トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール

 

  憲法・国防

                       

題目へ戻る

 

ber117

 

■集団的自衛権は行使すべし

2008.3.21

 

<目次>

はじめに

第1章 集団的自衛権の政府解釈はおかしい

第2章 国連が各国の自衛権を認めている

第3章 集団的自衛権はどのように成立したか

第4章 わが国の憲法と集団的自衛権の関係

第5章 政府解釈は自制的に変化した

第6章 日中国交回復と専守防衛で一般的禁止へ

第7章 厳しい国際情勢に直面する日本

第8章 9・11以後の世界でのわが国の対応

第9章 試み半ばの具体的検討

結びに〜憲法を改正し、集団的自衛権を主体的に行使しよう

 

補説〜NHK出演の報告

 

ber117

 

はじめに

 

平成19年(2007)8月15日、NHKのテレビ番組、NHKスペシャル「日本の、これから」で、憲法第9条を主題とする討論が行なわれた。私は市民の一人として参加した。(当日の報告は補説へ)

この番組では、視聴者のアンケートが行われた。「集団的自衛権の意味を知っていますか?」という質問に対しての回答は、「知っている」が44%、「知らない」が49%。実にほぼ半数の人は、集団的自衛権の意味を知らないという結果だった。
 憲法第9条は、集団的自衛権を抜きに論じることはできない。集団的自衛権とは何かを知らずに、平和や国防を語っても、問題の中心部分に迫ることはできない。
 そこで、本稿では、集団的自衛権の定義、本質、成立の過程、政府解釈の変遷、現代日本の課題等を記し、わが国は、憲法を改正し、自らの意思で集団的自衛権を行使すべきことを主張する。

 

ber117

 

第1章 集団的自衛権の政府解釈はおかしい


●政府解釈と国際的理解の違い

 わが国で集団的自衛権を知る人の多くは、集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」と理解しているだろう。この理解は、昭和56年の内閣法制局による答弁書の定義に基づく。

 政府は、わが国は国際法上、集団的自衛権を保有しているが、憲法上これを行使することは許されないという立場を取っている。ところが、国際社会では、多くの国々が、集団的自衛権は当然行使できる権利だという認識をもって、安全保障政策を行っている。わが国のように、集団的自衛権を憲法上、行使できないという立場を取っている国は、稀である。

 国際社会における集団的自衛権についての一般的な理解は、「ある国が第3国から武力攻撃を受けた場合、ある国の同盟国など密接な関係のある国が、自国に直接攻撃を受けていなくとも、その攻撃が自国に対する攻撃と認められるときは、第3国に反撃を行なうことができる権利」と要約できるだろう。
 こうした国際的理解とわが国の政府解釈はどこが違うか。わが国の政府解釈では、「その攻撃が自国に対する攻撃と認められるときは」という部分が強調されていない。そのため、集団的自衛権は、第3国の攻撃がやがて自国に及んでくる可能性が高く、それゆえに自国に対する重大な脅威となる状況に関する権利である点が、見落とされやすい。しかも、政府解釈は、「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず」という表現を入れることによって、わが国が他国の戦争に巻き込まれ、他国の防衛に利用されることを強く意識した理解となっている。他国とはアメリカにほかならない。またそれと同時に、政府解釈は、集団的自衛権は、自国の安全保障に全く関係がない場合でも、武力行使のできる権利であるというイメージを国民に与える。自衛権のことでありながら、他国への侵略を意識させる表現となっているのである。他国とは、中国・韓国等の周辺諸国である。

 わが国の政府が集団的自衛権について特異な解釈をしているのは、日本国憲法や日米安保条約の規定に基づくものである。憲法第9条は、いわゆる戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めている。わが国の政府は、その条文を、自衛のためにも戦力はもってはいけないという解釈を取っている。自衛隊は戦力ではなく、実力だからとよいとしている。憲法第9条とひとセットになって機能しているのが、日米安保条約である。わが国は現行憲法のもと、アメリカと片務的な軍事同盟を結び、従属的な関係にある。このことが、集団的自衛権に関する政府解釈の基盤にある。

 

●自衛権とは何か

 集団的自衛権の検討は、現行憲法と日米安保条約を前提にすると、その枠組みに合わせるための議論となる。それでは、集団的自衛権を掘り下げて考えることはできない。集団的自衛権の問題は、そもそも国家にとって自衛とは何か、ということから始めなければならない。

 自衛は、生物に授けられている基本的な機能である。動物はみな自ら守る機能を備えている。例えば、イカはスミ、蜂は剣、牛は角で防衛する。防衛する武器を持たない動物は保護色を持っている。
 人間の場合も、この自然の理に基づき、個人でも他人から危害を加えられそうなとき、急迫、不正でほかに手段がない場合は、正当防衛権が認められている。国家についても、同じ行動を取ることが国際法上、認められている。自衛権は、国家における正当防衛権である。国家の自衛権は、国家の自衛権は、国民の自衛権である。個人における生存権と同じく、自然法上の基本権、不可譲権に由来する権利である。

 世界の諸国は、この固有の権利に基づいて、国防を行っている。自分の国を一致協力して守るということは、その国民の義務であり、そのように憲法に規定している国が多い。しかし、日本国憲法は国防について制約が課せられており、国民の国防の義務は規定されていない。戦後の学校教育では、自衛力や自衛戦争までも「悪」であるというイメージが植え付けられ、国民の多くから自分の国を自ら守るという気概が失われている。
 日本国憲法の原案を作成したのは、GHQである。もし、日本国憲法の規定が本当に良いと思うならば、まずアメリカ自身が自国の憲法に取り入れるべきだろう。しかし、アメリカはそうしていない。日本にだけ押し付けたままである。

 誰でも風邪を引かないように、予防をする。うがいや手洗いをしたり、衣類を調節したり、部屋の温度や湿度に気をつけたりもする。国防も、これと同じことである。インフルエンザが流行っている時に、予防を怠っていると、ウィルスに入り込まれ、高い熱やせきに襲われる。ひどい時は数日も寝込んだり、悪くすると命に係ることさえある。実際、人体に生来備わっている免疫機能が充分働くときは、侵入したウィルスを押し込め、健康を回復できる。しかし、白血病やネフローゼの人など、免疫機能が極度に低下している人は、風邪一つでも命を落としかねない。ここで健康を平和に、免疫機能を国防力に置き換えてみてほしい。誰にも国防の大切さがわかるだろう。

 病気に限らず、個人や家庭では、火事や事故など、いざという時のために備えをしておかねばならない。国家においても、非常時への備えを怠ると、将来にわたって取り返しのつかない大悲劇を招く。防災や国防は、まさかのために必要なのである。

軍備というものは、海岸でいえば津波や洪水を防ぐ防波堤、河川でいえば堤防のようなものである。非常事態に備えて、不断に整えておかなければならないのである。
 例えば、大東亜戦争の末期、日本が戦闘能力をほとんど失ったとき、ソ連は、一方的に日ソ中立条約を破棄して、満州や樺太等を侵攻した。昭和20年8月9日のことである。その結果、多数の日本人が殺戮され、また暴行を受けた婦女が多くあった。さらに、スターリンは国際法を無視し、日本人を俘虜として抑留し、極寒のシベリア等の地で強制労働を課した。わが国の厚生省援護局(当時)の資料によると、抑留者は約57万5,000人、うち死亡者は、約5万5,000人とされている。日本の防衛がしっかりしていた時には、このような侵攻が防がれていたわけであり、軍備は海岸の防波堤、河川の堤防のような役割を果たしていたのである。

 自衛権は、国民の生命と財産、国家の独立と主権を守るために、欠かすことのできない権利である。自衛権を他によって制約されたり、または自ら制約したりするならば、万が一、他国に侵攻された場合、自ら国家・国民を守ることができず、その国家は他国に支配されるか、下手をすると、国家として消滅してしまう。 
 人類は世界平和という理想をめざして、粘り強く努力を続けなければならない。しかし、現代の世界はまだまだ弱肉強食の傾向を示している。こうした中で、諸国民の公正と信義に信頼して日本は無防備でよいと、現実離れした理想を主張する憲法にとらわれていると、恐ろしいことになる。そのことをよく認識すべきである。

 国連憲章第51条は、国家の「固有の権利」として、個別的自衛権及び集団的自衛権を保障している。すなわち、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と規定している。
 個別的自衛権と並べて集団的自衛権をも国家の「固有の権利」として認めた点に、国連憲章の画期的な意義がある。自衛権は国家における正当防衛権である。個別的自衛権は、自国のためにする正当防衛権であり、集団的自衛権は、自国他国相互のためにする正当防衛の権利である。
 国連加盟国が大半を占める今日の国際社会では、個別的と集団的を含む自衛権が、国家の固有の権利、自然権として認められているのである。
 国連に加盟して個別的自衛権と集団的自衛権を行使する国は、190カ国以上にのぼっている。しかし、わが国の憲法にならって第9条を取り入れ、集団的自衛権を自ら封じる国はない。大多数の者が持つ認識を常識と呼ぶならば、わが国のあり方は、国際社会の非常識なのである。

●自衛権は、個人の人権につながっている

 

国家の自衛権は、個人の自己防衛権に当たると先に書いた。この点をさらに深く掘り下げてみよう。自己防衛権は、人権という観念の核心にある。そして、個人の人権と国家の自衛権には深い関係がある。

埼玉大学教授の長谷川三千子氏は、人権に関して次のような問いを発している。

「誰か或る人が、自分が生き延びるためには或る別の誰かを殺すことが必要だと判断し、それを実行したら、それは基本的人権の行使といふことになるのだらうか? そんなことを認めたら、いたるところで殺し合ひがおきて、生命尊重、幸福追求どころのさわぎではなくなつてしまふのではないか?」(産経新聞平成20年3月3日号「正論」)
 この問いは、個人の人権と国家の自衛権の不可分の関係につながっていく。
 現行憲法は基本的人権の尊重を謳っているが、そこにいう基本的人権の主要な内容は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(第13条)である。生命、自由、幸福追求と並んでいるが、自由も幸福も命あってのものだから、権利の基本は、生命を維持・発展する権利である。これを哲学や社会学では自己保存権といい、政治学では生存保存権という。本稿では簡単に生存権と呼ぶことにする。

 人が自分の生存を守ろうとするとき、他の人も自分の生存を守ろうとしているわけだから、対立や摩擦が生じ、権利の侵犯が起こる。個人の権利を追及する争いは、激化すれば殺害にまでいたる。どちらかが生き残り、どちらかが死ぬまで、権利というものは、ぶつかり合う。<個人と個人の生存権のぶつかり合い>である。社会を維持するには、そのぶつかり合いを調整したり、融和させたりする必要がある。それに失敗すると、その社会は崩壊する。崩壊の結果は、個人が自分の権利を守ることのできないような無秩序な状態に至る。

 では、<個人と個人の生存権のぶつかり合い>を、誰が調整したり、融和させたりするのか。兄弟げんかなら、親が怒れば、仲直りがされる。○○家と△△家のいざこざなら、土地の有力者が間に入れば、手打ちがされる。地域のボスと、隣接地域のボスとの争いなら、そのボスたち以上の実力者が仲裁すれば、妥協がされる。では、その実力者と互角の実力者の戦いなら? <個人と個人の生存権のぶつかり合い>は、こうして社会全体の大問題となる。そして、ここに政府というものの必要性が浮かび上がってくる。権利の拡大は、権利の制限を要求する。ここに人権というものの逆説がある。

 先ほど引いた長谷川氏の問いは、人権に関する歴史的な出発点を表わす問いでもある。長谷川氏は書く。

かうした厄介な<人権の逆説>にいち早く気付き、警鐘をならしたのが、17世紀英国のトマス・ホッブスである。実は、彼はまさにかうした『個人の権利』としての人権といふ考へを最初にうち出した張本人なのであるが、同時に彼は、そのことの危険を誰よりもよく見抜いてゐた。それまで有効にはたらいてゐた、英国の『古来の法』やキリスト教神学にもとづく『自然法』といつた共通の価値基盤が崩れてしまつたとき、もし<人間が人間であるかぎりにおいてもつ権利>を各個人にばらまいてしまつたら、いかに悲惨な無秩序状態が現出するか−彼の人権論はそれを見据ゑたところに始まつてゐるのである。」
 ホッブスは、こうした自らの人権論を名著『リヴァイアサン』で展開した。彼の結論は、個人の権利と個人の権利がぶつかり合うのを、上から抑えたり、折り合いをつけさせるには、絶対的な権力が必要だ、それがないと、社会は万人の万人に対する闘争が繰り広げられる自然状態に戻ってしまうということだった。ホッブスの理論が先駆けとなって、社会契約論や抵抗権・革命権の理論が登場した。その延長上に人権の観念が成長し、国連憲章や日本国憲法の人権条項が存在している。今日では、様々な新しい権利が、人権という用語のもとに付け加えられているが、そうしたもろもろの権利の核心には、生存権があるのである。

 

●個人の人権と国家の自衛権は生存権で結びつく

 人権の核心は生存権であり、個人の生存のためには正当防衛権が認められる。それを国家に適用したものが、自衛権である。
 国家は国民の共同体だから、個人の生存権を集合したところに、国民の生存権が尊重されねばならない。国民個々の生存権を集団として行使する権利が、国家の自衛権である。
 個人と個人が協力して互いの生存を維持しようとするときには、自他の正当防衛権を共同で行使することになる。正当防衛権は、自己だけでなく、他者のために行使することが認められている。国家と国家の場合も、国家と国家が協力して互いの国民の生存を維持しようとするときには、自他の正当防衛権を共同で行使することになる。それを集団的自衛権という。私はこのように考えるとよいと思う。
 今日、人権の主張には、国家権力から個人の権利を守るという発想が多く見られる。しかし、国民の権利を守るためには、国家権力が必要である。警察や裁判所がわかりやすいだろうが、行政・立法・司法の国家機関の全体が、そのために機能する役割を持つ。国家あっての人権であり、人権は国家権力を必要とする。
 また、人権を主張する者には、国際社会の単位としての国家を否定する考えの者が多い。しかし、国際社会において、国民が生存するためには、他国民から生存権を犯されないようにする必要がある。このとき、自国民の生存権を守るには、国家権力が必要である。軍隊はそのために存在する。わが国の場合は、そのために自衛隊が存在する。
 社会の中の個人について、国家あっての人権であり、人権は国家権力を必要とする。同時に国際社会における国民についても、国家あっての人権であり、人権は国家権力を必要とするのである。

●権力は合成された意思である

 権力というと、抑圧や暴力を思い浮かべ、反発・抵抗する人が多い。権力の本質を一面的にとらえているからだろう。権力は、勢力・影響力・説得力などと同様、社会的な力(power)の一種である。社会的な力としての権力は、集団の意思が合成された意思であり、また個々人に意思を強制する意思である。マックス・ウェーバーの定義によると、社会的な力(Macht)とは「ある社会関係の内部で、抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」を言う。こうした社会的な力としての権力は、狭義においては制度化された強制力を意味し、特に国家のもつ強制力すなわち政治権力、国家権力と同義に用いられる。政治的・国家的な権力は、多くの場合、警察力・軍事力等の物理的な強制力を伴う。
 この物理的な強制力が、もし何の基準もなく、恣意的に用いられたならば、国民の権利は不安定なものとなり、恐怖と不安に陥る。そこで、作られるのが、法である。法は、国民の集団的な意思を合成した意思である。法は、個々人にこの合成意思に従うよう強制する。これに反する者には、刑罰が与えられる。この際の強制力として、警察や司法機関が存在する。
 なぜ合成意思に従うよう個々の国民に強制するかというと、それは国民全体または国民多数の権利を守るためである。これが法治国家の仕組みであり、この仕組みそのものを悪として、破壊したならば、無法状態に陥る。人権がひどく蹂躙されるのは、その状態においてである。
 わが国の憲法では、国民全体または国民多数の権利を守るための理念が「公共の福祉」という概念で表わされている。個人の権利は公共の福祉に反しない限りにおいて尊重される。公共の福祉を実現するために、個人の権利は制限される場合がある。

 権力は、国民の合成意思として、国の内部で、国民社会において働くだけではない。国の外部には、他の国家に対して、国民の合成意思としても働く。他国がもしその国民の合成意思を物理的な強制力をもって押し付けてきたならば、国家は国民の生存権を守るために、物理的な強制力をもって対抗しなければならない。その時に必要なのが、軍事力である。これは国際社会において法治国家が備えるべき機能であり、軍事力そのものを悪として、放棄したならば、他国の侵攻を招き、その国は、他国民の意思を強制され、その意思に支配されることになる。人権が最も蹂躙されるのは、他国民の物理的強制力によって支配された時である。生存権は徹底的に侵犯され、虐殺や強姦がほしいままに行なわれる。
 再度言うが、社会の中の個人については、国家あっての人権であり、人権は国家権力を必要とする。国際社会における国民についても、国家あっての人権であり、人権は国家権力を必要とする。
 個人の人権を守りたいと願う人は、国家の存在の大切さに気づき、また国家の自衛権の重要性を理解すべきなのである。

 

●権利は行使することを前提とする

 個人の人権と国家の関係を述べた。ここで、改めて集団的自衛権について考えてみよう。

政府は、国際法上、集団的自衛権を有しているが、憲法上行使できないという解釈を取っている。持ってはいるが行使できないという権利を、権利と言えるだろうか。

そもそも法理上、権利を認めるということは、その主体がその権利を保有し、それを現実に行使する必要があることを前提とする。つまり、権利の是認はその行使の手段の保有と行使の是認を含んだ概念である。しかし、わが国の政府は、集団的自衛権は、持っているが行使は出来ないという。
 集団的自衛権の行使に関して、平成16年(2004)1月衆議院予算委員会で、安倍晋三氏(当時自民党幹事長)の質問に対し、秋山收内閣法制局長官は次のように答えた。
 「国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合と異なり、国際法と国内法の間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんので、法律論としては特段問題があることではございません」と。

 自らの意思で自制するというのは、一つの姿勢ではある。しかし、実質的に、行使が否定されているような権利は、名ばかりであって、権利とは言えない。あるいは権利そのものを事実上、禁止していることになる。自衛権とは、自己の生存を守るための正当防衛権であることを考えると、この姿勢の異常さがはっきりするだろう。個人について、あなた正当防衛権持ってはいるが、行使してはならないとすれば、その人は不当な攻撃を受けても、自分を守るために力を使ってはならないということになる。この制約は、犯罪の前科のある者への懲罰や制約のようなものである。

 どうしてわが国には、こういう姿勢が生まれたのか。わが国は大東亜戦争に敗れ、主権を失っていた占領期に、GHQから憲法を押し付けられたことによる。日本人は、その憲法を一字一句変えることなく、60年以上放置している。しかも、政府はその憲法をさらに自制的に解釈してきた。
 わが国は、現在も国際連合において、旧敵国という地位にある。この国連憲章における旧敵国条項と日本国憲法の前文及び第9条は、同じ性格を持っている。すなわち、第2次世界大戦における戦勝国が敗戦国に対して懲罰・制約を課したものという性格である。集団的自衛権保有するが行使できないというのは、戦勝国がわが国に対して、不利な条件を課したものなのである。

●政府の自衛権解釈は自制的かつ自滅的

 国家の自衛権は、国民の人権、その核心である生存権を守るために、不可欠の権利である。同時に、国民の生命と財産、国家の独立と主権を守るために、欠かすことのできない権利である。ところが、わが国の政府は、自力で国家・国民を守るという根本的な姿勢を欠いている。政府は、自衛権につき、現状では、個別的自衛権に限定している。そして、自衛権の行使について、次ぎの三つを要件としている。

 @わが国に対する急迫不正の侵害があること
 Aこれを排除するために適当な手段がないこと
 B必要最小限の実力行使にとどまるべきこと。

 これら三つの要件は、個別的自衛権の行使に関するものである。政府は、これをもって自衛権一般の要件としている。そして、集団的自衛権はこれらの要件を満たしていないので、行使できないとする。集団的自衛権は、わが国の憲法が認める自衛権を超えているから、憲法上認められないというのである。
 平成16年(2004)1月、衆議院予算委員会で、安倍晋三氏の質問に対し、秋山收内閣法制局長官は次のように答えている。
 「(略)集団的自衛権と申しますのは、(略)我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、(略)自衛権行使の第1要件、すなわち我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第1要件を満たしていないという趣旨で申し上げているもの」だと。

 答弁中に言う第1要件とは、先に引いた「わが国に対する急迫不正の侵害があること」を指す。「急迫」とは、事の差し迫ること、せっぱつまることをいう。事態が切迫するとは、まだ事態は起こっていないが、いままさに起こらんとするほどに差し迫っている状態である。時制で言えば、近い未来のことである。ところが、秋山長官は第1要件について、「武力攻撃が発生したこと」と言っている。これは、事態が既に起こったことをいう。時制で言えば、過去または現在完了である。
 まだ起こってはいないがまさに起こらんとするほど急迫していることを、自衛権の要件とするのであれば、他国への攻撃が行なわれ、そのまま放って置けば自国も攻撃される事態が差し迫っている状態にも当てはまる。これは、集団的自衛権の行使の要件となるべきものではないか。これに対し、秋山長官が既に起こったわけではないから自衛権の行使の要件を満たしていないと言うのは、「急迫不正の侵害」という政府の要件を捻じ曲げるものである。時制で言えば、近い未来の出来事を、過去または過去完了の出来事にすりかえている。私はそのように理解する。
 事務官僚のトップとも言われる内閣法制局長官がしている答弁は、いかにして国を守り、国民を守るかという根本的な問題意識を欠いている。一言で言えば、憲法を守って、国を守らず。国を守ることより、憲法を守ることに、意識が行っている。

●「必要最小限の実力行使」とは原状の保持・回復を目的とすべき

 政府による自衛権の行使の三要件のうち、第3の要件は、「必要最小限の実力行使にとどまるべきこと」である。ここでも「必要最小限」という言葉が用いられている。自衛における必要最小限とは、何か。何をもって、必要最小限と言うのか。
 わが国の政府は、「必要最小限」というときに、自衛のために保有できる防衛力・軍事力には質的量的な制限があり、行使手段や方法についても制約があることを前提としている。政府は、憲法第9条1項は侵攻戦争のみを放棄したもので、第2項は侵攻戦争のための戦力は保持しない、交戦権は否認したものとする。そのうえで、戦力とは、「自衛のための最小限度を超えるもの」と定義する。そして、戦力は保持できないが、自衛のための最小限度を超えない実力は保持できると解釈する。私は別の拙稿「憲法第9条は改正すべし」で、この解釈のおかしさを指摘している。第4章のはじめで詳しく触れるので、ここでは立ち入らないでおく。
 「自衛のための最小限度」とは、何か。どの程度を最小限度というのか、その基準が明らかでない。政府は、その明らかでない限度を超えると戦力であり、限度内で持つ実力は保持できるとする。また、自衛隊は現行憲法に定める戦力ではなく、戦力にはならない範囲での実力だという。なぜなら、「自衛のための最小限度」の内だからだという。この論理に立つと、保有する実力が自衛のために最小限度以下であれば、自衛には不十分だということになる。つまり、いざとなったら国を守りきれない程度しか実力を持っていないことになる。では、ちょうど「自衛のために最小限度」で、それ以上でも以下でもないという実力を持つことは可能だろうか。誰が、その限度を測るのか。
 そもそも政府の憲法解釈はこういう矛盾と非現実性がある。そのうえ、保有する実力の行使についても「必要最小限」の実力行使というのだから、私にはほとんど詭弁術の類と私には思える。
 こうした憲法論議、自衛権論議には、重大な欠陥があると思う。実際にわが国が他国から侵攻を受けた時に、戦いの展開がどうなるかが念頭にないことである。自ら生命と財産、主権と独立をかけて国を守るという姿勢がない。事務官僚の机上の法理論でしかないのである。

 多くの国際法学者は、自衛は原状の保持ないし回復に制限され、自衛権行使の際に採用される諸手段は、それによって自衛権が生じた侵犯に、必要にしてかつ比例したものでなければならないという解釈を取っている。目的についての比例性を考えるものである。私は、この説を支持する。
 自衛を原状の保持ないし回復にとどめるのは自衛だから当然であるが、侵攻は他国が仕掛けるものであって、あらかじめ何月何日、これだけの攻撃をしますよと予告して行なうものではない。多くの戦争は、相手の油断や隙を突いた奇襲ではじまる。また、相手に勝つために、相手の裏をかき、相手の想定外の戦術で攻めるのが常道である。だから、当方が一方的に自衛の範囲や自衛の仕方を決め込んでいると、万が一の時には役に立たず、原状の保持ないし回復という目的を達成できないのである。
 私は、自衛のために必要なのは「必要最小限」の実力とその行使ではなく、「必要十分」な実力と行使でなければならないと考える。「必要十分」な実力を持っていればこそ、相手国の攻撃を抑止できるのである。戦争を防ぐことが、国防の真の目的であり、最大の役割である。これを安全保障という。

 国家の安全保障のための権利として、個別的自衛権とともに集団的自衛権がある。集団的自衛権は、「ある国が第3国から武力攻撃を受けた場合、ある国の同盟国など密接な関係のある国が、自国に直接攻撃を受けていなくとも、その攻撃が自国に対する攻撃と認められるときは、第3国に反撃を行なうことができる権利」と解すべきものである。自国に直接攻撃を受けていなくとも、その攻撃が自国に対する攻撃と認められるときに行使する権利である。現時点では、わが国が直接的な武力攻撃は受けていないが、やがてわが国への攻撃に拡大すると認識される事態を想定した権利である。そういう権利が、国家の正当防衛権として、国際社会で認められ、国連憲章に盛り込まれているのである。
 ところが、わが国は、自衛権そのものをきわめて狭く規定し、極力、実力を行使しないように自己規制している。他国にすれば、こういう国は最も攻めやすい国である。国際情勢の現実を軽視して自制を第一とする政策は、周辺諸国との力の均衡を失い、他国の侵攻を誘発しやすい。1970年代からわが国が取ってきた専守防衛の戦略思想は、自衛権の行使をさらに守り一辺倒に限定したものとなっている。自衛とは自ら国を守ることだから、他国の侵攻を誘発するような政策は、自衛の目的に反している。それは、自衛ではなく、自滅の政策である。

●自衛権を考えるときは領土問題を忘れるな

 自衛権に関する議論は、言葉いじりの憲法解釈と法理論的議論になりやすい。私は、自衛権を論じるときは、領土問題という歴史的な現実を念頭において考えるべきと思う。そうしないと、単なる理論的想定に陥る。
 わが国は、敗戦後、ソ連に領土の一部を占領され続けている。わが国は、大東亜戦争末期、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連の侵攻を受けた。北方領土は、それ以来、不法占領され続けている。わが国は、自衛権の要件を理論として論じる以前に、すでに固有の領土に対する不正な侵害を受けているのである。北方領土問題は基本的に外交によって解決すべき問題であるが、侵犯されている領土を回復することは、国家にとって、自衛権の行使を含む課題である。北方領土問題は、自衛権の問題という点を考慮に入れて考えないといけない。
 わが国は、北方領土を不法占領されたまま解決できないでいる。その間に、韓国によって竹島を実効支配されるにいたってしまった。政府の自衛権の三要件に照らすならば、竹島は既に不正な侵害を受けている。ところがわが国は、ここでも自衛権の発動を辞さずという姿勢を取ることなく、まともな外交交渉を行っていない。

 私は、北方領土や竹島実力持って奪還すべしと唱えたいのではない。平和的な交渉で解決を目指すのが基本である。しかし、外交というものは、いざというときは、実力行使を行うという決意と、またその力の裏づけがあってこそ、効果的なものとなる。わが国の政府の姿勢は、最初からそういう基本原則に外れているのである。
 集団的自衛権の行使を論じるには、自衛権そのものから考えなければならないと私が言うひとつの理由は、わが国はすでに領土を侵犯されているという現実があるからである。集団的自衛権を考える時には、領土問題を常に意識において検討すべきである。決して単なる理論的な論議に陥ってはならない。ージの頭へ

 

ber117

 

第2章 国連が各国の集団的自衛権を認めている

 

●国際連合と国連憲章

 集団的自衛権とは、国連憲章に盛り込まれている権利である。集団的自衛権を理解するには、そもそも国際連合とは何か。憲章はどういう内容をさだめているのか、確認する必要がある。
 今日の世界で190カ国以上が加盟する国際連合は、どういう目的のもとに設立されたのか。国連憲章は、第1条に国連の目的を定めている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第1条
 国際連合の目的は、次のとおりである。
1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3.経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4.これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 本稿は、集団的自衛権を主題にするものなので、これに直接関係する点に絞るが、ここで関係するのは、上記の1号である。すなわち、集団的自衛権に関係する範囲において、国連の目的は、「国際の平和及び安全を維持すること」であり、またそのために「平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること」、並びに「平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」である。

 ここに「平和」という概念が登場する。平和とは何か。戦争のない状態を一般に平和と言う。ただし、国連憲章にいう平和とは、具体的には、第2次世界大戦の終結によって生まれた国際情勢のことである。
 第2次大戦において、米英ソ等の国々は、軍事同盟を結び、連合国(the United Nations)と称した。連合国が日独伊の枢軸国に勝利したことによって、大戦は終結した。国際連合とは、もともと連合国のことであり、連合国が発展して国際機関となったものである。英語では、連合国も国際連合も同じく、the United Nations と言う。そして、連合国=国連の言う平和とは、戦勝国にとっての戦後秩序のことなのである。より具体的に言えば、米英ソ仏中の五大国が寡占体制を敷いている状態が、国連憲章に言う「平和」なのである。

 国際連合憲章は、第2条に、加盟国の行動原則を定めている。全部で7項目あるが、本稿に特に関係する項目のみを抜粋する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第2条
 この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
(略)
3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。 (略)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 国連憲章は、この第2条4号において、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、‥‥慎まねばならない」と規定し、武力行使を慎むことを謳っている。
 ただし、国連は武力を全く否定し、非武装による平和を追求しているのではない。国連憲章は、三つの場合には、武力行使を認めている。それが集団的自衛権に関係してくる。

●国連憲章は武力行使を認めている

 国連憲章は、三つの場合に、武力行使を認めている。
 第1は、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」の発生に対し、安全保障理事会(安保理)の決定に基づいてとられる「軍事的措置」の場合である。第42条に定めるこの措置は、国連の名において実施される点で、「公権力の行使」にたとえられるもので、集団安全保障と呼ばれる。
 第2は、第51条に規定されている。加盟国に対する「武力攻撃が発生」し、安保理が必要な措置をとるまでの間に認められる個別的自衛権の行使である。個別的自衛権は、自らの国が攻撃された場合に自衛する権利である。
 第3は、同じく第51条に、続いて定める集団的自衛権の行使である。集団的自衛権は、本稿の主題とするところであり、わが国の政府は、国際法上保有するが、憲法上行使できないという特異な解釈を取っている。
 以上の三つの場合の武力行使について、もう少し詳しく見てみよう。

 国連憲章が武力行使を認める第1の場合は、第42条に定められている。同条の内容は、以下のとおりである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第42条
 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここに第41条に定める措置とは、非軍事的措置のことである。すなわち、武力の使用を伴わない措置であり、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含む。
 これに対し、第42条は、非軍事的措置では不十分なときは、安保理は軍事的措置をとることができると定めているわけである。
 そして、国連憲章は、安保理の決定によって、国際の平和及び安全の維持又は回復を行う仕組みを定めている。それが、集団安全保障である。本稿の主題である集団的自衛権は、しばしば集団安全保障と混同されている。集団的自衛権を理解するには、集団安全保障との違いを押さえておく必要がある。

 国連憲章に定める集団安全保障とは、個々の国家の武力行使が禁じられ、国連のみが違反国に対する武力行使をも含む軍事的強制行動の主体となる仕組みである。国連のみが軍事的強制行動を行うとしているわけである。
 この点については、国連憲章第43条に具体的な措置が定められている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第43条
1.国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請にき且つ1又は2以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
2.前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。
3.前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国との間又は安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここに規定されているのが、国連の発足時に目標とされていた集団安全保障の要諦である。しかし、実際には、国連による集団安全保障はこれまで発動されたことがない。理想として掲げられているにすぎない。人類は未だ国連憲章が目標としている集団安全保障体制を実現しえていない。

●憲章が認める個別的・集団的自衛権

 国連憲章が武力行使を認める第2の場合と第3の場合は、ともに第51条に規定されている。第51条は、個別的自衛権と集団的自衛権を認める条項である。内容は以下のように規定されている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
第51条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章にく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 このように国連憲章は、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間」は、加盟国が有する「個別的又は集団的自衛の固有の権利」に基づいて必要な措置をとることができるとしている。
 それゆえ、国連憲章の規定の上では、個別的または集団的自衛権は、集団安全保障体制を補完するものとして認められているものである。しかし、実際集団安全保障体制、未だ実現できていない。だから、世界の現状では、各国は、他国から武力攻撃を受けた場合、安保理の措置に頼ることはできず、個別的または集団的自衛権を行使して自衛しなければならないのである。
 

 実際、安保理の常任理事国は、頻繁に拒否権を発動してきた。安保理が全会一致とならない場合、国連は武力行使を行わない。武力攻撃を受けた国家は、自衛権で防衛するしかない。国連が設立されて後、ほとんどの場合は、このようである。平成3年(1991)の湾岸戦争のときは、安保理は全会一致で制裁を決議したが、国連軍は組織されず、多国籍軍が安保理決議をもとに、イラクを攻撃した。平成15年(2003)のイラク戦争のときは、安保理でフランスが反対したので、アメリカは単独で開戦した。その後、NATOが初めて集団的自衛権の行使として参戦した。これが実態であるので、集団的自衛権は、集団安全保障を補完するのではなく、集団安全保障体制の不在を埋めているというのが、国際社会の実態である。
 軍事技術が高度に発達した現代の国際社会では、自国のみで国防を完備することはほとんど不可能である。集団安全保障が実現していない以上、他国と共同で防衛する集団的自衛権の行使は、国家の存亡にかかわるほど重要なのである。だから、地球上のほとんどの国が、地域的な安全保障機構に加盟している。
 わが国においては、これに相当するのが、日米安全保障条約である。日米安保は2国間条約であるが、当然その根底にあるのは、国連憲章が認めているところの集団的自衛権による共同防衛という考え方である。

 

なお、国連加盟国で現在、集団的自衛権を行使しないとしているのは、わが国以外にはスイスのみである。スイスは平成14年(2002)に国連に加盟した。それまでは永世中立国であるので国連という軍事同盟には加盟しないという方針だったが、国際環境の変化に応じてようやく加盟することとした。ただし、集団的自衛権は、行使すると永世中立国の立場が崩れてしまうために行使しないとしている。わが国とは事情が異なる。また永世中立国といっても、徹底した民間防衛体制を実施している国であることにも留意する必要がある、

ージの頭へ

 

ber117

 

第3章 集団的自衛権はどのように成立したか

 

●近代国家と自衛権の歴史

 今日の国際社会は、近代主権国家を主体とした社会である。世界の190カ国以上が加盟する国際連合は、近代主権国家の集合体である。近代主権国家は、17世紀前半、ヨーロッパで戦争の中に産声を上げた。ドイツを舞台にキリスト教徒がカトリックとプロテスタントに分かれて争った30年戦争は、多数の国々が参戦して長期化した。この戦争を終結するために、1648年、ウェストファリア条約が締結された。この条約は、主権国家の存在を認め、その国家間のあり方を定めたもので、国際法の元祖といわれる。
 ウェストファリア条約によって、ヨーロッパには、対等な主権を有する諸国家が、相互の領土を尊重し、内政干渉を控えながら、それぞれの国益を追求するという新しい秩序が形成された。以後、国際関係は、主権国家の力関係の上に展開された。

 17世紀中半から20世紀初頭までのヨーロッパでは、戦争は国家の政策として重要な手段とされ、覇権の争奪や植民地の獲得等のために戦争が積極的に行われた。フランス革命後に華々しく登場したナポレオン・ボナパルトは、市民革命の成果を守るために国民軍を組織し、周辺諸国に侵攻した。それによって、近代国民国家は増加拡大した。欧米の近代国民国家は、非西洋社会に対して、強大な威力を振るった。その結果、20世紀初頭には、世界のほとんどの地域が、欧米の植民地となり、西洋文明による他文明への支配は絶頂に達した。

 こうした近代国家思想が限界に突き当たったのが、第1次世界大戦である。科学技術の発達によって、兵器の破壊力が増し、戦争の規模が大きくなり、犠牲者の数が飛躍的に増加した。そこで、大戦後、アメリカのウィルソン大統領の提唱で、1919年のパリ講和条約に基づき、1920年に国際連盟が設立された。
 国際連盟は、国際紛争の平和的解決、軍縮、集団安全保障、国際協力活動の推進などを目的とする国際機構だった。国際連盟は、軍を持たず、経済的措置のみを手段としたこと、またアメリカが加盟せず、ソ連等も参加しなかったことなどにより、無力さを露呈し、平和維持機構としての効力は発揮できずに終わった。

 国際連盟は、国際紛争の平和的解決、軍縮等を目的としていたが、各国の自衛権を認めていた。各国の自衛権は、個人における自己保存、生命維持のための権利に相当する。国家の生存・繁栄のために必要な権利であり、国家の自然権、固有の権利として認められていた。また、各国は自己を守るために、他国と同盟を結び、共同で防衛する権利も持っている。こうした権利は、今日的に言えば、個別的自衛権及び集団的自衛権ということができるが、まだ概念として構成されてはいなかった。

 第1次大戦後、1928年に、米英独仏伊日といった当時の列強をはじめとする諸国が、不戦条約(「戦争抛棄ニ関スル条約」)を締結した。この条約は、国家の政策遂行の手段としての戦争を放棄し、あらゆる国際紛争を平和的に解決することを規定したものである。不戦条約はもともと米仏間の不戦交渉が発展したもので、米仏の交渉担当者の名前をとって、ケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれる。国際連盟にはアメリカは加盟しなかったが、不戦条約はアメリカも批准している。GHQが起草した日本国憲法の第9条1項は、不戦条約の規定を踏まえたものである。

 不戦条約は、第1条、第2条に次のように定めている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第1条 締約国は国際紛争解決の為戦争に訴ふることを非とし且其の相互関係に於て国家の政策の手段としての戦争を放棄することを其の各自 の人民の名に於て厳粛に宣言す
第2条 締約国は相互間に起ることあるへき一切の紛争又は紛議は其の性質又は起因の如何を問はす平和的手段に依るの外之か処理又は解決を求めさることを約す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 不戦条約は、このように国家の政策の手段としての戦争を放棄したが、自衛権まで否定したものではない。後に改めて触れるが、不戦条約では、集団的自衛権の概念が認識され始めた。この条約の参加国の多くは、自衛のための戦争の権利を留保していた。ただし、違法行為に対する罰則が定められていないため、この条約は実効性に乏しいものとなっている。またそれとともに、不戦条約では、ある国が行った戦争が、侵攻戦争であるか、自衛戦争であるかを判断する権利は、その国にあることが許容されている。条約実現を推進したアメリカが、この判断権を留保したのである。
 ある国が、自衛権の行使と意義付けて戦争を行った場合、その国にとっては自衛戦争となる。だが、攻撃された国は、これを侵攻戦争と反論する。現在にいたるまで、ある国の戦争が侵攻戦争か自衛戦争かを、公平中立な立場で決定し、かつ実力をもって決定に従わせることのできる国際機構は、事実上存在しない。不戦条約には期限がなく、現在も国際法として有効とされるが、その規定は半ば空文化している。

●国連以前の自衛権と国連後の自衛権

 第1次大戦後、国際連盟が設立され、不戦条約も締結されたが、二度目の世界大戦を防ぐことはできなかった。国際連盟は各国の足並みがそろわなかった。不戦条約は、侵攻戦争の抑止に実効性がなかった。そうした中、ナチス・ドイツが台頭し、第2次大戦が勃発した。米英ソ等の連合国と、日独伊等の枢軸国は激突した。戦争は連合国の優勢となり、連合国は戦後の世界秩序構築のために、恒常的な国際機構の設立を図った。これが、今日の国際連合となった。

 自衛権について述べるに当たり、ここで国際連合と国際連盟を比較しておきたい。国際連合は、国際連盟が発展してきた組織ではない。その証拠に、国際連合と国際連盟は、並存していた時期がある。国際連盟は、違反国への対処を非軍事的措置に限定し、軍を持たなかった。国際連合は、軍事的措置を行うため、国連軍の結成を定めている。
 国際連盟は、最高決定機関を総会とし、決定方法は全会一致を原則とした。国際連合は、総会は多数決とする一方、安全保障理事会の権限を強め、常任理事国が拒否権を持っている。
 国際連盟には、提唱国のアメリカが加盟せず、常任理事国のうち、日本・イタリアが脱退。途中から参加した独は脱退、ソ連は除名となった。国際連合にはアメリカが参加し、設立を推進した。本部もニューヨークに置かれた。国際連合には主要国が参加し、分裂せずに持続し、加盟国も増加し続けている。

 さて、自衛権についてだが、国際連盟における自衛権については先に書いた。国際連盟は各国の自衛権を認めており、そのなかに他国と同盟を結び、共同で防衛する権利も認めていた。その権利は、今日の概念で言えば、個別的自衛権及び集団的自衛権ということができる。国際連盟は、各国の個別的自衛権と集団的自衛権に基づく国際組織だったというのが、私の見方である。
 集団的自衛権は、国際連盟またそれ以前においても、自衛権の一側面として存在していたと考えるとよい、と私は思う。自衛のために他国と同盟を結び、共同防衛をするという考え方は、ヨーロッパに限らず、他の地域でも、歴史的に広く見られる。ただし、近代の国際社会では、国際連合憲章の作成時まで、明確な概念とはなっていなかった。国際法に明記するまでもない当然の前提だったからだろう。

 次に国際連合における自衛権について述べる。国際連合のもともとの姿である連合国は、米英ソ等の国々が軍事同盟を締結したものである。すなわち、各国の集団的自衛権に基づく国家の集合体である。国際連合は、この連合国が発展した組織であり、もともとは集団的自衛権による共同防衛の仕組みとして構想された。ここで国連の新しさは、集団安全保障という概念を打ち出したところにある。
 集団安全保障とは、個々の国家の武力行使が禁じられ、国連のみが違反国に対する武力行使をも含む軍事的強制行動を行なう仕組みである。こうした枠組みの中に、各国の個別的自衛権及び集団的自衛権を概念として明確化して定めたものが、国連憲章である。
 国連憲章の作成過程は、後に改めて触れるが、この憲章において、集団的自衛権は、国際法に初めて明記されるともに、集団安全保障という大枠に組み込まれる形で規定された。国際連合は、安全保障理事会を中心として集団安全保障をめざす組織として設立されたものだから、加盟国の自衛権はその体制のもと、条件付で認められる権利となった。
 その点で、国連憲章以前に、もともと各国が保有している不文的な集団的自衛権と、国連憲章に規定された集団的自衛権は、全体の枠組みが替わったのである。しかし、実際は、国連の集団安全保障は、未だに実現していない。そのため、集団的自衛権を含む自衛権のあり方は、国際連合の設立以前も、設立後も、本質的には変わっていない。こう考えるのがよいのではないか、と私は思う。

 では、自衛権の変わらない本質とは、何か。それは、個人における自己保存、生命維持のための権利に相当する、国家の生存・繁栄のために必要な権利ということにある。これは、国家の自然権、固有の権利として認められる権利である。その権利の一側面として、各国は自己を守るために、他国と同盟を結び、共同で防衛する権利も持つ。その側面を概念化したものが、集団的自衛権である。
 集団的自衛権の根拠は、国内法の私法から類推されるものである。欧米の主要国は、自己のみならず他人のためにも、正当防衛の権利を行使することを認めている。わが国も同様であり、刑法36条1項に「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」と定めている。こうした自他に関する正当防衛権を、国家に適応したものが、集団的自衛権である。それが、国際的に広く見られる理解である。
 ちなみに日本語では「自衛」というが、英語・フランス語・ドイツ語では、同じ単語に「正当防衛」の意味が含まれている。「集団的自衛権」について、フランス語・スペイン語では「集団的正当防衛権」と表現する。集団的正当防衛権である集団的自衛権を、自ら否定したり、封じたりすることは、自分を守る意思がないか、他から抑えられている状態なのである。そういう国が、我が国・日本である。

●国際連合における集団的自衛権の確立過程

 国際連合憲章において、集団的自衛権は概念化され、明文化された。どうして、国際連合で集団的自衛権が規定されることになったのか。その点を確認するには、集団的自衛権について、より突っ込んで追跡する必要がある。
 これまで私は、近代国家と自衛権の歴史を振り返る際、対等かそれに近い立場の国家が共同で自他防衛する軍事同盟の場合を主として、書いてきた。しかし、国連で集団的自衛権が論じられ、国連憲章に盛り込まれた実際の過程は、こうした場合を中心に想定したものではなかった。その点を補足した上で、国際連合に集団的自衛権が明記された過程をたどることにする。
 
 近代ヨーロッパでは、ウェストファリア条約以降、対等な主権を有する諸国家が、それぞれの国益を追求して競い合ってきた。各国の自衛権は、国家の生存・繁栄のために必要な権利として、国家の自然権、固有の権利として、実質的に認められていた。この国家の自衛権には、自国を守るために、他国に軍事援助することが含まれていた。
 自国に密接な関係がある国が攻撃された場合には、自国について重大な脅威となる。自国と密接な関係のある国は、同盟国に限らない。密接な利害関係のある国と解され、植民地もこれに入る。宗主国がその植民地を他国に攻撃された場合、これを自国への攻撃とみなしてその国と戦う。地域覇権国が他の競合国から覇権を守るために、介入を排除しようと軍事行動を起こす。こうした政策も、正当防衛権の行使と考えられる。
 国家の自衛権の発動には、こうした植民地や地域覇権の維持のための権利の行使という場合がある。大国と大国の国益のぶつかり合い、帝国主義的・覇権主義的な政策のぶつかり合い、特にヨーロッパ諸国に対して、新興国アメリカが対抗するという構図の中で、集団的自衛権は概念化されていった。私はこのように理解している。
 私は、国際連合以前から集団的自衛権は事実上存在した、国連設立以後、集団安全保障体制に組み入れられる形で概念化、明文化されたと考える。そこで、以後の記述では、これらを区別するため、国連での集団的自衛権については、国連型集団的自衛権と呼ぶことにする。

●国連型集団的自衛権の萌芽

 19世紀前半から、アメリカは、モンロー主義と呼ばれる政策を取っている。モンロー主義は、1823年、モンロー米大統領が表明した外交原則である。その中には、中南米地域に対し、現在でいう集団的自衛権を主張する考え方が含まれていた。モンローは、ヨーロッパ諸国が西半球に新たに植民地を持つこと、旧来の政治制度を持ち込むことに反対する。欧州諸国が西半球諸国に圧迫・干渉することはアメリカに対する圧迫・干渉とみなす。その一方、アメリカはヨーロッパの問題には関与しない、と主張した。
 モンロー主義は当初、国際的中立を守り、同盟国との紛争を避けるために主張された政策だった。しかし、アメリカが力をつけるに従い、次第にアメリカ大陸における米国の政治的優越を主張するために使われるようになった。20世紀初め、セオドア・ルーズベルト大統領は、ラテン・アメリカ諸国が違反行為を犯した場合、アメリカだけが介入できると主張し、自国の介入を正当化した。通説では、ここに集団的自衛権の萌芽があるとされている。

 国際連盟とパリ不戦条約については先に書いたが、1928年の不戦条約締結の時に、集団的自衛権の概念が、国際社会で認識され始めたとされる。当時、アメリカとイギリスの国益及び政策は、鋭く対立していた。アメリカは、モンロー主義を自国の防衛、安全保障の基本に置き、その立場からヨーロッパ諸国に自国の権利を主張した。アメリカの勢力圏は、南北のアメリカ大陸を中心とするものだった。自国と隣接または近在する地域が主たる対象である。これに対し、七つの海にまたがる大英帝国としてその絶頂にあったイギリスは、世界各地に植民地を持っていた。イギリスは、そうした国々を他国から攻撃された場合、それを防衛することは、自衛の一手段であると主張した。
 こうした米英の主張は、先に書いたところの宗主国が植民地に、地域覇権国がその地域について、正当防衛権を主張するものだったと言える。当時は、イギリスのほうがアメリカより遥かに巨大・強力だったから、アメリカは、自らの権利の確立を追及した。その結果、1938年のリマ宣言で、アメリカを中心とした集団的自衛権が、アメリカ大陸諸国において法的に認知された。この段階では、まだ地域的なものにとどまっていたが、このアメリカ大陸諸国における集団的自衛権が拡大・成長する形で、国連型集団的自衛権が一般的に確立されるようになっていった、と私は理解する。

●拒否権への対抗として集団的自衛権を主張

 国際連合の成立過程で、集団的自衛権は、どのように議論され、規定されたか。その経緯は、大略次のようである。

 1944年8月のワシントン郊外のダンバートン・オークスで、米英ソ中4カ国の代表が会議を行った。このダンバートン・オークス会議で、国際連盟に代えて国際連合を設立することが決定された。また国際連合憲章の草案が作成された。草案の内容には、集団的自衛権は含まれていなかった。集団的自衛権が主張されるようになったのは、大国の拒否権の構想への危惧によるものだった。
 1945年2月、アメリカのルーズベルト、英のチャーチル、ソ連のスターリンが、クリミア半島のヤルタで、ヤルタ会談を行なった。この会談で、米英ソの首脳は、第2次大戦の終結方法と戦後秩序の構築を密談した。国際連合の設立についても話が進み、米英ソ等の主要国が、安全保障理事会の常任理事国になり、常任理事国は拒否権を持つことが合意された。常任理事国の拒否権は、常任理事国が紛争当事国である場合でも、拒否権を行使できるというものだった。この構想は、大国の地位を維持する目的によるとともに、国際連盟の反省を踏まえたものでもあった。
 国際連盟は、総会における全会一致を原則としていた。そのため、大国間で利害が対立した場合、連盟の組織は機能しなくなった。これに対し、国際連合は、総会では多数決で票決する一方、米英ソ仏中の五大国が常任理事会における拒否権という特権を持つこととした。これは、五大国が協力して戦後の国際秩序を構築するとともに、大国相互の単独行動を防止しようという意図もあったのだろう。

 ヤルタ会談では、戦争終結後のヨーロッパの復興・管理について、米英とソ連の間に思惑の違いが表われてもいた。もともと連合国といっても、資本主義と共産主義、自由主義と統制主義という根本的な思想の違いがある。枢軸国に対抗するために、同盟を結んだに過ぎない。これを「民主主義と全体主義」の戦いなどと標榜したが、ソ連は全体主義国家であり、自由民主主義とは価値観が相容れない。だから、大戦終了後は、激しく思想・利害が対立することは明らかだった。
 その徴候の一つは、ソ連が「絶対的拒否権」を強く主張したことだった。拒否権は、常任理事国5カ国のうち一国でも拒否権を行使したときは、他の国々多数が賛成であっても、表決は無効となる。もしソ連が拒否権を濫用するようになれば、安保理は機能麻痺となり、国際連合の組織そのものが危機に陥るおそれがある。

 このことに特に強い危機感を抱いたのが、米州諸国会議に参加する国々だった。米州諸国会議は、米国及び中南米諸国で構成される国際会議である。大戦中、中南米でアルゼンチンのみはナチス・ドイツ寄りだったが、それ以外の国々は団結して、米国の戦争遂行を支持した。
 ヤルタ会談と同じ月、1945年2月に、米州諸国会議がメキシコのチャプルテクで開かれた。この会議で、大戦中の協力関係を永続的なものとする共同防衛条約の締結を目指す協定が採択された。
 チャプルテク宣言は、関係国の独立が侵害される恐れのある場合、相互に救援することを定めた。当時、米州諸国会議の国々は、国際連合において大国の拒否権が制定された場合、もし安保理常任理事国が中南米諸国の一部と共謀して、他の国々を侵攻し、安保理で拒否権が行使されたならば、攻撃を受けた国を救援することができなくなることを危惧したのである。
 この事情は、ソ連が中南米で共産主義を広め、親ソ的な国を根拠地として勢力を拡大する場合を想像すれば、よく理解できると思う。実際、後にキューバで社会主義革命が起こり、1962年には米ソ間にキューバ危機を招いた。さらに毛沢東主義の影響を受けたゲリラがラテン・アメリカ諸国に広がった。米州諸国会議の国々の危惧は、あたっていたわけである。

●国連憲章第51条への結実

 さて、話を戻すと、アメリカは、西半球諸国への圧迫・干渉はアメリカへの圧迫・干渉とみなすというモンロー主義の観点から、これら中南米諸国の主張に同調する意見が出て、対応策が模索された。安全保障理事会が機能しないときは、自衛権の行使で対応すべき、という主張が有力となった。
 ここに国連憲章に自衛権をいかに組み込むかが追及されることになった。国際組織は大国一致の原則を基盤としなければならないが、万が一、安全保障理事会が軍事行動を起こすべきときにそれがされないような場合、各国には自分を守る権利がある。また、米州諸国会議の国々のような地域協定の加盟国が集団行動を取る際は、独立主権国家と同等の自衛権を認めるべき、という主張である。これは、自衛権を個別的自衛権と集団的自衛権に区別して明確化するものであり、集団的自衛権を確立しようという動きである。

 これに対し、イギリスからは、自衛のための行動を、その国の領域外でも取り得るという考え方への疑問が出され、地域ブロック形成につながるという批判が起こった。この主張は、集団的自衛権そのものに反対するというより、南北アメリカのような地理的に結合した国家群にのみ、自衛権が認められることを牽制したものだろう。当時イギリスは、各大陸にまたがる領土に君臨する大帝国だったから、地域限定だと不利であり、大帝国にも有利な自衛権のあり方を求めたわけである。
 そこで、アメリカは、チャプルテペク宣言に言及することを控え、交渉を続けた。この発言の自制は、集団的自衛権は地理的条件に拘束されないことを、イギリスをはじめとする関係国に示したものだろう。

 ダンバートン・オークス会議での提案内容は数字にわたって修正され、1945年4月にサンフランシスコで開催された国際機構に関する連合国会議において、成案がなった。それが、国連憲章第51条である。繰り返しになるが、その条項を引用する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第51条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章にく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 こうして、国連憲章に、個別的自衛権とともに集団的自衛権が盛り込まれることになった。ここに集団的自衛権は、国際法上初めて明文化されたわけである。当時、個別的自衛権は、国際社会で既に事実上確立していたから、あえて明文化する必要はなかった。第51条創設の主目的は、集団的自衛権にあった。それを定めるために、個別的自衛権も明記された。
 この過程でアメリカは、自国の入った国際組織を新たに作り、自国の覇権地域は他国から防衛する体制を確保しながら、国際連合を自国に有利な形で設立することができたと言えよう。

●五大国による準寡占体制と、拡大する地域安保体制

 新たにできた国際連合について見逃してならない点は、国連とは連合国国際機構であり、安保理の常任理事国となった第2次大戦の戦勝国を主役とするものだったことである。国連の集団安全保障体制とは、戦勝国が中心となって国際秩序を維持しようとした体制である。言い換えれば、集団安全保障体制は、米英ソ仏中の五大国による世界寡占体制として構想されたわけである。
 この寡占体制は、完成しなかった。できあがったのは、準寡占体制とでもいうべき中途半端な体制だった。その理由は、主に第2次大戦後に二大超大国となった米ソのイデオロギーと国益の対立による。そこにイギリス、フランスのそれぞれの思惑も絡んでいる。その結果、集団安全保障についても、理想にとどまった状態で、60年以上が経過している。今も、集団安全保障体制の実現の見通しはない。それゆえ、私は、集団的自衛権は集団安全保障を補完するものではなく、集団安全保障体制を構築するための基礎となるものと理解するのが現実的だと思う。

 国連は創設時から現在まで、国連に武力を集中しえていない。各国は独自に武力を保有しており、それをもとに地域的な安全保障体制を築いている。その地域的な安保体制は、旧来の軍事同盟にほぼ等しいものであり、集団的自衛権の行使である。
 特に安保理の常任理事国である米ソが冷戦を続けていた時代においては、国連は存在感が薄く、NATO(北大西洋条約機構)を中心とした西側と、ワルシャワ条約機構による東側が、それぞれ集団的自衛権による安全保障機構をつくって、軍事的に対峙していた。
 ワルシャワ条約機構は、ソ連の崩壊によって解消された。NATOは健在であり、今日の世界で最も強力な地域的安全保障体制である。これは、明らかに集団的自衛権に基づく機関である。NATOの加盟国は、どの加盟国に加えられる外部の脅威に対しても、結束して戦うことを条約で誓っている。
 アジア、太平洋、アフリカ、ラテン・アメリカ等に、地域的な安全保障条約機構が、多数作られ、世界はそうした地域機構が並列する体制となっている。戦勝五大国による世界寡占体制は構築されなかったが、米英ロ仏中の五カ国は、依然として安全保障理事会の常任理事国という地位を占め、また核保有大国として国際社会に強い影響力を維持している。

●旧敵国にとどまる日本

 国連憲章を論じる時、忘れてはならないのは、旧敵国条項である。わが国は連合国の旧敵国であり、連合国憲章としての国連憲章が定める旧敵国条項の該当国だとされてきた。
 国際連合は、連合国の敵国に対する軍事同盟が根本である。そのうえで、集団安全保障、集団的自衛権が規定されている。国際連合は憲章第2条1項に、加盟国の主権平等の原則を謳う傍ら、戦勝国である五大国のみには、拒否権という特権が与えられている。国際連合は、このように加盟国に明確な差別をした国際機構であり、戦勝国による戦後世界の寡占支配を固定しようとしたものである。連合国による戦後世界秩序という枠組みの中に、集団安全保障も集団的自衛権も意義付けられているということが、重要なポイントだと私は思う。
 旧敵国条項とは、第2次大戦中に連合国の敵国であった国々に対し、地域的機関などが、安全保障理事会の許可がなくとも強制行動を取り得ること等が記載されている条項である。第53条と第107条である。条文には明記されていないが、旧敵国とは、日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランドの7か国を指すと考えられてきた。アメリカも中国も、ロシアもフランスも、いざとなれば自由に日本に攻め入ってもいいということを堂々と決め、それを半世紀以上も、そのままにしてきたのである。
 旧敵国は、国連に加盟してもなお差別的に扱われているわけだから、国連の枠内での集団的自衛権も、自国の安全保障には真の意味でなってはいない。旧敵国条項を削除しない限り、旧敵国は国連加盟国の基本的な権利を保障されない。わが国が国連加盟によって、個別的自衛権及び集団的自衛権を認められたと喜ぶのは、旧敵国条項を削除してからすべきものである。

 わが国は、「国連=連合国」に加入後、その一員として誠実に役割を果たし、経済復興後は、巨額の分担金を払って、組織を支えてきた。昭和45年(1970)の第25回国連総会以来、わが国は、たびたび総会などの場で、国連憲章から「旧敵国条項」を削除すべしとの立場を主張してきた。平成6年(1994)12月、ようやく総会において憲章特別委員会に対し、「旧敵国条項」の削除の検討を要請する決議が採択された。平成7年(1995)12月には、第50回総会において憲章特別委員会の検討結果を踏まえて、削除へ向けての憲章改正手続きを開始する決議が採択された。そこからもまた、長い。もう10年以上過ぎている。
 今日においても、同採択を批准した国は効力発生に必要な数には遠く及ばず、敵国条項は依然として国連憲章にその姿を留めたままとなっている。死文化されたとはいうが、条文がある以上、悪用されないとは限らない。
 わが国民には、国連に対して幻想を抱いている人が多いようだ。「国連中心主義」などという外交・防衛政策を打ち出している政治家もいる。集団的自衛権に関する論議でも、国連への期待をもとにした意見が多く聞かれる。しかし、上記の経緯・現状を見ても、「国連=連合国国際機構」に幻想を抱くべきでなく、偶像視すべきではないのである。ージの頭へ

 

ber117

 

第4章 わが国の憲法と集団的自衛権の関係

 

●憲法第9条の解釈

集団的自衛権について、その定義、本質、成立の過程を見てきた。次にこの検証を踏まえて、わが国における集団的自衛権の問題を検討したい。
 集団的自衛権の問題は、憲法の問題であり、かつその解釈の問題である。現行憲法をどう評価し、またどう理解するかが、集団的自衛権に関する議論の根底にある。

 日本国憲法については、別に拙稿を書いている。また第9条に焦点を当てたものも書いている。詳しくはそれらを参照していただくことにして、ここに私見を要約して示す。

 憲法第9条は、次のような条文である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動
たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交
戦権は、これを認めない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この第9条にはさまざまな解釈がある。私は、それらは大まかに三つに分類できると思う。

@戦争も戦力も一切放棄(完全武装放棄説)
A自衛のための戦力は持てる(自衛的戦力保持可能説)
B戦力は駄目だが自衛力なら持てる(非戦力的自衛力是認説)(政府見解)

 私見では、@の説は、誤解である。素朴な思い込みか、日本を非武装にして侵攻・支配しようとする策略である。
 基本的には、Aの説が正しいと私は考える。第9条は、侵攻戦争を放棄し、そのための戦力は持たす、交戦権は否認する。しかし、自衛戦争は国家固有の権利として保持し、自衛のための戦力は保持できる。このように解釈することが適切である。
 戦後のわが国は、アメリカとの関係においてAの自衛のための戦力は持てるという自衛的戦力保持可能説を取って独自の軍隊を持つことが、できなかった。自衛隊は、アメリカの管理のもと米軍を保管するものとして創設・編成された。こうした条件のもと、政府は、Bの説を取り、自衛力を最小限という量的条件をつけて正当化した。この説を取れば、集団的自衛権の行使は憲法解釈上できないという見解となる。だから、もし集団的自衛権を行使できるようにするのならば、第9条の解釈を改める必要がある。それは、Bの説を止めて、Aの説を取るという大幅な解釈変更に帰結する。この変更は、私の論では、変更というより是正である。もともとそう解釈すべきだったものに正すということである。

●9条解釈と集団的自衛権

 そもそも自衛権は、国家の正当防衛権である。そのうち個別的自衛権は、自国のためにする正当防衛権であり、集団的自衛権は自他相互のために行なう正当防衛権である。
 第9条第1項は、国権の発動としての戦争、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇及び武力行使を放棄することを定めているが、これは不戦条約及び国連憲章と同旨である。不戦条約では、実質的な集団的自衛権が留保され、国連憲章において始めて明文化された。国連憲章では、個別的かつ集団的自衛権の行使は、単に国家固有の権利であるにとどまらず、同時にまた国際的責務ともなっている。したがって、これと同旨の第9条1項が集団的自衛権を否定するという解釈は、無理がある。
 憲法第9条が禁止しているのは侵略戦争及び侵略的な武力による威嚇及び武力行使であり、これを目的とする陸、海、空軍ならびに他の戦力の保持、ならびに交戦権である。第9条は自衛権を認めており、自衛のための戦力の保有を禁じてはいない。そう解するならば、国内法上その行使が禁止されていると解すべきでない。集団的自衛権の行使は可能である。ただし、その行使は無制限のものではない。実は、サンフランシスコ講和条約及び日米安保条約の締結、国連への加盟の時点では、わが国の政府は、そのような解釈を取っていた。
 現在の日米安保条約の第5条は日米両国が自衛権行使、集団的自衛権行使を相互に義務付け合ったものである。したがって、日本の施政権内での米国への攻撃には日本も共同行動をとる義務があり、日本がこの行動をとる根拠は、日本の集団的自衛権に基づく。ただし、この規定は日本の施政権外で米軍が武力攻撃を受けた時にも、日本が集団的自衛権を行使して正当防衛援助の行動に出ることを約束したものではない。この点を、アメリカの世界戦略に言いなりになってしまうと、わが国の独立主権国家としての主体的意思を失う。

 私自身は、もとより憲法全体をできるだけ早く改正すべしという考えである。第9条の解釈をAに是正して、集団的自衛権の行使を可能としても、それだけではアメリカの世界戦略に追従することになりかねない。憲法を放置して、集団的自衛権だけを論じるべきではない。
 事の本質は第9条の解釈にあるのではない。日本国憲法そのものに問題がある。日本国憲法は、真に日本人が作った憲法ではない。占領下で占領軍によって押し付けられた憲法であり、占領基本法とでも言うべき性格のものだった。それが独立回復後も放置されれば、憲法は日本弱体化政策の効果を継続し、日本国を呪縛し続ける働きを持つ。憲法全体を改正することなく、第9条をAのように解釈するのみでは、根本問題は解決しない。わが国は、独立回復後、すみやかにこの憲法を改正し、独立主権国家にふさわしい憲法を日本人自身の手で制定すべきだった。それが、60年以上もの間、放置されてきたことに、わが国の根本問題がある。国家、社会、企業。地域、家庭等に現れている様々な危機の根本に、憲法の影響がある。憲法改正を成し遂げて始めて、日本人は自らの意思で自らの国のあり方を決めることができる。そこに日本再建の鍵がある。日本の再建は、憲法の改正なしには、達成できない。

 わが国の政府は、憲法第9条について、Bの「戦力は駄目だが自衛力なら持てる」という非戦力的自衛力是認説を取ってきた。
 当初政府は、この説に立ちながら、集団的自衛権について、保有かつ行使できる。ただし行使には制限がある、という解釈だった。これをA説とする。制限的行使可能論と呼ぶことにする。ところが、政府解釈はその後、変化した。憲法解釈は、B説で同じだが、集団的自衛権は憲法上行使できないという解釈に変わった。これをB説とする。行使不可論と呼ぶ。
 つまり政府見解は、BA説から、BB説に変化した。しかし、後に詳しく見るが、B説は、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・日ソ共同声明の内容と矛盾する。これらの国際条約は、わが国の集団的自衛権を認めているからである。
 私見は、憲法第9条については、Aの「自衛のための戦力は持てる」という自衛的戦力保持可能説を取る。自衛のためという制限はあるが、戦力の保有は可能と解釈する。また、集団的自衛権については、A説の制限的行使可能論を取る。つまりAA説である。
 憲法そのものの問題については、別に書いたので、ここでは、集団的自衛権の問題の検討を続ける。

●主権回復と国連加盟は、集団的自衛権の確認のうえ

 日本国憲法は、昭和21年(1946)11月3日に公布され、22年5月3日に施行された。この憲法の下、わが国は昭和26年9月8日に連合国側49国との間でサンフランシスコ講和条約を締結した。27年4月28日講和条約の発効と同時に、独立を回復した。
 講和条約締結の際、吉田茂首相は単独で、日米安保条約に署名した。この条約に基づき、占領軍の主力だった米軍部隊は在日米軍となり、日本駐留を続けた。
 独立回復後、わが国は、すぐ国連への加盟を申請したが、ソ連など社会主義諸国の反対を受け、なかなか実現しなかった。昭和31年の日ソ共同宣言と日ソ国交回復によって、この障害がなくなり、同年12月18日に国連加盟が実現した。

 日本は、国連加盟以前に締結したサンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日ソ共同宣言において、個別的自衛権とともに集団的自衛権を認められている。国連加盟においては、当然、新たな加盟国として、個別的自衛権とともに集団的自衛権を確認された。これらの条約では、国際社会の常識として、集団的自衛権の保持と行使を分けていない。保有と行使を分けるのは、わが国でしか通用しないわが国政府独自の解釈である。
 また、わが国は現行憲法のもとで、これらの条約を結んだ。憲法が集団的自衛権の行使を、全面的に否定しているのであれば、講和条約・日米安保・日ソ共同声明・国連加盟とも、憲法に違反する。集団的自衛権を認める条約を締結し、また国連に加盟し得たということは、憲法が集団的自衛権の保持・行使を認めているという解釈によらねばならない。憲法と矛盾する条約は批准できないからである。
 戦後わが国の政府は、当初、集団的自衛権を保有することを認めていた。ところが、その後、政府解釈が変化してしまった。1950代の鳩山首相・岸首相の時代は、集団的自衛権の行使を可能としていた。それが、昭和47年(1972)以降、特に56年(1981)以降、政府解釈が変更され、憲法上、集団的自衛権は行使できないという解釈が定着した。
 この過程を確認しておこう。

●講和条約、日米安保、日ソ共同声明がどれも肯定


 サンフランシスコ講和条約が締結された際、わが国は連合国より、集団的自衛権の保有を承認された。時に第5条C項である。同項に以下のようにある。

 「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」

 講和条約締結の時点では、わが国は国連に加盟していない。連合国は未加盟の旧敵国・日本に対し、個別的及び集団的自衛権を認めたわけである。我が国の側も、もし日本国憲法が集団的自衛権を全面的に否定しているのであれば、講和条約にこうした規定が盛り込まれることはありえない。わが国も講和の対象国も双方ともに、わが国が個別的また集団的自衛権を固有の権利として有することを確認したのである。

 講和条約と同時に日米安保条約が発効した。日米安保条約は、講和条約にある集団的自衛権の承認のもとに、昭和26年(1951)9月8日に締結されたものである。
 この旧安保条約は、前文に以下のように定めている。

 「平和条約(註 講和条約のこと)は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。 」

 明らかに集団的自衛権のもとに、日米の安全保障条約は締結されている。もしわが国が憲法上、集団的自衛権を行使できないものならば、この条約は締結し得ない。憲法違反となる。

 ソ連は、サンフランシスコ講和条約への調印を拒否した。そのため、日ソ間の国交断絶が続いたが、わが国はソ連と独自に交渉を行い、昭和31年(1956)10月19日、日ソ共同宣言を発した。同宣言においては、3の項に集団的自衛権に関する定めがある。

 「(略)日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有することを確認する」

 この共同宣言も、講和条約、日米安保条約と同様に、個別的かつ集団的自衛権を固有の権利として確認している。
 日ソ共同宣言が発表された同じ年の12月、それまで日本の国連加盟に反対していたソ連が、加盟支持に転換し、わが国の加盟が実現した。

 このようにわが国は、国連加盟までに、講和条約、日米安保条約、日ソ共同声明においてそれぞれ個別的また集団的自衛権の確認を受け、ついに国連に加盟することにより、国連加盟国として、国連憲章の以下の条文の適用を受ける立場となった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第51条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章にく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 以上のように、わが国が、個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有することは、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約、日ソ共同声明、そして国際連合憲章とも共通して認めている。

●被保護的な旧安保と集団的自衛権への制限

 日米安保条約は、昭和26年(1951)9月8日に締結された。その交渉の過程で、集団的自衛権に関する議論がされた。
昭和26年7月、アメリカ側は、「極東における国際の平和と安全の維持」のために駐留米軍が日本の基地を使用できる旨を、安保条約の第1条に挿入するように求めてきた。交渉の結果、条文は、次のように決まった。

 「平和条約(註 講和条約と同じ)及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」

 ここに「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」とある。これが、今日にまでいたる極東条項の起源である。日本国内の基地を使用する米軍は、日本国内およびその付近における武力攻撃の発生に対応するだけでなく、「極東における国際の平和と安全の維持」というより広い地理的範囲において行動することが前提となっている。わが国の側からすれば、必ずしもわが国の防衛には関係しない事態においても、米軍が基地を使用することを認めさせられたということになる。その点で、この条項は、アメリカから押し付けられた条項ということができる。
 また、より大きな問題は、「一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助」という部分にある。これは、わが国の治安維持を究極的にはアメリカに委ねるという軍事的な保護―被保護の関係を定めたものである。
 そして最大の問題は、この条約は、わが国には基地を提供する義務はあるが、アメリカには日本を防衛する義務があると明記されていないことである。

 当時のわが国の指導者は、日米安保条約は、旧敵国である戦勝国・占領国との間で、わが国が不利な条件で結ばざるを得なかった不平等条約であることを理解していた。だから、この条約を改正することに心血を注いだ。
 昭和30年(1955)8月、鳩山政権の重光葵(まもる)外相が訪米し、ジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談した。訪米の最大の目的は、不平等条約としての安保条約の改定を要請することだった。重光は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約(試案)」という安保改定案を準備して、会談に臨んだ。ダレスは、相互防衛条約への改定を求める重光に対し、「憲法がこれを許さなければ意味がない」「自衛力が完備し憲法が改正されて、初めて新事態といえる」と答えた。ダレスは、安保改定の要請を受け入れるには、その前提として、まず日本が憲法を改正し、対等な立場で集団的自衛権を行使できるようにならなければならないと強調したのである。

 昭和32年(1957)年3月、日米安保条約に改定案作成に、当時の外務省条約局長・高橋通敏が携わっていた。高橋らによる改定案は、集団的自衛権について、次のように記していた。
 「憲法9条の解釈上、日本に自衛権があり、その自衛権には国連憲章上、個別的のそれと集団的のそれとがありうるとしても、日本の持ちうる集団的自衛権は、自国の防衛のため他国の助けを借りうるという消極面に限られていると解すべきで、集団的自衛権があるからといって、他国と本格的な相互防衛条約を結んで他国の領域までも防衛するとなすことは(中略)、憲法9条の趣旨をあまりに逸脱した解釈であると考えられる」と。
 この記述は、現行憲法の下で集団的自衛権の行使は可能であるが、行使の範囲は第9条によって制限されるという見解である。また第9条の規定内でわが国の持ちうる集団的自衛権は、「自国の防衛のため他国の助けを借りうるという消極面に限られており、他国と本格的な相互防衛条約を結んで他国の領域までも防衛するという積極的な形での行使はできないとするものである。言い換えれば、わが国は、他から助けを受けるのみで、他を助けることはできないという被保護的な立場にあるということを示すものである。

 私は、ダレスが言ったことは重要だと思う。ただし、彼は、勝者・占領者・保護者の側から課題を指摘している。この課題を、日本人の立場から言えば、わが国が独立主権国家として主権を十全に回復するには、憲法を改正しなければならない。改正によって、国防を整備し、その一環として集団的自衛権の行使が可能であることを明確にする。そのうえで改めて自らの主体的な意思で、外国と相互防衛条約を結ぶ。これが日本の再建と自立の道である。集団的自衛権の問題は、単にその問題だけでなく、わが国の国家主権の問題の一部として重大なのである。この根本課題の実行を避けて、集団的自衛権の行使のみを追及する姑息な仕方は、かえってアメリカへの従属構造を一層深め、固定するおそれがある。この問題状況は、鳩山・重光の時代から、50年以上変わっていない。なぜなら、わが国は、旧敵国アメリカに押し付けられた憲法を一字一句改正せずに、今日に至っているからである。

●憲法改正なしの新安保もまた制限的
 
 現行憲法及び旧安保条約のもとで、わが国は主権を制限され、軍事的にはアメリカの非保護国的な地位にあった。この状態を改めようと、重光外相はダレス国務長官と交渉したが、ダレスは重光に対し、アメリカが日本を防衛することを義務付けるような相互的な条約に安保条約を改正するためには、その前提として、まず日本が憲法を改正し、対等な立場で集団的自衛権を行使できるようにならなければならない、と要望していた。わが国では、現行憲法がわが国に移植したアメリカ型の自由主義・デモクラシーと、戦後日本に拡大したソ連型の共産主義が国民に広がり、憲法改正や自主国防に反対する意見が強まっていた。安保条約を巡る日米の交渉は、こう着状態に陥った。
 この状態を破ったのは、駐日大使として赴任したGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの甥ダグラス・マッカーサー2世である。マッカーサー駐日大使は、昭和33年(1958)2月、新安保条約の草案を、ダレス国務長官に示した。
 この提言は、それまでダレスが重光に突きつけていた方針を転換するものだった。わが国の憲法改正と集団的自衛権への制限解除という課題を棚上げし、その実現を待たずに、安保条約を相互性のあるものに改定する。すなわち、日本には基地提供の義務はあるが、アメリカには日本を防衛する義務はないという一方的で片務的な条約を改め、アメリカの防衛義務を明確にした相互的な安保条約を締結しようという提案である。
 結局、マッカーサー大使が提案したこの基本的な枠組みのもとで、安保条約の改定が行なわれることになった。昭和35年(1960)6月、わが国の国論を二分した安保問題は、岸信介政権のもとで新条約の締結となった。それによって、安保条約の片務性は、一定程度改善された。しかし、あくまで現行憲法の規定の範囲内での改定だから、わが国の非保護国的な地位が根本的に改善されたわけではない。
 旧安保条約の改定の交渉過程で、集団的自衛権に関する課題が浮かびあがった。ダレス・重光会談以来、実に半世紀以上にわたって、この課題は未解決であり続けている。それは取りもなおさず、現行憲法を制定時の規定のまま固守しているからこその事態なのである。

 片務性を残したまま改定された新安保条約は、昭和35年(1960)6月23日に施行された。新条約は、第5条に次のように定めている。
 「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。 」

 ここで「いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、(略)共通の危険に対処するように行動する」は、集団的自衛権の概念そのものである。「対処するよう行動する」というのだから、集団的自衛権を行使しないのではなく、行使するという規定である。ただし、この行使は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」行うとする。これは、憲法第9条の解釈として論じられ、集団的自衛権を行使できるかどうかという論点で議論されるが、日米安保第5条自体、憲法が集団的自衛権を認め、その発動には憲法の諸条項が関係することを前提としている。
 私は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」という規定は、日米それぞれの憲法における行政と立法の関係等を踏まえたものだと思う。たとえば、わが国は、憲法の下に定められた自衛隊法により、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命じるには、国会の承認を要する。憲法が三権分立や文民統制を定めているからである。
 新安保条約第5条は、日米両国が自衛権の行使、集団的自衛権の行使を相互に義務付け合ったものである。条文の始めに、「日本の施政の下にある領域」とある。施政領域内という地理的範囲、空間的限定を条件としている。日本の施政権内での米国への攻撃には、日本も共同行動をとる義務がある。日本がこの行動をとる根拠は、日本の集団的自衛権に基づく。
 しかし、施政領域外の韓国や台湾での米軍や、日本周辺の公海公空で米軍が、武力攻撃を受けた時に、日本が集団的自衛権を行使して正当防衛援助の行動に出ることを約束したものではない。当然、アメリカ本土まで自衛隊を行かせるのではない。そういう地理的条件のもとに、集団的自衛権の行使を日米が相互に義務付け合ったものである。それにもかかわらず、わが国は憲法上、集団的自衛権の行使は一般的にできないというのは、破綻した主張である。
ージの頭へ

 

ber117

 

第5章 政府解釈は自制的に変化した


●集団的自衛権に関する当初の政府解釈

 集団的自衛権の行使は、憲法解釈の問題である。現行憲法が明文的に行使を否定しているものではない。戦後わが国の政府は当初、集団的自衛権を保有することを認めていた。ところが、その後、政府解釈が変化してした。1950代の鳩山首相・岸首相の時代は、集団的自衛権の行使を可能としていたが、昭和47年(1972)以降、特に56年(1981)以降、政府解釈が変更され、憲法上、集団的自衛権は行使できないという解釈が定着した。
 当初の政府解釈はどういうものだったか。

 講和条約の発効により主権を回復した後、昭和29年(1954)12月、日本民主党の鳩山一郎が首相となった。翌年、日本民主党は、保守合同によって、自由民主党となり、鳩山は自民党総裁として首相を続けた。彼は、昭和31年(1956)12月まで3次にわたって首班の地位にあった。
 昭和30年(1955)、第2次鳩山内閣の杉原荒太防衛庁長官は、国会答弁で次のように答えている。
 「日本は独力で、これは日本の自衛ということそれ自体も難しいと思います。やはり日本としては集団防衛、集団自衛ということは、やはり日本を守っていくために実際上必要である」
 昭和31年(1956)2月、鳩山首相は、衆院内閣委員会で防衛問題について答弁した。当日鳩山は公務で委員会を欠席したので、船田中(ふなだ・なか)防衛庁長官が首相答弁の要旨を代読した。内容は、以下のようである。
 「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して滅亡を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう攻撃を防ぐのに万やむをえない必要最小限度の措置を取ること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」
 誘導弾とは、ミサイルのことをいう。この時点でアメリカのほかに核兵器を持っていたのは、日本周辺ではソ連だけだった。鳩山は、ソ連を想定している。場合によって、ソ連の核ミサイル基地を攻撃することは、憲法上可能だという見解を、鳩山は明らかにしたわけである。この点は、直接集団的自衛権に関するものではない。むしろ自衛権そのものについての見解である。現在の政治家の多くは、専守防衛という政策があたかも国是であるかのように言うが、独立回復後、数年のうちの日本の政治家は、国防のための攻撃は、憲法上可能という見解を取っていたのである。
 
 鳩山の引退の後、石橋湛山が首相となったが、病気のため、短期間で内閣総辞職となり、昭和32年(1957)2月、岸信介内閣が成立した。岸は、日米安保条約の改定を最大の課題とした。 
 岸は、「いっさいの集団的自衛権を持たない、憲法上持たないということは言い過ぎ」「他国に基地を貸して、協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている」などの国会答弁を行なった。昭和33年(1958)6月に成立した第2次岸内閣の防衛庁長官となった赤城宗徳は、「憲法第9条によって制限された集団的自衛権」という表現を用いた答弁をしている。
 昭和34年(1959)同内閣の藤山愛一郎外務大臣は、国会答弁で次ぎのように答えた。在日米軍基地への攻撃に絡んで、「(日米が防衛のため)お互いに共同動作をするということは、当然の帰結」「発動の方法は個々であろうとも、共同動作をとって参りますことは、集団的自衛権を行使することになろう」と。この外相発言を受けて、高橋通敏外務省条約局長は、次ぎのように答弁した。「そのような権限を憲法の範囲内でわれわれは持っている」が、「外国の領土において外国を援助する、(略)そういう意味のいわゆる集団的自衛権の行使、これは日本の憲法にいう自衛権の範囲には入らない」と。集団的自衛権は行使できる、ただしその行使には制限があるという解釈である。高橋は、日米安保条約の改定案作成にも携わった。
 このように岸内閣は、集団的自衛権について、現在の憲法上行使不可という政府解釈とは異なり、集団的自衛権は憲法上保有しており、制限はあるが行使できるという見解だった。集団的自衛権の行使の可否は、問題にもしていない。当然可であるが、制限されるという見解である。

●岸内閣は現行憲法下の集団的自衛権を明示

 集団的自衛権に関する岸信介の見解は、昭和35年(1960)2月10日の参議院本会議における首相答弁によく現れている。岸は、次のように答えた。
 「実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵害されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的の問題になると思います。そういうものは、日本憲法においてそういうことができないことこれ当然でありまして、そういう意味における集団安全保障というものはないのでございます。」と。
 岸はまた、同年2月13日の衆議院予算委員会において、次のように述べている。
 「海外派兵はいたしません。基地を貸すとか、あるいは経済援助をするということを、集団的自衛権という考え方に含ませていう言い方をとれば、そう言って差し支えない」と。
 この日の答弁では続いて、林修三内閣法制局長官が、次のように述べた。
 「いわゆる他国に行って、他国を防衛するということは、国連憲章上は、集団的自衛権として違法性の阻却の事由として認められていますけれども、日本の憲法上はそこまでは認められていない。(略)しからば基地の提供あるいは経済援助というものは、日本の憲法上禁止されていない。仮にこれを人が集団的自衛権と呼ぼうとも、そういうものは禁止されていない」と。
 同年5月16日の衆議院内閣委員会でも、赤城宗徳防衛庁長官が、次のように表明した。
 「日本が集団的自衛権を持つといっても、集団的自衛権の本来の行使というものはできないのが憲法第9条の規定だと思う。たとえば、アメリカが侵害されたというときに、安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、そこを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば、日本はそういうものは持っていない。であるので、国際的に集団的自衛権というものは持っているが、その集団的自衛権というものは、日本の憲法の第9条において非常に制限されている」と。

 これらの答弁から、岸内閣は、集団的自衛権の行使について、狭義と広義に分けていることがわかる。すなわち、自国と密接な関係にある他国を防衛するために、海外に派兵して武力を行使することを、「中心的」なまたは「本来」の集団的自衛権の行使とし、これを狭義とする。そして、この狭義での集団的自衛権の行使は、憲法上認められていないとする。
 一方、基地提供・経済援助等は、いわば周縁的なまたは非本来的な集団的自衛権の行使とし、これを広義とする。そして、この広義での集団的自衛権の行使は、憲法上問題がなく、禁止されていないという見解である。このような見解に基づいて、現行憲法下で集団的自衛権は行使できるが、「非常に制限されている」という立場を取っている。
 以上のように、鳩山内閣・岸内閣が示していた当初の政府解釈は、集団的自衛権の行使を基本的には可能としていたのである。

 憲法と日米安保条約の関係は、砂川事件に関して法廷で正面から問われることになった。この事件は、東京都砂川町(現在は立川市)にある米軍基地の拡張に反対して基地に立ち入ったデモ隊の隊員が刑事特別法違反で起訴されたものである。一審判決は、米軍駐留を定めた安保条約は、憲法第9条に違反し、駐留軍を特別に保護する刑特法は憲法第31条に違反するとした。しかし、34年12月の最高裁判決は、国家の自衛権を確認したうえで、憲法第9条の禁止する戦力には、外国の駐留軍は当たらないとした。
 また、この判決で田中耕太郎最高裁長官は、補足説明にて、「今日もはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って、自国の防衛にしろ、他国への防衛協力にしろ、各国はこれについて義務を負担していると認められる」と記した。この最高裁の判断は、集団的自衛権を肯定するとともに、日米安保条約と刑特法を違憲とする1審判決を退けたものである。

●防衛政策を規定した「国防の基本方針」

 集団的自衛権の問題は、国防の問題の一部をなすものである。そこで、集団的自衛権の検討には、直接関係はないが、戦後のわが国の国防政策について、ここに記しておきたい。
 昭和32年(1957)5月20日、岸内閣は、国防会議と閣議で「国防の基本方針」を決定した。この基本方針は、今日にいたるまで、わが国の防衛政策の基本方針となっている。内容は、以下の通りである。
 「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。
(1)
 国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
(2)
 民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
(3)
 国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
(4)
 外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。」

 以上の方針の基本姿勢は、自主国防が第一ではなく、まず他に依存するということである。国連を中心とするが、国連が有効に機能するようになるまでは、日米安保に頼るということである。
 問題は、国連は一枚岩ではないことである。安保理常任理事国の五カ国は拒否権を持ち、特にアメリカと旧ソ連=現ロシアは、しばしば方針が一致しない。アメリカは、国連の動向が自国の利益にならない場合は、国連の決議を得ずに行動する。国連中心主義ではなく、国益中心主義である。そのため、わが国の防衛政策は、一貫性がなく、主にアメリカの意思に合わせるものとなっている。
 方針の第2に「愛国心を高揚し」とあるが、政府は、これをほとんど実行していない。平成18年の改正教育基本法でも、「愛国心」という言葉は避けられた。国家の防衛力は、単に兵器の質と量で決まるのではない。自ら国を守ろうという国民の意思が最も大切である。国家・国民という意識を育て、国益・国防に関する関心を高めなければ、独立主権国家としての国防は確立されない。 集団的自衛権を論じるには、より根本的な国防そのもの問題の中で検討しなければならない。

●新安保条約もなお片務的・依存的

 岸首相は、「国防の基本方針」のもと自衛力の増強に努め、また安保条約の改定をはかった。旧条約は、わが国を軍事的被保護国のように扱っていた。内乱条項といわれる「大規模の内乱及び騒擾を鎮圧」する役割まで米軍が担っていた。条約の期限もつけられていなかった。岸は、こうした屈辱的な内容を改めようとした。
 昭和35年(1960)5月19日に新条約案が国会で強行採決されると、安保反対のデモが国会に押し寄せた。しかし、国民多数の意思に基づいて、6月23日、日米安保新条約の批准書が交換された。岸内閣は責任を取る形で総辞職したが、安保の改定は、日本の主権の回復においては必要不可欠のことだった。

 岸は、安保条約の改定が日本の国益の回復になると固く信じて、新条約の締結を成し遂げた。新条約では、内乱条項はなくなった。期限がつけられ、10年を経過した後は、1年毎の自動延長とされた。事前協議制も取り入れられた。新条約に伴って、在日米軍と軍属の地位に関する協定が改められ、日米地位協定が作られた。
 改善はされたものの、日米安保が片務条約であるという本質は、なお変わっていない。米軍基地や駐留米軍の国内法に束縛されない特権は維持された。事前協議制は、有名無実と化すことになった。最も重要なことは、日本が第三国の侵攻を受けた場合、米軍が参戦するという義務は、必ずしも明記されてはいないことである。いざとなったとき、アメリカが本当に日本を守るかどうかは、不明瞭である。
 ただし、日米安保は、対等の攻守同盟ではないから、これもやむをえない。命がけの防衛義務を相手に求めるには、こちらも同じ義務を果たせねばならない。命を賭けて互いを守るという真の友情は、基地の提供や金銭的負担で得られるものではない。憲法の改正、国軍の保有、集団的自衛権の行使等を実現せずに、他国民の献身に期待するのは、都合が良すぎるというものである。不平等条約を完全に解決するには、まず日本が真の自主と独立の国にならねばならない。

●昭和40年代に政府解釈は変化し始めた

 ところが、日本政府はその後、解釈を変更した。「憲法上」保有するとしていた集団的自衛権を「国際法上」保有すると解釈に転換したのである。目的は、集団的自衛権の行使を不可とするためだろう。なぜそうする必要があったのか。その理由は、後述することにして、転換の過程をたどってみたい。
 わが国は、本来政治家が解釈を決めるべき憲法解釈を官僚が決めている官僚主導の政治に陥っている。集団的自衛権に関する政府解釈の変更を担ったのも、内閣法制局の官僚である。その頂点に内閣法制局長官がいる。現在の政府解釈の原型をつくったのは、佐藤栄作内閣の内閣法制局長官・高辻正己であり、それをもとに資料を提示したのは、同じく田中角栄内閣の吉國一郎、さらにそれを定着させたのは、鈴木善幸内閣の角田禮次郎であろう。

 高辻正己は、昭和39年(1964)から昭和47年(1972)にかけて、佐藤内閣(第1次〜第3次)で内閣法制局長官を務めた。47年7月、佐藤の退陣とともに長官を辞任した。
 高辻は内閣法制局長官として、集団的自衛権の行使は、違憲だという解釈を出した。昭和40年(1965)3月2日衆議院予算委員会で、日本社会党の岡田春夫議員が高辻に次のような質問をした。
 「これはあなたもこのようにはっきり憲法制度調査会の中で言われておるのです。自衛権の行使の中で、政府の正式の見解として、国連憲章第五十一条の集団的自衛権に基づく相互援助行動は、憲法が当然認めている自衛権の範囲には含まれない、このように解釈をされております。これは、この憲法制度調査会の答申の中にはっきりありますので、これは間違いないと思いますが、いかがでございますか。」
 高辻は以下のように答弁した。
 「例の集団的自衛権というものにつきましては、これは、安保条約のときにもしばしば出た問題でございますが、要するに日本の憲法は全く平和主義に徹しておりまして、日本が武力を行使できるのは、日本に対して武力攻撃があった。国民の安全と生存を危うくされるという場合に、この安全と生存を維持するために、日本がこれの防衛に当たることができる。したがって、そういう現象がなくして、他の国に対するそういう事態があって、日本国にはそういう現象はないという場合にまで武力行使ができるということにはならぬだろう、こういう意味でございます。」
 また44年(1969)2月19日衆議院予算委員会では、日本社会党の楯兼次郎の質問に対して、次のように答弁した。
 「現在自衛隊法という法律がございまして自衛隊というものが現に存在しておりますが、(略)兵器はかってに持っていればよろしいというわけにもいかないし、海外派兵も自由にできるわけでもないし、国際法上認められている集団的自衛権ですらわが国はこれを持つことができないというようなことをわれわれはしばしば御説明申し上げておるわけです」

 退官後、高辻は答弁における解釈の論拠を述べた。高辻は、趣旨次ぎのように述べた。
 「A国を防衛するためのB国への武力行使は、そのA国とB国との間の国際紛争を解決する手段に仕える以外のなにものでもない。わが国のA国への武力攻撃停止要求をB国が受け入れないということは、わが国とB国との間に国際紛争があるということになり、集団的自衛権の行使はそのB国に対して武力攻撃を仕掛けることにある。それゆえ、国際紛争を解決するための武力行使を放棄している憲法第9条のもとでは、たとえA国がわが国と連帯関係にあり、A国の命運がわが国の命運に深くかかわっていても、A国のために集団的自衛権を行使することはできない。」
 高辻の解釈は、集団的自衛権の行使を、国際紛争を解決する手段としての武力行使と同じものと解釈している点で、国際社会の常識に反する。また、国家の政策としての戦争、及び国際紛争を解決する手段としての武力行使と、集団的自衛権の行使を全く異なる概念とした不戦条約及び国連憲章の規定にも反した解釈である。

 高辻の論理において、A国をアメリカ、B国を中国・北朝鮮とすれば、どうなるか。A国がB国から侵攻を受けるとは、わが国への侵攻と同じと認められる状況だろう。AB間の国際紛争ではなく、わが国への脅威なのである。アメリカは日本に基地を置いているから、米軍基地への攻撃が考えられる。
 高辻は「国際紛争を解決するための武力行使を放棄している憲法第9条」というが、国際紛争とは何か。どういう状態が紛争か。それを誰が判断するのか。日本による侵攻戦争ではなく、A国とB国の間の国際紛争に日本が介入するケースをいうのか。高辻の解釈は、観念的であり、わが国が現実に他国に侵攻された場合に、いかにして国土や国民の生命を守るかという切実な問題意識を欠いている。事務官僚によく見られる姿だと思う。

●政府解釈は、昭和47年にはっきり転換

 昭和35年(1960)7月、岸内閣が安保問題で退陣した後、池田隼人が首班となった。池田は、国家の根幹に関わる憲法の問題を避け、所得倍増を唱えて高度経済成長路線をとった。昭和40年代に入ると、わが国の指導層は、経済的繁栄に酔いしれ、アメリカの軍事的な保護の下、「平和ボケ」ならぬ「保護ボケ」(加瀬英明氏の言葉)に陥った。
 こうした中で、社会党の議員は、執拗に安全保障問題で政府を追及した。答えに迫られた自民党の政治家は、官僚に答弁させる。官僚は紛糾を避け、自らのキャリアに傷が付かぬよう、護憲平和主義、実は親ソ容共の社会党に擦り寄る形で、質問に答える。米ソ冷戦期、保革拮抗の55年体制の下で、この馴れ合いを続けているうちに、国防に関する憲法・関係法の政府解釈は、より自制的な解釈に進んでいったということではないか。私は、このように観察している。

 政府解釈の自制的変化が決定的な地点に達したのが、昭和47年(1972)である。この年、10月14日、田中角栄内閣において、政府は参議院決算委員会に対し、社会党の水口宏之議員による質問に答える形で、集団的自衛権に関する政府見解についての資料を提出した。この年7月に高辻は内閣法制局長官を辞任し、吉國一郎が後任となった。吉國は、田中角栄・三木武夫の2人の首相に合計4年半仕えた。
 この政府資料は、次のような論理で展開されている。最初に集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止すること」と定義する。次に、国連憲章第51条などを引いて、「わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない」と、国際法上、わが国も集団的自衛権を保有しているとの立場を明らかにする。

 しかしここで、問題は憲法との関係であることを、資料は示す。すなわち、第9条について、「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、(略)自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を禁じているとはとうてい解されない」とsして、個別的自衛権の行使は肯定しているが、次のように続ける。「だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利(註 憲法第13条)を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものである」とする。つまり、個別的自衛権は認めるが、その行使には制限があることを強調するわけである。
 その上で、資料は、集団的自衛権について次のような結論を打ち出す。すなわち、個別的自衛権であっても、上記のような制限があるのだから、「わが憲法の下で、武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と。
 ここに集団的自衛権について、「国際法上は保有するが、憲法上、行使できない」という政府解釈が明示されたのである。

 この新たな解釈では、昭和30年代の岸政権における集団的自衛権に関する狭義、広義の区別がなくされ、狭義をもって集団的自衛権と決め込み、こうした権利を憲法上、行使できないと否定している。敗戦から独立を回復したわが国の指導者が、憲法改正や主権の十全な回復を目指していた時代には、集団的自衛権の行使には制限はあるがそれを確保しようとしていたのに対し、昭和40年代になると、政治家・官僚が集団的自衛権の行使そのものを自ら否定する方向に進んだのである。

●自制的な政府解釈は、昭和56年に定着

 昭和47年政府資料で示された集団的自衛権に関する政府解釈は、その後、56年(1981)には確立したものとして定着するにいたった。
 昭和56年5月29日、これまた社会党の衆議院議員・稲葉誠一が提出した「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する政府の答弁書が出された。質問と回答は、以下の通りである。
 
 「質問: 集団的自衛権と憲法第九条、国際法との関係については必ずしも明瞭でないので、これを明らかにすることがこの際必要と考えるので、ここに質問主意書を提出する。
 集団的自衛権について次のとおり質問する。
一 内閣としての統一した定義
二 独立主権国家たる日本は当然自衛権を持ち、その中に集団的自衛権も含まれるのか。
三 集団的自衛権は憲法上「禁止」されているのか。とすれば憲法何条のどこにどのように規定されているのか。
四 「禁止」されていず政策上の問題として「やらない」としているのか。
五 集団的自衛権が「ない」ということで我が国の防衛上、実質的に不利を蒙むることはあるか。

 回答: 一から五までについて
 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
 我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。
 なお、我が国は、自衛権の行使に当たつては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない。」

 この回答は、今日に至るまで、わが国の政府の集団的自衛権の解釈を表わしたものとなっている。そこで内容を精査してみよう。

 回答の第1段には、集団的自衛権の定義が書かれている。それは、昭和47年政府資料の定義と同趣旨である。この回答は、自国への攻撃とみなされる場合には、という重要な要素を欠いている。自国への攻撃とみなされれば、自衛の問題となるべきところ、他衛の場合のみを取り上げている。また、この定義は、自国が攻撃された場合を欠いている。わが国と密接な関係にあるA国が、わが国へのB国の攻撃を自国に対する攻撃とみなして、日本のためにB国と戦うのも、集団的自衛権の行使である。根本的に相互性を欠いた定義には、欠陥がある。
 次に、第2段だが、「憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使」というが、「許容されている」という言い方はおかしい。これは、現行憲法が、戦勝国アメリカに押し付けられた憲法であることによる。自衛権は、憲法が許容するのではなく、国家固有の権利である。憲法はそれを成文において確認するものである。憲法が許容するとか否認するとかいうものでは、本来ない。憲法の規定以前の自然権である。第9条はこれを妨げるものではない。当然、集団的自衛権についても、9条は明示的に否定していない。そこに、日米安保条約も締結されている。先に見たように、日米安保は、わが国の集団的自衛権を認めて結んでいる条約である。
 また、この段は続いて、「自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきもの」という。しかし、防衛においては、他国の攻撃の質と量によって、応戦するために必要な防衛の質と量が変わってくる。自主防衛の防衛力が、周辺諸国の戦力に比べて圧倒的に勝っている場合は、他国の支援を受ける必要がない。しかし、自主防衛が整備されておらず、周辺諸国が戦力を強化している場合は、他国による支援の有無が、国の存亡に関る事態に至りうる。
 
●昭和56年政府答弁書は支離滅裂

 昭和56年政府答弁書について続ける。答弁書の第2段は、集団的自衛権の行使は、「我が国を防衛するため必要最小限度の範囲」を「超えるものであつて、憲法上許されない」という。「我が国を防衛するため必要最小限度」とは、自衛に関する三要件をいう。この三要件も政策的につくられたものであって、憲法に規定されているわけではない。憲法は侵攻戦争を否定するのみ。攻撃を受けた場合、あるいは受けることが明白な場合の自衛権の行使を妨げるものではない。同盟国が攻撃された場合は、自国への攻撃とみなされる場合は反撃することを妨げるものではない。
 このようにとらえないと、日米安保は、憲法違反となる。憲法は、集団的自衛権の行使を否定と解すれば、日米安保は憲法違反であり、かつわが国は国連を脱退すべきとなる。わが国は、憲法違反の条約を結んでいることになる。そこまで徹底して論理的に主張する例を私は知らない。そこまで主張するのは極端だと言うなら、憲法は集団的自衛権を認めており、その上に日米安保締結、国連加盟が行われているという理解に行き着くだろう。

 続いて第3段は、私には支離滅裂としか言いようがない。「我が国は、自衛権の行使に当たつては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使する」というのは、憲法第9条の明示的な規定ではない。第9条の解釈に基づく政府の政策に過ぎない。それなのに「我が国は、自衛権の行使に当たつては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としている」、だから「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない。」と断定するのは、大きな飛躍がある。政府がこういう解釈・政策を取っているのだから、それで不利益をこうむることはないというのは、倒錯した論理である。他国の侵攻を受け、国の防衛ができなければ、領土を侵犯され、国民の生命・財産を奪われ、主権を簒奪される。国益上、これほど大きな不利益はない。
 ここには、国の独立と主権、国民の生命と財産を、公僕としての責任を持って守るという姿勢が見られない。憲法第9条を守っていれば、日本は平和でいられるという、国民の相当数に見られる素朴な思い込みと、内閣法制局の官僚の発想とは、立脚点が殆ど変わらない。戦後の憲法とその教育が、官僚から庶民まで、「平和ボケ」「保護ボケ」の集団を生み出したものだろう。

●答弁書の定義の欠陥を突かれる

 昭和56年5月29日の政府答弁書をまとめた時の内閣法制局長官は、角田禮次郎である。同年6月3日、衆議院法務委員会において、稲葉誠一議員の質問に答えて、角田長官は、次のように答弁している。この答弁は、政府答弁書の内容をもとに、さらに具体的に見解を述べたものである。
 私の立場から見れば、あきれ果てた内容であるが、今日に至るまで法務官僚や政治家を呪縛しているものとして、具体的に見ておこう。

 まず集団的自衛権の定義についてである。稲葉は、私と違って、集団的自衛権の行使を全面的に否定しようとする立場から、政府を追求する。
 稲葉は、質問する。「集団的自衛というのだから、自分の国が何らかの攻撃を受けておるとか受ける可能性があるとかいう言葉は当然入らなければ、自衛権という言葉は意味が生まれてこないのじゃないですか。この定義はきわめて不完全じゃありませんか。()こういうふうなことが入るのじゃないですか。「すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、」ここで文章が入るわけですよ。いいですか。「これをもって自国の安全を侵害するものと認める国が実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。」自国の安全を侵害するものとこれを認めて、初めて自衛権という概念が入ってくるので、この定義だけでは自衛権という概念が入ってこないのじゃないですか。きわめて不正確じゃないですか」と。
 角田長官は、次のように答える。「確かに集団的自衛権というのは、御承知のように国連憲章五十一条によって確立された概念でございます。(略)確かに、自国と密接な関係にある他の国が攻撃を受けて自分の国は攻撃を受けていない、しかし、それをあたかも従来の自衛権の観念に置き直してみれば、自国に対する攻撃と考えることによって他国を援助するというか、他国に対する別の国の攻撃を排除する、こういう意味でございます。したがって、おっしゃるとおりでございます。」
 稲葉は、「だからおっしゃるとおりだといま法制局長官が言っているので、だれが書いたか知らぬけれども、あいだが抜けているのですよ、このページは。これでは定義になりませんよ。こういう書き方をしちゃいけない。不親切な書き方ですね。それで問題点をごまかそうとしている書き方ですね。(略)」
 私が書いてきたように、政府による集団的自衛権の定義には欠陥があり、護憲親ソの行使反対派はその点を明らかにして、政府にこの権利を行使させないように攻撃しているわけである。

●内閣法制局長官が集団的自衛権を全面否定

 集団的自衛権の行使を全面的に否定しようとする社会党議員の追及を受けて、角田内閣法制局長官は、行使を全面否定する答弁を繰り返した。
 「わが憲法というのは世界のどこにもない憲法でございまして、そして憲法九条の解釈として、自衛権というものは(略)わが国が外国からの武力攻撃によって国民の生命とか自由とかそういうものが危なくなった場合、そういう急迫不正の事態に対処してそういう国民の権利を守るための全くやむを得ない必要最小限度のものとしてしか認められていない、こういうのが私どもの解釈でございます。
 そうなりますと、国際法上は集団的自衛権の権利は持っておりますけれども、それを実際に行使することは憲法の規定によって禁じられている。つまり、必要最小限度の枠を超えるものであるというふうに解釈しているわけです。そこで、国際法上は持っているにもかかわらず、現実にそれを行使することは国内法によって禁止をされている、こういうふうにつなぎ合わせているわけでございます。」
 「もともと集団的自衛権というのは国際法上の観念でございますから、独立国家としてそれは持っておりますけれども、結局集団的自衛権は憲法によって行使することができないわけでございますから、それ国内法上持っていないと言っても結論的には同じだと思います。」
 「集団的自衛権につきましては、全然行使できないわけでございますから、ゼロでございます。ですから、持っていると言っても、それは結局国際法上独立の主権国家であるという意味しかないわけでございます。したがって、個別的自衛権と集団的自衛権との比較において、集団的自衛権は一切行使できないという意味においては、持っていようが持っていまいが同じだということを申し上げたつもりでございます。」
 「私どもは、集団的自衛権を確かに持っている、そしてそれを行使できないのだという説明を理論的にはできると思います。しかし、私どもの立場から見ますと、集団的自衛権というものは全く行使できないわけでございますから、それを国内法上持っていると言っても全く観念的な議論なんです。そういう意味において誤解を招くおそれがありますので、私ども集団的自衛権行使できない、それはあたかも持っていないと同じでございます。個別的自衛権の場合と同じように持っているけれども、行使の態様を制限されるものとは本質的にやや違うということを実は強調したいわけでございます。」

 角田の言うポイントを取り出してみよう。
 「国際法上は持っているにもかかわらず、現実にそれを行使することは国内法によって禁止をされている」「憲法によって行使することができないわけでございますから、それ国内法上持っていないと言っても結論的には同じ」「集団的自衛権につきましては、全然行使できないわけでございますから、ゼロでございます」「持っていようが持っていまいが同じ」
 徹底的に否定的である。角田が、集団的自衛権の行使は「国内法によって禁止」されている、と言うときの国内法とは、憲法のことである。憲法が集団的自衛権の行使を禁止している、「全然行使できない」「ゼロ」とまで、全面的に否定する。さらに、「持っていようが持っていまいが同じ」として、権利の保有をも否定同然とする。これは、集団的自衛権の保有と行使を分けて、国際法上は保有するが、憲法上行使できないという政府解釈より、遥かに極端な見解である。行使の全面否定だけでなく、保有まで否定同然とするのは、もはや理性的な解釈というより、とにかく何が何でも否定したいという心理的な拒否、感情的な打消しとしか思えない。
 角田は「集団的自衛権というものは全く行使できないわけでございますから、それを国内法上持っていると言っても全く観念的な議論なんです」とも述べている。国際法上だけでなく、憲法上も、集団的自衛権を保有するという主張を、「全く観念的な議論」だと角田は言う。観念的には持っていると言っても、行使できないのだから、実際には保有していないのと同じだとするのが、角田の言い分である。これこそ観念的な議論なのだが、本人はそのおかしさに全く気づいていない。
 憲法は、集団的自衛権を明示的に否定してない。もともと昭和30年代の岸内閣においては、保有するのは当然であり、行使はできるが制限されるという解釈だった。その解釈が昭和40年代から変化し始め、昭和47年の政府資料ではっきり解釈を転換し、56年には行使を全面否定し、さらには保有しないも同然という極端な地点まで達したのである。

●昭和56年当時、日本が置かれていた状況

 角田が国会でこういう答弁をした昭和56年(1981)、日本はどういう状況にあったか。
 その前年アメリカでは、ロナルド・レーガンが大統領となり、対ソ強硬政策を取っていた。当時、ソ連は力の絶頂にあり、その軍拡が世界の脅威となっていた。57年にブレジネフ書記長が死去し、その後、アンドロポフ、チェルネンコと強硬派の指導者が続いた。1980年代半ばにはソ連が圧倒的に軍事的な優位を得て、大規模な軍事行動を起こすのではないかと危惧されていた。元NATO軍司令官ジョン・ハケット将軍は、53年(1978)にシミュレーション小説『第三次世界大戦―1985年8月』を著してソ連の欧州侵攻を警告した。同書は、日本でも話題を呼んだ。
 日本では、ソ連は社会党に資金援助をして左翼政権を樹立させ、自己の覇権の下に置こうとしていた。その際の最大の障害は、日米安保だった。それゆえ、ソ連は日本の集団的自衛権行使を封じてアメリカとの同盟を弱め、さらには日本に安保を破棄させようとしていた。日本に侵攻する際(それを「解放」という)、邪魔者となる米軍を追い出しておければ、労少なくして日本を手に入れられる。そのお先棒かつぎをしていたのが、社会党の議員だったわけである。
 これに対し、自民党の政治家や事務官僚は、現行憲法と自らの自制的解釈に縛られ、社会党議員の追及に押され、妥協して、ますます集団的自衛権行使に関して制約的な解釈へと突き進んで言ったのである。(ージの頭へ

 

ber117

 

第6章 日中国交回復と専守防衛で一般的禁止に

 

●政府解釈の変化の背景に、日中国交回復と専守防衛政策が

 集団的自衛権に関する政府解釈は、昭和47年の政府資料で転換し、56年の答弁書で定着した。
 先に書いたが、昭和40年代のわが国の指導層は、経済的繁栄に酔いしれ、アメリカの軍事的な保護の下、「平和ボケ」ならぬ「保護ボケ」に陥った。こうした中で、社会党の議員は、執拗に安全保障問題で政府を追及した。自民党の政治家は、官僚に答弁させ、官僚は、親ソ容共の社会党に擦り寄る形で、質問に答える。米ソ冷戦期、保革拮抗の55年体制の下で、この馴れ合いを続けているうちに、国防に関する憲法・関係法の政府解釈は、より自制的な解釈に進んでいった。またその背後には、社会党に資金援助をして左翼政権を樹立させ、自己の覇権の下に置こうとするソ連の存在があった。ソ連は日本の集団的自衛権行使を封じてアメリカとの同盟を弱め、さらには日本に安保を破棄させようとしていた。社会党の議員は、護憲平和主義の旗の下に、ソ連及び国際共産主義に有利になるような政治活動を行なっていたのである。
 これが、昭和40年代から50年代半ばにかけて、わが国の政府が、集団的自衛権の行使について、自制的解釈、さらには全面否定の解釈に突き進んだ理由だろうと私は見ている。

 実はそれだけではなく、そこにはもう一つ背景的な理由があると私は考えている。それは、昭和47年(1972)の日中国交回復と、それに伴う専守防衛政策への転換である。集団的自衛権に関する議論には、直接関係がないように思う人が多いだろうが、これまで述べてきたように、私は集団的自衛権の問題は、自衛権そのものの問題だと考えている。自衛権そのものの解釈が変われば、当然集団的自衛権の行使は、基本的な前提条件が変わる。日中国交回復と、それに伴う専守防衛政策への転換は、わが国の自衛権に関する重大な解釈変化をもたらしたがために、集団的自衛権の行使についても、重大な制約を生み出したのである。
 日中国交回復と、それに伴う専守防衛政策への転換は、自衛権そのもの及び集団的自衛権にどのように変化をもたらしたのか。その経緯を記したい。

●専守防衛と戦略守勢の違いとは

 「専守防衛」という言葉は、現在では、あたかも憲法制定以来の原則であったかのように誤解されている。実際は、「専守防衛」は、昭和40年代に入って使われ始めた言葉である。当初、専守防衛は、政治的な用語で、確定した定義はなかった。45年ごろ当時の中曽根康弘官房長官が言い出したらしい。

 防衛庁は、昭和45年(1970)に『日本の防衛』を発表した。初めての防衛白書である。この白書は、「専守防衛の防衛力」という項目に、次のように記述している。
 「わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする。専守防衛の防衛力は、わが国に対する侵略があった場合に、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである」。

 「専守防衛」を本旨とするとしながら、「戦略守勢」という用語も使用している。「戦略守勢」は軍事用語で、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地へも反撃を行う。また、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃を行うことも含む。
 したがって、昭和45年の時点では、専守防衛といっても、防衛庁の見解は、攻撃を受けた場合の敵基地への反撃や自衛のための先制攻撃ができるものだったと考えられる。

 この見解は、昭和31年(1956)、鳩山一郎首相が打ち出したものだった。同年2月29日、鳩山一郎首相は、衆院内閣委員会で防衛問題について答弁した。当日鳩山は公務で委員会を欠席したので、船田中(ふなだ・なか)防衛庁長官が首相答弁の要旨を代読した。内容は、以下のようである。
 「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して滅亡を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう攻撃を防ぐのに万やむをえない必要最小限度の措置を取ること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」
 誘導弾とは、ミサイルのことをいう。この時点でアメリカのほかに核兵器を持っていたのは、日本周辺ではソ連だけだった。鳩山は、ソ連を想定している。場合によって、ソ連の核ミサイル基地を攻撃することは、憲法上可能だという見解を、鳩山は明らかにしたわけである。独立回復後、数年のうちの日本の政治家は、こういう気概を持っていた。

 昭和45年版の防衛白書は、専守防衛といっても、防衛庁の見解では、攻撃を受けた場合の敵基地への反撃や自衛のための先制攻撃ができるというものだった。ここには、鳩山の主旨が貫かれていると見てよいだろう。
 この白書は、他国を侵略する兵器は持てないが、自衛のために攻撃する兵器は持てるという見解を示していた。B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦、ICBM等は保有しないとしているが、世界最高級のB52まではいかない長距離爆撃機であれば、保有しうるということである。モスクワまで届くミサイルは持てないが、シベリア、北京に届くミサイルを持つことは可能。シーレーンを往く艦船を護衛する小型空母は可能。こういう余地があったわけである。

 現行の「平和憲法」の下でも、45年版防衛白書は、このように書いていた。これは、昭和30年代の鳩山・岸の意思を保持したものであって、45年版白書の内容のままであれば、わが国は平成になって北朝鮮の核に右往左往することなく対応でき、外交においてももっと毅然とした姿勢をとりえただろう。集団的自衛権の行使に関しても、限定的ではあっても行使できるという見解にたって研究がされたはずである。
 ところが、この後、専守防衛という用語は、戦略守勢と異なる受動的な防御を専らとするという意味に変質する。わが国の防衛政策は、昭和40年代後半から大きく後退してしまうのである。
 この後退には、米中接近・日中国交回復という戦略・政略の一大変化が関係していた。そのことが、集団的自衛権の行使に関する政府解釈の変化と関係しているというのが、私の着眼点である。

●昭和47年、米中提携で密約が

 昭和45年版の防衛白書における専守防衛は、戦略守勢という意味だった。戦略守勢であれば、敵基地への反撃や自衛のための先制攻撃ができる。しかし、この考えに重大な変化が生じた。それは、日中国交回復以後である。
 軍事評論家の柿谷勲夫氏は、次のように指摘する。
 「わが国の政府与党は、私利私欲、保身のために、野党に迎合、根本問題で妥協し、防衛問題を先送りしてきた。この傾向は昭和40年頃以降、特に日中国交回復以降顕著である」(『徴兵制が日本を救う』展転社)

 昭和45年(1970)4月、中国は、人工衛星の打ち上げに成功し、日本を射程に収めるIRBMの技術を取得した。高度経済成長を続ける日本が経済大国に成長する傍らで、中国は着実に核大国へと成長していった。
 佐藤栄作首相は、昭和43年(1968)に、非核三原則を政策として掲げた。この三原則は、その後、あたかもわが国の国是のように固定してしまう。わが国は、共産中国の核への防備を進めることなく、アメリカの「核の傘」に深く依存するという選択をした。
 しかし、中国はIRBMを保有したことで、「第二撃能力」を獲得した。中国は、在日米軍と日本国民を人質に取ることによって、アメリカの優位を崩し、アメリカの「核の傘」は、ほころんだ。ここでアメリカは、世界戦略の見直しに迫られた。ソ連の核だけでなく、成長する中国の核攻撃力をも考慮に入れた戦略の策定である。
 昭和47年(1972)2月、ニクソン大統領は、わが国に事前協議なしに訪中し、米中共同声明を発表した。台湾とは断交した。アメリカは、ソ連への対抗のために中国と結ぶというバランス・オブ・パワーの理論によって、戦略・政略を選択した。
 それまでアメリカとともに共産主義に対抗してきたわが国にとっては、晴天の霹靂だった。しかし、わが国は、アメリカに追従するしかなかった。同年9月、田中角栄首相が北京を訪れ、毛沢東・周恩来と会談し、29日に日中共同声明を発表した。

 国際政治アナリストの伊藤貫氏によると、米中接近のため、ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官が、周恩来首相と北京で会談した際、米中両国政府は対日政策に関する密約を結んだ。この密約の要点を書きとめたニクソンの手書きのメモが残っているという。密約は、次の三点である。

 @東アジア地域において、日本にだけは核兵器を持たせない。
 A米軍は日本の自主防衛政策を阻止するため、日本の軍事基地に駐留し続ける
 B日本政府には、朝鮮半島問題と台湾問題で発言権を持たせない。

●田中首相による受動的専守防衛への転換

 田中首相は当時、ニクソンやキッシンジャーまたは周恩来から、アメリカと中国と結んだ密約について聞かされていたのだろうか。私には、そうは考えられない。田中は、キッシンジャー外交の裏が読めないまま、アメリカの外交に従い、わが国の防衛戦略に重大な変更を行ったのだろうと私は想像する。

 防衛戦略の重大な変更は、日中国交回復の翌月に行われた。昭和47年の10月31日、田中は、衆院本会議で次のように答弁した。
 「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うということでございまして、これはわが国の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。
 なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されないーー専守防衛と同様の意味を持つものでございます」と。
 これが、その後、30年以上、わが国の防衛政策を制約した政策の変更である。田中は、ここで専守防衛を「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と説明している。

 田中のいう意味での専守防衛は、戦略守勢の概念とは大きく異なる。戦略守勢は、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地に反撃するし、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃することも含まれる。
 ところが、田中は、戦略守勢を、田中が上記のように定義した専守防衛と同様の意味のものであるという。これは、戦略守勢の本来の意味を否定し、受身の防御をもって「専守防衛=戦略守勢」だと歪曲したものである。
 田中答弁は、わが国の自衛権の行使を、受動的な守り一辺倒のものに限定したものである。これは、集団的自衛権の行使の限定よりも、はるかに重要な意味を持っている。わが国が自国を守る権利そのものを自ら制約するものだからである。同時に、専守防衛が基本政策になれば、集団的自衛権の行使は、当然より制限的なものとなるわけである。

 田中首相が意識的に国防政策を変えたとすれば、これは自国より他国を有利にする転換である。無知による誤りだったとしても、その政治的責任は大きい。田中は、日中国交回復によって、経済的な利益を求める一方、わが国の防衛を危うくした。私は、国益を大きく損ねた重大な過失だと思う。そして、その背後には、日本の核武装と自主防衛を阻止し、東アジアで日本に発言権を持たせないという、アメリカ・中国の密約があったものと思う。

 専守防衛という政策は、よほど国防をしっかりしないと、国を危うくする。相手が攻めてくるのを防ぐのみでは、相手はこちらが防ぎきれなくなるまで攻め続けるだろう。よほど守備がしっかりしていないと、執拗な攻撃を防ぎきれず、敗北する。スポーツでも武道でも、彼我の力に大差がない限り、防御だけで守り通すことは、できない。
 もし専守防衛という理想を追求するなら、よほど国民の国防意識を高め、共同防衛の義務を徹底し、防備と訓練を怠らないようにしなければならない。私は、永世中立国だったスイスに学ぶべきものが、非常に多いと考えているが、わが国は、スイスに比べ、国民の国防意識が著しく低く、防衛の装備も訓練もされていない。非常事態のマニュアルもない。核シェルターもない。受身一方の専守防衛政策を取りながら、国民をこのような状態に置いてきた政治家の怠慢は、許しがたい。しかし、これもまた、そうした政治家を選び、国政をゆだねてきた国民にも責任がある。

●日中国交回復と専守防衛が集団的自衛権を一層制約的に

 ここで集団的自衛権の問題との関係を指摘しておきたい。私は、日中国交回復とそれに伴う専守防衛政策への転換が、集団的自衛権の行使を一層制約的にした背景的な理由だと指摘している。共産中国との国交、防衛政策への転換によって、自衛権そのものの解釈に重大な変化があったことが、集団的自衛権の行使の解釈にも影響を与えたと考えるのである。
 昭和47年の9月から10月にかけての約1ヶ月のうちに、わが国の国防政策に重大な変化があった。昭和47年(1972)9月に田中首相が訪中して、同月29日に日中共同声明を出した。その約2週間後の10月14日、政府は、参議院決算委員会に集団的自衛権に関する資料を提出した。この政府資料が、集団的自衛権の行使に関する政府解釈を、一層自制的に転換する転換点となった。その約2週間後の10月31日、田中首相が衆院本会議で、専守防衛とは防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うこと、これはわが国の基本的な方針であってこの考え方を変えることは全くない、戦略守勢も専守防衛と同様の意味のもの、と答弁した。
 時系列的に並べれば、日中国交回復⇒集団的自衛権の行使を自制的にする政府資料の提出⇒専守防衛政策への転換、となる。

 私は、田中が防衛政策を専守防衛というまったく受動的な政策に切り替えたのは、共産中国と国交を結んだことと深く関係していると判断する。毛沢東は、昭和39年(1964)に核実験に成功し、昭和45年(1970)年4月には、人工衛星を打ち上げ、IRBM(中距離弾道ミサイル)が完成していることを世界に示した。これにより、中国は、日本とわが国にある米軍基地を攻撃することができるようになった。この時からわが国は、中国の核ミサイルの標的になっている。
 こうした中国と、わが国は国交を樹立した。国交を開いたからといって、受動的な専守防衛政策を取る必要はない。田中の答弁は、中国に対して、アメリカと一緒に貴国と戦う意思はありませんよ、仮に貴国がわが国を攻撃しても本気で戦う気はありませんよ、と意思表示したようなものである。私は、この田中の姿勢が、今日に至るシナへの属国化の始まりだと思う。
 戦略守勢は、防衛が主だが、敵基地への反撃や、明らかに敵が攻撃しているという状況での先制攻撃を含む概念である。これも「自衛のための必要最小限の範囲」という表現で、理論化できるのである。ところが、田中角栄は、戦略守勢から専守防衛に政策を転換した。専守防衛は、受動的防衛を意味し、一方的に守りのみの政策である。軍事的には、守り一本で攻撃を封じた場合は、守りきれない。本来、政府が守るのは、憲法という紙切れではない。国家の主権と独立、国民の生命と安全である。この根本を欠いた政策が、専守防衛である。田中は、中国との国交樹立に熱心なあまり、国家根幹の問題で国益を見失ったのである。

●昭和51年版防衛白書の「攻撃なき専守防衛」

 本稿の主題である集団的自衛権については、昭和47年の政府資料での自制的見解の打ち出しの後、昭和56年の答弁書でそれが定着した。この間、わが国の防衛政策は、重大な変更が行なわれた。昭和47年の田中答弁の後、昭和51年に「防衛計画の大綱について」が策定され、それをもとにした第二版の防衛白書が発表されたことである。
 この白書では、「戦略守勢」という軍事用語が削除された。すなわち、「わが国の専守防衛に徹する防衛力」とか「わが国の防衛力は自衛に徹する専守防衛のものでなければならない」とかの表現が使われ、戦略守勢とは言っていない。ここでの専守防衛は、45年版のそれとは意味が変わっている。自衛のための攻撃を行わない受動的な防御の意味になっている。田中が「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と定義した専守防衛に変化している。

 昭和45年版の防衛白書は、他国を侵略する兵器はもてないが、自衛のために攻撃する兵器は持てるという含意のある見解だった。ところが、昭和51年版では、専守防衛の意味の変化により、自衛に用いる攻撃的兵器が持てなくなった。
 45年版は、ICBM、B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦等は保有しないとしていたが、51年版では、長距離弾道弾(ICBM、IRBM)、長距離爆撃機、攻撃型航空母艦等は保有しないという内容になった。45年版は、モスクワまで届くミサイルは持てないが、シベリア、北京に届くミサイルは持てたが、51年版は、北朝鮮に届くミサイルも持たない。IRBMを持たないからである。長距離爆撃機には「B52のような」という限定がなくなり、長距離爆撃機を一切持たないことした。
 これによって、わが国は敵基地を攻撃し得る兵器を持つ意思を否定した。これは、防衛戦略の大きな後退である。憲法の規定は、変わらない。同じ第9条2項のもとで、国防の制約を自ら行ったものである。
 昭和51年版防衛白書が刊行された5年後、昭和56年に集団的自衛権に関する政府の答弁書が出された。国際法上、集団的自衛権を保有しているが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものゆえ、憲法上、許されない、というのが、その要旨である。
 政府は、攻撃なき専守防衛を装備にまで徹底した上で、集団的自衛権の行使は憲法上、許されないと、自らの防衛政策を自制したのである。
ージの頭へ

 

ber117

 

第7章 厳しい国際情勢に直面する日本


●国防自制の間に、北朝鮮も核保有へ

 わが国の政府は、自衛権そのものについては、昭和47年に専守防衛政策に転換し、51年版防衛白書でそれを具体化した。集団的自衛権については、昭和47年の政府資料で自制的政策を出し、56年の答弁書で明確化した。こうして、わが国が国防を極度に自制している間に、中国は、わが国を標的にする核ミサイルを増産してきた。この間、中国だけでなく、北朝鮮までが核兵器を保有するようになった。
 金正日は、平成5年(1999)に核拡散防止条約を脱退し、核開発を進めた。北朝鮮は、平成8年(1996)には、数発の核爆弾を保有したと見られる。平成10年(1998)、北朝鮮が発射したテポドンと見られる飛翔物が、わが国の頭上を越えて、太平洋上に着弾した。日本人は度肝を抜かれ、にわかに、国防が論じられるようになった。北朝鮮は、平成18年(2006)7月ミサイルを乱射し、10月には核実験を強行した。中国は、SLBMを搭載した原子力潜水艦を持ち、さらに航空母艦の保有・建造を進めている。
 わが国は、アメリカ一国としか軍事同盟を結んでいない。だから集団的自衛権の問題は、事実上、アメリカとの防衛協力の問題である。防衛計画は、具体的な対象国を想定して、策定される。対象国は周辺諸国であって、わが国の周辺諸国とは、ソ連、中国、台湾、韓国、北朝鮮である。そのうち、昭和40年代、50年代の当時、国益やイデオロギーで強く対立するのは、ソ連、中国、北朝鮮の3国だった。こうした国際環境において、自ら自衛権の行使に制限をかけ、それによって集団的自衛権の行使も自制的にしたわが国政府の誤りは、非常に大きい。

 さすがにわが国の指導層も、防衛政策の見直しに迫られ、平成15年(2003)、小泉純一郎内閣において、有事関連三法が制定された。新設された武力攻撃事態法では、先制的自衛権が認められている。これは、田中角栄以来の受身的な専守防衛を否定し、戦略守勢に戻そうとするものと理解できる。しかし、後になって戻さねばならないような政策をやってきたとすれば、この約30年間はなんだったのか、ということになる。田中及びそれ以後の政治家が、国防に関して国益を損ねてきたことは、厳しく批判されねばならない。
 専守防衛への政策転換は、単に政策が変わったということではない。防衛政策では、防衛のための装備が変わるのである。後年政策の誤りに気づいて元に戻そうとしても、装備のやり直しは、簡単にはできない。多額の予算を要し、時間を要する課題だからである。
 またそれ以上に重大な誤りは、政府が国民に対し、憲法第9条のもと、専守防衛を掲げていれば平和でいられるという幻想を持たせ、自ら国を守るという意識をほとんど皆無に近いほど希薄にさせてきたことである。経済大国となった日本には、愛国心も公共心もなく、利己的で物欲が強く、浮薄で刹那的な生き方に溺れる人々が満ち溢れることになった。戦後日本人は、昭和40年代以降、一層日本精神を失ってきたのである。
 その日本を、ファッショ化する共産主義・中国、そして国際テロと連携する全体主義・北朝鮮が、虎視眈々と狙っている。日本を守るための集団的自衛権の問題に関しても、昭和40年代からの防衛政策の誤りが今日になって大きく露呈しているのである。

●1990年代以降の世界における日本の危うさ

 米ソ冷戦下において、わが国は、ほとんど奇跡的に生存・繁栄することが出来た。米ソの力が拮抗し、アメリカは極東の基地として利用できる日本を防衛することで、ソ連に対し有利に処することが出来た。しかし、ソ連の崩壊によって冷戦が終結した後は、国際社会の構造が、大きく変化している。その世界において、わが国の存在は危ういものとなってきている。戦勝国によって押しつけられた主権制限憲法を改正せず、国防を外国に依存し、集団的自衛権の行使を否定し、専守防衛の守り一辺倒の政策で自縄自縛している日本は、世界の急速な変化の中で、自ら自己の存立を危ういものにしている。
 1990年代のアメリカは、唯一の超大国として世界に君臨した。アメリカの大統領は地球大統領であるかのように、力の絶頂にあった。ところが、その盛期は長く続かなかった。サミュエル・ハンチントンが著書『文明の衝突』で分析・予測したように、世界は、文明を単位として対立する方向に変貌してきた。とりわけシナ文明とイスラム文明が台頭し、西洋文明との緊張を高めている。
 平成3年(1991)の湾岸戦争では、アメリカがイスラム諸国に対し、圧倒的な優位を誇った。しかし、10年後には早くもそうはいかなくなった。平成13年(2001)、9・11という謎の多い事件を経て、アメリカはアフガニスタンに侵攻し、15年(2003)5月にはイラク戦争に突入した。大巨人アメリカが、イラクの砂漠で足を取られ、ベトナム戦争以来の混迷に陥っている。
 9・11以後、わが国はアメリカへの追従を一層強めている。アメリカの混迷は、わが国により深い混迷をもたらしている。

●わが国の安全保障は戦後かつてなく重大な課題に

 アメリカの世界支配が傾くなかで、1980年代から急速な経済成長を続けてきた中国は、過去18年連続して軍事費を10%以上増加させている。今やかつてのソ連に替わって、中国がアメリカのライバルの地位にのし上がっている。石油・資源の争奪戦を繰り広げる米中の対立は、諸大陸に広がっている。この状況を米中の冷戦ととらえる識者は多い。

 わが国では、冷戦の終焉というと、共産主義が全面的に後退し、自由主義・デモクラシー・資本主義が全世界に普及したかのように錯覚している人が多い。確かにユーラシア大陸の西部・北部では、ソ連・東欧の共産政権が倒れた。ベルリンの壁の崩壊によって、西ドイツと東ドイツは、統一ドイツになった。しかし、ユーラシアの東部では、共産中国が強大化し、台湾と正統性を巡って対立している。朝鮮半島では、韓国と北朝鮮が依然として、38度線をはさんで対峙している。東アジアでは、冷戦は終わっていないのである。
 わが国は、こうした国際環境に、半世紀以上、生存している。北朝鮮による日本人拉致も、金政権の南進政策の一環として行なわれた。拉致は、昭和50年代、1970年代後半から80年代前半に集中している。まさに冷戦下の事件である。それが、冷戦が終結した平成初年代、1990年代以降、現在になってもなお解決していない。これは、東アジアでは、冷戦は終わっていないことの一証左である。こうした冷戦の継続する東アジアに、新たに米中冷戦という構図が加わったのである。
 その上、一度は解体した旧ソ連から、ロシアが息を吹き返した。ロシアは、核と石油を持つ新興大国として、BRICSの一角を占め、東アジアで存在感を強めている。中国は、ロシアと手を結び、そこにイスラム諸国が加わって、反米で連携している。アメリカは、イラク戦争の収拾と中東での石油支配の確立という課題を優先し、東アジアでは中国との正面対決を避けようとしている。下手をすると、わが国は、アメリカから軽んじられ、中国にじわじわと併呑されていく恐れがある。

 今日ほど、わが国の安全保障が重要になった時は、昭和10年代以来ないのである。だからこそ憲法の改正や集団的自衛権の行使が、戦後のどの時期における以上に、重大な課題になっているのである。
 21世紀の世界において、わが国はどうあるべきか。従来のように単なる従米や、中国への乗り換えで、済む状況ではない。独立主権国家としての主権の回復・確立と、世界戦略の策定が必要である。

 今日の国際社会を展望して、わが国のあり方を整えるには、1990年代の湾岸戦争の時点から今日に至るわが国の外交・安全保障政策を振り返って、よく検証する必要がある。集団的自衛権の行使に関する政府解釈の見直しが起こってきたのも、湾岸戦争後だった。この点を次に概述したい。

●湾岸戦争で評価されなかった日本の貢献

 昭和54年(1979)12月、ソ連はアフガニスタンに侵攻した。アメリカはこれに対抗するため、イスラムの抵抗グループを育成し、資金援助や軍事訓練を行なった。戦争は長期化し、ソ連は戦費が財政を圧迫した。結局、平成元年(1989)2月、ソ連はアフガンから撤退した。この戦争は、ソ連崩壊の一要因となった。
 ソ連がアフガンから撤退した後、アメリカは中東での覇権の確立を目指した。ソ連が崩壊する約11ヶ月前の平成3年(1991)1月、アメリカのブッシュ大統領(父)は、イラクに侵攻した。湾岸戦争である。この戦争は、アメリカの主導で、国連の決議のもと、主要国すべての賛成を得たものだった。前年8月、イラクがクェートに侵攻したのに対し、反撃したものである。対イラク戦争は、アメリカ側の圧倒的な優勢のうちに終結した。アメリカは、湾岸地域に軍隊を駐留させ、中東の石油への管理を強めた。

 この時、わが国は、多国籍軍への国際貢献として、130億ドルを支援した。1兆円を超える大金である。ところが、戦後クェートが出した声明には、わが国への感謝の言葉は一言もなかった。金だけ出して、人は出さないという政策では、国際社会で名誉ある地位を得ることはできないことを、日本人は痛感した。このままでは、中東諸国の信頼が低下し、中東の石油資源の安定的確保も難しくなりかねない。こうした中で、自衛隊の国連PKOへの参加が検討されることになった。PKOに参加するとは、国連の主導で紛争地域の平和維持に当たる要員を派遣することである。
 湾岸戦争は、多国籍軍によって担われ、国連事務総長は報告を受けるのみで、正式の国連軍が組織されたのではなかった。しかし、安保理決議に基づいた軍事的制裁ではあり、基本的には国連の集団安全保障の問題であって、わが国の集団的自衛権に直接かかわる問題ではなかった。しかし、国連PKOへの参加は、自衛隊を海外に派遣することになる。昭和29年(1954)の自衛隊創設以来、政府は自衛隊を海外派遣しないという方針を打ち出してきた。そのため、国連PKOへの参加は、集団的自衛権の問題と関係づけて検討された。

●湾岸戦争後、人的国際貢献の模索へ

 現行憲法のもとで、どこまで、目に見える人的国際貢献が可能か。その模索の中で、自衛隊は、湾岸戦争の停戦が発効した平成3年(1991)4月、はじめて海外に派遣された。海外派遣に当たって、武力行使についてどうするか、武器の装備をどうするかという点が、議論に挙がった。
 政府は、それまで集団的自衛権の行使を全面的に否定する解釈を取ってきた。当時も現在も、自衛隊の武力行使には大きな制限が課せられている。自衛隊PKO参加に際し、政府は武力行使と武器使用を区別する見解を打ち出した。

 「『武力の行使』とは、我が国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいい、(略)『武器の使用』とは、火器、火薬類、刀剣等その他直接人を殺傷し、又は武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする機械、器具、装置をその物の本来の用法に従って用いること。」
 「憲法9条1項の『武力の行使』は、『武器の使用』を含む実力の行使に係る概念であるが、『武器の使用』が、すべて同項の禁止する『武力の行使』に当たるとはいえない。例えば、自己又は自己と共に現場に所在する我が国要員の生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然的権利というべきものであるから、そのために必要最小限の『武器の使用』は、憲法9条1項で禁止された『武力の行使』に当たらない」
 これらは、平成3年(1991)9月27日の衆議院PKO特別委員会に出された政府の統一見解からの抜粋である。「憲法9条1項で禁止された『武力の行使』」にならない範囲で、武器使用を認めるが、武器使用は、「自己又は自己と共に現場に所在する我が国要員の生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然的権利というべきものであるから、そのために必要最小限」という範囲で認めるという論理である。これは、個々の自衛隊員の正当防衛の権利と、それを他の隊員に延長する限りで武器使用を認める、それに限るという趣旨である。

●PKOで自衛隊をカンボジアに派遣

 平成4年(1992)6月、PKO協力法(国際平和維持活動等に対する協力法)が成立した。同法の成立は、人的国際貢献において、ターニングポイントになる出来事だった。この法律の成立によって、わが国の自衛隊は、紛争地域の監視や紛争の仲裁、治安回復、復興に参加することができるようになった。しかし、自衛隊の海外派遣に当たっては、厳しい枠がはめられた。いわゆる「PKO参加五原則」である。すなわち、@紛争当事者の間で停戦合意が成立していること、A中立な立場を厳守すること、Cこれらの原則が一つでも満たされなくなった場合は即時撤収すること、D自衛のための武器使用は必要最小限にすること、という五つである。
 こうした原則に基づくPKO協力法が成立した3ヵ月後、平成4年(1992)9月、自衛隊は初めて国連PKOに参加した。派遣先はカンボジアだった。国際平和協力業務には、大きく分けて、停戦状況や武装解除の監視、放棄された武器の収集や処理などの「平和維持活動」と、輸送や補給、あるいは道路や橋の補修といった「後方支援」がある。PKO協力法案の審議の過程で、「平和維持活動」の業務は、いわゆる本隊業務、つまりPKF(平和維持隊)にあたり、きわめて危険であるとして凍結された。自衛隊が担うのは、「後方支援」に限定された。
 「後方支援」とはいえ、政情が不安定で、反政府ゲリラが活動している国に、自衛隊を送り出すのである。万が一の事態においては、部隊を守るために、応戦できるのでなければ、隊員の身の安全は保障されない。しかし、わが国の国会は、自衛隊の武器使用を厳しく規制し、武器使用は個人の正当防衛の範囲とし、部隊装備は検討しなかった。自衛隊を部隊として海外に派遣するというのに、部隊装備はされていないのである。これは、集団的自衛権の行使に関する問題である。

●政府の自衛権行使の3要件には欠陥がある

 政府は当時も今も、集団的自衛権は憲法上行使できないという解釈を取っている。そのため、自衛権の問題は、現状では個別的自衛権のことに限定される。その意味での自衛権の行使について、政府は、次ぎの三つを要件としている。

 @わが国に対する急迫不正の侵害があること
 Aこれを排除するために適当な手段がないこと
 B必要最小限の実力行使にとどまるべきこと。

 これらの要件を、政府は、そのまま海外派遣する自衛隊の部隊派遣の場合にあてはめて制限している。しかし、これらの3要件は、国内法における個人の正当防衛について言うのと変わらない。政府は、個人の正当防衛の要件を、わが国の国家を防衛するための自衛隊に当てはめている。その結果、自衛隊員が自分個人を守るのではなく、国家・国民を守るために戦う場合が、ここには想定されていないのである。自衛隊が集団で任務に当たる際の部隊の自衛のための部隊装備について、考慮されてない。それゆえ、上記の要件は、他国軍の侵攻を受けた場合の自衛権の要件には、なっていない。政府は、このような全く欠陥だらけのものを自衛権の要件として挙げている。
 そして、わが国を防衛するための武力行使に関してあいまいなまま、自衛隊の海外派遣を決め、武器使用について、国内法における個人の正当防衛の要件を、海外で平和維持活動に参加する自衛隊に当てはめたのである。
 カンボジアに派遣された自衛隊は、もし武装したゲリラに攻撃されたら、隊員個々が個人的な正当防衛としての武器使用は出来ても、部隊としての自衛行動はできない状態だった。非常に危険な条件を、わが国の政府は自衛隊員に課していたのである。
 自衛官も日本国民である。日本国民の利益を守るために、国防に携わっている国民が、自衛官である。特殊な訓練を受けた者でなければ、遂行できない任務を、彼らに与えているのは、国家である。法令や政策の不備によって、彼ら国民の生命を軽く扱ってはならない。

●求められる北朝鮮・中国への対応

 自衛隊のカンボジア派遣後、1990年代の後半から、集団的自衛権の再検討を要する事態が日本の周辺で発生した。一つ目は、平成6年(1994)の米朝間で「戦争一歩前」と言われた北朝鮮の核危機である。二つ目は、平成8年(1996)に行われた台湾史上初の民主的な総統選挙に対し、中国がミサイルで威嚇した中台危機であった。
 これらの危機を背景として平成8年4月、橋本竜太郎首相とクリントン大統領との首脳会談において日米安保共同宣言が出された。これは「安保再定義」となるものであり、日米安保条約の目的は、それまでの「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大された。それに伴い、昭和53年(1978)11月に策定された「ガイドライン」(日米防衛のための指針)の見直しが明記された。
 翌9年(1997)9月に策定された「新ガイドライン」では、「周辺事態」において日本が担う役割として、補給、輸送、警備、民間空港・港湾の米軍使用など40項目が列挙された。これを受けて11年(1999)5月に、対米支援を具体化するための周辺事態法案が成立した。

 ここで「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」と定義された。 
 「周辺」の領域とは「地理的なものではない」とされ、「事態」についても日米双方の「認識・調整・措置」によって定められるとされた。またわが国の米軍に対する支援は、「後方地域」において、「武力攻撃と一体化」しないことを前提に実施されるという定めであった。「後方地域」とは、「現に戦闘行為が行なわれておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行なわれることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲」と規定された。そして、 「近傍において戦闘行為が行われるに至った場合」は、支援活動の「一時休止」、危険「回避」がされると規定された。
 「武力行使」という概念は、戦闘行為を意味するという狭い定義がされている。しかし、国際社会の常識では、後方支援つまり兵粘支援も「武力行使」の一環と理解されている。

●アーミテージ=ナイ・リポートで決断を迫られる

 周辺事態法案が成立した翌年平成12年(2000)10月、元国防次官補のリチャード・アーミテージやナイを初めとした米国の超党派の知日派グループが「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けて」と題する特別報告を発表した。この報告書は、21世紀において日米両国間で「共通の認識とアプローチ」を構築していく重要性を指摘した。またその文脈において、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟関係を制約している。この禁止が取り除かれれば、より緊密で効果的な安保協力が可能となるであろう」との要望を述べている。
 彼らが日本に求めているものは、集団的自衛権の行使であり、武力行使を伴う共同防衛の実現である。この報告書を干渉的要請と取る見方があるが、私は一方的にアメリカが日本に軍事的支援を求めているのではないと思う。わが国自体が、中国や北朝鮮の軍事力の脅威にさらされており、主体的に自衛を考え、国防の整備を迫られているという現実があるのである。

 かつて昭和30年(1955)8月、鳩山政権の重光葵外相が訪米し、ダレス国務長官と会談した際、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約(試案)」という安保改定案を提示した重光に対し、ダレスは、「憲法がこれを許さなければ意味がない」「自衛力が完備し憲法が改正されて、初めて新事態といえる」と答えた。ダレスは、安保改定の要請を受け入れるには、その前提として、日本がまず憲法改正を行うことが必要だと強調したのである。
 その後、駐日大使ダグラス・マッカーサー2世によって、わが国の憲法改正と集団的自衛権への制限解除という課題を棚上げし、その実現を待たずに、安保条約を相互性のあるものに改定するという提案がされ、これを基本的な枠組みとして、安保条約の改定が行なわれた。昭和35年(1960)6月、岸信介政権のもとで新条約が締結された。それによって、安保条約の片務性は、一定程度改善された。しかし、あくまで現行憲法の規定の範囲内での改定だから、わが国の非保護国的な地位が根本的に改善されたわけではない。
 旧安保条約の改定の交渉過程で、集団的自衛権に関する課題が浮かびあがった。ダレス・重光会談以来、実に半世紀以上にわたって、この課題は未解決であり続けている。それは取りもなおさず、現行憲法を制定時の規定のまま固守しているからこその事態なのである。アメリカの知日はグループによる「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けて」は、この課題について、明確に指摘・要望したものだと言えよう。 このリポートに応じることは、必ずしもアメリカの都合で日本を変え、アメリカの言いなりになるパートナーとなることを意味しない。自らの意思で、独立主権国家としての主権を十全に回復し、アメリカと自主的に付き合い、もの申すパートナーとなることは可能である。従米か、自立かは、日本人自身の主体性にかかっている。
ージの頭へ

 

ber117

 

第8章 9・11以後の世界でのわが国の対応

 

●9・11以後、アメリカに追従

 平成13年(2001)9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きた。この事件については、別に拙稿「9・11〜欺かれた世界、日本の活路」をサイトに挙げてあるので、ご参照願いたい。
 9・11は、日米関係に重大な影響を及ぼした。同年10月、米国がアフガニスタンへの攻撃を開始する前夜、小泉政権は、テロ対策特別措置法案をまとめた
 テロ対策特別措置法案は、自衛隊を、極東やアジア・太平洋ではなく、また米軍による戦争が行なわれている領域に派遣するという従来の政策の枠組みを大きく超える内容となっていた。実質的には、海上自衛隊のインド洋派遣を根拠づけるものとなった。
 法案の審議において、小泉首相は、「武力行使はしない。戦闘行為には参加しない。戦場になっていないところでできるだけの支援を行なう」という説明を行った。現実に、わが国の国会は1ヶ月も経ることなく、11月2日に法案を成立させた。驚くべき早さだった。
 テロ対策特措法の成立以来、わが国は、同法に基づいて自衛隊を中東に派遣し、インド洋での海上給油作業等を行なってきた。テロ特措法は、四つの国連安保理決議を引用している。それらの安保理決議は、すべて9・11はイスラムのテロリストによるという認識に立っている。わが国もまたその認識にいて、テロ特措法を制定した。加害者は、オサマ・ビンラディンを首領とするアルカイダであるという前提で、すべてが進んできた。

 9・11以後、わが国は、アメリカにひたすら追従してきた。これはなぜか。わが国は、現行憲法の制約により、自主的な国防力を整備できていない。自力では国を守れない。北朝鮮は、平成10年(1998)8月、わが国の方向にテポドンを撃ち、三陸沖に着弾した。万が一、北朝鮮がミサイルでわが国を攻撃してきたら、頼れるのはアメリカしかない。こういう状態では、わが国はアメリカの戦争を支持し、協力せざるをえない。それが小泉政権の判断だっただろう。
 わが国は現行憲法を放置し、従米的な安全保障体制に甘んじ、そのうえ専守防衛・非核三原則等の自制的な防衛政策を取ってきた。そのことが、わが国の政策の選択肢を限ってしまっている。当時も今も、わが国はアメリカの政策に追従せざるをえない状態にある。

●根本問題を放置した改善策の積み重ね

 テロ対策特措法は、対応措置の実施地域を周辺事態法の地域に加えて、「外国の領域」(当該外国の同意が必要)まで拡大した。また、武器使用については、自衛隊の「管理の下に入った者」の生命身体の防護にも拡張した。
 自衛隊に対する国民の考え方は、国際情勢の激変とあいまって、変化してきている。テロ対策特措法が成立した翌月、平成13年(2001)12月、PKO協力法が改正された。それまで凍結されていたPKF(国連平和維持部隊)への参加が解除された。これによって、自衛隊は、従来の後方支援から、停戦、武装解除の監視、放棄された武器の収集・処分といった幅広い国際協力が可能になった。また、カンボジア派遣の際の経験から、武器使用の制限が、正当防衛の範囲内で緩和された。
 カンボジアでは、「自己又は自己と共に現場に所在する我が国要員」つまり自分または自分と一緒に現場にいる他の隊員が危険にさらされた場合にしか、武器使用が許されなかった。しかし、改正PKO協力法では、近くにいる外国のPKO要員や被災民、政府の要人や新聞記者、ボランティアなども「自己管理下」に入ったとみなして、防御できるようになった。車両や物資が襲撃された場合も同様である。ただし、自衛隊の活動地域に不法に侵入する者に対して、威嚇射撃をしたり、銃を向けたりすることはできないという制限がある。

 小泉政権は、さらに翌14年(2002)4月に、武力攻撃事態法案を国会に提出した。これは、政府与党、防衛庁が長年にわたって実現を求めてきたわが国の有事における法制の整備を図るものであった。同法案は、「武力攻撃」の定義に「武力攻撃予測事態」という場合を含んでいた。
 「武力攻撃予測事態」とは、「武力攻撃には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と定義されている。つまり、武力攻撃はされておらず、また明白な危険が切迫しているという段階ではないが、「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」において、どう対応するかをも法律に決めておくというものだった。また、地理的には、日本の領域外で発生するあろう事態を想定している。そういう法案が国会で成立したということは、国民の意識が大きく変化してきたことの現れである。
 こうした安全保障関係の法律の制定いわゆる有事立法がされると、戦争の準備だと言って反対する動きがある。しかし、一連の有事立法は、侵攻戦争の準備をしているのではない。万が一、外国が侵攻してきた際に、より効果的に自衛ができるように、自衛戦争のための法整備をしているのである。残念なのは、それがアメリカの圧力への対応や、アメリカの行なっている戦争への支援という形で進められてきたことである。また憲法を改正せず、集団的自衛権に関する解釈を改めず、専守防衛政策を戦略守勢政策に転換せずに、有事立法を進めているため、かえって矛盾が大きくなってきていることである。
 国家の本来のあり方を見据え、またいわゆる米ソ冷戦後の世界の変化、特に東アジアでの中国・北朝鮮の軍事力の増大に対応して、もっと根本的に国防政策を立て直さなければならない。またそれを断行しない限り、アメリカへの無批判的な追従から脱することは出来ないのである。

●イラク戦争には特措法で陸自を派遣

 平成15年(2003)3月、ブッシュ政権はイラクに対する戦争に踏み込んだ。小泉首相は、いち速くアメリカを支持した。さらに、米軍によるイラク占領が開始されると、小泉政権は6月中旬に、自衛隊をイラクに派遣するためのイラク特別措置法案を国会に提出した。同法は
イラク人道復興支援特別措置法と称し、イラクにおける人道復興支援を目的とする。戦争は終結したとはいえ、国内の治安が安定していないイラクで支援活動を行うには、自衛隊をおいてほかにない。審議は短期間に進み、法案は7月末に成立した。
 テロ特措法では、自衛隊の活動領域は「公海及びその上空」とされ、「外国の領域」で行動するには「当該外国の同意」が前提とされていた。これに対し、イラク特措法案では、地上部隊の派遣が最大の任務とされ、実質的に現地米軍当局の同意があれば、外国領域であるイラクに足を踏み込むことができるとされた。ただし、自衛隊が活動できる範囲は、戦闘地域ではない非戦闘地域に限定される、とされた。
 イラク特措法が制定された翌年平成16年(2004)1月、わが国は、陸上自衛隊をイラクに送り出した。イラク特措法はあくまで復興支援の活動が目的であって、武力行使と一体とならない措置が前提とされている。また、小泉首相は、派遣する地域は非戦闘地域であると説明した。しかし、非戦闘地域にも戦闘がいつ広がるかわからないのが、戦争である。派遣先のサマーワは、非戦闘地域とされるとはいえ、時には陣地内や周辺に迫撃砲弾が打ち込まれる地域であり、展開によっては、戦闘地域に変じる可能性のある地域である。
 こうした地域にわが国の政府は、自衛隊を差し向けたのだが、隊員個人の正当防衛用の武器の携行を認めるのみで、部隊自衛用の部隊装備は認めなかった。もし武装したゲリラに攻撃されていたら、隊員は個人的な正当防衛としての武器使用は出来ても、部隊として自衛する行動はできなかった。部隊の自衛のための武力行使すらできないのだから、他国の軍隊に守ってもらうしかない。もし他国の軍隊が攻撃を受けても、援護することはできない。他国にとっては、イザという時にはまったく頼りにならない存在だった。幸いサマーワでの陸上自衛隊の活動は、戦闘に巻き込まれることなく任務を完了し、全員無事に帰国した。これはほとんど奇跡といっても良いことだった。

●アメリカへの盲従ではない主体的な選択を

 イラク戦争で日本が自衛隊を派遣した目的は、なんだったのか。第一は、国際社会イラク人自由で民主的な国を作るのを支援しているとき、国際社会の一員である日本が日本に出来る貢献をするのは、先進国としての責任である。第二は、日本は、石油の90%以上を中東地域に依存している。しかも、イラクの原油の埋蔵量は、サウジアラビアについで世界第二位であり、この地域の平和と安定を回復することは、日本の国益にかなうことだった。
 しかし、開戦後、イラクには大量破壊兵器がなかったことが明らかになった。アメリカがイラクに派遣した調査団は、平成16年(2004)10月、「イラクに大量破壊兵器は存在しない」という最終報告を提出した。大量破壊兵器を保有しているというCIAの情報は、誤っていたことが明らかになった。それによって、この戦争の正当性は、根底から大きく揺らいだ。
 ブッシュ政権は、誤情報を鵜呑みにしたのか。それとも、核兵器・生物兵器・化学兵器は存在しないことはわかっていて、戦争を始めたのか。真相は明らかではない。アメリカの議会も、国連安保理も、この点を徹底的に追及しようとはしていない。
 わが国は、大量破壊兵器が存在しなかったことが明らかになっても、当初の政策を変更していない。アメリカの政策を一切批判することなく、従順につき従った。これも、国防をアメリカに依存している状態だからである。
 私は、憲法を改正し、集団的自衛権の行使をできるようにし、そのうえで国連の平和維持活動への参加は、政策として主体的に判断すべきだと考える。また、自衛隊を海外に派遣するのであれば、部隊自衛用の部隊装備をしたうえで行くべきだと考える。これはアメリカに盲従するためではない。独立主権国家としての基本的なあり方を取るべきだということである。

●政府解釈による様々な不都合

 9・11以後、わが国はテロ特措法とイラク特措法を作り、前者に基づいて、海上自衛隊をインド洋に派遣し、後者に基づいて陸上自衛隊をイラクに派遣した。自衛隊創設以来、政府は自衛隊を海外派遣しないという方針を打ち出してきたため、こうした海外派遣は、集団的自衛権の行使の問題に直結する政策だった。しかし、国民の多くは国際情勢の変化を理解し、その政策を支持した。
 こうした政策の変化において、集団的自衛権の政府解釈によって、様々な不都合が生じている。特にわが国の国防の中軸となる日米安保条約に基づく活動が、あいまいなままである。例えば、周辺事態に際しては、わが国の自衛隊は米軍の後方支援に徹し、危険が迫れば当該区域からは事実上撤退することになっている。しかし、後方支援も、国際社会では集団的自衛権の行使と認識されている。わが国の政府は集団的自衛権の行使に当たらないと強弁しているが、諸外国の理解を得られるものではない。また、別の例だが、米軍と自衛隊艦船が共同で行動し、米国の艦船がミサイル攻撃を受けた際、1キロ程度離れた自衛隊艦船もミサイルの射程に入っている場合に、自衛隊が反撃することは、集団的自衛権の行使に当たるので憲法上できないとされている。しかし、現実にこういう事態になったとき、自衛隊艦船が攻撃を受けるまで、友軍の支援をせずにいるのは、信義にもとるだろう。
 対テロ戦争でも、集団的自衛権の行使という場合があり得る。実際の例として、アメリカのアフガン侵攻に際して、NATOは、昭和24年(1949)の結成以来、初めて集団的自衛権に基づいて参戦し、アメリカを援護した。集団的自衛権はまた、有志連合の正当化の根拠として使われる可能性も秘めている。21世紀の国際社会で集団的自衛権を考えるには、過去の硬直した概念では使い物にならない。ージの頭へ

 

ber117

 

第9章 試み半ばの具体的検討


●安倍元首相は集団的自衛権を検討

 平成18年(2006)9月、小泉首相を後継した安倍晋三元首相は、戦後体制からの脱却を掲げ、憲法改正や集団的自衛権の見直しを打ち出した。安倍氏は、集団的自衛権については、明らかに不合理なケースから順次検討すべきだという考えを明らかにした。首相となる直前に出した著書『美しい国へ』(文春新書、18年7月刊行)で、安倍氏は次ぎのように述べている。
 「わが国は専守防衛を基本にしている。したがって、たとえば他国から日本に対してミサイルが一発打ち込まれたとき、二発目の飛来を避ける、あるいは阻止するためには、日本ではなく、米軍の戦闘機がそのミサイルを攻撃することになる。いいかえればそれは、米国の若者が、日本を守るために命をかけるということなのである」
 「現在の政府の憲法解釈では、米軍は集団的自衛権を行使して日本を防衛するが、日本は集団的自衛権を行使することはできない。このことが何を意味するかというと、たとえば、日本の周辺国有事のさいに出動した米軍の兵士が、公海上で遭難し、自衛隊がかれらの援助に当たっているとき、敵から攻撃を受けたら、自衛隊はその場から立ち去らなければならないのである。たとえその米兵が邦人救助の任務にあたっていたとしてもある」
 「双務性を高めることは、信頼の絆を強め、より対等な関係をつくりあげることにつながる。そしてそれは、日本をより安全にし、結果として、自衛力も、また集団的自衛権も行使しなくてすむことにつながるのではないだろうか」

 私は、特に最後の引用における日米同盟の双務性を高めることが、日本をより安全にし、周辺諸国の侵攻を抑止するという考え方に注目する。軍事力は、他国の侵攻を防ぐために抑止力として機能することが、最大の役割なのである。そこに安全保障という理念の核心がある。
 安倍氏は、戦後日本の国家としてのあり方を根本から立て直し、また厳しい国際環境に対応していくために、安全保障の整備に、強い情熱を示した。その取組みの重要性が今日、忘れられている。

●安倍元首相が求めた具体的検討

 平成19年(2007)5月、安倍首相は、私的諮問機関として「有識者懇談会」を発足させ、集団的自衛権に関する検討を指示した。初会合の冒頭で安倍首相は、「日本を取巻く安全保障環境は格段に厳しさを増している。私は、より実効的な安全保障体制を構築する責任を負っている」と強調した。ここで首相の念頭にあったのは、中国の軍事大国化であるとともに、北朝鮮によるミサイル発射と核実験に示される新たな脅威の拡大だろう。
 安倍氏が自らの問題意識を込めて懇談会に検討を求めたものには、4類型ある。

 @公海で米軍の艦船が攻撃を受けた場合、近くにいる自衛隊が何もできなくてよいのか。
 Aアメリカを狙った弾道ミサイルを打ち落とすことができなくてよいのか。
 BPKOなどで、他国の部隊武器使いながら救援することができなくてよいのか。
 C他国への後方支援を行う場合、今まで通りの条件が必要なのか。

 これらの四つである。このうち、@Aは、日米の軍事面での共同行動に深く関わっている。
 @の公海上の問題は、政府の解釈は、ケース・バイ・ケースの考え方であり、まだ確定していない。例えば、政府は、海上自衛隊の補給艦がインド洋でアメリカの軍艦に給油を行っている時に攻撃を受けた場合には、自衛隊が自分たちを守るために武器を使用することにより、結果として米軍に対する攻撃を防ぐという見解を示している。
 しかし、政府は一般的な見解を示してはいない。日米の船舶の互いの位置関係や、攻撃をしかけてきた相手が国なのか、重装備の海賊のような犯罪集団なのかによっても違うとしている。懇談会では、そうしたケース分けをどこまで詳細に行うのか、あるいは政府の憲法解釈を全面的に見直して、集団的自衛権の行使で説明する方向に進むのかが焦点となった。
 Aの弾道ミサイル防衛は、従来の政府解釈では、自衛隊が日本を狙ったミサイルを打ち落とすことは個別的自衛権の行使だが、アメリカ本土を狙ったミサイルの迎撃は集団的自衛権の行使にあたり、憲法上できないとしている。
 アメリカの国防関係者は、北朝鮮の攻撃を想定して、アメリカに向かう弾道ミサイルを日本が迎撃できるように、法的・軍事的体制の整備を要求してきた。法的体制の整備は、集団的自衛権の問題となる。安倍元首相がAを挙げたのは、この要求に応えうるかという問題意識だろう。軍事的体制の整備は、現在イージス艦に搭載されているSM−3では、高高度を飛翔する長距離ミサイルを迎撃することは技術的に不可能である。アメリカの要求に応ずるには、アメリカの防衛に必要なレベルのMDミサイル防衛システムを導入しなければならならいことになる。
 Bは、武器使用の問題である。現在のPKO協力法は、派遣された部隊の管理下にある要員の救出などに限定して武器使用を認めている。しかし、安倍元首相が提起したのは、他の国と同様に制限をつけずに救援活動に当たることができるように、国際的な基準に日本が合わせることが可能かということである。
 Cは、現行憲法が禁止している武力行使の範囲はどこまでかという問題として検討がされるものと見られた。武力行使をする外国の部隊にどこまでの協力をすると、わが国が武力行使をしたと見られることになるのか、その区別の条件を緩和するかどうかが焦点となる。
 BとCは、米ソ冷戦の終焉後、わが国が国連を中心に各国の軍隊が協力して進める平和維持活動に参加することが、国際社会で強く要望または期待されるようになくなってきたという、大きな変化を踏まえた問題提起だろう。

 安倍氏は、上記の4類型について、有識者懇談会に検討を求めた。非常に重要な問題提起だったが、共産中国をも想定した検討とはなっていない。北朝鮮のミサイルと核兵器よりも、中国のミサイルと核兵器は、遥かに多数かつ強力である。中国は、北朝鮮よりはるか昔の昭和39年(1964)に核実験に成功した。昭和45年(1970)年4月には、人工衛星を打ち上げ、IRBM(中距離弾道ミサイル)が完成していることを世界に示した。わが国は、この昭和45年つまり1970年の時点から、中国の核の標的になっている。
 現在、中国は26発の大陸間弾道弾を保有するだけでなく、わが国に向けて300発ともいわれる核ミサイルを配備している。ボタン一つで自動的に日本全国の主要都市を壊滅できる破壊力を保有している。また中国は、わが国との領海問題で、強硬な姿勢を示し、海底油田の開発を進めている。
 だから今日、集団的自衛権の問題の検討は、中国への対応ということを抜きには考えられない。私は、安倍氏がそのことに国民の注意を喚起するような形で、集団的自衛権の検討を進めなかった点が不満である。

●テロ特措法の失効を前にした議論

 安倍元首相のもとで、有識者懇談会が集団的自衛権について具体的な検討を行っている過程で、テロ特措法を延長するかどうかという問題が浮上した。平成13年(2001)の9・11直後に開始されたアフガニスタンのテロ対策は、今も解決していない。国際的なテロ対策の取組みにおいて、わが国がインド洋上で海上給油を行なっていることは、対テロ作戦に参加する国々から、感謝されている。後方支援という形ではあるが、いまのわが国に可能な国際貢献をすることで、高い評価を受けている。平成19年夏、国会ではテロ特措法を延長すべきか、廃止すべきかを巡って、与野党が激しい議論が繰り広げられア。自民党・公明党の与党は、同法の延長を主張し、小沢一郎氏を代表とする民主党は、海上補給は国連決議にいていない、現行憲法の規定に抵触するなどとして、同法の延長に反対した。
 こうした中で、同年9月12日、安倍首相が突然辞任した。健康上の理由ということであったが、様々な画策があった模様である。後を継いだ福田康夫現首相は、野党との妥協を探るとともに、10月17日衆議院に後継の法律として「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」(テロ特措新法案)を提出した。
 同法案をめぐって与野党が激しく対立し、テロ特措法(旧法)は、11月1日に時限立法として期限切れ失効となった。その後、新法案は11月13日衆議院で与党の賛成多数で可決したが、本年(平成20年、2008)1月11日参議院で野党の反対多数で否決された。しかし、同日午後に衆議院で与党の3分の2以上の賛成多数で再び可決したことにより、新法案は成立した。旧法の失効により、海上自衛隊の補給艦はいったん帰国したが再びインド洋での任務についている。

●新法は成立するも本質的な問題は放置

 テロ特措法が議論されていた時期、私が抱いていた考えは以下のようなものである。私は、9・11及びその後の事態がどういう事情で生じたものであっても、そこに国益が関わっている場合は、国益を優先しなければならないと思う。インド洋上での海上給油は、アメリカを援けるだけではなく、わが国の国益の確保ともなっている。この点が決定的に重要である。
 というのは、わが国は石油の90%以上を中東からの輸入に頼っている。石油を積んだタンカーが、中東の産油国からインド洋、南シナ海、東シナ海を通ってわが国まで航海するシーレーンの安全保障は、わが国の経済及び国民生活に直結している。これだけ長大な航路の安全保障を、わが国が独力で行なうことは、不可能である。現在インド洋では、多国籍軍が共同でテロリストの攻撃から、シーレーンを守っている。わが国は、他国の艦船に海上補給をすることで、この地域の安全の維持に参加しているのであり、わが国の重大な国益の実現になっているのである。
 もしわが国が海上補給から抜けることで、多国籍軍の海上行動に支障をきたすと、テロリストにインド洋での活動を許す可能性がある。タンカーへの攻撃が行なわれたら、途端に石油輸送は重大な危機に陥る。わが国のタンカーも通行が妨げられる。
 石油はただでは買えない。それとともに、ただでは運べない。輸送路の警備を行なう費用と労力を分担しないと、中東からの石油は得られない。そういう状況に、わが国はある。このことを忘れて、いまわが国が海上給油から抜けるならば、自ら国利民益を損なうことになる。当然、アメリカとの関係は悪くなる。下手をすると、国際的に孤立する道に進みかねない。
 それゆえ、テロ特措法を延長するか、または新法をつくり、海自の活動を続けるべきだというのが、私が当時抱いていた考えである。この考えは、現在も変わっていない。
 残念なことは、テロ特措法に関する国会の議論では、途中から集団的自衛権の問題は語られなくなったことである。法案を巡る駆け引きに議論が矮小化され、わが国のあり方、国防をどうするか、憲法と集団的自衛権の行使をどうするかといった根本的な問題は、途中からほとんど論じられなくなった。さらには特措法が、政権を守るか攻め取るかという政争の道具となっていった。新法は成立したものの国家安全保障に関する議論は、むしろ後退した。集団的自衛権の行使に関する安倍氏の問題提起も、放置されてしまっている。
ージの頭へ

 

ber117

 

結びに〜憲法を改正し、集団的自衛権を主体的に行使しよう

 

●結びに当たって

 これまで様々な角度から集団的自衛権について述べてきた。最後にまとめに入りたい。
 私の考えは、わが国は独立主権国家としての基本的なあり方を十全に回復するために、憲法を改正して自主国防を整備すること、その上で集団的自衛権を行使すること、また専守防衛政策を改め戦略守勢政策に戻すことが必要だという意見である。
 私は、集団的自衛権について憲法に規定すべきとし、その案を提示している。新憲法のほそかわ私案第4章安全保障から、中心的な部分を以下に引用する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
新憲法ほそかわ私案より

 

(国際平和の希求、侵攻戦争の否定)
第十三条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
2 前項の目的を達するため、我が国は国際条約を遵守し、国際紛争を平和的手段によって解決するよう努める。

(自衛権、国防の義務と権利の制限)
第十四条 日本国民は、国家の平和と独立、国民の生命と財産、自国の伝統と文化を守るため、自衛権が自然権であることを確認する。
2 わが国は、自衛権の一部である集団的自衛権を保有し、平和を維持するため、国際的な相互集団安全保障制度に参加することができる。
3 日本国民は、統治権を共有する者として、国防の義務を負う。また、国家防衛と治安維持のために、必要最低限度において、自由と権利の制限を受ける場合がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 集団的自衛権は、憲法に明記したからと言って、軽々しく行使すべきものではない。重要なのは、政治的判断である。行使に関しては、我が国の国益という観点から徹底的な研究と検討をしておくことが重要である。


●日本人は自分で自分を守るという気概を持とう

 政府は、日本も主権国家である以上、集団的自衛権は国際法上、他の国と同様、集団的自衛権を有しているとしながらも、その行使は、憲法第9条の下に許容されているわが国を防衛するために必要な最小限度の範囲を超えるものであって許されないという解釈である。
 この政府解釈では、何のために集団的自衛権が国際社会で認められているのか、一般の国民には理解できないだろう。わが国が集団的自衛権の行使にかかわるのは、現状アメリカだけである。それを具体的に考えて初めて、生きた意味を持つ。
 政府解釈による集団的自衛権とは、アメリカが第3国から武力攻撃を受けた場合、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、アメリカのために反撃を加えることができる権利という意味になる。これは、アメリカの戦争に巻き込まれるという意識が強い。しかし、集団的自衛権には、日本が第3国から武力攻撃を受けた場合、アメリカが直接攻撃されていないにもかかわらず、これを自国への攻撃とみなして、日本のために反撃を加えてくれる権利という意味もある。これは、日本はアメリカという同盟国を持っているという意味になる。そのことを政府は、明確に打ち出していない。自国と他国の間に、上記の両方の権利が成立するところに、本来の集団的自衛権が機能する。

 自国の防衛に協力してもらうには、他国の防衛にも協力しなければならない。それがいやなら、他国と同盟を結ばず、自国だけでやっていくしかない。それには当然、憲法を改正し、自主防衛を整えなければならない。しかし、それもいやだということになると、あれもいやこれもいやという幼児のような状態である。大人の社会では、通用しない。他と持ちつ持たれつの対等の付き合いも出来ず、他に頼らず自立することも出ないような人間は、大人の社会では相手にされない。大人の社会とは、日本を取り巻く現実の国際社会のたとえである。
 日本人は、まず自分の手で憲法を作り、独立主権国家としてのあり方を根本的に整え、また自分で自分を守るという気概を持たねばならない。それを実行しなければ、日本は自ら崩壊するか、他国に併呑されるかしかない。これは日本人一人一人の運命にかかわる課題である。

●日本が世界平和実現という使命を果すために

 国連が目指す集団的安全保障体制は、各国の戦力の保有を否定するものではない。各国の自衛のための戦力を認め、国連軍は各国の戦力を基礎とし、それとは別に編成される戦力である。また加盟各国には、安保理が必要な措置をとるまでの間において、集団的自衛権の行使が認められている。それゆえ、今後、集団的安全保障体制が実現されていくとしても、各国の自衛力は当然認められなければならない。完全な戦力不保持は、ありえない。
 集団安全保障体制の構築において、人類が目指すべきは、各国の持てる自衛力の範囲を限定することだと私は考える。例えば、核兵器や戦略兵器、宇宙兵器を各国が持つことを禁止し、それらは国連軍が独占する。各国が保有しうるのは、戦術兵器までとする。そういう体制を私は構想する。

 今後、集団的安全保障体制を実現するために、私は日本の役割が重要だと信じる者である。日本が憲法を改正して自主的な防衛力を整え、国連における発言力を増す。旧敵国条項を削除し、安保理常任理事国となる。そして、集団安全保障体制の実現を推進する。アメリカ・ロシア・中国・イギリス・フランスによる寡占体制から加盟国多数の合意によって世界平和を実現できる体制へと転換すべく、日本がリードしていくこと。それが恒久的な世界平和を実現する道となると思う。
 そして、いわば世界の廃藩置県が断行され、地球連邦政府が樹立され、世界の治安は世界警察権によって維持される。そういう世界は実現可能なのではないか。核兵器や戦略兵器、宇宙兵器は、地球連邦政府のもと、地球防衛軍が集中管理する。私は今日の世界で、こうした世界平和の実現を中心的に推進しうるのは、日本以外にないと思う。
 わが国が、現行憲法を放置し、集団的自衛権の行使に縛りをかけていることにより、他国の侵攻を許し、他国に支配されたり、国家として崩壊したりすれば、その重大な使命を果たすことはできない。だから、私は日本の非武装化には反対であり、憲法の改正、国防の充実は、ひとりわが国のためではなく、世界人類の幸福と発展のために必要だと考えている。

●9・11後の世界で、日本は共存共栄の道を

 9・11及びアフガン=イラク戦争によって、世界は大きく変わった。文明間の対立が鮮明になっている。その世界を協調の方向に進めるには、相当時間と労力がかかるだろう。粘り強い取組みが必要である。仮に9・11の真相が、アメリカ政府高官らが関与したものであったとすれば、世界にもわが国も衝撃が走るだろう。
 しかし、共同謀議は、一部の指導層の犯罪である。アメリカ国民全体の意思ではない。その点を見極めて、わが国はアメリカという国家との関係を、保持していかなければならない。今後、アメリカ国内で9・11の真相解明がどのように進むか、その展開を注視して、柔軟に対応する必要がある。真理と正義を追求することを急いで、現実を見失い、日本の安全保障と国家国民の利益を損なってはいけない。

 ハンチントンが予想した西洋文明とシナ文明の対立は、アメリカと中国の冷戦という形で現実化した。そして、太平洋を隔てて、西洋文明とシナ文明の中間に位置するのが、日本文明である。日本文明は、自己の存立のためには、西洋文明とシナ文明の融和を図らざるを得ない環境にある。アメリカに盲従するのでなく、また中国に媚びへつらうのでもなく、堂々と主張する日本を目指さねばならない。
 それとともに、わが国は、イスラエルとアラブ諸国の対立を和らげるように助力しなければならない。日本が中東の石油を安定的に確保するには、中東和平を目指さざるを得ない。セム系一神教文明群の内部抗争は、非セム系自然教文明群の仲介によってのみ、協調の方向に転じられる。非セム系自然教文明群の中でもユニークな特徴を持つ日本文明は、西洋文明とイスラム文明の抗争を収束させ、調和をもたらすためにも重要な役割がある。
 西洋文明とイスラム=シナ=東方正教文明連合、アメリカ=イスラエル連合と中国・ロシア・アラブ諸国連合対立決定的な形に進まないように、わが国はアメリカと中国の間で、またイスラエルとアラブ諸国の間で、自らの興亡盛衰をかけて、共存共栄の道を開かねばならない。それは、単に自国のためだけでなく、世界の平和と発展のためにも必要とされることである。
 
●日本精神を復興し、世界平和と環境保全に貢献を

 わが国及び日本文明が上記のような役割を果すには、まず独立主権国家としての自主性・主体性を取り戻すことが不可欠である。憲法を改正して、自主国防を整備し、また集団的自衛権の行使を明確にする。こうして力の裏づけを持って初めて国際社会で発言力・影響力を発揮することができる。
 盲目的な従米は、一蓮托生の道である。アメリカが没落すれば、日本も一緒に没落する。それを抜け出るには、憲法を改正して、独立主権国家としてのあり方を整備すること。そして、自主性・主体性のある政策を行なうこと。長期的には、アメリカとの関係を従属から対等の関係に転じていけるよう、徐々に進めていく。
 これには時間がかかる。その期間は、アメリカへの追従から自主へと徐々に転換していくしかない。急激な転換は無理を生じる。日米関係を対等な関係に成熟させ、着実に進んでいかなければならない。同時に媚中の姿勢をやめる。自主性・主体性を軽んじ、反米親中の政策を取れば、中国に呑み込まれかねない。アメリカと共に、中国の民主化を促し、脱ファッショ化・脱共産主義化に助力する。そして、中国にシナ文明の良き伝統が復活するように、日本文明から文化を発進していく。
 わが国は、国家間関係(international relationship)においてだけではなく、文明間関係(inter-civilizational relationship)においても、地球全体のキーポイントとなる立場にある。私は、恒久的な世界平和の実現は、ただ日本の貢献によってのみ可能となると思う。この大使命を果すために、わが国に求められるのは、日本文明の特長を良く発揮することである。現代世界人類の二大課題は、世界平和の実現と地球環境の保全である。そのためには、核戦争を防ぎ、また環境と調和した文明を創造しなければならない。これらの課題を実現するうえで、日本には重要な役割があると私は、確信している。人と人、人と自然が調和する日本精神には、人類の文明を転換し、この地球で人類が生存・発展していくための鍵があると思う。
 私たち日本人は、この21世紀において、日本精神を取り戻し、世界的にユニークな日本文明の特長を活性化し、新しい世界秩序の構築と、新しい人類文明の創造に寄与したいものである。こうした問題意識をもって、私は、憲法を改正し、集団的自衛権を主体的に行使すべしと主張するものである。ージの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「憲法第9条は改正すべし

・拙稿「日本再建のための新憲法〜ほそかわ私案

・拙稿「9・11〜欺かれた世界、日本の活路

・拙稿「核大国化した中国、備えを怠る日本〜日中戦後のあゆみ

参考資料

・防衛大学校安全保障学研究会編『安全保障学入門』(亜紀書房)

・佐瀬昌盛氏著『集団的自衛権』(PHP研究所)

・豊下楢彦著『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)

 

補説〜NHK出演の報告

20070816ブログに掲載

 

昨日は、午前10時前より靖国神社に参拝し、英霊に対し、感謝と慰霊の祈りを捧げました。その後、夜はNHKスペシャル「日本の、これから〜憲法第9条」に出演しました。その報告と御礼を書かせていただきます。

●靖国参拝

 小泉前総理は、当日早朝靖国神社に参拝したと伝えられましたが、安倍総理大臣は参拝せず、現職の閣僚で参拝したのは、高市早苗特命相のみとのこと。国のために尊い一命を捧げた方々に、感謝と慰霊のまことを尽くすべきところ、もし内閣支持率への影響や周辺諸国の批判を考慮して参拝しないという判断であれば、国政を担う政治家として、恥ずべきことと思います。

 10時30分からは、友人・知人とともに、第21回戦没者追悼中央国民集会に参加。この集会は、毎年、英霊にこたえる会と日本会議が共催し、靖国神社の参道特設テントで開かれるもの。猛暑のなか参集したのは、約2000名と発表されました。地方議員は多数参加していましたが、国会議員は有村治子参議院議員(自民党比例区)ただ一人と今年は低調でした。
 終了後、マイミクシイとその友人の人たちと昼食を摂りながら、懇談。それぞれの靖国参拝の動機を聴かせてもらいました。当夜のテレビ放送の主題である憲法第9条についての意見も伺いました。1時間ほどの時間は、あっという間に過ぎました。

●番組開始前

 しばし、仕事の後、夕刻渋谷のNHK放送センターへ。
 今回、NHKの番組に出演することになったのは、局の担当者に、細川をという推薦が多くあったと聴いています。それがなければ、このような機会はなかったでしょう。どうも有難うございました。
 サイトやブログでの出演の告知は、13日以降にといわれていましたので、そのようにしたのですが、50名以上の人たちから応援のコメントをいただきました。有難うございました。
 「応援します」「絶対見ます」というコメントを多く寄せていただきましたが、「死んでも見ます」というコメントには、噴き出しましたね。

 当日初めて知らされたゲストは、以下の人たち。

・漫画家 小林よしのり氏
・慶應義塾大学教授 小林節氏
・元経済同友会憲法問題調査会委員長 高坂節三氏
・一橋大学大学院教授 渡辺治氏
・東京外国語大学教授 伊勢崎賢治氏
・ジャーナリスト 斎藤貴男氏

 リハーサルは、なし。基本的なルールや心構えの説明があっただけで、筋書きめいた打ち合わせも、なし。マイクテストを兼ねて、主題と関係のない質問に軽く答える程度で、生放送本番となりました。

●本番中

 私は、午後7時30分から8時45分までの第1部で、討論開始の直後に指名されて発言。また午後10時から11時29分までの第2部で、討論の再開時。そして、最後に、ボードに意見を書いて示すまとめの時等と、要所要所で指名をされ、発言することができました。これらは何の打ち合わせもなく、その場で、進行役の三宅アナウンサーから指名されたものです。
 
 直前の説明で、発言は一回30秒程度に、とディレクターから要望がありました。テレビの討論の場合、2分もコメントを述べていると、チャンネルを替えられちゃうらしいです。
 第1部は、75分間。有識者6人と約40人の市民。これだけの人数が意見を述べるのですから、発言の機会のない人もいました。私は冒頭に指名されて発言したきり、第1部終了となりました。

 途中1時間15分、別のニュース番組。この間、一般の出演者は、食事を取りながら休憩。スタジオで席が近い人や、移動中に声をかけた人たちと自然、食卓をともにして懇談となりました。
 私が懇談した人たちとは、当てられるのを待っているのでは、言いたいことが言えない。もっと積極的に発言していきましょう、ということで一致し、気合を入れ直しました。
 第1部は、「戦争放棄を定めた憲法第9条についてどう考えるか」がテーマ。その後半は、アメリカとの関係をめぐって意見が分かれました。第2部は、「世界との関わりの中で憲法第9条をどう考えるか」がテーマ。第1部の後半の議論を受けて、アメリカ問題からスタート。ここで、二度目の指名を受けたので、私は持論を発言。それが、活発な議論の引き金になったような気がします。(実はまだ録画を見ていないので、勝手な印象)

 第2部は、89分。VTRもそう多くない。討論中心ということでしたので、私自身指名を待たずに、何度か発言しました。不規則発言すれすれのようなところで、一気に発する。言うべきことを言う。さまざまな反論が返ってきましたが、私と考えの近い人たちがこれに応酬し、活発なやり取りになりました。同時に数人が意見を述べ、錯綜した場面もあったりし、NHKの番組では珍しいほど白熱した議論となったのではないでしょうか。
 多様な意見がありましたが、私は、このように、国民が真剣に国や世界のことを考えて議論することが大切だと思います。

 終結部は、あらかじめ配られたボードに、「憲法第9条を考える時に、何を大切にしたいか」を簡潔に書いて、示すという趣向。
 私は「日本人の精神」と書きました。幸い指名を受けたので、「自分の国のありようを自分たちの意思で決め、自分の国を自分たちで守り、そのうえで国際社会において責任ある役割を果すために、日本人の精神を大切にしたい」という趣旨の発言をしました。
 この時指名を受けたのは、40人ほどのうち2名だけでしたから、幸運だったと思います。応援してくださった皆さんの思いが、幸運の流れを呼んでくれたのかもしれません。有難うございました。

●番組終了後

 番組が終ると、ゲストの人たちは、まとまって退席されたので、まったく会話する時間はありませんでした。討論中の個々のご発言には、質問したい点や、反論を述べたい点があったのですが、それはかないませんでした。
 既に深夜。他の市民参加者の人たちとも、さらなる意見交換をする時間もなく、急ぎ帰路に着きました。

 番組を見た方々が、私の日記に多数感想を書いてくださいました。メッセージも贈ってくださいました。真剣に日本を思っている人がたくさんいることが伝わってきます。
 今回、番組に出演するに当たり、私は発言のチャンスがあれば、日本を愛し、国を憂える人たちの思いを代弁するような意見を述べたいと思いました。自身の未熟さに加え、時間の制約もあり、どこまで実行できたかわかりませんが、応援・視聴してくださった皆さんに、心から感謝申し上げます。
 
 次は、皆さんに機会が訪れるかも知れませんよ。
 ともに研鑽して参りましょう。
 日本のため、世界のため、みんなのために。

 

ージの頭へ

 

「憲法・国防」の題目へ戻る

 

ber117

 

ICO_170

 

トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール