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  天皇と国柄

                  

題 目

目 次

01 天皇が「象徴」であるとは

02 天皇は何をされているのだろう?

03 米と森と命〜天皇と日本のエコロジー

04 昭和天皇に「戦争責任」なし

05 皇室の存続を願って

06 皇位継承問題――男系継承への努力を (長文)

07 三笠宮家寛仁親王殿下のご発言

08 男系継承のための皇室典範改正

09 女系継承容認論の迷妄――田中卓氏の「諫言」に反論する(長文)

10 悠仁親王殿下ご誕生と「仁」の伝統

11 日本の伝統と皇位継承のあり方

12 悠仁親王殿下3歳のお誕生日に皇室を思う

13 寛仁親王家彬子女王殿下のご発言

14 旧皇族が復帰要請に応える意向

15 女性宮家よりは尊称保持、だが根本的改善は旧皇族の活用

16 米と皇室と日本人

17 天皇制ではなく「皇室制度」を

18 富田メモの徹底検証(長文)

19 「生前退位」を止め、「譲位」を使うべし

20 日本の国柄と天皇の役割〜今上陛下の譲位のご希望について

 

別項の「君と民」にも掲示があります。

 

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天皇が「象徴」であるとは

2000.11.8

 

 日本国憲法では、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。この象徴とは何でしょうか。

 広義には、象徴とは別のなにものかを指し示す記号と定義することができます。ただし、象徴は単なる記号と違い、しばしば両義的・多義的な意味を表し、また言葉で表現しきれない深さを持っています。天皇を象徴であるとする時にも、そこには汲み尽くせない意味が含まれていると考えるべきでしょう。

 

 象徴という表現は、GHQの憲法起草者が、英国で国王が象徴とされていることにアイデアを得たと述べています。しかし、天皇を象徴ととらえる考え方は、既に日本にありました。天皇を象徴と規定した最初の人は、戦前を代表する歴史学者・津田左右吉と見られます。津田は「元号の問題について」(『中央公論』昭和25年7月号)で、次のように述べています。

 「象徴ということばは、法律上の用語としては、今度の憲法に初めて現れたものでありますが、実際は昔から象徴であらせられた。憲法で象徴ということばを使ったのは、誰の考えから出たことかは知りませんが、私はよいことばを使ったものだと思います。私自身のことを申すのは言いにくい気がしますが、私は皇室は国民的精神の象徴、または国民的結合の象徴であるということを、30何年も前に公にした著書の中に、明白に書いております」

 

 津田が天皇を象徴であるととらえたのは、「アラヒトガミ」の概念に基づくものでした。日本の「カミ」の意味の分からないGHQの米国人の着想とは、まったく違うのです。津田は、アラヒトガミの意味を次のようなものととらえました。

 

(1)「日本書紀」は「神代」と「人代」を分け、天皇は「人代」で出現している。

(2)天皇は神を祀る者、いわば神祇官であって、祀られる対象ではない。

(3)天皇が祈祷の対象であったことはない。困難が来たときには、天皇が神々に祈る。

 

 そこで、津田は、天皇は「アラヒト」つまり「ヒト」であり、「カミ」がつくのは「統治者への尊称」であるとしました。そして、天皇は人間であるが、同時に象徴であると考えました。そして、天皇は「文化的統合」の象徴であり、同時に「民族の継続性」の象徴ととらえたのです。これは天皇をGOD(天地創造の唯一神)ととらえるのとは、まったく違います。

 

 この文化的共同体の象徴という側面を強調したのが、哲学者の和辻哲郎です。和辻は、戦後、政治的権能を失った天皇を、日本文化の連続性・統一性を体現するものとして理念化しました。この解釈は戦後の政体になじむものであったため、天皇は昔から象徴であったのであり、非政治的で文化的な存在だったという考えが広まりました。これが、今日多くの人々の天皇観の基礎となっているでしょう。

 しかし、見落としてはならないことがあります。それは、津田のいうところの「民族の継続性」の象徴という側面です。この点が、戦後の文化論的な天皇観では、積極的に把握されていないと思います。それは、現行憲法に原因があります。GHQ製の憲法は、日本人を、民族の歴史・伝統を担うものとしての「国民」ではなく、歴史・伝統を忘れた「人民(people)」に改造しようとするものだからです。

 

 天皇が象徴する「民族の継続性」とは、単に文化的な集団の連続性を意味するのではありません。なぜなら、人間は文化的存在である前に、生命的存在であるからです。そして、天皇を国家と国民統合の象徴とするものは、民族の生命の連続性でなければなりません。すなわち、先祖・自分たち・子孫という、過去・現在・未来に広がる世代間の、生命の連続性です。この生命の連続性は、文化的共同体の基礎にあるものです。それゆえ、天皇は、こうした生命的かつ文化的な共同体の象徴であると、とらえるべきでしょう。そこに、天皇と国民は親子のような関係だとか、国民の先祖は皇室とつながっている、皇室と各国民の家は本家と分家のような関係だという考え方が生まれてくるわけです。

 

 象徴とは、統合された状態とともに、統合する作用を象徴します。言い換えると、一体となった状態と一体化する働き、一体性と一体化の両方を、象徴しているのです。

 ある集団が一つの集団としてまとまるためには、集団を統合するものが必要です。それは、統合力のある人物や思想や象徴などです。言いかえれば、統合の中心です。中心がなければ、集団はばらばらになってしまいます。国家においても同様であり、国民が団結するには、統合の中心が必要です。

 日本ではその中心として、古代より天皇が存在してきました。天皇による統合作用・一体化は、政治的な権力ではなく精神的な権威によっています。これは長い歴史・伝統の中で、自然につちかわれてきたものです。

 

 中心という概念に関して、天皇機関説で有名な憲法学者・美濃部達吉は戦後、『民主政治と議会制度』において次のように書いています。

 「すべて国家には国民の国家的団結心を構成する中心(国民統合の象徴)がなければならず、しかして我が国においては、有史以来、常に万世一系の天皇が国民団結の中心に御在(いま)しまし、それに依って始めて国家の統一が保たれているからである。それは久しい間の武家政治の時代にあってもかつて動揺しなかったもので、明治維新の如き国政の根本的な大改革が流血の惨を見ず平和の裡に断行せられたのも、この国家中心の御在しますがためであり、近く無条件降伏、陸海軍の解消と言うような古来未曾有の屈辱的な変動が、さしたる混乱もなく遂行せられたのも、一に衆心のむかうべき所を指示したもう聖旨があったればこそであることは、さらに疑いを入れないところである」

 美濃部の言うように、天皇を「国家的団結心を構成する中心」としてとらえて初めて、天皇の象徴性を深く理解できるでしょう。ここで天皇は、単に文化的な共同体の中心ではなく、生命的な共同体の中心と把握されます。こうした天皇の存在は、蜂の社会における女王蜂にたとえられます。ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、天皇を「雄の女王蜂」と表現しています。

 

 次に重要なことは、天皇と国民の統合作用・統合状態は、強大な権力者による支配ー服従の関係とは異なっていることです。ここが西欧やシナと違うのです。

 初代・神武天皇は、古事記・日本書紀によれば、奈良の橿原(かしはら)の地で、初代天皇に即位したとされます。『日本書紀』は、建国の年を紀元前660年としています。この時、神武天皇は、日本建国の理念を高らかに謳い上げたと伝えられます。その理念は「橿原建都の詔」に示されています。そこに「苟(いやし)くも民に利あらば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ」という言葉があります。「民」は「おおみたから」と読みます。そこに示されているのは、天皇が国民を宝のように大切にするという思想です。国民は奴隷として搾取する対象ではなく、宝なのです。そして、国民全体の福利をめざす政策を行おうという姿勢が示されています。こうした神武天皇の理想が、日本皇室にずっと受け継がれてきているのです。

 それを伝統的には、天皇は「民の父母」であり、国民は「天皇の赤子」と表現しました。つまり、天皇は国民を子供のように慈しみ、国民は天皇を親のように敬愛し、天皇と国民が家族的な感情で一つに結ばれた統合状態を理想とし、天皇も国民もそれを目指してきたのです。それは他の国々には見られない日本独自の国柄です。

 それゆえ、天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということの意味は、天皇と国民との深く暖かい感情的なつながりを、実感できたときに初めて、感じられるものでしょう。

 

 戦後半世紀以上の年月を経て、日本は今、深刻な危機にあります。ここで日本を建て直すためには、憲法に盛られた「象徴」という言葉の意味を捉え直すことが必要だと思います。(ページの頭へ

 

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天皇は何をされているのだろう?

2000.11.12

 

 天皇は、憲法の規定により、象徴としての役割を果たすため、様々なお仕事をされています。これを、ご公務と呼びます。その実態は、国民にはほとんど知らされていません。新聞・テレビなど、メディアがほとんど報道しないからです。

 

 日本国憲法には、天皇の国事行為として、次のような規定があります。

 

第七条   天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

 二 国会を召集すること。

 三 衆議院を解散すること。

 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

 七 栄典を授与すること。

 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

 九 外国の大使及び公使を接受すること。

 十 儀式を行ふこと。

 

 なかでも天皇が祭儀を行うことには、深い意味があります。天皇は、国民のため、また人類のために、常に世界の平和と国民の幸福を祈っておられます。そして、元旦早朝に行われる四方拝を始め、年間約20件近くの祭儀を行って、神々に祈りをささげて

おられるのです。

 天皇はまた、自ら皇居内にて稲を植え、生育した稲を刈り取って、神にささげ、五穀豊穣を祈ってもおられます。

 

 ご公務は重要なことばかりであり、量も非常に多く、天皇は多忙な日常を送っておられるようです。その間をぬって、全国各地を訪問され、国民の身の上に心を注いでおられます。また、戦没者の慰霊、被災者や身障者等の慰問、植林や環境保全の啓蒙などにも心を砕いておられるのです。

 

 ご公務については、宮内庁のホームページに説明があります。

http://www.kunaicho.go.jp/04/d04-01.html

 

 ご公務の一端は、ビデオでも見ることができます。よいものが数本ありますが、とりわけ次のビデオは、天皇を考える人には必見の値があります。

 

●『平成の御代十年〜天皇陛下と国民』(明成社)

 このビデオには、阪神淡路大震災や雲仙噴火において、危険をも顧みられずに被災地を訪れて、被災者の方々を励まされる両陛下と、その御心に感動した人々の姿が記録されています。また、終戦50年の年に、硫黄島や沖縄を訪れて、深い慰霊の祈りを捧げておられるお姿も、収録されています。

 「天皇とは何をされているんだろう?」「なんのために天皇がいるんだろう?」などと考える人は、このビデオを一度ご覧になると、長年の疑問も消えうせるでしょう。

 お問い合わせは、http://www.nipponkaigi.org

ページの頭へ

 

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米と森と命〜天皇と日本のエコロジー

2000.12.22

 

 今日、日本は国際社会で、地球環境問題への積極的な取り組みを求められています。我が国は自国の伝統・文化に基づき、わが国のできる貢献を行うべきと思います。

 このように考えるとき、人間と自然を結ぶ、天皇の象徴としての存在と役割には、新たな意義が浮かび上がってきます。

 

 天皇は現行憲法において、「日本国の象徴」にして「日本国民統合の象徴」と、規定されています。天皇は、その規定に従って、象徴としての役割を果たすため、様々なご公務や祭儀をされています。

 そのお仕事の中には、人間と自然を結ぶ象徴的な行為が含まれています。例えば、人々の食生活や地球の環境保全に関することがあります。天皇は、神事を司って五穀豊穣を祈り、米作りをされています。また、森林を守るために、植樹をされています。これらの行為において、天皇は、人間と自然との調和を実現し保守するために、象徴的な役割を担っておられるのです。

 

 天皇は、皇居で自ら田植えや稲刈りをされています。これは昭和天皇が始め、平成になってからは今上陛下が引き継がれたものです。毎年陛下は、5月下旬頃に皇居内の水田で、五穀豊穣を祈る「お手植え」を行い、苗を植えられます。苗は陛下ご自身が4月下旬頃、種もみをまかれたウルチ米とモチ米の2種類です。品種は、毎年、選ばれます。この米は、10月頃に収穫され、皇居で行われる新嘗祭(にいなめさい)に使われます。

 

 また、天皇・皇后両陛下は、毎年5月に行われる「全国植樹祭」に出席されます。「全国植樹祭」は、戦後の乱伐による国土の荒廃から緑豊かな国土を取り戻すため、昭和25年に始められました。第50回となった平成11年には、静岡県天城湯ヶ島町で植樹祭が行われました。天皇陛下はヒメシャラ、皇后様がヤマボウシの苗木を3本ずつ植樹され、また両陛下はクヌギとコナラの種の「お手播き」もされました。

 天皇陛下は、植樹祭式典会場の参加者を前に、「豊な森林の造成には長い年月と忍耐強い努力が必要であります。山村地域の過疎化と林業に携わる人々の高齢化が進む中で、先人から受け継いだ森林を守り育て、常に活力ある森林として保っていくことが重要であると思います」とあいさつされました。

 

 一国の象徴あるいは元首が、自ら稲作や植樹をするということは、世界的にも珍しいことです。そこには、我が国独自の文化が見られます。

 日本の祭りの多くは、稲作と関連しており、稲を媒介とした祭りには、人間と自然の調和を求めるエコロジカルな意味が読み取れます。その祭りは、神道に基づいて行われる祭儀です。

 また、全国各地の神社の多くは、鎮守の森を保っています。それは、自然を畏敬し、森を大切にする神道の伝統です。わが国が、近代化・産業化をなしとげてなお国土の7割近くを占める森林を保全してきた背景には、こうした伝統があるのです。

 天皇は、こうした神道における最高位の祭司としての地位にあります。そして日本国の象徴であり、日本文化を体現する天皇は、稲作や植林の儀式を行うことを通じて、人と自然の調和を象徴的に実現します。この行為は、天皇が、天地大自然(=大親)への孝を実践することと理解することが出来ます。同時に、万物一体の仁を体得・徳化することとも、理解されます。

 

 環境保全運動の一部には、左翼的な思想の影響が見られます。しかし、日本の伝統・文化を踏まえるならば、天皇を中心とした稲作や植林の伝統を否定する思想は、真の環境保全運動ではないことは、明らかです。反対に、天皇の存在と役割は、地球環境の保全というきわめて現代的なテーマに直結しているのです。

 私たち日本国民は、天皇に象徴される日本の伝統・文化に基づいて、国際社会における責任を、積極的に担っていくべきだと思います。

ページの頭へ)(「自然」の項目へ

 

参考資料

・上之郷利昭著『コメと日本人と伊勢神宮』(PHP)

・『産経新聞』平成11年5月28日号、5月31日号、6月6日号

 

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昭和天皇に「戦争責任」なし

2000.10.29

 

「天皇の戦争責任」という問題に、なんとなくひっかかっている人が多いと思います。実際は、「天皇の戦争責任」は、昭和天皇は責任を問われないということで、解決済みです。戦後まもなく、決着がついていることです。

 

 ところが、これに不満をもつ者が、「天皇の戦争責任」などと言い始めたのです。それは共産主義者です。彼らはスターリンの指令を受け、日本を共産化するために「天皇制」の廃止を目的としていました。この目的のために、戦争責任論を一つの戦術としたのです。左翼の工作は、「進歩的文化人」や日教組・マスコミに影響を与えてきました。こうした謀略に惑わされて、引っ掛かりを感じている人が多いのが現状でしょう。

 

 昭和天皇に戦争責任はありません。その理由は、法的・政治的に明らかです。

 

●法的・政治的側面

 

 まず国内的には、天皇は憲法上、法的・政治的な責任がありませんでした。法的責任とは、実定法に定められた罪状と罰則に基づいて裁判によって判断されるものです。国内的には憲法・刑法等により、国際的には戦時国際法等によります。また政治的責任とは、政治的指導者が政治的行為の結果について、国民ないしその代表者による議会に対して負うもので、辞職という形が多くとられます。

わが国は、明治憲法の第3条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めていました。この条文は、欧州の立憲君主国にならい、「君主無答責」の原則を定めたものです。伊藤博文はこの点を説明して、「法律は君主を責問する力を有せず」と言っています。ですから、天皇には法律上の責任はないのです。次に、政治的な責任に関しては、同じく国務については国務大臣、統帥事項については参謀総長・軍令部総長が負うことになっていました。つまり、天皇を補佐する立場の者が責任を担う仕組みです。このように定めていたのですから、わが国においては、天皇に戦争責任はないのです。

昭和天皇は、戦後、継続して天皇の御位にありました。敗戦国の君主で、このような例はありません。それは圧倒的多数の国民が天皇を敬愛し、天皇と国民が強い信頼関係で結ばれていたからです。反発していたのは、共産主義者などごく一部の者にすぎません。

 

 次に、国際的には、戦争責任は、戦争犯罪に関して、国際軍事裁判において問われるものです。

 この点、戦勝国は天皇の戦争責任を問いませんでした。敗戦という事態では国内法の規定が無視され、戦勝国が責任を追及することが起こり得ます。事実、アメリカの世論には、天皇の退位あるいは処刑を求める意見が多くありました。しかし、マッカーサーは「天皇が過去十年間の日本政府の決定に大きく関与した証拠はない。天皇制を破壊すれば、日本も崩壊する。ゲリラ戦には百万人の軍隊が必要である」と強く主張しました。米政府は彼の主張を入れて、天皇の責任を問わない方針を決定したのです。その後、連合国による東京裁判は、天皇には戦争責任のないことを前提として行われました。また、GHQが起草した日本国憲法にも、天皇が象徴として盛り込まれました。これは、一切不問の結果だったのです。

昭和天皇は、国際的にも日本の象徴として敬われ、アメリカ・イギリスなど多くの国を歴訪・歓迎されました。ご大葬の際には、世界約160国の代表が参列したほどです。こうした事実が、天皇の「戦争責任」は解決済みであったことを、語って余りあります。

 

 以上のように、昭和天皇に法的・政治的な戦争責任がないことは、国内的にも国際的にも明らかです。

 

●道徳的側面

 

 昭和天皇に法的・政治的責任はありません。しかし、道徳的責任という問題は残ります。

 この点について近代国家において道徳的責任とは、各個人が、それぞれの内面において、自己の良心に対して負うべきものです。その最終決定者は、その人の内面における良心です。それゆえ、道徳的責任は、天皇においても、個人的な内面の問題ということになります。

 実は昭和天皇は誰よりも深く、この道徳的責任を感じておられたと私は拝察します。ただし、それは明治憲法に定められた立憲君主としてというより、日本古来の「すめろぎ」としての立場における心情倫理だったでしょう。

 

 昭和戦前期において、天皇と国民の関係は、天皇は「民の父母」であり、国民は「天皇の赤子」でした。つまり親子関係のような感情で結ばれていました。これは、我が国の国柄に基づくものです。古来、わが国の天皇は国民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、「民の父母」として国民に仁愛を注いできました。これは欧州にもシナにも決して見られない、日本天皇の君主道徳です。

 

 昭和天皇はこのような立場を自覚し、敗戦後、天皇としての道徳的責任を、ひた向きに果たされたと思います。天皇は、戦没者やその遺族に対し、痛惜の思いを持っておられました。

 その思いが、マッカーサーとの会見での「自分はどうなってもかまわないから、国民を救ってもらいたい」と述べて、元帥を感動させたのでしょう。また側近の反対を押しての全国御巡幸は、敗戦に打ちひしがれた国民に生きる希望をもたらしました。また各地の慰霊碑への拝礼、毎年の戦没者慰霊行事での御言葉、さまざまな折に詠まれた御製等に、昭和天皇の真心が表れていると思います。

 

 戦後実際に天皇の姿を直接目にし、その声を聞いた遺族は、天皇の真情に触れ、心の慰めを得た人が多かったようです。まただからこそ、天皇と国民は強い信頼関係で結ばれ、大多数の国民が象徴天皇制を支持しているのでしょう。

 これほど深く「民の父母」としての道徳的責任を感じ、生命のある限り誠実にそれを果たそうとした君主は、世界の歴史に見られません。(1)

 

 しかし、一つ大きな問題が残りました。それは靖国神社の問題です。戦没者を国が靖国神社にまつり、そこに天皇が参拝し、感謝と慰霊を行うことが、時の政府によって妨げられたからです。兵士として戦場に散った日本人の多くは、靖国神社にまつられ、国家と後世の国民の慰霊を受けることを信じて、尊い生命を捧げました。ところが、戦後の我が国は、その思いを裏切りました。そして時の政治家の政治的判断により、昭和天皇は参拝が果たせない事態となっていたのです。この事態は、今上天皇においても続いています。戦没者の霊へのこうした政府の裏切りは、各個人の祖先に対する裏切りであり、国民全体の道徳的責任であることを認識すべきでしょう。また、日本の精神的な建て直しは、この問題を抜きには決して実現し得ないと私は思います。(ページの頭へ

 

(1) 天皇の役割及び昭和天皇については、「君と民」の拙稿をご参照下さい。

参考資料

・『聖帝(ひじりのみかど) 昭和天皇をあおぐ(明成社)

・鈴木正男著『昭和天皇のおほみうた(展転社)

・「レクイエム 英霊に捧ぐ」

http://www.arkworld.co.jp/requiem/indexIE.html

・戦争責任の問題をもっと理論的・歴史的に考えてみたい人に

小室直樹著『奇蹟の今上天皇』(PHP研究所)

山本七平著『昭和天皇の研究』(祥伝社文庫)

大原康男著『現御神考試論』(暁書房)

 

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皇室の存続を願って

2000.11.12/2002.10.26

 

 皇太子殿下ご夫妻に敬宮愛子様がご誕生され、国民は喜びに包まれました。しかし、女子であるため、皇位継承の対象者ではありません。 

平成10年11月に出た『皇位継承(高橋紘・所功共著、文春新書)という本があります。刊行当時、本書は大きな問題を投げかけました。

 『皇位継承によると、今、皇室は危機に立っています。次期天皇となられる皇太子に、未だ男子が誕生しておられないからです。もし、このまま皇室に男子が誕生しなければ、やがて皇位継承者はいなくなります。21世紀のいつかには……

 

 今後の男子誕生に期待が寄せられています。皇太子殿下は失礼ながら決して若くはいらっしゃいません。次の皇位継承順位にある秋篠宮家は、女子のみで、男子がおられません。その他の皇位継承対象者は、皇太子ご兄弟より年長ですし、また男子がおられません。実は、皇室には秋篠宮を最後に約40年間、男子が誕生していないのです。秋篠宮以後の、昭和天皇の孫ないし曾孫の世代は、女子ばかりです。そのため、今、日本皇室は、存亡の危機に近づいていると言っても過言ではないでしょう。

 

 国民としては、皇室存続の意義を自覚し、皇子誕生を願うことが第一でしょう。またこれとは全く別の事として、皇位継承制度を整備する必要性についても考える必要があります。戦後、GHQによる憲法が押しつけられ、それに伴って、皇室に関して規定する皇室典範も改められました。その結果、皇室の基盤は弱められ、皇位継承にも大きな影を落とすことになりました。

 本書をもとに考えると、現在の皇室典範は、主に二つの問題点をはらんでいると思われます。

 

(1)養子は認められていない

 皇室典範は第1条に、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。そして皇位継承について、第2条で次のように規定しています。「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と。また、第9条で天皇・皇族は「養子をすることができない」と規定しています。

 それゆえ、男子がいないからといって、養子を迎えることはできないのです。この規定に従って、秩父宮家が絶家となりました。常陸宮・高松宮・桂宮も、このままいけば絶家となりましょう。秋篠宮家以下の各宮家とも、現在お子様は女子ばかりですから、このまま男子が生まれなければすべて廃絶となります。つまり、このままいけば皇位継承者がいないだけではなく、宮家はすべて絶え、皇室そのものが存続不可能になるのです。

 この点を見直してみる必要がありそうです。

 

(2)女性天皇は認められていない

 皇室典範第1条により、現在、女帝は認められていません。これに対し、過去には女帝もあったからと、現在、女帝を容認する考えの人が増えています。歴史的には、これまで10代8人の女帝が存在しました。これらの女帝は、皇后だった寡婦か未婚の皇女に限られていました。皇統が「女系」に移ることを避けたためでした。女帝とはあくまで臨時の措置だったので、幼少の皇太子が成長する、政治的な状況が変わるなどして、その役目を終えると皇位は男系に戻りました。

 しかし、現在の女帝容認論は、そもそも男系男子皇族がいない場合を想定しています。つまり、一時的な措置ではないわけです。それゆえ、実際に女帝が誕生したならば、やがて皇位が「女系」に移ることが考えられます。これには問題があります。万世一系の皇統は、一貫して男系継承がされてきました。皇位が「女系」に移ったならば、その時、連綿として続いてきた皇統は、事実上、途切れることになるわけです。この点も検討を要することでありましょう。

 

 『皇位継承の著者たちは、他にも問題点を挙げ、皇室典範の改正の必要性を唱えています。仮に、めでたく皇子が誕生されたとしても、制度上の問題点がそのままであれば、将来に災禍が持ち越されることになります。それゆえ、今、皇位継承制度を整備することに、英知を集める必要があるでしょう。

 それは日本の国柄・伝統・精神、そして日本人のアイデンティティを守るために、必要なことなのです。ページの頭へ

 

参考資料

    その後の皇位継承問題の展開については、以下の拙稿をご参照ください。

皇位継承問題――男系継承への努力を

 

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■三笠宮家寛仁親王殿下のご発言

2006.1.10

 

 三笠宮家の寛仁(ともひと)親王殿下は、雑誌『文芸春秋』のインタビューに応え、皇室のあり方について、皇族の立場で発言された。『文芸春秋』平成18年2月号)に独占会見「天皇さま その血の重みーーなぜ私は女系天皇に反対なのか」と題して掲載された。

  聞き手はジャーナリストの櫻井よしこ氏である。

  『文芸春秋』は、月刊の総合誌で、発行部数も多く、図書館等にもよく置かれている。現代日本を代表する国民的な雑誌の一つと言っても良い。こうした雑誌に、現職の皇族の発言が載ったことの意義は大きく、相当の影響力が働くのではないかと思う。

 

  以下、要所の抜粋。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

櫻井: (略)殿下は、皇族の存在というものを突き詰めて考えると、何であるとお考えですか。

寛仁親王: 結局、突き詰めて考えると、存在していることが大切なのです。(略)血統を守るための血のスペアとして我々は存在していることに価値があると思います。(略)

 

寛仁親王: 天皇様というご存在は、神代の神武天皇から百二十五代、連綿として万世一系で続いてきた日本最古のファミリーであり、また神道の祭官長とでも言うべき伝統、さらに和歌などの文化的なものなど、さまざまなものが天皇様を通じて継承されてきたわけです。世界に類を見ない日本固有の伝統、それがまさに天皇の存在です。

私は天皇制という言葉が好きではありませんから、仮に天子様を戴くシステムと言いますが、その最大の意味は、国にとっての振り子の原点のようなものではないかと考えています。国の形が右へ左へさまざまに揺れ動く、とくに大東亜戦争などでは一回転するほど大きく揺れましたが、いつもその原点に天子様がいてくださるから国が崩壊しないで、ここまで続いてきたのだと思います。(略)

 

寛仁親王: 会議(抜粋者註 皇室典範に関する有識者会議)の構成について私が口を挟むわけにはいきませんが、ニ千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうということが、果たして認められるのでしょうか、あまりに拙速にすぎませんか、ということは強く申し上げたい。(略)

たとえば、かつて十代八方の女帝がいらしたことが、女帝論議に火をつけているような部分があります。(略)これらの女帝と、今、認められようとしている女系の天皇というのはまったく意味合いが違い、これからやろうとしていることは二千六百六十五年間つながってきた天皇家の系図を吹き飛ばしてしまうことだという事実を、国民にきちんと認識してもらいたい。

 

寛仁親王: 皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論をひねり出さなくても、皇統を絶やさない方法はあると思うのです。たとえば、継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇のお三方は、それぞれ十親等、八親等、七親等という、もはや親戚とは言えないような遠い傍系から天皇となられています。光格天皇の場合は、前の天皇の内親王様のところに婿入りされて、内親王様は皇后となられている。そんなに古い時代のことではありません。光格天皇という方は孝明天皇のお祖父様ですから、明治天皇から見ると曽祖父様で、我々からもすごく近いところにいらっしゃる方です。

また、宇多天皇という方は一度、臣籍降下なさって、臣下でいらっしゃった間にお子様も儲けられているのに、その後、皇室に適格者がいなくなったのか、皇族に復帰されて、皇太子になられ、天皇に即位されています。お子様も一緒に皇族になられて、その後、醍醐天皇になられています。

こういった事実はいくつもあり、選択肢もたくさんあることをメディアはもっと発表すべきです。そうすることで国民が事実をよく理解し、選択肢の中のどれかをやってみて、それでもどうしようもなくなった時、初めて女性、女系の議論に入るという方法もあるのではないですか。「有識者会議」では、そういった議論をしていなかったように思います。

 

寛仁親王: 戦後、GHQの圧力で皇室弱体化のために皇籍を離脱させられた十一の宮家もあります。その後、後継者がなく絶家になってしまったところもありますが、今でも少なくとも八つの旧宮家には男系男子がいるのですから、宇多天皇のようにその方々にカムバックしていただくという手もあります。(略)

今、旧宮家には八方くらいの独身男子がいらっしゃるそうですから、全員というわけにはいかなくとも、当主のご長男とか、何人かには皇籍に戻っていただいてもいいのではありませんか。(略)

これらの宮様たちが六十年間も一般人の生活をなさってきたのだから、皇族に復帰することには違和感が国民にあるだろうとおっしゃる方がいます。しかし、「有識者会議」の結論では、女性天皇のお婿さんは皇族にするということです。まったく一般の方が天皇の夫になるほうが、よほど違和感があるのではないでしょうか。報告書は女性天皇の配偶者を「陛下」とお呼びするとしていますが、いくら立派で優秀な方でも、ある日、突然、鈴木さんや山本さんや田中さんが陛下になったら、皆さん方も呼びづらいでしょうし、違和感も極めて大きいでしょう。(略)

 

寛仁親王: (略)もう一つの方策として、秩父宮家、高松宮家という由緒ある宮家が今、絶家となっているわけですが、ここに旧皇族さんたちに入っていただき、祭祀のお祭りをしていただくという手もあります。(略)

 

寛仁親王: (略)畏れ多いたとえですが、愛子様がたとえば鈴木さんという男性と結婚されて、そこから玉のようなお子様が生まれれば、その方が次の天皇様になられるわけです。そのお子様が女のお子様でいらした場合、さらに、たとえば佐藤さんという方と結婚されてーーというふうに繰り返していけば、百年も経たないうちに天皇家の家系というのは、一般の家と変わらなくなってしまいます。その時、はたして国民の多くが、天皇というものを尊崇の念で見てくれるのでしょうか。「私の家系とどこが違うの」という人が出てこないとは限らないわけです。()

 

寛仁親王: 私に言わせると振り子の原点、アメリカ人は担保と考えるくらい、日本の歴史に根ざしているこの天皇制度というものが崩れたら、日本は四分五裂してしまうかもしれません。そう考えると、この女系天皇容認という方向は、日本という国の終わりの始まりではないかと、私は深く心配するのです。

 

櫻井: (略)拙速であっても、今、女系天皇容認という結論を急いで出さなくてはならないという根拠の一つとして、天皇になる方の帝王学は三歳くらいから始めなくてはならないと言う人もいます。

寛仁親王: それもナンセンスです。たとえば、先帝様のように、幼い頃からご学友が決められ、東宮御所に御学問所が建てられるといった時代には、帝王学というものがあったかも知れません。(略)しかし、今の皇太子様からは、まったく私と変わらない教育を受けてこられたわけです。学習院では一般の生徒に交じり、一般の生徒と同じ授業を受けられてきたのですから。したがって、お父様やお母様の背中を見て、あるいはお祖父様やお祖母様の背中を見ながらお育ちになることが、結果として帝王学になるということであり、それならば、とくに焦る必要はないと思いますが。‥‥‥

 

櫻井: 最後に皇室典範を改正しようという一連の流れの中で、非常に気になるのは、拙速な議論に反対する勢力に対して、まことしやかに「これは陛下のご意思です」と言って、反対論を封じ込めようとする動きがあることです。(略)本当に女系容認とか、長子優先といった今回の報告書は陛下のご意思に沿ったものである可能性があるのでしょうか。

寛仁親王: 今の典範のままですと、いずれ先細りになって皇位継承者がいなくなるという可能性はありますから、ご自分の御世のうちにしかるべき確かな方法を考えてほしいというくらいのことをおっしゃった可能性はあるかもしれません。しかし、具体的に、女系を容認せよ、とか、長子優先とか、そうおっしゃる可能性は間違ってもありません。陛下はそういうことをおっしゃる立場にありませんし、なにより非常に真面目なご性格からしても、そのような不規則発言をなさることはあり得ないでしょう。

 

寛仁親王: 私が国民にお願いしたいのは、愛子様が即位されるにしても、それまで少なく見積もっても三十年から四十年はあるわけです。その間にこれまで皇統を維持するために先人たちがどのような方策をとってきたかの事実をよく考え、さまざまな選択肢があることを認識した上で、ものごとを決めてほしいということです。それでも国民の大多数が女系天皇でいいと言うのでしたら、そこで大転換すればいいのであって、今すぐ決めるという必要はありません。そして、ほかになし得る方法があるのなら、まず、そちらをやってみて、それでも打つ手がなくなった時に初めて変更を認めるやり方のほうが、よりよいのではないかと考えています。

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■男系継承のための皇室典範改正

2006.3.6

 

私は、皇位継承は男系継承の伝統を堅持すべきという考えである。女性天皇に反対ではない。しかし、女系継承への移行には断固反対する。男系継承のために最大限の努力をし、あらゆる方策を講じることが先だと思う。そして、その方策はある。既にいくつも出されている。私は、皇室典範を改正するのであれば、男系継承の伝統を堅持し、男系継承のために最大限可能性を追求するための改正を行うべきと考える。

 女性天皇を禁じ、男系男子に限定したのは、明治につくられた皇室典範である。それ以前には、過去に8方10代の女帝の例があった。それは、男系男子による継承を補助するためである。現行の皇室典範を改正して女性天皇も可とする場合は、この伝統にのっとって、男子優先を明記しなければならないと私は思う。
 現行の皇室典範では、皇位の世襲について、次のように定められている。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

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 男系継承の補助のために女性天皇を可とするには、この規定を男系の男子だけでなく、男系の女子も可とする規定に改める必要がある。さらに男子優先を原則として、皇位継承順位を定め直す必要がある。
 現行の皇室典範では、皇位継承順位について、次のように定められている。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第二条  皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
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 男子優先については、皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫、その他の皇子孫等において、どのように男女の先後を定めるかが問題となる。
 第一の考えは、皇長子のなかで男子が先、女子が後とし、皇長子に該当者がなければ、次に皇長孫の男子、ついでその女子というようにする順位付けである。第二の考えは、皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫、その他の皇子孫等、一号から七号まで男子を先とした上で、該当者がなければ、皇長子の女子が次の順位者となるという順位付けである。第三の考えは、第2項に定める「それ以上で、最近親の系統の皇族」の間まで男子優先とし、なお該当者がいないときは、皇長子の女子、皇長孫の女子が次の順位者となるという順位付けである。

 私は、男系継承を堅持し、直系の皇嫡子、皇庶子に該当者が居なければ、傍系の男系男子が継承してきた伝統を見ると、第三の考え方を基本とするのがよいと思う。すなわち、直系男子⇒傍系男子⇒直系女子⇒傍系女子という順番である。
 以上の私見をもとに第一条、第二条の改正案を以下に示す。

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◆皇室典範改正ほそかわ私案

第一条 皇位は、皇統に属する男系の者が、これを継承する。

第二条 皇位は、原則として皇族男子に、左の順序により、これを伝える。
一 皇長男子
二 皇長男孫
三 その他の皇長男子の子孫の男子
四 皇次男子及びその子孫の男子
五 その他の皇男子孫
六 皇兄弟及びその子孫の男子
七 皇伯叔父及びその子孫の男子
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族男子に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
4 前項において該当する男子のないときは、男系継承を補助するため、皇位は、皇族女子に、これを伝える。
5 前4項における皇族女子は、皇太后または大皇太后または独身者に限る。継承者は、皇室会議の協議を経て決定する。
6 前5項における独身者の順序は、前1項の規定を準用する。この場合において、同項中に「男子」「男孫」とあるのは、「女子」「女孫」と読み替えるものとする。

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 さて、男系男子による継承を安定させるためには、主に三つの方策が考えられる。旧宮家の皇籍復帰、養子制度の容認、旧皇族との婚姻の場合に限定した女性宮家の創設である。
 これらの方策を実行するための皇室典範改正案を、次に提示する。

 まず第一の旧宮家の皇籍復帰についてである。現行皇室典範では、「第二章 皇族」において、次のように定められている。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない。
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 この条文を改正して、元皇族は皇族に復帰できること、その際、その子孫は新たに皇族になることができることとする。また、それ以外にも皇族となる場合を列記する形に改正する。
 参考に明治時代につくられた皇室典範においても、皇籍復帰は認めていなかった。

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●皇室典範増補(明治四十年二月十一日)抜粋

第六条 皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス
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 しかし、歴史的には、臣籍から皇籍に復帰した例は多くあり、宇多天皇のように復帰後、天皇になった例もある。こうした歴史に学ぶべきと思う。
 また、敗戦後、皇籍離脱を余儀なくされた11宮家は、占領軍によって皇室の弱体化が強行されたという、史上に例を見ない特殊な事情によって、臣籍降下せざるをえなかった。この異常な経緯を考慮すべきと思う。しかも、加藤元宮内次官の回想にあるように、昭和天皇と皇族方の間では、将来、皇族に復帰する可能性は否定されていなかったのである。
 11宮家のうち、北白川・竹田・朝香・東久邇の四家は明治天皇の皇女方を妃に迎え、さらに東久邇家は昭和天皇の第一皇女成子内親王も嫁がれている。従って、男系で歴代天皇とつながると共に、女系では明治天皇・昭和天皇の血統を、現皇族方と同等に引いておられるわけである。男系では、40数親等離れているが、この点も考慮すべきである。
 また、旧宮家の方々は、菊栄親睦会を通じて、天皇・皇族方と親しく親族としてのお付き合いをしてきていいる。この点でも、まったくの民間人とは違う。反対論は、民間人となって60年間もたっており、そういう人が皇族となることには、国民は「違和感」を感じるだろうという。しかし、民間人が后妃となった場合でさえ、皇族として国民に仰がれ、親しまれている。美智子様、雅子様、紀子様のお三方は、皇族とは縁もゆかりもない、まったくの民間人であった。それゆえ、もともと皇族だった方やその子孫が皇族となった場合に、国民が「違和感」を感じ、受け入れられないという論は、失当である。むしろ、まったくの民間人よりも、受け入れやすく、親しみやすいとも考えられる。

 皇室典範第十五条の改正にあたっては、同時に特別立法を行って、皇籍復帰の実行に関する詳細を定める必要もあると思う。すなわち、対象となる方の範囲、選任の条件、復帰後の称号、旧宮家または絶家となった直宮家の復活、経済的保障、検討の機関と手続き等の詳細である。
 皇室典範問題研究会の小堀桂一郎氏・八木秀次氏らは、この特別法の制定を提案する準備をしていると聞く。

 次に第二の方策として、皇籍復帰とともに、皇室への養子の実現も合わせて検討すべきと思う。この場合は、皇室典範第九条を改正する必要がある。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第九条  天皇及び皇族は、養子をすることができない。
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 この条文を、「養子をすることができる」と改正する。養子の対象範囲は、元皇族及びその子孫の男系男子とする。

 次に第三の方策として、旧皇族との婚姻の場合に限定した女性宮家を立てることを可能とする。これは女系継承をも可能とするためではなく、内親王・女王が旧宮家の男系男子と婚姻された場合に限る。この場合は、皇室典範第十二条を改正する必要がある。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第十二条  皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
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 この条文に第2項を加え、皇族女子は、元皇族及びその子孫の男系男子と婚姻したときは、新たに宮家を創設することとする。

 私見では、男系継承の堅持、男系男子継承の優先のために皇室典範を改正する場合のポイントは、以上の第九条、第十二条、第十五条だと思う。条文の順序に従って、これら三条の改正案をまとめて以下に示す。

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◆皇室典範改正ほそかわ私案

第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができる。
2 養子の対象範囲は、元皇族及びその子孫の男系男子とする。

第十二条  皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
2 皇族女子は、元皇族及びその子孫の男系男子と婚姻したときは、新たに宮家を創設する。

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、以下の場合に限り、皇族となることができる。
一 女子が皇后となる場合
ニ 女子が皇族男子と婚姻する場合
三 元皇族が皇族に復帰する場合。その子孫は、その復帰に伴う場合に限り、新たに皇籍に入る。
四 元皇族の子孫が天皇及び皇族の養子となる場合
五 元皇族の子孫が内親王または女王と婚姻する場合
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 次に、皇室典範改正の目標時期について述べる。
 小泉政権は、平成18年1月からの通常国会で、女系継承への移行の起きかねないような女性天皇容認、第一子優先、女性宮家創立を柱とする皇室典範の改正を行おうとしていた。その審議が始まろうというところに、秋篠宮妃紀子様のご懐妊のニュースが伝えられた。それによって、拙速な改正論議は鎮まった。ご出産は9月の予定である。男子ご誕生の場合、女子ご誕生の場合によって、皇室典範の検討の進め方が異なってくる。

私は、お誕生されるお子様が男女いずれであっても、長期的な展望に立って、皇位の男系継承を維持するための努力を続けるべきと思う。
 この問題は、国家の根本問題であり、あまり先延ばししない方がよい。敗戦後行われたGHQによる日本弱体化政策の呪縛を断ち、日本を再建するには、憲法・教育基本法・皇室典範を3点セットで、改正する必要があるからである。この3点セットの改正は、戦後日本人の最大の課題であり、現代日本に生を受けている者の責任なのである。これらの改正を成し遂げない限り、日本の真の改革は実現しない。そこで、私はこれらの3点をセットで、2年以内に改正することを提案する。

 

 結びに、ほそかわ私案によって改正した場合の新皇室典範の全文を掲載する。変更を行った条文は下線を引いて示す。

 

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皇室典範改正ほそかわ私案(全文)

第一章 皇位継承

 

第一条 皇位は、皇統に属する男系の者が、これを継承する。

 

第二条 皇位は、原則として皇族男子に、左の順序により、これを伝える。
一 皇長男子
二 皇長男孫
三 その他の皇長男子の子孫の男子
四 皇次男子及びその子孫の男子
五 その他の皇男子孫
六 皇兄弟及びその子孫の男子
七 皇伯叔父及びその子孫の男子
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族男子に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
4 前項において該当する男子のないときは、男系継承を補助するため、皇位は、皇族女子に、これを伝える。
5 前4項における皇族女子は、皇太后または大皇太后または独身者に限る。継承者は、皇室会議の協議を経て決定する。
6 前5項における独身者の順序は、前1項の規定を準用する。この場合において、同項中に「男子」「男孫」とあるのは、「女子」「女孫」と読み替えるものとする。

 

第三条  皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。

 

第四条  天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

第二章 皇族

第五条  皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。

 

第六条  嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。

 

第七条  王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする。

 

第八条  皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。

 

第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができる。

2 養子の対象範囲は、元皇族及びその子孫の男系男子とする。

第十条  立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。

 

第十一条  年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。

 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。

 

第十二条  皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
2 皇族女子は、元皇族及びその子孫の男系男子と婚姻したときは、新たに宮家を創設する。

第十三条  皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる。但し、直系卑属及びその妃については、皇室会議の議により、皇族の身分を離れないものとすることができる。

 

第十四条  皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、その意思により、皇族の身分を離れることができる。

 前項の者が、その夫を失つたときは、同項による場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。

 第一項の者は、離婚したときは、皇族の身分を離れる。

 第一項及び前項の規定は、前条の他の皇族と婚姻した女子に、これを準用する。

 

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、以下の場合に限り、皇族となることができる。
一 女子が皇后となる場合
ニ 女子が皇族男子と婚姻する場合
三 元皇族が皇族に復帰する場合。その子孫は、その復帰に伴う場合に限り、新たに皇籍に入る。
四 元皇族の子孫が天皇及び皇族の養子となる場合
五 元皇族の子孫が内親王または女王と婚姻する場合

第三章 摂政

第十六条  天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。

 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。

 

第十七条  摂政は、左の順序により、成年に達した皇族が、これに就任する。

 皇太子又は皇太孫

 親王及び王

 皇后

 皇太后

 太皇太后

 内親王及び女王

 前項第二号の場合においては、皇位継承の順序に従い、同項第六号の場合においては、皇位継承の順序に準ずる。

 

第十八条  摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、摂政又は摂政となる順序を変えることができる。

 

第十九条  摂政となる順位にあたる者が、成年に達しないため、又は前条の故障があるために、他の皇族が、摂政となつたときは、先順位にあたつていた皇族が、成年に達し、又は故障がなくなつたときでも、皇太子又は皇太孫に対する場合を除いては、摂政の任を譲ることがない。

 

第二十条  第十六条第二項の故障がなくなつたときは、皇室会議の議により、摂政を廃する。

 

第二十一条  摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

第四章 成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓

第二十二条  天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、十八年とする。

 

第二十三条  天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。

 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。

 

第二十四条  皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。

 

第二十五条  天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。

 

第二十六条  天皇及び皇族の身分に関する事項は、これを皇統譜に登録する。

 

第二十七条  天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、陵及び墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する。

第五章 皇室会議

第二十八条  皇室会議は、議員十人でこれを組織する。

 議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。

 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、各々成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。

 

第二十九条  内閣総理大臣たる議員は、皇室会議の議長となる。

 

第三十条  皇室会議に、予備議員十人を置く。

 皇族及び最高裁判所の裁判官たる議員の予備議員については、第二十八条第三項の規定を準用する。

 衆議院及び参議院の議長及び副議長たる議員の予備議員は、各々衆議院及び参議院の議員の互選による。

 前二項の予備議員の員数は、各々その議員の員数と同数とし、その職務を行う順序は、互選の際、これを定める。

 内閣総理大臣たる議員の予備議員は、内閣法の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う者として指定された国務大臣を以て、これに充てる。

 宮内庁の長たる議員の予備議員は、内閣総理大臣の指定する宮内庁の官吏を以て、これに充てる。

 議員に事故のあるとき、又は議員が欠けたときは、その予備議員が、その職務を行う。

 

第三十一条  第二十八条及び前条において、衆議院の議長、副議長又は議員とあるのは、衆議院が解散されたときは、後任者の定まるまでは、各々解散の際衆議院の議長、副議長又は議員であつた者とする。

 

第三十二条  皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官たる議員及び予備議員の任期は、四年とする。

 

第三十三条  皇室会議は、議長が、これを招集する。

 皇室会議は、第三条、第十六条第二項、第十八条及び第二十条の場合には、四人以上の議員の要求があるときは、これを招集することを要する。

 

第三十四条  皇室会議は、六人以上の議員の出席がなければ、議事を開き議決することができない。

 

第三十五条  皇室会議の議事は、第三条、第十六条第二項、第十八条及び第二十条の場合には、出席した議員の三分の二以上の多数でこれを決し、その他の場合には、過半数でこれを決する。

 前項後段の場合において、可否同数のときは、議長の決するところによる。

 

第三十六条  議員は、自分の利害に特別の関係のある議事には、参与することができない。

 

第三十七条  皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う。

 

附 則

 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。

 現在の皇族は、この法律による皇族とし、第六条の規定の適用については、これを嫡男系嫡出の者とする。

 現在の陵及び墓は、これを第二十七条の陵及び墓とする。

 

附 則 (昭和二四年五月三一日法律第一三四号) 抄

 この法律は、昭和二十四年六月一日から施行する。

 

附 則

 この法律は、平成 年 月 日から施行する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

なお、現行の皇室典範の全文は、下記をご参照ください。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO003.html

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■悠仁親王殿下ご誕生と「仁」の伝統

2006.9.25

 

秋篠宮妃紀子様が、平成18年9月6日午前8時27分、男のお子様をご出産された。心からお祝い申し上げたい。

親王殿下のお名前は、悠仁(ひさひと)さまと名付けられた。皇族男子のお名前に、「仁」の文字を含むのは、皇室の伝統である。明治天皇は睦仁(むつひと)、大正天皇は嘉仁(よしひと)、昭和天皇は裕仁(ひろひと)、今上天皇は明仁(あきひと)と申し上げる。皇太子殿下は徳仁(なるひと)、秋篠宮殿下は文仁(ふみひと)と申される。他の皇族の男子の方々も、みな「仁」の文字がついている。
 この伝統は、平安時代以来のものというから、皇室がいかに「仁」という徳を重んじてきたかがわかる。

●仁

 「仁」とは何か。「仁」とは、いつくしみ、思いやりをいう。
 「仁」は、シナの孔子が提唱した徳目である。儒教の道徳思想の中心にすえられ、宋学では「仁」を天道の発現と見なし、一切の諸徳を統(す)べる主徳とした。智仁勇の三徳または仁義礼智信の五常等の徳目の中にあって、他を統括するのが、「仁」である。
 いにしえの大和言葉で言えば、「うつくしび」がこれに当たる。「うつくしび」に「慈愛」の文字をあてるように、「仁」とは、慈愛を垂れ、大切にすることである。
 歴代の天皇は、国民を我が子のように慈しみ、大切にされてきた。それは、記紀において、国民を「大御宝(おほみたから)」と呼ぶことによく表われている。これは実に初代・神武天皇以来の伝統であって、その精神を一文字で表すのが、「仁」なのである。

●忠と孝

 これに対し、国民が天皇に対して表すのが、「忠」である。「忠」は、偽りのない心、まごころ、まことをいう。忠実、忠心などと使われる。君主に対しては、臣下として、真心・誠を尽くすのが、「忠」である。
 シナにおいては、「忠」よりも「孝」が優先された。君主と親のどちらかを選ばねばならない時には、「孝」を優先するのが、美談とされる。
 「孝」とは、子が親を敬い、親によく尽くすことをいう。「孝」は、自分の親を大切にすることにとどまらない。祖父母・曽祖父、さらに祖先を大切にすることでもある。親への孝行は、先祖への孝養につながる。
 わが国では、皇室は国民の本家のような存在と考えられ、自らの祖先をさかのぼると皇室につながると考えてきた。それゆえ、親を大切にし、祖先を崇めることは、皇室を尊ぶことに通じる。「孝」と「忠」が別々ではなく、一つに連続している。
 しかも、源にさかのぼれば、皇室が本(もと)であって、国民が末(すえ)という関係になる。そこで、「忠」と「孝」では、「忠」が本と考える。これを「忠孝一本」という。
 「孝」は、私的な家族道徳である。「忠」は、公的な社会道徳である。シナが私的な「孝」を優先するのに対し、日本では公的な「忠」を根本とする。これは、国民と皇室が大家族のように結ばれていると信じられてきた国柄においてのみ可能なことである。

●敬神崇祖

 皇室は天照大神を祖神とする。国民もまた祖先は神々につらなると考えてきた。それゆえ、わが国では祖先を崇め、皇室を尊ぶことは、神を敬うことにつながる。また、神を敬うことは、親孝行をし、祖先を大切に祀り、皇室を尊ぶことと、一つにつながっている。敬神崇祖と忠孝一本が、日本人の生き方の根底にある。
 親・先祖・皇室・神ーーこのつらなりのどれを欠いても、仁・忠・孝は成り立たない。

●和

 天皇が「仁」を行い、国民が「忠」を行い、各家庭に「孝」が行われている状態。それを表す言葉が、「和」である。
 日本人は、古くから国名を「わ」と呼び、「倭」を嫌って「和」の字をあてた。国の中心となる「やまと(山門)」には、「大和」の字をあてた。いかに日本人が「和」を重視してきたかを示すものだろう。
 聖徳太子は、「和」を十七条憲法に明文化し、国家国民の理念として確立した。それを受けて、日本人は「和」の精神を発展させてきた。
 「和」を実現するには、天皇が仁を行い、国民が忠を行い、各家庭で孝を行うことが必要である。十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語の間には、千年の時を超えて貫かれているものがある。そこに表われているのが、日本人の精神、日本精神なのである。

●シナでは理想に終わった

 「仁」「忠」「孝」などは、シナで説かれた徳目である。シナは、政治道徳の国といわれる。そこに発達したのが、儒教である。儒教は、為政者の道徳を中心に説くもので、君主と官僚の心構えを教えている。日本人は、その経典を読み、シナは聖人君子の国、高い道徳性のある国というイメージを持ってきた。しかし、明治以降、シナの実態が知られ、経典に説かれているのとは、程遠い国であることがわかった。

 シナは易姓革命の国である。政権の簒奪が次々に行なわれる。そして、勝者の権力を正当化するために、天命思想が利用された。「大学」や「中庸」の徳目より、「三国志」の権謀術数こそ、シナの文化である。むしろ、そういう国だからこそ、孔子や孟子は、政治の理想を説き、平和や安寧を追い求めたのだろう。
 そのうえ、シナの歴史は、漢民族と異民族の闘争の歴史である。王朝の交代の多くは、遊牧民族の侵攻による。漢民族は、異民族の支配を幾度も受けてきた。征服者は、言葉も文化も違う。道徳の理想は通じない。漢民族の王朝は秦・漢・宋・明くらいで、六朝時代の華北の諸国・諸王朝、隋、唐、金、元、清は異民族王朝である。ちなみに六朝時代の五胡十六国や北朝諸王朝は北方・西方の遊牧民族、隋・唐は鮮卑系、金はツングース語系の女真族、元は蒙古族、清は満州族による王朝である。
 儒教を大成した朱熹は、華北が女真族に支配された金の時代に、南宋にあって朱子学を打ち立てた。彼が唱えた「尊王攘夷」は、異民族の圧迫・支配への抵抗・反撃の思想だった。ところが、その後、シナはモンゴル族に征服された。元の皇帝はモンゴル人であり、漢人の知識層は誇りを捨てて支配者に仕えた。これでは、理想は行なわれるべくもない。

 それゆえ、孔孟が説いた政治道徳は、シナでは、単なる理想に終わったのである。

●日本ではもともと実践されてきた

 これに対し、わが国は、古来、シナと違って、易姓革命がなかった。今日にいたるまで、一系の皇室を仰いでいる。この間、藤原氏、平氏、足利氏、徳川氏などの実力者が現れたが、誰も皇位を簒奪しなかった。天皇を中心として、その下で国を治めるという政治が行われてきた。
 異民族との関係は、元寇ではモンゴル族の侵攻を受けたが、これに勝利した。征服を受けたのは、大東亜戦争後が初めてだった。占領はわずか6年8ヶ月のことであり、皇室は存続し、伝統は守られている。

 こうしたわが国において、古代より実践されてきたのが、天皇が国民をわが子のようにいつくしみ、国民は天皇を親のように慕って、国民が一大家族のように結び合って生きる生き方である。仁徳天皇や醍醐天皇、光明皇后など、美しい話が多く伝えられている。
 シナでは理想に終わったものが、わが国では、古代から実践され、それが確固たる伝統となっているのである。
 おそらくこれは古い、古い伝統であって、祖先伝来の伝統を、シナから入ってきた漢字を用いて、仁であり、忠であり、孝であるなどと言い表したのだろう。もともとあったものを、文字を借りて表現したのだと私は思う。異文化の模倣でないから、脈々と受け継がれてきたのだろう。
 
●仁に通じる言葉
 
 先に書いたように、「仁」は、皇室に伝わる伝統を一文字で表したものである。もとは孔子の説いた徳目だが、シナでは孔子の時代に、既に失われていた。周王朝で失われた「仁」を求めて、孔子は説いたのである。これに比べ、わが国では、古来、「仁」が実践され、今日でも皇族の一人一人のお名前に使われている。

 「仁」に通じる言葉には、「君民一体」「天地一家」「四海兄弟(けいてい)」などがある。
 「君民一体」は、「礼記」緇衣篇(しい・へん)に、「民は君を以て心と為し、君は民を以て体と為す」とあるのに基づく。君と民の思いがよく通じて一つになることをいう。
 「天地一家」は、「礼記」礼運篇に「聖人耐く天下を以て一家と為し」とあるのに基づく。天下の人が一家族のように相和することである。
 「四海兄弟」は、「論語」顔淵篇に出る子夏の言葉、「四海之内、皆兄弟也」に基づく。世界を囲む四方の海の内、すなわち世界中が兄弟だという意味である。明治天皇の御製に、「四方の海、みな同胞と思う世に」との一節があるのは、これに通じる。
 「仁」の文字を含む熟語には、「一視同仁」がある。これは唐代中期の詩人・韓愈の「原人」の句に基づく。親疎の差別をせずすべての人に等しく仁愛を施すことである。戦前のわが国は、「一視同仁」を心がけて、朝鮮半島や台湾の開発を行なった。

●八紘一宇

 「仁」を中心とした「君民一体」「天地一家」「四海兄弟」「一視同仁」という考え方は、「八紘一宇」という言葉に集約される。「一宇」としたのは、昭和のことで、もとは「八紘為宇」と書く。この言葉は、日本人のオリジナルである。借り物でないところにこそ、最もよく日本人の精神が表われている。

 「八紘一宇」は、「日本書紀」の神武天皇の段、「橿原遷都の令(りょう)」の一節に見える。以下の件(くだり)である。
 「上はすなわち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまふ徳(うつくしび)に答へ、下はすなわち皇孫(すめみま)正しきを養ひたまふ心(みこころ)を弘めむ。然して後に六合をかねて以て都を開き、八紘を掩(おお)ひて宇と為(せ)むこと、また可(よ)からずや」
 この後半を要約したのが、「八紘一宇」である。講談社学術文庫の「日本書紀」では、「国中を一つにして都を開き、天の下をおおいて一つの家とすることは、また良いことではないか」と訳している。絵本作家の出雲井晶氏は、「天地四方、八紘にすむすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲良くくらそうではないか。なんと、楽しくうれしいことだろうか」と訳している。
 ここに表された理想が、わが国古来の目標なのである。歴代天皇は、この神武天皇の理想を受け継ぎ、国民もまたその理想を目指して進んできた。

Universal Brotherhood

 「八紘一宇」という言葉は、昭和10年代に多用された。そのため、侵略戦争のスローガンのように誤解されている。しかし、この言葉には侵略的な意味のないことが、東京裁判でも認められている。
 東京裁判において、清瀬一郎弁護人は、冒頭陳述において、「八紘一宇」は Universal Brotherhoodと英訳して、外交文書でも使ってきた。四海同胞思想の表現であり、決して世界征服思想などでない、と弁論した。アメリカ側も調査してそれがわかったので、判決文では、「八紘一宇」は日本人の「道徳上の目標」であったとして、使うことを「免罪」している。

 エール大学神学部長でGHQの宗教顧問もしたパール・S・ビース博士は、「人類は5千年の歴史と二度の世界大戦の惨禍を経験した結果、一つの世界を理想とする国連憲章を結んだが、日本の建国者は、2千年も前の建国当初に、世界一家の思想を述べている。これは人類文化史上注目されるべき発言であろう」と述べている。

 わが国には、こうした素晴らしい理想があり、伝統がある。このたびの皇室の慶事を機会に、日本人は、自らの伝統・文化・国柄について学び、それをもとに今後の皇位継承のあり方、また日本国のあり方を考えていきたいと思う。
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参考資料
・拙稿「天皇に伝わる『仁』の伝統」 項目01
・拙稿「聖徳太子に学ぶ政治・外交・文化のあり方」項目01
・拙稿「教育勅語を復権しよう

 

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■日本の伝統と皇位継承のあり方

2006.9.25

 

●親王殿下ご誕生

 去る平成18年9月6日、秋篠宮妃殿下紀子様が男子をご出産された。お名前は、悠仁(ひさひと)親王殿下と申し上げる。皇室に約41年ぶりに男子がお誕生された。皆様とともに心からお祝い申し上げたい。

 皇室に関することは、皇室典範という法律に定められている。皇室典範は、戦前は憲法と同格の地位にあったが、戦後は一般の法律と同じ位置づけになっている。国会で制定がされ、改正もされる。
 皇室典範は、皇位つまり天皇の御位を継ぐ方について、皇統に属する男系の男子と定めている。
 男系とは、家系における男性の系統。皇室においては、父方を通じて天皇とつながっている系統である。また、父親・祖父などが天皇であり、男性をたどっていくと天皇とつながっている方を、男系の方と言う。

 悠仁親王殿下は、皇位継承順位において、皇太子殿下、秋篠宮殿下に継ぐ第3位となる。皇太子様・秋篠宮殿下の下の世代には、現在他に男子がいらっしゃらないから、今後、もし皇太子に男子がお誕生にならない場合は、このお子様が将来の天皇となるだろう。これによって、ひとまず、皇太子様の世代の次の世代に天皇になられる方が得られた。皆さんも安堵されていることと思う。
 しかし、親王殿下ご誕生によって、問題がすべて解決したわけではない。いまのままでは、将来皇室には、悠仁親王殿下お一人しかいらっしゃらなくなるかもしれない。他の宮家はすべて絶家となってしまう(高松宮、三笠宮、常陸宮、桂宮、高円宮)。内親王様はご結婚されると皇族を離れる。清子様がそうであったように、愛子様、眞子様、佳子様等の方々は、ご結婚と同時に一般人となる。このままでは、皇室はますます縮小し、先細りになってしまう。
 だから、いま私たちは皇室について真剣に考え、皇室の存続と皇位継承の安定を願っていかねばならない。

●日本の伝統と皇室の存在

 日本の伝統について考えてみると、日本文化をよく知る外国人の中には、日本の最大の特徴として、皇室の存在を挙げる人が、多い。彼らには、これは大きな驚きなのだ。古代から今日まで王室がずっと続いているということなど、彼らの国では考えられないことだからである。日本人でありながら、このことに気づいていない人が多い。

 日本精神復興促進運動を提唱された大塚寛一先生は、日本の国柄は皇室を中心とした一大家族制度のようになっている。これは、人為的でなく自然につくられてきた実に優れた合理的な組織であると説いている。
 こうしたわが国に伝わる精神が、日本精神である。日本精神は、人と人、人と自然が調和して生きる人間の生き方である。家庭にあっては親子や夫婦が調和して生きる。また、祖先を敬い、子孫の繁栄を願って生きる。そうした家族が多数集まって、一つの国を形成している。その国の中心には、皇室があり、国民が皇室を中心とした一大家族のような社会を築いている。これが日本の伝統的な国柄である。これは人為的に作ったものとは違う。自然に作られてきたものであり、自然の法則にかなっている。
 このような伝統を持つわが国において、皇室の存在は、極めて重要なものである。扇で言えば、要にあたる。美しい扇も、要をはずすとバラバラになってしまう。

●皇室の戦後

 ところが、敗戦後、わが国では、皇室の存在が段々影を潜めている。これは本来のわが国の姿を見失っているものである。
 GHQは、占領政策の目的を、日本が再び米国及び世界の脅威とならないようにすることにおいた。一言で言えば、日本の弱体化である。そのための政策が計画・実行された。
 最大のポイントとされたのが、天皇のご存在である。例えば国史・修身の廃止。これはわが国独自の歴史や道徳観を否定するものだが、わが国の歴史・道徳は、天皇と国民の結びつきなくして考えられない。神道指令は、国家と神道の結びつきを断つものだった。いわゆる人間宣言は、天皇の神聖性を否定するものだった。極めつけは、日本国憲法であり、現行憲法は天皇の権限を少なくし、伝統的な役割を損ねている。
 こうした一連の政策は、天皇の権威を引き下げ、天皇と国民の紐帯を弱めるものだった。これが、日本弱体化政策の核心となっていた。

 GHQは占領統治を円滑に行なうために天皇のご存在は認めたものの、皇室を縮小させようとした。皇族に経済的な圧力が加えられ、11の宮家が廃絶され、51人の皇族が一般人と同じ立場になった。残ったのは、直宮(天皇の子や兄弟の宮)のみである。一気に消滅させようとすると、日本人による抵抗が返ってくるから、徐々に皇室が衰退していくように仕組んだものだろう。
 そのため、戦後の皇室は、苦難のスタートを切った。皇室の運命と国民の運命は切り離せない。幸い先輩方の大変な努力によって、戦後の復興がなり、経済成長がされ、今日豊かな社会に私たちは生活できている。しかし、日本弱体化政策の効果は、近年になってじわじわと表われてきている。

●皇室典範改定への動きと紀子様ご懐妊

 秋篠宮殿下のお誕生以後、このたびの悠仁親王殿下ご誕生まで約41年間、皇室には男子が誕生されていなかった。9方女子が続き、次世代の皇位継承者について懸念が出てきた。
 そのような中で一昨年、平成16年12月、小泉首相の私的諮問機関として、「皇室典範に関する有識者会議」が設立された。
 実は、その7年も前、平成9年に、秘密裏に宮内庁で今後の皇位継承のあり方について検討が始められていた。官僚と学者が皇位継承の伝統を見直す方向で画策した。愛子様のご誕生は、平成13年ゆえ、それより前から、女性天皇・女系継承を認める方向が打ち出されていた。研究会のメンバーには、共産党に人間やフェミニズムの影響を受けた者がいた。そこでつくられた青写真を実現するために、有識者会議が設立された。秘密研究会の中心メンバーが、有識者会議のメンバーに入っていた。

 有識者会議は、わずか10ヶ月ほどの短期間の審議で、昨年11月皇室典範改定案を提出した。その報告内容は、@女性天皇を容認する、A第一子(長子)優先とする、B女性宮家を設立するというもの。この案は重大な問題を孕んでいた。この案は、皇室に今後、男のお子様が誕生される可能性があるのに、愛子様が天皇となるよう決めてしまうものだった。

 皇室は、125代、男系継承を一環して守ってきた。過去に8方10代、女帝がいた。(神社本庁の「天皇歴代系図」で説明) 女帝は、男系男子が継承するための中継ぎのような役割だった。みな独身か寡婦だった。仮に愛子様がその伝統に従えば、ずっと独身でいていただいて即位し、生涯独身でいていただかねばならない。それではあまりにしのびないということで、仮に伝統を変えて、ご結婚のできるようにすると、大きな問題を生じる。
 相手が民間人であれば、そこに生れたお子様は、母方でしか天皇につながらない。その方が次の天皇となれば、皇統は女系に移ってしまう。仮に相手が佐藤姓であれば、その時点で日本の皇室は断絶し、佐藤王朝に変わったとみなされる。


 昨年秋、国民の大多数は、皇室の伝統を知らず、女性天皇と女系天皇の区別も知らなかった。今もまだその深い意味を知らない人が少なくない。知識不足のまま、世論は女性天皇を支持し、女系継承でもよいという方向に傾いていた。
 これを背景に、小泉首相は今年1月からの通常国会で、有識者会議の答申内容に基づいて、皇室典範を改定するという強硬な姿勢だった。政治家の多くは、有識者会議の答申内容をよく吟味することなく、多数決によって皇室典範の改定を決めようとしていた。
 稲田朋美さんのような人でも、議員になった最初のころは、女性天皇でよいと考えていた。ところが、自民党の勉強会で専門家の話を聞き、拙速に決めてはならない問題だと知ったという。

 こうした危機的な状況において、皇室の伝統、日本の国柄を守ろうという人々から、拙速な改定に反対し、慎重な審議を求める運動が起こった。しかし、国会で採決を取れば、皇室典範が改定されるという極めて厳しい状況にあった。
 いよいよ国会で本格的な審議が始まろうとしていたところに、2月7日、秋篠宮妃紀子様のご懐妊のニュースが伝えられた。このニュースにより、さしもの小泉首相も慎重な姿勢に変わり、皇室典範改定案の提出は見送りとなった。御懐妊とその知らせは、絶妙なタイミングだった。

 その1ヵ月後、3月7日、日本武道館で、「皇室の伝統を守る1万人大会」が開催された。その際、金美齢氏(台湾、総督府国策顧問)が次のようなことを述べた。
 「紀子様ご懐妊と聞いたとき、一瞬、神風が吹いたと思った。大戦の時、私は台湾にいたが、日本人として生きていた。2600年の歌を歌った。必ず神風が吹くと信じていた。しかし、その時は、神風は吹かなかった。どうして今、その神風が吹いたのか。皇室典範の改定は、大戦よりも日本の骨格を揺るがす国家的危機だからではないかと思った」

 神風が吹いたとは、心に刻むべき言葉だろう。そして、7ヶ月。幸いこのたび、待望の男子がご誕生された。国民は、喜びをともにすることができた。何か不思議な力がわが国には働いていると感じられた方が多いのではないか。

●親王殿下ご誕生でも女帝・女系容認論

 ところが親王殿下のご誕生によっても、決して安心はできない状況にある。
 というのは、小泉首相は、ご誕生後のテレビインタビューで、「これからは女系の天皇も認めるべき」と発言した。女性天皇ではなく、「女系の天皇」とはっきり言っている。ご懐妊発表の2月7日から7ヶ月もの時間がありながら、小泉氏は何を勉強したのだろう。もしかすると単なる勉強不足ではなく、もともと女系移行論者なのかもしれない。
 また、お誕生の翌日7日、テレビ朝日の昼の番組「ワイド・スクランブル」で電話アンケートをやっていた。回答者は8万人以上だから、新聞社によるサンプル調査より、大規模である。
 結果は「男系男子のみが天皇に」が34%、「女性天皇を認める」が66%。女帝容認が約3分の2だった。実はこのアンケートは、設問に問題がある。「女性天皇を認める」には、さらに男系継承を堅持することを根本として女帝も認めるという考え方と、女系継承への移行もよしとして女帝を認めるという考え方にわかれる。
 最低選択肢を増やして、男系男子のみ、男系継承堅持での女帝容認、女系移行もよしでの女帝容認と三つにしないと、正確な調査にはならない。むしろテレ朝には、世論を誘導する意図があって、二択の設問をしているのだろう。
 そういうことはあるものの、「女性天皇を認める」が66%で約3分の2と答えていることは、軽視できない。そう回答した人たちには、小泉首相のように女系継承もよしと考える人が相当いるだろう。
 親王殿下ご誕生の翌日、喜びの最中でこれである。日本の伝統と皇位継承のあり方について、国民がもっと深い認識を持てるよう活動していくことが必要だと思う。

●皇室の伝統は生命の法則にかなっている

 悠仁親王殿下のご誕生によって、日本人は貴重な時間を与えられたのではないか。この間に、日本の国柄、皇室の伝統について、私たちは理解・認識をもっと深めていく必要がある。
わが国は、「万世一系」といわれる。「万世一系」とは、歴代天皇が一つの家系で一貫していること。これは、単に血筋がつながっているのでなく、男系継承によってのみ可能なことである。神武天皇以来、一度も途切れることなく皇位が男系で継承されてきたから、「皇統連綿」と言いうる。

 大塚寛一先生は、ガンも切らずに治し、厚生省指定難病も救う力を持つ方で、生命の本質、生命の原理を把握されている。そうしたお立場から、大塚先生は、皇位の男系継承は「ものの道理」にかない「生命が永遠に続いて行く原則」にのっとっている、と説いている。その男系継承を2千年以上、125代にわたって続けてきた人類唯一の家系が、日本の皇室である。

 男系継承を続けてきたことには、科学的にも意味があるという科学者がいる。京都大学の蔵琢也氏。男性はXY染色体、女性はXX染色体を持つ。Y染色体は男から男にしか伝わらない。皇室の場合、男系継承を堅く守ってきたから、その結果、神武天皇が持っておられたY1染色体を、歴代天皇がみな受け継いできて、今上陛下も皇太子殿下・秋篠宮殿下、悠仁親王殿下もお持ちであると理論的には考えられる。
 伝統は、伝統としてそのまま受け継いでいくから伝統である。それ自体に深い意義がある。しかし、私たちの先祖が、皇位の男系継承にこだわって努力してきたことには、遺伝学から見ると、科学的にも意味があるらしく、興味深い。
 
●比類ない伝統を守るには

 皇室の存続と皇位の安定的な継承のために、男系継承を維持できるような方策を考え、検討・実施していく必要がある。
 いろいろな意見が出ているが、皇族のお一人である三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下が皇位継承問題について発言され、反響が起こった。「毎日新聞」平成18年1月3日号のインタビュー記事から紹介する。
 「(註 皇室のあり方に関する問題)この問題は、政治を超えたものだ。多くの国民が歴史を理解したうえで大いなる論議がわき上がって、国会で、審議に審議を重ねて結論が出ればと思う。男系で継いできた歴史は、一度切ってしまえばつなげないことを分かってほしい。
 皇位継承をめぐってはいくつかの危機があったが、これまで回避してきた。10親等ぐらい離れた傍系から皇女に婿入りしたり、宇多天皇のように臣籍降下したのに復活して皇太子になり、その後天皇になったケースもある。
 1947年に臣籍降下した11宮家の当主にカムバックしていただいたり、養子ができるようにするなどの方法がある」と殿下は述べておられる。

 歴史的には、直系の男系の男子がおられない危機が何度かあり、傍系の男子を探して男系継承を守った例があり、例えば、第26代継体天皇は、武烈天皇の次に男子の継承者がなく、地方から男系男子を探し出した。応神天皇の子孫で、10親等離れている方が継体天皇となった。また、第119代光格天皇は、現在の天皇の直接の先祖となる方だが、江戸時代後期にやはり男系男子の継承者が近くにおられず、7親等の隔たりから即位された。江戸時代に創設された閑院宮家の出である。

 戦後、臣籍降下した11宮家のうち、現存しているのは6家。うち5家に、皇太子より若い男子が14名おり、うち8名は独身という。愛子様の年代の男子も3名いらっしゃるという。もとは皇族の方々だが、敗戦後、GHQによって半ば強制的に皇籍離脱した家の方々だ。こういう方々に、皇族に復帰していただいてはどうかという意見がある。
 また、今のままでは、高松宮、三笠宮、高円宮等を継ぐ方がいないので、次々に絶家になるが、皇室典範を改定して養子を取れるようにすると、宮家を存続させることもできる。あるいは、祭祀のみ継承するという方法もある。
 旧皇族の復帰には、反対論・慎重論もあり、またそれへの反論もある。これから本格的な議論が行なわれるだろう。皇室の伝統を維持するために、慎重な上にも慎重な検討を重ね、国民の叡智を集め、適切なあり方を求めていくべきである。

 今上天皇がこの先、数十年も御位におられるわけにいかず、やがて皇太子が即位されるだろう。皇太子殿下に男子がお誕生される可能性はあるが、今のままであれば、次は秋篠宮殿下が即位され、悠仁親王殿下が天皇になられるだろう。それは、おそらく30〜40年先のことだろう。
 現在何もしないでいれば、その時、宮家はみな絶家になっており、愛子様、眞子様、佳子様等の方々もご結婚によって皇室を離れている。悠仁さまが、たったお一人になっているということになりかねない。
 現在の皇室典範は、国会で改正がされることになっている。国民が日本の国柄、皇室の伝統を理解し、皇室のあり方について、真剣に考えていかなければ、皇室の存続・繁栄はあり得ない。

●皇室の問題をきっかけに日本精神に目覚めよう

 建国以来続いてきた皇位継承の伝統を守れるか。日本の最大の特徴を維持できるか。こうした日本の国の重要な事柄に取り組むには、国民がまず、日本精神を取り戻すことが先決である。
 大塚先生は、「日本人は日本精神に返れ」と説かれている。日本人が日本精神を取り戻し、日本の伝統・歴史・国柄を理解して、日本のあり方を考えていかねばならない。

 皇室の問題は皇室の問題だけの取り組みで、解決するのではない。最も根本には、憲法の問題がある。天皇・皇族についても、憲法に元が定められている。国の根本を定める憲法をしっかりしたものに変えていく必要がある。これから、新政権のもとで憲法改正が議論されていくだろう。
 次に、教育が重要である。日本の伝統・歴史・国柄を教える教育がされるようにしないと、日本人とは名ばかりの日本人が増える一方となる。与党は今秋、国会で教育基本法の改正を目指している。
 憲法、教育など、日本弱体化政策によって変えられたものを、日本人が自力で改正し、日本の再建に努力すること。できることを一つ一つやっていくこと。その結果として、皇室の維持・繁栄も得られる。

 大塚先生の著書『真の日本精神が世界を救う』は、日本精神の神髄を解き明かした本である。国柄、憲法、教育等についても、具体的に説いておられる。是非、この機会にご一読いただきたい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872576896/qid=1148518544/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-4833362-4169033
 日本の再建・発展のために、ともに力をあわせて進ませていただこう。

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■悠仁親王殿下3歳のお誕生日に皇室を思う

2009.9.6

 

 本日は、悠仁親王殿下のお誕生日である。悠仁様はこのたび3歳になられた。国民の一人としてお祝い申し上げるとともに、健やかなご成長をお祈りしたい。

 平成18年9月6日に、悠仁様は誕生された。皇室に男子が生まれたのは、41年ぶりのことだった。この年のはじめ、愛子様を天皇にという女性天皇・女系天皇容認論が広がり、小泉政権は皇室典範の改正を行おうとしていた。しかし、秋篠宮紀子様がご懐妊されたことにより、その動きは抑えられた。そして、男子が誕生されたことにより、女帝・女系容認論はひとまず収まった。

 

●皇室の伝統は男系男子による皇位継承

 

 わが国の国柄は、皇室を国家の中心に戴くことを特徴とする。現行憲法は、第1章第1条に、天皇を「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と規定している。皇室の伝統は、皇位を男系で継承することである。基本は男系の男子による継承である。男系女子が皇位についた事例は、歴史上にある。それは、男系男子による皇位継承を維持するための方策であった。

 しかし、もし今日、皇室典範を改正し、女性の天皇を可能とした場合、男系男子の継承が準備されていなければ、重大な問題に直面する。もし女性天皇の結婚を許可し、女性天皇が子供を生み、その子供が天皇になるならば、その子供は女系の天皇となる。

 女系の天皇は、従来の皇統とは別の存在となる。一般には女系と呼ぶものの、正確に言えば、父方の系統の天皇となるからである。これは、王朝の交代を意味する。父方が佐藤家であれば佐藤王朝、鈴木家であれば鈴木王朝に移ることになる。王朝の交代は、皇統の断絶である。それゆえ、女系継承は、皇室の伝統を断ちきり、わが国の国柄を改変するものとなる。皇室の存続のためには女帝・女系継承やむなしという議論に、まどわされてはならない。

 

●将来を見越した制度の整備を

 

 悠仁様のお誕生は、こうした危険な道にわが国が進む動きを制した。悠仁様のお誕生により、皇太子殿下・秋篠宮殿下に続く世代の男系男子がお一人いらっしゃることになった。今後、皇太子殿下・同妃殿下に男子が誕生されなければ、やがて悠仁様が皇位を継承することになるだろう。それは30〜40年後のことだろう。

 悠仁様のお誕生によって得られた時間を、日本の伝統の保守のために、生かさねばならない。皇太子殿下に男子が誕生される可能性は残されているが、今のままであれば、やがて悠仁様が天皇の御位に就く時が来るだろう。おそらく30〜40年先ではないか。

 その時、いわゆる天皇家以外の宮家はほとんど消滅し、皇族の数もごく少なくなっている可能性が高い。だから、悠仁様が天皇になられたとしても、いずれ皇統の維持は困難になる。それゆえ、将来を見越して、皇室が繁栄し、皇位が男系男子によって安定的に継承されるように、いまから制度を整えなければならない。これは国家根幹に関る重大な課題である。

 具体的には、戦後GHQの指令により臣籍降下した旧宮家に皇族に復帰していただく、絶家となる宮家が養子を取ることを可能にする、あるいは、そうした宮家は祭祀のみを継承する等の方法が提案されている。今後、国民の英知を集めて、皇室の維持・繁栄を確かなものにする必要がある。

 

●天皇陛下御即位20年を好機として

 

 もしわが国が万が一、皇室を失うことになれば、日本人に受け継がれてきた日本精神はますます消失し、日本は本来の日本でなくなってしまうだろう。

 本年は、天皇陛下御即位20年の年である。全国各地で、御即位20年を奉祝する活動が行われている。その奉祝活動の頂点として、11月12日に、皇居前広場で、国民祭典が行われる。当日は、インターネットで全国に式典の模様が実況配信される予定だという。

 わが国の国柄と伝統に対する国民の関心を高め、理解を深める好機である。御即位20年という意義ある本年を機に、男系男子による皇位の安定的な継承を確実なものとするため、具体的な方法の策定・実現を推し進めていくべきだと思う。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「皇位継承問題〜男系継承への努力を

 

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■寛仁親王家彬子女王殿下のご発言

2012.1.24

 

 寛仁親王家の長女・彬子(あきこ)女王殿下は、毎日新聞社の単独取材に応じて、女性宮家創設の動きに関して発言された。皇族女子のご発言として注目される。女王とは、天皇の曽孫以下の世代の女性皇族の称号である。

彬子様は、「今の議論は女性宮家を創設するかしないか(のみ)になっているような気がして、そこには違和感があると申しますか……。男系で続いている旧皇族にお戻りいただくとか、現在ある宮家をご養子として継承していただくとか、他に選択肢もあるのではないかと思います。女性宮家の議論だけが先行しているように感じられます」と述べておられる。

成人の女性皇族が、旧皇族の皇籍復帰と旧皇族からの養子等の選択肢があると発言されたことは、大きな意味がある。政府・宮内庁は、当事者のご発言として、よく傾聴すべきである。

以下は記事の全文。

 

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●毎日新聞 201217

 

http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20120107k0000m040108000c.html

寛仁親王家長女・彬子さま:「女性宮家」早い決着を

 

 政府が検討作業に入った「女性宮家問題」などに関し、寛仁親王家の長女彬子(あきこ)女王殿下(30)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、「お国の決定に任せるしかないが、決めるのであれば早く決めていただきたい」などと思いを語った。彬子さまは未婚の女性皇族8人のうち最年長で、皇族がこの問題について考えを示したのは初めて。

 彬子さまは、日本美術史を専攻し、英国オックスフォード大で女性皇族としては初めて博士号を取得。現在、立命館大衣笠総合研究機構でポストドクトラルフェロー(博士研究員)を務めている。

 皇室典範は、女性皇族は皇族以外と結婚した場合、皇族の身分を離れると規定しており、このままでは皇族が極端に減ってしまうため、野田政権は年明けと共に、結婚後も皇族にとどまる女性宮家制度の本格的な検討を始めた。

 彬子さまはインタビューで、国(政府・国会)に任せるしかないと政治的発言に関し控える姿勢を示しつつ、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘。「今の議論は女性宮家を創設するかしないか(のみ)になっているような気がして、そこには違和感がある」と戸惑いを語った。

 また、結婚して民間人になるという前提で教育されてきたことを挙げ、「その前提が大きく変わるかもしれないというので、私自身落ち着かない状態です」と心境を吐露した。そして、結婚適齢期の女性皇族が増えることに関し「お相手の方の将来にも関わってくる問題です」として女性宮家問題の早期決着を望んだ。

 一方、皇室の将来については「国民のみなさまが皇室をどのように見ておられるか」「国民のみなさまが残したいと思われているか」にかかっているとし、自身が結婚後も皇族にとどまることについては「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。【大久保和夫、川崎桂吾】

 

◇解説 将来設計を左右 十分な考慮を

 政府が改正を検討する皇室典範は、対象を広く一般化した他の法律とは違い、天皇陛下と皇族の23人の立場などを規定したものだ。

 女性宮家制度は、独身女性皇族の今後の生き方や将来設計を直接左右する。典範の改正時期によっては「姉が一般人なのに妹は結婚しても皇族」という差が出る恐れもある。宮家を作る女性皇族の範囲をどうするかという問題もある。

 皇族は選挙権もなく、政治的言動は控えており、彬子さまも質問ごとに熟慮しながら、国の決定に任せるしかないと自らの立場を強調した。制度上は「意向の確認・反映」が必要事項ではないとしても、典範改正に際しては「若い女性たちの人生を変える」という事実を踏まえた十分な考慮が必要だ。

 一方で、国民の理解も欠かせない。2月からの有識者ヒヤリングについては、国民に皇室の課題について理解を深めてもらうためにもオープンにして判断の素材を提供すべきだろう。【大久保和夫】

 

http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120107ddm004070141000c.html

急接近:彬子さま 典範改正に向けた女性皇族自身の思いとは?

 

<KEY PERSON INTERVIEW>

 女性宮家創設を視野に入れた皇室典範改正の動きが急浮上したことで、女性皇族の存在がクローズアップされてきた。どんな生活を送り、どのような活動をされているのか。寛仁親王家の長女彬子(あきこ)女王殿下(30)に聞いた。【聞き手・大久保和夫、川崎桂吾、写真・大西岳彦】

 

◇落ち着かぬ、任せるしか−−寛仁親王家の長女・彬子さま(30)

 

−−現在、どのような生活を送られているのですか。

◆ 研究員として論文を書いたり、研究発表したり、ということが主な仕事です。最近は月に1、2回、講演や研究発表の機会をいただいています。

 

−−昨年12月には、勤務先の立命館大で「文化財の現在・過去・未来」国際シンポジウムをプロデュースされましたね。

◆ 前年に引き続いての開催で、漆器、竹工芸など伝統の技を継承する人にも話していただきました。文化財を残していくためには今何かしなければならないという認識は、みなさん、共通しています。しかし、異業種・異分野間で協力してこの問題に取り組もうとする動きはあまり見られません。そこで市民の方々と共に考えていくプラットホーム(基盤となる環境)のようなものを作りたいと思って、企画しました。一般の方たちから反応が返ってきたことはうれしかったですし、ありがたかったですね。

 

−−一方で皇室の公務があり、シンポの直前にも外交団の鴨場(かもば)接待が2回ありました。

◆ 鴨場接待はさまざまな国の方たちとお目にかかることができ、とても勉強になります。ただ、どうしても時間が足りなくなるので、移動する新幹線の車中で原稿などを書いています。

 

−−皇族女性として初めて博士号を取得されましたが、研究活動に関心を持った経緯は。

◆ 祖父(古代オリエント史研究で知られる三笠宮さま)の影響だと思います。幼稚園の頃から私の質問に三つくらい資料を出して、「ここにはこう書いてある。ここではこうだ。だから僕はこう思う」というふうに説明してくださいました。研究とはこのようにするものだと、子ども心に感じていたと思います。

  そして、初めての英国留学中のことですが、日本に関する質問が全部私に回ってきて、自分がいかに日本を知らないかに気付かされました。浮世絵一つとっても、外国人と日本人の視線は違います。日本美術に最初に出合った外国人たちがどう見ていたのかということが、論文のテーマにつながっていきました。

 

−−留学中のご様子は。

◆ 寮生活で食事は自炊していました。料理は論文を書いている時のよい気分転換でした。「プリンセス」としてではなく、日本から来た「アキコさん」として偏見なく付き合っていただきました。世界各国に友人ができたので、自分の狭い世界が広がったような気がいたします。

 

 −−皇族ということを自覚されたのはいつごろでしょうか。

◆ 幼稚園の頃ですね。周りの子は電車で通っていましたが私は車でした。(皇宮警察の)側衛がお母さんたちに交じって迎えにきてくれて。「彬子ちゃんはお父さんがたくさんいていいね」と言われていました(笑い)。

 

−−「女性宮家」創設の動きはどう受け止めていますか。

◆ お国の決定に任せるしかないと思っています。一方で、今の議論は女性宮家を創設するかしないか(のみ)になっているような気がして、そこには違和感があると申しますか……。男系で続いている旧皇族にお戻りいただくとか、現在ある宮家をご養子として継承していただくとか、他に選択肢もあるのではないかと思います。女性宮家の議論だけが先行しているように感じられます。

 

−−将来は皇室を離れることを前提に生活されてきました。

◆ 「お前たちは結婚したら民間人だから」と、子どもの頃から父に言われてきましたが、その前提が大きく変わるかもしれないというので、私自身、落ち着かない状態です。

 

◇研究と公務、どちらも

 

−−現行の皇室典範のままでは皇族が極端に減るという問題についてはどうお考えですか。

◆ それは国民のみなさまがどのように皇室を見ておられるかということにつながってくるのではないかと思います。皇族の私がどうすべきかを申し上げるのではなく、国民のみなさまが残したいと思われるのであれば、自然と残っていくのではないでしょうか。こういった流れがあって初めて、将来を見据えた皇室典範の改正も議論されるべきだと思います。

 

−−立場が定まらないと、ご結婚にも踏み切れない、ということはありますでしょうか。

◆ 私は、結婚後も公務をすることに抵抗はありませんが、女性宮家創設はお相手の方の将来にも関わってくる問題ですので、決めるのであれば早く決めていただきたい。今は、子どもたちに日本の伝統文化に自然と親しんでもらうような寺子屋のようなことができないかと考えています。ただ、成人後に留学を5年間させていただきましたので、その分を公務でお返しできたらと思っています。研究と公務のどちらかを優先するというわけではなく、どちらも100%が目標です。

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■ことば

◇女性皇族

  天皇の娘と孫にあたる「内親王」は現在、皇太子家の長女愛子さま(10)、秋篠宮家の眞子さま(20)、佳子さま(17)の3人。天皇の曽孫以下の世代は「女王」で、寛仁親王家の彬子さま(30)、瑶子さま(28)、高円宮家の承子さま(25)、典子さま(23)、絢子さま(21)の5人がいる。

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■人物略歴

◇あきこさま

 学習院大を卒業後、英国オックスフォード大に留学。大英博物館の日本美術収集などに関する論文で博士号を取得した。09年10月から京都市の立命館大衣笠総合研究機構に勤務。

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関連掲示

・拙稿「三笠宮家寛仁親王殿下のご発言

 

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■旧皇族が復帰要請に応える意向

2012.3.2

 

敗戦後、皇籍離脱した旧皇族の多くが、皇位の男系継承を維持するために皇籍復帰を要請されれば、「一族として応えるべきだ」とする意向を固めているという。旧皇族・竹田家の竹田恒泰氏が、旧皇族約20人の意見を聴き、月刊「正論」平成24年4月号に寄せた論文でその意向を明らかにした。皇統問題で旧皇族の意向が文書で公表されるのは初めてのことである。

論文によると、竹田氏は23年11月〜2月中旬、皇位継承問題について旧皇族20人以上と意見交換した。大多数が男系の皇統は維持されるべきだと考えており、女性・女系天皇を積極的に容認する人はいなかった。男系維持のため皇籍復帰を要請されれば、「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」と考える人が大半を占めたという。主に現在の宮家と養子縁組することで、男系を継承することを想定したものである。
 寛仁親王殿下の長女、彬子様は24年1月7日付の毎日新聞のインタビューで、女性宮家創設だけが議論される現状に「違和感」を表明し、「男系で続いている旧皇族にお戻りいただくとか、現在ある宮家をご養子として継承していただくとか、他に選択肢もあるのではないかと思います」と発言された。

竹田論文はこのご発言を紹介し、選択肢のうち養子継承案が注目されているとし、旧皇族一族には少なくとも9人の未婚男子と、ここ数年内に結婚した5組の男系夫婦がいて、通常の養子や婿養子、夫婦養子となることが可能だと指摘した。竹田氏は「皇室から、そして国民から求められた場合には、責任を果たしていかなくてはいけないと(すでに)覚悟している者が複数いて、その数が増えつつある」と述べている。

 私は、男系男子による皇位継承のための方策は、第一に旧皇族の皇籍復帰、第二に皇族の養子の許可、第三に旧皇族との婚姻の場合に限定した女性宮家の創設と考える。
 第一の旧皇族の皇籍復帰は、大東亜戦争の敗戦によって占領期に皇籍離脱した旧皇族(11宮家51方の系譜)を対象とする。第二の養子制度は、養子の対象範囲を旧宮家の男系男子とする。養子を可能にすることで現在の宮家の存続ができる。第一及び第二の方策を組み合わせれば、皇位継承の安定性は格段と増す。これらの方策をはじめから排除して、第三の方策だけを考えるのは、皇統廃絶の道である。
 皇室は秋篠宮殿下誕生から悠仁親王殿下誕生まで9方、女子が続いた。その確率は0.2%以下という。あたかも自然消滅に向かっているかのような確率である。ところが、この間、旧皇族には男子が多数誕生している。皇太子殿下(52歳)より若い男子が14名、うち未婚者が9名いる。悠仁親王殿下と近い世代の男子も4名いる。皇室には女子が多いが、旧皇族と合わせると、ほぼ男女のバランスが取れる。むしろ男子が多いほどになる。この事実は、皇籍離脱した旧皇族を合わせてこそ、本来の皇室だということを意味していると、私は思う。
 旧皇族は600年前に皇統から分かれている、40数親等離れている、60年以上前に皇籍離脱している、だから、旧皇族の皇籍復帰は国民が受け入れないという意見がある。だが、これら旧皇族は戦前、皇族であった。また、戦後も現皇室典範のもとで数か月間、皇族だった。旧皇族の家系である宮家は、皇族に男系男子の皇位継承者が誰もいないという状況になったとき、天皇になる方を出していただくために創設され、維持されてきた宮家だった。それが存在意義である。司馬遼太郎は、それらの宮家を「血のスペア」と言い、大宅壮一は「血のリレーの伴走者」と呼んだ。
 11宮家51方もの皇籍離脱は、敗戦後の被占領下において、GHQの圧力によって余儀なくなされたものである。日本人が自ら望んでしたことではない。この点に返って、皇籍復帰を考えるべきである。旧皇族の復帰は無理と選択肢から排除して、女系継承容認を説く論者たちーー田中卓・所功・高森明勅・小林よしのり等の各氏――は、旧皇族の臣籍降下は、日本国にとって屈辱的な出来事だったことを心底感じていないのではないか。
 とりわけ漫画家・小林よしのり氏は、若者への影響力が大きい。小林氏は『天皇論』で女性天皇・女系天皇容認を描いた。私は、高森明勅氏の影響が大きいのではないかと思う。彼らの皇室の存続を願う思いは分かるが、女系継承は皇統断絶の道である。彼らはこのことを理解できていない。
 皇位継承の伝統は、皇位を男系で継承することである。男系とは、父方を通じて歴代天皇の系譜につながる方々をいう。直観と言うか本能と言うか、我らの先祖は家系は男系で継ぐべきものと考え、皇室は古代からかたくなに男系継承を守ってきた。古代ギリシャやゲルマン系諸族、アジアの諸族等、世界には広く王位は男系でという考えがあった。だが、異民族に支配されたり、王家が断絶したりした。日本の皇室は世界で唯一、男系で継承してきた比類なき事例である。男系女子が皇位についた事例は、歴史上にあるが、それは、あくまで男系男子による皇位継承を維持するための一時的・例外的方策であった。
 女系継承容認論者は、女系もまた皇統だという。だが、父親から父親へとたどっていく系統である男系に対置される女系とは、母親から母親へとたどっていく系統である。これが真の女系である。ところが、女系継承容認論者のいう女系は、真の女系になっていない。例えば、母親・父親・母親・父親等とジグザグにたどるのは、女系ではなく、双系でもない。多系ないし雑系というべきものである。
 政府は、皇位継承の問題とは切り離して女性宮家創設を進めようとしている。女性宮家創設は、男系継承を堅持することを大前提として固め、男系継承の補助的な方策として、旧皇族男子との婚姻の場合に限定しておかないと、将来、女系継承容認論が浮上した時に、混乱を招く。
 女性皇族を中心とする新しい宮家を設立しても、結婚相手が民間人であれば、誕生するお子様は女系である。ここに言う女系とは、母方を通じてしか歴代天皇の系譜につながらない方々をいう。そのため、お子様が男子であっても、男系男子で継承してきた皇位の継承者にはなり得ない。皇位の安定的な継承には寄与しない。まして、女性宮家の創設が将来女系継承を可能とする布石とする発想であれば、男系男子による皇位継承を否定し、わが国の皇統を廃絶させる道となる。そこに共和制、さらに共産主義を目指す者たちの意図があると私は思う。
 もし女系の天皇が誕生すれば、その時点で従来の皇統とは別の存在となる。皇族女子が民間人と結婚し、父が民間人、母が皇族という子が天皇になった場合、この子は母方を通じてのみ、歴代天皇につながる。これを女系天皇と呼ぶが、正確に言えば、父方(民間人)の系統の天皇となる。これは、諸外国の基準で見れば、王朝の交代を意味する。父方が佐藤家であれば佐藤王朝、鈴木家であれば鈴木王朝に移ることになる。王朝の交代は、皇統の断絶である。英国王室におけるチューダー、スチュアート、ハノーバー(改名して現ウィンザー)の王朝の交代と同様、王家が交代したと見られる。形は皇室が続いているようでも、神武天皇以来の無姓の皇室から、別の王朝に代わることになる。それゆえ、女系継承は、皇室の伝統を断ちきり、わが国の国柄を改変するものとなる。皇室の存続のためには女系継承もやむなしという議論に、まどわされてはならない。
 悠仁親王殿下が誕生される前、愛子内親王殿下を天皇にという期待が国民の一部にはあった。その頃、天皇陛下は愛子様を天皇に望んでおられるという風聞が広がった。私は神道界で活躍している著名な人物から、まことしやかな話として聴いた。彼は、天皇陛下が女系継承を容認されているので、女系継承を可能にしなければならないと述べた。
 私は、立憲君主であり、また象徴天皇であるというお立場を深く自覚されている今上陛下が、そのようなご意見を表にされるかどうか疑問である。また側近が何か漏れ伺い、周辺が仄聞したとしても、社会的・政治的に影響を与えるような伝え方をするのは、御本意でないだろう。また仮に天皇陛下が個人としてどのようなお考えを持っていたとしても、皇位継承は皇室典範の規定に基づいて行われるものであり、またさらに重要なのは皇位継承の伝統に基づいてなされる事柄だということである。天皇は、皇祖皇宗の意思を受け継ぐお立場であるので、自らの使命として男系継承という伝統の保持を強く望んでおられるだろう。私はこのように考えるので、天皇陛下が女性天皇・女系を望んでおられるという風聞をもとに、皇位継承問題を判断するのは、間違いの元だと思う。
 野田首相は本年(24年)秋の国会で、女性宮家創設を可能とするよう皇室典範の改正を行おうとしている。この件につき、首相は2月13日の衆議院予算委員会で、「男系で皇位が継承されてきた伝統を重く受け止める」という主旨の答弁をし、下村博文氏が旧皇族の皇籍復帰を検討するよう要求したのに応じ、「今月から有識者を中心にヒヤリングを行う。指摘の点も含め提起をもらいながら結論を出す」と述べた。まず野田首相はわが国の皇位継承の伝統である男系継承を堅持することを、しっかり方針として固めた上で、この大事に当たらねばならない。有識者10名のヒヤリングを行うとして、現在聴取内容が報道されている。国民の声を聴くのはよいことが、政府は旧皇族方の意向も傾聴し、検討を行うべきである。
 旧皇族の多くが、皇位の男系継承を維持するために皇籍復帰を要請されれば、「一族として応えるべきだ」とする意向を固めているということは、それらの方々が自らの使命を自覚し、その責任を担おうという意思を持っているということである。そのことが、竹田氏を通じて発表されたことの意味は大きい。また、皇室会議には皇族が2名議員になっておられる。女性宮家については、当事者となる女性皇族もいらっしゃる。その方々も含めて、皇族方の意向もよく伺って、慎重に進めてもらいたい。
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■女性宮家よりは尊称保持、だが根本的改善は旧皇族の活用

2012.9.7

 

●有識者ヒヤリングの結果

 

 藤村官房長官は平成24年8月1日、女性宮家創設に係る有識者ヒヤリングを打ち切り、論点整理のための取りまとめ作業に着手したことを発表した。今後、政府は皇室典範改定素案を公表して、国民から意見を公募した後、来年の通常国会に法案を提出する見通しである。

 政府は2月から有識者ヒヤリングを6回行い、12人の有識者から意見を聴いた。ヒヤリングでは、女性宮家創設に賛成の意見が3分の2を占めたが、配偶者の身分、お子様の身分、一代か継承か、対象等で細かく意見が分かれた。その一方、多くの有識者より、女性宮家創設の対案として、女性皇族が婚姻により皇籍離脱した後もご公務を担えるよう尊称を保持するという案が提案された。これにより、政府内では現在、一代限りの女性宮家創設案と尊称保持案が検討されているという。ヒヤリングでは、旧皇族の復帰・養子の案について賛成する意見が半分近くを占めたが、政府は、この案には消極的である。

 

 ヒヤリングを受けた有識者は、次の通り。

 第1回 今谷明氏(帝京大学特任教授)、田原総一郎氏(ジャーナリスト)

 第2回 山内昌之氏(東京大学大学院教授)、大石眞氏(京都大学大学院教授)

 第3回 櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、百地章氏(日本大学教授)

 第4回 市村真一氏(京都大学名誉教授)、笠原英彦氏(慶應義塾大学教授)

 第5回 小田部雄次氏(静岡福祉大学教授)、島善高氏(早稲田大学教授)

 第6回 所功氏(京都産業大学名誉教授)、八木秀次氏(高崎経済大学教授)

 

 以上の12名のうち、女性宮家案は、賛成8、反対4。賛成が今谷、田原、山内、大石、市村、笠原、小田部、所の各氏。反対が櫻井、百地、島、八木の各氏。尊称案は、賛成7、反対1。賛成が山内、大石、櫻井、百地、市村、島、八木の各氏。反対が所氏。

 女性宮家案に反対の4名は、全員尊称案に賛成である。女性宮家賛成の8名のうち、3名は尊称案にも賛成している。

 旧皇族男系男子孫の皇籍復帰・養子案は、賛成6、反対2。うち皇籍復帰が賛成5、反対2、養子が賛成6、反対2である。櫻井、百地、市村、島、八木の各氏は両方に賛成、大石氏は養子にのみ賛成である。

 12名に対し、賛成・反対の合計数が合わないのは、賛否不明確の者がいるためである。

 

●政府の女性宮家創設案の問題点

 

 女性宮家創設は、女性皇族の結婚相手が民間人の場合、誕生した子供を皇族とすると、民間人男性を父に持つ女系皇族が誕生することになる。これは女系天皇への道を開き、皇統の断絶に至る恐れがある。私は、女性宮家創設は旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限るべきという意見である。この意見は、旧皇族の男系男子孫の皇籍復帰と、皇族が旧皇族男系男子孫に限って養子を取ることを許可することを主たる方策とし、そのことを前提とするものである。

 政府は女性宮家創設は皇位継承問題とは別というが、なお先の懸念による反対・慎重の意見が多くある。そこで政府は現在、皇位継承問題と切り離すため、女性宮家を一代限りとする方針である。子供は皇族としないという案である。

 その場合、まず女性皇族の配偶者の身分をどうするかということがある。皇族または準皇族とするか、民間人のままとするかで分かれる。皇族とする場合、敬称をどうするかという課題もある。

 仮に配偶者の身分を皇族とし、子供は皇族としないことにすると、親子で別籍・別姓・別会計という問題が生じる。すなわち、両親すなわち女性皇族と配偶者は、皇統譜に入るが、子供は民間人として戸籍が別になる。両親は皇族ゆえに姓が無いが、子供は民間人として父親の姓を名乗ることになる。両親は皇族費によって家計を維持されるが、子供は皇族費の対象外で養育費・生活費等の支出は別会計となる。

 次に配偶者の身分を民間人のままとする場合、妻・母は皇族で皇統譜・無姓・皇族費で、夫・父と子は別籍・有姓・別会計という構成が、一つの家族といえるのかどうか。また実生活に多くの支障を生じるだろう。

 いずれの場合も極めて不自然な状態であり、わが国の親子一体・夫婦一体の伝統に反する。あたかも夫婦別姓論者が目指す夫婦別姓、親子別姓、夫婦別会計のサンプルのごときである。

 女性宮家創設は旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限ることにすれば、これらの問題点は解決できる。配偶者となる旧皇族の男系男子孫は皇統譜に入り、女性皇族と配偶者の間に生まれた子供も皇族とする。姓と会計の問題も生じない。

 

●浮上する尊称保持案とは

 

 現在浮上している尊称保持案は、女性宮家創設に伴う問題点を解決し得るものと考えられている。尊称保持案は、女性皇族が婚姻により皇籍離脱した後もご公務を担えるよう、内親王・女王などの尊称の保持を可能とする案である。

 女性皇族が婚姻後も尊称を保持することにより、皇籍離脱してもご公務を担える立場にあることを公的に保障する。皇族としての経験を生かし、婚姻後も皇室活動を継続して、天皇家を支えていただくことができる。皇室活動を続けられるようこれに伴う費用や住居については、支出を保障する必要がある。皇室御用掛(仮称)、宮内庁参与等の役職についていただくという案も出ている。

 尊称保持であれば、身分は民間人であり、戸籍は配偶者の籍に入る。子供も民間人として家族の一体性が保たれる。女系天皇につながらず、皇室の男系継承の伝統を崩壊させる恐れはない。

 尊称保持案は、歴史的前例にならう方法である。旧皇室典範は、第44条に次のように定めていた。

 「皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍内親王女王ノ称ヲ有セシムルコトアルヘシ」

 大意は、「皇族女子が臣籍の者と結婚した場合は、皇族の列から外れる。但し、特旨により、その内親王・女王の呼称を持つ場合がある」ということである。

 伊藤博文の『皇室典範義解』に、この条文について、次のように書かれている。「恭(つつしみ)で按ずるに、女子の嫁する者は各々夫の身分に従ふ。故に、皇族女子の臣籍に嫁したる者は皇族の列に在らず。此に臣籍と謂へるは専ら異姓の臣籍を謂へるなり。仍内親王又は女王の尊称を有せしむることあるは、近時の前例に依るなり。然るに亦必ず特旨あるを須(ま)つは、其の特に賜へるの尊称にして其の身分に依るに非ざればなり」

 大意は、「慎んで思うに、女子で婚姻する者は、それぞれその夫の身分に従う。故に皇族女子が臣籍の者と結婚した場合は、皇族の列から外れる。ここに臣籍というのは、専ら異姓の臣籍をいう。その内親王または女王の尊称を持つことがあるとは、近時の前例によるものである。然るにまた必ず特旨を必要とするのは、その特に賜る尊称であり、その身分によるものではないからである」ということである。

 特旨とは、天皇の特別の思し召しである。日本国憲法のもとにおいても、現行位階令に特旨叙位がある。

 尊称保持案も皇室典範の改正を要する。旧皇室典範第44条の条文の主旨を踏まえた条文を新設することになるだろう。天皇から特旨を賜るのか、行政の会議体で決するのか、皇室会議で決するのか、制度設計が必要である。

 尊称保持の歴史的前例には、朝鮮王朝の皇太子・李垠の妃となった梨本宮方子女王殿下の例がある。

 尊称保持であれば、女性宮家を創設しなくとも、女性皇族のご公務分担が可能となる。その点で私も賛成だが、ただし、この方策が採られても現在いらっしゃる女性皇族が婚姻後もご公務を担うことができるというだけである。女性皇族一代限りのことであり、一時的な方策に過ぎない。

 

●根本的な改善策を断行すべし

 

 政府は現在、一代限りの女性宮家創設と尊称保持の二案を検討しているという。政府は、こうした方策を皇位継承問題と切り離して実現しようとしている。尊称保持の方がよいが、いずれも当面の皇族のご公務分担の軽減や皇室活動の維持を図るものにすぎない。有益ではあるが、根本的な改善にはならない。

 平成18年9月6日、悠仁親王殿下が誕生された。殿下は本日6歳になられた。今後、皇太子殿下に男子が誕生されなければ、やがて悠仁様が皇位を継承することになるだろう。おそらく30〜40年後のことだろう。今のままではその時、皇族の数は極少なくなっている。仮に尊称保持策を採ったとしても、現在8名おられる未婚の女性皇族が、みな民間人と結婚されれば、一代限りでお役目を終える。最悪の場合、男系男子の皇族は悠仁親王殿下お一人となる。この方策では、いずれ皇統の安定的な継承は困難になることは、明白である。そこで皇室の繁栄と皇位の安定的継承を可能とする方策こそが求められているのである。政府も有識者も国会議員もしっかりと将来をみすえ、根本的な改善に取り組んでもらいたい。

 私は、男系による皇位継承を保持し、かつ皇族の数を確保する方策は、第一に旧皇族の男系男子孫の皇籍復帰、第二に皇族が旧皇族男系男子孫に限って養子を取ることを許可することであると考える。女性宮家創設については、旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限るべきである。

 皇統の血筋を引く元皇族男系男子孫が、皇籍復帰、皇族との養子、女性皇族との婚姻などの方策によって、男系男子皇族となる制度を整えば、皇族の人数は増加し、かつ安定的な皇位継承が可能になる。これを旧皇族活用策と呼ぶとすれば、旧皇族活用策以外に、皇室の繁栄と皇位の安定的継承を可能とする根本的な改善策はない。旧皇族の活用を先送りすれば、皇室の命運は先細りする。だが、いまこの根本的改善策を実施すれば、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来、天皇を支える宮家が数家維持されて、皇室の弥栄は確かなものとすることができる。

 皇室の将来に関し、一時的な方策は根本的な改善にならず、先送りは先細りである。目の前に最善にして最も確実な方策がある。国民の英知を結集して、その方策を断行すべきである。ページの頭へ

 

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■米と皇室と日本人

2006.04.22

 

  日本神話の物語の一つに、天孫降臨の話がある。そこで、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫のニニギノミコトを日本に派遣される時に、次のような言葉を与えたと伝えられる。

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほのあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべく地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、まさに天壌(あめつち)とともに窮(きわま)りなかるべし」

 すなわち、日本は、稲穂が豊かに稔る国だと表現され、皇室の祖先は、この国で末永く繁栄するように、天から遣わされてきたとされている。

 天孫降臨の際、天照大神は、次のように命じたと伝えられる。

 「吾が高天原きこしめす斎庭(ゆには)の稲を以てまた吾が児(みこ)に御(まか)せまつる」

 すなわち、天照大神は、自ら高天原で作った稲を、ニニギノミコトに与え、日本へ行って、米を作るように命じたというのである。

 

 ニニギノミコトの孫に当たるのが、わが国の最初の天皇となった神武天皇である。神武天皇は、記録によると、日向(ひゅうが)の国(現在の宮崎県)を出て大和に入った。そして奈良県の橿原(かしはら)の地で、天皇の御位(みくらい)に就いた。

 このとき、神武天皇は建国の理想を掲げた。それは「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉に表されるようになったもので、「天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲良くくらせるようにする」ということを目標とした。

 そして、神武天皇は、大和の地で米作りをし、4年間の苦労の末に、立派な収穫を得た。そして、神に稲穂を捧げて祭りを執り行なった。こうして、神武天皇は、ニニギノミコトが仰せつかった天照大神の神勅に従って、国づくり、米作りを行なったわけである。

 

 神武天皇の即位を紀元前660年と考える説がある。仮にこの年を起点とすると、今年は2666年に当たる。現在の天皇陛下は第125代だが、神武天皇以来、2千年以上もの間、一つの家系が皇室としてずっと続いていることは、世界に類例がない。日本人が誇りとすべきことである。

 この間、私たち日本人の祖先は、米を作り、米を食べながら生きてきた。わが国の稲作は、水田潅漑稲作である。四季の変化に応じて、もみを蒔き、苗を育て、稲を刈らねばならない。そこに自然と調和して生きる生き方が育まれた。

 また、わが国の稲作は、集約的な労働を要する。村人が総出で、農作業をしなければ、豊かな実りは得られない。人の和が必要である。そこに、日本人の正直、勤勉、約束を守る、人に思いやりを持ち、気配りをするというような民族性が形作られた。

 

 こうして日本人には、人と自然、人と人の調和を重んじる精神が自ずと発展した。家族にあっては、親子・夫婦・祖孫が一体となって共に生きる。また、その家族が寄り集まって、社会を形成する。民族の全体は、皇室を中心として団結する。これが、伝統的な日本人の精神、日本精神ということができよう。一般に「和」の精神と呼ばれるものである。

 

 日本の「和」の精神を自覚し、言葉で表現したのが、聖徳太子である。聖徳太子は、7世紀の初め、十七条憲法に「和をもって尊しとなす」と記した。これは皆さん誰もが知っておられよう。実は、太子は、この「和」が天皇と国民の間に行われるべきものとしたことは、案外知られていない。

 十七条憲法には、「私に背き、公に向かうは、これ臣の道なり」とある。私心を抑えて、公の方に向かうのが、国民のあり方だと言う。「公」は単に公共という意味ではなく、朝廷のことである。

 また憲法に、「国に二君なく、民に両主(ふたりのあるじ)なし」とある。すなわち、国民は天皇を唯一の中心とすべきことを述べている。

 つまり太子は、単に「和」を説いたのではなく、天皇を中心とした「和」の精神を説いたのである。そして、太子が十七条憲法に盛ったこの精神が、今日までわが国の国柄と日本人のあり方に、深い影響を与えているのである。

 

 聖徳太子の目指した理想は、律令という制度に表された。律令はシナから取り入れたものだが、日本人はそれをただ模倣したのではなかった。

 天皇から委ねられて政治(まつりごと)を行う太政官(だじょうかん)の他に、天皇を中心として祭儀(まつりごと)を行う神祇官(じんぎかん)を設け、政治より祭儀を上位とした。そして、天皇の権威の下、政治の実権を授けられた者が、国を治めるという、わが国独自の仕組みが作られた。

 律令制度は、その後、明治維新まで千年以上、わが国の基本的な制度であり続けた。最初は、藤原氏などの貴族が政治を担った。摂関政治という。その後は武士が政治を担った。武家政治という。この間、藤原不比等、藤原道長、平清盛、源頼朝、足利尊氏など、権勢を誇る実力者が何人も出た。しかし、不比等や清盛は、自分の娘を天皇の妃とし、皇室との関係を深めはしたが、自分が天皇になろうとか、息子を天皇にして、自分の家系が皇室に成り代わろうなどとは考えなかった。

 だから、わが国には、シナのように易姓革命というものが、一度も起こっていない。その証拠に、わが国の皇室には「姓」というものがない。天皇は「裕仁」「明仁」のようにお名前のみで、姓を持っておられない。天皇は臣下に姓を与える立場であり、その地位を取って代わられることがなかったから、皇室には姓がないのである。

 

 武家政権をはじめた頼朝は、鎌倉に幕府を開いた。頼朝は、征夷大将軍という官職を授かり、それで満足した。征夷大将軍とは「地方派遣軍司令官」といったところであり、律令制度の中では位の低い「令外の官」である。源氏は清和源氏といって清和天皇の系統の分かれである。頼朝はその出自を誇りとし、「さむらい」として朝廷に仕えることをもって、よしとした。勅命に背く者には、「日本から出て行け」と叱責し、また朝廷からの求めに応じて寄進した。

 こうして頼朝は武士に範を垂れた。頼朝以後、約7百年間、武家政治が行われたが、頼朝の示したあり方が、武家政治の根本態度となった。

 

 律令の時代に、二つの例外がある。弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と足利義満である。

 道鏡は、孝謙女帝に取り入り、宇佐八幡の託宣があったとして天皇の座を狙った。しかし、和気清麻呂はその神託は偽であり、宇佐八幡からは「未だ臣は、君にはならず」(=かつて臣下の分際で天皇になった例はない)との託宣があったと報告し、道鏡の即位を防いだ。道鏡は左遷され、その地で亡くなった。

 足利三代将軍・義満は息子・義嗣を天皇の養子にして、天皇に即位させようと図った。ところが、義満は急病にかかって病死し、その目論見は防がれた。息子の義持は、弟の義嗣を攻め殺し、死後・義満に贈られた「太上天皇」の称号を「そんな破格な尊号を頂いた臣下はいません」と言って返上した。

 

 天皇の権威が軽んじられた時代もあった。南北朝時代、戦国時代である。これらは、国が分裂し、対立・抗争した時代であった。その戦乱の世を治めて、わが国を統一しようと志したのが、織田信長である。

 信長は日本史上にまれな英雄であり、天才である。彼は力づくで、大名を抑え、寺院をくじいただけではなかった。天皇の存在に注目し、その権威を復活させ、皇室を中枢にした天下の統一を目指したのである。しかし、傲慢不遜を極めた信長は、明智光秀に討たれた。

 その後、信長の志を継いで天下統一を進めたのが、豊臣秀吉である。秀吉は朝廷から太政大臣・関白という高い官職をもらった。皇室の権威を頂くことにより、諸大名を従えたのである。その事業を完成させたのが、徳川家康である。

 

 家康は、頼朝にならい、関東に幕府を開き、征夷大将軍という武士の官職を授かった。武士の本分を踏まえたあり方だった。家康の朝廷に対する態度は複雑で、一方では朝廷の力を弱めようとして規制を加え、他方では朝廷から統治を託されていることを幕府の正統性の根拠とした。

 徳川幕藩体制の時代は、約260年続いた。これは世界史にまれな平和の時代だった。この間、わが国は、豊かで個性的な文化を発展させた。その中心にもやはり皇室があった。皇室の権威が幕府に正統性を与えていることにより、国内の対立・分裂が防がれ、安定と繁栄をもたらした。

 

 わが国が鎖国政策を取り、独自の文明を開花させていたとき、西洋諸国では近代化が進み、科学・技術・経済がめざましく発展した。長い太平の眠りを破ったのが、黒船の来航である。

 わが国に西洋列強が押し寄せたとき、シナはアヘン戦争で敗れ、白人種に蹂躙されていた。日本人は民族存亡の危機に直面し、この危機にどのように対応するか、国内の意見は千千に分かれた。人々はわが国の国柄を思い起こし、皇室の存在に心を向けた。吉田松陰や西郷隆盛など、維新の志士は、みな天皇を仰ぎ、天皇を中心とした新しい国づくりに尽力した。

 こうして成し遂げられたのが、大政奉還である。大政とは、朝廷から委託されてきた国家統治のことをいう。奉還とは、それを朝廷にお返しするということである。

 

 新しい国の出発にあたり、明治天皇は、五箇条のご誓文を発せられた。ご誓文は、神に対して天皇が誓ったものである。ご誓文は、わが国の国是すなわち国家の大方針を示すものだった。

 その第一に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とある。会議を開き、多くの人の意見を聞いて政策をきめる。衆知を集めて政治を行っていこうということである。

 また「上下(しょうか)心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ」とある。身分上下に関わらず、心を合わせて国作りを進めていこうということである。

 ほかの三箇条も、その方針のもとに、新日本の基本方針を明確に表したものである。

 

 ご誓文の内容は、わが国に古来伝わってきた精神が表れたものだった。というのは、日本の神話では、天照大神が高天原の最高・中心の神と一般に考えられているが、天照大神は独断で事を決めない。神々を集めて評議をし、知恵のある神の意見にも耳を傾けて物事を進める。こうしたわが国の神話にも表れた「和」の精神が、明治維新に当たっては、五箇条のご誓文として表されたのだろう。ここに貫く、わが国・日本の伝統と国柄の連続性に驚きを禁じえない。

 

 明治のわが国は、五箇条のご誓文という大方針の下に、近代国家の建設を行った。文明開化、富国強兵、殖産興業が推進された。西洋列強に伍していくには、西洋近代的な憲法を作る必要を生じた。

 大日本帝国憲法は、明治22年に公布された。その第1条は「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めている。ここに「統治」という言葉がある。「統治」とは「しらす」のことだと公式に解釈されていた。

 「しらす」とは「うしはく」に対する言葉である。「うしはく」は「領有」「支配」を意味し、国家を私物化することである。これに対し、「しらす」は「知る」であり、「神意を知る」が根本の意味である。そこから転じて、「民の暮らしぶりを知る」をも意味する。自分の心を鏡のようにして、神の心を知り、また民の心を知る。そういう姿勢で国を治めるのが「しらす」である。

 

 明治天皇というと、勇ましい姿をした像がまず思い浮かぶだろう。しかし、その天皇の御心は、「しらす」という言葉のように、国民の幸福を願う祈りに満ちていた。

 こうしたわが国の天皇のあり方は、神武天皇が建国の理想として掲げた「八紘一宇」、国中が一つの家族のように仲良く暮らす国という目標を、歴代の天皇が受け継いできたことを示すものである。

 

 明治天皇は、大日本帝国憲法の公布の翌年、教育勅語を発布された。教育勅語は、明治天皇のお言葉である。教育の根本を明らかにしたものであると同時に、伝統的な日本精神をよく表したものでもある。そのうえで、近代国家の国民たるべき道徳を示している。

 江戸時代までは、皇室の存在を自覚していたのは、武士・知識層が中心だった。明治以後は、学校教育によって、庶民にまで皇室の存在が広く認識された。教育勅語は、国民形勢に大きな役割を果たしたのである。

 

 近代日本が国際社会に参入する上で、大きな試練があった。日清・日露戦争がそれである。当時の世界は、弱肉強食の世界だった。朝鮮半島をめぐって、わが国と清・ロシアがぶつかった。わが国は国防のために、朝鮮半島の安定と近代化を願った。大国のシナとロシアに勝利しえたのは、日本人が天皇を中心に日本精神で団結したからである。特に日露戦争の勝利は、有色人種が白色人種に勝利した世界史的な出来事だった。

 その後、東アジアの情勢が安定すると、わが国の指導層は国家目標を失った。政治家・経済人・知識人は、近代化=欧化の進行の中で、欧米の思想・文化の影響を深く受けていった。その結果、大正・昭和と進むに従って、本来の日本人の精神が少しずつ失われていった。特に軍人の中に、天皇の御心に背いて、独善的・排外的な言動をする傾向が現れた。統帥権干犯を振りかざして政治に介入し、クーデタ未遂事件や関東軍の暴走が起こった。

 昭和天皇は、軍部の独走を懸念された。天皇は日独伊三国同盟に反対し、米英との戦争回避を強く希望された。しかし、指導層は、独伊のファシズムを模倣し、本来の日本精神とは異なった考えに陥った。そして、遂に米英との無謀な大戦に突入した。

 大塚寛一先生は、言論統制厳しい最中、建白書を送付して、繰り返し警告した。しかし、その建言は容れられなかった。先生は、わが国は、指導層が日本精神を踏み外した結果、開国以来ない大敗を喫したのだと説いておられる。

 

 敗戦の結果、国民は自信を喪失し、占領下で日本固有の伝統・文化が否定され、外国思想が入り込んだ。占領政策の目的は、日本が再び米国及び世界の脅威にならないようにすることだった。GHQによる改革は、日本の弱体化を勧めるものであり、武装解除だけでなく、精神的に骨抜きにするものだった。 GHQは、日本人固有の歴史観を奪って戦勝国の歴史観を植えつけ、西洋思想を吹き込んだ。さらに国家の根本を定める憲法を押し付けた。その憲法に基づく教育基本法を制定したうえで、教育勅語を排除させた。

 

 こうした日本弱体化のための政策の最大のポイントは、天皇の権威を引き下げ、天皇と国民の紐帯を弱めることにあった。占領統治の必要から、皇室の存続は認めつつも、皇室が弱体化するようにした。天皇に対しては、いわゆる「人間宣言」を出させ、憲法においては、統治権者から象徴という地位にさせた。皇室財産を縮小させるとともに、直宮以外の皇族を臣籍降下するように追い込み、11の宮家が廃絶された。

 戦後世代が増えるにしたがって、皇室の存在は国民の意識から薄れた。日本の伝統・文化・国柄を知らない日本人が増えた。その結果、年月を経るに従って、日本精神が失われてきている。

 

 戦後は、日本精神というと、軍国主義のように誤解する人が増えている。しかし、本来の日本精神は、排外的・好戦的なものではない。人と自然、人と人の調和を重んじる「和」の精神である。日本を再建するには、こうした本来の日本精神を取り戻さなければならない。

 

 今日、日本は内外ともに、多くの問題を抱えている。ようやく人々が、日本精神に目を向けだしたところに、平成17年に入って皇室典範の改定問題が国民に知られるにいたった。

 現在の皇室典範は、天皇は皇統に属する男系の男子でなくてはならないと定めている。神武天皇以来、125代の天皇のうち、八方十代だけが女性の天皇だった。女帝は、あくまで男性が天皇を継いでいくための、中継ぎのような役割をした。また、すべて男系の女子だった。

 秋篠宮妃紀子様に、この秋(平成18年9月ご出産予定)、もし男のお子様が誕生されると、将来の天皇に就かれることになるだろう。しかし、もし女のお子様が誕生された場合、女性天皇・女系継承を容認する考えが高まるだろう。仮にそのように皇室典範の改定がされると、皇太子殿下の次には、愛子様が天皇になられるだろう。

 過去の女性天皇は、必ず寡婦か独身だった。天皇の御位にあるときは、結婚も懐妊もしてはならなかった。この伝統に従えば、今後、皇室に男子が誕生されない場合、愛子様は独身でいていただき、天皇となった後も独身を通していただくことになる。すると愛子様は最後の天皇となり、そこで皇室は無くなる。だから、女性天皇の誕生は、その時点でわが国は重大な事態となる。

仮にやむを得ず、女性天皇もご結婚できるように変えたとする。その際、お相手が民間人であると、生まれたお子様は、母方は歴代天皇につながるが、父方はつながらない。そのお子様が次の天皇に就くと、これを女系継承という。皇位の女系による継承は、わが国の歴史で、一度もない。それと同時に、女系継承となった時点で、従来の皇室とは、違う家系に皇位が移ってしまうことになる。すなわち、本来の皇室ではなくなるのである。

 そうなってしまってもいいのか、国民は真剣に考える必要がある。それには、わが国の伝統や歴史を学び、国の根本、国柄の本質について知る必要がある。

 大戌ェ一先生は、一貫して「日本人は日本精神に帰れ」と訴えてこられた。いまこそ日本精神を取り戻し、皇位継承の問題において判断を誤らないようにしなければならない。

 日本人の心の中に眠る、日本精神を取り戻そう、と呼びかけたい。

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■天皇制ではなく「皇室制度」を

2010.04.09

 

今日、多くの人が「天皇制」という言葉を使っている。日本を愛する人々、政治家や有識者もそうであり、保守を自称する人にも「天皇制」という人が目立つ。

  「天皇制」は戦前、ソ連の国際共産主義組織であるコミンテルンが作った言葉である。コミンテルン日本支部であった日本共産党が使用した。日本の共産革命をめざした「32年テーゼ」で使用している。ここで「天皇制」は、帝政ロシアのツアーリ専制支配体制と同様のものとされている。

 「天皇制」が左翼用語と知っていても、それに替わる言葉を知らないがために「天皇制」を使っている人が多いようだ。「皇室制度」が伝統的な正しい用語である。そのことを、私は、国学院大学教授・大原康雄氏の名著『天皇―その論の変遷と皇室制度』(展転社、昭和63年)で知った。以来「皇室制度」を使用している。

 「皇室制度」は戦前、宮内省で使っていた言葉である。宮内省の宗秩寮爵位課長等を歴任した酒巻芳男に『皇室制度講話』(岩波書店、昭和9年)という題名の著書があることからもわかる。本書は、皇室制度の解釈に関して定評のある文献である。

 皇室を敬う日本人は、「皇室制度」という言葉を使うべきである。日本の共産化をめざしコミンテルンが作った言葉と分かっていて「天皇制」を使うのはやめよう。

 

 「天皇制」という言葉が普及した要因の一つが、「象徴天皇制」という言葉である。これも「象徴天皇制度」と言ったほうがよい。「天皇制」は「統治体制」「支配体制」という意味で「○○制」と言う。打倒すべき支配体制という階級闘争の思想がこめられている。こうした共産主義の思想を除き、法制度としての「象徴天皇」を述べる時は、「象徴天皇制度」と呼ぶのが適切と思う。

 単なる言葉の言いかえではない。戦前のわが国では華族制度、爵位制度等と「制度」という用語を使った。その点からも、法制度としての「象徴天皇」を述べる時は、「象徴天皇制度」と呼ぶのが妥当と思う。

  「皇室」の意味で使われる「天皇家」という言葉も、現在では広く使われている。しかし、この言葉は、戦前には無かった。「皇室」ないし「帝室」と呼称した。私の知る限り、「天皇家」を使ったのは、左翼の歴史家・禰津正志(ねずまさし)が書いた『天皇家の歴史』(昭和28年)が、一般書の最初のものと思う。「皇室」を英訳したthe Imperial Familyを反訳して「天皇家」とし「天皇制」とともに、左翼が使用して普及したものだろう。日本を愛する人々は、伝統的な呼称である「皇室」とお呼びしたい。

 「皇室」は、天皇と皇族各個人の総称である。天皇、及び皇族の方々という意味である。そこで、皇室に関する法制度について論じる時は、「皇室制度」という別の言葉を使う必要がある。天皇、及び皇族の方々を総称で呼ぶときは「皇室」、その皇室の法制度を述べる時は「皇室制度」と分けることができる。

 以上は細かい言葉の問題のようだが、一つ一つの言葉の背景には長い伝統があり、またそれが組み込まれた思想がある。背景を知った上で、不適切な言葉は避け、適切な言葉を使うことが大切だと思う。

 

<参考資料>

●平成17年5月31日第六回皇室典範に関する有識者会議に提出された大原康男氏の資料

 

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai6/6gijisidai.html

皇室典範の改正について〈メモ〉 大原康男

 

【一】わが国における皇位継承の歴史

一、男系主義で一貫しており、そのことが国民統合の権威の源泉となっているという認識が広く共有されてきたこと。

二、直系─嫡系が理想だが、それが困難になった場合には傍系・庶系によって補ったこと。そのために、いわゆる猶子制度が活用されたり、世襲親王家が創建されたり、傍系から継承された天皇に直系の皇女を配されたりするなど、さまざまな工夫がなされたこと。

三、過去に十代八方おられた女帝は例外的な存在で、すべて男系。ご在位中は独身で、外国に見られる「皇配殿下」のような存在は皆無であったこと。

四、譲位(生前退位)が頻繁に行なわれたことで、摂関政治や院政といった変則的な政体が生まれたり、政争による廃位すらなされ、皇位継承の不安定にもつながったこと。

五、総じていえば、何回かあった皇統の危機に際しては当時の人々が叡智を出し合ってその都度事態を克服したこと。

 

【二】明治皇室典範の制定

一、成文による皇位継承のルールが確立していなかったため、皇位継承に混乱・対立・不安定が生ずる要因が内在し、時にはそのための流血の悲史が彩られたことに鑑み、確固とした皇位継承法を初めて明文で制定。

二、井上毅(法案起草の中心)の三原則

@わが国の歴史・伝統を踏まえたものであること。

A当時の国情や人情に照らして妥当なものであること。

B当時のヨー口ッパ先進諸国にも通じる普遍性を有するものであること。

三、主たる内容

@男系の男子に限定(第一条)

A直系・長系・嫡系・近親優先(第二〜第八条)

B退位の禁止(第十条)

C皇族の養子の禁止(第四十二条)

D天皇・皇族以外の者と結婚した皇族女子の皇籍離脱(第四十四条)

E皇籍離脱した者の皇籍復帰の禁止(明治四十年皇室典範増補 第六条)

四、現典範もAの庶系による皇位継承の容認、Cに天皇の養子の禁止が加えられたこと以外は旧典範をほぼ踏襲。

 

【三】皇位継承規定の改正について

一、男系主義の歴史的重みを十分に認識し、女帝(女系容認型)に関する議論に入る前に男系維持のための方策を講ずること。

@ 旧皇族の皇籍復帰の可能性を検討すること。

A 皇族の養子制度を検討すること。

二、わが国にとって未曾有の女帝(女系容認型)導入がもたらす重大な意味を正しく理解するとともに、女帝支持の世論の動向と一部の女系容認論の背景にある危険性を慎重に見極めること。

三、喫緊の課題である宮家存続の対策を講ずること。それは一で述べた男系維持の観点からのものであること。

 

【四】皇室典範の改正規定の問題性

 

一、旧典範の改正 憲法と対等の法として議会は関与せず、皇族会議と枢密顧問の諮詢による。

二、現典範の改正 一法律に過ぎず、国会の単純な議決による。皇室のご意向を反映させる回路がない。

 

(参 考)

 

一、皇位継承の系統別一覧表

    嫡 系      庶 系       計

 直系 41方      27方       68方( 55%)

 傍系 28方      28方       56方( 45%)

  計 69方(56%) 55方(44%) 124方(100%)

 (帝国学士院編『帝室制度史』第三巻)

 

*嫡系の中には皇后(中宮)所出でなくても、皇后(中宮)の実子とされた方も含まれる。

 

二、傍系による皇位継承で直系の皇女を皇后に迎えた例

・継体天皇(第二十六代)の皇后は仁賢天皇(第二十四代)の皇女・手白香皇女(たしちかのひめみこ)。

・光格天皇(第百十九代)の中宮は後桃園天皇(第百十八代)の皇女・欣子内親王。

 

三、女帝即位の事由

 @外戚の権勢によるもの

  推古天皇(第三十三代)、

  孝謙・称徳天皇(第四十六・四十八代)。

A皇嗣の成長を待つための一時的な攝位

  皇極・齊明天皇(第三十五・三十七代)、

  元明天皇(第四十三代)、

  元正天皇(第四十四代)、

  明正天皇(第百九代)、

  後桜町天皇(第百十七代)。

B皇位継承の紛争を避けるため

  持統天皇(第四十一代)

(国立国会図書館蔵「佐藤達夫関係文書」)

 

四、譲位による皇位継承

百二十四代のうち五十四代。その中には廃帝など異例な譲位が四例ある(前掲『帝室制度史』第三巻)。

 

五、戦後の皇籍離脱(昭和二十二年十一宮家、五十一方)

@連合国軍による軍事占領下という異常な時代状況下にあって、皇室財産の国庫編入、高額の財産税課税、宮内省機構の大幅縮小というGHQの占領政策による異例の措置。

A竹田宮・北白川宮・朝春宮・東久邇宮の四宮家

・竹田宮恒久王(初代)の妃は明治天皇の第六皇女・昌子内親王。

・北白川宮成久王(四代)の妃は明治天皇の第七皇女・房子内親王。

・朝香宮鳩彦王(初代)の妃は明治天皇の第八皇女・允子(のぶこ)内親王。

・東久遷宮稔彦王(初代)の妃は明治天皇の第九皇女・聡子(としこ)内親王。盛厚王(二代)の妃は昭和天皇の第一皇女・成子内親王。

 

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■「生前退位」を止め、「譲位」を使うべし

2016.10.24

 

本年(平成28年)7月13日NHKテレビが「生前退位」のご意向という異例の放送をし、国民に衝撃を与えた。報道の仕方が不適切であり、また「生前退位」という誤った用語が使われた。正しくは、歴史的に使われてきた「譲位」の語を使うべきである。ところが、この用語が多くメディアが使い、学者・有識者にも広がって、定着しつつある。大変残念なことである。

 「退位」は、王位を退くことであり、次に王位を譲るのか、王位を廃止するのかが含意されていない。亡命等で王位を捨てる場合や革命等によって王朝が廃絶になる場合に、多く使う。また、退位するのは、生きているうちだから、あえて「退位」の頭に「生前」をつけるのは、不自然である。そのうえ、「生前」は、一般に死後と対比し、天皇であれば崩御を連想させる言葉である。
 それゆえ、「生前退位」は、まったく不適切な言葉である。歴史の教科書や歴史書は「譲位」を使ってきた。そういう確立された用語があるのに、あえて「生前退位」という言葉を創って、これを用いることには、隠された意図を感じる。もっと言えば、悪意である。

 このたび10月20日に82歳になられた皇后陛下は、新聞の1面で「生前退位」という大きな活字を見た際、大きな衝撃を受けられたことをお述べになった。その理由として「歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」と自らの心情を明かしておられる。まことに御心痛のことであろう。

 マスメディアが「生前退位」の語を使用する根拠は、国会で使用されたからだという。ある人の調べによると、国会で一番最初に「生前退位」を言葉を使ったのは、昭和58年で当時の社民連・江田五月氏だとのことである。政府が答弁で使ったのではなく、左翼の質問者が使ったものである。

 マスメディアや学者・有識者は、誤った「生前退位」を止め、正しく「譲位」の語を用いるべきである。
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■日本の国柄と天皇の役割〜今上陛下の譲位のご希望について

2016.11.8

 

 三笠宮殿下が平成28年10月27日に100歳にて薨去されました。昭和天皇の弟君として長年ご公務に尽力されたことに感謝申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。

 国民が深い悲しみに包まれるなか、本日朝、産経新聞は「生前退位」を止め、「譲位」を使うと発表した。マスメディアや有識者に用語の変更を求めてきた者の一人として、産経新聞のこの対応を評価する。
 一方、「生前退位」を使い続けるとともに、三笠宮殿下の「薨去」については「逝去」「死去」という誤った用語で報道しているメディアに対し、強く抗議する。

 さて、政府は、天皇陛下が皇太子殿下に皇位を継承する際の重要な儀礼である大嘗祭を、平成30年11月に執り行う方向で検討に入ったと報じられる。この日程で計画するには、準備に1年近くかかるため、来年(29年)の通常国会で皇室典範の改正を含む法整備を行わねば間に合わないという。10月17日、安倍首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の初会合が首相官邸で開催された。来月から始める専門家からのヒヤリングを踏まえ、年明けにも論点をまとめる。政府は有識者会議の提言を受け、必要な法整備を目指すとのことである。
 1か月ほど前になるが、私は、9月の中旬から下旬にかけて、本件に関わる講演を、東京都港区、長野県松本市、栃木県下野市で行った。題名は「日本の国柄と天皇の役割」である。その概要を掲載する。

●日本の国柄と天皇の役割

 我が国に伝わる伝統的な精神を、日本精神という。日本精神は、人と人、人と自然が調和して生きる人間の生き方である。家庭にあっては親子や夫婦が調和して生きる。また、祖先を敬い、子孫の繁栄を願って生きる。そうした家族が多数集まって、一つの国を形成している。その国の中心には、皇室があり、国民が皇室を中心とした一大家族のような社会を築いている。これが日本の伝統的な国柄である。これは人為的に作ったものとは違う。自然に作られてきたものであり、自然の法則にかなっている。
 今上陛下は、第125代の天皇であり、神武天皇以来、男系による継承が今日まで一貫して行なわれてきている。世界に類例を見ない万世一系の皇統である。ここにわが国の比類ない国柄がある。
 だが、大東亜戦争の敗戦後、こうした国柄が見失われがちになっている。我が国を占領したGHQは、占領政策の目的を、日本が再び米国及び世界の脅威とならないようにすることにおいた。一言で言えば、日本の弱体化である。最大のポイントとされたのは、天皇の権威を引き下げ、天皇の権限を少なくし、天皇と国民の紐帯を弱めることだった。
 その結果、現行憲法において、天皇は「日本国の象徴」にして「日本国民統合の象徴」と規定されている。象徴とは何かについて憲法は規定していない。
 もともと我が国は祭政一致を伝統とする。天皇は本来、民族の中心として祭祀を司るとともに、歴史的には親政を行ってきた。貴族や武士に政権を委ねても、最も重要なことは、天皇が裁可した。本来の天皇は、象徴以上のものである。

●皇位に必要なもの〜血統・神器・君徳

 我が国の天皇は、古来、侵しがたい権威あるものと仰がれてきた。その権威は、天照大神の子孫である神武天皇の血筋を引いており、また天照大神から授けられた三種の神器を持っていることによっている。そして、そのうえに、天皇が天皇にふさわしい徳を備えていることが、国民の崇敬を集めてきた所以である。すなわち、血統・神器・君徳の三つが天皇に求められる要件とされてきた。

(1)血統
 初代神武天皇以来、今日の第125代の今上陛下まで、一系の血統で皇位を継承している。「万世一系」とは、単に血筋がつながっているのでなく、男系継承によってのみ可能なことである。男系とは父方を通じて皇室とつながっているということである。一度も途切れることなく皇位が男系で継承されてきたから、「皇統連綿」と言いうる。男系継承を2千年以上、125代にわたって続けてきた人類唯一の家系が、日本の皇室である。このような王朝は、世界のどこにもない。
 ところで、10年ほど前、女性天皇を可能にしようとする動きがあった。悠仁親王殿下が誕生されたので、その動きは下火になった。悠仁様がおられるのに、愛子内親王を天皇にするという考えはありえない。しかし、共産党は男女平等だから女性も天皇になれるようにすべきだと主張し、学校でもそのように教えているところがあるようだ。
 天皇や皇室に関することは、皇室典範に定めている。明治時代に皇室典範に天皇は男子が継承すると決め、現在の皇室典範もそのように定めている。歴史的には、女性天皇は8方10代の例がある。男系男子による継承を原則として、適当な男子がいない時に、つなぎとして女性天皇を立てたものだった。
 今後もし、また女性天皇を可能にという動きが起った場合、女性天皇には皇室廃絶の危険性があることを知らねばならない。女性天皇は在位中は結婚しないのが慣習である。だが、もし女性天皇に結婚してよいと変え、子供が生まれるとその子は女系となる。女系の子が継ぐと、配偶者(皇配)の系統となりそこで王朝が替わってしまう。つまり、神武天皇以来の皇室がそこで断絶し、別の王朝になってしまう。配偶者が佐藤家なら佐藤王朝、その子も女性で鈴木という配偶者と結婚すれば鈴木王朝ということになる。こういうことがないように、元皇族の系統の方々に皇族に戻っていただくなどして、皇族の人数を増やし、皇室が繁栄していけるようにする必要がある。

(2)神器
 天皇は、単に血統によるだけでなく、三種の神器を保持していることを求められる。三種の神器は、古代から天皇の位を象徴するものとして、歴代天皇に継承されてきた。
 記紀によると、皇室の祖先神とされる天照大神は、天孫ニニギノミコトを、葦原中国(あしはらのなかつくに)すなわちこの日本国に遣わす際、「三種の神器」を授けたとされる。つまり八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の三種である。
 鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、それぞれ祀られている。八坂瓊曲玉だけは神璽(しんじ)として宮中に安置されてきた。また、分霊された鏡が宮中の天照大神を祀る賢所(かしこどころ)に奉安されている。剣の分身と曲玉は、天皇のお側近くに常に安置されている。
 これら三種の神器は、代々の天皇により皇位の証として継承され、天皇が一日以上の行事に出かけられる時は、剣璽御動座(けんじごどうざ)といって剣と曲玉が陛下と共に渡御(とぎょ)される。

(3)君徳
 天皇に必要なものは、血統と神器だけではない。天皇にふさわしい徳、君徳を備えていることが求められる。
 わが国の天皇には、国民に「仁」の心を持つという伝統がある。日本書紀には、初代天皇とされる神武天皇が、「民」を「おおみたから」と呼んだことが記されている。神武天皇にとって、国民は皇祖・天照大神から託された大切な宝物だった。そして、神武天皇は、日本を建国するに当たり、国民を大切にすることを統治の根本とした。
 その後の天皇には、こういう思想が受け継がれている。最も有名なのは、第16代仁徳天皇である。仁徳天皇は、国民が貧しい生活をしていることに気づくと、3年間年貢などを免除した。そして、3年後、高台に立って、炊事の煙があちこちに上がっているのを見て、「自分は、すでに富んだ」と喜んだと伝えられる。
 こうした仁の伝統は、現代の皇室にまで脈々と受け継がれている。天皇・皇后両陛下は即位後、大規模な自然災害が起きるたび、可能な限り速やかに現地を訪問されてきた。平成7年(1995)の阪神淡路大震災では、震災後約2週間で兵庫県に入られた。深い哀悼の意を表される両陛下のお姿は、現地の人々に感動を与えた。また一人一人に温かい声をかけられる両陛下のお心は、被災者の人々に大きな励ましとなった。平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が起こった際には、震災発生から5日後、3月16日、国民にビデオメッセージを賜った。陛下がビデオでお気持を述べられるのは、初めてのことだった。

 

●天皇陛下がお気持ちを表明

 

今上陛下は、56歳で昭和天皇から皇位を継ぎ、常に国民の安寧と世界の平和を祈って様々なご公務をされてきた。現在82歳というご高齢になっておられる。

 本年7月13日NHKテレビが天皇陛下は「生前退位」のご意向という異例の放送をし、国民に衝撃を与えた。報道の仕方が不適切であり、また「生前退位」という誤った用語が使われた。宮内庁は報道された内容を全面否定した。そのような経緯があって、陛下が直接国民にお気持ちを語られることになった。8月8日NHKテレビで「天皇陛下のお気持ち表明」という番組が放送された。天皇陛下が直接国民にビデオで御言葉を述べられたのは、約5年前の東日本大震災の時以来だった。このたびの御言葉の概要は以下の通りである。

 

 まず、陛下はかねて高齢社会において「天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」と考えてきたと語られ、80歳を超えて「次第に進む身体の衰え」を考慮すれば、「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」という懸念を述べられた。

 続いて、ご即位以来「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」とともに、「国民に、天皇という象徴の立場への理解」を求め、天皇も「国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要」を感じてきたと振り返られた。

しかしながら、「天皇の高齢化」に伴って「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」し、「重病などによりその機能を果たし得なくなった場合」に「天皇の行為を代行する」摂政を置くことも、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま」に生涯「天皇であり続けること」に変わりはないと胸中を明かされた。

 そして「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶこと」を心配され、「皇室がどのような時にも国民と共に」あるとともに、「象徴天皇の務め」が「安定的に続いていくこと」を念じて、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結ばれた。

 

天皇陛下は、数年のうちに譲位することを強く希望されていると理解される。

皇室典範には、譲位の規定はなく、天皇は自らのご意思で譲位することはできない。皇室典範に譲位の規定がないのは、明治以降、譲位による争いを避けるためにそうしたものである。皇室の歴史には、皇位を巡る争いが幾度かあり、上皇方と天皇方に分かれて戦った争いもあった。そのような争いを防ぐために、明治時代に皇室典範を作った際、譲位の規定を設けず、天皇には終身お勤めいただくこととした。ただし、不慮の事柄等によって、天皇がお勤めを果たせない事態は考えられる。そこで、摂政を置くことを定め、大正天皇の代には、皇太子(後の昭和天皇)が摂政となって、天皇のお勤めを代行された。

 大東亜戦争の敗戦後、占領下でつくられた現行の皇室典範にも、戦前の皇室典範と同様、摂政の規定がある。下記の条文である。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第十六条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。

2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。

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 そこで、この規定に則って、天皇陛下は御在位のままで、摂政を置くという対応が考えられる。具体的には「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、」という一節を柔軟に解釈するか、「高齢による心身の著しい衰え」といった文言を加えることが考えられる。皇室の伝統や日本の歴史をよく知る有識者には、摂政を置くのが良いという考えの人が少なくない。

 もっとも今上陛下は摂政を置くことよりも、譲位を強くご希望と理解される。仮にお気持ちに応えて、譲位を可能にする場合は、はるかに重い検討を要する。譲位を可能にするには、典範を大幅に改正する必要がある。このことは、皇室制度の根幹に関わることである。わが国の歴史・伝統・国柄を踏まえた一大研究が必要である。明治維新の時以来の大きな重みをもった取り組みになる。

 

 最大の課題は、先に書いたように、譲位による争いを避ける工夫である。その他、様々な検討点が挙げられる。譲位がされれば、元号が変わることになる。現行の皇室典範には、譲位した後の天皇の称号を定めていない。歴史的には太上天皇いわゆる上皇が用いられたが、これをどうするか。譲位後の先帝の権能、お住まい、公費の支給額等をどうするか。また、皇太子が天皇に即位した場合、男子のお子様がいないので新たな皇太子を置くことができない。皇太子は「皇嗣たる皇子」と皇室典範に定めているからである。皇位継承順位第1位となる秋篠宮殿下は、皇太子ではなく別の呼称が必要になる。歴史的には皇太弟というが、これも皇室典範に新たに定めねばならない。その他にもいろいろ検討点がある。

 

これらを短期間に検討して皇室典範を改正するのは、至難の課題である。そこで政府は、皇室典範の改正ではなく、特別措置法制定で譲位を可能にする方針と報じられる。憲法は皇位継承について「皇室典範の定めるところによる」と規定しているので、皇室典範の付則に「特別の場合」に限定して特措法で対応できる旨を追加する。9月23日に有識者会議のメンバーが発表された。皇室制度の専門家や日本の歴史に深く通じた人が一人もいない。この点が心配だが、これら有識者を中心に幅広い意見を聴取して、特措法案の内容を詰め、提出は年明け以降になる見通しと伝えられる。早ければ、1〜2年ほどで譲位が行われ、元号が変わるということになるかもしれない。わが国は大きな節目に近づいている。

 このたびの天皇陛下の御言葉を受けて、わが国の歴史・伝統・国柄を振り返るとともに、社会の高齢化を踏まえたあり方を考慮し、国民の英知を集めて適切な対応がされることが望まれる。


 

●日本再建のための憲法改正を

 

 戦後の皇室典範は、GHQ占領下に最低限の内容を定めた簡素なものである。それゆえ、日本人自身の手による憲法改正を成し遂げた後に、皇室典範を位置づけ直し、そのうえで皇室が末永く繁栄していけるように内容を整備する必要がある。

GHQは、日本を弱体化しようとした際、憲法を秘密裏に英文で起草して押しつけた。ジョー・バイデン米副大統領は8月15日共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を批判する演説の中で「(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか」と発言した。米国人が日本の憲法を書いたという発言を政府高官が行うのは異例である。

明治時代に日本人自身が作った大日本帝国憲法では、天皇について明確に定めていた。「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」等である。

 これに対し現行憲法では、次のように定められている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2 (略)

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 敗戦により、GHQの圧力のもと、天皇は象徴となり、統治権を総攬する立場から国事行為のみを行う立場へと権限が縮小された。天皇は国政に関する権能を有しない。特に民族の中心として神に祈りを捧げる役割が軽視されている。また、憲法に元首と規定されておらず、日本国の元首は天皇なのか、総理大臣なのか、あいまいな状態になっている。今後、本格的に憲法を改正する際には、こうした規定を改めていく必要がある。

幸い7月10日の参院選はいわゆる改憲勢力が3分の2を超えた。衆院は既にそうなので、国会が憲法改正の発議をすることが戦後初めて可能になった。これから国会で改正の論議が始まる。改正案がまとまれば、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国民に発議される。発議後、6か月以内に国民投票が行われる。

もっとも現在のところ、参院で改憲勢力を165議席とカウントしても、公明党は9条改正に慎重な加憲の立場であり、現状では改憲に賛成な政党間で合意の可能性のある条文は、緊急事態条項の追加などにごく限られる。一歩一歩進めていかざるを得ない状況である。また、平成29年の早期までに国民投票を実施するという改憲勢力の目標は、ほぼ不可能に近い状態となっている。早くて30年秋かと観測される。

民進党・共産党や偏向したマスメディアなど改憲に反対の勢力は、あらゆる手段を使って改憲を阻止しようとするだろう。だが、どのような抵抗があろうとも、それを乗り越えて、憲法を改正しなければ、日本の再建は決してできない。また憲法を改正して、日本を再建して国力を充実させることによって、はじめて、日本は人類を共存共栄の世界に導く役割を果たせるようになる。

周囲の人々に、現行憲法の成立の事情、欠陥、改正の必要性を伝える必要がある。特異参院選から投票年齢が18歳以上に引き下げられた。その年齢の子供・孫のいる人は、国の事を考えること、憲法を改正することが必要であることを話していただきたい。ページの頭へ

 

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