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  憲法・国防

                       

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説明: 説明: ber117

 

■新憲法へ――改正の時は今

2005.11.1(補説は2012.3.11)

 

<目次>

はじめに

近代憲法の再検討を

家族から国家へ

人類社会の将来を展望する

人間観の転換が必要

道義国家への向上をめざす

主権の概念を見直す

日本の国柄と憲法

権威と権力の構造

統治権の根源は何か

10統治権は隠蔽されている

11統治権の君民共有へ

12明治憲法の欠陥と限界

結びに〜亡国憲法の改正を

 

補説:現行憲法は改正か無効破棄か

 

説明: 説明: ber117

 

はじめに

 

憲法改正の時が熟しつつある。すでに自民党、民主党、読売新聞社案、政治家個人の案等、さまざまな改正案が出されている。これから私なりに、これらの改正案を検討しつつ、新しい憲法のあるべき内容を探りたいと思う。

 私は、まず具体的な憲法の条文を作成する前に、一般に自明の前提とされている人間と自然、個人と社会、権利と義務、国家と主権、国柄と憲法、天皇と国民など、基本的な概念の掘り下げが必要だと思う。それを行ったうえで、改正案を提示したい。

以下の考察に基づく憲法改正私案は、「日本再建のための新憲法〜ほそかわ私案」をお読み下さい。

 

 

1.近代憲法の再検討を

 

 日本国憲法(以下、昭和憲法とも呼ぶ)は、近代西洋文明の思想を基本としている。近代西洋思想は、すでに19世紀から反省が続けられてきている。今日ではその偏向・欠陥は常識となっている。

 近代西欧に生まれた憲法においても、人間社会におけるきまりを定めるだけで、人間と自然との関係が自覚されていない。人類の生存を脅かすにいたった地球環境問題は、近代化によって、人間が自然に対して誤った態度を取ってきたことに由来する。近代化とは、生活全般の合理化の進展である。

 自然は、征服すべき対象ではない。人間と自然はそもそも一体である。自然のなかで、自然に支えられて生きる人間という世界観を再発見することなくして、環境問題は決して解決せず、人類文明の持続・繁栄も得られない。わが国の新しい憲法においては、この人間と自然との関係について盛り込む必要がある。

 

 次に、日本国憲法の人間観・社会観・国家観もまた、近代西洋の政治社会思想によっている。今日、大抵の人は、自分というものがなによりも大切だと感じ、個人の自由や権利を守り、自分らしく生きることが目標だと考える。

 実はこうした個人を中心に考える考え方は、人間の歴史から見ると、とても新しい考え方である。わずか400年程前、西欧に始まった考えである。近代西欧から広がったこの思想は、個人や自我が独立して存在するものと考える。

 

 こうした個人主義的な人間観の元祖は、デカルトである。彼は、すべてのものを疑ったすえに、それを疑っている自己の存在だけは自明であるとし、そこから「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という認識に到達した。

 その問いの立場は、現実の社会における人間関係から自己を切り離し、ただ世界をながめているだけの自分という立場である。家族・親族・地域等の具体的な人間関係から己れを切り放すことによって、自己を独立させた虚構の立場である。

 このような認識方法が広まったため、近代西欧の思想では、生命的な存在としての具体的な人間の姿が失われ、抽象的な人間観に陥った。

 

 デカルトの影響を受けたホッブスやロックは、原子(アトム)のようにそれ自体で存在する個人を想定し、そこから出発して社会の成り立ちや国家の由来を考えた。アトム的な個人が契約によって社会をつくったという社会契約論である。また、国家を個人の利益の擁護を目的とする一つの特殊社会ないし打算社会とする契約的国家論がそこから生まれてくる。

 なかでも日本国憲法に強い影響を与えているのは、ロックの思想である。ロックは医者であり、近代科学思想に通じていた。その新知識に基づき、要素還元主義的な発想によって、個人を社会の原理とする個人主義的な社会契約論を打ち出した。

 ロックは、イギリス17世紀の清教徒革命の悲惨を見ており、共和主義の危険性を知っていた。名誉革命の理論家といわれるように、彼は君主制の下での議会制デモクラシーを理論化した。また彼は労働による所有意義づけて私有財産肯定し、近代資本主義を正当化した。

 この一方、ロックは、国王が人民の権利を守らない場合は、これに抵抗することを正当化した。この抵抗権を徹底すると、革命を追求する共和主義が出てくる。

 

 ロックの思想は、フランスのルソーや啓蒙思想家によって革命思想として発展し、アメリカ独立宣言、アメリカ憲法、フランス人権宣言に定着した。この思想が、日本国憲法に継承されている。日本国憲法の起草と同時代に制定された世界人権宣言もまた同様である。

 日本国憲法に盛り込まれた近代西欧の政治社会思想は、個人主義・社会契約論・自由主義・デモクラシー・資本主義・主権国家論等である。キーワードは、個人、自由、権利、義務、人権、主権等である。主にこれらの概念の組み合わせによって、日本国憲法は作成されている。

 

 新しい憲法を立案するに当たっては、こうした過去約400年間、西欧をはじめ、世界の広範な地域に流布されて来た近代思想そのものを再検討する必要があると思う。近代思想は、さまざまな分野で批判され、これを乗り越える努力がされてきている。そうした取り組みの蓄積が、憲法の立案においても生かされるべきと思う。

 まず17世紀以来、世界を覆っている近代西洋思想のひずみを正すこと。それをしなければ、日本の新しい憲法は、21世紀の世界でわが国が発展・貢献できるものとはならないだろう。ページの頭へ

 

・私の日本国憲法論は、以下をご参照のこと。

 「日本国憲法は亡国憲法ー改正せねば国が滅ぶ

 

 

2.家族から国家へ

 

新しい日本の憲法を考えるにあたっては、基本的な人間観と、それに基づく社会観・国家観の堀り下げが必要だと思う。


 人間には、個人性と社会性という両面がある。個人的存在であると同時に、社会的存在でもある。個人性の面を重視すれば個人主義、社会性の面を重視すれば集団主義となる。近代西洋の思想は、利己的な個人主義と独裁的な全体主義の両極端を生み出した。それは、人間を抽象的な個人としてとらえているからである。

 人間は、一人ひとりが独立した個人ではある。しかし、それ以前に、集団で生活を営む社会的動物である。本来、人間は、決して単なる個人ではない。人は生まれたとき、すでに集団の中に生まれてくる。誰でも自分ひとりで生きているのではない。親や先祖があるから自分が生まれてきたのである。

 人間は生命的な存在である。子供は男女の結合によってのみ誕生する。いかなる個人も、父なくして生まれず、また母から産み出されなった者はない。また、父母または大人がこれを養育しなければ、生き、成長することができない。生命ある存在としての人間は、必ず死ぬ。個体としては死ぬが、出産・養育による世代交代を行いながら、集団としては生存を続ける。


 人間は、このような特徴を持つ者として、個人性と社会性の両面を有する。そして、個人と社会の中間に、家族がある。家族とは、親子・夫婦・兄弟・祖孫等で構成される生命的な集団である。

 人は、親、夫や妻、兄弟や友人、子どもや孫、社会や国家があって、その関係の中で自分が生きている。この至極当たり前のことを、近代西洋の思想は軽視している。そこから抽象的な個人をモデルにした個人主義的な考え方が出てくる。しかし、人は、親子、夫婦、兄弟、友人など、様々な関係の中で生きている。これは古今東西変わらない事実である。

 家族において、個人は決して単なる抽象的な個人ではない。具体的な人間関係の中にあり、立場と役割をもった個人である。こうした人間観に立って、社会観・国家観を築きなおし、そのうえで新しい憲法を考える必要があると思う。


 さて、人間社会は「家族」を最小単位として、いくつか段階的に拡大する集団で構成される。それを「家族」「親族」「地域」「企業」「民族」「国家」「宗教」「文明」「人類」という9つの集団に分けてみることにする。人は家族に所属しつつ、こうした一部は階層的で、一部は重なり合う諸集団に、多重的に所属し、またそこでの人間関係を持ちながら生活している。

 「個人」とは、こうした「家族」の中にある人間である。その「家族」は、さらに「親族」というより大きな血縁をもとにした集団の一部をなす。親族は、複数の家族の集合であり、拡大された家族ともいえる。その中には、非血縁による関係が含まれる。血族と姻族がある。その点で、親族は社会一般と、家族との間にあり、どちらにも開かれている。


 「家族」は直接に、あるいは「親族」とともに、地縁的な集団、「地域」に所属し包摂される。「地域」は、小さくは村落であり、町・市・県等というように段階的に拡大する。人は居住地を中心に、こうした地縁的な集団に所属する。そこにおける人間関係を発展させながら生活している。また、地域社会には、それぞれのレベルの自治が行われており、住民は自治に参加する。人類の長い歴史において、人は家族の一員でありつつ、親族及び地域で構成される血縁的・地縁的な共同体に所属して生活してきた。

 「地域」と一部重なり合いながら、個人・家族・親族を包摂している組織に「企業」がある。「企業」は、近代的な組織であり、基礎的かつ伝統的な共同体の崩壊とともに、出現・増加してきた。「企業」は、社縁的な経済組織であり、そこにおける人間関係は、契約による結合である。企業は、生産と消費の活動を行う。企業が活動する場として、経済社会がある。そこでは、物・貨幣・情報・労働力が流通する。「企業」は、必ずしも地域に活動を限定されない。市場の広がりと共に、国内に活動を広げ、また国外にも広く展開する。今日の産業社会では、人は多くの場合、企業に所属し、そこで労働する。

 企業は家族・親族とは、集団構成の原理が異なる。後者が生命のつながりを基本とした集団であるのに対し、企業はものとお金のつながりを基本とした集団である。そこでは利潤と効率が追求される。企業の経済的合理性は、家族・親族の生命原理としばしば対立する。社会の基礎的単位は家族であるから、国家は家族を尊重し、これを保護する役割を持つ。


 「企業」とは異なり、家族・親族の生命的なつながりをさらに拡大したものが、「民族」である。ただし、民族は必ずしも生命的なつながりを主としない場合がある。むしろ言語や文化、歴史や宗教の共有が、主たるつながりとなる場合がある。
 では何をもって「民族」と呼ぶか。これは「自分たちは、○○民族である」という集団の自己意識による。それは多くの場合、他の集団との違いによって、自らを一つの集団と意識する。違う集団との出会いが、自己意識を生む。それゆえ、民族は生命的・言語的・文化的・歴史的・宗教的等の要素をもつ心理的集団ということができる。そこにおいて、とりわけ自らの歴史観が非常に重要になる。運命をともにして生きてきたという「共通の記憶」が、民族を民族として維持・成長させる。


 人は、家族・親族・地域を通じて、企業や民族に所属する。下位の集団は、より高位の集団に包摂される。これらをさらに包摂した集団が、「国家」である。国家は領土・国民・政府を要素とする政治的な集団である。国家は家族を初めとする下位の集団を包摂しつつ、それらの間の段階的秩序を形成する。国家には法や行政組織や軍事組織など、下位の集団に比べ、特徴的に発達した要素を多く持つ。

 人は生まれたときから、国家に所属する。そして、国民としての権利と義務を与えられる。このような集団はほかにない。国家は運命共同体である。人は祖国の国籍を持つことによって、国家と運命をともにする。この国家の統治機構が、政府である。国民は、全体の意思を合成・決定する。その意思を実行するのが、政府である。


 憲法とは、「国家」の基本法となるものである。そこには、この国がどのような来歴を持ち、どのような成り立ちのものであるかを定めるものである。明治憲法は、わが国の歴史に基づき、伝統・文化・国柄を踏まえて自主的に制定された。しかし、昭和憲法は、GHQが秘密裏に作成した原案を押し付けられたものであり、わが国の伝統・文化・国柄を毀損するものだった。わが国の過去の歴史を断ち切り、近代西洋の政治思想に基づく国家論に取って代わられた。それが社会契約論である。

 一般に国家の発生は、決して社会契約によるものではない。国家は結社とは違う。しかも、わが国は、家族・親族・民族という生命的な組織が発展して形成された国家である。また世界史に他に類例がないほど長い歴史を持っている。新しい憲法は、こうした事実に基づいて作成されなければならない。論理的にも歴史的にも、社会契約論が入る余地は微塵もない。


 新憲法の前文には、わが国の歴史を踏まえ、固有の伝統・文化・国柄を表現する。条文には、国家の本質と役割を明確に記す。また家族を尊重する規定を設ける。地方自治体に関する規定を設ける。また、国家と宗教の関係も齟齬のないように明確にする必要があると思う。ページの頭へ

 

 

3.人類社会の将来を展望する

 

「国家」とは別の意味で、高位の集団に「宗教」がある。宗教は信仰をもとにした精神的なつながりによる集団である。それは国家に包摂される場合が多いが、国境を越えた国際的な集団となることもある。

 その宗教が宇宙的な原理・法則に則った教えを説く宗教である場合、宗教は国家の原理を超えた集団となる。また、そのことによって「宗教」は、次に述べる「文明」の形成の核となる。

 

 「国家」と「宗教」の両方にかかわる高位かつ広域の集団が、「文明」である。文明とは、文化が発展して、ある程度の高度な内容を持ち、広範囲に制度化されたものをいう。一般に一つ以上の国家と、複数の人種・民族を含む大規模な社会で、他と異なる文化を持つものが、文明である。

 今日、人類の世界には、約190の独立国家とこれに準ずる地域団体がある。この国家・団体の集合が、国際社会である。国際社会の主体は、国家である。ここにいう国家とは、近代西洋に発生した主権独立国家のことをいう。

 しかし、歴史的に見ると、近代以前の世界では、「文明」というより大きく、より長期的に持続する社会がいくつか並存し、その中でさまざまな国家が盛衰興亡を繰り返してきた。現代の世界においても、多数の国家を「文明」によって分類し、「文明」を単位として見るとらえ方が有効である。

 

 文明という社会には、政治的・経済的・社会的・文化的の4つの側面があるが、その本質は精神である。制度や技術や様式ではない。とりわけ宗教が、文明の中核になっている。たとえば、近代西洋文明は、そのうちに多数の国家・民族・文化を包含しているが、その全体の基底となっているのは、キリスト教である。

 

 国際政治学者のハンチントンは、冷戦後の現代世界の主要文明を、7または8と数える。すなわち、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする「西洋文明(西欧・北米)」、ギリシャ正教を基礎とする「東方正教文明(ロシア・東欧)」、イスラム教を基礎とする「イスラム文明」、ヒンズー教を基礎とする「ヒンズー文明」、儒教を基礎とする「シナ文明」、「日本文明」、カトリックと土着文化を基礎とする「ラテン・アメリカ文明」。これに今後の可能性のあるものとして、「アフリカ文明(サハラ南部)」を加える。

 日本文明の場合は、「一国=一文明」という世界に比類のない特徴を持っていることを、ハンチントンは指摘する。私見によれば、日本文明の本質は、日本精神であり、その宗教的中核は神道である。

 現代の世界は、多数の諸国がこれらの主要文明に属し、異文明間の対立・衝突や相互浸透が繰り広げられている。

 

 文明間の違いの標識は、ハンチントンの分類が典型的であるように、主に宗教を基礎とした世界観・価値観に求められる。それゆえ、国家の抗争、文明の衝突を超えて、世界の平和と共存を実現するには、宗教間の対話・相互理解が重要となる。

 従来の宗教は、地域的な文明の範囲を完全には抜け出ていない。真の意味の世界宗教は、まだ出現していない。今後、宗教が総合されて、真に地球的・普遍的な宗教の出現が期待される。

 一方、宗教への最大の対抗要素は、共産主義である。マルクス主義的共産主義は、唯物論である。宗教を否定し弾圧する。近代西洋の合理主義を極度に推し進めたものが、共産主義であり、近代文明の弊害を極大化したものでもある。かつては「東方正教文明」が共産圏の中心だったが、今日では「シナ文明」が、共産主義の根拠地となっている。中国と北朝鮮がそれである。「シナ文明」が脱共産化・自由化し、宗教的精神的価値を取り戻すことが、東アジア及び世界の平和にとって重要な鍵となる。

 

 これまで見てきた「家族」に始まり「文明」にいたる諸集団を包含しているものが、「人類」である。人類は、地球に住むヒトという種の集団である。人類の歴史においては、諸部族・諸民族・諸国家が、対立・抗争を繰り返してきた。

 近代に至って、西欧に始まった生産・交通・通信・情報等の発達により、人類は一つの国際社会を形成する方向に進んできた。その過程で、白人種による有色人種の奴隷化が行われた。20世紀前半には2度の世界大戦が勃発した。その後、有色人種の諸民族のほとんどが独立を勝ち取った。20世紀の中後半は、共産主義の伸張により、自由主義と共産主義に世界が二分された。しかし、1990年前後に「正教文明」の多くの国で共産党政権が崩壊した。だが現在も、東アジアには共産主義が残存している。

 

 こうした世界において、諸国家は大きくは共存と協調の方向に向かいつつも、部分的には対立と闘争を繰り返している。また、文明の単位で見れば、複数の文明が並存しつつ、衝突と融合を起こしている。

 その中で、「西洋文明」の下位文明であるアメリカ文明は、合衆国の圧等的な軍事力・技術力・経済力に基づいて、他の文明に強い伝播力を及ぼしている。そのことが、文明間・国家間の摩擦を引き起こしている。その副産物として、「宗教」に基礎を置いたイスラム・テロリストが、「国家」の枠を超えた戦いを挑むという新たな事態を生じている。

 

 国際社会の諸国家のほとんどは、「国際連合=連合国」に所属している。国連の中枢は、核大国が占め、寡頭支配を行っている。しかし、核兵器は寡占状態から中小国や小規模団体へと拡散する傾向を見せている。万が一、大規模な核戦争となった場合、人類絶滅となる可能性が高い。

 また、地球環境の汚染・破壊は、20世紀半ば以降、人類の生存にかかわる段階に入り、事態は深刻さを深めている。「持続可能な発展」を現実的なものとするには、国家や企業の利己主義を超えた一致協力が不可欠となっている。

 

 危機に直面する人類社会が平和を得、調和のある繁栄を続けるには、どうしたらよいだろうか。長期的な方向性としては、「ひとつの地球共同体」をめざして、粘り強い努力を続けていく必要があるだろう。各国においては、それぞれの国家が独自の文化を育み、道義に基づいた国づくりをする。そうした国家が寄り集まることによってこそ、「世界国家」が実現できるだろう。

 その過程で、従来の諸国家は「世界の廃藩置県」を断行する時期にいたるだろう。すなわち、近代国家が保有していた主権を一部制限し、より高次の共同体をつくる。国家が個別に戦力を持たず、その戦力を提供し合って、共有の戦力を持つ。いわば世界警察をつくって治安を維持する方式となるだろう。

 しかし、その道のりは、相当長いものとなるだろう。国際社会は、中東や東アジア等で、逆に対立・緊張を強めているのが、現状である。

 

 来るべき「世界の廃藩置県」においては、各国による主権の制限が、超大国や一部の組織による支配体制を生み出すのではいけない。文化的には多様なものの共存調和を実現すべきである。

 諸国家・諸文明は、各々の文化をそれぞれ独自の性格において発展させながら、しかもそれらの異なった文化を互いに補充し合う。各国民は互いに犯すべからざる尊厳と価値をもち、いかなる国民も、他の国民を支配してはならないとともに、他の国民に支配されないような地球社会をめざしたい。

 

 わが国の新しい憲法は、人類の歴史を踏まえ、今日の人類の課題を認識し、人類の将来を展望し、その中で、今日のわが国と日本文明の役割を自覚して、内容に盛り込む必要があると思う。

 具体的には、個別的集団的自衛権を確認して自衛軍を持つことを明記し、国際協調を図りつつ、恒久平和と地球環境保全のための国際貢献を行っていく姿勢を掲げることが必要だと思う。ページの頭へ

 

 

4.人間観の転換が必要

 

人類が将来、「ひとつの地球共同体」を創造するには、それにふさわしい人間観が必要となるだろう。私たちは、人間をどのようなものととらえるべきだろうか。

 

 西欧から始まった近代は、個人の自由と権利が獲得・拡大されてきた時代であった。西欧文明を摂取した明治憲法は「臣民権利義務」を定め、また昭和憲法は「基本的な人権」を保障した。一体、なぜ憲法が自由と権利を国民に与え、また保障するのか。そこには、どのような人間観が想定されているのか。

 

 近代的な自由は、西欧において宗教的信仰に関する自由の獲得に始まった。キリスト教の宗教改革が、この信教の自由を求める運動だった。諸国参戦の宗教戦争が起こったり、専制君主による宗派の規制・強制は市民革命を引き起こしたりした。その結果、内心の事柄に対して国家(政府)干渉しないという原理が定まった。

 次に、政治的な自由が要求された。国王の権力に制約をかけるという段階から、民衆が政治権力に参加し、意思決定に関わるという段階へと展開した。自由主義からデモクラシーへの発展である。思想・信条の自由、言論・表現の自由、集会・結社の自由等が実現した。その後、社会的自由等へと種類・範囲が拡大されてきた。こうした自由の拡大は、国民の権利として正当化された。

 政治権力への参加によって、国民は自国を自ら守るという国防の義務を担うことともなった。他の国民に征服・支配されれば、その国民は自由を奪われる。独立は最も重要な自由であり、「国家独立の自由」が確保されていてはじめて、個人的な自由と権利が保障される。それを国民みなで守るというのが、近代国民国家である。「国連=連合国」の「世界人権宣言」にしても、こうした事実に基づいて、権利面のみを謳っているものである。義務については、各国家において担うことが前提となっている。

 

 さて、私見によれば、近代西欧における自由と権利の獲得・拡大は、人には幸福を追求する能力があることを前提にしている。幸福とは、よい状態、健康で快く楽しい状態という程度に考えておきたい。

 幸福の追求は、生命が守られ財産があることを最低の必要条件とする。いつ自分が殺され、いつ大事なものが奪われるかわからないのでは、幸福の追求どころではない。それゆえ、近代国家は、国民の生命と財産を守ることを主要な役割とするようになった。

 

 私見によれば、人が幸福を求めるのは、人間は単に生命的存在ではなく、人格的存在だからである。近代西欧において獲得・拡大されてきた自由と権利は、個人には「人格」があるという認識に基づいていることが読み取れる。

 人格とは、人としての資格である。自律的な意志を持ち、自分の意思を自分で決定できる主体である。人格とは、人が誕生した後、身体とともに成長し、一個のものとして形成され、さらに発展を続け、完成へと向かっていくものである。人間は有限なものであり、死を迎えるが、人格とは、その死を終点としつつ成長するものである。言いかえるならば、人間としての精神である。

 

 人格は、自己にだけでなく、他者にも存在する。他者にも人格があることを認め、互いにそれを尊重し合う。個人の人格の発展は、自己のためのみでなく、他者の自由と権利を尊重し、また社会の公益の実現にかなうものでなくてはならない。この点をわきまえている個人であって、はじめて責任をもって権利を行使し、義務を担うことができる。

 そして個人の人格の成長のために必要な条件が、自由と権利である。自由と権利そのものが目的ではない。目指すのは、人格の成長であり、精神の向上である。今日、かしましく言われる「人権」もまた、本来、人には人格があり、その精神は自由と向上を求めることを前提とした概念である。人格・精神という核心を忘れたならば、自由は放縦となり、権利は利己的欲望の正当化になる。「人権」という言葉は、今日しばしばその隠れ蓑になっている。

 

 20世紀の人間性心理学・トランスパーソナル学が明らかにしてきたように、人間には、食欲・性欲のような欲求や、身の安全を求める欲求のような動物的・本能的な欲求だけではなく、愛や名誉や誇りなどの精神的な充足を求める欲求がある。その欲求のさらに高次の段階には、自己実現の欲求がある。

 自己実現とは、個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求であり、さらに人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという欲求である。これこそ、人格的な欲求であり、人は自己実現を目指して、自らの人格を成長・向上させようとする精神的な主体である。高次の欲求は、低次の欲求と同じく、人間の中に生まれつき備わっているものであり、潜在意識下の衝動の一部をなすと考えられる。

 

 自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになる。自己超越の欲求とは、自己を超え、自分自身を超えたものを求める欲求である。そして、他の多くの人々のために尽くしたり、より大きなものと一体になりたいと願う。 自己超越とは、自己が個人という枠を超えて、超個人的(トランスパーソナル)な存在に成長しようという欲求である。それは、悟り、宇宙との一体感、宇宙的な真理や永遠なるもの、社会の進化や人類の幸福などの、より高い目標である。古今東西の宗教や道徳でめざす精神の状態とされてきたものである。

 人間には、こうした精神的な欲求が、生得的に内在している。現代人は、旧来の経済的・唯物的な人間観を、このような人格に基礎を置いた人間観に転換する必要があるだろう。

 多くの宗教は、死後も人間が精神的な存在として存続することを説いている。新しい人間観は、こうした霊的な存続可能性をも含めた、精神的な人格を中心にすえたものとならねばならない。

 国家(政府)は、国民個々の人格の成長・向上を支援する。また、国民の子弟の人格の形成を教育によって促進し、国を担い、受け継ぐ人材を育てる。このために、国民に自由と権利を保障する。自由民主主義の国家においては、その政府を支えているのは国民であり、政府は国民全体の利益、国益を追求するための共同の統治機関である。

 

 わが国の新しい憲法においても、基本的な人間観を掘り下げ、人間とは人格を持ち、精神的に成長し、自己実現・自己超越の欲求を内在したものであるという認識に立つ表現を盛り込みたいと思う。

 具体的には、自由と責任、権利と義務の規定において、人格について明記すること。また、人格権を新たに設けること。人格の養育・成長の場としての家族、人格形成の方法としての教育、これに関する国家(政府)の役割等を関連付けて規定するのが、よいと思う。ページの頭へ

 

 

5.道義国家への向上をめざす

 

人間を抽象的な個人としてとらえ、他から独立しそれ自体で存在する原子的な存在のように考える。これが西欧に発した近代的な人間観だが、これでは人格というものは把握できない。人格は、原子的な個人のもつ精神ではない。生命的なつながりによる人間関係の中で養育され、成長するものである。そのように個人をとらえてはじめて人格が把握できる。

 

 人格の成長による自己実現は、基本的には個人個人がそれぞれ追い求めるものである。しかし、それだけにとどまらず、人々は互いに自己実現を促し合うものである。ここにおいて、重要な役割を持つものとして、家族が再発見されねばならないだろう。

 人は、父母から誕生し、養育され、成長して、社会的な役割を果たし、また自分が子をつくり、育てる。そして、子が孫を育てるのを見ながら、死を迎える。人は、こうした人生において、親子・夫婦・兄弟・祖孫等の家族関係の中で、それぞれの立場と役割を変えながら、人格の成長を体験していく。

 そして、家族とは、性別・年齢・役割の異なる個人が、ともに生きながら、互いの人格の成長を促し、助け、見守り合う集団である。すなわち、協同的相助的な自己実現の場である。人間は、家族の働きなくして、自己実現に向かうことは、きわめて難しい。本質的に人間は、家族的存在だからである。

 

 かつては親族や地域もまた、師弟、友人、老幼などの関係にある者同士が、共に高め合い、互いに向上・成長していく場所となっていた。それが、近代以前に地球上に広く見られた人間社会の本来の姿だと言える。

 しかし、共同体の解体によって発生した近代西欧の都市社会では、人間社会の本来の働きが低下している。市民社会とは、共同体から放り出され、孤立した個人が、集合・離散する社会である。そのため、物質的な欲望が解放されるにつれ、利己主義が横行する社会となっている。

 ここで個人の私的利益を調整し、公共の利益を追求する役割を持ってきたのが、国家(政府)である。

 

 近代国家は、国民に自由と権利を保障している。それは、その国の国籍を持つ者に保障する自由と権利である。自由には責任を伴い、権利は国民の義務と一体のものである。国家が国民に対して、自由と権利を保障するには、そこに人格に基づく人間観がなければならない。

 国家には、国民の子弟に対して教育を行う義務がある。人間というものは、教育を受けなければ、動物とそう変わらない。人間としての資格、人格の形成は、教育によるのである。教育は家庭でも行われる。国家があえて公的に教育を行う目的は、国民の人格を形成し、将来、国を担う人材を育てるためである。また、国家は、社会道徳の奨励、文化の振興等を通じて、国民が互いの人格を高め合える社会を築く役目がある。

 

 明治憲法においては、教育勅語が憲法に対し、国家のこうした役割を補完していた。そして、わが国の伝統に基づく天皇を中心とした人格的な共同体を作るという道義国家建設の目標が掲げられていた。

 しかし、戦後のわが国では、明治憲法の廃止とともに、教育勅語が否定された。昭和憲法は、国民に「基本的な人権」を保障する一方、国民の義務が少なく、公共の利益より、私的利益を尊重する内容となっている。

 資本主義は物質的欲求の充足を追及する経済優先、もの中心、お金中心の社会である。敗戦の痛手からの復興と高度経済成長において、本来、人格成長の条件であるところの物質的な豊さの追求が、それ自体目的と化してしまった。その結果、利己的個人主義が横行するようになった。

 

 近代化・合理化の進展は、人間の人格面・精神面を損ねてきた。資本の論理と組織の機構は、人間を手段化し、矮小化してきた。しかし、人間の中には、自己実現・自己超越の欲求が潜在している。現代の国家は、新しい人間観に立って、国民の人格的成長を保障し、促進するものとならねばならないだろう。また、国民が道義的な共同体を形成し合えるような機能を高める必要があるだろう。かつての夜警国家、福祉国家から道義国家への向上である。単に個人の権利の拡大のために「人権」を保障するのでなく、国民相互の人格の成長のために、その条件を整備する国家への向上である。

 また、国際社会においては、それぞれの国家が道義に基づいた国づくりをする。個々の国家が道義国家を形成することにより、その集合である国際社会は平和・繁栄に向かう。個々の国家がこのような国家へと向上してこそ、国際社会に同胞愛・人類愛に基づいた対話と協調が生まれるだろう。

 

 わが国が新しい憲法をつくるにあたっては、人間観を転換し、新しい国家像を掲げ、また人類の将来目標を踏まえて進みたいと思う。ページの頭へ

 

 

6.主権の概念を見直す

 

新憲法の制定に際し、私は「主権」という概念は、見直しが必要だと考える。

 

 主権とは、英語 sovereignty の訳語である。領土・人民を統治する権利であり、それを裏付ける力である。つまり統治権である。

 人間の集団は、自己の意思を自ら決めることができる。その能力の行使が正当なものであると主張し、それが認められるとき、能力は権利となる。

 ある地域に住む集団は、その場所で生活するために、自らの意思を決める能力と権利を持つ。国家の場合は統治権、地域の場合は自治権という。意思決定する主な内容としては、土地の領有・管理・利用、法規・罰則、権利・義務、組織運営の仕方、財産の取り扱い(課税・処分等)などがある。

 

 近代西欧において、主権は「最高の力(puissance souveraine)」とされた。統治権を力の概念でとらえたのである。主権とは、国の内外に対する統治権の最高性を形容したものである。「主権」という訳語の含意は、「主」つまり「神」の権力ということであろう。

 「最高の力」としての主権は、力の概念を核としている。自己の意思を自由意志に基づいて決定し、その意思を他者に心理的・物理的に強制することのできる、国内的・対外的に「最高の力」が、主権である。

 ここで力とは実力 powerであり、実際には人間の精神的・身体的な能力 ability である。人の意思に基づいて行使される能力である。それは他者に強制的に働く時、実力と感じられる。能力を発揮するのは、意思による。意思の他者への作用の強度を、力の概念で表現していると考えられる。

 

 近代西洋における「主権=最高の力」は、支配と収奪が前提とされている。発生的には、ユダヤ=キリスト教の唯一男性神つまり「主」が持つとされる、完全な自由と力を言う。聖書では、この神の性格として軍事と裁きが強調されている。

 この神の力を地上において代行するものは「教会」であったが、中世ヨーロッパにおいて封建領主の第一人者である王が力を集め、カトリック教会に対して、宗教的・世俗的な権利を主張した。絶対王政を確立して強大な権力を振るい、王権を「最高の力=主権」と称した。

 

 国王の専制に貴族や新興階級が抵抗し、権力の行使を制御する約束を取り付けた。イギリスの場合がこれである。

 専制君主が要求に応じない場合は、闘争を起こし権力を奪取した例もある。アメリカは、イギリスの王政から独立したので、建国に当たって国民主権となった。フランスは、専制君主の絶対的な権力を人民が革命によって奪取し、国王主権から国民主権に転換した。その国民主権を徹底したものが、プロレタリアートの階級独裁である。そこに国民主権の本質がよく現れている。

 

 主権の概念には、このように専制性と闘争性が含まれている。集団の内部に、対立と支配があることが前提となっている。異民族支配・階級支配が典型である。

 しかし、ひとつの集団が意思決定するのは、一方が他方に意思を強制する場合だけではない。集団全体の合意によって、自発的に意思決定をし、その決定内容を共有する場合がある。その典型は共同体である。主権という概念は、前者の場合に偏っている。前者・後者ともにあてはまる、より広い概念を立てる必要がある。それは統治権である。

 

 明治憲法は、主権という概念を使っていない。統治権を用いている。第1条に「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、第4条に「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」と定めた。

 天皇は統治権の総覧者であり、立法権・行政権・司法権のすべてを掌握するとした。天皇の統治権を、統治大権と称した。政体としては、君主主権の立憲君主制による民主主義国家である。

 

 明治憲法において、「統治」は、わが国の伝統に基づき、「知らす」の意味であるとされた。天皇がこの国を「知らす」ことを、「統治」という漢語に置き換えて表現した。わが国の「知らす」には、人民を私物化して支配するのでなく、天皇が人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、その安寧を願って「まつりごと(祭=政)」を行うという意味がある。力による支配ではなく、徳による仁政である。そこに、天皇と国民の間に、君臣の義、父子の情による君民一体の紐帯が存在していた。昭和・平成も含めて、125代にわたって皇位が続いているのは、こうした伝統による。

 それゆえ、わが国の国柄にのっとるならば、近代西洋的な主権は不適当であり、統治権を用いるのがふさわしい。

 

 ところが、昭和憲法では、GHQによって、主権概念が持ち込まれ、主権は国民に存するとした。アメリカ人によって、ユダヤ=キリスト教の文化と、近代西洋の革命思想が持ち込まれたのである。現行憲法における主権は、わが国の国柄・歴史とは異質なものである。このような概念を何の検討もせずに、使い続けることは、よくないと思う。

 

 私は新しい憲法においては、統治権を主に用い、補助的に主権を用いるのが適当と思う。

 昭和憲法において、主権は国民に存するとしていることは、国民が統治権を持つと言い換えることができる。日本国の統治権を日本国民が持つとは、他国に支配されることなく独立を堅持し、自律的に統治を行う権利を持つということである。対外的には、他の独立主権国家に対し、国家主権を回復・維持するという文脈等で、主権という用語を補助的に使用することが必要な場合がある。

 

 統治には、法と力が必要である。法とは、言葉による取り決めである。外交は、言葉のやり取りである。ともに力の裏づけを要する。いざというときには、力で意思を強制できるという担保を持ちつつ、いかに対話によって、相互の意思の合成を行うかが、政治であり外交である。

 その力の担い手は、ほかの誰でもなく、国民自身である。それが近代国民国家及び国際社会の基本原理である。この原理を再認識したうえで、新しい憲法をつくる必要がある。

 具体的には、統治権の定義、その継承の歴史、天皇と国民の関係、日本国民の資格、統治権を共有する者としての国民の責任と義務等を明記したいと思う。

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7.日本の国柄と憲法

 

新しい憲法に、日本の統治権について規定するために、少しわが国の国柄や歴史を振り返ってみよう。そのうえで、わが国の統治権の根源を求め、それがどのように現在のいわゆる「国民主権」となってきたのかをたどってみたい。

 私は憲法の専門家ではない。特に政治や法を学んだわけでもない。ただ日本国民の一人として、わが国の伝統を継承しつつ、日本の再建のために、新憲法の制定をめざしたいと思う者である。


 古来、日本人は、四季に恵まれた豊かな自然の中で、すべてのものにいのちを感じ、大自然との調和を心がけて生活してきた。他国の文化が入ってくると、固有の文化と共存させ、また争いを避け、人との調和を心がけてきた。

 家庭にあっては、親子一体・夫婦一体・家族一体の生き方を心がけ、祖先から子孫への生命のつながりを重んじてきた。こうした家庭をもとに、天皇を中心として一大家族のような社会を構成し、歩んできたところに日本国と日本文明の特徴がある。
 私たちは、こうした伝統を受け継ぎ、またこれを発展させて健全な社会を作り、世界の平和に貢献していきたいと思う。新しい憲法には、このようなわが国の国柄を表現したいと思う。


 憲法というと、一般に西洋近代憲法を考える。しかし、憲法は、英語でconstitution といい、もともと体質や国柄を表す言葉である。国の体質や国柄を表したものが、この広義の意味での憲法であって、憲法という法典に文字で表現されているその国の体質・国柄こそが本質である。


 近代西洋に憲法というものができる以前から、どの社会でも、それぞれ決め事、おきて、規範をもっていた。シナ法、インド法、ローマ法、イスラム法など、基本的な法思想は違うが、それぞれの法の体系をつくりあげていた。西洋近代成文法のように言語化・体系化してあるとは限らないし、また宗教と政治が一体となっており、宗教的な経典の中に政治的な事柄が渾然と書かれている場合が多い。

 西洋近代政治思想では、他の文明の文化を前近代的・専制的・封建的などとして否定する。しかし、それぞれの帝国や国家が自らの国のかたちを表現したものを持っていたならば、それは広義の憲法と見ることができよう。


 わが国においても、明治まで近代西洋式の憲法はなかったわけだが、社会における決め事、おきて、規範にあたるものがなかったわけでは、当然ない。法は、文字に書かれる以前から存在していた。

 7世紀初頭に聖徳太子が制定したという「十七条憲法」は、そうした古来の不文法を背景として書かれている。というのは、「十七条憲法」は、直接的には官僚の服務心得を連ねたものだが、そこには日本の国柄が前提とされている。そして、天皇を中心とする統治の原理を確認し、わが国古来の「和」の精神を表現している。


 太子の理想を受け、大化の改新が行なわれると、シナの律令を取り入れて、大宝律令が作られた。律は今日の刑法、令は行政法にあたる。近代憲法のように、国家理念・国家組織を明文化したものではない。だが、東アジアの文明は、壮大な国家組織を築き繁栄していた。それは、ローマ帝国にも遜色ない。法には、明文化する必要のあることのみ定めたのであって、国家機構は高度に機能していた。

 わが国の律令は、法制度としてはシナ文明の模倣だが、その内容は、日本の国柄・国情に合わせて、改変している。シナにはない神祇官を設けて、太政官と併置し、祭事が政治より上とした。

 ここに、わが国独自の権威と権力の二重構造がすでに孕まれていた。また、わが国の体質・国柄のよく表れているところである。つまり、わが国の本質を表した広義の憲法を、この独自の構造に見ることができると思う。ページの頭へ

 

 

8.権威と権力の構造

 

わが国では、シナ文明から摂取した律令を独創的に改変した。神祇官を設けて、太政官と併置し、祭事は皇室が執り行い、政治はその時代、その時代の実力者に担当させるという統治が行われてきた。そこに天皇を中心とした宗教的権威と政治的権力の二重構造が現われている。


 政治においては太政官の権限が大きくなっていったが、序列は神祇官の方が上である。太政官は祭事には関与しない。藤原氏の摂関制は、太政官の機能を独占し、天皇の統治権を代行するようになった。その後、藤原氏が勢力を失うと院政となり、平家がそれを代行した。ついで源氏が太政官の代行を幕府で行うという形で武家政治へと進んだ。しかし、太政官と並存する神祇官の方は、一貫して皇室が統括し、政治的権力から独立したものだった。

 こうした権威と権力の二重構造が、わが国の国柄の顕著な特徴の一つとなっている。二重構造といっても、権威と権力はともに天皇に発し、権威が権力の上にあるという上下構造になっている。この日本独自の体制は、日本古来の伝統に基づき、シナ文明の法制度を摂取して表現された。それが、日本的な律令の体系である。


 律令は、シナの継受法だが、「十七条憲法」から明治憲法までの時代、千年以上もの間、日本の基本法であり続け、国の体質・骨柄を表すものだった。現在も、官職名などに名残を留めている。この間、わが国では、政治的な権力者が律令の体系を改正することがなかった。律令はそのままにして、「律外の官」を設けたり、律令の体系を補ったりする形で、下位法を設けた。

 わが国には、藤原不比等・道長、平清盛、源頼朝、北条泰時、足利義満、豊臣秀吉、徳川家康など、さまざま権力者が現れた。しかし、強大な権力を掌中にした者たちも、決して天皇の位を奪うことがなかった。

 むしろ、頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、武士は、天皇から官位を任命されていることを、自分の権力の根拠としてきた。頼朝は征夷大将軍の官職を受けた。その裏づけがなければ、果たして関東に源氏と北条の政権が成り立ったかどうか、というくらい、朝廷の権威は重要なものだった。


 鎌倉幕府による「御成敗式目」は、実質的に政治を司っていた武士がつくったわが国初の固有法である。内容は、裁判に関することが主であり、主たる対象は武士である。天皇の政府・朝廷の定めた律令制を否定するものではなく、律令の体系を武家に関して部分的に補完するようなものに、とどめられている。

 戦国の戦乱の世を制覇した織田信長・豊臣秀吉にしても、天皇の権威と律令の体系を必要とした。秀吉は、関白・太政大臣という、朝廷の官位を天皇から授けられることにより、全国統一の政権を確立できた。


 徳川幕府においても、政治権力の正統性(legitimacy)に関わる重要な事柄には、すべて朝廷が関与していた。家康は、頼朝にならって征夷大将軍の任命を受け、関東に幕府を開いた。家康を祀る東照大権現という幕府の祖神の形成も、朝廷の許可を受けた。大納言・中納言・一位・二位などの律令に基づく位階は、武士の名誉となった。幕府が作った武家諸法度もまた律令の体系の下での、武士を対象とした下位法だった。
 このように武家政権は、天皇・朝廷の権威を侵すことなく、むしろその権威に依拠して、幕府という政府を作っている。こうしたわが国の権威と権力の二重構造を包摂しているのが、律令の体系だった。律令を中心に、「十七条憲法」「御成敗式目」「武家諸法度」等とさまざまな慣習法がゆるやかな体系をなしていた。


 この体系は、近代西洋の憲法とは違う。しかし、国の体質・骨柄という意味では広義の憲法であり、わが国が近代化・西洋化する以前の憲法だったということもできよう。また、こうした国の体質・骨柄としての憲法を基盤として、明治・昭和の憲法が作られたのである。

 新しい憲法をつくるにあたり、わが国は独自の伝統と歴史をもった国であることを自覚したいと思う。

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9.統治権の根源は何か

 

かつて、わが国の統治権の根源は、何に求められていたのか。神話と伝承に求められてきた。


 こういうと前近代的、未開的な話と思う人が多いだろう。しかし、近代西洋においては、主権の根源が「聖書」に求められてきた。それとそう変わらない。「聖書」を読んだことのある人は、「聖書」が創世記というユダヤ民族の神話に始まることを知っているだろう。その内容は、「古事記」「日本書紀」と類似のものである。アメリカ大統領は、就任に当たって、「聖書」の上に左手を置き、神に宣誓をしている。昭和憲法に「人類普遍の原理」と書いた者たちの国では、今もそうしている。神が主権の根源だからである。


 日本の総理大臣は、「古事記」「日本書紀」を用いはしない。天皇による任命式に臨む。天皇は、古代から続く日本国の生きた象徴である。国会の指名に基づき、天皇から任命されることによって、首相の担う権限は、神話と伝承につながっている。同時に今日、国民に存するとされている主権もまた、天皇を通じて、神話と伝承につながっている。

 それゆえ、統治権の根源を求めるには、わが国固有の神話と伝承を思い起こさなければならない。


 「古事記」「日本書紀」は古来、わが国に伝承されてきたことを、8世紀において書き留め、編集したものである。

 記紀において、皇室の祖先神は、天照大神とされる。天照大神は、イザナギの子として誕生した。「国生み」をしたとされるイザナギ・イザナミから天神七代をさかのぼると、天之御中主之命にいたる。

 天之御中主之命とは文献上、わが国の神話の初めに書かれている神である。天照大神は、この始原神に発する神々の系譜の途中に現れている。(註)


 天照大神は、天孫ニニギノミコトに「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)は、わが子孫の君たるべき国なり、みましゆきて治(し)ろしめせ、天つ日嗣(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと天壌(てんじょう)と共に窮まりなからんもの」と述べたとされる。高天原から日本に天孫を使わしたという天孫降臨の一節である。

 「豊葦原の瑞穂国」とは、わが国日本のことである。この国は、天照大神の子孫が統治すべき国だという。「みましゆきて治しめせ」とは、統治する権限をニニギノミコトに与えたものである。この神勅が、わが国における統治権の根拠とされてきた。そして、皇室の侵しがたい権威の元となって、代々継承されてきた。


 天照大神はニニギノミコトを日本に遣わすにあたり、「三種の神器」といわれる八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を授け、八咫鏡についての神勅を下したという。
 「古事記」には「此れの鏡はもはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごとく、斎(いつ)奉れ」と、また「日本書紀」には「吾が児(みこ)、此の宝鏡を視(み)まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし」と記されている。この「三種の神器」が、代々の天皇により皇位のしるしとして受け継がれてきた。


 初代の天皇である神武天皇は、記紀によると、天孫ニニギノミコトの曽孫に当たる。

 神武天皇は、当時、わが国が、氏族が割拠し、対立抗争していたのを見て、皇祖・天照大神の理想とする国を作ろうと考え、九州の日向(ひゅうが)から東征を行った。

 その過程で、神武天皇は「つわものの威をからずして、いながらにして天下を平(む)けむ」と述べる。すなわち、大業が成った後は、武力を頼まず、徳の働きによって天下を平和に治めていこう、という意味である。そして神武天皇は、様々な困難を乗り越えて、大和に入り、奈良の橿原(かしはら)の地で、初代天皇に即位したとされる。


 天照大神は、先に書いたように、その始原を天之御中主之命にさかのぼると考えられる。それゆえ、わが国の統治権は、根源を文献に求めるとすれば、天之御中主之命に至るということができよう。

 そして古代から明治憲法まで、天皇の統治権は、この根源に発し、天照大神→ニニギノミコト→神武天皇→歴代天皇と授与・継承されたものであった。かつそれは「三種の神器」とともに継承されてきたのだった。


 昭和憲法においては、こうした神話と歴史は、戦勝国によって断ち切られたかに見える。しかし、切ったかに見えるのは、表面だけで、根っこはしっかり残っている。
 天皇を日本国及び日本国民統合の象徴としていること自体が、神話と歴史を前提としている。「三種の神器」もまた、ただ神話の中のものではない。現在も、天皇の位を象徴するものとして存在している。

 鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に祀られている。曲玉は神璽(しんじ)として宮中に安置されてきた。また、分霊された鏡が宮中の賢所(かしこどころ)に奉安され、剣の分身と曲玉は、天皇のお側近くに常に安置されている。昭和天皇が崩御され、今上天皇が即位された際には、神器の受け渡しが行われた。

 このように、神話と伝承がわが国では今日も生きているのである。わが国における統治権を考えるには、上記のような根源とその後の展開を振り返っておく必要があるだろう。ページの頭へ

 

(註)

・天之御中主之命と日本の神道については、以下の拙稿をご参照のこと

 「日本精神の宗教的表現としての神道

 

 

10.統治権は隠蔽されている

 

昭和21年11月3日に昭和憲法が公布された。そこでは、わが国の統治権の根源と歴史は排除されている。GHQが、天皇の地位を改変しようとしたからである。すなわち、神話の神勅によるのではなく、主権の存する「日本国民の総意」に基づくものに変えようとしたからである。

 この排除は、憲法に先立って同年1月1日に出された、昭和天皇の「新日本建設に関する詔書」が前提となっている。一般に「人間宣言」と呼ばれているものである。詔書には、次のようにある。
 「朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依り結ばれ、単なる神話と伝説とに依り生ぜるものに非。天皇を以て現御神(あらひとがみ)とし、且つ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延いて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念にくものにも非。」
 引用の前半部で、天皇は神話と伝説を否定されたのではない。天皇と国民の紐帯は、単に神話と伝説のみによって生じたものではない、神話と伝説に基づきつつ、現在も相互の信頼と敬愛とによって結ばれていると言っておられる。

 引用の後半部は、一般には、天皇は神であることを否定し、自ら人間だと宣言したものと理解されている。しかし、ここで否定しているのは、天皇を「現御神とし、且つ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延いて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念」を否定しているのである。
 文の構造としては、「AかつB」を否定している。AとBを結びつけた場合を否定している。Aつまり「現御神」については、「現御神」をキリスト教的な神(God)つまり絶対神、全知全能の神とする解釈を否定したものである。わが国には、もともと天皇を絶対神、全知全能の神とするような観念自体が存在しない。そのことを確認したまでである。神話とそれに連なる歴史をすべて否定しているのではない。
 また、「現御神」とは、神にして人、人にして神のことであり、もともと天皇は人間であって、同時に神聖な存在と仰がれていたから、詔書の文言をもって「人間宣言」とするのは、誤解である。
 この詔書で最も重要なことは、昭和天皇が新日本を建設するにあたって、「五箇条のご誓文」をあえて冒頭に引用したことである。この点は、別のところで触れたことがあるので、内容は割愛する。

 天皇は、昭和憲法第1条に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると規定されている。その象徴の象徴たる所以が、神話と歴史に求められることは、変わっていない。また、天皇の地位は、憲法第1条に「日本国民の総意に基づく」とされながら、第2条に「世襲のもの」とされている。これも、神話と歴史を抜きには考えられない。
 統治権についても同様であって、わが国の統治権の根源が神話に求められることは、変わっていない。統治権の根源とその歴史が、昭和憲法の陰に隠蔽されているのである。そのことを、ほとんどの人が語らなくなっている。そこに、伝統・国柄・歴史の忘却がある。

 私たちは、新しい憲法を立案するに当たり、わが国の統治権の根源を再確認する必要があるだろう。統治権が国民に存するとするならば、その根拠を明らかにしなければならないと思う。

 明治憲法では、統治権は天皇に存するとされていた。統治大権といった。憲法の条文には、西洋的な主権という用語はなかった。主権は、解説や憲法学で説明概念として使われただけである。ところが、昭和憲法では、この天皇の統治権が主権と置き換えられて、国民に存するとされた。天皇御一人が有しておられた統治権を、国民全体が有するように転換がされた。ただし、はっきり天皇から国民に与えられたというのではない。なぜ転換するのかの理由や目的も明示されていない。そういうことは、憲法のどこにも書いていない。
 昭和憲法は、天皇の言葉が憲法の冒頭に付せられている。憲法の公布は、天皇が行っている。それゆえ、統治権の転換は、天皇の承認によってなされたと考えられる。しかし、天皇が統治権を放棄し、国民に全面的に委譲したとは、書かれていない。

 そこで、主権者となった国民の中に、天皇を含むのか否かが問題となる。これも憲法の条文においては、はっきりしない。天皇は日本国の天皇であって、他のどこの国の国民でもない。そうであれば当然、この国民の中には、天皇が含まれるとしなければならない。政府見解は、国民主権と言う場合の「国民」は、天皇を含むすべての国民を指すとしている。
 これまで考察してきたように、天皇の統治権は、天之御中主之命に発すると考えられ、天照大神→ニニギノミコト→神武天皇→歴代天皇と授与・継承されてきたものであった。そして、明治憲法では、天皇御一人が有していた。私の見解では、昭和憲法においては、統治権は、天皇と、天皇を中心とし、天皇を統合の象徴と仰ぐ国民の全体に共有されることになったと考えられる。ここにいう国民とは、単に現在の世代だけではなく、過去の世代から将来の世代までを含む、歴史的な総国民のことである。歴代天皇と皇族もみな含まれる。
 なぜ国民が天皇の統治権を共有し得るかと言えば、天皇と国民は祖先を通じて生命を共有し、伝統・文化・歴史を共有する、一つの共同体をなしているからである。
 この生命と伝統・文化・歴史を共有する「共同体としての国家」という観念を抜きにしては、わが国の統治権は理解できない。昭和憲法に書き込まれた、近代西洋の個人主義に基づく社会契約論では、日本の統治権の根源・歴史・現在について、まったく説明ができないのである。
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11. 統治権の君民共有へ

 

昭和憲法は、前文に次のように記している。
 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理にくものである」
 この記述は、正しいか。誤りである。

 ここに書かれている国民主権の思想は、「人類普遍の原理」ではあり得ない。GHQ製の原文では、「a universal principle of mankind」と書かれていた。しかし、わが国の歴史には、そのような原理は存在しない。聖徳太子も、徳川家康も、伊藤博文も、誰もそんなことは思いつきもしなかった。一例でも反証があれば、人類「普遍」の原理とは言えない。
 さきほどの前文の引用部分は、ほぼジョン・ロックの思想に基づいている。彼の思想がフランスとアメリカで、国民主権論として発達した。しかし、これは西洋においてすら一般的ではない。大体、ロックの祖国、近代デモクラシーの発祥の地であるイギリスは、国民主権ではない。主権は「議会における女王(the Queen in the parliament)」にあるといわれる。昭和憲法の「人類普遍の原理」など、GHQのアメリカ軍人が、自分たちの思い込みを書いたに過ぎないのである。

 そもそも近代西洋における統治権は、ユダヤ=キリスト教の神に根源を持つ。この神は、ヤーウェ=エホヴァであり、ユダヤ民族の祖アブラハムが契約を結んだ神である。その地上の支配権が、教会→国王→国民へと授与・継承された。
 アメリカでは、現在も国民の多くが「聖書」に基づく信仰をし、神→アブラハム→ユダヤ民族またはイエス→キリスト教徒という権限の授与・継承関係を、政治的な儀式において確認・再現している。

 アメリカの独立宣言には、次の一節がある。「すべての人間は平等に造られ、おのおの造物主によって、他人に譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている」と。それが、アメリカの国民主権の根源となっている。主権つまり統治権は、「造物主(Creator)」から与えられたものなのである。
 GHQのアメリカ軍人もさすがに、日本の憲法に「造物主」とは書けなかった。その結果、昭和憲法には、統治権の根拠を明示せずに、主権在民を定め、それが「人類普遍の原理」だという偽りの観念が記されたわけである。

 かくして昭和憲法では、統治権の根拠は、歴史的にも原理的にも明記されていない。あいまいなまま主権在民が定着し、今日の憲法立案においてもその検討は、よく行われていないように思う。
 実は、米国憲法には主権という用語も、造物主という言葉も使われていない。彼の国の憲法も、こういう最重要のところがあいまいなのである。「世界人権宣言」もまた、最も重要な前提を明記していない。それが世界に少なからぬ混乱を引き起こしている。

 私は、真の神は一つであると考える場合には、こうしたさまざまなことが整合し得ると考えている。宇宙の根本理法にして、一切万有の原動力を人格化したものを、神というとすれば、その本源的・原理的な神が、日本においては天之御中主之命と呼ばれた。ユダヤ=キリスト教ではヤーウェ=エホヴァと呼ばれた。イスラムでは、アッラーと呼ばれた。
 これらの神は、一体異名のものである。時と場所、とらえる人によって、異なる名前をつけたにすぎない。その唯一の神が、諸民族にそれぞれ感知され、異なる言語・文化によって表現されたに過ぎない。

 近代西洋においては、本源的・原理的な神は「聖書」の神となり、その権限が教会→国王→国民と授与・継承され、統治権を保有する主体が拡大された。わが国においては、本源的・原理的な神は、天之御中主之命と呼ばれ、天照大神→天皇→国民というように、やはり保有する主体が拡大された。このように考えることができる。

 わが国の統治権は、その根源を求めれば、国民から天皇に戻り、天皇から歴代天皇を通じて天照大神に達し、さらに始原神とされる天之御中主之命に至る。そして、日本の歴史において、天皇はその時々の政体に応じて、統治権を自ら行使したり、大臣や征夷大将軍に代行させたりしてきた。
 明治憲法においては、天皇が日本を統治することを明記し、天皇を統治権の総攬者とした。その統治権は、昭和憲法においては、主権と言い換えられて、天皇を統合の象徴と仰ぐ国民に存するとされ、天皇と国民が共有するものとなった。
 共有化は、敗戦と占領という事態において行われた。それを承認したのは、昭和天皇であった。昭和天皇は、神と祖先に祈り、統治権を国民と共有することにしたのであろう。昭和21年元旦の「新日本建設に関する詔書」は冒頭に「五箇条のご誓文」を掲げている。ご誓文は、明治天皇が神に誓ったものであり、昭和天皇が敢えてご誓文を詔書に掲げたのは、非常に重要な意味がある。その後、占領下でやむを得ず改正された憲法において、天皇は統治権を専有から共有へと広げ、国民全体に政治を代行させ、自らは象徴の地位につくことを承認したと考えられる。「五箇条のご誓文」を国是として確認してあってこそのご英断であろう。

 昭和憲法は、象徴天皇制と国民主権の二つの原理が両立している。この憲法の下で、政府は、天皇を君主とし、わが国を立憲君主制という見解を出している。また、天皇を元首と呼ぶことが可能としている。
 この見解によれば、わが国は、明治憲法の規定と根本的には変わっていないことになる。ただ君主が国政に権能を有しない象徴的な存在に代わり、統治権が天皇の専有から、天皇を統合の象徴と仰ぐ国民の共有に移った。
 主権という概念を使うならば、「君主主権」から「君民共有主権」に変わった。統治権という概念で言えば、「統治権の君民共有制」に変わった。私はこのように理解するのが、適当だと思う。

 わが国の新しい憲法を立案するに当たり、わが国独自の統治権の根源・歴史・現在について、以上のように考えることができると思う。
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12. 明治憲法の限界

 

わが国は独自の伝統・文化・国柄を持つ国である。文明論的に見れば、古代よりシナ文明の影響を受けながらも早くから自立の道を進み、独自の日本文明を確立し、それを熟成させた。
 こうしたわが国は、幕末に近代西洋文明と遭遇した。この時、国を防衛し、改革を進める原動力となったのは、尊皇心や国体観念というわが国固有の思想だった。
 幕府からの大政奉還と王政復古が行われると、「五箇条のご誓文」が発せられた。ご誓文は、日本の伝統・文化・国柄をもとにして、西洋文明を取り入れ、近代国家を建設する基本方針を示した。以後、ご誓文がわが国の国是となる。

 わが国が参入した19世紀後半の世界は、西洋列強が世界の大半を分割し、植民地として支配・収奪していた。わが国は、列強の圧倒的な軍事力・技術力・経済力に屈して、不平等条約を結ばざるをえなかった。
 維新後、独立を守り、一部失った主権(治外法権の許可と関税自主権の喪失)を回復するには、列強に認められるような近代国家としての体裁を整えなければならなかった。ここに必要となったものが、西洋式の成文憲法の制定である。

 大日本帝国憲法は、日本人自らわが国の国柄を表現したものだった。
 起草の推進役となった伊藤博文は、自ら西欧を訪れて、プロイセン・オーストリア等に行って近代憲法を学習してきた。彼は単なる模倣・翻訳で速成せずに日本の伝統を踏まえ、またさまざまな意見の者とよく議論して合意をつくり、立案を行った。起草の実務的な中心となった井上毅は、西欧の法学の研究だけでなく、日本の古典、記紀・祝詞・詔勅等の研究を行った。
 彼らの努力により、明治憲法は、維新の原動力であった尊皇心や国体観念を踏まえ、わが国の国柄を近代法の形に表現したものとなっている。

 明治憲法は、非西洋世界、有色人種初の近代憲法である。ここにわが国は、天皇を元首とする立憲君主制の議会制デモクラシーを定めた。この憲法の下、近代的な議会政治が開始され、日本的なデモクラシーが発達した。国民の権利に関する規定も、当時の欧米に劣らないものだった。
 しかし、明治憲法の規定には、不備もあった。最大の問題は、統帥権の独立である。第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とある。統帥権とは軍隊の最高指揮権である。これを天皇の統帥大権と言った。軍の指揮は政府や議会と関係なく行われるため、軍事と政治が二分され、ただ天皇御一人が両方を統括する形となっていた。
 また、憲法の条文に、内閣や総理大臣という言葉がなく、首相の地位や権限が弱く、内閣を統括できない規定になっていた。明治・大正期には明治の元勲がおり、統帥権が他の権限から独立したものではないことは熟知していた。憲法には規定のない元老会議が指導性を持ち、条文の不足を補っていた。
 ところが、元老が一人減り二人減りし、昭和まで生き残ったのは西園寺公望だけとなった。天皇の側近に明治以来の有力者がいなくなると、憲法の欠陥が隙を生じ、軍の横暴を許してしまった。

 昭和5年から、軍部が統帥権干犯を唱えて政治に介入し始めた。また、神兵隊事件、5・15事件などのクーデタ未遂事件が続発し、これに勢いを得た軍部が、政治を左右するようになった。とりわけ2・26事件後の軍部大臣現役武官制の復活によって、軍の意向一つで、天皇に首相の任命を受けた宇垣一成が組閣できずに終わったり、軍部大臣一人のために内閣が辞職せざるを得なくなったりするという異常な事態となった。
 こうしたなかで、シナ事変の勃発・泥沼化、日独伊三国同盟の締結、アメリカによる経済制裁、日米交渉の難航、ハルノートの手交等が続いた末、わが国は、英米等を敵とする無謀な戦争に突入した。

 大東亜戦争の敗戦において、わが国はポツダム宣言を受諾した。宣言には、わが国の「民主的な傾向の復活強化」が要望されており、また最終的な政治形態は国民の自由意思で決定すべきことが記されていた。この内容は、わが国には「民主的な傾向」があったという評価が含まれている。それが、明治以来の立憲議会制によるデモクラシーであることは、明らかである。
 ポツダム宣言のとおりに、戦後の日本の復興が行われたならば、わが国は自主的に、自らの手で明治以来の日本的デモクラシーの伝統を取り戻して、国の復興に努めたはずである。

 ところが、マッカーサーは、わが国に憲法改正を要求してきた。これは、ポツダム宣言の内容を越え、また国際法に違反するものである。軍事占領のもとにあるわが国は、これに応じざるを得ず、憲法問題調査会を組織し、国務大臣・松本烝治を中心に、自主的な憲法改正案を作成した。この時、日本人は開戦と敗戦の原因を反省し、自らの手で憲法の欠陥を正し、国の再建に取り組もうとしていた。
 しかし、マッカーサーは、この日本人自身による明治憲法の改正案を退け、GHQ民政局の職員に秘密裏に憲法を起草するように命じた。そして、この占領者による英文の憲法案を、わが国に受け入れるように押し付けてきた。受け入れない場合は、天皇の身命を保障しないことが暗示されたらしい。
 こうして、銃砲による脅迫と徹底的な検閲のもとで作られたのが、昭和憲法である。
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結びに〜亡国憲法の改正を

 

昭和憲法は、制定された事情が特異なので、これを無効とする論がある。
 無効論の理由は、主に三点である。第一に、明治憲法の改正は、わが国の統治権が連合国最高司令官に従属し、強く制限されている時期になされた。第二に、昭和憲法は成立過程の全般にわたって占領による脅迫・強要が存在した。第三に、明治憲法の改正は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法を尊重すべきことを明記するハーグ陸戦法規に違反している。これらの理由は、概ねそのとおりである。
 しかし、戦後、今日に至るまで、昭和憲法は一貫して法的拘束力をもって機能している。国民の大多数がこれを受け入れている。こうした厳然たる事実がある以上、法理論だけで現行憲法を無効と説くのは、無理がある。

 昭和憲法の有効論としては、宮沢俊義の「8月革命説」が有名である。宮沢は、昭和20年8月、ポツダム宣言を受諾したと同時に、法学的意味でいう「革命」が起こって、正当な法的手続を経ずに主権者が代わり、天皇主権から国民主権に変わったとする。昭和憲法は、新たに主権者となった日本国民により有効に制定された憲法であるとする。この見解が、わが国の憲法学会に強い影響を与えてきた。
 しかし、「8月革命説」は、事実関係を捻じ曲げている。敗戦と占領によって、主権は天皇から国民へ移行したのではなく、連合国最高司令官に移行したのである。ポツダム宣言に関するわが国の質問に対するバーンズ回答は、「降伏ノ時ヨリ、天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ‥‥連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ(subject to)置カレ」たと記している。国家意思を最終的に決定する権限という意味での主権が国民に移ったとは、言えない。それゆえ、「8月革命説」は理論的に破綻している。
 宮沢理論を部分修正した説もあるが、私には勝者による押し付けを正当化するために、学者が作り出した欺瞞でしかないと思われる。

 これに対し、佐々木惣一は、昭和憲法は明治憲法の全面的な改正憲法であり、有効に成立したとする。
 佐々木は、改正手続による憲法改正には何ら限界がないという立場に立つ。明治憲法改正説である。そして、昭和憲法は明治憲法第73条の定める天皇の発議、帝国議会の議決、天皇の裁可という手続によって成立したものであるから、内容的に明治憲法を全面的に変更したとしても、革命によって成立した憲法ということはできないとする。佐々木は、昭和憲法は天皇が制定されたものであるから「欽定憲法」とする。

 私は、無効論の挙げる理由を認めつつも、佐々木の見解のように、改正は有効とせざるを得ないと考える。
 昭和憲法には、GHQの銃砲と検閲の下とはいえ、帝国議会で審議され、天皇によって公布されたという形式を取っている。そして、次のような天皇の「上諭」が付せられている。
 「朕は、日本国民の総意にいて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」。
 これに、御名御璽と各大臣の副署がある。GHQによって威嚇的強制が行われたとはいえ、明治憲法の規定によって帝国議会が議決し、天皇が裁可して公布した以上、これを有効と認めざるを得ない。「帝国憲法の改正」と天皇が明記をされている。
 いかに制定過程に矛盾・不正があろうとも、明治憲法違反・国際法違反ゆえ、現行憲法は無効を宣言すべしという主張は、天皇の権威を否定するものとなると思う。

 また、公布後、国民による承認手続きの機会はなかったが、無効破棄の宣言は行われていない。施行後、日本の立法・行政・司法はすべてこの憲法にそって行われてきた。そして、60年近くたっている。この事実にも、憲法の有効性を認めざるを得ない。

 私見としては、統治の本質は、法にあるのではなく、力にある。法は力の行使に関するルールである。敗戦・占領という状況は、明治憲法の規定を超えていた。想定していなかった。また、国際法といえども、勝者の力は法を超えて振り回される。こうした基本認識に立って、私は考える。法を超えた統治が行われる状況では、違法・不当な行為も力によって正当化される。いくら明治憲法に言葉で定めてあったとしても、力による支配の下では、いっぺんの紙切れに過ぎない。
 GHQ案を受け入れざるを得なかったのは、天皇を訴追・処刑から守り、「国体護持」をするための苦慮の末のことだった。問題は、法を超えた力によって押し付けられ、やむを得ず受諾したという経緯を踏まえ、独立回復後に即改正すべきだったということにある。それを実行しなかった日本人こそ、反省しなければならない。

 今日、この課題は、できるだけ早く実行しなければならない。GHQによって、日本弱体化のために押し付けられた憲法は、それが機能し続ければ、日本が立ち行かなくなるようにできている。日本国憲法は亡国憲法である。放置すれば、国が滅ぶ。この点は、別に書いたものがあるので、ご参照願いたい。(註)

 改正において取るべき方法は、無効破棄や明治憲法の復元改正等ではない。昭和憲法の規定に従って、改正を行うことである。
 現行憲法は、第96条に次のようにある。「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
 この規定は、改正を非常に難しいものにしている。しかしながら、改正は、憲法の規定に従って、両議院の3分の2以上で発議し、国民投票で過半数を得て改正する手順を踏むものでなければならないと私は考える。一部に主張されている無効宣言という方法は、一種のクーデタであり、国の内外にわたり禍根を残すと思う。
 まず、第9条と改正条項のみを改正し、最低限の修正を行ったうえで、諸条項に関し、段階的に改正を進めていくという方法もあると思う。

 日本国民が、自分の国のことを真剣に考え、自らの手で、国の運命を切り開こうという意思を持つならば、改正は必ずなしうると思う。
 以上で、「新憲法へ」と題した予備的な考察を終える。次は新憲法の私案をお読みいただきたい。
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・拙稿「日本国憲法は亡国憲法ー改正せねば国が滅ぶ」をご参照のこと。

 

 

■補説:現行憲法は改正か無効破棄か

2012.3.11

 

 橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」と、石原慎太郎都知事が代表となると見られる石原新党によって、政界に大きな動きが出ている。私は、日本の再建には憲法改正が不可欠という意見であり、こうした新党及び既成政党が憲法についてどういう政策を揚げるか、大いに関心がある。

 石原慎太郎氏は、現行憲法は歴史的に無効だとして、内閣が憲法の破棄を宣言して即座に新しい憲法を作成したらいい、と説く。憲法無効論は戦後早くからあるが、有力な政治家が無効破棄を説くことで、支持者が増えているようである。

 私は、石原氏をはじめとする無効破棄論者には、新憲法案を提示するよう求めたい。「無効だ、破棄だ」と言っているだけでは、国家再建にならない。具体案を提示しないと、破棄即無法状態となる。憲法を廃止した時点で、政権の正統性は失われる。

 仮に無効破棄の後に、明治憲法の復元改正を行うのであれば、今上陛下に昭和天皇が現行憲法公布の際に宣した上諭を否定せしめるつもりか。また、無効破棄の後に、自主憲法制定を図るとすれば、明治憲法・昭和憲法との関係をどのように、憲法に記載するのか。天皇の上諭なしで、条文のみを並べるつもりか。私は、どこか天皇を軽視し、自分たちの政治的目的を通そうとする強引さを感じる。クーデタでもあるまいに

 また、憲法制定後、65年もたってから無効だと宣言する政府が、国際社会から認められるかどうか。この間、現行憲法下の国家統治機構として、内閣は外交を行い、国会は条約を承認し、裁判所は外国法人の利益に係る判決をしている。仮に法的にこれらの問題を理論的に解決しても、国際的な市場はどう評価するか。株式が暴落すれば、日本経済に悪影響が出るだろう。この辺もよく検討してもらいたいものである。

 

 憲法は改正か無効破棄かーー日本国憲法を考えるには、高乗正臣(たかのり・まさおみ)氏の論文「憲法改正論の系譜」が参考になる。高乗氏は、憲法学会理事長で、私の新憲法私案を「新しい憲法をつくる研究会」(岸信介氏創設)で紹介した憲法学者である。

 私は、憲法学者のK教授から提供され、高乗氏の上記論文を7年ほど前に読んだ。自分の憲法論を固めるうえで勉強になった。氏によると、現行憲法の改憲には「補修的改正論」「復元改正論」「無効破棄論」「自主憲法制定論」がある。これらの立場の違いは、現行憲法の成立過程の見方の違いに対応する。

 私なりに高乗氏の分析を整理すると、まず現行憲法が有効に成立したという考え方がある。これを「有効説」という。有効説には、「八月革命説」と「改正説」がある。有効説による改憲方法は、補修的改正論となる。これに対し、現行憲法は成立過程には重大な欠陥があり、有効に成立したとは説明できないという考え方がある。これには「無効説」と「占領管理法説」がある。無効説による改憲方法には復元改正論と無効破棄論がある。占領管理法説による改憲方法は自主憲法制定論となる。

 高乗氏は、これらを比較・検討したうえで、「八月革命説と改正説には事実に反するという欠陥があり、無効論にも理論上の難点がある」「現行憲法を占領管理法として位置づける見解が比較的妥当な考え方といえよう」という判断をし、「天皇を含む日本国民が日本国憲法に対して『憲法』としての黙示の承認を与えたと見れば、昭和二七年四月の独立回復時に、日本国憲法は法的性格を変えて主権国家日本国の正式の『憲法』となったといえよう。この立場からすれば、日本国憲法の改正は九六条の規定に基づいて『補修的改正』を行うことが筋ということになろう。しかし、国民による明示の承認がないことを重視して、あくまで占領管理法としての日本国憲法が今日まで継続施行されていると解すれば、国会においてこれの廃止措置を講じた後、新たに『自主憲法制定』に進むことが筋であろう」という見解を述べている。

 次に、高乗氏の上記論文を紹介する。全体を掲載後に私見を述べたい。

 

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●憲法講座第二講B憲法改正論の系譜

 

平成国際大学教授 高乗正臣

 

■はじめに

 日本国憲法の改正を論ずる際、まず、明確にしておくべきは「改憲のあり方」である。

 同じ改憲といっても、それには「補修的改正」から「復元改正」「無効破棄」「自主憲法制定」に至るまで、様々な立場がありうる。それはとりもなおさず、現行憲法が、占領下、連合国総司令部民政局員の手で短期間のうちに起草され、その基本原理を根本的に変更したにもかかわらず、手続上は帝国憲法の改正手続を経て成立したという特異な事情に起因する。改憲のあり方についての立場の相違は、現行憲法の成立過程をどのように見るかという見解の相違と対応する。すなわち、「補修的改正」論者は現行憲法が正規の憲法として有効に成立したという前提に立つが、他の三者は現行憲法の成立過程には重大な欠陥があり、正規の憲法として有効に成立したとは説明できないという立場に立つ。

 その意味から、ここではまず、日本国憲法成立の法理に関する学説を批判的に検討することにしよう。以下、有効論、無効論および占領管理法説を見てみよう。

 

■有効論@八月革命説

 宮澤俊義教授によって唱えられた説(1)である。

 まず、宮澤教授は憲法の改正には限界があるという立場をとる。すなわち、憲法そのものの前提となっている根本的建前によって、改正手続自体がその効力の基礎を与えられているのであるから、その手続で根本的建前を改正するということは「論理的に不能」であるという。つまり、「天皇が神意にもとづいて日本を統治するという原則は、日本の政治の根本建前であり、明治憲法自体もその建前を前提とし、根底としていた」のにかかわらず、「明治憲法の定める改正手続で、その根本建前を変更するというのは、論理的自殺を意味」するという。

 ついで、宮澤教授は昭和二○年八月一一日の連合国回答(いわゆるバーンズ回答)を問題とする。ポツダム宣言の受諾に際して「国体護持」の条件を付したわが国の申入れに対する連合国の回答がこれである。この回答は、「最終的の日本国の政治の形態は、『ポツダム』宣言に遵い、日本国国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとする」というものであったが、教授は、これは「日本の政治についての最終的な権威が国民の意思にある」ということ、すなわち「国民が主権者であるべきだ」ということを意味しているから、この回答を前提にポツダム宣言を受諾したと同時に、わが国に法学的意味でいう「革命」が起こり(正当な法的手続を経ずに主権者が代わり)、天皇主権から国民主権に変わったという。日本国憲法は、この法学的意味でいう「革命」によって新たに主権者となった日本国民により有効に制定された憲法であるという。

 ところで、ここで注意すべきことは、宮澤教授は、この「革命」によって帝国憲法が廃止されたとは見ていない点である。教授によれば、帝国憲法の規定は「革命」によってもたらされた新しい建前に抵触する限度において変わったと見るべきであって、その建前に抵触しない限度においてはどこまでも帝国憲法の規定に従って事を運ぶのが当然だ、とする。この意味からすれば、日本国憲法の成立が帝国憲法七三条の改正手続によって行われたことは妥当ということになる。

 この点について、清宮四郎教授は、同じ革命説をとりつつも、帝国憲法の効力に関する宮澤見解に疑問を提示する(2)。すなわち、清宮教授は、ポツダム宣言の受諾と同時に、「明治憲法は根底から動揺し、第七三条も、憲法改正規定としての資格が疑われるに至った」と述べる。ついで、教授は「日本国憲法は、明治憲法にもとづいて制定されたのではなくて、国民が、国民主権の原理によって新たに認められた憲法制定権にもとづき、その代表者を通じて制定したものとみなさるべきで、「その制定行為を明治憲法第七三条による改正行為とし、新法と旧法とに『法的連続性』をもたせることは、法的には説明のできないことである」という。八月革命説に立つ限り、清宮説の方論旨一貫し、説得力に富むといえよう。論者は、この清宮教授の見解を「純粋革命説」と呼ぶ。

 

◆八月革命説に対する疑問

一時期、学界の多数説となった八月革命説には根本的な疑問がある。

 第一に、ポツダム宣言と、その受諾に関する日本政府による国体護持の申入れに対する連合国回答(バーンズ回答)の受容は、果たして、革命説がいうように天皇主権から国民主権への移行を要求していたか疑問である。

 まず、この説が根拠とする「国民の自由に表明する意思」による政府の樹立という文言は、同様の表現をとる「大西洋憲章」や「国連憲章」を見ても、「外国の干渉を受けることなく、自国のことは自国で決める」という意味での民族自決原則の表明としかとれず、バーンズ回答やポツダム宣言の文言のみを「国民主権」を要求するものと解釈するのは無理である。

 第二に、佐々木惣一博士が指摘するように、ここにいう「日本国国民(Japanese people)」とは、天皇に対立する国民の意味ではなく、日本国家を構成する日本人、すなわち、天皇を含む「日本国人」と解すべきであろう(3)。したがって、ポツダム宣言は、日本国の最終的な政治形態(天皇の地位を含む政治形態)は、日本国の構成員自体が自由にその意思を表明して決定すべきことを要求したものであって、この意味からも「国民」の文言をもって国民主権の根拠とすることはできない。

 さらに、バーンズ回答にいう「最終的」(ultimate)という語は占領終了後を意味すると解され、また、「日本の政治の形態」(form of Government of Japan)は、あくまでGovernmentすなわち政府の形態であり、form of the Stateすなわち国家の形態ではない。もし、後者だとすれば「主権の所在の問題」となるだろうが、そうではない。むしろ、ポツダム宣言10項では「民主主義的傾向ノ復活強化(revival and strengthening」とあることから、バーンズ回答もポツダム宣言も、主権の所在の変更を要求したものではないとする見解も説得力がある。

 以上述べたことのほかに、八月革命説には致命的な欠陥があるというべきであろう。革命説は、法的意味での革命によって主権が天皇から国民に移行したと主張するが、事実の上で誤っている。事実からいえば、主権は天皇から国民へ移行したのではなく、紛れもなく連合国最高司令官に移行したのである。先のバーンズ回答が述べるとおり、「降伏ノ時ヨリ、天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ・・・連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ(subject to)置カレ(4)たのであって、「国家意思を最終的に決定する力」という意味での主権が国民に移ったなどということは、全く事実の基礎を欠くものである。

 これらの点から、八月革命説は理論的に破綻をきたしている。この説は、占領下という異常な状況の中で、何とか日本国憲法の有効性を導き出そうとして案出された「政治的」な理論といえるであろう。この意味から、八月革命説に基づいて現行憲法を有効なりと結論づけることは妥当ではない。

 

■有効論A改正説

 佐々木惣一博士によって代表される見解(5)である。

 佐々木博士は、改正手続による憲法改正には何ら限界がないという立場に立って、現行憲法は帝国憲法の全面的な改正憲法であり、有効に成立したとする。つまり、現行憲法は帝国憲法七三条の定める天皇の提案、帝国議会の議決、天皇の裁可という手続によって成立したものであるから、内容的に帝国憲法を全面的に変更したとしても、革命によって成立した憲法ということはできないとする。博士によれば、日本国憲法は天皇が制定されたものであるから「欽定憲法」ということになる。(※「詔」と「詔勅」がついている)

 また、博士は、右に見たバーンズ回答でいう「最終的の日本の政治の形態」の内容について、回答は何もいっておらず、その内容の決定については「日本国人」の自由に表明した意思に委ねているのであるから、ポツダム宣言受諾後も、帝国憲法は従来通り完全に有効であるとする。そして、回答にいう最終的な日本の政治形態の選択・決定は占領政策とは関わりなく、日本側の自由意思によってなされうるという。

 

◆改正説に対する疑問

この見解が立脚する憲法改正無限界論が妥当であるか否かについては議論があることを別としても、ポツダム宣言受諾後も帝国憲法が従来通り完全に有効だとする点には疑問がある。

 先のバーンズ回答が示しているように、現行憲法は「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限」が「連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カレ」状況で成立したのであるから、帝国憲法はその機能を停止していたと解さざるをえない。

 ところで、主題とは若干それるが、ポツダム宣言とバーンズ回答については一言しておく必要がある。ポツダム宣言は、知日派として著名であったグルー国務次官が日本本土決戦を回避することを狙いとして起案したもので、わが国の主権喪失という意味合いを極力避けようとした意図が見てとれる。すなわち、同宣言は、@無条件降伏をするのは日本政府ではなく軍隊であり(一三項)、A日本の主権は本州、北海道、九州および四国等に限定され(八項)、B占領の対象は日本国領域内の諸地点で(七項)、C国民の間における民主主義的傾向の復活強化は日本政府の責任であり(一○項)、D平和的で責任ある政府が樹立されれば占領軍は撤退する(一二項)、と定めていた。この宣言を読むかぎり、わが国は無条件降伏をしておらず、まして占領者が憲法の制定権を有するなどということは出てこない(6)

 しかし、ここで動きがあった。まず、七月上旬、グルーの方針に批判的なバーンズが国務長官に就任し、ついで八月に行われた広島・長崎への原爆投下とソ連の参戦によって日本の敗色が一層明確になった。ここに来て、アメリカ国務省はポツダム宣言に見られる慎重な配慮を捨て、宣言には関わりなく無条件降伏の姿勢で臨もうとしていた矢先、わが国からの前記「国体護持」確認照会の申し入れが発せられた。バーンズは、これを好機として前記の天皇および日本政府の統治権限は連合国最高司令官に従属する(subject to)という回答を示した。

 

 バーンズ回答は明らかにポツダム宣言のラインを超えている。占領の対象を国内の諸地点としていたポツダム宣言と異なり、回答は天皇と日本政府の上にそれらを従属させる絶大な権力の存在を容認させるものであった。わが政府が、これを受諾した以上、占領期間中に帝国憲法が従来通り有効に機能にしていたとすることは無理であろう。

 右に見たように、八月革命説と改正説には無視できない重要な疑義がある。このため、現行憲法が有効に成立したという前提に立った改正論有効論に基づく「補修的改正論」ーには法理の上で無理があるといわざるをえない。

 

■無効論

 井上孚麿教授(7)、相原良一教授(8)などによって唱えられた説である。

 この立場は、改正の時期や方法などを理由として現行憲法が無効であることを主張する。まず、第一に、帝国憲法が改正された時期はわが国の国家統治の権限が連合国最高司令官に従属している時期、すなわち国家の統治意思の自由のない時期になされたこと、第二に、現行憲法の成立過程の全般にわたって占領軍による「不当な威迫、脅迫、強要」が存在したこと、さらに第三に、帝国憲法の改正は、占領者は絶対的な支障がないかぎり占領地の現行法を尊重すべきことを明記するハーグ陸戦法規(一九○七年)に違反していること、などを根拠に現在も現行憲法は無効であるとする。

 これとは論拠を異にする見解に、小森義峯教授の「非常大権説(9)」がある。この立場は、ポツダム宣言の受諾と現行憲法の成立を、帝国憲法三一条に定める天皇の非常大権の発動として説明する。つまり、ポツダム宣言の受諾は天皇の非常大権の発動によってなされたものであるから、それを原点として成立した現行憲法は「暫定基本法」としての性格を有するに過ぎず、「憲法」としての性格を有しない。憲法としては、占領期間中といえども、あくまで「大日本帝国憲法」が厳存した。ところで、帝国憲法は占領下では「仮死」ないし「冬眠」の状態にあったが、占領解除の時点において「法理上当然に非常大権の発動は解除され、帝国憲法は完全に復原した」とする。教授によれば、今日でも憲法としてはあくまで帝国憲法が厳存しており、日本国憲法は帝国憲法に矛盾しない限りにおいてのみ「基本法」として有効であるという。

 

◆無効論に対する疑問

 無効論が指摘する憲法改正の時期、方法の問題と国際法違反の指摘は説得力に富む。たしかに、統治意思の自由のないところに憲法の改正も制定もあり得ない。成立過程を客観的に見る限り、占領軍による「不当な威迫、脅迫、強要」があったことは事実である。

 有効論に立つ論者が、昭和二一年四月、男女平等の普通選挙制度によって行われた衆議院議員総選挙を強調し、第九○帝国議会において国民の自由意思によって憲法の改正が審議されたなどと主張するのは、全く事実を無視する議論である。なぜなら、今日では、すでに評論家江藤淳氏の一連の労作(10)によって、当時GHQによって行われた徹底的な検閲の実体が明らかになっているからである。

 憲法の正統性を論ずる際、成立過程の事実を無視ないし軽視して、成立した憲法の質や内容を問題とする「結果本位、実益本位」の考え方は、結果さえよければ植民地支配さえ正当化するという不当なものである(11)。この意味から、無効論は法理論として筋道の正しさを失っていない。

 ただ、次のような批判は成り立つであろう。@強要あるいは強制があったとしても、日本国民が最終的に自発的意思によってこれを受け容れたとすればどうか。その場合には、現行民法九六条の「詐欺又ハ強迫ニ因ル意思表示ハ之ヲ取消スコトヲ得」という法理、すなわち取り消さない限り強迫による意思表示も有効として扱われることにならないか。A上記の「非常大権説」がその根拠とする帝国憲法三一条は、戦時または国家事変の場合に軍隊の活動のために必要な限度内で法律によらずに人民の権利・自由を侵害できることを定めた規定であり、憲法の全面停止を意図した規定とは解釈できないのではないか、などがこれである。

 これらの点はしばらくおくとしても、戦後五十余年間、今日に至るまで、日本国憲法という法典が存在し、それが現実に法的拘束力をもって機能しており、大多数の国民がこれを承認しているという厳然たる事実が存在する。現実に拘束力をもっている法規範がなにゆえに効力がないのか。無効論に投げかけられる疑問は、むしろこの点にあるといえる。この無効論の弱点は、そのまま「復元改正」論や「無効破棄」論の弱点となろう。

 

■占領管理法説

 竹花光範教授の立場がこれである(12)

 まず、竹花教授は、ポツダム宣言および降伏文書に基づいて行われた占領軍の日本統治は、間接統治の方式によったが、占領期間中、日本の主権が連合国最高司令官の手にあったことは明らかだとする。すなわち、占領下においては「占領軍の意思」が実質的には最高規範であり、最高司令官の指示が憲法に優越したから、それが憲法の規定と矛盾するときは憲法の効力が停止する状態となった。そうだとすれば、ポツダム宣言の受諾により、帝国憲法はその法的性格を変えたと解さねばならない。つまり、帝国憲法は、占領軍の占領施策に不都合でない限りにおいて有効であるにすぎないものとなった。いわば、帝国憲法は一種の「占領管理法規」に変質したとする。

 さらに、教授は、憲法が国家の最高法規といえるのは、国家の法秩序の中で最高の強制力を有するからであって、強制力の最高性が失われた法規が「憲法」であるはずがないという。日本国憲法の成立過程も「占領管理法」となつた帝国憲法を全面的に改めるという方式で行われたということになる。

 では、このような過程で成立した日本国憲法の性格はどのように考えるべきか。教授は次のように述べる。憲法は、主権すなわち憲法制定権力を行使して作られ改められるべきものである。憲法改正権は、憲法に定められた条件の下にその行使が義務づけられている憲法制定権と考えてよい。したがって、主権なくして(占領下に)憲法の制定も改正もあり得ないということになる。とすれば、「日本国憲法」なるものは、名称は「憲法」であっても、実体はポツダム宣言受諾後の帝国憲法と同様、占領軍がわが国を占領統治するための基本法、すなわち「占領管理法」だといわざるを得ない。

 

■おわりに

 これまで見たように、八月革命説と改正説には事実に反するという欠陥があり、無効論にも理論上の難点がある。このことは、主権を否定された占領下に、占領軍の威圧、強制によって成立させられた現行憲法の法的性格を合理的に説明することが、いかに至難の業であるかを、間接的に証明するものである。

 これらに対して、現行憲法を占領管理法として位置づける見解が比較的妥当な考え方といえよう。

 ところで、ポツダム緊急勅令等の一般の占領管理法は、占領の終了時に失効したものとして廃止の手続がとられたが、日本国憲法のみは廃止の手続がとられずに、その後は最高法規としての効力をもち続けた。この点をどのように考えるかは問題であろう。

 竹花教授が指摘されるように、天皇を含む日本国民が日本国憲法に対して「憲法」としての黙示の承認を与えたと見れば、昭和二七年四月の独立回復時に、日本国憲法は法的性格を変えて主権国家日本国の正式の「憲法」となったといえよう。この立場からすれば、日本国憲法の改正は九六条の規定に基づいて「補修的改正」を行うことが筋ということになろう。しかし、国民による明示の承認がないことを重視して、あくまで占領管理法としての日本国憲法が今日まで継続施行されていると解すれば、国会においてこれの廃止措置を講じた後、新たに「自主憲法制定」に進むことが筋であろう。

 

(1)宮澤俊義『憲法の原理』岩波書店、昭和四二年、三七五頁以下。

(2)清宮四郎『全訂憲法要論』法文社、昭和三六年、六五六七頁。

(3)佐々木惣一『憲法改正断想』甲文社、昭和二二年、九二頁以下。

(4)原文のsubject toは「従属・隷属スル」という意味であるが、当時徹底抗戦を主張していた陸軍に配慮した外務省が「制限ノ下」と意図的に誤訳したといわれる。

(5)佐々木『憲法学論文選()』有斐閣、昭和三一年。

(6)長尾龍一『思想としての日本憲法史』信山社、平成九年、一六六頁以下参照。

(7)井上孚麿『憲法研究』神社新報社、昭和三四年、同『現憲法無効論』日本教文社、昭和五○年。

(8)相原良一「現行憲法の効力について」公法研究一六号、昭和三三年。

(9)小森義峯「非常大権説の法理」(同『天皇と憲法(改訂新版)』皇學館大學出版部、平成三年)、同『正統憲法復元改正への道標』国書刊行会、平成一二年。

(10)江藤淳『一九四六年憲法その拘束』文藝春秋社、昭和五五年、同『閉ざされた言語空間占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋社、平成元年。

(11)中川剛『憲法を読む』講談社現代新書、昭和六○年、四○頁。

(12)竹花光範『憲法学要論(補訂版)』成文堂、平成一○年、一一○頁以下、同『憲法改正論への招待』成文堂、平成九年、七一頁以下。なお、 三潴信吾『日本憲法要論』洋販出版、昭和六一年、七三頁以下は、現行憲法を「不確定期限附臨時基本法」と位置づけている。

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 次に私見を述べる。上記の論文における高乗氏の整理は、客観的でほぼ網羅的、また要点を押さえており、大変優れたものである。だが、なお十分整理し切れていない点があると私は思う。補修的改正論には、現行憲法に肯定的な考えによるものと、否定的だがやむを得ずという考えによるものがある。後者は自主憲法制定論に近い。私はこれである。また、無効破棄論は、破棄で終わりではないわけで、復元改正で行くか、自主憲法制定で行くかに分かれるだろう。

 私の現行憲法に関する基本的な考え方は、「日本国憲法は亡国憲法である。改正せねば国が滅ぶ」というものである。拙稿「日本国憲法は亡国憲法――改正せねば国が滅ぶ」にその考えを書いている。

 現行憲法は敗戦後、占領下に押し付けられた憲法であり、制定はGHQに権限はなく、国際法にも違反している。だが、憲法としての有効性は認めざるを得ない。一般論で言うと、日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日に施行された。被占領期とはいえ、施行をもって効力を発生した。大日本帝国憲法の改正手続きを取って、昭和天皇が公布しており、有効性を持っている。

 理論的に言うと、占領期間中、日本は主権を失い、占領軍の意思が実質的に最高規範だった。ポツダム宣言の受諾により、帝国憲法は占領軍の占領施策に不都合でない限りにおいて有効であるにすぎないものとなった。竹花教授のいう「占領管理法規」へと法的性格を変えた。日本国憲法は、占領下という異常な状態で、帝国憲法を全面的に改正する方式で行われた。だが、主権を失っていたわが国は、憲法制定権を十分に発揮できない状態だった。それゆえ、占領下における日本国憲法は、憲法としての一定の有効性を持ってはいたが、帝国憲法と同じく占領軍が日本を占領統治するための占領基本法という性格を本質的な性格の一つとして持っていた。わが国は昭和27年4月28日に、講和条約の発効により、独立を回復した。この時点で、日本国憲法は憲法としての有効性を形式的には満たしたと考えられる。

 独立回復後、最初の国会で日本国憲法を憲法として承認するか、または無効破棄するか、明確に意思決定すべきだった。私は本来、現行憲法は独立を回復した時点で、すみやかに改正すべきだったと考える。改正は、独立回復後遅くとも3年以内に行うべきだった。だが、残念ながら日本国民は今日まで一字一句改正せずに来ている。日本国民は日本国憲法を憲法として明示的な承認をすることなく、独立回復後の数年を過ごし、そのまま憲法を放置し、いまや65年になろうとしている。この間、わが国は現行憲法に基づく国家統治機構が機能し、国会が立法を行い、内閣が行政、裁判所が司法を行って来ている。また国民は、現行憲法に則る法律・政令・条例等のもとに国民生活を行ってきた。この事実は、日本国民が現行憲法に対し、憲法としての「黙示の承認」をしたと解せざるを得ない。それゆえ、私は憲法の改正は第96条の改正規定に基づいて、改正を行う必要があると考える。

 この点で私が重視するのは、憲法公布に際し、昭和天皇は昭和21年(1946)11月3日に勅語を発せられ、「この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したもの」と述べておられ、また日本国憲法の上諭にて、「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と発せられていることである。現行憲法を無効としたり破棄したりする場合、昭和天皇の権威や歴代天皇の一貫性という点で問題を生じる。また新憲法の公布に当たり、今上天皇の上諭を賜るとすれば、今上天皇に昭和天皇の勅語・上諭を否定せしめることになる恐れがある。このことが、私が現行憲法の有効性を認め、現行憲法の改正条項に則って改正すべきと判断する最重要のポイントである。この点で、私は無効破棄論には賛成できない。

 無効破棄論には、新たな理論として南出喜久治氏の唱える講和条約説がある。渡部昇一氏が賛同し、一部の政治家に支持者がいるようである。南出氏の著書『占領憲法の正體』(国書刊行会)は、詳細な主張を展開しているが、本説のポイントは、日本国憲法は講和条約であるという一点にある。その論が成立しなければ、全体が成立しない。私の見解としては、日本国憲法は政府間の条約として締結された文書ではなく、制定過程でも条約として交渉が行われていない。憲法という形式の条約は、世界史上、前後に例がない。日本国天皇の御名御璽と各国務大臣の副署以外に、他国政府の代表者の署名・捺印がない。そもそもGHQが英文で憲法を起草したこと自体、極秘のうちに進められたものであって、米国政府が公式に外交の課題とすることはあり得ない。そのような文書を講和条約と主張するのは、非常に無理があると思う。日本国憲法を日米間の講和条約とみなすことができるか、日米の国際法学者、国際政治学者、外交の実務専門家の見解を聴いてみたいものである。

 憲法学者や有識者の間には、さまざまな学説があり、理論上の議論はあるが、国民の大多数は、日本国憲法が有効であり、改正は改正条項に基づいて行わねばならないと考えている。立法権者である国会議員も同様である。

 現行憲法は改正の要件が非常に厳しい。占領状態を永続させるために、改正をさせないようにしているかのごとくである。この改正要件を緩和するため、まず改正条項を改正するという方法が提案されており、私は12年ほど前から賛意を表している。現在の規定では、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を必要としているが、これを各議院の総議員の過半数の賛成で国会が発議し、国民投票で有効投票の過半数の賛成で承認と改めたい。この改正で、国民の間に自らの手で憲法を作ろうという気運を生み出したい。

 改憲が必要だと考える人は、新憲法制定に関する理論・方法は違っても、独立主権国家・日本にふさわしい憲法を日本人自身の手で作るという目的は、共通しているだろう。多数意見である補修的改正論については、さまざまな政党・団体・個人が新憲法案を出している。私もその一人である。大いに議論を起こして、憲法改正の気運を盛り上げたいものである。

 少数意見である復元改正・無効破棄・自主憲法制定を説く人は、ただ無効だ、破棄だ、廃止だと言うのではなく、どういう憲法を作りたいのか、国民に具体的に提示してほしい。単に大綱や骨子だけでなく、全体の条文案を提示し、またその中には大日本帝国憲法並びに日本国憲法との関係を明記すべきだろう。ページの頭へ

 

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