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  人類の展望

                       

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説明: ber117

 

人類史の文明学〜トインビー

2009.6.12

 

<目次>

はじめに

第1章 文明の理論

(1)文明を単位とした歴史観

(2)文明の誕生と成長

(3)文明の周期と興亡盛衰

(4)文明の出会い

(5)相互作用を推進するもの

(6)文明の滅亡の原因

(7)独立文明と衛星文明

(8)日本文明の位置づけ

第2章 平和への願い

(1)西洋中心を脱した歴史観

(2)世界平和への願い

(3)従来宗教の価値と限界

(4)神道への注目

結びに〜新しい文明を生み出す宗教

 

 

説明: ber117

 

はじめに

 

「冷戦後の世界において、歴史上初めて世界政治が多極化し、多文明化した」と、サミュエル・P・ハンチントンは、『文明の衝突』(1996年、集英社)に書きました。「来るべき時代には、文明の衝突こそが世界平和にとって最大の脅威であり、文明に基づいた国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」とハンチントンは、同書を結んでいます。

『文明の衝突』は、21世紀の世界を考えるための基本的な書物となり、同書によって、文明という概念は、国際情勢を分析するには欠かせないものになりました。

『文明の衝突』が世界各国でベストセラーになる前、文明の研究は、一部の歴史家や人類学者の範疇でした。近代実証史学やマルクス主義史学に比べて、文明史学や比較文明学は劣弱な存在でした。しかし、『文明の衝突』は、文化や歴史の研究においても、文明という概念を連関の中央に進ませました。今日、多くの人々が、過去の歴史を振り返る時、そして現在の世界や将来の地球を考える時に、文明という単位を一つの常識として使っています。

文明に関する研究が現代人の常識になったのは、20世紀最大の歴史家アーノルド・J・トインビーによるところが大きいです。トインビーの名著『歴史の研究』(社会思想社)は、それまでの様々な文化・社会の学説を、文明学という枠組みの中で編集することを可能にしました。また、同書の刊行以後、文明の比較研究が発達し、詳細化されてきました。そうした営みの蓄積が、ハンチントンの『文明の衝突』には、生かされています。

私は、学者でも専門家でもありません。自分の関心のあることに、自分流で取り組んでいるだけです。これまで人類や日本の文明について書いた際には、しばしばトインビーに触れてきました。本稿は、トインビーの学説の概要をまとめ、私の理解と意見を述べるものです。

 

 

第1章       文明の理論

 

(1)文明を単位とした歴史観

 

人類の歴史においては、幾多の国家・民族が盛衰興亡を繰り返してきました。トインビーは、世界の歴史をとらえるには、次々に現れては消える国家よりも、数百年あるいは千年以上の長さで生滅する文明を単位とすることを提唱しました。国家を単位とした歴史研究では歴史の真相の究明は不可能であり、人間に役立つような歴史学は生まれてこないと考えたのです。

トインビーのいう文明とは、一般に一つ以上の国家や、複数の人種・民族を含む大規模な社会であって、他とは異なる文化を持つものを意味しています。トインビーは、世界の諸文明を研究し、1934年から61年(昭和9〜36年)にかけて、『歴史の研究』全12巻を著述しました。本書によって、文明を単位として歴史を見る歴史観が成立しました。

トインビー以後、文明を単位として歴史をとらえ、文明間の比較研究をする学者が増えています。その文明学の成果に基づいて、現代世界の国際関係をとらえる国際政治学も発達しています。ハンチントンは、その代表的な存在です。

実はトインビー自身、偉大な歴史家であるとともに、イギリスの王立国際問題研究所(RIIA)の研究員であり、理事も務めました。国際事情の調査分析は、各地の文明の研究と切り離すことができません。西欧発の文明が15世紀から世界に広がり、文明と文明が出会う中で、国家間・民族間の様々な問題が生じてきたからです。

トインビーは、二度の世界戦争が起こり、核兵器が登場し人類が自滅の危機に直面した時代に、人類の生存と平和を真剣に考え、世界の指導者に警告と助言を発した賢者でした。21世紀の世界では「文明に基づいた国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」とハンチントンは主張していますが、その見解はトインビーの洞察を受け継いだものと思います。

 

(2)文明の誕生と成長

 

文明は、どのように誕生するのでしょうか。また、文明の興亡盛衰はどのように進み、また文明はなぜ滅亡するのでしょうか。これから、トインビーの諸説を概観したいと思います。

文明の誕生について、トインビーは「挑戦と応戦」(challenge and response)の理論を提示しました。「挑戦(challenge)」とは、ある社会が環境の激変や戦争などによって、その存亡にかかわる困難な試練に直面することであり、「応戦(response)」とは、この困難な課題に対して、創造的に対応しその脅威を乗り越えようとすることをいいます。文明はこの「挑戦」に対する「応戦」によって発生するとトインビーは考えました。

彼はまた、文明の興亡盛衰には、ひとつの法則性があり、文明は、誕生・成長・挫折・解体を繰り返すと説いています。解体後は、先行文明の刺激を受けて発生した新たな文明に継承されることが多いのですが、滅亡する場合もあります。文明の過程のどの段階でも「挑戦と応戦」は行われ、その繰り返しが文明を成長させます。

トインビーによれば、文明の曙の時代に発生した6つの文明(エジプト、シナ、シュメール、ミノア、インダス、マヤ)は、自然の厳しい環境のなかで、人間が自然条件に対応をすることを通して生まれました。また、文明と文明との出会いからも新しい文明が生まれることが多いことを、トインビーは明らかにしています。

自然による「挑戦」、または他の文明による「挑戦」は、「応戦」を無にしてしまうほど強烈すぎると、文明を生み出す力になり得ません。有効な「応戦」を引き出せないほど「挑戦」が弱すぎる場合も、同様です。

「挑戦と応戦」は、文明の誕生の時だけでなく、その後の文明のサイクルの各段階においても、重要な作用をします。ひとたび誕生した文明は、さまざまな困難を克服しながら、成長していきます。しかし、危機に対して、有効な「応戦」ができなかった文明は、滅亡してしまうのです。

トインビーは、文明の成長は「エラン・ヴィタール(élan vital、生命の躍動)」の一種だと語っています。エラン・ヴィタールは、哲学者アンリ・ベルクソンの概念です。ベルグソンは、著書『創造的進化』で、進化を推し進める根源的な力として、エラン・ヴィタールを想定し、生の躍動による創造的進化として生命の歴史をとらえました。『道徳と宗教の二源泉』では、エラン・ヴィタールは人類史においては「愛の躍動(エラン・ダムール élan damour)」として働き、その愛を全人類に及ぼす「開かれた魂」の呼びかけに人々が応える時、人類を超えた新たな種が誕生するだろう、と説きました。

トインビーは、ベルグソンの「エラン・ヴィタール」の思想に触発され、人類が利己心を超え、精神的に向上して、世界平和を実現することを期待しました。トインビーは歴史家ですが、このように、時に哲学者の理論を参考にしたり、心理学者の仮説を応用したりします。彼は単なる学者ではなく、人類の平和と繁栄を願う哲人でもあったのです。しかし、彼は歴史家として、自然ないし他の文明による「挑戦」に対して有効な「応戦」ができなかった文明は滅亡したという事実を、冷厳に記しています。

 

(3)文明の周期と興亡盛衰

 

人類史の中で、数多くの文明が興亡盛衰を繰り返してきました。そこには、ひとつの法則性があるとトインビーは説いています。文明は、誕生、成長、挫折、解体を繰り返すというのです。これを文明の「周期論」といいます。サイクル論ともいいます。

トインビーは、諸文明の間には、ある文明の誕生期が別の文明のこの出来事に対応し、またその成長期が別の文明のこの出来事に対応するというように、比較することが可能だとします。その意味では、あらゆる文明には、時代を超えて、「同時性」と「並行性」があるというのです。

トインビーの考えた文明の周期は、概略次のような図式となります。

 

誕 生

  ↓

成 長:「創造的少数者」の活躍

 ↓

挫 折:創造力の低下による「戦国時代」

 ↓

解 体:「世界国家」

 ↓

「空白期間」→高度宗教(内的プロレタリアート)

        蛮族集団(外的プロレタリアート)

 ↓

滅亡と新文明の誕生

 

文明は自然または他の文明による「挑戦」に対する「応戦」の中から誕生します。そして、その文明が成長していく段階では、「創造的少数者」が活躍します。この指導者は創造力に富み、直面する内外の諸問題を巧みに解決します。したがって、人民は指導者に喜んで従い、社会の内部に対立はありません。周辺の蛮族も文明の恩恵に浴そうと慕い寄ってきます。

ところが、指導者の創造力が枯渇してくると、各種の問題をうまく解決することができなくなってきます。ここに文明は挫折の段階に入ります。指導者は支配者に変質し、強大な権力・武力を用いるので、内外からの反抗が強くなります。動乱が続き、戦国時代となります。そのなかから最も強い国が社会を統一して、力が最後の法となり、力が最高の価値だとする「世界国家」が登場します、

もっともトインビーのいう「世界国家」とは、未だ地球全体を覆う国家ではなく、地域帝国に過ぎません。トインビーはこの地域帝国の成立とともに、文明は崩壊の段階に入るとします。

地域帝国である「世界国家」は、やがて解体し、権力の「空白期間」が訪れ、ついに滅亡にいたります。その際、帝国の周縁部に住む蛮族集団(外的プロレタリアート)が中心部に侵入し、政治的な混乱を引き起こしたり、新たな文明を生み出したりします。

「世界国家」は、その末期に、征服された地域の抑圧された民族(内的プロレタリアート)の間に「高度宗教」を生み出します。「高度宗教」は、「世界国家」の崩壊後も生き続けます。やがて蛮族がこの「高度宗教」に改宗し、そこに受け継がれた「高度宗教」が、次の文明の発生の中核になるとトインビーは説いています。

この理論は、ギリシャ・ローマ文明の過程をモデル化したものです。「高度宗教」が、キリスト教を想定していることも明らかです。こうしたトインビーのモデルは、文化人類学者のフィリップ・バグビーから批判を受けました。古代エジプトやシナのように、一度地域帝国ができると、地域帝国は興亡を繰り返すが、全体としての文明は解体せずに受け継がれていく事例があるというのです。

トインビーは、謙虚にこの批判を受け入れ、『歴史の研究』第12巻の『再考察』では、それまでの「誕生→成長→挫折→解体→滅亡」の図式は、一つの型のモデルとし、「ギリシャ=ローマ・モデル」と名づけました。一方、シナ等に見られる図式を「シナ・モデル」として定式化しました。政治的変遷はあるが、社会そのものは維持されていく文明の型もあるとしたのです。

 

(4)文明の出会い

 

トインビーは、世界史において、「充分に開花した文明」が過去に21あったとしました。その後、自説を修正し、最終的には23とします。トインビーは、これらの文明を5つの系統に分け、諸文明の関係を研究しました。その研究を通じて、彼は文明間の「出会い」には二つの種類があるとします。「空間の次元」における出会いと「時間の次元」における出会いです。

「空間の次元」における出会いとは、同じ時代に並存している文明同士の出会いです。文明と文明の出会いによって、ある文明が他の文明に「挑戦」を与え、他の文明がこれに「応戦」するという、文明間の受容や反発などが起こります。

トインビーは、劣勢な文明が優勢な文明の侵略を受けた時に、優勢な外来文明に対する態度には、2つの正反対の態度があることを指摘しています。その典型をヘレニズム文明とユダヤ文明の出会いに見ています。トインビーは、外来文明の優秀なことを客観的に認め、それを積極的に受容しながら自らの劣勢な文明を発展させようとする者を、ヘロデ主義者と呼びました。また、優勢な外来文明に対してあくまでも伝統文化に固執し、排外的な国粋主義を取る者を、ゼロト主義者と呼びました。ヘロデ主義とゼロト主義は、どの文明同士の「挑戦と応戦」においても現われうる二つの思潮です。

たとえば、この説によると、幕末の日本では、ヘロデ主義者が開国派であり、ゼロト主義者が攘夷派です。先進外来文明に順応する現実的な路線か、固有の文明を保守して抵抗する路線かの違いです。

トインビーは、文明の空間的な出会いで最も重要なことは、それによって「高度宗教」が誕生することにあるとします。他の文明を征服した強力な文明は、その出会いから精神的に高度な創造を行うことができない。それに対し、征服された側は、敗北の苦悩によって、自分の運命や宇宙の摂理について深く思考し、そのなかから「高度宗教」を生み出すにいたるというのです。

次に、「時間の次元」における文明の出会いについて、トインビーは、文明の「世代論」を説いています。5つの文明の系統には、それぞれ第1世代・第2世代・第3世代がある、また世代間には継承関係があるとしたのです。

トインビーは、ちょうど親子関係のように、前の文明がもとになって、次の文明が生まれる場合があることを指摘しています。彼によると、ギリシャ=ローマ文明が「親文明」となり、「子文明」として誕生したのがヨーロッパ文明です。ローマ帝国が亡んだのちに、蛮族ゲルマンが、キリスト教という「高度宗教」など先行文明の遺産を継承して、新しい文明をつくったのです。

トインビーは「時間の次元」の継承関係の別の事例として、「ルネサンス」という現象を挙げます。これも彼の言う文明の親子関係の一種です。先ほどの事例は、先行文明と後継文明が連続的であったのに対し、「ルネサンス」の場合は、「親文明」は既に亡んでおり、その「亡霊」を思い起こすような行いをいいます。

「子文明」が危急に際して、滅亡した「親文明」の「亡霊」を呼び起して助けを求め、「親文明」の理念・制度・思想・芸術・技術などをよみがえらせて危急に対処する。それをトインビーは、「ルネサンス」(再生)ととらえたのです。

ヨーロッパにおいて、ギリシャ=ローマ文明を親文明として起こったルネサンスが、その典型とされます。他にも、世界の様々な文明の系統において、ルネサンスが起こってきたとトインビーは考えました。ルネサンスは、子文明が親文明を部分的に再生するわけですが、あくまで模倣ですから、時には不毛であり有害にさえなる場合もあります。結局は、文明は自力によって生き延びる道を求めるほかに、生き延びる手立てはないトインビーは考えたのです。

 

(5)相互作用を推進するもの

 

トインビーは、文明の主要なモデルとして、「ギリシャ=ローマ・モデル」と「シナ・モデル」を挙げました。さらに彼は後年、「ユダヤ・モデル」という型を追加しました。

ユダヤ・モデルとは、ユダヤ社会のように領土を持たず、宗教的紐帯によってのみ統合がなされ、世界中にその民族が点在しているような社会集団の型です。こうした集団を「ディアスポラ(diaspora、離散民)」といいます。トインビーは、世界に離散した「ディアスポラ」には、文明学的な役割があるととらえました。彼は、通信革命・交通革命によって世界が狭くなればなるほど、領土・国境の意味合いが薄れ、ユダヤ・モデルは有用なモデルになると予想しています。世界には、ユダヤ民族以外にも、ディアスポラが複数存在します。

トインビーは「ユダヤ・モデル」によって、ユダヤ民族の活躍に期待を寄せているようです。ユダヤ民族は、国家を持つことを悲願としていましたが、第2次世界大戦後、イスラエルを建国し、多くのユダヤ人が世界各地から移住しました。国家を持ったユダヤ民族は単なる「ディアスポラ」とは言えなくなっています。ユダヤ民族は、人類の科学・思想・芸術等に多大な貢献をしてきた優秀な民族です。また彼らには生存と繁栄の権利があります。しかし、彼らが中東でアラブ民族との和解・共存に努めない限り、トインビーの思いは過剰な期待に終わるでしょう。また、ユダヤ的価値観による強欲的な利益の追求は、世界の調和的な発展の阻害となっており、価値観の転換が求められています。

トインビーの「ユダヤ・モデル」は、広い意味で、国境や国籍を超えて国際的に活動する人間を意味するものでもあります。しかし、彼らは、企業活動や情報通信では活躍できても、文明・国家・民族を基盤とする国際社会を根本的に変革する力にはなりえないと私は思います。主観的な「世界市民(cosmopolitan)」は「ディアスポラ」というより「デラシネ(deracin、根無し草)」になりかねません。

もう一つ、トインビーが文明学的に役割を認めているのが、「インテリゲンチャ」です。インテリゲンチャは近代西洋文明に接した帝政ロシアに現れた知識階級を指す言葉です。ロシアに限らず、他の文明においても、当時のロシア知識階級と同じような集団が存在するので、トインビーによる一般化は、非西洋文明の分析に有効です。

インテリゲンチャは、西洋文明を摂取する主体となります。西洋文明を理解するとともに、これを模倣し、「西洋化」を推進します。しかし、元来「西洋文明との通訳」という存在でしかなく、西欧人からは馬鹿にされ、自国民からは軽蔑される運命にあります。インテリゲンチャは、自らの文明に疎く、常に自文明をおとしめ、外来文明を崇拝します。そのうち、ある程度、外の文明を採り入れた段階になると、インテリゲンチャの中に、外来の文明を「土着化」し、自らの文明を元に独自のものに変換していく集団が現れます。単なる模倣ではなく、土着化による創造を行うわけです。そこにおいてこそ、文明の出会いは新たな文化を生み出すのです。

私は、おのおのの文明・国家・民族におけるインテリゲンチャは、文明間・国家間・民族間の相互作用の主体または推進力として、ますます重要な存在となっていると思います。「ディアスポラ」が国家を失って精神的価値でのみ結ばれた存在であるのに対し、「インテリゲンチャ」はあくまで自らの文明・国家・民族の一員として、そこに根を張った存在です。インテリゲンチャは、自文明がある部分において西洋文明の周辺文明と化しつつも、他の部分においては外来文明を「土着化」し、また伝統の持つ文化要素を復活または活性化させて、現代に生かす役割をも担います。そして、それぞれの文明・国家・民族のインテリゲンチャが、人類の生存と繁栄という目標をめざしつつ、他の文明・国家・民族の個性を尊重して共存共栄していけるよう努力することが、重要だと思います。

 

(6)文明の滅亡の原因

 

ここで文明の誕生、成長、挫折、解体、滅亡ないし再生という周期論に話を戻します。

トインビーは、文明の誕生を「挑戦と応戦」によって説明しました。ある社会が環境の激変や戦争などによって、その存亡にかかわる試練を受けたとき、創造的に対応しその脅威を乗り越えることによって、文明が生まれるというのです。では、文明は、いかにして滅亡するのでしょうか。

自然または他の文明による「挑戦」は、文明に危機をもたらしますが、これに対して有効な応戦ができなかった文明は滅亡する、とトインビーは説いています。

トインビーは、世界の諸文明の興亡盛衰をつぶさに調べ、歴史の教訓として、次のような主旨のことを書いています。

「歴史をひもといてみると、一時は繁栄を極めた文明が、やがて衰退して滅んでいく例が数多くある。一体、その原因は何かと調べていくと、どの文明においても、滅亡の基本的な原因は社会の内部からの崩壊現象であり、外部からの侵略だけで崩壊した文明は本質的に一つもない。歴史家はしばしば外敵が侵入した結果滅んでしまったかのように書いているけれども、実は外敵が侵入する以前にそれを持ちこたえられないほどにまで、国の内部が自壊作用を示しているのである」と。

 

(7)独立文明と衛星文明

 

トインビーは、世界史に現れた23の「充分開花した文明」を5つの系統と3つの世代に分け、諸文明間の継承や空間的・時間的な出会いを論じました。しかし、諸文明の関係については、分類整理が十分できていませんでした。トインビーに対し、バグビーは、諸文明を「主要文明(major civilization)」と「周辺文明(peripheral civilization)」に分けるべきだと主張しました。独立した主要な文明と、その文明の刺激を受けて発生し、これに依存し、宗教・政治制度・文字・芸術・技術等を借用する周辺文明とを区別して研究しなければならないというのです。

バグビーが主要文明に数えるのは、バビロニア、エジプト、ギリシャ=ローマ、インド、シナ、近東、西洋、中米、ペルーの9文明です。他方、それぞれの文明に派生する周辺文明として、28の文明をあげています。周辺文明の特徴は、基礎的な制度の自己展開がないこと、独創性の欠如、持続性が短いこととしています。

トインビーは、バグビーの批判を受け入れ、諸文明を「独立文明(independent civilization)」と「衛星文明(satellite civilization)」に区別しました。「衛星文明」とは、「独立文明」の刺激を受けて発生し、独立文明に依存し自立していない文明です。こうした区別をすることで、周辺文明ないし衛星文明の比較研究が行われるようになりました。その後、論者によって、主要文明・独立文明・基本文明、周辺文明・衛星文明というように異なる用語が使われています。

 

(8)日本文明の位置づけ

 

ここで日本文明について触れると、トインビーは、日本文明を独立した主要文明と、みなしてはいません。トインビーは当初、日本文明はシナ文明を「親文明」とする「子文明」として発生したと考えました。彼の説では、シナ文明は、殷から漢までが第1世代、隋・唐以後が第2世代です。日本文明は、シナ文明の第1世代から枝分かれし、引き続き第2世代から文字・制度・宗教など多くの文化要素を採り入れることで、未開から文明へと飛躍することができたというわけです。そして、日本文明をシナ文明の分派、つまり本体から枝分かれした「側枝(offshoot)」としました。

ところが、トインビーは、その後、日本文明をシナ文明の「衛星文明」と格下げしました。これは日本文明の独自性への理解が不十分だったためでしょう。

比較文明学者の伊東俊太郎氏は、日本文明はシナ文明の周辺文明から自立して、彼の用語で言う「基本文明」に成長したと説いています。ハンチントンは、冷戦後の現代世界の主要文明の中に日本文明を数え、日本は「一国一文明」という他にない特徴を持っていると指摘しています。

私は、日本文明は、始めのうちはシナ文明に依存し、宗教・政治制度・文字・芸術・技術等を借用していました。しかし、7世紀から自立性を発揮し、9世紀の遣唐使の廃止以降、独創性を強く発揮し、遅くとも13世紀には一個の独立した主要文明になりました。日本文明は、後成型の主要文明であり、現代世界の主要文明の一つであると私は考えます。私の人類文明論及び日本文明論は、拙稿「人類史に対する文明学の見方」「人類史の中の日本文明」をご参照ください。

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2章 平和への願い

 

(1)西洋中心を脱した歴史観

 

 私は、トインビーの偉大さの一つは、それまでの「世界史」が西洋人の視点で書かれたものであることを暴いたことにあると思います。キリスト教徒による十字軍の栄光は、ムスリムから見れば、侵略者の収奪であり、異教徒の暴行である。トインビーは、そのことを、西洋人で初めて公言しました。トインビーは、文明の東西、そして南北を、ともに公平に見る視点を、文明史観の根底にすえました。そして、人類史の次の段階では、西洋は東アジアに主導権を譲り渡すことになると、20世紀半ばにおいて大胆に予測したのです。

 トインビーの歴史認識は、西洋中心主義ではありません。彼は、世界の歴史は複数あり、西洋の歴史は世界の歴史の一つにすぎないと考えました。トインビーによると、16世紀から19世紀までは、西洋諸国がその科学文明を使って、世界を一つにした時代でした。西洋文明は一見、世界を征服したかに見えますが、征服したのは、たかが物質文明だけであって、精神的な原理まで支配することはできていない。今まで西洋文明に征服されていた他の文明が、西洋文明に反撃を加える時期が来ている、とトインビーは洞察しました。

 1947年(昭和22年)に、トインビーは、百年後の世界を予測して、次のように書き記しています。

「西暦2047年の将来から現代をふりかえってながめる未来の歴史家たちにとって、20世紀を特徴づけるものは西洋文明がその他の世界のあらゆる社会に加えた衝撃ということであろう」と。

さらに彼はその千年後、2千年後の世界を予想します。「紀元3047年の歴史家たちはおそらく、次の段階、つまり西洋文明が今度は西洋以外の世界からの反対影響を強く受けて、その痕跡をとどめないまでに変形されてしまう過程に注目することになろう。そして、紀元4047年までには、一侵略者としての西洋文明と、その犠牲者としての諸々の他の文明との間の区別は、全くとるにたらない区別となり、地方的な社会遺産の相互接触を通じて、真の人類文明の統一性が現われてくることだろう」と。

ただし、個々の文明に滅亡があったように、人類文明の全体にも滅亡の可能性はあります。21世紀の現代において、核戦争や地久温暖化など多くの危機に直面している人類が、果たして千年先、二千年先を迎え得るかは、楽観を許しません。しかし、もし二百年後、五百年後の地球に人類が生存しえていたとすれば、上記のトインビーの予測の方向へと進んでいるだろう、と私は思います。

 

(2)世界平和への願い

 

トインビーは、世界平和を希求しました。『歴史の研究』において、彼は、次のように書いています。

「人類を絶滅させるか、それとも、今後は単一の家族として暮らしてゆくことを学ぶか、この極端な二者択一を人類は迫られている。(略)人類を救うためには、わたしたちは宗教、文明、国籍、階級、人種、などの伝統的差異を乗り越えて、仲よく一緒に暮らしてゆく方法を考えなければならない」(『図説歴史の研究』第一巻 桑原武夫他訳)

トインビーは、1961年(昭和36年)に刊行された『歴史の意味』という寄稿集に、一文を寄せています。現代は、核兵器の出現によって、人類破滅の可能性が現実となった時代である。トインビーはこの時代に高まりつつある「不安」をもって、過去の人類の歴史のうちに、いかに「意味」を発見すべきかを、この文章で問うています。そして、「過去5千年の政治史は、無意味の光景を呈している」とトインビーは慨嘆します。闘争と破壊の連続だからです。まるで暗黒闘争の夜の時代です。

しかし、この歴史の中で、唯一つ光を与えるものがある。それは、かつて数々の「世界国家」が作られたとき、その中で具現していた「理念」だ、とトインビーは説きます。すなわち、「あらゆる人間は兄弟であり、人類は一つの家族として一緒に生きねばならない」という理念です。そして、人類は「文字通り世界全体に及ぶ国家」を樹立しなければ、「大量自殺」に追い込まれる、とトインビーは力説し、人類の平和を希求しています。

「世界国家」とは、地域帝国のことである、と私は述べました。東アジアの地域帝国では、この理念を表わす言葉に、「一視同仁」「四海同胞」という言葉が生まれました。シナからその理念を受け入れ、実際の国家にその理念を実現しようと努めてきたのが、日本文明です。明治天皇は、日露戦争の危機の募るなか、

 

よもの海 みなはらからと 思ふ世に

など波風の たちさわぐらむ

 

と詠みました。

この御製は「四海同胞」を大和言葉で表わした歌です。また、わが国の建国の理念である「八紘一宇」もまた同じ理念を表す言葉です。「八紘一宇」は、東京裁判において”universal brotherhood”(普遍的兄弟愛)と英訳されました。まさに世界一家、人類みな兄弟を意味します。私は、日本文明は、トインビーの平和への希求に応える理念を、世界に発信することのできる文明だと考えています。

 

(3)従来宗教の価値と限界

 

寄稿集『歴史の意味』に寄せた文章で、トインビーは、単に歴史の解釈者であることを越えて、人間の存在について深い哲学的洞察を行っています。人間の本質は「自分よりも高次の存在者」を探求して生きている点にあり、この探求ゆえに「時の流れのなかの人間の生」に「有意義性と価値」が与えられる、と彼は言います。すなわち、「宗教的表象」つまり「高次の精神的実在の探求」という宗教の面から、人類の歴史を見なければならないというのです。

 宗教の面から人類の歴史を見ると、人間が最初の「自然を神性として崇拝する」自然崇拝の段階から、「自分自身の人間的集合的威力の象徴としての神性の崇拝」へと転換していった事実がある、とトインビーは指摘します。私見を挟むと、この段階にいう「神性」は、フォイエルバッハの概念で言えば「類的本質」が「疎外」されたものであり、ユングの概念で言えば、民族の「集合的無意識」の内容である「元型的イメージ」が人格化されたものです。トインビーは、この転換は、より悪い状態への転換であって、ここに「自己中心性」という「人間の原罪」が始まったというのです。

この「自己中心性」は「集団的形式」において最も強力になり、現代の「民族主義、全体主義、共産主義」もその一種であって、「変わりなく続く人間の自己賛美傾向こそが、自己破壊の危険の最も深い原因である」とトインビーは述べています。利己主義とそれによる争いが、結局人類を破滅させることになる、と憂えているのです。

 ここでトインビーは、「精神史の基軸時代」という概念を持ち出します。これは、哲学者カール・ヤスパースが、著書『歴史の起源と目標』で提唱したものです。ヤスパースは、私たちは人類の歴史の起源と目標を知らない、人類史のなかに「基軸」となる時点を設定しなければ、現代人の立っている地点を見定めることもできない。そこで、ヤスパースは、「世界史の基軸時代」を設定し、「世界史の図式」の大枠を構想しました。あらゆる民族にとって「歴史的自己意識の共通の枠」となるような「世界史の基軸」は、「紀元前ほぼ500年頃、つまり前800年と前200年の間に起こった精神的過程のなかにあるように思われる」、そこに「今日まで私たちがそれとともに生きている人間というものが生じた」とヤスパースは、述べています。(註1

トインビーは、彼の説に基づいて、『歴史の意味』への寄稿にて、次のような主旨のことを書いています。紀元前6世紀に現われた「精神史の基軸時代」に、バビロニア、シナ、ギリシャ、インド、パレスチナにおいて、釈迦、第二イザヤ、孔子、ピュタゴラス、ゾロアスターなどが活躍して、高度宗教が出現した。そこでは現象界を越えた神性が立てられ、「自然と人間」の上に「究極の精神的実在」が求められた。トインビーは、ここにこそ人間の「破壊的な自己中心性」を克服し得る手がかりが与えられているというのです。そして、あくなき人間の自己中心的な思い上がりを自戒することなくして、人類の今後の歴史の意味は成立しないだろう、とトインビーは強く警鐘を鳴らしています。

 こうしたトインビーの見解は、史上かつてない大転換期にある人類にとって、真剣に耳傾けるべき警告といえると私は思います。私は、人類史を6つの転換期に分けており、ヤスパース=トインビーの「基軸時代」を、第4の転換期「精神革命」に位置づけています〔拙稿「人類史に対する文明学の見方」2〕。トインビーは、この「精神革命」の成果の中に、人類の自滅を回避し得る手がかりがあることを、人類に喚起しているのです。

 

(1)ヤスパースについては、拙稿「ヤスパースの『新基軸時代』と日本の役割」をご参照ください。

 

(4)神道への注目

 

トインビーは、「基軸時代」に現れた高度宗教では、「究極の精神的実在」が求められた、ここにこそ人間の「破壊的な自己中心性」を克服し得る手がかりが与えられていると説きました。日本の神道は、こうした高度宗教の中には数えられていません。しかし、トインビーは、日本の神道に対しても期待を寄せています。

 1974年(昭和49年)、日本の国際PHP研究所は、晩年のトインビーの論文を編集し、『日本の活路』を刊行しました。本書でトインビーは、文明史的な視野から、現代世界で今こそ必要なものについて、次のように訴えます。

 「最初は、人間は自然の奴隷でした。いまでは人間は、自分自身の技術の奴隷です。しかも、人間にとって、人間の技術というものは、かつての自然よりもはるかに恐るべき主人なのです。これこそ、人間が直面している現在の実際にほかなりません。それはまさに新たな精神的復興を緊急に必要としている苦境ということができます」と述べています。

 そして、トインビーは「西洋がどうしても学び、心に留めなければならない教訓を、東洋は持っている」として、その一つに「人間と人間以外の自然との本来の調和を取り戻す方法」を挙げます。トインビーは、日本は、「その固有の宗教と哲学の中に、現代人の自然からの疎外に対する、貴重な矯正手段を持っている」と述べ、神道に注目すべきことを説いています。

「神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説きます。神道によれば、自然は神聖であり、侵すことのできない権利を持っています。人間には、そうした自然の権利を尊重すべき宗教的義務があるのです。そして、もし人間がそうした権利を侵したら、その報いを受ける、とされています。日本国民は、自然の汚染によって、すでに報いを受け始めました。彼らは自然を怒らせ、自然に報復を余儀なくさせることによって、わざわいを招き寄せました。しかし彼らは、実は神道の中に、そうしたわざわいに対する祖先伝来の救済策を持っているのです」

 「自然と調和して生きることは、人間が生き残るための必須の条件です。これはまぎれもなく神道の教えにほかなりません」

 そして、また次のように述べています。

 「どん欲ではなく畏敬こそ、自然に対する私たちの態度を支配する感情でなくてはなりません。明日への挑戦は、神道への復帰です。西洋の見地からいえば、キリスト教や回教以前のカナン人、ギリシャ人、ローマ人の、宗教への復帰なのです」

 「技術は、全人類に対して同じ精神的挑戦状を突きつけました。私たちは、精神のルネサンスを達成することによって、この挑戦にこたえなければなりません。もし私たちが失敗すれば、人類の前途そのものが暗いものになります」

人類の精神的ルネサンスを達成するために、トインビーは、神道への復帰を提唱しました。神道の復興は、日本にとっても、また西洋諸国にとっても、さらに人類の生存のためにも必要だと訴えたのです。ページの頭へ

 

結びに〜新しい文明を生み出す宗教

 

結びに私見を述べると、トインビーは、現代において、複数の「高度宗教」が並存していることが、個人にとって選択の範囲が広がるので望ましいと考えていました。しかし、2千年以上も前に現われた宗教や哲学は、今日の世界を特徴づけている「科学革命」以前のものです。神道もまた、そのままの形態では、現代世界において充分有効とはいえません。

約400年前に西欧で起こった「科学革命」は、約250年前の「産業革命」を引き起こし、さらにここ50年程前から「情報革命」を爆発的な速度で推し進めています。物質科学文明が高度に発達した今日の世界においては、従来の宗教は時代遅れとなっており、その有効性を相当程度失っています。むしろ従来の宗教が、諸文明・諸国家・諸民族の対立・抗争の原因ともなっているのが現代世界です。過去の精神文化が持つ遺産の価値は尊重に値しますが、そのうえで、従来宗教の限界を超え、それらの理想を実現するものの出現が期待されます。

トインビーは1975年(昭和50年)に刊行された『21世紀への対話』(講談社)において、次のように述べています。

「私は新しい種類の宗教が必要だと感ずるのです。(中略)新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を人類に与えるものでなければならないでしょう」

ここで「人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪」を「ガン」に例えれば、「百ガン」を撲滅する「力」を持った新しい宗教の出現が期待されるところです。それは、科学が発達し、人々の意識が成長した段階にふさわしい、新しい精神的指導原理(註1)に基づくものでしょう。そうした指導原理に基づく新しい文明が、人と人、人と自然の調和を重んじる日本文明を土壌として創造されるだろうことを期待して、本稿を結びたいと思います。ページの頭へ

 

(1)新しい指導原理については、拙稿新しい精神的指導原理の出現」をご参照ください。

 

関連掲示

・拙稿「人類史に対する文明学の見方

・拙稿「人類史の中の日本文明

参考資料

・トインビー著『歴史の研究』(社会思想社)『試練に立つ文明』(社会思想社)『現代が受けている挑戦』(新潮社)『日本の活路』(国際PHP研究所)『21世紀への対話』(講談社)

・山本新著『人類の知的遺産 74 トインビー』(講談社)

 

 

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