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  天皇と国柄

                       

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皇位継承問題――男系継承への努力

2005.7.6

 

<目次>

 はじめに

皇位継承の検討は十分慎重に

万世一系の意味と男系継承の伝統

シナとは違うわが国の皇位継承

女系継承では社会は不安定に

男系継承に努力してきた歴史

女帝の役割は男系継承の補

女系継承に根拠や先例はない

方策の第一としての皇籍復帰

第二は養子、第三は女性宮家

10. 女系容認には皇統廃絶の危険性

11. 皇室典範改正には皇族の意向も

結びに

 

補 説 男系継承のための皇室典範改正

 

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はじめに

 

わが国は、皇統の危機に直面している。皇太子殿下の次の世代には女性の皇族しかおられない。皇室典範は、男系男子が皇位を継承するとしており、このままでは皇統が途絶えるのではないかという、深刻な憂慮がある。

国民の間には女性天皇容認論が広がっている。しかし、わが国は男系継承で一貫してきた伝統があり、女性天皇の擁立は女系への移行という、かつてない事態を招きかねない。わが国の歴史や皇位継承の慣習をよく確認したうえで、具体的な方策を講じていかなければ、残されている時間は多くない。

 

1. 皇位継承の検討は十分慎重に

 

政府は、昨年(平成16年)12月、「皇室典範に関する有識者会議」を設立して、皇室典範に関する諮問を行っている。この会議に関し、有識者から懸念が出された。この会議は女帝容認を前提として結論ありきで進められているのではないかということが一点である。

 また、会議の構成員に皇室問題の専門家がだれもいないことも指摘された。座長の吉川弘之氏は、ロボット工学の専門家である。岩男壽美子氏は男女共同参画審議会の会長を務め、フェミストとして知られる。日本の国柄の中心となる皇室制度の根本規範を見直すには、人選が弱すぎる。125代にわたる皇位の継承について、文献・事例に精通した人材を集めずして、結論を出せるものだろうか。

 

 第1回会議は本年(平成17年)1月25日。以後、月1回のペースで今秋までに報告書をまとめ、来年の通常国会で法改正を行うという。これは安易にして拙速と、良識ある国民の批判が高まるなか、第6回会議からは「識者のヒヤリング」が行われている。5月31日、6月8日と行われ、8人の有識者が意見を述べた。

 その中には、皇室制度研究の権威である大原康男・國學院大學教授。法制文化史が専門で皇室の研究でも知られる所功・京都産業大学教授。所氏と『皇位継承』(文春新書)の共著のある高橋紘・静岡福祉大学教授。昨年、双系主義継承を唱えて話題を呼んでいる高森明勅・拓殖大学客員教授。その高森氏に男系主義の立場から反論を唱えている八木秀次・高崎経済大学助教授らが含まれている。

 8人のうち、大原氏・八木氏の2人が男系男子維持の優先を強調し、所氏・高橋氏・高森氏の3人が女性天皇容認を主張した。残る3人は、立場を明らかにしなかった。専門家らの見解は論議をはらんでおり、有識者会議の今後の意見集約は容易でないだろう。これまで女帝容認のムードをかもし出して世論を方向付けしてきた政府やマスコミは、事はそう簡単ではないことに、少し気づいてきたのではないか。

 

 これまでの各紙の世論調査では、国民の半数以上が女性天皇を支持すると回答している。共同通信の世論調査では、「女子でもよい」は昭和50年に31.9%、平成13年に71.2%に増えている。今年3月の日本世論調査会での調査では、81.3%だという。しかし、国民の多くは、皇位継承の伝統を知らず、過去にも女帝がいたことや男女平等論、外国の王室の例などから、女性天皇でもいいのではないかという程度の認識しかなかったのではないか。現在の法制度と皇室の現状のまま、女性天皇を認めることは、従来の男系継承から女系継承への転換となる可能性が高い。

 女系への移行は、わが国の伝統を大きく変えることになる。そのことの重大性を知って回答している国民は少なかっただろう。皇位継承の伝統を詳しく知ることによって、世論は変化してくるのだろう。

 

 私も先人・先学に学びながら、皇位継承の問題について考察してみたいと思う。最初に私の基本的な考えを明らかにしておくと、

 

・皇位を男系男子が継承する伝統を守る

・そのために、男系男子の皇族を増やすための方策を講じる

・具体的には、旧宮家の皇籍復帰、皇室の養子制度の許可、制限つきの女性宮家の創設を方策として実行する

・女性天皇容認の可否は、これらの方策の実行を前提としたうえでの検討とする

・女帝は、次の男子継承候補者が成長するまでの「中継ぎ」となるようにする

・女系継承への移行は、万策尽きた場合の最後の手段。ただし、これは社会を不安定にし、皇統廃絶の危険性を伴う

 

 理由は、以下に記して参りたい。

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2. 万世一系の意味と男系継承の伝統

 

今日の皇位継承問題を考えるにあたって、最も基本となることは、皇統つまり天皇の系統は万世一系といわれてきたことである。その意味するところは、一つの家系が皇位を一貫して継承してきていることをいう。初代の神武天皇から現在まで、125代にわたって、皇統は一つの家系に連綿と受け継がれてきたと、わが国では信じられてきた。(1)

 万世一系とは、シナと比較してわが国独自のあり方を自覚したのである。シナには易姓革命の思想があり、王位が姓の異なる者へと何度も移動しており、その多くは異民族の征服・支配による交代だった。これに比し、わが国では天照大神の子孫がずっと変わることなく、皇位を受け継いできたと信じられてきた。詳しくは後章にゆずるが、この点の確認が重要なのである。

 

 万世一系とは、一貫して男系継承がなされてきたことを意味するものである。これは記録に基づいて確認されるとともに、そのように信じられてもきた。

 男系継承のためには、さまざまな工夫・努力がされてきた。基本的には直系かつ嫡系の男子に継承される。直系とは、天皇と親子の関係で続いている系統である。嫡系とは、天皇の正妻つまり皇后との間に生まれた子供の系統である。しかし、直系の嫡系に適当な男子がいないため、直系の庶系に継承された事例が多い。庶系とは、天皇と正妻以外の女性つまり側室との間に生まれた子供の系統である。数え方にもよるが、124回の皇位継承のうち、ほぼ半分にあたる約60回が庶系継承である。また、傍系による継承もしばしばされてきている。傍系とは、天皇の兄弟の系統である。先代やもっと前の天皇の兄弟の系統も含まれる。傍系で近親の男子の例が多いが、傍系で遠縁の男子が継承した場合もある。最も遠いものは11親等の例であろう。

 このようにして、皇位の継承は、直系・嫡系の男子を基本としつつ、男子であれば庶系・傍系・遠縁からも継承者を得て、一貫して男系継承を行ってきた。この点が顕著な特色なのである。過去に女性の天皇が8人10代いたが、これは男系継承を補助するものであって、女系継承の例はまったくない。女系とは、女子を通じて血統がつらなる親族をいう。女系に継承されると、もとの男性天皇とは、血統の異なる家系に継承者が移ることになる。こういう形で皇位を継承した事例はない。女性天皇は、あくまで男系継承を実現するためにとられた手段の一つなのである。

 女性天皇の役割について、その役割は「中継ぎ」だったという通説がある。これは異論のあるところであって、次の男子の皇位継承者が育つまでの中継ぎだった場合だけでなく、当時の政情にかんがみて政治的な判断で女帝を立てた場合も少なくない。しかし、あくまで男系継承を維持するための女性天皇だった。即位の時には独身者または寡婦であり、即位中に結婚または再婚した例はない。男子の次の皇位継承候補者のあることが前提であった。

 

 それほど、皇位継承における男子継承は厳然たる事実であり、これは確立した原理と理解される。それゆえ、万世一系の意味をより限定すると、一つの家系が男子継承によって一貫して皇位を継承してきていることとなる。そして、男系継承だから、万世一系が可能となったのである。

 以上の確認が、今日の皇位継承問題を考える上で最も基本となることだと思う。私は男系継承を保守できるよう、早急にあらゆる方策を実行すべきだと考える。やむをえない場合は、女性天皇も容認せざるを得ないが、それが女系継承にならないように、男系継承を維持できる環境を整えることが先決問題である。

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3. シナとは違うわが国の皇位継承

  

人類学者ジョー・フレイザーが伝えているように、いわゆる「未開人」の社会には、王の生命力と自然界の現象との間に因果関係があるという考えが広く見られた。特に古代シナでは、この観念が発達して、天人(てんにん)相関思想が生まれた。天と人との間には因果関係があり、君主の政治の善悪が自然界の吉祥や災異を招くという思想である。

 シナ人は、君主は単なる生命力ではなく、徳を備えた人でなければならないと考えた。君主が徳を持ち、徳のある行いをしていれば、天はこれに呼応して、世の中は平和で作物も豊作となる。しかし、君主に徳が欠けると、飢饉となり疾病が蔓延し、地震などが起こるというのである。こうした思想を政治哲学として洗練させ、完成させたものが儒教である。

 

 孔子の説いた儒教では、天は人間界を統治するために、多数の民衆の中から傑出した人物を選び出す。そして、その人物に「人民を治めよ」という命令、すなわち「天命」を与える。天命を受けた人物は「天の子」とされ、「天子」と呼ばれる。ここで天が傑出した人を選ぶ条件が、「徳」であった。

 儒教は、君主が徳を失うならば、別の有徳者がその君主に取って代わることを認めている。権力の正統性の根拠を「天命」に置く。天命が革(あらた)まることを「革命」という。天命を受けた有徳者が暴君に代わって天子となることを意味する。

 この王朝交替は、天がそれまで人民を治めていた天子の一族の姓を易(か)えたことになる。例えば「李」から「朱」のように。これを「易姓革命」という。

 特に孟子は「禅譲」と「放伐」による王朝交替をはっきりと是認した。「禅譲」は王がその位を世襲ではなく、有徳者に譲ることであり、「放伐」は徳を失った王を討伐し、放逐することを意味する。

 

 シナにはこうした政治哲学が発達したが、実際の歴史は理想と異なっている。現実と理想がかけ離れているからこそ、孔子やその弟子は、あるべき姿を説いたのである。実際には、徳ではなく、力による征服や支配が横行してきた。そのうえ、そもそもシナでは、古代において漢民族の王朝が途絶え、北方遊牧民族による征服・支配が繰り返された。例えば、北魏はトルコ系の鮮卑族、金はツングース系の女真族、元は蒙古族、清は満州族による王朝である。

 

 これに比べ、わが国の国柄には、シナにない大きな特徴がある。それは、古代から今日まで、一つの家系によって、皇位が代々継承されてきたと信じられてきたことである。わが国では、天皇の権威は侵し難いものとして仰がれてきた。その神聖な権威は、初代からの血統に基づくとされる。シナと違って、徳の有無は必要条件ではない。シナでは、歴史の早々に王家の血統が消滅したので、徳しか基準がなくなったのだろう。より正確には、力をもって権力を勝ち取った覇者が、勝ったのは徳によるのだと後付けしたのだろう。

 万世一系を歴史的な事実であることを証明することは困難だが、これを否定する証明も困難である。私は、なにより万世一系と信じてきた文化的な事実が重要だと考える。文化的事実とは、例えばイエス=キリストは、処女マリアから誕生したと信じられてきた。常識をもってすれば荒唐無稽な話だが、処女懐胎という信条がキリスト教文明を生み、今日世界をおおっている近代西洋文明もそこから発生した。こういう事柄を文化的事実という。歴史的事実か否かは別として、重要な意味を持つ事柄ということである。

 

 万世一系という信条の端緒は、『古事記』『日本書紀』に表わされており、南北朝時代には北畠親房が『神皇正統記』に書き記し、後代に影響を与えた。さらに江戸時代には、日本とシナの国柄の違いが広く自覚されるようになった。徳川光圀による『大日本史』の編纂が、わが国の国柄の独自性を国民の常識にした。頼山陽の『日本外史』の伝播力・浸透力が常識形成に貢献した。

 

 戦後、皇統の万世一系については、異論が出されている。神武天皇からの9代の天皇の実在を疑う歴史家がいる。その一方、考古学的な手法で、初期の天皇の実在を裏付ける研究が進んでいる。記紀は、天皇家による統治を正当化するために編纂されたという見方がある。その一方、記紀編纂によって各氏族の祖先神を皇室中心に関係づけたことが、社会に平和と安定をもたらしたという事実がある。

 古代史の皇位継承が一系であったのかは、論議のあるところだが、私は次のように考える。もし皇位を継いだ者が、それ以前の代々の天皇と別の家系の者であったとすれば、皇室の祖先神である天照大神を祀るのを止め、異なる祖先神を祀ったはずである。始祖が違うからである。まして、別の民族の者が皇位を奪取したとすれば、それまでの社は、異教の神殿として破壊されただろう。わが国の歴史には、こういうことが見られない。傍系・遠縁による継承の例はあるが、天照大神を始祖とする系譜と、神武天皇以降の歴代天皇の霊が、一貫して祀られてきたらしき形跡がある。それは始祖を同じくする者の間での継承だからだと思う。シナにおけるような簒奪や征服・支配の条痕は、まったく見られない。

 

 記紀の世紀以降、わが国は皇室を中心とし、皇統は万世一系の侵しがたいものだという信条が一層確固としたものとなった。その時代からであっても、皇室は約1300年続いている。これは世界に比類のない事実である。実際には、さらに数百年または千年以上続いてきた可能性がある。

 この間の125代にわたる万世一系という信条の実践が、男系継承の維持なのである。男系継承は、皇位が一つの家系に継承されてきたことを尊重し、これを維持する行いである。この伝統を保守するところに、今日の皇位継承問題においても、進むべき本筋があると私は考える。これは、日本が日本であり、シナでも他の国でもない、日本としての比類ない特徴を保守しようという意思なのである。ページの頭へ 

 

4. 女系継承では社会が不安定に

 

わが国では、古代より、天皇は現御神(あきつみかみ)または現人神(あらひとがみ)とされ、その権威は侵し難いものとして仰がれてきた。その神聖な権威は、初代からの血統に基づき、男系継承によって維持されてきたものである。そのことが、わが国の社会に調和と安定をもたらしてきた。今日、しばしば肯定的に論じられる女系継承は、こうした伝統を崩し、社会構造を不安定なものにすると思う。

 

 まず述べておきたいこととして、私は、皇位の世襲による血統の維持とは、単に生物学的または遺伝学的なものではなく、祖霊の系統つまり霊統の維持でもあったと考えている。

 天皇の即位にあたっては、「三種の神器」すなわち鏡・剣・勾玉が皇位の象徴として承継されてきた。それとともに、即位には、重要な儀式を伴う。それが、大嘗祭(だいじょうさい)である。この儀式にはさまざまな説があるが、漏れ伝えられるところによると、胎内への退行と象徴的な再生、太陽の光と米穀の結実、新米の摂取による生命力の蘇りなど、死と再生のシンボリズム、自然と人間の生命の循環のシンボリズム等がうかがわれる。

 信じられてきたところによると、大嘗祭によって、はじめて天皇は天皇にふさわしい霊威を得る。大嘗祭を行っていない天皇は、完全な天皇と見なされなかった。そこで私は、儀式の中核は、祖先神とされる天照大神の霊力が新たな天皇に受け継がれることにあると理解している。血統の継承者が同時に霊統を受継ぐことによって、はじめて天皇としての権威を体得したと認められてきたのだろうと思う。

 

 神器の承継と大嘗祭の執行は、女性天皇によっても行われてきた。しかし、古代に6人8代、江戸時代に2人2代見られる女帝の役割は、あくまで男系継承を補助することであった。女帝は、即位の時には、独身か寡婦であることが条件とされた。私は、天皇が女性の場合には、神に仕える巫女であることが、要求されたのではないかと思う。そこには深い宗教的な意味があるのだろうと想像している。

 

 わが国では、シナと違って、皇位継承に、徳の有無は必要条件ではない。しかし、皇室には、国民を「おおみたから」と呼んで大切に思う伝統がある。それが、天皇と国民に親子の間のような情の結びつきを生み、信頼の絆を太いものにしてきた。いかに血統や神器を備えていても、あまりにも徳を欠くと、皇位の交代が行われた場合がある。この点も、女性天皇であっても、徳を備えておられれば、問題はない。

 

 重要なのは、ここからである。皇位を男系で継承する伝統が、わが国に統治の安定と社会の調和をもたらしてきており、女系継承はこれを崩すものとなると私は憂えるのである。

 古来、蘇我氏、藤原氏、平氏など、権勢を誇った氏族があった。皇位に近づき、または皇位を脅かした権力者もいた。しかし、彼らは自ら天皇の座を奪おうとはしなかった。また、自分の男子を直接天皇に即位させようともしなかった。自分の女子を天皇の皇后または側室とし、そこに生まれた子供つまり外孫を皇位に就かせたのが、最も接近した例である。これは男系継承であって、皇統が別の男系に移動するものではない。一系の皇統を維持する一つの方法であったともいえる。

 

 南北朝時代の足利義満の場合は、息子の義嗣を天皇の養子にした。義嗣は天皇の実子である親王と同じ儀式で元服した。この地位にあれば、後小松天皇の後に皇位に就いてもおかしくないわけである。皇室では、即位していない親王でも、子が皇位についた場合には、「太上天皇」の尊号を贈られた。義満は臣下でありながら、上皇(太上天皇の略称)に匹敵する権威と権力をかね備えることを目指していたようである。ところが、義嗣の元服の翌々日、義満は急に咳が出て発病し、10日もたたずに死亡した。

 義満を継いで4代将軍となった義持は、弟の義嗣を攻め、焼き殺した。義持は、義満に追贈の申し出のあった臣下破格の尊号を断った。その後も足利将軍家から義満のまねをする者は現れなかった。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らも、その跡を追わなかった。

 

 歴史上、仮に自分または息子が皇位に就く者がいたならば、蘇我朝、藤原朝、平朝等が誕生し、王朝が交替した。また、皇位の継承で女系継承を容認していれば、現在も「姓」というものをもたない皇室に、「姓」の概念が入り込むことになっていた。そして、わが国はシナと同じ易姓革命の国となり、独自の特徴を失っただろう。

権勢を誇る有力者でも皇位を襲わなかった理由の一つは、皇位が男系継承だったことにある。皇位は男系継承でなければならないという慣習が、有力者による皇位奪取を抑止してきたと見られる。 

 逆に一系の男系継承によって保持されてきた権威が低下したならば、時の有力者が皇位を奪い、その一族が権力を占有し、利権の世襲が発生しただろう。同時に、その地位を奪おうとして、別の有力者が登場しただろう。その結果、シナや欧州におけるような権力争奪の歴史が、わが国に入り込むことになったと思う。

 皇統の男系継承は、わが国に安定した社会構造をもたらしてきたのである。千数百年以上にわたって、皇位が男系に継承されてきたことは、世界史上、唯一の事例であって、他に比類がない。侵しがたい中心があることによって、社会に調和と安定がもたらされてきた。この伝統の重みを受け留めたうえで、皇位継承の問題を考えなければならないと思う。

 

 今日、女性天皇を容認するだけでなく、女系継承をも容認する論を張っている有識者がいる。私には、どうもこうした人たちが、わが国の国柄の特徴を十分認識しているとは思われない。

 女系継承の方向は、わが国の社会構造を不安定なものとする。皇位継承において、万世一系の男系継承の伝統を保守することが、わが国の調和と繁栄を保つ道だと私は考える。ページの頭へ

 

5. 男系継承に努力してきた歴史

 

現在の皇室制度は、歴史上かつて例を見ないほど、皇位継承資格に制約がかせられている。

 明治22年につくられた皇室典範では、皇位継承者は皇族の男系男子とし、女性天皇は認めないことを明文化した。過去には女帝の例があったのに、万が一の場合の選択の幅を狭めてしまった。その後、皇室は養子を取ることもできなくなった。昭和戦後に制定された皇室典範では、さらに庶子による継承を認めなくなった。これに加えて、GHQの圧力により、11の宮家が廃絶され、51人の皇族が皇籍離脱し、皇族の数がひどく少なくなってしまった。

 

 皇位継承者は現在、男系・男子・嫡系に限定されている。秋篠宮が誕生した昭和40年以後、皇室は男子に恵まれていない。女子の誕生が続いたため、皇太子の次の世代には女性皇族しかいない。このまま男子が誕生しないと、皇位を継ぐ男子がいなくなってしまう。

 

 男系継承は皇室の一貫した伝統であり、直系かつ嫡系の男子の継承が理想である。しかし、過去には庶系・傍系による継承が少なくなかった。神武天皇以降、124回の継承がされてきたうち、直系かつ嫡系の継承は約3分の1、41回しか例がない。おおよそ半数の約60回は、庶子による継承だった。だから、庶系継承を否定したため、皇統の維持は極めて困難になった。また、過去には傍系の継承も出来るように、兄弟・近親の子を養子に取る猶子制度が活用されたり、世襲の宮家を創建するなどの工夫がされてきた。

 ところが、戦後、多くの皇族が臣籍降下したことにより、傍系の男子がごく少なくなった。そのため、傍系による継承も困難になっている。現在、男子の皇位継承資格者は6人いるが、順位が皇太子・秋篠宮以下の方は、みな年長である。

 

 現行制度では、皇室は養子を取ることもできない。子供のない宮家は、当代で消滅する。女性皇族は結婚すると、宮家を去ることになっているから、女子しかいない宮家も、やがて消滅する。このままでは、皇族が絶滅するという事態になりかねない。

 

 ここで重要なことは、男系男子による継承を維持するための具体的な努力である。

 まず庶子継承の否定とは側室を置かないことである。これは近代化・西洋化の進展によってキリスト教的な一夫一妻制の影響を受けた考え方である。文明の独自性を保つイスラムは一夫多妻である。しかし、わが国では一夫一妻制が広く定着しているので、庶子継承は、国民感情として受け入れがたいだろう。また、女性皇族にとっても、同様だろう。

 これに比べ、旧宮家の皇籍復帰や養子制度の容認は、理解しやすく、実現可能だろう。私はまずこれらを実現すべきだと思う。

 

 皇統断絶の危機の際、男系の傍系から皇位に就いた例が、3例あるとされる。そのうち、第26代の継体天皇は、先代の武烈天皇とは10親等の隔たりがあった。直系に男子がいないため、越前に住んでいたのを探し出され、即位を求められた。傍系ではあるが、応神天皇の5世の孫であるとともに、母方は垂仁天皇の子孫である。大連の大伴金村の願いをいれて、第24代仁賢天皇の娘で先帝の妹である手白香(てしらか)皇女を皇后とした。こうして傍系と直系との血を近づける工夫がされた。

 また、第119代光格天皇は、先代の後桃園天皇と7親等の隔りがあった。先代の後桃園天皇の皇女を皇后にした。継体天皇の例にならったものだろう。光格天皇は今上天皇の直系の祖先に当たる。新井白石の進言によって創設された閑院宮家に、6男として生まれた。傍系であるがゆえに学問に励み、仁政を心がけ、立派な天皇であろうと努力した。徳川3代将軍家光以後、政治については朝廷が幕府に口出しが出来なかった先例を破って、天明の大飢饉の時には飢民の救済を幕府に要請し、朝廷の発言力を高めた。この天皇の下で、尊皇思想が育ち、やがて尊皇倒幕のうねりが起こっていく。

 

 また、傍系ではないが遠縁から皇位を継承した例も2例あるとされる。第49代光仁天皇は、先代と8親等の隔たりがあった。南北朝合一の時に後亀山天皇から神器を受けた第100代後小松天皇は、先代と11親等の隔たりがあった。最も離れた遠縁の例だろう。

 

 万世一系というが、皇統を男系で継承するためには、このように、過去さまざまな努力・工夫がされてきたのである。今日の皇位継承問題においては、こうした事例をよく学んだうえで、具体的な方策を講じるべきだろう。

 女性天皇は、男系継承を確かにするために、上記の方法をさらに補助するものであった。これについては、次章に書くことにする。ページの頭へ

 

6. 女帝の役割は男系継承の補助

 

過去に8人10代の女帝がいた。古代の6世紀から8世紀にかけての6人8代、すなわち推古・皇極・斉明(皇極重祚)・持統・元明・元正・孝謙・称徳(孝謙重祚)、江戸時代の2代、すなわち明正・後桜町の各天皇である。

 これらの女帝は125代の天皇のうちの8%と少数であり、またすべて男系の女子である。

 

 明治維新後、女帝の即位の是非について熱い論争が繰り広げられた。井上毅が、過去の女帝は「摂位」(代理的な役割)であり、先例ではなく例外であると主張し、幼い天子が成長するまでの中継ぎ、「中天皇(なかつすめらみこと)」という見方が有力になった。その結果、明治20年に制定された皇室典範では、女帝が否認され、皇位継承者は男系男子に限定された。この規定は、昭和戦後に制定された皇室典範でも維持された。

 

 今日、再び女性天皇の是非が論じられている。私の思うところでは、確かに次の皇位継承候補の男子が成長するまでの「中継ぎ」として、女帝が立てられたことがある。しかし、女帝のすべてが「中継ぎ」とはいえない。

 最初の女帝・推古天皇からして、「中継ぎ」とはいえない。皇太子に聖徳太子という希代の俊英がいながら、あえて女帝を立てたのは、蘇我氏との関係を考慮した政治的な判断だろう。

 皇極天皇の場合も、朝鮮情勢と関連した政治事情に対応したものと思われる。斉明天皇としての史上初の重祚の際も、中大兄皇子が皇太子の地位にあり、年齢・能力に遜色はなかった。

 むしろ、これらの先例を応用して、「中継ぎ」の形も行われるようになったのだろう。続く持統・元正・元明の各天皇は、皇位継承を予定される皇子が成長するまでの「中継ぎ」である。その後の古代最後の女帝・考謙天皇の場合は、藤原氏の外戚政策の一環としての役割が主だろう。

 称徳天皇として重祚した際には、道鏡を寵用し「法王」の位まで授けた。しかし、和気清麻呂が、「わが国家、開闢より以来、君臣(の分)定まれり。臣をもって君となすこと、未だあらざるなり。天つ日嗣(天皇)は必ず皇儲(皇嗣)を立てよ」との宇佐大神の託宣によって、道鏡の野望を退けた。結果として、万世一系に連なる皇族の男系による継承という伝統が確認される形となった。

 

 その約860年後、江戸時代に再び2代の女帝が現れる。明正天皇は、徳川幕府が皇室に入れた中宮和子の子であり、その即位は皇室への影響力を強めようとした幕府の思惑が濃い。次の東福門院猶子に譲位するまでの「中継ぎ」の要素もあった。最後の女帝・御桜町天皇は、最初から英仁親王が成長するまでと期限が決められていた。

 

 このように見てくると、純粋に「中継ぎ」といいうるのは、持統・元正・元明・後桜町の各天皇だけである。むしろ政治的な情勢判断で女帝を擁立した例が、推古・皇極・斉明・孝謙・称徳の各天皇である。また、「中継ぎ」的な要素はあるが、かなり政治的な色彩もある例が、明正天皇である。女帝10代のうち、「中継ぎ」は4例ないし5例つまり半数以下である。

 それゆえ、私は皇位継承で男系を維持する努力は、いかにして時の有力者つまり皇族以外の別の家系に皇位が移らないようにするかという努力でもあったと思うのである。

 

 女帝は在位中は独身であった。配偶者なしで生涯独身だったか、皇后もしくは皇后に準ずる地位だった女性が、夫が亡くなって寡婦の身で即位したかのいずれかである。即位後に天皇の立場にありながら結婚し、その間に生まれた子供が天皇になった例はない。即位前に男系の皇族と結婚して子供を産み、夫が死亡した後に即位し、自分が譲位した後に、子供を即位させた元明天皇のような例はある。この場合は、男系の継承である。

 女性天皇がその地位にありながら産んだ子供が皇位につけば、皇統が女系に移る可能性がでてくる。女系継承に移行すれば、万世一系という伝統は失われる。過去には、125代にわたり必ず男系継承が維持されてきており、これまで女性天皇があるが、女系の天皇は存在しない。

 

 以上を要するに、女性天皇の役割は、皇族による男系継承を補助することである。私は「中継ぎ」というよりも、このようにとらえた方が、明確になると思う。また、女帝の即位は常に、次に皇位につくにふさわしい男系の男子があることが前提だった。今日の皇位継承問題は、このことをよく確認したうえで検討すべきものと思う。安易に女性天皇を容認し、さらに女系でもよいというような意見には、異論を呈したい。ページの頭へ

 

  

7.  女系継承に根拠や先例はない

 

現在までのところ国民の間には、女性天皇を容認しようという意見が多い。さらに女系継承も認めざるをえない、または認めるべきだという意見もある。女系継承とは、所功氏によると、「女帝が即位後に結婚もしくは再婚して御子をもうけられ、その御子が続いて即位する」ことをいう。私は男系継承を前提とした女帝はよいが、史上例のない女系継承は避けるべきと思う。

 

 女系継承の容認を説く有識者の一人、高森明勅氏は、「皇室典範に関する有識者会議」の意見聴取にて、「女性天皇を認めた場合、女系を認めなければ、ただ一代皇位継承を先延ばしするに過ぎない」、「国民男子との御結婚ということが最も確率の高いケースとなるので、男系という制約を解除することになしに、男子だけ単独で解除をしても大きな意味は持ち得ない」、「庶系継承が困難になった状況下において、出口としては女系を容認するという選択しかない」との旨を述べている。

 高森氏は、女系継承を容認する理論として、皇位継承の原理は本来、男系・女系の双系主義だったのであり、女系も皇統に含まれる。女系天皇が誕生しても皇統断絶ではないと説く。

 高森氏が自説の根拠の一つとしているのが、『養老令』継嗣令皇兄弟子条の「凡皇兄弟皇子、皆為親王。女帝子亦同」という文章である。これは女帝の子も親王であることを認めたもので、女系継承の根拠であると高森氏は主張する。

 

 これに対し、男系主義の立場を取る八木秀次氏は、この「女帝」は男系の女子であり、配偶者も「四世王」以上の皇族男子すなわち男系男子であって、その「子」は男系男子である。これは男系継承の一つのバリエーションだと理解する。

 八木氏によると、ここにいう「女帝の子」には具体的な人物が想定されており、女系継承容認の根拠になるものではない。その人物とは、第35代皇極天皇(重祚し第37代斉明天皇)の前夫、高向王との間の皇子すなわち漢皇子のことである。後に母宮が、高向王の没後、第34代舒明天皇の皇后になり、舒明天皇崩御後、皇極天皇として即位した。それゆえ、漢皇子は「女帝の子」ではあるが、もともと「男系の男子」だから親王ということになり、「女帝子亦同」との規定が設けられたのだと八木氏は説明する。このことは 江戸時代から河村秀根、小中村清矩、池辺義象らの国学者、国文学者によって繰り返し指摘されている。したがって、この規定は双系主義の根拠になり得ないと八木氏は説く。

 

 高森氏は、『養老令』の規定による「女帝の子」の具体例として、元明天皇と草壁皇子が結婚して生まれた氷高内親王を挙げる。草壁皇子の子という位置づけであれば、氷高女王でなければならないところ内親王とされており、皇位を継承して元正天皇となった。これこそ「女帝の子」が過去に皇位を継承した実例であるとして、高森氏は皇統は女系も含み、女系継承も認められると主張する。

 私はこの高森氏の主張には無理があると思う。阿閉皇女は草壁皇太子との間に、軽皇子(文武天皇)と氷高皇女(元正天皇)、吉備皇女を産んだ。夫の薨去後、第42代文武天皇が崩御したため、子持ちの寡婦という身で即位し、元明天皇となった。実子・文武の子で自分の孫である首(おびと)皇子は、まだ7才だった。そこで皇子が成長するまでの「中継ぎ」をした。その後、元明天皇は譲位し、娘の氷高内親王を即位させた。これが元正天皇である。母宮に続いて、自分の甥である首皇太子が成長するまでの「中継ぎ」をし、皇太子は聖武天皇となった。

 氷高は『続日本紀』の元明天皇のくだりでは「氷高内親王」と記されているが、それより古い『日本書紀』の天武天皇のくだりでは「日高皇女」(氷高と同じ)と記されている。草壁皇子の子というより、地位の高い元明天皇の子としてみて、内親王と記したものではないか。

 最も重要なのは、元明・元正の母娘・女帝二代は、あくまで男系男子の皇位継承者がいることが前提になっている。孫や甥がいるのである。また、氷高は、即位前も即位中も譲位後も、生涯を通じて独身で子供もなかった。この氷高すなわち元正天皇の例をもって、女系継承も認められるとする高森氏の主張は認めがたい。

 現代の愛子様や眞子様に、氷高内親王すなわち元正天皇の例を重ねることはできないのである。今のままでは、次を継ぐべき男系男子の皇族がいないからである。ページの頭へ

 

 

8.方策の第一としての皇籍復帰

 

男系継承を維持するための方策の第一として、旧皇族の皇籍復帰がある。

 昭和22年10月に、11宮家、51人が皇籍を離脱した。これは敗戦による占領下という事態にあって、皇室財産の国庫編入、皇族への高額の財産税の課税、あるいは宮内省機構の大幅縮小という、GHQの政策に従わざるをえぬ異例の措置だった。GHQは皇室を経済的に締め上げて弱体化させ、ひいては日本国そのものを弱体化させようとした。戦勝国の日本弱体化政策の要こそ、天皇の権威の低下と皇室の衰退だったのである。(2)

 

 皇籍離脱した旧宮家に関し、当時で550年ほども前に分かれた伏見宮家一統だから、他の宮家と違って臣籍降下が決められのだとして、皇籍復帰に否定的な意見がある。しかし、これらの宮家は遠縁ではあるが、かつては世襲親王家として存続していた。また、竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮の4宮家は、明治天皇の4人の内親王が嫁いでいる。つまり、明治天皇の血筋を引いているわけである。旧宮家は現在もさまざまな名誉職を担っており、皇室とは「菊栄親睦会」を通じて交流もあるという。復帰をまったく否定してしまうのは、どうかと思う。

 

 旧宮家のうち現在7家が存続し、5家には次世代の男系男子がいる。このことを、月刊「文藝春秋」平成17年3月号が伝えた。これらの男系男子が皇籍に戻り、宮家の復活を行うことが、男系継承に有効な方策として考えられる。

 臣籍からの復帰を認めると、皇族と一般国民の区別がなくなってしまうという反対論がある。しかし、過去に、臣籍におりた者が皇族に戻ったケースは、数多くある。宮内庁編『皇室制度史料 皇族 三』(吉川弘文館)によると、以下のようであるという。

 

(1)天皇に即位された例

 @第59代宇多天皇

 A第60代醍醐天皇

(2)皇子女・皇兄弟が復帰した例は多数

(3)皇孫が復帰した例

 @惟康親王(第88代後嵯峨天皇皇孫)

 A久良親王(第89代後深草天皇皇孫)

(4)皇孫以下が復帰した例

 @和気王(第40代天武天皇曾孫)

 A忠房親王(第84代順徳天皇曾孫)

(5)親王から臣籍降下した後、皇籍復帰し、再び臣籍降下した例

 (澁谷家教=伏見宮邦家親王の子。明治20年皇籍復帰)

 

 中でも現下で注目すべきは、(4)の忠房親王である。父も臣籍であり、「臣下の子」として皇籍に復帰し、後宇多天皇の猶子に入り親王となった。今日、旧皇族の復帰を検討するにおいて、先例となるだろう。

 

 戦後、皇籍離脱した宮家のうち、閑院宮・東伏見宮・山階宮は既に断絶している。伏見宮・賀陽宮・梨本宮・北白川宮は、現当主に男系男子がいない。現当主に男系男子があるのは、久邇宮・東久邇宮・朝香宮・竹田宮の四家と伝えられる。うち久邇宮家は香淳皇太后の実家である。

 男性の内訳は、久邇宮(兄弟2・男子2)、東久邇宮(兄弟4(含・養子へ1)・男子1)、朝香宮(男子1)、竹田宮(兄弟2・男子1)である。次世代の男系男子が、四家に5人いるのである。しかも、これらの旧宮家の中には、皇籍復帰に肯定的な方々がいると伝えられる。

 

 皇籍復帰、宮家の復活または皇室への養子の実現のためには、皇室典範を改正する必要がある。また、宮家を維持するための経済的な基盤も必要となる。これらを整えたうえで、皇族に復帰した男系男子の中に、適当な方があれば、男系男子が皇位継承をする道が開かれる。この場合、傍系の男子なので、過去の例にならって、直系の女子と結婚されると望ましい。愛子様・眞子様・佳子様が皇后となられれば、男系継承の伝統を守るよい方法となるだろう。

 

 こうした方策に関しては、すべて皇族及び旧皇族方の意思が尊重されねばならない。もちろん今後、皇太子または秋篠宮に男子が誕生すれば、それが最善・理想だが、国民としては、長期的な観点に立った具体的な方策の実行を願わすにはいられない。ページの頭へ

 

 

9.第二は養子、第三は女性宮家

 

男系継承の方策の第二として、皇族の養子制度の許可がある。養子の対象範囲は、旧宮家の男系男子とする。皇室典範第9条の改正で可能となる。

 皇族の養子には、過去さまざまな例がある。養子が廃絶する宮家を継いだり、旧宮家を復活させることができる。養子入りした後、結婚して男子が生まれれば、その子が皇位継承候補者になり得る。また、女性皇族に婿養子の形で入って、そこで男子が生まれれば、これも男系に属する。

 養子制度の実現は、現在の宮家の存続のためにも必要である。戦後存続した秩父宮・高松宮・三笠宮とその後、創設された常陸宮・秋篠宮・桂宮・高円宮は、どこも男子がいないか子供がない。このままではすべての宮家が断絶する。宮家は傍系から皇位継承を支える存在である。宮家の消滅は、皇統維持の危機となる。それを防止するには、現有の宮家の存続を早急に進めねばならない。そのためには、方策の第一つまり旧皇族の皇籍復帰と方策の第二つまり皇族の養子制度を組み合わせて行うしかないのである。

 

 方策の第三としては、過去に前例はないが、女性宮家を立てることが考えられる。ただし、女系容認のためではない。内親王・女王が旧宮家の男系男子と婚姻された場合に限定する。ただでさえ少ない皇族の数が、次世代は少子化でさらに減少することが確実である。そこで、内親王・女王が旧宮家の男系男子と結婚して新宮家を立て、皇族身分にとどまることができるようにする。その子供は皇族となるし、また男子のない宮家へ養子に入れるようにもすれば、絶家を免れるのみならず、そこに生まれる子も皇族となる。このようにして、皇族の数が増えるならば、皇統の維持が補強される。この方策は典範第15条の改正で可能となる。

 

 さて、現在の皇室典範の規定では、仮に皇太子が次の天皇に即位された場合、男のお子様がおられないと、秋篠宮が新たな皇太子となる。とはいえ年の差は5歳しかない。即位の時点で秋篠宮に男のお子様がおられれば、その子が次世代の皇位継承順位の第1位となる。もし親王がおられず、旧宮家の男子が皇籍復帰していた場合には、この傍系の男子が次世代の皇位継承順位の上位となる。

 しかし、現皇太子にも秋篠宮にも男子が遂に生まれず、旧宮家男子の復帰もされていなければ、秋篠宮の次は、眞子様が女性天皇に就かれる以外に、皇統を維持する道はなくなる。この場合は、歴史上かつてなかった事態となる。

 

 女性天皇に関しても事情は複雑である。眞子様が独身の場合、女性天皇の地位にありながら結婚を認めるとすれば、史上前例のないこととなる。この場合、ご結婚は旧皇族の男系男子とが望ましく、方策の第一と第二により、その男子が皇籍復帰し婿養子の形でご結婚されるのがよいと思われる。

 眞子様が既婚の場合、現在の典範の規定のままだと、結婚によって皇籍を離れていることになる。寡婦の即位は前例があるが、配偶者のあるままで女性が天皇になった例はない。配偶者が健在でありながら即位するのであれば、特例となる。配偶者の法的地位や呼称なども検討されねばならない。

 眞子様が方策の第三により、皇籍復帰した男系男子とご結婚され、女性宮家を立てていれば、その配偶者が皇位に就く規定は可能である。また、既婚で既に男子のある場合、女子のある場合、男女とも子供のない場合が想定されるが、配偶者が一般人であれば、いずれにせよその子供が皇位に就くと女系継承となる。仮にこの皇位継承の時点で、傍系に適当な男子がいれば、一般人を配偶者とする女帝を、特殊な「中継ぎ」に留めることができる。しかし、そうした傍系男子がいなければ、最後の方法として女系継承に移る。この女系継承は、社会に不安定をもたらす危険な道だと私は考えている。

 

 今すぐ女性天皇を容認するよう皇室典範を改正した場合には、愛子様が秋篠宮より皇位継承順位で上になる規定も可能である。ただし、その後、もし愛子様の下に男子が生まれた場合、男子優先か長子優先かの問題が生じる。また愛子様が女帝になるにしても、まだ幼少だったらどうするか。成人になった時点などと年齢に関する規定や、それに応じた継承順位を設けるのか。また秋篠宮の方に男子が生まれた場合、傍系でも男子優先か、男女に関係なく直系優先かなどの問題も考えられる。いずれにせよ、事情は複雑である。

 

 将来の困難を見越すならば、いま男系継承を維持するために、最大限に努力することが不可欠であることがわかるだろう。すなわち、方策の第一として旧宮家の皇籍復帰、第二として皇室の養子制度の許可、第三として制限つきの女性宮家の創設を、早期に実行することが望まれるのである。ページの頭へ

 

10.女系容認には皇統廃絶の危険性

 

女性天皇を男系継承の補助的な方法として、制度的に認めるとしても、そこから女系継承に移行するならば、重大な事態となる。

 

 保守的・良識的な有識者の中にも、女性天皇だけでなく、女系継承をも認める論者がいる。その一人、高森明勅氏は、皇統には男系・女系とも含まれるという双方主義を説く。氏は女系も皇統に含まれるとした上で、直系を優先し、同じ系統では兄弟姉妹の間で男子を優先するという男子優先論である。男子優先の理由は、「過去125代中、女子はわずか10代であり、圧倒的に男子が多かったこと」と「天皇の御公務と女子の肉体的、生理的条件との兼ね合いから、可能であれば男子を優先するのがよい」とする。

 所功氏も女帝・女系容認論だが、男子先行論といって少しニュアンスが異なる。先行というのは、「男性皇族が率先して担うべき」という意味だという。規定で明文化するより、その時々の事情で決めていくという含みがある。所氏は、天皇として本質的に重要なことは、国家・国民統合の象徴として公的な任務を存分に果たされることだろうとする。そして、そのような重大な任務は、女性の場合は結婚に伴って出産などの大役が予想されるので、男性皇族が率先して担われるようにすべきという。これが男子先行の理由である。

 

 両氏の論に対し、高橋紘氏の女帝・女系容認論は、男女を問わず直系の長子を優先する長子優先論である。男女は対等で誕生の先後のみで決めるとする。この考え方だと、男女平等の世の中だから皇位も男女平等にという意見とあまり変わらなくなる。

 氏の論であれば、皇位継承順位は、(1)皇太子、(2)皇太子の長女愛子様、(3)秋篠宮、(4)秋篠宮の長女眞子様となる。

 ここには男系継承の維持という考えが見られず、私は安直な発想と思う。旧宮家の皇籍復帰、皇室の養子制度、女性宮家の創設等の男系継承への努力をせずに、長子優先を説くのは、皇位継承の伝統の否定となる。

 

 女性天皇は過去に前例があり、男系継承の維持に貢献してきたが、女系継承への移行は、皇統廃絶にいたる危険性を伴う。なぜそうか。そのことを次に書く。

 最近、これまでは皇室制度を廃止せよと主張してきた学者が、女性天皇や女系天皇の容認を言い出している。高森氏や所氏の主張に共感しているのではない。女系への移行によって皇位の正統性が失われるから、皇統廃絶の好機となると、彼らは考えているのである。いわゆる「天皇制」を否定する者たちの思惑を見抜かねばならない。

 奥平康弘・東京大学名誉教授が、月刊『世界』平成16年8月号に寄稿したものが、注目されている。奥平氏は憲法学者で、第9条改正反対を説く護憲派の理論的支柱である。

 氏は、女帝を容認し、さらに女系天皇が誕生すると、「天皇制のそもそもの正当性根拠であるところの『万世一系』イデオロギーを内において浸蝕する因子を含んでいる」と指摘している。「『万世一系』から外れた制度を容認する施策は、いかなる『伝統的』根拠も持ち得ない」「『女帝』容認論者は、こうして『伝統』に反し『万世一系』イデオロギーと外れたところで、かく新装なった天皇制を、従来とまったく違うやり方で正当化して見せなければならないのである」と述べている。

 つまり、女系の天皇が誕生した時、奥平氏らは、万世一系の伝統から外れた天皇には正統性がないと主張し、皇室制度を廃止にもっていこうと考えているわけである。共産党・新左翼などの左翼にすれば、日本革命への最大の障害は皇室の存在である。皇室の正統性を否定できれば、「天皇制」を廃止し、共和制さらに共産主義へという変革のプログラムは現実のものとなる。中国や北朝鮮もこれを願っているに違いない。

 

 過去の文献・事例に、女系継承を根拠付けるものや先例はない。女系容認論を説く人は、女系継承による皇位も正統性を持つと主張し得るかどうか、その正統性の根拠について十分説得のある理論構成を提示すべきである。さもなくば、皇室制度否定の共和主義者や共産主義者の深謀遠慮に、さらに言えば中国や北朝鮮の対日工作にしてやられるだろう。

 私は、女系継承を正当化する理論は成立し得ないと考える。男系継承が皇位の正統性を維持する唯一の方法である。なぜなら、万世一系の意味とは、皇位の男系継承のことだからである。

 

 今や男系継承を維持することは、困難な道ではある。しかし、女系継承に移ることはもっと困難な、いや危険な道であることを、日本を愛する日本人は、よくよく肝に銘じていただきたいと思う。ページの頭へ

 

11.皇室典範改正には皇族の意向も

 

天皇・皇族は、日本国籍を持つ日本人であるが、特別の立場にある。天皇については、日本国憲法の第1章に定められている。憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」、第2条に「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定されている。また、皇室典範には、皇位継承のことをはじめ、皇族の範囲、摂政、成年・敬称・即位の礼、皇室会議等が定められている。

 天皇・皇族には「戸籍」がない。その身分に関しては「皇統譜」というものに登録される。また、選挙権・被選挙権がなく、裁判を受ける権利も制約されている。プライバシーに関する権利が確立されておらず、名誉毀損についても同様である。単純に「法の下の平等」という原則をあてはめられない立場ではあるが、皇族の権利はもっと保護されるべきと私は思う。その最大のものが、皇位と皇族の身分に関する事柄である。

 

 皇位継承については、八木秀次氏によると、今上陛下は「可能な限り男系継承の道を探って欲しいとのご意向」だそうである。男系継承が皇室の伝統なのだから、それを保守することは、天皇・皇族方の願いだろうと推察する。

 明治の皇室典範は憲法と対等のものとされ、その改正・増補には議会は関与せず、皇族会議と枢密顧問の諮詢によるものとされていた。皇位継承等についても、皇室のご意向が反映される仕組みがあったわけである。しかし、現在の皇室典範は現行憲法の下の一つの法律に過ぎなくなっているから、国会の議決のみによって改正される。皇位継承に関する事項を含む皇室典範の改正は、皇室にとって最も関心のあることだろうが、そこに皇室のご意向が反映される道はないのである。「権利」という言葉を使うならば、これこそ皇族の権利を侵害していると私は考える。

 

 大原康男氏によると、現行憲法をGHQに押し付けられたので、新皇室典範の制定では「むしろ日本側が自己規制した」という。「GHQが難色を示すであろう内容については配慮して、皇位継承に関する重要な儀制についての条項である『践祚・神器渡御』『大嘗祭』『元号建定』の三つについては条文から削除」した。そして「皇位継承の順位、資格、また摂政の設置など、最低限必要なものだけを規定した」のだという。新憲法施行に間に合うように成立させるため、昭和21年7月から10月の間に法案要綱が作られて、答申がされたが、自主規制を行ったため、GHQからはほとんど干渉を受けなかったという。

 この傍ら、11の宮家が廃絶され、51人の皇族が臣籍降下したが、これはその皇族の意思ではなく、占領下のGHQの圧力によってやむをえずのことだった。これは権利を侵害された出来事といえるだろうと私は思う。また、現行の皇室典範では、第九条に「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と決められている。これは、兄弟や近親から養子を取って宮家を存続したいという願いを持つ方がある場合、その権利を侵害されていることになると思う。

 

 皇室については、憲法に「国政に関する権能」等の規定があり、立法権との関係があるので微妙な事柄ではあるけれども、私は、皇位継承を含む皇室典範の改正に関しては、皇室のご意向が何らかの形で反映されるようなにすべきだと思う。まずそのような改正を行って皇族の権利をもう少し尊重するようにしたうえで、皇位継承等の具体的な検討に入るという手順が望ましいと思う。

 大原康男氏は、「皇室典範に関する有識者会議」で、次のような案を提示している。「現在、皇室会議というものがございます。その議員に皇族の代表が2人いらっしゃいます。しかし、皇室会議は実に限られた権限しか規定されておりませんので、その中に皇室典範の改正についての、どのような形でどのような手順でやるかどうかは別といたしまして、最低でもそうした権限を皇室会議に持たせることも一案ではないか」と。つまり、皇室会議に、皇室典範の改正において、皇室のご意向を反映させる権限をもたせるという案である。皇室会議の構成員は、皇族2人のほか、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官並びに最高裁判所の長官及びその他の裁判官1人の計10人、議長は総理大臣である。

 私はこの案を支持する。天皇・皇族のご意向を無視して、皇室典範を単なる一法律として改正するのは、重大な権利侵害だと思うからである。

 

結びに

 

 皇位継承問題について、先人・先学に学びながら私なりの考察を書いてきた。日本の国柄の根本に関わる事柄であるとともに、今後の日本の運命に関わる重大な事柄でもある。叡智を結集して、伝統に基づく皇位継承及び皇室の存続・繁栄のために、もっとも相応しい方向に進むよう願って止まない。

大東亜戦争の敗戦後、戦勝国は、日本弱体化政策を強行した。その要こそ、天皇の権威の低下と皇室の衰退だった。日本の再生のためには、憲法の改正、教育基本法の改正とともに、皇室典範を改正し、皇位継承を安定させ、皇室を中心とした日本国民の調和と繁栄を確かなものとしなければならない。憲法(3)・教育基本法(4)・皇室典範の改正なくして、日本の再生はなしえないのである。(5)

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(1)日本の国柄、皇室と国民の歴史については、以下の拙稿をご参照ください。

国柄」「君と民」「日本の公と私

(2)日本弱体化政策については、以下の拙稿をご参照ください。

日本弱体化政策の検証

(3)憲法については、以下の拙稿をご参照ください。

日本国憲法って、これでいいのかな?

(4)教育基本法については、以下の拙稿をご参照ください。

教育基本法を改正しよう

参考資料

    「皇室典範に関する有識者会議」のサイト

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/

    高橋紘+所功著『皇位継承』(文春新書)

    高森明詔著『改めて問う、「女帝」は是か非か』(月刊『正論』平成16年7月号)

    同上『男系主義の伝統を超えて わが皇室典範改正論』(月刊『正論』平成16年9月号)

    笠原英彦著『女帝誕生――危機に立つ皇位継承』(新潮社)

    八木秀次著『本当に女帝を認めてもいいのか』(洋泉社)

     同上『心許ない専門家』(月刊『正論』平成17年7月号)

     大原康男著『叡智を出して皇統の維持を図るべし』(月刊『日本』平成17年6月号)

 

補説 男系継承のための皇室典範改正

2006.3.6

 

私は、皇位継承は男系継承の伝統を堅持すべきという考えである。女性天皇に反対ではない。しかし、女系継承への移行には断固反対する。男系継承のために最大限の努力をし、あらゆる方策を講じることが先だと思う。そして、その方策はある。既にいくつも出されている。私は、皇室典範を改正するのであれば、男系継承の伝統を堅持し、男系継承のために最大限可能性を追求するための改正を行うべきと考える。

 女性天皇を禁じ、男系男子に限定したのは、明治につくられた皇室典範である。それ以前には、過去に8方10代の女帝の例があった。それは、男系男子による継承を補助するためである。現行の皇室典範を改正して女性天皇も可とする場合は、この伝統にのっとって、男子優先を明記しなければならないと私は思う。
 現行の皇室典範では、皇位の世襲について、次のように定められている。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 男系継承の補助のために女性天皇を可とするには、この規定を男系の男子だけでなく、男系の女子も可とする規定に改める必要がある。さらに男子優先を原則として、皇位継承順位を定め直す必要がある。
 現行の皇室典範では、皇位継承順位について、次のように定められている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第二条  皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 男子優先については、皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫、その他の皇子孫等において、どのように男女の先後を定めるかが問題となる。
 第一の考えは、皇長子のなかで男子が先、女子が後とし、皇長子に該当者がなければ、次に皇長孫の男子、ついでその女子というようにする順位付けである。第二の考えは、皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫、その他の皇子孫等、一号から七号まで男子を先とした上で、該当者がなければ、皇長子の女子が次の順位者となるという順位付けである。第三の考えは、第2項に定める「それ以上で、最近親の系統の皇族」の間まで男子優先とし、なお該当者がいないときは、皇長子の女子、皇長孫の女子が次の順位者となるという順位付けである。

 私は、男系継承を堅持し、直系の皇嫡子、皇庶子に該当者が居なければ、傍系の男系男子が継承してきた伝統を見ると、第三の考え方を基本とするのがよいと思う。すなわち、直系男子⇒傍系男子⇒直系女子⇒傍系女子という順番である。
 以上の私見をもとに第一条、第二条の改正案を以下に示す。

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◆皇室典範改正ほそかわ私案

第一条 皇位は、皇統に属する男系の者が、これを継承する。

第二条 皇位は、原則として皇族男子に、左の順序により、これを伝える。
一 皇長男子
二 皇長男孫
三 その他の皇長男子の子孫の男子
四 皇次男子及びその子孫の男子
五 その他の皇男子孫
六 皇兄弟及びその子孫の男子
七 皇伯叔父及びその子孫の男子
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族男子に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
4 前項において該当する男子のないときは、男系継承を補助するため、皇位は、皇族女子に、これを伝える。
5 前4項における皇族女子は、皇太后または大皇太后または独身者に限る。継承者は、皇室会議の協議を経て決定する。
6 前5項における独身者の順序は、前1項の規定を準用する。この場合において、同項中に「男子」「男孫」とあるのは、「女子」「女孫」と読み替えるものとする。

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 さて、男系男子による継承を安定させるためには、主に三つの方策が考えられる。旧宮家の皇籍復帰、養子制度の容認、旧皇族との婚姻の場合に限定した女性宮家の創設である。
 これらの方策を実行するための皇室典範改正案を、次に提示する。

 まず第一の旧宮家の皇籍復帰についてである。現行皇室典範では、「第二章 皇族」において、次のように定められている。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない。
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 この条文を改正して、元皇族は皇族に復帰できること、その際、その子孫は新たに皇族になることができることとする。また、それ以外にも皇族となる場合を列記する形に改正する。
 参考に明治時代につくられた皇室典範においても、皇籍復帰は認めていなかった。

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●皇室典範増補(明治四十年二月十一日)抜粋

第六条 皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス
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 しかし、歴史的には、臣籍から皇籍に復帰した例は多くあり、宇多天皇のように復帰後、天皇になった例もある。こうした歴史に学ぶべきと思う。
 また、敗戦後、皇籍離脱を余儀なくされた11宮家は、占領軍によって皇室の弱体化が強行されたという、史上に例を見ない特殊な事情によって、臣籍降下せざるをえなかった。この異常な経緯を考慮すべきと思う。しかも、加藤元宮内次官の回想にあるように、昭和天皇と皇族方の間では、将来、皇族に復帰する可能性は否定されていなかったのである。
 11宮家のうち、北白川・竹田・朝香・東久邇の四家は明治天皇の皇女方を妃に迎え、さらに東久邇家は昭和天皇の第一皇女成子内親王も嫁がれている。従って、男系で歴代天皇とつながると共に、女系では明治天皇・昭和天皇の血統を、現皇族方と同等に引いておられるわけである。男系では、40数親等離れているが、この点も考慮すべきである。
 また、旧宮家の方々は、菊栄親睦会を通じて、天皇・皇族方と親しく親族としてのお付き合いをしてきていいる。この点でも、まったくの民間人とは違う。反対論は、民間人となって60年間もたっており、そういう人が皇族となることには、国民は「違和感」を感じるだろうという。しかし、民間人が后妃となった場合でさえ、皇族として国民に仰がれ、親しまれている。美智子様、雅子様、紀子様のお三方は、皇族とは縁もゆかりもない、まったくの民間人であった。それゆえ、もともと皇族だった方やその子孫が皇族となった場合に、国民が「違和感」を感じ、受け入れられないという論は、失当である。むしろ、まったくの民間人よりも、受け入れやすく、親しみやすいとも考えられる。

 皇室典範第十五条の改正にあたっては、同時に特別立法を行って、皇籍復帰の実行に関する詳細を定める必要もあると思う。すなわち、対象となる方の範囲、選任の条件、復帰後の称号、旧宮家または絶家となった直宮家の復活、経済的保障、検討の機関と手続き等の詳細である。
 皇室典範問題研究会の小堀桂一郎氏・八木秀次氏らは、この特別法の制定を提案する準備をしていると聞く。

 次に第二の方策として、皇籍復帰とともに、皇室への養子の実現も合わせて検討すべきと思う。この場合は、皇室典範第九条を改正する必要がある。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第九条  天皇及び皇族は、養子をすることができない。
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 この条文を、「養子をすることができる」と改正する。養子の対象範囲は、元皇族及びその子孫の男系男子とする。

 次に第三の方策として、旧皇族との婚姻の場合に限定した女性宮家を立てることを可能とする。これは女系継承をも可能とするためではなく、内親王・女王が旧宮家の男系男子と婚姻された場合に限る。この場合は、皇室典範第十二条を改正する必要がある。

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●現行皇室典範(昭和二十二年一月十五日)

第十二条  皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
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 この条文に第2項を加え、皇族女子は、元皇族及びその子孫の男系男子と婚姻したときは、新たに宮家を創設することとする。

 私見では、男系継承の堅持、男系男子継承の優先のために皇室典範を改正する場合のポイントは、以上の第九条、第十二条、第十五条だと思う。条文の順序に従って、これら三条の改正案をまとめて以下に示す。

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◆皇室典範改正ほそかわ私案

第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができる。
2 養子の対象範囲は、元皇族及びその子孫の男系男子とする。

第十二条  皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
2 皇族女子は、元皇族及びその子孫の男系男子と婚姻したときは、新たに宮家を創設する。

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、以下の場合に限り、皇族となることができる。
一 女子が皇后となる場合
ニ 女子が皇族男子と婚姻する場合
三 元皇族が皇族に復帰する場合。その子孫は、その復帰に伴う場合に限り、新たに皇籍に入る。
四 元皇族の子孫が天皇及び皇族の養子となる場合
五 元皇族の子孫が内親王または女王と婚姻する場合
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 次に、皇室典範改正の目標時期について述べる。
 小泉政権は、平成18年1月からの通常国会で、女系継承への移行の起きかねないような女性天皇容認、第一子優先、女性宮家創立を柱とする皇室典範の改正を行おうとしていた。その審議が始まろうというところに、秋篠宮妃紀子様のご懐妊のニュースが伝えられた。それによって、拙速な改正論議は鎮まった。ご出産は9月の予定である。男子ご誕生の場合、女子ご誕生の場合によって、皇室典範の検討の進め方が異なってくる。

私は、お誕生されるお子様が男女いずれであっても、長期的な展望に立って、皇位の男系継承を維持するための努力を続けるべきと思う。
 この問題は、国家の根本問題であり、あまり先延ばししない方がよい。敗戦後行われたGHQによる日本弱体化政策の呪縛を断ち、日本を再建するには、憲法・教育基本法・皇室典範を3点セットで、改正する必要があるからである。この3点セットの改正は、戦後日本人の最大の課題であり、現代日本に生を受けている者の責任なのである。これらの改正を成し遂げない限り、日本の真の改革は実現しない。そこで、私はこれらの3点をセットで、2年以内に改正することを提案する。
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参考資料
・皇室典範の全文
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO003.html
 皇位継承を案ずる人は、一度は皇室典範を読んでみることをお勧めしたい。そう長くなく、意外と読みやすいと感じると思う。

 

 

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