トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール

 

205-19   憲法・国防

                       

題目へ戻る

 

ber117

 

いまこそ憲法を改正し、日本に平和と繁栄を

〜9条と自衛隊

2018.6.27

 

<目次>

はじめに

1.第9条の問題点

2.改正検討のための基本概念

3.自衛隊とは何か

4.自民党の過去の改正案とほそかわ私案

5.安全保障関連法制による改善

6.憲法改正論議の現状

7.第9条と自衛隊に関する意見の整理

8.今回の自民党の改正案

9.民間における憲法改正運動

10.目指すべき第9条の内容

11.護憲派の主張の誤り

結びに〜日本を愛する国民は、どう考えるとよいか

 

ber117

 

はじめに

 

 平成29年から30年にかけて憲法改正論議が高まってきた。最大の焦点は、第9条である。私は、これまで憲法・国防等についてネット上に見解を書いたり、各地で講演を行うなどしてきた。本稿は、最近の動向を踏まえ、第9条の問題点、関連する基本概念、自衛隊の実態、改正論議の経過と現状、国民の課題について述べるものである。

 

ber117

 

1.第9条の問題点

 

 日本国憲法は、前文において、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書いている。そして、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という決意のもとに、第9条に次のように定めている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 この条文に関して、戦争放棄とは侵略戦争についてのみなのか、自衛戦争まで含むのか。戦力不保持とは自衛のための戦力を含むのか、自衛隊は戦力に当たるのか、交戦権の否認は自衛戦争の場合も含むのか等について、憲法施行後70年以上もの間、議論が続いている。そして、現在,第9条の改正が憲法改正における最大の課題となっている。

 

(1)前文との関係

 

 第9条は、前文と深い関係がある。前文で注目すべきは、日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持することを決意した」と書いてあることである。「平和を愛する諸国民」というが、それは戦勝国のことであり、自分たちは平和を愛する国、日本は戦争を起こした悪い国として一方的に断罪して、日本の安全と生存を戦勝国に委ねさせるという内容となっている。そして、日本国民自身が戦勝国の「公正と信義に信頼して」、「安全と生存」をゆだねたかのように英文の憲法草案に記して押し付けたのである。こうした前文の文章との関係のもとに、第9条が定められている。

 

(2)戦争放棄

 

9条1項は戦争放棄を規定する。戦争放棄条項は日本だけではなく、他の多数の国々の憲法にも存在する。例えば、イタリアやフランスの憲法がそうであり、ドイツ基本法もそうである。これらの規定は、1928年の不戦条約をもとにしたものである。不戦条約は現在も約60ヶ国が当事者国である。戦争放棄は日本独自のものではない。

戦争には侵攻戦争と自衛戦争があり、9条1項で放棄したものが戦争一般であるのか、侵攻戦争のみであるのかという議論が生じる。国家にとって自衛権は自然権である。自衛権は主権の一部である。国際連合(連合国、the United Nations)は、国連憲章にて、国家の自然権として自衛権を認めている。もし9条1項が自衛権の発動としての戦争も放棄したとするならば、日本は主権の一部を放棄したに等しい。

大東亜戦争で、日本は政府間の講和によって条件付き降伏を行った。連合国軍総司令部によって占領されたが、占領によって主権を一時的に停止されたのであって、主権を喪失したのではない。まして主権を放棄したのではない。占領下とはいえ、日本国は国家として存立しており、政府があり、国会があり、主権の発動として日本国憲法を制定したのである。

それゆえ、私は日本国憲法の9条1項は侵攻戦争を放棄したものであって、自衛戦争までも放棄したものではないと考える。ただし、条文の主旨が不鮮明なので、放棄したのは侵攻戦争のみであることを明確にするための条文の改正を行うべきと考える。

これに対し、9条1項で放棄したのは自衛戦争を含むすべての戦争だと解釈する立場もある。この解釈に立てば、日本は自衛権を否定したのであり、主権の一部を永久に放棄したことになる。また2項の戦力不保持・交戦権否認は、自衛権否定に基づいて、自衛のための戦力の保持と行使までを禁じたものとなる。左翼だけでなく、保守派の一部の学者にもこの解釈を取る者がいる。

左翼勢力にはそれを良しとし、この状態を維持すべきという意見がある。占領下であれば、米国による占領を固定し永続化するような考え方である。また、日本は非武装主義を取るべきだとの意見もある。これは、国家の自己否定であり、旧ソ連や中国等の他国の侵攻・支配を許す極めて危険な思想である。一方、保守派には、9条1項を改正して侵攻戦争のみを蜂起したことを明確にすべきとの意見や、自衛隊は違憲ゆえ憲法を改正して合憲にすべきとの意見がある。


 

(3)戦力不保持

 

9条2項の前半は戦力不保持を定めている。戦力不保持は、人口500万人以上の独立国では、世界唯一の規定である。しかし、起草に当たったGHQのケーディス中佐は後年、これは自衛権の放棄を規定したものではない、と述べている。もし自衛力を含めてまったく戦力を持たないとすれば、独立主権国家として成り立たない。そこで、芦田均元首相が発案し、2項の冒頭に「前項の目的を達するため、」という文言を入れた。芦田修正という。この修正をマッカーサーが承認した。本来は自衛のための戦力は持てるという主旨だった。

ところが、左翼・日教組等は、日本は自衛権をも放棄した、自衛隊は違憲であると主張し、自衛力の整備に強く反対した。国防の目的は、国家の主権と独立、国民の生命と財産を守ることである。その目的のためには、自らを守る力を保有することが必要である。これを否定したとすれば、独立主権国家とはいえない。他国から侵攻されても正当防衛による抵抗さえしないのは、自滅行為である。

そこでわが国の政府は、自衛のために「最小限度の実力組織」は持てる、自衛隊は戦力ではないという理屈を立てて、自衛隊を保持してきた。しかし、戦力も実力も英語ではforceである。自衛隊は、英語名をJapan Self-Defense Forces という。海外のメディアは、陸上自衛隊を Japanese Army、海上自衛隊を Japanese Navy、航空自衛隊を Japanese Air Forceと呼ぶことがある。それぞれ、陸軍・海軍・空軍に相当する呼称である。そうした自衛隊を戦力ではないというのは、国内的にも国外的にも欺瞞である。しかし、自衛隊に対する反対意見や自衛隊を違憲だとする主張があるなかで自衛隊を保持するために、このような漢字によるレトリックを使ってきたものである。

 ところで、日本国憲法は、第66条2項に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定めている。この条項は、文民統制すなわちシビリアン・コントロールを定めたものである。GHQが極東委員会の強い要求としてこの条項を入れるように強硬に要求した。civilian は軍人ではない者を意味する。これを「文民」と訳したために、混乱を招いている。公務員には、文官と武官がいる。武官は軍人である。文官は官吏であり、非軍人である。文官には、官僚ではない民間人は、含まれない。だが、civilian を「文民」と訳したため、文官と民間人を合わせた概念とも考えられる。だが、「文官」と訳すと、憲法の発布時に「武官」の存在を前提にしていることになる。日本が非武装化され、軍も自衛隊もない占領下で、憲法に武官という用語を使うわけにはいかない。こういう事情が、おかしな訳語を生み出したのだろう。逆に言うと、憲法に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定めたということは、この憲法は日本国が将来、軍隊を持つことになることを前提としており、軍人は内閣総理大臣その他の国務大臣にはなれないと定めていることになるのである。

 この第66条2項の規定から見ても、9条2項は自衛のための戦力は持てるという主旨であり、日本が自衛のための軍隊を持つことができることを前提としたものと理解すべきである。

 

(4)交戦権否認

 

  9条2項の後半は「国の交戦権はこれを認めない」と規定している。交戦権とは、国家が交戦国として国際法上有する権利であり、戦争の際に行使し得る権利である。武力による戦闘の権利だけでなく、敵国との通商の禁止、敵国の居留民と外交使節の行動の制限、自国内の敵国民財産の管理、敵国との条約の破棄またはその履行の停止が、合法的な権利として含まれている。

9条1項は侵攻戦争のみを放棄したものとし、2項の「前項の目的を達するため」という文言は侵攻戦争の放棄という目的を意味し、自衛のための戦力は保持できるという解釈に立てば、9条2項の後半は自衛戦争に関する交戦権までを否認したものではない。だが、わが国の政府は、自衛のために持てるのは戦力ではなく「最小限度の実力組織」であるという立場を取っている。その場合、わが国はこの「最小限度の実力」の行使を含む交戦権を行使し得るのかが問題となる。一方、左翼勢力は交戦権を国家が戦争をなし得る権利と解釈し、自衛戦争も含めて交戦権を否認したのだと主張する。ここにも解釈上の対立や混乱がある。

 

 私は、このように問題の多い第9条は全面的に改正すべきだという意見である。詳しくは下記をご参照願いたい。

拙稿「国防を考えるなら憲法改正は必須

拙稿「憲法第9条は改正すべし

拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案

 

 次に、第9条の改正を検討するために、同9条に関わる基本概念について述べる。
ぺージの頭へ

 

2.改正検討のための基本概念

 

 今日、わが国は、中国・北朝鮮による軍事的危機の増大に直面している。戦後、これほどの危機は、初めてである。そうしたなかで、日本の独立と主権、国民の生命と財産を守るため、憲法第9条の改正が、いよいよ急務となっている。

平成30年3月24日自民党は、9条1項、2項をそのままとして、9条の2を新設し、次のような条文を加える案を公表した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

第9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

この改正案は、現行の第9条の規定は「必要な自衛の措置」を取ることを妨げないとし、現状の自衛隊を「必要な自衛の措置」を取るための「実力組織」として盛り込み、文民統制(シビリアン・コントロール)を定めるものである。今後、国会ではこの案をたたき台にして、各党間での議論が行われることになるだろう。

この改正案を検討するには、まずそもそも国家とは何か、戦争とは何か、戦力、実力、武力とは何か、自衛権とは何かなど基本的な概念の整理が必要である。国民の常識の指針となるのは、憲法や安全保障の専門家による専門書ではなく、身近で調べることのできる辞典・事典である。そこで、代表的な辞事典の説明を手引きにして整理してみたい。

 

(1)国家

 

国家は、一般に一定の領域に定住する多数の人民で構成される集団にして、排他的な統治権を持つものをいう。広辞苑は「一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会。近代以降では通常、領土・人民・主権がその概念の3要素とされる」と説明している。

欧米語では、国家に当たる言葉が複数ある。例えば、英語では、 nationは、政治的・文化的・歴史的な共同体、stateはその共同体が持つ統治機関を意味する。nationは「国民・民族・国家・共同体」等と訳され、stateは「政府・国府・国家・国政」等と訳される。わが国では、これらをともに「国家」と訳すことが多いため、少なからぬ混乱を生じている。国際連合の場合は、the United Nations であり、nation が政治的統一体としての国家の意味で使われている。米国では、stateは州の意味で使われ、合衆国全体を表す時は、nationが使われる。

 

関連掲示

・国家については、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第4章(1)をご参照下さい。

 

(2)戦争

 

広辞苑は、戦争を「@たたかい。いくさ、合戦 A武力による国家間の闘争」と定義している。@は広義であり、Aは狭義である。同書は、武力を「軍隊の力。兵力」と定義する。この定義は、デジタル大辞泉、大辞林も同様である。

広辞苑は、軍隊を「一定の組織で編制されている軍人の集団」と定義する。武力の定義において武力を発揮する主体は軍隊とされているから、戦争の定義におけるAの「武力による国家間の闘争」は「軍隊の力を用いた国家間の闘争」と言い換えることができる。(1)の国家の定義と合わせるならば、領土・人民・主権を有する国家が、軍隊の力を用いて他国と闘争する行為または闘争している状態が戦争である。

次に、ブリタニカ国際大百科事件小項目辞典は、戦争を「広くは、民族、国家あるいは政治団体間などの武力による闘争をいう」と定義し、「国家が自己の目的を達成するために行う兵力による闘争がその典型である」と説明している。この定義は、武力は国家が有するものに限らないことを前提している。また、国家以外も武力を持ち得るのであり、その武力による闘争を広く戦争としている。この定義においては、武力を発揮するものは、軍隊とは限らないことになる。実際、武力の発揮を目的として組織された集団であれば、それを軍隊と見なすかどうかに関わらず、戦争を行う主体となり得る。ブリタニカの定義は、広辞苑の定義よりも整ったものになっている。

ところで、人間の集団が闘争を行う時、単に身体的な力だけでなく、道具を使うことによってその力をより大きなものとすることができる。道具は身体の延長であり、それによって人間の力は物理的に何倍にも増幅される。そこに生じるのが、武力である。武力は闘争用に作られた道具を通じて発揮されるものである。この道具を、武器または兵器という。

デジタル大辞泉は、この点を踏まえて、戦争を「軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと」と定義している。同書は兵器を「戦闘に用いる器材の総称。武器」と定義する。兵器または武器は、戦闘の際に攻撃及び防御に用いる道具であり、器具や材料である。この要素を加えるならば、戦争は、人間が戦闘を目的とした集団を組織し、闘争のための道具を用いて行う行為である。

また同書は、戦争について先のように定義した上で、特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態」と説明している。ここで軍隊の語は、国家が有する軍事的な集団に限らず、国家以外が有する集団についても使われている。そのうち特に国家が軍隊を用いて、その武力を行使して闘争する状態を、戦争の典型として定義しているものである。

戦争については、これと関連する概念――紛争、内戦、武力行使、軍隊等――を整理したうえで、再度考察する。

 

(3)紛争と内戦

 

戦争に関連する概念に、紛争と内戦がある。

紛争について、広辞苑は「もつれて争うこと。もめごと」と定義している。対立する者同士が争う状態を広く意味する言葉で、武力が関わっていなくとも使う。それゆえ、紛争は戦争より上位の概念であり、紛争のうち、武力を用いた紛争、特に国家間の武力による紛争を戦争という。一方、内戦は、国家間の争いではなく、同一国内での争いをいう。

ただし、紛争は、戦争よりも比較的小規模な武力衝突について使われることがある。国家間の対立であっても、フォークランド紛争のように、規模や程度が比較的小さかったり、一時的・突発的なものを紛争というものである。また、一国内の争いについても、内戦まで至らない小規模・短期間のものを紛争ということがある。一方、一国内の争いであっても、アメリカの南北戦争のように暫定的に国家と見なされる者同士の争いを戦争と呼ぶことがある。また、ベトナム戦争のように内戦の性格を持ちながらも、他国が介入し、国家間の争いにもなっている場合を、戦争と呼ぶこともある。シリア内戦のように、内戦と呼ばれるが、諸外国が介入している実質的な国際紛争も多い。

憲法第9条の条文のおいては、1項の後半は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」は「国際紛争」を解決する手段としては、永久にこれを放棄すると規定している。ここでは、まず上位の概念に「国際紛争」があり、その紛争には、戦争と、戦争には至らない「武力による威嚇又は武力の行使」があるという分類がされていると理解できる。


 

(4)9条1項の戦争・国際紛争・武力行使

 

平成14年(2000年)2月5日、政府は「戦争」、「紛争」、「武力の行使」等の違いに関する答弁書を閣議決定した。この答弁書は、9条1項における「戦争」とは、「伝統的な国際法上の意味での戦争、すなわち、国家の間で武力を行使し合うという国家の行為」とした。また、「国際紛争」とは「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立しているという状態」とした。また、「武力行使」とは「基本的には国家の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」であり、「同項の『国権の発動たる戦争』に当たるものは除かれる」とした。

 答弁書の主要な部分は、次の通り。

 「憲法第九条第一項の『国権の発動たる』とは『国家の行為としての』という意味であり、同項の『戦争』とは伝統的な国際法上の意味での戦争を指すものと考える。したがって、同項の『国権の発動たる戦争』とは『国家の行為としての国際法上の戦争』というような意味であると考える。もっとも、伝統的な国際法上の意味での戦争とは、国家の間で国家の行為として行われるものであるから、『国権の発動たる戦争』とは単に『戦争』というのとその意味は変わらないものであり、国権の発動ではない戦争というものがあるわけではないと考える。」

 「憲法第九条第一項の『戦争』とは、伝統的な国際法上の意味での戦争、すなわち、国家の間で武力を行使し合うという国家の行為をいうのに対して、同項の『国際紛争』とは、国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立しているという状態をいうと考える。」

 「憲法第九条第一項の『武力の行使』とは、基本的には国家の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいうと考えるが、同項の『国権の発動たる戦争』に当たるものは除かれる。」

 ここに国際法への言及があるが、国際法は主に、条約法、慣習法、法の一般原則によって成り立つ。条約法は、国と国が条約によって相互に拘束されるものである。慣習法は、国際社会で法律として受け入れられている一般慣行である。法の一般原則は、各国の法律に共通する法の原則を適用することである。国際法は戦争について詳細な決まりごとを定めている。その決まりごとには、条約法によるもの、慣習法によって定まったものがある。それらを総称して、戦時国際法という。先の政府の答弁書は、戦時国際法を踏まえたものとなっている。

 

(5)軍隊

 

広辞苑は、軍隊を「一定の組織で編制されている軍人の集団」と定義する。また軍人を「@いくさびと。軍士。兵士」と定義する。兵士は兵器を用いて戦闘を行う人間である。

国家が保有する軍隊は、主に外国の軍隊への対応を目的とする実力組織である。外敵の侵攻からの防衛または外国への侵攻を行う能力を持ち、警察では対処できないほど治安が悪化した時には、武力を以て治安の維持・回復に当たる。

軍隊は、広義では広辞苑のように定義され得るが、狭義では戦時国際法に定められた組織である。平成27年(2015年)4月3日に閣議決定された政府の答弁書は、「国際法上、軍隊とは、一般的に、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられている」としている。

 戦時国際法の一部を構成するジュネーブ条約は、軍隊について、1949年8月12日の追加議定書〔議定書T〕)に、次のように規定している。

「第四十三条 軍隊
1 紛争当事者の軍隊は、部下の行動について当該紛争当事者に対して責任を負う司令部の下にある組織され及び武装したすべての兵力、集団及び部隊から成る (当該紛争当事者を代表する政府又は当局が敵対する紛争当事者によって承認されているか否かを問わない。)。このような軍隊は、内部規律に関する制度、特に武力紛争の際に適用される国際法の諸規則を遵守させる内部規律に関する制度に従う。」
 ここで軍隊は、国家が保有する組織に限らない。民兵隊、義勇隊を含むことに注意しなければならない。

 同じく戦時国際法を構成するハーグ陸戦条約の附属書「陸戦の法規慣例に関する規則」は、交戦者の資格につき、4つの条件を定めている。

「第一条 戦争の法規および権利義務は、単にこれを軍に適用するのみならず、左の条件を具備する民兵および義勇兵団にもまたこれを適用す。

一 部下の為に責任を負う者その頭に在ること

二 遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること

三 公然兵器を携帯すること

四 その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること

民兵または義勇兵団をもって軍の全部または一部を組織する国にあっては、これを軍の名称中に包含す。」

4つの条件の項目を現代語で言い換えると、大意次のようになる。

「一 部下に対して責任を負う指揮官がいること

二 遠くからでもわかりやすい特殊徽章をつけること

三 武器を隠さずに携帯すること

四 戦争の法規と慣例を遵守して行動していること」

国家が有する軍隊が闘争する主たる対象は、別の国家が有する軍隊である。しかし、ジュネーブ条約やハーグ陸戦条約に定めるように、国際法にいう軍隊は、国家が保有する軍隊だけでなく、民兵及び義勇兵団を含む。国家が保有する軍隊は、非国家的な政治集団が保有する軍隊と戦闘を行うことがある。特に現代の世界では、過激武装集団やゲリラとの戦いが重要な任務の一つとなっている。


 

(6)侵攻戦争と自衛戦争

 

ここまでの間、戦争に関連する概念を整理した。それを踏まえて、あらためて戦争について考察する。

戦争には、軍事上の概念と国際法上の概念では違いがあることに注意する必要がある。軍事的には、戦争は武力を用いた戦闘行動が実行されている状態を指す。武力を行使する主体は国家に限らない。国際法においては、開戦宣言がされれば、実際の武力行使がされていなくとも戦争の開始と認められる。戦争開始と同時に交戦国は国交を断絶し、関係国には戦時国際法が適用される。戦争の終結は、戦闘行為を停止する休戦を経て、政府間の講和によって法的な意味での終了となる。もっとも歴史上には、宣戦布告が行われずに開始された戦争が数多く存在する。

国際法は国内法と異なり、違反した場合の刑罰や強制力が整っていない。国際法のうち条約法は、条約等によって国家間でなされた合意の体系であり、その条約等を締結していない国家への法的拘束力はない。また慣習法に関しては、その慣習を認めず、また従わない国家があり得る。こうした点が特に問題になるのが、戦争である。

 20世紀初頭まで、国家は国際紛争解決の最終的手段として戦争に訴える権利があるとされ、交戦法規に従うかぎりあらゆる害敵手段の行使が許され、戦争状態のもとでは交戦国は互いに平等な法的地位に立つとされた。

 だが、未曽有の大戦争となった第1次世界大戦後、戦争を非合法とする考え方が広がった。1928年に不戦条約、正式には「戦争放棄に関する条約」が、15カ国によって調印された。加盟国は後、93カ国に増加した。今も約60カ国が当事国である。同条約は、国際紛争はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用の禁止を決めた。だが、1930年代に大恐慌やブロック経済の影響で国際社会が激動し、国益のぶつかり合いがエスカレートした。その結果として生じたのが第2次世界大戦である。

第2次大戦後、連合国が発展する形で国際連合が設立された。国連憲章(連合国憲章)において、戦争は禁止され、戦争でない武力の行使や武力による威嚇も、自衛権の行使および国連の強制措置を除いて、一般に禁止されている。

しかし、国連の設立後も、世界では多くの戦争が行われてきた。早くも昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発した。今も休戦状態が続いている。ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、対「イスラーム国」戦争等、地球上で戦争が行われていない期間の方が少ない。

国家が戦争をするのは、目的があるからである。戦争の目的は何らかの利益の獲得・拡大または維持・保守である。前者の目的で行う戦争を侵攻戦争、後者の目的で行う戦争を自衛戦争と分けることができる。ただし、侵攻戦争と自衛戦争の区別を判断する客観的な基準はない。相手国にとっては侵攻戦争であっても、当事国がこの戦争は自衛のための戦争だと主張すれば、その国にとっては自衛戦争となる。不戦条約の締結後も、ある国が行う戦争が侵攻戦争であるか、自衛戦争であるかを決める権利は、その国にあるとされた。戦争はしばしば自国民の在外居留者の安全を守るためとか、既得の権益を守るためという目的で行われる。相手国がそれを主権の侵害や領土の略奪と見なせば、相手国にとっては侵攻戦争となる。また、他国の主権を侵害したり、領土を略奪する戦争であっても、当事国は自らこれを侵攻戦争とはいわない。何らかの理由を以て、戦争を正当化する。戦争は国家間の紛争を解決する最終手段であるという現実は変わっていない。勝者は自らの正義を主張し、取得した権益を保持する。仮に敗者に正義が認められたとしても、戦勝国の勝利が取り消され、賠償が行われることはない。

 

(7)国連憲章の安全保障規定

 

 国際連合は、第2次世界大戦における連合国が発展する形で、昭和20年(1945年)10月24日に発足した集団安全保障機構である。日本国憲法は昭和21年(1946年)11月3日に公布、22年(1947年)5月3日に施行された。憲法が公布・施行された時点では、わが国はまだ国際連合に加盟していない。わが国は、昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約の発効によって、主権を回復し、国際社会に復帰した。この年、国連加盟申請をしたが、ソ連など社会主義諸国の反対でなかなか実現しなかった。昭和31年(1956年)10月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復によってこの障害がなくなり、同年12月18日に加盟を認められた。主権回復後、約4年8か月非加盟の時期があった。

国連憲章は、安全保障について、第7章に「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」を定めている。国際社会の安全保障のための中心機関は、安全保障理事会である。安保理の一般的権能は、第39条に次のように定められている。
 「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。」

 第41条は非軍事的措置を定めたもので、安保理は「兵力の使用」を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができるとしている。

しかし、安保理は、非軍事的措置では不十分であろうと認め、または不十分なことが判明したと認めるときは、軍事的措置を取ることができるとして、これを第42条に定めている。
 「安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」
 安保理がこの第42条の規定に基づいて必要な軍事的な措置を取るために編制する軍隊が、国連軍である。続いて第43条から第50条にかけて、国連軍編成に関する事項が定められている。

国連軍は、国連憲章が定める集団安全保障制度の下で侵略の防止・鎮圧などの軍事的強制措置のために使用される国際的な常設の軍隊である。ここにいう集団安全保障は、国家の安全と平和を公の紛争処理機関や対立関係にある国も含めた連合組織によって集団的に保障しようとする体制を意味する。一国の軍備強化や特定国との同盟の形をとらず,国際紛争の処理に当たっては原則として各国が個別に武力を行使することを認めない。これに比べ、北大西洋条約機構(NATO)、日米安全保障条約などは、第三国に対する軍事同盟であり、国連憲章が目指す本来の意味の集団安全保障の機構ではない。

国連が目指す集団安全保障体制の要となるべきものは、国連軍である。国連軍は、国連憲章第43条に定める特別協定に基づいて国連加盟国が提供する兵力で編成される軍隊である。安保理のもとに五大国の参謀総長から成る軍事参謀委員会を設け、その指揮・命令に服して活動する。だが,その特別協定は、五大国不一致のために今日もなお締結されていない。そのため、国連創設以来、今日まで正規の国連軍は組織されたことがない。

こうした状態で国際社会の平和を維持するために行われるようになったのが、国連による平和維持活動(PKO)である。その活動の一環として、紛争地域で停戦監視や兵力の引離し、警察任務などを行う組織が生れた。それが国連平和維持軍(PKFである。これを指して国連軍と呼ぶことがあるが、これは国連憲章第43条に定める本来の国連軍ではない。


 

(8)自衛権

 

現在も常設の国連軍は組織されていない。そうした国際社会の現状において、各国の安全保障のために重要な権利が、自衛権である。自衛権とは、自らを守る権利である。

権利は「〜することができること」「〜してよいこと」に関わる概念である。広義では、何かをする、またはしないことができる能力または資格をいう。狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力または資格をいう。権利としての能力または資格は、それを行使することによって現実化できる。

自衛権の行使においては、それを行使するための人間を組織し、武器を整備しなければならない。すなわち武装した集団を保持することによって初めて自衛権を行使することができる。

国連憲章は、自衛権について、第51条に次のように定めている。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

本条は、各国が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を有することを前提とした条文である。また自衛権を自然権とする思想に基づいている。国際連合は、自然権として個別的及び集団的な自衛権を持つ国家が加盟する集団安全保障機構である。国際連合が自衛権を付与するのではなく、国家は固有の権利として自衛権を有し、それを行使できることを認め、そのことを憲章に明文化しているものである。

上記のように、国連憲章は第51条において、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間」は、加盟国が有する「個別的又は集団的自衛の固有の権利」に基づいて必要な措置をとることができるとしている。それゆえ、国連憲章の規定の上では、個別的または集団的自衛権は、集団安全保障体制を補完するものとして認められているものである。しかし、実際は、もとになるべき集団安全保障体制を、未だ実現できていない。だから、世界の現状では、各国は、他国から武力攻撃を受けた場合、安保理の措置に頼ることはできず、個別的または集団的自衛権を行使して自衛しなければならないのである。
 わが国は、国連に加盟する前から国家固有の自然権としての自衛権を持ち、その自衛権を前提として日本国憲法を制定している。また国連に加盟する段階で、個別的及び集団的自衛権を持つ国家として加盟を承認されている。わが国は、国連憲章に明文化された自衛権を持ち、それを行使することができる。一般の国では自衛権の行使のために組織されている集団が軍隊であるが、わが国では、政府によってそれが自衛のための実力組織である自衛隊であるとされてきている。

 

関連掲示

・権利については、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第2章(4)〜(6)をご参照下さい。

・拙稿「国防は自然権であり堤防のようなもの

 目次から07へ

・拙稿「集団的自衛権は行使すべし

 

(9)力とは何か

 

戦力、武力、実力等の概念は、それぞれ何を意味するのか。

日本国憲法は、武力以外に戦力という言葉を用いている。またわが国の政府は実力という言葉も用いている。これらは、どれも力の概念に基づく言葉である。

力とは何か。力は、物事を生起させる原因に係る概念である。日常的な言語では、目には見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを、力という。
 力とはまず身体的な力である。その典型が腕力である。腕の動きは、押す、掴む、殴る、奪う、投げる等、直接相手の身体に働きかける。その働きを力の観念でとらえたものが、腕力である。
 力とはまた物理的な力である。自然界の風や水等の動きや火・光等の働きを、力の概念でとらえることができる。人間においては、人間が自然の事物や仕組みを利用して作る道具は、手や腕の延長である。道具は、身体的な力を物理的な力に変える。道具が複雑な機構を持つ様になったものが、機械である。機械に動力を加えることにより、人間はさらに大きな物理的な力を生み出すことができる。
 力とはまた社会的な力である。人間は集団生活を送る動物であり、集団の行為によって、身体的・物理的な力は社会的に組織された力となる。こうした社会的な力が、武力、戦力、実力等における力である。

 

(10)武力と兵力

 

(2)の戦争の項目に書いたように、武力は「軍隊の力。兵力」(広辞苑等)である。武力は、国家が有するものに限らない。国家以外も武力を持ち得る。民間の自治組織や独立を目指す組織、反政府組織等である。また武力を発揮するものは、軍隊とは限らない。武力の発揮を目的として組織された集団であれば、それを軍隊と見なすかどうかに関わらず、武力の担い手となる。

武力に似た言葉に兵力がある。兵力は、武力より具体的に定義される。広辞苑は、兵力を「軍隊の力。戦闘力。兵員数・軍艦数・兵器数の総体の力」とする。デジタル大辞泉は、「兵員数・兵器数などの総合力。戦闘力」「 国際法上、戦闘に従事できる資格を有する人々の集団」と定義する。日本大百科全書(ニッポニカ)は、さらに詳しく「広くは兵員のみならず兵器、軍艦、航空機などの性能や数量から引き出される直接戦闘力をさすが、国際法上は交戦資格を有する人々の集団を意味する」と説明している。

ここで国際法上、「戦闘に従事する資格を持つ人々」「交戦資格を有する人々」の集団は、軍隊以外に民兵、義勇兵団を含むことに再度留意したい

 

(11)戦力と実力

 

武力、兵力と戦力の違いは何か。戦力は武力であり、また兵力でもあるが、これらとの違いは、戦争を遂行するための力」(デジタル大辞泉)「戦争を遂行しうる力」(大辞林)などと定義される力であることである。

日本大百科全書(ニッポニカ)は、戦力を対外的な戦闘を行う手段となるいっさいの実力」としている。「対外的な戦闘」は、主に戦争を意味する。この定義では、単に力ではなく実力という言葉が使われている。実力とは何か。広辞苑は「@実際の力量。ほんとうの力量」「A武力。腕力」と定義する。@は日常語で使用される意味であり、本稿に関わりのあるのはAである。Aに関して、デジタル大辞泉は「目的を果たすために実際の行為・行動で示される力。腕力・武力など」、大辞林は「実際に行使されることにより示される力。武力・警察力など」と定義している。これらの定義に使われる腕力は、個人的で身体的な力である。戦力の定義に使われる実力は、武力の一種であり、特に目的を果たすために実際に行使されることで示される武力をいうものである。

実力を行使する目的には、治安維持、犯罪の鎮圧、国家の独立と主権の守備、他国への侵攻等が考えられる。それぞれの目的に応じて組織され行使される実力は、国内の治安維持等であれば警察力、外敵からの独立と主権等の守備であれば防衛力、他国への侵攻であれば侵攻力と分類することができる。


 

(12)警察と軍隊の違い

 

警察力は、主に警察が保有する実力であり、防衛力・侵攻力は軍隊が保有する実力である。

警察は軍隊とともに、多くの国家が保有する組織である。警察は軍隊とは別に、武器を保有する実力組織である。広辞苑は、警察を「社会公共の安全・秩序に対する障害を除去するため、国家権力をもって国民に命令し、強制する作用。またその行政機関。行政警察」と定義している。警察は、こうした目的を持つ組織として、法を執行するため、必要な実力を有する。その実力が、警察力である。

わが国の警察法は、警察の任務として「国民の生命・身体・財産の保護、犯罪の予防・鎮圧・捜査、被疑者の逮捕、公安の維持」を定めている。警察力は、これらの任務を遂行するために必要な実力である。

わが国の警察は、警棒・拳銃のほか催涙弾、放水砲、装甲車、短機関銃等を保有する。これらの装備では、外国から侵攻する軍隊とは戦えない。国内であっても、重機関銃やバズーカ砲、ロケット弾等を使用する大規模な武装集団が内乱を起こしたならば、警察が鎮圧するのは困難である。多くの国の場合、警察が鎮圧できない程度の内乱・騒擾は軍隊が出動し、治安維持を行う。わが国においては、警察力では治安を維持することができないと認められる場合、内閣総理大臣の命令または都道府県知事の要請によって、自衛隊が治安出動を行う。この場合、自衛隊が治安出動で行使する筆力は、警察力の高度なものである。この点を加えて言い直すならば、一国が保有する警察力は、低度のものは警察が保有し、高度なものは軍隊が保有する。軍隊は、高度な警察力とともに、防衛力・侵攻力を持つ。

警察も軍隊も、その目的の中に国民の生命・財産を守ることを持つ機構だが、この二つには大きな違いがある。警察は、国内における治安維持・犯罪防止等を主たる任務とする。軍隊は、対外的に国の主権と独立を守るために、外国の軍隊への対応を主たる任務とする。そのため、警察と軍隊では、許される行動原理が違う。

警察は、その権限を国内法によって付与され、国内法で認められたことしか行使できない。警察権は国民に対して行使されるため、国家権力の乱用を防ぐためにこうした規制がかけられている。また、警察力の行使は、国内に厳格に限定されている。警察官は文官であり、武官(軍人)ではないので、戦時国際法における軍人として扱われることはない。

これに比し、軍隊は、主に他国の軍隊と戦闘することを目的としており、軍隊に与えられる権限は、国際法による。また、軍事力の行使が可能な領域は、国内に限定されない。軍隊の権限は、国際法の主権絶対の原則や主権平等の原則に基づく。軍隊は、戦時国際法で禁止されていること以外は権限を行使できる。基本的には原則無制限の権限である。戦時国際法による禁止事項とは、毒ガス等の国際的に禁止されている兵器の使用、非軍事施設への攻撃、捕虜の虐待等である。それ以外については、軍隊は自国を守るため、国際法に従って自由に行動し、権限を行使することができる。軍隊にこのような自由が認められているのは、外国の侵略はいつどこでどのように行われるか、全く予測できないからである、警察のようにあらかじめ許された行動規定を設けるのでなく、いかなる事態にも対処できるように、こうした自由が認められているのである。

世界的に軍隊を持たない国は、ローマ・カトリック教会の宗教国家であるバチカン市国、人口500万以下の小国コスタリカなどごくわずかである。コスタリカは、1949年の憲法で常備軍を廃止したが、その憲法は非常時徴兵を規定している。

大多数の国では、軍隊が保安機能を持ち、その機能の一部を担っているのが警察という関係になっている。ただし、人口や政府機関の人員が少ない国では、警察と軍隊が明確に分離していないことが多い。例えば、トンガでは、軍人の過半数が普段は警察官としての業務を行っている。また、警察が警察軍と呼ばれる準軍隊的な組織を保有している国もある。わが国の自衛隊は警察予備軍を前身の一つとしており、警察軍としての性格を持っている。

 

(13)軍隊と自衛隊

 

 自衛隊は、軍隊であるか、軍隊でないかについて説が分かれている。政府の見解は、平成27年(2015年)4月3日に閣議決定された答弁書に示されている。それによると、自衛隊は、「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」が「自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織」であり、「国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる」という。答弁書の主要部分は、次の通り。

「国際法上、軍隊とは、一般的に、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられている。自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであると考えているが、我が国を防衛することを主たる任務とし憲法第九条の下で許容される『武力の行使』の要件に該当する場合の自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織であることから、国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる。」

自衛隊が国際法上は軍隊として取り扱われるということについては、戦時国際法関連の条約は、「戦争に参加した軍隊」に適応されるのではなく、「紛争に参加した国の組織的な戦闘員全て」に適応されるとしている。それゆえ、わが国が自衛隊を軍隊と規定していなくとも、軍隊と同様の組織として取り扱われると理解される。

それでは、自衛隊が武力を行使した場合、その行為は国際法上、戦争と認められるか。この点に関し、平成14年(2002年)2月5日に閣議決定された「戦争」「紛争」「武力の行使」等の違いに関する政府の答弁書は、次のような見解を示している。

「憲法第九条第一項は、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められているところであると解されるから、自衛隊が自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第八十八条に基づいて必要な武力を行使したとしても、憲法第九条で禁止されている『国権の発動たる戦争』には当たらないと考える。」

自衛隊法第88条は、防衛出動時の武力行使を定めるものである。

さて、政府見解によると、憲法9条1項はすべての戦争を放棄したものであるから、自衛戦争も放棄したという意味になる。だが、1項は独立国家に固有の自衛権までも否定するものではないと解するので、自衛権を発動して自衛隊が武力を行使しても、それは戦争ではないことになる。自衛戦争ではなく、自衛のための武力行使であり、軍隊ではない実力組織がそのために武力行使を行うことは、戦争ではないという論理である。ここには、自衛隊は警察でも軍隊でもなく、その中間に位置する実力組織だという考えがある。また9条2項は戦力の不保持を定めており、自衛隊の持つ武力は戦力ではなく、「必要最小限度の実力」であるという見解に立っている。これに対して、政府の見解に矛盾を感じ、自衛隊の持つ能力は戦力であるという見方がある。

 

(14)戦力ではない実力という欺瞞

 

自衛隊は、政府によって「最小限度の実力組織」とされている。実力は、警察力、防衛力、侵攻力に分類できる。これらの実力のうち、戦力と見なされ得るのは、どのような実力であるか。

(11)に書いたように、戦力とは「戦争を遂行するための力」「戦争を遂行しうる力」「対外的な戦闘を行う手段となるいっさいの実力」である。その点から言って、まず国内の治安維持等のための警察力が、戦力ではないことは明らかである。次に、他国への侵攻を目的とする侵攻力は、侵攻戦争を遂行し得る実力であるから、明らかに戦力である。それゆえ、問題は、外敵からの独立と主権の守備等を目的とする防衛力は、戦力と言えるかどうかに絞られる。

外敵の侵攻と戦う戦争は、自衛戦争である。自衛戦争を遂行し得る実力は、戦力である。それゆえ、防衛力は戦力であると言わねばならない。

戦闘には攻撃と守備の両面があり、攻撃を行う力が守備に役立ち、また守備を行う力が攻撃にも役立つ。ただし、自国を守備するための攻撃と、他国を侵攻するための攻撃は異なる。それによって、戦闘を行う組織の編制や装備、技術等も異なる。それゆえ、防衛力を担う組織の実力は、自衛戦争を遂行することに限定された戦力である。

侵攻力には攻撃と守備の両面があり、防衛力も同様である。侵攻力においては攻撃力が主であり、守備力が従である。防衛力においては守備力が主であり、攻撃力が従である。侵攻的攻撃力は他国に侵攻するための攻撃力であり、防衛的攻撃力は侵攻してきた外国軍を攻撃するための攻撃力である。それによって、装備は大きく異なる。大陸間弾道弾、長距離爆撃機等は侵攻的攻撃力を構成するための武器であり、地対空ミサイル、短距離戦闘機等は防衛的攻撃力を構成するための武器である。

ただし、侵攻力と防衛力は、戦力として全く異なる性格を持つわけではない。核時代において、相手国が核兵器を持っている場合、戦争を抑止する最大の防衛力は核兵器を持つことである。相手国が戦略核兵器を使って侵攻できる大陸間弾道弾、長距離爆撃機等を持っている場合、最大の防衛力は同様の戦略核兵器を持つことである。それゆえ、その兵器は侵攻力として使用することもできる。だから、核攻撃を受ければ、核兵器で報復するという能力を持っていることが、戦争抑止力となる。このように攻撃力と侵攻力はコインの両面のような性格を持っている。

それでは、自衛隊の実力は、戦力であるのか、ないのか。戦力とは何かついて既に概略は書いたが、これを掘り下げて検討するならば、戦力には解釈上、諸説ある。日本大百科全書(ニッポニカ)は、次のように解説している。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――1)広義に解する説では、戦力とはなんらかの形で戦争に役だつすべての力をさす。この説によれば、警察力、飛行場、航空機およびその製造工業・重工業、原子力研究など、平時には戦争以外の目的のものでも、いざというときに戦争目的に役だつものはすべて戦力となる。日本国憲法制定当初において有力な説であった。

2)戦争を遂行する目的と機能をもつ組織的な武力をさし、(1)に掲げた平時用のものは除かれる。この説においては、警察力と戦力とをはっきり区別する。警察力とは、目的・装備・編成などの点で国内の治安維持に必要な程度をいい、この程度を超えたものが戦力であって、現在の自衛隊はこの意味の戦力に該当するとされる。この学説をとるものが現在は多い。

3)近代戦争遂行能力を備えた実力をさす。この説によれば、相当高度の組織と装備をもつものでないと戦力にはならないことになる。従来の政府の考え方がこれと一致し、警察力と戦力の間にもう一つの実力(防衛力)があるとされ、したがって、この考え方によれば、自衛隊は防衛力であって、戦力ではないとされる。

 

上記の(2)は「戦争」を遂行する目的と機能をもつ組織的な武力を戦力とする。これに対し、 (3)は戦争のうち「近代戦争」の遂行能力を備えた実力のみを戦力とする。

 では、近代の戦争と前近代の戦争を分けるものは、何か。基本的には、兵器の技術水準である。兵器の歴史では、前近代と近代との間で、弓矢から銃へ、投石器から大砲へと飛び道具の飛躍的向上があった。13世紀にシナで火薬が武器に使用されるようになり、15世紀にヨーロッパで火縄銃が発明された。以後、火打ち式(フリントロック式)、ライフル(施条式銃)、金属薬莢式自動拳銃等が開発された。1950年代に自動小銃が世界的に普及した。また、この間、15世紀にヨーロッパで石の砲丸を発射する大砲が使用され、同世紀中に鉄製の砲丸に変わった。1940年代にミサイルが開発され、それが大陸間を飛行する0ものや核兵器を搭載するものへと発達した。

こうした兵器の歴史において、火縄銃や鉄製砲丸以降の火器は、近代西洋文明の世界侵出を可能にした武器である。また、「近代戦争」とは、火縄銃以降の銃や鉄製砲丸以降の大砲を使用する戦争ということができる。それゆえ、戦争遂行能力について近代戦争のレベルか前近代戦争のレベルかという分け方は、戦力か、それとも戦力未満の実力かという判断の基準として、ほとんど意味をなさないほどに不十分である。

わが国は憲法9条2項により戦力不保持を定めているが、わが国政府は「必要最小限度の実力」を保持することはでき、自衛隊は「必要最小限度の実力組織」であるから戦力ではないという立場を取ってきている。私は、この考え方は欺瞞的だと思う。自衛隊は外国の侵攻から日本の独立と主権、国民の生命と財産を守る自衛のための戦争を戦うことのできる実力組織である。自衛戦争を遂行し得る実力は、戦力である。戦力のうち、侵攻力ではなく防衛力のみを保持する実力組織が、自衛隊であるということになるだろう。その点では、侵攻力と防衛力をともに持つ一般的な軍隊に比べ、防衛力だけを持つ国防軍という性格を持っている。

以上、憲法第9条の改正を検討するに当たって、基本的な概念の整理を行った。ここであらためて浮かび上がるのが、自衛隊とは何かという問題である。ぺージの頭へ


 

3.自衛隊とは何か

 

 憲法第9条をめぐる議論は、自衛隊に関する議論でもある。本稿ではこれまで自衛隊について幾度か言及してきたが、いったい自衛隊とはどのようなものであるか。

 

(1)概要

 

自衛隊は、日本の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略および間接侵略に対して防衛することを主な任務とする部隊および機関である。昭和29年(1954年)6月に防衛庁設置法および自衛隊法によって設置された。現在自衛隊は、防衛省本省、統合幕僚監部、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊、防衛施設庁の総称として使われている。

自衛隊は、警察と軍隊の中間的な組織であり、警察軍としての一面と国防軍としての一面がある。こうした複雑な性格を持っているのは、その創設までの経緯によっている。

次に、その経緯を書いたうえで、任務・行動・権限・予算・評価・人員・装備等について述べる。

 

(2)創設までの経緯

 

大東亜戦争の敗北の結果、わが国は、連合国軍総司令部によって占領され、旧大日本帝国陸海軍は解体された。わが国は、国防のための実力組織を持たない被占領国となった。GHQは秘密裏に英文で憲法の草案を作り、それをもとにした日本国憲法が、占領下の昭和22年(1947年)5月3日に施行された。日本国憲法は、前文で「安全と生存」を「平和を愛する諸国民」に委ねるとし、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を規定した。占領期間の終了後、日本が独立と主権を回復した時、国防や治安維持をどのように行うか。それが占領下のわが国の一大課題だった。

昭和25年(1950年)6月25日、北朝鮮軍の侵攻により、朝鮮戦争が勃発した。これに対処するため、在日米軍が約8万人派兵された。7月8日、連合国軍最高司令官マッカーサーは、空白となった日本の治安維持と防衛を担当させるため、警察予備隊の設立を指示した。これに基づいて8月10日、警察予備隊令が公布され、即日施行された。占領命令を実施するためのポツダム政令によるものだった。警察予備隊は7万5000人で設立され、総理府の機関として組織された。

警察予備隊の目的は「警察力を補う」ことであり、治安維持のため特別の必要がある場合に内閣総理大臣の命を受けて行動するものとされた。だが、実質的には、在日米軍を補完する小型陸軍の建設が目的だった。師団相当の管区隊4個が全国に配備され、在日米軍の警備任務を引き継いだ。小銃、機関銃、ロケット弾発射筒、迫撃砲などが米軍から貸与された。準軍隊的な組織であり、一部の国に見られる警察軍に当たると言えよう。後にこれが陸上自衛隊に発展した。

マッカーサーは、警察予備隊の設立を指示した際、海上保安庁の定員を8000人増加することも指示した。海上保安庁は「海の警察」であるが、旧海軍の残存部隊がこれに加わっていた。昭和27年(1952年)4月26日、海上保安庁法の一部が改正され、海上保安庁に海上警備隊が創設された。陸上における警察予備隊に相当するものであり、日本海軍の不在を補うものである。海上警備隊の任務は、海上における人命・財産の保護、治安維持のため緊急の必要がある場合、海上で必要な行動をすることだった。やはり準軍隊的な組織であり、海上の警察軍的なものと言えよう。後にこれが海上自衛隊に発展した。

 昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、わが国は独立を回復した。主権の一部は制限されたままとはいえ、独立主権国家として国際社会に復帰した。

同日、日米安全保障条約(旧日米安保条約)が発効した。この条約は、日本における安全保障のため、アメリカ合衆国が関与し、米軍を日本国内に駐留させることなどを定めたものである。米国には日本を守る義務があるが、日本には米国を守る義務のない片務的な条約であり、形を変えた占領の延長という性格を持っていた。この時点の日本には、自力で国を守る力はなく、国防を米国に依存する体制となった。

昭和27年4月の独立回復後、保安庁法が国会に提出され、7月31日に可決された。翌8月1日、警察予備隊と海上警備隊を管理運営するために、総理府の外局として保安庁が設置された。警察予備隊は保安隊に改組され、海上警備隊は保安庁の管轄下に移った。これらの部隊の任務は、「わが国の平和と秩序を維持し、人命、財産を保護するため特別の必要がある場合に行動する」ことだった。

 陸上の保安隊には、榴弾砲、戦車、連絡機などが米軍から貸与され、海上の警備隊にはフリゲート艦、上陸支援艇が引き渡された。任務はあくまで治安維持だったが、陸上海上とも準軍隊的な組織が一段と実力を増大することになった。

昭和29年(1954年)6月、防衛庁設置法および自衛隊法が成立した。これらを合わせて、「防衛二法」という。これらの法律の施行により、保安隊は陸上自衛隊、海上警備隊は海上自衛隊に改編された。翌月、新たに領空警備を行う航空自衛隊も設置され、ここに陸・海・空の3自衛隊が発足した。

自衛隊は、現行憲法と日米安保条約のもとで、自立した実力組織ではなく、在日米軍を補完する組織として設立された。米軍を「矛」とすれば、自衛隊は「盾」の役割を担っている。言い換えれば、自力だけでは日本を守ることのできない実力組織が、自衛隊である。先に警察力・侵攻力・防衛力について書いたが、この点において、高度の警察力を持つ警察軍としての性格と、防衛力のみを持つ実力組織としての国防軍という性格を併せ持っている。


 

(3)任務・行動・権限等

 

自衛隊法は、自衛隊の任務、部隊の組織・編成、行動・権限、自衛隊員の身分の取り扱いなどを定める。自衛隊の任務は、同法第3条に、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする」と定められた。国の防衛を主たる任務とし、必要に応じて治安維持も担う実力組織である。それゆえ、自衛隊は、前身の警察予備隊等の警察軍的な組織から、国防軍的な組織へと移行してきたと言えよう。

 昭和29年(1954年)の自衛隊法成立時、自衛隊の行動は、主に防衛出動と治安出動とされた。他に海上保安庁の統制、海上における警備活動、災害派遣、領空侵犯に対する措置などが加えられてきた。

最も重要な防衛出動は、外国による直接侵略に対するもので、内閣総理大臣が出動を命ずる。ただし、国会の承認を得たうえでとされている。自衛隊法76条に規定されている。治安出動は、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力で治安を維持することができないと認められる場合に命じられる。国会の承認は事後で良い。自衛隊法78条に規定されている。

自衛隊の権限については、「自衛隊は、その任務の遂行に必要な武器を保有することができる」(第87条)と定められている。自衛隊は戦力ではないとされているから、自衛隊法は自衛隊について戦力という用語を使っていない。実力という用語も使っていない。使用されているのは、武力の語である。

自衛隊は、防衛出動時に「わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる」(第88条1項)と定められている。また、この際の武力行使に際しては、「国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする」(88条2項)と定められている。

次に、治安出動に関しては、自衛官の行動は、警察官職務執行法を準用することとされている。この点では、自衛官は警察軍の警官に準ずる立場にとどまっている。

 占領下における警察予備隊・海上警備隊から、独立回復後の自衛隊への改編までの過程で、これらの組織が、日本国憲法第9条に照らして、合憲か違憲かを巡る論争が繰り返された。9条1項はすべての戦争を放棄したものであり、2項は一切の戦力を保持せず、自衛のための交戦権も否認したと解釈する者は、これらの組織を憲法違反として批判した。だが、その解釈と主張に立てば、わが国は独立主権国家として存立できない。米国の占領終了後も、永久に被保護国の立場を続けるか、米国に見捨てられれば旧ソ連や中国の占領・支配を受けるかのどちらかである。どちらの方向も、日本は亡国に至る。それゆえ、第9条を上記のように解釈して自衛隊等に反対する者は、自滅主義者か、日本を亡国に至らしめることを目的とする反日日本人だろう。

 

(4)政府の見解と反対意見

 

 日本人は本来、独立回復後、すみやかに占領下で押し付けられた憲法を改正し、自らの手で新憲法を制定すべきだった。だが、独立回復後、日本人は憲法改正による真の主権回復を行うための気概を失い、また左翼思想・反日思想等の信奉者が増えて国論が分裂し、この最大の課題を遂行できないまま、歳月を重ねた。この間、世界は第2次世界大戦終了後の一時的な平和ムードは、わずかのうちに消え去り、東西ドイツの対立や朝鮮戦争等を通じて、米ソの冷戦体制へと激変した。恐怖の均衡の中で核開発競争が行われ、核兵器を使用する第3次大戦が勃発すれば、人類が滅亡する危機が高まった。

 こうした内外の情勢のもとで、わが国の政府は、現行憲法のもとで国家の存立を図る道を取ってきた。警察予備隊・保安隊の時代には、それらは警察的組織であって戦争を目的とするものではなく、装備および編成も「近代戦を有効かつ適切に遂行しうる能力」を持たないから戦力ではないとした。またそれらが改組されて自衛隊が発足すると、政府は昭和29年(1954年)12月21日に、「自衛のために必要な限度において持つ自衛力は戦力に当たらない」との新解釈を示した。この解釈に対して、自衛隊に反対する者は「自衛のための必要な限度」はどの程度かと政府を追求した。これに対して、政府は昭和53年(1978年)2月14日に、「その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有する」という見解を示した。

 わが国は戦後、現行憲法のもと、戦力を保持しない方針を取り、専守防衛や非核三原則等の政策を行ってきたが、この間、中国は核兵器や大陸間弾道弾等を開発し、また猛烈な勢いで軍拡を進めてきた。これに続いて、近年は北朝鮮が活発に核・ミサイルの開発を行い、わが国の安全と生存を脅かしている。

 こうしたなか、わが国は、平成27年(2015年)9月に従来の安全保障政策を転換する安全保障関連法を成立させた。平和安全法制とも呼ばれる。改正武力攻撃事態、改正国際平和協力など10の法律を束ねた平和安全法制整備と、新たに制定された国際平和支援から構成される。自衛隊法も前者の一環として改正された。安保法制の成立で特に重要なのは、憲法解釈を変更して集団的自衛権の限定的行使が認められたことである。また、米軍など外国軍への後方支援の内容が拡大されたり、PKOでは駆けつけ警護などの新任務が認められ、武器使用権限が拡大されるなどした。それら一連の法案は、平成28年(2016年)3月に施行された。これによって、自衛隊の役割は、一層大きなものとなった。

 この間、自衛隊は、平成23年(2011年)3月11日に勃発した東日本大震災をはじめ、多くの災害における救助活動を行ってきた。首都直下型大地震や東海大地震、南海トラフ大地震の発生確率が高まっているなか、国民の安全と安心のために自衛隊の存在は大きさを増している。

 だが、今も憲法学者のうち約7割は、自衛隊を憲法違反とする見解を出している。また左翼や左派の政党は自衛隊に反対し、憲法第9条改正に反対の人たちは、国民の4割以上いると見られる。


 

(5)予算

 

 日本の防衛費は、世界各国の軍事費と比べると、金額において平成27年(2015年)時点で第7位に位置する。第1位から並べると、@米国、A中国、Bサウディ・アラビア、Cロシア、Dイギリス、Eフランス、F日本、Gインド、Hドイツ、I韓国の順である。日本の防衛費は、GDPの1.0%を上限としている。これら上位10各国には、軍事費のGDP比率は2〜3%台の国が多い。日本のGDP比率は、10ヶ国中で最低である。

 日本の防衛費は、陸上組織よりも海上組織と航空組織に多くの予算を回している。

 政府は、平成30年度(2018年度)の一般会計予算の総額を過去最大となる97.7兆円に設定した。これと同じく防衛費も約5.2兆円と過去最高額となった。

 

(6)評価

 

 自衛隊の実力を軍事力として、世界各国と比較するとどの程度に評価されるか。

軍事分析会社グローバル・ファイヤーパワーの「世界の軍事力ランキング2017年版」では、第7位にランクされている。第1位から並べると、@米国、Aロシア、B中国、Cインド、Dフランス、Eイギリス、F日本、Gトルコ、Hドイツ、Iイタリアの順である。

 陸海空の3自衛隊のうち、海外では特に海自の実力への評価が高い。多くのランキングが世界で第2位〜第5位としており、中国海軍を上回って、アジア最強という見方もある。こうした評価は、装備の優秀性だけでなく、自衛隊員の質の高さを反映したものである。

 

(7)人員

 

 平成29年版の防衛白書によると、平成29年(2017年)3月31日現在、自衛隊の人員は、224,422人である。内訳は、陸上自衛隊約13.6万人、海上自衛隊は約4.2万人、航空自衛隊は約4.3万人である。他に予備自衛官、防衛省相職員が約7万人いる

自衛隊には定員があり、約24.7万人と定められている。上記の約22.4万人は、充足率90.8%である。人員は減少の傾向があり、人で不足となっている。

 

(8)装備

 

 わが国は、防衛費、一般的には軍事費において世界第7位にランクされながら、政府が専守防衛の政策を採っており、海外に侵攻・展開できるような装備は持っていない。

 たとえば、自衛隊は長射程のミサイルや長距離飛行の可能な爆撃機を保有していない。これらは、他国を侵攻するための攻撃用兵器と映るから、自制しているものである。自衛隊が保有するミサイルや爆弾は、日本の領空・領海・領土に侵出してきた敵国に対する自衛のための武器であって、敵国に攻め込んで基地や軍事施設を叩く能力を持っていない。


 

(9)専守防衛政策の誤り

 

 現在では、あたかも憲法制定以来の原則であったかのように誤解されている「専守防衛」という言葉は、昭和40年代に入って出始めた言葉である。当初、専守防衛は、政治的な用語で、確定した定義はなかった。45年ごろ当時の中曽根康弘官房長官が言い出したらしい。
 防衛庁は、昭和45年(1970年)に『日本の防衛』を発表した。初めての防衛白書である。この白書は、「専守防衛の防衛力」という項目に、次のように記述している。
 「わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする。専守防衛の防衛力は、わが国に対する侵略があった場合に、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである」。
 「専守防衛」を本旨とするとしながら、「戦略守勢」という用語も使用している。「戦略守勢」は軍事用語で、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地へも反撃を行う。また、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃を行うことも含む。
 したがって、昭和45年の時点では、専守防衛といっても、防衛庁の見解は、攻撃を受けた場合の敵基地への反撃や自衛のための先制攻撃ができるものだったと考えられる。
 また、この昭和45年版防衛白書は、核兵器については、次のように述べている。
 「(註 わが国は)核兵器に対しては、非核三原則をとっている。小型の核兵器が、自衛のため必要最小限度の実力以内のものであって、他国に侵略的脅威を与えないようなものであれば、これを保有することは法理的に可能ということができるが、政府はたとえ憲法上可能なものであっても、政策として核武装しない方針を取っている」
 法理的に可能という部分は、昭和35年(1960年)の岸信介首相がそのような見解を出しており、その見解を保つものである。政策上の方針とは、佐藤栄作首相が打ち出した非核三原則を指している。これらを踏まえて、核武装は「たとえ憲法上可能なものであっても、政策として核武装しない方針」と表現している。「政策として」と明記しているので、政策の変更がありうることが含意されている。
 そして、この白書は、他国を侵略する兵器は持てないが、自衛のために攻撃する兵器は持てるという見解を示していた。B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦、大陸間弾道弾(ICBM)等は保有しないとしているが、世界最高級のB52まではいかない長距離爆撃機であれば、保有しうるということである。モスクワまで届くミサイルは持てないが、シベリア、北京に届くミサイルを持つことは可能。シーレーンを往く艦船を護衛する小型空母は可能――こういう余地があったわけである。
 現行憲法の下でも、45年版防衛白書は、このように書いていた。この白書の内容のままであれば、わが国は平成になって北朝鮮の核に右往左往することなく対応でき、外交においても、もっと毅然とした姿勢を取り得ただろう。
 ところが、この後、専守防衛という用語は、戦略守勢と異なる受動的な防御を専らとするという意味に変質した。わが国の防衛政策は、昭和40年代後半から大きく後退してしまったのである。この後退には、米中接近・日中国交回復という戦略・政略の一大変化が関係していた。

 防衛戦略の重大な変更は、日中国交回復の翌月に行われた。昭和47年(1972年)10月31日、田中角栄首相は、衆院本会議で次のように答弁した。
 「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うということでございまして、これはわが国の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。
 なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されないーー専守防衛と同様の意味を持つものでございます」と。
 これが、その後、わが国の防衛政策を制約している政策の変更である。田中は、ここで専守防衛を「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と説明した。
 田中のいう意味での専守防衛は、戦略守勢の概念とは大きく異なる。戦略守勢は、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地に反撃するし、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃することも含まれる。
 ところが、田中は、戦略守勢を、自分が上記のように定義した専守防衛と同様の意味のものであるという。これは、戦略守勢の本来の意味を否定し、受身の防御をもって「専守防衛=戦略守勢」だと歪曲したものである。
 田中は、日中国交回復によって、経済的な利益を求める一方、わが国の防衛を危うくした。私は、国益を大きく損ねた重大な過失だと思う。
 専守防衛という政策は、よほど国防をしっかりしないと、国を危うくする。相手が攻めてくるのを防ぐのみでは、相手はこちらが防ぎきれなくなるまで攻め続けるだろう。よほど守備がしっかりしていないと、執拗な攻撃を防ぎきれず、敗北する。スポーツでも武道でも、彼我の力に大差がない限り、防御だけで守り通すことは、できない。
 もし専守防衛という理想を追求するなら、よほど国民の国防意識を高め、共同防衛の義務を徹底し、防備と訓練を怠らないようにしなければならない。私は、永世中立国だったスイスに学ぶべきものが非常に多いと考えているが、わが国は、スイスに比べ、国民の国防意識が著しく低く、防衛の装備も訓練もされていない。非常事態のマニュアルもない。核シェルターもない。受身一方の専守防衛政策を取りながら、国民をこのような状態に置いてきた政治家の怠慢は、許しがたい。しかし、これもまた、そうした政治家を選び、国政をゆだねてきた国民の責任である。
 昭和47年の田中答弁の後、昭和51年に「防衛計画の大綱について」が策定され、第二版の防衛白書が発表された。
 この白書では、「戦略守勢」という軍事用語が削除された。すなわち、「わが国の専守防衛に徹する防衛力
‥‥」とか「わが国の防衛力は自衛に徹する専守防衛のものでなければならない」とかの表現が使われ、戦略守勢とは言っていない。ここでの専守防衛は、45年版のそれとは意味が変わっている。自衛のための攻撃を行わない受動的な防御の意味になっている。田中が「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と定義した専守防衛に変化している。
 昭和45年版の防衛白書は、他国を侵略する兵器は持てないが、自衛のために攻撃する兵器は持てるという含意のある見解だった。ところが、昭和51年版では、専守防衛の意味の変化により、自衛に用いる攻撃的兵器が持てなくなった。
 45年版は、ICBM、B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦等は保有しないとしていたが、51年版では、中長距離弾道弾(ICBM、IRBM)、長距離爆撃機、攻撃型航空母艦等は保有しないという内容になった。45年版は、モスクワまで届くミサイルは持てないが、シベリア、北京に届くミサイルは持てたが、51年版は、北朝鮮に届くミサイルも持たない。中距離弾道ミサイル(IRBM)を持たないからである。長距離爆撃機には「B52のような」という限定がなくなり、長距離爆撃機を一切持たないことした。
 これによって、わが国は敵基地を攻撃し得る兵器を持つ意思を否定した。これは、防衛戦略の大きな後退である。憲法の規定は、変わらない。同じ9条2項のもとで、国防の制約を自ら行ったものである。

昭和47年から、わが国は受動的防御に徹する専守防衛を国是としている。相手から攻撃されるまでは絶対に手を出さない、外国に脅威を与える軍事力を持たない、非核三原則を堅持するというのが、それである。

 そのため、ここにきて北朝鮮の軍事力に脅威を覚え、「反撃」だ、「先制攻撃」だ等と言っても、現在の自衛隊では対処できない。そのための兵器を整備してきていないからである。IRBMも、長距離爆撃機も、攻撃型航空母艦もなく、相手に有効な損害を与えることはできない。これでは、侵攻を抑止する抑止力にはならない。

 

関連掲示

・拙稿「核大国化した中国、備えを怠る日本〜日中戦後のあゆみ


 

(10)自衛官の宣誓

 

自衛官は、任官に当たり、「ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える」と宣誓する。国家の主権と独立、国民の生命と財産を守るために、命をかけて任務に当たっているのが、自衛官である。そうした職業を選び、その職務に専心している人々に対して、国民は敬意を抱くべきである。

人間には利己心と利他心があるが、国家・国民を守るために危険を顧みず、生命をかけて務めを果たすことは、最も強く利他心を発揮する行為である。国家という一つの共同体は、命を懸けてその共同体を守る者が存在しなければ、危難に遭遇した時に崩壊する。危難のうち最大のものは、主権と独立が脅かされる事態、特に外国による侵攻である。それゆえ、普通の国では、国家・国民の防衛のために貴い生命を捧げた人々に深く感謝し、篤い敬意を表し、最高の名誉を与える。

わが国では、自衛隊創設以来、訓練中の事故等によって、約1,800人の自衛官が殉職している。殉職自衛官は、外国の侵攻に立ち向かう自衛戦争の中で斃れたのではない。だが、わが国の平和と安全を守るためには、日常の厳しい訓練が欠かせない。その訓練において殉職した自衛官に対しては、国家危急の時に散華し、靖国神社に祀られている英霊と同様に、感謝と慰霊の誠が捧げられるべきである。

 

(11)国民の印象

 

自衛隊は、創設以来、これを違憲だとする見方があり、多くの国民から冷たい目で見られてきた。自衛官が殺人者のように罵倒されたり、自衛官の子供がいじられたりすることが長く続いた。しかし、そのような中でも、自衛員は黙々と任務に勤しむことにより、段々国民の支持を拡大してきた。特に平成23年(2011年)の東日本大震災における献身的な救助活動は、国民の多くに感動をもたらした。

平成27年(2015年)1月に内閣府が行った世論調査では、全般的に見て自衛隊に対して良い印象を持っているか聞いたところ、「良い印象を持っている」とする者の割合は92.2%だった。内訳は「良い印象を持っている」が41.4%、「どちらかといえば良い印象を持っている」が50.8%である。一方、「悪い印象を持っている」とする者の割合は4.8%だった。内訳は「どちらかといえば悪い印象を持っている」が4.1%、「悪い印象を持っている」が0.7%だった。国民の9割以上が、自衛隊に良い印象を持っており、悪い印象を持っている者は5%に満たない。

このように国民の大多数が自衛隊に良い印象を持っていながら、現行憲法では、自衛隊の存在は違憲だという見方が、憲法学者の約7割を占めている。この乖離を埋めることが、強く求められている。

自衛隊は合憲のか、違憲なのか、憲法上明確な根拠規定がないとされる現状を改善する必要がある。

 

(12)実態と自己欺瞞

 

自衛隊は、普通の国であればそれぞれ陸海空軍に相当する陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊からなり、加えて自衛隊を管理・運営する防衛省が設置されている。

自衛隊の予算は、ほぼイギリスの軍事予算と同額で、年間5兆円を超える。また、自衛隊は、現代的な最新技術の装備と編成による22.4万人を擁する実力組織である。また、自衛隊は士気、能力、練度ともに高い。その実力は、世界第7位といわれる水準にある。この水準は、台湾、ベトナム、マレーシアなどの軍隊を上回る。これらの国々が保持する軍隊は戦力だが、自衛隊は戦力ではなく、軍隊でもないというのは、外国には通じない詭弁である。自衛隊は、最新型の戦車、巡航ミサイル、イージス艦、戦闘機、潜水艦等を保有する。国際的にみれば軍隊である。その実力は、警察力を遥かに超えている。自衛隊の実態は、自衛戦争を行うための防衛力としての戦力を持つ国防軍である。

わが国の政府が、自衛隊は憲法の禁止する戦力ではなく、「必要最小限度の実力組織」だと欺瞞的な位置づけをしてきたのは、憲法第9条に問題があるからである。また、自衛隊は国際社会では軍隊とみなされるが、国内では軍隊ではないとされるという矛盾におかれている。これもまた欺瞞である。冒頭に第9条の問題点を述べたが、第9条を改正しなければ、わが国は自己欺瞞から脱することができない。ぺージの頭へ

 

4.自民党の過去の改正案とほそかわ私案

 

 次にこれまで書いたことを踏まえて、憲法第9条の改正を目指す動きについて述べる。

 憲法改正への動きを最も強く推進している政党は、自民党である。自民党は、昭和30年(1955年)の立党宣言に「自主独立の権威の回復」の文言を掲げた。だが、その後、自主独立の権威回復の要となる憲法の改正のできないまま、半世紀が経過した。そこで自民党は、平成17年(2005)の立党50年に当たって、「新綱領」の第一に「新しい憲法の制定を」を掲げた。

 この年、自民党は、憲法改正草案を発表した。そのうち第9条は、次のような案となっていた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

●自民党平成17年版憲法改正草案より

 

第二章 安全保障

(安全保障と平和主義)
第九条 日本国民は、諸国民の公正と信義に対する信頼に基づき恒久の国際平和を実現するという平和主義の理念を崇高なものと認め、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する平和国家としての実績に係る国際的な信頼にこたえるため、この理念を将来にわたり堅持する。
2 前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
3 日本国民は、第一項の理念に基づき、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動に主体的かつ積極的に寄与するよう努めるものとする。

 

(自衛軍)
第九条の二 侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 自衛軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して行わなければならない。
4 自衛軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。

(自衛軍の統制)
第九条の三 自衛軍は、内閣総理大臣の指揮監督に服する。
2 前条第二項に定める自衛軍の活動については、事前に、時宜によっては事後に、法律の定めるところにより、国会の承認を受けなければならない。
3 前二項に定めるもののほか、自衛軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 安全保障を独立した章として新設し、現行9条の主旨を維持しつつ、9条の二、三を設けて自衛軍を保持するとしたものである。

私は、翌年となる平成18年の拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」でこの案を批判し、憲法改正私案を提示した。私案の全体は、下記の掲示文をご参照願いたい。私は自民党員ではなく、どの党の党員でもない。一国民として意見を述べている者である。

 本稿では、第9条にかかわる私案の条文のみを掲示する。条文の番号が現行憲法と異なるのは、私案全体における通し番号になっていることによる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆ほそかわ案より

(国際平和の希求、侵攻戦争の否定)


第十三条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
2 前項の目的を達するため、我が国は国際条約を遵守し、国際紛争を平和的手段によって解決するよう努める。

(自衛権、国防の義務と権利の制限)
第十四条 日本国民は、国家の平和と独立、国民の生命と財産、自国の伝統と文化を守るため、自衛権が自然権であることを確認する。
2 わが国は、自衛権の一部である集団的自衛権を保有し、平和を維持するため、国際的な相互集団安全保障制度に参加することができる。
3 日本国民は、統治権を共有する者として、国防の義務を負う。また、国家防衛と治安維持のために、必要最低限度において、自由と権利の制限を受ける場合がある。

(国軍)
第十五条 外国からの武力攻撃やテロリズムから我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の生命及び財産を保守するため、国軍を保持する。
2 国軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 国軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して行わなければならない。
4 国軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。

(国軍の統制)
第十六条 国軍の最高指揮権は、内閣総理大臣に属する。
2 内閣総理大臣は、国家安全保障会議を組織し、これを統括する。国家安全保障会議については、法律で定める。
3 前条第2項に定める国軍の活動については、第十九条に規定される非常事態宣言が発せられている場合を除いては、国会の承認を必要とし、動員には、外国の侵攻を受けた場合またはその危険が切迫した場合の他は、国会の事前の承認を必要とする。
4 前3項に定めるもののほか、国軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。

(軍人の地位) 
第十七条 現役の軍人は、内閣総理大臣及びその他の国務大臣になることができない。
2 軍人については、軍隊の規律を保ち、その任務を遂行するに必要な限度において、第五章の規定の適用を排除することができる。

(軍事裁判所)
第十八条 軍人は、軍事上の犯罪について、軍事裁判所の管轄に服する。
2 軍事裁判所は、最高裁判所の統括管理に服せず、内閣総理大臣がこれを統括管理する。
3 軍事裁判所の組織、訴訟手続については、法律でこれを定める。

 

(註 非常事態条項については、本稿では割愛する)
――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私が上記の憲法改正私案を出した6年後、自民党は平成17年版を改訂した案を発表した。これが平成24年版の憲法改正原案である。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

●自民党平成24年版憲法改正原案

 

第2章 安全保障

 

(平和主義)

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 

(国防軍)

第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

 

(領土等の保全等)

第9条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 上記の24年版では平成17年版にはなかった自衛権が明記された。また自衛軍が国防軍に変わった。軍務及び機密に関する裁判のために審判所を置くことが新たに盛られた。17年版の9条の二、三を一つにまとめた。そのうえで9条の三に領土等の保全等を定めたものとなっている。優れた案だと思う。ただし、私案の方が安全保障条項としての要素を網羅しており、より徹底した部分があると自分では思っている。

自民党は平成24年の時点でこのようによく練り上げた案を作り上げていた。当時、自民党は、野党だったが、その年12月、安倍晋三総裁のもと衆議院総選挙で勝利し、政権に返り咲いた。ここに第2次安倍内閣が成立した。

安倍首相は、自分の内閣において、自民党の立党以来の課題である憲法改正を実現することを最大の使命とし、改正への取り組みを行ってきている。

だが、第2次安倍政権でも、憲法改正は容易に進んでいない。その間、中国・北朝鮮による我が国への軍事的脅威は増大する一方であり、安倍政権は現行憲法のもとでも可能な範囲で安全保障を強化する必要に迫られた。そこで行ったのが、安全保障法案の提出である。ぺージの頭へ


 

5.安全保障関連法制による改善

 

(1)安保法制で何が改善されたか

 

安全保障関連法制は、国会での激しい論議の末、平成27年(2015年)9月30日に成立した。平和安全法制とも呼ばれる。安全保障関連法制は、平和安全法制整備法国際平和支援法の総称である。以下、安保法制と略称する。

安保法制は、安全保障に関する10の既存法を改正し、1の新法を制定したものである。以前の既存法は、つぎはぎのため切れ目があり、一貫性・整合性がなかった。そこで既存法を一括して改正する平和安全法制整備法案を提示した。また、それまで国際平和活動は特措法で対処してきたのを改め、恒久法とする国際平和支援法案も同時に提示した。これらを合わせた安保法制が、国会で賛成多数で成立した。

こうしてできた安保法制の内容は、日本の平和と安全に関するものと、世界の平和と安全に関するものに分けられる。主な事柄を挙げる。

 

@  日本の平和と安全に関するもの。

 

<1> 有事への対処

自衛権を行使するのは、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態に限るとした。これを「存立危機事態」と呼ぶ。

わが国への武力攻撃には従来通り、個別的自衛権を行使するが、新たに、日本が中国等に侵攻された時や朝鮮半島等で戦争が起こった時を想定し、集団的自衛権を限定的に行使できるようにした。それによって、戦争抑止力を高めることを狙っている。

集団的自衛権の限定的行使として武力を行使するのは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生した場合で、わが国にとって「明白な危険」があるとともに、「他に適当な手段がない」こと、「必要最小限度」の範囲であることという三つの要件を満たす必要があるとした。それゆえ、この場合の武力行使は厳しく限定されている。

 

<2> 有事でも平時でもない中間的事態への対処

警察・海上保安庁が警察行動を行う平時でも、自衛隊が防衛出動する有事でもない中間的な事態に対処できるようにした。

 

<2-1> グレーゾーン事態への対処

武力攻撃を受けるまでには至っていないが、国家の主権が侵害されている事態をグレーゾーン事態と呼ぶ。漁民を装った武装集団が離島へ上陸した場合などがこれにあたる。こうした事態では緊急な判断が必要であるとして、速やかな臨時閣議開催が困難なときは、首相の主宰により、電話等により各閣僚の了解を得て閣議決定することとした。

 

<2-2> 重要影響事態への対処

日本有事や周辺有事ほど深刻ではないが、放置すれば日本の平和と安全に重要な影響を与える事態を、「重要影響事態」と呼ぶ。従来の「周辺事態」を「重要影響事態」に改め、「日本周辺」の概念を外した。自衛隊が地理的な制約なしに活動でき、また米軍以外の国々の軍隊をも後方支援できるようにした。

 

<3> 平時の活動

海外でテロに襲われた日本人を自衛隊が救出に行けるようにした。当該国の同意があれば、その国の警察・軍隊とともに救出活動を行う。

 

A  世界の平和と安全に関するもの。

 

<1> 国際平和共同対処事態

国際社会の平和と安全を脅かし、日本が協力する必要がある事態を「国際平和共同対処事態」と呼ぶ。国際平和共同対処事態では、「国際平和支援」の活動のため、自衛隊が多国籍軍などを後方支援することができるようにした。自衛隊の派遣は、国連総会か国連安全保障理事会の決議を要件とした。

 

<2> 駆けつけ警護

日本人NPO職員・他国軍等に対する「駆けつけ警護」ができるようにした。従来、武器使用は正当防衛・緊急避難による自己保存目的に限っていたが、任務遂行目的の使用を可能にした。

 

<3> 人道復興支援

人道復興支援は、国連決議がない場合でも、EU等の国際機関の要請があれば、自衛隊を派遣するとした。

 

以上が安保法制の主な内容である。


 

(2)安保法制下で自衛隊は尖閣を守れるか

 

次に、憲法第9条及び自衛隊との関係で検討を行いたいのは、@ の <2-1> のグレーゾーン事態への対処である。

グレーゾーン事態は、有事でも平時でもない中間的事態であり、武力攻撃を受けるまでには至っていないが、国家の主権が侵害されている事態である。

具体的には、

 

・漁民を装った武装集団が離島へ上陸した場合

・領海に侵入した外国の潜水艦が退去要請に応じず航行を続ける場合

・公海上で民間船が襲撃された場合

 

等である。

こうしたグレーゾーン事態は、警察・海上保安庁が警察行動を行う平時ではないが、自衛隊が防衛出動する有事でもない。

安保法制で改善されたのは、そうした事態において緊急な判断ができるように、速やかな臨時閣議開催が困難なときは、首相の主宰により、電話等により各閣僚の了解を得て閣議決定することができるということだけである。これのみで、自衛隊に尖閣諸島を守ることを求めるのは、無理がある。電話等による閣議決定が可能になったことで、首相が自衛隊に発令するプロセスは、多少速くなるだろう。だが、それは海上警備行動や治安出動の発令を迅速にするだけの改善である。

尖閣諸島に「漁民と思しき外国人」が上陸したら、警察権を以て対応するため、沖縄県警と海上保安庁がこれに向かう。もし彼らが漁民を装った集団で軍人や軍人経験者を含み、機関銃などで重武装していた場合、警察組織ではそのレベルの武装集団を排除するための訓練もされておらず、必要な装備も備わっていない。銃撃戦になれば、多数の犠牲が出ることになるだろう。

相手は一種のゲリラ部隊であり、軍隊ではないから、自衛隊に防衛出動は発令されない。海上警備行動か治安出動ということになる。ここで重要なのは、新しい安保法制のもとでも、自衛隊が海上警備行動や治安出動で行動する場合には、警察権の行使の範囲で行動しなければならないという従来の規定は変わっていないことである。自衛隊は憲法上、軍隊または戦力と位置づけられていないので、海上警備行動や治安出動においては、警察組織としてしか行動できない。海上警備行動は、海保だけでは対処できない時に応援するものである。だが、自衛隊は警察組織として行動するから、相手が発砲しなければ反撃できない。治安出動は、警察権では治安維持ができない時に行うものだが、やはり自衛隊は警察並みの行動しかできない。相手が発砲しなければ撃てないし、死傷者が出れば過剰防衛の罪に問われる可能性もある。

 自衛隊が海上警備行動または治安出動によって尖閣に向かった場合、警察組織の活動として、武器使用には「警察比例の原則」が適応される。

 警察比例の原則とは、自己や他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要な場合に、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をいう。警察官には、警察官職務執行法第7条が適用され、この原則にのっとって武器使用を行わなければならない。目的達成のためにいくつかの手段が考えられる場合にも、目的達成の障害の程度と比例する限度においてのみ行使することが妥当であるとされる。複数の手段がある場合は、対象(国民)にとって最も穏和で、侵害的でない手段を選択しなければならない、と解釈されている。相手がピストルならこちらもピストル、ライフルならこちらもライフルというような武器の使い方をしなければならないということである。

自衛隊の海上警備行動・治安出動の時は、自衛官にも警察比例の原則が適用され、警察官職務執行法第7条が準用される。同法同条では、相手に危害を与えるような武器の使用は、正当防衛又は緊急避難の要件に該当する場合、凶悪犯罪の犯人が職務執行に抵抗するときなどの場合を除いて認められていない。

 尖閣諸島に上陸した相手が、漁民を装った軍人を含む集団だったら、自衛官にも警察官と同様に相当の犠牲が出るだろう。警察比例の原則で縛られていては、いかに自衛隊の士気、能力、練度が高くとも、その実力を発揮することはできない。

一般に軍隊の場合は、任務達成のために「兵力の集中使用」を鉄則とする。相手を上回る威力の武器で、一気に制圧するのが基本的な考え方である。兵力の逐次投入は、下策である。犠牲者を増やし、戦闘の目的は達せられないことになりやすいからである。

 仮に武装漁民と自衛隊の間の銃撃戦で、中国人の死傷者が出た場合、中国は自国民の保護を理由に人民解放軍を派遣するだろう。これに対し、わが国が自衛隊を防衛出動させても、無条件に個別的自衛権の発動として武力行使がされるのではない。武力行使は、「我が国に対する武力攻撃が発生」し、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断された存立危機事態に限る。仮に中国軍が尖閣諸島に侵攻しても、それが我が国の存立が脅かされるほどではなく、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるほどに明白な危険ではないと判断されたならば、自衛権は発動されない。また、わが国にとって「明白な危険」があるとともに、「他に適当な手段がない」こと、「必要最小限度」の範囲であることという武力行使の三要件を満たすと判断されなければ、武力の行使はできない。

存立危機事態と武力行使の三要件は、厳しく定義されているので、わが国が尖閣諸島を守るために適切な対応ができるのかどうか、私はかなり疑問を感じている。自縄自縛の制約によって、わが国は多大な損害を出しなからも、尖閣諸島を占領されてしまう恐れが強い。

一度占領された領土を奪還するのは、容易でない。中国軍は多数の軍艦を周辺の海域に展開して制海権を握っているだろうし、また多数の戦闘機を周辺の空域に展開して制空権も握っているだろう。そういうところへ出動していく自衛隊は、極めて不利な条件下で戦わざるを得ない。多数の犠牲者と莫大な損害が出ることが予想される。

 では、こういう事態を招かないようにするには、どうすればよいか。自衛隊には、警察比例の原則を前提とする警察官職務執行法第7条の規制を外し、海上警備行動や治安出動においても、軍事組織として武器を使用できるようにすればよい。相手が進行する前に、尖閣諸島周辺に常時、海上警備行動を行っているようにすればよい。また自衛隊の行動規範を、一般の国の軍隊と同様にネガティブリストにすればよい。これらを実施することによって、外国が我が国に侵攻することを防ぐ抑止力が高まる。その結果、侵攻を未然に防ぐことができる。最も損害が少なくして、領土と平和をまもることができる。

私は、自衛隊を軍隊でも戦力ではない「必要最小限度の実力組織」とする従来の政府の位置づけでは、尖閣諸島を守ることのできる抑止力を十分発揮できるとは思えない。軍隊であれば、領海侵犯した外国公船には退去を求めて警告し、従わなければ警告射撃を行い、それでも従わなければ撃沈することができる。だが、現在の警察組織としての自衛隊では、警告射撃や撃沈ができない。これでは、抑止力にならない。外国による侵攻を未然に防ぐ戦争抑止力を高めるには、自衛隊を軍隊とする憲法改正が必要である。またその改正においては、防衛出動をした場合に、軍事行動が適切であったか否かを裁定するための軍法会議や、一般の裁判所とは別の軍事裁判所を設ける規定等が必要である。

憲法を改正し、自衛のための軍隊を持ち、周辺国からの侵攻を未然に防ぐ戦争抑止力を高めることが、日中戦争を避ける唯一の道となる、と私は考える。

なお、現状では、日米安保第5条が中国の尖閣諸島侵攻の最大の抑止力になっている。日本が平成27年に安保法制を成立させ、集団的自衛権を限定的に行使することができるようになったことで、米国は尖閣諸島が日米安保第5条の適用範囲であることを明確にしている。ただし、尖閣諸島を巡って日中戦争になった場合、米国が必ず日本とともに戦ってくれるかどうかの絶対的な保証はない。米国の政権が中国との戦争は米国の国益にならないと判断したら関与しない可能性がある。また、参戦して米国兵士に犠牲者が出れば、米国の世論が日本のための戦争に反対多数となり、それが政権の判断に影響を与える可能性もある。日本の領土・主権を守るのは、あくまで日本人であって、自力で自国を守る体制を整えたうえで、更に安全を期するために外国と安全保障条約を結ぶということでなければならない。最後は外国頼みということでは、領土・主権を守り抜くことはできない。ぺージの頭へ

 

6.憲法改正論議の現状

 

(1)安倍首相の提案

 

第2次安倍政権において、安倍首相は自民党の「立党の精神」を踏まえ、憲法改正に意欲を見せた。だが、国会では憲法改正の議論がほとんど進まなかった。公明党は、加憲の立場を取って本格的な自主憲法の制定には消極的であり、連立与党の中で話が進まない。一方、野党の多くは憲法改正に反対し、憲法改正議論に積極的に応じようとしない。

そうした状況が4年数か月続いているところで、平成29年(2017年)5月3日、安倍首相が自民党総裁の立場で、2020年に新憲法施行というスケジュール案を示し、憲法改正論議を活発化することを求めた。また、9条の1項、2項を維持し、3項に自衛隊を明記する案を提示した。以後、憲法改正に関する議論が活発化し、早期に改正を実現しようとする勢力と、改正に絶対反対するという勢力が対立している。

 安倍首相の提案は、それまで自民党が作り上げた憲法改正案とは大きく異なる案である。平成24年版の自民党憲法改正原案は、9条を本格的に改正するものだった。9条1項の言葉を整え、2項は削除して、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」という条文を入れる。9条の二を設けて、自衛隊ではなく「国防軍」について規定し、最高指揮官、任務、組織、軍人等の裁判等について定める。9条の三を設けて領土の保全等についても定めるものだった。

だが、安倍首相は、9条の大幅な改正は連立与党の公明党の理解を得られにくく、発議後の国民投票で過半数の賛成を得られるかどうかも難しいと考え、現実的に改正が可能な案として先の案を提出したのだろう。 

安倍氏の案は、24年版の条文案を止めて、9条の1項、2項を維持し、3項に自衛隊を明記するというシンプルなもので、条文案は示されていない。また、9条の二、三を設ける考えは見られない。自衛隊の明記に目的をしぼっている。

安倍首相は「自衛隊員に『君たちは憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ』というのはあまりにも無責任だ。そうした議論が行われる余地をなくしていくことが私たちの世代の責任だ」と述べている。最低、自衛隊の憲法明記だけは実現したいという考えと見られる。

 この提案に対し、自衛隊は国民の大多数が認めており、今更憲法に書き込む必要はないという反対意見がある。しかし、国民が自衛隊を認めているということと、自衛隊が合憲かどうかは別の事柄である。裁判所の判断は曖昧であり、高裁判決を含め多くは「統治行為論」を採用し、正面からの判断を避けている。統治行為論とは、国家の基本にかかわる高度に政治的な問題については、国会や内閣の判断に委ねるという理論である。下級審判決の中には、長沼事件1審判決のように自衛隊を違憲としたものもある。それゆえ、安倍首相の提案には、最終的な憲法判断を行う最高裁が合憲判断を下せるよう、自衛隊を憲法に明記し、その法的地位を確立するという狙いがあると見られる。

 

(2)世論調査

 

安倍首相の提案の約半年後、平成29年12月に行われた産経新聞・FNN合同世論調査は、改憲に向けた議論について国民に問うた。この問いに対して議論を「活発化させるべきだ」と答えた人は、自民党支持層で80.9%、日本維新の会では83.3%に上った。公明党も63.4%に達した。一方、希望の党、立憲民主党、共産党の3党の支持層は「活発化させるべきでない」が多数となった。

安倍首相が重点を置く自衛隊の明記について、平成30年2月10、11両日に共同通信社が実施した全国電話世論調査は、次のような結果だった。安倍氏の提案を受けた「2項を維持し自衛隊の存在を明記すべき」との回答は38.3%、「2項を削除した上で自衛隊の目的・性格を明確化すべき」との回答は26.0%、「自衛隊明記の改憲は必要ない」とした人は24.9%だった。

同じ日に行われた産経新聞社・FNNの合同世論調査では、「2項を維持して自衛隊の存在を明記」の案を支持したのが27・5%、「2項を削除して自衛隊の役割や目的などを明記」の案を支持したのが28・8%だった。「9条を変える必要はない」との回答は40・6%だった。

後者の世論調査において、自民党支持層では2項維持論が36.9%、2項削除論は38.7%だった。公明党支持層は40.6%が9条改正は不要と答え、改正そのものへの慎重論も強いことがうかがわれた。

また、2月24〜25日に行われたテレビ朝日系のANNによる世論調査では、憲法改正の国民投票の実施に賛成の回答が56%。反対の31%を大きく上回り、過半数と言う結果だった。9条については、「変えずにその理念を守る」が22%、「変えずに解釈で可能な範囲の対応をすることで良い」が21%。これら改正反対を合わせると43%。一方、「9条は維持したうえで、自衛隊を作ることを定めた方が良い」が31%、「戦力を持たないと定めた第2項を削り、自衛隊を軍隊として定めた方が良い」が14%。これら改正賛成を合わせると45%。9条の改正に賛成が45%、反対が43%で、賛成が若干上回った。

仮にこのANNの世論調査の結果のみを参考にした場合、まず改正賛成の人々の大多数が国民投票で賛成を投じ、棄権しないような改正案をつくること。次に、その案が「変えずに解釈で可能な範囲の対応をすることで良い」の21%の部分から、その3分の1以上を改正賛成に変え得る案であること。これら2点に、国民投票による改正の可否がかかっていると考えられた。


 

(3)自民党の9条改正論議

 

自民党では、平成29年5月以来、安倍首相兼総裁の提案を受けて、積極的に憲法改正への取り組みが行われている。

29年12月、自民党憲法改正推進本部は、改憲4項目に関する「論点とりまとめ」を発表した。4項目とは、(1)自衛隊の明記、(2)緊急事態条項の新設、(3)参議院の合区解消と広域地方公共団体の明記、(4)教育の充実である。うち自衛隊については、9条1項・2項を維持し、3項に自衛隊を明記する案と、9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する案の両論が併記された。

安倍首相は平成30年1月からの通常国会で、2項維持がふさわしいとの考えを積極的に語るようになった。1月30日の衆院予算委では、「2項を変えれば、書き込み方でフルスペック(際限ない形)での集団的自衛権が可能になる」と2項を変えることに否定的な見方を強調した。また「私の提案では2項の制限がかかる」と語り、2項維持なら集団的自衛権は現行と同じ一部容認にとどまると訴えた。

 2月7日に自民党憲法改正推進本部の全体会合が行われ、憲法9条改正をめぐる議論が本格的に開始された。推進本部幹部は、安倍氏の提案を党の改憲案としたい考えだったが、会合では2項削除にこだわる石破茂元幹事長らが激しく反発した。

石破氏は当時ブログにて、9条改正の議論の前提とすべきは自民党の平成24年草案だとしつつ、下記の私案を提示した。1項を書き直し、現行の2項を削除し、新たな2項に24年草案とは違って国防軍ではなく自衛隊を定めるものである。同案の9条の二を書き直して2項に入れ、9条の三をなくしたものとなっている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、侵略の手段としての武力による威嚇及び武力の行使を永久にこれを放棄することを、厳粛に宣言する。

2 我が国の独立と平和及び国民の安全と自由並びに国際社会の平和と安定を確保するため、陸海空自衛隊を保持する。

二 自衛隊は法律の定めるところにより、その予算、編制、行動等において国会の統制に服する。

三 自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣とする。

四 自衛隊に属する自衛官その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国家機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、最高裁判所を終審とする審判所を置く。

http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com//doc07293820180226

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

自民党憲法改正推進本部の議論において、石破氏らは、2項が維持されたまま自衛隊を併記するのは「戦力不保持」との整合性が取れないと主張した。自衛隊を「戦力」と認めないことにより、自衛隊員が軍法会議など国際法上認められている権益を享受できない危惧があるとも指摘した。石破氏の主張は、目指すべき9条の方向を示す者である。石破氏は、各種世論調査で安倍首相の次の首相として最も期待が多くある待っている。だが、石破氏の支持者が石破氏の9条改正案を持って支持しているのでは、必ずしもない。私は、氏の防衛に関する見識は評価するが、氏が靖国神社に参拝せず、慰安婦問題では謝罪を続けることを主張することなどから、日本の首相にはふさわしくないと考えている。

私は、独立主権国家であれば当然のこととして、国防の義務を定めたうえで国軍の保持を規定すべきという意見である。日本人が自分の国は自分で守るという意志を持ち、国家の独立と主権、国民の生命と財産を守ることを互いに国民の義務として担うという決意を持つことから、国家を立て直さないと、いずれ日本は衰滅する。国家と国民のあり方について、そういうところから国民的な議論を起こさなければいけない。そこで、自民党の24年草案より、さらに徹底した内容の改正案をマイサイトに掲載している。それゆえ、現在の改正議論は、国家としてあるべき姿にはかなり隔たりのある議論だと見ている。

しかし、日本の国民と国会の現状から見て、まず現実的に可能な改正を行い、それを第一歩として段階的に改善していく方法も検討せざるを得ない。その際、厳しさを増す一方の国際情勢を十分意識しなければならない。そうした観点に立って、私は、自民党内の議論に注目してきた。ぺージの頭へ

 

7.第9条と自衛隊に関する意見の整理

 

憲法第9条に関して、自衛隊は合憲か違憲か、改正に賛成か反対かをめぐって、いろいろな意見がある。私は、平成30年3月7日の時点でそれらを次のように整理してみた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

<A 自衛隊は合憲である>

 

A1 9条改正の必要はない、今のままの最小限度の実力組織で良い〔公明党の現在の考え〕

 

 A2 憲法上の根拠が弱いので、改正して根拠を明確にする

(1)最小限度の実力組織で良い

ア 1項、2項はそのままで3項に自衛隊を明記する〔安倍首相案〕

イ 1項、2項はそのままで3項に自衛権を明記する〔青山繁晴氏らの案〕

ウ 1項、2項はそのままで、9条の二に自衛隊を明記する〔西修氏の案〕

(2)戦力または軍隊とする

ア 1項、2項はそのままで3項に自衛隊(軍隊)を明記する〔篠田英朗氏の案〕

 イ 1項はそのまま、2項を削除して改正する

 ウ 1項を改正して放棄したのは侵攻戦争のみとし、2項を削除して改正する〔石破茂氏の案、名称は自衛隊〕

エ イのうえで9条の二等を加える〔自民党H24年草案、名称は国防軍。細川の案、名称は国軍、国防の義務を規定〕

 

<B 自衛隊は違憲である>

 

B1 解散しなければならない。非武装中立とする。〔旧社会党左派等の案〕

 

B2 改憲して、合憲にしなければならない

(1)最小限度の実力組織で良い

 ア 1項はそのまま、2項を削除して改正し、自衛隊を明記する

 イ 1項を改正して放棄したのは侵攻戦争のみとし、2項を削除して改正し、自衛隊を明記する

(2)戦力または軍隊とする

 ア 1項はそのまま、2項を削除して改正する

 イ 1項を改正して放棄したのは侵攻戦争のみとし、2項を削除して改正する〔高乗正臣氏の案、名称は国軍〕

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

論理的にはさらにバリエーションがあり得るが、実際にある主な意見として、このように整理してみた。

当時(30年3月7日現在)、自民党内で議論されていたのは、A2の(1)ア、イ、(2)ウの3つの案を中心とするものだった。B2の(2)イは、左翼ではなく、保守派の憲法学者の案である点が注目される。

自衛隊を合憲とするか違憲とするかは、第9条をどう解釈するかによって分かれる。また、1項をすべての戦争を放棄したものと取るか、侵攻戦争のみを放棄したものと取るかによって、1項の改正の要否が分かれる。

こうした状況で9条改正を目指すには、まず改正派の中で多数意見を形成しなければならない。そのために民主的な議論を積み重ねる努力が必要である。ぺージの頭へ


 

8.今回の自民党の改正案

 

 自民党憲法改正推進本部は、第9条について党内から出された110件の意見をとりまとめ、3月15日の全体会合に、7つの条文案を提示した。それらは、2項削除案と2項維持案の二つに大別された。2項削除案は国防軍保持案と自衛隊保持案に、また2項維持案は自衛隊明記案と自衛権明記案に分かれる。それらは、次のように整理できた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

●2項削除案

 (1)総理を最高指揮官とする国防軍を保持(9条の2) <自民党H24改憲草案>

 (2)国際社会の平和と安定を確保するため、陸海空自衛隊を保持(9条2項)<石破茂氏らの案>

 

●2項維持案(自衛隊を明記)

 (3)必要最小限度の実力組織として、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持(9条の2)<執行部が有力とする案>

 (4)前条の範囲内で、行政各部の一として自衛隊を保持(9条の2)

 (5)前条の規定は、自衛隊を保持することを妨げない(9条の2)

 

●2項維持案(自衛権を明記)

 (6)前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない(9条3項)<青山繁晴氏らの案>

 (7)前2項の規定は、国の自衛権の行使を妨げず、そのための実力組織を保持できる(9条3項)

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

推進本部の3月15日の全体会合では、上記の7つの条文案をめぐって議論された。執行部は、(3)を軸として意見集約を図った。(3)は、@1項、2項を維持、A9条の二を新設、B必要最小限度の実力組織として自衛隊を保持、C首相を最高指揮官とするとして文民統制を明記ーーこれら四点を主たる方針とすると理解されるものだった。

方針の@は、安倍首相が昨年5月3日に出した考え方で、加憲を原則とする公明党の賛同を求める狙いがある。Aは、第9条とは別条を新設することで、第9条は変えないと他党や国民にアピールする思惑による。Bは、従来の政府の自衛隊は戦力ではないとの位置づけを維持し、自衛隊の現在の権限や任務が拡大するとの懸念を防ぐ意図がある。Cは、憲法に自衛隊をそのまま位置づけると、自衛隊が内閣から独立した存在とみなされる懸念があるので、内閣に属することを明確にする。主旨と見られた。

執行部は、こうした特徴を持つ(3)で意見集約し、細田博之本部長に今後の対応の一任を取り付ける予定だった。しかし、石破茂元幹事長らを中心に2項削除を強く主張する意見があり、結論を先送りしたと報じられた。

石破氏は「必要最小限度だから(自衛隊は)戦力でない、戦力でないから軍隊ではない、という論理が分かる人はほとんどいない」と執行部案を強く批判した。「必要最小限度」という表現に関し、松川るい参院議員(元外交官)は「絶対にやめてほしい。何ができる、できないと(解釈論争が)続く」と指摘した。宇都隆史参院議員(元航空自衛官)は「これは政治用語。誰がどのタイミングでどういう根拠で限度を判断できるというのか」と疑問を呈した、と伝えられた。

 3月22日推進本部は、再度全体会合を開いて改正案を議論し、改憲4項目についての意見集約を終了した。第9条の改正案について、執行部が戦力不保持を定めた9条2項を維持し、自衛隊を明記する案でまとめることになった。細田本部長が各党との協議で「9条2項を削除し、新しい規定を設ける有力な意見があることは付記したい」と、石破氏らに配慮する考えを示し、一任を取り付けた。

その後、25日に行われた自民党の党大会で4項目の憲法改正案が発表された。9条については、現行9条はそのままで、9条の2を新設する案である。現行及び新設の条文を合わせると、次のようになる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

第9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

度重なる党内論議を経て、自民党は、30年3月下旬に、先の私の分類によれば、Aの「自衛隊は合憲である」の立場に立ち、A2の「憲法上の根拠が弱いので、改正して根拠を明確にする」、また(1)の「最小限度の実力組織で良い」という考えに基づいて、ウの「1項、2項はそのままで、9条の二に自衛隊を明記する」という改正案を提示したのである。

自民党の9条追加の改正案は、9条は変えないということで、改正に反対する心理を考慮したものと思われる。現行9条の規定は「必要な自衛の措置」を取ることを妨げないとし、戦力不保持に関しては、自衛のための戦力の保持ではなく、現状の自衛隊を「必要な自衛の措置を取る」ための「実力組織」として盛り込み、文民統制を定めるものである。

この案の狙いは、次の点にあると見られる。「自衛の措置」という表現で自衛権を行使できることを明確化しつつ、「自衛権」明記の声にも理解が得られやすい「必要な自衛の措置」という表現を採用した。代わりに「前条の規定は〜」と前置きすることで、既存の9条2項との連関性を担保した、と。

交戦権については、「妨げない」規定によって、戦力ではない実力組織の行動を国際法上有する交戦権の行使と認めることになるのかどうか、この文言だけではわからない点がある。

しかし、自衛隊を違憲とする解釈の余地のないように根拠規定を設けるとともに、現在は法律上の組織である自衛隊を憲法上の組織に格上げすることにはなる。単なる法律上の組織であれば、左翼政党が政権を取った際、法の改正によって自衛隊を解散することが出来てしまう。憲法上の組織であれば、国会発議と国民投票という手続きを要するから、その地位は法的に安定したものとなる。

また、山田宏参議院議員は、上記の改正案について次の旨を述べている。「9条2項はそのままでこれまでの政府解釈が維持されるので、『必要な自衛の措置』の範囲は、これまで通り『自衛のための必要最小限のもの』、つまり『個別的自衛権』と『限定的な集団的自衛権』となる」と。

山田氏の理解が正しければ、改正案の狙いは、現行9条と改正自衛隊法を含む安保関連法の関係を強化することもあると理解される。野党の一部に集団的自衛権の行使を認めた安保法制は違憲だとして改正を求める主張があるからである。

3月25日の自民党大会で安倍晋三首相兼総裁は、演説で憲法改正について、大意次のように述べた。

「私は防衛大学校の卒業式に出席した。陸海空の真新しい制服に身を包んで、任官したばかりの若い自衛官たちから『ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える』と重い宣誓を最高指揮官、首相として受けた。

彼らは国民を守るために命を懸ける。しかし、残念ながらいまだに多くの憲法学者は彼らを憲法違反だと言う。ほとんどの教科書にはその記述があり、自衛官の子供たちもこの教科書で学ばなければならない。

このままでいいのか。憲法にしっかりとわが国の独立を守り、平和を守り、国と国民を守る。そして自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とうではないか。これこそが今を生きる政治家、自民党の責務だ」と。

二階俊博幹事長は、党憲法改正推進本部が9条を含む「改憲4項目」の「条文イメージ・たたき台素案」をまとめたことを説明。「衆参の憲法審査会で議論を深め、各党の意見も踏まえ、憲法改正原案を策定し、憲法改正の発議を目指す」と明言した。

同党は、本大会で平成30年度運動方針案を採択。運動方針は、最初の項目に改憲を掲げて「改憲の実現を目指す」とうたい、「憲法審査会での幅広い合意形成を図るとともに、改正賛同者の拡大運動を推進する」と記した。

http://www.sankei.com/politi//180325/plt1803250049-n1.html

 

なお、第9条の改正ととともに、早急に新設すべき緊急事態条項については、次のような改正案が示された。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

【緊急事態条項】

第73条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

2 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

(※内閣の事務を定める第73条の次に追加)

 

第64条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

(※国会の章の末尾に特例規定として追加)

 

 参議院の合区解消と広域地方公共団体の明記、教育の充実に関する条文案は、憲法改正において憲法の根幹に関わるものではなので省略する。

私は、自民党の今回の改正案は、GHQから押し付けられた現行憲法の呪縛のもとで、国家として生き延びるために、とりあえずのうえに、とりあえずを重ねたような弥縫策だと思う。いずれにしても、日本国憲法は全面的な改正が必要であり、全面改正に向けた第一歩にすぎない。

さて、自民党は上記のような改正案を以て、各党との議論に臨もうとしている。本年(30年)4月中旬に全国各支部に対して、憲法改正を目指す運動方針を通達し、年内の発議を目指すと聞く。年内発議が実現した場合、単独の国民投票が平成30年12月から31年3月の間に行われる可能性がある。

だが、まず大きな関門が、連立与党の公明党である。山田氏の伝えるものが大枠だとすると、1項、2項ともそのまま、3項ではなく9条の二を設けて、自衛隊を明記するという案になっています。9条は変えないということで、改正に反対する心理を考慮したものと思われます。
 2項の規定は必要な自衛の措置を取ることを妨げないとしていますが、戦力不保持に関しては、自衛のための戦力の保持ではなく、現状の自衛隊を「必要な自衛の措置を取る」ための「実力組織」として盛り込み、文民統制を定めるものです。一方、交戦権については、「妨げない」規定によって、戦力ではない実力組織の行動を国際法上有する交戦権の行使と認めることになるのかどうか、私にはこの文言だけではわかりません。

自民党は今後、25日の党大会で二階俊博幹事長が4項目の改憲方針を党員に説明した後、衆参両院の憲法審査会で各党との協議を進める考えだと報じられます。9条改憲に消極的な公明党、まだ態度がはっきりしない維新が賛同の方向で議論するか、改正に反対の左翼・左派の政党がどういう抵抗・反発をするか。今後の協議が注目されます。

追加:山田宏氏のツイートより、上記の改正案について。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
9条2項はそのままでこれまでの政府解釈が維持されますので、「必要な自衛の措置」の範囲は、これまで通り「自衛のための必要最小限のもの」、つまり「個別的自衛権」と「限定的な集団的自衛権」となります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この改正案の狙いは、自衛隊を違憲とする解釈の余地のないようにする根拠規定を設けるとともに、現行9条と改正自衛隊法を含む安保関連法の間の隙間を埋めることにあると理解されます。GHQから押し付けられた現行憲法の呪縛のもとで、国家として生き延びるために、とりあえずのうえに、とりあえずを重ねたような弥縫策だと思います。
 いずれにしても、日本国憲法は全面的な改正が必要です。9条改正、緊急事態条項新設等は、全面改正に向けた第一歩にすぎません。

公明党はもともと加憲の立場を取り、9条改正には消極的である。昨29年10月の衆院選での議席減を受け、9条改正には一層消極的な姿勢をみせるようになった。まだ態度がはっきりしない日本維新の会が賛同の方向で議論するかも注目される。自民党の提案を真摯に受け止め、国家国民のために積極的かつ建設的な議論をしてほしいものである。

立憲民主党など他の野党は改正に反対を唱える者が多く、改正への動きに烈しく抵抗・反発することは確実である。昨29年から野党の多くが森友学園問題、加計学園問題を安倍政権の支持率低下、憲法改正阻止に利用しているが、今年30年に入って浮かび上がった森友文書書き換え問題や自衛隊のイラクでの日報問題も、これと同様にして政治的に利用している。さらに財務事務次官のセクハラ疑惑が重なり、野党の多くは国会で審議拒否の方針を打ち出し、国会が空転する事態となった。こうしたなか、左翼やマスメディアの影響を受けやすい無党派層は、9条改正の危険性を煽る論調や報道に触れると、改正反対に向く可能性がある。それゆえ、なんとか国会で改正案の発議にこぎ着けても、国民投票で過半数の賛成を得られるかどうかは疑わしいという見方もある。そこで重要なのが、国民の側の取り組みである。その点について、次の項目に書く。ぺージの頭


 

9.民間における憲法改正運動

 

政界の動きに続いて、次に、民間の動きについて述べる。民間の動きのうち、最も注目すべきものは、平成28年(2016年)10月に設立された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」である。憲法改正を目指す国民運動を展開する最大の民間団体となっている。ジャーナリストの櫻井よしこ氏、杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏、日本会議名誉会長・元最高裁判所長官の三好達氏が共同代表を務めている。

同会は、設立以来、下記の方針を掲げて活動を続けている。

 

一、 憲法改正の早期実現を求める国会議員署名及び地方議会決議運動を推進する。
一、 全国47都道府県に「県民の会」組織を設立し、改正世論を喚起する啓発活動を推進する。
一、 美しい日本の憲法をつくる1000万人賛同者の拡大運動を推進する。

 

本年3月14日「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、都内の憲政記念館で中央大会を開催した。私は一賛同者として参加した。

同会は本年1月に憲法改正賛同者拡大運動の目標である1000万人署名を達成した。この度の集会では、衆参国会議員71名、約800名が参集する中で、その報告が行われた。

共同代表の櫻井よしこ氏は、基調提言で「日本の憲法に日本の心を書き込むために、変えることのできるところから変えていかねばならない」と訴えた。

続いて、平成30年度の国民運動方針として、

 

(1)国民の9割が支持する「自衛隊」の根拠規定を憲法に明記する

(2)大規模災害に際し、国民の生命と安全を守る緊急事態条項を憲法に新設する

 

などを掲げ、国民運動をさらに推進することが発表された。

これを受け、自民党、公明党、希望の党、日本維新の会の代表が憲法改正の国会発議へ向け、各党内での改正論議の実情や改憲項目について語った。

自民党憲法改正推進本部顧問の古屋圭司氏は、党内で9条、緊急事態条項等の4項目が議論されていることを報告し、「改憲の提案は憲法審査会しかできない。各党はしっかり意見を出して議論しようではないか」と呼びかけた。公明党の斉藤鉄夫憲法調査会会長代理は、党内に自衛隊について「明記すべきだという意見と、必要ないという2つの意見があることを正直に申し上げる。一生懸命議論しているところだ」と説明した。他党代表者も国会で積極的に議論を進めていく決意を表明した。

満場一致で採択された大会決議文は、「極東情勢が緊迫し、大規模災害が予想される今、各党は国民の生命と安全を守るため、憲法改正原案を速やかにとりまとめ、年内の発議を実施すべきである」とし、上記(1)(2)の2項目を国会議員に強く要望した。

https://kenpou1000.org/news/post.html?nid=63

私見を述べると、(1)は、9条改正の具体的な条文案を提示するものではなく、自衛隊明記であれば、1項2項そのままの案も2項削除の案も許容、簡単な規定も詳細な規定も許容というストライクゾーンの広い要望である。(2)もまた条文案を示すことなく、条項の新設を要望するという大まかな要望となっている。

幅広い国民運動として、憲法改正を推進し、国民投票で過半数が賛成して改正を実現し得る案を国会議員に求めるには、現状の日本ではこのような要望の仕方になるものと私は理解している。

3月25日に自民党大会で発表された改正案は、(1)(2)をクリアーする案になっている。仮にこの案が発議されて、国民投票となった場合、過半数の賛成が得られなければ、否決される。一度否決されたなら、もう一度やり直しということは、極めて難しい。

そこで「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、国民投票で必ず過半数を取るために、次のような運動方針を立てて活動している。(1)全国289の小選挙区ごとに国民投票連絡会議を作る。(2)1000万人署名運動で署名した人々を連絡会議に組織し、改憲賛同者を拡大する。(3)本年5月3日に、全国各地で憲法フォーラムを行う。新作のDVD「今そこにある自衛隊」を映写する。(4)このフォーラムの開催を通じて、10月までに各地で連絡会議を結成する。10月に国民投票連絡会議全国大会を開催する。――年内のスケジュールは、自民党が年内発議を目指していることに対応するものである。もし国会から年内に発議がされた場合、国民投票が本年(30年)12月から31年3月の間に実施される可能性がある。

現状に鑑みると、国民投票で過半数の賛成を得られるかどうかは、決して容易ではない。各政党の支持層は、国民投票においても、大体それらの政党の考えを支持すると考えられる。昨年10月衆議院選挙での得票率は、自民・公明で49.32%だった。自民・公明・維新では52.5%だった。連立与党の支持層だけでは、過半数に達しない。これに維新の支持層が加わって、ようやく過半数になる。ただし、選挙では、時の状況によって数パーセントの変動は生じ得る。それゆえ、国民投票で過半数を取れるかどうかはギリギリである。左翼や偏向したマスメディアは、大衆、特に無党派層に働きかけて、世論を改正反対に誘導することが予想される。

また、選挙と違って国民投票では、何でもありである。現金を配っても、物を配っても、戸別訪問をしても違法ではない。憲法改正反対勢力は、国民投票の告知期間になったら、何でもありで活動するだろう。

憲法改正を目指す勢力は、国民投票で確実に過半数を得ることが、相当厳しい課題であるという認識を持たねばならない。それとともに、改正案は理想目標は明確にしつつも、現実に過半数を取り得る最大公約数的な案を追求せざるを得ないのが、日本の現状である。

私見を述べると、今回の自民党の改正案は、本来目指すべき条文には程遠い。公明党・維新の会等との協議では、さらに内容のレベルを下げないと、三党以上での合意は難しくなる可能性がある。また、一部の世論調査によると、国民の4割以上が9条の改正に反対している。その中で、国民投票で過半数を得られなければ、憲法は変えられない。

こうした現状は、戦後日本人の多数が、自己本来の日本精神を失ってしまい、精神的に分裂状態に陥っているからである。敗戦による自信喪失、占領下における日本弱体化政策、左翼や偏向したマスメディアの影響等によって、国民が一致団結して日本を守るという団結心が失われているのである。

今後、日本精神の復興が進めば、国民の意識が変わり、国会議員の議論も変わる。これから国会発議・国民投票までの間に、どこまで国民及び国会議員の意識を高められるか。それによって、憲法改正の成否が決まり、また改正内容が変わる。日本を愛する人々は、最善の努力をすべき時にある。ぺージの頭へ


 

10.目指すべき第9条の内容

 

国家であれば国防は当然整えなければならないものである。国防を完備してはじめて真の平和が得られる。一国として立つ以上は、独力で防備を確立すべきである。外国との条約は、その上で安全保障を強化するためのものでなければならない。また、自分の国を一致協力して守ることは、国民の当然の義務である。

こうした本来の国家と国防のあり方から考えると、現在の自民党や国会の9条論議はまだかなり議論の水準が低い。それは、国民の3割以上が憲法改正に反対し、特に第9条の改正には4割ほどが反対しているという現実があるからだろう。

国防は国を守るためのものであって、他国を侵攻するような軍事力を持つこととは違う。国防とは、川で言えば万が一の災害に備えて築く堤防のようなものである。その備えを怠ったならば、大雨になった時、村も田んぼも皆流されてしまう。

家で言えば、万が一のためにかける鍵のようなものである。「人を疑うのはよくない」といって鍵をかけるのをやめたら、泥棒に狙われる。泥棒に入られてからあわてても、後の祭りである。非武装主義を説く人々は、泥棒が入ったら、「ようこそいらっしゃいました。何でも取っていってください。家も土地もどうぞ、お取り下さい」とでも言うのだろうか。愚かなことである。

 国防において最も大切なことは、国民が自ら国を守るという意識を持つことである。

独立主権国家において、国防は国民の当然の義務である。人々は普段の生活において、助け合いや協力を行う。災害が起きた時には、特にそれが必要になる。そして、外国の侵攻は、国民が互いに団結すべき最大の危機である。その危機に対処するために、互いに協力することは、国民としての義務である。

しかし、現行憲法には国防の義務がない。憲法に定められている義務は、納税・勤労・教育の三つである。それらのうち、勤労と教育は権利の側面が大きく、実質的な義務は納税のみである。税金さえ納めていれば、基本的人権を保障されるというのが、戦後の日本である。だが、国民の権利は誰が守るのか。日本人以外は誰も守ってくれない。国民が互いの権利を互いに守る。そこにお互いの義務が生じる。権利と義務の両面のバランスが必要である。

平成29年6月にNHKが「平和に対する意識調査」を行った。「いま日本が他の国から侵略を受けて戦うことになったら、あなたはどうしますか」という質問に対して、18〜19歳の回答者では、「自衛隊に参加して戦う」が3.8%、「物資の輸送や負傷者の看護など後方支援活動には参加する」が41.6%、「すべて政府と自衛隊に任せる」が34.2%、「海外に逃げる」が10.2%だった。最後の「海外に逃げる」が1割以上いることが、戦後の日本、そして現状の日本をよく表している。

戦後の日本では、国民の多くが国家として最も重要な国防に関する意識を失ってしまった。自民党案においても、国防の義務を定めていない。そういう議論すら、呼びかけようとしない。それは、反発する国民が少なくないからだろう。だが、独立主権国家では、国民が国民の権利の保障を受ける一方で、国防の義務を負うことは当然である。わが国で国防の義務のないことは、独立主権国家として致命的な欠陥である。国民が一致団結して国を守るという精神を取り戻さないと、他国の侵攻から自分や家族の生命や財産を守ったり、国家の独立と主権を守ることはできない。

また、独立主権国家が独立と主権、国民の生命と財産を守るために軍隊を持つのは当然のことである。日本の国家としてあるべき姿は、今の自衛隊をそのまま維持するのではなく、日本を守るための軍隊を設けることである。その軍隊は、自国を防衛するために必要な戦力を持つとともに、国際的な平和維持活動を担う日本軍となる。また、自衛のために行う戦争や国際平和維持活動において、交戦権を行使するのは、当然である。

 私は、目指すべき憲法には、安全保障の章を設け、以下のような要素を盛り込む必要があると考える。

 国際平和の希求/侵攻戦争の否定/平和的解決への努力/個別的・集団的を含む自衛権の保有と行使/国民の国防の義務と権利の一時的制限/国軍の保持/国際平和維持のための協力/最高指揮権の所在/軍の活動への国会の承認/軍人の政治への不介入/軍人の権利の制限/軍事裁判所等である。これらを盛り込んだ条文案は、先に記載したとおりである。ぺージの頭へ


 

11.護憲派の主張の誤り

 

第9条の改正に反対する護憲派の人々は、次のように主張する。

 

(1)9条が日本の平和を守ってきた

(2)軍隊を持ったら戦争が始まる。

(3)日本を戦争の出来る国にするのか

(4)9条改正は徴兵制につながる

 

このように主張して9条改正の危険性を説く人たちは、ただ、恐怖心を煽って、国民に国防の大切さを考えさせないようにするものである。

これらの主張について反論する。

 

(1)の「9条が日本の平和を守ってきた」という人たちは、外国との紛争は話し合いで解決すべきという。すべての紛争を話し合いで解決できるなら、各国は軍隊をなくすだろう。

実際に日本の平和が守られてきたのは、9条があったからではなく、自衛隊を持ち、日米安保を結んでいるからである。

旧ソ連から日本が守られたのは、北海道に自衛隊の精鋭の部隊を置き、「北の守り」を怠らなかったからである。もし自衛隊を解体し、日米安保も破棄していたら、非武装中立路線をとっていたら、敗戦前後にソ連軍が満州や樺太等に侵攻した際の惨事が繰り返されただろう。

もっとも悲惨なのは、仏教国で平和を愛し、小さな軍隊しか持たなかったチベットは、中国の人民解放軍に侵攻され、多数のチベット人が虐殺や迫害を受けている。

中国は尖閣諸島周辺で領海侵犯を繰り返しているが、尖閣諸島を守ることができているのは、海上保安庁が警備し、後ろに海上自衛隊が控え、また日米安保によって米軍が存在するからである。

憲法に9条を規定すれば平和が守られるのならば、どうして日本にこの憲法を押し付けた米国は、自国の憲法に9条の内容を取り入れないのか。米国以外の国も平和を愛する国は、どうして9条の内容を取り入れないのか。現実の国際社会では、9条の内容は空想的な理想論にすぎず、そのような規定では自国を守ることができないことがわかっているからだろう。

 

(2)の「軍隊を持ったら戦争が始まる」――護憲派はこのように言って、特に女性の意識を改正反対に誘導している。だが、軍隊を持てば戦争が始まるというなら、世界中で軍隊を持つ国同士が絶えず戦争を行っているだろう。ヨーロッパ諸国は、イギリス、フランスをはじめみな軍隊を持っているが、第2次大戦後、平和を保っている。注目すべきは第2次世界大戦の枢軸国だったドイツ、イタリアも軍隊を持っていることである。だが、独伊も軍隊を持ったからといって周辺国に侵攻していない。戦争を仕掛けて領土を略奪する国は、独裁者のいる国や全体主義の国が多い。これに対し、自由民主主義国は、戦争抑止力として、近隣諸国から侵略されないように軍隊を持っている。また、国連を通じて平和を守るために協力し合っている。

また、国連憲章は、第51条に自衛権を規定し、各国の自衛権を認めている。そのために軍隊を持つことを当然のこととして認めている。そのうえで国際平和を維持しようというのが、国連である。

護憲派は、具体的にどのように国を守るのかという疑問に、答えようとしない。ただ戦争になると、人々に不安を煽っており、無責任である。

 

(3)の「日本を戦争の出来る国にするのか」ということについては、日本の周辺のことを見て、考えてもらいたい。

まず中国である。日本から中国に戦争を仕掛けたらどうなるか。中国は、核兵器・ICBM・空母等を持っている。「待ってました」とばかりに叩き潰されるだけである。北朝鮮についても、もし日本から攻め入ったら、中距離ミサイルをしこたま打ち込まれる。大都市を中心にサリン等の毒ガスを大量に散布され、大悲劇を招くだろう。ロシアについてもそうで、ロシアは米国に次ぐ世界第二の核大国であり、世界最先端の最新兵器を開発している。徹底的に国土を破壊され、占領・支配を受けるだろう。韓国は日米と連携している国だが、もし日本が韓国に侵攻したならば、韓国は徴兵制の国であって国民は北朝鮮の侵攻に備えて軍事訓練をしているうえに、強い反日感情を持っている。こちらから攻めたら、烈しくやり返されることは、火を見るより明らかである。

このように日本の周りの国々を考えると、日本がこちらから戦争して得になるような国はない。


(4)の「9条改正は徴兵制につながる」という主張については、9条改正と徴兵制は直接関係がない。

最も重要なことは、まず国民が自ら国を守るという意識を持つことである。護憲派には、日本人として自ら日本を守ろうという姿勢がない。外国が侵攻してきたら、無抵抗で降伏することは、国民を略奪・虐待の危険にさらすことになる。むしろ日本が外国に征服・支配されることを望んでいるような倒錯した心理が感じられる。護憲派には、在日韓国人・中国人や韓国・中国からの帰化人が多い。彼らは、母国または精神的な母国の利益のために、日本を丸裸にして侵攻しやすいように図っているものと見るべきである。

国民が国防の義務を負うことと徴兵制を定めることは、別である。軍隊には、徴兵制と志願制がある。国によって、志願制を採用している国と徴兵制を採用している国がある。それはその国の事情によって国民が選択することである。憲法に国防の義務を定めているが、徴兵制を敷いていない国もある。米、カナダ、英、仏、独、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド等は、徴兵制を廃止して志願制に変更したが、憲法で国民に祖国防衛の義務を課している

世界的な傾向としては、志願制を採用する国が多くなっている。理由の一つは、軍事技術がハイテク化し、現代の軍隊は全職種・全部隊が最新の技術と武器を用い、高度に専門化されていることである。そのため、専門的な訓練を受けていない者は役に立たないという考え方が主流になっている。

そうしたなかで徴兵制を維持している国もある。韓国は北朝鮮から国を守るため、徴兵制を続けている。また、注目すべきは長く永世中立国だったスイスは、徴兵制を採っていることである。スイスでは数年前に一部の国民が徴兵制廃止を求め、国民投票が実施されたが、徴兵制廃止は反対多数で否決された。国民多数が徴兵制の維持に賛成したのである。

徴兵制を採っている国においては、良心的兵役忌避を権利として認めたり、兵役の代わりに社会奉仕活動を選択することができるようにしている場合がある。本人の意思と権利を尊重しているものである。

国防の義務というと、強制的な徴兵制をイメージし、子供が戦争に生かされるのではないかと心配になる親がいるだろう。だが、もし外国の侵攻を受けた時には、外敵から自分や家族を守るための訓練を受け、そのために必要な装備を持っていなければ、多くの人が殺されるのである。子供であれば、親や家族を守るために必要な技術と武器を備えていなければ、何もすることもできずに愛する人々の生命を奪われるのである。その点で、国民全体が自国を守る意識を持ち、基礎的な訓練を受け、必要な装備をすることは、自分と家族を守るために必要なことである。

私が日本にとって最も参考にすべきと思うのは、先に触れたスイスである。スイスは永世中立国として知られる。近年国連に加盟したので、永世中立国ではなくなったが、スイスは非武装中立ではなく、国民皆兵の国である。国民が一致団結して、国家を防衛することを徹底している。国民が一致団結して外敵に対処する国は、容易に攻め込めない。ヒトラーでさえ、スイスには攻め入らなかった。スイス政府は、国民に『民間防衛』という冊子を配布している。国民は常に訓練を怠らない。道路・施設等のすべてが、いざ外敵が侵攻してきたときには、国を守るために使用できるようになっている。また、小学校など様々の施設の地下に、核シェルターがあり、仮に核戦争になっても国民のほとんどが生き残れるように備えている。こうしたスイスの例から、日本人が国防のあり方を学ぶことのできることは多い。

9条を改正したうえで、国を守るためにどういう制度にするかは、国民の意思で決定すればよいことである。9条を改正すれば、いつの間にか徴兵制が敷かれるということはない。まず国民が自ら国を守るという意思を持ち、国を守るためにはどういう体制にするのがよいかを国民全体で考えていけばよいのである。

 

次に、護憲派の主張に関連することを、補足として3点述べる。

 

第一に、憲法改正反対派の中には、「安倍政権における改憲に反対」という主張がある。安倍政権でなければ改憲に賛成するのかわからないが、憲法改正はどの政権ならよく、どの政権ならダメというような課題ではない。国家の根本的なあり方に関する課題だからである。反安倍派は、安倍政権への不信感を駆り立て、政権の支持率を下げ、それによって憲法改正を阻止しようとしているのである。憲法改正という重大な課題を、政局の問題にし、政党間の闘争に使っているものであり、立法府のあるべき姿から大きく外れている。

 

第二に、自衛隊を支持する人々の中には、自衛隊が軍隊になると暴走するのではないかという不安の声がある。わが国では、戦前軍部が暴走し、政治家を暗殺したり、政府の命令を受けずに行動したりして、不幸な戦争に突入した歴史がある。それゆえ、こうした不安を持つ人は少なくないだろう。しかし、軍隊を持てば軍隊が暴走するのであれば、世界中の国々がそうなっているだろう。先進的な民主国家である米国、英国、フランス等の国ではそういうことは起っていない。民主主義が発達している国では、シビリアン・コントロール(文民統制)が行われ、政府が軍隊を統制している。戦前、わが国が軍事同盟を結ぶ枢軸国だったドイツ、イタリアは敗戦後も軍隊を持っているが、軍隊の暴走は起っていない。軍隊が暴走するのは、民主主義が発達していない国や、独裁者のいる国、全体主義の国である。

戦前のわが国では、天皇が軍隊の統帥権を持っていたことを理由にして、軍部が政治の介入に反発した。また憲法に内閣総理大臣の記載がなく、政府の中心が不明確だった。そのため、軍部の暴走を招いてしまった。戦後のわが国では、シビリアン・コントロールが憲法に定められており、憲法改正の際には、これをさらに明確に定めることで、政府による統制をよりしっかりとしたものにできる。また、国民が政治に関心を持ち、日本の平和と繁栄を維持できるような政治が行われるように選挙等で自らの意思を示し、民主主義がより良く機能するように努力することが必要である。

 

第三に、現行憲法が改正されぬままの状態で、他国の侵攻を受けた場合、武力行使と交戦権の行使ができるのかという問題についてである。護憲派は、こういう事態において、どうやって国民の生命と財産、国家の主権と独立を守るかということを、まともに考えていない。

他国の侵攻を受けた場合、わが国は自衛権を行使して、武力行使することができる。他国の侵攻を受けた場合、内閣総理大臣は自衛隊に防衛出動を命じる。ただし、武力行使は「我が国に対する武力攻撃が発生」し、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断された存立危機事態に限る。存立危機事態と認定すれば、内閣総理大臣は自衛隊に武力行使を命令する。

次に、武力行使以外の交戦権についてはどうか。交戦権は、国家が交戦国として国際法上有する権利であり、戦争の際に行使し得る権利である。その権利の中に、武力行使を含む。同時に交戦権は、敵国との通商の禁止、敵国の居留民と外交使節の行動の制限、自国内の敵国民財産の管理、敵国との条約の破棄またはその履行の停止が、合法的な権利として含まれている。これらを行使し得るかという点が問題になる。

9条1項は侵攻戦争のみを放棄したものとし、2項の「前項の目的を達するため」という文言は侵攻戦争の放棄という目的を意味し、自衛のための戦力は保持できるという解釈に立てば、9条2項の後半は自衛戦争に関する交戦権までを否認したものではない。だが、わが国の政府は、9条1項は侵攻戦争のみを放棄したものとし、2項の「前項の目的を達するため」という文言は侵攻戦争の放棄という目的を意味するとしながら、自衛のために持てるのは戦力ではなく「最小限度の実力組織」であるという立場を取っている。その場合、わが国はこの「最小限度の実力」の行使を含む交戦権を行使し得るのかが問題となる。一方、左翼勢力は交戦権を国家が戦争をなし得る権利と解釈し、自衛戦争も含めて交戦権を否認したのだと主張する。ここにも解釈上の対立や混乱がある。

こうした状態において、わが国に対して他国が武力攻撃をして存立危機事態が発生した場合、内閣総理大臣は武力行使以外の交戦権についてどのように判断して、対処するのか。私は、憲法学者や野党等に憲法解釈上異論があることは承知しつつ、国民の生命と財産、国家の主権と独立を守るために、国家最高指導者の責任において判断し、勇断を振るうべきと考える。

存立危機事態における交戦権の行使は、憲法の規定に違反したり、規定を無視した超法規的措置ではない。憲法解釈上の問題であり、その解釈権は行政において内閣総理大臣にある。内閣総理大臣は、自信を以て国家国民のために、自衛の権利を行使すればよいのである。ぺージの頭へ


 

結びに〜日本を愛する国民は、どう考えるとよいか

 

現在のわが国の国民及び政治家の状態では、一気にめざすべき内容の憲法に改正することはできない。その理由は、日本国民の多くがまだ日本精神を取り戻していないからである。理想を明確にするとともに、現実をしっかり見据える必要がある。

国会は、昨29年の衆院選後、いわゆる改憲派が8割超となっているが、第9条の改正には、発議の可能な衆参両院で総議員の3分の2以上が賛成するかどうかは微妙な状況である。賛成は自民党と維新の会と一部野党の議員のみ。連立与党の公明党が賛成しないと、自公による発議は難しい。

また、国民の現状は、憲法改正に反対の人たちが3割以上いる。9条改正に反対の人たちは、4割以上いると見られる。態度がはっきりしない無党派層は、マスメディアやその時の雰囲気の影響を受けやすい。こうした中で、改正しようとするには、国民投票で過半数を得られるような案を追求せざるを得ない。

 日本を愛する人々の活動によって日本精神の復興が進めば、国民の意識が変わり、国民が選ぶ国会議員も変わる。これから、どこまで国民及び国会議員の意識を変えられるか。それによって、憲法改正の成否、また改正内容が変わる。

特に国民の半分を占める女性の賛否が、改正を左右する。女性が国防の重要性を理解し、家族を守るため、平和と安全を守るために、9条を改正しようという意識を高めることに、日本の運命がかかっている。そうしたなか、「国防女子」を名乗る女性たちによる、女性を対象とした啓発活動が広がっている。(葛城奈海、川添恵子、赤尾由美氏等)また、女性による「憲法おしゃべりカフェ」が全国で展開されている。日本を愛する女性たちの活動が、日本の国と国民を救う可能性がある。

 もし9条1項、2項維持で3項に自衛隊を明記という案が、国会で成立し、これに賛成か反対かという国民投票が行われることになった場合、日本を愛する国民はどうすればよいか。

私はもし先の案が発議された場合は、これに賛成するのが適当であると考える。理想的な案でないからと反対したり、棄権するのは、結果としてよくない。というのは、その案が国民投票で否決されれば、現状のままとなる。現状維持を望むのは、共産党、社民党、立憲民主党、旧民進党の一部等の左翼や左派の政党であり、それらと同じ側に立つことになってしまう。また、仮に国民投票で9条改正が否決された場合、もう一度やり直すのは、極めて難しい。国民投票に諮る以上は、過半数を獲得しないと、その後の全面改正への道も、非常に険しいものになる。失敗は許されない。また、9条改正が否決されれば、自衛隊は違憲だという主張が強まり、これまで統治行為論によって明確な判断を避けてきた裁判所が、国民投票の結果を受けて違憲の判決を出す可能性もある。それによって、自衛隊の解散という事態になったら、日本は諸外国に侵攻・占領されて、自滅する。

 まずは現状を打破するため、現実に可能な案で憲法を改正し、それを第一歩として、あるべき憲法を目指していく。そういう考え方が必要な状況である。

繰り返しになるが、日本国憲法は全面的な改正が必要であり、数項目の改正や新設は、全面改正に向けた第一歩にすぎない。できるだけ早く憲法を本格的に改正し、日本の再建を進めなければならない。ぺージの頭

 

関連掲示

・拙稿「国防を考えるなら憲法改正は必須

・拙稿「憲法第9条は改正すべし

・拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案

・拙稿「『フランス敗れたり』に学ぶ〜中国から日本を守るために

・拙稿「核大国化した中国、備えを怠る日本〜日中戦後のあゆみ

・拙稿「安全保障関連法制の整備と課題取り組みを

 

「憲法・国防」の題目へ戻る

 

ber117

 

ICO_170

 

トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール