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  歴史再考

                       

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教科書を改善し、誇りある歴史を伝えよう

ー戦後教科書の歴史と教科書改善運動の歩み

2004.10.1

 

<目次>

はじめに

第1章 どうして教科書は自虐的になったのか

第2章 教科書改善の運動と反対の動き

第3章 歴史教育のあるべき姿を取り戻そう

 

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はじめに

 

戦後の歴史教育では、日本は悪い国として教えられてきた。特に昭和50年代から内容が悪化し、現在中学校の歴史教科書のほとんどは、明治以来の日本をアジアへの侵略者とし、日本の近現代史を犯罪の歴史のように描いている。子どもたちは、教室で、自分たちの父祖が他国を侵略し、人殺しをしたと教えられる。そのように教えられた子どもたちは、日本人は悪いことをしただと思い、国に誇りがもてなくなる。日本が嫌いになってしまう。祖先に対しても尊敬や感謝の気持ちがわかない。こうした子供たちは、道徳心が育たず、自己中心の考えとなる。その結果、自分を粗末にしたり、友達をいじめたり、さらには人を殺すような行動に走るようにもなるだろう。

なぜ、日本の教科書は自虐的な内容になってしまったのか。また、教科書の改善は、どのように進められているのか。そして、歴史教育は、どのようにあるべきなのだろうか。

戦後教科書の歴史と、教科書改善運動の歩みを振り返ってみよう。

 

 

 第1章 どうして教科書は自虐的になったのか

 

(1)戦後教科書を支配する東京裁判史観

 

大東亜戦争の敗戦後、6年8ヶ月にわたって占領がされた。アメリカ・イラク戦争と比べると異常に長い期間だとわかる。この間、いわゆる「民主化」が進められたが、占領政策の目的は、日本が再び米国の脅威とならないように、日本人を精神的に骨抜きにすることだった。一言で言えば、日本の弱体化である。日本の伝統・国柄・教育・家庭等を破壊する政策が推し進められた。その結果、日本人の多くは、国に誇りを失い、自信喪失に陥ってしまった。

占領政策において、特に歴史教育に重点がおかれた。それまでの日本人の歴史観は否定された。GHQは、昭和20年12月から、アメリカ中心の歴史観である「太平洋戦争史観」を新聞に連載し、日本人に植え付けた。連載は本となり、全国の学校に配付され教え込まれた。また、ラジオ・ドラマ化されて、『真相はこうだ』という番組で全国に放送された。このキャンペーンは、日本人に戦争の罪悪意識を植え付け、日本人から過去の歴史を断ち切る効果をもたらした。(1)

これをさらに補強したのが、東京裁判の判決に基づく東京裁判史観である。東京裁判史観とは、戦勝国として日本を裁いたアメリカの太平洋戦争史観、ソ連のマルクス主義階級闘争史観、中国の抗日民族解放史観の混合物である。これこそ、戦後の歴史教科書の基本的な内容となっている歴史観である。(2)

 

(1)拙稿「日本弱体化の秘密計画」をご参照ください。

(2)拙稿「日本弱体化のための東京裁判」をご参照ください。

 

(2)左翼は青少年教育を重視し、教科書の左傾化を図った

 

その後、占領期間が終わっても、日本人は自らの歴史観を取り戻し、これを青少年に教える努力を怠った。その隙を衝いたのが、共産主義者・社会主義者だった。左翼は、教育を重視した。

昭和20年、当時日本共産党の幹部だった志賀義雄氏(のちに追放)は、次のような趣旨のことを語ったことが知られている。「武闘革命など不必要だ。共産党が作った教科書で、社会主義を信奉する日教組の教師が反日教育を施せば、30〜40年後には、その青少年が日本の指導者になる。その結果、教育で共産革命が達成できる」と。(雑誌『センボウ』)

特に重点が置かれたのが、歴史教育である。左翼の学者が歴史教科書の執筆を主に担当してきた。また、左翼政党の指導を受けた日教組は、平和教育・民主教育の美名のもとに、自虐的な歴史観と唯物史観を青少年に教育し、革命を担う次世代を育成しようとした。そうした教育を受けた世代が、60年安保や、昭和40年代の大学紛争、70年安保等で左翼運動に駆り立てられた。

左翼は、教科書の内容に自分達の主義・主張をより強く盛り込もうとした。これに対し、文部省(現在の文部科学省)は検定制度に基づいて、偏向記述を是正してきた。こうした中で、検定制度に反発して起こされたのが、家永教科書訴訟だった。家永三郎氏(元東京教育大学教授)は、占領下のGHQによる歴史教育に協力した学者の一人だった。その後、家永氏は、左翼的な色彩の強い高校教科書『新日本史』を執筆者していた。当然、文部省は厳しい検定を行った。これを不当として、家永氏は昭和40年(1965)に第1次訴訟を起こした。その後も、第2次訴訟、第3次訴訟と続け、国による検定制度が違憲であると主張した。

 

(3)昭和50年代、文部省が日教組と妥協的に

 

戦後、文部省と日教組の角逐のなかで、昭和50年代を迎える。昭和50年には、戦後30年となった。戦後教育を受けた世代が、社会の中堅を占めるようになり、省庁でも実務の中心となってきた。その影響もあるのだろうか、昭和50年代に入ると、文部省が段々日教組と妥協する傾向を示すようになった。

特に大きな変化として指摘されるのが、昭和52年の学習指導要領の改訂である。昭和43年に文部省が作った「小学校学習指導要領・社会」の第6学年の部には、次のような「内容の取り扱い」に関する指摘があった。「天皇については、日本国憲法に定める天皇の国事に関する行為など児童に理解しやすい具体的な事項を取り上げて指導し、歴史に関する学習との関連も図りながら、天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすることが必要である」「わが国の歴史を通じてみられる皇室と国民との関係について考えさせたり、貴重な文化財の尊重、保護が国民全体のたいせつな歴史的責任であることを自覚させたりするよう配慮する必要がある」。ところが、昭和52年に、指導要領が全面改訂されたときに、すべて削られた。

また、文部省は53年に、学習指導要領(※学年・教科など詳細不明)から以下の部分を削除した。「家庭の役割、社会および国家のはたらきなどそれぞれの特質を具体的な社会機能と結びつけて正しく理解させ、家庭、社会および国家にたいする愛情を育てるとともに、自他の人格の尊重が民主的な社会生活の基本であることを自覚させる」「われわれの生活や日本の文化、伝統などはすべて歴史的に形成されてきたものであることを理解させ、わが国の歴史や伝統に対する理解と愛情を深め、正しい国民的自覚をもって国家や社会の発展に尽くそうとする態度を育てる」

こうした学習指導要領の改訂が、その後の歴史教育をゆがめていくことになった。

 

(4)昭和57年の教科書誤報事件と近隣諸国条項で教科書が悪化

 

昭和57年(1982)、それまでの教科書検定制度を揺るがす事件が起こった。歴史教科書「書き換え」誤報事件である。

昭和57年6月26日から27日にかけて、昭和58年春から使用する高校用教科書の検定に関する記事が各新聞に大きく取り上げられた。朝日・毎日等の新聞が、教科書の原稿で「中国への全面侵略」「華北への侵略」と表現されていたものを、文部省が「進出」へと表現を変えさせたと報道したのである。これを受けて、中国は7月20日付けの「人民日報」で日本の文部省を追求する記事を載せ、韓国でも東亜日報、朝鮮日報などが激しい対日非難の記事を掲載した。こうして本来、内政問題である教科書問題が、瞬く間にアジア各国の外交問題へと発展した。中国外務省は、日本の文部省は歴史の改ざんをしていると正式に抗議し、韓国議員連盟も記述訂正を要求してきた。

  ところが、教科書検定において「侵略」を「進出」に変更させたという事実はなかったのである。書き換えさせられた教科書は1点もなかった。そのことを渡部昇一上智大教授が、フジテレビのテレビ番組『竹村健一 世相を斬る』で指摘した。続いて、『週刊文春』9月9日号が取り上げた。渡部氏は月刊『諸君』に「歴史的大誤報から、教科書騒動は始まった」と題する論文で、事の経緯を書いた。これに対し、産経新聞などは、報道に誤りがあったと謝罪した。北京政府をはじめ、アジア各国は、書き換えは無かった、という事実が明らかになると、それまでの抗議を引っ込めた。

これで、事態は収束へ向かうかと思えたが、鈴木善幸内閣の宮沢喜一官房長官は、その年の10月頃に予定していた首相の訪中が円滑に進むようにするために、中国等に安易に謝罪したのである。宮沢官房長官は「政府の責任において(教科書の記述)を是正する」「今後の教科書検定に際しては‥‥検定基準を改め、前記の趣旨(近隣諸国との友好、親善)が十分実現するように配慮する」という宮沢談話を発表した。

事はすべてマスコミによる誤報だった、と明らかになっているにもかかわらず、宮沢談話に基づいて、文部省教科書検定基準の改訂作業が行われることになった。そして、昭和57年11月、検定基準に「近隣諸国条項」が加えられた。「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」という条文である。

従来、中国・韓国・東南アジアに関する「侵略」の表記には、教育的配慮などを求める検定意見が付されていた。それによって、自虐的・反日的な表現に一定の歯止めがかけられていた。しかし、「近隣諸国条項」追加後は、いっさい検定意見が付されなくなり、小中高の歴史教科書に「侵略」用語が野放し状態になった。南京事件や朝鮮における日本の土地収用政策、日本語使用、創氏改名などについても検定意見が付されなくなった。我が国がアジアで行ったとされる「侵略」行為や「加害」の側面のみが強調され、盛んに記述されるようになった。

こうして、教科書誤報事件と近隣諸国条項追加の結果、日本の教科書は、中国や韓国等の政府の抗議・要望によって、際限なく、書き改められていくという構造が出来上がった。これは、日本が、青少年の教育に関して、中国や韓国などの外国の内政干渉を認めることにしたことを意味する。

 

(5)昭和61年『新編日本史』が外圧で検定後に書き換え

 

「近隣諸国条項」によって、最初に問題にされたのが、高校の歴史教科書『新編日本史』(原書房、小堀桂一郎監修)である。

『新編日本史』は、「戦後の歴史教科書が自虐史観や反日史観などに偏向している現状を憂う執筆者が、誤った歴史観に束縛されない公正で客観的な記述で、生徒に歴史への誇りと自信を与えることを目的として編纂」したという。既存の教科書の記述を批判するだけでなく、新たな教科書を作成するという点で、「新しい歴史教科書をつくる会」に先駆けるものだった。

『新編日本史』は、一旦、文部省の検定に合格した。しかし、その後、中国・韓国の圧力により、超法規的措置によって追加修正をさせられた。

昭和61年5月27日、『新編日本史』は検定合格したのだが、6月7日以降、中韓両国が、『新編日本史』への非難キャンペーンを開始した。非難は、朝日新聞の記事がきっかけだった。新聞報道に呼応して中韓両国が日本政府へ抗議するという図式は、昭和57年の教科書誤報事件と一致する。

外圧に屈した文部省は、すでに検定に通った『新編日本史』を徹底的に書き直させた。書き直しは、南京事件を大虐殺にする、日華事変を侵略戦争とするなど、計137カ所に及んだ。この間、教科書検定に何の権限がないにも関わらず、外務省が『新編日本史』の書き直しを、指導したといわれる。

『新編日本史』検定後書き換え事件は、近隣諸国に関する近現代史の記述について、外国からの圧力によって教科書が変更されるという前例を作った。

『新編日本史』は昭和62年春から使われたが、採択校の低迷で出版社の原書房が撤退し、平成5年度検定(7年度使用開始)から『最新日本史』に書名を変え、国書刊行会から出版された。現在は明成社が発行している。

 

(6)平成2年実施の新検定制度の下、高校教科書が自虐ぶりを増す

 

平成2年から新検定制度が実施された。これによって、まず高校教科書が自虐的な内容を強めた。

 文部省が執筆者の意向を大幅に許容する姿勢に変化した。その結果、昭和40年の家永裁判の第1次教科書訴訟以来、争点となっていた大東亜戦争に関する偏向した記述が、フリーパスで素通りした。関東軍731部隊(細菌戦部隊による生体実験)、「南京大虐殺」、朝鮮人の強制連行、「従軍慰安婦」等の学界で論議を呼び、事実認識が確定していない事柄が、そのまま教科書に掲載された。

次に、中国を始め東南アジア各地に残虐な行為を行ったとする内容が大幅に増加し、検定意見がつけられなかった。また、アジアの犠牲者を「2000万人」する記述が、検定に合格した。「2000万人」とは、昭和6年(1931)の満州事変から終戦までの死者だという。これは根拠のない数字だが、検定をパスさせたことで公式に認知したことになった。

そして、『最新日本史』を除くすべての高校歴史教科書に「従軍慰安婦」が登場した。「従軍慰安婦」とは、戦前にはなかった言葉であり、実際、「従軍」した慰安婦というものは存在しない。慰安婦は民間の業者(朝鮮人が多い)が募ったものであり、契約は業者と個人の間で行われた商行為である。日本軍が強制連行したという説も、強制連行を証明する資料はない。また、サンフランシスコ講和条約や日韓基本条約等に基づいて、戦後賠償の問題はすべて決着している。国際法では、個人が外国を相手に補償を求めることは、認められていない。こうした事柄であるにもかかわらず、我が国の教科書には、元「従軍慰安婦」ら外国人戦争被害者個人への「戦後補償」は未解決の問題という趣旨の記述が急増した。

 

(7)謝罪外交・土下座外交が教科書に影響

 

平成に入ると、政治家の歴史認識に自虐的傾向が強くなった。平成3年に海部俊樹首相が、東南アジア訪問の際に、「過去の反省に立った歴史教育」を強調した。平成5年8月4日、河野洋平官房長官が、「慰安婦強制連行」説を容認する談話を発表した。同5年細川護煕首相が大東亜線戦争について「侵略戦争と認識している」と発言し、「戦後補償」の推進を決定した。各国と築いてきた戦後の国家間秩序をなし崩しにしかねない判断だった。

平成7年、わが国は戦後50年を迎えた。戦後世代が国や社会の指導層を占め、その世代の国家意識や歴史観・価値観が、国や社会の全般に支配的になってきた。この年、大東亜戦争に関する謝罪をしようという動きがあり、衆議院で戦後50年決議がされ、村山富市首相が謝罪談話をし、世界各国に「侵略謝罪」の手紙を送付した。

こうした政治家の歴史認識が、以前から国防の裏づけがなく弱腰になりがちなわが国の外交姿勢を、一層ゆがめていった。謝罪外交・土下座外交が顕著になった。またこうした政府の姿勢が教育行政に影響し、中学・高等学校の歴史教科書の内容を自虐的なものとした。文部省自らが日本の加害行為を強調する検定意見をつけるようになった。

平成に入って世界には大きな変化が起こっていた。20世紀の人類に大きな影響を与えた共産主義が矛盾・限界をさらし、平成3年(1991)にソ連が崩壊した。共産主義は、左翼の政党・学者・教師によって、戦後わが国の教科書に重大な影響を与えてきた。共産主義の破綻によって、教科書の内容は大幅に書き換えられるべきところである。ところが、冷戦終結後もわが国では左翼の学者らが教科書を書き続け、共産主義への反省や階級闘争史観の見直しはなされなかった。世界の現実と教科書の内容との違いが大きくなっていった。それとともに、東アジアでは、共産主義由来の国家群が依然として存在し、経済力をつけた国々が、わが国の謝罪外交・土下座外交につけこんで圧力をかけるようになり、教科書の内容に反日的な表現が多くなっていく。

 

(8)平成5年河野談話による「慰安婦強制連行」説容認が教科書に反映

 

平成6年以降の全高校教科書、平成9年以降の全中学校教科書に、「従軍慰安婦が日本軍によって強制連行された」という虚偽が書かれた。これは、平成5年8月4日の河野官房長官談話の結果、全教科書に「慰安婦強制連行」が載ることになったのである。

平成4年1月11日の朝日新聞の第一面の虚偽記事が、そもそものきっかけである。それは、「日本軍が、慰安婦を強制連行した」という内容のでっちあげ記事だった。宮沢首相は、この朝日記事が出た5日後の1月16日に、最初の外遊先である韓国訪問を間近に控えていた。この朝日新聞の虚偽記事の真偽を知らない宮沢首相は、韓国訪問して、韓国大統領とのたった1回の会談中、慰安婦について6回謝った。実は、この首相韓国訪問の時点では、日本政府は「慰安婦問題」について何ら調査していなかったのである。従って宮沢首相は、自分が慰安婦のどんな問題について謝っているのか、自分自身全く知らなかったのである。そして、翌年の平成5年8月4日の内閣総辞職前日、河野官房長官は、証拠がなかったにもかかわらず、「日本軍の慰安婦強制連行」を認めてしまった。

当時、官房副長官だった石原信雄氏は、この河野談話が、韓国との外交上の取引の結果であったことを、明らかにしている。石原氏は、当時、いくら公文書を調べても、強制連行の証拠は全くなかったと述べている。河野談話の最後の数行は河野さんの個人的な思い入れだと、その文書の事務的部分を作成した石原氏が証言。河野談話は、韓国政府と真剣に交渉することを放棄して、安易な妥協に走った宮沢内閣による過ちだったことがよくわかる。

 

(9)平成8年、中学教科書の「従軍慰安婦」が社会問題に

 

平成8年6月27日に公表された中学校の新しい歴史教科書は、大きな波紋を起こした。

最大の問題は、平成5年の河野談話の影響が現われたことである。全社の中学教科書に「従軍慰安婦」が登場した。「従軍慰安婦」は戦後作られた造語であり、日本軍が強制連行したという証拠資料もない。それにもかかわらず、中学生に対し、慰安婦にする目的で朝鮮人女性の強制連行が行われたと理解させるような記述が掲載された。「慰安婦」というような性的な事柄を、中学生に教える必要があるのか、国民的な議論が起こった。この記述は、「義務教育諸学校教科用図書検定基準」にある「児童生徒の心身の発達段階に適応し」「心身の健康や安全及び健全な情操の育成について必要な配慮を欠いている……ところはないこと」「未確定な時事的事象について断定的に記述しているところはないこと」という規定に違反している。(結局、平成13年の検定では「従軍慰安婦」という表現は姿を消した)

 史実と実証できない記述も検定をパスした。南京事件の犠牲者数を20〜30万とし、廬溝橋事件の発生日を7月7日とするなどの誤述が目立った。この表現の多くは、中国側、韓国側の主張を鵜呑みにした結果である。

また、新たに東南アジアでの日本軍の行為の残虐さを強調するものが増加した。全般に、教科書の執筆者自身が驚くほど、文部省による検定が緩やかになった。

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2章 教科書改善の運動と反対の動き

 

(1)「教科書が教えない歴史」が良識ある国民に反響

 

平成8年 (1996) 1月から平成9年8月まで、産経新聞に「教科書が教えない歴史」シリーズが連載された。自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝東大教授)の会員の執筆によるものである。連載の最大の狙いは、日本の近現代史の教科書や歴史教育をおおってきた自虐的な歴史観に対し、新しい史観を提示しようということであった。その史観は、明治以降、先の戦争に至るまでの日本の歴史を、他国への侵略と軍国主義一色の暗黒の時代と見るのではない。日本があの時代を生き延びるための「国づくりの歴史」としてながめ、その観点から評価すべき点は評価、批判すべきは批判するということだった。連載は予想を上回る反響を呼び、単行本化されると百万部を突破するベストセラーとなった。

 

(2)平成9年「新しい歴史教科書をつくる会」が発足

 

平成9年(1997)1月30日に「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・西尾幹二)が発足した。

「創設にあたっての声明」は次のように述べている。「歴史教育の問題は、先の大戦に敗れてから半世紀にわたり繰り返し論じられてきたにもかかわらず、その歪みが正されるどころか、近年ますます歪曲混迷の度を深めている。とりわけ、この度検定を通過した中学7社の教科書の近現代史の記述は、日清・日露戦争をまで単なるアジア侵略戦争として位置づけている。そればかりか、明治国家そのものを悪とし、日本の近現代史全体を、犯罪の歴史として断罪して筆を進めている。例えば、証拠不十分のまま「従軍慰安婦」強制連行説をいっせいに採用したことも、こうした安易な自己悪逆史観のたどりついた一つの帰結であろう。とどめなき自国史喪失に押し流されている国民の志操の崩落の象徴的一例といわざるをえない」「われわれはここに戦後50年間の発想を改め、『歴史とはなにか?』の本義に立ち還り、どの民族もが例外なく持っている自国の正史を回復すべく努力する必要を各界に強く訴えたい。われわれは日本の次世代に自信を持って伝えることのできる良識ある歴史教科書を作成し、提供することをめざすものである」と宣言した。

こうして、新しい歴史教科書の執筆が開始された。

一方、昭和40年から続けられてきた家永教科書裁判は、平成5年(1993)第1次訴訟の最高裁判決が下され、国の検定制度は「合憲」とし、家永氏が敗訴した。1980年代の検定の是非が争われた第3次訴訟は、平成9年(1997)8月に最高裁判決が下され、検定制度は合法とした上で、「南京大虐殺」「731部隊」などについては、検定意見を違法とし、家永氏の訴えの一部が認められた。なお、教科書裁判は、家永訴訟を引き継ぐ形で、高嶋伸欣琉球大学教授が平成5年(1993)に横浜地裁に提訴したが、平成14年(2002)5月の東京高裁判決で「検定意見はすべて適正」として、原告が敗訴した。

現在も、誇りある歴史教科書をつくろうという動きと、歴史教科書をもっと自虐的・反日的なものにしようとする動きとが、激しくぶつかり合う状況にある。

 

(3)平成12年〜平成13年『新しい歴史教科書』が波紋を起こす

 

平成9年より、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーは、平成14年度版の中学教科書の検定をめざして、中学歴史『新しい歴史教科書』と中学公民『新しい公民教科書』の執筆を開始した。発行所は産経新聞社系の扶桑社。教科書会社の寡占体制にある教科書業界に新たな出版社が参入する試みとなった。

検定中の教科書は非公開である。しかし、平成12年秋、扶桑社版の検定申請本(白表紙本)が外部に流出した。各地で批判宣伝攻勢がかけられ、週刊『サンデー毎日』12月10日号は、流出した本を元にした批判記事を出した。またも、中国や韓国から圧力がかけられた。さらに、教科用図書検定調査審議会委員(当時)の野田英二郎・元駐インド大使が、この教科書を不合格とするよう多数派工作していたことが明るみに出て、更迭された。

平成13年2月、扶桑社版の検定が通りそうだと分かると、朝日新聞は中韓両国に干渉と妨害を誘う一大キャンペーンを行った。以来、両国ことに韓国の干渉は、周知の通り日を追うごとにエスカレートし、青少年の交流中止だけでなく、地方自治体の長への、各友好都市市長からの扶桑社版不採択の要請、在日韓国人団体の直接的反対運動など、内政干渉の域をはるかに超える過剰な行動が相次いだ。

 平成13年3月、検定の結果、扶桑社を含む8社の中学歴史教科書が合格した。同時に、扶桑社版の中学公民教科書も合格した。

この時の検定で、それまで議論が分かれ、教科書に記載するのが適当かどうか批判のあった「慰安婦」、南京事件などについては、各社の教科書から全般的に記述が減少した。自由主義史観研究会の活動や扶桑社の教科書の参入の影響と見られる。歴史教科書発行の8社のなかで、「慰安婦」にふれたのは3社。現行の7社の教科書はすべてが何らかの形でふれていたが、4社の教科書から姿を消した。これまで4社が使っていた「従軍慰安婦」との表現はいずれも姿を消し、「慰安婦」「慰安施設」などの表現を用いた。また、南京事件については、日本軍に殺害された中国人の人数を「十数万人」「約20万人」などと具体的に記述していたのは現行の6社から2社になり、ほかは「多数」などと変更した。

 

(4)『新しい歴史教科書』の採択に反対・妨害

 

平成13年5月教科書の採択が始まると、扶桑社は平成13年6月10日より、中学歴史教科書・公民教科書の市販を行った。検定中から特定の勢力や中国、韓国が非難したり、一部マスコミが批判的に報道したり、この教科書を選ばないよう各地の教育委員会に求める動きもあった。そこで、扶桑社は「多くの人に読んでもらい、内容を読んでから批判してほしい」として市販に踏み切った。市販本は60万部も売れ、話題の書となり、国民の教科書への関心が高まった。

このような中で教科書の採択が進行した。扶桑社版に対しては、肯定的に評価する採択区が全国のどこかにみつかると、反体制グループ、全教・日教組・旧総評系労組など共産党と社民党系列の組織が、莫大な量のファックスや電話の組織的妨害工作を重ねた。

なかでも栃木県下都賀地区(栃木市・小山市等)では一旦、扶桑社版歴史教科書の採択を決めたが、反対派による組織的な抗議・妨害活動が激しく行われ、当初決定を覆して採択をやめた。

7月に全国の採択が終了した。扶桑社版教科書の採択はほとんどなく、全国のわずか0.039%という数字に終わった。市販本が60万部も売れているのに比べると、極度に低い数字である。

 

(5)平成14年検定の高校教科書は「従軍慰安婦」が継続、南京は「40万人」

 

平成14年4月9日、文部科学省は平成15年度使用開始の高校教科書の検定結果を発表した。外交問題化した昨年の教科書問題の影響からか、検定では、朝鮮史に関する指摘が目立ち、韓国への配慮がうかがえる。対朝鮮半島史で異例の厳しい検定を実施。韓国が昨年行った中学歴史教科書への修正要求が、高校の検定で受け入れられた形だ。

また、中学教科書とは違い、「従軍慰安婦」の表記が幅をきかせている上、「性奴隷」「彼女たちを辱め」といった描写がフリーパス。多くの論議のある南京事件について、犠牲者に40万人という数字を挙げた日本史教科書(山川出版社)の記述は、検定意見が付かないまま通過した。

この年の検定では、『新編日本史』の後継本である明成社の『最新日本史』が8年ぶりに改訂版を出し、検定に合格した。『最新日本史』は、神話を重視したり、教育勅語全文を掲載、大東亜戦争と正式名称を記載するなど、扶桑社の中学校歴史教科書『新しい歴史教科書』と共通点が多い。

 

(6)平成18年度から使用版の採択に改善

 

平成18年春から使われる中学教科書の採択結果は、扶桑社の歴史教科書が5千冊余り、シェア0.4%台で、前回平成13年の521冊、シェア0.039%の約10倍となった。また公民の採択は約2300冊、シェア約0.2%とみられる。
 扶桑社版歴史教科書の採択を決めたのは、以下のとおり。

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●公立
 東京都杉並区の区立中23校
 東京都杉並区の区立養護学校1校
 栃木県大田原市の市立中12校、
 東京都の都立中高一貫校4校
 東京都の都立ろう・養護学校21校
 滋賀県の県立中1校
 愛媛県の県立中高一貫校3校
 愛媛県の県立ろう・養護学校4校1分校

●私立
 栃木県の国学院栃木中
 茨城県の常総学院中
 東京都の玉川学園中
 千葉県の麗澤中
 岐阜県の麗澤瑞浪中
 三重県の津田学園中
 三重県の皇學館中
 兵庫県の甲子園学院中
 岡山県の岡山理科大付属中
 高知県の明徳義塾中
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 このほか、茨城県大洗町と東京都の私立頴明館中(えいめいかん)が副教材として使用する。

 平成13年の採択では、外務省元高官が扶桑社版の検定を阻止しようとしていたことが明らかになった。こともあろうにわが国の外務省の中に、他国の政府の主張に迎合する動きがあったという国家として有るからざる事件だった。また、栃木県下都賀郡の教育委員会は一端、扶桑社版の採択を決めたが、反対派の抗議を受けて、決定を取り消した。教育委員会の独立性を揺るがす出来事だった。
 こうして前回の採択では、さまざまな妨害の結果、扶桑社版のシェアは、わずか0.039%に留まった。それに比べ、今回は約10倍の0.4%台のシェアを獲得した。明らかに変化が起こっている。

 今回の採択では、中国・韓国が、歴史教科書の内容について内政干渉を激しく行い、扶桑社版の採択に反対し、平成17年4月には反日デモも起こった。国内ではこれに同調する者が活発に活動を繰り広げた。しかし、日本の国民は前回に比べ、主権意識・国民意識が高くなっており、かえってこれを切欠に日本のことを考えるようになった人が増えてきた。
 東京都杉並区では、教育委員会の会議の傍聴を求めて、賛成派・反対派が計数百人、区役所周辺に集まり、全国的に注目を受けた。集合した反対派は、共産党系と中核派系の団体であることが暴露された。今後、こうした市民団体を装っている共産主義者・過激派の実態を、国民に広く明らかにしていく必要がある。
 茨城県大洗町では、採択地区の教育委員会の決定に不満を表わしたが、反対派の妨害が集中し、結局採択地区の決定に従い、町が独自に扶桑社版を副教材として購入することにした。この動きによって、各市区町村の教育委員会と採択地区協議会の権限が重複しているという現在の共同採択制度の矛盾が明らかになった。今後、関係法と採択単位の見直しが課題となっている。

 扶桑社版シェアまだ1%にも満たないが、その出現は他社の歴史教科書の内容に変化をもたらす効果を挙げている。以前の自虐的な内容を批判されて編集方針を変えた東京書籍や大阪書籍が、今回も大きなシェアを確保した。日教組を意識した編集を続けている日本書籍新社は、さらに採択を減らした。また、「従軍慰安婦」の記述が各社の教科書から消えたことは、大きな成果である。
 次回の採択は、平成21年である。これからの4年間に、日本人の意識を、どこまで変えることができるか。国を憂い、国を思う人々の行動にかかっていると思う。
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3章 歴史教育のあるべき姿を取り戻そう

 

戦後の日本人は自国の歴史の醜いところを探し出して強調し、自ら自国をおとしめるような教育を行ってきた。昭和57年の教科書誤報事件以後、近隣諸国条項が作られ、歴史教科書の内容は格段と悪化した。現在の歴史教科書の多くは、青少年が自国に誇りをもてるような内容ではない。自分の国を一方的に断罪し、子どもに誇りを失わせるような自虐的な本が、国の検定をパスしている。そんな教科書は教科書とはいえない。それは中国・韓国など近隣諸国におもねり、言いなりになっているからである。それが進歩的で良心的だと錯覚している人が多い。

中国・韓国等の諸国が日本の教科書の記述に対して、抗議をしてくるが、これは重大な内政干渉である。教育はその国の内政問題であるから、外国政府が口を出す筋合いのものではない。これは国際法上も、外交慣例上も、してはいけないことである。外国の内政干渉を、自ら慣習化して受け入れることは、日本がその国の属国となることを意味する。その結果が、現在の社会科教科書の内容である。この教科書で教育される青少年は、精神的には周辺国の属国民となるように、教育されることになる。

  そもそも歴史教育とは、どうあるべきものだろうか。自分の国の歴史は、よりよく解釈し、それを子孫に伝えて、子供たちに自尊心を持たせるように教育すべきである。そうしなければその国民はだめになってしまう。だから、どこの国でも、自分の国は立派な国だと、教えている。子供たちには自分の国の良い点を伝えて、自分の国を愛し、自分の国への誇りを持たせることが大切だからである。自国の歴史の中に、たとえ悪い点があったとしても、国民には、よりよくその歴史を生かし、子孫に良い点を伝えていくのが、正しい教育の姿である。

 どんな美人でも、どこかはむき出しにしたくないところがあるだろう。美しい顔の人でも、シミがある、鼻毛もあるなどといって、虫メガネで探し回り、こんなに醜いところがあるなどと強調したなら、うんざりしてしまう。自分の体型にしても、欠点ばかりに目を向け、そこにとらわれていると、自信を失い、人前に出るのもいやになる。下手をすればノイローゼになり、自殺もしかねない。

自分の家のこともそうである。子供たちに自分の家は立派な家だと教えれば、親や先祖に感謝し、親や先祖を大切にしようと考えるだろう。反対に、うちのじいさんはギャンブル狂い、そのうえ、ひいおじいさんは泥棒で人殺しだったなどと、悪いことばかり子どもに言い聞かせる人はいないだろう。家の恥じを周囲に触れてまわるような人は、笑い者にされるだけである。国でも同じ。自国の歴史は、よりよく解釈して子孫に伝え、子供が自国に誇りをもてるようにしなければならないのである。そうしてこそ、子供たちは自国をもっと立派な国にしようと、夢や目標を持つ。

自国の歴史や伝統に誇りを持つことは、祖先への尊敬や感謝を持つことにつながる。子供たちは、自分の命が祖先から受け継がれてきたものだと感じる。自分の存在は、祖先のおかげだと気づく。それによって、自分が生まれてきた意味、生きていく目的、自分の担うべき役割を理解することができる。そこに、人への思いやりや、助け合いの心が育つ。それゆえ、誇りある歴史の教育は、子供たちの心を育てる教育となり、さらに言えば子供たちの心を救う教育になる。

  次に改善のための具体策を述べる。

まず歴史教科書の採択に当たり、採択権をもつ全国各地の教育委員会は、公正な目で各社の教科書の内容を比較検討し、日本の次代を担う青少年を育てるのに最もふさわしいと信じる教科書を選ぶべきである。これによって、よりよい内容の教科書が多く採択されるとともに、各教科書会社が教科書の内容の改善・適正化を進めることを期待できる。国民は、教育委員会がその本来の任務を公正に果たせるように、強く求めていかねばならない。

さらになすべきことは、近隣諸国条項を削除することである。昭和57年の教科書誤報事件は、まさに誤報だったのであり、それに基づく宮沢談話も近隣諸国条項も無効である。近隣諸国条項を削除し、自国の教科書に対する主体的な姿勢を取り戻すことが必要である。それが、教科書を改善し、子供たちに誇りある歴史を伝えるために、重要な一歩である。

これに関連して、周辺諸国との間において、国際法と国際常識にのっとった関係改善を行うことが必要である。各国の教科書に他国に関する記載に関し、誤りもしくは不当、不適切な個所があって良いわけではない。また、その点を、当該国が抗議もしくは注意してならないわけでもない。ただし、この場合、教育問題に関する内政不干渉主義と相互主義(レシプロシティー)の原則に基づいて行われるべきである。内政不干渉主義は近代主権国家間の基本原則である。内政不干渉を避けるためには、抗議や注意喚起を行う場合には、政府当局ではなく、学者、ジャーナリストなど民間人によってなされるのが望ましい。相互主義もまた外交関係の大原則である。日本の教科書の記述が問題とされるべきならば、中国・韓国等の教科書の記述もまた問題にされるべきである。

以上のように、歴史教育のあるべき姿を踏まえたうえで、教育委員会に対しては歴史教科書の公正な採択を求め、また政府に対しては近隣諸国条項の削除と、教育問題における内政不干渉主義と相互主義の確立を求めていくことが必要であろう。

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参考資料

・名越二荒之助著『戦後教科書の避けてきたものーー各国の比較から』(日刊工業新聞社、絶版)

・『「反日教科書」から子供を守ろうーー中学校歴史教科書の問題点』(日本会議)

・「新しい歴史教科書をつくる会」のホームページ

http://www.tsukurukai.com/index.html

    南京事件については、以下の拙稿をご参照ください。

南京での『大虐殺』はあり得ない

 

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ber117

 

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