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  憲法・国防

                       

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ber117

 

■国防を考えるなら憲法改正は必須

2001.1.20

 

<目次>

 はじめに

憲法前文を除かずして国防なし

平和条項は世界唯一でなどない

自衛権は自然権である

交戦権は事実上認められていない

集団的自衛権による共同防衛は義務

国連を脱退するか、無責任に居直るか

国際平和の実現のために

非常事態条項も制定すべし

結びに〜国防を考えるなら憲法改正を

 

ber117

 

はじめに

 

現在、わが国は北朝鮮のノドンや、中国の弾道ミサイルや、国際的なテロリズム等の脅威に、日夜さらされています。平成15年6月7日、ようやく有事三法が成立したものの、わが国の国防における基本条件は変わっていません。それは、日本国憲法において、大きな制限が課せられているからです。憲法、特に第9条の改正なくして、国防の整備はできません。それはすなわち、わが国は自力では、国の主権と独立、国民の生命と財産を守ることができない状態にあることを意味します。

戦後、連合国は、GHQによって日本弱体化政策を強行しました。日本弱体化の狙いの一つは、武力の制限でした。しかも、それは日本人の精神を骨抜きにし、自ら国を守る、自分で自分を守ろうという意志までを奪うものだったのです。

それゆえ、国防の問題は、現行憲法の欠陥と矛盾を明らかにすることなくして、本気で考えることはできないのです。

 

 

1.憲法前文を除かずして国防なし

 

  現行憲法の前文には、日本国民が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」したこと、また「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と信ずることが、書かれています。(1)

これは、大東亜戦争は、日本が起こした侵攻戦争である、という一方的な見方に基づいています。すなわち戦勝国による「太平洋戦争史」や東京裁判と同じ観点に立って書かれています。そこから、前文の持つ根本的な性格が明らかになります。その性格とは、誰かに宛てて書いている文章だということです。そして、その相手とは米国を中心とした連合国であり、前文は敗者が勝者にあてた謝罪と誓約の文章となっているのです。

  この謝罪誓約文を書いているのは日本国民ではありません。外国人です。米国軍人ハッシー海軍中佐です。

  GHQが、謝罪と誓約まで代わりに書いて、日本人に「このように謝れ、このように誓え」と迫っているのです。その内容を、日本国民に対し、国民自身の決意であり、宣言であり、誓いであると、公言させているのです。ここにおける日本国民は、侵攻戦争の戦争犯罪の受刑者であり、囚人でしかありません。

  次に、前文には、日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記されています。ここにおける「諸国民」とは、実質的には連合国です。当時未だ独立していないアジア諸国は当然入っていません。つまり戦勝国である連合国の「公正と信義に信頼して」、連合国に「安全と生存」をゆだねたことを意味します。これは、日本国は降伏し、被占領下にあるということを意味しています。事実、憲法の制定公布のときには日本国は主権を制限されており、憲法に謳われている国民の主権以上の権力が、日本を実質的に統治していました。それが占領軍の中心たるGHQの権力であり、最高司令官であるマッカーサーの権力です。  そして、その権力の統治下に、日本国民は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と記させられました。

しかし、憲法公布のわずか4年後、北朝鮮の侵攻によって朝鮮戦争が勃発し「平和を愛する諸国民」は激しく戦うことになります。米国と中ソが事実上、激突する事態となったのです。憲法前文に盛られた「崇高な理想」は、暴力革命によって世界を共産化しようとするイデオロギーと、各国の国益の対立・抗争によって、空文化してしまいました。そして、共産主義の脅威を知ったマッカーサーは、自らの手で、防共のために日本再軍備を進めたのでした。

  しかし、憲法前文は、いまなお存在します。そして、日本人から過去の記憶と歴史を奪い、贖罪意識と暗黒自虐史観を植え付け、日本人を精神的に骨抜きにするものとして、国民を呪縛し続けています。(2)

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註:

(1)日本国憲法全体の問題については、以下の拙稿をご参照下さい。

日本国憲法は亡国憲法――改正せねば国が滅ぶ

※本稿は、その一部をなすものでもあります。

(2)「日本弱体化政策」については、以下の拙稿をご参照下さい。

 日本弱体化政策の検証〜日本の再生のために

 

 

2.平和条項は世界唯一でなどない

 

  憲法第9条は国防論議の最大の焦点です。条文は次のようになっています。

 

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

  こうした第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だという人たちがいます。これは麗しい誤解です。そうでなれば、ためにするウソです。

第1項の「国際紛争の解決の手段としての戦争放棄」は、侵攻戦争を否定し、侵攻戦争を認めないことを意味するものです。こうした条項は、日本だけではなく、多数の国々の憲法に見られます。イタリアやフランスの憲法がそうであり、ドイツ基本法もそうです。これらの規定は、1928年の不戦条約をもとにしたものです。表現も各国でほとんど同じです。ですから、第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だなどと誇っている人たちは、他の平和を愛する国々に、失礼なことを言っていることになります。

  第9条の本質は、次の点にこそあります。すなわち、日本国民自らが願った平和条項ではなく、勝者・米国によって押し付けられた主権制限条項であることです。当時の連合国は、日本が一方的に戦争を引き起こした国であり、日本を国際的な支配下に置くことが、平和を築く条件だと考えました。そして、第9条は、日本が戦勝国による平和の障害とならないようにするための条項だったのです。その狙いは、日本・ドイツを敵国とした国連憲章第107条の敵国条項と同じものです。この敵国条項は、いまなお公式に削除されていません。わが国は、国際連合に加盟しながら、国連にとっての敵国という矛盾した地位に置かれているのです。 ページの頭へ

 

 

3.自衛権は自然権である

 

  第9条の第1項と違い、第2項の「戦力の不保持」は大変ユニークなもので、独立国では、世界唯一の規定です。しかし、果たしてこれは、自衛権の放棄を規定したものだったでしょうか。起草者の意図はどうだったのでしょうか。起草に当たったGHQのケーディス中佐は、これは自衛権の放棄を規定したものではない、と否定しています。また、翻訳憲法を押し付けた米国は、サンフランシスコ講和条約によって、日本の個別的・集団的自衛権を認めています。

これに関連して、現行憲法の第66条には「首相は文民でなければならない」という文民条項があります。これは当然、武官の存在を前提としている表現です。つまり、日本には武官すなわち軍人(軍事官僚)がいるという前提に立っているわけです。それゆえ、第9条は本来、自衛権と自衛の軍隊の存在を認めていたことが明らかです。侵攻戦争のための陸海空軍その他の戦力は、保持しないが、自衛のための戦力は保持できるという規定であるわけです。

  一体、自衛権とは何を守るのでしょうか。防衛の目的は、国民の生命と財産を守ることであり、また国家の主権と独立を守ることです。前者はいうまでもありませんが、それも後者の主権と独立が保たれてこそのものです。具体的には国家の意思決定機構を守ることであり、国民が自分の国について自分の意志で決める権利を守ることです。自分たちの運命を他に強制されないことといってもよいでしょう。その国家の主権と独立を支える最後の保障は、「力=Force=軍隊」です。また、自衛権とは、国民が自国の文化を防衛するための権利でもあります。つまり自分たちの伝統・文化・精神を他に奪われず、他から文化を強制されないようにする権利でもあるのです。

  ところが最近まで、日本は自衛権または自衛力をも放棄した、自衛隊は違憲であると解釈する日本人が、根強く存在しました。自衛権は独立主権国家の主権の核心的な要素です。これを放棄したとすれば、独立主権国家とはいえません。他国から侵攻されても正当防衛による抵抗さえしないということになります。具体的には、米国の従属国・被保護国いわば半植民地となるか、旧ソ連の侵攻を招き共産主義の衛星国となるか、いずれにせよ他に運命を委ねるということを意味します。犯されても、殺されても抵抗しません、うそお好きになさってください、それが平和のためなのでしたらーーというわけでしょうか。これでは、自虐自滅行為です。

  自衛権というものは、国際法上、自然権として確立しています。国際連合では、国連憲章第51条に自衛権を規定し、個別的自衛権と集団的自衛権をともに国家に固有の権利と認めています。また、サンフランシスコ講和条約(12カ国参加)は、日本の個別的自衛権と集団的自衛権を認め、日米安全保障条約の締結を認めています。日本は、講和条約を結び、国連に加盟しているのですから、自然権としての自衛権を持ち、国際法上、個別的自衛権と集団的自衛権を持つことは自明です。現実にも、自衛隊が組織され、日米安全保障条約が締結され、国際的に認められています。自衛権ないし自衛力の放棄という解釈は、憲法学の問題ではなくイデオロギー闘争の手段だったのです。日本の自衛権ないし自衛力を放棄させるというのは、アメリカの支配下から、日本を無抵抗のままに旧ソ連圏へ組み入れようという共産主義の謀略だったのです。

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4.交戦権は事実上認められていない

 

  第9条第2項には「国の交戦権はこれを認めない」という規定があります。この規定こそ重要です。2項の始めに「前項の目的を達するため」と記されていますから、その「目的」とは厳密には侵攻戦争の放棄を意味します。それゆえ自衛戦争に関する交戦権の有無は問題となっていないはずです。ところが現実には、日本は自衛権と自衛力を持ちながら、事実上、交戦権は禁じられ、交戦権を行使できない立場となっています。ここに、米国による日本の主権への制限が働いている、と考えられます。

  交戦権とは、武力による戦闘だけを意味するのではないことに注意しなければなりません。交戦権の中には、敵国との通商の禁止、敵国の居留民と外交使節の行動の制限、自国内の敵国民財産の管理、敵国との条約の破棄またはその履行の停止が、合法的な権利として含まれています。現在の日本は、どこかの国が突然、宣戦布告をして侵攻してきた場合でも、こうした非軍事的な手段による対抗もできない状態にあります。日米安全保障条約によって米国に守ってもらうしかありません。また、米国はこうした防衛上の依存構造を作り、日本を自国の国益の追求のために管理しているのです。つまり、米国は、日本に防衛力を持たせ、それをあくまで米国が管理下におき、日本自身が自分の意志で防衛力を行使することはできないようにしている、と考えられます。それがアメリカによる“宗主国対従属国” “保護国対被保護国”の構造であると理解できます。つまり、日本は、安保条約による軍事同盟国ではあるが、首根っこは捕まえているという訳です。第9条が主権制限条項であることの最も深い意味がここにあるのです。

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5.集団的自衛権による共同防衛は義務

 

  国際法は国内法に優先するという原則があります。しかし、集団的自衛権について、日本は、国内法である現行憲法を国際法に優先するという異例な形をとっています。そして政府は、日米安保は「憲法の範囲内で」と明記されているので違憲ではないが、集団的自衛権は「権利はあるが行使はできない」という特異な見解をとっています。「行使」できない権利など、権利とはいえません。権利はあるが行使できないとするならば、それは集団的自衛権が制限されていることを明言したものとなります。自然権である自衛権を自主的に制限している、あるいは他律的に制限されていることを意味します。

  しかし、国連は集団安全保障機構であす。また、加盟国には共同防衛の義務を課しています。もともと国連は軍事同盟です。第2次大戦の「連合国」と「国際連合」は、英語では同じ United Nations です。United Nationsを「国際連合」と翻訳しているのは欺瞞的であり、本来は「連合国」と訳すべきものです。そして、「連合国=国連」という軍事同盟の加盟国には、相互の安全保障のために軍事力を提供する義務があるのです。このことを考えると、わが国の政府が言っていることは、支離滅裂というしかありません。ページの頭へ

 

 

6.国連を脱退するか、無責任に居直るか

 

  日本は、第9条の規定によって、国連加盟国としての安全保障に関する義務を果たすことができません。ここで新たに起った問題が、湾岸戦争における国連への協力の問題でした。この問題をめぐって、国内は賛否こもごもの中で、国連協力法が成立し、PKOへの参加は合憲であることになりました。しかし、PKFや、さらに国連憲章第43条に規定される国連軍への兵力の提供ということについては、第9条に抵触するというのが多数の見解です。つまり、国連に加盟していながら、加盟国としての当然の義務を果たせないということになっています。これは多数の外国から見れば、日本は、第9条を盾に国際社会における責任を回避しており、利己主義で無責任だ、と非難されることになります。

  同時に、憲法第9条と第98条の矛盾が生じます。第98条第2項には、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と書かれています。ところが、第9条があるために、日本は国連加盟国としての義務を「誠実に遵守すること」はできません。第98条に従うなら、日本は国際法上の義務を果たせないのですから、国連を脱退すべきです。しかしその結果は国際社会からの孤立化の道です。

  戦前の日本は、満州国問題を機に松岡洋介が国際連盟を脱退して、国際的に孤立する道を選びました。そして、独伊と野合して、米英との無謀な戦争へ突き進みました。国際社会から孤立するということは、世界を敵に回すことになりかねません。外交においては、孤立を避けること、敵を作らないようにすることが鉄則です。この鉄則に従うなら、日本国民は第9条を改正して、国連の平和維持活動に参加できるようにならなければなりません。共同防衛は、国連の加盟国が行っている当然の義務です。この義務を履行できないのであれば、国際社会においては不誠実な居直り、国内的には憲法の空無化ということになります。ページの頭へ

 

 

.国際平和の実現のために

 

  私は「解釈改憲」には反対です。無原則的な解釈の拡大は、自他への欺瞞でしかありません。日本は第9条を含め、現憲法を改正して、主権国家としての個別的集団的自衛権を完全に回復し、かつその権利を行使して、国連の一員として、国際平和維持のための義務を果たせるようにすべきです。

  そして、そのうえで重要なことは、外交によって周辺国との国際協調をはかり、アジア・太平洋の不戦を貫くことです。さらに日本は、国家目標を持って、国連安全保障理事会の常任理事国となることをめざすべきです。そして、アメリカの自国国益中心の横暴を押さえ、世界唯一の被爆国として完全核廃絶を押しすすめ、また従来の資本主義・共産主義・民族・宗教の対立を超えた国際平和の実現に貢献することです。こうした国家目標をもって、共存共栄の指導原理を確立し、真の世界平和に寄与できる自主憲法を制定することが必要だと考えます。ページの頭へ

 

 

.非常事態条項も制定すべし

 

国防の問題と関連して、重要なのが非常事態への備えです。個人でも家庭でも、火事・事故・病気などいざというときのための備えを考えます。国家国民においては、とりわけ戦争と災害への備えが必要です。また政府には、いかなる事態が発生しても、国民の生命と財産、国家の主権と独立を守る役目があります。しかし、日本国憲法には、非常事態に関する条項がありません。いざというときに、誰がどのような権限で、責任を持って非常事態を処理するのかが、定められていません。権限の所在と行使の手続きが、決まっていないのです。これは、国家基本法である憲法としては、重大な欠陥です。

  憲法に、非常事態の時の権限と手続きを決めておくことは、世界の常識です。どこの国の憲法でも、宣戦布告、非常事態宣言、大統領などの職務不能時・国会の開会不能時などにおける非常事態に対して、その備えをしてあるのです。非常事態とは、憲法が正常に機能しないときであり、この場合についての国家権力のあり方を憲法に規定しておくのは極めて重要なことです。これは、民主主義国家においては、非常時にも立憲主義を貫くために不可欠の条項なのです。なぜならば、非常大権を規定しないとすると、緊急事態が生じたときにその指揮にあたる指導者に無制限な権限を与えることになります。非常時には、法律によらずに対処せざるをえないことが起りうるわけですが、その場合でも緊急の事態における権限と手続きを明らかにしておくことによって、そのような事態においても民主主義を維持することができます。こうしたルールを憲法に定めておかないと、超法規的な行動や、独裁的な権力の出現を許すことになります。それゆえ、憲法に、非常大権、国家緊急権を規定することは、いかなる場合にも立憲主義を貫き、民主主義を守るために、不可欠のことなのです。

  それにもかかわらず、日本国憲法の制定においては、非常事態条項が設けられませんでした。なぜなのか。それには、訳があります。大日本帝国憲法では、非常大権は天皇にありました。2・26事件で政府が機能しない事態となったとき、昭和天皇が直接指揮を執ったのは、そのゆえです。しかし、日本国憲法は、敗戦後日本がGHQの占領下において制定された占領基本法というべきものでした。日本の主権は制限され、非常事態においても、自らの運命を決める権限がなかったのです。非常大権は日本ではなく、マッカーサーにありました。それゆえ、属国・被保護国的な地位にある日本の憲法には非常事態条項は必要なかったのです。そして、マッカーサーが去って半世紀経っても、非常事態条項はないままです。

  日本には、国家機構が停止するような非常事態となったときに、日本人の誰にも非常大権がありません。講和条約の発効による独立の回復後も、憲法を改定してこなかったからです。もし憲法を停止しなければならない事態が生じたならば、どうなるのでしょうか。現状では、日米安保体制によって、アメリカ軍が再び日本を統治する以外にないでしょう。つまり、アメリカ大統領が日本を統治することになるわけです。これでは、日本は真の独立主権国家とは言えません。私が、日本は、アメリカを宗主国とする従属国・被保護国いわば半植民地的な存在と考える所以の一つです。

  国家の非常事態とは、戦争・内乱に限りません。天災に予告はありません。備えを怠れば、将来に渡って取り返しのつかない大悲劇を招くでしょう。平成7年1月の阪神大震災において、被害と犠牲者が広がったのは、有事への備えが出来ていなかったからです。特に総理大臣が、有事立法に反対してきた社会党(当時)の村山富市であったことが、一層判断と行動を遅らせ、混乱を引き起こしました。この震災の痛ましい犠牲によって、国家の危機管理体制の構築の大切さが痛感されています。

  阪神大震災は首都圏大震災の予兆というべきでしょう。世はまさに『大地動乱の時代』(石橋克彦著、岩波新書)です。来るべき首都圏直下型大地震は、想像を絶する被害をもたらすでしょう。日本国民の生活と運命だけでなく、世界の経済や食糧事情などにも、破壊的な影響を及ぼすでしょう。

  日本は、こうした未曾有の事態に備えるためにも、出来うる限りの最善の努力をすべきです。しかし、欠陥憲法を検証もせず、理想憲法と信じている人々が、まだまだ多数います。この現状を早急に改めなければなりません。ページの頭へ

 

 

結びに〜国防を考えるなら憲法改正を

 

以上、見てきたように、日本国憲法の改正なくして、わが国の国防を整えることは出来ません。有事三法の成立を機に、現行憲法の欠陥と矛盾を明らかにしなければなりません。

憲法というものは、国民のためのものであって、国民のために不都合な点があれば、改めていくのは当然です。憲法のための国民ではなく、国民のための憲法なのです。

しかし、戦後の日本人は、マッカーサーから押し付けられた憲法を変えることを恐れています。今なお日本人は見えないもののマインドコントロールを受け、自主規制をかけています。

今こそ、こうした呪縛から目覚め、独立主権国家・日本にふさわしい憲法を制定する必要があります。それなくして、わが国は北朝鮮、中国、国際テロリズム等の脅威から、国の主権と独立、国民の生命と財産を守ることができないということを、一人でも多くの人に認識していただきたいと思います。

国防を根本から考えるならば、憲法改正しかありません。ページの頭へ

 

参考資料

国防の具体的なあり方については、スイスの例が非常に参考になります。

以下の拙稿をご参照下さい。

 「スイスに学ぶ平和国家のあり方

 

私の新憲法案は、以下をご覧下さい。

 「新憲法へ――改正の時は今

 「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」(第4章が「安全保障」です)

 

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