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  憲法・国防

                       

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説明: ber117

 

■日本国憲法は亡国憲法――改正せねば国が滅ぶ

1996.12.15初版/2001.2.11一部改訂

 

<目次>

  はじめに

章 3つの特異な性格

章 押し付けられた憲法

章 欺瞞に満ちた制定史

章 制定に権限なく、国際法に違法

章 半植民地・属国に与えられた憲法

章 日本国憲法の欠陥と矛盾

章 改憲か、護憲かの半世紀

章 憲法は心の危機をもたらした

結びに〜憲法改正は必須の課題

 

説明: ber117

 

はじめに

 

日本国憲法は、日本を亡国に導くものであり、早期に改正を行わねば、国が滅びます。この小論は、憲法の制定過程と内容、その影響について確認し、「日本国憲法」の問題点を明らかにし、憲法の改正を呼びかけるものです。

 

第1章 3つの特異な性格

 

  敗戦に続く占領政策は、日本の国家と社会、また日本人の精神に強い歪みをもたらしました。さらに「日本弱体化政策」()の総仕上げともいえるものこそ、米国製の日本国憲法です。それは、日本が再び米国の脅威とならないようにするために、米国が与えた法的な拘束でした。そして、現行憲法は、制定後50年以上にも及ぶ長期間、日本の政治、行政、防衛、教育等の法的枠組みとして存続してきたことによって、今日の亡国の危機を生み出しています。

 日本国憲法を起草したのは、GHQでした。草案は英文で書かれ、それを日本側で翻訳したという、米国製の翻訳憲法が、現行憲法です。

  この憲法は本来、GHQが占領政策を実行するための法的基盤を整えるものでした。即ち、占領基本法として押し付けたものです。さらに、それは占領政策の効果を、占領期間を超えて、固定化・持続化しようとするものでした。そこには、日本を敵国とする、国連の敵国条項と同じ精神が流れています。

  また、この憲法は、半植民地憲法と呼ぶべき出生の秘密を持っており、日本の主権を制限し、日本を米国の従属国・被保護国的な地位に置こうとするものでした。

  すなわち、日本国憲法は、

   

@米国製の翻訳憲法

    A占領基本法

    B半植民地憲法

 

という3つの特異な性格を持っています。

  そしてそれ故に、日本国憲法は日本弱体化のための「亡国憲法」であると、私は考えます。ここまで言うと、驚かれた方もいるかもしれませんが、それにはワケがあるのです。ページの頭へ

 

註:「日本弱体化政策」については、以下の拙稿を参照。

 「日本弱体化政策の検証〜日本の再生のために」

 

 

第2章 押し付けられた憲法

 

  日本国憲法は、世界的に見ても、異常な生い立ちをもった憲法です。その異例な点は、アメリカ軍を中心とする連合国軍の占領下という特殊な状況において成立したことです。そして、この憲法は、日本国の主権が極度に制限されていた中で、米国から強制的に与えられたものなのです。

  同じ敗戦国でも、条件付き降伏の日本と異なり、文字どおり無条件降伏をしたドイツに対してさえ、戦勝国は憲法を押し付けなどしませんでした。外国製の憲法草案を翻訳させる発想などないどころか、ドイツの宗教に口を出すことも、ドイツの一般の軍人が戦争責任を問われることもありませんでした。この違いには、白人の有色人種に対する人種差別意識が存在することを見定めなければなりません。

  さて前文は、日本国民自身が「決意」し「宣言」する等と書かれています。事実は、この憲法は、占領軍によって、銃剣の下に言論統制と検閲の中で、日本国民に与えられたものです。GHQは、この憲法を、日本の国民には、あたかも日本の委員が起草した原案を国会が審議し、天皇裁可で発布された様に思わせました。 国内法的観点から言えば、改正はあたかも合法的に進められました。それは旧帝国憲法の改正手続きによって、天皇の御発議から改正手続きが始まり、帝国議会の議を経、枢密院の御諮詢を経て、公布・施行せられたのですから、国内法の手続きは、踏んでいます。しかし、その過程は、厳しい言論統制の下、GHQが憲法制定を行っていることを絶対に知られないように検閲し、しかもその検閲の存在自体をも知られないようにして、行われました。こうした巧妙な陰謀の下に、日本国憲法は作られ、日本に押し付けられました。

  日本国民は「決意」し「宣言」したのではなく、「決意」させられ「宣言」させられたのです。そして、その後、生まれた世代は、それを追認させられてきたのです。

  多くの国民は、この事実に目をつぶってきました。しかし、実は、日本国憲法が押し付け憲法であり、不法なものであることは、制定者であるマッカーサー自身が認めていたことなのです。そして彼は言いました。「日本人の精神年齢は、12歳だ」と。

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第3章 欺瞞に満ちた制定史

 

(1)すべてはマッカーサーの指示だった

 

  日本国憲法は、昭和21年8月24日、衆議院本会議で可決成立しました。そして、その後、11月3日に公布され、翌年の5月3日に施行されました。

  マッカーサー連合国軍総司令官は占領後、昭和20年10月11日、幣原喜重郎内閣に憲法改定を指示しました。しかし、憲法を改定することは、日本が受諾したポツダム宣言に明示された条件ではなかったのです。国の基本法である憲法にまで手を付けるということは、「日本は無条件降伏した」という偽造と歪曲の極みでした。

  昭和20年10月11日、マッカーサーは幣原新首相に憲法改定を指示しました。同時に日本民主化の5原則を示し、戦前の日本の国家体制の根本的な変革を求めました。その5原則とは、「婦人参政権」「労働組合の育成」「教育の自由主義化」「秘密検察等諸制度の廃止」「経済の民主化」でした。さらに続いてその原則に基づいて、教育改革指令、神道指令等を出し、日本の体質(constitution)を根こそぎに変えようとする一連の社会制度改革を進めていきます。マッカーサーが、こうした占領政策を実行するためには、基本的な法制化が必要でした。そのために、憲法(constitution)の改定指示が出されました。それゆえ、憲法改定は、日本弱体化政策の総仕上げというべきものです。

  改憲の指示を受けた幣原首相は、日本を代表する憲法学者の松本丞治博士を国務相に任命し、彼を委員長とする憲法問題調査委員会を設置しました。松本委員会は、昭和21年2月2日に憲法改定案の審議を終了し、日本国政府案をGHQに提出しました

  ところが、2月13日、GHQは松本博士、吉田茂外相らに対し、日本側の提出した草案を拒否しました。そして、突然、英文の憲法草案を突きつけてきたのです。これこそGHQが秘密裏に書き上げていた、いわゆるマッカーサー草案です。松本博士ら日本側代表は、この思ってもみない不意打ちに、愕然としました。そこには、ポツダム宣言と降伏文書を無視し、あらゆる法を踏みにじった無法なる独裁者の意志が存在しました。

  当時は、東京裁判が開かれることになっており、日本の指導者は、その責任追及が天皇に及ぶことを恐れました。GHQ民政局長ホイットニー准将は、「天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国からの圧力、この圧力は次第に強くなりつつあり」、マッカーサーは「このような圧力から天皇を守ろうという決意を固く保持している」、と主張しました。「他国」とは、ソ連を中心とするものです。そして、「最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題としては、天皇は安泰になると考えている」と言い、もしこれをのまなければ「天皇の身体(person)の保障をすることはできない」と、ほぼ脅迫に近い形で受け入れを迫りました。

  このとき提示された英文の草案が現在の憲法の原型なのです

 

(2)英文草案が翻訳された

 

  マッカーサーは、日本側の憲法案の一部を知り、2月3日、憲法改定にあたっての骨子を示した「マッカーサー・ノート」を、ホイットニーに示し、GHQ民政局内で直ちに憲法改定草案の起草作業に入るように指示したのでした。作業は極秘のうちに進められました。1週間足らずという世界記録的な短時間で、草案は作られました。草案作成を行ったのは、民政局の職員25人です。ホイットニー局長、ケーディス次長ら4人は弁護士出身ではありますが、憲法の専門家は1人もいません。また、他の職員は、法律には素人の軍人や事務員などの寄せ集めです。また、日本の歴史や文化の専門家は誰もいません。彼らは、日本に対する無知や誤解や偏見におおわれていました。

  現憲法とは、このようなアメリカ人たち、GHQ民政局によって書かれた憲法なのです。草案に対し、松本博士は憲法学の立場から反論する「説明書」を書いて提出しました。これに対し、ホイットニー将軍は怒り狂い、日本政府が草案をそのままのむか、それともマッカーサーが直接日本国民に提示するか、どちらかだと、全く交渉による妥協の余地が無い姿勢を示しました。どちらかーー「48時間以内に返答せよ」。

  もはや日本政府は、草案を受け入れざるをえず、残された作業は、英文の翻訳でした。2月23日から政府案策定の作業に入りましたが、GHQから度重なる督促を受け、3月4日には急遽、提出させられ、「今晩中に確定草案を作成せよ」という命令が下されました。なんの準備も無いまま、外務省の佐藤達夫部長らは、行きがかり上、徹夜作業で翻訳をさせられました。ここで最終的に、日本側の草案は全面却下され、マッカーサー草案をただ翻訳しただけに近い確定草案が作られました。

  この翻訳文案が日本政府自身による改定案という形をまとい、3月6日に「憲法改正案要綱」として発表されました。その後、枢密院の審議を経て、6月20日に衆議院に提出されました。

 

(3)国民の自由意思は無視された

 

  昭和21年4月10日、憲法改定の動きが進む中で、戦後初の衆議院議員総選挙が行われました。それに先立って行われた公職追放によって多くの有力政治家が追放され、一方、共産党の政治犯・思想犯が解放されました。しかし、この選挙で皇室制度に反対する政党は、共産党のみ、その当選者も5名のみでした。それゆえ、もしポツダム宣言に謳われた「日本国民の自由意思」や極東委員会の原則を遵守すれば、日本国民の絶対多数の意思によって、皇室制度が存続されることは、確実でした。また、憲法の改正は、必要であれば、日本人自身の手で、軍国主義と敗戦の経験を下に、大日本帝国憲法の欠陥を改めることもできました。ドイツ国民は自らの意志で基本法を作る「自由意思」を認められました。しかし、マッカーサーは「日本国民の自由意思」を無視して、日本国憲法を押し付けたのです。

  政府案策定までの間、日本国民はその内容を十分に知らされる機会もなく、国民的議論はされませんでした。しかも重要なことは、この間、国民は、憲法制定がGHQの手で進められていることさえ全く知らされていませんでした。改定は、徹底した言論統制と検閲体制の下で行われたからです。GHQによる30項目に及ぶ検閲指針には、総司令部が憲法制定を行っていることの言及、さらに検閲していること自体への言及という項目が定められており、徹底的な検閲が行われていました。新聞、ラジオだけではなく、個人のプライベートな恋文までもが、執拗に検閲されました。こうして絶対に、GHQ製の憲法であることを知られないように隠して、すべてが進められたのです。

  発表された政府案に対して、これは日本語ではなく、英語で書かれたものではないかという疑問が内外から出されました。あまりにも英語的な発想であり、不自然な日本語が多く、しかも翻訳の間違いや生硬さから意味不明瞭な表現が散見されたからです。しかし、銃剣と弾圧の下では、自由な議論などできるはずもありません。国会での審議はすべて英訳してGHQに届けられ、厳しい監視が敷かれていました。審議によって、いくつかの修正が加えられましたが、その大多数はGHQの圧力によるものであり、日本側からの修正もすべてGHQの承認を要しました。

 

(4)異例の短期間で改定

 

  こうして日本国憲法草案は、GHQ内での検討が1週間足らず、しかもここでほとんどが決まり、1ヶ月間強で日本側の翻訳作業が終えられ、3ヶ月半という異例の短期間で審議は打ち切られて、国会決議が行われ、10月7日、可決となりました。

 

  これが、日本国憲法の制定のあらましです。このように日本国憲法の制定は欺瞞に満ちたものでした。憲法改定がはらむ主な問題点を確認しましょう。

  マッカーサーは憲法改定を日本国政府に指示し、部下に作らせた英文の草案を押し付けました。しかし、実は彼個人にはそんな権限はなかったのです。また、憲法制定は、国際法に違反していました。さらに上位機関である極東委員会の決定を無視したものでもありました。憲法の改正という日本の主権の根本にかかわる「現行法律」の改変が、このような不正、違法な形で遂行されたのです。

  復讐心と野心に燃える、思い上がった外国人軍人の独断によって、日本という国の運命が変えられたのです。ページの頭へ

 

 

第4章 制定に権限なく、国際法に違法

 

(1)マッカーサーの越権行為

 

  マッカーサーは、憲法改定どころか一連の占領政策を強行すること自体、本来の権限を逸脱していました。この点を東京裁判で、国際法に基づいて厳しく追及したのが、パル判事です。

  パル判事は、マッカーサーは一体「日本国及び日本国民に関する絶対的主権」を誰から付与されたのかと、問いました。ポツダム宣言第8項によって、日本の主権は「本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限」されました。また天皇の大権が連合軍最高司令官の「制限」(subject to)の下におかれたのも事実です。しかし、日本を占領した連合軍の最高司令官が、主権の無制限な行使を行っていいのか、ということは全く別の問題です。ここにパル判事の最も核心に触れた批判がありました。

  このことは、当然、憲法改定の指示についてもあてはまります。マッカーサーは、無条件降伏同然に日本を扱おうとした米国のトルーマン大統領の指示の下、国際法と連合国の方針に基づく権限を超えて、憲法改定を指示・強制したのです。

  パル判事の判決文は、マッカーサーによって厳重に封印され、占領時代の日本では公刊を禁止されました。

 

(2)国際法違反

 

@ハーグ陸戦規則違反

 

  占領軍による日本国憲法の制定は、ハーグ陸戦規則に違反します。ハーグ陸戦規則(1907年)では、条約付属書第43条に「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を遵守して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし」としています。

  このように、外国軍隊は、占領地において現地の法律に従うことが規定されています。占領軍にできることは、占領政策に必要なものに限られているのです。それにもかかわらず、日本を占領した連合軍は、当時の日本の基本法である帝国憲法の改変を強行しました。これは、明確にハーグ陸戦規則に違反します。

 

Aポツダム宣言及び降伏文書違反

 

a)日本国民の自由意思に反する

  憲法改定は、日本が受諾したポツダム宣言の、「日本国の統治形態は国民の自由意思により決定される」という条項に違反するものでした。

  同宣言は、日本に対して「戦争遂行能力の破砕」「武装解除」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「賠償」「平和的傾向の政府の樹立」を求めているに過ぎません。特に、第10条では、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざる………」と明言しています。そして、「国民の自由意思」を尊重するものだったのです。

  米国の対日方針も、このポツダム宣言と降伏文書に基づかねばならないものでした。日本の外務省は、当初憲法について「其の具体的内容については『米国の対日方針』中にも明らかにせられ居るごとく、日本国民の自由なる意志により決定せらるるものにして、連合国側より強制的に指示せらるるものに非」と考えていたのです。

  しかし、実態は、全く異なっていました。日本の指導者は、天皇の訴追によって脅かされ、国民は言論統制と検閲の下で「国民の自由意思」など表現しようがない、という状態に置かれていました。

  帝国議会においても、外国軍隊の監視の下で、議案について自由に審議も修正もできない状態であり、それで採決をしたとしても、それが帝国議会の正当な議決だとはいえないものです。また、議決したとしても、銃剣の下で決められたことは有効性を持たないというべきです。これは、刑法の「抗拒不能の急迫不当の強要」にあたるという学説があります。一般の民事でも生命を脅かされて行った契約は無効であり、刑事事件でも脅かされて行った自白は証拠能力を持たないことが考えあわせられましょう。

 

b)民主主義的傾向の復活強化に反する

  ポツダム宣言は、第10条に「日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化」と記していますが、それがどうして米国製憲法の押し付けを意味するのでしょうか。米国はポツダム宣言を無視して、無条件降伏政策を強行したのです。

  戦前の日本は、皇室制度の下での立憲民主主義国でした。明治維新において、明治天皇の「五箇条の御誓文」が発せられ、そこに「万機公論に決すべし」とあるように、欧米に習った議会制度が日本人自身の手で作られたのです。そして、欧米の君主制国家にならって作られた大日本帝国憲法は、立憲主義と民主主義を基本とし、大正期には大正デモクラシーといわれるように、憲政の常道に基づく政党政治が行われていたのです。それはさまざまな限界はあったものの、欧米以外では初めて議会制民主主義を取り入れた画期的な出来事でした。

  明治維新によって欧米の植民地化を免れた日本は、殖産興業・富国強兵を進め、日清・日露戦争で大国・清とロシアを破るなど、世界を驚嘆させ続けました。ところが国防の安定と経済的繁栄は、政党・財界・軍上層部の腐敗を生み、農村の窮状に苦しんで指導層を糾弾する青年将校らは、五・一五事件、二・二六事件等のテロやクーデター未遂を行いました。しかし、矛盾は正されず、逆に勢力を得た軍部(特に陸軍統制派)は、議会制民主主義を骨抜きにし、明治天皇の「軍人は政治に口出ししてはならぬ」という遺訓を破り、ナチス・ファッショを真似た軍国主義を押し進めたのでした。

  それゆえ、「民主主義的傾向の復活強化」とは、戦前の日本の軍国主義を除去し、軍国主義によって押さえつけられていた「民主主義的傾向」を「復活強化」することで十分だったのです。占領軍による憲法の改定は、ヤリスギであり、日本が受け入れた降伏条件に違反し、国際法に違反していたのです。仮に、改定するにしても、それは日本人自身が「国民の自由意思」により民主主義的に「決定」すべきことでした。

 

(3)極東委員会の意思を無視

 

  マッカーサーが日本政府に憲法改定の指示が出し後、昭和21年1月9日に、連合国の極東諮問委員会が来日しました。焦点は、憲法問題でした。マッカーサーは代表団に対し、自分が憲法改定に全く係っていない、知らぬ存ぜぬ、とマッカなうそをついて欺きました。

  そして彼は、2月3日、彼独自の考えでマッカーサー・ノートを示し、自分の部下に憲法を起草させました。

  その後、5月13日、連合国軍の意思決定機関である極東委員会は、憲法改定に関しての原則を定めました。その原則とは、「日本国民の自由な意思の表明であること」「十分な時間と機会が与えられること」「旧憲法との連続性に配慮すること」などです。

  しかし、マッカーサーは、連合国軍の極東委員会という、自分の上位機関の示したこれらの原則をことごとく無視し、勝手に憲法改定を進めました。そして、日本国民に自由な意思を表明させず、十分な時間も機会も与えずに、旧憲法との連続性を断ち切って、GHQ製の憲法を、押付けたのです。憲法制定後、極東委員会はマッカーサーの独断を厳しく批判しています。

 

  米国内では、昭和20年代からマクネリー教授、続いてワード教授らがマッカーサーの憲法改定の違法を暴きました。彼らの発表によって、米国ではマッカーサー批判が噴出しました。米国国民の民主主義とは、自国の指導者が外国に対して憲法を押し付けるという行為を許すことができない精神なのです。

  こうした事実を知ったうえでなお、あなたが、もし日本国憲法を「理想的な民主憲法」と信じているとしたら、自己欺瞞であり、理性の崩壊であると私は思います。

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第5章 半植民地・属国に与えられた憲法

 

  国際法違反など根本的な問題を持って生まれた日本国憲法には、さらに半植民地憲法というべき出生の由来がありました。マッカーサー草案は、フィリピン憲法を改造したものだったのです。

 

(1)「革命」か「属国化」

 

  大日本国憲法は欽定憲法であり、その条文によれば、議会は憲法の範囲内でしか憲法を改定できないことになっていました。日本国憲法は、その範囲を超えて制定された憲法です。それゆえ、法理的には大日本国憲法に対して違憲・違法となるのです。この矛盾を整合させるためには、日本国憲法の正当性を認める理論が必要になります。それが宮沢俊義東大教授の有名な8月革命説です。

  この説では、日本は昭和20年の8月革命によって国体が変更され、日本国憲法が生まれたとします。その「革命」を起こしたのは誰でしょうか? 日本人ではありません。GHQだったということになってしまいます。

  しかし、外国人に他国の革命を行う権利はありません。それは「革命」の衣をかぶった主権への侵害です。そこで、この説の論理的帰結は、日本国憲法は革命憲法ではなく、米国から与えられた半植民地憲法だということになります。そして、日本はアメリカの属国であり、戦後の日本政府は、本質的には、米国の傀儡政権であるということになります。

  このように、法理的に日本国憲法の正当性を理論化することはできない話でしょう。

 

(2)フィリピン憲法が下敷きだ

 

  日本国憲法は、半植民地憲法だと言いましたが、この点は、日本国憲法は、フィリピン憲法を下にしたものだと言う説と整合します。

  広島大学の中川剛教授は、比較憲法学の立場から重大な発見をしました。アメリカは大戦後、スペインの植民地だったフィリピンに独立を与える際に、アメリカ製の憲法を与えましたが、このアメリカがフィリピンに与えた憲法と、日本国憲法は武力放棄など基本的な点において、ほとんど同じだというのです。

  この中川説は、条文の類似性だけでなく、歴史的な経緯からみても説得力があります。  日本国憲法制定史における最大のナゾーーーなぜ憲法の専門家もおらず法の素人が多いGHQ職員の手で、しかも1週間足らずという世界記録的な短期間で憲法草案ができたのか?

  格好の下敷きがあったのです。マッカーサー元帥は、父君マッカーサーの米国フィリピン総督就任に従ってフィリピンに滞在したことがあり、植民地の事情に詳しかったのです。彼は、連合国の極東委員会、特にソ連の介入を斥けて、自分の権力で、征服した国家の一国の憲法を、作り上げたいという野心を持っていました。占領政策は占領とともに終わってしまいます。そこで、歴史の中に自分が作ったという記念碑を残したかったのでしょう。

  そこで、思いついたのがフィリピン憲法というわけです。それは宗主国米国に都合のよい植民地支配の憲法です。そこには戦争放棄の条項があり、自衛の戦争さえ禁止しているのです。アメリカはフィリピンで、原住民が力をつけて主人の米国に絶対に刃向かうことのないようにしたのです。

  この植民地憲法をほとんどそのままコピーしたのが日本国憲法草案(マッカーサー草案)です。第1条の天皇の項を除けば、ほとんどそっくりなのです。当初第9条の原案では自衛権も認めず、主人の米国には絶対反旗を翻してはならないという内容になっていました。戦争放棄も戦力不保持も、日本国憲法のオリジナルでもなんでもありません。フィリピン憲法を真似たマッカーサーの押し付けだったのです。

 

  日本国憲法は正に米国が日本を属国として支配するための半植民地憲法でした。これを改正しない限り、日本は永久に米国の従属国・被保護国いわば半植民地なのです。

  多くの人たちはこの憲法の成立の問題点を考えず、世界唯一の理想憲法だと、素朴に思っているようです。それは無意識に植え付けられた植民地根性、奴隷意識というものでしょう。また、この憲法を守ることが、平和と人権を守ることだと真剣に、いやむしろ命懸けで考えている人も少なくありません。しかし、その背後には、日本を共産主義化するためにこの憲法を利用してきた勢力がおり、さらにその背後にはソ連・中国・北朝鮮の共産主義諸国の対日戦略が存在しているのです。ページの頭へ

 

 

第6章 日本国憲法の欠陥と矛盾

 

  戦後、連合国による占領下で行われた日本弱体化政策とは、何を弱体化するものだったでしょうか。多くの人は、まず、軍事力の制限と考えることでしょう。しかし、最も重要な弱体化は、精神面に対するものです。すなわち、精神を骨抜きにすることです。精神的弱体化という点を中心に、現行憲法の欠陥と矛盾を考えます。

 

(1)前文

 

  前文は、この憲法が、国民の総意にいて制定されたかのように書かれていますが、それは全く違います。占領軍によって押し付けられた原案を翻訳したにすぎないものです。

  日本国憲法は、冒頭から、いきなり奇妙な日本語で始まります。すなわち「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」の「通じて」とは、奇妙な表現です。国民は自分が行動するのに、代表者を通じなければならないのでしょうか?

 この奇妙な表現のなぞは、原文の英語に隠されています。原文は "We, the Japanese people, acting through..." となっています。つまり「を代理として」と翻訳しなければならないところを、イディオムと知らずに誤訳したのですね。

  このようにズッコケで始まるGHQ製憲法には、日本の憲法でありながら、日本の国柄や歴史・伝統・文化がまったく触れられていません。前文は、日本国民とは名ばかりの国籍不明の文章となっており、英語の原文を直接読むと、そこにはアメリカ憲法、アメリカ独立宣言、リンカーンのゲティスバーク演説等が連想される表現が多く出てきます。全く日本人による日本語の発想ではありません。

  さて、いやしくも一国の基本法である憲法の前文とは、その国の成り立ちや歴史・伝統・文化を記し、その中に憲法制定に寄って立つ法源を明らかにするものでなければなりません。ところが「ここに主権が国民に存することを宣言し」と主権在民を唱えるばかりで、その日本国民とは誰であるのかという自己規定がありません。あるわけはありません。むしろ、この前文は、日本国民の記憶を奪い、歴史を断ち切る文章なのですから。

  代表制民主主義の政体とその法源となる国民の権利については、「人類普遍の原理」という概念がなんの説明もなく、打ち出されています。しかし、人類史において主権在民が人類普遍の原理であったという事実はありません。現代世界においてさえ、普遍的な原理とはなっていません。これはこの西洋近代的な政治原理が「人類普遍」の「原理」だと思い込んでいる外国人から日本人に押し付けられたことを示しています。

現行憲法の前文には、日本国民が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」したこと、また「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と信ずることが、書かれています。これは、大東亜戦争は、日本が起こした侵攻戦争である、という一方的な見方に基づいています。すなわち、戦勝国による「太平洋戦争史」や東京裁判と同じ観点に立って書かれています。そこから、前文の持つ根本的な性格が明らかになります。その性格とは、誰かに宛てて書いている文章だということです。そして、その相手とは米国を中心とした連合国であり、前文は敗者が勝者にあてた謝罪と約束の文章となっています。

この謝罪誓約文を書いているのは日本国民ではありません。外国人です。米国軍人ハッシー海軍中佐です。

  GHQが、謝罪と誓約まで代わりに書いて、日本人に「このように謝れ、このように誓え」と迫っているのです。その内容を、日本国民に対し、国民自身の決意であり、宣言であり、誓いであると、公言させているのです。ここにおける日本国民には、侵攻戦争の戦争犯罪の受刑者、囚人としてのアイデンティティしかありません。

  次に、前文には、日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記されています。ここにおける「諸国民」とは、実質的には連合国です。当時未だ独立していないアジア諸国は当然入っていません。つまり戦勝国である連合国の「公正と信義に信頼して」、連合国に「安全と生存」をゆだねたことを意味します。つまり、日本国は、降伏し、被占領下にあるということを意味しています。事実、憲法の制定公布のときには日本国は主権を制限されており、憲法に謳われている国民の主権以上の権力が、日本を実質的に統治していました。それが占領軍の中心たるGHQの権力であり、最高司令官であるマッカーサーの権力です。

  そして、その権力の統治下に、日本国民は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と記させられました。しかし、憲法公布のわずか4年後、北朝鮮の侵攻によって朝鮮戦争が勃発し「平和を愛する諸国民」は激しく戦うことになります。米国と中ソが事実上、激突する事態となったのです。憲法前文に盛られた「崇高な理想」は、暴力革命と革命戦争によって世界を共産化しようとするイデオロギーと、国益の対立・抗争によって、空文化してしまいました。そして、共産主義の脅威を知ったマッカーサーは、自らの手で、防共のために日本再軍備を進めたのでした。

  しかし、憲法前文は、いまなお存在します。そして、日本人から過去の記憶と歴史を奪い、贖罪意識と暗黒自虐史観を植え付け、アノミーを慢性化させ、アイデンティティを喪失させています。そして、日本人を精神的に骨抜きにするものとして、国民を呪縛し続けています。

 

(2)天皇

 

  日本国の基本法である憲法の第1章は、天皇で始まります。前文に日本の国柄や歴史・伝統・文化が記されていないので、天皇についての記述も、また国柄や歴史に根差さぬ抽象的な表現となっています。しかし実に、天皇の存在こそ、日本の国柄の核心であり、天皇を抜いて歴史・伝統・文化を語ることはできません。これは国際的にも日本文化研究の常識です。そしてまた天皇の進退存亡こそ、日本の降伏から憲法制定にいたる過程の焦点でした。結果として、皇室制度は保たれましたが、日本国は米国の従属国・被保護国いわば半植民地的な地位に置かれました。それによって日本国は、いわば米国の52番目の州か、それとも旧植民地の上に、皇室制度をのっけたような体制となりました。

  第1条に、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると記されています。この規定をもって「象徴天皇制」といわれるのですが、象徴というのは、日本国憲法に特別のものとして作られた概念ではありません。英国など欧州の多くの君主国の憲法に、国王は象徴と規定されています。だから、GHQの起草者は天皇を象徴と表現したまでです。天皇肯定論者の一部は、天皇は憲法の表わすとおり象徴的存在だとしている人(渡部昇一氏等)がいますが、これは押し付けられた憲法の規定を追認して意義付けているものです。

  欧州の多くの君主国の憲法では、国王は単なる象徴ではなく、元首であることが明記されています。これは、非常に重要な点です。多くの日本人は、国王がいて、それが元首であるとすれば、それは民主主義国家ではない、と思い込んでいるようです。しかし、民主主義の祖国である英国には、国王がいます。立憲君主制である民主主義なのです。これはパラドックスではありません。君主の存在と民主主義は矛盾しないのです。決して、フランスやアメリカのような共和制が、民主主義の唯一の政体ではありません。むしろ、英国を初めとする諸国では、君主の存在が独裁者の出現を防ぎ、民主主義を維持させるものとして機能しているのです。逆に、フランス、ロシア、ドイツなどでは、専制君主が打倒された後に、ロベスピエール、スターリン、ヒトラーなどの独裁者が出現しています。欧州の立憲君主制国家では、国王は権力者とは別に権威として存在し、権力者の独裁を防ぐ役割として機能しているのです。こうした歴史的事実の中に、諸国民の知恵を読み取ることもできるでしょう。また、日本史における世俗的権力と精神的権威が併存してきた事実の中に、日本民族の知恵を読み取ることもできるでしょう。

  さて、天皇については、昭和天皇の戦争責任を問う議論がありますが、私は法理的に考える限り、大日本帝国憲法下において、天皇の法的責任は問えないと考えています。(道義的責任は別。これは昭和天皇自身が痛感していたようです) 欧州の多くの君主国において、君主は「無責任」「無問責」と規定されています。すなわち、ベルギー、オランダ、スペイン、スエーデン等です。これらの国において、君主は、憲法上、無責任・無問責の存在であることによって、立憲民主主義が機能しているのです。これは、プロシア等に範を取った帝国憲法でも、同様と思います。

  現行憲法では、天皇は、元首とは規定されていません。そのため、天皇は、内外ともにあいまいな存在となっています。この点からも、天皇は国家国民の精神的中心としての「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としては機能していないのです。このことは、日本人の団結心を弱めています。これは、日本人から民族的宗教的団結心を奪った占領政策と軌を一にしています。

  天皇の地位については、第1条に「主権の存する国民の総意に基づく」と規定され、第2条には「皇位は、世襲のもの」と規定されています。「国民の総意」と「世襲」というのは素直に考えれば矛盾しており、解釈による弥縫には無理があります。

  こうした憲法の規定の曖昧さや矛盾以上に問題なのは、天皇について正当な教育がされて来なかったことです。現行憲法が天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると規定しているのですから、当然、国民に対して天皇について肯定的な教育が行われなければなりません。(私は、西洋キリスト教神学のように天皇を人格神として崇拝する天皇信仰論者ではありません) 天皇と皇室に対しては、まずその存在を伝統・歴史・文化に基づいて積極的に教育し、そのうえで歴史的な事実については実証的な批判も行うというあり方が、正当な教育だと考えています。また、国民が国家と国民統合の象徴として天皇を理解し、国民が天皇を象徴として団結統一するように教育するのが、憲法に基づく教育であるはずです。ここで「団結統一」という言葉は、「統合」と同義で使っています。(憲法の英語原文では、unity of the people) 国民の「団結統一」は、自国の歴史を自らの立場でとらえ、国民が誇りと愛国心を持つところに、築かれます。

ところが、戦後の日教組による教育は、憲法の規定に反して、天皇を否定し批判攻撃する教育をしてきました。戦後世代のほとんどは、こうした教育を受けてきていますので、天皇に対して条件反射的に批判的反応をするようになっています。しかし、日教組教育の背後には、スターリンによる32年テーゼによるマインドコントロールがあり、ソ連・中共・北鮮等の国際共産主義の謀略があったことを知らねばなりません。このことは、日教組の行ってきたことは、実は護憲教育ではなく、共産革命のために皇室制度を打倒しようとする政治宣伝であったことに気づかねばなりません。

 

(3)第9条

 

@平和条項は世界唯一ではない

 

憲法第9条は国防論議の最大の焦点です。条文は次のようになっています。

 

第1項  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない  

 

こうした第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だという人たちがいます。これは麗しい誤解です。そうでなれば、ためにするウソです。第1項の「国際紛争の解決の手段としての戦争放棄」は、侵攻戦争を否定し、侵攻戦争を認めないことを意味するものです。こうした条項は、日本だけではなく、多数の国々の憲法に見られます。イタリアやフランスの憲法がそうであり、ドイツ基本法もそうです。これらの規定は、1928年の不戦条約をもとにしたものです。表現も各国でほとんど同じです。ですから、第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だなどと誇っている人たちは、他の平和を愛する国々に、失礼なことを言っていることになります。

第9条の本質は、次の点にこそあります。すなわち、日本国民自らが願った平和条項ではなく、勝者・米国によって押し付けられた主権制限条項であることです。当時の連合国は、日本が一方的に戦争を引き起こした国であり、日本を国際的な支配下に置くことが、平和を築く条件だと考えました。そして、第9条は、日本が戦勝国による平和の障害とならないようにするための条項だったのです。その狙いは、日本・ドイツを敵国とした国連憲章第107条の敵国条項と同じものです。この敵国条項は、いまなお公式に削除されていません。わが国は、国際連合に加盟しながら、その国連にとっての敵国という矛盾した地位に置かれているのです。憲法第9条の主権制限条項の改正と、国連憲章第107条敵国条項の削除を、ふたつながら成し遂げなくては、わが国はまともな独立主権国家という地位を回復できないのです。

 

A自衛権は自然権だ

 

第9条の第1項と違い、第2項の「戦力の不保持」は大変ユニークなもので、独立国では、世界唯一の規定です。しかし、果たしてこれは、自衛権の放棄を規定したものだったでしょうか。起草者の意図はどうだったのでしょうか。起草に当たったGHQのケーディス中佐は、これは自衛権の放棄を規定したものではない、と否定しています。また、翻訳憲法を押し付けた米国は、サンフランシスコ講和条約によって、日本の個別的・集団的自衛権を認めています。これに関連して、現行憲法の第66条には「首相は文民でなければならない」という文民条項があります。これは当然、武官の存在を前提としている表現です。つまり、日本には武官すなわち軍人(軍事官僚)がいるという前提に立っているわけです。それゆえ、第9条は本来、自衛権と自衛の軍隊の存在を認めていたことが明らかです。侵攻戦争のための陸海空軍その他の戦力は、保持しないが、自衛のための戦力は保持できるという規定であるわけです。

一体、自衛権とは何を守るのでしょうか。防衛の目的は、国民の生命と財産を守ることであり、また国家の主権と独立を守ることです。前者はいうまでもありませんが、それも後者の主権と独立が保たれてこそのものです。具体的には国家の意思決定機構を守ることであり、国民が自分の国について自分の意志で決める権利を守ることです。自分たちの運命を他に強制されないことといってもよいでしょう。その国家の主権と独立を支える最後の保障は、「力 = Force = 軍隊」です。また、自衛権とは、国民が自国の文化を防衛するための権利でもあります。つまり自分たちの伝統・文化・精神を他に奪われず、他から文化を強制されないようにする権利でもあるのです。

ところが最近まで、日本は自衛権をも放棄した、自衛隊は違憲であると解釈する日本人が、根強く存在しました。自衛権は自主独立国の主権の核心的な要素です。これを放棄したとすれば、自主独立国とはいえません。他国から侵攻されても正当防衛による抵抗さえしないということになります。具体的には、米国の従属国・被保護国いわば半植民地となるか、旧ソ連の侵攻を招き共産主義の衛星国となるか、いずれにせよ他に運命を委ねるということを意味します。犯されても、殺されても抵抗しません、うそお好きになさってください、それが平和のためなのでしたらーーというわけでしょうか。これでは、自虐自滅行為です。

自衛権というものは、国際法上、自然権として認められています。国際連合では、国連憲章第51条に自衛権は自然権であることを明確に規定し、個別的自衛権と集団的自衛権をともに自然権と認めています。また、サンフランシスコ講和条約(12カ国参加)は、日本の個別的自衛権と集団的自衛権を認め、日米安全保障条約の締結を認めています。日本は、講和条約を結び、国連に加盟しているのですから、自然権としての自衛権を持ち、国際法上、個別的自衛権と集団的自衛権を持つことは自明です。現実にも、自衛隊が組織され、日米安全保障条約が締結され、国際的に認められています。自衛権放棄という解釈は、憲法学の問題ではなくイデオロギー闘争の手段だったのです。日本の自衛権を放棄させるというのは、アメリカの支配下から、日本を無抵抗のままに旧ソ連圏へ組み入れようという共産主義の謀略だったのです。

 

B交戦権は事実上認められていない

 

第9条第2項には「国の交戦権はこれを認めない」という規定があります。この規定こそ重要です。2項の始めに「前項の目的を達するため」と記されていますから、その「目的」とは厳密には侵攻戦争の放棄を意味します。それゆえ自衛戦争に関する交戦権の有無は問題となっていないはずです。ところが現実には、日本は自衛権と自衛力を持ちながら、事実上、交戦権は禁じられ、交戦権を行使できない立場となっています。ここに、米国による日本の主権への制限が働いている、と考えられます。

交戦権とは、武力による戦闘だけを意味するのではないことに注意しなければなりません。交戦権の中には、敵国との通商の禁止、敵国の居留民と外交使節の行動の制限、自国内の敵国民財産の管理、敵国との条約の破棄またはその履行の停止が、合法的な権利として含まれています。現在の日本は、どこかの国が突然、宣戦布告をして侵攻してきた場合でも、こうした非軍事的な手段による対抗もできない状態にあります。日米安全保障条約によって米国に守ってもらうしかありません。また、米国はこうした防衛上の依存構造を作り、日本を自国の国益の追求のために管理しているのです。つまり、米国は、日本に防衛力を持たせ、それをあくまで米国が管理下におき、日本自身が自分の意志で防衛力を行使することはできないようにしている、と考えられます。それがアメリカによる"宗主国対従属国""保護国対被保護国"の構造であると理解できます。つまり、日本は、安保条約による軍事同盟国ではあるが、首根っこは捕まえているという訳です。第9条が主権制限条項であることの最も深い意味がここにあるのです。

 

C集団的自衛権による共同防衛は義務だ

 

国際法は国内法に優先するという原則があります。しかし、集団的自衛権について、日本は、国内法である現行憲法を国際法に優先するという異例な形をとっています。そして政府は、日米安保は「憲法の範囲内で」と明記されているので違憲ではないが、集団的自衛権は「権利はあるが行使はできない」という特異な見解をとっています。「行使」できない権利など、権利とはいえません。権利はあるが行使できないとするならば、それは集団的自衛権が制限されていることを明言したものとなります。自然権である自衛権を自主的に制限している、あるいは他律的に制限されていることを意味します。

ところが、国連は集団安全保障機構であり、集団的安全保障を自然権と認めています。また、加盟国には共同防衛の義務を課しています。もともと国連は軍事同盟です。第2次大戦の「連合国」と「国際連合」は、英語では同じ United Nations です。United Nationsを「国際連合」と翻訳しているのは欺瞞的であり、本来は「連合国」と訳すべきものです。そして、「連合国=国連」という軍事同盟の加盟国には、相互の安全保障のために軍事力を提供する義務があるのです。このことを考えると、わが国の政府が言っていることは、支離滅裂というしかありません。

 

D国連を脱退するか、無責任に居直るか

 

日本は、第9条の規定によって、国連加盟国としての安全保障に関する義務を果たすことができません。ここで新たに起った問題が、湾岸戦争における国連への協力の問題でした。この問題をめぐって、国内は賛否こもごもの中で、国連協力法が成立し、PKOへの参加は合憲であることになりました。しかし、PKFや、さらに国連憲章第43条に規定される国連軍への兵力の提供ということについては、第9条に抵触するというのが多数の見解です。つまり、国連に加盟していながら、加盟国としての当然の義務を果たせないということになっています。これは多数の外国から見れば、日本は、第9条を盾に国際社会における責任を回避しており、利己主義で無責任だ、と非難されることになります。

これに加えて、憲法第9条と第98条の矛盾が生じます。第98条第2項には、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と書かれています。ところが、第9条があるために、日本は国連加盟国としての義務を「誠実に遵守すること」はできません。第98条に従うなら、日本は国際法上の義務を果たせないのですから、国連を脱退すべきです。しかしその結果は国際社会からの孤立化の道です。

  戦前の日本は、満州国問題を機に松岡洋介が国際連盟を脱退して、国際的に孤立する道を選びました。そして、独伊と野合して、米英との無謀な戦争へ突き進みました。国際社会から孤立するということは、世界を敵に回すことになりかねません。外交においては、孤立を避けること、敵を作らないようにすることが鉄則です。この鉄則に従うなら、日本国民は第9条を改正して、国連の平和維持活動に参加できるようにならなければなりません。共同防衛は、国連の加盟国が行っている当然の義務です。この義務を履行できないのであれば、国際社会においては不誠実な居直り、国内的には憲法の空無化ということになります。

 

E国際平和の実現のための改憲を

 

私は「解釈改憲」には反対です。無原則的な解釈の拡大は、自他への欺瞞でしかありません。日本は第9条を含め、現憲法を改正して、主権国家としての個別的集団的自衛権を完全に回復し、かつその権利を行使して、国連の一員として、国際平和維持のための義務を果たせるようにすべきです。

そして、そのうえで重要なことは、外交によって周辺国との国際協調をはかり、アジア・太平洋の不戦を貫くことです。さらに日本は、国家目標を持って、国連安全保障理事会の常任理事国となることをめざすべきです。そして、アメリカの自国国益中心の横暴を押さえ、世界唯一の被爆国として完全核廃絶を押しすすめ、また従来の資本主義・共産主義・民族・宗教の対立を超えた国際平和の実現に貢献することです。こうした国家目標をもって、共存共栄の指導原理を確立し、真の世界平和に寄与できる自主憲法を制定することが必要だと考えます。

 

(4)非常事態条項

 

個人でも家庭でも、火事・事故・病気などいざというときのための備えを考えます。国家国民においては、とりわけ戦争と災害への備えが必要です。また政府には、いかなる事態が発生しても、国民の生命と財産、国家の主権と独立を守る役目があります。しかし、日本国憲法には、非常事態に関する条項がありません。いざというときに、誰がどのような権限で、責任を持って非常事態を処理するのかが、定められていません。権限の所在と行使の手続きが、決まっていないのです。これは、国家基本法である憲法としては、重大な欠陥です。

憲法に、非常事態の時の権限と手続きを決めておくことは、世界の常識です。どこの国の憲法でも、宣戦布告、非常事態宣言、大統領などの職務不能時・国会の開会不能時などにおける非常事態に対して、その備えをしてあるのです。非常事態とは、憲法が正常に機能しないときであり、この場合についての国家権力のあり方を憲法に規定しておくのは極めて重要なことです。これは、民主主義国家においては、非常時にも立憲主義を貫くために不可欠の条項なのです。なぜならば、非常大権を規定しないとすると、緊急事態が生じたときにその指揮にあたる指導者に無制限な権限を与えることになります。非常時には、法律によらずに対処せざるをえないことが起りうるわけですが、その場合でも緊急の事態における権限と手続きを明らかにしておくことによって、そのような事態においても民主主義を維持することができます。こうしたルールを憲法に定めておかないと、超法規的な行動や、独裁的な権力の出現を許すことになります。それゆえ、憲法に、非常大権、国家緊急権を規定することは、いかなる場合にも立憲主義を貫き、民主主義を守るために、不可欠のことなのです。

それにもかかわらず、日本国憲法の制定においては、非常事態条項が設けられませんでした。なぜなのか。それには、訳があります。大日本帝国憲法では、非常大権は天皇にありました。2・26事件で政府が機能しない事態となったとき、昭和天皇が直接指揮を執ったのは、そのゆえです。しかし、日本国憲法は、敗戦後日本がGHQの占領下において制定された占領基本法というべきものでした。日本の主権は制限され、非常事態においても、自らの運命を決める権限がなかったのです。非常大権は日本ではなく、マッカーサーにありました。それゆえ、従属国・被保護国である日本の憲法に非常事態条項は必要なかったのです。そして、マッカーサーが去って半世紀経っても、非常事態条項はないままです。

日本には、国家機構が停止するような非常事態となったときに、日本人の誰にも非常大権がありません。講和条約の発効による独立の回復後も、憲法を改定してこなかったからです。もし憲法を停止しなければならない事態が生じたならば、どうなるのでしょうか。現状では、日米安保体制によって、アメリカ軍が再び日本を統治する以外にないでしょう。つまり、アメリカ大統領が日本を統治することになるわけです。これでは、日本は自主独立国とは言えません。私が、日本は、アメリカに対する従属国・被保護国いわば半植民地と考える所以です。

国家の非常事態とは、戦争・内乱に限りません。天災に予告はありません。備えを怠れば、将来に渡って取り返しのつかない大悲劇を招くでしょう。平成7年1月の阪神大震災において、被害と犠牲者が広がったのは、有事への備えが出来ていなかったからです。特に総理大臣が、有事立法に反対してきた社会党(当時)の村山富市であったことが、一層判断と行動を遅らせ、混乱を引き起こしました。この震災の痛ましい犠牲によって、国家の危機管理体制の構築の大切さが痛感されています。

阪神大震災は首都圏大震災の予兆というべきでしょう。世はまさに『大地動乱の時代』(石橋克彦著、岩波新書)です。来るべき首都圏直下型大地震は、想像を絶する被害をもたらすでしょう。その際には、小松左京がシュミレイトした『日本沈没』以上のパニックが起り得ましょう。また、日本国民の生活と運命だけでなく、世界の経済や食糧事情などにも、破壊的な影響を及ぼすでしょう。

日本は、こうした未曾有の事態に備えるためにも、出来うる限りの最善の努力をすべきです。しかし、欠陥憲法を検証もせず、理想憲法と信じている人々が、まだまだ多数います。無知か、謀略かーーいやそれが、日本国憲法のマンドコントロールなのです。

この現状を早急に改めなければなりません。

 

(5)公共の福祉

 

  日本国憲法は、基本的人権を保障しています。国が権利を保障することに対して、国民は、その権利を行使するための責任を負っています。すなわち第12条に「国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のために利用する責任を負う」という制限が課されています。現行憲法の欠陥の一つは、ここにみる「公共の福祉」という概念があいまいであることにあります。それが、国民が権利ばかり追求して、義務を軽んじる傾向を生んでいます。

  まず、「公共の福祉」とは、Public Welfare の翻訳語です。米国製翻訳憲法の発想と用語の例に漏れず、 Welfare とはアメリカ人の倫理観に基づいた概念であり、それが倫理観の基本が異なる日本に押し付られたところに、もともと問題があります。しかも、訳語としてもまずく、むしろ「公共善」とか「公共の利益」といった訳語の方が適切でしょう。私ならば「民利国益」と言うところです。

  権利と義務の問題は、民主主義とはなにか、という問いとなります。そもそも、西欧の近代民主主義は、理性の存在を前提として成立しました。ここにいう理性とは、J・S・ミルの言うところの「行為者個人の幸福でなく、関係者全員の利益を判断する能力」を意味します。簡単に言うと、自分勝手の利益ではなく、皆の利益を考えて、自分の行動を決める能力です。その能力が身分・階級・性別に係らず、すべての個人に備わっている、という観念に基づいて、民主主義が成立する、と私は理解しています。そして、こうした普遍的理性を持つ個人に原理をおく考えが、個人主義である、と理解しています。これは、利己主義とは全く違うものです。

  西ヨーロッパの個人主義的な社会は、利己主義どころか、公益優先の社会だといわれます。西欧の個人主義は、社会における個人の責任を非常に重く見ます。日本人には耐え難いほど、自分のことは自分で責任を持ち、また全体に対しての責任を持つことが当然となっていると思います。また、西欧社会では、国家が個人の権利を保障するために、私より公を優先することが前提となっています。すなわち、国家は個人の人権を保障するものであり、国民が国家を守ることは人権を守ることになるわけです。従って、公の権利は非常に強いものとなります。例えば、フランス革命の1789年人権宣言は、第12条に「人及び市民の権利の保障は、公の武力を必要とする」と強力な公の権力を前提としています。この前提がなければ、個人の基本的人権は保障されないわけです。そして、自分たちの人権を保障するのは、自分たち自身である、という考えを強く持っています。そこから例えば、兵役が徴兵制度であるのも当然だという考えになります。国防は、自分たちの権利を守るための当然の義務だというわけです。これが、西欧における民主主義です。

  これに対し、戦後日本では、個人主義という言葉は、個人の権利を最大限に主張することであるかのように使われています。これは個人主義というよりは利己主義です。そのため「公共の福祉」という概念も、あいまいなものとなっているのです。代表的な憲法学者の宮沢俊義氏などは「公共の福祉は、それら(公益)とは違い、どこまでも個人主義に立脚する」とし、「公共の福祉」の概念も「個々人の権利を調整し、それら相互の衝突を規制する原理」と規定しています。これは、まさに戦後民主主義を表現したものといえるでしょう。そして特徴的なことはここにいう「公共」には国家国民の意識が欠けています。「国家なき公共」です。

  日本に民主主義を押し付けたアメリカでは、どうでしょうか。アメリカ民主主義の象徴ともいえるケネディは「国民諸君、国家が諸君に対して何をしてくれるかを問うなかれ、諸君が国家のために何をなしうるかを問え」と米国民に訴えました。日本で同じ事を言えば、国家主義者、全体主義者といわれるでしょう。戦後日本では、逆に、国家が個人に対して何をしてくれるかを求め、それが政府の責任であるとしてきたというべきでしょう。

そして、戦後日本における利己的個人主義の横行は、国民に自らの権利を守る責任がないことによっています。それは、第9条の問題であり、また国民に国防の義務がないことと深い関係があります。ここから、個人、団体、省庁、企業、地域などさまざまなレベルでのエゴイスムが現れているわけです。そして、とめどない私利私欲の追求、或は無責任な受益の要求が、自由と人権の名の下に行われているのです。これが、「国家なき公共」の実態です。

  この社会の危機を解決するためには、憲法を改正し、「公共の福祉」なるあいまいな概念をやめ、公益の優先を明確にし、国民が私利私欲を超えて、民利国益を共に追求する政体を築く必要があります。またそれは、一日本国民の利益ではなく、日本が世界の平和と地球環境の保全に寄与するためにこそ、求められていることなのです。

 

(6)権利と義務

 

  (5)の「公共の福祉」の項で、公益との関係で権利と義務の問題に触れましたが、ここでは、それを主題とします。日本国憲法は、人権の保障を詳細に規定していながら、国民の義務は、3つしか定めていません。即ち、納税の義務、教育の義務、勤労の義務です。 これは、他国の憲法に比べ、権利が非常に重んじられる反面、義務が非常に少ないという特徴を示しています。そして、権利と義務のアンバランスが、戦後日本における、権利を主張するばかりの利己主義的傾向を生み出しています。

権利と義務のバランスが民主主義の基礎です。権利と義務は表裏の関係にあり、義務の範囲が権利の制限にもつながります。日本以外の国では、憲法に国法の遵守、国防の義務等が明記されている場合が多いのです。これは、非常に重要な規定です。国民の権利を保障しているのは国家ですから、その国家が保護されなければ、誰も国民の権利を保護できません。国民の権利は宙に浮いた観念に過ぎないものとなります。その国家を保護するものは、その国民以外にはありません。それゆえ、国民は自分の権利を守るためには、自ら国家を守らなければなりません。これは、民主主義国において、当然のことなのです。そこに、国防の義務が、当然の義務として発生するのです。外国権力から自国の民主主義を守ることができなければ、自主独立の民主主義国とはいえません。例えば、日本と同じ敗戦国でも、イタリアでは憲法第52条第1項で「祖国の防衛は、市民の神聖な義務である」とし、第2項では兵役を規定しています。このように、国民の権利と義務のバランスが国民の自尊の精神を生み、国民の権利をより価値あるものとしているのです。

  そもそも民主主義とは、国家が国民の権利を保障するかたわら、国民はその国家を守る責任と義務があることで成り立つ政体です。ところが、日本では、国民に遵法と国防の義務がなく、国家に対して権利のみを主張し、国家が自分に何をしてくれるかの要求と不満をぶつけている傾向があります。しかし、民主主義は、国民が国家に何を成すべきかで成り立ち、維持されるのです。つまり、国民が国家に対して責任を負うことなくしては成り立たないのです。これは、国家のためではなく、国民自身のためです。それがデモクラシー、つまり「民衆の政治」です。そしてこの本質は、君主制のもとでも共和制のもとでも同じです。君主制のイギリスも共和制のアメリカも、こうした国家と国民の関係を持った民主主義を政体としています。

  ところが、日本国憲法には、日本人が日本を守ることを義務づけた規定はありません。民主主義の基礎である遵法と国防の義務が定められていないのです。特に、国防の実態は、納税の義務によって徴収された税金によって、自衛隊員を雇用し、さらに大方をアメリカ軍に金を払ってやってもらっている形となっています。つまり、国民の多くは、税金を払うだけで、自ら国を守ろうという気概を欠き、金で雇った他人の命で自分の生命と財産を守らせているわけです。しかし、国防の義務と納税の義務は同じではありません。日本は、国際社会においても、国内と同様に安全保障を金で買う感覚でいることが、多くの国から非難を浴びているのです。この構造が、湾岸戦争でも130億ドルもの金を出していながら、国際社会での非難を浴びた原因です。国際社会の一員としての態をなしておらず、考えているのは自分の安全と金もうけだけと見られています。

  なぜ、国防の義務が憲法に規定されなかったかの背景は、第9条の規定の場合と同じものです。憲法制定当時は、日本は連合国の占領下にあって武装解除され、また国民が自ら守ろうという精神を奪われていました。いわゆる「精神的武装解除」(バーンズ国務長官)です。その後の日米安保体制でも、日本を守るのはアメリカの義務であり、日本人ではありませんでした。ここから戦後の無制限に権利を欲求する性格類型が生まれてきたのは必然的でした。「甘え」「わがまま」「無責任」「居直り」等々です。しかし、究極的には、日本を守るのは、日本人以外にはありませんから、根本的に考えを改めなければならないものです。

  私がここにいう国防の義務とは、武器を持って防衛するというというだけの狭い意味ではありません。国民がさまざまな形で協力して、自分たちの国を守ることであり、女も、子供も、年寄りも全国民が、精神的に団結することです。私は、国防の根本は国民の精神的団結であり、その精神的団結があれば、大量殺戮兵器を持たずとも外敵の侵攻を防ぐことさえ可能だと思います。例えば、永世中立国のスイスは、最も個人主義が徹底している国の一つだといわれますが、国民皆兵制を敷いています。またドイツ、フランス(ロマンド)、イタリアの三系統の文化、言語、民族で構成されていながら、その国民は自らの国家を守ることに誇りと団結心を持っています。そして有事には全市民が民間防衛に徹する教育と訓練がされています。それが、ヒトラーのナチスも攻略しえなかった一因です。実に学ぶべき国民の自尊と団結です。

  さて、権利と義務の問題に戻りますと、民主主義とは、国家が個人の自由を無制限に認めることではありません。国家が個人の権利を制限する時には、法律によらなければなければできない政治制度といえるでしょう。公益の実現をめざして国家が機能するためには、個人の権利が制限されることがあるのは当たり前です。問題はその決め方であり、その手続きが法律で明らかにされ、無法な権利の制限や独裁を防ぐ仕組みが、立憲民主主義でもあります。これは、如何なる場合にも一切の権利の制限を否定する、ということとは違います。権利の制限というと、すべて戦前の軍国主義に結び付ける短絡的な考え方の人がいますが、戦時における権利の制限は、日本に限らず、「民主主義的な」イギリスでもアメリカでも、共に厳しい国家統制を行っているのです。戦争によって国家が滅んだら、国民個人を保護するものはなくなるのですから、一端戦時となれば、国民全体のために個々人の権利を制限するのは当然です。

 

(7)個人と家族

 

  日本国憲法には、第24条に婚姻に関する規定があります。すなわち第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されています。

  このように憲法に婚姻に関する規定が設けられていることは、世界的に見て異例です。男女が性的に結びつくことには、法律はいりません。その限りでは、結婚は私的な事柄であり、国家が介入すべきことではありません。結婚が法律上定められるとするならば、それは結婚が単なる男女の結びつきではなく、家族という一つの社会を形成するものだからです。そのために婚姻の安定性を求める法律も定められるのです。憲法に必要なのは、婚姻よりも家族に関する規定です。

  先進国の中ではイタリア憲法やドイツ基本法などには家族に関する規定があります。それらの国法の規定は、家族を中心とした規定となっています。そして、家族の権利、子供の教育の義務と権利、国家による家族・母性・子供の保護などが規定されている例が見られます。そこには、家族は特別な社会であるから、特に保護されなければならないという考えが示されています。恋愛・性交をするのは両性の自由ですが、婚姻は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的です。家族は、生命・種族の維持・繁栄のための基本単位となる社会であるとともに、文化の継承と創造の基礎となる社会です。単なる生物的経済的共同体ではなく、文化の継承の主体、文化の創造の主体として、家族を考えなければならないのです。それゆえ、家族は生命と文化を継承する場所として、国家によって保護されなくてはならないのです。また、親は子供を教育する権利を有し、また子供を教育し文化を継承発展させていく義務が生じます。

 しかし、日本国憲法の規定には家族という概念はなく、婚姻が両性の努力で維持されるべきことしか規定されていません。「両性の合意のみによって成立する」というような単純な発想は、日本の伝統とは全く反対のものです。また、家族共同体を重んじる東洋儒教文化圏では考えられない西洋近代個人主義の考えです。また、「両性の合意のみ」というのは、ヨーロッパの伝統でもキリスト教の伝統でもありません。少なくとも憲法制定当時、キリスト教では、結婚は神の意思であり祝福であって両性の恣意ではなく、離婚は神の意志に反するものとして厳しい制約がありました。一体どこから、家族を無視した両性の合意なる考えが持ち込まれたのでしょうか。実は、第24条の規定が盛り込まれたのは、GHQ製憲法案の作成メンバーの一人だった、ベアテ・シロタ・ゴードンという当時22歳の女性の考えが、大きく影響しているといわれています。彼女は、戦前、5歳から15歳の時まで日本に居住し、アメリカの価値観と異なる日本の男女観、特に見合い結婚に強い嫌悪感を持っていました。日本文化への無理解と偏見による彼女の考えが、この条文の起源となったのです。こうしたアメリカ人の一人の女性の主張で憲法の条文が加えられ、日本という社会の基礎となる婚姻制度・家族制度が変えられてしまったわけです。

 私は、両性の権利の平等を強調しながら、家族の大切さを規定していない第24条には、大きな欠陥があると思います。その条文は、利己的個人主義的な結婚観を、日本人に植え付け、愛と調和の家族倫理を失わせ、社会の基礎を破壊するものとなっていると思います。特に、今日、家庭道徳の低下と離婚率の上昇など、日本の家族は崩壊の危機にありますので、女性・子供・高齢者を守るためにも、憲法において家族の概念を明確化することが必要だと思います。日本人は、アメリカやスエーデンなどの極度の個人主義が招いた家庭崩壊の愚を後追いすべきではありません。

 

(8)改正

 

  憲法とは、国民のための憲法であって、憲法のための国民ではありません。国の基本法である憲法は、時代と必要に応じて、真に国民のためになるものへと、随時改正していくべきものです。ところが、日本国憲法の改正に関する規定は、他国に比べると非常に厳しいものとなっています。現行憲法では、改正は、国会の両院の3分の2以上の議決で発議され、さらに国民投票で過半数の承認を必要とします。世界的に見て、これらの両方を必要とする例は少ないのです。日本国憲法の本質的性格の一つは、占領基本法であり、占領政策の固定・継続をねらうものでした。そこに、憲法改正を極めて困難にした企みがあるのです。

  この憲法を押付けたアメリカでは、連邦制度の下、連邦議会の3分の2以上の議決による発議と、4分の3以上の州の議会での議決を必要とすると規定されています。そして、合衆国憲法は、1787年に成立してから18回も改正されています(1992年現在)。また補足条項を付けて、時代と必要に応じたものにしていっています。一方、日本と同じ敗戦国であり、ニュルンベルク裁判で裁かれたドイツでは、両院の3分の2以上の議決のみで改正が行なわれることになっています。そしてドイツ基本法発足後、45年間に41回も改正を行っています。特に戦後間もない1954年には再軍備のために大改定が行われ、徴兵制度が導入されました。

  これに対し、日本国憲法は、制定後50年以上、一度も改正されないまま、国際環境と国内問題との歪みを強めてきました。日本より古い憲法を持つ十数か国のうち、戦後、改正の行われていないものはありません。ページの頭へ

 

 

第7章 改憲か、護憲かの半世紀

 

  憲法というものは、国民のためのものであって、国民のために不都合な点があれば、改めていくのは当然です。憲法のための国民ではなく、国民のための憲法なのです。

  しかし、戦後の日本人は、連合軍に占領された6年8ヶ月の間、行政、立法、家族制度、報道、教育、学術等、すべての分野で徹底的な弾圧・改変を受けた結果、マッカーサーから押し付けられた憲法を変えることを恐れています。言論統制と検閲は終わったにもかかわらず、日本人は見えないもののマインドコントロールを受け、自主規制をかけています。

 

  連合国の極東委員会は、昭和21年11月に憲法が公布された後、2年以内に再検討すべしと決めました。マッカーサーも、日本国憲法の押付けは理不尽であることを十分理解していました。そこで、彼は委員会の決定を受けて、憲法施行後1〜2年の間に改正が必要であるなら、国民の判断に委ねるべきことを、吉田茂首相に伝えました。しかし、吉田は、これを無視したと伝えられます。ここから、半世紀を超える今日まで、改憲か護憲かという議論が続いています。

 

(1)朝鮮戦争と講和条約の発効

 

  日本国憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我等の安全と生存を保持しようと決意した」とあります。世に戦争放棄・戦力不保持と言われる決意です。 しかし、同じく前文に記された「専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」はずの「国際社会」は、憲法公布後わずか3年半で、矛盾をさらけ出しました。それが、昭和25年の朝鮮戦争の勃発でした。「平和を愛する諸国民」の実態とは、連合国である米国とソ連・中国等でした。それらの諸国が朝鮮半島で激突したのです。これによって、「崇高な理想」を掲げたつかの間の平和は終わり、米ソ二大超大国の対立の時代になりました。

  米国は、中国・北朝鮮との戦いで共産主義の脅威への認識を改め、日本における治安維持と防共のために、警察力の強化と軍事力の回復の必要性を痛感しました。そして、警察予備隊と自衛隊の創設を進めました。

  昭和26年初め、マッカーサーは、年頭挨拶で、日本国民に対し再軍備と改憲を示唆しました。その中で彼は「仮に国際社会の無法状態が、平和を脅かし人々の生命に支配を及ぼそうとしつづけるならば、この理想があまりにも当然な自己保存の法則に道をゆずらねばならぬことはいうまでもない。そして、国際連合の原則の枠内で他の自由愛好諸国と協力しつつ、力を撃退するために力を結集することこそが諸君の責務となるのである」と述べています。

  この年の国会では、保守も革新も連合国の占領政策を批判しました。国会で国民の代表者たちが、堂々と東京裁判の矛盾を追求したのです。そして、超党派的に、当時戦犯として不当に拘留されていた人々の解放を求めました。しかし、国論は主に憲法第9条をめぐって二分しました。

  昭和27年4月、日本国民が東京裁判の陰謀を覆し、押付けられた米国製憲法を自ら改正できる機会は訪れました。サンフランシスコ講和条約が発効し、占領が終了して、日本が自主独立国家となったからです。この時こそ、日本人は、囚人服を脱ぎ、自主憲法を制定し、教育体制等の改革を、自ら行うべきでした。それらのすべてが、合法的にできるようになったのです。ここで、憲法第9条と再軍備が焦点となりました。

  国連憲章は、国家が自ら防衛する権利及び他国と同盟を結んで防衛を行う権利は、自然権であると認めています。サンフランシスコ講和条約には、国連憲章第51条の個別的・集団的自衛権についての権利が明示されており、12カ国との講和条約を結んだ以上、日本は、第9条を含めた憲法を改定してしかるべきでした。これは戦争をするためではありません。占領下で制限されていた主権を、完全に回復するだけのことです。

  憲法第9条については、日本を非武装化したマッカーサー自身が改正を示唆するように変わったのは、前述した通りですが、昭和28年に来日したニクソン副大統領は「私は合衆国が1946年に誤りをおかしたことを認めます」と表明しました。すなわち米国政府は、米国が日本の非武装を企図したことの誤りを公式に認めたのです。それほど、一国を非武装化するということは、今日の国際社会においては非現実的な政策だったのです。ニクソンの表明には、日本を「太平洋の防波堤」にしようとする米国の国益があったことはいうまでもありません。そうした米国の思惑にかかわらず、日本が主権を回復した独立国として、防衛力を回復しようとするのは、当然でした。

  しかし、この時期に、国論は分裂したまま、国民的な団結は生まれませんでした。それは、左翼勢力が成長増大したからです。占領政策で日本の軍国主義が除去されると同時に、日本的な思想・政体は否定・破壊され、米国型民主主義が移植されるとともに、共産主義の活動が公認されました。そしてこの非日本化(De-japanization)の空隙に、社会主義・共産主義が成長増大しました。この勢力は、日本国憲法を自己に有利とみ、その下で社会主義・共産主義を目指す革命運動を展開してきました。その主な人々は、社会党左派、共産党、進歩的文化人、日教組等です。共通するのは、反日的かつ容共的であることです。彼らは学界、教育界、マスコミを支配するようになり、日本国民の意識を分裂させました。国民大衆は敗戦と、それに続く占領政策、東京裁判等によって、自信と誇りを喪失しており、さらに反日左翼思想によって、精神的に解体されていったのです。

 

(2)55年体制

 

  昭和29年に日本民主党が成立し、鳩山一郎内閣が誕生しました。この内閣は、自主憲法の制定、自主外交による領土回復、自衛軍の創設など、自主独立路線を基本としました。しかし、昭和30年の総選挙において、鳩山内閣は改憲に必要な勢力の確保に失敗しました。憲法改正の発議には、国会の衆参両院の3分の2以上の賛成が必要ですが、そこにいたらなかったのです。この年、左右の社会党が統一し、護憲、再軍備反対の勢力を形成しました。それと前後して、自由党と民主党の保守合同が実現し、二大政党が成立しました。

  こうして、両勢力は一定の均衡に達し、以後約40年間、この枠組みのまま推移しました。これが55年体制と呼ばれます。55年体制とは、国内的には憲法問題をめぐる体制でした。すなわち「改憲か護憲か」の対立と膠着の構図でした。この構図の下で自民党単独の長期安定政権が持続し、この間、GHQ製の押し付け憲法は改正されぬまま固定されて、戦後日本の政策は、法制化された占領政策という枠組みの中で、行われてきたのです。

  自由民主党は、基本方針として改憲を上げ、「党の使命」「党の政綱」にそれを明記しています。そして当時、超党派で憲法調査会を作ろうとしますが、改憲を阻止しようとする社会党は参加しませんでした。その結果、自主独立を目指す「国民的な団結」は遂に作られませんでした。そこに、日本弱体化政策の結果を見ることができます。

 

(3)60年安保

 

  マッカーサーによる現行憲法の下、一端、戦争放棄・戦力不保持を国是とした日本は、彼自身による日本再軍備政策を進めました。これに反対する社会・共産勢力もまた、同じマッカーサーによって活動を容認されて、伸長したものであり、占領政策の矛盾や行き過ぎが、戦後の日本を大きく規定してきたわけです。

  ともあれ、講和後の日本が自主憲法の制定と、主権の一部を構成する自衛力の回復を目指すことは、自主独立国家として当然のことでした。

  日本は、昭和26年、講和条約の調印と同時に日米安全保障条約に調印しましたが、32年に首相となった岸信介は、自衛力の増強に努め、安保条約の改定をはかりました。これに対し、激しい安保反対運動が起こりましたが、結局、国民の大多数の意思を反映して新安保条約が成立されました。

  安保をめぐる対立は、また、憲法に関する改憲か護憲かの対立でもありました。岸信介内閣は、社会党の参加無しに憲法調査会をスタートさせますが、安保反対勢力の強まりによって、改憲への追求は、頓挫します。

 

(4)経済成長主義

 

 60年安保以後、保守勢力は、改憲を棚上げして、経済主義に転換します。それを明確に示したのは、池田勇人内閣でした。池田首相は「所得倍増」を目標に掲げ、経済成長をひたすら追い求めます。日本国憲法と安保の組み合わせによって、日本は防衛負担なく高度経済成長ができる立場に立っていました。また、戦前の排他的なブロック経済は、ガット体制に転換され、日本にとって自由に石油と市場を得られるという環境が開かれていきました。 日本は戦争に大敗していながら、戦争目的であった国防体制の確立、経済の自存自衛、アジアの解放を、結果として成し遂げてしまっていたのでした。しかも、想像もできなかったほどに有利で幸運な条件で。たとえて言えば、戦時に吹かなかった「神風」が、戦後の日本に吹いてきたわけです。

  しかし、高度経済成長が現実のものになると、憲法を改定するという独立国家の悲願は忘れられ、改憲への動きは小さくなっていきました。長期安定政権のもと、自民党は政権の交代のたびに改憲を見送り、「建前は改憲、事実上は護憲」の政党として機能しつづけました。そして無常見な解釈改憲が推し進められました。

 

(5)奇妙な体制

 

  60年安保以後、国内政治には奇妙な体制が生みだされました。

  保守の改憲派は、当然、反米であり、民族独立・自主憲法制定を目指していながら、その米国との軍事同盟を堅持するという存在となりました。愛国的でありながら従米という矛盾です。こうした立場のため、東京裁判史観は批判できず、歴史・道徳の教育改革もできませんでした。米国の半植民地的、属国的な地位にあり、勝者の非道に怒りながら、その勝者の庇護に依存しなければならないという屈辱に甘んじていたわけです。

  一方、革新の護憲派は、米国製憲法を理想化して固守し、改憲を阻止しようとします。しかしその実態は、ソ連型の社会・共産主義を目指し、ソ連から資金を受けているのですから、これまた矛盾に満ちています。そして、彼らは反米・反安保でありながら、東京裁判史観を国民に浸透させていくという役割を演じ続けました。この東京裁判史観とは、米国の太平洋戦争史観に、ソ連の唯物史観=コミンテルン史観、中国の抗日民族解放史観のアマルガムです。護憲派の主流は、ソ連・中国・北朝鮮の「革命の利益」「階級の利益」を「自国の国益」に優先し、日本人でありながら反日的な運動を行ってきました。

  これらの保守・革新、二つの勢力は、ねじれの関係のまま、膠着してしまいました。この奇妙な体制は、米ソの軍事力とイデオロギーの拮抗によるエネルギー空間の曲率が生み出したものです。またそれは、世界核戦争の危機において、1億の日本国民は、米ソ二大勢力のどちらかに組みして生き延びるしかなく、決して憲法前文のように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することはできない、ということの証でもありました。

  この奇妙な体制の中で、国民も指導者も、いつしか矛盾を矛盾として、屈辱を屈辱として感じられない、麻痺状態に陥ってきました。さらに、反日的な勢力は革命と階級という名の下での「共産国の利益」のために、日本の精神的伝統を破壊してきました。こうして物質的繁栄の中で、精神面は退化し、日本人は、自らの精神を一層失っていきました。

  改憲か護憲かという問題には、天皇は無問責か、天皇に戦争責任はあるか、という問題が存在します。そして、対立の核心には、皇室制度を支持するか、否認するか、という一点があります。この点で分けると、尊皇・民主か、共和・共産か、という構図となるでしょう。前者は皇室の存在を肯定し、後者は皇室の存在を否定します。これは、日本の歴史、文化、伝統をどのように理解するか、によって分かれます。いいかえると日本の民族と国家の本質をどうとらえるか、によって分かれるのです。しかし、60年安保後の日本では、この国家民族の根本問題は追求されず、アメリカから与えられた象徴天皇制の下で、「建前は改憲、事実上は護憲」の保守と「革命の手段としての護憲」の革新が、膠着を続けてきたのです。

  こうして日本は、矛盾に満ちた55年体制と日米安保体制の下、ヤルタ=ポツダム体制と東京裁判史観を固定し、半植民地的、属国国家として主権を制限されたまま、経済大国へと成り上がりました。

 

(6)70年安保

 

  日本は、昭和40年代に入り、45年の70年安保にかけて戦後かつてない激動の時代を迎えました。 実はこの昭和40年からの数年間というものは、人類は存亡の岐路に直面していたのでした。

  ベトナム戦争、中ソ対立、中東戦争などの一触即発の危機が続き、また先進国を中心に共産主義革命運動が広がりました。その中で、日本国内では、従来の革新をはみ出た新左翼を主とする暴力革命運動が、学園や街頭をおおっていきました。もう一歩バランスを崩したら、総選挙で左翼政権が樹立され、共産軍の侵攻を招くことは必至でした。その場合、日本列島は米ソの決戦場となり、それが引き金となって、第3次世界大戦が繰り広げられる危機に瀕していたのです。これは本格的な熱核戦争となり、人類の大半は死滅し、地球生命の7割が死滅するという結果に陥ったでしょう。

  日本がこの重大な危機を避けられたのは、実に奇蹟なことでした。この時期の歴史的な意味の大きさに気づいている人は、世界的にもまだほとんどいないようです。

 

(7)70年安保以後ー2000年代へ

 

  船井幸雄氏は20世紀最後の数年間、人類は「未来への分水嶺」にあると言いましたが、既に人類は昭和45年前後に、歴史の大峠をかろうじて乗り越えてきたのです。そして、日本を初めとする東洋アジアが興隆するとともに、西洋物質主義の極致である共産主義が崩壊し、世界の冷戦構造の終焉にいたったのです。また、それにともない日本国内では、55年体制の枠組みが崩れ、平成5年の細川連立政権による政界の再編と流動化になだれ込みました。こうした変化は、20世紀後半から顕著になってきた文明の大転換に伴う出来事です。しかし、多くの人々は、その意味の大きさをまだ自覚していません。

  昭和40年代の人類存亡の危機を脱した後、世界は<西洋から東洋へ、物質から精神へ>のパラダイム・シフトを示してきました。19世紀末から既に進んできた文明の大転換が、いよいよ歴史の表面に浮かび上がってきたのです。その転換は、フリッチョフ・カプラが『ターニング・ポント』に描いたように、欧米における物理学、医学、心理学、経済学、環境科学、社会運動など、さまざまな分野での認識と行動の転換としても現れました。同時にそれは、アポロとガイアによる地球意識の目覚めでもあり、宇宙哲学的な東洋宗教・東洋思想の新生の始まりでもありました。

  しかし、日本人の多くは、1970年代以降のオイル・ショック、バブルの崩壊、長期ダラダラ不況、インターネットによるボーダーレス経済の進展など、経済的・物質的な現象にばかり気を取られ、我欲と物欲に一層深く迷い込み、自己本来の精神を一層見失っています。日本が人類史的な大転換において、東西両文明の融合点、科学と東洋的世界観の総合点、新しい精神科学の出現点にあることを認識している人は、ほんの一部です。

  日本人は戦後、自立心を失い、国防を他国に依存するという「甘え」の構造の中で、「利己主義」的に物質的な豊かさをむさぼり、国際社会の道義を外れた「無責任」な行為を恥じと感じることもなく、半世紀を生きてきました。それは、国家目標も国民的理想もない「半植民地国家」の虚栄の半世紀でした。そして、この国家国民の「甘え」と「わがまま」と「無責任」の意識構造の背景にあるものが、日本国憲法なのです。

  そして日本国憲法は、今日、21世紀において求められている、日本人の精神的な目覚めの妨げになっています。ページの頭へ

 

 

第8章 憲法は心の危機をもたらした

 

 日本国憲法がもたらしたもの、それは平和ではなく、むしろ心の危機でした。そして、現在もこの憲法は、日本人の心の危機を生み続けています。

 

(1)平和をもたらしたのは憲法ではない

 

  現行憲法を肯定・支持する人々の多くは、戦後日本が50年以上、戦争を起こさず、戦争に巻き込まれず、平和と繁栄を享受して来られたのは、「平和憲法」のおかげだ、と考えています。しかし、これは誤った思い込みにすぎません。憲法に平和を誓う言葉が書かれていれば、平和が実現するというものではありません。他国はその国の憲法の条文を見て、侵攻するか否かを決めるのではありません。どのような願いや祈りが憲法に記されていようが、それとは無関係に侵攻は起こりえます。

  例えば、朝鮮戦争において、韓国が平和憲法を持っていたら、金日成の北朝鮮に侵攻されなかったでしょうか。あるいは湾岸戦争において、クウェートが平和憲法を持っていたら、サダム=フセインのイラクに侵攻されなかったでしょうか。

  国際社会の現実が示していることは、平和を維持しているのは、国家間の力のバランスである、という事です。力のバランスが崩れた時に、戦争は起こりやすくなります。

  戦後の日本が平和を維持できたのは、日本国憲法のためではなく、憲法の上位に存在した占領軍や、占領終了後も駐留した米軍の軍事力によるであり、日米安全保障条約の抑止力の働きによるのです。それらが、ソ連や中国・北朝鮮との力のバランスを維持していたからこそ、日本は戦後半世紀以上の平和と繁栄を享受できたのです。

  戦後の日本に平和と繁栄をもたらしたのは、日本国憲法と安保条約との相補的な組み合わせでした。米ソ対立という冷戦下で、戦力不保持・交戦権否定の憲法を維持しながら安全保障を確保するには、日本は、米国との間で安全保障条約を結ぶ以外に手段はありませんでした。同時に安保によって日本はパックス・アメリカーナの受益国として多くの恩恵を受けてきました。アメリカにとっても極東に安定的な軍事基地が確保でき、パックス・アメリカーナの形成に役に立ったわけであり、この点では日米双方にとって互恵的であったといえます。

  安保は、敗戦国・日本には基地の提供などの義務はあるものの、戦勝国・アメリカが一方的に防衛義務を負うという片務条約でした。それゆえ、日本は自国の防衛にすら責任を持たなくてよくなり、自らの負担なくして平和と繁栄を享受することができました。そして、アメリカの作った自由貿易体制を最大限活用して、高度経済成長を成し遂げ、経済的に大きな利益を得たわけです。

  日本はこうした特殊な立場に居直って、特権的な条件を利用した栄華に酔いしれてきたのです。しかし、それは従属国的・被保護国的な地位に甘んじることによって、保障されたものです。そのため、日本人は、自主独立の精神と民族としての気概や誇りを失い、他国への依存心を強め、その下で、経済的な発展ばかりを追求するという、卑屈で物欲的な国民に成り下がったのです。そして、この他者依存的な防衛機構と経済的繁栄が、日本人の心の危機を生み出す要因の一つとなっています。

 

(2)憲法がもたらした心の危機

 

  日本弱体化政策を固定・継続化した現行憲法は、今日の日本人の心の危機を生み出した法的仕掛けとなっています。

  日本を弱体化するとは、日本の国力を弱体化することです。国力とは、その国の経済力、政治力、外交力、軍事力、文化的影響力等の総合したものです。国家間の対立・緊張が高まったときには、武力の強弱が国の運命を左右します。平和的手段による解決を目指す外交にしても、武力の裏付けがあってこそ、相手国に約束を守らせることができるのであり、武力による裏付けがなければ、条約でさえ一方的に破られるものなのです。武力によって、他国の侵攻を防ぎ、武力の裏付けを持って、外交による交渉で相手国との合意を作るところに、現代世界における平和があります。

  戦後、米国は日本の国力を弱体化するために、一度は日本の軍事力を奪い、非武装化しましたが、国際社会のイデオロギーと国益の対立は、米国自身によって、日本の国防を回復せざるをえなくしました。しかし、米国は、日本の主権を制限し、日本に防衛力を与えながら、交戦権は行使できないようにしています。

  しかし、国力を弱める最大の方法とは、その国民の精神を骨抜きにすることです。国力とは、国民一人一人の気概と団結に基づくものです。国民の精神力なくしては、いかなる近代工業設備も、情報システムも、近代兵器大系も、機能しません。逆に、国民が道義に基づいて精神的に団結していれば、こうした物理的な装置を持たなくとも、強い国力を発揮しえます。例えば、ベトナム戦争で世界最大の強国・アメリカと戦ったベトナムはその好例です。

  さて、米国は戦後、日本が再び米国の脅威とならないように、黒人奴隷経営と植民地支配の経験に基づいて、巧みに「精神的な武装解除」を行いました。そして、民族の伝統と歴史を断ち切り、国民の誇りと団結心を奪い、強者の不正や抑圧に対する抵抗心・闘争心を奪ったのです。この目的に供して、米国製の日本国憲法は、占領政策を固定し、継続させる役割を果たしてきました。

  その結果、日本人本来の精神は骨抜きにされ、日本独特の心の危機が生み出されました。特に、戦後50年を前後して、戦後の日教組教育を受けた世代が社会活動の中心となるに従って急速に悪化し、危機はあらゆる面に吹き出ています。政治、経済、外交、防衛、教育、マスコミ、医療、家庭、風俗、環境等々。日本人の心の危機は、全面的かつ根本的なものへと広く、深く、そして激しく進行しています。この危機は、一人一人の心の奥深くから、生み出されています。私は、個人と団体による利己主義の蔓延、家庭の不和・崩壊、学校におけるいじめ、オウム真理教事件などの重大な一因が、憲法にあると考えます。

  日本は、敗戦国・半植民地国家特有の精神的危機を未解決のまま、先進文明国共通の社会的危機、そして地球人類全体の生存的危機に直面しています。これらの危機を解決・克服して、21世紀に新時代を切り開いていくためには、日本人自身の手による新憲法の制定は必須の課題です。それは、どの分野、どの角度から、取り組んでも、ゆきつく共通の課題であることを見据える必要があります。まず、自主憲法を制定し、自国の制度機構を改めて国力を整え、そのうえで、地球と人類の危機を解決・克服するための活動を推進するところに、日本人が国際貢献をする道があると思います。

 

(3)アノミーとアイデンティティ・クライシス

 

  人間は、本質的に、家族的存在であり、社会的存在また歴史的存在です。自己は、家族と社会と歴史を貫く生命と記憶を受け継ぎ、その流れと構造を認識することによって、自己を肯定し、生命と精神の成長と進化を求めていきます。

  戦後日本を覆っている心の危機は、こうした人間本質をゆるがすものです。小室直樹氏によれば、その危機の要素の一つはアノミーであり、また別の一つはアイデンティティ・クライシスです。

  アノミーは、デュルケムによる社会心理学的概念。敗戦国における社会規範の喪失を意味します。第1次大戦後のドイツのように、敗戦という国民的な体験によって、国家体制が解体され、それまでの国民的な価値観・道徳観が崩壊した時に生じる無秩序と混乱の状態です。特に、外力によって、その民族の伝統、文化、国民精神を否定・破壊されたときに、状態は深刻となります。こうした否定・破壊は、第2次大戦後のドイツにおいてさえ行われなかったことですが、日本においてはGHQによって徹底的に行われ、そのため戦後的急性症状であるアノミーが、半世紀以上もの間、慢性化するという特殊な事態となっていると、私は考えます。そして、家庭、学校、社会、国家など、それぞれのレベルで、寄ってたつべき規範が失われたまま世代の交代を迎え、秩序の崩壊と混乱がより深く進んできていると思います。

  アイデンティティ・クライシスは、もともとエリクソンによる発達心理学的概念ですが、私は歴史的自己同定の危機という意味で言っています。自己の存在の根拠を、家族と社会と歴史のつながりの中に見出せず、自己を同定できないときに、人は不安と孤独を感じます。戦後日本人は、外部の力によって自分の過去が断ち切られてしまったため、自己の出生の由来がわからなくなり、民族=国民の一員としての自覚を持てず、歴史的自己同定の不能症となっています。その結果、他を模倣して代償物を求めるか、根拠喪失のまま人格崩壊へと進むか、という二つの主な傾向が現れています。前者の多くは、米国の文化・価値観かソ連・中共・北鮮の共産思想に代償物を求め、その国民に成り代わらんばかりの模倣に走ります。後者の多くは、自暴自棄から自虐・自殺・精神異常へ、或は他者へ向かえば攻撃・破壊へといたります。

  これらのアノミーとアイデンティティ・クライシスが複合的に起こっているのが、現代日本の社会心理状況だと思います。小室直樹氏によれば「病膏肓(こうこう)に入る」(『封印の昭和史』)という病状であり、ガンが骨髄を犯し、余病も併発して余命幾ばくもない重態というところでしょうか。

  こうした状況を生み出しているものが、東京裁判史観であり、また日本国憲法です。法的に限って言えば、一国民に社会的規範と自己同一性の根拠を与えるものは、憲法です。その憲法が、東京裁判史観と軌を一にして、日本人から民族の記憶と伝統を奪い、歴史を断ち切りました。そのため、日本人は伝統と歴史に基づいた社会規範を回復・創造することができず、また過去をさかのぼって、自己の本質を確認し、自己同定をすることができなくなっています。

 

(4)憲法が生み出した性格類型

 

  現行憲法は、アノミーとアイデンティティ・クライシスの中で、戦後日本人特有の性格を生み出してきました。それは、心の危機に直面した性格類型であり、「贖罪と自責」を基にした、「甘えと卑屈」「わがままと無責任」「自立心と団結心の欠如」を特徴とすると私は考えます。

 

@「贖罪」と「自責」

  憲法の前文を起草した人間は、米国人ハッシー海軍中佐です。憲法前文は、日本国民が、謝罪の仕方や誓いの内容まで外国人が書いたものを与えられ、それを演じる台本となっています。その内容に自己を同定するならば、自己とは、過去の戦争の罪を悔い、自らを責め、他者に依存することによってのみ存在できる自己となります。それは、戦勝国である連合国に謝罪を強要され、自己の生存を勝者の慈悲と寛容に委ねさせられた敗者の姿です。そして、「戦争犯罪国家」の「極悪非道」の国民であり、いわば無期懲役の囚人の姿です。そして、憲法前文は、戦勝国の秩序による平和を守るために、日本人が、限りなく贖罪と自責を続け、勝者に自己の存在を依存し続けなければならないという構造を、法文化しています。この構造が、無意識の最深部の階層を構造化しています。

 

A「甘え」と「卑屈」

 

 日本国憲法によって、従属国・被保護国的半植民地的な国家としての地位を固定され、侵攻戦争放棄、戦力不保持、自衛権制限によって、自己の生存を他者に依存するという存在となりました。それが国際社会における「甘え」を生み出しました。この「甘え」は、いつまでも保護を求め、依存し続けようとする心理であり、自立しようとする意志を欠いた状態です。この「甘え」は、同じ発生原因による「卑屈」と裏表になっています。

  自己の存在を自ら守るには、国家にとっても、個人にとっても、意志と技術が必要です。しかし、日本人は、自らを守ろうとする気概を失い、自衛のための抵抗すら罪悪と思い込むことになりました。自己防衛の意志がなくては、そのための技術を身につける事はできず、当然、自分を自分で守ることができません。また他の不正や抑圧に対しても戦うことができません。こうして防衛本能を奪われた「卑屈」な姿は、家畜にも比すべきものです。さらに、守るべき自己の枠が無くなってしまったときには、人格は崩壊します。他者へのとめどない依存か、自虐・自殺・自滅か。

  渡部昇一氏は、土居建男氏との共著『いじめと妬み』(PHP)において、現行憲法下の日本国民の情況と、いじめを受けるいじめられっ子の心理とが、良く似ていることを指摘しています。誇りと自尊心を失い、自分を守るために闘うことすらできないという点に共通点があるわけです。

 

B「わがまま」と「無責任」

 

  主権を制限された従属国・被保護国・半植民地的な地位に甘んじつつ、奇蹟的な経済復興と高度経済成長を成し遂げた日本国民は、過去に対する「贖罪と自責」をしつつ、「甘えと卑屈」の現状に居直り、「わがまま」な利己主義的行動をしています。自国の物質的利益のためにエコノミック・アニマルといわれるほどに拝金物欲を追求し、国際社会での防衛責任を果たすことなく、また地球環境に対しても「無責任」な振る舞いを続けています。そのため、国際社会においてひんしゅくと非難を買っています。

  かつて、日本人は恥じと質素の文化を作り上げ、厳しい自制と責任意識を美徳としていました。しかし、それは、明治以降の西洋化的近代化の中で、武士道の精神とともに失われてきました。その結果が、戦前・昭和前期の無責任構造を生み出しました。戦後、この傾向は、日本国憲法によって一層徹底されました。固有の精神文化を奪われた結果、今日では、政治家も官僚も企業家も学者も、利己的行動をほしいままにしながら、誰も責任を取ろうとしないという社会となっています。それが国内だけでなく国際社会でも通用すると錯覚しているところに、日本国憲法的な「わがままと無責任」の特異性があります。

 

C「自立心」と「団結心」の喪失

 

  日本人は、占領政策によって自立心を奪われ、かつ団結心を破壊されましたが、日本国憲法はこの喪失状態を固定する役目を果たしてきました。その結果、責任と義務を果たす個人としての自己が確立されず、個人の自主性、自立性を欠くとともに、集団においては、規律と団結を欠くという、個人としても、集団としても弱いというどっちつかずの状態になっています。

  日本のアジア的・稲作文化的な共同体では、個人より家族や共同体が主であり、そこでは調和と公益が重んじられました。この家族主義・共同体主義は、蜜蜂・蟻などのような集団生活をする動物社会に近い社会であり、集団としての強さを持っていました。この社会は、欧米近代の個人主義の社会とは、社会の構成原理が違います。その原理的な差異を無視して、米国型の個人主義が植え付けられようとしました。一方、日本人は、民族としての団結心を奪われ、団結することへの恐れを植え付けられているため、団結に対しては、自主規制が働くようにプログラムされています。団結することは悪である、特に指導者を中心に団結することは危険であるという観念が、意識の深層に植え付けられています。このため、個として確立していない個人が、集団としての団結もできないという状態となっています。

  こういう状態ゆえ、国家的危機、人類的危機において、自立した個人として、或は団結した集団として、危機に取り組み、乗り越え、また他を救おうという意志が結集されにくい状態となっています。

 

  これらの「贖罪」「自責」「甘え」「卑屈」「わがまま」「無責任」 「自立心と団結心の喪失」が、戦後日本人の性格的特徴となっていると私は考えます。そして、これらの特徴を生み出している源泉の一つが、日本国憲法であり、憲法は心の危機を生み続けているのです。「日本国憲法」は亡国憲法だからです。日本弱体化政策の結果であるこの危機は、憲法を改正し、自主憲法を制定することなくして解決できません。そしてまた、これなくして、日本が先進国の社会的危機、地球人類の生存的危機を解決・克服して、21世紀に新時代を切り開いていくことはできないと考えます。ページの頭へ

 

 

結びに〜憲法改正は必須の課題

 

 どんな憲法でも完璧ということはありえません。何かしらの欠陥や不足があるでしょう。その欠陥や不足を知ったとき、憲法を改正するか、放置するかが問題です。

 憲法放置によって、亡国を招いた前例が、我が国にはあります。

 

 大日本帝国憲法は、明治の先人が苦心の末につくりあげた憲法でした。しかし、昭和に入って、国際情勢が変化し、また世代交代が進む中で、憲法は欠陥を示すにいたりました。

 「統帥権の独立」という憲法の急所を突いた軍部は、昭和5年以降、統帥権干犯問題・天皇機関説攻撃をきっかけとして、台頭しました。昭和の軍人は、明治天皇の遺勅に反して、政治に介入しました。憲法の問題点を認識した人々も、神聖視された欽定憲法の改正は、言い出し得ませんでした。帝国憲法には、首相とか内閣総理大臣という言葉が一言もなく、また政党政治を予想したものでもありませんでした。政府や議会は、軍部の暴走を抑えることができませんでした。その結果、シナとの紛争は泥沼化し、その果てに、我が国は無謀な大戦争に突入し、敗北を喫しました。ニ百万の同胞の死と、膨大な財の破壊・損失をもたらす大破局でした。

 

 翻って、戦後の日本国憲法は、最初から欠陥の多い粗悪な輸入品でした。日本国憲法は、占領下にGHQによって立案され、武力的脅迫をもって日本国政府に押し付けられたという事実があります。こうした憲法を放置して、国が正しく進むわけはないので

す。

 日本は過去に一度、憲法の欠陥による破局を体験しています。私たちはこの失敗に学び、欠陥憲法の放置は、新たな亡国に至ることに気づくべきだと思います。

 

 トインビーは主著『歴史の研究』で次のように述べています。

 「すべての国家は衰退するが、その原因は必ずしも不可逆的なものではない。しかし一番致命的な要因は、国家自己決定できなくなることだ」と。 

 この賢哲の言葉にならって言えば、「憲法を自ら決めるという自己決定ができない国民は、衰退する」。

 欠陥と矛盾の多い現行憲法は、日本弱体化政策の総仕上げとして日本に与えられた桎梏です。マッカーサーによるマインドコントロールは、本人の意思さえ超えて、日本人の精神を呪縛しています。心を澄ませて真実に目を開き、日本弱体化の謀略を克服することが必要です。そして、日本の再生は、自ら憲法を改正することによってのみ可能です。それは自己の運命を切り開く意志をもった国民多数の出現によってのみ実現できるのです。憲法改正は、日本と世界が新時代を迎えるために、日本人自身が実行しなければならない必須の課題なのです。ページの頭へ

 

参考資料

・江藤淳著『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫)

・同上『1946年憲法 その拘束他』(文春文庫)

・児島襄著『史録日本国憲法』(文春文庫)

・長尾龍一著『日本憲法思想史』(講談社学術文庫)

・中川剛著『憲法評論』(信山社出版)

・吉田和男著『21世紀の繁栄のための憲法改正論』(PHP研究所)

・佐瀬昌盛著『新しい日本の国家像』(富士教育センター)

  日本を守る国民会議編『日本国新憲法制定宣言』(徳間書店)

 

  私の新憲法私案は、以下をご覧下さい。

 「日本再建のための新憲法〜ほそかわ私案

 

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