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  天皇と国柄

                       

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説明: ber117

 

■女系継承容認論の迷妄――田中卓氏の「諫言」に反論する

2006.2.23

 

<目次>

 はじめに

有識者会議に原則賛同の女系容認論

天皇のご意思への思い込みはないか

女系容認をベースに要望を足す

皇祖神が女神だから女系も良い?

記紀が示すのは、天照大神の相対性

天照大神は自立的・原理的ではない

血統・男系・女系の概念に混乱?

「姓なき易姓革命」を誘発する危険性

無礼で容共的な吉川座長を弁護

10有識者会議は確かに素人ばかりではない

11国民を代表しない偏った人選

結びに〜迷妄を流布し、晩節を汚す

 

説明: ber117

 

はじめに

 

『諸君!』平成18年3月号に、皇學館大学名誉教授の田中卓(たかし)博士による『女系天皇で問題ありません 寛仁親王殿下へーー歴史学の泰斗からの諫言』が掲載された。

大阪の国民会館から出た小冊子『女帝・女系反対論に対する批判と私見 原則有識者会議報告に賛同し、政府案に要望す』をもとにした論文である。

この冊子は、永田町と宮内庁、官邸周辺に配布され、女性天皇・女系天皇の推進派には自信を、反対派には当惑をもたらしたらしい。『諸君!』編集部は、この話題の書を誌上に登場させたわけである。

 

1.有識者会議に原則賛同の女系容認論

 田中氏は、平泉澄氏の弟子である。マルクス主義歴史学を厳しく批判し、古事記・日本書紀などの古典の研究を踏まえた国史研究で名高い、権威ある歴史学者である。神職養成期間として東の國學院大學と並ぶ皇學館大学の学長を勤めたことがあり、神道界・歴史学会に一定の影響力を持つ。

 論文の趣旨は、皇室の歴史・伝統から見て、現状においては、男帝・男系にこだわらず、女帝・女系の容認こそ皇統護持のため必要である、原則的に有識者会議の報告に賛同し、一部修正を要望するというもの。
 私は、田中氏を、緻密な文献考証と鋭い論戦力を持つ卓越した学者だと思う。氏は、ヤルタ=ポツダム体制なる概念をつくり、現代世界の虚妄を告発する論説を展開してきた。また、学問の場にとどまらず、日教組に対抗する日本教師会の活動も行ってきた。私は、こうした氏の学績・活動に敬意を抱く者だが、今回の皇室に関する田中氏の所論には、大きな疑問を感じる。

 論文の見出しのうち、目に付くものを並べてみよう。

(1)皇室の祖神、天照大神は女神
(5)側室制度の廃止を決断されたのは、昭和天皇
(6)男子を生まない女性は、皇太子妃の資格なしというのか
(7)政府が皇室典範の改正を急ぐのは当然
(8)“初めに結論(女帝)ありき”が何故悪い
10)「有識者会議」座長の真意も公正に理解せよ
11)「有識者会議」を素人呼ばわりするのは失礼ではないか
17)神武天皇以降の後胤の男系は数え切れず、中には反逆者もいた

 中でも私が気になる点は、皇室の祖神である天照大神は女神であるとして女系継承容認の論拠としていること、神武天皇以降の後胤の男系は数え切れないとして男系継承の史実を軽視していること、有識者会議の構成や姿勢を擁護していることである。これらの点を中心に、反論を述べたいと思う。

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  私の基本的な考え方は、以下の拙稿をご参照のこと

皇位継承――男系継承への努力を

 

2.天皇のご意思への思い込みはないか

 

これは私の想像だが、田中氏には天皇陛下は女系継承もよしとされているという推測があるのではないか。田中氏は、三笠宮寛仁殿下が発言されるのを諌め、皇室内で意見が分裂してはならないと忠告する。これは、天皇陛下が女系容認のご意思であるとすれば、皇族はそれに反対すべきでなく、国民もそれに従うべきという思い込みがあるのではないか。
 その推測や思い込みを正当化するために、田中氏は先のような3点を主張しているような気がするのである。というのは、別の著名な女系容認論者から、陛下は女性天皇・女系継承を容認されていると伺っている、と私は直接、聴いているからである。私は、これは風説に過ぎないと思っている。しかし、忠義の思いに篤い人は、真に受けるのかもしれない。誰か風説を吹き込んだ者がいるのだろう。

 平沼赳夫氏、桜井よし子氏が確認したところ、3年ほど前、官房副長官と宮内庁長官が天皇陛下に皇位継承の問題について申し上げたことはあるが、その際、陛下は女帝でよいとか、女系でよいとかはおっしゃっていないという。平沼氏や桜井氏は、国会議員の勉強会で、そのように述べていると聞く。勝手に陛下のご意向だと言って流している者があると私は見ている。

 こうした風説には前例がある。平成4年の天皇陛下のご訪中のときに、「これは陛下の御意思である」という風説が流れた。しかし、後で桜井氏が関係者に取材したところ、誰からもそのようなご意思を賜っているという確かな返答がなかった。天安門事件で数千人ともいわれる人民の虐殺が行われ、アメリカを始め多数の国々が中国を非難していたとき、日本政府だけが中国政府に手を差し伸べた。その際に、天皇陛下のご訪中をもって、中国の国際社会での地位回復に手助けをしようとした。
 当時、ご訪中の環境が整っていない状態で、天皇陛下にご訪問していただくべきではないという反対論があった。陛下を政治利用するのは、もってのほかだからである。しかし、政府はご訪中を推進した。その際に流された風説が、「これは陛下の御意思である」というものだったのである。

 こういう前例を思い返せば、天皇陛下が女性天皇・女系天皇を容認するご発言をされているなどという伝聞を、安易に真に受けてはならない。陛下がそのようなご発言をされることは、まずあり得ないと、陛下とお親しく、また皇族として陛下のお立場を、政治家や学者より、はるかによくわかっておられる三笠宮寛仁殿下が言っておられるではないか。
 その殿下に対して敢えて「諫言」をすると述べる田中卓氏は、推測や思い込みによって、大きな勘違いをしているのではないか。
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3.女系容認をベースに要望を付す


 田中氏は、有識者会議の報告に賛同し、その報告を基にして政府案に要望を出している。要約で田中氏の意見を示す。

@ 皇位は男子・男系が望ましいが、非常の事態に備えて「女性天皇や皇位の女系継承も想定しておくのは当然」、「是非「有識者会議」の報告書を基に実現されたい」。
A 占領政策による皇族の臣籍降下には、何らかの対策をする。
B 天皇・皇族の嫡男系嫡出の子孫を皇族とするのは、天皇の四世孫、場合によっては五世孫までとする。Aの旧皇族は臣籍降下した方を基準に適用する。
C Bの方々を「皇親」とする。
D 「皇親」の範囲内で養子制を認める。
E 女帝の場合は、摂政を検討する。
F 「長子優先」とする。但し、弟妹がおありの場合は、「天皇の勅定による皇族会議」にて最終決定する。
G 譲位を検討する。

 田中氏は、基本的には女系継承容認論である。そして、有識者会議の構成や姿勢を擁護し、同会議を批判する者に反論する。しかし、同会議の報告に全面的に同意はしていない。氏の主張は、女性天皇・女系継承を容認しつつ、旧皇族の復帰、養子制度の採用、長子優先だが男子継承に検討の余地を持たせるなど、男系継承の維持に配慮し、その点において同会議より踏み込んだ検討を行った提案なのである。
 要望のうち
ABCDは、男系継承を堅持すべしという意見と共通した点があり、一部は具体的でもある。男系継承を補助するための女帝であれば可とする人たちは、Eにも同意するし、多くの人はGにも同意するだろう。
 
 問題は、氏の女系継承容認論にある。要望の
@がそれであり、Fもそうである。女性天皇・女系継承容認、長子優先という基本的な要素が、有識者会議と一致している。根本のところに最大の問題がある。それゆえ、一見総合的に見える田中氏の提案は、男系継承については伝統の理解に混乱をもたらし、原則をよく踏まえない折衷的な発想を刺激するものと思う。

 田中氏の女系継承容認論の有識者会議のそれとの違いは、氏の論は、歴史研究や神話の理解に基づいていることである。ただし、歴史観や国家観を排除した有識者会議のメンバーが、歴史や神話をもとにした田中氏の援護を歓迎するかどうかは、疑わしい。左翼的な思想を持ったメンバーは、氏の主張が、男系継承堅持を唱える側に分裂を起こすのを期待しているかもしれない。

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4.皇祖神が女神だから女系も良い?


 田中氏は、女系継承容認の根拠を、「皇室の祖神、天照大神は女神」であるということに置いている。氏は神武天皇実在論で有名であるが、皇位継承の問題については神武天皇以来の万世一系という「歴史の事実」よりも、天照大神による「天壌無窮の神勅」が「より重要な原点」であるとする。そして、この神勅を「国体の原理」とし、「日本国体の原理も、皇室の祖神も、天照大神という“女神”にもとづいている」と強調する。

 そして、「歴史的には、皇祖神の天照大神が「吾が子孫の王たるべき地」と神勅されている通り、“天照大神を母系とする子孫”であれば、男でも女でも、皇位につながるお方が「即位」して、三種神器(ママ)をうけ継がれ、さらに大嘗祭を経て「皇位」につかれれば「天皇」なのである」とする。また「子供は父母から生まれるのであって、男系とか女系の差別より、父母で一家をなすというのが、日本古来の考えだから、それを母系(又は女系)といっても男系といっても、差し支えなく、問題とはならないのだ」と言う。

 田中氏は、血統のなかに男系・女系という区別をしないため、血統がつながっていればよいという論を主張しているのである。そして、その根拠を、皇祖神であり、神勅を授けた天照大神が女神であるということに置いている。

 

 確かにわが国では、天照大神を皇祖神と仰ぎ、天照大神の天孫ニニギノミコトへの神勅を天皇の統治権の根拠とし、天照大神が天孫ニニギノミコトに授けた「三種の神器」を皇位の象徴としてきた。それゆえ、女性神に対する信仰が、日本の国柄及び皇室制度の根幹にある。

 しかし、皇統は、神武天皇以来、男系継承で一貫してきたのであり、女系継承の例は一度もない。神武天皇も歴代天皇も、女神である天照大神を祀り、その霊威を受け継いできながら、天皇については男系で継承してきたのである。

 私たちは、皇統の歴史をもとに皇位継承のあり方を考えているのであって、初代天皇以前の歴史または神話・伝承は、皇位継承のあり方には直接関係がない。
 もし皇祖神が女性神であるから、男系でも女系でもよいとするならば、皇統は最初から男系・女系に関係なく継承されてきただろう。または男系を原則としつつも、何度かあった皇位継承の危機において、女系継承が行われていただろう。天照大神が女神であっても、皇位は男系で継承してきたという歴史的な事実は厳然として揺るがないのである。

 それゆえ、田中氏の天照大神に基づく女系継承容認論は不適切だ、と私は考える。女系継承の容認が先にあり、その理由付けに天照大神を持ち出しているに過ぎないと思う。ページの頭へ

 

5.記紀が示すのは、天照大神の相対性

 

 田中氏は、皇室の祖神・天照大神は女神であるから、皇位継承は女系でも良いとする。しかし、『古事記』『日本書紀』に照らすと、天照大神を原点にすえるのは、そう単純にゆく話ではない。田中氏は、記紀の歴史学的研究で名高い学者ゆえ、私のような素人がもの申すのはおこがましくはあるが、私見を述べてみたい。


 天照大神はイザナギノミコトが禊をした際、左の目から生まれたとされる。イザナギの妻・イザナミノミコトは、この時点では既に亡くなっており、天照大神は父親が単身で生んだ子である。これは神話的想像力によるものゆえ、歴史的事実ではない。しかし、民族の祖神とされる女神が、「父の子」であるということを見逃すべきではない。母系が元とは、簡単に言えない点があるのである。


 イザナギとイザナミについて補っておくと、これらニ神は、日本神話で初めて男性・女性という性別を持った神々である。二神は、人間の男女のように交わりをして国生みをした。最初に生まれた子は水蛭子(ひるこ)となった。女性のほうが先に声をかけたためだった。それを改めてから、多くの島々を生んだ。
 私見によれば、ここには男女・陰陽の原理が表されている。男女・陰陽は、対立的でなく相補的である。とはいえまったく同等でもない。また、シナの男尊女卑のような優劣・上下とも、少し違う。男性が先、女性が後という形が正常とされ、いわば夫唱婦随といった関係にある。


 さて、天照大神がイザナギの左の目から生まれた際、右の目からはツキヨミノミコト、鼻からスサノオノミコトが生まれたとされる。父イザナギノミコトから、天照大神は高天原を、スサノオは海原を治めるよう指示される。

 世界各地に広く見られる天空父神・大地母神に対照すれば、イザナギは天父、イザナミは地母に当たり、男性的な天に女性的な天照大神が、女性的な地に男性的なスサノオが配され、男女・陰陽の対になっている。ここで特徴的なことは、日本神話の海洋性であり、大陸系の神話と異なり、大地が海洋としてイメージされている。スサノオが治めるのは海原なのである。


 天照大神とスサノオノミコトは、姉・弟である。しかし、一面では夫婦のようなところもある。この男女二神は、誓約(うけひ)をして子を産むからである。天照大神がスサノオの剣をかんで吹いた霧から、三女神が生まれ、スサノオが天照大神の勾玉をかんで吹いた霧から、五男子が生まれたという。ここにも男女・陰陽の相補性が表われている。


 天照大神とスサノオの誓約で生まれた五男神のうちに、アメノオシホミミノミコトとアメノオヒノカミがいる。天孫降臨の話は、いきなりニニギノミコトへの「天壌無窮の神勅」で始まるのではなく、天照大神はその前に、これらニ神を葦原中国(あしはらのなかつくに)つまり日本に遣わしている。

 天照大神は彼らを自分の子と呼んでいる。しかし、天照大神は女神として独力でアメノオシホミミとアメノオヒを産んだのではない。彼らの誕生には、スサノオが関わっている。あたかも父がスサノオ、母が天照大神であるような関係がある。『日本書紀』では養子ともされている。


 アメノオシホミミとアメノオヒの派遣は、うまくいかなかった。続くアメノワカヒコの派遣もうまくいかなかった。そこで、天照大神は、孫のホノニニギノミコトを遣わすのである。


 天照大神は、天孫ニニギノミコトに「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)は、わが子孫の君たるべき国なり、みましゆきて治(し)ろしめせ、天つ日嗣(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと天壌(てんじょう)と共に窮まりなからんもの」と述べたとされる。

 「豊葦原の瑞穂国」とは、日本のことである。この国は、天照大神の子孫が統治すべき国だという。「みましゆきて治しめせ」とは、統治する権限をニニギに与えたものである。この神勅が、わが国における統治権の根拠とされてきた。そして、皇室の侵しがたい権威の元となって、代々継承されてきた。

 天照大神はニニギノミコトを日本に遣わすにあたり、「三種の神器」といわれる八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を授け、八咫鏡についての神勅を下したという。

 「古事記」には「此れの鏡はもはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごとく、斎(いつ)奉れ」と、また「日本書紀」には「吾が児(みこ)、此の宝鏡を視(み)まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし」と記されている。

 初代の天皇である神武天皇は、記紀によると、ニニギの曽孫に当たる。ニニギが授かった「三種の神器」は、代々の天皇により皇位のしるしとして受け継がれてきた。


 この「天壌無窮の神勅」と「三種の神器」のくだりは、天照大神の働きを際立たせる。まさに天照大神は、皇室の祖神であり、皇位の権威の根拠である。田中氏は、皇位の女系継承を正当化するために、皇祖の女神・天照大神を強調する。

 しかし、これまでの記述で、天照大神は神話的世界に自立的に存在する女神ではなく、父母にあたるイザナギ・イザナミや、弟で夫のようでもあるスサノオの存在を抜きにしては語りようがないことが明らかになったと思う。

 以上のべたことを、「天照大神の相対性」と言うことができよう。相対的な存在を、始原的・原理的な存在にすえることは出来ない。

 天照大神が日本に遣わしたというニニギノミコトは、天照大神の子であるアメノオシホミミノミコトと、タカギノカミの娘であるヨロヅハタトヨアキツシヒメの間に生まれた子である。

ニニギの祖先は、父・アメノオシホミミ→祖母・天照大神→曽祖父・イザナギとさかのぼる。隠れてはいるが、曾祖母・イザナギや、祖父または大叔父・スサノオの存在なくして、ニニギを語ることはできない。

 そして、ニニギの母方には、タカギノカミという神が存在する。タカギノカミは、タカミムスビノミコトの別名とされる。先ほど天照大神の相対性を言ったが、タカミムスビ=タカギの存在もまた、天照大神の相対性を浮き彫りにする。タカミムスビなくして、天照大神の働きはないからである。

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6.天照大神は自立的・原理的ではない


 天照大神とタカミムスビの関係について続ける。天照大神を中心に考える論者は、高天原の最高神が女神であると見る。そして、母系制が社会の原初的形態という主張もなされる。しかし、記紀の記述では、天照大神は単独で最高・中心にあるのではない。「タカミムスビと天照大神」と連名で記されている箇所があることも無視できない。
 タカミムスビなのである。天照大神の父・イザナギではない。また、自分が父から生まれる前に亡くなっていた母・イザナミでもない。弟で夫のようでもあるスサノオでもない。

 『古事記』によると、タカミムスビとは、天地開闢の時、天之御中主之命(あめのみなかぬしのみこと)の次に、カミムスビとともに高天原に出現したという神である。これらの神々は造化の三神とされ、ともに「独神(ひとりがみ)」として成って身を隠したとされる。
 どこか道・太極と陰陽を思わせるところがある。これらの三神は、天之御中主之命が原理的・根源的な神であり、タカミムスビとカミムスビは、その神を本体とする作用、その陰陽の両面と考えることが出来ると思う。
 このうちタカミムスビだけは、神話の中で非常に活動的である。身を隠したといいながら、高天原で活躍する。そこで、私は、原理的・根源的な神の働きの顕在面、陽を象徴したものと考えている。

 天孫降臨の前に行われたアメノオシホミミ、アメノオヒノカミ、アメノワカヒコの派遣やその失敗への対処は、「タカミムスビと天照大神」が共同で行っている。しかも、タカミムスビを先に書いて「タカミムスビと天照大神」としている。普通は先に書く方が偉いか、年長か、男性だったりする。また、記述の全体からもそういう印象を受ける。
 ニ神は共同で高天原の神々を集めて評議を行う。天照大神は、タカミムスビとともに神々を招集し、他の神々に相談をするのである。天照大神は、単独で始原の母神のように存在してはいないのである。また、この評議において知恵を働かせるオモヒカネノカミは、タカミムスビの子とされている。天照大神のブレーンである。


 タカミムスビは造化の際に高天原に表われた神であるから、神々の系譜では天照大神の祖先に当たる。天照大神の祖神のようでもあり、同時に現存する親族のようでもある。天照大神は、このタカミムスビなくして単独で、高天原や葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治しているのではない。
 そのうえ、先に書いたが、タカミムスビもまた造化三神の一柱であって、単独では存在しない。「天之御中主之命 → タカミムスビ → 天照大神」という神意の経路が隠れているような気がする。天之御中主之命が原理的・根源的な神としてあって、その活動の顕在面がタカミムスビとして象徴され、天照大神に働きかけていると想定できるわけである。
 原理的・根源的には、天之御中主之命を最高・中心にすえないと、日本神話は総合的に理解し得ないと私は考える。そもそも天之御中主之命は、「天の中心、宇宙の中心」をそのまま名としている。世界に広く見られる「中心のシンボリズム」では、中心は生命の本源、万物の根源、宇宙の始原、不動の動者、ゼロにして無限大等を象徴する。

 以上のような私見は、神話についての一つの解釈を述べるものに過ぎない。神話的想像力に領域にこのような試みが有効かどうかも定かではない。象徴的なるものには、しばしばいくつもの意味が凝集・重合される。単純な分別は、象徴の生命や価値を損ねる。
 ここに理解していただきたいのは、ただ一点、天照大神は、単独自立の最高神・主宰神ではなく、また原理的な母神・女性神ではないということである。

 もうひとつ、スサノオノミコトとの関係を補足しておきたい。スサノオは高天原を追われて、出雲に降り立ち、ここでヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚して子孫を産む。その子孫にオオクニヌシノミコトが現れる。天照大神は葦原中国にニニギノミコトを遣わして、遂に日本を統治させることに成功する。この際、国をゆずったのが、オオクニヌシであり、出雲に巨大な社をつくって、オオクニヌシを祀ることを約束する。これが出雲大社の起源とされる。
 古代から今日まで、わが国の神々の世界は、天照大神を中心とした伊勢神宮の系統と、スサノオ・オオクニヌシを中心とした出雲大社の系統が並立している。しかも対立しているのではなく、伊勢系が出雲系を尊重する関係にある。神無月つまり陰暦10月には、神々が出雲大社に集まり、諸国には居なくなるといわれる。
 伊勢系が女性神を祀るのに対して、出雲系は男性神を中心に祀っている。前者が「この世」、後者が「あの世」を統治しているとも考えられる。この二系統の並立もまたわが国の不思議な伝統であり、社会的現実である。

 神話に関する話が長くなった。話を主題に戻すと、田中氏は、皇室の祖神は天照大神、女神であり、日本の国体の原理は天照大神がニニギに下した神勅にあるという。これは確かなことではある。だが田中氏が、皇室の祖神が女神だから女系継承も容認される、万世一系という歴史的事実よりも「より重要な原点」である神勅は女神が下したものだと、駄目を押し、そこから女系継承も容認だとすると、「田中先生、そう簡単にはいきませんよ」と私は申し述べたいのである。記紀そのものが、複雑な記述に満ちているからである。専門家が読んでも素人が読んでも、記紀自体にそう書いてある。それが言いたくて、天照大神を中心に神話の世界について書き連ねてきたわけである。

 重要なことは、現在問題となっているのは、皇位継承の伝統だということである。皇位継承の伝統が問題なのだから、話を神話にまで広げる必要はなく、神武天皇以降の伝統を確認することに論点をしぼるべきだろう。神武天皇は「人代」の巻に書かれている。そこからは、歴史として検討することができる。

 皇位継承の伝統に照らして考えるならば、男系継承の堅持という一貫した事実が明白である。そして決定的に重要なことは古来、歴代天皇は祭祀においては女神・天照大神を祀り、その霊威を受け継ぎ、神意をうかがいながらも、皇位継承においては男系継承を一貫して堅持してきたのである。女神だから女系も良いなどとは、考えなかった。男系継承のために、あらゆる努力をし、一筋の男系を守り続けてきた。
 今日の皇族の構成の実態に合わせるために、この原則を安易に曲げ、その論拠を神話に求めるのは、不適切である。皇位は男系継承が伝統なのであり、伝統を伝統としてそのまま受け継いで、男系継承のために最大限の努力をすることが、日本人のまずなすべきことと思う。
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7.血統・男系・女系の概念に混乱?


 世界で唯一、日本の皇室でのみ続けられてきた男系継承の伝統を堅持しようと考える人たちは、戦後、臣籍降下した旧宮家に、男系男子が多くいることに注目する。男系男子ということは、神武天皇の血を引く男子ということである。
 これに対し、田中氏は、「神武天皇以降の子孫の数は、ただに1億くらいではすまない」と言う。男系継承堅持派が旧皇族に限って話しているのに、国民全体に話しを広げて、傍系の男系男子の存在の価値を低めんとしているかのようだ。
 男系継承については、遺伝学の専門家から男から男にしか伝わらない「Y染色体の継承」という事実が指摘され、皇室の伝統を理解する補助となっている。しかし、田中氏は、Y染色体について、「極最近の生物学の発見で、古来の日本の歴史や伝統とは何の関係もない」と否定する。

 田中氏も論文で引いているが、9世紀初めのわが国最古の系譜集「新撰姓氏録」は、皇別つまり天皇家から分かれた家を335氏と数えている。相当の数である。皇別には、源氏、平氏、橘氏などが含まれる。
 皇別の男子と皇族・旧皇族の男系男子は、理論的には神武天皇の血を引いていると考えられる。これらの男性は、言うところのY1染色体を受け継いでいる可能性がある。田中氏は「1億くらいではすまない」と言う。しかし、人口から見て、日本の男性は全部で6千万人ほどなのだから、田中氏の数字の挙げ方は、おかしい。数字を出すなら古代と現代における神武天皇の子孫が人口に占める比率を統計的に試算して出すべきだろう。そうでなければ、ただの目くらましである。

 歴史が示しているのは、実際に皇位継承者に選ばれるのは、その折々に歴代天皇に近い男系の男子であった。単に神武天皇の血を引いているということではない。はるか昔に皇族から分かれ、家臣・人民となった者は対象にならない。最低条件が男系の血統の継承だとすると、親族内の近さが次の条件となって選択されていたのである。そのうえで、天皇となるにふさわしい適性がこれに加わっていたと考えられる。

 過去の傍系の例は、最大限離れて10親等である。その例である継体天皇は、天皇となる前は「王」と呼ばれる身分だった。遠い傍系とはいえ、社会的な階層が皇室に近いところにいた方だったわけである。
 戦前まで多数の宮家を設けてそこから皇位継承候補者を出せるようにしてきたのも、親族の範囲を限り、その内の近さを重んじたからだろう。田中氏のように神武天皇の子孫なら誰でも対象となるというなら、わざわざ宮家や世襲親王家を設ける必要もないではないか。
 伏見宮系の旧宮家は40数親等離れてはいるが、戦前までは宮様として国民に親しまれ、また明治天皇の皇女や昭和天皇の皇女が嫁がれている。戦後も「菊栄親睦会」で皇室と親戚づきあいをされているという。一般の国民とは、社会的階層が異なるわけである。
 それゆえ、田中氏のように神武天皇以降の子孫の数は、ただに1億くらいではすまない、Y染色体の話も意味がないという論は、史実の一部しか見ず、また皇族及び旧宮家の現実を見ていないものだと思う。男系継承を堅持すべきという論を排斥するために、親族内の近さという重要な条件を隠し、旧皇族の存在を排除するための意見でしかないと思う。

 さらに田中氏は、不可解なことを言う。「外国人が皇室に対して敬意を表するのも、また日本人が皇室を誇りとするのも、神武天皇の建国以来の、皇族の籍を有せられる一系の天子が、千数百年にわたって、一貫した統治者であり、他系(皇族以外の諸氏)の権力者が帝位を簒奪したことがないという、世界にも類を見ない歴史の事実にあるのであって、皇統が“男系”とか“女系”という血統のせいではない」と。
 歴史の事実として、一系の天子が、一系であり続けてきたのは、男系継承だったから可能であった。そのことを、田中氏は理解しているのだろうか。私は首かしげている。上記の引用は「皇族の籍」としか言っていないからである。そのうえ「血統のせいではない」とまで言うのだから、理解に苦しむ。

 わが国では、一系の天子が一貫した統治者であり、帝位の簒奪がなかったという事実の結果、一系の血統が保持されてきた。また、簒奪が行われなかった歴史を見ると、一系の血統に伴う侵しがたい権威が、時の権力者の権力欲を抑えた。血統という要素は、皇統に不可欠の要素である。そして、その血統とは、男系で継承されてきた血統である。
 田中氏は、男系継承による一系の血統の権威や価値を引き下げて、相対化しようとしているかに見える。
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8.「姓なき易姓革命」を誘発する危険性

 

田中氏の男系・女系の概念は、何度読み返しても、私には理解しがたい。定義の違いだろうか。いや失礼ながら、氏自身が混乱しているのではないかと疑う。特に問題なのは、次の箇所である。
 「女帝(乙)の場合にはーー皇婿――この方が皇族(後述の旧皇族を含む)であっても――その間に生まれた御子は「女系の男子(A)」または「女系の女子」となる。
‥‥‥「女系の男子(A)」であっても、後に即位せられて「天皇」となり、娶られた皇妃(皇族出身者以外を含む)との間に「男の御子(B)」が生まれて、そのお方(B)が皇位につかれると、この系統は母方にあたる女帝(乙)の血をうけておられるので、古来からの皇族の継承と見て、皇位は再び「男系」にかえると考えてもよい」

 ここにおける田中氏の理解は混乱していると思う。男系とは、一般に男子の系統、男の方の血筋をいう。女系とは、一般に女子の系統、女の方の血筋をいう。皇位継承者における男系とは、父方を通じて歴代天皇に連なる系統である。男系の男子・女子は、父→父→父とたどると必ず神武天皇にたどり着く。これに対し、女系とは、母方を通じて歴代天皇に連なる系統を意味する。皇室では過去に女系の天皇は例がない。

 過去の女帝は寡婦か独身であり、在位中に結婚した例はない。仮に新たな例として、女帝が皇婿を迎えた場合、その方が旧皇族の男系の男子であれば、その間に生まれた子は「男系の男子」である。傍系ではあっても、この子の父は、その父→そのまた父と、父から父へと男子の系統をさかのぼれば、歴代天皇につながる。だから、この子は「男系の男子」である。また、この子は、父が男系の男子、母も男系の女子という「男系の男子」なのである。
 ところが、仮に皇婿が一般の民間人である場合は、まったく系統が違う。その子は、母を通じて歴代天皇につながってはいても、父方は別の家系だからである。この子は「女系の男子」である。  
 田中氏は、この明確に違う二つの事例を区別していない。それゆえ、私は、田中氏は、男系・女系の理解が混乱しているのだと思うのである。

 また、氏は、主張の後半で、「女系の男子」が即位し、皇族以外から皇妃を娶られ、そこ生まれた男子が皇位につけば「母方にあたる女帝」の血をうけているから、皇統は「男系にかえる」という。この論は、その混乱の表れだと思う。
 たとえば、愛子様が独身で女性天皇となられ、民間人の佐藤氏とご結婚され、男子が誕生されたとする。この「女系の男子」が次の天皇となったならば、これは女系継承となる。しかし、田中氏は、その女系の男性天皇が、民間人女子とご結婚され、そこに生まれた男子が次の天皇になれば、それは「男系にかえる」ことなのだという。これは、おかしい。
 その男子は、父は天皇ではあるが、祖父は民間人であり、曽祖父・高祖父等とさかのぼっても、歴代天皇にはつながらない。これを「女系の天皇」というのである。そして、厳密に言えば、佐藤氏と愛子様の子である「女系の男子」が天皇となった時点で、従来の皇室とは異なる家系に、皇位が移ったと見なしうる。だから、皇室の伝統を尊重する日本人は、女系継承に反対するのである。
 田中氏が「男系にかえる」という時の「男系」とは、歴代天皇とは異なる新たな男系であり、実質的に佐藤家に王朝が交代したと考えられるのである。皇室にはもともと姓がない。佐藤氏は皇婿となった時点で、佐藤という姓を失う。しかし、姓はなくなっても、佐藤氏を父とする子が皇位を継いだならば、これは佐藤王朝に移行したのと、同じ意味を持つのである。

 田中氏は、女系継承に反対する者が、何をもって女系とし、何をもって女系継承としているかを把握していない。それは、この当代有数の歴史学者が、皇位継承の歴史そのものを正しく理解していないためではないか。それとも、わかったうえで、国民を欺くために、敢えて異説を流布しているのか。
 なぜわが国の皇室は、皇統の危機において、田中氏が容認するような女系継承をしてこなかったのか。直系の男子に適当な候補者がいなければ、直系の女子ではなく、傍系の男子に候補者を求め、8親等、10親等の遠縁であっても、由緒のしっかりしている男系の男子で、また適性のある方を天皇に迎えたのである。

 田中氏の理論を、藤原不比等や平清盛、足利尊氏らに教えたならば、そんな考えがあったのかと、彼らはやすやすと皇位を手に入れただろう。まず女帝を立て、自分の息子をその婿とし、生まれた孫を天皇にすれば、よいからである。その天皇にさらに一族の娘を嫁がせる。表面は姓のない皇室が続いている。しかし、実質は別の王朝に移行している。そして、皇室の権威をわがものとした権力者は、わが国の歴史上見られなかったほどの絶大なる権力を掌中にしたに違いない。
 田中氏の理論は、皇位簒奪を正当化する「姓なき易姓革命」の理論とさえなっているのである。

 田中氏は、女系継承の容認に心が傾くあまり、迷妄に陥っている。私はそう言わざるを得ない。
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9.無礼で容共的な吉川座長を弁護


 田中氏は、戦後の歴史学界ではごく少数派の愛国的・尊皇的な学者である。共産主義や日教組を批判する活動もしてきた。その田中氏が、有識者会議の構成や姿勢を擁護している。これまた迷妄と言わざるを得ない。

 昨年秋、三笠宮寛仁親王殿下が、皇室典範の改正について慎重な検討を求めるご発言をした。これに対し、有識者会議座長の吉川弘之氏は、「どうということはない」と答えた。失礼、無礼と感じた人は多い。ところが、田中氏は、『諸君!』3月号の論文で、「吉川座長の真意を公正に理解せよ」と言う。そして、吉川氏が『小泉内閣メールマガジン』に特別寄稿した文章を引いて、「深甚な配慮と苦渋がにじみ出ており、反対論者の非難が、いかに皮相で軽率であるか、明らかであろう」と弁護する。

 確かに引用された吉川氏の言葉には、皇室制度に関わることは「恐れ多いことだという念にとらわれないわけにはいかなかった」「古来の歴史の変更であるという意味で、言葉には言い表せないほどの自問自答を繰り返した末の提案だった」「様々な歴史観や国家観を踏まえながらも、その中の特定の立場に基づく議論は差し控えるという態度をとった」「特定の思想を前提としない、その意味で中立的な立場で検討するという条件を自らに課していた」等という言葉が並んでいる。
 田中氏はこのような吉川氏の言葉を、言辞のままに読んで、そこに「真意」が表われていると理解している。しかし、人の言葉というものは、言辞のままに取ることが、「皮相で軽率」となる場合もある。
 孔子は「巧言令色に仁すくなし」と説いた。巧みな言葉や穏やかな顔色は、かえって真意を包み隠す場合があるものである。そして、真意というものは、推敲を重ねた文章よりも、とっさの場合の応答に露呈するものだ。寛仁殿下のご発言に「どうということはない」と答えた吉川氏の態度や姿勢に、傲岸不遜、失敬なものを、多くの人が感じたのは、なぜなのかを田中氏は考えるべきなのである。

 また、吉川氏は、「特定の思想を前提としない、その意味で中立的な立場で検討するという条件を自らに課していた」と書いているが、一方で「憲法が女性・女系天皇を認めている」「報告書は憲法に従った」のだと吉川氏は発言している。ここに有識者会議が依拠した「特定の思想」がある。それは、日本国憲法の思想であり、より正確に言えばその偏った解釈である。
 皇室問題に関し、憲法解釈のポイントは、主権在民と男女平等にある。日本国憲法においては、「天皇」の章と「国民の権利と義務」の章は区別されている。左翼的な学者はこの区別を排除し、皇族と国民の差異をなくそうとする。そして、日本国憲法を共和制の憲法に限りなく近く拡大解釈し、その解釈に合わせて、現実を変えようとする。それが、「主権在民」による皇位継承の伝統の変更であり、「男女平等」による女性・女系天皇の肯定なのである。その先にあるのは、天皇・皇族そのものの否定とジェンダーフリーの推進である。
 吉川座長は、こうした左翼的・フェミニズム的な憲法解釈に親和するような、ものの考え方を持ってはいないか。

 このロボット工学の権威は、昭和27年から31年の大学在学中には学生運動をやっていたという。その頃の学生運動は、共産党の青年組織(民主青年同盟)しかなかったことから、当時の吉川氏は共産主義または容共的な思想を抱いていたと見られる。スターリンを信奉していたという情報もある。
 若い時に共産主義の影響を受けたが、後にその誤りに気付いて、共産主義批判に転じた人間は多い。しかし、吉川氏は、そうではない。共産党の機関誌『赤旗』によく記事を寄せていたという。
 また、吉川氏は日本学術会議の会長だったときに、『男女共同参画社会〜キーワードはジェンダー』という本を刊行した。執筆者には、上野千鶴子氏らの過激なフェミニストも名を連ねている。

 このような人物が「われわれが、新しい歴史をつくる」とか「新しい皇室制度の制度設計をする」と言うとき、その背後に「特定の思想」があると考えるのが、「真意の公正な理解」ではあるまいか。
 吉川氏が『小泉内閣メールマガジン』に書いた文章のみをもって、「反対論者の非難が、いかに皮相で軽率であるか、明らかであろう」と弁護する田中氏は、自分が「いかに皮相で軽率であるか」、気付いていないようである。

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10.有識者会議は確かに素人ばかりではない


 田中氏は、吉川座長を擁護するだけでなく、有識者会議を「素人呼ばわりするのは失礼ではないか」と言って、有識者会議の構成を支持する。小堀桂一郎氏、大原康男氏、八木秀次氏ら女系継承に強く反対する人たちは当初、有識者会議のメンバーを「素人集団」であり、皇室問題の専門家が誰もいないとして、その人選を批判していた。この批判が甘く、また不適当だったことを、既に多くの人が明らかにしている。


 田中氏は、有識者会議は素人ばかりではない証拠として、まず笹山晴生氏を挙げる。笹山氏は「東大国史学科の名誉教授であり、後に学習院大学で教授をして皇太子殿下にご進講された経歴をもち、皇室史にも通じた有名な学者」だと。

 確かに有名な学者である。同時に、私は笹山氏の名を歴史教科書の執筆者として知っている。歴史教科書の執筆30年というプロである。自虐的な内容で問題になった教育出版の中学校用歴史教科書の執筆者の一人である。高等学校用の山川出版社の『詳説日本史』の執筆者でもある。山川の最新版は、南京事件について犠牲者数に「40万人」という誇大な数字を挙げ、物議を醸(かも)した。近現代史の部分は、笹山氏の専門の古代史の部分とは関係ないと思うかもしれないが、一冊の教科書は、複数の著者による共著であり、共著者は内容全体に責任がある。

 田中氏は、かつて戦後の偏向した歴史教科書を批判して、独自に日本史の教科書を執筆した。扶桑社の教科書がつくられる遥か以前である。画期的な業績と私は評価していた。その田中氏が今は、自虐的な教科書の執筆者を褒め称えている。この変化はなぜか。有識者会議の報告を支持するためである。皇室を守るためには、女系継承容認しかない。女系継承をできるようにするには、共産も自虐も関係ない。田中氏はこのように考えたのであろうか。


 田中氏は、メンバーのうちもう一人、園部逸夫氏を上げる。素人ではないと。

 園部氏は、筑波大学教授・最高裁判事等を歴任した法律家である。平成14年4月に、園部氏は『皇室法概論』という大冊を出版した。確かに素人ではない。ないどころか、皇室に関するある分野の権威である。田中氏は、本書につき「今回初めて繙読し、その労作に敬服した」と書いている。

 問題は、園部氏の経歴や思想である。園部氏は、最高裁判事の時代、平成7年2月の最高裁判決で、外国人参政権付与につき、本論で違憲としながら、傍論に永住外国人に地方参政権を与える法律をつくることは「憲法上禁止されているものではない」と書いた人物として知られる。この傍論を根拠に、外国人参政権付与の運動が活発化した。

 園部氏は、共産党系のオンブズマン運動や住民訴訟を拡大合法化する法制度づくりで、原告適格性の拡大に努め、自衛隊・米軍基地反対闘争などに尽力したことがわかっている。また、偏向教科書を象徴する家永教科書裁判では、家永三郎氏に与する発言をしていたことも。

 園部氏は、日本国憲法の一定の解釈のもとに、自衛隊と米軍基地に反対し、外国人地方参政権付与は違憲ではないと主張するのである。このような人物が、自分の憲法解釈を皇室のあり方に当てはめれば、そこに出てくる方向は明らかであろう。専門家は、有識者会議の報告書の内容は、園部氏の『皇室法概論』そのままであると指摘している。


 有識者会議の本当の中心は、吉川座長ではなかった。古川貞ニ郎前官房副長官と、この園部逸夫氏だった。彼らは、平成9年に宮内庁で始まった皇室典範改正のための研究会のメンバーだった。そして、研究会で準備した案は、平成13年に内閣法制局によって、法案として立案され、公表された。有識者会議は、下準備が十分できたところで、“民主的な手続き”を踏むために、選考されたのである。そして、古川氏と園部氏は、この有識者会議のメンバーに入った。園部氏は有識者会議の座長代理を務めた。


 官僚の中では、古川氏が中核という見方がある。古川氏と羽毛田宮内庁長官は、厚生省時代の上司と部下であり、古川氏が羽毛田氏を宮内庁のトップにすえた。ここに「隠れ学会員」という怪文書の出た風岡次長が加わる。夫人が熱心な学会員だと伝えられる。古川氏がリードして、羽毛田氏・風岡氏らが、女帝・女系容認の皇室典範改正の青写真をつくった可能性がある。さらにその背後に司令塔があるのかも知れない。

 古川氏は、村山首相が戦後50年の年に出した「植民地支配と侵略によって」等の談話を、「日本政府の基調を明確にしたもので、高い歴史的価値がある」と評価しているという。また、新たな戦没者追悼施設の建設に賛成だという。皇位継承のあり方を検討するには、不適切な思想の持ち主であろう。

 この官僚たちに協力し、または官僚たちを理論的に指導したのが、園部逸夫氏であろう。ページの頭へ

 

11.国民を代表しない偏った人選

 

有識者会議の残りのメンバーについて述べる。

佐々木毅氏は、東大の元総長・名誉教授で、政治学、西洋政治思想史が専攻。マキャベリに始まり、ジャン・ボダン、プラトン等の政治思想を研究。現代アメリカの政治思想やわが国の政治を論じる。なまなましい政治の研究家であって、政治を超越した皇室制度についての学識には疑問を覚える。

岩男壽美子氏は、男女共同参画審議会の会長をしたフェミニストである。皇室問題に男女平等を主張した可能性が高いと思われる。吉川座長は、フェミニズムの本を出しているから、岩尾氏の意見と親和するだろう。

緒方貞子氏は、国際協力機構理事長、婦人問題企画推進会議委員、国連人権委員会政府代表等を歴任した。わが国が世界に誇りうる人物と評価されているが、ファッショ的な悪法と反対の多い人権擁護法案の推進者である。

佐藤幸治氏は、憲法学の権威だが、日本国憲法は「革命憲法」であるとし、「個人の尊厳」を重視する解釈を説く。また、「真に日本国憲法の原理に基づいた新しい国家社会をつくり、この国の形を変えないといけない」という意見を表している。園部氏の皇室法理論を、憲法学の立場から補強した可能性がある。

奥田碩氏は、日本経済団体連合会会長である。実業界からもメンバーに入るのは良いことだが、奥田氏は、小泉首相に靖国神社への参拝を取りやめるよう進言している。中国とのビジネスにマイナスになるからである。日本人の誇りや国益よりも、経済的利益を優先する考え方を表している。

最後の一人、久保正彰氏は、東大名誉教授で、古代ギリシア・ローマ文学の専門家である。古代ギリシア・ローマ文学は、わが国の皇室の問題を検討するのに、何の関係があるのだろうか。古代国文学の研究家ならわからぬでもないが。

 

先に触れた吉川氏・笹山氏・園部氏・古川氏を含め、以上10名が有識者会議のメンバーである。

田中氏は、この人選を「国民全体を代表する規準で、各分野の重鎮を選考した人事である」と言うのだが、そうは思えない。共産主義・社会主義・フェミニズムの思想を持つか、それに同調する人間が多くを占めていることは、驚きであろう。

私は、現行の皇室典範に定める男系男子や男系継承の維持を主張する学者・専門家が含まれていないことに、異常を感じる。有識者会議の人選は、注意深く、女帝・女系容認の人間またはそれに反対しないようなタイプの人間を集めたとしか、私には思われない。

 

ところが、田中氏は、次のように言う。「メンバーにレフトの思想家が交じっていると問題にするむきもあるが、仮にそうであるとしても、国民全体を代表する規準で、各分野の重鎮を選考した人事であるから、左右の立場を含めた「有識者会議」であっても当然であって、別に非難には値しない。むしろそれらの人々が自ら左右の立場をこえて、満場一致でまとめられている「報告書」にこそ、重要な意義があると言えよう」と。

田中氏の迷妄は、ますます深い。「国民全体を代表」と言いうるのは、唯一国民規模で選挙を行った場合のみである。氏は近年、各種の審議会の人選が大きな弊害を生んでいることを知らないのではないか。メンバーが「自ら左右の立場をこえて、満場一致でまとめられている」と田中氏は賞賛するが、吉川氏、園部氏らは、左の立場をこえてではなく、左の立場を貫いて、「満場一致」を作り上げたと見るべきだろう。

 
 昨年秋、有識者会議の報告書が発表された後、皇室典範の拙速な改正に反対し、慎重な審議を求める声が高まった。インターネットの世界では、急速に問題点が知られた。反対意見・慎重意見は、すごい速度で国民の間に広がっている。国会議員で、拙速な改正に反対する署名をした議員が、183名(平成18年2月10日現在)にものぼっている。
 田中氏は、一部の官僚・政治家・学者が準備したシナリオに、安易に賛同しているとしか思えない。

 戦前は、軍部に迎合し、戦争遂行政策に積極的に協力した学者がいた。彼らは、国政の実態を知らぬまま国策に協力した。それがお国のためと思っていた。しかし、実際は、軍部は天皇のご意思を体してはいなかった。それどころか、天皇の御心に背き、天皇の権威を利用して専横を行っていた。
 当時と現在では、状況も内容も異なるが、上記のような戦前の学者と似たような精神構造を田中氏に感じるのは、私の思い過ごしであろうか。

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結びに〜迷妄を流布し晩節を汚す


 田中氏の迷妄は、まことに深い。氏は次のように書いている。

 「試案として改定案(第一条)だけ示しておく。「皇位は日本国憲法(第2条)にもとづく世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」。これは天照大神の神勅を現代文に直しただけで、真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」。


 氏はこの試案に「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」と言うのだが、私は反対である。氏の試案には重大な問題があるからである。「日本国憲法(第2条)にもとづく」という一節である。

 田中氏は、日本国憲法をGHQによる占領憲法であり、「ヤルタ=ポツダム体制」の一環として論じていたはずである。その占領憲法を、皇室典範の案文に入れている。皇位の世襲は、日本国憲法が初めて定めたことではない。明治の皇室典範は、第一条に「大日本皇位は、祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す。」と定めていた。世襲は、成文化した法令以前のものである。

 田中氏は「男系の男子」という限定をはずしたいわけだが、それならば、「皇位は世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」とすればよいのである。そこに敢えて日本国憲法を持ってくるのは、まことに奇異である。まさか日本国憲法が「革命憲法」であり、大日本帝国憲法及び明治皇室典範と断絶したものだという、左翼学者の見解へと転換したわけでもあるまいが。


 さて、田中氏は論文の最終節を「後醍醐天皇の御精神を仰ぐ」と題している。ここで田中氏は、後醍醐天皇の事績をあげ、南北朝対立の時代に触れる。そして、「北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。これに対して、後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」。」と述べて、「女帝・女系反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい」と結んでいる。

 不可解な結尾である。建武の中興で名高い後醍醐天皇であるが、後醍醐天皇は、「朕の新儀」として、女系継承を始めようとしたのだろうか。

 否、皇位継承については、男系継承を堅持されたのである。後醍醐天皇が行ったのは、古代の「延喜・天暦の治」(醍醐天皇・村上天皇の時代)のような治世をめざす改革であって、皇位継承のあり方の変革ではない。守るべきものは、命をかけても守り、変えるべきものは断固として変えるという姿勢で、改革を試みたのである。田中氏は、後醍醐天皇の言葉を引いて、女系継承の容認に援用するや見える。

 これは想像だが、「帝は女系でもよいのです。天照大神は女神ですから」などと申し上げたら、後醍醐天皇は目をむいて、「それでは、足利に朝廷を簒奪されるではないか!」と叱責されるのではなかろうか。


 本稿の最初に、田中氏は、今上天皇が女帝・女系容認という思い込みをしているのではないかと書いた。私は、後醍醐天皇を引く田中氏の論文の結尾に、再びこれを思う。

 田中氏は、後醍醐天皇と今上天皇を重ね合わせ、今上天皇は皇室の存続のために、女系継承容認という大改革をされようとしていると推測し、今上天皇が「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」と言わんとされていると想像しているのではあるまいか。

 もう一度言う。後醍醐天皇は、皇位については男系継承の伝統を堅持したのであって、女系継承の提起とは、何の関係もないのである。その何の関係もない後醍醐天皇の言葉を「心して拝聴するがよい」とは、今上天皇が決してお述べになるはずのないことを「ご意思」だと言って、風説を流している不敬の輩と、五十歩百歩であろう。


 「晩節を汚す」という言葉があるが、自分の名を地に落とすのは、自業自得である。しかし、国を憂える多くの善良な日本人を惑わせるのは、よろしくない。

 「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」などと発することの傲慢さに気付き、迷妄の説を取り下げてもらいたいものである。

 

参考資料

  田中卓著『女系天皇で問題ありません 寛仁親王殿下へーー歴史学の泰斗からの諫言』(月刊『諸君!』平成18年3月号、文藝春秋社)

関連掲示

・皇位継承に関する私見は、次の拙稿をご参照下さい。

拙稿「皇位継承問題〜男系継承への努力を

 

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