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北朝鮮による拉致とは何か

2004.9.1 初掲/2014.9.26年表を修正

 

Q1 拉致とは何か

Q2 いつ頃から拉致は行われてきたのか

Q3 日本政府は拉致事件をいつから知っていたのか

Q4 何人くらいの人が拉致されているのか

Q5 拉致の目的は何か

Q6 朝鮮人のいわゆる「強制連行」との違いは

Q7 北朝鮮が拉致を認めた理由は何か

Q8 拉致問題において、わが国の根本問題はどこにあるか

Q9 日本は国家として拉致問題解決にどう取り組むべきか

●拉致事件関連の年表2014.9.26現在

 

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北朝鮮による拉致事件は、私たち国民が日本という国の現状を反省し、国と国民のあり方を根本的に改めなければならないほど大きな問題です。

拉致事件の解決をめざし、この問題の基本的な事柄について、Q&A形式でまとめてみました。

 

1 拉致とは何か

 

拉致とは「無理に連れて行くこと」(広辞苑)を意味します。

北朝鮮による日本人拉致事件とは、北朝鮮の工作船が日本の領海を侵犯し、工作員が日本の領土に上陸して、日本国民を強制的に連れて行ったことです。また、この活動には日本国内に存在する組織が加担していると見られます。これは、日本の主権が侵害されていることを意味します。また、我が国の国民の生命と財産が侵害され、外国によって人権が侵害されていることに他なりません。

こうした拉致は、北朝鮮の最高指導者の指示によって行われている組織的な国家犯罪であり、許しがたい国家テロです。ページの頭へ

 

2 いつ頃から拉致は行われてきたのか

 

昭和52年(1977)9月19日、久米裕(ゆたか)さん(当時52歳)〔東京都〕が拉致されたのが、日本の領土で、北朝鮮工作員及び朝鮮総連系に拉致された始めとされます。

その2ヵ月後、11月15日、横田めぐみさん(当時13歳)〔新潟県〕が拉致されました。中学1年生、13歳のめぐみさんが、学校のバトミントン部の練習の帰り道に拉致されたのです。

平成18年11月20日、政府は同じ年の10月21日、鳥取県米子市から失踪した松本京子さん(当時29歳)を拉致被害者と認定しました。

また、昭和51年(1976)に失踪した埼玉県川口市の藤田進さんも拉致された疑いが濃いと見られます。

昭和53年(1978)には、3組のアベック、地村保志さんと浜本富貴恵さん〔福井県〕、蓮村薫さんと奥土祐木子さん〔福井県〕、市川修一さんと増元るみ子さん〔鹿児島県〕が拉致されました。この前後、田口八重子さん〔埼玉県〕や曽我ひとみさんと母親の曽我ミヨシさん〔新潟県〕、田中実さん〔兵庫県〕も拉致されたと見られます。

その後、昭和55年(1980)に石岡亨さんがヨーロッパ旅行中に、松木薫さんがスペイン留学中に拉致されました。昭和58年(1983)には、有本恵子さんがイギリス留学中にコペンハーゲンから拉致されています。

ただし、より古い例では、昭和38年(1963)寺越昭二さん(当時36歳)・外雄さん(24歳)・武志さん(13歳)〔石川県〕が、工作船が侵入しようとしたところを見たので、拉致されたといいます。一体いつから拉致が、どの程度の規模で行われてきたのか、真相は未だ解明できていません。ページの頭へ

 

3 日本政府は拉致事件をいつから知っていたのか

 

昭和52年(1977)9月19日、久米裕さん(当時52歳)〔東京都〕が拉致された事件では、拉致した犯人を警察は現場で捕まえました。逮捕された実行犯(在日朝鮮人)が拉致を自白し、石川県警は暗号指令解読用の乱数表などを押収したのです。ところが警察は起訴猶予にし、公表もされませんでした。

もし久米さんの拉致の時、警察の情報を公開し、北朝鮮の犯行と報道していたら、2ヵ月後に被害にあった横田めぐみさんの拉致は起こらなかったかもしれません。また、同年10月の松本京子さん、翌年の地村夫妻、蓮村夫妻、市川修一さんと増元るみ子さん、田口八重子さん、曽我ひとみさん母子、田中実さんの拉致も起こらなかったかもしれません。

昭和53年の秋、警察庁は3件6人のアベックの失踪を北朝鮮による拉致と判断しました。しかし、政府は北朝鮮・親北派の反発を畏れて公表しなかったようです。

昭和55年(1980)『サンケイ新聞』が「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで報道しました。阿部雅美記者は、外国の情報機関が関与した疑いがあることを報じました。拉致事件の最初のスクープでした。しかし、世間の反応はほとんどないままでした。このニュースに私たち国民が関心を示していたら、石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんの拉致は防げたかもしれませんでした。

昭和62年(1987)11月、大韓航空機爆破事件が発生し、乗客115名が死亡しました。実行犯の金賢姫が、日本から拉致されてきた教育係・李恩恵(田口八重子さん)に言及しました。また事件は金正日の密命によるものと証言したのです。

翌年の昭和63年3月、衆議院予算委員会で梶山静六国家公安委員長が、昭和53年のアベック失踪等について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁しました。しかし、これも大きく報じられることはなく、被害者救出の声も上がらないままになってしまいました。

外国の例では、昭和53年にレバノンで女性4人が北朝鮮による拉致にあいましたが、同国政府が強く抗議して翌年には被害者全員が解放されました。また、東西冷戦時代、西ドイツでは東ドイツに国民が拉致されるという事件が頻繁に発生しました。しかし、西ドイツでは警察も役所もすぐ対応し、被害者を救出しています。また国民もその解決を支援したそうです。

これらの例は、日本国政府の対応及び日本国民の行動とは、大きな違いです。

国家(政府)の役割の一つは国民の生命と財産を守ることにあります。また、国民は本来、自国を守り、相互に助け合うべき立場にあります。ところが、戦後日本は憲法によって国防を大きく制限され、憲法に国民の国防の義務が規定されていません。主権国家として大きな欠陥を持っているのです。外交においても軍事力に裏付けられていない交渉は、相手国に強い態度が取れません。そのため、日本は他国に対し、毅然とした態度がとれずに、国民が次々と外国による拉致の犠牲になってきたのです。

平成14年10月15日、北朝鮮に拉致されて24年ぶりに地村夫妻・蓮池夫妻・曽我氏5人が帰国しました。その5日後の10月20日、美智子皇后陛下からお言葉がありました。

「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います」

痛切なお言葉です。日本国民は、自国と自分自身について深く反省し、国家・国民のあり方を改めなければならないと思います。ページの頭へ

 

4 何人くらいの人が拉致されているのか

 

日本国政府は12件17人の人々(平成23年7月現在)を北朝鮮による拉致被害者と認定しています。平成16年5月の時点では北朝鮮は、久米裕さんと曽我ミヨシさんを除いては拉致を認めましたが、同月帰国した5人以外の人々を「死亡」「未入国」と通告してきました。その報告は、ずさんであり、矛盾に満ち、到底、容認することが出来ない内容でした。

日本国政府は、北朝鮮に対し、横田めぐみさんなど安否不明の10人について、再調査を求め、150項目に及ぶ質問を出しました。しかし、北朝鮮は一切答えていません。

その後、新たに認定された田中実さん、松本京子さん、拉致の疑いの濃い藤田進さんについては回答がありません。

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(「救う会」)系の「特定失踪者問題調査会」の調査によると、少なく見積もっても百名以上の人々が、北朝鮮に拉致された可能性があるといいます。「救う会」は日本政府認定の17人に加えて7人を拉致被害者と認定しています。

3家族の帰国は、まだ氷山の一角なのです。ページの頭へ

 

5 拉致の目的は何か

 

主に三つの目的が考えられます。

 

(1)  北朝鮮の工作員の教育係とするため

大韓航空機爆破事件の金賢姫は、教育係・田口八重子さんに日本語・日本の習慣等を教わった例など

(2)  拉致した人物のパスポートを取得し、工作員が本人になりすまして活動するため

北朝鮮スパイ・辛光洙(シン・ガンス)が原敕晁(ただあき)さんになりすまして韓国でスパイ活動した例など

(3)  自国に必要な人材を得るため

拉致された可能性のある人には、特定の職業の人、原発関連技術者やミサイル開発関連技術者が16名いる

 

これらの目的に共通する大目的は、朝鮮半島の共産化のために、日本人を利用することであると考えられます。

平成16年6月、産経新聞は、ソウル特派員・久保田るり子記者の記事により、拉致が北朝鮮の最高指導者の指示によって行われてきたことを伝えました。

この記事は月刊『正論』(産経新聞社)の平成16年8月号に「拉致を命じた金日成の秘密教示」と題して掲載されました。

記事によると、産経新聞社が得た金日成(キム・イルソン)主席の「秘密教示」は、「北朝鮮が韓国に侵入させるために養成していた幹部工作員に金日成政治軍事大学で強制的に記憶させた内容」といいます。そして、北朝鮮の戦略的な原則や革命の基本は、この「秘密教示」にあるといいます。

記事によると、北朝鮮は朝鮮戦争(1950-1953年)後、韓国の共産化による朝鮮の統一を目標にした工作活動を開始しました。しかし、1960年代は韓国・朴正煕政権の反共政策で数多くのスパイ事件、地下党組織が摘発されました。そうした時代背景から故金日成主席はこの時代、日本を「対南工作の迂回ルート」と位置付けていたというのです。

故金日成主席は1960年代、工作対象として日本をこう分析していました。

「第三国を通じた迂回浸透(韓国に日本を経て工作員を送り込むこと)で興味深い対象国は日本だ。‥‥今後、日本を迂回浸透工作の基地として大々的に利用する必要がある」「日本は国内法上、スパイ防止法、反国家行為への法的(禁止)制度がない。従って日本を舞台に(工作)活動が発覚しても外国人登録法、出入国法違反など軽い罪にしか問われない」(いずれも1967年4月、対南担当要員との対話)

「帰国船(1971年から万景峰号)が新潟港と共和国を往復している。帰国船は帰国同胞を運ぶだけでなく南朝鮮革命と祖国統一推進に使うべきだ。(船が)新潟に停泊している間に同志たちは革命に有利な仕事をしなくてはならない。たとえば南朝鮮革命に必要な情報材料を入手し、必要なら日本人を対象に包摂工作(=とりこみ)や拉致工作もできるではないか」(1969年11月3日、3号庁舎 拡大幹部会議)(※下線は引用者)

久保田記者によると、「金日成秘密教示の真髄は、南朝鮮革命(韓国の共産化)にある」「対日工作はあくまでも対南工作の手段であった。日本は革命の基地であった。故朴正煕大統領の登場による韓国の反共化で日本の利用価値は高まり、日本は『黄金の漁場』となりスパイ基地となった」といいます。ページの頭へ

 

関連掲示

・北朝鮮は日本の極左過激派を対日工作に利用し、さらにオウム真理教にも関係していたと見られます。詳しくは、拙稿「日本赤軍の重信房子・よど号犯とオウム真理教の危険なつながり」をご参照下さい。

 

6 朝鮮人のいわゆる「強制連行」との違いは

 

北朝鮮や一部の日本人が、日本は戦争中に朝鮮人を「強制連行」したといいます。しかし、日本は朝鮮人を「徴用」したのであって、「強制連行」したのではありません。

明治43年(1910)、日韓併合条約により、朝鮮は日本の領土になりました。「併合」は、武力による植民地化ではなく、話し合いによる連邦化を意味します。この時から昭和20年まで36年間、朝鮮人は日本国民だったのです。

昭和12年7月に勃発したシナ事変が泥沼化し、その解決の出来ないまま、16年12月、わが国は無謀にも大東亜戦争に突入してしまいました。戦争が長期化すると、若い男性はみな戦地に行き、壮年、女性、学生も働かなければならなくなりました。こうして政府の命令で働くことを「徴用」といいます。

「徴用」は昭和14年から始まりましたが、これは国民徴用令によるものです。最初は日本人が対象でした。日本人と同じように朝鮮人が徴用されたのは、昭和19年になってからのことです。これは朝鮮人も同じ日本国民だったので、当時の法律に基づいて徴用されたのです。北朝鮮の行った外国人を誘拐する拉致とは、まったく違うものです。

徴用された朝鮮人(当時は日本国籍の日本人)は2千人たらずでした。徴用より早く始められた「官斡旋」という政府協力による募集で来日した人も含めて1万2千人程度でした。

戦前、朝鮮より日本の方賃金高いなど労働条件が良いので、自分から日本に渡ってきた朝鮮人も多かったのです。昭和8年から13年までの6年間に日本に渡ることを希望した朝鮮人は、108万7千人もいました。その6割は書類の不備などで渡航を認められず、そのため不正渡航があとを絶たなかったといいます。

戦後、米軍は在日朝鮮人を帰国させたので、終戦時200万人余といわれた在日朝鮮人のうち、8カ月足らずで約130万人は帰国しました。特に、独身者は大抵帰国したそうです。残りの80%の51万人も帰国を希望していました。帰国しなかったのは、すでに日本で家庭を持って生活の根を下ろしている人たちが主でした。それゆえ、今日本に残って生活している朝鮮人のほとんどは、戦争よりずっと前に日本に来て住み着いた人たちやその子孫と考えられます。戦後は、強制的に日本に留どめたわけではなく、自由に本国へ帰国できたからです。

在日朝鮮人は、自らの意志で日本にいることを選んだ人々です。「強制連行」され、自国に帰ることも禁じられている人たちではありません。外国が侵入・工作して拉致され、外国で人権を蹂躙され、母国に帰国することのできない拉致被害者とは違います。

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7 北朝鮮が拉致を認めた理由は何か

 

北朝鮮は、拉致は「でっち上げ」と言ってきました。しかし、平成14年(2002)、小泉首相が、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化交渉の妥結はありえない」と明言すると、態度が変りました。そして、平成14年9月17日、日朝首脳会議で、金正日(キム・ジョンイル)総書記が、北朝鮮による拉致を認めました。この変化には、二つの理由が考えられます。

第一は、安全保障上の理由です。平成13年(2001)1月に米国にJ・ブッシュ政権が誕生しました。同政権は北朝鮮に核兵器の放棄と生産中止を求め、応じなければ攻撃もありうると警告しました。そして、北朝鮮は同年アフガニスタン戦争で見せ付けられた米国の圧倒的な軍事力に恐れをなしたのでしょう。米国の攻撃を逃れるために、日本を篭絡(ろうらく)しようとし、日本人拉致を認めて日朝交渉を推進し、日米を分断しようとしたと思われます。

第二は、経済的な理由です。北朝鮮は国家経済が破綻に瀕しています。特に食糧難は深刻で、人口約2200万のうち約300万人の国民が餓死したといわれます。そこで日本との国交樹立を進めて援助の引出しを狙っていると考えられます。ただし、援助の引出しは、国民を救うためではないでしょう。援助金によって軍備の増強やミサイルの輸出等を活発にし、現政権を維持するために使うだけではないでしょうか。

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8 拉致問題において、わが国の根本問題はどこにあるか

 

拉致事件は、戦後の日本の根本問題が集約して表れています。

第一は、日本国憲法の問題です。現行憲法は、GHQによって押し付けられた憲法です。憲法第9条によって国防が大きく制限され、またその条項の政府解釈によって自縄自縛の状態にあります。国民の国防の義務も規定されていません。軍事力に不備があるから、日本外交は強い姿勢を取れません。また、警察力も軍事力に裏づけられていないので、外国の侵入者に対しての警護が弱いのです。

第二は、自虐的な歴史認識の問題です。戦後、わが国では米国製の「太平洋戦争史観」が国民に刷り込まれました。また、東京裁判によって戦前のわが国の歴史は一方的に断罪されました。そのうえに、日教組教育や左翼的なマスコミによって、朝鮮に対する強い罪悪意識が吹き込まれました。間違った歴史認識を持たされた国民は負い目を持つようになり、北朝鮮に対し正当な主張ができなくなっています。

第三は、日本精神の喪失の問題です。戦後の占領政策は、日本の弱体化を狙い、わが国の国家と国民の結びつき、国民の団結を破壊するものでした。その結果、国民の間に利己主義が横行するようになし、自分のことしか考えず、国家・同胞に無関心な国民が増えてしまいました。特に政治家などの国家指導層の一部が、政治資金や利権等によって私利私欲に走り、他国に利用されています。

これらの三点をまとめると、敗戦後に行われた日本弱体化政策」の影響が非常に深くまで、国民の精神を蝕んでいることが、拉致事件に根本にある問題といえます。

日本国憲法教育基本法の改正、東京裁判史観の克服、教育・家庭の改革等が急務です。ページの頭へ

 

9 日本は国家として拉致問題解決にどう取り組むべきか

 

国家(政府)の役割の一つは、国民の生命と財産を守ることです。北朝鮮による拉致は、自国民が他国によって拉致監禁されているのですから、本来は軍隊を派遣してでも救出するのが、主権国家のあり方です。しかし、わが国には憲法第9条の制約があり、自衛隊を動かすことができません。

そこで、現行憲法の下では、経済制裁を行うことが効果的な手段と考えられています。経済制裁とは、対北朝鮮貿易・送金の停止、北朝鮮の船舶の入港禁止などです。これは、国連憲章でも認められている主権国家の権利です。北朝鮮の経済は、日本からの送金や物資によって支えられています。経済制裁は北朝鮮に大きな打撃を与え、拉致問題で譲歩を引き出すことができる可能性があります。

さらに根本的には、戦後日本の国家と国民のあり方を反省し、日本国憲法を改正し、国家の自然権である国防を整える必要があります。また誤った国家観や歴史認識を改めて、自国民の生命と財産を守ることのできる国づくりを行わなければならないのです。ページの頭へ

 

参考資料

    日本弱体化政策については、以下の拙稿をご参照ください。

 「日本弱体化政策の検証

    憲法については、以下の拙稿をご参照ください。

日本国憲法は亡国憲法――改正せねば国が滅ぶ

    国防については、以下の拙稿をご参照ください。

国防は自然権であり堤防のようなもの

国防を考えるなら憲法改正は必須

 

 

●北朝鮮による日本人拉致事件関連の年表

2014年(平成26年)9月26日現在

 

1960年代

 

朝鮮戦争で朝鮮統一に失敗した北朝鮮の故・金日成主席は1960年代に入ると、「南朝鮮革命」のために、日本を工作対象として利用する方針を打ち出した。「必要なら日本人を対象に包摂工作(=とりこみ)や拉致工作もできるではないか」(1969113日)などと指示した。

1963年

(昭和38年)

5月11日

寺越昭二さん(当時36歳)・外雄さん(24歳)・武志さん(13歳)〔石川県〕が失踪。24年後、北朝鮮による拉致と判明した。

1970年

(昭和45年)

3月31日

よど号ハイジャック事件起こる。共産同赤軍派のメンバー9人が北朝鮮に入国。以後、思想教育を受け、北朝鮮の工作活動に従事し、日本人拉致に加担する。

1977年

(昭和52年)

 

 9月19日

久米裕(ゆたか)さん(当時52歳)〔東京都〕が拉致される。逮捕された実行犯が拉致を自白し、石川県警は暗号指令解読用の乱数表などを押収したが、公表されず。

11月15日

横田めぐみさん(当時13歳)〔新潟県〕が拉致される。その後、1997年(平成9年)まで行方不明だった。北朝鮮の金一族や工作員に日本語を教える教育係として利用されていたことが、後日判明する。

1978年

(昭和53年)

 

 

 

 

 6月29日

田口八重子さん(当時22歳)〔埼玉県〕が拉致される。工作員の教育係として利用されていたことが、後日判明。

 7月7日

地村保志さん(当時23歳)と浜本富貴恵さん(当時23歳)〔福井県〕が拉致される。恋人の男女を二人とも連れ去り、北朝鮮で生活させて利用する仕方だった。

 7月31日

蓮村薫さん(当時20歳)と奥土祐木子さん(当時22歳)〔福井県〕が拉致される。

 8月12日

 

市川修一さん(当時23歳)と増元るみ子さん(当時24歳)〔鹿児島県〕が拉致される。

曽我ひとみさん(当時19歳)と母親の曽我ミヨシさん(当時46歳)〔新潟県〕が拉致される。曽我さんは、後日、アメリカ人脱走兵ジェンキンズ氏と結婚。

  秋

警察庁は3件6人の失踪を北朝鮮による拉致と判断。しかし、政府は北朝鮮・親北派の反発を畏れて公表せず。この年、レバノンで女性4人が北朝鮮による拉致にあうが、同国政府が強く抗議して翌年には被害者全員が解放される。

1980年

(昭和55年)

 

 

 1月7日

サンケイ新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで報道(阿部雅美記者)。拉致事件の最初のスクープ。外国情報機関が関与した疑いがあることを報じた。

 6月7日

石岡亨さん(当時22歳)がヨーロッパ旅行中に、松木薫さん(当時26歳)がスペイン留学中に拉致される。後年、よど号犯メンバーの妻たちの犯行だったことが判明。

 6月17日

原敕晁(ただあき)さん(当時43歳)〔大阪府〕が拉致される。

1982年

(昭和57年)

 

5月6日

よど号犯グループは、金正日から直筆の極秘指令を受けた。指令書の内容は、金日成主義によって日本革命を準備・達成せよ、というものだった。

1983年

(昭和58年)

 7月15日

有本恵子さん(当時23歳)がイギリス留学中にコペンハーゲンから拉致される。後年、よど号犯メンバーの妻・八尾恵が犯行を自供。

1985年

(昭和60年)

   2月

韓国国家安全企画部が原敕晁さん名義のパスポートを保持していた北朝鮮スパイ・辛光洙を逮捕。

1987年

(昭和62年)

   5月

昭和38年以来行方不明だった寺越外雄さんから手紙が来て、3人は北朝鮮にいることがわかる。(武志さんは、その後、朝鮮労働党平壌市委員会副委員長に)

11月

大韓航空機爆破事件発生。乗客115名が死亡。

1988年

(昭和63年)

 

 

   1月

爆破事件の実行犯・金賢姫が日本から拉致されてきた教育係・李恩恵(田口八重子さん)に言及。事件は金正日の密命によるものと証言。対韓政策の一環だった。

   3月

衆議院予算委員会で梶山静六国家公安委員長がアベック失踪等について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁。しかし、大きく報じられることはなく、被害者救出の声も上がらなかった。

   9月

石岡亨さんの手紙がポーランドから札幌の実家に届く。松木さん、有本さんと平壌で生活しているという。有本夫妻の働きかけに警察や外務省は動かず。

1989年

(昭和64年/

平成元年)

7月14日

社会党を中心とする国会議員133名が、北朝鮮の大物工作員・辛光洙(シン・ガンス)を含む「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」を韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領に提出。署名した議員には、土井たか子(社民党)、菅直人(現・民主党)、公明党議員6名等がいた。辛は、平成14年に、拉致の実行犯として国際指名手配される。

1990年

(平成2年)

   9月

金丸信、田辺誠議員らが訪朝、金日成主席と会談。拉致事件には一言も言及せず。

1991年

(平成3年)

   1月

日朝国交正常化交渉開始。

1992年

(平成4年)

11月

第8回国交正常化交渉で「李恩恵」問題の調査を要求。北朝鮮側が断固拒否して、会談は決裂。

1993年

(平成5年)

   5月

北朝鮮が中距離弾道ミサイル「ノドン1号」を試射。

1994年

(平成6年)

   7月

金日成主席死去。後継者に息子の金正日国防委員長。金正日は、父親の対日工作を引き継ぐ。

1995年

(平成7年)

   6月

日本が30万トンのコメ支援決定。

10月

日本がコメ20万トン追加支援決定。

1996年

(平成8年)

日本赤軍最高幹部・重信房子は北京から、ひそかに北朝鮮に入国し、平壌で開かれた各国の革命を目指すグループの集会に、参加。よど号犯グループのメンバーと接触したと見られる。

1997年

(平成9年)

 

 

 

   2月

産経新聞、『AERA』(朝日新聞社)などが横田めぐみさん拉致事件をはじめて実名入りで報道。国会で西村眞悟議員が質問し、政府は「我が国の主権の侵害」と答弁。

   3月

「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会・横田滋代表)が結成される。街頭署名活動を始めるが、反応はわずか。

   5月

警察庁が北朝鮮による拉致疑惑を「7件10名」と発表。

10月

外務省の阿南惟茂アジア局長が「亡命者の証言以外、証拠がない」と発言。

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会・佐藤勝巳会長)が結成される。

1998年

(平成10年)

3月

横田めぐみさんの目撃者・安明進(アン・ミンジョン、元北朝鮮工作員・韓国へ亡命)が横田さん夫妻と懇談。

   4月

野中自民党幹事長代理が「拉致疑惑があるから食糧を送るなという発言が強いが、慰安婦や植民地や強制連行がある」と発言。

   6月

朝鮮赤十字会が「行方不明者は存在しない」と発表。

   8月

北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン」発射。青森県沖に落下。

1999年

(平成11年)

12月

外務省の槙田邦彦アジア局長が「たった10人のことで日朝国交正常化が止まっていいのか」と発言。

2000年

(平成12年)

   3月

日本が10万トンのコメ支援。

   4月

国交正常化交渉が7年半ぶりに再開。

10月

日本が50万トンのコメ支援。

11月

自民党・中山正暉日朝友好議員連盟会長が「拉致を前提とすると何も進展しなくなってしまう」と発言。

11月

「日本赤軍」最高幹部の重信房子が、大阪で逮捕された。よど号犯グループとの関係が解明されるとともに、北朝鮮・よど号犯がオウム真理教の工作に関与していた疑いが浮上。

2001年

(平成13年)

1月

米国にJ・ブッシュ政権が誕生。北朝鮮に核兵器の放棄と生産中止を求め、応じなければ攻撃もありうると警告。

4月

扶桑社の中学公民教科書が、初めて拉致問題を記載。

   5月

金正日の長男・金正男、日本に不法入国。強制退去。

12月

朝鮮赤十字会が「行方不明者」調査中止を発表。

奄美大島沖で不審船事件。海上保安庁巡視船と銃撃戦の末自爆沈没。

2002年

(平成14年)

 

 

 

 3月12日

よど号」ハイジャック事件裁判で、メンバーの妻・八尾恵が有本恵子さんを北朝鮮に連行したと証言。

 3月19日

小泉首相が「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化交渉の妥結はありえない」と発言。

8月1日

北朝鮮の大物工作員・辛光洙が、拉致の実行犯として国際指名手配された。辛は北朝鮮では英雄とされている。

 9月17日

小泉首相訪朝し金総書記と初の日朝首脳会談をした。これまで「でっちあげ」と主張してきた北朝鮮が拉致を認め、「8名死亡、5名生存、1名未入国」と回答。小泉首相は平壌宣言に署名。金総書記は口頭で謝罪をしたが、「特殊機関の一部の妄動」と説明。宣言には謝罪について書かれていない。

10月15日

蓮池薫さん、奥土(現・蓮池)祐木子さん、地村保志さん、浜本(現・地村)富貴恵さん、曽我ひとみさんの5人が24年ぶりに帰国した。当初は「一時帰国」とされていた。

10月17日

増元るみ子さんの父・正一さん死亡。死の数日前、るみ子さんの弟・照明さんに「わしは日本を信じる。お前も日本を信じろ」と語った。

10月20日

美智子皇后陛下が「何故私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません」と述べられる。

2003年

(平成15年)

1月

「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表)が救う会から独立。拉致の可能性のある人は、百人以上にのぼるという。

3月 3日

家族会・救う会は訪米し、政府・議会要人と面談。アーミテージ国務副長官から「拉致は現在進行形のテロ」「協力できることがあれば何でもする」との申し出。

4月22日

スイス・ジュネーブの国連人権委員会部会で、横田早紀江さんらが証言。

9月23日

国連総会で川口外相が拉致問題に初めて言及。

2004年

(平成16年)

 

 

 2月9日

改正為替法が国会で成立。日本独自の判断で、 閣議決定により貿易、送金停止などを科すことができるようになった。

 5月22日

小泉首相が北朝鮮を訪問。金総書記と首脳会談し2家族計5人の「帰国」に合意。蓮池夫妻の長女・長男と地村夫妻の長女・長男・次男の5人が「帰国」し、約1年7ヶ月ぶりに両親と再会。首相は25万トンの食糧や医薬品などの人道支援を表明。

 6月 

万景峰号など北朝鮮船舶の日本への寄港を禁止できる「特定船舶入港禁止法」、日本単独の送金停止や資産凍結、輸出入規制を可能にする改正外為法、いわゆる「経済制裁二法」が成立。経済制裁を開始(以後、延長が繰り返されている)

 7月 9日

曽我ひとみさんがインドネシアで、夫の元米兵チャールズ・ジェンキンスさん、長女の美花さん、二女のブリンダさんと1年9ヶ月ぶりに再会。その後、4人は帰国・来日した。

8月11日

北京で日朝実務協議。北朝鮮側より、拉致被害者10人の再調査の説明がされたが、新たな生存情報などはなかった。日本側は、昭和51年に行方不明となった藤田進さん〔埼玉県〕に言及し、特定失踪者の関連情報を提供するよう求めた。

11月3日

曽我ひとみさんの夫ジェンキンズさんの軍法会議が開かれ、禁固30日などの判決。

11月9日

14日まで、平壌で第3回日朝実務者協議。北朝鮮側より、横田めぐみさんのものとして遺骨が提出された。

12月7日

曽我ひとみさん一家が故郷の佐渡島に帰郷

12月24日

政府は、北朝鮮側が提出した遺骨について、DNA鑑定の結果、めぐみさんとは異なると発表。小泉首相は「虚偽の資料提出は極めて遺憾」と述べ、北朝鮮側に抗議。めぐみさんの夫だと称する人物は偽物、めぐみさんは生存の可能性が大。経済制裁を求める世論が高まる。

2005年

(平成17年)

1月26日

北朝鮮側が、日本の鑑定結果に反論。「反論は科学的な論証が欠如しており、絶対に受け入れられない」「この問題について日本政府と議論する考えはない」と表明。

4月

政府は、兵庫県から昭和53年に失跡した田中実さんを、北朝鮮による拉致被害者と認定。北朝鮮側に対し、即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

7月6日

8日まで行われたG8首脳会合(グレンイーグルズ・サミット)で拉致問題が協議される。議長が北朝鮮に対して六カ国協議の復帰と核兵器関連計画の廃棄を求め、「北朝鮮は人権並びに拉致問題への国際社会の懸念に対する行動を長期にわたり取ってきていない」と声明。

11月17日

国連総会第三委員会は、北朝鮮の人権状況に関する決議案を採択。賛成84(日本、米国など)、反対22(ロシア、中国など)、棄権62(韓国など)だった。

12月16日

国連総会本会議において「北朝鮮の人権状況」決議を採択。

2006年

(平成18年)

4月26日

警視庁公安部の請求により、原敕晁さん拉致を実行した疑いで、元工作員・辛光洙容疑者の逮捕状が出た。政府は北朝鮮に対し、北朝鮮側に身柄引き渡しを要求。辛には、地村夫妻、蓮池夫妻、横田めぐみさん、田口八重子さんらの拉致も実行した疑いがある。

4月27日

拉致被害者家族会と「救う会」のメンバーが渡米。米下院外交委員会の公聴会で、横田早紀江さんが証言。翌28日、ブッシュ大統領が早紀江さんと面会。米大統領が拉致被害者の家族と面会するのは初めて。大統領は「(拉致問題解決への)働き掛けを強めたい」「最も心を動かされた会談の一つだった」と語った。

6月16日

北朝鮮人権法が成立。同法は、拉致問題の解決を「国家の責務」と定義付け、日本政府が同問題を徹底的に調べ、拉致被害者の帰国の実現に最大限の努力をすることを明記。人権侵害に改善がない場合、政府が改正外為法・外国貿易法などによる経済制裁を発動することを求めている。

7月5日

北朝鮮は、テポドン等7発のミサイルを日本海に向けて発射。15日、国連安保理は北朝鮮を非難し、ミサイル・大量破壊兵器開発関連の物資・技術・資金の移転等を阻止するよう加盟国に要求する決議案を採択。15〜17日に行われたサンクトペテルブルグ・サミットでは、小泉首相が北朝鮮の核や拉致問題の解決への協力を訴え、G8は北朝鮮のミサイル発射、核兵器計画への懸念を表明し、6者会合への復帰を求めるメッセージを発表した。

10月9日

北朝鮮が地下核実験を行なったと発表。安倍晋三政権は11日、日本単独の追加制裁の発動を決定・実行。14日、国連安保理は、国連憲章第7章に基づく制裁を定めた国連決議1718を全会一致で採択した。

11月20日

政府は、鳥取県米子市から昭和52年に失跡した松本京子さんを、北朝鮮による拉致被害者と認定。これで認定された被害者は12件17人となった。

11月25日

映画「めぐみー引き裂かれた家族の30年」が日本で公開。この映画は米国の夫婦監督が拉致問題に迫ったドキュメンタリー。海外でも大きな反響を呼び起こしている。

2007年

(平成19年)

11月9日

政府は北朝鮮に対し、日本独自の経済制裁を半年間延長する方針を決定。

2008年

(平成20年)

6月11日

北京で行われた日朝公式協議で、北朝鮮は従来の「拉致問題は解決済み」との姿勢を翻し、新たに解決に向けた再調査の実施を表明。その後、態度を変え、2014年(平成26年)まで実施されなかった。

2009年

(平成21年)

3月11日

韓国・釜山において金賢姫が、田口八重子さんの長男飯塚耕一郎さんと会い、「田口八重子さんは生きている」と伝えた。「横田めぐみさんが自殺したとは考えられない」とも発言。

4月5日

北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射を強行。発射されたミサイルは、わが国の東北地方上空を通過して太平洋上に落下。国連安全保障理事会がこれを非難する議長声明を採択。

5月25日

北朝鮮が2度目の核実験を強行。

6月

国連は6月12日北朝鮮に対し、武器輸出の全面禁止や金融制裁、貨物検査などの追加措置を定めた制裁決議を全会一致で採択。日本政府は16日、輸出の全面禁止と人的往来の規制を柱とした日本独自の追加制裁措置を決定。

2010年

(平成22年)

7月20日

金賢姫の来日が日本政府の超法規的措置で実現。横田滋さんら拉致被害者家族と面会。

2011年

(平成23年)

4月

よど号犯のリーダー・田宮高麿と日本人拉致容疑で国際手配されている森順子の長男・森大志氏が、東京都三鷹市の市議選に「市民の党」から出馬。落選。

7月

政府の拉致対策本部長の立場にある菅直人首相(民主党)の資金管理団体が「市民の党」の派生団体「めざす会」に、6250万円献金していたことが明らかに。国会で追及された菅首相は謝罪。鳩山由起夫前首相(民主党)も1000万円献金していた。税金による政党交付金を受けている民主党が、党ぐるみで、北朝鮮と関係の深い団体に2億円以上の献金をしていたことが暴露された。

 

12月17日

金正日総書記が死去。息子の金正恩が後継者となる。

2012年

(平成24年)

4月

金正恩が、第一書記、政治局常務委員・中央軍事委員会委員長、国防委員会第一委員長に就任。党・国家・軍の三権を握る最高指導者となった。

 

6月

わが国の最高裁は、日本人拉致に深く関係してきた朝鮮総連の中央本部の土地と建物に対し、わが国の政府機関である整理回収機構(RCC)が差し押さえをできるようにする判決を下した。整理回収機構は、平成9〜13年に相次いで破綻した在日朝鮮人系の信用組合の不正融資事件にからみ、総連に対し約627億円の債権を持つ。

 

8月

わが国政府は、北朝鮮が平成6年(1994)4月に「死亡した」と説明している横田めぐみさんは、それ以降に再婚し、男児を出産し、少なくとも平成13年(2001)時点で生存していたとする情報を入手していることが報道された。

2013年

(平成25年)

2月

北朝鮮が3度目の核実験を強行。わが国政府は単独制裁措置を強化した。

 

5月

わが国政府は、朝鮮人民軍元幹部の脱北者から、軍の指令を受けて1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員を拉致したという証言を聴取した、と報道された。その元幹部は、韓国の民間団体を通じ「軍工作機関が1962〜85年に漁船の若い日本人を拉致し、残る乗組員を殺害した」と文書で公表した。証言によると、海上での拉致は「対日漁民作戦」と名付けられ、元山近くなどを拠点に計約120人の部隊が編成されていたという。

 

12月12日

北朝鮮のナンバー2、張成沢国防副委員長が「国家転覆陰謀行為」により死刑判決を受け、即日処刑された。政権内部署間の外貨争奪が背景にある。親中派の張の処刑により、中朝間が急速に冷え込み、中国の対北石油輸出は統計上ゼロとなり、貿易全体も減少した。

2014年

(平成26年)

2月17日

国連北朝鮮人権調査委員会が北朝鮮の人権侵害に関する最終報告書を公表。

 

3月

北朝鮮側が態度を変え、日朝両政府は公式協議を約1年4カ月ぶりに再開。

 

3月28日

国連人権理事会は、北朝鮮による国家ぐるみの人権侵害行為は「人道に対する罪」と非難する決議を賛成多数で採択した。

 

5月

朝鮮総連の東京高裁への不服申し立てが却下され、東京高裁が高松市の不動産関連会社マルナカホールディングスへの売却が許可された。総連側は不服として最高裁に特別抗告した。

 

5月26〜28日

北朝鮮の側の態度の変化により、スウェーデンで局長級会合による日朝政府間協議が開催された。会議後、安倍晋三首相は、北朝鮮による拉致被害者の安否についての再調査に関し、北朝鮮側が「拉致被害者と拉致の疑いが排除されない行方不明者を含め、すべての日本人の包括的な全面調査を行うことを約束した」と発表し、「全面解決へ向けて第一歩となることを期待する」と述べた。

 

7月

日朝政府間協議に基づいて設置された北朝鮮の特別調査委員会が活動を開始。日本政府は同委員会設置を受けて対北単独制裁措置において、北朝鮮との人的往来の規制措置、北朝鮮向けの支払報告及び支払手段等の携帯輸出届出の下限金額の引下げ措置、人道的観点から、北朝鮮内にある者に対して人道物資を輸送するための北朝鮮籍船舶の入港禁止の3点を解除した。

北朝鮮は、日本人拉致問題に関して全面的な再調査を行い、「夏の終わりから秋の初め」に最初の調査結果報告を行うと報じられた。

 

9月

北朝鮮による全面的な再調査の初回報告につき、9月の3週目に入っても音沙汰がなく、日本政府が問い合わせると、北朝鮮は「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点で、この段階を超えた説明を行うことはできない」と通告してきた。

 

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