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209 オ ピ ニ オ ン  共産主義

                  

題 目

目 次

01 共産主義を総括する

02 犠牲者1億人を生んだマルクスの理論

03 マルクス『資本論』の基本的欠陥

04 災厄を広げたレーニン・スターリン・トロツキー

05 所有と支配の矛盾〜求められる精神的向上

06 極度の合理主義としての共産主義の崩壊

■07 社会主義と共産主義の違い

08 権力関係と資本主義・共産主義・ファシズム

09 国家と階級・民族の関係

10 現代中国をどう見るか〜ファシズム的共産主義の脅威

11 共産主義検証のための読み物

12 日本を操る赤い糸〜『田中上奏文』・ゾルゲ・ニューディーラー等(長文)

13 『日本解放綱領』の残影〜中国の対日政治工作(長文)

14 急進的なフェミニズムはウーマン・リブ的共産主義(長文)

15 日本赤軍の重信房子・よど号犯とオウム真理教の危険なつながり

16 代議士・辻元清美の正体

17 参議院議員・山本太郎氏の黒い背後関係

18 文化革命型共産主義」脅威(長文)

 

日本精神

公と私

家族・教育

人権・男女

憲法・国防

天皇と国柄

祝日の意味

歴史再考

●共産主義

心と宗教・哲学

政治・経済・社会

国際関係

人類の展望

 

ber117

 

共産主義を総括する

2000.9.29

 

 20世紀は「戦争と革命の世紀」だったということができます。そして、革命はもちろん多くの戦争に関わって、多数の犠牲者を出したのが、共産主義でした。この共産主義の総括をすることなくして、21世紀の世界を語ることはできません。

 

●犠牲者は1億人

 

共産主義は、マルクス、エンゲルスによって理論化された思想・運動です。共産主義の目標は、私有財産制を廃止し、生産手段を社会の共有にすることにより、貧富の格差を解消することにありました。共産主義社会の高度の発展に伴い、階級がなくなり、階級間の暴力的な抑圧装置としての国家(=政府)は死滅する。自由な諸個人の結合による社会が実現するという将来像を抱いていました。

共産主義の革命は、1917年にロシアで成功しました。共産主義社会は、一国だけで実現することはできません。資本主義は世界的な規模で発達しましたから、資本主義から共産主義への移行も世界規模で行われねばならなりません。革命に成功した国家は、他国及び植民地において革命を実現すべく、国際共産主義運動を組織・指導しなければならないとされました。ロシア革命後、共産主義運動は旧ソ連を根拠地として世界各国に広がり、東欧、東アジアを中心に多くの国が共産化され、一時は世界人口の3分の1が共産主義の勢力下に置かれました。

しかし、旧ソ連は共産主義の理論が描いた国家とは程遠く、共産党官僚が労働者・農民を支配する官僚支配の国家となり、人民の自由と権利は抑圧され、合理主義的な計画経済は生産性が低く、軍事中心で民生は向上せず、矛盾が拡大した挙句、革命の70年後には共産主義体制を放棄するにいたりました。相前後して東欧諸国も共産主義を脱却し、共産主義は世界的に大きく後退しました。ただ、東アジアでは中国及び北朝鮮、ベトナムがなお共産主義の影響を受けた官僚支配国家を保持しています。

20世紀の終幕の時点までに、共産主義が人類にもたらした災厄は、極めて大きなものがあります。平成9年(1997)にフランスで『共産主義黒書』が刊行されました。本書は、共産主義の犯罪を厳しく検証しています。編者ステファン・クルトワによると、共産主義による犠牲者は、8,000万人から1億人にのぼるとされます。この数字は、ヒトラーのナチズムによる犠牲者数とされる2,500万人を軽く上回ります。(恵雅堂出版から一部翻訳あり)

 

 クルトワは同書において、共産主義体制により殺害された犠牲者数の国・地域別の一覧を提示しています。それによると、

 

 ソ連       2,000万人

 中国       6,500万人

 ベトナム       100万人

 北朝鮮        200万人

 カンボジア      200万人

 東欧         100万人

 ラテン・アメリカ    15万人

 アフリカ       170万人

 アフガニスタン     150万人

 コミンテルンと権力を握っていない共産党   約1万人

-----------------------------------------------------

 総計         約1億人

 

となっています。

 

 ソ連と中国における犠牲者が圧倒的に多いわけですが、ソ連に関してはかなり控えめの数字です。次に書くように、6,200万人という数字も出されているからです。

 

●ソ連の場合

 

 兵本達吉氏(元共産党代議士秘書)によると、平成9年(1997)11月6日、モスクワ放送は「10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の87年の間に6,200万人が殺害され、そのうち4,000万が強制収容所で死んだ。レーニンは、社会主義建設のため国内で400万の命を奪い、スターリンは1,260万の命を奪った」と放送しました。

 

 このうちスターリン時代に関しては、マーティン・メイリア教授(カリフォルニア大学バークレイ校)が、最低2,000万人という数字を提示しています。内訳は、強制労働収容所の死者1,200万人、1937〜39年の処刑者100万人、農業集団化の犠牲者600万人〜1,100万人などです。

 

 なお、第2次世界大戦でのソ連の死傷者数は、平凡社『世界大百科事典』によると、1,200〜1,500万とされます。戦争よりも共産主義の方が、ソ連の人々に大きな犠牲を生み出したようです。

 

●中国の場合

 

 毛沢東は、昭和32年(1957)2月27日、「49年から54年までの間に80万人を処刑した」と自ら述べています。(ザ・ワールド・アルマナック1975年版)。周恩来は、同年6月、全国人民代表大会報告で、1949年以来「反革命」の罪で逮捕された者のうち、16%にあたる83万人を処刑したと報告しています。また、42%が労働改造所(労改、強制収容所)に送られ、32%が監視下に置かれたと述べています。

 毛沢東は、その後もさまざまな権力闘争や失政を続けましたが、丁抒らの研究によると、大躍進運動と文化大革命によって、2,000万人が死に追いやられたとされています。

 

 『共産主義黒書』では、ジャン・ルイ・マルゴランが、ほぼ信頼できる数値として、内戦期を除いた犠牲者の数を、次のように総括的に提示しています。

 

・体制によって暴力的に死に至らしめられた人

 700万〜1,000万人(うち数十万人はチベット人)

・「反革命派」としてラーゲリに収容され、そこで死亡した人

 約2,000万人

・昭和34〜36年(1959〜61)の「大躍進期」に餓死した人

 2,000ないし4,300万人

 

●日本の場合

 

 日本の場合、最大の犠牲者は、ソ連によるシベリア抑留による犠牲者です。

 大東亜戦争の末期、共産主義ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、満州・樺太等を侵攻しました。さらに、スターリンは国際法を無視し、日本人を俘虜として抑留し、シベリア等の各地で強制労働を課しました。

 わが国の厚生省援護局の資料によると、抑留者は約57万5,000人、うち死亡者は、約5万5,000人とされています。また、ロシア側の研究報告によると、抑留者は約54万6,000人、うち死亡者は約6万2,000人とされています。(『はるかなシベリア・戦後50年の証言』北海道新聞社)

 しかし、実態はさらに大規模だった可能性があり、ロシア人ジャーナリストで、元イズベスチア編集長のアルハンゲリスキー氏は、著書『シベリアの原爆』(邦題『プリンス近衛殺人事件』新潮社)にて、日本人の抑留は軍人・民間人合わせて200万人以上に達し、そのうち40万人が虐殺されたと推計しています。酷寒の地で食糧も防寒具もろくに与えられず、重労働を課せられて虐殺された日本人の数は原爆での死者より多かったために、著者は「シベリアの原爆」と名づけたのです。

 

 以上によって明らかなように、共産主義は、20世紀の人類に対し、途方もない災厄をもたらしたのです。しかし、未だに、共産主義に憧れを持ち、共産主義に新たな可能性を求めている人たちがいます。21世紀を共存調和の世紀

とするためには、共産主義の誤りを明らかにし、徹底的に総括する必要があるのです。ページの頭へ

 

ber117

 

犠牲者1億人を生んだマルクスの理論

2000.10.8

 

 共産主義は、1億人にも上る犠牲者を生み出しました。その原因は、どこにあるのでしょうか。

 

●根本原因はマルクスにある

 

近代西欧に発生した資本主義は、多くの矛盾を生み出しました。貧富の差が拡大し、苛酷な労働や、不平等・不自由、疎外など、かつてない問題が発生しました。マルクス=エンゲルスは、こうした問題に取り組み、究極の原因は、生産手段の私的所有にもとづく他人労働の搾取と領有にあると考えました。この理論によれば、生産手段の私的所有を撤廃して、社会的所有とするならば、階級的不平等は消滅し、万人に自由と平等が保障される無階級社会が到来することになります。

マルクスは「現実的なヒューマニズム」と称し、プロレタリアート独裁によって「人間の全面的解放」をめざしました。そして、資本主義社会の経済的運動法則を解明すべく『資本論』(1867-94)を刊行し、それに基づく革命を指導しました。しかし、実際に彼の理論に基づいて革命を行ったところ、かえってかつてないほどの人間の抑圧と大量殺戮を生み出す結果となりました。

これは、一体なぜでしょうか。マルクス=エンゲルスの思想に、こうした結果を招く欠陥があったからと言わねばなりません。私は主な欠陥は、次の点にあると考えます。

 

 第一に、マルクスの唯物論的な世界観は、自然と人間を物質ととらえ、神・霊魂などの観念を否定します。そのことによって、人間の人格的・道徳的欲求が見失われています。(1)

第二に、マルクスが定式化した唯物史観は、経済を中心に社会をとらえ、経済的土台が人間の思想や観念を制約するとします。そのため、社会の分析が一面的となり、将来の予想にも大きな狂いを生じました。

第三に、共産主義は、階級闘争を社会発展の原動力とします。社会を対立・抗争という面からのみ見るため、物事には調和・融合という方向もあることを忘れています。

第四に、マルクス=エンゲルスの思想は、近代西欧の合理主義・啓蒙思想を極度に推し進めたものです。理性への過信によって、理性の限界に気づかず、また情念の暗黒面を見落としています。

第五に、マルクス=エンゲルスは、近代を貫く「全般的合理化」についての認識が浅く、プロレタリア独裁が「官僚制的合理化」を極端化することを予想できませんでした。

 

●人間の人格的・道徳的欲求を見失う

 

さて、マルクス=エンゲルスは、プロレタリアート(無産階級)となった労働者階級を組織し、革命を起こすことによって、共産主義社会を実現することを目標としました。共産主義とは、コミュニズムの訳語です。コミュニズムとは、コミューンをめざす思想・運動という意味です。コミューンとは、私有財産と階級支配のない社会であり、個人が自立した個として連帯した社会であるとされます。それは、新しい人的結合による社会だといいます。エンゲルスは、『反デューリング論』で、建設すべき共産主義社会について、「人間がついに自分自身の社会的結合の主人となり、同時に自然の主人、自分の自身の主人になること――つまり自由になること」「必然の王国から、自由の王国への人類の飛躍である」と書きました。しかし、マルクス=エンゲルスは、その社会について、具体的には語っていません。むしろ語れなかったというべきでしょう。想像の中にしかない社会であり、空想に近いものだったからです。

マルクス=エンゲルスの哲学は、唯物論です。唯物論的な世界観は、自然と人間を物質ととらえ、神・霊魂などの観念を否定します。コミューンというような人的結合体を考えるには、人格という概念が必要になりますが、唯物論の人間観では、人間の人格的・道徳的欲求が見失われてしまいます。人格的成長、精神的向上は、親子・夫婦等の家族関係の中で、基礎が作られるものですが、マルクス=エンゲルスは、私有財産制に基づく近代家族を憎むあまり、家族が人格形成に対してもつ意義をも否定してしまいました。人格形成のための基本的な場所を消してしまったならば、新しい人的結合体を構想することもできなくなります。家族がバラバラになり、自由になった個人とは、愛と生命の共同体を失った孤独な人間です。その人間に、どういう社会の建設が可能だというのでしょうか。マルクス=エンゲルスは、まったく間違った方向に、理想を求めたのです。

 

●社会の分析と予想に失敗

 

マルクスは『経済学批判』の序言で唯物史観を定式化しています。その要点は、次のようなものです。

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的生活諸過程一般を制約する」「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時期がはじまるのである」と。

そしてマルクスは、社会的不平等の根源を私有財産に求め、私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようとする理論を説きました。

唯物史観によると、物質的生産力の発展段階に照応する生産関係の総体が、社会の経済的土台を成すとされます。その上に法制的・政治的な上部構造がそびえたちます。また、経済的土台に一定の社会的意識諸形態が照応し、物質的生活の生産様式が社会的・政治的・精神的な生活過程全般を制約するとされます。しかし、この理論も不十分でした。上部と下部には相互作用があり、かえって人々の意識が経済に影響を与える作用が重要なのです。資本主義の発達自体がそうであったことは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムと資本主義の精神』で明らかにしました。人間は観念によって動く部分が大きく、観念体系には、下部構造に対し、相当の独立性があります。宗教や道徳による価値観が経済活動の動因ともなるのです。マルクスの定式では、意識の問題の重要性をとらえることができませんでした。

マルクスは、共産主義社会は世界革命の産物と想定していました。具体的には、西欧先進国で、同時または連続的に武力革命を起こし、発達した資本主義の高度の生産力をもとに、共産主義を建設するという構想です。マルクスは、『資本論』において、資本制社会はブルジョワジーとプロレタリアートに二極化し、労働者は絶対的に窮乏化すると予想しました。恐慌が必ず起こり、プロレタリアートが蜂起して革命が起こるといって、革命運動を煽動しました。

 しかし、絶対的窮乏化、階級の二極分化、恐慌の不可避性という彼の予想はことごとく外れました。19世紀後半の西欧諸国では、生活水準の向上、新中間層の増加、漸進的な社会改良などが進んでいきました。社会の変動は闘争によってのみ起こるのではなく、対立・抗争は調和・融合に転じる場合があります。また、人々の行動は必ずしも経済的利害だけで行われるのではありません。19世紀の末期以降、西欧の労働者階級の生活水準は向上し、新中間層が出現し、労働者は、プロレタリアートというすべてを奪われ、失った階級ではなくなっていきました。そして、議会制民主主義による漸進的な社会改良が進んでいきました。

マルクスの理論の誤りは、マルクス主義の後継者たち(カウツキー・ベルンシュタイン等)によって認められるに至り、議会を通じた民主的な方法による改革への道が定着しました。マルクスの二元論的で決定論的な理論は、西欧先進国における歴史と社会の現実の中で破綻したのです。

 

●理性を過信し、情念や合理化の問題を軽視

 

ところが、革命は、予想もし得なかったことに、後進国ロシアで起こりました。詳しくは、この後、レーニンやスターリン等に関する項目で触れますが、マルクスの問題点ということについて、ここで述べると、マルクスは、近代西欧の合理主義・啓蒙思想を信奉し、それを極度に推し進めようとしました。唯物論的共産主義は、近代化・合理化を極限まで推し進めるものでした。マルクスは、理性への過信によって、情念の暗黒面を見落としていました。ロシアでの革命は、虐殺や弾圧をほしいままにし、恐るべき個人独裁をも生み出しました。その前例はマルクスが範としたフランス革命の急進派の行動に見られたものです。

また、マルクスは近代を貫く全般的合理化についての認識が浅く、プロレタリア独裁が官僚制的合理化を極端化することを予想していませんでした。マルクスは、近代化による宿命的な問題である「官僚制的合理化」(マックス・ウェーバー)の問題を軽視していました。人間理性によって人工的に作り出した極度に合理主義的な国家は、逆に最も非合理的な国家に転じました。それが、旧ソ連の共産主義です。生産手段の社会的所有を行ったソ連などでは、マルクスが説いたのとは逆に、知識人による官僚支配が生まれ、自由は抑圧され、社会的不平等が広がりました。そいて、革命後、わずか70数年にして共産主義国家は崩壊したのです。それは、近代合理主義の破綻でもありました。

マルクスは、資本家と労働者のどちらでもなく、またどちらにもなり得る知識人の存在について、多くを語っていません。19世紀後半から、西欧社会では中間階級が増え、知識人が官僚化して、国家・社会・企業を支配する構造が形成されていきました。知識人であり職業革命家であるマルクスは、こうした知識人の役割を軽視したか、あるいは意図的に伏せていたのでしょう。そのため、マルクスの理論によって建設された国家は、知識人による官僚集団が権力を独占し、労働者階級を支配する国家となる芽を秘めていたのです。ページの頭へ

 

(1)人間に内在する人格的・道徳的欲求については、以下をご参照下さい。

   人間には自己実現・自己超越の欲求がある

参考資料

・ 小泉信三著『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)

    猪木正道著『共産主義の系譜』(角川文庫)

    宮地健一氏のサイト

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htm

「20世紀社会主義を問う」の項目に貴重な資料が多数掲載されています。

 

ber117

 

■マルクス『資本論』の基本的欠陥

2009.6.15.

 

●資本主義とは何か

 資本主義とは何か。
 資本主義は、マルクスの用語ではなく、彼の後に幅広く使用されるようになった言葉である。まず資本とは、事業の元手である。一般には資金や生産設備と考えられている。資本制生産様式とは、生産手段を私有する資本家が、生産手段を持たない労働者の労働力を商品として買い取って商品生産を行う生産様式をいう。資本主義とは、資本制的生産様式が主たる生産様式になった社会経済体制をいう。
 マルクスは、『資本論』で資本制的生産様式が支配的となった社会の原理を究明し、またこの社会が形成された歴史を描こうと試みた。彼のとらえた資本とは、資金とか生産設備とかいった物象ではなく、生産関係にほかならない。「資本とは、物象ではなく、物象を介した人と人との間の社会的関係である」(『資本論』)、「資本は一つの社会的生産関係である」(『賃労働と資本』)とマルクスは明言する。
 マルクスによれば、資本は貨幣や商品や生産手段ではなく、一方に生産手段を私有する少数の資本家、他方に生産手段を奪われ自分の労働力を商品として売るしかない多数の労働者がいるという生産関係が、貨幣や生産手段等を資本たらしめるのである。

 賃金労働者は、労働力商品を資本家に売り、資本家は、労働力という他人の所持する商品を買うという関係にある。マルクスは、この資本家と労働者の関係を、階級という概念でとらえ、階級関係は、政治的な支配関係を伴うが、本質的・基本的には生産の場における経済的関係であることを洞察した。

 資本制的生産様式においては、商品の生産過程で剰余価値が生み出され、資本家はこれを利潤として獲得する。資本は、賃労働者を搾取して得た剰余価値を領有する。従って、資本とは剰余価値を生む価値であるとマルクスは主張した。
 この理論の基礎にあるのは、労働価値説である。マルクスは、イギリス古典派経済学による、商品の価値はその生産に投じられた労働量によって決まるという労働価値説を継承した。彼は、労働と労働力を区別し、労働力商品が生産過程で余分の新価値である剰余価値を無償で産むという剰余価値説を唱えた。
 マルクスは、労働力商品が市場で売買される際、外形的には等価交換がされていることを認めている。その上で資本家が正当な手続きで商品経済の論理、等価交換の原理に則りながら、どうやって剰余価値を搾取しているか、その仕組みを解明しようとマルクスは試みた。
 マルクスによれば、資本家は労働力の価値の回収に要する必要労働時間以上に労働時間を延長することにより、その超過分である剰余労働を剰余価値として取得する。剰余価値は、利潤、地代、利子等の不労所得として現れるとした。
 私は、こうしたマルクスの資本主義に関する理論には、欠陥があると思う。

  マルクスの理論ではとらえ切れない

 資本主義に関するマルクスの理論的欠陥の一つは、商品について市場における価値の決定という要素を軽視していることにある。

 労働は価値を生み出す源泉である。労働は財を生み出す。財はそのもの本来の使用価値を持っている。これは質的なものである。しかし、財は労働から生まれただけでは、商品にならない。財は他の財との取引関係に入ることによって商品となる。商品の価値は、使用価値と異なり、定量的に測定できる交換価値で計られる。交換価値は、多様な使用価値を持つ商品を、同じ尺度で統一して計らねばならない。ここで商品の価値を一元化することを可能にするのが、貨幣である。そして、貨幣によって表す交換価値を価格という。ここで重要なのは、商品が貨幣を交換の尺度として交換される場所、つまり市場においては需要と供給の関係によって価格が決まることである。そして、需給関係で決まる価格が、その商品の交換価値となる。

マルクスは商品の価値はその生産に投じられた労働量によって決まるという労働価値説を取っているが、同じ量の労働時間を投じて生産した商品でも、他社や他国の商品より品質が悪かったら売れない。また、仮に品質はよくても、買い手の購買意欲を引き出すものでなければ、高く売れない。また、消費者の求める新しい商品を開発せず、いつまでも同じ商品を作っているのでは、売れなくなる。売れない商品を山ほど作っても、価値を産出したことにはならない。投下された労働時間が同じであっても、市場において売れない商品の価値はゼロである。商品が売れなければ、賃金は払えない。資本家自身も破産する。

 また、マルクスは、労働力を量的にのみとらえ、労働者の能力の質的な違いを捨象した。しかし、労働力商品の価値もまた他の商品と同様、需要と供給によって決まる。また、単純作業の機械的肉体労働と、知性・感性を発揮する創造的精神労働では、市場における価値が大きく異なる。労働力の質が商品の価値を高めるのである。発明や工夫、デザイン等、生産に知識・技術・美意識を要するものは、市場における価値が高くなる傾向がある。特に消費者の欲求に応え、また消費者の欲求を引き出す商品は、高い価値を獲得し、また多くの需要を創出できる。このように商品の価値を高めるものは労働力の量ではなく質であり、質の高い労働を行う労働者は、それだけ多くの賃金を得ることができるのである。

 それゆえ、市場における交換原理を中心にすえない限り、価値の本質と、その創造、決定、増殖のメカニズムは、解明し得ないと私は考える。


 マルクスの理論的欠陥の別の点は、階級闘争や政治的支配を説きながら、権力に関する分析が不足していることである。

 資本主義における経済的社会関係は、権力関係を抜きに考えられない。権力関係が基礎にあって、資本制的生産様式の生産関係が構成されている。権力関係とは、支配―服従または保護―受援の関係である。資本主義社会で広く見られる支配―服従の関係は、一方が自分の意思に他方を従わせ、他方がこれに従うという双方の意思の働きである。意思の働きは、権威という心理的な作用のみで機能する場合と、実力ないし武力という物理的な作用を伴う場合がある。
 資本家と労働者の間における賃金の決定には、双方の意思が関わっている。これは支配―服従の権力関係によるものであって、商品経済の論理とは異なる社会的要素である。資本家の力が圧倒的に強い場合は、労働者は15〜16世紀のラテン・アメリカやアフリカの奴隷のように、まったく無力な存在となる。賃金すら得られない。逆に労働者の力が相対的に強くなると、資本家は賃金を上げざるを得ず、労働者は豊かになり、社会保障も充実していく。19世紀後半以降の西欧先進国では、こうした変化が起こった。この変化は、権力関係の変化によるものであって、経済法則からは出てこない。マルクスの理論モデルは、19世紀半ばのイギリス社会には、ある程度近似しているとしても、それ以前の非西欧文明やそれ以後の西欧社会には、よく当てはまらないのである。
 資本主義社会を把握するには、資本主義以前の経済社会、及び変貌する資本主義社会との比較の中で理解せねばならないが、そのためには権力関係に関する分析を重視しなければならないと思う。実は、マルクスの理論で革命を起こした旧ソ連が内部に大きな問題を抱え、崩壊に至った原因の一つは、この点に関わると私は考えている。詳しくは、「所有と支配の矛盾ーー求められる精神的向上」の項目を参照願いたい。

 マルクスの理論的欠陥として、市場の交換原理の軽視と権力の分析不足の二点を挙げた。市場における商品交換と支配―服従または保護―受援の権力関係は、ともに人間の意思の形成と交通に関する事象である。意思の形成と交通には、理性だけではなく情念つまり感情、感覚や信条が深く関わっている。数理的合理性では割り切れない人間の心の領域がそこにはある。そして、資本主義以前の社会における道徳・宗教・伝統文化等は、この情念を含む心理作用の表われであり、資本主義社会においても、人間の行動の基礎となっている。近代化とは「生活全般の合理化」(マックス・ウェーバー)の進展であるが、その一方で、市場における商品交換と支配―服従または保護―受援の権力関係においては、目的合理的に合理化しえない心理作用が働いているのである。

 なお、ウェーバーは合理性を価値合理性と目的合理性に分けているが、価値合理的行為は単に理性的ではなく情念的な行為であって、倫理・芸術・宗教等における行為には、意識的な感情・感覚・信条だけでなく、個人的無意識、集合的無意識が働いている場合がある。これを、近代西欧的なデカルト的自我をモデルにした合理性という概念で覆い尽くすことは出来ないと私は考える。

 マルクス主義的共産主義は極度の合理主義である。それゆえ非合理性の領域を軽視し、そのために限界と矛盾を示した。20世紀の共産主義は旧ソ連の崩壊、東欧の自由化等に結果したが、その原因はもともとマルクスの理論的欠陥にあったのである。(ページの頭へ

 

ber117

 

災厄を広げたレーニン・スターリン・トロツキー

2000.10.26

 

19世紀末から20世紀の初頭にかけて、マルクスの思想は西欧において、過去のものとなりつつありました。その理論は多くの点で破綻し、その予想はことごとく外れていたからです。しかし、マルクス主義をよみがえらせ、暴力と破壊の力を吹き込んだのが、レーニンでした。

レーニンは、「帝国主義の最も弱い輪」である後進国ロシアにおいて革命が可能という、独自の理論を唱えました。そして、武力革命を成功させました。

 マルクスの先進国革命の予想に反し、革命が成功したのは、後進国のロシアだったということが、共産主義に決定的な性格を刻印しました。ロシアでは西欧先進国のように市民社会や資本主義が発達していなかったため、マルクス主義の欠陥が露骨に表れたのです。

 

●レーニンが野蛮性を加えた

 

ロシア革命を指導したレーニンは、帝政ロシアのナロードニキ・ニヒリズムの伝統に基づく独自の革命理論をもって、マルクス主義を発展させました。それが、前衛党組織論でした。この組織論は、マルクスの中には見出せないものでした。共産党宣言には「共産主義者は、他の労働者党に対して、特殊な党を構成しない。かれらはプロレタリア全体の利益から離れた利益を持たない」としているからです。また、レーニンは、階級意識外部注入論・武力革命主義等の理論を打ち立てました。こうしたレーニンの革命理論はその必然的な結果として、一党独裁による官僚支配を生みだすことになりました。

 

 革命という目的は、暴力や陰謀などあらゆる手段を正当化します。そして独裁権力の維持のためにも、あらゆる手段が正当化されます。

 ロシア革命の過程は、クーデタ的な権力奪取、労農ソヴィエトの統治機関化、クロシュタット反乱の鎮圧など、ボルシェヴィキによる人民支配の過程にほかなりませんでした。

 極度に集中された権力は、その頂点に立つ英雄への個人崇拝に帰結します。強大な権力は、その維持のために、秘密警察と強制収容所を必要とします。そして、党や人民の名のもとに、大量の殺戮や粛清が行われます。

 

●後継者の争い

 

 後にこうしたソ連共産党の殺戮や粛清は、スターリンの個人的な資質によるいう見方がされましたが、これらはすべてレーニンの段階で表れていたことです。後継者スターリンは、強烈な権力欲をもって、個人崇拝や恐怖政治を極限まで推し進めたのでした。そこに、共産主義の本質が、全面的に表れたのです。

スターリンとレーニンの後継をめぐって争ったのが、トロツキーでした。20世紀の人類に大きな災厄を生み出したのがレーニンであり、災いを世界に拡大したのが、スターリンとトロツキーだったのです。

スターリンとトロツキーの対立は、一国社会主義と永久革命論という理論的な対立にありました。スターリンの「一国社会主義論」とは、世界革命を待たずとも、ロシア一国だけで社会主義の建設を成し遂げることが可能だと説くもの。これに対し、トロツキーの「永久革命論」あるいは「永続革命論」とは、ロシア革命は西欧先進諸国の革命が連続してこそ、成功できると説くものです。

どちらもレーニンと同じく「世界暴力革命」を目標にしていることは、共通しています。そのための方法論の違いです。私は欠陥思想の枠内での小差にすぎないと思います。

 

●トロツキーの説いた「永久革命論」

 

 トロツキーの理論は、1905〜06年に「永久革命論」として定式化されました。

 トロツキーによれば、後進国ロシアでは、都市ブルジョアジーが弱いので、プロレタリアートが政権を掌握するのでなければ、ブルジョア民主主義革命すら達成できない。また、革命は不可避的にブルジョア民主主義革命の枠を超え、社会主義革命へと進まざるをえない。しかも、農民が人口の大多数を占めるロシアでは、プロレタリア革命の最終的成功は世界革命、具体的には西欧先進諸国、特にドイツでの革命の成否にかかっていると説きました。

 

 レーニンの場合は、この点、たとえ西欧のプロレタリアートの援助が来なくともロシア革命は自力で何とか切り抜け得ると考えました。そのために、レーニンは、労働者と農民による民主独裁という独自の方式を考え出したのです。スターリンは、基本的にレーニンのこの理論を継承しています。

 これに対し、トロツキーは、ロシア革命にとって、西欧の援助は不可欠の条件と考えました。トロツキーは一貫して西欧・都市・工場労働者の側を指向し、レーニンのようには農民に期待しませんでした。

 いずれにせよ、レーニン、トロツキーの理論は、職業革命家による人民への独裁を生むものでしかありませんでした。

 

●スターリン「一国社会主義論」の登場

 

 1917年、ボルシェヴィキがロシアの政治権力を簒奪しました。共にクーデタを指導したレーニンとトロツキーは、ドイツ革命の成功を期待しました。しかし翌年、ドイツでの共産主義者の活動は鎮圧され、革命は防がれました。他の西欧諸国においても武力による革命運動は後退しました。

西欧の労働者人民は、殺戮と破壊、統制と不自由の道を選ばなかったのです。また、自由主義諸国は、ソ連の共産主義政権を打倒することはできず、膠着状態となりました。その結果、ソ連は国際的包囲の中で、国内建設を行うことを余儀なくされました。

 

このような状況の中で、1924年にレーニンが死亡しました。そして、後継者スターリンが唱えたのが、「一国社会主義論」です。

これは、一国だけでも社会主義建設を達成できると主張する理論です。それはスターリンが、レーニンの理論を単純化し、定式化したものでした。ここにいたって、トロツキーとの路線的な違いが、決定的になりました。

 

そして、スターリンとトロツキーは、1925−26年に、一国社会主義か永久革命かで争いました。両者の理論は基本的に対立しています。しかし、それ以上に、レーニン亡き後の主導権争いという側面が色濃く見られます。

というのは、トロツキーは世界革命の意義を強調したとはいえ、世界革命到来以前にソ連国内で社会主義建設を進めることを否定したわけではありません。また、スターリンは一国でも社会主義建設を達成できると主張する一方で、コミンテルン(国際共産党)を道具とする革命工作を進めており、世界革命を否定したわけではありません。目標は同じ。方法論の違いです。

 

●権力欲による支配・覇権の追求

 

しかし、スターリンは、この論争を決定的な権力闘争の機会としました。彼は、権力欲をたくましくして策謀を進め、トロツキー派を孤立させ、トロツキーを「人民の敵」として国外に追放しました。トロツキーは結局、メキシコでスターリンの刺客に暗殺されます。

また、ジノビエフ、カーメネフ、ブハーリン、ウリツキーらの指導者が、スターリンによって次々に粛正されました。どう見ても、単なる理論闘争ではありません。

 

後継者スターリンはさらに、強烈な権力欲をもって、個人崇拝や恐怖政治を極限まで推し進めたのでした。そのテコとなったのが、一国社会主義論でした。そして、スターリン派官僚たちは、「新しい階級」「革命貴族」として、社会的な特権を確立しました。これは、一部特権集団が、労働者・農民を搾取する体制でしかありません。

スターリンは、マルクスやレーニンの説いた「国家の死滅」を公式に否定し、国家機構の継続を強調しました。これは、「国家社会主義」への実質的転換と見ることができます。

そして、一国社会主義論は、世界革命・民族解放の美名のもとに、ソ連の国益と覇権を露骨に追求し、帝国主義的世界政策を推進する理論ともなりました。ソ連が赤色帝国主義・社会帝国主義と呼ばれる所以です。

 

●幻想による延命

 

トロツキーはスターリンを批判して「裏切られた革命」と呼びましたが、そもそもロシア革命は、「人民を裏切った革命」でした。革命の過程は、クーデタ的な権力奪取、労農ソヴィエトの統治機関化、クロシュタット反乱の鎮圧など、党による人民支配の過程にほかならなったからです。

 

仮にトロツキーの「永久革命論」によって、1910〜20年代の西欧で先進国革命が実現していたらどうだったでしょうか。スターリン批判をする人のなかには、トロツキーを支持・継承する人々がいます。第2次大戦後、先進国を中心に広がった新左翼には、トロツキーの強い影響が見られます。

しかし、私には、革命によって自由と平等の社会が実現したとは、到底考えられません。西欧諸国では、ロシアほどの野蛮な殺戮・破壊は起こらなかったでしょうが、世界共産党の官僚制支配の下で、人々は自由を奪われ、巨大な機械の歯車の一部と化していたでしょう。逆ユートピアが生まれていただろうと思います。共産主義の運動は、人民による民主主義ではなく、一握りの職業革命家=共産党官僚による人民への独裁を生むものでしかなかったからです。

トロツキスムは、現実の共産主義に失望した人々に、幻想を与えることにより、共産主義を延命させ、災いを継続・拡大する役割を果たしました。

 

●世界に広げられた大災厄

 

ロシア革命後、共産主義運動は、レーニン=スターリン主義が主流となり、コミンテルンを通じて、世界に広まっていきました。それは、各国に類似の指導者を生み出すもとにもなりました。毛沢東もポルポトもチャゥチェスクも、そのヴァリエーションです。北朝鮮の金日成・金正日も、まさにそれです。我が国の共産党指導者も、そのミニチュア版でしょう。

 

一党独裁・全体主義の国家には、自由と民主主義がありません。指導者への批判は許されませんから、指導者の権力欲、支配欲を制御するものがありません。そうした状態においては、指導者の、権力の行使や支配の徹底という欲望は、無制限に昂進されると思います。また、権力者は権力の維持・拡大のために、あらゆる手段を講じるでしょう。中国においては、近年も天安門事件や法輪功事件という形で、弾圧が繰り広げられています。

 

私は、20世紀の共産主義が生み出した抑圧と大量殺戮という問題は、単に共産主義の問題というだけでなく、人間性の問題へと掘り下げてゆくべきものと思います。

元共産党員として共産主義の誤りを告発する谷沢永一氏は、次のように述べています。

「そもそも人間には権力欲がある。権力本能がある。その権力欲が最も極端に達してできたのが共産主義権力である」

「人間性の暗い部分をほしいままに跳梁させるときに、政治は常に独裁の方向へと突っ走るだろう。文明の歴史は独裁をいかにして防ぐか、その手段を講じるための智恵の積み重ねかもしれない。しかし、その努力は、一方で成功して民主主義政権を生んだが、他方で、その強烈な反動として、史上最大の独裁を20世紀の世に実現させてしまった。

この悲劇を再び繰り返さないための最も根源的な処方箋は、人間理性への過大評価を慎むという自戒ではなかろうか」(『正体見たり 社会主義』(PHP文庫)

 

20世紀の共産主義は、災厄を世界にまきちらしました。その共産主義による犠牲者は、1億人とも見積もられています。そして、いまなお地球上には、共産主義の影響を受けた国家群が存在しています。とりわけ東アジアには、中国・北朝鮮が存在し、国際社会に強い影響力を放っています。(1)

また国内には、今も左翼的な政党や市民運動が存在しています。フェミニズムの一部が急進化したウーマン・リブ的共産主義は活発に活動しています。(2)

21世紀を生きる人類は、共存調和の世界を築くために、この負の遺産を清算することを、必須の課題としているのです。(1)

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(1)中国については、以下の拙稿をご参照下さい。

 「現代中国をどう見るか〜ファシズム的共産主義の脅威

(2)フェミニズムについては、以下の拙稿をご参照下さい。

急進的なフェミニズムはウーマン・リブ的共産主義

参考資料

・ レオン・トロツキー著『裏切られた革命』(現代思潮社)

    岩上安身著『あらかじめ裏切られた革命』(講談社)

    スタインベルグ著左翼エス・エル戦闘史(鹿砦社)

    ヴォーリン 知られざる革命 クロンシュタット反乱とマフノ運動(現代思潮社)

    トニー・クリフ著『現代ソ連論』(風媒社)

    湯浅赳夫著『トロツキズムの史的展開』(新評論)

    中嶋峰雄著現代中国論』(青木書店)、『中国像の検証(中央公論社)

    フリードリッヒ・A・ハイエク著『隷従への道』(東京創元社)

    谷沢永一著『正体見たり 社会主義』(PHP文庫)

 

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所有と支配の矛盾ーー求められる精神的向上

2003.4.25

 

マルクスは、階級的不平等の根拠や人間の不自由と疎外をひきおこす究極の原因は、生産手段の私的所有にもとづく他人労働の搾取と領有にある、と考えました。

 この理論によれば、生産手段の私的所有を撤廃して、社会的所有とするならば、階級的不平等は消滅し、万人に自由と平等が保障される無階級社会が到来することになります。

 ところが、実際に生産手段の社会的所有を行ったソ連などの国々では、自由は抑圧され、社会的不平等が広がる結果となってしまいました。

 この原因は何でしょうか。単にロシアの後進性とか民族文化の特殊性などに帰すべき事柄ではありません。根本原因を解き明かさない限り、共産主義の運動は、同じ過ちを繰り返すだけでしょう。

 

●支配関係の重要性

 

 私は、この原因は、マルクスが、人間関係の矛盾は所有関係だけではなく、支配関係にもよっていることを把握していなかったことにあると考えます。具体的には、生産手段には所有だけでなく、管理・運用という問題があり、所有関係の実態は人間同士の支配―服従の関係であることを、マルクスは十分認識していませんでした。所有と支配の関係は、所有が原因で支配が結果であるのではなく、支配が原因で所有は結果であると考えるべきなのです。

社会における支配関係の重要性を明らかにしたのが、マックス・ウェーバーです。ウェーバーは、人間関係の矛盾は所有関係だけではなく、支配関係にもよっていることを明らかにしました。彼は、支配の正当性の根拠は原則として三つあると説きました。

 

(1)伝統的支配

 「『永遠の過去』が持っている権威で、これは、ある習俗がはるか遠い昔から適用しており、しかもこれを守り続けようとする権威が習慣的にとられることによって、神聖化された場合」

 

(2)カリスマ的支配

 「ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基く支配」

 

(3)合法性による支配

 「制定法規の妥当性に対する信念と、合理的に作られた規則に依拠した客観的な権限とに基いた支配」

 

近代西欧国家における支配は、基本的に「合法性による支配」です。近代的な官僚による支配は、すべてこれによって行なわれます。国家とは、ウェーバーによると、「ある一定の領域内で、正当な物理的実力行使の独占を実効的に要求する人間共同体」です。そして、国家は「正当な実力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係」です。新しい国家が建設された場合、当初は指導者のカリスマによる「カリスマ的支配」の要素が見られる場合がありますが、やがて官僚制による「合法性による支配」が制度化されます。その段階で、所有と支配の矛盾が露呈することになります。

 

●共産主義知識人集団による簒奪

 

ウェーバーによると、マルクスは革命によって私的所有を撤廃し、プロレタリア独裁を樹立し、ひいては無階級社会を実現するというけれども、私的所有の撤廃以後も経済の計画的経営・管理とそのための組織・機構は欠かせない以上、その経営・管理にたずさわる人間(いわゆる「官僚」)や官僚機構は存在し続けることになります。(1)

 そればかりか、計画経済の実行によって官僚支配はさらにいっそう強化されざるをえないから、そこに生じるのはプロレタリア独裁でも人間の自由の増大でもなく、官僚の独裁となる。そして、官僚独裁の下に、人間が隷属する社会となる。所有関係の変更は、権力のありかや利害状況を変えるだけで、労働者大衆の状態はいっこうに改善されず、むしろ悪化する一方となる。生産手段を管理・運用し労働者を指導する集団が「新しい階級」となり、その権力と支配は強まるばかりとなる。――このようにウェーバーは予想しました。それが、マルクスの理論を実践したソ連で、まさに現実となったわけです。(2)

ロシア革命の時、革命の行方を鋭く洞察した共産主義者がいました。J・W・マハイスキーです。彼はレーニンと同時代を生き、マルクス主義の基礎の上に立ってマルクス主義を批判したポーランドの革命家です。

マハイスキーは、ロシア10月革命直後の1918年に、「この革命は、ブルジョワ革命の遂行をめざしており、労働者の利益ではなく、インテリゲンツィア(知識層)の利益の増大をはかっているのだ」と抗議しました。

マハイスキーは、革命の起こる前から、知識人集団の問題について、自説を主張していました。彼は、西欧でマルクスを後継したカウツキーらの社会民主主義者が、中間層の発展の可能性を否定し、そのために知識層という重要な階層の勢力を無視していることを批判します。そして、社会の中で力を持つのは、決して資本家や地主ではない。むしろ、経済的な資本などを持たない知識層こそが、本当の支配者なのだ、と論じたのです。

 彼は述べます。「資本制の進歩の拡大は、知識人集団、インテリゲンツィア、多量の知識労働者の発展なくして考えられない。技術の発展は、国民的利益を増大させるが、その利益は知識人集団のなかで、『人民の意志によって』『謝礼と高額の給与』という形で再度分配される。そして、国家の職務の階層制が作られるのである」と。

 こう主張するマハイスキーは、批判の刃を、共産主義の始祖マルクスへと向けます。彼は、マルクスは『資本論』第2巻の再生産表式において、「共産主義者のインテリゲンツィアによって簒奪される剰余価値部分を、あらかじめ悪意をもって隠蔽したのだ」と弾劾します。こうなると、マルクスは、共産主義を信奉する知識人集団が権力を握り、利益を得るために、革命を説いたということになります。そしてレーニンは、その革命を成功させ、マルクスの理論どおりに、知識人集団による専制を実現したわけです。この知識人集団を、ウェーバーの言葉で呼ぶと、官僚ということになります。

 

●落とし穴としての「社会的所有」

 

さて、ソ連では、革命によって、知識層が「新しい階級」となりました。彼らはレーニンの指導のもと、前衛党を組織し、労働者階級に階級意識を注入して、武力革命を指導した知識人でした。そして、革命後、国家的所有という名目で生産手段を管理・運用したのは、特権階級化した共産党官僚の組織でした。こうした、官僚制に組織された知識人集団によって、労働者・農民への支配や搾取が行われたのです。それが、ソ連社会の実態でした。

 

 そのことは早くも1930年代に、ヨーロッパの共産主義者には認識されていました。例えば、オーストリアのリュシアン・ローラは、1937年に次のように書いています。

「ロシアでは、私的であれ、国家的であれ、資本主義は存在しない。そこでは、生産手段は、それを運営し、さらにそのうえ、労働者たちを支配者然として自由に使用するビューロ=テクノクラシー(専門的な知識・技術に基づく官僚制)の手に握られている。労働者たちは、いかなる自由もなく、広大な領土の端から端へ押しやられているのであり、奴隷と同じ状態にある」

また、イタリアのブルーノ・リッツイは、『世界の官僚化』(1939)で次のように分析しています。

 「ソヴィエト国家は、社会主義化しているというより、むしろ官僚制化している。ゆっくりと階級なき社会へと姿を消してゆくどころか、途方もなく肥大している。1,500万もの人間が、国家という幹に張り付き、その樹液をすすっている。所有の変動に応じて、プロレタリア階級が、集団で搾取されている。…新しい階級は、プロレタリアートを集団ごと買ったのだ」

「今や10月革命によって国有化された財産は、ひとつの『全体』として、それを管理し、利用し、それを保護している階級に属している。すなわち、これが階級的所有なのである」

こうしたソ連の実態を、ユーゴスラヴィアのミロヴァン・ジラスは、『新しい階級』(1957)で次のように断じています

「トロツキーは、革命前の職業的革命家が将来のスターリン主義官僚の起源だったと指摘した。かれが気づかなかったのは、職業的革命家が所有者と搾取者の新しい階級の始まりだったことである」

「新しい階級は工業化を達成すると、野蛮な暴力を強化し、民衆を収奪する以外にもはや道はない」

 

 「生産手段の社会的所有」−−それ自体に落とし穴があったのです。所有の形態の変化は、支配の形態の変化となり、新しい支配階級が出現するのです。所有と支配の間のこの根本的な矛盾を解決しなければ、どのような共産主義的変革も、特権階級による支配と搾取の社会を生みだすだけでしょう。

 

●求められる人格的・道徳的主体性

 

所有と支配の矛盾という問題は、指導層と大衆という問題に関係してきます。どのような集団でも、その集団をまとめ導いていくには、それなりの指導者が必要です。国家・社会であれば、その国家・社会を維持・発展するには、その規模の集団を経営する力を持つ指導者が必要です。その指導者あるいはその指導者を中心とした指導層の集団には、集団全体を動かす力が集中します。この力が権力です。

権力とは、勢力・影響力・説得力などと同様、社会的な力(power)の一種です。社会的な力としての権力は、集団の意思が合成された意思であり、また個々人に意思を強制する意思です。マックス・ウェーバーの定義によると、社会的な力(Macht)とは「ある社会関係の内部で、抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」です。こうした社会的な力としての権力は、狭義においては制度化された強制力を意味し、特に国家のもつ強制力すなわち政治権力、国家権力と同義に用いられます。政治的・国家的な権力は、多くの場合、軍事力・警察力等の物理的な強制力を伴います。

問題は、こうした権力をもった指導者・指導層が、何を考え、どう行動するか、です。共産主義は唯物論であり、そこに決定的に欠落しているのは、人間の人格的・道徳的な主体性です。人格的な向上や道徳的な自制を欠いた指導者は、権力欲や物欲をほしいままにし、その追求のために国家・社会を私物化して、道具として利用します。こうした指導者が、レーニンであり、スターリンであり、毛沢東であり、そのミニチュアたちでしょう。

一方、近代国民国家では、大衆の側にも、人格的・道徳的な主体性が求められます。自由とデモクラシーは、個人の意識を形成することにより、人格的・道徳的な主体性が発揮される社会的条件を作り出しています。しかし、共産主義の国家では、大衆は自由を奪われ、統制と情報管理のもとに置かれました。そして「国家奴隷制」といわれるような無力の被支配階級となっていました。大衆は精神的に低下し、一層、指導層の専制を許し、その結末は、国家崩壊となっています。

 

エーリッヒ・フロムは、こうした人間性の問題を深く洞察した心理学者でした。フロムによると、マルクスは人間の心理学的洞察に欠け、人間の内部にある非合理的な権力欲、破壊欲を認識していませんでした。そのため、3つの誤りを犯しています。

第一は、人間における道徳的要素を無視しているため、新しい社会体制になったとき、新しい道徳が必要となることに注意を払わなかったこと。第二は、革命によって「よい社会」が直ちに来ると考え、権威主義や野蛮性が現われる可能性を軽く考えていたこと。第三は、生産手段の社会的所有を必要十分条件と考えてしまったことです。

こうしたフロムの主張は、共産主義が見失っていた心の問題を明らかにし、現代世界における人間性の回復を訴えるものとなっています。

 

1億人もの犠牲者を生んだ共産主義の悲劇を繰り返さないためにどうすればよいか。私たちは、共産主義が否定していた人間の人格的・道徳的主体性を回復し、人類の精神的向上を実現する新しい指導原理を必要としているのです。私は、その指導原理を、わが国に伝わる精神的伝統の中に、見出すことが出来ると考えています。このホームページは、その探求と普及を目的としています。(3)

 

ついでに言うと、自由主義的民主主義の国では、大衆は自由を謳歌しているものの、物質的・身体的な欲望の解放の中で、道徳的な頽廃に陥りがちです。こうした大衆の選ぶ指導者もまた、その大衆に応じたレベルに低下します。そうした指導者の下で、大衆は一層、精神的に劣化していきます。いわゆる「愚民政治」といわれる状態です。「愚民政治」の後には何が来るか。混迷のまま国家の滅亡となるか、あるいは独裁者が出現して「専制政治」が行われるかーーそれが歴史の示すところです。

統制主義的な共産主義にせよ、自由主義的な民主主義にせよ、指導層・大衆の双方の人格的・道徳的な向上なくして、国家・社会の発展はありません。21世紀の地球では、人類の精神的向上を実現する新しい指導原理が求められているのです。(4)

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(1)「官僚」及び「官僚制」という訳語について: 一般に、国家や企業や組合等で管理や運営に携る人間 bureaucrat を、「官僚」と訳します。これは「官」という文字が入っていても「役人」だけではなく、民間の団体も含めた組織の管理者・運営者のことを意味します。またその制度・組織 bureaucracy を「官僚制」と訳す場合も同様です。役人集団だけでなく、一般に管理・運営の制度や組織のことです。

(2)詳しくは拙稿「極度の合理主義としての共産主義の崩壊」をご参照下さい。

(3)日本の精神的伝統については、「日本の心」のページをご参照下さい。

 特に政治倫理・組織倫理に関しては、「日本の公と私」をお読み下さい。

(4)人格的・道徳的な課題については、以下をご参照下さい。

 「人間には自己実現・自己超越の欲求がある

参考資料

    マックス・ウェーバー著『社会主義』(講談社学術文庫)

    同上『支配の社会学』(創文社)

     桜井哲夫著『社会主義の終焉』(講談社学術文庫)

・ エーリッヒ・フロム著『正気の社会』(社会思想社)

 

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極度の合理主義としての共産主義の崩壊

2004.7.8

 

マルクスは、近代西欧社会の問題に取り組みました。そして、人間が自己の作り出した生産物や制度などによって支配される状況を、疎外と呼びました。また、人間と人間の関係が、商品や貨幣など物の属性であるかのように現われる事態を、物象化と呼びました。マルクスは、疎外と物象化を生む究極の原因は、生産手段の私的所有にもとづく他人労働の搾取と領有にあると考えました。彼の理論によれば、生産手段の私的所有を撤廃して、社会的所有とするならば、階級的不平等は消滅し、万人に自由と平等が保障される無階級社会が到来することになるはずでした。

しかし、共産主義は、近代合理主義を極度に進める思想です。近代化・合理化に孕む問題が極端化されることによって、共産主義は破綻せざるをえないものでした。

 

●唯物史観の欠陥

 

マルクスの唯物史観によると、物質的生産力の発展段階に照応する生産関係の総体が、社会の経済的土台を成し、その上に法制的・政治的な上部構造がそびえたちます。また、経済的土台に一定の社会的意識諸形態が照応し、物質的生活の生産様式が社会的・政治的・精神的な生活過程全般を制約するといいます。

これに対し、マックス・ウェーバーは、異論を唱えました。彼は、マルクスの歴史認識の意義を認めつつも、人間の理念や精神が、歴史において大きな役割を果たしてきたことを強調します。名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、その証明です。上部と下部(土台)には相互作用があり、かえって人々の意識が経済に影響を与えます。資本主義の発達自体がそうでした。人間は観念によって動く部分が大きく、観念体系には、下部構造に対し、相当の独立性があります。宗教や道徳による価値観が経済活動の動因ともなります。マルクスの定式では、意識の問題の重要性をとらえることができないことを、ウェーバーは明らかにしました

さらに、ウェーバーは、近代化・合理化の研究を通じて、マルクスの説く共産主義革命は、「官僚制的合理化」の問題を免れないことを指摘しました。マルクスは、この近代化による宿命的な問題を軽視していました。実際、生産手段の社会的所有を行ったソ連などでは、マルクスが描いたのとは正反対に、自由は抑圧され、社会的不平等が広がりました。そして革命後、わずか74年にして共産主義国家は崩壊したのです。(註1

 

●官僚制化は不可避

 

ウェーバーは、ロシア革命の翌年の1918年6月、ドイツにも革命の危機が迫る中で、講演を行いました。そこで社会主義(共産主義はその一部)の問題点を全般に論じています。彼が説いていることは明快です。唯物史観の経済決定論の欠陥や、マルクスが社会主義実現は必至と扇動した窮乏化論・両極分解論・恐慌論の破綻が、端的に示されています。また、社会主義は官僚の独裁を生み、人々の自由が奪われること、そして官僚による計画経済は失敗に終わることが、不可避のものとして説かれています。

ウェーバーは講演において、以下のように語っています。

 「近代民主主義が大国家の民主主義であるところでは、どこでもそれは官僚制化された民主主義となるのであります」

 「長年にわたる専門的訓練、不断に進展してやまぬ専門分化、およびそのように教育された専門官僚群による管理の必要という事実は、社会主義といえども考慮に入れなければならない第一の事実なのであります。近代経済を例外の方法で管理することはできません。

 だが、別して、この不可避的な全般的官僚化は、しばしば引き合いに出される社会主義的標語ーー『労働手段からの労働者の分離』という標語ーーの背後にひそむものにほかならないのです」

 マルクスは、生産手段からの労働者の分離に、人間疎外の原因を求めました。ウェーバーは、それは違う、これは近代社会で進行している経営手段からの分離という全般的な現象の一つにすぎないのだと見るのです。

 そして、社会主義者のように「経営手段からの労働者の分離をもって、経済、そればかりか私経済だけに固有な現象であるとするならば、それはゆゆしい誤謬であります。あの機構の首長の挿げ替えがなされたとしましても、私的工場主のかわりに、国家の大統領や大臣がこれを管理する場合でありましても、根本の事態にはまったく変わりがないのであります。いずれの場合にも、経営手段からの分離は存続いたします」と語ります。

 つまり、ウェーバーは、社会主義においても、労働者の生産手段からの分離は変わらず、官僚制化は回避し得ないと予測します。マルクスが考えるほど単純な話ではないのです。ウェーバーは、社会主義について次のように述べています。

 「社会主義とは、‥‥第一に、利潤というものがない経済、したがいまして、私的企業家が自己の責任で生産を指導する状態がない経済のことであります。そのかわりにこの経済は、‥‥管理の任にあたる人民団体の官僚の手に委ねられるでありましょう。その結果として、第二に、いわゆる生産の無政府状態、いいかえますと、企業家相互間の競争は存在しません」

 「ある鉱山ではたらく労働者の運命は、この鉱山が私営であろうと国営であろうと、いっこうに変わらない‥‥鉱山の管理がうまくいっていないと、したがって収益がよくないと、工員たちの状態も悪くなります。ただ違う点は、国家に対してはストライキが不可能であるということ、それゆえ、この種の国家社会主義(註 当時のドイツ)にあっては、労働者の隷属性がまったく根本的に強められるということであります」(註2

 同様にして社会主義社会でも、人間に対する人間の支配はなくならず、プロレタリア独裁は官僚独裁にすりかわり、人間の解放はおろか労働者の自由はますます抑圧されるほかはないことを、ウェーバーは予測していたのです。

 

●官僚独裁発生のメカニズム

 

 ウェーバーの講演は、ロシア革命の7ヵ月後のものです。第1次大戦の末期にあたり、敗色の濃いドイツでは、ロシアに連動した共産主義革命の危機が迫っていました。当時ウェーバーは、混沌としたソ連の事情はよく知りえていなかっでしょう。むしろ、当時のドイツの社会主義の理論と実態をもとに、社会主義の将来を考察したのが、この講演です。また講演ということで、十分論理が展開されているとはいえない点があります。

 ウェーバーの講演を収めた『社会主義』(講談社学術文庫)の訳者・濱島朗氏は、本書の解説において、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、支配の社会学等を踏まえて、ウェーバーの講演を敷衍した解説を行っています。以下、多少要約や書き換えをして掲載します。

 ウェーバーによるとーーと濱島氏は解説するーー近代社会ではおよそ大規模な機械的大量生産が行なわれており、巨大な技術・分業・組織のもとへの人間の隷属は避けられません。まして、社会主義は資本主義よりもはるかに中央集権的な管理と統制の機構を必要とするのだから、官僚制的支配は不可欠であり不可避であって、生産手段の社会化を行なったところで、技術・分業・組織のあるところ、人間に対する人間の支配は強化されるほかないのです。

 マルクスは、生産手段の私的所有にもとづく他人労働の搾取と領有が階級的不平等の根拠であり、人間の不自由と疎外をひきおこす究極の原因だとします。これを所有説と呼ぶことにします。この立場からすると、いっさいの悪の根源である生産手段の私的所有を撤廃して、これを社会的所有のもとに移すならば、階級的不平等も消滅し、万人に自由と平等が保障される無階級社会が到来するはずだということになります。

 ところが、支配説を主張するウェーバーの目には、これはあまりにも楽天的で幻想的な考えに映ります。共産主義革命によって私的所有を撤廃し、プロレタリア独裁を樹立し、ひいては無階級社会を実現するというけれども、私的所有の撤廃以後も経済の計画的管理・運営とそのための組織・機構は欠かせない以上、その管理・運営にたずさわる一群の人間(官僚)や官僚機構は依然として生き残ります。それどころか、官僚支配はさらにいっそう強化されざるをえないから、そこに生じるのはプロレタリア独裁でも人間の自由の増大でもなくて、官僚の独裁であり、その下への人間の隷属(つまり不自由の増大)であるほかはないのです。

 所有関係の変更は権力のありかや利害状況を変えるだけで、労働者大衆の状態はいっこうに改善されず、むしろ悪化する一方で、「新しい階級」の権力と支配は強まるばかりとなるでしょう。(註3

それが、マルクスの理論を実践したソ連等で、まさに現実となったわけです。この「共産党官僚=新しい階級(革命貴族)」という問題は、近代合理主義による産業社会における知識人の役割と、知識人による大衆への支配という問題に一般化されます。

 

●社会主義計画経済の欠陥

 

濱島氏の解説の紹介を続けます。ウェーバーは、資本主義的流通経済のほうが社会主義的計画経済よりも経済の形式合理性の点で優れているという理論を持ち、自由な企業家を担い手とする市民的資本主義の活力に確信を持ち、社会化に反対しました。

 経済の形式合理性とは技術的な意味での計算可能性です。合理的な経済計算は自由な市場メカニズムによる資本主義経済において最大限に可能です。それに比べれば、社会主義経済には合理的な経済計算が成立する条件がととのっていないから、経済の形式合理性は低下せずにはいません。

 社会主義的実物経済と資本主義的貨幣経済とを比較すれば、実物計算が貨幣計算よりもはるかに不完全なことがわかります。実物計算だと、同質の財相互間でならばともかく、多様かつ異質な財相互間での正確な比較や計算は殆ど不可能に近いのです。そういう制約から実物計算にもとづく社会主義的計画経済にはどうしても非合理的な要素が混入しないわけにはゆきません。

 合理的な計画の計算をする手段なしに、およそ合理的な計画経済などというものは成り立ちえないではないでしょうか。市場メカニズムを欠き、貨幣も価格もない計画経済においては、そもそも合理的な経済計算ができませんから、完全社会化などというものは実現できるはずはありません。これがウェーバーの社会化に反対する理由です。

 また、ウェーバーによると、流通経済とちがって、計画経済では計画目標やその達成方法は中央の指令によって無理強いされるから、経済行為は他律的・強制的となり、自律性や自発性、動機付けという誘惑が欠落し、労働意欲の減衰を招かずにはいないという欠点があります。そのほか、ノルマ制や配給制などにみられるような中央集権経済運営の欠陥や不能率などなど問題は多くあります。このようないくつもの理由から、ウェーバーは、社会主義計画経済に反対したのです。

 

●合理化の極としての計画経済の限界

 

ウェーバーは、経済と社会の関係を深く研究していましたので、社会主義における計算経済論争に対しても、所見を述べています。この点は、富永健一氏の『マックス・ウェーバーとアジアの近代化』(講談社学術文庫)から紹介します。

 ウェーバーは、もと歴史学派経済学の立場にありましたが、これを離脱してから、オーストリア学派の近代経済学に接近しました。ウェーバーはこの立場からマルクスの史的唯物論に対して批判的なスタンスを取り、オーストリア学派のミーセズと同様に社会主義経済はうまく機能し得ないとする見解を表明していました。

 長くなりますが、富永氏の説明を引用します。「ウェーバーは、資本主義経済の理念型を、完全な市場経済・市場性・市場の自由が実現されているという条件のもとに、貨幣計算が、資本計算という形態において、経済行為の最高の合理性を実現しているものとして描いた。貨幣計算の反対概念は実物計算である。実物計算が必要になるのは、市場状態が成立していない経済、すなわち実物経済においてである。ウェーバーは実物経済を、交換のまったくない経済と、実物交換のある経済とに分け、実物計算の問題として興味があるのは後者であるとする。これはウェーバーが、第1次大戦の戦時戦後においてドイツで争われた『社会化論争』、すなわち大戦中の統制経済の経験に基づいて実物計算に立脚した『完全な社会主義』の実現を主張したノイラートと、市場を通じての貨幣計算を撤廃した社会主義経済はうまく機能し得ないと主張したミーゼスとの論争に対して、みずから発言することを意図したためである。共産主義的計画経済においては、すべての経済行為は厳密に家計的な性質のものに帰着するから、資本計算は不可能になって、実物計算のみの世界になる、とウェーバーは考えた」と富永氏は書いています。

 

●経済崩壊は予測されていた

 

実物計算は、資本主義のもとではすべての企業がやっていることですが、種類の異なる生産過程や多様な用途の間での比較は、貨幣計算でなくてはできませんし、減価償却の計算も同様です。

 富永氏によると、「ウェーバーは、『貨幣は完全無欠な経済計算の手段』であり、『経済行為の指向における形式的に最も合理的な手段』であると考える。この観点から、貨幣を撤廃して配給切符に置き換えてしまうというノイラートの提案は、とんでもない話であるとして否定される。ウェーバーから見れば、ノイラートのいう『完全な社会化』などというのは、市場状態を廃止すること、したがって合理的な経済行為そのものをみずから放棄すること以外の何物でもない。『貨幣計算を用いれば、収益性がはっきり確定され、それによってその企業の財生産の方針がきまる。ところが実物計算の場合には、原則としてつぎの二つのいずれかによるしかこの問題を一般的に解決する道はない。すなわち、伝統に依存するか、それとも、絶対的な独裁的命令を発して、消費を一義的に規制しかつ服従させるか、というのがそれである』。

前者はいうまでもなく伝統的行為の範疇であって、およそ合理性の対極に位置する。後者は、戦争に勝つという単一の一義的目的(ノイラートは第1次大戦中のドイツの経験にもとづいていた)にすべてが従属している戦時経済のような場合ならば、その目的の達成にとっては合理的足り得るが、平和経済の観点からするならばそれは『破産者経済』にほかならない。ノイラートだけでなく、シュモラー以下、社会政策学会の『講壇社会主義者』たちも、『実物的な財供給を支持し、経済が純粋に収益性に指向することを批判することばかりやってきた』として、やはりこの観点から批判の対象とされる。こうして彼は明らかに、社会主義的経済計算の不可能性を主張したミーゼスに賛同する側に立っている」と富永氏は述べます。

 さらに、富永氏は、続けます。

「ここでの議論の文脈において重要なことは、このような考察が、われわれにとっての中心問題たる経済と社会との関係のあり方という問題をめぐるものである、ということである。

ウェーバーの用語で言えば、資本主義経済とは、国民経済を構成するきわめて多数の経済団体、経済規制的団体、および経済行為に従事している団体が、市場を介して自首的(autokephal)かつ自律的(autonom)に組織されているような経済編成の仕方をいう。これに対して共産主義経済とは、国民経済全体が一つの単一家計(Einheitswirtschaft)であるような経済であって、そこではいっさいの経済団体、経済規制的団体、および経済行為に従事している団体が、国家によって直接的に、他首的(heterokephal)かつ他律的(heteronom)に統合されているような経済編成の仕方をいう。後者においては、前者におけるような有効価格は欠けているのであるから、価格および生産量はすべて中央計画局によってヘルシャフト的に決定されるほかなく、そして中央計画局はあらゆる財の決定を実物計算にもとづいて、『絶対的な独裁的命令を発して』、行うほかないのである。これでは合理的な経済運営は不可能である」と富永氏は書いています。(註4

 

●合理化による非合理への逆転

 

ウェーバーが社会主義の問題点について書いてから70数年たった平成3年(1991)12月25日、ソ連は崩壊しました。

根本原因はマルクス自身にありました。19世紀後半から、西欧社会では中間階級が増え、知識人が官僚化して、国家・社会・企業を支配する構造が形成されていました。知識人であり職業革命家であるマルクスは、こうした知識人の役割を軽視したか、あるいは意図的に伏せていたのでしょう。そのため、マルクスの理論によって建設された国家は、知識人による官僚集団が権力を独占し、労働者階級を支配する国家となってしまいました。

しかも、レーニンとスターリンというカリスマ的指導者は、この合理的な官僚制を使って、人民を弾圧し、反対派を粛清して、個人崇拝の体制をつくりあげました。秘密警察と強制収容所による高度の統制管理社会が生まれました。 

唯物論的共産主義は、近代化・合理化を極限まで推し進めるものでした。とことが、人間理性によって人工的に作り出した極度に合理主義的な国家は、逆に最も非合理的な国家に転じてしまいました。そして、唯物論・無神論を信奉するソ連指導層は、近代合理主義の極致ともいえる計画経済を推進しました。しかし、社会主義計画経済は、大規模な歴史的実験の果てに破綻しました。それは、共産主義国家そのものの崩壊となりました。

わが国には戦後、共産主義を信奉し、革命活動を推進・支援していた学者・有識者が多数います。しかし、ソ連崩壊以後も、彼らの多くは共産主義を賛美していた自己の誤謬を認めず、自らの過去にほおかむりしたまま、学問や言論を続けています。そして、表面的にはほとんど共産主義者とはわからないようにして、人権や福祉やジェンダーを語っているのです。

共産主義者や社会主義にシンパシーを持つ人たちの多くは、ウェーバーをまともに検討しようとしませんが、ウェーバーの指摘は、単に「ブルジョワ的」「反動的」などと言って斥けられるような問題ではありません。共産主義者・社会主義者こそ、真剣に検討すべき、重大な核心的な問題なのです。そして、これは、近代化とは何か、近代化はどのように進み、どのような矛盾と限界を持っているのかという問題に連続していくのです。(5)

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(1)詳しくは、拙稿「犠牲者1億人を生んだマルクスの欠陥」をご参照下さい。

(2)ウェーバー著『社会主義』(講談社学術文庫)

本書の濱島朗氏による解説は、ウェーバー理論を発展させた共産主義論として、極めて重要な論文です。共産主義の総括を試みる人には必読に値します。

(3)力については、拙稿「権利とは何かーー『力』から『徳』への転換」をご参照ください。権利と権力の関係を含めて考察しています。

(4)富永健一著『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』(講談社学術文庫)

(5)詳しくは、拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆」をご参照下さい。

 

ber117

 

■社会主義と共産主義の違い

2000.10.25

 

 社会主義と共産主義という言葉は、以下の二つの意味で使われている。

 

(1)マルクス主義における社会の発展段階の名称

(2)社会的な思想・運動の名称

 

(1)については、マルクス主義では、資本主義から共産主義へ移行するにあたり、社会の発展段階の低い段階を社会主義と呼び、高い段階を共産主義と呼ぶ。ここで資本主義・社会主義・共産主義というのは、資本主義社会、社会主義社会、共産主義社会を意味する。主義という言葉は、マルクス主義では思想・運動の意味で使う場合と、社会の発展段階の意味で使う場合がある。

次に(2)に関しては、より詳しい説明を要する。

 

●社会的な思想・運動としての違い

 

 社会主義と共産主義は、社会的な思想・運動としては、一部は重複し、一部は異なる。

 

 社会主義(socialism)とは、社会的不平等の根源を私有財産に求め、それを制限ないし廃止し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想または運動である。18世紀以来、現在までさまざまな社会主義の思潮があり、マルクス主義はその一つである。

 

 共産主義は、communismの訳語である。これは、私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようと説く思想または運動である。

 コミュニズムとは、本来コミューン主義の意味である。コミューンとは、産業化の中で解体した共同体の共同性と、市民社会で発達した個人性を併せ持つような、自由と平等が共に実現された高次の共同社会のイメージである。フランス革命後、コミューンの実現をめざす様々な思想・運動があり、1848年の2月革命や同71年のパリ・コミューンはその観念の坩堝だった。その中からマルクス主義が最も有力になった。そのため、今日では、共産主義といえばマルクス主義と同一視される傾向が強い。

 

●社会主義と共産主義の歴史

 

 社会主義の思想的先駆者としては、16世紀前半のトマス・モアが挙げられる。モアの著書『ユートピア』は、どこにもない場所を意味する。社会主義は、そこから「ユートピア思想」といわれるように、当初は夢想的・社会風刺的なものだった。それが実際の社会運動となって発展したのは、産業革命により労働者階級が発生してからである。初期の運動に影響を与えたのはオーエン、サン・シモン、フーリエらの思想である。彼らは、マルクス・エンゲルスにより、「空想的社会主義者」と蔑称で呼ばれたが、独自の要素もあって再評価されている。

特にサン・シモンの「産業主義」は、20世紀のレーニン=スターリン主義・ファシズム・先進国ビューロテクノクラシーの源流とされる。

 

 マルクスとエンゲルスは、「空想的社会主義」に対比して、「科学的社会主義」を標榜した。マルクス主義者は「共産主義」とも自称し、彼らの党派は「共産党」とも「社会民主党」とも称したから、混同しやすい。

 マルクスの時代、1864年に国際的な社会主義組織である国際労働者協会(第1インターナショナル)が結成された。そのころは、さまざまな社会主義運動が並存していた。無政府主義、アナルコ=サンディカリズム、キリスト教的慈善思想などである。

その後、社会主義運動は、主として議会を通して平和的に目標を実現しようとする「社会民主主義」と、武力革命によって社会変革を行なおうとする「共産主義」の二つに大きく分かれて展開した。

 

 西欧では、第1・第2インターナショナル系の政党が議会主義化する一方、1917年のロシア革命の成功によって、第3インターナショナル(コミンテルン)が結成され、武力革命主義が復活した。そしてマルクス=レーニン主義が、「共産主義」の主流となった。

 「社会民主主義」としては、欧州には、第1・第2インターナショナルの系統を継ぐ政党が存続している。そして、武力革命主義をとる「共産主義」と区別して、これらを「社会主義」という場合がある。

 その一方、旧ソ連を「社会主義国」と呼んだり、「共産主義国」と呼んだりするので、混乱しやすい。冒頭に挙げたマルクス主義における社会の発展段階の名称として、共産主義の低い段階を社会主義、高い段階を共産主義とも言うため、錯綜した状態である。

旧ソ連は、思想・運動としては「共産主義」の国だったが、連邦の国名は「社会主義」を用いた。だが、社会の発展段階は、私の認識では「社会主義社会」といえる段階に至っていなかった。後進国の開発独裁型の国家資本主義に近く、共産党官僚が新たな支配集団となった統制主義的資本主義である。旧ソ連では、1970年代ブレジネフ書記長の時代に、もはやソ連は共産主義の段階に入ったと宣言した。ところが、その後、旧ソ連は経済の停滞、生産力の低下、社会的矛盾の激化が露呈し、共産主義を放棄し、連邦は解体した。

 

●わが国の場合

 

 次にわが国の場合、現在の「社会民主党」つまり旧「日本社会党」は、西欧的な意味での「社会主義」政党だった。日本共産党は、ソ連に本拠を置くコミンテルンの日本支部として創設された。その理論は、ロシア経由の後進国革命の理論である。これに対し、旧社会党は、先進国革命の理論としてのマルクス主義の側面を代表していた。

 

 旧社会党には、1960〜70年代には党内の有力勢力に、労農派マルクス主義と構造改革論があった。前者は共産党から離れた山川均の系統である。日共の二段階革命論に対し、一段階革命論を説いた。先進国の党派の中では最左派に位置し、議会主義でありながらも、かなり行動的だった。後者は、イタリア共産党から輸入されたもので、武装蜂起・内乱型でなく、議会制民主主義に基づき、構造改革の積み重ねによって社会主義革命を実現しようとするグラムシ系の理論である。

 また、旧「民主社会党」は社会党の右派が、より穏健な議会政党となったもので、欧州の「社会民主主義」政党の多くに、近いものだった。

 

 旧社会党・民社党は「共産主義」には反対し、日本共産党とは一線を画していた。その違いは、武力革命・一党独裁への警戒である。この一線は、決定的な違いだった。

 日本共産党は、マルクス=レーン主義の共産主義政党だが、これをくらますためか、「科学的社会主義」という用語を多用している。そのため、話がまた、ややこしくなっている。旧社会党・民社党が「非科学的社会主義」というわけでもない。

日本共産党は、不破委員長が、マルクスは議会を通じた変革の道をも説いていたことを強調し、レーニンへの原理的な批判を一定程度行った。それが、脱「共産主義」化つまり共産党としての自己否定にまで進むのか、それとも単なる欺瞞的な選挙戦術なのか、注目される。ページの頭へ

 

■追記

2016.4.26

 

上記の拙稿を書いてから16年たった。日本共産党は、志位委員長のもとでも根本的な方針を変えていない。ポスト冷戦世代やもともとあまり政治に関心のない人々には、共産党の恐ろしさを知らない人が少なくない。日本共産党は、今も二段階革命論を堅持している。第一段階は民主連合政権の樹立、第二段階は暴力革命による日本の共産化である。議会主義に徹しているように見えるのは、「敵の出方論」を取っているからで、権力の奪取を図るときは、外国勢力と結んで武装蜂起することを警戒する必要がある。

日本共産党は、以前は中国共産党と路線対立をし、疎遠になっていたが、近年関係を修復しており、日共は背後で中共とつながっていると見たほうがよいだろう。中国が尖閣諸島に侵攻し、沖縄を掌中に納め、さらに日本全体を支配下に置こうとする時、日共は中共の手先となって宣伝工作を行い、主権と独立を守ろうとする国民を切り崩し、さらに中共と連携して武力を以て日本の共産化を実現しようとするだろう。この過程において、日共の内部で中共追従者は地方幹部に取り立てられ、民族独自路線を取ろうとする者は抹殺されることになるだろう。

 

ber117

 

■権力関係と資本主義・共産主義・ファシズム

2009.5.22

 

●権力関係あっての資本主義

 

マルクス『資本論』の基本的欠陥に、権力関係について書いた。ここで、資本主義・共産主義・ファシズムの比較に関して補足したい。

資本主義における経済的社会関係は、権力関係を抜きに考えられない。権力関係が基礎にあって、資本制的生産様式の生産関係が構成されている。権力関係とは、支配―服従または保護―受援の関係である。一方が自分の意思に他方を従わせ、他方がこれに従うという双方の意思の働きである。意思の働きは、権威という心理的な作用のみで機能する場合と、実力ないし武力という物理的な作用を伴う場合がある。

 資本主義における権力関係は、貨幣の存在なくして把握できない。マルクスが剰余価値としてとらえようとした価値は、利潤・利子・地代という形で取得される。これらの価値はすべて貨幣で表現され、蓄積される。マルクスは生産に重点を置き、資本における利潤の増大のメカニズムを解明しようとした。しかし、私は、資本の典型としての貨幣にもっと注目すべきだと思う。

 貨幣は、資本主義の不可欠の要素である。資本主義は、貨幣経済が高度に発達したものである。資本は、自己増殖する価値の運動体である。その典型は、貨幣である。貨幣の貸借は、返済の義務を生じる。この関係は、自由な契約により、貸主と借主の間の自由意思の働きである。返済が賃借の金額と同額であれば、貨幣は増加しない。しかし、貸借の報酬として、利子を取るとき、貨幣は増殖する。この貨幣の自己増殖の運動は、資本主義の本質的な要素である。

 貨幣という典型的な資本の形態なくして、資本主義は成立しない。貨幣の貸借は、自由意思による契約であるが、返済の義務は、強制的な取立てを伴う。平等の関係が支配―服従の関係に転じる。そこに闘争的な権力関係が発生する。これが、資本主義における権力関係における貨幣の機能の重要性である。

 

●権力関係を加えないと価値の移転は説明できない


 権力関係については、世界的な資本主義の中核部と周辺部の間にも形成された。イマヌエル・ウォーラーステインは、近代世界に形成された世界経済を近代世界システムという。彼はこのシステムの分析において、中核部と周辺部の間で商品交換が行われる際、周辺部において競争的に生産される産品は弱い立場に置かれ、中核部において独占に準ずる状況で生産される産品は強い立場を占めるとし、「結果として、周辺的な産品の生産者から中核的な産品の生産者への絶え間ない剰余価値の移動が起こる」と説く。しかし、ウォーラーステインは、剰余価値という用語を使っていながら、この用語は「生産者によって獲得される実質利潤の総額という意味でしか用いていない」と断っている。

 アルギリ・エマニュエルは、周辺的産品が中核的産品と交換されるときに、剰余価値の移転を伴うとし、これを「不等価交換」と呼んだ。これについて、ウォーラーステインは、「不等価交換は、政治的に弱い地域から政治的に強い地域への資本蓄積の移転の唯一の形態ではない。たとえば収奪というかたちもあり、近代世界システムの初期の世界=経済に新しい地域が包摂される際には、広い範囲でしばしば行われた」と述べている。すなわち、「政治的に弱い地域から政治的に強い地域への資本蓄積の移転」には、収奪、不等価交換等の形態があるとしている。

 私見を述べると、不等価交換は、市場での交換における価値の移動の非対称性をいう。形式的には等価交換に見えるが、実質的には不等価交換になっているために、一方的に価値が移動していくわけである。これに比べ、収奪は、強制的に奪い取ることである。売買という経済的な行為ではなく、権力による政治的な行為である。多少の対価が支払われても、極度に非対称的な場合は、収奪という。

 ウォーラーステインは「政治的に弱い地域から政治的に強い地域へ資本蓄積の移転」と書いているが、私は、価値の移転は、経済原理論的なものだけではなく、政治学的な権力関係によると考える。そして権力関係という社会的要素を重視しなければ、資本主義の経済活動の根本構造は理解できないと私は思う。


●資本主義と社会主義の類似性


 権力関係に注目すると、資本主義と社会主義の比較は、通説とは異なった理解を生み出す。社会主義は、社会的不平等の根源を私有財産制に求め、それを廃止ないし制限し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想・運動である。西欧の社会主義には様々な思潮があるが、1864年の第1インターナショナルの結成以後、社会主義は、主として議会を通じて平和的に目標を実現しようとする社会民主主義と、武力革命によって社会改革を行おうとする共産主義の二つに大きく分かれた。

 共産主義は思想・運動であって、社会体制としての共産主義は、いまだかつて地上に実現したことがない。ここでは、経済社会の体制をついて述べるので、混乱を避けるため、旧ソ連とその系列国の共産主義を、社会主義という上位の概念で記述する。

 私は、戦後世界を長く二分した旧ソ連の社会主義体制は、資本主義とまったく異なるものだったとは考えない。旧ソ連は、政策としては、思想的には共産主義、特にその中のマルクス=レーニン主義だが、経済体制としては社会主義である。

旧ソ連の社会主義体制は、資本主義を脱却し、原理的に別のものになったわけではなかった。所有の形態は、一部私的所有から社会的所有に変わった。しかし、所有は支配という行為と関連付けて考えなければいけない。所有者が資本家から国家に変わったといっても、その国家を支配しているのが、権力を握る特定の集団であれば、その集団は、多くの富を領有することができる。旧ソ連では、共産党の官僚が新たな特権階級となり、新しい貴族となった。

 私は、先に資本家と労働者の間における賃金の決定は、権力関係によると書いたが、社会主義を標榜する国家において、貴族的な共産党官僚と貧しい労働者・農民という分化が起こったのは、支配集団と労働者・農民との権力関係による。共産党が権力を独占し、国民大衆には政治的自由がない。こうした社会では、自由主義的資本主義の社会よりも、労働者・農民は弱い立場となる。所有の形態より、支配の実態が重要なのである。

 それゆえ、旧ソ連の社会主義は資本主義を変形したものであって、資本主義とまったく別のものではなかったことがわかる。所有の形態が変わったとしても、資本主義の本質は維持されている。マルクスは、資本とは、貨幣や商品や生産手段ではなく、一方に生産手段を私有する少数の資本家、他方に生産手段を奪われ自分の労働力を商品として売るしかない多数の労働者がいるという生産関係が、貨幣や生産手段等を資本たらしめるとした。ここにおける資本家が共産党官僚に置き換えられた社会が、旧ソ連の社会主義体制であり、そこにおける生産関係は、本質的には変わっていない。生産関係は、生産の場における権力関係である。

 社会主義は、資本主義が市場原理によるのに対し、計画経済を試みた。しかし、膨大な種類と量の商品を生み出す国民経済を、政府が完全に管理することはできない。工業製品の一部は計画的に生産できたとしても、農産物の収量は天候など自然条件に左右される。また、国民の生活資材は、国家が配給するものだけでは、欲求が満たされない。そのため、商品の価格を完全に統制することはできない。

 それとともに、旧ソ連時代の社会主義体制は、資本主義世界とまったく隔絶していたわけではない。資本主義諸国や外国資本から商品を購入し、またそれらに商品を販売していた。資本主義圏との間で、外貨を用いて貿易をし、通貨の交換を行っていたから、資本主義の経済システムに組み込まれ、その一部となっていた。

 

●共産主義とファシズムの類似性


 次に、上記のような社会主義経済体制を取る共産主義とファシズムの違いは何か。権力関係に注目すると、共産主義的社会主義とファシズムは、経済的な側面に関する限り、私的所有と社会的所有の度合いの違い、及び政府による経済統制の度合いという相対的な違いに過ぎない。所有は権力関係の現れであり、統制も同様である。共産主義的社会主義とファシズムは、ともに統制主義的資本主義と見ることができる。旧ソ連は、それをマルクス、レーニンの用語で粉飾し、ナチス・ドイツはマルクス、レーニンの用語を排除しただけで、政府による統制主義的資本主義という点では、本質的な違いはない。

 この点をより明確に理解できるのは、共産中国における社会主義市場経済の導入である。社会主義市場経済とは一見珍妙な概念だが、もともと社会主義は資本主義とまったく異なったものではなく、資本主義の変形である。政府の統制のもとで市場経済を拡大する政策が、原理的に可能なのである。

 共産主義とファシズムは、マルクス=レーニン主義的共産主義の思想で主導するか、ナショナリズムの思想で主導するかによって、表面は大きく違うが、その相違は本質的な相違ではない。特に共産主義を標榜しながら、ナショナリズムを強調する国家の外交的・軍事的行動は、ファシズムのそれと同様となる。その例が、スターリン時代の旧ソ連であり、江沢民以降の共産中国である。

 権力関係に着眼することによって、政治体制・経済体制の比較・分析を深めることができる。ページの頭へ

 

ber117

 

■国家と階級・民族の関係

2005.9.16

 

日本語の国家には、政治的・文化的・歴史的な共同体という意味と、その共同体が持つ統治機構つまり政府という意味との二つの意味がある。英語では前者を Nation 、後者を State という。

マルクス=レーニン主義では、国家を階級支配のための「暴力装置」だとする。ここに言う国家は、後者の政府 Stateの意味である。共同体としての国家 Nationが、階級支配のための「暴力装置」なのではない。この点、日本語では、一つの国家という言葉が、両方の意味で使われるので、混同しやすい。なお、ここにいう「暴力」は、実力または武力を意味する。

マルクス=レーニン主義は、近代国家では、政府が国内の実力を独占し、階級支配を行うと考える。しかし、文明学的に見ると、世界の文明史では、階級間より民族間の支配のほうが顕著である。征服した民族が支配集団となり、それが支配階級となる事例が、諸文明の歴史をおおっている。共産主義は、生産力の向上と私有財産制の発達による階級分化という経済的内発的な要因を重視するが、文明学は侵略・政府による軍事的外発的な要因を指摘する。前者を否定するのではない。単純すぎると批判するのである。
 階級支配論に立つマルクス=エンゲルスは、イギリスをモデルに市民社会と近代国家の発生を理論化した。しかし、イギリスの歴史を見ても、ケルト人の国へ、ディーン人、アングロ=サクソン人、ノルマン人が次々に侵略・流入を繰り返した。征服した民族が支配集団となり、また次に征服した民族がそれを襲った結果、社会が多民族的に階層化し、地域的にも構造化している。
 経済的内発的なモデルが最もよく当てはまるのは、イギリス資本主義の発達過程なのだが、この場合ですらノルマン・コンクェストによるノルマン系の貴族に対して、アングロ=サクソン系の多いジェントリー・ヨーマンリーの台頭といった民族間の要素がある。貴族はフランス語を、庶民はドイツ系の古英語を話していた。
 民族間の侵攻や征服の繰り返しに注目すると、共同体としての国家が持つ統治機構つまり政府とは、対外的な自衛のために不可欠の機構であることがわかる。政府は対内的な階級支配のための暴力装置というより、対外的な自衛装置としての役割が大きい。実力の組織化は、対外的に侵攻するための組織機構ともなる。対外的には外敵の侵攻を防ぐための自衛装置が、対内的には統治のために必要な治安維持装置ともなる。統治機構を失い、無政府状態になった集団は、外敵に容易に征服される。そして、侵攻を受けた集団は、そっくり侵攻者に支配される集団となる。それは、同一集団内における支配より、はるかに苛烈なものとなる。結果は殺戮、暴行、略奪、奴隷化である。また別の結果としては、ユダヤ人のように居住する土地を失い、諸国に離散・流浪することになる。

近代的な議会制デモクラシーが発達し、選挙権の所持者が増え、財産・税金の多寡にかかわらず選挙権が与えられる普通選挙が行われるようになると、国家(政府)を支配という側面だけで見るのは、一面的となる。普通選挙によれば、理論的には、一定の主義や思想を持つ団体(政党)が選挙によって選ばれ、政府を構成するようになる。そこに階級間・民族間の支配の歴史が保持されていても、それが決定的とはいえなくなる。
 実際、現代の国家は、過去の階級的・民族的な対立・融合の歴史を基層としつつも、特定の集団による支配ではなく、国民の多数意思をもって統治する機構に変化している。そして、国家(政府)が追求する利益は、特定の集団の利益というより、国民多数の利益となっている。その主導権は、選挙で選ばれる団体(政党)に与えられる。それにもかかわらず階級支配を強調するのは、別の目的があると見たほうがよい。
 旧ソ連では革命後、権力を掌中にした共産党が特権をほしいままにし、「新しい貴族階級」となった。また、階級論をもって東欧に勢力を広げ、大国が小国を支配する覇権体制を築いた。ソ連・東欧圏の共産党支配体制の崩壊後も、階級論を強調し続けている団体は、共産主義による支配をねらっているのである。階級支配の強調は、国民を思想的に分裂させ、共産主義者が権力を奪取するための手段となっている。国民が思想的に分裂すれば、国民意識は低下する。当然、国益を考える力も低下する。日本国民の多くは、そのような状態にある。そのことは、日本の共産化をめざす勢力や、日本の弱体化や支配をめざす反日的な国家にとって有利である。日本人は、この点、十分注意すべきである。

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■現代中国をどう見るか〜ファシズム的共産主義の脅威

2006.10.02

 

●ファシズムと共産主義に共通するもの

 

 ファシズムの最も狭い定義は、イタリアのファシスト党の思想・運動について言う。より広い定義は、ドイツのナチスを加えて、ファシスト党と共通する特徴を取り出して、政治学の概念としたものである。これに、昭和戦前期のわが国やスペイン等の国家体制を加える見方もある。

ファシズムは、共産主義の側からは、共産主義革命に対する「反動」であり、「反革命の最も先鋭な、最も戦闘的な形態」とされる。その点で、ナチス・ドイツは、ファシズムの国家だった。一方、当時のソ連は、共産主義の国家である。ヒトラーとスターリンは、独ソ戦争を戦った。その限りでは、ファシズムと共産主義は、敵対関係にある対立物である。

しかし、ファシズムと共産主義には、共通点がある。

 例えば、わが国有数の政治学者・丸山真男は、ファシズムを定義する際、次のような特徴を挙げた。

 

@独裁者の出現とその神格化

A議会政治の否定による一党独裁

B非立憲制

C言論・集会・結社・団結の自由と自主的コミュニケーションの禁止

Dテクノロジーとマスメディアの駆使による大衆の画一化

Eテロ・暴力の駆使による「恐怖の支配」

 

 これらの特徴は、ほとんどが共産主義にも当てはまる。マルクス=エンゲルスの思想は、理論上必ずしもこうではないから、ロシア型共産主義の場合は、と補足しておこう。ただし、歴史的現実的に実現した共産主義体制は、ロシア型つまりレーニン=スターリンの系統である。21世紀に生き延びている中国も北朝鮮も、同系統である。本稿にいう共産主義は、この意味で言う。

 

 ファシズムと共産主義は、全体主義という概念でとらえることができる。フリードリッヒ・ブレゼンスキーの『全体主義的独裁と専制』によると、全体主義には、次のような特徴がある。

 

@首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)

A独裁者の指導による単一大衆政党

B物理的・心理的テロルの体系

Cマスコミの独占

D武器の独占

E経済の集中管理と指導

 

 これらの特徴は、ナチス・ドイツにも旧ソ連にも当てはまる。特にスターリン時代のソ連は、国家主義的・民族主義的傾向が強く、ナチス・ドイツとの共通点が多い。違いは、ソ連はマルクス・エンゲルス・レーニン等の思想を掲げるが、ナチスは彼らの思想を敵視するところにある。それを除くと、政治体制・統治方法・行動形式は、よく似ている。

 経済体制は、ソ連には私有財産制が存続し、共産党官僚が権力を利用して富を獲得し、新しい支配階級に成り代わった。その正当化のために引き続きマルクス=レーニン主義を利用していた。世界の共産化という戦略も、自国の利益追求のための膨張政策を、マルクス・レーニンの文言を切り貼りして粉飾していたようなものである。

 ともあれ、スターリン以後もソ連は、資本主義に対抗して、計画経済を行なっていた。また、マルクス=レーニン主義による革命運動を世界に指令していた。共産主義のイデオロギーで、自由主義と思想闘争を行なっていた。そういう外形は保っていた。だから、旧ソ連をファシズムとは呼ばない。

 

●中国はナチス・ドイツに似てきている

 

 中華人民共和国は、もともとスターリン時代のソ連の指導と援助を受けて革命に成功し、また国家建設を進めた。毛沢東は、シナのスターリンというべき独裁者だった。彼らをイワン雷帝と始皇帝に比せられよう。

 毛時代の中国は、ソ連ほど工業化が進んでおらず、社会主義体制というより、アジア・アフリカ・ラテンアメリカにおける軍事政権による開発独裁に近い体制だった。開発独裁は、政府主導の近代化・産業化であり、資本主義化の道と社会主義化の道を選択しうる。

 

 革命国家は、資本主義経済体制と社会主義経済体制の過渡期にある。資本主義から社会主義への過渡期においては、資本主義への逆戻りがありうる。社会主義国で資本主義的要素が多くなることは、社会主義建設の後退と考えられる。

 中国の場合、毛沢東の時代には、まがりなりにも社会主義経済体制をめざしていた。しかし、毛の政策は、大躍進政策や文化大革命等、破壊と混乱を繰り返すばかりで、ほとんど経済成長ができなかった。核の開発だけが突出して推進された。

 毛の死後、実権を握ったケ小平は、走資派の頭目だった。走資派とは、資本主義に走る者という意である。ケは「社会主義市場経済」という原理的には矛盾した政策を掲げ、資本主義的な近代化・産業化のコースに舵を切った。政治的には共産党支配の正統性を保ちながら、経済的には外国資本の投資を呼び込んで経済成長をめざした。

 

 旧ソ連の革命は、新しい貴族階級「ノーメン・クラツーラ」を生み出した。中国の革命も、同様である。権力を握る共産党官僚や人民解放軍幹部が富を獲得していくという国家に、中国は変貌している。

 もちろん現在も、政治思想は共産主義であり、マルクス=レーニン主義・毛沢東思想を掲げている。しかし、共産主義の理想である私有財産制の否定、それによる貧富の格差の解消は、かなぐり捨てている。

 社会主義的全体主義が、私有財産制を認め、資本主義的要素を多く取り入れれば、資本主義的全体主義に近づく。資本主義的全体主義をファシズムと言うならば、現在の中国は、共産主義がファシズムに変質しつつあると見られる。とりわけ、対外戦略は、ナチス・ドイツに似た思想と行動を表している。

 現在の中国は、かつてのソ連以上に、もっとナチス・ドイツに似てきているのである。「社会主義市場経済」という原理的に矛盾した言い方にならえば、このファシズム化しつつある共産主義を、「ファシズム的共産主義」と呼ぶことが出来るだろう。ファシズムそのものではない。マルクス=レーニン主義を掲げている以上、いかに変質してもなお共産主義である。

 

●中独の具体的な類似点

 

 中国はナチス・ドイツに似てきていると書いたが、もう少し具体的に類似点を挙げてみよう。

 

@武力による政権奪取

 ナチスはテロと議会制圧によって、権力を奪取した。中国共産党は国共内戦を通じて、権力を奪取した。過程は違うが、ともに武力によって政権に就いている。

 

A一党独裁

 政権奪取後、ナチスは一党独裁、中国共産党は事実上の一党独裁を維持している。ともに個人の自由は極度に制限され、思想統制が行なわれている。政権または党への批判は、徹底的に弾圧される。

 

B国家資本主義

 経済政策では、ナチスは、自由主義的な資本主義に対して統制をかけ、一部事業の国有化を行ない、政府主導型の国家資本主義体制を取った。中国は「社会主義市場経済」の導入により、政権は共産党だが、経済は政府主導型の国家資本主義となっている。

 

C弱者の復讐

 ドイツは、第1次世界大戦の敗戦国であり、ベルサイユ条約で過酷な制裁を受けた。これに対するドイツ国民の反発が、ナチスの台頭を生んだ。ナチス・ドイツは、フランス・イギリス等への復讐心に燃えていた。

 中国は、第2次大戦の戦勝国ではあるが、アヘン戦争以後、西洋列強の侵略を受けていた。またシナ事変以後、日本との戦いでは、連戦連敗だった。戦後はアメリカの核で何度も脅された。こうした屈辱が、日本への復讐心、アメリカへの対抗心となっている。

 

D極度の民族主義(アルトラ・ナショナリズム)

 ナチズムは、ユダヤ民族の選民思想を、ゲルマン民族に置き換えた性格を持つ。中国は、古来、中華思想を持ち、周辺諸民族を蛮族と見て、朝貢体制を築く。この中華思想と共産主義が結合した。さらに江沢民以後の反日愛国主義教育が、中華思想と結びついた民族主義を高揚させている。

 

E民族浄化

 ナチスは、ユダヤ人の虐殺を行い、ユダヤ民族の絶滅をめざした。中国共産党は、チベットに侵攻し、チベットの人口の4分の1に当たる120万人のチベット人が殺害された。チベットの女性はみな断種手術を強制されたため、民族の絶滅を迎えようとしているという。今日、中国国民の中には、愛国主義反日教育の結果、日本民族の殺戮・強姦・絶滅を叫ぶ者が出ている。

 これは共産主義の思想ではなく、ナチズムの思想に近い。

 

F猛烈な軍拡

 大戦間期のドイツは、猛烈な軍拡をした。中国は18年間連続で、軍事費が2桁の伸びをしている。ドイツは、優秀な科学者を結集し、当時、世界最高水準の科学兵器を開発・製造した。中国は成長する経済力をもって、核ミサイル、原子力潜水艦、空母、宇宙兵器等の科学兵器を開発・製造しつつある。

 軍拡の目的は、中独とも、生存圏の確保、地域覇権の確立、世界支配であろう。

 

G生存圏の思想

 ナチス・ドイツは、「生存圏(Lebensraum)」の拡大、すなわち、増大する人口を完全に許容し、民族を自給自足体制に移行させ、世界強国との闘争を可能とする資源をも産出する広大な領土の獲得を目指した。中国共産党は、江沢民時代以来、「民族の生存空間の確保」を打ち出している「13億の中国人にとって海洋は絶対に欠かすことのできない民族的生存空間だ」と公言し、海洋への進出を強化している。

 これは共産主義の思想ではなく、ナチズムの思想である。

 

H地域覇権主義

 ナチス・ドイツは欧州における覇権をめざし、一時的にそれを実現した。中国共産党は現在、アジアにおける覇権の確立をめざしている。ナチス・ドイツは、オーストリア・チェコ・ポーランド等に触手を伸ばしたが、中国は既にチベット、モンゴル、新疆等を支配し、さらに台湾、尖閣諸島、東シナ海等に版図を広げようとしている。

 この行動は、共産主義による民族解放・共産党政権の樹立とは関係ない。ファシズムの行動である。

 

I世界支配の野望

 ナチズムは、ナチスという党が世界を支配することをめざした。大陸に拡散した古代ゲルマン民族の膨張願望に通じるものがある。中華思想は、世界統治の思想である。共産主義は、世界の共産化を目指している。中国共産党は、中華思想的共産主義によって、世界を支配しようとしているように見える。

 

 以上、中国とナチス・ドイツとの共通点を10点上げた。「ファシズム的共産主義」と呼ぶ論拠である。このような国が、わが国と海を隔てて隣接しているのである。

 違いも、もちろん多くある。特に、現代中国は核兵器を持っていること。膨大な人口を持っていること。この二つは見逃せない。

 膨大な人口を周辺諸国に流出・移住させ、世界核戦争の際は人口力による生存・支配を図るという戦略は、ナチス・ドイツにはできなかったものである。

 

●わが国はいかに備えるべきか

 

 世界は、米中冷戦の時代に入ったという見方をする識者が増えつつある。私も、同意する。ただし、東アジアに限って見ると、むしろ第1次大戦から第2次大戦への戦間期、1930年代のヨーロッパに似た事情になってきていると私は思う。

 第1次世界大戦は、世界大戦とはいうが、まだ第1次欧州大戦というべきものだった。東アジアでも戦闘はあったが、規模が小さかった。それゆえ、地球的規模で言えば、第2次大戦こそ、世界大戦という名にふさわしい。

 この世界大戦は、欧州では第2次欧州大戦だった。しかし、東アジアでは初めての大戦であって、第1次東アジア大戦だったというとらえ方もできよう。この見方で言えば、現在東アジアは、第2次東アジア大戦に向かいかねない状況になってきていると思う。

 米中冷戦は、資源・エネルギーの争奪を中心に、世界的規模での米中の主導権争いとして展開されているが、軍事的な対峙は東アジアが主な舞台である。それゆえ、わが国を含む地域で、大戦勃発の危険性を孕(はら)む緊張状態が、米中冷戦である。

 

 アメリカは、ナチス・ドイツと直接戦ったが、ソ連とは決戦をしなかった。覇権闘争を貫徹したナチスと異なり、ソ連共産党は平和共存の道を選んだ。中国はどうか。中国指導部の戦略思想は、ソ連よりナチスに近い。生存意識が強く、極度に民族主義的・排外主義的である。こうした国家は、自己崩壊しない限り、冒険主義的な行動を起こす。だから、私は、そう遠くない将来、米中が激突する可能性はかなり高く、その過程で、わが国が中国の侵攻を受けることがありうると思う。外交の努力とともに、国防の備えを怠ってはならない。

 ナチス・ドイツがオーストリア、チェコ、ポーランド等に向かったように、中国が台湾、尖閣諸島、東シナ海等に向かうことは、現実の可能性である。そして、1940年にナチス・ドイツがフランスを攻め、大国フランスがあっけなく敗れたような事態が、今のままではわが国に起こりうる。(1)

 今後、数年から十年ほどの間に、東アジアは大乱の時代になるかも知れない。日本国民が、こういうわが国の伝統・文化・国柄に心底めざめ、精神的に団結できるかどうかに、日本及び日本人の運命がかかっていると思う。

 私が日本精神の復興を呼びかけるゆえんである。戦いを防ぎ、平和を保つ道を進むためにである。(2)ページの頭へ

 

(1)アンドレ・モーロワ著『フランス敗れたり』(株式会社ウエッジ)

拙稿「『フランス敗れたり』に学ぶ〜中国から日本を守るために

(2)現代中国論については、以下の拙稿をご参照ください。

共産中国の覇権主義

共産中国の国家目標

 「人類史上最も危険な思想〜中国の積極的核戦争論

『ショーダウン』〜米中冷戦・両雄対決

中国の日本併合を防ぐには

 

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共産主義検証のための読み物

2000.8.15/2006.10.02

 

 20世紀は「戦争と革命の世紀」といわれます。それはまた「共産主義の実験と崩壊の世紀」とも言えます。21世紀を生きる人間として、今日的立場から共産主義を検証してみたい方に、お勧めメニューを紹介させていただきます。気軽に読めるものだけにとどめます。

 

●レオン・トロツキー著『裏切られた革命』(現代思潮社)

 

 検証の課題の一つは、ロシア革命をどうとらえるかにありましょう。トロツキーは1937年に刊行された本書で、ロシア革命の理想がスターリンに裏切られ、ソ連がいかに変質していったかを証言しています。そして、官僚制支配・個人独裁と一国社会主義路線を糾弾します。しかし彼は革命のやり直しと永続を訴える中で、スターリンに暗殺されます。

ロシア革命から74年後、ソ連は崩壊しました。「なぜこうなったのか」という答えは、トロツキーを無視しては得られません。しかし、この問題の真の答えは、トロツキーの「裏切られ史観」に留まる限り、解答できません。なぜなら、トロツキーもまた人民を裏切った指導者の一人だったからです。さらにその裏切りは、レーニンへ、さらにマルクスへと遡って初めて、真相に迫ることができます。

 さらに真相を追求してみたい方には、宮地健一氏のサイト、「20世紀社会主義を問う」の項目に貴重な資料が多数掲載されています。

(詳しくは⇒http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htm

 

●マックス・ウェーバー著『社会主義』(講談社学術文庫)

 

 ロシア革命の翌年の1918年、ドイツに革命の危機が迫る中で行なわれた講演の記録です。ごく短いものですが、共産主義批判の理論的なエッセンスが述べられています。

 ウェーバーは、マルクスが見落とした近代社会の宿命的な問題、「官僚制的合理化」を解き明かした巨人です。彼はその研究に基いて、共産主義は必ず官僚独裁となることを明察しています。この講演は、官僚制論の立場からの共産主義批判といえます。

 またウェーバーは、経済決定論的な唯物史観に対して、歴史や社会を動かすものとしての理念の重要性を主張、またマルクスの所有論に欠けている権力と支配の問題を提起、また流通経済に比べ計数化に劣る計画経済はうまくいかないことを指摘しています。

 それだけに、共産主義を信奉する人は、ウェーバーを避ける傾向にあります。

 

●フリードリッヒ・A・ハイエク著『隷従への道』(東京創元社)

 

 社会主義国は計画経済を実験し、見事に失敗しました。「社会主義の計画経済は可能か」という問題は、早くも1920年にミーゼスが提起し、「社会主義経済計算論争」が行なわれました。ミーゼスの弟子ハイエクは、理論的には可能でも、膨大な計算となるため実行不可能と結論し、市場経済の優位を説きました。

 その後、ハイエクが本書を出したのは、第2次大戦最中の1944年。戦時経済を行なっていたイギリスで、ハイエクは戦後を見越して警告します。経済の計画化は社会主義への道であり、社会主義はソ連やナチスのような全体主義・奴隷社会に陥ると。そして、「真の自由主義」つまり個人の尊厳に基く自由主義を唱導します。本書の共産主義批判は、ファシズムを含む集産主義に反対するなかでの批判です。批判の核心は、自由の擁護にあります。旧ソ連支配下の東欧で、共産政権打倒のために読まれ、歴史を動かした一書です。

 

●エーリッヒ・フロム著『正気の社会』(社会思想社)

 

精神分析学者フロムは、マルクス主義と精神分析を統合しようと試みますが、1955年、本書において、マルクスへの批判を明らかにしました。マルクスは人間性には独自の法則があり、経済条件と相互作用の関係にあることを十分認識していなかった、というのです。

フロムによると、マルクスは人間の心理学的洞察に欠け、人間の内部にある非合理的な権力欲、破壊欲を認識していませんでした。そのため、3つの誤りを犯しています。第一は、人間における道徳的要素を無視しているため、新しい社会体制になったとき、新しい道徳が必要となることに注意を払わなかったこと。第二は、革命によって「よい社会」が直ちに来ると考え、権威主義や野蛮性が現われる可能性を軽く考えていたこと。第三は、生産手段の社会的所有を必要充分条件と考えてしまったことです。

こうしたフロムの主張は、共産主義が見失っていた心の問題を明らかにし、現代世界における人間性の回復に寄与するものとなっています。

 

●小泉信三著『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)

 

 昭和24年、終戦間もなく刊行され、共産主義から日本を守る人々に、理論と自信を与えた名著です。

マルクスの革命理論と、その後の共産主義の運動・歴史には多くの矛盾がある。労働価値説・搾取論は、市場における需要と供給を考えに入れると、理論的に成り立たない。経験科学の範囲内には、共産主義実現の必然性を承認する根拠がない。共産主義における階級問題と民族問題の矛盾は、マルクス・エンゲルスの民族的偏見にあるーーその他、誰もが持つ共産主義への疑問を明らかにし、共産主義批判の要点を平易に述べています。簡潔にして明快です。

 

●猪木正道著『共産主義の系譜』(角川文庫)

 

 昭和24年の出版。その後、増補改訂が行なわれ、マルクス・レーニンから毛沢東・ユーロコミュニズムまでカヴァーしています。

猪木は、ソ連のマルクス主義と、もともとのマルクスとを区別し、生のマルクスを把握したうえで、その後のマルクス主義の変化を描くという先駆的な研究をしました。また、早くからトロツキーの重要性を認め、スターリン主義を批判し、同時にトロツキズムの限界をも指摘しました。さらに、共産党官僚が「新しい階級」となっているというソ連研究や、現代共産主義に大きな影響を与えているルカーチやグラムシの思想などの紹介もしています。

本書は、このように幅広い視野から共産主義を把握して批判している点で、貴重な資料です。

 

●谷沢永一著『正体見たり 社会主義』(PHP文庫)

 

 冷戦が終了し、ソ連・東欧の共産主義政権が崩壊した時点で、21世紀に向け、共産主義を総括した本。凄腕の共産党員であった著者は、マルクス・レーニン・スターリンの罪業を、内在的に明らかにしています。我が国の社会党・共産党にも、ずばっと切り込んで、痛快です。急所を突いていて、しかも分かりやすい本です。

 また、本書は、単に共産主義の批判にとどまらず、権力欲という点から人間性の研究へと考察を深めています。ここが、「人間通」といわれる著者らしいところです。著者は書いています。「そもそも人間には権力欲がある。権力本能がある。その権力欲が最も極端に達してできたのが共産主義権力である」と。本書によって、共産主義の総括は、人間の心の問題を抜きには、なし得ないことにうなずかされるでしょう。

 

●ユン・チアン+J・ハリデイ著『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(講談社)

 

衝撃的な本です。新しい膨大な資料や多数のインタビューをもとに、20世紀屈指の指導者・毛沢東の実像を描いています。共産党の支配下で、中国は7千万もの犠牲者が出ているといわれます。その惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものでした。本書は、毛の悪行は、スターリンやヒトラーを上回るものであることを、圧倒的な説得力で明らかにしています。

 毛沢東の死後、彼の目指した超大国化、軍事大国化の道を中国共産党は、歩み続けていました。そして、21世紀の今日、共産中国は日本への脅威となり、アジアへの、また世界への脅威となっています。その憎悪と謀略の反日思想によって。また、核ミサイル、原子力潜水艦、自然破壊、食料不足、エネルギー争奪、エイズの蔓延等によって。こうした現代中国の由来と将来を認識する上で、本書は必読の書と言っても過言ではないと思います。ページの頭へ

 

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■日本赤軍の重信房子・よど号犯とオウム真理教の危険なつながり

2000.11.20

 

 私は、オウム真理教事件は、2・26事件とゾルゲ事件をあわせた以上の歴史的な大事件だと思う。そして、この事件には、北朝鮮・赤軍派・一部政治家等が関わっていると推測する。

 

●重信房子と「よど号犯」グループの関係

 

  「日本赤軍」最高幹部の重信房子は、平成12年(2000)11月に、大阪で逮捕された。これまでの新聞報道によると、重信は数年前から、日本への入国を繰り返し、日本から北京などにたびたび渡航していた。北京を拠点のひとつにして、偽造旅券を使って世界各地に渡航していた。パスポートの偽造には、「よど号犯」グループがかかわった可能性が高い。

 日本赤軍は、昭和46年(1971)、「共産主義者同盟赤軍派(共産同赤軍派)」のメンバーのうち、レバノンに出国した重信房子、奥平剛士等によって組織された。結成以降、日本赤軍は、パレスチナ・ゲリラと共同し、又は単独で、国際テロ組織の中でも極めて活発なテロ活動を世界各国で展開してきた。彼らが起こした事件の中で、最もいまわしい事件は、昭和47年(1972)5月、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港での銃乱射事件だ。奥平剛士、安田安之、岡本公三の3人が自動小銃を乱射し、一般旅行者ら96人を殺傷(うち死亡24人)した。

 「よど号犯」グループは、同じ赤軍派の一つで、故・田宮高麿ら9人だ。彼らは昭和45年(1970)3月に「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った。彼らの「宿命」について、高沢皓司氏が著書『宿命ーよど号亡命者たちの秘密工作』(新潮社)に描いている。北朝鮮で彼らの革命幻想は打ち砕かれ、彼らは北朝鮮の思想に思想改造され、北朝鮮の対外工作員に変じていく。「よど号犯」のうちには、「粛清」された者、死亡した者もいるが、なお5名が現在、平壌市周辺で執筆業や貿易会社を営むなどしていると伝えられる。

 警察の発表によると、重信が使用していたパスポート2通のうち1通は、約3年前に取得されたものだ。これは、「よど号犯」グループの関係者が使用していた複数の偽造旅券と、旅券番号の一部が一致するなど、数多くの共通点がみられる。

 重信は偽造パスポートを使って、最近の約3年間に5回以上入国し、出国先はいずれも中国方面だった。そして、北京を拠点に「よど号犯」グループの関係者と接触を続けていたとみられる。関西の赤軍派支援グループのメンバーも北京などに渡航し、現地のホテルなどでひそかに会合を持っていたとみられる。

 平成8年(1996)夏には、重信が当時滞在していた北京から、ひそかに北朝鮮に入国していた可能性がある。この夏、平壌で各国の革命を目指すグループの集会が開かれた。この集会に参加するため北京から北朝鮮に入ったとみられる。重信が集会前後に、「よど号犯」グループメンバーと接触していた可能性もある。

 この集会は、各国の革命家やグループなど数十人規模で、日本赤軍の新たな拠点づくりとも関連していたとみられる。参加者の中で重信は重要な役割を果たしていたとされ、この集会に参加する目的で北京を出国した可能性が高いとみられる。

 また平成12年(2000)5月にも、重信が中国・北京に滞在していたことが、CIAによって確認されている。

 日本赤軍は、近年レバノンを活動の拠点とする一方、中東以外の地域に新たな拠点構築を目指し、世界各地で活動を展開していた。しかし、平成7年(1995)、ルーマニアで浴田由紀子が逮捕され、平成8年(1996)ペルーで吉村和江が逮捕、城崎勉がネパールで身柄拘束された。こうした中、平成9年(1997)2月、レバノン国内に潜伏していた日本赤軍のメンバー5人(和光晴生、足立正生、山本萬里子、戸平和夫、岡本公三)が発見され、レバノン当局に身柄を拘束された。本拠地ともいえるレバノンにおいて、政府当局によりメンバーが検挙されたことは、日本赤軍が最も重要な拠点を失ったことを意味している。メンバーの大量検挙と合わせて、組織として極めて大きな打撃を受けたものとみられる。そこで、重信らは、日本へと目を向けてきたのではないか。

 警察の捜査によると、重信の家宅捜索では、新たな組織の構想を記した文書が押収されている。文書は「人民革命党綱領」と「綱領解説」と題されていた。

 人民革命党とは日本国内で革命を実現し権力を奪取するための組織で、平成3年(1991)8月、シリア・ダマスカスで結党された。重信は、相次ぐメンバーの逮捕で弱体化した組織を立て直すため、国内で「人民革命党」の旗揚げを目指し、党綱領をまとめ、来春から活動を公にする計画だったとみられる。同党は運動方針などで対立している国内組織や支援者を一本化して、革命で政権を奪うことを目標にしている。

 東京地裁でこの16日に開かれた拘置理由開示の手続きで、重信容疑者は「来春、いつ司法に身をゆだねてもよい準備を完了する予定だった」と述べた。その旗揚げの準備が完了する前に、最高幹部・重信房子を逮捕したことは、日本警察の功績だろう。

 これまでの報道を通じて、重信に関して、二つの疑惑が浮かび上がってくる。「よど号犯」グループとの関係、そして北朝鮮及び中国政府との関係である。そして、この疑惑は、オウム真理教と北朝鮮・「よど号犯」グループの関係に関する疑惑へと、つながっていく。

 

●金正日の極秘指令を受けた「よど号犯」

 

 重信らの「日本赤軍」は、「よど号犯」グループと昭和50年代から提携をもってきたと見られる。もとは同じ、共産同赤軍派である。

 「よど号犯」には重大な事実がある。それは、彼らは、北朝鮮の指令を受けて、日本国内及び国際的に、さまざまな活動をしてきたという事実である。そして、そこに浮かび上がってくるのが、オウム真理教との関係なのである。

 「よど号犯」グループと親しいジャーナリストが、高沢皓司氏である。高沢氏は、長年彼らを取材してきたことをもとに、著書『宿命』を書いた。この本は、平成11年度の講談社ノンフィクション賞を受賞した。

 その後、高沢氏は、平成11年(1999)8月から10月にかけて、「週刊現代」に「『オウム真理教と北朝鮮』の闇を解いた」という記事を掲載した。11回に及ぶ連載の中で、高沢氏は、オウム真理教と北朝鮮の闇の中に、赤軍派「よど号犯」グループの存在があることを、明らかにしている。

 連載の中で、高沢氏は、驚くべき事実を公表した。氏によると、昭和57年(1982)5月6日、「よど号犯」は、金正日から直筆の極秘指令を受けた。その指令書は実在している。指令書の内容は、金日成主義によって日本革命を準備・達成せよ、というものだ。金正日は、自衛隊工作や軍事クーデターの中核的人間の育成などを指示していた。「よど号犯」は、その指令に従って、対日工作を行ってきたのだという。

 「よど号犯」グループは、金正日から指令書を受けるより前に、「日本赤軍」と接触していた。早くも昭和50年代(1970年代後半)から、彼らは東欧等で複数回接触していた。これは今回の重信逮捕でわかってきたことである。

 そして、「よど号犯」グループは、「日本赤軍」のために、偽造旅券を手配していた可能性が高いと見られている。昭和55〜56年(1980〜81)ごろ、日本赤軍の戸平和夫が使用した偽造旅券は、北朝鮮に拉致(らち)された疑いの強い男性のパスポートと旅券番号などが酷似していた。

 そして、「よど号犯」グループは、金正日のロボットとなって対日工作を行うかたわら、日本赤軍との連携を深めていったと見られる。当時、日本赤軍は、中東での足場を次第に失い始め、新たな活動拠点を探して東南アジアなどで広域に活動するようになった。「よど号犯」グループとの連携は、これ以後の日本赤軍に大きな活動力を与えただろう。その背後には、金正日の存在があると推測される。

 「よど号犯」グループの日本工作活動は、メンバーのあいつぐ逮捕などのために、昭和60年代(1980年代後半)に挫折した。そして、「よど号犯」グループによる工作が挫折した後、北朝鮮は、ある集団を工作の対象として目をつけた。それが、オウム真理教だった、と高沢氏は見ている。

 

●なぞの多いオウム事件

 

 オウム裁判は進んでいる。判決も続々と出ている。しかしオウム事件には、あまりにもなぞが多い。ジャーナリストの一橋文哉氏は、独自の取材によって、オウム事件を追及している。平成7年に月刊誌「新潮45」(新潮社)に、一橋氏は追跡記事を数度に渉って掲載した。その原稿をもとに、平成12年7月、単行本『オウム帝国の正体』(新潮社)が発刊された。

 一橋氏が書いているように、一連のオウム事件は、疑惑に包まれたまま、真相がほとんど明らかにされていない。オウム真理教の存在が、国民に広く知られるようになったのは、平成元年(1989)11月4日の坂本堤弁護士一家拉致殺人事件だ。その翌年、平成2年2月、麻原彰晃は真理党を創設し、25名の候補を立てて国政選挙に打って出た。選挙は惨敗に終わり、教団は、深刻な財政危機に陥ったと見られる。ところが、その年の5月には熊本県波野村に6ヘクタールの土地を購入。そして翌年、平成3年(1991)にはロシアを訪問。エリツィン大統領の側近のロボフに面会して、「ロシア日本大学」構想を打ち上げる。麻原は、平成4年(1992)には信者300人を引き連れてロシアを訪問、政権中枢に接触して本格的な布教活動を開始した。

 一体、どこからこれだけのことをする巨額の資金が出てきたのか。その背後に、オウム真理教に資金を提供した団体があるのではないかと、見られている。統一教会と創価学会が、疑惑の対象として挙がっている。また「オウムは金のなる木」として、オウムに食い込んだ暴力団の存在が浮かび上がっている。

 その後、オウム真理教は、平成6年(1994)6月27日には、松本サリン事件、平成7年(1995)2月28日には、東京・目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件を起こした。そして、遂に平成7年3月20日、東京都心部で地下鉄サリン事件を起こす。死者12名、被害者5500名以上という大事件だった。

 これは、単発のテロではない。「井上メモ」は、オウム真理教の計画には、天皇陛下が国会にお出ましになっているときに、国会の周囲で、サリンを大量に散布するというものがあったことを示している。計画は未然に防がれたが、もし実行されていたら、どのような結果となっていたか、慄然たるものがある。

 オウムは、サリンによる無差別大量テロに続いて、国家中枢テロを行って、クーデタを起こし、さらにはアメリカ・ロシアを巻き込んだ第3次世界大戦を引き起こそうとしていたとも見られている。

 オウム真理教は、サリン事件の10日後、3月31日、国松孝次警察庁長官を狙撃する。そして、4月24日オウム真理教幹部の村井秀夫・科学技術省大臣が、オウム本部前で、刺殺された。

 一橋氏は、一連の事件の中でも次の3つの事件は、特に疑問が多いとしている。坂本弁護士一家拉致事件、国松長官狙撃事件、村井刺殺事件だ。一橋氏は、徹底した取材によって、多くの疑問点を書き記している。

 そこから浮かび上がってくるのは、オウムに関わっていた暴力団、疑惑のある宗教団体、そして大物政治家の存在である。しかしこの方面は、ある段階で、「上から」捜査にストップがかかった。捜査当局は、オウム事件を、オウム真理教単独による犯行として、処理しようとしている。また、裁判において、検察は、この方面については、ほとんど何も追求しようとしていない。重要点の多くに関係する早川は、裁判において、この領域に関しては、固く口を閉ざしたままだ。

 また早川は、オウム真理教と北朝鮮・ロシアの関係についても、明らかにしていない。毒ガス、偽ドル、麻薬、銃火器、潜水艦、軍用ヘリコプターなど、オウム真理教の一連の事件は、日本史上、かつてない国際的な事件である。さらには核兵器製造に関する情報がやりとりされていた可能性もある。そして、背後には北朝鮮や暴力団とのつながり、オウムをロシアに紹介した元代議士、その背後にいると見られる大物政治家、ロシアにおける国際的な武器商人の暗躍等々……日本の内外を結ぶ組織的な関与が見え隠れする。これらが単にうわさの類ではないことは、CIAがオウム事件の調査を行い、アメリカの上院で、大部の報告書が出されていることを知れば、わかるだろう。

 しかし、事件の真相は、日本の警察・司法によって、ほとんど何も明らかにされていない。オウム事件は深い闇に閉ざされたまま、次々に判決が出されている。徹底的に事実を追及していけば、類例を見ない大スキャンダルが暴露され、また国際的な大問題となる可能性があるのだろう。

 

●「よど号犯」が、オウム工作に関与?

 

 オウム真理教の一連の事件の背後には、北朝鮮やロシアの影がある。

 高沢氏は、金正日が「よど号犯」を使って行っていた日本破壊・かく乱工作が挫折した後、それを「ちがう筋で見事に実行したのが、オウムではなかったのか」と見ている。

 高沢氏は、「よど号犯」グループは、北朝鮮のオウム工作に関わっていたことを、強調する。それを明らかにするのが、北朝鮮のオウム工作員Aの存在であると、氏は書いている。氏によると、オウムには、北朝鮮の主体思想(金日成・金正日を絶対化した思想)を身に付けた工作員Aが潜入していた。その頃から、オウムは急激に変質、過激化した。Aは村井秀夫・科学技術省大臣に重用されて武器製造に関与していた。平成7年(1995)3月20日、オウム真理教は、東京で地下鉄サリン事件を起こしたが、サリンの製造責任者が、村井だった。

 Aに連なる潜入工作員は複数いたことが明らかになっている。その一人・霜鳥隆二は、医師としてオウム真理教付属病院に入り、林郁夫の下で働いていた。霜鳥は、共産党系の病院に医師として勤務していた時に、オウムに入信した。ある時、突然、都内にある北朝鮮系の病院に移り、さらにオウム付属病院へ移った。霜鳥は、以後、林の右腕となり、麻酔剤・電気ショック・LSDなどを用いて、信者に洗脳を行っていた。

 これらの方法は、高沢氏によると「北朝鮮の洗脳技術と瓜ふたつ」だ。北の毒ガス等の兵器開発と「まったく同じ軌道上にあるもの」という。しかも霜鳥は、「教祖・麻原に対しても心理療法、あるいは催眠療法などの『イニシエーション』を行える立場にあった」。それゆえ、北朝鮮のオウム工作は、麻原教祖自身に及んでいたと考えられる。

 工作員Aは、オウム事件でオウムの幹部が逮捕された後に、オウムを脱会し、スペインのマドリッドへ飛んだ。高沢氏は、マドリッドでAを取材した。Aは、一連のオウム事件当時のオウム信者である。Aは高沢氏に対し、今でも主体思想は「すばらしい思想」だと言い、主体思想の作成者・黄長Y(ファン・ジャンヨブ)から直接指導を受けたと明かす。

 マドリッドは、北朝鮮の工作拠点のある街。その土地は、柴田泰弘ら「よど号犯」とその妻たちが、北朝鮮による日本人留学生を北朝鮮に拉致する等の活動拠点としていた場所だ。中でも柴田はマドリッドにしばしば滞在して活動していた。高沢氏によると、Aは柴田と同じホテルに宿泊していたことが明らかになっている。

 柴田泰弘は、昭和63年(1988)年5月に、北朝鮮帰国者の偽造旅券で日本に潜入帰国をしていた時に逮捕された。しかし、平成6年(1994)7月に刑を終え出所している。

 柴田の逮捕は、対日工作を進める北朝鮮にとって、打撃だったのだろう。高沢氏の著書『宿命』によると「事態を重く見たピョンヤンからは日本潜伏中の工作員に緊急の帰国指示命令が平壌放送を通じて流された」「柴田泰弘の国内での逮捕と、その後につづく一連の事態は『よど号』グループにとってすべての日本潜入工作が挫折したことを意味していた。……妻たちへの緊急の帰国指令は、からくも彼女たちの国内での逮捕だけはまぬがれさせたのである」という。

 柴田は、出所後も、「よど号犯」グループのスポークスマン、「自主日本の会」などの活動を活発に続けている。北朝鮮及びオウム真理教とのかかわりも持続していたと見られる。

 北朝鮮による日本人拉致事件は、なにも解決していない。日本国政府は、北朝鮮に対して、非常に弱腰であり、「拉致」を「拉致」として主張すらしていない。今後、この事件を解明するには、「よど号犯」グループによる日本人拉致の実態を明らかにされなければならないだろう。それは、金正日と北朝鮮政府の国家的な国際犯罪を暴露することになろう。

 オウム真理教への「よど号犯」グループの関与は、偽ドルについても考えられている。偽ドルというのは、北朝鮮が偽造して、世界に広く使用しているものだ。

 「よど号犯」の一人・田中義三(よしみ)は、平成8年(1996)、タイのパタヤで偽ドル札を使用したとして起訴された。この事件については、平成11年(1999)6月に無罪になり、拘留先のタイ・バンコクから平成12年(2000)6月28日、日本へ移送された。田中が、使った北朝鮮の偽ドルは、「スーパーK」だった。彼が北朝鮮から出国したとき、北京を通過した可能性が高いと見られている。

 オウムの元幹部の証言によると、早川建設省大臣は、ドイツから精巧な印刷機を手配し、北朝鮮の偽ドル印刷に関係していたという。その一方、オウムには、外部から多額の資金提供を受けていた疑惑がある。しかも、それは、赤軍派「よど号犯」の田中義三が使用して逮捕された偽ドル、「スーパーK」だった疑いが濃いと、高沢氏はいう。もしそうだとすれば、赤軍派「よど号犯」と、オウム真理教は、北朝鮮の偽ドルへの協力という点でも、つながってくる。

 

●オウムの北朝鮮コネクション

 

 オウム真理教と北朝鮮の関係についての疑惑は、多数の死傷者を出したサリンやその他の武器にもかかわっている。この点において、「よど号犯」の関与は、わかっていない。しかし、工作員Aがサリン製造責任者の村井に重用されていたこと再確認しておこう。

 高沢氏は言う、「オウム真理教が毒ガスや細菌兵器の開発に手を染めはじめていたのは、そこに北朝鮮の工作組織の浸透があったとすれば、けっして偶然ではないのである」と。

 金日成の著作集には、毒ガスや細菌兵器についての大量の論文・教示がある。朝鮮戦争後、北朝鮮では、毒ガスや細菌兵器の研究が行われている。そして麻原らにサリンなどの知識を吹き込み、オウムを北朝鮮型の組織体系に誘導した、工作組織が存在すると想定されるのだ。

 オウムと北朝鮮の関係の焦点にいるのが、早川紀代秀(建設省大臣)と村井秀夫(科学技術省大臣)だ。

 早川は、麻原と共にオウムの前身である「オウム神仙の会」を創設した人物。オウムナンバー2といわれる大幹部だ。早川は、元統一教会の信者である。それが阿含宗に入り込み、そこで麻原彰晃とめぐり合い、オウム神仙の会を作った。オウム真理教の創設後も、早川は統一教会の会員と会っていたという。スパイ説もある。彼の側近は、事件後、まとまって脱退している。

 早川は、ロシア射撃ツアーを企画したり、軍事訓練を受けたりと、非常にロシアに接近している。麻原オウムがロシアに接近しようとした最初のヒントは、恐らくはこの早川によるものだろう。早川は、ロシアで武器の購入を行っていた。また頻繁にウクライナの首都・キエフへ行き、さらにそこを経由して北朝鮮に行っていたことがわかっている。

 一方、村井は、サリン開発の責任者だった。オウム事件のなかで最も不透明で謎に満ちている事件の一つが、村井の刺殺事件だ。実行犯・徐浩行の背後には、暴力団の存在があり、また同時に北朝鮮の工作組織の影が濃い。徐には数年間、北朝鮮に渡っていた形跡がある。彼は北朝鮮の「きわめて高度に訓練されたテロリストであり、工作員」と高沢氏は見る。

 村井はテレビで、オウムの資金は一千億あると言った。また、地下鉄で使われた毒ガスは、サリンではないとも証言した。とすれば、ガスの製造元はどこの国なのか。そして、さらに村井がさらけ出しかねなかった秘密があったのだろう。

 その秘密は、北朝鮮と暴力団がらみの麻薬取引や偽ドルだったいう疑いもある。高沢氏は、それ以上の秘密があったのではないかと見ている。刺殺される前、村井はテレビでその秘密にふれかねない発言をしていた。そのことが、きわめて強い危惧を、北朝鮮側に抱かせたのだ。それは、日本の原子力発電所に関するものではなかったか。

 早川は、頻繁にウクライナの首都・キエフへ行き、またそこを経由して北朝鮮に行っていたと先に書いた。高沢氏は、早川がロシアでは、武器の購入だけでなく、核燃料のプルトニウムの密輸にもなにか関係があったのではないか、と見る。

 というのも、オウムは日本の原子力発電所に関する膨大な機密書類を手に入れていたのだ。村井らが約200人もの作業員を潜入させて収集したものだ。専門家も初めて見るような詳細な資料だ。こうした原発の機密資料が、早川ルートによって北朝鮮に流出していた可能性がある。そして、早川が北朝鮮の窓口としていたのは、北朝鮮の核兵器関連物資やIC機器の調達を行う部署、「第2経済委員会」だった可能性が、最も高いと、高沢氏は書いている。

 早川は、国際的な「死の商人」風のところがある。これに対し、村井は物理学の専門家であり、原発のデータを理解することができた。 村井は早川とともに北朝鮮に渡航し、関係を持っていた。村井は、究極の教団武装化として「核」開発を考えていた。北朝鮮も、核開発のために、日本の技術とデータを必要として、オウムを利用していた。両者の利益は一致していたとも考えられる。

 オウムの一連の事件への「北朝鮮の関与、工作組織の存在は、村井の命を奪ってもなお、死守しなければならない機密に属していた」と高沢氏はいう。しかし、その真相は、なぞのままだ。

 北朝鮮は、既に核兵器の開発を進め、既に数発の核兵器を持っているのではないかという観測がある。こうした国が「日本赤軍」など国際的なテロ組織とつながりを持ち、いや国際的なテロ組織を領導しようとしていたとすれば、どうだろうか。そうしたテロリストが、核兵器を掌中にしたならば、世界は震撼するだろう。もちろん、掌中にあるのは、サリンや生物・化学兵器であるかも知れない。

 

●赤軍派とオウムを結ぶ線

 

 一体、オウム真理教が一連の事件を独自に起こしたのか。それとも、外国の工作や、国内の諸団体の関与によって、操られていたのか。

 高沢氏は、北朝鮮の存在を重く見る。氏は、オウムは北朝鮮に「徹底して領導され、誘導され、利用され尽くしたともいえるのでは」と高沢氏は見る。「サリンをはじめとした一連のオウム真理教のテロ事件は、日本かく乱工作(クーデター工作)の、いわば予行演習でもあり得たのである」と。首都中枢の霞ヶ関を狙ったサリン事件については、北朝鮮が「日本の危機管理のずさんさと、どのような動きが取られるのかというシミュレーションのデータを得るためにこそ、かく乱工作の第一歩は必要だった」と述べている。

 もしそうだとすると、赤軍派「よど号犯」グループは、こうした北朝鮮のオウム工作に、どの程度関わっていたのか。そして、重信ら「日本赤軍」はそれを関知していたのか。

 「よど号犯」グループは、中国北京を重要な拠点として活動してきた。平成8年(1996)の夏、重信房子は北京から、ひそかに北朝鮮に入国し、平壌で開かれた各国の革命を目指すグループの集会に、参加したらしい。当然重信は、「よど号犯」グループメンバーと接触していただろう。

 「日本赤軍」の重信は、「よど号犯」グループが北朝鮮の国際工作員となっていることを知りながら、彼らとともに活動してきた可能性がある。それは同時に、「日本赤軍」が、北朝鮮の対日工作や世界戦略に協力する、あるいは金正日の指令に従って動いてきたということを示唆する。

 実態はまだ明らかでないが、北朝鮮という国に、重信や国際的なテロリストが集まるということは、当然、北朝鮮政府・指導部は、これを承知していたと見るべきだろう。

 北朝鮮政府は、一体、何のために、このような国際テロリスト集会を、自国で開催したのか。彼らに何を指示したのか。そして、「日本赤軍」に対して、何を提供し、また何を求めたのか。

 重信は北京を拠点として、日本や北朝鮮などでの活動をしてきたと見られる。果たして中国政府は、「日本赤軍」や「よど号犯」グループと関わりはないのか。

 今後、国際的な赤軍派の活動を解明してゆけば、オウム事件とそれに関わる外国勢力の存在に、ぶつかるにちがいない。そこにメスを入れるとき始めて、真相が見えてくるのではないか。これは外交問題となることは必至である。

 いずれにせよ、やがて日本の政界・官界の恥部や、暴力団などのからむ闇の権力が、光にさらされるだろう。日本の背骨まで蝕む、ガンの病巣は、皮膚の下で、破裂寸前にまで、膨れ上がっているからだ。ページの頭へ

 

■追記

 

2005.7.16

 オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)は、父親が朝鮮籍で、在日2世の帰化人といわれる。異常なほど日本を嫌い、日本の転覆までたくらんだのは、こうした出自と無縁ではあるまい。医師の林泰男も朝鮮人の父親を持つ在日2世だった。麻原自身が何度も北朝鮮に行っており、サリンの入手や武器の製造準備、プルトニウムの密輸等、オウム事件には、北朝鮮が関与していたことを思わせる事実がいくつも確認されている。韓国の宗教団体である統一教会や、創価学会の影もちらついている。

 重要事実を知っていた科学技術省のトップ、村井秀夫は刺殺された。実行犯の徐裕行は、在日韓国人で、北朝鮮の主体思想を学んでいた。オウムには、北朝鮮の工作員が入会・関与していたとも伝えられたが、足跡は闇に消えている。 

 オウムの目的は、単なる無差別大量殺人ではなかった。国会の開会日に天皇陛下がご臨席される際、ヘリコプターで国会周辺にサリンをまき、天皇及び日本の国家指導者を一挙に殺戮することを計画していたようだ。計画が実行されれば、中枢を失った日本に、第3国が新潟・北陸海岸から侵攻していたかもしれない。

 一連のオウム裁判では、こうした疑惑は、一切明らかにされていない。

 

2015.3.21

 平成27年(2015年)3月19日TBSテレビのニュース番組で、元アメリカ海軍長官で、テロ対策の専門家リチャード・ダンジグ氏が、「『イスラム国』の聖戦を掲げるテロリスト組織に目を向けると、麻原の考えとは違えど若者には同じような現象が起きているのでは」と語った。

 ダンジグ氏は、オウム真理教のサリン製造に深くかかわった土谷正実死刑囚と中川智正死刑囚に20回にわたって面会し、兵器開発に至る詳細な報告書を作成した。それによると、オウムは70トンものサリンの製造が可能な段階になっていたという。地下鉄サリン事件で使われたサリンは10Kgだった。70トンはその7000倍である。またオウム真理教は、純度90%のサリンを製造し得るレベルにあったという。

 もし、オウムのサリン大量生産計画がそのまま実行され、東京都心で高純度のサリンが何トンも噴霧されていたら、我が国は皇室、首相、政府職員、国会議員を含む多数の人命を失い、潰滅的な被害を受けていただろう。恐るべき破壊衝動、殺戮願望がオウム真理教という形を取って、活動していたのである。だが、麻原彰晃らの計画は、すんでのところで防がれた。それによって、日本国と日本人は守られた。私は、そこに人間を超えた意志の働きがあったのではないかと推量する。

日本人を大量殺戮し、また日本国を壊滅しようとするおそらく麻原の民族的な怨恨による悪魔的な計画に対し、日本国と日本人を守ろうとする超越的な意思の働きを想わざるを得ないのである。

 

2018.7.7

 平成30年(2018年)7月6日、教祖の麻原彰晃ら7人の死刑が東京拘置所等で執行された。麻原とともに刑を執行されたのは、早川紀代秀、井上嘉浩、新実智光、土谷正実、遠藤誠一、中川智正の計6人。執行は初めてだった。他に教団が起こした事件の死刑囚は6人いる。

平成7年(1995年)5月、麻原らが逮捕され、平成8年から裁判が始まった。麻原は、1審の途中から意味不明なことを話すようになり、最後は何も語らなくなった。平成16年(2004年)の1審の死刑判決後、弁護側は即時に控訴したが、「麻原被告は裁判を受ける能力がない」などとして控訴趣意書を提出せず、控訴審は一度も開かれないまま死刑判決が確定した。

 麻原の態度には、精神異常をきたしたものという見方と、精神異常と思わせるための演技という見方がある。

 確定判決によると、麻原は、坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件の3事件を首謀し、このほかの事件を含め13の事件で計26人を殺害し、1人を死亡させた。松本サリン事件と地下鉄サリン事件では、後に被害者が1人ずつ死亡。一連の事件での死者は29人に上った。

 確定判決は、一連の動機を「(麻原死刑囚が)救済の名の下に日本国を支配して自らその王になることを空想。その妨げになる者をポア(殺害)しようとした」と認定した。

 だが、オウム真理教事件の真相は、ほとんど解明されないままに終わった。麻原ら幹部の思想と心理、資金・テロ技術の背後関係、日本赤軍・北朝鮮・ロシアとのつながりなど、あまりに謎が多い。官憲はある線から踏み込もうとせず、肝心の部分は歴史の闇に消えようとしている。ページの頭へ

 

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■代議士・辻元清美の正体

2006.05.20

 

●辻元氏のフェミニズム思想

 

 衆議院議員の辻元清美氏は、社民党に属する左翼政治家である。氏のフェミニズム思想に関しては、彼女の公式サイトで知ることができる。そのサイトには「女性・男性」というページがあり、アドレスが「feminism」と英訳されている。

http://www.kiyomi.gr.jp/vision/feminism.html

 

 このページに、<辻元清美の政策>と題したフェミニズム政策が載っている。

 

「女男平等の設計図を一つずつ作る。キーワードは個人の自立

 

 男女共同参画社会基本法を活かし、女男平等社会実現のためにあらゆる制度・慣行を個人単位の視点で見直します。

 選択的夫婦別姓の実現や、離婚における破綻主義導入やラブチャイルド(婚外出生児)への相続差別是正などの民法改正。(以下略)」

 

 これは、女性の権利の拡大を追及することによって、個人主義を徹底する政策である。個人主義の徹底は、結婚制度を廃止し、フリーセックスを推進して、家族を解体しない限り、実現しない。

 夫婦別姓の導入は、夫婦の別姓だけでなく、親子の別姓、兄弟姉妹の別姓を招く。つまり、家族解体のために家庭に投げ込まれる爆弾が、夫婦別姓なのである。

 事実婚主義への転換、嫡出子・非嫡出子の同権化等は、すべて、家族の解体による個人主義の徹底を追及するものだ。それを「個人の自立」と言うわけである。

 「個人の自立」とは聞こえがいいが、実態は、家族や社会などの共同体の規範を否定して、個人の欲望を無制限に解放しようという思想である。権利の名の下に、欲望の解放が追及されている。しかも、単なる個人ではなく、女性を中心に欲望の解放が追求されている。

 ここで最も破壊の対象となるのが、性道徳である。伝統的な性道徳は、家族の維持と繁栄を大きな目的としている。共同体の維持と繁栄を追及しようとすれば、大人は、個人の欲望を抑制して、子供や家族全体のために尽くさなければならない。それがいやだという自己中心、我欲本位の人間は、性道徳を否定し、結婚制度の廃止、家族の解体を求めることになる。

 近代とは、ある意味で、欲望の解放と拡大の時代である。資本主義、産業主義、社会主義、消費主義を一貫しているのが、それである。現在、その最先端を行っているのが、フェミズムだろうと私は考えている。

 フェミニズムから一切の思想性を剥ぎ取れば、身勝手で助平な欲望がむき出しに現れるのではないかと思う。

 そして、重要なことは、それが単なる個人主義の思想にとどまらないことである。

 問題は、日本のフェミニズムは、左翼や北朝鮮と深い関係があることにある。そのことは辻元清美氏の人脈からも浮かび上がってくる。

 

●日本赤軍との関係

 

 辻元氏は「ピースボート」で有名だが、実は彼女の学生時代から、背後に北川明という人物がいた。辻元氏の元支援者が、4年ほど前、「週刊新潮」に、「ピースボート」を立ち上げたのは、すべて北川氏の知恵と力だ、辻元氏の政策も発言も何もかも北川氏によるもので、辻元氏は「北川さんのあやつり人形」だと述べている。

 北川明氏は、第三書館という出版社の社長をしている。辻元氏は北川氏と内縁関係にあると言われる。辻元氏自身、第三書館の元取締役でもあり、同社から5冊の本を出し、HPでも堂々と広告してきている。

 北川明氏は、元日本赤軍のメンバーである。かつては日本赤軍の兵站委員会の委員またヨーロッパ担当兵として活動した。昭和50年、スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された。西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加予定だったが、未遂に終わったものである。

 その後も、公安調査庁が北川氏の動向を、ずっと調査していると伝えられる。

 北川氏が経営する第三書館はマリファナや殺人、テロに関する詳しい書籍など、著しく反社会的な著作を多数出版している。辻元氏が主催していた頃の「ピースボート」船上では、参加者間で公然とマリファナが吸引されていたという。

  「ピースボート」は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織と見られる。北川氏ら日本赤軍のメンバーが移動する際、「ピースボート」に紛れ込んでいたという。

 北川氏と、日本赤軍最高幹部の重信房子や「よど号犯」グループとは、深い関係があると見られる。重信と「よど号犯」グループについては、拙稿「日本赤軍の重信房子・よど号犯とオウム真理教のつながりの危険なつながり」に書いた。

 「よど号犯」グループは、北朝鮮の金正日の指令の下に、日本人拉致に関与したことが明らかになっている。重信を北朝鮮の国策に巻き込んだのも、「よど号犯」グループだった。

重信房子は、アラブから日本に帰国し、社民党に食い込む大衆路線を展開した。日本赤軍が社民党に食い込んだパイプには、辻元=北川ラインがありそうだ。ちなみに、社民党党首の福島瑞穂氏も、北川氏の第三書館から本を出している。福島氏は、いわずと知れたフェミニストである。

 辻元氏は平成12年の衆議院選挙で大阪10区(高槻・島本)から出馬した。 氏の選対本部には、元過激派のメンバーが現在でも多数所属しているという。

 辻元氏の地盤である高槻市は、日本赤軍の重信房子が潜伏していて、逮捕された場所である。同市の周辺には、日本赤軍の関係者・支援者が多い。

 重信は、高槻市の光愛病院に勤務していた。光愛病院は、創設者が日本赤軍の前身である共産主義同盟赤軍派の元メンバーであり、この病院は日本赤軍支援グループの拠点だった。

 北川氏と重信や「よど号犯」グループの関係が解明及び公表されたとき、辻元清美氏の正体や、背後で暗躍する国際的な運動組織が明らかになってくるだろう。それと同時に、フェミニズムと極左翼や北朝鮮との関係の深さが、もっとはっきりしてくるだろうと推測する。

 辻元氏は、「国会議員っていうのは、国民の生命と財産を守ると言われてるけど、私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の国会議員や」と公言している。

  「国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の国会議員」という言葉の含意には、深いものがあるだろう。

辻本議員のいかがわしさについては、「辻元ブログ」にも情報が載っているので、関心のある方はご参照下さい。

http://k2t2f.blog.ocn.ne.jp/tubaki/2005/10/post_4533.html

 

●社民党と極左翼・フェミニズム

 

日本赤軍は社民党に工作を行なっていたことが知られている。両者のパイプには、辻元=北川ラインがあると私は推測している。さらに、そのパイプが、近年の社民党のフェミニズム化、親北朝鮮化に影響を与えているのではないかとも思量している。

 平成12年11月、日本赤軍最高幹部の重信房子が、大阪府内で逮捕された。当時の産経新聞の報道によると、押収された重信の所持品を警視庁公安部と大阪府警の合同捜査本部が分析したところ、「社民党との共同と工作」と題された文面が見つかった。それによって、日本赤軍が、社民党に対し、「社民の積極的役割である理念と国政の役割に対して、よりその力が発揮できるよう工作していく」などと位置づけていたことが明らかになった。

 米ソの冷戦崩壊後、社民党は長期低迷し、崩壊の危機に瀕した。平成8年に社民党の党首に復帰した土井たか子氏は、低迷脱却を目指した。土井氏は「市民とのきずな」をキーワードに市民参加を方針とし、同9年4月、政策提言のための市民グループ「市民政治フォーラム」を立ち上げた。

 「市民政治フォーラム」は、会員の人脈を通じて市民団体と交流していた。その中に「希望の21世紀」という団体があった。この団体は、平成7年6月、日本赤軍による人民革命党の大衆部門として組織されたものだった。日本赤軍は、市民団体を通じて社民党に浸透し、やがては国政にも影響力を持って新たな「革命」を目指そうとしていたのである。そのことが重信の所持品から判明したのだ。

当時、産経新聞は、次のように伝えた。捜査関係者は「『希望』の市民政治フォーラムへの接触は、背後の日本赤軍・人民革命党が徐々に社民党に影響力を強めようとする浸透工作だった」と指摘した。社民党が復活をかけた市民参加政治は、自ら「日本赤軍に付け入るスキ」を与えることになった。「工作が社民党を通じてまさに国政の周辺に及んでいたことを示す」として、捜査本部は工作の全容解明を目指すと発表した、と。

 土井社民党の市民参加政治が「日本赤軍に付き入るスキ」を与えたというが、私の聞き知るところでは、根はもっと深い。消息通から、社民党には、以前から新左翼やその出身者がうようよいたと聞いているからである。

 自社さ連立政権の村山富市内閣の時、総理官邸で秘書をしていた者の一人は、共産主義者同盟(ブント)の戦旗派だったという。平成4年のPKO法反対闘争の時に、唯一国会前で逮捕された活動家だった。もう一人の秘書は、社青同解放派だった。また建設大臣の秘書は、共労党・プロ青だったという。

 社民党は、日本社会党が名称を変えたものである。私が聞いているのは、平成10年ころの話だが、当時の社民党本部書記局は、最大党派が社青同・向坂(さきさか)派、つぎに社青同・太田派だった。これらは社会主義協会派・労農派系で、もとは日本社会党のグループである。

 ここに新左翼系の人間が相当数入り込んでいた。新左翼系で書記局に入っていたのは、社青同解放派、共産同系諸派、日本労働党などだという。日本労働党などは、連合赤軍の片割れであった京浜安保共闘と同系統の党派である。新左翼系の人間にとっては、集会やデモをはじめとした左翼活動を行いながら、一定の給料をもらえるのだから、社民党の事務局は、良い職場だったのだろう。

 再度言うが、この話は平成10年ごろの話である。つまり、土井たか子氏が社民党の党首として、平成9年4月に「市民政治フォーラム」を立ち上げ、市民参加路線を進めていたころの話である。そのころ社民党の本部書記局には、新左翼系の人間が多数いたわけである。

 だから私は、社民党にこうした土壌があったから、日本赤軍が「市民政治フォーラム」に接触し、社民党に影響力を強める浸透工作をすることが可能だったのだろうと思う。社民党が単に日本赤軍に「付き入るスキ」を与えたのではなく、党の中枢部に日本赤軍と親和・連携する人脈があったのだろうと私は見ている。

 そして、そこにさらにからんでくるのが、フェミニズムと北朝鮮との関係である。社民党は、党首が土井氏から福島瑞穂氏に継承されたが、あかたも「日本女権党」とでもいうべきフェミニズムぶりである。また、土井=福島体制において社民党は、親北路線を露骨にしてきた。土井氏、福島氏、辻元氏には、コリア系帰化人という根強いうわさがある。彼女たちが、憲法第9条の死守を声高に唱えるのは、わが国の国防の現状が北朝鮮にとっては有利であるから、とも考えられる。

 そして、近年の社民党の変化やその政策には、辻元清美氏を通じた日本赤軍、さらにその背後にある北朝鮮の影響があるのではないか、と私は推測している。

 全体像が明らかになるには、まだ時間がかかるだろう。今は推測として述べるにすぎないことをお断りしておく。ページの頭へ

 

ber117

 

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