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  人類の展望

                       

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説明: ber117

 

人類史に対する文明学の見方

2005.2.1初稿/2018.1.12一部修正

 

<目次>

はじめに

1.文化と文明の定義

2.人類文明史の6つの転換期

3.文明の誕生・周期・分類

4.都市・国家・文明

5.文明と宗教

6.一神教文明群と多神教文明群

7.大陸的文明群と海洋的な日本文明

結びに

 

 

説明: ber117

 

はじめに

 

この地球に人類が棲息するようになってから、数百万年が経過した。この間、人類は、言語や道具や火を用い、大地を耕し、都市を築き、真理や法則を語り、自然のエネルギーをわが物にして繁栄を続けてきた。とりわけここ数百年の文明の発達は目覚しく、人類は空を飛び、地に潜り得て、さらに宇宙にまで進出している。

今日、人類は、史上かつてない転換期に直面している。核兵器の破壊力の増大や、地球環境の悪化、文明・国家・民族の交流、情報通信の発達など、様々な変化が加速度的に進んでいる。こうした世界において、人類の歴史と文明を考察するには、文明学の視点が必要である。文明学は、文明の理論と世界的な文明の歴史を研究する学問である。本稿は、人類史に対する文明学の見方について、基本的な事柄を書くものである。

 

1.文化と文明の定義

 

文化と文明という言葉には、いくつもの定義があり、しばしば混乱を招いている。最初にその整理をしたい。

「文化」と訳される西欧言語(英語・仏語 culture、独語 Kultur)は、「耕す」を意味するラテン colere (コレレ)に由来する。Colereを語源とするのが、英語の動詞 cultivate で、「土地を耕す」の意味から「心を耕す」の意味でも用いられるようになった。そこから culture は「農耕、教養、文化」等を意味する。

一方、「文明」と訳される西欧言語(英語・仏語 civilization、独語Zivilisation)は、ラテン語で「都市国家市民権」等を意味する civitas (キビタス)に由来する。古代ローマ時代の文明とは、字義通り都市化や都市生活のことであった。civitas を語源とするのが、英語の動詞 civilize (文明化する、教化する、啓蒙する)であり、名詞 citizen (市民)も同根である。

方や農耕に関する言葉、方や都市に関する言葉が、自然や動物と区別される、人間に固有な生活・活動の総体を意味する言葉として使われるようになったわけである。

わが国では、culture 等を「文化」、civilization 等を「文明」と訳す。Culture を「文化」と訳したのは坪内逍遥であり、civilization 等を「文明」と訳したのは福沢諭吉である。ここで「文化」「文明」とも西欧の原語の訳語に「文」という漢字を用いた。「文」は、もとは土器につけた縄文の模様の一こまを意味し、そこから文字の意味となった。シナ文明の影響圏である漢字文化圏では、文字の使用が「文化」「文明」の指標となっていると見ることができる。そこには、西欧言語の農耕や都市に基づく原義は表現されていない。

英仏等の諸国では、文化と文明をほぼ同義に使うことが多いが、19世紀後半のドイツでは、文化の精神性に対し、文明の物質性と対比するとらえ方が主流となった。この区別では、宗教・道徳・芸術などの精神的所産を文化といい、技術的・物質的所産を文明と呼ぶ。そして、文化の方に文明よりも価値を置いた。こういう分け方は現代でも一部に影響が見られる。そのことが、文化・文明の定義の混乱の一要因となっている。

欧米諸国では、「文明」を啓蒙(enlightenment)とし、「理性の光」による進歩と考える傾向が強い。だが、欧米諸国から未開・野蛮と見える社会にも、独自の「文化」があり、高い精神性を示すものがある。20世紀前半から、この点に関する反省が行われてきた。

文化人類学者のエドワード・B・タイラーは、文化を知識・信仰・芸術・道徳・法律・風習などの諸要素の複合体であると定義した。この定義によれば、人類の古今東西の様々な社会は、それぞれ特徴的な文化を持っている。その文化には精神的・物質的にそれぞれ発展の度合いがある。また社会には、規模の大小や組織の密度等に違いがある。そこで、人類の文化や社会を、世界的な視野で歴史的にとらえるときには、文化という言葉だけでなく、文明という言葉を併せて使うことが有用である。

人類の歴史を振り返ると、幾多の国家・民族が盛衰興亡を繰り返してきた。20世紀最大の歴史家アーノルド・J・トインビーは、国家・民族を単位とした歴史研究では歴史の真相の究明は不可能であり、人間に役立つような歴史学は生まれてこないと考えた。そして、次々に現れては消える国家よりも、数百年あるいは千年以上の長さで生滅する文明を単位として歴史を見ることを提唱した。彼のいう文明とは、一般に一つ以上の国家や、複数の人種・民族を含む大規模な社会であって、他とは異なる文化を持つものを意味している。トインビーは世界の諸文明を研究し、1934年から61年にかけて、『歴史の研究』全12巻を著述した。本書によって、文明を単位として歴史を見る歴史観が成立した。

トインビー以後、文明を単位として歴史をとらえ、文明間の比較研究をする学者が増えている。その影響によって、今日文明の語は、二つの意味で用いられる。広義では、未開・野蛮と対比して使う。この意味の文明は、野蛮未開と比べて、文化的に優れたもの、進歩したものを意味する。一方、狭義では、国家・民族という単位を超えた広域的かつ長期的な社会を意味する。

トインビー以後の比較文明学の研究成果に基づいて、現代世界文明単位としてとらえる国際政治学が発達している。代表的な国際政治学者サミュエル・P・ハンチントンは、文化を「人々の間に共有された生活様式の総体」と定義し、文明を「文化のもっとも大きなまとまり」としている。これはかなり粗い定義である。わが国を代表する比較文明学者の伊東俊太郎氏は、もっと具体的に次のように定義している。「民族の慣習、さまざまな社会の知識の形態、そこでつくられるいろいろな制度、科学、芸術などを文化という」。そして、「文化が発展していって、ある程度の高度のもの、広範囲に制度化されたものに達すると、文明になると考える」というものである。この定義は、タイラー以降の文化人類学における文化の定義と、トインビー以降の比較文明学における文明の定義を、最大公約数的に表わしたものと思う。私は、基本的にこの伊東氏の定義にならうものである。

次に私見を述べると、文明は、ある程度高度に発達した文化を持つ“社会”を意味するのに対し、文化はその社会の持つ“生活・活動”の総体、つまり慣習・知識・制度・科学・芸術等を意味する点が異なる。前者は、行為の主体であり、後者は行為の対象や内容である。ただし、一般に文明段階以前の社会を文化の語で表わす場合もあるので、私も必要に応じてこれにならう。

私は、文化の内容を述べる時は、「精神文化」と「物質文化」に分けることにしている。宗教・道徳・芸術などの内面的・精神的所産は精神文化、外面的・物質的所産は物質文化と呼ぶ。また、精神文化を特徴とする文明を「精神文明」、物質文化を特徴とする文明を「物質文明」と呼ぶことがある。例えば、近代西洋文明は、物質文化の発達を特徴とするので西洋物質文明という言い方ができる。その西洋物質文明の中にも、ギリシャ=ローマ思想やキリスト教などの精神文化があり、産業に応用される高度な科学技術などの物質文化がある。一方、東洋アジアの諸文明は、精神文化に特徴を持つので、東洋精神文明という言い方ができる。その東洋精神文明にも、仏教、ヒンドゥー教、イスラーム教、儒教、神道のような精神文化と、近代西欧科学以前のインド・シナ・イスラーム等の諸文明の伝統科学やアジア各地の農耕技術のような物質文化がある。

さて、文化は民族や言語や伝統と結びついていて、その社会に固有で他の社会に伝播し得ないものであるとし、文明は民族や国家を超えて普及していくもの、技術的な諸手段の総体をさすという考え方がある。しかし、この分け方には例外が多く、十分有効ではない。比較文明学者の山本新氏は、この点に関して、文明の「様式」「内容」「価値」という概念を用いている。

山本氏によると、文明の「様式」とは、「それぞれの文明が持っている個性」であり、「その文明を他の文明と基本的に区別する文明の特色、文明の相貌、文明の色合」である。次に「内容」とは、文明の中身であり、文明を構成している政治・経済・制度・思想・宗教・芸術などの文化要素である。最後に文明の「価値」とは、「文明の普遍的な側面」である。3つの概念の関係は、様式は内容の様式であり、価値は内容が実現している価値である。他の文明の「様式」は、仮に模倣したところで、わがものにすることはできない。土着させるには、様式を変容させることが必要である。これに対し、文明の内容は、その価値に応じて評価され、「価値」は「文明を越えて伝わり、それぞれの文明の様式に従って受け入れられる可能性」がある。

 私は、山本氏の概念に学び、文明の持つ文化の様式・内容・価値という意味で、これら三つの概念を使用する。文明の持つ文化の内容つまり文化要素には、物質的な文化要素と、精神的な文化要素がある。そのうち、物の生産に用いる技術は、すぐ有用性の価値を判断でき、真似もしやすく、最も伝播・受容しやすいものである。近代科学技術がこの典型である。これに比べると、思想・宗教・芸術などの精神文化は、様式との結びつきが深く、また価値判断のしにくいものが多い。そのため、ある文明に固有で他にはほとんど伝播し得ないものがある。しかし、その一方、精神文化であっても、他の文明に広く伝わって、そこで新たな生命をもって発展していくものもある。例えば、ギリシャやシナの古代思想や、キリスト教や近代西欧の啓蒙思想などがそうである。これらの内容は、固有の様式を持ちながら、高い価値を生み出したことによって、他の諸文明に広く受容されるものとなったと考えられる。ページの頭へ

 

2.人類史の6つの転換期

 

人類が地球に出現して、数百万年が経ったといわれる。その間、人類の文化は、幾度かの変化を遂げてきた。哲学者のカール・ヤスパースは、『歴史の起源と目標』で、次のような世界史の図式を描いている。

 

第1段階  先史時代

時期: プロメテウス時代の始まり

  内容: 言語・道具・火の使用の発生

第2段階  古い高度文化の基礎付けの始まり

時期: 紀元前5000年以降

  内容: 四大文明の発生(メソポタミア、エジプト、インダス河流域、

黄河流域)

第3段階  基軸時代の始まり

時期: 紀元前800〜200年

内容: 諸宗教・哲学の発生、人類の「精神化」(インド、シナ、西洋)

第4段階  科学技術時代の始まり

 時期: 17世紀の科学革命と18世紀末の技術発展

 内容: 科学と技術による世界の変容

 

ヤスパースは、人類の歴史は起源も目標も不明であるとして、歴史に「基軸」となる時代を見出し、そこに軸を置く人類史の段階論を提唱した。「基軸時代」とは、インド・シナ・ギリシャ等に諸宗教・哲学がほぼ同時期に発生し、人類が「精神化」した時代である。その後、科学技術時代に入った人類は、こうした諸宗教・哲学に替わる新たなものを生み出しえていない。ヤスパースは、核戦争のおそれのある現代において、西洋だけではなく、「真に人類に共通する、人類的な、世界を包括する基軸」を生み出す「第二の基軸時代」の到来を待望した。(註1

ヤスパースの提唱を受け、いろいろな人類史の段階論が提案されているが、特に優れたものが、伊東俊太郎氏によるものである。伊東氏は、人類には過去、5つの転換期があったとする。それが「人類革命」「農業革命」「都市革命」「精神革命」「科学革命」である。そして、現在は6番目の転換期にあると説いている。この説をもとにし、また一部修正して、人類史を概観すると、以下のようになる。年代はおおまかな数字である。

 

第1期 人類革命

 

時期: 数百万年前

内容: 言語・道具・火の使用による人類の誕生

 

この地上に発生した人類は、言語・道具・火の使用を始め、他の動物と区別される文化を持つようになった。こうして亜人類から人類への飛躍が行われた。いわば人類が人類となった変化を、伊東氏は「人類革命」と呼ぶ。

人類の発生には単系説と多系説があるが、現在のところ、人類のものと思われる最古の骨は「アルデピテクス・ラミドゥス」という450万年ほど前のものである。さらに発掘が進むに従って、人類の始祖はもっと前にさかのぼるかもしれない。発生後の人類には、オーストラロイド、モンゴロイド、ネグロイド、コーカソイドの四つの人種が形成された。

人類文化の発生から、次の転換期である「農業革命」を行うまでの期間は、人類史の99パーセントを占めている。また、ほぼ旧石器時代の全期間を覆っている。この間、人類は狩猟と採集を行い、家族を中核とする氏族単位で生活していた。彼らは様々な形の石器を作り出し、調理を行い、塑像を作り、洞穴に写実的な絵を描くなどした。約10万年前から約3万5千年前の旧石器時代中期、ネアンデルタール人などの旧人の遺跡から、死体の埋葬や狩猟の儀式が行われたことがわかる。そこに宗教の原初的な形態を推測することができる。

 

第2期 農業革命

 

時期: 1万年頃〜1万1千年前頃

内容: 農耕の開始

 

今から約1万年から1万1千年前、農耕がパレスチナで始まり、その後、メソポタミアを経て、インド・シナ・ヨーロッパ等に広がったと考えられている。また、東南アジアやシナ、西アフリカ等でも、ほぼ同じ頃、それぞれ農耕が始まったようである。これによって人類の一部が、それまでの狩猟採集という不安定な生活から脱し、野生植物の栽培を始めた。これが「農業革命」である。メソポタミアでは麦、東南アジアではイモ、シナでは稲、西アフリカでは雑穀の栽培化が行われた。最初は雨水や山の上方の細流を利用していたようである。

人類は、農耕という能動的な食糧生産を行うことにより、村落共同体を作り、より大きい部族集団を形成して、定住生活を開始した。また新石器時代に入り、さまざまな磨製石器や農具・土器・織物などを作り、粘土その他で簡単な住居を造るようにもなった。農耕に伴う儀礼が行われ、狩猟採集生活が生み出した精神文化を、より豊かなものに発展させた。宗教に関しては、この時代にアニマティズム、アニミズム、シャーマニズム等の原初形態の存在が認められる。

農耕と同時に、野生動物の家畜化が行われ、牧畜も開始された。次第に、各地域の生態学的な特性によって、農耕を中心とした文化と、遊牧を中心とした文化とに別れ、農耕社会と遊牧社会との交流・対立・抗争が始まった。以後、西アジア、東アジア、ヨーロッパ等で両者の相互作用が歴史を彩っていく。

 

第3期 都市革命

 

時期: 紀元前3500年頃〜前2500年頃

内容: 都市の形成と古代帝国の建設

 

「農業革命」以後、農耕が発展し、大河の流域で大規模な農耕が行われるようになった。人々は多くの村落を統一し、それまでの部族集団を統合した、より大規模な地縁集団を組織した。生産力が伸長し余剰農作物が増加し多くの人口を養えるようになると、直接生産に従事しない集団が現れた。彼らは城壁をつくって都市を形成するようになった。 

最初の都市国家は、紀元前3500年頃メソポタミアで発生した。都市国家では、王―僧侶―戦士―商工民―農耕民・遊牧民というように社会の階層化・分業化が進んでいた。また、組織化や制度化が進展した。これが「都市革命」である。伊東氏は、都市革命によって、人類は「文化」から「文明」の段階に入ったとする。この説は、都市に関する言葉に由来する西欧言語の「文明」の意味にはかなったものである。

メソポタミアに継いで、紀元前3000年頃エジプト、紀元前2500年頃インダスで、都市国家が成立した。シナでは、黄河流域の殷文明より千年ほど前になる紀元前3000年から2500年頃、長江流域で文明が発生したようである。これら、都市革命によって誕生した四大文明が、いろいろな地方に伝播し、人類の文明化が進んだ。

都市国家の支配階級は、文字をはじめとする様々な知的技術を開発した。王を中心とした統治のために法律ができ、巨大建築物が建てられた。金属器が登場して、軍事力が格段と強化される一方、広い地域にわたる物資の交換が行われ、商業が盛んとなった。そして、農耕を主とする都市国家の文明と、遊牧を主とする部族集団の文化との交流・対立・抗争が展開されていく。

 

第4期 精神革命

 

時期: 紀元前800年頃から前400年頃

内容: 高度宗教や哲学の誕生による精神文化の向上

 

「都市革命」が進展すると、紀元前800年頃から前400年頃にかけて、新たな宗教や哲学が誕生した。これを「精神革命」と呼ぶ。ヤスパースのいう「世界史の基軸時代」は、この「精神革命」の時期に当たる。

この時期には、それまでの原初的な宗教をもとにした独自の理論と実践を持つ高度宗教が発達した。ユダヤ民族にはイザヤの名を持つ旧約聖書の預言者たちが登場し、神との契約による一神教を生み出した。インドではヴェーダとウパニシャッドを持つバラモン教が発達し、また釈迦が仏教を開いた。シナでは孔子が儒教を始め、諸子百家が活躍した。ギリシャではピュタゴラスが教団を営み、ヘラクレイトス、ソクラテスらが哲学を論じた。哲学は物事を合理的に認識し、また人間の道徳を考究する知的な活動であり、その意味ではインド、シナ等にも同様の活動が認められる。

「精神革命」の時期には、各地域で都市が統合され、より大きな領土国家が形成された。人類はそれまでの共同体的な生活から放り出されて、新たな社会環境に置かれたため、人間はいかに生きるべきかという問いを深めるようになった。宇宙や存在や真理について深められた宗教的・哲学的な認識が、以後、その系統の文明の精神的原理となった。しかも、それらは文化の様式の違いを超えた高い価値を生み出したので、今日に至るまで人類の自己認識の基本的な枠組みとなっている。

時代は遅れるが、紀元前後にイエスがパレスチナに、7世紀にムハンマド(マホメット)がアラビアに現れ、一神教を発達させた。彼らの教えもまた「精神革命」の時代に生まれた枠組みに基づくものである。

世界中東基準に東西に分けると、「精神革命」の時代以降、西半球ではギリシャ=ローマ文明、ヨーロッパ文明等が、東半球ではインド、シナ、ペルシャ、アラビア等の文明がそれぞれ発達した。これら東西の文明が交流して互いに恩恵を与え合った。概して西欧で近代化が起こるまでは、東が西に与えたものの方が、西が東に与えたものより大きかった。これが逆転したのは、近代化という革命によるものである。

 

第5期 近代化革命

 

時期: 15〜19世紀

内容: 生活全般の合理化の進展による世界の変容

 

15〜16世紀に西欧で始まった現象を、「近代化」という。近代化とは、社会学者マックス・ウェーバーによれば、「生活全般の合理化」である。近代化・合理化は、文化的には宗教・思想・科学等における合理主義の形成、社会的には共同体の解体とそれによる近代的な核家族、機能集団である組織や市場の成立、近代都市の形成、政治的には近代主権国家の成立、近代官僚制と近代民主主義の形成、経済的には近代資本主義・産業主義の形成等が進展していく過程である。私は、この文化・社会・政治・経済の各領域で進んだ合理化の過程を総合して、「近代化革命」と呼ぶ。近代化の過程で決定的な役割を果たしたのが、物質科学の発達だった。物質科学こそ近代文明の中心であり、近代西洋文明は物質科学文明と呼ぶことができる。

イスラーム文明を通じて、古代以来の伝統科学を学んできた西欧人は、地動説の証明をきっかけに、仮説・実験・証明を経て数学的に表現する近代的な態度を確立した。ルネ・デカルトは物心二元論の認識論と要素還元主義の方法論を打ち出し、アイザック・ニュートンは機械論的世界観を構築した。ここにおいて、フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉のように、人間は自然を支配し、改造する力を持つようになった。これが「科学革命」である。

近代西欧科学はそれまでのインド・シナ・イスラーム等の諸文明における伝統科学が秘めていた可能性を爆発的に現実化した。近代科学の発達は、人類の知識を一挙に広げた。人類に内在していた知能が、あたかも季節が来て木々の花が咲くように、一気に開花し始めたかのようである。そして今も科学革命を中心とした近代化の進行によって、人類文明は大変化しつつある。

ヨーロッパ文明は、科学によって発見された新しい知識を物質的生産に応用して、「産業革命」を遂行した。また、「科学革命」とほぼ並行して、近代国民国家が形成された。合理主義・民主主義・個人主義・啓蒙主義など、新たな思想が創造された。そして、科学技術と産業資本的経営組織と主権国家の権力とが合体したとき、ヨーロッパ文明は他の文明を圧倒する力を持つに至った。

西欧から北米に広がったヨーロッパ文明は、地理的には欧米文明というべきものとなった。これを近代西洋文明と呼ぶ。近代西洋文明は、古代ギリシャ=ローマ文明から一直線に発展したものではなく、古代ギリシャ=ローマ文明が滅び、その文化的要素を一部継承したヨーロッパ文明が北米にも発展した文明である。

西欧白人種は有色人種を侵略・支配し、近代西洋文明による世界支配は、19世紀の後半から20世紀の初頭に絶頂を迎えた。アジアでは、インド・シナ・イスラーム等のかつて繁栄を誇った諸文明が、近代西洋文明の周辺文明と化すかのごとき状態となり、アフリカ大陸は列強によって完全に分割された。しかし、日本が近代化に成功し、日露戦争に勝利したことによって、有色人種の民族解放運動がはじまった。

近代化つまり全般的な合理化によって生まれた強大な力は、諸文明・諸国家・諸民族の対立・抗争を大規模化し、20世紀前半には、遂に世界的な規模の戦争が勃発するに至った。物質科学は人類に物質的な繁栄をもたらしたが、人類はそのために自己の智恵を過信し、自らの文明の産物によって危機に陥ったのである。(註2

 

第6期 新人類革命

 

 時期: 1945年〜21世紀

 内容: 人類発生以来の危機と飛躍の時

 

人類は先に述べた5つの段階を経て、現在は第6の転換期にある。この転換期は人類が人類になって以来、最大の転換期である。そういう意味ではこれまでの小転換期に対し、史上かつてない大転換期である。この大転換期は、人類の危機と飛躍の時代である。

「近代化革命」を経た人類は1945年以来、核兵器の出現により、存亡の危機に直面している。私は、1945年以降を現代と区分している。核兵器を使用した世界戦争が勃発すれば、人類は自滅にいたるおそれがある。その愚を避けるために、国際協調を進め、核兵器を削減さらには廃絶し、また世界平和を実現・維持することのできる国際的な機構を作り出すことが、現代の人類の課題となっている。

核の危機に加えて、1950年代からは地球環境の破壊が顕著になった。科学と産業の発達の結果である。人類が地球で生存していくためには、自然環境の保全と経済成長のバランスを維持していかねばならない。そのためにも、従来の文明・国家・民族の枠を越えて、全地球的な取り組みが必要になっている。

核兵器の開発、環境の破壊等によって、人類は生存の危機に直面している。私たちは、自滅したくなければ、自ら飛躍しなければならないという状況に立っている。今や人類は、世界平和の実現と、文明と環境の調和のために、新たな精神的な進化を求められている。現代の転換期は、人類が人類となった「人類革命」以来の大転換の時であり、いわば「新人類革命」とでもいうべき自己変革が求められている。「新人類革命」とは、過去に亜人類から人類となった「人類革命」を超えて、人類が新人類へと自己超越することである。「新人類革命」は、ヤスパースのいう「第二の基軸時代」の到来となるものである。「新人類革命」を成功させること、それが人類の興亡のかかった一大課題である。ページの頭へ

 

(1)ヤスパースについては、拙稿「ヤスパースの『新基軸時代』と日本の役割」をお読みください。

(2)本稿における時代区分についてここに記す。一般の西洋史では、しばしば古代、中世、近代、現代という時代区分がされる。この区分は、古代ギリシャ=ローマ文明とヨーロッパ文明を連続性に重点を置いてとらえる場合には、有効である。私は、この区分を使う場合は、西ローマ帝国が滅亡した476年を古代と中世の分け目、英仏百年戦争が終結し、またイスラーム文明の侵攻によって東ローマ帝国が滅亡した1453年を中世と近代の分け目、核兵器が初めて使用された1945年を近代と現代の分け目としている。

人類文明史においても、近代とそれ以前の分け目、近代と現代の分け目には、これらの年次を使用できる。しかし、西洋史の区分をそのまま世界史に適用することはできない。各文明、各国家、各民族によって、古代の終結時点及び近代の開始時点は異なり、それによって古代と近代の中間の時代の範囲も変わってくる。また、その中間の時代を中世と呼ぶのが適当でない場合がある。

たとえば、ヨーロッパ文明を古代ギリシャ=ローマ文明と非連続性に重点を置いてとらえる場合は、ヨーロッパ文明が始まる5世紀後半から15世紀半ばまでの時代は、中世と呼ぶのは不適当であり、私は前代と呼んでいる。近代より前の時代の意味である。イスラーム文明も同様の事情があり、同文明が発生したのは7世紀はじめであり、同文明が東ローマ帝国を滅ぼした15世紀半ばまでの時代は、中世ではなく前代と呼ぶのがふさわしい。

 

3.文明の誕生・周期・分類

 

トインビーは、文明が誕生する原因を考察し、「挑戦と応戦」の理論を提示した。「挑戦(challenge)」とは、ある社会が環境の激変や戦争などによって、その存亡にかかわる困難な試練に直面することであり、「応戦(response)」とは、この課題に対して、創造的に対応しその脅威を乗り越えようとすることをいう。文明は、この「挑戦」に対する「応戦」によって発生するとトインビーは考えた。発生後の文明は、その後の過程のどの段階においても「挑戦と応戦」は行われ、その繰り返しが文明を成長させる。

トインビーはまた、文明の興亡盛衰には、ひとつの法則性があり、文明は「誕生成長挫折解体」を繰り返すと説いた。これを文明の周期論(サイクル論)という。トインビーによると、文明の解体後は、先行文明の刺激を受けて発生した新たな文明に継承されることが多いが、継承されずに滅亡する場合もあり得る。トインビーは、歴史家として、自然または他の文明による「挑戦」に対して有効な「応戦」ができなかった文明は滅亡した事実を指摘している。

文明の成長は、哲学者アンリ・ベルグソンの説く「生命の飛躍(エラン・ヴィタール elan vital)」の一種だとトインビーは考えた。「エラン」とは、生命の進化をもたらすエネルギーの表れであり、人類においては「愛の飛躍(エラン・ダムール elan damour)」として働き、道徳と宗教の源泉となった、とベルグソンは『道徳と宗教の二源泉』で説いている。トインビーは、この「エラン」によって、人類が利己心を超え、精神的に向上することを願った。

トインビーは、世界史において「充分開花した文明」の数を23とした。また、それらを5つの系統と3つの世代に分け、諸文明間の空間的・時間的な影響を論じた。しかし、諸文明の関係については、十分考察ができていなかった。これに対し、文化人類学者のフィリップ・バグビーは、諸文明を「主要文明(major civilization)」と「周辺文明(peripheral civilization)」に分けるべきだと主張した。独立した主要な文明と、その文明の刺激を受けて発生し、これに依存し、宗教・政治制度・文字・芸術・技術等を借用する周辺文明とを区別して研究しなければならないという。バグビーが主要文明に数えるのは、バビロニア、エジプト、ギリシャ=ローマ、インド、シナ、近東、西洋、中米、ペルーの9文明である。他方、それぞれの文明に派生する周辺文明として、28の文明をあげている。周辺文明の特徴は、基礎的な制度の自己展開がないこと、独創性の欠如、持続性が短いこととしている。

この批判を受けて、トインビーは、諸文明を「独立文明(independent civilization)」と「衛星文明(satellite civilization)」に区別した。「衛星文明」とは、「独立文明」の刺激を受けて発生し、独立文明に依存し自立していない文明である。こうした区別によって、周辺文明・衛星文明の比較研究が行われるようになった。(1)

 次に日本文明についてだが、トインビーやバグビーは、日本文明を独立した主要な文明とはみなしていない。トインビーは当初、日本文明をシナ文明の分派、つまり本体から枝分かれした「側枝(offshoot)」とし、その後、「衛星文明」に格下げした。バグビーは、日本文明はシナ文明の周辺文明として発生したが、その後、かなり独立性を持つにいたったと注目している。山本新氏は、バグビーを受けて具体的に研究し、シナ文明の周辺文明として成長した日本文明は、遣唐使廃止後の9世紀末〜10世紀初め頃から相当の独立性を持ったことを強調する。ただし、周辺文明の地位のまま、近代においては新たに西洋文明の周辺文明となっていると説いた。

これに対し、伊東俊太郎氏は、日本文明はシナ文明の周辺文明から自立して、「基本文明」に成長したと説いている。伊東氏にいたって、日本文明は、一個の独立した文明であるという見方が、明確に出されたわけである。

伊東氏のいう「基本文明」とは、「それみずからのユニークな文明のスタイルをもち、自立的に発展し、かつ文明の寿命が長いもの(千年以上のもの)」である。伊東氏は、「基本文明」は、文明の発生の時代順に、17あるとする。メソポタミア、エジプト、エーゲ、インド、シナ、ギリシャ=ローマ、ペルシャ、アフリカ、中米、アンデス、ビザンツ、アラビア、スラブ、日本、西欧、アメリカである。また、現代世界における基本文明として、アフリカ文明、西欧文明、アラビア文明、ロシア文明、インド文明、シナ文明、日本文明、アメリカ文明の8つを挙げる。

このように伊東氏は、日本文明を「基本文明」の一つに数えている。日本文明のように、後から自立した文明の例として、他にアメリカ文明は西欧文明の直系の子であるが独自の文明に成長した、ロシア文明もビザンツ文明(ビザンティン文明)の周辺文明から自立したとする。

比較文明学の研究が進んだ今日では、日本文明を一個の独立した文明とする見方が優勢である。ハンチントンは、冷戦後の現代世界の主要文明を7または8とし、その中に日本文明を数える。7または8とは、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする「西洋文明(西欧・北米)」、ギリシャ正教を基礎とする「東方正教文明(ロシア・東欧)」、イスラーム教を基礎とする「イスラーム文明」、ヒンドゥー教を基礎とする「ヒンドゥー文明」、儒教を要素とする「シナ文明」、「日本文明」、カトリックと土着文化を基礎とする「ラテン・アメリカ文明」。これに今後の可能性のあるものとして、「アフリカ文明(サハラ南部)」を加えている。そして、これらの中で、日本は「一国一文明」という他にない特徴を持っていると指摘している。文明史学者の中西輝政氏も、日本文明の独立性を明らかにし、日本文明では「国=文明」となっていることを強調している。(註2

文明の分類のための用語は、論者によって主要文明・独立文明・基本文明、周辺文明・衛星文明等というように用語が異なるわけだが、私は、主要文明(major civilization)と周辺文明(peripheral civilization)という用語を用いている。

私の定義では、主要文明とは、独自の文明の様式をもち、自立的に発展し、かつ文明の寿命が千年以上ほどに長いか、または現代世界において重要な存在であるものである。周辺文明とは、主要文明の文化的刺激を受けて発生し、これに依存し、宗教・政治制度・文字・芸術・技術等を借用する文明である。周辺文明には、基礎的な制度の自己展開がなく、独創性が弱く、持続性が短いという特徴がある。しかし、周辺文明が自立して、主要文明に成長する場合がある。それゆえ、主要文明を、自生的に発展した自生型(じせいがた)と、周辺文明から成長した後成型(こうせいがた)に私は分ける。日本文明については、後成型の主要文明であると私は評価する。 (3)

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(1)トインビーについては、拙稿「人類史の文明学〜トインビー」をお読みください。

(2)ハンチントンについては、拙稿「ハンチントンの『文明の衝突』と日本文明の役割」をお読みください。

(3)日本文明については、拙稿「人類史の中の日本文明」をお読みください。

 

4.都市・国家・文明

 

 人類の文明史を記す際には、文化と文明だけでなく、都市と国家が重要な概念となる。 
 都市とは、比較的狭い地域に多数の人口・住居が密集し、農業以外のおもに商工業等が経済生活の主体をなす集落をいう。都市の起源については、要塞、市場、神殿等、さまざまな説がある。また都市の性格は、時代や地域、また社会的背景によって異なる。古代オリエントのオアシス都市、シナの専制帝国の計画的都市、古代ギリシャのポリス、産業革命以後の産業都市等、その様相は多様である。しかし、多数の人口・住居が密集した非農業的な集落をもって、都市ということができるだろう。 
 これに比し、国家という概念は、さらに多様で複雑である。古代メソポタミアの都市国家、シナの中華帝国、中世ヨーロッパの神聖ローマ帝国、アフリカのダホメ王国等、さまざまな地域、異なる時代に現れた国家を、近代西欧に現れた主権国家と同様のものととらえることはできない。私は、前近代の国際交流史の研究者・宮崎正勝氏の説が示唆に富んでいると思う。
 宮崎氏は、都市は神経細胞のように、本体と触手(ネットワーク)から成り立っているとする。ネットワークとは「人と人、集団と集団、人と集団の間の結びつき」をいう。都市は、周辺の農業集落に触手を延ばして結びつきを作る。そして、そのネットワークを安定させるために、道路網・法律・官僚制・軍隊・宗教・交易などのシステムを複合化して、ネットワークの構造化を図る。そうしたシステムの複合体となったのが、国家である。
 
 宮崎氏によると、国家とは、「都市を中心とするシステム化されたネットワークの総体」である。その国家というシステムの中核となるのが、都市である。国家においては、首都と、それに従属する都市と、その周辺の農業集落が、ネットワークで結ばれていると見ることができる。 
 こうした説を説く宮崎正勝氏は、「『都市』と『都市を支えるネットワーク』の変容とその変化に伴うシステムの組み換えが『世界史』を作り上げてきた」とする仮説を基礎にして、文明の形成からグローバリゼイションが進む現代における「世界史」を、一貫したプロセスとして描き出そうと試みている。氏は、この仮説を「ネットワーク論」と称し、ネットワーク論に基づく世界史を描いている。
 氏の説に私見を加えると、都市を中核として構造化された地域社会では、特徴のある文化が生まれる。その文化が発展して、ある程度高度なもの、広範囲に制度化されたものに達した社会が文明となる。 
 文明は、国家より大きな社会であり、共通の文化を持つ複数の国家を包含するものである。その文明の政治的・経済的・文化的な中心地域には、都市が存在する。そして、都市を結節点としたネットワークの構造体が国家であり、その国家の集合が文明である。 

今日の国際社会では、それぞれ首都とそれに従属する都市、その周辺の農業集落がネットワークで結ばれている。また同時に、国家間においては、各国の首都をはじめとする主要都市が相互にネットワークで結ばれている。こうした国際的な都市間のネットワークが、各文明・各国家・各地域の農村地帯を従属させている。この構造は、人工による自然の支配、商工業の農業への圧迫という関係となっている。ページの頭へ

 

5.文明と宗教

 

先に書いたように、トインビーは、文明は「誕生成長挫折解体」を繰り返すという文明の周期論(サイクル論)を説いた。彼によると、文明の成長段階では「世界国家」が登場し、その末期に、征服された地域の抑圧された民族の間に「高度宗教」を生み出す。「高度宗教」は、「世界国家」の崩壊後も生き続け、やがて蛮族がこの「高度宗教」に改宗し、そこに受け継がれた「高度宗教」が、次の文明の発生の中核になるとトインビーは説いた。この理論は、古代ギリシャ=ローマ文明の過程をモデル化したものであり、「高度宗教」が、キリスト教を想定していることも明らかである。

私は、トインビーの説を踏まえつつ、文明と宗教の関係を一般化する必要があると考える。文明は、トインビーの注目した例に限らず、その中核に宗教を持つ。宗教とは、人間の力や自然の力を超えた力や存在に対する信仰と、それに伴う教義、儀礼、制度、組織が発達したものをいう。宗教の中心となるのは、人間を超えたもの、霊、神、仏、理法、原理等の超越的な力や存在の観念である。その観念をもとにした思想や集団的な感情や体験が、教義や儀礼で表現され、また生活の中で確認・再現・追体験されるのが、宗教的な活動である。宗教は、社会を統合する機能を持ち、集団に規範を与えるとともに、個人を人格的成長に導き、心霊的救済を与える。宗教は、また社会を発展させる駆動力ともなる。国家の形成や拡張を促進し、諸民族・諸国家にまたがる文明の中核ともなる。(1)

世界の諸文明は、そのような働きを持つ宗教を、その精神的な中核に持っている。文明には、その文明の独自の文化から生まれた固有の宗教を持つものと、他の文明が生み出した宗教を摂取したものとがある。トインビーの理論は、すべての文明には当てはまらない。ユダヤ文明、インド文明、シナ文明、日本文明では、固有の宗教が最初から中核となっていた。インド文明、シナ文明、日本文明は、古代ギリシャ=ローマ文明のように滅亡することなく、千年単位の長期にわたって、宗教と文明の関係が維持されている。また、ユダヤ文明は、古代に滅んだが、固有の宗教を中核として現代に復活している。

文明学に基づいて国際関係を分析したハンチントンは、著書『文明の衝突』で知られる。本書は2001年のアメリカ同時多発テロ事件を予言したとして話題になった。また、この事件は、西洋文明とイスラーム文明が衝突した出来事と理解されたのである。

ハンチントンは、文明の中核には宗教があるとするトインビーの説を受けて、宗教をもとにして諸文明を特徴づけている。また、冷戦終結後の世界には、7または8つの主要文明が存在すると説く。すなわち、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)、東方正教文明(ロシア・東欧)、イスラーム文明、ヒンドゥー文明、儒教を要素とするシナ文明、日本文明、カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明。これに今後可能性のあるものとして、アフリカ文明(サハラ南部)を加え、7または8と数える。

 私は、現代の主要文明は西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、インド文明、シナ文明、日本文明、ラテン・アメリカ文明、アフリカ文明の8つと考える。ハンチントンが可能性として挙げたアフリカ南部を今日、一個の文明とみなす。そして、これら以外に多くの周辺文明が存在すると考える。例えば、アジアにはチベット文明、モンゴル文明、朝鮮文明、南伝仏教文明等がある。(ページの頭へ)

 

(1)宗教については、拙稿「宗教、そして神とは何か」をお読みください。

 

6.一神教文明群と多神教文明群

 

 私がハンチントンの説に修正を加えたいと思うのは、世界の諸文明は、単に併存しているのではなく、大きく二つのグループに分けることができるという点である。この二つのグループとは、一神教文明群と多神教文明群の二つである。

宗教学者・岸本英夫によれば、宗教には「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」がある。前者は崇拝・信仰の対象として神を立てる宗教であり、後者は、神観念を中心概念としない宗教である。私は、前者を有神教、後者を無神教と呼ぶ。有神教のうち、一つの神のみを祀る宗教を一神教、多数の神々を祀る宗教を多神教という。現代世界の主要文明は、一神教を中核とする文明と多神教を中核にする文明に分けられる。

一神教には、単一神教、拝一神教、唯一神教がある。単一神教は、自己の集団において多くの神々を認め、その中に主神と従属神があるとし、他の集団の神格も認めるものである。拝一神教は、自己の集団において唯一の神のみを認めるが、他の集団における神格をも認めるものである。単一神教と拝一神教は、従属神を認める点または他の集団の神格を認める点において、多神教に近い性格を持つ。これらに対し、唯一の神のみを神とし、自己の集団においても他の集団においても、一切他の神格を認めないものが、唯一神教である。これが純然たる一神教である。唯一神教には、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教がある。

一方、多神教は自然の事象、人間・動物・植物等を広く対象とし、人間神、自然神を多く祀るものである。宇宙神を祀る場合もある。アニミズム、シャーマニズム、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道等がこれである。仏教の一部(大乗仏教、密教)もこれに含めることができる。多神教には、根本に一神教的な性格を持つものや、神と万有を同一視する汎神教的な傾向を持つものがある。

現代世界の主要文明は、これらの宗教のうち唯一神教を中核とするものか、多神教を中核にするものかに分けられる。

 唯一神教は、ユダヤ民族が生み出した信仰である。ユダヤ民族は、宇宙を無から創造した神が人間を創造したとし、最初の人間をアダムと呼ぶ。その子孫であり大洪水で生存したノアには、セム・ハム・ヤペテの三人の子があったとし、長子セムの子孫であるアブラハムが神と契約を結んだ、と信じている。

セムはアッシリア人、アラム人、ヘブライ人、アラブ人の祖先とされている。言語学では、セム語族という言語系統の集団があるとする。セム語族には、アッカド語、バビロニア語、ヘブライ語、フェニキア語、アッシリア語、アラビア語などが所属する。セム語系のヘブライ語を話すユダヤ民族が唯一神教を生み、ユダヤ教からキリスト教が派生し、さらにこれらの宗教の影響を受けてアラビア語地域にイスラーム教が誕生した。ユダヤ人もアラブ人もともに、ノアの長子セムを祖先と考える。また、ユダヤ民族の宗教からキリスト教が分かれ、ユダヤ教・キリスト教に学んでイスラーム教が誕生した。そこで私は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教を、セム系一神教と呼んでいる。この場合のセム系は、言語学的な系統ではなく、そのもとになった観念的な民族の系統を表す。

人類の多数は、人間の起源についてセム系一神教とは違う見方をする。またセムを祖先とは考えない。またその意味で非セム系である。セム系一神教以外の大多数の宗教は、多神教である。ただし、一部の民族には一神教が見られる。たとえば、ユーラシア大陸の遊牧民族における天空信仰は、天空を信仰対象とする一神教であり、その例である。その一神教は、唯一神教ではなく、単一神教または拝一神教と考えられる。一方、セム系のユダヤ人やアラブ人は、伝統的な祖先崇拝や周辺諸民族の多神教の影響を排除してきた歴史を持つ。そこで、宗教のうち有神教は、一神教/多神教の対にセム系/非セム系の対を組み合わせて分類することができる。すなわち、(1)セム系一神教(唯一神教)、(2)非セム系一神教(単一神教、拝一神教)、(3)セム系多神教〔(1)に排除された〕、(4)非セム系多神教の四通りとなる。

これら四種の宗教の中で、主要文明の中核となって現代まで機能してきているのは、セム系一神教と非セム系多神教の二つである。そこで、現代世界の主要文明を、セム系一神教文明群と非セム系多神教文明群にわけることができる。

セム系/非セム系の対は、ユダヤ民族に焦点を合わせた場合の分け方であり、人類の文明の全体を見る時には重要な区分ではない。そこで、私は名称を単純化して、一神教文明群と多神教文明群と呼ぶ。一神教文明群とは、セム系唯一神教を文明の中核とする文明群であり、多神教文明群とは、人類に広く見られる多神教を文明の中核とする文明群である。

 一神教文明群は、ハンチントンのいう西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、ラテン・アメリカ文明の四つが主要文明である。私はそこに含まれる周辺文明の一つとして、ユダヤ文明を挙げる。一神教文明群の担い手は、自らを超越神によって創造された人間の子孫であり、ノアの長子セムの後裔と信じている。宗教的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教である。これらの文明における超越神は、唯一男性神とされる観念的な存在であり、神との契約が宗教の核心にある。地理学的・環境学的には、砂漠に現れた宗教という特徴を持つ。砂漠的な自然が人間心理に影響したものと考えられる。

 これに対し、多神教文明群とは、ハンチントンのいう日本文明、シナ文明、ヒンドゥー文明を主要文明とする。私は新興のアフリカ文明をこれらに加える。いわゆる東洋文明はこれらのうち、ヒンドゥー文明(私のいうインド文明)、シナ文明、日本文明及びそれらの周辺文明を総称するものである。多神教文明群では自然が神または原理であり、人間は自然からその一部として生まれた生命体である。文明の担い手は、自然が人間化したものとしての人間である。宗教的には、アニミズム、シャーマニズム、ヒンドゥー教、シナの儒教・道教、日本の神道等である。仏教の一部(大乗仏教、密教)もこれに含めることができる。地理学的・環境学的には、森林に現れた宗教という特徴を持つ。森林的な自然が人間心理に影響したものと考えられる。

 ラテン・アメリカ文明とアフリカ文明(サハラ南部)は、ともにアニミズム、シャーマニズムを基底にしているが、前者はカトリック文化を上層に持つ。そこで、私はこれを一神教文明群に分類することとし、アフリカ文明は多神教文明群に分類する。

 私は、このようにハンチントンの文明併存論に対し、文明群立論を提唱するものである。

上記のように、世界の諸文明を一神教文明群と多神教文明群に分ける場合、地理的な区分線は、北米・南米・欧州・北アフリカと南アフリカの間、中東諸国とインドの間、ロシア・中央アジア諸国と中国の間、日本・東南アジアとアメリカ・オーストラリアの間に引くことができよう。

 なお、イスラエルとアラブ諸国はアジアに位置するが、一神教を信奉する点で、インド以東の多神教の世界とは、顕著な違いがある。アジアは、一神教文明群の故郷であるとともに、多神教文明群が発展した地域でもあり、一神教文明群と多神教文明群が併存している。

ハンチントンは西洋文明について「キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする」と表現しているが、ここにユダヤ教という要素を明記すべきである。つまり、西洋文明はユダヤ=キリスト教を基礎とする、という形容こそふさわしい。そして、ユダヤ=キリスト教のユーラシア西方での表れが西洋文明、東方での表れが東方正教文明ととらえることができる。

私は、イスラエル建国後のユダヤ教社会をユダヤ文明とし、ユダヤ=キリスト教諸文明の周辺文明の一つと位置づける。ユダヤ文化は、古代シリア文明にさかのぼる。ユダヤ民族は、ユダヤ=キリスト教という文化要素を、古代ギリシャ=ローマ文明経由でヨーロッパ文明に提供した。しかし、亡国離散した後のユダヤ諸社会を、まとめて一個の文明と見ることはできない。ロシア、東欧、西欧、北米等に離散したユダヤ人は、19世紀後半からパレスチナに移住し続けた。建国後のイスラエルは、ユダヤ教を宗教的な文化要素としつつ、ロシア、東欧、西欧、北米等の諸文化、諸思想が混在する社会となっている。その点でも、ユダヤ文明は、ユダヤ=キリスト教諸文明の周辺文明と見ることが出来る。

 西洋文明とイスラーム文明は、一神教文明群に入る。ハンチントンの言う「文明の衝突」における西洋文明とイスラーム文明の対立は、同じ文明群の中での対立である。その争いは、ともにセム及びアブラハムの子孫と信じる者同士の骨肉の争いなのである。

 そして、現代世界は、イスラエル=パレスチナ紛争を焦点として、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の一神教の内部争いによって、修羅場のような状態になっている。ハンチントンはこの状態を西洋文明とイスラーム文明との衝突ととらえているが、私はイスラエルやロシアを含めたユダヤ=キリスト教諸文明とイスラーム文明の対立・抗争ととらえた方がよいと思う。

ハンチントンは、冷戦終結後の世界の動向を予想し、西洋文明と「儒教―イスラーム教・コネクション」、つまりシナ文明=イスラーム文明連合の衝突の可能性を強調した。これらの間の対立の核心には、冷戦以前からのイスラエルとアラブ諸国の対立がある。だが、彼はこの点を強調しない。

 ハンチントンの見方では、冷戦期を含めたイスラエル及びユダヤ文明の中東及び世界全体への影響の重要性が浮かび上がらない。ハンチントンは、アメリカを中心として西洋文明が存続・発展していくための政策を提言したが、その立論はユダヤ=キリスト教に基づく西洋文明、とりわけアメリカ=イスラエル連合を益するものとなっていると思う。

 ユダヤ=キリスト教諸文明とイスラーム文明との対立は、一神教文明群の中での対立である。このような争いの世界を、調和の世界に導くには、どうすればよいのか。私は、多神教文明群が、あい協力する必要があると思う。その牽引力となるのは、私の用語で言えば、日本文明・シナ文明・インド文明であり、中でも日本文明には中心原動力となり得る潜在力が存在すると私は考える。

 なおシナ文明については、私は現在の共産中国を言うのではない。共産中国は、西洋文明が生み出し、東方正教文明が成長させた共産主義によって、シナ文明を大きく変貌させてきた。私は、今後、中国が民主化され、共産主義が支配する以前のシナ文明の伝統、道教・儒教をはじめとする精神文化の伝統が蘇ることを期待しているのである。そのシナ文明の再生には、日本文明の伝播が触媒作用を果たすだろうと思う。

ここで西洋文明と東洋文明という対比について補足したい。西洋・東洋は西・東という地理的で相対的な概念に基づく。西洋(the West)は欧米諸国が自らを東に対して西と位置付けたものである。彼らから見た東洋(the East)は、広義ではトルコ以東のアジア諸国の総称である。狭義ではアジアの東部及び南部を言う。すなわち日本・朝鮮・シナ・インド・東南アジア辺りであり、中近東やシベリアは含まない。西洋文明は欧米諸国で発達した文明、東洋文明は主にアジア西部・東部及び南部で発達した文明を言う。

 東洋(the East)に類する言葉に、オリエント(the Orient)とアジア(Asia)がある。オリエントは「太陽の昇る地」を意味し、オシクダント(the Occident、太陽の沈む地)と対比された。古代ローマ文明においては、地中海地域の西方の側から東方について言った。特にエジプト、メソポタミアを指した。近代西洋文明においては、欧米から東方を言う。アジアも、ヨーロッパから見て、太陽の昇る東の地が原義。東は日本、北はシベリア、南はインドネシア、西はトルコ・アラビアに渡る地域をいう。

 わが国は、幕末に近代西洋文明と遭遇した。この時、佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」と対比し、西洋文明と東洋文明の特徴をとらえた。ここで「芸術」は科学技術を意味する。福沢諭吉は、咸臨丸に乗って渡米し、3度にわたり欧米諸国を見聞した。その知識・経験をもとに1860〜70年(万延元年〜明治3年)に『西洋事情』を書き、1875年(明治8年)に文明論之概略』を出した。福沢は、後者で欧米の文明を最上の「文明国」、日本、シナ、トルコなどのアジア諸国を「半開の国」、アフリカとオーストラリアを「野蛮の国」とした。

明治前半期のわが国では、近代化した西洋文明をそのまま「文明」ととらえ、近代化・欧化の推進を「文明開化」と呼んだ。「文明」と西洋文明が区別されていなかった。やがて明治後半期になって「西洋文明」と対比して「東洋文明」が認識されるようになった。この時期、岡倉天心は、1903年(明治36年)に『東洋の理想』、1904年(明治37年)『日本の目覚め』を英文で出版した。これらをきっかけに、わが国では、近代化イコール欧化ではなく、土着の固有の文化を発達させるために、西洋文明から有益な要素を摂取するという主体的な態度が明確にされていった。

だが、その後、西洋文明と東洋文明以外の諸文明に対しては、広く関心が向けられるには至らず、比較文明学的な見方が国民に一般化したのは、第2次世界大戦後のことである。ページの頭へ

 

7.大陸的文明群と海洋的な日本文明

 

日本文明は、現代世界の主要文明の一つであり、多神教文明群に所属する。ただし、その中で独自の特徴を持つ。その特徴は、一神教諸文明にも他の多神教諸文明にもみられないユニークなものである。

 4に書いたように、文明の中核には宗教がある。日本文明の固有の宗教とは、何か。神道である。神道は、世界の諸宗教の中で、人と人、人と自然の調和を最も重んじる宗教である。日本では、集約的灌漑水田稲作が行われてきた。灌漑水田稲作では、開墾や灌漑、そして水の管理など、すべて協同労働が必要である。また、四季の変化に応じて、もみを蒔き、苗を育て、稲を刈らねばならず、自然の動きに順応することが必要である。神道は、こうした集約的灌漑水田稲作の祭儀を行うことによって、人と人、人と自然の調和を重んじる宗教であり続けて、今日に至っている。

また、神道は、単なる多神教ではなく、根本に一神教的な性格を持つ。そこには、多神教と一神教を総合し得る可能性が内在している。すなわち、本質において「一」であるものが、現象において「多」であるという「一即多、多即一」の論理でとらえるべき世界観を示している。

また、神道が他の主要な宗教と異なる点は、海洋的な要素を持っていることである。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教やヒンドゥー教・仏教・儒教・道教は、どれも大陸で発生した。大陸的な宗教を中核にすることによって、一神教諸文明も多神教文明の多くも、ともに大陸的性格を持っている。21世紀の世界で対立を強めている西洋文明、イスラーム文明、シナ文明、東方正教文明には、大陸的な性格が共通している。

 これに比べ、神道は海洋的な要素を持ち、日本文明に海洋的な性格を加えている。これは、四方を世界最大の海・太平洋をはじめとする海洋に囲まれた日本の自然が人間心理に影響を与えているものと思う。この視点から見ると、世界の諸文明は大陸的文明群と海洋的文明群に分けられる。

私は、一神教文明を中心とした争いの世界に、多神教文明群が融和をもたらすために、日本文明の役割は大きいと思う。日本文明のユニークな海洋的性格が、大陸的文明同士の摩擦を和らげ、大いなる調和を促す働きをすることを私は期待する。

 日本は独自の文明である。しかも世界の主要文明のひとつである。私は、日本文明は、古代においてはシナ文明の周辺文明であったが、7世紀から自立性を発揮し、早ければ9世紀〜10世紀、遅くとも13世紀には一個の独立した主要文明になったと考える。そして、江戸時代には熟成期を迎え、独創的な文化を開花させた。それだけ豊かな固有の文化があったからこそ、19世紀末、西洋近代文明の「挑戦」を受けた際、日本は見事な「応戦」をして近代化を成し遂げ、世界で指導的な国家の一つとなったのである。

 15世紀から20世紀中半までの世界は、西洋文明が他の諸文明を侵略支配し、他の文明のほとんどーーイスラーム文明、インド文明、シナ文明、ラテン・アメリカ文明等――を西洋文明の周辺文明のようにしていた。この世界で、民族の独立、国家の形成、文明の自立を進め、文明間の構造を転換させる先頭を切ったのが、日本文明である。

 日本文明は、西洋近代文明の技術・制度・思想を取り入れながらも、土着の固有文化を失うことなく、近代化を成功させた。日本の後発的近代化は、西洋化による周辺文明化ではなく、日本文明の自立的発展をもたらした。この成功が、他の文明に復興の目標と方法を示した。

 15世紀以来、世界の主導国は、欧州のポルトガル、スペインに始まり、覇権国家はオランダ、イギリスからアメリカと交代した。この西漸の波は、西洋文明から非西洋文明へと進み、1970年代から21世紀にかけて、波頭は日本、中国、インドと進みつつあるように見える。

 わが国及び日本文明が上記のような役割を果すには、まず独立主権国家としての自主性・主体性を取り戻すことが不可欠である。憲法を改正し、自主国防を整備し、その力の裏づけを持ってはじめて国際社会で発言力・影響力を発揮することができる。

 盲目的な従米は、一蓮托生の道である。アメリカが没落すれば、日本も一緒に没落する。それを抜け出るには、憲法を改正して、自主国防を整備すること。そして、親米だが自主性・主体性のある政策を行なうこと。長期的には、アメリカとの関係を従属から対等の関係に転じていけるよう、徐々に進めていくことが必要である。

 この転換には時間がかかる。その期間は、アメリカの追従から自主へと徐々に移行していくしかない。急激な転換は無理を生じる。日米関係を対等な関係に成熟させ、着実に進んでいかなければならない。同時に媚中の姿勢をやめる。自主性・主体性を軽んじ、反米親中の政策を取れば、中国に呑み込まれかねない。アメリカと共に、中国の民主化を促し、脱ファッショ化・脱共産主義化に助力する。そして、中国にシナ文明の良き伝統が復活するように、日本文明から文化を発信していく。

 わが国は、国家間関係(international relationship)においてだけではなく、文明間関係(inter-civilizational relationship)においても、地球全体のキーポイントとなる立場にある。そこで求められるのは、日本文明の特長を良く発揮することである。現代世界人類の二大課題は、世界平和の実現と地球環境の保全である。そのためには、核戦争を防ぎ、また環境と調和した文明を創造しなければならない。これらの課題を実現するうえで、日本には重要な役割がある、と私は確信している。人と人、人と自然が調和する日本精神には、人類の文明を転換し、この地球で人類が生存・発展していくための鍵があると思う。

 私たち日本人は、この21世紀において、日本精神を取り戻し、世界的にユニークな日本文明の特長を活性化し、新しい世界秩序の構築と、新しい人類文明の創造に寄与したいものである。私は、そこに日本の活路があると思う。ページの頭へ

 

結びに

 

 人類の歴史を見る際の社会の単位は、文明が最も重要なものである。興亡盛衰の著しい国家という単位では、地球規模の歴史はとらえられない。私は、このような考えのもとに、本稿に書いたような文明学的な観点に立って、日本文明、近代西洋文明、現代人類文明等について書いている。人類の文明史の第6期に当たる「新人類革命」を成功させること、それが人類の課題である。日本文明には、そのために重要な役割がある。その点については、関連掲示にも書いているので、併せてお読みいただけると幸いである。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「人類史の文明学〜トインビー

・拙稿「ヤスパースの『新基軸時代』と日本の役割

・拙稿「ハンチントンの『文明の衝突』と日本文明の役割

・拙稿「人類史の中の日本文明

・拙稿「西欧発の文明と人類の歴史 

・拙稿「現代の眺望と人類の課

・拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆

 

参考資料

・トインビー著『歴史の研究』(社会思想社)、『世界の名著 61 トインビー』(中央公論社)

・バグビー著『文化と歴史』(創文社)

・伊東俊太郎著『比較文明』(東京大学出版会)、『日本文明の系譜と文明史的可能性』(『日本とは何なのか』所収・NHKブックス)

・山本新著『文明の構造と変動』(創文社)、『周辺文明論』(刀水書房)

・ハンチントン著『文明の衝突』(集英社)、『文明の衝突と21世紀の日本』(集英社新書)

・中西輝政著『国民の文明史』(産経新聞社)

宮崎正勝著『文明ネットワークの世界史』(原書房)

 

 

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