約、自由権規約)の二つの条約として採択された。参政権は、自由権に分類された。

自由権規約も社会権規約も第1条で、人民(peoples)の自決権を定めた。すなわち、「すべての人民(peoples)は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」が、その条文である。ここで自決の権利とは、自由に物事を決定する権利として、自由権に含まれるものである。人民の自決権は、集団の自決権である。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障されるという思想が、国際人権規約に盛り込まれた。
 これによって、西欧発の個人中心的な自由権を、集団の権利の中に位置付け直す必要が生じた。自由権の上に拡張された社会権も同様である。自決権は市民的・政治的側面だけでなく経済的・社会的・文化的側面にも拡大された。さらに、国際人権規約は、自由権・社会権を制定し直しただけでなく、「発展の権利」を条文に定めた。先に引いた第1条の後半の通りである。「発展の権利」は、集団が発展する自由への権利と理解することができる。国際的に、自由と平等という対立軸は、個人と集団という対立軸と組み合わせて考えねばならない段階に入ったのである。
 第2次大戦後、米ソ2大超大国が自由主義圏・共産主義圏と世界を二分し、冷戦を続けた。この間、自由と平等はイデオロギーの対立に含まれる形で、価値の対立を続けた。1990年前後、ソ連・東欧の共産政権が崩壊し、冷戦は終焉した。その結果、アメリカが世界唯一の超大国となった。アメリカは、自由の理念を世界に広めることを、国家戦略の要としている。アメリカの外交・軍事・金融によって今日、国際社会は自由の理念をめぐって展開している。また一般にいう人権の観念は、近代西欧的な個人の自由を最高価値とする傾向を色濃く持っている。だが、アメリカが宣布する自由の理念は、主に経済活動の自由であることに注意しなければならない。アメリカ及び巨大国際金融資本は、世界各地で市場の開放と自由な投資を求める。そのための自由が最優先されているのでる。
 かくして、今日の世界では、発展途上国を中心とした独立・発展の自由と、アメリカ及び巨大国際金融資本の開放・投資の自由という二つの異なる自由が、互いに実現・拡大を目指して衝突している。ここにおいて人権は、しばしば後者の側が開放・投資の自由の実現・拡大を進めるための手段として使われている。そして、そのための手段として有益でない場合は、人権をめぐる問題は軽視され、または政治的判断によって無視されるのである。中国で、アフリカで、またその他の地域で、そのようなご都合主義が常態化している。

 

●消極的自由と積極的自由

 自由については、「消極的自由」と「積極的自由」に分ける考え方がある。消極的・積極的に分ける考え方は、19世紀後半イギリスの哲学者トマス・ヒル・グリーンが提示したものである。グリーンは、イギリスの伝統的なリベラリズム(自由主義)が要求する国家の不干渉を求める自由を「消極的自由」とし、人格の発展のために国家に積極的な役割を求める自由を「積極的自由」とした。グリーンは「積極的自由」の実現を説き、国家の倫理的目的は個人の自由の保障にあり、各個人の自発的な人格的成長の扶助にあることを主張した。
 グリーンは、ドイツのカントの人格倫理やヘーゲルの国法哲学を摂取して、原子論的個人主義、ベンサム的功利主義に替わって、国家を積極的に認める有機的国家の思想を説いた。グリーンによれば、絶対我(絶対意識)がまずあり、自我はそれに向かって人格を形成する。絶対我は自我の自由の実現であり、国家はその実現のための道徳的共同意志の表われである。国家は人間を自由にし、生活を向上するために積極的に関与すべきものである。こうして、グリーンは、個人対国家の対立ではなく、個人に対する国家の価値を主張して、自由放任主義を改め、公共性を重んじる社会改革の道を開いた。その哲学は人格的自由主義と呼ばれる。グリーンの思想は古典的な自由主義を修正する修正的自由主義の一形態となった。わが国では、1930〜40年代にマルクス主義とファシズムを批判し、戦闘的自由主義者を自称した河合栄治郎に影響を与えた。
 グリーンに対し、20世紀イギリスのユダヤ系政治哲学者アイザイア・バーリンは、「消極的自由」の重要性を主張した。バーリンは、1969年に公刊した著書『自由論』で、その見解を述べた。バーリンによると、「消極的自由」とは「〜からの自由(freedom from 〜)」であり、干渉・束縛からの自由を確保しようとするものである。一方、「積極的自由」とは「〜への自由(freedom to 〜)」であり、理想・目標に向かって権利を拡大していこうとするものである。
 古代ギリシャでは、自由はポリスの市民にとっての公的活動の自由だった。これに比し、近代的自由は、近代国家の国民にとっての私的な自由である。近代的自由は、バーリンの「消極的自由」すなわち「〜からの自由」を中心としている。基本となるものは、国家(政府)の干渉・制約からの自由である。ヨーロッパでは、宗教戦争や市民革命を通じて、信教に対する「寛容の原理」としての自由が説かれるようになった。バーリンが「消極的自由」の重要性を説いたのは、こうした背景を備えたものである。近代西洋人は、「私」の領域は、政治権力の介入から解放された領域として、私的領域の不可侵性を求めてきた。これが、17世紀以来のもともとのリベラリズムである。
 消極的な性格を持つ「〜からの自由」に対し、ある理念の実現を目指して、集団を形成し、運動を通じて、その意思や理想を実現してゆくことにこそ自由があるというのが、「積極的自由」すなわち「〜への自由(freedom to)」である。「積極的自由」は、政治への参加を求める。リベラリズムは本来「〜からの自由」を求めるものだったが、「〜への自由」を求める運動は、民衆が政治に参加する制度を求めるデモクラシーの思想・運動と結びついた。ここにリベラリズムとデモクラシーが融合し、リベラル・デモクラシーが誕生した。リベラル・デモクラシーは「積極的自由」を実現しようとする思想・運動である。
 バーリンによると、「積極的自由」を実現しようとする運動は、理想や正義の積極的実現を図るとき、リベラル・デモクラシーの枠を超えることがある。集団の理想や正義を実現するためには、政治権力に参加し、さらに権力そのものを握らねばならない。その結果、権力の追求そのものが自己目的化してしまう。そのため積極的自由は全体主義に転化する可能性がある。社会主義・共産主義だけでなくファシズムも、積極的自由を徹底して追求した結果である、とバーリンは考える。
 バーリンは「消極的自由」と「積極的自由」を明確に区別すべきだとしたうえで、より重要なのは「消極的自由」だと主張する。なぜなら「積極的自由」は、理想や正義の実現を目指すが、それによって全体主義に転化しかねない。その結果、私的領域の不可侵性という「消極的自由」を脅かすようになるからだ、という。
 ここで私見を述べると、バーリンの自由論は、自由と平等、個人と集団という二つの対立軸が明確でなく、個人の自由の確保に帰結する。平等への配慮または自由と平等の両立への志向をよくとらえていないので、社会権の発達を自由との関係でとらえることができていない。また、社会主義・共産主義・ファシズムが出現した理由を、積極的自由を徹底して追求した結果としか見ることができていない。そのため、社会主義・共産主義・ファシズムの論理に内在した批判になっていない。単に私的領域の不可侵性を唱え、個人の自由を保持することだけに終わってしまう。これは、基本的な人間観が浅いためである、と私は思う。人格及び家族的・共同的な集団生活における人格の形成・成長・発展という概念を加えることによってのみ、この見方の限界を超えることができる。
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(3)人格的自由と経済的自由

 

●自由を中心とする西洋思想の限界

 バーリンの自由論に欠けているものーーそれは人格の概念である。第1章の人権の基礎づけの項目に書いたように、人間には人格がある。個人に人格を認め、人格の形成・成長・発展を目指すことは、個人における精神的価値の増大を促すことである。精神的価値とは生命的価値・物質的価値に加えて、理性的・感性的かつ霊性的・徳性的な精神の働きが生み出す価値である。また、人間には自己実現の欲求がある。自己実現の欲求とは、人間に内在する人格的な欲求であり、その欲求が働くとき、人は自己実現を目指して、自らの人格を成長・発展させようとする。自己実現を成し遂げた人は、しばしばさらに自己超越を目指すようになる。その過程は、精神的な価値の実現の過程である。その価値には、心霊的価値が含まれる。
 自由は、こうした人格の成長・向上の条件であり、それ自体が目的ではない、と私は考える。個人を人格的存在ととらえ、人格の形成・成長・発展のために、国民に自由と権利を保障しなければならない役割を持つものが、政府である。政府は、国民の子供の人格形成のため、教育を施す義務を負う。また、国民の人格の発展を促す環境を整備する責務を負うべきものである。この点、グリーンの人格的自由主義は、今日再評価されるべき考え方である。
 グリーンとは異なり、バーリンは、「積極的自由」は理想や正義の実現を目指すことによって全体主義に転化しかねず、その結果、私的領域の不可侵性という「消極的自由」を脅かすようになる、という。しかし、人格の形成・成長・発展のための公教育の実施や国家的な環境整備は、必ずしも全体主義に転化するものではない。権力の追求そのものの自己目的化や全体主義への転化は、自由の追求とは別の観点からとらえなければならない問題である。すなわち、官僚制、権力欲、大衆心理等の観点からの多角的な理解が必要な事象である。グリーンとバーリンの思想の違いには、もう一つ私が推測するに、グリーンがイギリス国家における国民の人格的発展を目指すのに対し、バーリンは西欧社会におけるユダヤ人の自立の確保を目指すという違いがあるだろう。バーリンは、ユダヤ人を迫害したナチズムとスターリニズムの再来を警戒している。それとともに、バーリンはイスラエルを支持するシオニストであることを付記しておく。
 さて、近代西洋文明で自由を主要な価値とする代表的な思想が、リベラリズム(自由主義)である。17世紀から21世紀に至り、現代のリベラリスト(自由主義者)の多くは、自由の基本原理は、他者への寛容にこそあるという。多様性の尊重は「消極的自由」の延長上に出てくるものである。その行きつく先は、個人の選好の尊重となる。個人の自由の優先は、伝統的な社会道徳や公共の利益と対立する。また、個人の欲望を制限なく解放するものとなりかねない。
 人権の核心には、自由がある。ロックもルソーもカントもヘーゲルもマルクスもその後の多くの欧米の思想家も、求めるものは自由だった。彼らはそれぞれの人間観、社会観、世界観に基づいて自由を追求した。だが、現代の先進国においては、自由は欧米市民革命期のように絶対王政の抑圧からの政治的自由や、人格的道徳的な向上の目標としての精神的自由ではなく、欲望の解放と個人の選好の尊重を意味するものへと矮小化されてしまっている。
 バーリンのいう「積極的自由」は全体主義への転化可能性を持つ一方、「消極的自由」は個人主義の極端化を招く恐れがある。問題は両者とも、自由を中心的な価値とし、自由の追求に傾いた議論になっている点にある。自由に関する議論では、人間は人格的存在であること、また同時に社会的存在であることが見失われてはならない。

●自由は人格発展の必要条件

 先に人権の基礎づけについて書いた項目で、人権論は人間の尊厳と個人の人格を踏まえる必要があると述べた。ここで重要なのは、自由は人格の形成・成長・発展のための必要条件であって、それ自体が目的ではないことである。内心の自由であれ行為の自由であれ、積極的自由であれ消極的自由であれ、自由はその自由を以て何かを目指すための条件である。人間は、個人的存在であるとともに社会的存在である。人間は、家族という集団を構成する。個人は家族の一員として生まれ、家族において成長する。個人は親子・兄弟・姉妹・祖孫等の家族的な人間関係において、人格を形成する。そして親族や地域等の集団の一員として、そこにおける社会的な関係の中で、人格を成長・発展させていく。個人の自由は、人間が家族を基礎とした集団生活を送りながら、相互的・共助的に自己実現を目指すために必要な条件である。個人の自由は、目指すべき目的そのものではない。
 自由は絶対的な価値ではない。相対的な価値である。個人の自由を絶対的な価値と考えると、優位者と劣位者の間の社会的な不平等を生む。また個人の目的と集団の目的との衝突を生む。自由と平等、個人と集団のバランスの中でしか、自由という相対的な価値は承認されない。西欧にも、個人の自由より集団の共同性を重んじる思想がある。アジア・アフリカでは、個人の自由より集団が発展する権利を求める運動が行われてきた。自由という理念は、自由と平等、個人と集団という対立軸が交差する空間の中に位置づけられねばならないものである。
 権利については、後の項目で具体的に述べるが、近代西欧では、個人の自由と権利の保障・拡大が追及された。だが、権利もまたそれ自体が目的ではない。人格の形成・成長・発展こそが、目的である。自由と権利は、人格の形成・成長・発展のために必要な条件であり、また条件に過ぎない。条件と目的を混同してはならない。国家が国民に自由と権利を保障するのは、個人を人格的存在ととらえ、人格の形成・成長・発展のために、自由と権利を保障するためであるべきである。
 自由と権利の保障は、個人の欲求を無制限に認めるものではない。人間は人格的存在であるという認識を欠いたならば、自由は放縦となり、権利は欲望の正当化になる。ところが、人権という言葉は、今日しばしば放縦や欲望の隠れ蓑になっている。この弊害を除くには、人は他者にも人格があることを認め、互いにそれを尊重し合わねばならない。個人の人格の発展は、自己のためのみでなく、他者のためともなり、また社会の公益の実現につながることが期待されるものである。次世代を担う構成員の育成を考えると、このことは一層明瞭になる。自他は互いに人格の成長・発展を促す共同的な存在であり、自由と権利は相互的な人格的成長・発展のために、必要な条件として、保障されるべきものである。私は、人格という概念を掘り下げることなく、自由と権利を人権条約や各国憲法で保障することは、個人の自由と権利が目的化されてしまい、利己主義的な個人主義を助長するおそれがあると考える。

●経済的な自由とケインズの総需要管理

 さて、ここで人格に関する自由の傍らで、無視されてはならないのは、経済活動に関する自由である。人格的自由と経済的自由と呼ぶとするならば、経済の領域は、個人の自由と権利に深い関係はないように思われがちだが、決してそうではない。経済的自由は、自由において重要なものである。私は、経済学なき人権論は欠陥理論と考える。人権論に経済学は不可欠である。人格の成長・発展という目的は、単に精神的な生活において追求できるものではなく、物質的な生活が維持されてこそ、可能であるからである。人格の形成・成長・発展のための自由は、経済活動の自由を伴うものでなければならない。

経済的自由の拡大には、弊害もある。とりわけ1980年代から新自由主義が世界を席巻し、市場原理主義が富の偏在や格差の拡大をもたらし、2008年のリーマン・ショック後、資本主義のあり方に反省が求められている今日、経済的自由による個人的な利益の追求と公共的な利益の実現の調和が強く求められている。そこで取り組むべき課題が、経済的自由への一定の規制である。この課題は、単に経済活動に関するものではなく、自由と道徳という対に関わる課題である。すなわち、先に述べた人格的存在としての人間のあり方に関わる課題である。

 経済的自由の歴史を振り返ると、17世紀後半、ロックは、所有と契約の自由を説き、私有財産と市場経済に基づく近代資本主義を理論的に基礎づけた。ロックの思想を継承したアダム・スミスは、18世紀後半に資本主義の経済理論を樹立した。スミスに始まる経済学の系統を、古典派経済学と呼ぶ。古典派経済学は、経済の領域における自由を説く理論である。これに対し、マルクスは、資本主義の矛盾を分析し、私有財産制を否定して、共産主義を目指す理論を説いた。19世紀半ば以降、経済思想における最大の対立は、資本主義と共産主義の対立である。これは、経済活動における自由と統制の対立である。その根底には、自由と平等という価値の対立がある。この対立は、所有する権利の個人化と集団化という対立でもある。
 古典派経済学及びマルクス経済学は、ものの価値はその生産に投入された労働量で決まるとする労働価値説を説く。その点では、共通する。これに対し、1870年代に、ものの価値は、それが人々に与える主観的効用によって決まるとする限界効用説が現れた。それ以後の経済学を新古典派経済学という。レオン・ワルラス、カール・メンガー、W・S・ジェボンズによる新古典派経済学は、経済活動の自由を説く点では、古典派経済学を後継する。
 欧米諸国における資本主義の発達は、国益と国益のぶつかり合いを生み、第1次世界大戦が勃発した。欧州を主戦場とする大戦によって西洋文明は衰亡の兆しを示した。大戦末期にロシアで共産主義革命が起こり、欧州と世界は共産主義の脅威に直面することになった。自由と統制の対立が国際間に広がった。
 1920年代には、資本主義は、ものの生産より金融が中心となり、金融市場は賭博場と化していた。自由放任的な経済活動は、投機的な投資の大規模化を許した。そのなかで、資本主義は強欲資本主義に変貌した。1929年、アメリカ発の大恐慌が起こった。恐慌は長期化し、社会に失業者があふれた。非自発的な失業を想定しない新古典派の理論では、まったく対応できなかった。ここで失業の問題に取り組み、新たな経済理論を創出したのが、ジョン・メイナード・ケインズである。
 ケインズは、実際の貨幣の支出に裏付けられた需要を「有効需要」と呼び、社会全体の有効需要の大きさが産出量や雇用量を決定するという「有効需要の原理」を説いた。ケインズはこの原理に基づいて、政府による「総需要管理政策」の理念を打ち出し、経済学に変革をもたらした。経済政策にも大きな変化を与えた。
 ケインズの理論は、経済活動の自由に一定の規制を行い、それによって、自由主義を崩壊から守ろうとする理論である。失業は、国民の労働する権利、生活する権利を実現できない状態である。政府が有効需要を創出して雇用を生み出すことは、労働する権利、生活する権利を国家的に実現しようとするものである。ケインズは、自由放任的な資本主義の欠陥を修正することによって、資本主義の崩壊とそれによる共産主義革命の勃発を防ぐ方法を示した。
 ケインズの理論と政策はイギリスの国策に取り入れられ、またアメリカのニューディール政策に理論的根拠を与えた。経済的自由に一定の規制がかけられた。特に金融に関する規制が行われたことで、投機的な活動が抑制された。英米はケインズ主義によって経済的危機を脱した。共産革命の西欧への波及を防ぎ、またナチス・ドイツとの戦争に勝利することができた。いわば左右の全体主義から自由を守ることに、ケインズは重大な貢献をしたのである。もし人々がバーリンの主張する「消極的な自由」の尊重にとどまっていたら、自由を守ることはできなかっただろう。またもし政府が自由放任的な自由の維持に固執していたら、逆に全体主義の支配下に陥り、自由を失っていただろう。自由の無制限の追求は、自由の喪失に結果したかもしれないということである。
 1930年代以降、経済学ではケインズ主義とマルクス主義が対立することになった。対立は第2次世界大戦後も、米ソの冷戦、資本主義・自由主義の諸国と共産主義・統制主義の諸国の対峙の下で、継続された。戦後の自由主義陣営の主要諸国においては、ケインズ的政策の実施がほぼ定着し、1930年代に生じたような大不況が発生する怖れは、ほとんどなくなった。経済学者の丹羽春喜は「冷戦時代に、自由世界の基礎である私有制に基づく市場経済体制を守りぬくうえでの最強の戦力は、ケインズ主義のパラダイムであった。冷戦とは、経済思想の闘いの局面では、マルクス対ケインズの対決であったのである」と述べている。
 ところが、1970年代から世界経済は複雑な様相を呈するようになった。大恐慌の時代はデフレからの脱却が課題だったが、1970年代以降はインフレ退治が課題となった。ケインズ自身の理論はインフレにも対応できるものなのだが、定式化されたケインズ主義では、有効な対応ができず、ケインズ経済学は権威を失っていた。その一方、新古典派経済学が全世界的に流行し、1980年代には、ほぼすべての主要国で、ケインズ的な財政金融政策は、ほとんどその姿を消すほどになった。再び経済的自由の拡大が進められたのである。


関連掲示
・拙稿「日本復活へのケインズ再考

 

●ハイエクと新自由主義の罪過

 資本主義・自由主義と共産主義・統制主義の体制間の争いは、1990年前後に、ソ連・東欧の共産国が崩壊し、自由主義の勝利、共産主義の後退に結果した。後退というのは、東アジアには中国・北朝鮮等、共産主義またはその類似思想による体制の国家が存続しているからである。冷戦の終焉によって、経済学においても、マルクス主義は世界的に勢いを失った。それによってケインズ主義と新古典派経済学の対立が主となり、新古典派が圧倒的な優勢となった。その結果、大恐慌後、行われてきた経済的自由への一定の規制、特に金融に関する規制が取り払われていった。
 「自由」の名の下、アメリカの金融制度は大恐慌以前に戻ってしまった。ウォール街は、さまざまな金融派生商品(デリバティブ)を開発し、サブプライム・ローン、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)等を生み出し、世界中を狂乱のマネー・ゲームに巻き込んだ。再び資本主義は強欲資本主義と化した。そして、平成20年(2008)9月15日、リーマン・ブラザーズの倒産によって、猛威を振るった強欲資本主義は破綻した。リーマン・ショックは、1929年大恐慌の再来であり、規制や管理を排除した自由な経済活動の結果である。こうした世界経済の問題は、自由と道徳という観点から掘り下げて反省を行わねばならない。ここで語るべき自由の思想家が、フリードリッヒ・ハイエクである。
 1970年代からケインズ主義の権威が揺らぐなかで、新古典派経済学に影響を与えてきたハイエクの評価が高まった。ハイエクは1920年代からケインズのライバルだった。1980年代、マーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガンがハイエクを称え、ハイエクは彼らの政策の支柱と考えられた。ハイエクの説いた思想は、新自由主義と呼ばれ、ソ連の共産主義と闘うために宣伝された。東欧の民主化運動では、ハイエクの主著『隷従への道』が読まれ、共産主義政権の打倒への力になった。冷戦の勝利は、新自由主義の勝利であるという見方が広がった。
 ハイエクは、自由主義とは、17世紀イギリス市民革命において、君主による恣意的な権力の行使に対抗して、政府の権力を規制する必要性から生まれたものだとする。そして、「自由主義的な自由の要求は、個人の努力を妨げるすべての人為的な障害物を除去せよという要求であって、社会なり国家が特定の善を提供すべきだという主張ではない」という。
 これは基本的に古典的自由主義への回帰を説くものである。グリーンやバーリンの分類でいえば「消極的自由」の立場であって、「積極的自由」の立場ではない。ただし、ハイエクの自由は、自己本位・自己中心的な自由ではない。ハイエクは、自由とは社会的な規則を遵守することのなかではじめて存在し、社会的規則とは特定の個人や集団による専制支配を許さないために存在するとし、自生的秩序を重視すべきであると説く。自生的秩序とは、歴史的な過程において自生的に形成されてきた秩序である。伝統によるルールや慣習による法がこれである。こうした自生的秩序に基づく自由を尊重しようとするのが、ハイエクの新自由主義である。
 ハイエクは、人間は不完全なものであり、伝統と慣習を尊重しながら知恵を働かせるべきだと考え、デカルトに始まりサン・シモンやマルクスに受け継がれた合理主義的な社会観を設計主義として批判した。ハイエクは、自生的秩序の原型を市場社会に見た。市場社会は自由な社会であり、知識の交換の場である。競争によって淘汰が行われる。市場の失敗を人間の意図的な管理や計画によって克服しようという試みは無益であり、また危険である、とハイエクは考えた。そして、自生的秩序としての市場経済に全面的に依拠した思想を説いた。それは、同時に自由を要求する思想であり、ハイエクの考える市場社会の思想は、自生的な秩序による自由な社会を発展させるはずだった。
 だが、ハイエクの説く新自由主義は、ミルトン・フリードマンやロバート・ルーカス等、彼の支持者たちによって定式化され、硬直化した。彼ら新古典派の理論から、市場原理主義が生まれた。市場原理主義とは、単純化された競争均衡モデルに基づき、政府が自由放任的な立場を取っていれば、市場メカニズムが最適な資源配分と秩序の均衡をもたらすという思想をいう。新自由主義・市場原理主義は、自由競争、規制緩和、「小さな政府」を説く。1980年代以降、その政策が、投機的な投資家や巨大国際金融資本に活動の自由を与え、再び強欲資本主義の暴走を許すことになった。伝統や慣習に基づく自生的秩序は破壊され、市場は金融工学によって操作される一大賭博場と化した。ハイエクの思想は、彼の意思を超えて、弱肉強食の闘争世界を生み出す要因となったのである。また新古典派経済学は、自由を世界に広めるという理念のもとに展開されるグローバリズム(地球覇権主義)の中に組み込まれ、超大国アメリカの世界戦略に寄与する経済理論に転じてしまったのである。(註2


(2)
ハイエクについては、下記の拙稿をご参照下さい。
 拙稿「救国の経済学〜丹羽春喜氏2」第1章(4)「フリードリッヒ・ハイエクの不作為」

 

●ケインズの復活と人間観の見直し

 平成20年(2008)9月15日に起こったリーマン・ショックは、世界を揺るがし、資本主義のあり方に反省が迫られた。その反省の中から、ケインズが復活した。そして、自由を守るためには、一定の規制が必要だという思想の再評価が行われている。
 ケインズの復活・再評価は、経済理論・経済政策の見直しにとどまらず、人間観の見直しに至らねばならないものである。経済学者には見逃されがちだが、ケインズは、経済学を道徳科学と考えていた。この考えは、アダム・スミス以来の伝統を受け継ぐものだった。スミスは「自由競争」を主張したが、彼の説く自由競争は、自分の利益のためなら何をしてもよいというような、利己本位のものではなかった。スミスは、『道徳感情論』において、個人の利己的な行動は、「公平な観察者」の「共感(sympathy)」が得られなければ、社会的に正当であるとは判断されない、個人は「公平な観察者」の「共感」が得られる程度まで自己の行動や感情を抑制せざるを得ない、と説いた。古典派経済学を定礎した『国富論』にもこの見解が貫かれており、スミスは「見えざる手」に導かれて、市場の秩序が維持されると説いた。これは、人々が互いに「共感」を呼ぶ行動を行う場合を言ったものである。もし人々が利己的一辺倒の行動を取るならば、市場は混乱を免れない、とスミスは予測した。彼は資本主義における市民社会的・国民国家的な道徳を説いたのである。市民社会とは、市民革命の後に成立したブルジョワジーが政治権力に参加して近代国家を構成する社会である。国民国家とは、nation-stateの訳語であり、
他国と領域を区別する国境を持ち、領域内の全住民を国民という単位に纏め上げて成立した国家をいう。

スミスは、近代資本主義の理論を構築するとともに、自由と道徳という対をなす課題を提示した。だが、スミスの死後、実際の社会は自由放任の資本主義によって、弱肉強食の競争社会となった。利己的な個人、私益追求的な資本が跋扈し、市民社会的・国民国家的な道徳は衰退していった。スミス以後の古典派経済学は、スミスにおける自由と道徳という課題を斥け、合理的に行動する原子的な個人を仮定した理論を構築した。こうした人間像を「経済人(エコノミック・マン)」という。ケインズの師、アルフレッド・マーシャルは、経済人を「なんらの倫理的な影響を受けず、金銭上の利益を細心かつ精力的に、だが非情かつ利己的に追求しようとする人間」と定義した。ケインズ以前の経済学は、そうした経済人を想定した理論を展開した。そして、それ以上に、現実の社会においては、他者の「共感」を考慮しない経済人たちの利己的な行動が、強欲資本主義を生んだ。その結果が、1929年の大恐慌であり、2008年のリーマン・ショックだった。これらは、経済の領域で、無制約な自由の追求がされたために起こった事態である。
 ここでスミスが提示した自由と道徳という課題に取り組むうえで、ケインズの思想はよき手引きとなる。ケインズは、経済的自由に一定の規制をかける理論と政策を創出したが、資本主義を否定せず物質的な豊かさを追求することを否定してはいない。むしろ物質的な豊かさを達成してこそ、精神的な豊かさを実現できると考えた。ケインズは倫理学者ではなく、深く宗教的・道徳的な価値を論じたわけではない。しかし、富の追求は、それ自体が目的ではなく、「賢明に、快適に、裕福に」暮らす生活を実現する手段とし、ものの豊かさの達成の上に、心の豊かさの実現を考えた。また、個人の人生や自分の世代を超えて、子孫や将来世代の発展を目指した。
 ケインズは1930年に『孫の世代の経済的可能性』という論文を書いた。ここでケインズは、自分の孫たちの世代には経済的・物質的問題はほぼ解決の目処が立つだろう。人類は史上初めて生存のための闘争から解放される。その時、新しい道徳律が現れるだろう、と予測する。その道徳律とは「目的性」だという。目的性とは「われわれが、自分たちの行動の質や周囲の環境への直接的な効果よりも、自分たちの行動の遠い将来における結果に関心を持つこと」だという。これは、個人の人生を超えて、将来の世代において達成すべき目標を定め、それに向って、世代から世代へと活動を継続することである。こうした道徳は、個人を超えた国民・民族の道徳である。そして、そういう目的性をもって生きることを、ケインズは「良い生活」と言った。経済学は、このような意味での「良い生活」を実現するための手段でなければならない。
 私は、こうしたケインズの思想を継承・発展させるべきだと考える。ケインズの復活・再評価は、経済理論・経済政策の見直しにとどまらず、人間観の見直しに至らねばならないものだと思うのである。経済学においては、合理的に行動する原子的な個人とう「経済人(エコノミック・マン)」のモデルの一面性を認め、「共感」の能力を持ち、子孫や将来世代の発展を願う人間という人間観が再発見されなければならない。

 

●自由を守りつつ道徳を高める人類社会へ

これまで人権観念の核心をなす自由について、人格的な成長・向上と経済活動に関する検討を行った。ここで人間観の見直しについて記す。
 人権を「発達する人間的な権利」とし、人間の尊厳と個人としての人格を持つ人間の権利を考えるには、新たな人間観の構築が必要である。第1章でその際、参考になるものとして、アブラハム・マズローの理論を引いた。
 マズローは、人間の欲求は5つに大別されるとし、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、そして自己実現の欲求を挙げ、これらの間に階層的な発展性があると説いた。人間には、食欲・性欲のような欲求や、身の安全を求める欲求のような動物的・本能的な欲求だけではなく、愛や名誉や誇りなどの精神的な充足を求める欲求がある。その欲求のより高次の段階には、自己実現の欲求がある。また、自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになることを、マズローは明らかにした。
 こうしたマズローの理論は、人格の成長・発展に関する理論である。上位の欲求である自己実現の欲求は、人間の道徳的な能力の発現である。人間には自己実現を達成する能力が潜在しており、これを発揮するとき、人格の高度な発展が可能となる。そして、自己超越へと向かうこともできる。人間には、こうした人格的な欲求が、生得的に内在している。現代人は、旧来の経済的・唯物的な人間観を、人格に基礎を置いた人間観に転換すべきである。そして、本稿が主題にするところの人権は、こうした新たな人間観の上に、基礎づけられねばならない、と私は主張する。
 私の主張は、経済活動を軽視するものでは、全くない。経済活動は、欲求の第1段階である生理的欲求を満たし、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求の実現を可能にするために必要不可欠の活動である。だが、経済活動は、物質的な充足や富に伴う精神的充足をもたらすだけでなく、人がより高次の欲求である自己実現・自己超越に向かうことを可能にするものと位置づけられなければならない。
 私は、このような考えから、ケインズの思想を再評価している。ケインズは物質的な豊かさを達成してこそ、精神的な豊かさを実現できると考えた。富の追求は、それ自体が目的ではなく、「賢明に、快適に、裕福に」暮らす生活を実現する手段とし、ものの豊かさの達成の上に、心の豊かさの実現を考えた。また、個人の人生や自分の世代を超えて、子孫や将来世代の発展を目指した。今日、強欲資本主義の反省に立って、経済的自由とその規制、また自由と道徳について考える際、ケインズの経済理論・経済政策は、彼の道徳思想とともに再検討されるべきものである。
 人類は、単に物質的な繁栄ではなく、同時に道徳的な向上を実現する社会を目指さねばならない。人々が窮乏から脱するとともに、精神的に成長できるような、物心調和の社会を建設しなければならない。自己実現・自己超越は、孤立した個人がそれぞれ求めるものではない。相互的共助的に自己実現・自己超越を促進し合う社会こそ、人類の建設すべき社会である。そうした社会では、経済活動は、個人の利益を利己的に追求するものではなく、利己と利他が均衡し、社会全体の利益を協同的に追求する活動となる。こうした経済社会を可能にするのは、個人が私的利益を最大化する資本主義ではなく、国民が協力して公共の利益を実現する資本主義である。そして、新しい社会の建設に努力する国家が国際社会で協力し合うところに、人類史の新たな段階が開かれるだろう。

そのような新たな段階を目指すには、自由は平等という価値とともに再検討されねばならない。本章に書いてきたように、人権は自由と平等という二つの理念のもとに発達してきた。自由権に対して、社会権及び「発展の権利」は、自由を中心とする価値観に対し、個人間及び集団間の平等を重視する価値観によって成立した権利である。

ここで自由と平等という二つの理念を結ぶ概念に、正義がある。正義とは「正しいこと」「正しい状態」「正しさ」「正当性」である。宗教的・道徳的・法的な規範に沿っている状態またはその規範を実現する行為に関する概念である。正義は個人の考え方や行為に関して使われるとともに、社会関係や社会制度に関しても使われる。個人の考え方や行為に関する正義は、人間の徳として目指すべきものとされる。社会関係や社会制度に関する正義は、社会のあり方として目指すべきものとされる。

平等への配慮によって、社会のあり方に関する正義の概念が世界的に重要性を増している。人権は、第2次世界大戦後の世界において、正義の概念を欠いては深く検討することができなくなっている。そこで正義については、第2部第3部で人権の歴史・思想、20世紀以降の展開と現状・課題を記した後、第4部で「人権の目標と新しい人間観」を述べる際に、主題的に書くこととする。本章における自由に関する記述は、その時にさらに深く人権について検討するための準備的なものである。続いて、権利に関する検討を行う。ページの頭へ

 

(4)権利とは何か

 

●権利とは何か

 西欧発の人権という観念の核心には、自由がある。自由とは、自由な状態であり、自由な状態を確保する権利であると先に述べた。そして、自由について様々な角度から検討を行った。国際人権文書では、自由は「人権と基本的自由」という対で使用されることが多い。そこにいう自由は、自由への権利を意味するものであり、より重要な概念は権利である。英語の liberty freedom の字義について書いた際、ともにその説明に right つまり権利を意味する言葉が使われていることを指摘した。これまで本稿では、権利そのものについては、詳しく述べずに論を進めてきたが、ここで権利の具体的な検討を行う。
 権利とは何か。簡単に言えば、「〜することができること」「〜してよいこと」である。権利は、広義では、何かをする、またはしないことができる能力または資格をいう。また、狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力または資格をいう。前者は社会的な能力・資格であり、後者は法的な能力・資格である。
 日本人にとって、権利の概念は、今日西洋の思想を強く受けたものとなっている。権利は外来語の訳語であり、元の西欧語の単語は英語 right、独語 Recht、仏語 droit等である。
 西欧言語の多くで、「権利」を表わす言葉は「正義」と同じ語である。英語のrightは、「右」「右手」を意味し、右に価値を置く考えから、「正しい」「まっすぐな」をも意味する。そこから抽象的な「正当」「正義」「正道」の意味を生じ、さらに「権利」という意味が派生した。
 rightは、古英語のrihtから来ている。古英語は独語の方言のようなものであり、rihtはドイツ語のRechtに当たる。Rechtの原意は「まっすぐな」であり、ここから「正しい」「間違っていない」「本当の」「真の」「適切な」「ふさわしい」といった意味が生じた。さらに「法律や規範に照らして正しい」「道理にかなった」という意味となり、「権利」「法」を意味する中性名詞のRechtが生まれた。フランス語 droit (形容詞、男性形)も、「右の」「まっすぐ」「正しい」の意味があり、droit(名詞)は「権利」と「法」の両義を持つ。
 このように、西欧言語の多くでは、権利は「正義」であり、「法」である。わが国及びシナでは、これと概ね重なり合う概念が存在しなかった。この点、既存の古典漢語である「自由」をfreedomlibertyの訳語に充てたこととは対照的である。

なお、西欧言語には、正義を意味する言葉として、別に英語であれば、justiceがある。justiceラテン語のiusを語源としている。iusは「正しさ」「公正」「法」を意味した。この点からも、正義と法と権利は通底し合う概念であることがわかる。
 幕末から明治の初期、近代西洋文明がわが国に流入してきたとき、西欧のright/Recht/droit等の訳語として、「通義権理」「権理」「権義」等の訳語が試みられた。
 福沢諭吉は、わが国に初めて欧米の事情を伝えた『西洋事情』(慶応2年〜明治3年、1866-69)で、rightを「通義」と訳した。続いて『学問のすすめ』(明治5〜9年、1872-76)では、「通義権理」と訳し、その略語として「権理」「権義」も使った。自由民権運動の指導者・板垣退助らによる国会開設期成同盟(明治13年 1880)の請願書には、「人民の通義権理」とある。また、ルソーの『民約論』を翻訳した中江兆民は、『一年有半』(明治33年 1900)で「民権是れ至理なり。自由平等是れ大義なり」と述べている。
 福沢・板垣・中江らに共通しているのは、権利に当たる西欧単語を、シナ思想に由来する「理」や「義」の概念を用いて、表現しようとしたことである。 
 「理」は「ことわり」「ものの筋道」を意味し、道理・天理等に使われる。「義」も「ものの筋道」や「道理」を意味し、正義・仁義等に使われる。それゆえ、彼らは「理」や「義」を用いて権利の訳語を編み出し、権利に当たる西欧の言葉を「道理や正義に基づく能力や資格」と理解したと考えられる。

 

●「権理」「権義」等を経て、「権利」が定着

 明治の知識人は、西欧の近代思想を、わが国の伝統的な思想を通じて理解した。彼らの多くは武士出身者であり、その世界観と価値観は儒教の影響を強く受けていた。ただし儒教といっても、シナの儒教そのものではなく、神道・仏教と習合し、武士道に摂取されたり、尊皇思想・国体論等に発展したりして、日本独自の思想となったものである。福沢・板垣・中江らは、こうした日本の伝統思想を血肉として共有していた。そして、それをもとに、ロックやミル、スペンサー、ルソーらの思想を理解して、日本語に表現し、わが国に紹介した。
 権利については、彼らによって「通義権理」「権理」「権義」等の訳語が試みられた後、明治22年(1889)に公布された大日本帝国憲法に、「権利」という訳語が採用された。以後、「権利」が公式用語となっている。
 「権利」に使われた「権」という漢字は、もともと木製の秤の重りや分銅を意味する。漢字学の大家・白川静の『常用字解』によると、「権」のつくりの部分は、神聖な鳥として鳥占いに使われたコウノトリの形象である。このつくりから「はかる」の意が生じた。「権」の字はものの重さを量る重り等の意味から、バランスに影響する重さや重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する人や団体が持つ勢力や資格をも意味するに至った。「権」は、権力・権威・権勢等の意に用いられる。例えば、「権を取る」という慣用句は、「権力を握る」を意味する。
 私見を述べると、「権」という漢字には、力の概念が含まれている。力は、日常的な言語では、物事を生起させる原因を指している。目に見えないが、人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを、象徴的に力と言っている。「権」の原義である重り・分銅は、天秤の左右・軽重を決める力を表す。そこから転じて人間にも使われ、人が物事を決定・支配・管理する力を表す。本来、物理的な重力と人間的な能力とは別の概念であるが、状態や運動に変化をもたらす働きという点で共通性がある。
 西欧言語の right/Recht/droit 等の訳語に「権」の文字を使用したのは、適切だった、と私は評価する。「権力」と訳される英語 power、独語 Macht、仏語 puissance  は直接、力を表す言葉であり、ここでも訳語に「権」の文字が使われた。他に「権威」「権限」等にも「権」が使われた。西欧言語には権利・権力・権威・権限等を共通して表す単語や接頭辞はない。わが国で人権や国家・国民等を論じるとき、「権」の文字の含意を論じないのは、大きな見落としであることを私は指摘したい。
 次に「権利」に使われた「利」の文字は、稲束を鋭い刃物でさっと切ることを意味する。そこから転じて、刃がよく切れてすらりと通ることや、事が都合よく運ぶことを表す。さらに都合よく運んで得られる儲けや、物の効用の意味にも使われるようになった。「利」の文字は、儲けの意味では利益・利潤、効用の意味では水利・地利等に用いられる,
 明治時代半ば、「権利」に「利」の文字が使われたときは、利益(interest)ではなく、功利・効用(utility)の意味だった。大日本帝国憲法の「権利」の「利」は、これである。だが、権利という言葉が定着した後、権利の「利」は利益であるという理解が広がった。もし「権理」か「権義」という訳語が採用されていれば、「理」は道理を意味し、「義」は正義を意味するから、西欧言語の権利の語が含意する法や正義に通じる訳語となったことだろう。この点を私は残念に思っている。
 ところで、権利と対をなすものに、義務がある。義務に当たる西欧単語は、英語 dutyobligation、独語 Verpflichtungen、仏語 obligation 等である。この訳語にも「義」が用いられた。ちなみに義務は、簡単に言えば「〜しなければならないこと」「〜すべきであること」である。広義では、行動や判断、評価の基準すなわち規範の存在を前堤とし、それにより人間の意思及び行為に与える拘束のことをいう。また狭義では、法的人格に課せられる法を根拠とする拘束をいう。前者は社会的または道義的義務であり、後者は法的義務である。そのうち道義的な義務は、正義・仁義・大義・教義等の規範に基づく義務である。
 規範には、社会的規範だけでなく超越的な規範がある。超越的という概念は、西洋で発達したもので、自然的世界を超えたものとしての神を意味する超越から来ているが、ここでは一般化して人間の意思や存在を越えたものを意味する。超越的な規範には、キリスト教の神や神の摂理、東洋思想の天・道等がこれに当たる。幕末・明治の知識人は、東西の超越的な規範の間にある種の共通性を見出し、義務に当たる西欧単語の翻訳に「義」の文字を用い、義務の根底には超越的な存在や原理が想定されていることを、巧みに含意させたものだろう。権利に当たる西欧単語を「権理」または「権義」と訳していれば、「義務」という訳語と合わせて、権利―義務と規範の関係を込められただろう。
 西欧では、権利も義務もキリスト教的な神に根源を持つ。単なる社会的な規範ではなく、超越的な規範に立脚している。近代化・世俗化の中で、ほとんどその根源が忘れられ、実質的に否定されているものの、歴史的・文化的な背景を確認していくことが、人権の考察においては、必要である。本稿では、権利を中心に以下、論を進める。

 

●近代西欧以外における権利

 権利の概念は、近代西欧において初めて発生したものではない。今日の権利にあたる概念は、近代以前の西欧を含む古今東西の社会に広く見られる。
 集団生活には、社会的な秩序が必要である。秩序を維持するには、決まりごとがなければならず、決まりごとには、行為や判断や評価を行う際の基準である規範が必要である。集団の成員は、集団において認められている社会規範に基づいて、自らの能力を用いなければならない。その能力の行使が集団の規範に照らして承認されたものが、権利となる。
 集団生活が拡大すると、人と人の関係についての決まりごとが増加する。それに伴って、権利もまた増加する。統治・徴税・使役・自衛・祭祀・婚姻等に関するものがそれである。人間が生活するためには、物を消費または使用しなければならない。生産力が増大するに従って、人と物に関する決まりごとが発達する。それに伴って、権利もまた多様化する。居住・利用・占有・所有等に関するものがそれである。
 近代西欧以前及び以外の社会では、宗教は道徳と法を含んでいた。法は、多くの場合、宗教・道徳と未分化であり、または不可分のものとして発達した。権利も、宗教的な権利、道徳的な権利と法的な権利の多くは未分化だった。法的な権利は法に基づくものであり、法は、集団の成員に一定の行為を命じもしくは禁じ、究極的には物理的強制力によって権利を実現する。だが、その法が宗教・道徳と未分化だったので、法的権利も宗教的・道徳的な要素を保ちながら、それぞれの社会で発達した。
 法に定められる権利の内容や種類は、社会・国家・文明によって異なる。近代西洋文明が世界に拡大し、各地域で大きな影響を与えているので、あたかも西欧の法のみが法であるかのように錯覚しがちだが、どのような社会にも固有の法が存在する。非西欧社会の固有の法を、西欧法に対して固有法という。小規模な共同体に始まり、各地域で興亡盛衰した諸国家や日本文明、シナ文明、インド文明、イスラーム文明等の各社会はそれぞれの固有法を持つ。その中に固有の概念による権利・義務が定められてきた。
 狩猟採集や初歩的な農耕を行っていた共同体、国家成立以前の家族・氏族・部族の集団においても、法は存在し、権利もまた存在していた。
 氏族は英語の clan の訳語であり、共通の祖先を持つという意識で結ばれた出自集団をいう。氏族では、祖先は神話的・伝説的存在であって、成員は具体的な系譜を明確に認識していない。また部族は tribe の訳語であり、一定の領域に居住し、共通の文化を持つ人々の集団をいう。部族は近代国家を形成している民族(nation)と区別して使う場合と、未開社会の集団という意味で使う場合がある。
 近代西欧以外の固有法における法の一つの特徴は、集団的利用に関する法が中心であり、個人の権利よりも集団の権利が主であることである。物には衣服・装身具等のように個人が占有するものもあるが、家屋、生産用具、農場、狩猟場等の主要な財産については、それぞれの氏族・部族等の集団によって、利用に関する権利・義務が定められている。財産権は、主に財産を継続的に利用することを社会的に承認された者の継続的利用権だった。
 狩猟採集文化の社会では、果樹・魚類・鳥獣が重要でその収取権が発達した。利用は主に土地や水面の表面に限られ、所有地というよりは、テリトリー、なわばりという性質が強い。遊牧文化の社会では、牛・羊等の家畜が決定的に重要であり、その所有権が発達し、貨幣に代わる交換手段や社会的権威の基礎になった。
 農耕文化の社会では、基礎的な生産手段としての土地の重要性が高まった。集団が他の集団に対して排他的に土地を占有・利用する形態から、集団が他の集団を支配し、他の集団の占有地をも領有する形態になり、土地の規模が拡大した。また集団の内部で有力な家族や個人が多くの土地の所有と管理をするようになって、階級分化が進んだ。土地の物的所有権は、被支配者を奴隷や使用人として持つ人的所有権と不可分の場合が多かった。
 こうして、各社会で権利が発達するとともに、権利における社会関係を制度化したものとして、法が制定・整備された。
 物的・人的な財産は、家族における相続の対象となる。親子・兄弟等の間における相続の仕方が決められ、家族の構成員には立場に応じて相続権が発生した。相続は、家族型によって、親が慣習に従って長子相続等を実行する場合と、親が自由意思を持って子のうちから選択して実行する場合がある。前者は直系家族・共同体家族に、後者は平等主義核家族・絶対核家族に見られる。前者では権威、後者では自由が社会における基本的価値となった。また兄弟のうち、特定の者が相続する場合と、兄弟が平等に相続する場合がある。前者は直系家族・絶対核家族に、後者は平等主義核家族と共同体家族に見られる。前者では不平等、後者では平等が社会における基本的価値となった。
 共同体内における権利は、家長と家族員、氏族・部族の族長と構成員の間で、異なっていた。家族・氏族の中でも、親子・夫婦・兄弟・姉妹・おじ・おば・おい・めい等の関係によって、権利に差がある。また家長間・族長間で連合が形成されている場合、その間に権利の差があり、有力な家族と劣勢な家族、有力な氏族と劣勢な氏族、有力な部族と劣勢な部族等の間でも権利の差があった。近代西欧以前の社会では、出自・身分・資格を超えた人間として誰もが持つ権利という意識はなかった。すなわち、近代西欧におけるような人権という観念は、一般に存在しなかった。

 

●権利は身分に伴うものだった

 近代西欧以外の社会において、固有法に定める権利は、神々の意思や祖先からの伝統などによって根拠づけられていた。土地の所有に関しては、神によって与えられた土地であること、神的な英雄によって統治を命じられた土地であること、祖先から代々受け継がれてきたことなどが、その根拠とされた。これに対し、近代西欧では、神・祖先・歴史等による裏付けが否定され、現在生きて存在する人間の間の約束や承認・許可が、土地の所有権の裏付けとなった。それが近代西欧の権利概念の特徴である。そこに所有と契約の自由が発達し、近代資本主義が成立した。
 非西欧社会の固有法に定める権利は、また身分に伴って与えられるものだった。出自や資格によって権利の有無・内容が異なっていた。征服による支配―服従が固定化した社会では、下層集団は多くの場合、異民族や異文化集団であり、奴隷や不可触選民とされる。上層集団と下層集団は、明確に区別され、下層集団には権利はほとんど存在しない。家畜や道具同然の無権利状態であることが珍しくない。これに比し、一つの部族が階級分化した社会では、下層階級も共通の祖先や文化・言語・宗教を持つ。そして、一定程度の権利が認められる傾向がある。いずれにしても、権利は身分に伴うものであって、普遍的・生得的な人間の権利としての人権という観念は存在しなかった。
 近代以前の西欧の封建社会では、農奴は領主に対して強度の隷属関係にあった。ただし、古代ギリシャやローマの奴隷とは違い、財産所持や婚姻などの権利能力を持っていた。西欧では14世紀から農奴解放が進み、農奴は自由農民となった。彼らの中から独立自営農民や商工業者が現れた。近代資本主義の発達とともに、土地を失って賃金労働者になる者が増え、階級分化が進んだ。独立自営農民や商工業者は、やがて国王に対して自由と権利を主張し、それを獲得していった。
 ここで重要なことは、この過程は、西欧で完結したものではなかったことである。西欧諸国は15世紀末以降、ラテン・アメリカ、アジア、アフリカを植民地とし、白色人種が有色人種を征服・支配していった。中核部(メトロポリス)の繁栄は、周辺部(ペリフェリ)からの収奪の上に実現した。有色人種は、各地で多数虐殺されたり、奴隷として使役されたり、人身売買されたりした。
 中核部の白色人種が自由と権利を獲得し拡大していくのと並行して、有色人種は白色人種によって権利を侵害され、剥奪されていった。こうした支配・収奪による中核/周辺の構造において、中核部で発生したのが、人権という観念である。

近代西欧に現れた人権の観念と、各地域の固有法における権利との違いは、前者は人間が生まれながらに平等に持つ権利という概念を初めて打ち出した点にある。ただし、近代西欧の人権は、もともと非西洋人・非白人・植民地人民を対象としていなかった。人間が誰しも生まれながらに平等に持つ権利とは、近代西欧の白人を前提とするものだった。古代ギリシャのポリスに比すならば、貴族や市民に当たるのが西欧社会の人間、奴隷に当たるのが非西欧社会の人間だった。米国ではこれと類似した関係が白人と黒人・インディアンの間に作られ、それがそのまま社会の構造となった。20世紀以降、人権という観念が非西洋人・非白人を含む人間の権利へと拡大されつつあるのは、白人による植民地支配が打倒され、有色人種が独立を獲得してからのことである。
 西洋文明による非西洋文明の近代化・西欧化が進展するなか、諸文明・諸社会の固有法と西欧法が遭遇した。この出会いによって、固有法は西欧法の影響を受けて変化してきている。法に定める権利義務の体系も同様である。それぞれの文明は固有の宗教を持ち、その宗教的世界観が法の根底にある。固有法を持つ諸社会では、宗教と道徳と法が一体のものとなっていた。ユダヤ=キリスト教に基づきつつ世俗化した近代西洋文明の文化と、各文明の自生・生粋の文化がぶつかり合い、文化要素が摂取・侵入、融合・取捨される。固有法における権利義務体系の変化は、こういう文明間的な相互作用の過程の現れの一つである。ただし、その変化は、身分の変化に伴う権利の変化であって、人間一般の普遍的・生得的な人権の実現とは異なる。
 近代西洋文明の伝播によって非西洋社会に起こっていることに、識字率の向上と出生率の低下がある。エマニュエル・トッドは、これらを近代化の指標として挙げる。識字化は親子の世代間の知識の差をもたらす。女性の識字化は出生率の低下と女性の地位の向上を生み出す。それによって、伝統的な親子・男女の関係が変化し、家族の内部で権利義務関係の変化が起こる。この場合も、家族内における身分に伴う権利義務関係の変化であって、普遍的・生得的な権利としての人権の実現とは異なる。
 人権とは、普遍的・生得的な権利ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する権利である。このことは、近代西洋文明においても非西洋文明においても同様である。だが、近代西欧では、本来身分に伴うものだった権利が、封建制の崩壊、伝統的共同体の解体によって、新たな個人の観念が発生し、人間が生まれながらに平等に持つ権利という理想・目標が立てられ、歴史的・社会的・文化的な一定の条件のもとに個人の権利が発達した。それを人権という観念によって、普遍的・生得的な権利であるかのように仮想した。だが、その実態は「発達する人間的な権利」である。
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(5)権利の要素

 

●権利に係る基礎概念

 ここで権利に係る基礎概念を明らかにしたい。権利については、誰が(主体)、誰に対して(対象)、何を(内容)、どうする(行使)、そしてどうなる(効果)という点を明確にすることが必要である。
 権利には主体と対象がある。主体は、権利を所有し行使する者である。対象は、権利を行使する相手である。権利の内容は「〜できること」「〜してよいこと」である。意思と意思が合成された内容が、権利の内容である。権利の主体は、個人または集団である。対人的権利、対物的権利の違いにかかわらず、権利の対象は、他の個人または集団である。対人的権利は「人⇔人」、対物的権利は「人⇔物⇔人」という関係になるが、いずれも人と人の関係である。
 主体と対象は相互に主体となり、対象となる。これを主体と対象の相互性と呼ぶ。主体かつ対象である人と人の間には、相互関係がある。権利に係る主体―対象の相互関係を権利関係と呼ぶ。この関係は、時間的・過程的に動態をとらえれば、相互作用である。なお、本稿において主体とは、歴史的・社会的・文化的に限定される共同主観的・間主体的な認識・実践の主体を意味する。
 権利の作用は、主体の行為による。主体―対象は、権利関係において、相互的に行為を行う。行為は意思の活動による能力の発揮であり、権力の行使またはこれへの対応である。権利に係る行為は、主体―対象の双方に効果を生む。この行為による権利の行使・対応及びその効果を、作用と呼ぶ。権利の作用は、主体―対象の相互関係における相互的な作用である。こうした権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力である。権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。特に強制力を中心として権利の作用をとらえて、権力と呼んでいるのである。


●権利の要素@ 能力

次に、歴史的・社会的・文化的に発達した近代西欧的な権利の要素を考察したい。
 私は、西洋文明の中で発達した権利の概念には、六つの要素があると考える。列挙的に提示すると、@能力、A意思、B正当性、C利益、D法、E強制力の六つである。英語で言えば、能力(ability)、意思(mind)、正当性(rightness)、利益(interests)、法(law)、強制力(force)である。
 これらの要素を用いて権利を定義するならば、権利とは個人または集団の意思に基づく能力の発揮が相互に承認され、正当性を持ったものである。権利は保有者に利益をもたらし、法によって制度化されることがあり、しばしば強制力に裏付けられる。
 権利の第1の要素は、何かをすること、またはしないことができる能力である。ここで能力とは、実際に他者に対して何らかの影響もしくは効果を及ぼす可能性または資格である。能力を働かせて、他者に対して何らかの影響もしくは効果を及ぼすことを、能力の行使という。
 人間は生命ある存在である。人間の能力は、生物としての生きる力に基づく。生活・生存・繁栄のための生物的な能力が、権利の根底にある第1次的な能力である。次に、人間に共通するのは、人間は単なる生物ではなく、知恵と自由を持つ存在であることである。そして、権利とは、知恵と自由に基づく精神的な能力である。知恵を発揮し、自由に判断・行動する能力が、権利の根底にある第2次的な能力である。権利は、こうした生命と知恵と自由の働きに基づいて、何かをする、またはしないことのできる能力である。
 何かをする、またはしないという判断・行動は、意思の発動である。それゆえ、能力としての権利は、意思の発動である。能力を行使する対象は、人や物である。対象に向かって能力を行使するとき、他者もまたその能力を行使する場合、互いの対象が重なり合い、利益が対立することが起こる。そこに意思の交通が必要になる。ここに権利の第1の要素である能力と、第2の要素である意思との関係が出てくる。
 なお、能力という点から見ると、個人または集団の能力を、後に述べる要素である正当性や承認に重点を置いてとらえたものが権利であり、また別の要素である強制性に重点を置いてとらえたものが権力と言える。

●権利の要素A 意思

 権利は、意思の発動による能力の行使である。意思の発動としての権利は、自由との関係で考えねばならない。自由とは自由な状態であり、また自由な状態への権利である。自由権は自己決定の自由に関する権利である。能力の行使について自らの意思を自由に決定する自己決定権である。
 ミルは、『自由論』で自由について、次のように述べていた。「その名に値する唯一の自由は、われわれが他人から彼らの幸福を奪おうとしたり、幸福を得ようとしたりする彼らの努力の邪魔をせぬ限り、われわれ自身の幸福をわれわれ自身の仕方で追求する自由である」と。ここで、自由とは、自由への権利の意味であり、ミルの定義における自由を権利に置き換えることができる。すなわち、「その名に値する唯一の権利は、われわれが他人から彼らの幸福を奪おうとしたり、幸福を得ようとしたりする彼らの努力の邪魔をせぬ限り、われわれ自身の幸福をわれわれ自身の仕方で追求する権利である」と言い換えられる。
 自由はそれが他の人々によって認められ、社会的に保障されたときに権利となる。人は自由に何かをする能力があるからといって、何をしてもよいということにはならない。意思の発動による能力の行使は、他者に不利益をもたらす場合がある。生命・身体・財産・貞操・信仰への侵害等であり、殺人・虐待・略奪・強姦・涜聖等である。たとえば人を殺したいと意思する自由はあっても、思い通りに人を殺す権利はない。個人の自由は、他者から承認され、社会的に公認された範囲での自由である。無法・無規範の状態は自由ではなく、単なる混乱である。法が個人の自由を保障するということは、自由はもともと一定の社会的な制限の枠内でのみ成り立つものであることを示している。そして、何の制約もない絶対的自由は、現実の社会では存在しない。これと同様に個人の意思は、他者から承認され、社会的に公認された範囲でのみ権利となる。
 権利の行使には、自らの意思の表示が必要である。だが、誰かが何かを権利だと主張すれば権利になるというものではない。自他双方の主張によって、意思の交通がなされ、合意・拒否、対立・闘争が生じる。対立・闘争の状態においては、能力行使の主張は権利に至っていない。能力行使の主張は、他者の承認を受けねばならない。この点が、権利の第3の要素である正当性と関係してくる。

 

●権利の要素B 正当性

 権利は、意思の発動としての能力の行使であるが、能力の行使は、他者の承認を要する。「〜することができる」ということと、「〜してよい」ということは別である。前者は能力であり、後者は承認に関係する事柄である。能力の行使は、他者との意思交通によって他者の承認を得たときに、初めて権利となる。他者より行使を承認された能力が、権利である。またこの権利を持つ立場を資格という。
 権利を主張することは、能力の行使に承認を求めること、及び承認を得ていることの正当性を主張することである。他者の承認を受けた能力行使は、正当な行為である。他者による承認またはそれを得た資格が、正当性の根拠となる。ここに権利の第3の要素として正当性を挙げられる。
 英語で正当性を表す言葉は right である。right は「権利・正当性・正義」等を意味する。例えば、ロングマンの英語辞典では、right の語義を次のように説明する。

1 <allowed> [C usually singular] if you have the right to do something, you are morally, legally, or officially allowed to do it.
2 <freedom/advantages> rights [plural] the freedom and advantages that everyone should be allowed to have.

 ここで、right の意味の核心は、allowed にある。すなわち、何かをすることを承認・許可されていることである。
 権利には、それを承認・許可する者と、承認・許可される者との間で、了解が必要である。政府の承認や保障は、基本的に必要ない。人々が社会において、統治機関の存在の有無にかかわらず、相互に能力の行使を承認していればよい。政府は、それを公的な権力によって公認し、実力の裏付けを以て保障する役割をする機関である。
 西欧言語の多くで、「権利」を表わす言葉は、「正当性・正義」も意味する。英語のright と同じく、独語のRecht、仏語のdroitには、「正しさ」という意味がある。これらが示しているのは、西欧における「権利」とは、「正しさ」を主張し、承認された事柄であることである。すなわち、「〜する権利(right)がある」ということは、「〜する正当性(right)がある」ということと同義である。
 わが国では、権利と正義の両義を持つ right/Recht/droit 等を「権利」と訳した。そのため、元の西欧単語が持っていた「正当性・正義」の意味が隠れてしまった。だが、西欧言語の多くでは、権利とは、正しいと認められていること、正当であることを意味することに留意すべきである。
 社会的な承認は、何らかの基準に基づいて行われる。その基準は、行為や評価が正当か否かを判断する基準となる。何かを「する能力」を用いる時、西洋人は、何をもってその行為を正当であると考えるか。また何を正当性の根拠を考えるか。もともと西洋では、人々が自己の「正しさ」を主張するとき、先祖から伝わる慣習、伝統的な道徳、宗教的な教義をもとにしていた。そうした何らかの根拠があり、それが集団の規範となり、それを基準として「正しい」と認められたものが、「権利」だった。ところが、近代社会においては、そうした基準が否定されるか、括弧に入れられるようになった。原因は、共同体の解体、キリスト教の権威の低下、世俗化の進行による。そして、正当性の根拠は、現実の人間同士の約束や取り決めのみに求められるように変化した。それによって、権利は人間の間における利害関係を意味することが多くなった。ここに権利の第4の要素としての利益が浮かび上がる。

●権利の要素C 利益

 権利は、広義では、能力の行使について、他者の承認を受け、正当性を持つものをいう。一方、狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力をいう。権利は個人や集団の利益に関わるものであり、権利の第4の要素として利益がある。
 利益とは、能力を行使した結果、得られる善いもの、善い結果である。権利は利益であり、また利益を追求し、実現する能力であり、その行使を承認された能力である。「利益」と訳す西欧単語は、英語 interests、独語 interessen、仏語 interests等である。英語では profitbenefit 等も利益の概念に当たる。これらの訳語に充てられた「利益」という漢語は、もともと仏教の言葉である。仏教では利益の語を「りやく」と読み、法力によって恩恵を与えることを意味する。自らを益するのを功徳(くどく)というのに対し、他を益するのを利益という。つまり、「利益(りやく)」は利他的な意味を持つ言葉だった。
 ところが、利益の語は西欧単語の翻訳に使われて「利益(りえき)」となったことで、宗教的な意味を失い、世俗的な意味を表すようになった。現代日本語の利益は、「ためになること」「益になること」である。また「利すること」「得分」「もうけ」「有利」「好都合」等を意味する。経済的な意味で使うときは、経済活動を通じて獲得・実現された富の増加分を意味する。
 こうした利益の概念は、善・快楽・幸福等の概念と重なり合う。利益とは、能力を行使した結果、得られる善いもの、善い結果である。何を善いものとするかによって、さまざまな利益があり得る。物質的利益だけでなく精神的利益がある。精神的な利益とは、必ずしも物質的な結果を伴わない精神的な満足や幸福感をいう。また、個人的な利益だけでなく集団的な利益がある。集団的な利益は、その集団にとって善いもの、善い結果である。国家においては、国家国民の利益としての国益が追求される。国益には、政治的・経済的・軍事的・外交的等の利益があり、国益の追求とは生命的・経済的・社会的・精神的価値の実現によって、国民の幸福を実現し、増大することである。こうして国民の幸福を実現・拡大することは、国民諸個人の幸福追求の権利を集団的に行使し、諸個人にとって善い結果を集団的に実現することとなる。私的な善に対して公共的な善の実現となる。
 権利は、こうした幅広い意味での利益であり、利益を追求し、実現する能力であり、またその行使を承認された能力である。その利益の保持及び追求の正当性を保護するものが、法である。次に、権利の第5の要素として、法について述べる。

 

●権利の要素D 法

 他者による能力の行使の承認が、社会において一般化されることによって、権利は安定したものとなる。さらに承認を制度として定めたものが、法である。法は利益の保持または追求の正当性を保護するものである。ここに権利の第5の要素として、法が存在する。権利は、狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力または資格をいう。
 権利を表すドイツ語 Recht、フランス語 droit、イタリア語 diritto は、権利と法の両義を持つ。独語・仏語・伊語では「権利=法」である。これに対し、英語では、権利としての right と法としての law の二語に分かれる。だが、英語の語彙でかつて法用語として使われたノルマン的フランス語の droit 及び dreit は、権利と法の両義を持っていた。それゆえ、概念としては、「権利=法」という考え方が、英語圏にも存在する。
 西欧言語に見る「権利=法」の概念においては、その主観的な面が権利であり、客観的な面が法である。この両面を結ぶものが、意思である。私は意思を権利の第2の要素に挙げたが、「権利=法」は意思の表れである。正当性や利益に関する主観的な意思を主張し、それが他者の承認を受けたものが権利であり、集団的な公認の意思が客観化されたものが法である。
 人々の相互承認によって生ずる権利を、社会的権利(social right)という。社会的権利には、習俗的権利や宗教的権利、道徳的権利等がある。これらの権利が法に定められたとき、法的権利(legal right)となる。権利は法に定められることで、社会的な公認が確立され、安定したものとなる。法が集団の成員の権利を保障することは、権利はもともと一定の社会的な制限の枠内でのみ成り立つものであることを示している。自由もまた同様である。
 法は、西洋の古代・中世においては、他の社会と同様、習俗・宗教・道徳と未分化の状態にあった。近代西欧において、法は宗教・道徳から分離し、一定の独立性を持つものとなった。近代西欧では、政府が社会における物理的強制力を独占した。法は、実力による強制装置を裏付けとして、国民に一定の行為を命令または禁止し、人々の行為を規制するものとなっている。ここで権利の第6の要素として、最後に強制力を語らねばならない。

●権利の要素E 強制力

 権利を定める法は正当性の根拠とされ、法に照らして権利の正当性が判断される。法は「権利=法」の客観的な側面であり、意思の客観的な表れである。法は集団の意思を表現する言葉の体系である。法に基づいて、命令や禁止、裁判が行われる。これは法に表現された集団の意思に、成員を従わせる行為である。成員がこれに従わずに抵抗する場合、抵抗を押し返して集団の意思を実現しなければならない。正当性の判定だけでは、必ずしも権利は実現されない。自己の意思を他者の合意を求めずに実現しようとすることを、強制という。権利の実現には、それに抵抗する者に対して強制する力が必要となる。ここに権利の第6の要素として、強制力が発現する。
 「権利=法」を裏付け、実効あるものとするものは、力である。成員に集団の意思を強制する力である。法の定めや裁判の判定に従わせる力、それに反発すれば処罰する力がないと、権利は十分実現されない。「権利=法」は、力の裏付けなくしては実現されない。権利を権利として、法を法として機能せしめるものは力である。
 たとえば、権利の中で重要なものの一つに、土地を所有する権利がある。土地を獲得し、占有・保持するには、他者の干渉を排除したり、他者の侵犯を防いだりする力が必要である。その力を発揮できる者が、その土地を所有する正当性を認められる。その力を持たぬ者は、他者によって権利を奪われる。それゆえ、権利の概念は、力の観念を抜きに、成り立たないものである。一定の意思を相手の抵抗を排除してでも実現する強制力が、「権利=法」を実効あるものとする。

 以上、権利の要素として、@能力、A意思、B正当性、C利益、D法、E強制力の6つを述べた。権利とは個人または集団の意思に基づく能力の発揮が相互に承認され、正当性を持ったものである。権利は保有者に利益をもたらし、法によって制度化されることがあり、しばしば強制力に裏付けられる。
 個々の要素に分解できない点を補足すると、西欧言語における「権利」には、「力」の概念が含まれている。私は、権利の主体と対象の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力であると考える。権利の6つの要素のうち、@の能力とEの強制力は、漢字がよく表しているように、力に係るものである。能力と強制力をつなぐものとして、Aの意思という要素が存在する。能力は意思の働きであり、強制力も意思を強制する力である。権利と同様に、権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。そして、権力は、その働きによって、他者に@能力を付与したり、B正当性を保障したり、C利益を分配したり、またD法を実効あるものとしたりする。すなわち、権利の他の要素を現実化する。言い換えれば、権利を権利たらしめる力が、権力である。人権を考察するには、権利と権力の関係を明確にする必要がある。権力については、第3章で詳しく述べる。
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(6)権利の諸性質

 

●権利の個人性と集団性

 近代西欧で発達した権利の要素を考察したところで、その要素を踏まえつつ、権利の個人性と集団性、協同性と闘争性、及び侵略性と防衛性について述べたい。
 人間には、生まれながらに備わった能力がある。人間は、その能力を用いて、集団的に生存・生活している。権利はその能力を第1の要素とし、意思、正当性、利益、法、強制力を要素とする。権利については、一般に個人の権利を主に考える傾向があり、とりわけ人権については、個人を主体に想定する傾向が強い。だが、権利には、個人の権利だけでなく、集団の権利がある。集団の権利とは、個人という単位に還元できない集団が集団として持つ権利である。そして実は、個人の権利は集団の権利を前提として、承認され、保障されるものである。そこで、個人を中心とした考察だけでなく、集団を含めた考察が必要である。
 集団には、家族・氏族・部族・組合・団体・社団・民族・国家等がある。個人的存在であるとともに、社会的存在でもある人間において、家族は最も基礎的な集団である。人権を考察する際、家族の権利について考察することは、重要なポイントである。家族は、親子・夫婦を中心とした最小単位の社会である。血縁と婚姻の関係を主とした自然的・生命的な集団であり、生命を共有する集団である。共有生命集団の目的は、集団の維持・存続・繁栄である。この目的の達成のために、部分よりも全体の利益が追求される。それによって各部分も利益を得る。それが生命体の仕組みであり、生命の法則である。家族における権利は、この目的と法則にかなったものでなければならない。
 家族には、親子・夫婦・兄弟・姉妹・祖孫等の関係がある。これらは基本的に協力的な関係にあり、家族において、人間の能力は協同的・調和的に用いられる。家族の成員は、生命の維持・発展のために互いの能力を合成する。この成員の能力の行使に関し、家族で承認され、正当性を得て、強制力を持ったものが、権利となる。
 家族における権利を、私は家族的権利と呼ぶ。家族において、集団及び個人が保有する権利には、所有・相続・祭祀・婚姻等に係る権利がある。家族的権利は、個人に帰属する権利というより、家族内の身分に伴う権利である。ここにいう身分は自然的・生命的なものであって、相互に替わることのできないものである。個人の持つ権利内容は親子・夫婦・兄弟・姉妹・祖孫等の立場・役割によって決まる。親と子、夫と妻、兄と弟等で全く同じではない。また、家族的権利は、身分から身分へと世代間で継承される。
 トッドの家族類型論は、私の見方では、家族的権利の類型論でもある。家族には平等主義核家族・絶対核家族・直系家族・共同体家族の主要な四つの類型があるが、これらの類型は、主に親子・兄弟の間の財産の相続の仕方の違いによる。親が慣習に従って長子相続等を行うか、自由意思で子のうちから相続者を指名するか、兄弟間で特定の者が相続するか、平等に相続するか。こうした相続の仕方の違いが、価値の違いを生む。それにより、親子の間の自由・権威と兄弟の間の平等・不平等という二対の価値の間の組み合わせがあり得る。組み合わせは、4通りとなる。平等主義核家族では自由・平等、絶対核家族では自由・不平等、直系家族では権威・不平等、共同体家族では権威・平等である。トッドによれば、こうした自由・権威、平等・不平等の組み合わせによる家族型的価値観が、社会的な価値観の基礎となっている。本稿の権利の観点から見れば、財産の相続を中心とした親子・兄弟の権利関係の違いが、家族的権利の類型を生んでいる。
 次に、氏族は、共通の祖先を持つという意識で結ばれた出自集団であり、複数の家族が共通の先祖のもとに集合した共同体である。氏族は家族が拡大したものであり、家族と同様、血縁と婚姻の関係を主とした自然的・生命的な集団である。氏族もまた生命の維持・継承を根本的な目的とする。氏族的な権利も、家族的権利のように身分に伴うものであり、また世代間で継承されるものである。
 次に、部族とは、一定の領域に居住し、共通の文化を持つ人々の集団であり、複数の氏族が血縁と婚姻の関係または誓約による同盟によって集合した共同体である。部族は必ずしも共通の祖先を持たない。部族は共同体の維持・発展を根本的な目的とする。部族的な権利も、家族的権利・氏族的権利と同様、身分帰属的かつ世代継承的である。
 氏族や部族では多くの場合、族長を中心に有力者の間で合意がされ、掟や法が定められる。そこに社会的な権利が発生する。社会的な権利は、家族的な権利を基盤とする。家族型的価値観が、社会的な価値観の基盤となっているように、社会における権利に関する考え方も、家族における権利に関する考え方が基盤となっている。

 家族・氏族が自然的・生命的な集団であり、部族もまたそうした性格を保持した集団であるのに対し、組合・団体・社団は何らかの目的のもとに結合して作られた契約による集団である。組合は、主に商工業者の相互扶助の職業的な結合による集団である。団体は、共同の目的を達成するために結合した集団である。社団は、団体のうち構成員を超越した独立の存在を有するものである。組合では構成員個人の色彩が強く現れるのに対し、社団では団体が単一体としての存在を有し、構成員個人は重要性を持たない。
 近代資本主義が発達した社会では、さまざまな社団が形成されてきた。資本主義社会に特徴的な社団は、資本家と労働者の雇用契約による企業や、資本が証券化されて所有者に株主が加わった株式会社である。資本主義の発達によって、社会的な権利はそれまでと大きく性格を変えた。社会関係が血縁的・生命的な共同性を失い、経済的利益の追求を主とする社会関係に変わった。経済的な権利を追求する闘争が、社会活動の日常となった。生産力が発達し、経済成長によって、生活が豊かになるにつれて、人々の権利意識が発達し、個人及び集団の権利の拡大が追求されてきた。
 近代西欧法は、個人だけでなく集団にも法的権利を付与する。法的権利を付与された集団を、法人という。法人とは、自然人以外で権利能力を有するものである。組合・団体・社団は法人格を得て、集団として法的な権利を主張・拡大するようになった。
 さて、これまで述べてきた集団に比べ、より上位にある集団が、国家である。近代西欧において、近代国家が形成される過程で、初期には国王が個人として王権を主張した。国王個人の権利が国家の権利と一致していた。その権利は、国王が神から授かったものと主張され、絶対的・専制的な性格を持っていた。国王は、領域における主権すなわち最高統治権を持つに至った。これに対し、貴族や新興階級が国王から権利を守るために抵抗し、王権を制限するとともに、自分たちの権利を確保し拡大しようとしてきた。
 国王・貴族・新興階級が政治参加する国家は、一個の集団として権利を持つようになった。その権利は決して国家を構成する個人の権利に還元できないものである。
他国と領域を区別する国境を持ち、領域内の全住民を国民(nation)という単位にまとめ上げて成立した国家を、国民国家(nation-state)というが、国民国家では、領域内の住民は、政治的・文化的に共通の意識を持つ集団へと形成され、国民としての自己意識を持つようになった。そして国民が広く政治に参加するようになった国民国家においては、国家の統治機関である政府が、集団としての国民の権利を行使する。政府は、国家の構成員である国民に対し、権利を付与し、または制限する。国内の諸集団に対しても同様である。そこに、国家(政府)の権利と個人または集団の権利の対立や強制、抵抗と反発等が生じる。政府は、他の国家との間では、権利の相互承認や不承認をする。この外交の場で、政府の機関は、国家を代表して、集団として持つ権利を主張し、交渉を行う。外交で決着の得られない問題については、武力が行使される場合がある。
 近代西欧では、国家間の外交と戦争に関する取り決めが発達し、国際法が形成された。国際法の主な部分は、集団としての国家の権利に関する条約や慣習国際法である。だが、国際法は、個人の権利を定めるものとしても発達してきている。それが国際人権法と呼ばれるものである。
 国際人権規約の共通第1条は、個人の人権を述べる前に、人民の自決権についての定めを置いた。人民の決定権とは、集団・民族・国民の自己決定権である。集団が自らの意思で物事を決定できる権利である。こうした集団の権利を規定したことは、人民の自決権が認められないところに、個人の人権の実現はあり得ないことを示している。権利には個人性と集団性があり、集団の権利が個人の権利を保障するための前提条件であることが明確にされた。集団の権利が確保されてこそ、個人の権利が保障される。翻って考えれば、家族・氏族・部族・組合・団体・社団、そして国家において、それぞれのレベルの集団が自己決定権を行使し得る状態においてこそ、成員の権利が保障される。集団の権利の最大のものは、統治権である。統治に関して人民が自己決定できる権利を、自治権という。自治権は、集団が成員の権利を保障するための前提となる権利である。
 近代西欧では、個人の権利が強調され、個人の権利を集団の統治機構による干渉から守ることが課題とされた。しかし、その集団が集団としての権利を確保できていなければ、成員の権利を保護できない。またその権利を保護するという集団的な関与なくして、個人の権利は維持・発達できない。個人の権利は集団の権利が保持し得る範囲で行使を認められる。先に自由について、自他の関係における条件と限界を述べたが、集団においては、そうした自他の関係が構成員の間に多数存在する。そして、個人の権利は集団の権利のもとに成り立つものである。これが権利の個人性と集団性の構造である。
 今日の世界は、一個の国家において、国防が整備されていて、初めて国民の権利が保障される。国家安全保障が個人の権利の保障の前提である。他国に侵攻され支配される状態となれば、政府は国民の権利を保護することができない。集団としての国家の権利が確保されていて初めて、成員としての国民の権利を守ることができる。主権と独立が守られて初めて、生命と財産が守られる。
 ロックは、生命・身体・財産の権利を普遍的・生得的な権利と考えたが、それらの権利は、国家が主権と独立を確保できていてこそ、保障されるものである。もしロックの時代のイギリスが、どこかの国に侵攻され、支配されていたとするならば、個人の自由と権利は、大きく制限され、または剥奪されていただろう。
 現代の米英的リベラリズムは、個人の自由と選好を無制約に追及しようとする。しかし、その思想では国民による国防の必要性を説明できない。個人の自由と選好を無制約に追及すると、その権利を相互に守るという集団の機能が低下する。
 国民の自由と権利、生命と財産を守るには、国家は主権と独立を確保しなければならない。国民国家においては、国民自ら国家の主権と独立を守るために、国防の義務を負い、命を懸けるのでなければならない。それは集団として持つ権利を守り得てこそ、国民個々の権利を互いに共同で守り得るからである。この国家安全保障の問題を抜きに、ただ個人の自由と権利を主張する者は、集団の権利を弱め、極端にその傾向が広がれば、亡国に至るだろう。他国の支配を受け、国民が自由と権利、生命と財産を失うということである。その状況において、個人の自由と選好を主張しても、保障は受けられない。

 

●権利の協同性と闘争性

 次に権利の協同性と闘争性について述べる。これは権利の個人性と集団性から必然的に出てくる両面的な性格である。
 権利には協同性と闘争性があり、協同的権利と闘争的権利がある。これらの違いは、意思の一致か対立かによる。家族・氏族・部族は、生命を共有する集団である。集団の維持・存続・繁栄のために、ならわしや掟、法があり、成員はそれに従って生活する。そこでは通常、権利は協同的に行使される。組合・団体・社団は、一定の目的のもとに人々が結成した契約集団である。その目的のもとに、規約・規則が作られ、成員にはこれを順守する義務がある。その義務を果たす限りで成員には、成員としての権利が与えられる。成員は、集団の目的のために行動するから、通常、その権利は協同的に行使される。
 ならわし、掟、法、規約、規則等の決まりごとは、成員の権利と義務を決め、成員の間の争いを防ぐ機能を持つ。しかし、時に意思と意思がぶつかり合い、争いが起こる。家族における家長、氏族・部族における族長、組合・団体・社団における代表を、まとめて首長と呼ぶならば、当事者同士の口論で解決しない時は、首長または集団の評議機関に裁定が求められる。権利の主張の正当性は、定められた決まりごとに照らして裁定される。裁定は、しばしば祖霊や神の前で行われる。それによって裁定の結果は神聖化される。評議の過程で和解に達すれば、合意した内容を互いに誓約する。誓約は、しばしば神または首長を立会人として行われ、侵しがたい拘束力を持つ。裁定の方法として、立会人を前にして当事者同士による決闘が行われる場合がある。実力による決着である。勝者は正当性を認められ、勝利はしばしば神や祖霊の意思・加護の結果と理解される。裁定や決闘による勝者と敗者、または和解による合意者の間には、何等かの意思の均衡状態が生まれる。
 社会関係の変化によって、権利の協同性が崩れたところに、闘争的権利が生まれる。闘争的権利は、指導者の専制や横暴とそれによる反発、階級分化による支配―服従、外部からの侵攻・征服等によって生じる。支配する権利と反抗する権利がぶつかり合う。闘争はしばしば物理的な実力の行使となる。強制しようとする意思とこれに反発する意思とが対決し、勝者は支配し、敗者は服従する。権利関係が変動し、勝者は権利を取得または拡張し、敗者は喪失または譲歩する。その構造が固定すると、支配者は服従者に税を納入させたり、労役を提供させたりする。それが徴税権や使役権となる。権利義務関係は法に定められて制度化され、社会秩序が安定する。その秩序は闘争的な権利の均衡状態である。しばしば支配者は税の徴収を重くしたり、労役を増やしたりしようとし、服従者は生産物に対する税の比率や労役の員数・回数等を減らすよう陳情や抵抗を行う。被支配集団が支配集団に反抗する場合、実力を用いて闘争し、権利関係が変化することがある。被支配集団が支配権を奪い、支配―服従の関係が逆転することもある。このように闘争的な権利は、闘争によって変化する。
 わが国においては、古来皇室を中心とした一大家族のような意識が発達し、社会の共同性が強い。そのため、権利は概ね協同的に行使され、闘争的な権利意識があまり発達しなかった。これに比し、西洋においては、古代ギリシャ=ローマ社会からゲルマン社会、近代西欧社会を通じて、権利の闘争性が強く発現された。諸民族による征服・支配の繰り返し、奴隷制の発達、圧政・暴政の多発等によるものである。そのため、西洋文明における権利の概念には、権利を力で勝ち取るという闘争の論理が貫かれている。権利の闘争性が強調される一方、権利の協同性についてはあまり考察がされていない。
 西欧発の人権の概念にも、西洋文明における権利の闘争性が強く表れている。人権は闘争によって獲得すべきものであり、人権を守るためには戦う意思が求められる。だが、権利の本来的な協同性に目を向けると、個人の自由と権利の確保・拡大のための闘争よりも、集団の権利の確保・拡大のための協力が重要な課題として浮かび上がる。「発達する人間的な権利」としての人権の発達は、集団における権利の協同性の回復・強化に向かうべきものである。

 

●イェーリングの権利論と権力の機能

ここで権利の闘争性と協同性に関して補足したいことがある。19世紀後半ドイツの法学者イェーリングは、1872年に刊行した『権利のための闘争』の中で、権利という概念の「最も本質的な永遠の内在要素」は「闘争」であると説いた。西洋文明及びその影響下にある現代世界における権利について検討する際、注目すべき見解であるので、私見を述べたい。
 イェーリングは「権利(法)の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争である」「世界中のすべての権利(法)は闘い取られたものである」「権利(法)は、単なる思想ではなく、生き生きした力なのである」と言う。ここで「権利(法)」と表記したのは、独語では権利と法が同じ言葉 Recht だからである。
 イェーリングは、「正しさ」すなわち正当性・正義は勝ち取るものであり、「正しさ」を裏付けるものは闘争であると主張する。ただし、イェーリングは、ただ利益のために戦えと言うのではない。人が権利を侵害されたときに、倫理的な感情が害される。権利の侵害とはまず人格の侵害である。そして、人格を侵害された者は、倫理的感情に基づき、侵害者に対して侵害を回復するように請求することを自らに義務づける。それゆえ、権利を主張し権利のために闘争することは、権利者自身に課された義務である。だから、権利のために闘争することは、単純に権利を主張することではなく、自分に対する義務を履行することでもあるのだ、とイェーリングは説く。
 イェーリングによると、権利を主張することは、その権利を付与している法の存在を確証すること、すなわち社会的な秩序を維持することでもある。権利が主張されなければ、その権利を付与している法の存在意義はなくなる。イェーリングは、「誰もが社会の利益のために権利を主張すべき生まれながらの戦士なのだ」と述べ、各自が人格の保持のために権利を主張することが、社会の利益になると説いた。社会の安定・秩序を維持するためには、私人による権利のための闘争が絶えず行われなければならない。そして、私人の権利意識が強い国家は、当然他の国家の侵害に対しても強い倫理的な反発意識を抱くから、国家としての強さも備えるのである。だから、私人が権利のために闘争することは、国家の秩序・対外的強度を保つ上で必要であり、国家に対する義務ですらあるという。
 人権の基礎づけには人格の尊重が不可欠と考える私にとって、イェーリングの人格に基づく権利論は興味深いものである。だが、権利に関して人格を論じる場合は、侵害・闘争・回復を説くだけでなく、まず人格の形成・成長・発展を説かねばならない。人格の形成・成長・発展は、家族において相互的・共助的になされるものであり、また社会においても同様である。それゆえ、人格に係る権利は、基本的に協同的な権利である。権利の協同性は、家族から国家へと、段階的に説かねばならないものである。イェーリングはこの面の検討が弱い。
 イェーリングは1880年代以降、個人の権利意識の高揚を説く一方で、国家・社会の秩序という目的のためには、権利を制限することをよしとするようになった。私の視点から言えば、権利の個人性と集団性において後者を重視する考え方である。私的または個人的な権利のための闘争が無制約に行われれば、その国家・社会の共同性は崩壊する。国家・社会の秩序が保たれてはじめて、政府が各個人の権利の衝突を調整することも可能となる。私的な権利より公的な権利、個人の権利より集団の権利が優先されなければならない。公的・集団的な権利を実現しようとする力が、私的・個人的な権利を実現しようとする力に対して優位を占めなければ、国家・社会の秩序は保持できない。
 ここで公的・集団的な権利を実現しようとする力を、権力と呼ぶことができる。イェーリングの権利論は権力論と結びつくことによって、より意義あるものとなる。もし国家において、各個人の権利の衝突を調整し、社会秩序を維持する権力が機能しなければ、私人間の争いのために、共同性は崩壊する。だが、権力が無制約に行使されるならば、統制や独裁に陥る。そこで、権力の行使には規則を定め、その規則に沿って行使する仕組みが必要となる。それが法である。同時に法は、それを実効あるものとするために、物理的な強制力を核とする権力に裏付けられねばならない。その裏付けを欠いた法は、単なる言葉であり、一片の紙切れに過ぎなくなる。権利と深い関係のある権力については、次の章で検討を行うが、その前にもう一点、権利の侵略性と防衛性について述べたい。

 

●権利の侵略性と防衛性

 一つの集団が全く外部の集団と権利を争うことなく、内部的な要因だけで社会変動し続けることは、世界史的に極めてまれである。ほとんどの集団は、外部の集団と権利をめぐる争いを繰り返し、集団間の支配―服従の関係の変化を重ねながら、権利を発達させてきたと考えられる。それゆえ、権利は家族・氏族・部族においては協同性を主とするが、それ以上の規模の集団においては闘争性が主となる傾向がある。
 権利の闘争性は、集団内部においては階級分化による支配―服従、指導者の専制や横暴とそれによる反発等によって生じるが、集団間において、外部から別の集団が侵攻し、征服・略奪を行ったり、支配・収奪したりすることによっても、闘争的権利が生じる。権利の協同性と闘争性は、集団と集団の関係において検討すると、権利の侵略性と防衛性へと立ち至る。
 人類は、地球の各地で、集団と集団の権利のぶつかり合いを繰り返してきている。部族・国家・帝国等の間での権利のぶつかり合いは、しばしば武力による衝突となる。衝突は、多くの場合、殺戮・強姦・略奪・破壊を伴う。ユーラシア大陸における農耕民族と遊牧民族の争いは、古代から近代以前まで諸文明の興亡盛衰の要因だった。また、15世紀末以降、西欧白色人種が非西欧有色人種の支配・収奪を諸大陸で展開し、植民地支配を構造化した。いずれの場合も、人種・民族・言語・文化・宗教の違う集団間の争いは、激烈となる傾向を示している。
 集団同士の争いにおいては、侵攻・略奪しようとする意思と、防衛・守備しようとする意思が激しくぶつかり合う。権利の概念でとらえれば、権利を拡大しようとする意思と権利を防衛しようとする意思の対立である。権利の対象は土地・食糧・資源・市場等であり、それらの居住・利用・占有・所有等の権利をめぐって戦いが行われる。物理的な実力の行使によって、意思を強制的に実現しようとする側とこれに反発する側とが対決する。対決の結果、勝者は権利を獲得または拡大し、敗者は権利を喪失または縮小する。勝利が征服に至った場合、征服者は統治する領域を広げ、被征服者は追放・捕囚・隷従される。支配―服従の関係ができ、二つの集団によって新たな一つの集団が形成される。この新たな集団における権利については、権利の闘争性について書いたことと基本的に同じことが言える。ただし、征服による支配―服従の場合、権利は一層闘争性の強いものとなる。闘争的な権利がぶつかり合うとき、権利は外部の集団を侵略する作用を強めるとともに、外部の集団から自らを防衛する作用をも強める。権利の侵略性と防衛性は、相補的な形で発達する。
 このように考える私は、イェ―リングの権利論は、集団内及び国内の関係だけでなく、集団間及び外国との関係に広げて検討されるべきと思う。『権利のための闘争』でイェ―リングは、私人の権利意識が強い国家は、当然他の国家の侵害に対しても強い倫理的な反発意識を抱くから、国家としての強さも備える、と説いた。晩年のイェーリングは国家・社会の秩序という目的のために、権利の制限をよしとする考えに転じた。彼の考えをさらに推し進めるならば、外国の侵攻・略奪から自国の国家・社会の秩序を守るためには、国民の権利を一定程度制限して、侵攻・略奪への防衛・守備を行うことが必要だという考えに至る。これは、対外的には、権利の個人性より集団性を優先する考え方である。また、集団内の権利の闘争性を超えて、対外的に権利の協同性を発揮しようとする考え方である。
 外国の侵攻が急迫している状況において、国内で私的または個人的な権利のための闘争が無制約に行われていれば、その国家・社会の共同性は弱まり、侵攻・略奪に屈してしまう。非常事態においては、私的な権利より公的な権利、個人の権利より集団の権利が優先されなければならない。外敵から国家・社会の秩序を守り得てはじめて、各個人の権利を保障することが可能となる。国家として持つ集団的な権利を保持した上で、私的・個人的な権利と公的・集団的な権利の調整を図るものでなければ、国民みなが侵略者によって権利を奪い取られてしまう。
 外部集団の侵攻・略奪に対して、自己集団を防衛・守備するためには、集団の成員の権利は、協同的に行使されねばならない。集団は生命と運命を共有する共同体として、外部から集団の権利を守る。そのために、集団の成員は協力・団結し、それによって全体及び相互の権利を守る必要がある。集団の権利が確保されて、初めて成員個々の権利が保障される。イェーリングは、私人が権利のために闘争することは、国家の秩序・対外的強度を保つ上で必要であり、国家に対する義務ですらあると説いたが、集団の権利を守るために、国民が団結して外敵と戦うことは、国民相互の義務である。

 

●集団の権利あっての個人の権利

 権利の個人性・集団性、協同性・闘争性、侵略性・防衛性について書いてきた。ここであらためて個人の権利は集団の権利あってのものであることを強調しておきたい。
 先に集団の権利が確保されて、初めて成員個々の権利が保障されると述べたが、現在の世界における国家の主要形態である国民国家においては、国民個々の権利を保障する主体は、全体としての国民である。政府は、国民を代表して国民の権利を保障する統治機関である。権利は政府によって保障されるものであると同時に、国民が相互に保障するものである。国民が政府から権利の保障を受ける受動性に傾き、互いに権利を保障し合う積極性を失えば、その国民は領土を失い、独立も主権も、自由も権利も、生命も財産も、誇りも自信も失うことになる。
 独立主権国家として権利を保持するためには、他国に対して権利を主張し、他国の承認を得ねばならない。また権利を侵害された場合は、権利の回復を求め、それが容れられなければ、権利の奪還を図らねばならない。これは国家主権の発動の問題となる。主権については、第4章で国家との関係で述べるが、集団として持つ権利の一つに国家の権利があり、国家の権利が主権の実態である。国民が主権に参与している場合は、主権は国民の権利である。主権は、国民の個々の権利を協同的に行使してこそ、対外的によく発揮できる。
 人類の歴史は、集団と集団の権利のぶつかり合いを繰り返してきていると先に書いたが、人類史の多くの部分は戦争の歴史だった。戦争のなかった時期の方が珍しい。しかし、20世紀に入り、第1次世界大戦が起こり、大戦後、1928年に欧米諸国を中心に不戦条約が結ばれた。不戦条約は、国際紛争の解決はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用を禁止した。だが、1930年代以降のブロック化、ファシズムの台頭等は不戦条約を空無化し、再び世界大戦が起こった。第2次世界大戦は、科学兵器の発達を促し、最終兵器としての原爆が登場した。しかし、その後も、多くの地域紛争が起こり続けている。こうしたなか、政府と国内の諸個人・諸団体の権利関係及び諸個人・諸団体同士の権利関係を定める国内法に対し、主に国家と国家の権利関係を定める国際法が発達した。
 国際法違反を犯した国家には国家責任が生じ、原状回復、損害賠償、陳謝といった事後救済の義務が生じる。だが、国際社会においてそれを強制執行する仕組みは十分確立されていない。また、客観的な事実認定・違法性認定や法適用を行う制度的保証はない。それゆえ、被害国の自衛権及び非軍事的復仇が認められている。こうした国家レベルでの集団の権利が十分機能するには、国民が権利を協同的に行使し、協力・団結して集団の目的を追求しなければならない。
 わが国の例を取れば、日本は幕末において欧米列強の圧力を受け、不平等条約を締結し、関税自主権を失い、列強に治外法権を与えた。明治維新後、政府は不平等条約の改正に努力し、ようやく明治44年(1911)に両権利の回復を実現した。国家として外国に対する関税の権利を失ったり、外国人に対する裁判の権利を失ったりすると、個人としては相手国に対抗できない。個人の権利を主張しても政府間の取り決めのもとでは認められない。民権は国権が強化されてこそ、拡大し得るものだった。また、わが国は第2次世界大戦末期、ソ連に北方領土を侵攻・占拠された。北方領土の元居住者や土地所有者が、ソ連に対して権利を主張しても認められない。国家として政府が領土返還を交渉し、返還後初めて、個人の権利の回復が可能になる。個人個人の権利の主張では、集団の権利としての領土の領有権を守れない。個人の人権は、国家の安全保障と切り離せず、むしろ後者を前提とするものである。人権を説く論者の多くは、この点において本末転倒に陥っている。
 さて、本章では、自由と権利について検討を行った。自由の観念の発生・発達、自由と平等・道徳・経済、権利の歴史、権利の要素、権利の個人性と集団性、協同性と闘争性、侵略性と防衛性を見てきた。この過程で、人権と呼ばれる「発達する人間的な権利」は、国家との関係で考察しなければならないものでるあることが明らかになった。国家との関係で人権を考察するには、まず権力について検討する必要がある。そこで次の章で権力について論じることにする。
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第3章 人権に係る権力

 

(1)権力とは何か

 

●力と権力

 人権の考察のため、第2章で自由と権利の検討を行った。そのなかで浮かび上がったのが、権力と国家の問題である。自由と権利は権力と国家との関係において、獲得や保障がされる。本章では、人権との関係において、権力について検討する。その後、次章で国家及びそれに関連する主権と国民について述べる。
 権利には主体と対象がある。主体は、権利を所有し行使する者である。対象は、権利を行使する相手である。主体と対象は相互に主体となり、対象となる。主体―対象は、相互的に行為を行う。行為は意思の活動による能力の発揮であり、権利の行使またはこれへの対応である。権利に係る行為は、主体―対象に効果を生む。この行為による権利の行使・対応及びその効果を、作用と呼ぶ。権利の作用は、主体―対象の相互作用である。こうした権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力である。権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。特に強制力を中心として権利の作用をとらえて、一般に、権力と呼んでいる。
 権力と訳される西欧単語は、英語の power、独語の Macht、仏語の puissance 等である。これらはどれも力を表す言葉である。力は物事を生起させる原因に係る概念である。日常的な言語では、目には見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを力という。
 力とはまず身体的な力である。その典型が腕力である。腕の動きは、押す、掴む、殴る、奪う、投げる等、直接相手の身体に働きかける。その働きを力の観念でとらえたものが、腕力である。
 力とはまた物理的な力である。自然界の風や水等の動きや火・光等の働きが、力と感じられる。人間が自然の仕組みを利用して作る道具は、手や腕の延長である。道具は、身体的な力を物理的な力に変える。道具が複雑な機構を持つ様になったものが、機械である。機械に動力を加えることにより、人間はさらに大きな物理的な力を生み出すことができる。
 力とはまた社会的な力である。人間は集団生活を送る動物であり、集団の行為によって、身体的・物理的な力は社会的に組織された力となる。権力とは、身体的・物理的な力をもとにした社会的な力である。物理的な力には作用・反作用があり、相反する方向に働くが、社会的な力も支配/保護、抑圧/解放、対立/協調、奪取/供与等の相反する働きをする。権力もまた社会的な力として、相反する働きをする。
 力に関する言葉を考察すると、力を意味する英語 power は、仏語の pouvoir から来ている。pouvoir は「〜することができる」を意味する動詞である。その派生名詞 puissance は力を意味し、権力を意味するほかに、勢力や効能・機能をも意味する。
 例えば、ロングマンの英語辞典は、power を次のように定義している。

 the ability or right to control people or events. /the legal right or authority to do something/the ability to influence people or give them strong feelings.

 すなわち、power とは、人や出来事を支配する能力や権利、何かを行う法的な権利や権威、人に影響を及ぼし、強い感情を与える能力である。この定義には、能力や権利を意味する語が使われており、権力と権利の概念は、重なり合うことを示している。日常語の中に潜むこういう意味の相関関係を整理することで、概念を明確化することができる。

 力を含む漢字単語には、「腕力」「武力」「実力」「暴力」「協力」等、様々なものがあるが、元の西欧単語には必ずしも「力」を意味する文字は明示されていない。例えば、「暴力」は英語の violence、「協力」は cooperation の訳語に使われるが、もとのほうには「力(powerforce)」を意味する接頭辞や接尾辞はない。幕末・明治の日本人が、こうした西欧単語を漢字を使って翻訳した時、「力」の文字を加えて訳したのは、深い洞察によっていると思う。

 日本人はまたpowerMachtpuissance 等を政治的・社会的な文脈で使われる場合には、「権力」と訳した。「権」の文字については先に書いたが、もともと木製の秤の重りや分銅を意味する。白川静の説では、「権」のつくりの部分はコウノトリで、神聖な鳥として鳥占いに使われた。そこから「はかる」の意が生じた。「権」の字は重さを量る物の意味から、バランスに影響する重さや、重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する個人や集団の持つ勢力や資格をも意味するに至った。powerMachtpuissance 等を単に「力」と訳さず、「権」の字を加えて「権力」と訳したことによって、日常語の「力」と区別することができている。これは見事な工夫である。

●権力の定義

 権力とは何か。さまざまな学者が権力の定義を行ってきた。最も有名なのは、マックス・ウェーバーによるものである。ウェーバーは、「権力(Macht)とは、ある社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない」(『社会学の根本概念』)と定義した。
 他の定義の多くは、ウェーバーの説の応用というべきものである。例えば、政治学者デイヴィッド・イーストンは「権力とは、ある個人または集団が、自らの目的の方向へと他者の行為を決定できるような関係である」と述べ、権力の主体を「個人または集団」とし、また対象を「他者の行為」とした。主体が意志を貫徹した結果、相手の行為が目的の方向へと決定されると考えられる。ウェーバーが「可能性」と表現したものをイーストンは「関係」ととらえた。社会学者D・H・ロングは「権力とは、他者に対して意図され、また予見された効果を産出し得る能力(capacity)である」とし、ウェーバーが「可能性」をしたものを「能力」へと具体化した。また政治学者ロバート・ダールは、「AはBがさもなければなさなかったであろうことをBになさしめる程度において、Bに対する権力を持つ」と定義し、人間関係に介在する「影響力(influence)」の概念を設定した。私は、権力は関係より能力とすることが妥当だと思う。権力とは、主体が他者の行為に影響を与える能力である。
 ウェーバー、ロング、イーストン、ダールは、権力を個人の行為や意志や利害といった個人的な側面からとらえている。これに対し、権力を集団的な側面からとらえたのが、社会学者タルコット・パーソンズである。パーソンズは「権力は集合的組織体系の諸単位による拘束的義務の遂行を確保する一般的能力である」とした。パーソンズによると、権力は個人の能力ではなく、集団としての組織の能力である。この能力は、個人に対し、服従ではなく「拘束的義務」を確保する能力である。拘束的義務とは、個人が他者に課す個人的な義務ではなく、集団がその成員に対してその役割に応じて課す義務のことである。パーソンズが権力は集団において強制的であるだけでなく、協同的な働きを持つことを示したことは、重要である。集団の目的を達成するために、成員による協力的行為を確保する能力が、パーソンズにとっての権力である。権力を集団的な側面からとらえるとき、権力は強制的・抑圧的な働きを持つだけでなく、協力的・結束的な働きを持つことが理解できよう。
 上記の諸定義をまとめるならば、権力は、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用といえよう。私は、このような定義を了解したうえで、ここに権利との関係を加えるべきだと考える。権力の概念の前提には権利の概念があり、個人または集団の関係において、権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力であるというのが、私の見解である。権利と権力の関係を抜きにして、権力を理解することはできない。そして、人権論において、権力の検討が不可欠なのは、権力とは権利の相互作用を力の観念で表したものだからである。この点は、後に改めて詳しく述べる。

●権力のマクロ分析とミクロ分析

 権力論は、主に国家権力・政治権力を想定し、それを論じるものが多かった。その場合の権力は、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用と言える。しかし、権力は主体―対象間の権利の相互作用を力の観念でとらえたものととらえると、政治的・国家的な権力だけでなく、人間関係の様々な場面に権力は発生し、機能しているものと理解できる。私は権利の項目で家族から氏族・部族・組合・団体・社団等について述べたが、権力は集団の諸階層・諸様相における様々な権利の作用として働いていると考えられる。
 この点で画期的な研究をしたのが、20世紀後半西欧屈指の哲学者ミシェル・フーコーである。フーコーは、「単に、国家権力というのではなく、様々な諸制度の中で行使されている権力が問題である」と言い、彼以前の権力論が主に国家権力・政治権力の分析を主としていたのに対し、社会の様々な関係における権力を分析した。前者を権力のマクロ分析とすれば、フーコーは権力のミクロ分析を行った。
 フーコーは、『性の歴史』の第1巻『知への意志』で、次のように権力(pouvoir)を考察した。
 権力は、無数の点から出発し、揺れ動く関係の中で機能する。あらゆる社会現象の中に、権力関係が存在する。社会の末端にある家族や小集団等で生み出される力の関係が、権力関係の基盤となっている。権力を振るうのは、特定の個人や指導者ではない。その時々の関係の中で生み出された作用によって権力が振るわれる。権力への抵抗は、権力の外部にあるのではなく、内部に不規則に出現する。権力は、この抵抗を完全に排除できない。従って、この抵抗の点が戦略的に結び付けられ、網の目のような権力関係が崩れた時に、革命が生ずる、と。
 フーコーは、あらゆる人間関係において「無数の力関係」が存在するとして、家族・学校・病院・団体等、社会のあらゆる集団を分析の対象とした。マクロ的な権力はミクロ的な権力に基づき、これに「根差しつつこれを利用するもの」であることを指摘した。フーコーの見方は、権力を権利との関係からとらえる私にとっても、画期的なものといえる。ただし、フーコー自身は、権力を権利との関係で把握してはいない。
 第1部の人間とは何かの項目に書いたように、私は、人間とは集団生活を行う動物であり、特に家族を構成することに特徴があると考える。そして、家族から氏族・部族・組合・団体・社団等の集団の各階層における権利の分析が、権力の分析の前提になければならず、またそれが国家権力・政治権力の分析の基礎となると考える。フーコーについては、本章の最後にあらためて書くこととし、以下権力の検討を行う。

 

●権力という力の観念

 私は、権力とは、個人または集団の関係における権利の作用を力の観念でとらえたものと考える。権利関係は社会関係の表れであり、その関係の一つに優劣がある。優位者すなわち支配・収奪・保護・指導する者は、劣位者すなわち支配・収奪・保護・指導される者に比べ、より大きな権利、より多い権利を持つ。だが、劣位者もまたより小さな、少ない権利ではあっても、権利を持つ。権利関係の要素である個人または集団は、相互に行為の主体であり、対象である。この相互関係は、相互作用の関係である。こうした優位者と劣位者の権利の相互作用を、力の観念でとらえてきたと見ることができる。
 力とは、日常語において、目に見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを指す。ここでいう力は、能力であり、意思の力であり、また強制力でもある。そうした力の観念を用いることによって、権利関係を権力関係としてもとらえることができる。
 劣位者にとって、優位者の権利の作用は、強大な力と感じられる。だが、劣位者の権利も一定の作用をする。微弱な力であるが、優位者の力に対して影響を与え得る。ここで力を発する側と力を受ける側は、ともに意思を持つ。そして、相互に力を働かせる主体であり、作用の対象である。この相互作用における力は、社会的な力である。それが権力(power)と呼んでいるものである。もちろん日常語を用いる人々は、こうした反省的な思考をして、言語と概念を生み出してきたわけではない。無意識的・無自覚的に行ってきた言語活動と思考作用の中で、権利と権力の相関性が自ずと形成されてきたのである。
 権利の相互作用を力の観念でとらえることの利点に、力という定量的な概念を用いることにより、量的な比較が可能になることがある。すなわち、大きさと小ささ、強さと弱さ等の感覚的な表現によって、権力の状態や機能を理解することができる。端的には、権利の量や関与する人員の数、武器の数等が、権力の量的側面を表す指標となる。力の観念を用いることで、権力関係の変化を量的な変化としてとらえることも可能になる。この点もまた反省的な思考によって、人々が言語と概念を生み出したのではない。経験と慣習によって、自ずと形成されてきたものである。

●ホッブスとロックにおける権利と権力

 権力とは、個人または集団の関係における権利の作用を力の観念でとらえたものである。これは私独自の見解だが、この見解は、ホッブスとロックの所論によっても裏付けられる。
 ホッブスは、自然権とは「各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の意志するとおりに、彼自身の力を使用することについて各人が持っている自由」だとした。自由は権利だと言っている。権利は、能力であり、意思であり、また強制力である。ホッブスは、自然状態は戦争状態だと想定した。「全人類の一般的性向」は「次から次へと力を求め、死によってのみ消滅し得るような不断の意欲」である。人間がその意欲によって力を求めて行動し、互いにぶつかり合うとき、「力の合成」が起こる。その結果、合成された力は「人間の力の中で最大のもの」となる。ホッブスは、国家の設立を、こうした物理的な力の合成として説明した。ホッブスの力は物理的な力と表象されているが、その力は意思に基づく能力であり、権力である。それは権利の作用でもある。ホッブスの人間は、生命の自己保存のために、権力を求め続ける者である。また個々人の意思を合成して生まれる国家は、権力の主体である。その権力が主権である。主権は統治権であり、統治の権利であり、また統治の権力である。ニーチェは生命の本質を「力への意志」であるとし、「力への意志」を生の唯一の原理とする闘争の思想を説いたが、その思想は、ホッブスと通じ合う。また、ホッブスは、あらゆる人間関係に「無数の力関係」が存在するとして権力のミクロ分析を行ったフーコーの思想にも通じる。
 ホッブスは、生命の安全のため、絶対的権力への絶対服従を求めた。これに対し、ロックは、生命・自由・財産の所有権の保全のため、人々が政治に参加し、権力を協同的に行使する体制を求めた。ロックは、自然状態は完全に自由で平等な状態だとし、「そこでは権力と支配権はすべて互恵的であって、他人よりも多く持つ者は一人もいない」とした。ロックは、自然状態において、「権力と支配権」を認めている。「人間は、自分の所有物、すなわち生命・自由・財産を、他人の侵害や攻撃から守るための権力だけでなく、また他人が自然の法を犯したときには、これを裁き、またその犯罪に相当すると信ずるままに罰を加え、犯行の凶悪さからいって死刑が必要だと思われる罪に対しては、死刑さえ処しうるという権力を生来持っている」とロックは言う。ロックは同意によって設立される政治権力の目的を、所有権の調整と保存においた。人々は共同社会に入ることで、自然状態における完全な自由は失う。拘束は受ける。だが、権利は保持する。権力を合成し、合成された権力の行使に参加する。そのようにして生命・自由・財産を共同で防衛する、とロックは考えた。
 権力とは、権利の作用を力の観念でとらえたものととらえると、ホッブスとロックの思想が理解しやすくなるだろう。人権の思想を考察するには、ホッブスとロックの理解が必要であり、権利との関係で権力を把握することが、その近道である。

●「暴力」という訳語の弊害

権利に協同性と闘争性があるように、権力にも協同性と闘争性がある。権力論においては、欧米の論者を中心に闘争性が偏重される傾向がある。権力の闘争性が、しばしば力の行使を強調して語られる。そうした文献の翻訳には、「暴力」という訳語が多用される。暴力という漢字単語は、英語のviolence force等の訳語である。violenceは、相手を物理的に傷つけようとする行為であり、またその行為に用いられる force(力)である。『広辞苑』は、暴力を「乱暴な力、無法な力」と解している。だが、violence force には必ずしも「乱暴な」「無法な」という意味はない。「暴」という漢字は、「手荒い」「粗暴な」「暴れる」等を意味するので、「暴力」という訳語は、元の西欧単語にない意味を加えるものとなっている。
 暴力と似た言葉に、武力がある。武力は、force arms 等の訳語である。『広辞苑』は、武力を「武勇の力。また軍隊の力。兵力」と解している。この場合、「乱暴な」「無法な」という意味は含まない。武力は、組織された集団の力に用いる。武力を行使するための専門の人員を、武人・兵士等という。武力行使のための専用の道具または機械を、武器という。武器は、身体的な力を物理的な力で増幅・拡大する。こうした専門の人員や武器を組織したものが、武力である。個人の身体的な力を暴力と言うことはあるが、武力とは言わない。
 ただの乱暴で無法な力と、管理されて合理的ないし合法的に用いられる組織的な力とは異なる。残念ながら、暴力という訳語では、これらの区別がつかない。そのため、権力について暴力の行使という言葉が使われると、権力は乱暴で無法な仕方で力を振るうというイメージを与える。だが、多くの場合、権力は管理され、統御された組織的な力を、合理的で合法的に用いる。
 権力の発動の形態である戦闘においては、破壊、殺傷を行う。これは指揮命令によって一定の目的のもとに行われる行為である。ただし、戦闘の過程で、破壊や殺傷そのものが目的となって行われるような状況も生まれる。こうした状況は、しばしば略奪や強姦を伴う。暴力という訳語は、こういう場合にふさわしい。
 他に暴力と似た言葉として、腕力・実力がある。腕力は、腕の身体的な力を意味するが、英語の arm は、腕の他に抽象的な力や権力を意味し、また武器や武力行使、武装等を意味する。実力は、広義では、目的を果たすために実際の行為・行動で示される能力を意味し、狭義では腕力、武力と同義である。実力に当たる特定の西欧単語は、存在しない。武力と同様、腕力・実力にも「乱暴な」「無法な」という意味はない。暴力という訳語は、政治学・法学・社会学等の理論的な文章では、断りなく用いられると、読者に誤ったイメージを与えやすいので注意を要する。
 ウェーバーは「権力(Macht)とは、ある社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない」と定義した。暴力という漢字単語を使って言うならば、ウェーバーのいう「可能性」の一つが暴力の行使である。ウェーバーに依拠する論者は、政府が持つ国家権力の源泉は「暴力の行使」にあると言う。だが、その力は組織された力であり、それ自体は中性的なものである。この場合、暴力という訳語より、実力を使った方が、その性格を正しく理解できる。そうした力を乱暴で無法な用い方をするか、合理的で合法的な用い方をするかは、力を行使する者の意思による。力そのものが乱暴なのでも無法なのでもない。
 ところで、武力に似た言葉に、戦力がある。戦力は、戦争を遂行し得る力を言う。日本国憲法は、第9条で武力と戦力の両方の語を使っている。条文は次の通り。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 上記条文に「武力による威嚇又は武力の行使」「陸海空軍その他の戦力」という文言があるわけだが、公定の英訳では、前者は「the threat or use of force」、後者は「land, sea, and air forces, as well as other war potential」と訳されている。武力は forceと訳し、軍も force を訳語としている。これに対し、戦力は war potential と訳されている。potential は、潜在的な能力である。war potential は、戦争を遂行することのできる潜在力の意味となる。第9条における戦力は、武力のうち、国内の治安・警察ではなく、他国との戦争に用い得る能力を指すと整理できよう。
 この条文では、暴力という文言は使われてない。国権の発動である力による威嚇や力の行使、また戦争を遂行し得る力を、暴力と呼ばないのであれば、国家権力が行使する力を、暴力と訳すのは、不適当であることが理解されよう。武力または実力と訳すのが妥当である。
 なお、力の概念を漢字に表した訳語について補足すると、「暴力」は violence violent power、「腕力」は arm armed power、「強制力」は force forcing power 等とそれぞれもとの西欧単語に共通する power の概念を抽出し顕在化させて、訳語を作ったものと理解できる。これもまた見事な工夫である。

 

●「暴力」と政治的なもの

 現代のわが国で最も注目すべき権力論を展開しているのが、萱野稔人である。『カネと暴力の系譜学』『権力の読みかた』等の著書のある哲学者である。
 萱野は、腕力・武力・実力に当たる言葉として「暴力」を使用し、「暴力は命令することを可能にする」「命令とは、自らの決定を他人に課すこと」「暴力に基づいた命令とは、暴力的な格差を利用することで自らの決定を他人に課すことである」等と説いている。萱野は、著書で暴力を定義しておらず、腕力・武力・実力との比較をしていない。その点に注意しながら読むならば、萱野の所論は、権力を検討するうえで啓発的なものである。
 萱野は「暴力は、秩序と支配を保証するという社会的機能を持つからこそ、単なる破壊とは違った仕方で用いられ、集団的に組織化される」と言う。これは、権力を主語にし、権力は「秩序と支配を保証するという社会的機能を持つ」と言うべきところであり、権力の行使の一形態が暴力である。だから、暴力は「単なる破壊とは違った仕方で用いられ、集団的に組織化される」のである。暴力は組織化され得る。組織化された暴力は、無秩序に発揮される力ではない。萱野は「暴力の組織化とは、より強い暴力を有効に行使するため、人的・物的資源の集団的な活用にほかならない」と述べている。
 国家は、一個の政治的な集団である。政治とは、集団における秩序の形成と解体をめぐる相互的・協同的な行為である。政治的な集団とは、その集団の諸行為が主に政治的な性格を持っている集団である。

国家と暴力の関係について、萱野は次のように書いている。「暴力が手段として組織的に用いられるとき、政治団体が生まれる」。そして、その政治団体のあるものが、「合法的な暴力行使の独占を実効的に要求する」ようになるとき、「国家が成立するのだ」と。そして、政治学者カール・シュミットが著書『政治的なものの概念』において、「政治的なものを固有に規定するのは敵/友の区別である」と説いていることを挙げる。「敵とは、外部のものであれ内部のものであれ、こちら側の秩序と支配を受け入れない個人や集団のことである。そうした敵に対して闘うために暴力を組織化すること、これによって国家をはじめとする政治団体は実在性を得るのだ」と萱野は言う。
 私見を述べるならば、確かにシュミットの政治的なものの概念は、敵/友を固有の指標とする。だが、これは政治を闘争的な側面だけでとらえたものである。政治とは、集団における秩序の形成と解体をめぐる相互的・協同的な行為である。とりわけ権力の獲得と行使に係る現象をいう。その根底にあるのは、集団における意思の決定と発動である。こうした意味での政治は本来、闘争的ではなく、協同的なものである。なぜなら、人間の集団は本来、共同的なものであり、生命を共有するものだからである。私は、家族を私的集団と考えるので、一定の公共性を持つ氏族・部族の段階から政治という現象を見る。これらの共同体では、共通の目的のために、権利を協同的に行使する。組合・団体・社団・国家等でも同様である。集団は、権利を協同的に行使するために意思を決定し発動する。この権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力である。
 集団の政治の共同性を最もよく表す言葉が、日本語の「まつりごと」である。「まつりごと」は政治であり、また祭事である。政治と祭事は古来、一体のものとして行われていた。祭政一致である。さまざまな共同体は、首長を中心に、祭儀を行い、神や祖霊の意思に沿った政治を心がけた。こうした祭政一致の共同体が壊れたところに、シュミットのいう敵/友の区別、闘争的な政治が発生する。それは、近代西欧社会に典型的な政治形態である。だが、近代西欧では、集団の共同性を回復しようとする運動もまた起こった。その一つが、ナショナリズムである。
社会人類学者のアーネスト・ゲルナーは、ナショナリズムを「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければいけないと主張する一つの政治的原理」と定義している。

ここでゲルナーのいう民族的な単位とは、ナショナルな単位である。しかし、ナショナルという形容詞の基になる名詞ネイション(nation)は、民族のほか国家・国民・共同体とも訳される言葉である。政治的単位としての国民と区別し、文化的単位としての民族をいう場合は、エスニック・グループと呼ぶのが適当である。エスニック・グループ(ethnic group)は、ネイションの基になっている集団であり、血統または祖先、言語・宗教・文化・生活習慣等を共有し、「われわれは○○である」という自己意識を持っている集団である。エトニ、エトノス、エスニシティも同じ集団を指す。ネイションも「民族」、エスニック・グループも「民族」と訳すと混乱するので、カタカナでネイション、エスニック・グループと標記することが多い。

ナショナリズムは、一般に「国家主義」「国民主義」「民族主義」と訳される。ナショナリズムはネイションにかかる主義であり、ネイションは「国家」「国民」「民族」「共同体」等と訳される。だが、国家と国民は異なり、国民と民族は異なる。私は、基本的にネイションを政治社会としての「国家」または政治的集団としての「国民」、エスニック・グループ(ethnic group)を「民族」とし、ナショナリズムを「国家主義」「国民主義」、エスニシズムを「民族主義」と区別する。

ナショナリズムは、エスニック・グループをはじめとする集団が、一定の領域における主権を獲得しようとし、またその主権を行使するネイションとその国家を発展させようとする思想・運動である。ナショナリズムは、主にエスニックな集団を組織化することで、政治的な権力を求める。この際、集団が敵/友に分かれていれば、これを再編成する政治運動となる。また、他民族の支配を受けている場合は、これに反抗し、独立や解放を目指すものとなる。こうした過程を経て実現される権力は、人民の力の合成であり、新たな共同体の力である。独立や解放は、統治権の奪取であり、自己決定権の獲得である。人民の力の結集が自己の意思決定で統治する権利を実現しようとする。その権利の相互作用を力の観念でとらえれば、権力となる。暴力という訳語は、このような場合の人民の力の行使を肯定的に表現できないという欠点も持っている。

 

●権利の要素と権力の関係

 権利について書いた第2章で、私は、次のように述べた。権利は、個人または集団の意思に基づく能力の発揮が相互に承認され、正当性を持ったものである。権利は保有者に利益をもたらし、法によって制度化されることがあり、しばしば強制力に裏付けられる、と。権力とは、こうした権利の相互作用を力の観念でとらえたものである。
 私は、権利には、@能力、A意思、B正当性、C利益、D法、E強制力の6つの要素があると考える。これらの要素をもとに、権力は共同主観的・間主体的な権利の相互作用を力の観念でとらえたものであることを、ここで具体的に示したいと思う。
 権利の6つの要素のうち、@の能力とEの強制力は、漢字がよく表しているように、力に係るものである。能力と強制力をつなぐものとして、Aの意思という要素が存在する。能力は意思の働きであり、強制力も意思を強制する力である。権利と同様に、権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。そして、権力は、その働きによって、他者に@能力を付与したり、B正当性を保障したり、C利益を分配したり、またD法を実効あるものとしたりする。すなわち、権利の他の要素を現実化する。この点では、権利を権利たらしめる力が、権力である。

●権力を構成する要素

 次に権利の6つの要素と関係付けながら、権力を構成する要素と権力によって実現する要素を明らかにしたい。権力を構成する要素には、権利の6要素のうち、@能力、A意思、E強制力がある。以下の記述で丸文字の数字は、権利の6要素の番号に対応する。

@能力
 人間に生まれながらに備わっている何かを「する」能力が、権利と権力に共通している要素の一つである。権利とは、何かをすることが「できる」「していい」ことを、承認または許可したものである。西洋ではこの「できる、していい能力」を、力の観念でとらえたのである。権利を主張または行使し、特にその意思を他者に強く働かせる場合、権利は権力と感じられる。こういう意味では、原理的には、あらゆる社会関係において、権利と権力は発生する。フーコーは、あらゆる社会関係において権力は発生するとしたが、発生するのは権力だけでなく、権利と権力である。権利と権力は相関関係にあり、人間の能力をそれぞれの概念でとらえたものである。
 能力という点から見ると、個人または集団の能力を、その発揮の正当性や承認に重点を置いてとらえたものが権利であり、その強制性に重点を置いてとらえたものが権力である。

A意思
 意思もまた権利と権力に共通する要素である。権力は、人の意思の働きによって他者に対して行使される能力である。能力を発揮するのは、意思の働きによる。
 個人であれ集団であれ、主体の意思は対象に作用することで実現される。その作用には、精神的・心理的な作用と身体的・物理的な作用がある。前者は影響・感化・権威であり、後者は腕力・武力・実力である。意思は権利の要素である。その意思の作用を力の観念でとらえたとき、権力と言う。
 権力は社会的な力の一種である。社会的な力は、人間の意思の働きによって発動する力である。人間の意思の働きなしに、社会的な力は発動しない。権力は意思の形成によって生まれる力であり、また意思を実現する力である。権力は、他者への意思の作用の強度を力の観念で表現するものである。意思が他者に働く時、それが自分の意思より優位であれば強い力または大きな力と感じられる。逆であれば、弱い力または小さな力と感じられる。
 権力が形成されたり、行使されたりする社会関係を、権力関係という。一般的に権力関係は、一方の意思が他者の意思に優越し、他者の意思に支配的な影響力を振るう関係とされる。すなわち、支配―服従の関係ととらえられてきた。だが、共同体においては、権力は、その集団の意思が合成された合成意思の働きである。合成意思の力である権力は、集団の秩序を維持し、集団の権利及び成員の権利を守る働きをする。このような権力関係は、保護―受援の関係である。受援とは、本稿では他者から保護・指導・支援・教育を受けることを意味する。支配―服従の権力関係は、保護―受援の関係が壊れたところに生まれる第2次的なものである。

E強制力
 もう一つ権利と権力に共通する要素に強制力がある。意思による能力の発揮は、しばしば対象に意思を強制するものとなる。意思を強制するため、身体的・物理的な力を行使し、相手の身体に直接、苦痛や拘束や傷害を与える場合がある。
 権力が力である理由の一つは、他者に自己の意思を身体的・物理的な力をもって強制する力である点にある。強制力は、強制する意思の働きである。とりわけ、権利の所有者が物理的な実力を行使する組織や装置を持ち、相手がその意思に従わなければ、組織的または機械的な力によって強制するところに、最も典型的な権力が認められる。優位者の権利が強大な力として感じられるのは、この物理的な実力を行使する強制力に裏付けられているからである。
 また権力の行使は、身体的・物理的な力の行使を裏付けとした心理的な圧力という仕方でも行われる。脅迫や威嚇がこれである。この点は、後に述べる権威に通じる作用である。

●権力によって実現する要素

 権力を構成する要素として、意思、能力、強制力を挙げた。これらの要素で構成される権力は、他者に能力を付与したり、正当性を保障したり、利益を分配したり、また法を実効あるものとしたりする。次に、権力によって実現する要素について述べたい。それらの要素は、B正当性、C利益、D法である。

B正当性
 権利関係とは、一方の意思が他者の意思に対して、事実上または法律上優越する正当性を持つ関係である。権利の正当性が及ぶ対象には、人・もの・カネ・情報がある。人が他者及び他者の所有物を支配・管理する正当性つまり権利を持っている場合、権力を持つということができる。 
 権力関係は、一方の意思が他者の意思に優越し、他者の意思に支配的な影響力を振るう関係であれば、支配―服従の関係となる。これを正当性という観点からとらえると、権力関係は権利の正当性に基づく関係であると言える。優位者は自らの権利の正当性を主張し、その正当性をもって劣位者に強制力を振るう。
 権力は、権利関係の存在しないところで、権利を主張する者が闘争または交渉によって権利を獲得し、これを正当化する力でもある。権力は、権利の正当性を実現し、保障する。権利は、その正当性を実現するもの、保障するものがなくては、権利たり得ない。ここで権利を権利たらしめるものが、権力である。

C利益
 権力は、権利を持つ者の利益を実現し、利益を保障する力でもある。利益の実現は、共同的な利益の場合、相互の合力が相互に利益をもたらす。対立的な利益の場合は、優位者に利益、劣位者に損害をもたらす。前者は権利及び権力の協同的側面であり、後者は闘争的側面である。権利の主体の社会的な関係が、協同性と闘争性となって表れる。

D法
 権力は、法を法として機能させる力でもある。法は利益を確定し、これを保護する。それを裏付けるものが、力である。
 正当性は、法の形態を取ることによって、一般化される。権利を定める法は正当性の根拠とされ、法に照らして権利の正当性が判断される。法は「権利=法」の客観的な側面であり、意思の客観的な表れである。法は集団の意思を表現する言葉の体系である。法に基づいて、命令や禁止、裁判が行われる。これは法に表現された集団の意思に、成員を従わせる行為である。この法を実際に裏付けるものは、社会的な力としての権力である。
 同時に、権力を制度的に支持するものが、法でもある。権力は、主に優位者の権利の作用を力の観念でとらえたものとされており、権力は法を正当性の根拠とする。物理的実力の行使は、法に定められ、法の規定に基づいて、合法的に権力は行使される。

 以上、権利の6つの要素と関係付けて、権力を構成する要素と権力によって実現する要素について述べた。
 権利と同様に、権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。その点で、権力は権利の相互作用を力の観念でとらえたものである。そして、権力は、その働きによって、他者に能力を付与したり、正当性を保障したり、利益を分配したり、また法を実効あるものとしたりする。すなわち、権利の他の要素を現実化する。言い換えれば、権利を権利たらしめる力が、権力なのでもある。
 ここで権利を人権という本稿の主題となる語に置き換えて表現しておくと、権力は人権を人権たらしめ、人権を生み出し、保護し保障する力である。人権は「発達する人間的な権利」であり、権力に対抗して発達するとともに、権力によって保障され、発達する権利でもある。それゆえ、権力論なき人権論は、大きな欠陥を持つ理論である。

 

●権力と権威

 ここで、権力には、権利の要素とは異なる要素があることを述べたい。それは、権威である。権威とは、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格をいう。権威は、権力の要素のうち、特に能力と強制力に通じる概念である。
 権威という言葉も、西欧言語の翻訳のために作られた。もとの西欧単語は、英語 authority、独語 Behorde、仏語 autorite等である。「権」の字義は既述の通りだが、「威」は「相手を屈服させる力や品格のあるさま」を意味する。
 英語の authority は「権威、権力、影響力」を意味する。権威とともに権力をも意味することに注意したい。ロングマンの英語辞典は、authority の語義の第一に power を挙げ、職業的地位による能力、人から知識や経験を尊敬されることによって持つ能力と説明している。そのような能力を持つ人も、authority という。統治や行政の権限を持つ機関も、authority という。機関の意味での authority の能力は権力に等しい。
 authority は「生み出す人」を意味する author から派生した名詞である。author は、「生み出す人」から「創始者、創造者(creator)」の意となり、大文字の Author は神を意味する。創造者は権威ある者であり、神の別称ともなっている。
 authority the authority to do の形で「〜する権限、職権、許可」の意でも使われる。権限とは、権能の範囲である。権能は権利を主張し行使できる能力、また何かをすることが許可される資格である。職権は、職務上の権限である。権威を意味する authority は、能力を意味することによって、同じく能力を意味する権力に通じている。権力と権威の概念は、一部重なり合う。
 権力の要素の一つに強制力がある。他者に意思を強制する権力は、支配―服従の関係を生み出す。意思の強制は、必ずしも実力の行使によらない。実力を行使せずとも、意思の強制が達成される場合がある。その強制を可能にするものが、権威である。政治学者ハーバート・サイモンは、権威とは「他人からのメッセージを、その内容を自身で検討せずに、しかし進んで受容する現象である」とする。だが、それだけでは権威とは言えない。権威は、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格である。意思の正しさ、正当性を相手に納得させる時に、権威が生じる。大きな権威を持つ者の意思は、相手に影響力が働く。意思の伝達を受ける側に、否応なく従うかまたは進んで従うかする意思が働くからである。それによって、権威ある者は、実力を行使せずとも意思を実現することができる。
 権威の作用は、親と子、年長者と年少者、指導者と大衆の関係のように、優位の者から劣位の者へと作用する。権威による意思の伝達は、優位者の権利が実力の行使を伴わずに、精神的な影響によって、または自発的な受容によって実現される。権力が多くの場合、物理的な強制力をもって相手を服従させるのに対し、権威は精神的な作用で相手を信服させる。まったく現実的強制力を持たない宗教的権威や精神的権威のような、純然たる権威も存在する。権威は権力の要素であるにとどまらず、独自の社会的機能を持っている。
 権利・権力・権威と関連する言葉に、権限がある。権限について補足すると、『広辞苑』は、これを「公法上、国家または公共団体が法令の規定に基づいてその職権を行いうる範囲。またその能力」「私法上、ある人が他人のために法令・契約に基づいてなしうる権能の範囲」と解している。最後に使われている権能については、同じく「ある事柄について権利を主張し行使できる能力」「ある事柄をする資格」と解している。
 権限という翻訳語のもとになる西欧単語は、英語では authority, power, commission である。これらの語は、それぞれ一部に権限の意味を持ち、一語一意の対応ではない。これらのうち、権力という訳語のもとである英語の power には、「法的権限」の意味もあることに注意したい。用例として the powers of the ministers(大臣の権限)、judicial powers(司法権限)等が挙げられる。日常的な言葉の意味は、互いに一部重なり合う。その重なり合う部分に共通する観念が潜在していることが、しばしばある。

●支配と権威の関係

 前項で権力の要素として権威を挙げたが、ここで支配と権威の関係について述べておきたい。支配は、権利・権力にも関わる行為である。
 マックス・ウェーバーは、社会における支配の重要性を明らかにした。ウェーバーによると、「支配とは、或る内容の命令を下した場合、特定の人々の服従が得られる可能性を指す」(『社会学の根本概念』)。ウェーバーは、支配の正当性の根拠は原則として三つある、と説いた。ここで正当性とは権利の概念であり、支配する権利の正当性である。
 ウェーバーが挙げる支配の正当性の三つの根拠のうち、第一は、伝統的支配である。これは、彼によると「『永遠の過去』が持っている権威で、ある習俗がはるか遠い昔から適用しており、しかもこれを守り続けようとする権威が習慣的にとられることによって、神聖化された場合」である。
 第二は、カリスマ的支配である。これは、「ある個人に備わった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基づく支配」である。
 第三は、合法性による支配である。これは「制定法規の妥当性に対する信念と、合理的に作られた規則に依拠した客観的な権限とに基づいた支配」である。
 これらの三つの根拠のうち、一つまたは複数によって、支配の正当性が、主張または承認される。ここでウェーバーは、支配−服従における権威の働きを明らかにもしていることを、私は指摘したい。支配の正当性は、権威によって裏付けられる。伝統的権威、カリスマ的権威、合法的権威である。それゆえ、彼の支配論は権威論ともなっている。
 支配は、支配する者と服従する者との間における行為である。支配―服従には、服従者が権威に対して進んで信服する場合がある。これは承認または許可の一種である。三つの根拠のうち、第一の伝統的支配は、伝統の侵しがたい権威が人々を無意識的に従わしめるものである。第二のカリスマ的支配は、カリスマを持つ個人の権威が人々を情念的に従わしめるものである。第三の合法性による支配は、法とそれ依拠する為政者や国家の権威が人々を理性的に従わしめるものである。こうした権威による支配―服従は、内面的な習慣・確信や帰依・信頼・信念・納得によって実現する。それが高度に現実化している場合は、支配−服従の関係より保護―受援の関係に近いものとなる。
 権力と権威は多くの場合、別々ではなく、しばしば権力を持つ者が権威をも持ち、権威ある者に権力が集まる。権威を感じさせる権力、権力に裏付けられた権威は、それだけ強固なものとなる。そこで私は、権利と権力と権威を合わせて考えるのである。
 ところで、ウェーバーは支配の正当性の根拠を原則として三つとするが、私はもう一つ明示的に挙げるべきものがあると思う。それは、力による支配である。物理的な実力による支配、むき出しの力による支配である。武力・実力による支配者は、支配していること自体が正当であると主張する。力は正義であるという自己正当化を行う。侵攻による支配や権力奪取による支配は、ウェーバーが挙げる伝統的支配でも、カリスマ的支配でも、合法的支配でもない。被支配者は、支配の正当性を認めない。無法非道として反発・抵抗する。しかし、支配者は力そのものによって自己を正当化する。そして、支配する権利・正当性を主張する。また支配を法制化することによって、合法的支配へと転じる。さらに力による支配者は、新たな権威をもって支配の権利・正当性を確固たるものとしようとする。ここで力と書いたものは、権力と書き換えることができる。権力による支配は、ウェーバーによる支配の正当性の三つの根拠のもとにあるものである。

 

●権力を強固にする権威を作り出すもの

 権力が多くの場合、物理的な強制力をもって相手を服従させるのに対し、権威は精神的な作用で相手を信服させる。権威は、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格である。意思の正しさ、正当性を相手に納得させる時に、権威が生じる。権力を持つ者が権威をも持ち、権威ある者に権力が集まる。権威を感じさせる権力、権力に裏付けられた権威は、それだけ強固なものとなる、と先に書いた。
 権力と権威の関係を検討する際、ウェーバーの支配の三類型の理論に加えて示唆深いものに、政治学者チャールズ・メリアムのミランダとクレデンダがある。
 メリアムは、『政治権力』において、「権力は、なによりもまず、集団の統合現象であり、集団形成の必要性や有用性から生まれるものである。つまり、権力は人間の社会的諸関係の一つの函数なのである」ととらえた。そして、権力を飾り立て、権力への讃嘆と忠誠を獲得・保持するために用いられる政治的手段を分析した。
 メリアムは、権力には二つの基盤があるとし、これをミランダとクレデンダに分類した。私の観点から言えば、これらは権力の基盤そのものではなく、権力を強固なものにする権威を、その受容者の心に作り出す手段を分類したものである。
 ミランダは、権力を神聖かつ壮大なものとして飾り、人々を情緒的・感情的な状態が優先する状況におき、権力に服従させるためのものである。象徴作用によって、非合理的な崇拝の感情を生み出す。事例としては、国家に係る記念日、記念碑、旗、物語と歴史、儀式、大衆的示威行為等が挙げられる。ミランダは、権威の重々しさを隠し、美しく装飾する。ミランダは、シェイクスピアの最後の戯曲「テンペスト」の主人公プロスペローの娘の名だろうか。
 クレデンダは、権力を正当化して、人々を権力に合理的に服従させるためのものを言う。知性に働きかけて、信条体系を作り出す。政治権力に係る信条体系の主な形態は、政治権力は唯一神または神々が定立したとするもの、卓越したリーダーシップの最高の表現とするもの、多数の人々の意思とするものである。これらの形態はそれぞれ権威を飾るミランダと関連する。クレデンダは、統治に対する尊敬、服従、自己犠牲、合法性の独占を基本原理とする。事例としては、法典、憲法、王権神授説、マルクス・レーニン主義等が挙げられる。
 非合理的な感情に働きかけるミランダと合理的な知性に働きかけるクレデンダは、別々のものではなく、互いに補い合う。相互作用を通じて、権威を人々の心に作り出し、権力への讃嘆と忠誠を引き出し、権力に信服させる。共産主義国家が極度の合理主義を示す弁証法的唯物論の教義体系を国民に教育しながら、革命の物語を創作し、指導者を神格化していたことが思い起こされよう。
 ウェーバーの支配論は権威論ともなっていると先に書いた。支配の三類型とミランダ、クレデンダの関係について私見を述べると、伝統的権威、カリスマ的権威は主としてミランダが装飾・強化するものであり、合法的権威は主としてクレデンダが装飾・強化するものである。ただし、権威を受容する側においては、非合理的な感情と合理的な信念は一つの心理作用の両面である。理性と感情、意識と無意識を明確に分けることはできない。権力を持つ者が権威をも持ち、権威ある者に権力が集まる。権威を感じさせる権力、権力に裏付けられた権威がそれだけ強固なものとなる。こうした現象は、人間の心の本性に根差す現象である。

 

●権力による支配と保護

 権力の要素として権威を挙げ、支配と権威、及び権威を生み出し権力に基盤を与えるものについて書いた。権力論では、実力及び権威による支配を述べる議論が多い。だが、権力は支配する力というだけでなく、保護する力でもあることを見落としてはならない。
 人間は、集団で生活を営む社会的動物である。集団生活を行わなければ、生存・繁栄できない。集団生活には秩序が必要である。秩序を形成し維持するためには、集団の成員の意思を合成しなければならない。意思の合成を通じて、成員は互いの力を合わせて生活することができる。集団の力は、社会的な力である。社会的な力は、集団内で、成員を支配する力として働くことも、保護する力として働くこともある。他の集団に対しても、同様である。社会的な力を表す言葉が権力であり、権力の働きもまた支配的にも保護的にもなり得る。
 家族において、親が子に、夫が妻に、兄姉が弟妹に、祖父母が孫に対して、また社会において、年長者が年少者に、知識・経験の豊かな者が知識・経験の乏しい者に、能力の優れた者が能力の劣った者に対して、保護や支援、指導や教育をする。集団の成員には年齢の違いがあり、人間は世代交代をしながら生命を維持・継承していく。それゆえ、優位者が劣位者を保護・支援・指導・教育するのは、集団生活に不可欠な行為である。保護・支援・指導・教育される者は、自らの成長と集団の世代交代の進行の中で、やがて保護・支援・指導・教育する者となる。生命と知識と経験は、世代から世代へと継承されていく。

 生命は身体を以て生きる能力であり、知識・経験はよりよく生きるための能力である。そうした能力を社会的に結集すれば、それだけ大きな力となる。その社会的な力が、権力である。それゆえ、権力は本来、協同的なものであり、保護・支援・指導・教育する力であり、権力関係は保護―受援の関係である。その関係が対立的・闘争的へと変化したところに、支配―服従の関係が生じ、権力の闘争的な側面が発達する。
 人権について、多くの論者は、権力は人権を抑圧したり規制したりするということを強調し、人権は権力との戦いによって得られたものであり、権力と戦うことによって人権は実現される、と説く。これは、人権の発達において重要な側面だが、それだけでは一面的である。権利の相互作用を力の観念でとらえたものが権力であり、権利に協同性と闘争性があるように、権力にも協同性と闘争性がある。行為の主体には、個人だけでなく集団もある。行為は意思の遂行である。集団は諸個人の意思を合成し、合成意思の遂行によって行為をする。その際に発揮される組織の能力が、権力である。こうした権力は、集団の成員に権利を付与したり、その権利を保護したり、拡大したりする。人権の考察は、こうした権力の両面性を踏まえたものでなければならない。
 一面において、人権は人民が権力に抵抗し、権利を獲得し、また権利を拡大してきたものである。その際の権力は、自由と権利を抑圧・規制する力である。だが、他面において、人権は権力によって実現され、保障されてきたものでもある。その際の権力は、自由と権利を保護・拡大する力である。こうした権力の機能の違いは、社会関係のあり方による。社会関係が対立的・抗争的であるか協調的・協力的であるかによって、その社会の生み出す権力の機能が、支配的となるか保護的となるかが決まる。独裁者や特権集団が集団を支配していたり、集団が敵対的な階級に分裂していたりする場合、権力は、ある対象には支配的だが、別の対象には保護的というように作用する。特に権力を行使する指導者が何を意思するかが重要である。

●指導者の権力と権威

 集団の成員の力を結集するには、集団を統率し、指導する人間が必要である。その人間は集団の意思を代表し、その力を行使する。この集団における中心的な人間が、指導者である。
 家族における指導者は、家長である。氏族・部族では族長、組合・団体・社団では代表である。これらの首長は集団の成員を統率・指導し、共同生活の目的を実現する権利を持つ。この権利を首長権と呼ぶ。首長は、首長権を用い、その集団における決まりごとに基づいて、判断し指示を行う。成員にはそれに従う義務が課せられる。首長は、決まりごとに従わない成員に対して、これを順守するよう指導する。その意思に従わぬ者に対しては、強制を行う。強制は、命令として発せられる。怒りを伴ったり、脅しが用いられたりする場合がある。強制力の発揮は、物理的な実力の行使を最終手段とする。こうした集団の首長が発動する強制力が、権力として表象されることが多い。
 だが、強制力は権力の機能の一部であって、権力は集団の意思の合成によって結集された力の総体である。首長は集団を代表して、その力を用いることによって、成員の保護・支援・指導・教育を行う。権力は、主にこうした指導者の権利の作用を、力の観念でとらえたものでもある。権力を行使する指導者は、権力者ともいわれる。
 先に権力の要素として権威を挙げたが、首長は通常、その立場に伴う伝統的権威、個人的なカリスマ的権威、制度的な合法的権威のいずれか、またはその複数を持つ。首長の持つ権威は、成員を信服させるものであり、首長の判断や指示は、成員に権威とともに受容される。首長及びその支持者は、非合理的な感情に働きかける手段と合理的な知性に働きかける手段を用いて、権威を人々の心に作り出し、権力への讃嘆と忠誠を引き出し、権力に信服させようとする。権威を持たない、または権威を失った指導者が権力を行使する場合、成員の中にその意思に反発したり、対抗したりする者が現れる。
 権力の働きは、指導者が権力を公的な利益のために使用するか、私的な利益のために使用するかによっても違うものになる。集団の合力としての権力は、指導者がどのように使うかによって、支配的とも保護的ともなる。そして、権威を持たないか権威を失った指導者が、権力を私的に行使する場合、反発や対抗はより大きなものとなる。人権と呼ばれる権利は、しばしばそうした局面で闘争によって獲得・拡大されてきた。だが、その点ばかりを強調すると、狭隘な見方になる。
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(2)権力の重層構造

 

●権力の重層構造〜家族的権力・社会的権力・国家的権力

 権力は、様々な集団で発生し、機能する。家族をはじめ氏族・部族・組合・団体・社団・国家等の集団で、それぞれの権力が発生し、機能する。
 権力の最小規模は、集団の最小規模である家族における権力、すなわち家族的な権力である。一方、最大規模は、集団の最大規模である国家における権力、すなわち国家的な権力である。この中間に、さまざまな集団における社会的な権力が存在する。
 家族的権力は、家族の内部または他の家族との関係において、家族の維持・繁栄を実現するために、家族員を保護・指導し、財産を管理・運用する権力である。社会的権力は、ある社会的な集団の内部または他の社会的な集団との関係において、その集団の維持・繁栄を実現するために、集団の成員を統括し、また財産を運営する権力である。国家的権力は、その国家の内部または他の国家との関係において、国家の維持・繁栄を実現するために、領域と人民を統治する権力である。国家権力は、その中に社会的権力を含み、社会的権力は、その中に家族的権力を含む。権力体系の構造は重層的であり、かつ各層間で相互作用的である。下層の権力関係が中層・上層の権力関係を生み出しり、支えたり、上層の権力関係が中層・下層の権力関係を守ったり、抑えたりする。
 いわゆる人権は、これらの権力との関係において、歴史的・社会的・文化的な条件のもとに発達してきた権利である。人権の考察のため、次に権力の重層構造を具体的に見ていきたい。

●家族的な権力

 家族的権力は、家族の内部または他の家族との関係において、家族の維持・繁栄を実現するために、家族員を保護・指導し、財産を管理・運用する権力である。
 家族は、親子・夫婦を中心とした最小単位の社会である。血縁と婚姻の関係を主とした自然的・生命的な集団であり、生命を共有する集団である。共有生命集団の目的は、生命の協同的な維持・存続・繁栄である。この目的の達成のために、部分よりも全体の利益が追求される。家族の成員は、生命の維持・発展のために互いの能力を合成する。この成員の能力の行使に関し、家族で承認され、正当性を得て、強制力を持ったものが、権利となる。その権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、家族的な権力である。
 家族では、加齢による世代交代という自然的・生命的な変動が起こる。親は年老い、子は成長する。この過程で、財産の相続や権利の譲渡が行われる。家族の類型は、親子・兄弟の間の財産の相続の仕方の違いによる。相続の仕方は、共有生命集団が集団の維持・存続・繁栄をしていくための決まりごとであり、相続の対象を家長が自由意思で決める場合と制度に従って決める場合、兄弟が平等に相続する場合と兄弟間で異なる場合がある。相続の仕方の違いは、価値の違いを生む。親子の間の自由・権威と兄弟の間の平等・不平等という二対の価値の間の組み合わせがあり得る。平等主義核家族では自由・平等、絶対核家族では自由・不平等、直系家族では権威・不平等、共同体家族では権威・平等である。財産の相続を中心とした親子・兄弟の権利関係の違いが、家族的権利の類型を生んでいる。家族において、集団及び個人が保有する権利には、所有・相続のほか、祭祀・婚姻等に係る権利がある。家族的な権利は、主に家長に集中する。特に財産の相続に関する権利は、家長の権利を強大なものとする。家長は家族の長としての権利を実現するために、家族員を信従させる権威を伴う強制力を持つ。それが家族的な権力の中心をなすものである。
 家長には、身分的な権威だけでなく、統率力・指導力が求められる。前者は制度的な能力だが、後者は個人的な能力である。家長は制度的な能力とともに個人的な能力を発揮して、家族の保護・指導を行わねばならない。

家長による家族員への強制は、命令として発せられる。命令には怒りを伴う場合や脅しが用いられる場合もある。意思の強制としての命令に服従しない者、決まりに反した者には、意思に従わせるために身体的・物理的な力が用いられる。身体的苦痛、行動や資格の制限等の制裁は、本人及び他の成員への教育的効果の実現を図るものである。こうした強制力の行使は、家長が家族員に対して行うだけでなく、親が子に、夫が妻に、兄が弟に等、優位者が劣位者に対して行う。こうした強制を伴う関係は、権利の関係であると同時に、権力の関係でもある。
 家族関係のなかで親と子の関係は特別である。親は子を産み育てる者である。親は子を作る能力を持つ。男女が協力することにより、その能力が実現する。子の生命は親から分与されたものである。親と子の関係は、また大人と乳幼児・子供の関係である。そこには体力・知恵・経験等において、圧倒的な差がある。親は親の責任と役割を担い、愛情を以て、この能力を子供のために用いなければならない。親の子に係る権利の作用を、力の観念でとらえれば、親の権力である。親が子に対して発揮する権力は、保護的とも支配的ともなり得る。この親の子に対する権力が、家長の家族員に対する権力のもとになっている。これはまた社会的権力、国家的権力の原型ともなっている。集団の諸階層・諸様相において、指導者に親のような知恵や愛情、権限や権威が求められる傾向があるのは、権力の基盤が家族にあり、親の子に対する権力が最も基礎的なものであることによっている。しばしば家族的権力を家父長的権力として支配―服従的なものととらえ、これに反発する意見があるが、それは一面的な見方であり、家父長的な権力の持つ保護―受援的側面を見落としている。
 ここで本稿の主題である人権について述べると、人権の思想が世界に広がったことにより、近代西欧思想の影響下にある諸社会では、家族においても、普遍的・生得的な人権が追求されるようになっている。人権の意識は本来、政治的なものであり、政府と人民の権利関係及び権力関係に係るものだった。だが、家族という自然的・生命的な集団に、抽象的・一般的な権利の観念が持ち込まれることになった。この観念は、劣位者の優位者への反抗を助長する。すなわち、子が親に、妻が夫に、弟が兄に等の反抗が、人権の意識によって増大される。
 家族における人権の意識は、トッドが近代化の指標とする識字率の向上と出生率の低下とともに強まる傾向がある。識字率の向上は子の親への、出生率の低下は女性の男性への関係に変化をもたらし、親子や男女の権力関係に変動を生む。家族の維持・繁栄という目的のもとに権力の協同的行使がされる限りでは、変動は協同性のあり方の変化に留まる。だが、変動が一定の限度を超えると、家族間の権力関係は闘争的なものに転じ、家族が分裂したり、崩壊したりさえする。家族の目的である生命の維持・繁栄には、親子・夫婦・祖孫の一体性の意識が必要である。だが、近代西欧的な個人を単位とする人権の観念は、自然的・生命的な共同性を損なう可能性を持つことを認識する必要がある。

 

●社会的権力〜氏族的・部族的な権力

 社会的権力は、ある社会的な集団の内部または他の社会的な集団との関係において、その集団の維持・繁栄を実現するために、集団の成員を統率・指導し、また財産を運営する権力である。社会的な権力は、その中に家族的な権力を含み、国家的な権力の中に含まれる。社会的な権力のうちには、氏族的・部族的な権力と組合的・団体的・社団的な権力がある。またこれらの諸権力は、政治的な権力に発展する場合がある。政治的な権力が国家に係るものとなったものを、国家的な権力という。ここではまず氏族的・部族的な権力について述べる。
 家族を最小単位として、氏族や部族が形成される。氏族は、共通の祖先を持つという意識で結ばれた出自集団であり、複数の家族が共通の先祖のもとに集合した共同体である。氏族は家族が拡大したものであり、家族と同様、血縁と婚姻の関係を主とした自然的・生命的な集団である。氏族もまた生命の維持・継承を根本的な目的とする。部族は、一定の領域に居住し、共通の文化を持つ人々の集団であり、複数の氏族が血縁と婚姻の関係または誓約による同盟によって集合した共同体である。部族は必ずしも共通の祖先を持たない。部族は共同体の維持・発展を根本的な目的とする。
 家族・氏族・部族は、生命を共有する集団である。集団の維持・存続・繁栄のために、決まりごとがあり、成員はそれに従って生活する。氏族や部族では族長を中心に有力者の間で合意がされ、掟や法が定められる。そこに社会的な権利が発生する。氏族・部族における権利は、家族における権利に関する考え方が基盤となっている。氏族や部族の成員は、集団の目的のために行動するから、通常、その権利は協同的に行使される。社会的な権利の相互作用を、力の観念でとらえたものが、社会的な権力である。社会的な権力は、成員の意思の合成によって生み出される力であり、集団の合力である。
 氏族・部族においては、主な権利が族長に集中し、族長はその地位に基づく権利を実現する強制力を持つ。この強制力は、身分的な権威を伴う。それが氏族的・部族的な権力の中心的なものとなる。
 氏族・部族の長に求められるものは、基本的には家長の場合と同様に統率力や指導力であるが、それに加えて必要な能力がある。
 第一に必要なものは、軍事指揮の能力である。族長は軍事指導者であり、軍事的指導力は、他の集団の侵攻から共同体を防衛し、また生存・繁栄のために他の集団を攻撃し支配する能力である。族長は集団の意思を統合し、実力を組織し、これを指揮することができねばならない。
 第二に必要なものは、祭儀執行の能力である。共同体の祭儀を主宰し、神または祖霊と意思交通ができ、神威や霊威を受けて集団の生存・安全・平和・繁栄等を実現する能力である。共同体においては、祭儀と政治は一体のものとして行われてきた。族長は伝統や慣習に基づいて、祭儀を執り行うことができなければならない。
 第三に必要なものは、公益実現の能力である。家族的な権力が私的な権力であるのに対し、氏族的・部族的権力は公共的な性格を持つ。しかし、氏族・部族における公共性は私独性に侵され、公私の混同が行われがちである。族長は氏族内・部族内の諸集団に共通する利益を実現するために、私独性を超えた統率・指導を求められる。
 族長は、統率力・指導力に加えて、こうした軍事指揮・祭儀執行・公益実現の能力を示すことによって、権威を高め、その地位に基づく権利を維持し、行使することができる。その権威を伴う強制力が、族長の権力として支持される。

 

●社会的権力〜組合的・団体的・社団的な権力

 

 社会的な権力には、氏族・部族における権力以外に、組合・団体・社団等の集団における権力がある。家族・氏族・部族は、生命を共有する集団である。集団の維持・存続・繁栄のために、ならわしや掟、法があり、成員はそれに従って生活する。そこでは通常、権利は協同的に行使される。これに比し、組合・団体・社団は、一定の目的のもとに人々が結成した契約集団である。

 組合は、主に商工業者の相互扶助の職業的な結合による集団である。団体は、共同の目的を達成するために結合した集団である。社団は団体のうち構成員を超越した独立の存在を有するものである。組合では構成員個人の色彩が強く現れるのに対し、社団では団体が単一体として現れ、構成員個人は重要性を持たない。組合・団体・社団は法人格を得て、集団としての法的な権利を所有・行使することができる。

 これらの集団では、結成の目的のもとに、規約・規則が作られ、成員にはこれを順守する義務がある。その義務を果たす限りで、成員には成員として有する権利が与えられる。成員は、集団の目的のために行動するから、通常、その権利は協同的に行使される。成員の意思の合成によって生み出される権力もまた基本的に協同性を持つ。集団の合力だからである。

 組合・団体・社団における代表を首長と呼ぶが、集団の権利は主に首長に集中し、首長はその権利を実現するための権威を伴う強制力を持つ。それが、首長の権力として表象される。その権力の実態は、集団の合力であり、首長はこれを象徴的に体現し、代表的に行使する。

 社会的権力は家族的権力を基盤とする。家族的権力は主に家長に集中する。氏族的・部族的権力は主に族長に集中する。族長は氏族・部族において、家族における家長に比すべき存在である。組合・団体・社団においても、首長は家族における家長に比すべきものとして、「親方」と呼ばれることがある。親方的な指導者は、集団において、親の保護・支援・指導・教育に似た能力を期待される。

 組合・団体・社団の首長は、組織の秩序を守り、組織を維持・発展させるために、権力を行使しなければならない。首長が権力を公的目的のために使用するか、私的目的のために使用するか。公的利益のために使用するか、私的利益のために使用するか。その行使の仕方が重要である。私的に偏した場合、成員の反発を生み、権力をめぐる闘争が起こる。それによって首長の交代や有力な家族集団の交代に至ることがある。

 首長が成員の信頼と支持を保てなくなった場合の他、首長が年を取り能力が衰えた場合、死亡した場合、集団で決めた交代の時期が来た場合等において、首長は交代する。これは権力の移動と継承である。交代は、首長が後任者を指名する場合、集団の規約・規則に基づいて選挙が行われる場合、首長の座をめぐる争いが起こり勝者がその座に就く場合等がある。首長の座をめぐる意思のぶつかり合いが、実力行使の闘争に発展し、首長の交代という事態を超えて、集団の分裂や再編成に至ることがある。

 組合・団体・社団は、対外的に集団として持つ権利を確保・獲得・行使するために、実力を組織し、一定の領域を統治するようになることがある。この時、組合・団体・社団は、一個の政治団体と化し、政治的権力を持つようになる。社会的権力が同時に政治的権力となる。政治的権力については、次の項目に書く。

 さて、組合・団体・社団との関係で触れなければならないものに、資本がある。近代西欧では資本主義が発達した。それによって、社会関係が血縁的・生命的な共同性を失い、経済的利益の追求を主とする社会関係に変わった。経済的な権利を拡大する活動が、社会生活の日常となった。生産力が発達し、生活が豊かになるにつれて、人々の権利意識が発達し、個人及び集団の権利の拡大が追求されてきた。

 ここに新たな社会的権力として、資本capitalが登場した。資本とは、一般に富を増やしたり、事業を始めたりする時の元手と考えられている。資金や生産設備等である。だが、マルクスは資本を「物象を介した人と人との間の社会的関係」である」(『資本論』)と定義した。社会的な生産関係が、貨幣や生産手段等を資本たらしめるというのである。私の観点からいえば、資本は、家族と国家の間に形成された社会経済的な組織である。そして、一個の集団としての権力を持つ。資本は近代社会における特殊な社会的権力である。資本は、資本家と労働者の契約によって形成された組織であり、商品を生産・交換して利潤を生むことを目的とする。「資本の論理」は利潤追求の論理であり、経済的合理主義に貫かれている。これに対し、国家は歴史的・文化的な共同体をもとに形成された組織であり、領域と人民を統治し、国民共同体を維持・発展させることを目的とする。「資本の論理」と「国家の論理」は異なっており、それぞれの目的に向かって活動する。資本の社会的権力と政府の国家的権力は、共通の利益を追求する協同的な関係になることも、利害の対立する闘争的な関係になることもあり得る。

 富を集めるため、政府は実力の裏付けのもとに国民に対して徴税と使役を行い、資本は資本家と労働者の権力関係を基盤として合理的に利潤を追求する。資本の社会的権力を最終的に保障するものは政府だが、政府の国家的権力を経済的に支えるものが資本であるという関係にある。資本と権利・権力の関係については、第2部で改めて書く。

 

●政治的な権力

 権力は、家族的な権力を基礎として、氏族・部族・組合・団体・社団等の様々な集団で発生し、発達する。社会的な権力の一部は、政治的な権力となる。政治的権力とは、政治的な集団が持つ権力である。政治は集団における秩序の形成と解体をめぐる相互的・協同的な行為であるが、とりわけ権力の獲得と行使に係る現象をいう。その根底にあるのは、集団における意思の決定と発動である。こうした意味での政治は本来、闘争的ではなく、協同的なものである。政治的権力は、政治的な行為によって形成される社会的な権力である。政治的権力は、もともと協同的に行使されるものであるが、社会的な権力が闘争的に行使される集団においては、政治的権力は闘争的に行使されるものとなる。
 近代西欧以前及び以外の社会では、政治は共同体の宗教と不可分のものだった。氏族・部族や部族連合の国家では、祭儀と政治は一体のものとして行われた。意思決定のための評議は、神や祖霊の前で行われ、神聖な儀式を伴っていた。世界各地において、古代の国家では国王は祭祀王つまり政治のために祭儀を司る王だった。しかし、近代西欧では社会の世俗化が進み、宗教的な基盤を持たない政治的な集団が多く出現した。国家においても、政治と宗教の分離、特に政府と特定の宗派の教会の分離が傾向として見られる。そこで、政治が他の社会現象に対し、相対的な自律性を持つようになった。これに伴い、政治を独自の社会現象と見る学問も発達した。
 だが、現在も英国では女王は英国国教会の首長であり、米国では大統領に就任する者は聖書に右手を置いて宣誓をするなど、政治と宗教が一定の関係を持つ国がある。ドイツ、イタリア等ではキリスト教政党が政権を担っている。非西洋においては、中東・北アフリカ・東南アジア等のイスラーム教国で、聖典『クルアーン(コーラン)』に基づく宗教政治が行われている。わが国は古来、祭政一致の国柄であり、天皇は祭儀を行い、神意に沿った政治を心がけてきた。戦後は憲法で緩やかな政教分離が取られているが、天皇が国家と国民統合の象徴とされ、国会開会式に天皇が臨席し、三権の長は天皇が親任するなど、独自の伝統が息づいている。これらの多くの事例が示しているのは、政治的権力は、集団の共同性に基づき、またその宗教的伝統を保ちつつ行使されてきたことである。
 伝統的な共同体においては、集団的に合成された意思は、政治的な権力によって、成員に共有され、成員の協力によって実現される。しかし、権利関係の変化や征服・支配等によって、政治的な権力は共同性を失い、闘争的に行使されるものになる。そうなった集団では、決定した意思に反対・反抗する者に意思を強制するために、物理的実力が組織され、強制の手段として用いられるようになる。

●ウェーバーによる政治団体の特徴

 マックス・ウェーバーは、私の言う政治的な集団を「政治団体」と呼ぶ。ウェーバーは「国家を含めたすべての政治団体に固有な特殊の手段」は「物理的暴力の行使」であるとする。ウェーバーの論を受けた萱野稔人は、著書『国家とはなにか』で、「暴力が手段として組織的に用いられるとき、政治団体が生まれる」と述べている。また、政治団体が「暴力」を手段として用いる目的は、「秩序と支配を保証するため」であるとする。
 ウェーバーは政治団体の特徴を二つ挙げる。まず上記のような「秩序の保証のために暴力行為を使用する(少なくとも併用する)という事実」。それとともにもう一つ、「或る地域に対する行政スタッフ及び秩序の支配を要求し、これを暴力行為によって保証すること」である。そして、「暴力行為を使用する団体に右の特徴が見出されれば、村落共同体であろうと、個々の家共同体であろうと、ギルドや労働者団体(ソヴィエト)であろうと、すべて政治団体と呼ぶべきである」と主張する。
 私は「暴力」という用語を、実力に置き換える。ここでウェーバーが「或る地域」というのは、領土や占有地を意味する。ウェーバーは、物理的実力が一定の領域において行使されるような集団を、政治団体と考えているわけである。ウェーバーによる政治団体の特徴は、実力行使と領域支配の2点とまとめられよう。
 私は、ウェーバーによる政治団体の定義は不十分であり、一部誤りであると考える。家族は、秩序と支配を守るために、親が子、夫が妻、兄が弟等に暴力を振るったり、家族員が一定の領域を他の家族員に対して排他的に占有したりしても、政治団体とはいえない。家族の関係は親子・夫婦・祖孫等の私的な関係であって、それを超えた公的な関係ではないからである。政治は、集団において公共性のある事柄について意思を決定し、その実現を図る行為である。それゆえ、政治団体と言い得るのは、複数の家族の集団である氏族からである。家族は政治団体から除くべきである。また、政党は、政治的な目的で設立された団体だが、議会制度のもとでは通常、物理的実力を使用しない。物理的実力を組織し、これを行使する政党は、武力闘争を行う革命組織や独立運動組織に限られる。ウェーバーの定義によると、政治団体である政党と、そうではない政党があることになってしまう。そのうえ、領域支配についても、自主管理の労働組合や独立運動組織等、政治的な主張と運動をする集団が、必ずしも一定の領域を支配しているとは限らない。それゆえ、ウェーバーの政治団体の定義は不十分であり、一部誤りを含む、と私は考えるのである。

 

●シュミットにおける「敵と友の区別」

 ウェーバーは政治団体に固有な特殊の手段として「物理的暴力の行使」を挙げ、実力行使の目的を一定の領域における秩序の保証とした。このことは、権力が闘争的に行使されている集団の多くには妥当である。だが、それがどうしてウェーバーのいう政治団体の特徴となるのか。ウェーバーの見解を理解するには、権力が闘争的に行使されている集団における政治とは、どういうものであるかの考察が必要である。
 本章の暴力に関する項目に書いたが、カール・シュミットは、『政治的なものの概念』で、政治的なものを固有に規定するのは、「敵と友の区別」であるとした。また萱野は『国家とはなにか』で、「敵とは、外部のものであれ内部のものであれ、こちら側の秩序と支配を受け入れない個人や集団のことである。そうした敵に対して闘うために暴力を組織化すること、これによって国家をはじめとする政治団体は実在性を得るのだ」と説いている。
 シュミットと萱野の論を受ければ、敵に対する友とは、こちら側の秩序と支配を受け入れている個人や集団となる。また敵とは、こちら側の意思に従わず、秩序と支配に反対・対抗する者であり、友とは、意思を受け入れて秩序と支配に賛成・協力する者となる。そして、敵に対して共に戦う者が、政治的な意味での友となるだろう。私は、シュミットの「敵と友の区別」こそ政治的なものを固有に規定するという所論を適用することで、ウェーバーによる政治団体の特徴は明瞭になると思う。
 シュミットの「敵と友の区別」もまた近代西欧に典型的な政治的な集団に関する事柄である。集団の共同性が崩れ、または共同体が解体したところに、権力の闘争性が顕現する。それとともに、敵と友に分かれて争う政治が展開する。ウェーバーやシュミットは、近代西欧社会の歴史的現実を見て、片や実力行使と領域支配を行う政治団体を論じ、片や政治における敵と友の区別の固有性を説いたのである。

●統治権は政治的権力を強固にする

 社会的な権力が、集団の内部であれ外部であれ、敵対する相手に対して実力を組織し、これを行使するとき、政治的な権力となる。政治的な権力は、物理的な実力を組織し、力の強大さにおいて他への優位を得ようとする傾向がある。実力行使によって優位に立った集団は、他の集団に意思を強制し、自らの意思の実現を図る。
 集団内の変動であれ、外部からの侵攻であれ、新たな支配者は集団を支配し、土地を領有し、服従者に税を納入させたり、労役を提供させたりする。これを権利としてとらえれば、支配権・領有権・徴税権・使役権等の権利となる。
 集団の権利のうち、最大のものは統治権である。統治権は、土地を領有するとともに集団を支配する能力が、権利として承認されたものである。政治的な権力は、一定の領域の統治を行う権利を伴うことによって、強固な政治的権力となる。ウェーバーは物理的実力が集団を対象として行使されるだけでなく、同時に一定の領域において行使されるような集団を政治団体と考えた。言い換えると、統治権を伴う政治的権力を持つ集団が、ウェーバーの政治団体である。これに対し、私は、家族を除く氏族・部族・組合・団体・社団等の集団のうち、その集団の行為が主に政治的な性格を持つ集団を、政治的な集団という。ウェーバーの政治団体の定義と異なり、必ずしも物理的実力を組織し、一定の領域を統治していないものを含む。政治的な集団は、政治的な権力を得ようとする集団または政治的権力を持つ集団である。そのうちの一部がウェーバーの政治団体から家族を除いた集合となる。
 政治的な集団の持つ権利のうち、最大のものが統治権である。ある集団が、より大きな集団または上位の集団に対して、統治権を主張するとき、これを認められる場合と、認められない場合がある。統治権が認められ、集団が相対的な独立性を持つ場合、その権利を自治権という。自治とは、集団が自己の意思で物事を決定することだが、ここで重要なのは、その決定された意思を実現するために、他の集団の攻撃から自己防衛を行うことである。自治権とは、統治に関して自己決定のできる権利である。自治団体は、自ら集団内の秩序を守り、他の侵犯から自らの統治権を守ることのできる、またはその意思を持つ団体である。政治的な集団は、一定の領域における自治権を獲得し、これを行使するようになった時、最も強固な政治的権力を持つ集団となる。

 

●国家的な権力

 国家的な権力は、その国家の内部または他の国家との関係において、国家の維持・繁栄を実現するために、領域と人民を統治する権力である。国家権力は家族的権力、社会的権力をそのうちに含む。国家権力は政治的権力が最も発達したものである。そして、他の国家権力と相互関係にあり、相互作用を行う。
 国家は、政治的な集団である。ウェーバーのいう政治団体の一つであり、政治団体の下位概念である。ウェーバーは、国家は政治団体として、「秩序の保証のために暴力行為を使用する(少なくとも併用する)」という事実のほかに、「或る地域に対する行政スタッフ及び秩序の支配を要求し、これを暴力行為によって保証する」という特徴を持つとする。この「或る地域」とは、国家の領土であり、領海・領空を含めた広い概念で言えば、領域である。
 萱野によれば、政治団体は「秩序と支配を保証するために」「暴力」を手段として用いる。その政治団体のあるものが、「合法的な暴力行使の独占を実効的に要求する」ようになるとき、「国家が成立」する。言い換えれば、政治的権力を持つ集団が、合法的な実力行使の独占を実効的に要求するようになるとき、国家が成立するというわけである。
 近代西欧の国家では、国王またはその政府が一定の領域内で実力を独占し、実力の行使を合法化し、他の政治団体の実力行使を非合法化した。近代国家が形成される過程で、初期には国王が個人として王権を主張した。統治権者は国王である。国王個人の権利が国家の権利と一致していた。その権利は、国王が神から授かったものと主張され、絶対的・専制的な性格を持っていた。国王は、領域における主権すなわち最高統治権を持つに至った。ここで国家権力から権利を守るため権力の介入を規制する思想・運動が現れた。それが、リベラリズム(自由主義)である。貴族や新興階級は国王から権利を守るために抵抗し、王権を制限するとともに、自分たちの権利を確保し拡大してきた。領域に住む人民を国民とした国民国家においては、国家の統治機関である政府が、集団としての国家の権利を行使する。その政府の統治権に参与する者が拡大された。

一方、民衆の権利を獲得・拡大するため、民衆の政治参加を求める思想・運動が現れた。それが、デモクラシーである。デモクラシー(民衆参政主義)が発達した君主制または共和制の国家では、統治権者は国民・人民・議会等に存するとされる。その場合も実際に統治権を行使するのは、政府である。国家の統治機関である政府は、自ら権利を行使する主体であると同時に、国民に権利を保障する主体でもある。政府は国内の諸集団や諸個人との間で、互いに権利の主体―対象として関わり合う。また、他国の政府との間でも、互いに権利の主体―対象として関わり合う。こうした国家における統治権を力の観念でとらえたものが、国家的な権力である。
 人権の思想は、国家権力からの自由を確保し、伝統的な権利を維持しようとする運動の中で発生した。最初は先祖伝来の古くからの権利という観念から、普遍的・生得的な権利という観念が発生した。国王が王権を神に授けられたものとする王権神授説を説くのに対し、人民の自由と権利は神から与えられたものとする天賦人権論で対抗した。政府に対して人民の権利を守り、獲得し、拡大する動きは、国家権力に対して人民の権力を獲得しようとするものとなった。
 リベラリズムとデモクラシーは別々の由来を持つものだが、これらが結合したところにリベラル・デモクラシーが成立した。リベラル・デモクラシーは、自由権の確保と参政権の拡大が結合したものである。そして国家権力に対抗しつつ、集団及び個人の権利を確保・拡大してきた思想・運動である。
 リベラリズム、デモクラシーとしばしば結びつきながら、近代西欧社会に登場したものが、ナショナリズムである。ナショナリズムは、他民族の支配を受けている場合は、これに抵抗し、独立や解放を目指す集団の動きともなる。そこにおいて形成される権力は、人民の力の合成であり、新たな共同体の力である。独立や解放は統治権の奪取であり、自己決定権の獲得である。人民の力の結集で政治的または国家的な権力を獲得する。その獲得された権力のもとに、集団の権利が拡大され、成員個人にも権利が付与され、また拡大される。ナショナリズムもまた権力との関係で人権の意識を発達させてきた。
 国家については次章で改めて論じる。ここでは、近代西欧国家における人権と権力の関係に触れるにとどめたい。

●権力の諸形態と政治の関係

 ここで権力の諸形態と政治の関係について、まとめておきたい。権力は主体―対象間の権利の相互作用を力の観念でとらえたものである。権力は、社会の様々な集団で発生し、機能する。家族をはじめ氏族・部族・組合・団体・社団等の集団で、それぞれの権力が発生し、機能する。
 権力の最小規模は、集団の最小規模である家族における権力、すなわち家族的な権力である。権力は、家族的な権力を基礎とする。家族的権力が発達して社会的権力となる。社会的権力の一部は政治的権力となる。権力の最大規模は、集団の最大規模である国家における権力、すなわち国家的な権力である。政治的な権力が発達したものが国家的な権力となる。
 家族的権力は、家族の内部または他の家族との関係において、家族の維持・繁栄を実現するために、家族員を保護・指導し、財産を管理・運用する権力である。
 社会的権力は、ある社会的な集団の内部または他の社会的な集団との関係において、その集団の維持・繁栄を実現するために、集団の成員を統括し、また財産を運営する権力である。
 社会的な権力のうちには、氏族的・部族的な権力と組合的・団体的・社団的な権力がある。またこれらの諸権力は、政治的な権力に発展する場合がある。

家族は、政治的な集団とはいえない。家族の関係は親子・夫婦・祖孫等の私的な関係であって、それを超えた公的な関係ではないからである。政治は、集団において公共性のある事柄について意思を決定し、その実現を図る行為である。それゆえ、政治的な集団と言い得るのは、複数の家族の集団である氏族からである。政治的な集団は、政治的な権力を得ようとする集団または政治的権力を持つ集団である。
 政治的な集団の持つ社会的権力は、同時に政治的権力となる。政治的権力は、政治的な行為によって形成される社会的な権力とも言える。政治的権力は、もともと協同的に行使されるものであるが、社会的な権力が闘争的に行使される集団においては、政治的権力は闘争的に行使されるものとなる。
 政治的な権力が国家に係るものとなったものを、国家的な権力という。国家的権力は、その国家の内部または他の国家との関係において、国家の維持・繁栄を実現するために、領域と人民を統治する権力である。国家権力は政治的権力が最も発達したものである。そして、他の国家権力と相互関係にあり、相互作用を行う。国家権力は、その中に社会的な権力を含み、社会的な権力は、その中に家族的な権力を含む。国家的権力は家族的権力、社会的権力を基礎とし、それに支えらえている。またこれを規制したり、保護したりもするという構造となっている。

 

●家族間の権力関係

 権力の重層構造について一通り書いたが、ここで見落とされがちなものについて補足したい。それは、家族間の権力関係である。社会は個人を単位とするだけでなく、家族を単位として構成されている。社会の各階層において、ある家族が他の家族を保護・指導したり、支配・収奪したりするという構造がある。ここに家族間の権力関係が存在する。権力関係は、個人間の関係だけでなく、家族間の関係でもある。むしろ家族間の関係を主とし、次に個人間の関係があると考えられる。
 様々な集団において、首長の家族とその親族(血族・姻族)が別の家族を保護・指導または支配・収奪する。そのもとに諸家族の間に優位・劣位の関係が生じ、保護ー受援または支配―服従の関係が見られる。国家の場合、国王と臣下・国民の関係というように、個人を単位とした1対多の権力関係が表象されがちだが、同時に国王とその家族・親族という家族的集団が優位の集団となっている。国王の妻は国王に次ぐ地位にあるとされ、妻の一族は国王の姻族として高い地位を占めることが多い。国王の子は世襲によって次の国王候補とされ、国王の父母は王の親であることによって特別の身分を持つ。他に国王の兄弟姉妹・おじ・おば・祖父母等がその関係に応じた身分を持つ。こうした

優位者の集団は、単に個人の集合ではなく、家族の集合である。財産も家族が所有し、相続される。権利も、家族内で継承される。権力もまた優位の家族が家族集団として所有し、継承する。これが古代から現代まで社会まで貫いている社会の構造である。
 家族間の権力関係は、社会的権力、国家的権力の基盤となっている。家族的権力は、社会の各階層を縦断かつ横断して家族間の権力として作用している。氏族的・部族的な共同体を核として構成された国家では、家族間に保護―受援的な関係が存続する傾向がある。だが、近代西欧社会では、共同体が解体され、支配−服従的な関係が家族間に拡大する傾向を強めてきた。家族間の権力関係は、近代社会の各階層を縦横に貫き、複雑な相互作用を展開している。
 現代社会でも、各国の社会には、それぞれ優位にある家族的集団がある。これは君主制・共和制、自由主義・共産主義等の体制の違いに関わらず共通して見られるものである。近代西欧では、王族・貴族に新興の資本家がこの優位者の階層に加わり、国家によっては王族・貴族を駆逐した。優位者の階層に参入した資本家としては、ロスチャイルド家・ロックフェラー家が代表的である。旧ソ連では、政治権力を握った共産党の官僚が、革命貴族となった。最高指導者の家族、幹部の家族は特権的な存在となって富と権力を恣にし、労働者の家族は男女に関わらず、労働者として厳しいノルマを課せられた。現代中国はこの傾向をさらに極端化した状態となっている。高級幹部の子弟による太子党の家族と、農村で生活基盤を失って都市に流入する億単位の流民の家族の差は、開く一方である。
 個々の家族の身分・地位の上昇・下降という変動はあるが、社会の家族間的な構造は変わらない。この構造を硬直化させるのは、権利や所得の格差の拡大であり、逆に権利や所得の格差の縮小は、家族間の変動を活発にする。
 人権という概念は、近代西欧的な個人を権利の主体とし、個人を単位として発達した。そのため、こうした血縁と婚姻を主とした自然的・生命的な集団を単位とした権利関係と権力関係を見落としがちである。
 個人の人権という観念は、家族を分解し、共同体を解体する方向に作用し、集団の合力を分散し、個人の力に縮小する。個人個人に個別化されるため、人民の力を結集できない社会は、より大きな権力によって、支配されたり、操作されたりしやすくなる。大衆社会における独裁体制の出現は、その典型である。また他国が侵攻してきた場合、共同性の低い社会は外部の権力によって容易に支配され、収奪される。現代日本はこの事例になりかねない。これに対抗するには、個人の人権よりまず家族の尊重や地域社会や国家国民の共同性の強化が有効である。
 近代西欧社会では、共同体の解体と社会の個別化が進んでも、支配集団は家族性を保ってきた。支配層では有力家族が家族的な繁栄をし、権利と権力を継承する。被支配層では家族が分解され、個人が群れているだけの社会となる。結婚や育児、家産の保持が困難になる。
 人権の概念は被支配層における個別化、家族分解を進めることによって、かえって個人の権利を危うくする。個人の権利より家族の尊重・保護が図られねばならない。もともと人間は家族という自然的・生命的な集団を単位としているので、家族的紐帯の維持が、個人の権利、人格の成長・向上のために必要なのである。
ージの頭へ

 

(3)権力の変動

 

●権力の変動と権利との関係

 権力は変動する。変動とは、変化と移動である。権力の関係・作用・大小・強弱が変化する。権力の主体が移動・交代する。また権力体系の重層構造が変動する。この権力の変動について、権利との関係、権力の価値と転換、量的把握、権力闘争、統治権の移動と人権の発達という5点を述べたい。
 第1点は、権利との関係である。権力は社会的な力である。社会的な力は、人間の意思の働きによる力であり、集団の意思の合成によって発揮される能力である。
 権力関係は、固定したものではなく、権利関係の変化とともに変動する。集団は、権利をめぐって、自らの意思を実現しようとする者とこれに反発する者に分かれ、互いの意思を交換する。話し合いが順調にいけば、対立は譲歩や妥協によって解決する。話し合いが不調に終わると、闘争が起こる。闘争は、相手の闘争意思をくじくことができれば、目的を達することができる。勝者は自らの意思を実現し、敗者はこれを受容する。勝者は権利を取得または拡大し、敗者は権利を移譲または喪失する。新たな権利関係の承認が行われる。こうした権利関係の変化とともに、権力関係も変化する。新たな力の均衡が成立する。
 一般に氏族・部族においては、集団の共同性が高く、成員の意思が疎通しており、権力は協同的に行使される。権力関係は、保護―受援の関係にある。そのような集団では、上記のような闘争は一時的である。組合・団体・社団も目的を共有する限り、基本的には似た傾向にある。だが、集団の共同性が低下し、集団の意思の対立が常態化している集団では、権力は闘争的に行使されるものとなる。権力関係は、支配―服従の関係にある。そのような集団では、闘争が起きやすく、激化しやすい。そして権力の変動が生じやすい。

●権力の生みだす価値とその転換

 第2点は、権力の生みだす価値とその転換である。近代化する社会において、権力関係が保護―受援的であるとき、権力は個人の自由と権利を保護・保障する。これに従うところに自由と権利の獲得・拡大が実現される。この場合、権力は「正の価値」を持つと言える。価値とは「よい」と思われる性質である。権力関係が支配―服従的であるとき、権力は自由と権利を抑圧・規制する。これと闘うところに自由と権利の獲得・拡大が実現される。この場合、権力は「負の価値」を持つと言える。正の価値が「よい」と思われる価値であるのに対し、負の価値は「わるい」と思われる性質である。
 権力の正と負の価値は、権力関係の双方の主体にとって、一方の「正の価値」が他方の「負の価値」になる関係にある。権力が闘争的に行使されている社会関係では、権力は、優位者にとって、支配と収奪を実現する力である。だが劣位者にとっては、同じ権力が支配され抑圧される力となる。一つの権力が、自らの意思に合う者と自らの意思に反する者とで、全く違うものに感じられる。権力は、優位者には「正の価値」、劣位者には「負の価値」を生む。多くの権力論は、権力の「負の価値」に注目し、これを強調する。だが、権力の「正の価値」を同時に見て、総合的に把握しなければならない。
 集団の指導者は、成員を率いてその集団の権力を代表的に行使する。指導者は権力を象徴的に体現する。指導者を支持し、尊敬する者にとって、指導者は「正の価値」を象徴する。指導者に反発し、反抗する者にとって、指導者は「負の価値」を象徴する。権力はその保護・支援・指導・教育を受ける者には、自らを守り、助ける力として安心や信頼を感じさせる。また自分がその力と一体であると感じることによって、自信や高揚を覚えもする。そうした感情が権力の象徴的な体現者である指導者に向けられる。権力はその支配・収奪・抑圧・規制を受ける者には、自らを押さえ、縛り、苦しめる力として、怒りや憎しみの対象となる。そうした感情も権力の体現者としての指導者に向けられる。権力の変動は、しばしば指導者への反発・反抗によって生じる。
 権力は自らがそれに参加し、自らの意思を実現するものと感じられるとき、より価値あるものと認められる。権力関係において、優位者は権力に対して能動的であり、劣位者は権力に対して受動的である。劣位者は闘争によって、権力に対し受動的から能動的に転じる。闘争に勝利すれば、自らの立場が劣位から優位に転換する。劣位者が優位者と闘争し、権力を獲得しようとするとき、獲得すべき権力は「負の価値」から「正の価値」に転じる。

●権力変動の量的把握

 第3点は、権力変動の量的把握である。権力関係を権利関係と相関的にとらえると、量的な比較ができ、また関係の変化を量的な変化として把握できる。量的な認識は、権力の変動を考える際に有効である。
 権力関係は、多くの場合、優位者が力を独占し、劣位者は無力と表象される。いわば100とゼロの関係である。しかし、これは局限的な状態であって、権力関係には、いわば90対10とか55対45とかいう相対的な状態が存在する。そのことが、見落とされがちである。親子、夫婦、兄弟のような家族関係においても、また部族・氏族・組合・団体・社団等の首長と成員の関係やその成員相互の関係、集団と集団の関係においても、権利の大小・多少の比較と同様に、権力の大小・強弱の比較をすることができる。そうした見方をすることによって、権利関係の変動に伴う権力関係の変動をとらえることができる。権利の量、関与する人員の数や武器の数等が、権力の量的側面を表す指標となる。
 優位者と劣位者の関係は、強者と弱者の力の関係ゆえ、相対的である。100とゼロではなく、弱者にも力はあるから、そこに反抗や逆転の可能性がある。古代ローマ帝国の奴隷や近代世界の有色人種等は、ほとんど無力の状態から力を強め、権力関係の逆転を起こしている。権利関係の変化に伴う権力関係の変動である。奴隷が自由人になる。主人にさえなり得る。それが解放であり、独立や革命である。強者が保持し誇示するものも権力であり、弱者が熱望し奪取を目指すものも権力である。
 このように権力の変動を量的に考えることによって、人権と権力の関係は相互的で変化するものと理解することができるだろう。

 

●権力闘争による権力関係の変化

 第4点は、権力闘争による権力関係の変化である。権力が闘争的に行使される集団では、成員はしばしば小集団に分かれ、権利をめぐって闘争する。闘争はしばしば物理的な実力の行使に至る。敵対的な小集団が実力行使によって自らの意思の実現を目指す。両者が対決する場合、勝者は優位を得、敗者は劣位に屈する。権利関係の変化に伴う権力関係の変化は、より顕著なものとなる。
 集団内の優位者は権利を行使し、劣位者に行為を要求または命令する。要求・命令の実行は義務とされ、劣位者は義務の履行を免れない。履行できなければ、制裁・処罰が行われる。権利関係は優位者によって法に定められ、制度化され、社会秩序が安定する。支配―服従関係が秩序となる。その秩序は闘争的な権利の均衡状態である。均衡状態が有利な者にはその秩序は保つべきものであり、逆に不利な者には変えるべきものとなる。秩序を保つため、実力が組織され、意思を実現するために使用される。秩序を保つ側は強制力を行使し、秩序に反発する者は従いつつも不満を持つ。権利関係に伴う権力関係は、強制と反発がせめぎ合う緊張度の高い関係となる。
 支配―服従の権力関係において、支配者が所有する権利の典型的なものに、徴税権と使役権がある。支配者はしばしば権利の拡大を図り、税の徴収を重くしたり、労役を増やしたりしようとする。被支配者はこれに抵抗し、逆に税の比率や労役の員数・回数を減らすように陳情や反抗を行う。対立が激化し、闘争が起こると、物理的実力が行使される。支配者が勝利すれば、徴税権や使役権が拡大される。被支配者が勝利すれば、税や労役が減免される。こうした権利関係の変化は、権力関係の変化を生み出す。
 権利関係の変化が小さければ、集団の権力体系に構造的な変化は起こらない。権力体系の枠内での権利関係の変化だからである。だが、権利の獲得や拡大が、既存の権力体系に収まらなくなると、権力そのものをめぐる闘争に転ずる。これが権力闘争である。
 権力の奪取と防衛を目的とする行為は、政治的な行為である。政治的なものの固有の指標は「敵と友の区別」とするシュミットの論を受ければ、集団の中で成員が敵同士となって闘争する。ここで争奪される権力は、政治的権力である。闘争が決着すると、権力関係に大きな変動が起こる。政治的権力を握った者は、敵対する相手を拘束したり、追放したりして、抵抗を排除する。究極的には相手を殺害して、その意思と存在を抹消する。

●統治権の移動と人権の発達

 第5点は、統治権の移動と人権の発達である。権力の変動の最大のものは、統治権の移動である。統治権とは、一定の領域とそこに住む人民を統治する権利である。権力闘争によって、劣位者または被支配者が統治権を奪い、支配―服従の関係が逆転することがある。権力の主体が交代する。主体の交代は、指導者個人、有力者の集団または指導階層の全体のレベルで起こる。
 統治権の急激かつ全面的な移動が、革命である。革命は、権力体系の重層構造に変動を引き起こす。近代西欧においては、中産階級・商工業者等の近代西欧史的な意味での「市民」が台頭し、国王や貴族・聖職者等に対して権利を主張し、権利を取得して、政治的権力への参加ないし政治的権力の獲得を実現した。この出来事が、市民革命である。17世紀イギリスの市民革命は、君主制のもとでの権力参加を実現した。議会に新興階級である市民の代表を送るという参加形態が定着した。18世紀アメリカの市民革命は、植民地が本国から独立するという形で行われた。君主制の国家から独立した人民が、共和制の国家を建国した。フランスの市民革命は、君主制から共和制へと政治体制の変革を強行した。ただし、フランスはその後、帝政・共和政・帝政・共和政等と動揺を続けた。イギリスの革命は権力参加を、アメリカ・フランスの革命は権力奪取を実現した。それにより、国民の権利が拡大した。そこに人権の思想が発達した。
 19世紀西欧では社会主義が発達した。
社会主義は、社会的不平等の根源を私有財産制に求め、それを廃止ないし制限し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想・運動である。社会主義のうち、武力革命によって社会改革を行おうとするものを、共産主義とも言う。マルクス=エンゲルスが理論化した共産主義は、北方に伝播して20世紀ロシアで共産主義革命が起こった。共産主義者は市民革命をブルジョワ革命と呼び、これを歴史的な中間段階とし、彼らによる革命をプロレタリア革命と呼ぶ。だが、共産主義革命の実態は、共産党による権力の簒奪であり、プロレタリア独裁の名のもとに共産党官僚が権力を独占する体制が誕生した。
 一方、イギリス・アメリカ・フランス等ではリベラル・デモクラシーが発達し、国民が選挙を通じて政治に参加する制度が確立した。制限選挙から普通選挙へ、男性から女性へ、年齢の高い者から低い者へと選挙権・被選挙権の保有者が拡大した。議会員となる国民の代表者を選挙することによって、権力が変動し得る体制が実現した。
 権力の変動は、指導者の専制や横暴とそれによる反発、階級分化による支配―服従、外部集団の侵攻・征服、政策の選択等の様々な要因によって起こる。主導権争い、階級闘争、戦争は、権利をめぐる集団的な権力闘争である。権力闘争が激烈な場合、権力の変動において、その集団が分裂・崩壊することもある。内部で対立し闘争する集団は、他の集団にとっては攻めやすい。外部集団の侵攻・略奪によって、その支配を受ける場合がある。自らの集団は権力を喪失し、他の集団の権力のもとに組み込まれてしまう。
 人権は、17世紀から今日まで、欧米を中心に自由権の確保、参政権の獲得、社会権の拡大という形で、具体的な国民の権利として発達してきた。人権と呼ばれる国民の権利は、権力との関係において、歴史的・社会的・文化的に発達してきた。権力の変動において、勝者は権力を拡大し、敗者は権力を縮小する。他の集団に支配された集団は、権力を奪われるとともに多くの権利を喪失する。個人の自由と権利もまた自らの所属する集団の権利とともに制限・規制される。こうした権力をめぐる闘争と権力の変動の中で、人権は最優先の権利でも不可侵の権利でもない。もともと集団の権利を前提とした個人の権利だからである。その権利を守る権力が縮小または消滅するとき、人権と呼ばれる個人の権利も縮小または消滅する。人権の考察には、この点の認識が重要である。本稿において、権力について一章を設ける理由である。権力論なき人権論、人権論なき権力論は、ともに欠陥を持つことを、ここでも指摘したい。
 なお、近代資本主義の発達によって、社会学者イマヌエル・ウォーラーステインのいう「近代世界システム」が形成された。
世界システムとは「一つの世界であるようなシステム」であり、近代以前には地域的な世界帝国が興亡盛衰したが、15世紀以降、世界経済に立脚した史的システムが形成された。ウォーラーステインは、「近代世界システム」は、中核部―半周辺部―周辺部の三層に構造化された「資本主義世界経済」として形成されたとする。

「近代世界システム」の形成は、資本主義の地球規模の発達であるとともに、私見によれば、国家を単位とした集団間の権利関係の大陸間への広がりであり、同時に集団間の権力関係の構造化でもあった。西欧白人種の宗主国と非西欧有色人種の植民地の間では、強大な権力と劣弱な権力の間に、支配―収奪の構造が形成された。この構造は、垂直的かつ水平的である。垂直的とは上下関係、水平的とは中核部―半周辺部―周辺部の関係をいう。構造の上層部かつ中核部では、列強同士の権力闘争と覇者の交代が行われた。下層部かつ周辺部では、社会的権力が抑圧され、しばしば分断統治や相互に牽制させる統治が行われた。上層部・中核部では、国民の権利が確保・拡大され、下層部・周辺部では権利が規制・剥奪された。いわゆる人権の発達は、下層部・周辺部の集団における権利の規制・剥奪の上に、上層部・中核部の集団において実現されたものである。半周辺部は、中層に位置し、中間的な状態にあった。

以上、権利の変動について、権利との関係、権力の価値と転換、量的把握、権力闘争、統治権の移動と人権の発達の5点を述べた。権力の変動をとらえるには、これらの点に留意することが必要である。ページの頭へ

 

(4)フーコーの権力論批判

 

●フーコーの主題としての権力

 本章の最後に、権力の定義の項目で触れたミシェル・フーコーについて記しておきたい。
 フーコーは、自分が『狂気の歴史』(1961)、『臨床医学の誕生』(1963)『言葉と物』(1966)を書いた際、「真の関心はつねに権力をめぐる問いにあった」と語っている。
 フーコーは20代でフランス共産党に入党し、マルクス主義の影響を受けた。旧ソ連の実態が明らかになると、ソ連型の全体主義的な共産主義に反発し、権力の研究を深めた。だが、左翼思想を抜け出ることはなかった。そうした彼の思想は、人権の観念を利用して社会変革を図る左翼や左翼的な市民運動に強い影響を与えている。その思想の中心にあるのが、独自の観点に立った権力論である。ここであらためてフーコーの権力論を概観し、批判を行いたい。私は、フーコーが国家権力の基礎となる権力関係の分析を行ったことは画期的だと評価する。だが、彼の権力論には欠陥があることを指摘したい。
 さて、フーコーは、論文「真理と権力」(1976)で、権力関係の分析の対象は「国家の枠組みを超えた地点まで及ばなければならない」という。その理由は、「国家は、たとえその遍在性とその機構の規模を考慮に入れても、権力関係の交差する現実のすべての領域をカバーしきれるものではない」、また「国家は、既存の権力関係を基礎にすることによってはじめて機能し得る」からだという。
 フーコーは、自分の課題は「社会における様々なレベルの権力の微分解析を試みること」だと語っている。論文「権力と知」(1977)では、次のように述べる。「たとえば一人の男性と一人の女性との間に存在しているもの、知っているもの、つまり知(savoir)の所有者と知の非所有者の間に存在しているもの、両親と子供の間に存在しているもの」「現実の社会には、こうした権力関係、力の関係が無限に存在している。そこには抗争がありミクロの戦争がある。こうしたものは普通、大いなる国家権力によって上から統御され、階級的支配に屈しているとされている。しかし逆に、国家という構造や階級的支配はこうした小なる権力関係がない限り機能しはしない」と。
 こうした権力のミクロ分析を試みたフーコーは、『性の歴史』の第1巻『知への意志』(1976)で、次のように権力(pouvoir)を考察した。
 権力は、無数の点から出発し、揺れ動く関係の中で機能する。あらゆる社会現象の中に、権力関係が存在する。社会の末端にある家族や小集団等で生み出される力の関係が、権力関係の基盤となっている。権力を振るうのは、特定の個人や指導者ではない。その時々の関係の中で生み出された作用によって権力が振るわれる。権力への抵抗は、権力の外部にあるのではなく、内部に不規則に出現する。権力は、この抵抗を完全に排除できない。従って、この抵抗の点が戦略的に結び付けられ、網の目のような権力関係が崩れた時に、革命が生ずるーーこのようにフーコーは列記する。だが、フーコーは権力の現象を述べて、本質を定義していない。また、権力を体系的に論じてはいない。それは彼が人間や社会に関する基本的な理論を持たなかったためだろう。

●一望監視方式と近代国家の権力

 フーコーの権力論で最も良く引用されるのは、「一望監視方式(パノプティスム)」である。これは18世紀西欧で監獄の仕組みに使われたもので、中央の塔から監視者が囚人にその姿を見られることなく、個々の部屋にいる囚人を監視する仕組みである。功利主義の提唱者ジェレミー・ベンサムが創案した。フーコーは『監獄の誕生』(1975)で、これを啓蒙の世紀における画期的なものと強調する。
 フーコーは、一望監視方式の技術を「身体の政治的テクノロジー」と呼ぶ。この技術は、身体の間に特定の関係を設定することで、身体の行為を制御することを可能にする。政府は直接暴力に訴えなくても人々の行為を管理できるわけである。
 私見を述べると、一望監視方式は監獄という特殊な場所における囚人という特殊な対象の管理技術である。そもそも囚人を監獄に収容したのは、国家権力の実力行使に強制による。監禁してしまえば、常時実力を用いる必要はない。だから、一望監視方式が国家権力のあり方を変えたわけではない。国家権力の作動の仕方を局所的に合理化したものに過ぎない。これをもって物理的実力を組織した国家権力の本質を見失ってはいけない。
 フーコーによると、一望監視方式について重要なのは、監視そのものより、監視のもとにおける規律(discipline)である。見えない監視者に見られているという意識から、規律が個人に内面化され、個人は自ら規律に従うようになる。フーコーは、規律は、自由・平等という近代啓蒙思想の基底にある掟のようなものであるという。自由とか平等とかいう前に、社会には正常と異常、合法と非合法等の区別による秩序がある。その秩序の上に自由や平等が説かれている。フーコーはこの前提としての秩序を形成する権力を分析する。フーコーは、一望監視方式における身体管理の技術が、病院・学校・工場等の秩序の基盤を作り出したという。そして、直接的に実力を行使せずに監視や処罰を行う権力を「規律権力」と呼ぶ。近代西欧ではこの規律権力が住民の健康や公衆衛生、雇用等を調整する「生―権力」へと拡大したとフーコーは言う。この点は、次の項目で、権力と近代西欧的な主体、性的なもの(sexualite)等を関係づけて述べることにしたい。

 

●管理する権力と服従する主体

 フーコーは従来、権力は、処罰・禁止を立法化する権力があって、それに服従する主体があるという図式で考えられてきたが、これでは権力は法律的な形態、政治的にいえば王制の形態に限定されてしまうとして、『知への意志』では、法律や国王の存在抜きに権力を分析することを提起した。そして、権力のミクロ分析に基づいて、近代西欧国家における権力と個人の関係を考察した。
 近代西欧的個人は「主体」といわれる。主体を意味する仏語 sujet、英語 subjectは「臣下」をも意味する。フーコーは、この点に注目する。そして、いかに自発的に服従する主体が生み出されたのかを問う。
 フーコーによると、近代的な主体は、自動人形のごとく、他人とは関係なく、自分で考え自分で行動する存在として設定されている。これは他人や社会と切り離された個人であって、時代や環境に規定されない主体なるものは存在しないことが理解されていない。そして、近代的な主体は、近代的な学問による知の体系が生み出したものに他ならないと、フーコーは断じる。
 その上でフーコーは、近代西欧でどのように個人が個人として作り出されたのか、いかなる権力が個人を個人たらしめたのかを追求した。フーコーは、国家は中央集権化する権力の政治形態だが、その一方、個人を個人たらしめる権力があるとする。この権力のあり方を「司牧者方式(pastorat、パストラ)」と呼ぶ。司牧者とは、キリスト教の指導者のことである。
 キリスト教では、人間を羊にたとえ、指導者を羊飼い、牧人にたとえる。これは、ユダヤ人が始めた考え方である。ユダヤ教におけるモーセ等の一握りの牧人が大多数の人々を指導するための司牧の技術は、キリスト教社会に継承された。欧州では、ユダヤ教と違って、牧人が個々の羊である信者の状態を把握し、信者の内面をも掌握しなければならないとされた。その結果、内面の管理としての告白、糾明の手段が発達した。
 司牧の技術は中世西欧ではよく機能しなかったが、16世紀末以後、近代国家が、新しい政治形態の中に、キリスト教の指導技術である司牧者方式を導入した。そこに発達した権力をフーコーは、「司牧者権力(pouvoir pastoral)」と呼ぶ。司牧者権力は、規律権力となった。牧人が個々の羊を把握するように、政府は個人個人を管理する。その一方、規律を内面化し、自発的に権力に従う「主体=臣下」が生み出された。司牧者権力は、さらに国家の人口を構成する住民の健康・福祉・安全を守ろうとするものともなった。政府が住民の行政管理を行うために官僚が増加し、18世紀には警察機構が成立した。同時に、国家秩序を補完する役割を担うものとして、家族が再編成された。そして、司牧者的な国家権力は、住民を国家の人口として把握し、数量的に管理し、さらに個々人についてデータを作成し、一人一人の状態を管理し分析するための知として、行政管理学を生んだ。こうして国家権力は、規律によって身体的行為を管理する権力から、生命・生活・生殖までを管理する権力へと発達した。フーコーはこうした権力を「生―権力」と呼ぶ。
 上記のように、近代西欧の権力と個人の関係を考察したフーコーは、論文「主体と権力」で、次のように主張する。
 「現代の政治的、倫理的、社会的、哲学的な問題は、国家及び国家の諸制度から個人を解放することではなく、国家と、国家に結び付けられた個別化(individualization)のタイプの両方からわれわれを解放することである」「われわれは、数世紀にわたって、われわれに押し付けられてきた、この種の個人性を拒否することによって、新しい主体性の形態を作り上げなければならない」と。
 フーコーは、近代国家の司牧者権力によって内面から生命・生活・生殖までを管理される個人のあり方を拒否しようとする。「新しい主体性」とは、こうした権力に服従することのない主体性を意味するものだろう。一見、近代西欧の思想・制度を乗り越えようとする取り組みのようだが、フーコーが探求したのは脱家族・脱国家の個人主義的リベラリズムに過ぎないと私は思う。

 

●個人主義的リベラリズムの変種

 フーコーが「新しい主体性」を探求するために関心を集中したのは、性的なもの(sexualite、セクシュアリテ)だった。フーコーによると、19世紀以降、西欧では女性の身体の管理、子供の性行動への規制、同性愛等の異端的な性行為への取り締まりが行われるようになった。生殖行為の管理を通じて、近代的家族は国家権力にとって性的な欲望を生み出し、支え、根付かせる重要な装置になった。
 近代国家は、住民一人一人を出生のときから管理の対象とする。出産もまたその時代の政策によって、奨励されたり、抑制されたりする。誕生した住民には、健康状態だけではなく、性行動にも管理の目が注がれる。フーコーは、こうした政治の形態を「生―政治(bio-politic)」と呼ぶ。政治が「生―政治」に変ったのは、性的なもの(セクシュアリテ)が、国家の人口管理にとって重要なテーマとなったためであるとする。「正常であること、普通であること」を規範とし、同性愛等の異端の性愛は、管理の対象とされるとして、フーコーは反抗しようとした。彼はその反抗を「身体と快楽」に求めた。
 私見を述べると、フーコーが求めるものは、生命を生み育て、家族や国民、人類の繁栄につながる自然的・生命的な性行動ではなく、生殖を否定して快楽のみを追求する性行動である。そうした性行動を快楽とする個人のあり方に、フーコーは「新しい主体性」を見出そうとした。だが、これは単なる個人主義を出ていない。家族や国家への反発、生命や共同体への距離で、個人の領域を確保しようとするものとしかなっていない。これは、現代のリベラリズムが行き着いたところと同じである。

古代ギリシャのポリスでは、市民の関心は市民に共通する公共善の実現にあった。公共善が正義とされた。ヨーロッパ文明にはこの考え方が継承された。しかし、近代西欧では、共同体が解体され、独立した個人の観念が生まれ、公共善を正義とする考え方に代わって、私的な善を優先する考え方が支配的になった。個人主義を基本とするリベラリズムでは、共同体の共通目的としての公共善は設定されず、各人がそれぞれ私的な善の追求を保障する枠組みが正義となる。こうしたリベラリズムが行き着いたのが、個人の選好である。フーコーの思想は、個人主義的リベラリズムの変種に過ぎない、と私は思う。個人主義的リベラリズムから「新しい主体性」は出て来ない。

●フーコー権力論の欠陥

 私は、フーコーが国家権力の基礎となる権力関係の分析を行ったことは画期的だと評価する。だが、彼の権力論には欠陥があると思う。
 第一の欠陥は、人権を主題とする本稿において最も重要な点だが、フーコーは権力を権力だけで分析しようとし、権利との関係を考察しなかったことである。彼の権力のミクロ分析は、人権と国家、個人と権力の関係に関わるものだが、権利論を伴わなかったから、人権の考察へと展開されていない。フーコーは人間や社会に関する基本的な理論を持っておらず、権力だけに関心を集中したため、権力と権利の相関性を明らかにできていないと私は考える。
 第二の欠陥は、フーコーがニーチェの「権力への意志」論の影響を強く受けていることによる。その影響によって、権力の協同性を理解できていない。ニーチェは、神や霊や死後の世界、不可視界を否定する一方、現実世界における生を肯定し、生命の本質を「力への意志」であるとする。「力への意志」こそ、生の唯一の原理である、とニーチェは説いた。これは、ダーウィンやマルクスに共通する闘争の思想である。ダーウィンは種の間の、マルクスは階級や男女の間の、ニーチェは個人の間の闘争を説いた。フーコーは、ニーチェの思想に共感し、権力関係をすべて闘争的な関係ととらえ、権力の協同性を理解していない。家族をはじめとする自然的・生命的な集団も、組合・団体・社団のような何らかの目的のもとに結合して作られた契約による集団も、本来協同的なものであることを見落としている。
 第三の欠陥は、私が本稿で書いてきたような人間の人類学的特徴や人間の個人性と社会性をよくとらえていないことである。フーコーは西欧近代における狂人や囚人、性的異常者等に焦点を合わせて、権力のミクロ的な分析を試みた。だが、この仕方では人間社会の全体をとらえられない。フーコーは権力からの個人的な自由の追求に傾いて、生命の継承と集団の繁栄を推進しようという姿勢がない。フーコーは、生命の維持・繁栄のための性愛を拒絶し、家族の自然的・生命的な関係を拒否し、家族に基づく国民共同体に反発した。フーコーの思想は、彼が同性愛者であることと切り離せない。
 フーコーは左翼的かつ個人主義的であり、その反権力・反国家の姿勢は、左翼系の市民運動や同性愛者の運動等に強い影響を与えてきている。フーコーの権力のミクロ分析は、権力論において画期的だった。フーコーの権力論は、共産主義やフェミニズムに人権の観念を利用する左翼の人権主義に取り入れられてきた。だが、彼の基本にある思想は、あらゆる社会関係に闘争を見る脱家族・脱国家の個人主義的リベラリズムであることを、私は指摘したい。

 本章に書いたように、人権の考察には、権利と権力の相関性という見方を加えることが必要である。権力は、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用である。それとともに権力とは、共同主観的・間主体的な権利の相互作用を力の観念でとらえたものである。家族的権力が発生して社会的権力となり、社会的権力が発達して政治的権力となり、政治的な権力の一部が国家的な権力となる。国家的権力は家族的権力、社会的権力を基礎とし、それに支えらえている。またこれを規制したり、保護したりもするという構造がある。また、権力関係の中に、家族や氏族・部族・組合・団体・社団・資本・国家等の集団が存在する。これらの権力関係は重層的・複合的であり、複雑な網の目をなす。権力関係は様々な権利関係と重なり合う。その関係の中で、個人の権利としての人権の意識は発達した。それゆえ、人権を国家との関係のみで理解するのは、視野が狭窄となる。人権は家族・氏族・部族・組合・団体・社団・資本・国家等の関係の中でとらえるべきものである。ただし、これらの集団の中で、人権にとって中心的なものが国家であることはいうまでもない。
 そこで次に本章の権力論を背景として国家及びこれと関連する主権と国民について述べる。
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第4章 人権と国家・主権・国民

 

(1)国家とは何か

 

●国家を意味する言葉

 人権の考察のため、人間・自由・権利・権力について書いてきた。次に、これらと深く関係する国家と主権と国民について検討したい。
 最初に、国家についてであるが、国家は権利の主体であり、人民の権利を保護・保障したり、逆に抑圧・制限したりする。国家の権力は、最も典型的な権力である。「発達する人間的な権利」としての人権は、国家の権利・権力との関係の中で発達してきた。いわゆる人権のほとんどのものは、国家の成員としての国民の権利である。人権は、国民の権利と比較して検討されねばならず、国民の権利は国家を検討することなくして把握できない。国家論なき人権論は内容空虚となる。これが人権論において国家を論じる理由である。
 まず国家について、基本的な事柄を確認しておこう。国家を意味する言葉の語義、国家の起源・本質・分類等について述べ、次に国家と関係の深い主権を論じたい。その後に国家及び主権と人権の関係へと論を進めたい。
 国家は、一般に一定の領域に定住する多数の人民で構成される集団にして、排他的な統治権を持つものをいう。国家にあたる西欧単語の代表的なものは、英語では nationstate、仏語では nationetat、独語では NationStaatである。この語列の前者は政治的・文化的・歴史的な共同体、後者はその共同体が持つ統治機関を意味する言葉である。
 Nationは、英語ではネイション、state は同じくステイトと読む。便宜上、ここでは英語読みで書く。Nation の語源は、古代ローマで用いられたラテン語 natio(ナチオ)である。ナチオは「生まれ」「同郷の集団」を意味した。そのナチオの概念が、17世紀の西欧において近代的なネイションの概念に発展した。以後、ネイションは「国民・民族・国家・共同体」等と訳されるような共通の自己意識を持つ政治的な集団を指すようになっている。

 ネイション(nation)に対する ステイト(state)は、その共同体が持つ政治的組織及びその統治機構を意味する。「政府・国府・国家・国政」等と訳される。わが国では、これらの nationstate をともに「国家」と訳すことが多いため、少なからぬ混乱を生じている。
 国際連合の場合は、the United Nations であり、nation が政治的統一体としての国家の意味で使われている。米国では、state は政府ではなく、州の意味で使われ、国全体を表すときは nation を用い、national は全国的・全米的の意味で使われる。さらにややこしいのが、「国民国家」である。これは英語の nation-state の訳語であり、この場合、nation は国民、state は政治的共同体としての国家を意味する。
 マルクス=レーニン主義は、国家を階級支配のための「暴力装置」だとする。ここにおける国家は、政府(state)の意味である。共同体としての国家(nation)が階級支配のための「暴力装置」なのではない。「国家の消滅」という共産主義(communism、コミューン主義)の目標は、共同体としての国家(nation)の消滅ではなく、私有財産制に基づいて階級支配を行う政府(state)の消滅であり、それによる生産手段を共有する共同体(commune、コミューン)の回復である。この点の理解不足も、わが国における国家に関する思考に混乱をもたらしている。
 イギリスでは、歴史的に民族支配的な意味のある state ではなく、自治的な意味のあるコモンウェルス(commonwealth)が多く使われてきた。ホッブスやロックの著書で「国家」と訳されている原語は、多くの場合、commonwealth である。wealthは、もともと「富」「幸福」「財産」を意味する。17世紀にヨーマンリー(独立自営農民)やジェントリー(郷紳)は、「共通善」を求めて、自由と権利を獲得した。この公共の善が commonwealth であり、転じて「国家・共和国・国民」等を意味するようになった。イギリス人にとっては、共同の富・公共の福祉・共通の財産、それらを共有する政治社会が、commonwealth としての国家である。今日、カナダ、オーストラリア等54カ国が加盟する英連邦は the Commonwealth と呼ばれ、the commonwealth of Nations を意味する。
 国家を意味する言葉は他にもあり、land は自然的な国土、country は人々の集団を主に意味する。ただし、countries を諸国の意味で使うことも多い。世界人権宣言では、諸国の意味で nations とともに、countries が使われ、諸国民の意味では、peoples が使われている。一方、政府を意味する英語には、state 以外に government がある。governmentは、govern から来ており、govern は「舵を取る」を原義とし、「統治する」を意味する。
 国家は、英語では power とも言う。これは国家を力の観念でとらえたものである。この場合、power は「強国(strong country)」を意味し、複数形 powers は「列強」と訳す。power は「権力」を意味するから、一つの単語が権力と国家を意味する言葉として使われているわけである。

●日本語の「くに」と「しらす」

 言語は、歴史的・社会的・文化的に発達してきたもので、人工的に作られた言語と区別する場合は、自然言語ともいう。自然言語では、単語は慣用的に使われ、明確な定義はなく、また多義的であり、単語の間で意味の重複も見られる。西欧言語だけでなく、日本語の方もそうだから、国家を表す言葉も誤認・混同を起こしやすい。
 幕末から明治の初め、わが国では、英語・独語・仏語等における国家・国民・政府に当たる言葉に、今日の「国家」「国民」「政府」という言葉を当てた。それらの言葉のうち、「国家」が中心的な位置を占める。国家はわが国固有の大和言葉では、「くに」である。「国家」という漢語は、『易経』に見え、邦国を意味した。国家は「国」と「家」が結合した漢語であり、その文字が示すように、家族的な共同体が拡大した家族国家の意味と、君主が領土と人民と財産を私有する家産国家の意味を持つ。わが国では、古代から皇室が一貫して国家・民族の中心にあり、家族国家としての国家観が発達した。これに対し、シナでは易姓革命や異民族支配が繰り返され、家産国家としての国家観が発達した。
 明治22年(1889)に公布された大日本帝国憲法は、第1条に「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めた。ここにおける「統治」という言葉は「しらす」のことだと公式に解釈された。「しらす」とは「うしはく」に対する言葉である。「うしはく」は「領有」「支配」を意味し、国家を私物化することである。シナの家産国家はこれである。一方、「しらす」は「知る」であり、「神意を知る」が根本の意味である。そこから転じて、「民の暮らしぶりを知る」をも意味する。自分の心を鏡のように明らかにして、神の心を知り、また民の心を知る。そういう姿勢で国を治めるのが「しらす」である。「しらす」を意味する「統治」は、神武天皇が建国の理想として掲げた「八紘一宇」、すなわち国中が一つの家族のように仲良く暮らす国という目標を、歴代の天皇が受け継いできたことを示すものである。こうした伝統のもとに家族国家としての国家観が発達したわけである。
 わが国の伝統的な国家観を以て、近代西欧の国家を見た幕末・明治の知識人は、文化・伝統・歴史・国柄の大きな違いを感じた。だが、nationstate 等の西欧単語に「国家」の文字を充て、政府の意味の語も「国家」と訳すことになったため、しばしば混乱を招いている。

 

●国家と都市と文明

 次に、国家の概念を考察する。国家は都市と文明との関係において理解する必要がある。
 古代メソポタミアの都市国家、シナの中華帝国、中世ヨーロッパの神聖ローマ帝国、アフリカのダホメ王国等、さまざまな地域、異なる時代に現れた集団を、広く慣用的に国家と呼んでいる。それを近代西欧に現れた主権国家と単純に同様のものととらえることはできない。だが、共通しているのは、それらの諸国家の中核には、都市が存在することである。
 都市とは、比較的狭い地域に多数の人口・住居が密集し、農業以外の主に商工業が経済生活の主体をなす集落をいう。都市の起源については、要塞、市場、神殿等、さまざまな説がある。また都市の性格も、時代や地域、また社会的背景によって異なる。古代オリエントのオアシス都市、シナの専制帝国の計画的都市、古代ギリシャのポリス、産業革命以後の産業都市等、その様相は多様である。その多様性の中に共通する点を取り出せば、多数の人口・住居が密集した非農業的な集落をもって、都市ということができるよう。
 前近代の国際交流史の研究者・宮崎正勝は、都市は神経細胞のように、本体と触手のネットワーク(網状組織)から成り立っているとする。ネットワークとは「人と人、集団と集団、人と集団の間の結びつき」をいう。都市は、周辺の農業集落に触手を延ばして結びつきを作る。そして、そのネットワークを安定させるために、道路網・法律・官僚制・軍隊・宗教・交易等のシステムを複合化して、ネットワークの構造化を図る。そうしたシステムの複合体となったのが、国家である。すなわち、宮崎によると、国家とは、「都市を中心とするシステム化されたネットワークの総体」である。その国家というシステムの中核となるのが、都市である。首都を中心に、それに従属する都市と、その周辺の農業集落が、ネットワークで結ばれているものが、国家であると考えることができる。
 宮崎の説に私見を加えると、都市を中核として構造化された社会では、特徴のある文化が生まれる。その文化が発展して、ある程度高度なもの、広範囲に制度化されたものになった社会が、文明である。文明は、国家より大きな社会であり、多くの場合、共通の文化を持つ複数の国家を包含するものである。文明の政治的・経済的・文化的な中心地域には、都市が存在する。そして、都市を結節点としたネットワークの構造体が国家であり、その国家の集合が文明である。

●国家の3要素

 近代国家は、世界の諸文明の歴史の過程で、西欧に誕生した。近代国家について、通説では、@領域、A人民、B主権が3要素として挙げられる。他国との明確な国境、国家に所属する国民、領域における主権を持つ集団が、西欧発の近代国家である。
 人類の歴史上には、先に書いたように、国家とは呼ばれるが、近代西欧型の国家とは異なる集団が種々存在した。それらの多くでは、第一に、領域については、領土・領海の範囲を示す国境が明確ではなかった。都市と都市が道路や航路等で結ばれるネットワークの範囲が国家の領域であり、その網の糸の部分は統治されていても、網の目の部分には、統治はよく及んでいなかった。また網の外には、どこの国家にも属していない領域である辺境が広がっていた。辺境は大自然とつながっており、国家は大自然の中で、一定の空間に人間が集住する場所だった。
 第二に、人民については、国家に所属している人員が確定せず、住民の多くには帰属意識がなかった。首長・君主・国王・皇帝等の統治者及びその集団の成員以外の者にとって、国家は外在的で、懲税と労役を課されることを除くと、直接関係のないものだった。
 第三に、主権は近代西欧で発達した概念であり、古代ギリシャの都市国家、古代ローマの地域帝国、中世西洋の封建制国家には、近代西欧的な概念の主権は存在しなかった。近代以前の日本文明、シナ文明、インド文明、イスラーム文明等の国家でも同様である。
 それゆえ、国家の3要素を近代国家以外の国家の理解に用いるには、各要素の定義を広げる必要がある。領域については、近代国家に比べ、境界が明確ではないがある程度限定された領域を持つことと定義する。次に人民については、統治者及びその統治機関の人員以外に、徴税や使役の対象となる住民がいることと定義する。次に主権については、近代国家独自のものであり、主権ではなく統治権とする必要がある。このように、領域と人民については定義を広げ、主権を統治権に替えれば、国家の3要素を近代国家以外にも適用できる、と私は考える。

近代西欧以前及び以外の社会において、何らかの統治機関が存在し、統治権の行使によって領域と住民がある程度、統治されている集団を、国家という。そのうち近代国家は、国家の3要素をより明確な形で持つ集団である、ととらえ直すことができる。
 第一に、領域については、近代国家は、他の国家と国境で領域を区画し、領域を占有する。国内外の他の集団との違いは、国家は地域的な団体であり、一定の領域の上に成立することである。
 第二に、人民については、近代国家の成員は、生まれるや必然的に成員になる。集団の場合、家族・氏族・部族のように生まれながらに成員であるものと、組合・団体・社団のように任意に入会するものとがある。近代国家は前者に類する。19世紀以降の西欧諸国家では、国民に国籍が付与され、他国民とは区別されるようになった。
 第三に、統治権については、近代国家の政府は統治権を持ち、かつ国内における物理的強制力を独占する。国内の他の集団の場合、統治権は持っても、物理的強制力を合法的には所有しない。国外の他の集団の場合、統治権と物理的強制力を持つものがあるが、他国の承認を得なければ、国家とは認められない。それゆえ、近代国家は、他の集団と明らかに違う特徴を示す独自の性格を持つ集団である。

 

●国家の起源

 次に、国家の起源について述べる。起源には、諸説ある。代表的なものは、@征服国家説、A階級国家説、B家族国家説、C王権神授国家説、D社会契約国家説である。
 征服国家説とは、国家は強い集団が弱い集団を武力によって征服し、これを支配することによって成立したとする説である。グンプロビッツが提唱した。歴史上事例が多数あり、ユーラシア大陸では、古代から遊牧集団が農耕集団に侵攻し、征服・支配して形成した国家が多く現れた。ある共同体が他の共同体を征服・支配すると、共同体と共同体の間で、支配―服従の関係が生まれる。支配する共同体は、支配集団としての共同性を持って支配階級となり、服従する共同体は、被支配階級となる。異民族・異文化集団の間で征服・支配がされると、階級間で民族・言語・習慣等の異なる国家が生まれる。
 階級国家説とは、国家は社会の経済的発展に伴う階級分化によって生じたとする説である。マルクス=エンゲルスが提唱した。政府(国家は誤訳)は階級抑圧の機関であり、階級対立の終末とともに消滅すると説く。だが、実際は共同体が経済的・内発的に階級分化して発生した国家は少なく、世界史的には外発的な征服・支配による国家が多い。そこで私は、国家モデルとしては、征服した支配共同体で階級分化が進み、支配階級に身分的な上下が生まれ、さらにその下に征服された被支配階級が存在するという三層構造が適当と考える。近代西欧国家の場合は、非西欧地域に植民地を持ち、植民地全体が征服された被支配階級となった。周辺部を支配する中核部の支配共同体の内部で、階級分化が進み、自由化・民主化が広がり、権利が拡大された。
 家族国家説とは、国家は家族が拡大または連合して成立したとする説である。メインが提唱した。家族国家の典型は、日本である。日本は古代に氏族の連合で大家族的な国家を形成した。日本的家族国家は大王(おおきみ)を中心とし、大王は天皇(すめらみこと)となった。天皇と国民は共通の先祖を持つ、または先祖の代から君臣関係にあるという観念が、受け継がれて今日に至っている。今上天皇は、第125代の天皇である。神武天皇以来、一貫して男系継承で皇位が継承され、神話に現れる家族が現在も続き、神話の時代と同様に皇室が国家・民族の中心となり、国民が一つの家族のような意識を持っている。他の国家は、歴史の早い段階で、家族的な共同性を喪失している。
 以上の3つの説は、歴史的に実在する国家をもとに類型化したものである。

 次に、王権神授国家説とは、西欧における絶対王政の思想基盤で、国家はキリスト教の神から授けられたとする説である。フィルマーが提唱した。国家は神の創造物であり、国家の統治は神意にもとづくものであるとする。国王は神の代理人であり、国王の権力は神によって与えられ、国王はただ最後の審判で神に対してのみ責任を持つとされた。ただし、西欧の歴史において、まったく根拠の無い説である。実際はローマ・カトリック教会の権威の低下によって、地上における神の代理人が教皇から国王に代わり、国王が統治する領域においては、教皇をさておいて、国王が神の権力の代行者となったものである。人権の観念は、王権神授説への反発の中で発生し、思想として発達した。王権が神授とされるので、民権も神授だと対抗したものである。
 社会契約国家説とは、国家の成立は人間の理性に基づく契約によるとする説である。ホッブス、ロックが提唱した。王権神授国家説に対抗し、市民革命の理論となった。社会契約説には、君主に主権を委託し、君主が主権を行使する場合と、国民が代表者を通じて議会政治で主権を行使する場合がある。前者は君主主権論、後者は国民主権論となる。人権の思想は、社会契約説とともに展開された。だが、社会契約説も歴史的・実証的でなく、頭の中だけで考えた思考実験の産物である。イギリスでは早くも18世紀に歴史家にして哲学者のヒュームによって否定されている。イギリスでは、君主主権論を基本にして、君主制のもと、議会を通じた君民が共同で統治する君民共治の国家観が発達した。アメリカは独立、フランスは革命によって、共和制の国家が建設され、国民主権の国家観が発達した。
 以上の2つの説は、西欧において思想として説かれたもので、歴史的には実在しない観念的な国家像である。

 上記の国家起源説のうち、近代西欧では、王権神授国家説がまず現れ、これに対抗して社会契約国家説が登場した。続いて社会契約国家説の観念性を批判して、征服国家説、階級国家説、家族国家説が展開された。現実の世界の歴史においては、最も多いのが征服国家であり、征服国家は階級国家の側面を含む。これに対する例外が家族国家であると整理できよう。

 

●国家の本質

 国家の起源とは別に、国家の本質を論じる説がある。国家起源説と違う点は、国家の起源に関わらず、国家の本質を理論的にとらえることである。代表的なものは、国家有機体説と国家法人説である。ともに主に近代国家に対するとらえ方である。
 国家有機体説とは、国家をひとつの生物であるかのようにみなし、その成員である個人は全体の機能を分担するものととらえる説である。西洋文明では、古代ギリシャのプラトン、近代西欧のヘーゲル、バーク、スペンサーらが提唱した。19世紀ドイツで議論が深められ、ブルンチュリ、ギールケらは、国家は単に法的組織にとどまらない、文化的多様性をもった歴史的存在としての倫理的・精神的有機体つまり生命体であるとした。国家有機体説は、個人の生存は一時のもので、国家は永遠に生存し、個人は国家の一部にすぎないとする。そして国家を家族的・生命的な集団ととらえる。このような国家は、国家起源説との関係では、征服国家、階級国家ではあり得ず、家族国家説でのみ、成り立ち得る。家族国家説は、国家有機体説によって補強される。
 国家法人説とは、国家を法律上ひとつの法人だと見る説である。君主・議会・裁判所等は、国家という法人の機関であるととらえる。19世紀ドイツでアルブレヒト、ゲルバー、イェリネックらが提唱した。国家法人論者は、王権神授国家説に対抗するとともに、社会契約国家説にも反対する。社会契約国家説のうち君主主権論では、国家の権利主体は君主となるが、国家法人説では、国家の権利主体は国家法人の代表機関とする。また、社会契約説のうち国民主権論に対しては、国家に国家であるゆえの権威を認めた。わが国では戦前、国家法人説をもとに、天皇機関説が説かれた。天皇機関説は、天皇を国家の主体であり主権者であるとする天皇主権説と対立した。この対立は、国家の本質をどうとらえるかの違いによる。
 私見を述べると、国家の本質を考えるには、その基礎に人間観がなければならない。第1章で人間とは何かについて書いたが、人間をどうとらえるかによって、国家についての見方も変わってくる。それと同時に、人間の権利及び国家の成員としての国民の権利の見方も変わってくる。国家本質論において、今日では、国家法人説が有力であり、国家有機体説は過去のものと考えられがちである。しかし、有機体説は国家が法的組織であることを否定するものではなく、法的組織の基礎にある社会の共同性を重視するものである。有機体説は、機械をモデルに社会をとらえる考え方に対し、生命体をモデルにする考え方である。人間は集団生活を行う動物であり、社会の最小単位は家族である。家族間で生命の共有が行われ、集団的に生命の継承がされる。そうした家族を単位として、社会が構成され、国家が組織されている。それゆえ、有機体説は国家の一面をとらえたものとして、再評価されるべきである。ただし、有機体説は征服国家、階級国家ではあり得ず、家族国家説でのみ、成り立ち得る。征服国家、階級国家では国家法人説が基調となる。これらは支配ー被支配の権力関係を法によって制度化した国家だからであり、国家という集団の中に支配的な部分と被支配的な部分があれば、有機体をモデルとはし得ない。

●国家と階級・民族

 国家の起源と本質に関して代表的な説を述べたが、どのような集団が国家を形成する場合でも、社会の最小単位は家族であり、家族的な基礎を持つ氏族的・部族的共同体が社会を構成する上で、単位的な集団となる。またそのような共同体的な集団の間で征服・支配がされたり、集団内または集団間で階級分化が起こったりすると考えられる。次に、ここで重要なものが、国家と階級・民族の関係である。
 マルクス=レーニン主義は、近代国家では、政府が国内の実力を独占し、階級支配を行うと考える。しかし、文明学的に見ると、世界の文明史では、階級間より民族間の支配のほうが顕著である。征服した民族が支配集団となり、それが支配階級となる事例が、諸文明の歴史をおおっている。共産主義は、生産力の向上と私有財産制の発達による階級分化という経済的・内発的な要因を重視するが、文明学は侵攻・征服による軍事的・外発的な要因の大きさを指摘する。前者を否定するのではない。単純すぎると批判するのである。
 階級支配論に立つマルクス=エンゲルスは、イギリスをモデルに市民社会と近代国家の発生を理論化した。しかし、イギリスの歴史を見ても、ケルト人の国へ、ディーン人、アングロ=サクソン人、ノルマン人が次々に侵攻・流入を繰り返した。征服した民族が支配集団となり、また次に征服した民族がそれを襲った結果、社会が多民族的に階層化し、地域的にもある程度分かれて居住している。
 経済的・内発的なモデルが最もよく当てはまるのは、イギリス資本主義の発達過程だが、この場合ですらノルマン・コンクェストによるノルマン系の貴族に対して、アングロ=サクソン系の多いヨーマンリー(独立自営農民)、ジェントリー(郷紳)の台頭といった民族間の要素がある。貴族はフランス語を、庶民はドイツ系の古英語を話していた。そうした集団と言語と文化が融合していったのである。
 民族間の侵攻や征服の繰り返しに注目すると、共同体としての国家が持つ統治機構つまり政府とは、対外的な自衛のために不可欠の機構であることがわかる。政府は、確かに対内的な階級支配のための実力装置として働くが、それよりも対外的な自衛装置としての役割が大きい。対外的には外敵の侵攻を防ぐための自衛装置が、対内的には統治に必要な治安維持装置となる。また集団において組織された実力は、対外的に侵攻するための組織機構ともなる。その組織機構は、征服した集団を支配するための統治機構ともなる。それが支配集団と被支配集団の関係においては、階級支配のための実力装置として働く。
 統治機構を失い、無政府状態になった集団は、外敵に容易に征服される。そして、侵攻を受けた集団は、そっくり侵攻者に支配される集団となる。それは、同一集団内における支配より、はるかに苛烈なものである。結果は殺戮、暴行、略奪、奴隷化である。別の場合は、ユダヤ人のように居住する土地を失い、諸国に離散・流浪することになる。

 

●国家の分類

 次に国家の歴史・機能・統治形態による分類について述べる。
 まず国家の歴史的な分類としては、マルクスの説が代表的である。マルクスは、近代西欧の国家が形成される以前に、アジア的国家、奴隷制国家、封建制国家、絶対主義国家が存在したとする。マルクスは、19世紀的な進歩の観念のもとに、単線的な発展を想定する歴史観に立っていた。だが、奴隷制国家は、古代ギリシャ=ローマの文明の国家であり、封建制国家・絶対主義国家はその文明が滅亡した後に別の地域に興隆したヨーロッパ文明の国家である。本稿では便宜的にこれらの文明を合わせて西洋文明と呼ぶことがあるが、これらの文明の間に文化要素の継承は見られるが、単純に連続してはいない。またアジア的国家は、非常に大雑把な仮説であって、果たして一個の類型とし得るか、多くの論議がされてきた。文明学の研究は、この仮説を斥ける。
 次に西欧発の近代国家には、政治的には市民国家(社会契約説的国家)・国民国家、経済的には資本主義国家・社会主義国家があるとするのが、通説となっている。しかし、非西欧社会には、西欧における封建制が存在せず、封建制国家から資本主義国家へという発展図式が当てはまらない社会がほとんどである。例外は日本だけである。また西欧における市民革命を経ずに、資本主義が移植されて発達している国々が、非西欧では大半である。軍事政権による経済的近代化が一定の成功を見せている国も多い。いわゆる社会主義国家について、資本主義国家と全く経済原理の異なる国家とは、私は認められない。資本主義国家と社会主義国家の違いは、自由主義的な資本主義と統制主義的な資本主義の違いであり、後者はこれをマルクス・レーニンらの思想で粉飾しただけである。思想は社会主義だが、実質は官僚集団の所有による国家資本(政府資本)を主とした統制経済体制である。生産手段の所有形態が一部社会的所有であったとしても、特権集団が生産手段を管理し、それによる利益を独占している体制は、経済理論的に社会主義とは言えない。資本主義の変形に過ぎない。旧ソ連は、ブレジネフ書記長の時代に、そうした体制でありながら、ソ連は共産主義の段階に到達したと発表した。しかし、その後、ソ連は経済的な停滞を主たる原因として崩壊した。それゆえ、マルクス主義の国家分類論を、私は評価できない。
 次に、国家の機能的な分類について、通説では、近代国家において、国家(政府)の機能が最も小さいものが夜警国家(消極国家)、最も大きいものが福祉国家(積極国家)とされる。夜警国家とは、17世紀から19世紀にかけての主要な国家観であり、政府の役割は、国防と治安の維持だけでよい、経済については自由放任で、市場の機能に任せたほうがよいという考え方である。古典的な自由主義(リベラリズム)の国家観である。これに対し、20世紀には政府の経済への積極的な関与を求める福祉国家という国家観が発達した。福祉国家観は、政府が市場に一定の管理を行うもので、修正的な自由主義の国家観である。これが今日の国家観の主流になっている。
 福祉国家観に対抗する思想に、古典的自由主義の伝統を継ぐリバータリアニズム(
自由至上主義)がある。米国には根強い支持者がおり、国家の機能を最小限度にすべきだという消極国家を提唱している。リバータリアンの消極国家観は、自由を最高価値とする思想から生じる国家観である。一方、自由と平等のバランスに配慮する思想からは、積極国家観が生じる。さらにもっと平等を重視する思想は、社会主義及び共産主義の国家観に近づく。社会主義を標榜する国家は、自由主義的な資本主義の福祉国家以上に政府の機能が大きい。とりわけ共産主義国家は、計画経済を試みるため、政府が極限的に肥大する。
 次に、国家の統治形態による分類としては、西欧では古代ギリシャのアリストテレスによる分類が原型となっている。アリストテレスは、国家を統治権者の数によって、君主政治、貴族政治、民主政治の三種に区分した。統治権者が一人、数人、多数として分けられる。アリストテレスは、君主政治は堕落すると暴君政治になり、同じく貴族政治は寡頭政治、民主政治は愚民政治になる、と説いた。
 15〜16世紀イタリアの政治思想家マキァヴェリは、国家の分類の基準を国家意思の構成に置き、君主制と共和制に分類した。君主制には専制君主制と立憲君主制がある。立憲君主制とは、憲法を制定し、君主の権利・権力を制限する制度である。君主が統治権を保有しているが、その運用は憲法に従う。共和制とは、君主が存在せず、人民が統治を行う制度である。共和制には、民主政治と独裁政治がある。民主政治(デモクラシー)は、国民が直接・間接に政治権力に参加している政治であり、独裁政治は独裁者または独裁集団が権力を掌握している政治である。
 近代西欧では、君主制・共和制を問わず、民主政治が主流となっている。だが、共産主義革命によって20世紀に出現した国家もまた民主政治を標榜する。社会民主主義または社会主義的な民主主義の名のもとに、階級闘争による民主集中制を唱えるが、その実態は共産党による独裁政治を偽装したものである。
 ここで、わが国で「民主主義」と訳されるデモクラシーについて述べたい。民主主義という訳語は、デモクラシーが「国民主権」及び「人民主権」と同義であるという誤解を招く。デモクラシーは、古代ギリシャ語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、支配)を合わせたデモクラティア(democratia)を語源とする。民衆が政治権力に参加する制度を意味する。またその制度を実現・拡大しようとする思想・運動を意味する場合もある。
 民衆が一応国政に参加できる仕組み、つまり議会なり選挙なりの形式さえあれば、どのような政体でもデモクラシーと呼び得る。君主制のイギリスも、共和制のアメリカも、民主集中制の名のもと実は共産党官僚独裁の旧ソ連も、デモクラシーを自称できる。共産党が事実上の独裁を行っている中国や、金一族が三代世襲を続けている北朝鮮では、建国以来、一度も民主的な選挙が行われていないのに、「人民民主主義」を国名に入れている。経済体制については、資本主義でも社会主義でも、自由経済でも統制経済でも計画経済でも、デモクラシーと主張できる。それゆえ、デモクラシーというだけでは大して価値はない。デモクラシーを真に価値あるものにするには、国民の自由が保障され、権利が行使される体制が形成されなければならない。すなわち、リベラル・デモクラシーであってこそ、デモクラシーは真の価値を発揮する。ただし、このことは、共和制が理想の政治体制であることを意味しない。西欧には、君主制を伝統的な政治体制とするリベラル・デモクラシーの国が多数ある。その代表がイギリスである。非西欧社会では、日本がその代表的な国である。これらの君主制リベラル・デモクラシーの国家は、伝統を保ちつつ、比較的安定した政治を行っている傾向がある。人権が最も発達し、保障されているのは、こうした国々である。

 

●国家における権利と権力

 これまで国家を意味する言葉の語義、国家の起源・本質・分類等について述べた。国家に関する基本的な事柄を確認し終えたところで、次に、国家における権利と権力について述べたい。
 国家は最大規模の集団であり、集団的な権利の主体である。国民の集団である国家は、一つの共同体として意思決定をしなければならない。そのために必要なのが政府である。政府は、共同体が占有する領域や、帰属する国民を統治するための機関である。英語の標準的な用語では、国民の共同体が nation、その統治機関が state である。国家の統治機関である政府は、自ら権利を行使する主体であり、また国民に権利を保障する主体である。政府は国民個人との間で、互いに権利の主体として関わり合う。また、他国の政府との間で、互いに権利の主体として関わり合う。
 権利の相互作用を力の観念でとらえたものが権力である。権利の主体としての国家は、国家的な権力を保有し行使する主体でもある。権力は、権利の主体の持つ能力であり、主体の意思の働きであり、他者に自己の意思を実力で強制する強制力である。こうした能力、意思、強制力という三つの要素が、力としての権力を構成している。
 国家(政府)は権力の主体でもあり、国家を力の観念でとらえて、英語では power とも呼ぶ。国家が power と呼ばれる理由は、二つある。第一の理由は、国家は国民によって担われながら、国民個々を超えた外在的な力として表象されるからである。ここでの権力は、人民を保護―受援したり、支配−服従させたりする意思の働きを力の観念でとらえたものである。権力は国民に権威を感じさせ、権威に裏付けられたとき、一層強固なものとなる。マックス・ウェーバーは、支配の正当性について、伝統的支配、カリスマ的支配、合法性による支配を挙げ、支配における権威の働きの重要性を指摘した。ウェーバーは、国家は政治団体として、「秩序の保証のために暴力行為を使用する(少なくとも併用する)」という事実のほかに、「或る地域に対する行政スタッフ及び秩序の支配を要求し、これを暴力行為によって保証する」という特徴を持つとする。こうした国家の権力は、実力とともに権威に裏付けられてこそ、有効に機能する。
 国家が power と呼ばれる第二の理由は、国家は権力争いを行う主体だからである。国家間の権力争いとは、軍事力を含む様々な資源を動員して互いに自己の意思を貫徹しようとする競争のことである。この競走において、国家は単一の意思を持つ主体として、権利の維持と拡大を求めて行動する。政府は他国に対して、権力として立ち現れる。英語の power は「強国(strong country)」の意でも使われ、複数形 powers は「列強」と訳す。これは列強間の力のぶつかり合いを、端的に力の観念で表したものである。国家間の力と力の争いを、パワーゲーム(power game)という。ここにおけるgameは競争の意味であり、パワーゲームは権力争いである。また、国家間の武力外交や権力政治を、パワーポリティックス(power politics)という。パワーポリティックスは、国力の争いである。国力とは、軍事力、外交力、経済力、文化力、人口力等の国民的能力の総合力である。パワーポリティックスは、国力の中心を軍事力に置き、軍事力に裏付けられた力の外交及び国政政治をいうものである。
 近代西欧において、各国の政府は、他の国家との間で、権利の相互承認や不承認をする。この外交の場で、政府の機関は、国家を代表して、集団として持つ権利を主張し、交渉を行う。国家と国家の外交や戦争は、権利と権利のぶつかり合いであり、権力と権力のぶつかり合いである。外交で決着の得られない問題については、武力が行使される場合がある。
 国家に関する議論では、しばしば国家の権利・権力と人民の権利・権力の対立という図式が強調され、支配―服従または抑圧―反発が主に語られる。しかし、わが国を始め非西欧社会にも広がりつつあるリベラル・デモクラシーの近代国家では、権利と権力の源泉は、国民の存在と切り離せない。君主制であれ、共和制であれ、国民は政治に参加することによって、政府による統治に関与する。単に受動的な存在ではない。統治権の行使の対象であるだけでなく、統治権を共有する権利主体である。統治される客体であるとともに、統治する主体でもある。
 近代国家の統治機関は、憲法及び法律に基づいて国民に権利を保障する。その権利は、政治に参加する国民が相互に権利を承認し、保障し合うものでもある。この権利の相互保障の根本は、国民による共同体の防衛である。国民共同体は、国民が相互の生命と財産、国家の独立と主権を守る協同組織である。この協同組織は、他国から自らを守る権利を持つ。それが自衛権であり、自衛権を力の観念でとらえれば、自衛力となる。自衛力は、国民の権利に基づく権力の表れの一つである。他国に対する力を構成するのは、国民の能力であり、意思であり、組織化された実力である。
 近代西欧諸国が非西欧社会に進出したとき、各地域で西欧型の国家とは異なる形態を持った国家が西欧型国家と遭遇した。それぞれ領域・人民・統治権を持った国家と国家、あるいはその統治機関としての政府と政府が国家の権利をめぐって争った。領域・人民の統治権、土地や施設の使用権、徴税権、陸上・海上の通行権、商品交換の通商権等である。そこで、国家の制度・形態の違いを超えて明らかになったのは、どのような制度・形態であれ、軍事力の強い方が相手を支配するということである。軍事力の裏付けは、生産力や技術力、指導者の統率力、国民の意識等である。どのような裏付けであれ、結果として軍事力に勝る者が、相手を従わせる。それによって出来た支配―服従の関係を固定するために、征服者・支配者の法が押し付けられるのである。
 人権を考察する際、こうした国家の権利と国民の権利の関係、国家の権力と国民によって組織された実力の関係をよく踏まえる必要がある。その点を理解するには、国家の3要素のうちの一つである主権について、その本質と歴史を把握しなければならない。
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(2)主権とは何か

 

●「主権」という訳語

 「主権」という漢字単語は、英語 sovereignty、独語 Souveränität、仏語 souverainite 等の訳語である。これらの西欧単語は、もともと「神の完全な自由とすべてを支配する力」を意味する。もとは「〜の上に」「君主に属する」を意味するラテン語からきている。それが古フランス語で soverain となり、各国語で語形が変化した。英語で言えば、sovereignty は神の sovereignty であり、the sovereignty of God という文言がある。sovereignty の語幹の reign は、「君主の地位にあることやその期間」「君臨、統治、支配」を意味する名詞である。動詞も同形で、「君臨する、統治する、支配する」を意味する。sovereign は人を表す名詞で、「君主、主権者、統治者、支配者」を意味する。形容詞も同形で、「人が君主である、主権を有する」「権力が最高の、絶対の」を意味する。こうした背景を持つ sovereignty 等の西欧単語に充てるために、「主権」という漢字単語が創られたのである。
 「主権」という漢字単語は、「主」と「権」で成り立つ。「権」は、重さを量る物の意味から、バランスに影響する重さや重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する人や団体が持つ勢力や資格をも意味するに至った文字である。これに「主」の文字を組み合わせた。主権に当たる西欧単語の翻訳に、「主」の文字を用いたのは、見事な工夫である。主権という観念は、ユダヤ=キリスト教の唯一男性神つまり「主(the Lord)」が持つとされる「完全な自由とすべてを支配する力」に由来する。即ち、創造主の自由と権力である。ここで自由とは、自由に創造できる能力であり、いわば絶対的な自由権である。「主権」という訳語は、こうした「主」としての神に由来することを含意したものだろう。「主」の権利と権力を地上において人間が代行するとしたものが、主権だからである。
 わが国では、室町時代の1549年にキリスト教が伝来し、西欧人宣教師が伝道を行った。江戸時代初期に刊行された日葡辞書では、キリスト教の神を「天主」と訳した。天の主、宇宙の造物主である。キリスト教の唯一神(ヤーウェ)に充てるには、人間の霊魂や天神地祇を意味する漢語の「神」より、ぬし、かしら、あるじを意味する「主」の方が適切だった。主権を意味する西欧単語を訳すのに「主」の文字を用いたのは、キリスト教と日本文化の深い理解に基づいている、と私は思う。
 「主」の文字に絡めて書けば、主権は「天主」としての神の権利と権力が、「君主」としての国王の権利と権力に移り、さらに「民主」としての人民の権利と権力に移行してきたものである。英語で表すと、the sovereignty of God the sovereignty of King に、さらに the sovereignty of people に移ったわけである。

●主権の実態は統治権

 主権の実態は、統治権である。一定の領域・人民を統治する権利である。通説では、主権の概念には、三つの意味があるとされる。@国家固有の統治権、A国権の最高性、B国権の最高機関である。これらの三つの意味の中心は、統治権にある。うち@は、統治権が国家に固有のものであることを意味する。Aは、統治権が国内的・対外的に最高の権利であることを意味し、Bは、それが同時に統治権を行使するための最高の機関をも意味する。主権は、近代西欧国家における統治権の固有性、最高性、またその機関を一語で表しているのである。
 近代西欧では、1648年のウェストファリア条約によって、神聖ローマ帝国内の諸侯が完全な領土主権を認められた。また同時に諸国の主権も認められた。それによって、従来の封建制国家とは異なる主権国家が出現した。主権国家は、互いに国境で接する政治団体である。主権とは、国境で区画された領域内における最高の統治権である。「主権」が定訳になっている sovereignty 等の西欧単語は、「最高統治権」とも訳し得る。
 私は、権利の相互作用を力の観念でとらえたものが権力と考えるのだが、近代西欧では実際、主権は「最高の力(puissance souverainethe highest power)」と呼ばれてきた。主権は統治する権利であって、同時に権力である。権力の最小規模は、集団の最小規模である家族における権力すなわち家族的な権力である。権力の最大規模は、集団の最大規模である国家における権力すなわち国家的な権力である。この中間に、さまざまな集団における社会的な権力が存在する。社会的な権力は、一定の領域の統治に関わることによって、政治的権力となる。政治的権力とは、集団や国家の統治機構において、統治者の持つ権利を力の観念でとらえたものである。国家権力は、政治権力の最高のものである。この国家における最高の権力を sovereignty 等という。その訳語が「主権」である。それゆえ、「主権」という漢字単語において、「主」が持つ「権」とは、権利と権力を同時に意味するのである。


●主権はキリスト教の神観念に由来

 ここでヨーロッパの区分について、記しておきたい。本稿は、人権の考察に当たり、いわゆる西欧を中心に論じている。ヨーロッパは、ユーラシア大陸の西端に位置する。古代ローマ帝国の東西分裂後、ヨーロッパは大きく東方と西方に分かれた。ともにキリスト教文化圏であり、東方ではギリシャ正教が発達した。西方ではカトリックが発達し、それへの批判からプロテスタンティズムが分派した。ハンチントンは、東西のキリスト教文明を、東方正教文明(ロシア・東欧)とキリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)に分けている。私は東方キリスト教文明、西方キリスト教文明とも呼ぶ。西方ヨーロッパ、いわゆる西欧は、地理的に、地中海地域を中心とした南ヨーロッパ、アルプス以北を中心とした中部ヨーロッパ、北海・バルト海に接する北ヨーロッパに分けられる。また大陸ヨーロッパと、辺境の島嶼に分けられる。
 本稿では、こうした構図の中で、西方ヨーロッパを西欧と呼んでいる。西欧の中には、南ヨーロッパ、中部ヨーロッパ、北ヨーロッパ、周辺島嶼が含まれる。
 西洋文明は、古代ギリシャ=ローマ文明の継承者の一つである。他の文明には、東方キリスト教文明、イスラーム文明がある。16世紀まで西洋文明は、これらの文明のうち、決して群を抜いた存在ではなかった。しかし、西洋文明は、世界で初めて近代化が起こったことにより、人類の文明史において、特別の存在となった。人権の観念もまた西洋文明において発生した。人権の考察においては、西方ヨーロッパにおける文明が、地中海地域で繁栄・滅亡した文明からキリスト教を継承したことが重要である。人権の観念は、キリスト教を背景として現れたからであり、また同じくキリスト教から現れた主権の概念と切り離せないものだからである。
 近代西欧に発生した主権の概念は、キリスト教の神の観念に由来する。キリスト教は、ユダヤ教が発展し、別の宗教となったものである。ユダヤ教は、民族的な宗教であり、選民思想を特徴とする。キリスト教は、ユダヤ教と旧約聖書を共にし、またその神を共にする。そえゆえ、キリスト教の神は、本来ユダヤ民族の神であるという出自を持つ。
 ギリシャ人・ローマ人やゲルマン民族は、もともとユダヤ民族の神を仰いでいたのではない。キリスト教への改宗によって、ユダヤ民族の神を、唯一の神と仰ぐように変わったのである。ローマ帝国では、キリスト教は国教となり、カトリック教会が絶大な権威を持つに至った。地中海地域の民族の多くは、キリスト教徒となった。
 辺境のゲルマン民族は、4〜5世紀の民族大移動によって西欧に移住した。ローマ帝国に多く流入するとともに、各地で先住民を追いやって占拠した土地に住み着いた。彼らは当初、自らの祖先を崇敬する祖先崇拝と自然の神秘を崇拝する自然崇拝を行っていた。自然の神々を仰ぎつつ、祖先を祀り、祖先から受継いだ伝統を順守して生活していた。社会における権威の源泉は、祖先の意思や慣習だった。ところが彼らは、キリスト教の伝道を受けると、伝統的な信仰を捨て、異民族の神に帰依し、そこに権利や権力の源を求めるようになった。
 ユダヤ教の聖典である旧約聖書は、ユダヤ民族の祖先であるアブラハムがヤーウェという神と契約を結んだことを記している。神(ヤーウェ)は、自らと契約する民のみを守護する。その民に服従を求め、従わねば厳しく罰し、時に大量に滅ぼしさえする。しかも、正義や救済のためだけでなく、嫉妬や復讐のために力を振るう。旧約聖書は、神の行いについて、軍事と裁きを強調した。戦う神という観念が特徴的である。これを最もよく表すのは、「万軍の神なる主」または「万軍の主」という尊称である。ヤーウェは「嫉む神」であり「復讐の神」である。ここにおける神の観念が闘争的性格を持っているのは、その神と契約したと考える集団の中に、対立と支配、他集団との闘争があることの反映である。激しい集団間の闘争・支配・隷属・嫉妬・復讐等が、ユダヤ民族の神観念の土壌である。
 戦う神という観念は、ユダヤ教を改革しようとしたイエスが開いたキリスト教でも、貫かれている。イエスは愛の教えを説き、弟子のパウロは「神は愛である」と愛を原理化した。しかし、根底にあるユダヤ教の戦う神が、愛の神にすっかり成り代わったのではない。キリスト教の神は、戦う神であることを性格の根底に持っている。「万軍の主」ヤーウェは、キリスト教徒の仰ぐ神でもある。
 カトリック教会で使われるラテン語では、主は Domine、神は Deus といい、イエスを主と仰いで、主イエス・キリスト Domine Jesu Christe と呼ぶ。この主は、「万軍の主」の「主」でもあり、本章の主題である「主権」の「主」でもある。

 

●権利・権力の神授説の展開

 ユダヤ=キリスト教では、「主=神」は「完全な自由とすべてを支配する力」を持つとされる。古代のローマ=カトリック教会では、こうした神の権利と権力を地上において代行する組織が「教会」とされた。教皇は、神の代理人とされる。教皇は、主イエスの弟子にして代理人とされたペテロの後継者である。ローマ帝国の皇帝の権力と結びついた教皇は、中世西欧において、宗教的世界と世俗的世界の両方に絶大な権限を持っていた。
 ローマ帝国では、今日の主権にあたる統治権は、皇帝アウグストゥスの後継者としてのローマ皇帝にあった。帝国末期の391年にキリスト教が国教化されたが、その後、間もなく帝国は東西に分裂し、476年には西ローマ帝国が滅亡した。以来、南ヨーロッパを中心に、ローマ教皇が宗教的な権威と一定の世俗的な権力を保った。中部ヨーロパ・北ヨーロッパでは、ゲルマン民族の諸部族が各地に国家を設立した。その最大のものが、フランク族によるフランク国である。
 教皇レオ3世は、西ローマ帝国の復活を願い、800年にフランク国王カールを西ローマ帝国の皇帝として戴冠した。皇帝とは諸王の上に立つ王であり、教皇から戴冠された王である。皇帝戴冠により、以後、西欧は教皇と皇帝が併存する社会となった。962年にオットー1世が皇帝となった。それが神聖ローマ帝国の始まりとされる。復活した西ローマ帝国、またその継承者である神聖ローマ帝国が成立した後、西洋文明は、ローマ・カトリック教会の教皇の持つ宗教的な権威と、神聖ローマ帝国皇帝の世俗的権力の二元構造をもって発達した。
 中世の西欧では、ローマ教会が精神的権威を放ち、同時に広大な領地を持って、政治的な権力を振るってもいた。神の代理人としての教皇の権利と権力は強大だった。近代西欧に現れる絶対王政の君主の原型は、ローマ教皇に見出される。
 西欧における権利と権力の根源は、ユダヤ=キリスト教の神に求められる。この思想は、権利と権力は、神に授ったものとする思想であり、権利・権力の神授説と言える。神授説と言えば、一般に知られるのは、王権神授説(divine right of kings)である。王権神授説は、中世以来の教皇権・皇帝権に対して、国王権の独自性を主張するものだが、元は教皇権の神授説にさかのぼる。これを教権神授説(divine right of the Pope)と呼ぶ。皇帝は教権神授説を真似て、皇帝権の神授説を唱えた。これを帝権神授説(divine right of the Emperor)と呼ぶ。先の王権神授説は、帝権神授説の応用でもあった。
 西方キリスト教文化圏における権利・権力の神授説は、<教権→帝権→王権→民権>という順番に展開した。そして、一部否定されるに至った。その展開は、概ね次のようだった。

(1)教権神授説〜ローマ・カトリック教会の教義。教皇は神の代理人とされ、教皇の権利と権力は神に与えられたものとする。教会の正統性の根拠とされる。
(2)帝権神授説〜12世紀半ば皇帝フリードリッヒ1世が教皇に対抗して唱え、14世紀初めイタリアのダンテ・アリギエリ等が主張した。
(3)王権神授説〜16世紀後半フランスのジャン・ボダンが唱え、17世紀前半イギリスのロバート・フィルマー等が主張。絶対王政の国王の多くが援用した。
(4)民権神授説〜17世紀後半ロックが唱え、アメリカ独立宣言に表現された。フランス人権宣言では、キリスト教の神が「至高の存在」に置き換わった。
(5)民権互認説〜19世紀以降の世俗化・脱キリスト教化した社会思想で、人民に権利と権力の根拠を置き、人民が相互に権利と権力を承認するという思想。

 民権神授説とは、王権が神授とされるのに対抗して、民権も神授だと唱えられたものである。民権互認説も、私の造語である。神が授けるという思想を否定すれば、人が認め合うというものとなる。ただし、非西欧で多く見られる先祖から受け継いだという考え方ではなく、同時代の人間同士が認め合うというところに、19世紀以降の西欧における民権互認説の特徴がある。
 ともあれ、西方キリスト教の文化圏では、教権神授説に対抗して帝権神授説が現れ、次に教皇権と皇帝権に対して王権の強化を図るところに、王権神授説が現れた。王権の強化が、近代的な国家主権の形成に至った。国王の主権に抵抗し、王権に対して民権の確保・拡大を図る中で、王権神授説に対して民権神授説が主張され、人権の思想が発達した。市民革命は、国王の主権の全部または一部を、国民が獲得する運動だった。国によって、君民が主権を共有する体制あるいは国民が主権を奪取した体制になった。この過程で、国民の権利が拡大された。その権利が、普遍的・生得的な人権という観念で表現された。それゆえ、主権と民権と人権は、相互関係の中で発達したものである。

 

●西欧における暴政・圧政の宗教的な理由

 主権とは統治権であり、統治権とは統治する権利である。権利には協同的権利と闘争的権利があり、権力にも協同的権力と闘争的権力がある。家族的権力が発達した氏族的・部族的権力は本来、協調的だった。それゆえ、統治権にも協同性と闘争性がある。だが、近代西欧に発達した国家主権は、闘争的権利であり、闘争的権力である点に特徴がある。
 西欧では、16〜18世紀の絶対王政期に、諸国の国王が主権を保有して無制約の権力を振るい、専制を行った。宗教宗派を弾圧したり、信教を押し付けたり、重税を課したりした。諸国の国王は、王権神授説を援用して王権を強化した。国王は神の代理人にして王権は神授のものとする説の根拠は、ユダヤ=キリスト教の教義である。国王の専制は、ユダヤ=キリスト教の神を模倣するものである。私はそこに地上における神の代理人を自認する諸国の国王が暴政・圧政を行うことになった宗教的な理由があると考える。
 ところで、西欧の近代化は、魔女狩りと有色人種の奴隷化の上に進展した。これらを正当化したのは、キリスト教である。魔女狩りは非キリスト教的なものを排除する社会現象だった。魔女狩りは、ルネッサンス期に嵐のように吹き荒れたが、その最盛期は、宗教改革時代と共に訪れ、1600年を中心とした1世紀がピークだった。魔女狩りはカトリック信者だけでなく、プロテスタントも行った。ドイツのプロテスタントも、アメリカのピューリタンも、魔女狩りに熱狂した。これは、プロテスタンティズムの倫理の暗黒面であり、ユダヤ=キリスト教自体の持つ暗黒面でもある。
 中世の西欧は、農奴制であって、奴隷は存在しなかった。ところが非西欧を征服・支配した西欧白人種は有色人種を奴隷化・家畜化した。新大陸と呼ばれる北米、南米、そしてアフリカでは、非キリスト教徒である有色人種は、人間とみなされなかった。植民帝国の国王は、その大陸間帝国の頂点にあって、有色人種の奴隷を持つ専制君主だった。カトリック教会は、非キリスト教徒である有色人種を奴隷とすることを、教義的に正当化した。イエス=キリストの教えは、隣人愛を説く。使徒パウロは「神は愛である」と説いた。しかし、キリスト教徒の愛は、異教徒には及ばされなかった。むしろ、ユダヤ教の神の専制性と選民思想が、キリスト教の教義を突き破って、近代西欧に現れたというべきだろう。この構造は、主権の形式にも貫かれている。
 魔女狩りと有色人種の奴隷化を正当化するキリスト教のもとに、西欧の近代主権国家は出現した。主権国家の最初の形態が絶対王政国家である。絶対王政の君主は、しばしば暴政・圧政を行った。その理由の一つは、ユダヤ=キリスト教の神は、「戦う神」「裁く神」であり、「嫉む神」「復讐の神」であることにある。旧約聖書に書かれているヤーウェは、自らと契約する民をのみ守護する。その民に服従を求め、従わねば厳しく罰し、時に大量に滅ぼしさえする。王権神授説に依る西欧の絶対君主は、その地上における神の代理人である。「戦う神」「裁く神」「妬む神」「復讐の神」から無制約の権力を与えられていると考える国王は、権力を恣にすることになる。
 専制君主への激しい反発として、市民革命が起こった。専制的な王権の権力を、貴族・市民階級が闘争によって共有または奪取した。主権は君主の主権から君民共有の主権または国民所有の主権へと移行した。そして、人権は、この過程で、国王の主権に対抗するものとして唱えられ、主権に参画した国民の権利として、確保・拡大されてきた。中世以降の西洋文明の歴史については、第2部で詳しく述べる。
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(3)国家における国民

 

●国家における国民

次に、国家における国民について述べる。国家には、領域、人民、統治権の三つの要素がある。これらの要素のうちの人民に当たるのが、近代国家における国民である。
 西欧での近代国家形成においては、一定の地域を領土とした際、その住民が国民となった。それまで村落や都市のような地域的な集団に属していた人々が、国家というより大きな集団にも所属するようになった。
 国民とは、nation(ネイション)の訳語である。ネイションは、古代ローマ帝国において用いられた「生まれ」「同郷の集団」を意味するラテン語natio(ナチオ)を語源とする。ナチオは本来、郷土を同じくする集団だった。そのナチオが、17世紀の西欧において、近代的なネイションの観念と結びつけられた。共通の対象が、郷土から国家・国民へと拡大された。政治学者アンソニー・スミスは、ネイションとは「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通する経済、構成員に対する共通する法的権利義務を共有する特定の人々」と定義している。私見によれば、
ネイションとは、言語・文化・宗教・歴史・出自等の共有意識を持ち、政治的単位と民族的単位がほぼ一致しており、一定の領域に主権を行使する独自の政府を持つ集団である。近代西欧に現れたネイションと前近代及び非西欧の政治的共同体の違いは、主権の所有の有無による。

近代的なネイションが形成される過程で、そのネイションのもとになった集団が存在した。これをエスニック・グループという。血統または祖先、言語・宗教・文化・生活習慣等を共有し、「われわれは○○である」という自己意識を持ち、他と自己を区別する集団である。ネイションを国民とすれば、エスニック・グル―プは民族である。エスニック・グループは、単に文化的な共同体ではなく、政治的な共同体でもあり得る。ネイションとエスニック・グループとの違いは、後者の場合、統治権を所有していても、それが主権とは認められていないことである。

 西欧の封建国家は、国境が明確でなく、住民の多くに帰属意識がなく、一定の統治権はあるが主権ではなかった。これに対し、近代主権国家は、他国との明確な国境、国家に所属する国民、領域における主権を持つ集団である。ウェストファリア条約の成立時点で、それぞれの主権国家は、国境で区切られた領土を持ち、その区域内の住民は、形式的にはその国家の国民となったと考えられる。ただし、まだ、国民の多くには国民という意識がなく、言語・文化・宗教等は多様であり、いくつかの民族(ethnic groups)が併存・混在している状態である。こうした形式的な国民を実質的な国民に変えていくことが、国民(nation)の形成といえる。国民の実質化は、国民としての集団的な自己意識を持ち、一体性が生まれていったことである。

ネイションには、政治共同体・言語共同体・文化共同体・宗教共同体・経済共同体等の側面があるが、最も強固なネイションは、生死・存亡を共にする運命共同体としてのネイションである。ネイションでありながら、複数の言語が使用される多言語社会、複数の文化が混在する多文化社会、複数の宗教が併存する多宗教社会、階級で利害が違う階級社会など、ネイションの実態はさまざまである。しかし、こうした違いを超えて、自分たちは運命を共有している、生死・存亡をともにしているという意識が、ネイションを強固にする。そして、運命共同体としての自覚は、侵攻・外圧・課税等、外からの力に対する防衛・反発において最も強まる。運命を共にする共同体となることによって、国民という集団が家族や氏族のような共有生命的な共同体と意識される。
 ネイションはアイデンティティの対象の一つであるから、それよりも強い求心力を持つ対象があれば、人々の帰属意識の優先度はそちらに移る。たとえば、エスニック・グループや結社、宗教団体、企業等の集団である。だが、ネイションは国家と規模が一致することで、法による忠誠義務を課し、権力による強制を施すことができる。その点が他の集団と異なる。ネイションは、他の集団を私的なものとし、公的な秩序に組み込むことが可能である。そして、アイデンティティを序列化し、単なる政治的・文化的等の共同体ではなく、運命共同体となることができるか否かに、その興亡盛衰がかかっている。

 

●国民の証としての国籍

 ある人がある国の国民であることを証するものが、国籍である。国籍とは、国民としての資格であり、国民とは、その国の国籍を保有する者をいう。国籍は統治機関としての政府が付与する資格である。国民としてのアイデンティティは、国民における主観的な要素であり、国籍は国民における客観的な要素である。国籍は、19世紀の西欧において発達した制度である。今日の国際社会では、ある個人がどの国家の国民であるかを識別する指標となっている。
 国籍の有無が国民と非国民を分ける。国民と非国民は無差別平等ではない。外国人は、自らが滞在する領域国において、基本的自由や日常生活に必要な権利等は、領域国の国民と同等の権利を享受する。ただし、参政権や公職に就く権利等は除外されるか、限定される。経済活動に関する権利も、一定の制限が設けられる。例えば、土地・船舶・航空機の所有、資源開発について、領域国は国家の安全や公益を理由に、制限を課すことが認められている。一方、外国人は、自らが滞在する領域国の法令を遵守すべき義務を負い、原則として領域国の国民と同等の義務を負う。ただし義務教育や兵役などの当該領域国の国民に専属的な義務は免除される。
 国籍の付与は、典型的な国内管轄事項である。いかなる人に対していかなる条件のもとに国籍を付与するかは、各国国内法による。一定の条件のもとに重国籍を認める国もあるが、重国籍の場合は、複数の国家により納税や兵役の義務が課せられたり、外交的保護権の行使が主張されたりするなど個人の不利益を招いたり、場合によっては国際紛争の原因となり得る。
 国民とは、単にある時点で国籍を保有する者だけではない。その国民の先祖と子孫を含む。それゆえ、国家は、過去・現在・未来の世代を含む歴史的な総国民によって構成される共同体である。この歴史的総国民の共同体としての国民が、ネイションである。ネイションにあっては、家族における父母―自分―子供という生命的なつながりと似たものとして、国民における先祖―自分たちー子孫というつながりが意識される。
 先祖とは、その国の歴史・伝統・文化・資産を創造・継承してきた国民である。ここで先祖には、その国家が成立する以前の世代を含む。過去の国民の営為に感謝し、彼らの努力の成果を相続するところに、その国民のアイデンティティが成り立つ。国籍を保有することは、単に政府から与えられた資格を持つことではなく、先祖が形成した歴史・伝統・文化・資産を受け継ぐことを意味する。同時に先祖から受け継いだ歴史・伝統・文化・資産を、将来の国民即ち子孫に受け渡していく責務を負うことを意味する。それゆえ、国籍とは、国民として国家の意思を決定し、国家と運命をともにするという意思の表示である。このことを理解し、国民の運命を自らの運命として請け負おうとしない者には、国籍を与えるべきではない。
 本来、国民国家においては、国民の義務として国防の義務を負うことが、国籍付与の条件であるべきものである。だが、わが国は、現行憲法の下、この近代国民国家の重要要素を欠いている。これを正すまでの間は、他国以上に国民としての意識の共有が重要である。移民に国籍を与え、国民としての資格を与えることは、互いに国家を防衛し、運命を共にすることを要求することでなければならない。移民の祖国と戦争になった場合、日本国民として、日本のために判断・行動する覚悟を決めた者でなければ、国籍を与えるべきではない。国籍とは、どの国の立場に立って戦うのかが、究極の選択である。その時、共生による対等ということはあり得ないのである。
 20世紀の世界では、国籍を剥奪されたり、喪失したりした無国籍者が出現した。国際社会において、人権を守るものは、まずその人間が所属する国の政府である。その国の成員であるので、政府は国民を守るのである。だが、無国籍者は、自分の権利を守ってくれるものを持たない。国外強制退去となった時に、当該個人を受け入れる国がないということも起きる。
 ナチス・ドイツにおいて、国籍を剥奪されたユダヤ人は、人間でありながら「人間的な権利」を失った。国籍を喪失して他国に亡命しようとしても、その国の政府が受け入れなければ、権利を保護されない。国籍とは、国際社会において自分の権利を維持するために、最も大切なものである。個人の権利を守り支えているのは、その個人の所属する国家であり、その国家を成り立たしめている国民である。その権利を互いに守り合っているからこそ、自国民を保護するのである。
 ところで、私は近代西欧で人権という概念が発達したのは、西欧諸国に移住したユダヤ人が諸国民の権利のはざまで独自の権利を確保しようとしたことと深い関係があると考えている。古代の中東において国家が崩壊し、国土を失ったユダヤ人は離散民(ディアスポラ)として各地に広がった。ユダヤ人は中世西欧において、権利を制限され、居住地や職業を限定された。イタリア、スペイン等ではユダヤ教からの改宗を強要されたり、国外追放の措置を受けたりした。オランダ、イギリス、フランス等に移住したユダヤ人は、商業・貿易・金融等に非凡な能力を発揮し、経済力を蓄えるとともに、社会的な地位を高めていった。哲学、思想、科学、芸術等にも能力を発揮し、近代西欧の発展に少なからぬ役割を果たした。
 近代における西欧諸国の発展と衰亡は、ユダヤ人の存在なくして語ることができない。彼らは、ある時は商人として国王に重用され、ある時は国王によってその国を追われ、ある時は宮廷で財務を取り仕切り、ある時は国境を越えて金銭を獲得し、ある時は政府を動かして富を蓄積し、ある時は国家によって権利を剥奪され、ある時は国家を創って元の地域住民を駆逐し、ある時はその国家をもって他国を侵攻し、被支配民族から富を収奪した。
 西欧諸国では、キリスト教の新旧諸派だけでなく、ユダヤ教に対しても寛容の原理が説かれた。ユダヤ人の活動無くしては、信教の自由を実現し、思想・信条の自由を確立する運動は、それほど進展しなかっただろう。第2次世界大戦後の世界において、人権が急速に主要価値となって広がったのも、ナチス・ドイツによって生存の危機を体験したユダヤ人の活動が、かなりの影響を与えている、と私は推測している。本稿の主題である人権の思想と発達は、ユダヤ人の権利の防衛と拡大を抜きに考えられないものである。私が、人権は主に国民の権利として発達したという時、副次的にユダヤ人等の権利としても発達したことを含意している。

なお、この第1部では、家族や民族、国家や国民との関係を述べる上で、ネイション、エスニック・グループ、ナショナリズムについて簡単に定義して記述を進めたが、これらの概念には重なり合う部分があり、また相互の関係は複雑である。これらについては、歴史的な展開を踏まえた上で理論的に論じなければならない。詳しくは、第3部に書くことにする。ページの頭へ

 

(4)国益の追求

 

●国益とは何か

 集団の権利が確保されてはじめて、個人の権利が保護され、保障される。集団としての国民の権利は、国民個人の利益に係る権利であるとともに、国家・国民全体の利益すなわち国益に係る権利でもある。このことを抜きにして、人権は論じられない。そこで、次に国益について考察したい。
 国益とは「国家の利益」であり、「国民の利益」である。共同体としての国家の利益であり、そこに所属する国民の共同の利益である。国民は個人の利益を追求するとともに、国民全体としての自分たちの利益を追求する。前者の利益は私的な利益であり、後者の利益は公的な利益である。公共の利益としての国益を追求することは、国民固有の権利である。政府は国益を追求する権利を持ち、国民は国家の一員として国益の実現を要求する権利がある。国民はまた国益の実現に寄与する義務を負う。国民が相互に義務を果たしつつ、国民全体の利益を追求するところに国益は実現する。
 国益には、政治的・経済的・軍事的・外交的の利益がある。わが国では、国益について政府を主体に考える傾向があるが、国益は national interests の訳語である。国益は state またはgovernment の利益ではなく、nation の利益である。すなわち共同体としての国家の利益であり、国民共同体の利益である。この意味をより明確に表す言葉に、「国利民福」がある。国家の利益と人民の幸福を表す言葉である。national interests としての国益は、政治的・経済的・軍事的・外交的の利益であり、かつ国民の幸福を実現し、増大するものである。
 幸福の追求は、今日多くの国で国民の権利と認められているものである。わが国の憲法も、国民の基本的な権利として、生命及び自由の権利とともに幸福追求の権利を規定している。この幸福追求を、国民個人ではなく、国民全体で追求するところに、国民の幸福の追求がある。国民の幸福の実現は、国民の利益としての国益の実現と一体のものである。
 そこで私は、国益について、国民の幸福の追求という観点を入れる考え方を提唱している。この考え方において、私はマズローの欲求段階説を個人から国民に応用し、さらにこれに価値論・人格論を組み合わせる。マズローは、人間の欲求は、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、そして自己実現の欲求の5つに大別されるとし、それらの間に階層的な発展性があるとした。国民の幸福は、これらの欲求が満たされるときに実現される。そして、政府の役割は、これらの欲求が満たされるように、国家の統治を行うところにある。
 国民の幸福の実現の条件は、第一に、生理的欲求という最低限の欲求を満たすことである。とりわけ食欲が満たされ、国民が食っていけることが必要である。また性欲が満たされ、国民が家族を構成し、子孫が繁栄できることである。
 第二に、安全の欲求を満たすことである。国民の身の安全が確保されていることである。他国の侵攻に対する国防や、暴力や革命に対する治安維持が、これにあたる。また、生活が保障され、自分の財産が守られ、維持・増加できるよう、社会秩序が維持されていることである。
 一般に政府の役割は国民の生命と財産を守ることだといわれるのは、国民のこうした生存と安全の欲求を満たすことである。生存と安全は、幸福の実現の最低条件である。
 ここで価値の概念を適用すると、価値とは「よい」と思われる性質である。生理的欲求、安全の欲求は、価値の実現を求める欲求であり、生命的価値と文化的価値の実現を求めるものである。文化的価値は、物質的価値と精神的価値に分かれる。生命的価値と物質的価値が、ある程度、実現しているとき、次の幸福の実現の条件となるのが、精神的価値の追及である。所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求は、精神的価値の実現を求める欲求である。これらの欲求は、人格的な欲求である。
 精神的価値の追求は、マズローの欲求段階説においては、まず第三の所属と愛の欲求を満たすことである。人間は、生存と安全が確保された環境では、社会や集団に帰属し、愛で結ばれた他人との一体感を求める欲求が働く。国家に所属することによる安心、集団において何か役割を持っているというやりがいなどがこれに当たる。国民または民族としてのアイデンティティを持つことは、各個人が自己のアイデンティティを保持するために、重要な要素である。国民的・民族的なアイデンティティの混乱や喪失は、個人に深刻な危機をもたらす。アイデンティティという用語を精神医学・心理学にもたらしたのは、エリック・エリクソンだが、彼自身、自己の民族的な出自に悩んだことが、アイデンティティ論のはじまりだった。
 次に第四の承認の欲求を満たすことである。人間には他人から評価され、尊敬されたいという欲求がある。その欲求が満たされるためには、個人の自由や名誉等が得られることが必要である。国際社会において、国民としての誇りを持てることは、これに当たる。国家や民族の固有の伝統・文化・価値を保ち、子孫に教え、受け継ぐことによって、国民としての誇りを保つことができる。国民としての誇りを持てない場合、国民は欲求不満に陥る。欲求不満は、健全な形で解決されないと、自信喪失によって自虐・自滅への傾向に進んだり、自信回復を目指し、独善的・排外的な傾向に進んだりする。
 さらに、高次の条件として、第五の自己実現の欲求が発揮できるようにすることである。それには、国民の個人個人が自己実現をめざすことのできるような環境を維持または創造することが必要である。自己実現の欲求は、まず個人の才能・能力・潜在性等を充分に開発、利用したいという欲求である。さらに、この欲求がより高次になると、自己の本質を知ることや、宇宙の真理を理解したいという欲求となり、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望となって、悟り、宇宙との一体感等といったより高い目標に向かっていく。自己実現とは、自己の成ることのできる最高のものを目指そうとする精神的・心霊的な成長の欲求であり、人格的な欲求である。
 これらをまとめると、国益とは、生命的・物質的・精神的価値の実現によって、国民の幸福を実現し、増大することである。政府は、こうした重層的・複合的な価値を理解して、国益の実現に努めなければならない。(3)


(3)
アブラハム・マズローについては、下記の拙稿をご参照下さい。
 「人間には自己実現・自己超越の欲求がある〜マズローとトランスパーソナル学

 

●国民の権利としての国益の追求

 前項において、マズローの欲求段階説と生命的・物質的・精神的価値の関係について述べた。これらの価値のうち、特に精神的な価値について補足したい。わが国では、この精神的な価値があまりにも軽視されているからである。日本国民に生まれたことへの誇り、先祖への感謝、子孫への希望を持てること、それらも国民の幸福追求に欠かせないものであり、国益の要素である。そして、日本人が、歴史を独自に解釈し教育する権利、英霊の名誉を顕彰し自らの伝統に従って慰霊する権利なども、国益の一部となる。国益とは、単に領土の保全・拡張や、経済的権益の維持・拡大等といったものだけではないのである。
 国家とは、政治的・文化的・歴史的な共同体である。そして、国家を構成する国民とは、現在の国民だけでない。過去・現在・未来の世代を含む。この観点に立つと、国益は、現在の世代だけではなく、先祖や子孫の世代をも含めた国民の利益となる。この点が重要である。上記の生命的・物質的・精神的価値は、先祖が願ったことであり、我々が自らのため、また子孫のために努力し、子孫もまた求め続けることであろうものである。国益にいう利益とは、こうした意味での国民の幸福を実現し、また増大するものである。
 最低限、生存と安全が保障され、生命的な繁栄また経済的な発展が得られ、さらに国家に所属することによる安心や誇り、個人の自由や名誉、固有の伝統・文化・価値の保守と継承、さらに個人が自己実現のできる環境にあることなどが、その利益の内容であり、目標ともなる。こうした生命的価値、物質的価値、精神的価値を実現すること。それが国益の追求である、と私は考える。そこに、政治・国防・外交・経済・教育等の目標がある。
 国益の追求のためには、国家は自ら意思決定をすることができなくてはならない。他に依存せずに、自己の自由意思によって、自分の態度や運命を選択できるということである。これは他国に対しては主権を維持し、行使することとなる。それなくしては、国際社会において、国民の権利を守り、追及することができない。国益の実現のためには、主権が保持されねばならない。また、その行使として、政治、国防、外交、経済、教育等が重要となる。
 とりわけ、対外的に生存と安全が脅かされる場合は、国内に利害の相違・対立があっても、外敵への対応が優先される。国益の決定的な損失は、個人の利益、企業等の団体の利益にとっても決定的な損失となる。だから、究極的には、個人や集団の社益を守るためには、国益を守らねばならない。
 集団としての国家が確かな意思決定をするためには、国民一人一人が国益を考え、国民全体の幸福を考えて行動しなければならない。国益を実現できていない国家では、政府は国民の権利を十分保障できない。国民は自らの権利を国家・集団を通じて十分実現できない状態となる。集団の権利あっての個人の権利である。
 第2章の自由の項目に、現代のリベラリズムについて書いた。現代のリベラリストの多くは、自由の基本原理は、他者への寛容にこそあるという。その行きつく先は、個人の選好の尊重となる。個人の自由の優先は、伝統的な社会道徳や公共の利益と対立する。また、個人の欲望を制限なく解放するものとなりかねない。個人主義の極端化を招く恐れがある。自由を中心的な価値とし、それに傾いた議論は、集団の権利や国益を説明できない。国民による国民の権利の相互保障、特に国防の義務を基礎づけられない。基本的な人間観を掘り下げ、人間には人格があることを認め、自由は個人の人格の成長・向上のための条件であり、国民が自己実現を共同的相互的に促進する社会を目指すという目標が国家的に掲げられねばならない。
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関連掲示
・拙稿「国家と国益を考える

 

(5)国家と人権

 

●国家における集団の権利と個人の権利

 人権は、近代西欧国家において、主に国民の権利として発達した。人々が専制君主に対する反抗によって権利を確保・拡大し、政治権力に参加することによって、政府が国民の権利を人権の観念のもとに保障するものとなった。「国民の権利」の保障と発展が、「人間の権利」の保障と発展をもたらした。しかし、国民は政府に対して無条件に権利の保障を求めることはできない。
 国家の統治機関は、社会全体の利益の実現、秩序の維持等のために、法に定められた決まりごとに反する行為をした者に対して、制裁を行う。生命・自由・財産の権利はしばしば人権と呼ばれる。だが、その国の法に反する行為をした者に対して、政府は主権を行使し、生命・自由・財産の権利を制限したり、場合によってはその権利を剥奪したりする。拘束・逮捕・罰金・差押等の処罰を行う。無期懲役は一生涯にわたる行動の自由の剥奪である。極刑としての死刑は、最も基本的な権利である生きる権利の剥奪である。個人の権利を絶対化すれば、これらは人権の侵害とみることもできよう。だが、政府が法に基づく刑罰を行うことによって、多数の個人の権利が守られ、社会秩序が維持される。法に従う人々の権利を保障するために、法に反する者の権利を制限・剥奪する。これを執行する権限を持つものが、政府である。
 この事実が示しているのは、第一に個人の自由と権利は絶対的なものではないことである。集団の権利が上位であり、それに反しない限りで個人の権利が保障される。第二に、いわゆる人権とは、ほとんどの場合、国民の権利であり、政府が国民に保障するものである反面、また制限・剥奪を行うものでもあることである。人権を論じるには、これらの点をよく理解することが必要である。

●主権と人権は国家間でとらえるべき

 集団の権利としての主権と、集団の成員である個人の人権は相関関係にある。歴史的に国民の自由と権利が発達してきた国家においては、国家の主権が国民の人権を守り、国民の人権が国家の主権を支えるという相互依存の関係にある。いわば国家の主権と国民の人権は、対になっている。ただしこの関係は、一国における政府と個人の関係だけで考えると、正しくとらえられない。一国内という枠組みでのみ考えると、とらえ方を誤る。国際社会における主権と人権の関係において考える必要がある。
 国際社会は、主権国家つまり独自の統治権を持つ国家が、並存・競合している社会である。人権は、この現実の国際社会における権利関係・権力関係抜きには考えることのできないものである。
 初めに2国間で考えると、A国の政府はA国民である個人に、自由と権利を保障し、B国の政府はB国民である個人に自由と権利を保障する。ここでA国が主権によって国民に自由と権利を保障しているのは、B国の侵攻・支配に対して自衛し、安全が保たれているからである。もしA国がB国の侵攻・支配を受け、主権を失ったならば、A国の国民の自由と権利は保障されなくなる。B国の権力によって、生命・財産等が危険にさらされ、殺戮、虐待、略奪、強姦等が横行するおそれさえある。A国とB国を逆にしても同じことが言える。国家間の主権と主権による権利関係・権力関係が、それぞれの国民の自由と権利を左右するのである。
 実際の国際社会は、多数の国家が相互に関係している社会である。A、B、C、D、E・・・等の国々の間で、それぞれ権力関係が展開されている。人権は、多国間の権利関係・権力関係の中で、各国の政府が自国民に自由と権利を保障する。それが人権の主な内容となっているのである。
 主権・民権・人権の歴史については、第2部で詳しく述べるので、この項目における例だけを簡単に挙げておくと、18〜19世紀前半、フランスとイギリスは、ともに植民地帝国として、数度にわたって戦争を行った。戦費がかさんで財政危機に陥ったフランスでは、市民革命が起こった。その中で人権宣言が発せられた。革命が急進化するフランスに対して、イギリスを中心とする周辺諸国は干渉戦争を行った。フランスでは、祖国と革命を防衛する戦争を通じて、主権と独立、自由と権利が確保された。宣言を発したから人権が実現したのではなく、国民参加の戦争によって、国家の主権と独立を守り得たので、国民の自由と権利が確保されたのである。もしフランスが敗れていたら、国家の主権も国民の権利も失っただろう。
 19世紀後半〜20世紀前半、フランスはドイツと三度戦った。フランスは普仏戦争でドイツに敗れ、第1次世界大戦では勝ったが、第2次大戦では敗れた。ナチス・ドイツに圧倒されたフランスは、国土をファシストの軍靴で踏みにじられた。国家の主権は奪われ、国民の権利は制約された。フランス革命後、人権の先進国だったフランスが、ヒトラーの支配・統制下に置かれた。いくら自国内で人権を宣言し、憲法に定め、法律を整えても、外国の侵攻・支配を受けたら、絵に描いた餅となってしまう。人権を守るためには、主権を守らねばならないのである。フランスでは、レジスタンスが組織され、ナチスへの抵抗運動が行われた。それに加えて、英米の大規模な反攻が実施されたことによって、ナチスを駆逐することができ、主権と独立、自由と権利を回復することができた。
 一国内という枠組みでのみ、主権と人権の関係を考えると、こうした歴史的事例を見落とし得しまう。国民の自由と権利を保障するのは、その国の政府である。政府は、他国の侵攻・支配から、主権と独立を守ることが第一の役割である。それを果たしてこそ、国民の生命と財産、自由と権利を保護し得る。国民の自由と権利は、国家の主権と独立あってのものである。国民の生命と財産、自由と権利を守るためには、政府は主権と独立を確保しなければならない。他の国との力のぶつかり合いで、国家としての権力を維持し得て、初めて政府は、国民に自由と権利を保障し、また守ることができる。主権と人権は、国際関係の中でとらえる必要があるのである。

 

●政府と国民の相互関係

 国家の主権と個人の人権は対をなすものであり、人権は主権国家の政府が国民に保障するものである。その政府を作り、支えるのは国民である。国家の主権と独立を獲得・維持するのは、国民の意思と行動である。人権と呼ばれる権利は、主権と独立の維持に努力する国民のみが享受できる権利である。他国の支配下にある国は、主権と独立を制限または剥奪される。そのため、国民は自由と権利を制限または剥奪される。
 国家間に大小・強弱の関係がある場合は、支配的・抑圧的な関係になりやすい。国家間の支配的・抑圧的な関係においては、小国・弱国は大国・強国によって、政府は主権を制限され、国民は自由と権利に制限を受けることがある。例えば、旧ソ連政府と東欧諸国がそうだった。ソ連共産党は、これを正当化するために、社会主義大家族制という理念を打ち出した。ソ連による物的・人的資源の収奪が行われた。この体制を維持するため、ソ連による東欧諸国の国民の権利の制限が行われた。これは、ソ連という連邦国家における各共和国の間においても同様だった。その典型的な例が、スターリンによるチェチェン人民への民族的な差別と強制移住である。それが 今日のロシアにおけるチェチェン紛争のもとになっている。
 植民地の社会は、当然のこととして、主権と独立を持たない。植民地の人民は、自由と権利を制約される。自由と権利を得るためには、集団として能力を結集して戦い、主権と実力を確保し、なければならない。
 この点は、植民地を支配する本国と植民地の関係で考えると明確になる。アメリカを例に取ると、18世紀後半、植民地アメリカの人民は、本国のイギリス政府と戦って独立を勝ち取った。人民が国王から植民地における主権を奪取した。だから、連邦政府は国民に自由と権利を保障できた。もし独立戦争に負けていれば、アメリカは植民地としてイギリスに支配され、収奪され続けていただろう。宗主国イギリスと植民地アメリカの関係は、白人種の間、また同国民の間の出来事だったが、その後の有色人種の白色人種支配からの独立の目標となる出来事だった。アメリカ人民は自らの政府を作った。その政府は国民に自由と権利を保障する。そそしてその政府を働かしめるものは、国民である。国民の力の合成によって、政府を存立・機能せしめなければ、国民の権利を保障するものがなくなってしまう。
 他国の侵攻・略奪に対して、自国を防衛・守備するためには、国家の成員の権利は、協同的に行使されねばならない。集団は生命と運命を共有する共同体として、外部の干渉から集団の権利を守る。そのために、国民は協力・団結し、それによって全体及び相互の権利を守る必要がある。集団の権利が確保されて、初めて成員個々の権利が保障される。集団の統治のための機構が政府であり、自らの政府を持つ集団のみが、自由と権利を享受することができる。

●国民の権利と義務
 
 国民の権利には、義務が伴う。国民が相互に生命・自由・財産を守るという義務である。自由について、他者の権利を侵害しない限り、何をしてもよいという考え方があるが、そもそも一個の国家内、政府が機能し法秩序が守られている社会、他国の侵攻・支配から自衛できている社会においてのみ、自由を言い得る。人間として生まれた者が等しく生まれながらに持つ権利といっても、それを保障するのは、人間相互以外にはない。他者の権利を侵害しない限り、何をしてもよいのではなく、他者の権利を保護する限り、自分も他者から保護されるという互恵的なものである。
 近代西欧から広がった国民国家には、アメリカ・フランスのような共和制の国、イギリス・日本のような君民共治制の国がある。国民国家において、本来国民は他国の侵攻・支配に対して、国防の義務を担って祖国を防衛する。共同防衛の行動によって、国民は団結して主権・独立、領土・権益、生命・財産を守る。国民の権利を保護するのは、政府の官僚だけではなく、彼らを含む国民の全体であり、国民自身である。国民自ら国家の主権と独立を守るために、国防の義務を負い、命を懸けるのでなければならない。集団の権利を守り得てこそ、国民個々の権利を互いに共同で守り得るからである。
 近代西洋思想の論理では、この時、個人を単位に考えがちだが、保護の対象はその個人の自身だけでなく、家族、妻や子供、親、恋人等を含む。集団間の場合は、互いの家族や部族を守り合うことを、指導者同士が誓約し相互防衛を行う。
 相互防衛的な集団は、抽象的な個人の集合体ではなく、具体的な家族を単位とした集合体でこそある。人間は個人個人では生命を継承し、発展させることができない。個人の生命で絶えてしまう。ただ家族を形成することによってのみ、生命を継承し、繁栄することができる。生命の維持・発展という観点に立つと、集団の相互防衛においては、単に諸個人を守るのではなく、諸家族を守るという考え方が重要である。
 国民は、諸家族の相互保護のために、国民の義務を果たしているから、政府から保障を受けられる。国防、国家忠誠、納税等の義務がそれである。生命の維持・発展のための権利と義務の体系を持った共同体が、国家である。政府とは、こうした国民の相互防衛の統括機関である。
 外国に居留する者は、その国で身体や財産の権利を侵害された場合、権利の保護を求めて、祖国の政府に支援を求める。祖国の政府は自国民の権利を保護しようとして、居留国の政府に権利の保護を働きかける。それが実現されないと、居留民保護のため、その国に実力を行使する場合がある。19世紀〜20世紀にかけて、欧米諸国の政府は、しばしばこの外交的保護権を行使して領域国に賠償を請求し、ときには武力を使用して目的を達成した。
 国家において、政府が保障するのは、国民の権利であって、非国民の権利を国民と同様に保障するものではない。国民の権利は、国民が共同的・相互的に保障し合うものだからである。この共同体の成員でない者は、権利の共同防衛の義務を負わないから、本来その権利は保障の対象ではない。非国民に対して、一定の範囲で権利を付与し、保護するのは、恩恵として行う道徳的な行為である。ただし、それはその非国民の集団が一個の集団をなして自ら統治し得るよう、一時的・限定的に支援するものであって、恒久的に恩恵を与えるものではない。

 

●主権と人権をめぐる戦いとそのルール

 一国において、集団の意思がぶつかり合い、対話・交渉によって解決しない場合には、戦う権利が承認されなければならない。ロックの抵抗権、革命権や民族の自決権がそうである。ただし、抵抗権があれば、これを抑止する権利もあり、革命権があれば、革命を防止する権利もある。方や自決権があれば、方や統治権がある。意思と意思のぶつかり合いは、最後は実力に訴えることになる。
 一国内で、政府の統治権と少数民族なりエスニック・グループ等の自決権がぶつかり合う場合がある。政府は、制度化された権利を主張する。既存のものとして、正当性を主張する。これに反発する側は、問題が話し合いで解決しなければ、自らの力で権利の実現を図るしかない。意思の対立が激化すれば、最終的には実力によって決着をつけるしかない。革命・内戦・無政府状態等は、殺し合い、奪い合いの修羅場を生み出す。殺してはいけない、奪ってはいけない、犯してはいけない等の道徳的な訴えだけでは、解決がつかない事態となる。この場合は、力で制止したり、事態に決着をつける以外に道はない。
 政府は、物理的強制力としての権力を行使する。反政府側は、デモで意思を表示したり、武力で闘争したりする。権利を得たいなら、力で勝ち取るしかない。権利とはそういうものである。こうした権利の総称が、しばしば人権と呼ばれる。
 国家間で意思がぶつかり合い、対話・交渉によって解決しない場合には、戦争に発展することがある。1928年の不戦条約は、国際紛争の解決はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用禁止を約した。ただし、侵攻戦争か自衛戦争かを決めるのは、当事国であるとされた。相手国は侵攻だと非難しても、当事国は自衛だと主張する場合がある。この条約は期限がなく、現在も約60の国が当事国となっている。国際連合憲章は第2条3項に「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」、同4項に「すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めた。これは不戦条約の規定の趣旨を定め直したものと考えられている。
 しかし、このように国際条約に定めても、なお主権と人権をめぐる戦争は起こり得る。その場合、戦争における戦い方のルールを定めたものが、戦時国際法である。戦時国際法は、交戦国間の関係を律する交戦法規と、交戦国と中立国との関係を律する中立法規に分かれる。ただし、戦時国際法も条約を締結しない国家は、このルールを承認しない。ゲリラやテロリストや革命家も、このルールを承認しない。そのため、戦時国際法を認めない集団が相手であれば、ルールなき戦いが繰り広げられる。これを収拾するには、最終的には実力によるしかない。
 国民の権利を保障する主体は、その国の政府である。国家が破産したり、崩壊したり、他国に支配されたりして、政府が機能マヒに陥れば、国民は権利の保障を受けられなくなる。もともと集団の権利あっての個人の権利ゆえ、集団の統治機構である政府がマヒすれば、国民の権利は不安定になり、最悪の場合は消失する。国内の一地域が民族紛争・内戦・災害等によって無政府状態になっている場合も、深刻な状況を生む。略奪・暴行・強姦・殺戮等が横行する。
 政府の機能がマヒした状態では、国内の諸集団が崩壊し、成員が分散してしまうことがあり得る。集団から離脱または孤立した個人や家族に対して、権利を保護するものは存在しない。人々は、自らの生命・自由・財産の権利を自力で守らねばならない。自主的に実力を組織し、一定の領域を統治する団体、すなわち政治団体を形成する。そして構成員や被保護民の権利を保護することが必要になる。
 現代世界において、人権の名のもとに保障される権利を守るには、それぞれの国民が自国の主権と独立を守り、自国において自らの権利を発展させる以外にない。そして各国の共存共栄・国際平和が実現されていてはじめて、権利を侵害されたり、保護を失ったりしている人々への国際的な支援と自立への援助ができる。反国家・脱国家が人権の実現となると説く者は、人々を惑わす者である。国家崩壊を招いたら、その国民は亡国の民、流浪の民となるのみである。個人の自由と権利を獲得し、またそれを守るには、所属する集団の集団としての権利を維持・強化する必要がある。自国の主権と独立を守り得てこそ、個人の自由と権利を守り、拡大することができる。国家の主権と個人の人権は、相互関係にあることを認識しなければならない。

私は、いわゆる人権は主として「国民の権利」として発達してきた「人間的な権利」であることを踏まえたうえで、現代の国際社会において人権をあらためて基礎づけ、定義をし直し、それぞれの国の国民の権利とは別に、広く最低限保障を目指すべき権利を定め、各国及び国際社会はその実現に努力することが必要だ、と考えている。この点については、本稿の最後となる第4部で論じる。

 

 以上で第1部を終了する。第1部には、人権に関する基礎理論を書いた。以後、これを踏まえ、第2部で人権の歴史と思想、第3部で人権の現状と課題、第4部で人権の目標と新しい人間観について書く。ページの頭へ

 

 

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