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208-06 オ ピ ニ オ ン  歴史再考

                       

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■南京事件の真実を伝える写真

2013.12.19

 

昭和12年(1937)12月、日本軍が当時の中国の首都・南京に入城して占領した時の出来事を、南京事件という。この事件は中国政府や日本の左翼学者等によって「南京大虐殺」として喧伝されているが、南京での「大虐殺」はあり得ない。その理由については、拙稿「南京での『大虐殺』はあり得ない」に書いた。

では、真実はどうだったのか。ここに掲載するのが、昭和12年(1937)12月13日、日本軍が南京を占領した後の真実を伝える写真である。今後、竹島、尖閣諸島のビデオに続き、外務省のサイトに各国語で載せてもらいたいものである。

 

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●占領の2日後 昭和12年(1937)12月15日

 

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日の丸の腕章をつけ、通りで野菜を販売する南京市民


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「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった」(カメラマン佐藤振寿氏。昭和12年12月15日撮影。南京安全区にて)

 

●占領の4日後 昭和12年(1937)12月17日


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日本軍の入城式の日(昭和12年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、歓声をもって迎える南京市民たち。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである。(毎日版「支那事変画報」昭和13年1月11日発行)

●占領の5日後 昭和12年(1937)12月18日


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(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
朝日新聞昭和12年12月18日付)



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南京の病院の中国負傷兵と看護する日本兵(イギリス系新聞「ノースチャイナ・デイリー・ニュース」1937年12月18日付)


●占領の7日後 昭和12年(1937)12月20日


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日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族(昭和12年12月20日撮影。朝日版「支那事変画報」昭和13年1月27日刊)


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南京市民と楽しく会話する日本兵ら(昭和12年12月20日撮影。「支那事変写真全集」昭和13年刊)

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中国負傷兵を看護する日本の衛生兵(昭和12年12月20日林特派員撮影。朝日版「支那事変画報」昭和13年1月27日刊)

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疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵(昭和12年12月20日林特派員撮影。「朝日グラフ」昭和13年1月19日刊)

●占領の8日後 昭和12年(1937)12月21日


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(右上) 治療を受けている中国傷病兵
(左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵
(真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら
(右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐
(左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら
(「朝日新聞」昭和12年12月21日付。タイトルは、「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」)

●占領の11日後 昭和12年(193712月24日付


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南京市民に食糧等を配る日本兵たち。(「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937年12月24日付)
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関連掲示

・拙稿「南京での『大虐殺』はあり得ない

 

 

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