トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール

 

  人類の展望

                       

題目へ戻る

 

説明: 説明: ber117

 

家族・国家・人口と人類の将来

〜エマニュエル・トッド

2010.4.19初稿/2015.8.15一部修正

 

<目次>

はじめに

第1章 家族と人口から見た人類の将来

(1)ソ連崩壊を看破し、アメリカ解体も予測

(2)近代化の指標と過程

(3)家族制度と価値観

(4)文明の「衝突」か「接近」

(5)人類は均衡と平和に向かう

第2章 人類学的な国際関係論

(1)文明と国家・資本・宗教

(2)アメリカ論

(3)イスラエル=ユダヤ論

(4)日本論

(5)中国論

(6)再びアメリカ論

  結びに〜人類の文明は大転換しつつある

 

説明: 説明: ber117

 

はじめに

 

1972年(昭和47年)、ローマ・クラブが委嘱した研究グループが「成長の限界」というレポートを発表した。レポートは、人類はエネルギー、環境、食糧、人口等の危機にあることを明らかにした。その20年後、同じグループが「限界を超えて」という新たなレポートを発表した。人類が危機に有効に対処できておらず、危機が一層悪化していることを告げた。レポートは「持続可能な成長」という概念を打ち出し、具体的な行動を提案した。
 それから17年が経過した。長期的危機の解決より、現在の利益を追い求める経済活動は、2008年(平成20年)の世界経済危機によって、壁に激突した。これを機に、アメリカのオバマ大統領はグリーン・ニューディール政策を打ち出し、わが国では「太陽の時代」に向けた新しい産業革命が始まった。
 各国政府が積極的に太陽光発電、電気自動車、砂漠の水田化、水の造成と浄化等の新しい技術を活用することで、エネルギー、環境、食糧、水等の問題は、改善に向いうる。地球温暖化や砂漠化にも、対処する方法はある。しかし、仮にエネルギー、環境、食糧、水等の危機を解決に向けることが出来たとしても、なお重大な課題が残る。その一つが人口問題である。

 30数年前から私が人類にとって最も解決しがたい現象の一つと考えてきたのが、人口の爆発的な増加である。世界の人口は、20世紀初めは16億人だったが、年々増加を続け、1950年頃から特に増加が急テンポになり、「人口爆発」という言葉が使われるようになった。1987年(昭和62年)に人類の人口は50億人を突破し、2007年(平成19年)には66億人になった。2050年の世界人口は91億人になると国連では予想している。世界人口がピークを迎えるのは、21世紀末から22世紀になるだろうともいわれる。
 増え続ける人口は、大量のエネルギーを消費し、環境を悪化させ、食糧を高騰させ、水の争奪を起こし、紛争を激化させる。人口爆発は、新しい技術の活用によるエネルギー、環境、食糧、水等の問題への取り組みを、すべて空しいものとしかねない。だから、人口増加を制止し、「持続可能な成長」のできる範囲内に、世界の人口を安定させる必要がある。
 しかし、では、どうやって安定させるのか。これは難題であるが、私に一つの希望をもたらしてくれたのが、エマニュエル・トッドの予測である。トッドは、フランスの家族人類学者・歴史人口学者であり、家族制度と人口統計の研究に基づいて、世界の人口は21世紀半ばに均衡に向かうと予測している。
 トッドは、1970年代半ばにソ連の崩壊を予測して的中させた。家族制度に注目したトッドの歴史観は「マルクス主義以降の最も巨視的な世界像革命」ともいわれる。2002年(平成14年)には、超大国アメリカの衰退を予想する著書『帝国以後 アメリカ・システムの崩壊』(以後、『帝国以後』)で、世界的に話題を呼んだ。トッドは、国際政治学者サミュエル・P・ハンチントンが名著『文明の衝突』で説いた「文明の衝突」説を批判して、「文明の接近」を予測する。その発言は、文明学や国際関係論に関心を持つ者だけでなく、日本の進路を考える多くの人々に、有効な示唆を与えている。
 本稿は、こうしたエマニュエル・トッドの主張を整理し、考察を行なうものである。

 

 

第1章       家族と人口から見た人類の将来

 

(1)ソ連崩壊を看破し、アメリカ解体も予測

●トッドはソ連の崩壊を看破

 トッドは、ユダヤ系フランス人である。家族は改宗ユダヤ人であり、トッド自身はユダヤ教育を受けていないという。ユダヤ人としての民族意識を持った非ユダヤ教的ユダヤ人と言えるだろう。
 トッドは、1976年(昭和51年)に発表した『最後の転落』で、「10年から30年のうちにソ連は崩壊する」と予測した。独創的な社会科学者・小室直樹氏が書名もズバリ、『ソビエト帝国の崩壊――瀕死のクマが世界であがく』(光文社)を出し、「ソ連の内部崩壊はもう止められない」と書いたのは、80年(55年)である。またインド人経済学者ラビ・バトラが『資本主義と共産主義の崩壊』に「2000年までに共産主義は崩壊し、2010年前後に資本主義が終焉する」と記したのは、78年(53年)だった。トッドは彼らに比べ、さらに早い段階で、ソ連の崩壊を予想していたわけである。
 トッドがソ連崩壊論を発表した当時、ソ連研究の専門家は、ソ連では独裁と恐怖政治によってソビエト的人間が作り出されており、全体主義は永遠に続くと考えていた。この説をトッドは否定した。

 トッドによると、西欧の社会では、近代化の過程で、識字率が上昇した後に、出生率が低下するという傾向が一般に見られる。識字率とは、読み書き計算のできる人間の比率である。読み書き計算ができるようになることを、識字化という。出生率とは、わが国でいう合計特殊出生率の略称である。出生率とは、女性が一生の間に産む子供の数の平均である。出生率の低下は、主に女性が出生調節(controle des naissances)をすることによって起こる。出生調節は、産児制限(birth control)のことであり、受胎と出産を含む調節である。
 トッドは、人口統計を分析し、ソ連でも識字率の上昇の後に出生率が低下していることに注目した。これは、西欧と同様に、ソ連が近代化の過程を進んでいることを意味する。識字率の上昇によって、西欧では個人の意識が高まり、民衆の政治参加が行なわれ、市民革命が起こった。ソ連においても、同様にして個人の意識を持った人間が出現する、とトッドは予測した。「正常な人間には共産主義を打倒する能力がある」とトッドは述べ、ソビエト的人間による全体主義の永続説を否定した。
 もう一つ、トッドは、ソ連の乳幼児死亡率に着眼した。乳幼児死亡率とは、1歳以前に死亡した子供の比率である。近代化する社会では通常、乳児死亡率が下がっていく。ところが、ソ連ではそれまで下がり続けていた乳幼児死亡率が、1970年(昭和45年)から再び上がり始めていた。ここにトッドは重要な徴候を見た。乳幼児は、社会の中で一番弱い存在である。その乳幼児の死亡率が上昇しているということは、ソ連の体制が最も弱い部分から崩れ始めている、とトッドは洞察した。
 こうしてトッドは、早くも1976年(昭和51年)に、「10年から30年のうちにソ連は崩壊する」と予測した。ソ連は実際、91年(平成3年)に崩壊した。このことにより、トッドは、現代の予言者と見なされることとなった。
 わが国では、トッドは広く知られているとはいえない。しかし、現代世界で最も注目すべきオピニオン・リーダーの一人だと私は評価する。

 

●トッドは、アメリカ帝国の解体をも予測

 2002年(平成12年)、トッドは世界にその名を知られることになる著書を出した。それが、『帝国以後』(藤原書店)である。当時、アメリカは、ソ連崩壊後の唯一の超大国として、比類ない軍事力を誇っていた。しかし、アメリカ帝国は2050年前後までに解体する、という大胆な予測を、トッドは公表した。同書はフランスやドイツでベストセラーとなった。翌年には、わが国でも邦訳が出て、論議を呼んだ。
 本書でトッドは言う。「最近10年間に起きたこととは、どういうことなのか? 帝国の実質を備えた二つの帝国が対決していたが、そのうち一つ、ソビエト帝国は崩れ去った。もう一つのアメリカ帝国の方もまた、解体の過程に入っている。しかしながら共産主義の唐突な転落は、アメリカ合衆国の絶対的な勢力伸張という幻想を産み出した。ソ連の、次いでロシアの崩壊の後、アメリカは地球全域にその覇権を広げることができると思い込んだが、実はその時すでに、己の勢力圏への統制も弱まりつつあったのである」と。
 ソ連崩壊後、アメリカは、帝国への道を歩み始めた。アメリカは、基軸通貨ドルの力をもって、世界を経済的に主導している。クリントン政権は、IT革命を推進し、経済的な優位を一層確固としたものとした。同政権末期からアメリカは軍拡路線を進め、ブッシュ子政権は、2001年(平成13年)のいわゆる9・11、アメリカ同時多発テロ事件以後、軍事費を増大し、圧倒的な軍事力を誇っている。
 しかし、トッドは、こうした一般の見方に異論を唱え、アメリカ帝国の脆弱性を指摘する。アメリカは、クリントン政権の途中、1997年(平成9年)から他国への経済的依存性を強め、他国への依存なくして繁栄を維持できなくなっている。また軍事的には、他の大国と戦争のできるほどの力はない。そこでアメリカは、己が世界にとって不可欠なものであることを証明するために、「弱者を攻める」という政策を取っている。アメリカは、1990年代に中東で湾岸戦争・イラク攻撃を行なった。トッドは、アメリカは、イラクなどを世界に対する脅威に仕立て上げ、弱小国にのみ武力を行使する「演劇的小規模軍事行動」によって、己の必要性を世界に納得させようとしているのだ、と指摘する。

●本来のアメリカに戻れ

 トッドは、現在の世界について、次のように言う。「自由を保護するためにアメリカ合衆国に特段の活動が必要とされるような、世界的脅威はない。今日地球上にのしかかる全世界的均衡を乱す脅威は唯一つ、保護者から略奪者へと変質した、アメリカそのものなのである」と。
 トッドによると、世界はいま「二重の逆転」に直面している。かつて、世界はアメリカの経済力に依存していた。それが今日では、逆にアメリカが世界に経済的に依存するように逆転している。「アメリカは、相対的な経済力に関しては随分と落ち込んだとしても、世界経済全体から金を取り立てる能力を大量に増加させることに成功したのだ。つまりアメリカは客観的には略奪をこととする存在になったわけである」とトッドは批判する。
 「二重の逆転」のもうひとつは、デモクラシーが世界に広まりつつ一方、米欧の民主主義先進国では寡頭制に変わってきているという逆転である。「デモクラシーは現在、それが弱体であったところで前進しつつあり、それが強力であったところでは後退しつつあるのだ」とトッドは言う。
 トッドは、歴史的に見て、帝国には、軍事的・経済的強制力とイデオロギー上の普遍主義が必要だという。ところがこれらの資質が、アメリカには欠けていると指摘する。「その一つは、全世界の現在の搾取水準を維持するには、その軍事的・経済的強制力が不十分であるということ、二つ目は、そのイデオロギー上の普遍主義は衰退しつつあり、平和と繁栄を保証すると同時に搾取するため、人々と諸国民を平等主義的に扱うことができなくなっている、という点である」と。
 そして、トッドは、次のように明言する。「この二つの基準に照らしてみると、アメリカは著しい不足振りを呈する。それを検討するなら、2050年前後にはアメリカ帝国は存在しないだろうと、確実に予言することが出来る」と。
 こうしてトッドは、アメリカ帝国の衰退を予想する。そしてアメリカに対しては、帝国であろうとすることを止め、普通の国民国家に戻るよう勧めている。「世界が必要としているのは、アメリカが消え去ることではなく、民主主義的で自由主義的にして、かつ生産力の旺盛な本来のアメリカに立ち戻ることなのである」と。
 トッドの著書『帝国以後』は2002年(平成15年)刊行の書である。トッドは、この本で、「今後数年ないし数ケ月間に、アメリカ合衆国に投資したヨーロッパとアジアの金融機関は大金を失うことになるだろうと予言することができる。株価の下落はアメリカ合衆国に投下された外国資産が蒸発してしまう第一段階に過ぎない」と書いている。2008年(平成20年)に世界経済危機が顕在化したが、トッドは危機の到来を警告していたのである。アメリカが経済的・金融的に強大さを誇っていた時期に、こうした予測を公言していたトッドは、慧眼の士である。
ページの頭へ

 

 

(2)近代化の指標と過程

 

●識字化・出生調節と近代化の進展

 ソ連の崩壊とアメリカ帝国の解体に関するトッドの予想を書いてきた。トッドの理論のうち、私が最も注目するのは、トッドが、人類の人口は21世紀半ばに安定に向かうと予測していることである。
 トッドは、家族制度と人口統計に基づいて、世界の歴史をとらえる。世界史を進展させる真の要因は、識字化と出生調節の普及であり、これらは「人類普遍の要素と考えられる」とトッドは言う。
 人類は、文字を発明し、数字を創出して、文明を発達させてきた。しかし、どの文明においても、読み書き計算の知識を持つ者は、社会のごく一部だった。支配階級や知識階層に限られていた。その状態に変化が起こったのが、西欧である。西欧では、16世紀から大衆の識字化が進行した。読み書き計算の能力は、西欧人の心を変え、西欧では近代化が開始された。
 私は、近代化とは、マックス・ウェーバーに習い、「生活全般の合理化」と理解する。そして、近代化は文化的・社会的・政治的・経済的の四つの領域で進行したと見る。この見方は、社会学者の富永健一氏に負っている。氏によれば、まず文化的近代化が進んだ。すなわち、宗教・思想・科学等における合理主義の形成等である。次に社会的近代化が進んだ。すなわち、共同体の解体とそれによる近代的な核家族の発達、機能集団である組織や市場の成立、近代都市の形成等である。次に政治的近代化が進んだ。すなわち、近代主権国家の成立、近代官僚制と近代デモクラシーの形成等である。最後に、経済的近代化が進んだ。すなわち、近代資本主義・産業主義の形成等である。
 この点については、私見を拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆〜ウェーバー・ユング・トランスパーソナルの先へ」第1章の前半に書いた。

 さて、トッドはこうした近代化の進展を、識字率という数値的な指標を用いて、把握するわけである。私の見方と織り合わせると、西欧では、識字率の上昇によって、聖書を読む信仰がキリスト教に改革運動を生み、宗教改革をもたらした。また、実験と計算の普及が科学を発達させた。計画と簿記が資本主義経済を発展させたということになる。これらは、私の用語では、文化的近代化、及び経済的近代化の進展である。
 トッドによると、識字化がもたらす結果は、それだけではない。読み書き計算の習得は、「各人をより高い意識水準に押し上げる」とトッドは言う。西欧諸国において、まず男性が識字化した。識字化は、個人の意識を発達させる。個人意識に目覚めた民衆は、権利の確保・拡大を求めて政治的な運動を起こす。イギリスやフランスで市民革命が起こり、民衆が政治に参加する制度であるデモクラシーが実現した。これは、私の用語で言うと、政治的近代化の進展である。
 さらに識字化による「心理的激変は大幅に性の領域に及ぶ」とトッドは言う。「識字化によって個人としての自覚に至った女性は出生調節を行なうようになる」のである。出生調節は、出生率を下げ、家族の制度を変え、社会全体に変化をもたらす。これは、私の用語で言うと、社会的近代化の進展である。
 以上により、文化的・社会的・政治的・経済的な近代化の進展において、識字率の上昇と出生数の低下は、近代化の基本的な指標となることがわかる。とりわけ識字化は、これら四つの領域で進行する近代化の根底になるものと言える。識字化とは、知恵の発達である。それを促すものは、教育の普及である。教育の普及が、人々に知識をもたらし、人々の意識を変え、行動を変える。それが、女性の出生調節に及ぶことの重要性を、トッドは明らかにしている。

 出生調節について私見を述べておくと、社会は、多産多死→多産少死→少産少死と移行するという一般的傾向がある。伝統的な共同体は多産多死、つまり高い出生率と高い死亡率の状態にある。そのため、人口は安定している。西欧に始まる近代化は、その過程で、所得水準の上昇、医学や公衆衛生の発達により、乳児死亡率等が低下し、死亡率が低下する。しかし、出生率は依然として高いので、多産少死、つまり高い出生率と低い死亡率の社会となり、人口は増加する。
 次に教育の普及、女性の自己意識の発達により、出生調節が行われ、多産から少産へと変化する。その結果、少産少死、つまり出生率・死亡率がともに低い社会となり、人口の増加は収まる。トッドが重視する識字化と出生調節は、多産多死→多産少死→少産少死の過程における多産から少産への変化に関るものであると理解できる。
 なお、わが国の少子高齢化・人口減少とそれへの対策については、拙稿「脱少子化と日本の再建は一体の課題」に私見を書いた。
 わが国は、識字化と出生調節によって、少産少死の段階に入っている。しかし、出生率が人口の急激な減少を起こすほどに低下しており、危機的状態にある。日本人に、生命を基礎に置いた考え方、生き方への転換を訴え、国家として、適正人口1億人、30年後までに出生率1.80を目標とするという方針を提案したのが、拙稿「少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そう」である。

●近代的社会に変わる過程での「移行期の危機」

 トッドは、著書『帝国以後』において、伝統的な社会は、「読み書きを知らず、出生率と死亡率の高い、均衡の取れた慣習通りの日常生活」を送っている社会だとする。こうした社会が識字化され、識字率がある水準に達すると、近代化が始まる。これは、平穏で幸せな伝統的社会との訣別である。また、この時、親の世代との断絶が起こる。こうした伝統的社会が近代的社会に変化していく時期を、トッドは「移行期」と呼ぶ。
 私の理解するところ、移行期とは、西欧で伝統的な共同体が解体し、市民社会が形成された時期に当たる。前近代社会から近代社会への変化の時期である。非西欧においては、西欧近代文明と遭遇し、西洋化と近代化が進行する時期でもある。
 比較文明学においては、西洋化に対する排外主義、外来文明の土着化、近代化を反省した伝統回帰等の現象が指摘されている。また近代化は各文明各民族で一律ではなく、様々な近代化の仕方が見られる。西欧においても、自生的なイギリスに対し、フランス・ドイツ等は後発的に近代化した。非西洋文明においては、日本を先頭として、すべて後発的な近代化をしている。
 トッドは、こうした文明学の知見とは異なる観点で、近代化の過程をとらえる。トッドは、近代化の過程で起こる諸現象の順序を次のように説く。
 「識字率=革命=出生率低下というシークエンス(註 継起の順序)は、全世界に普遍的とまでは言えないまでも、かなり標準的である。男性の識字化は、アンチル諸島を除いて世界中至る所で女性の識字化より早く進む。男たちの仕業である政治的不安定化はそれゆえ一般に、何よりも女性に依存する出生調節の普及に先行する」と。
 ここに言う「革命」ないし「政治的不安定化」は、移行期の危機に起こる現象の典型である。トッドは、次のように書く。
 「伝統的な生活、つまり読み書きを知らず、出生率と死亡率の高い、均衡の取れた慣習通りの日常生活からの離脱は、当初は逆説的に、希望と豊かさの実現だけでなく、ほとんどそれと同じくらいの当惑と苦悩を生み出すのである。しばしば、おそらくは大抵の場合、文化的・精神的テイクオフは移行期の危機を知り、不安定化した住民は暴力的な社会的・政治的行動様式を示すことになる。精神的近代性への上昇には、しばしばイデオロギーの暴力の爆発が伴うのである」
 「テイクオフ」は、ウォルト・ロストウが提唱した経済発展段階説において、伝統的社会が成長への準備段階を経て「離陸(テイク・オフ)」し、経済成長を始めることを言う。トッドによれば、この経済的テイクオフは、識字化による「文化的・精神的テイクオフ」に伴う変化だと理解できる。私の用語で言えば、経済的近代化には文化的近代化が先立つということである。

●移行期における当惑や苦悩が革命の要因

 トッドは、移行期における人々の心理的な当惑や苦悩を強調する。それがイギリス、フランス、ロシア等における革命の要因と見る。そして、それらの革命が、イデオロギーの狂信や激しい暴力によるものだったのは、平穏で幸せな伝統的社会との訣別や、親の世代との断絶による心の動揺や興奮の現れと見ているわけである。
 「すべての文化的テイクオフは、共通して、識字化、出生率の低下、大衆の政治的活発化、そして心性的故郷離脱の結果生じる混乱と移行期暴力、こういったものを含んでいた」とトッドは、述べている。そして次のように言う。「危機や虐殺は、大抵の場合、単なる退行的現象ではなく、近代化の過程に関連する過渡的な変調なのである」と。
 トッドは、西欧の移行期危機に起こった革命のうち、イギリスでの市民革命の狂信と暴力を強調する。
 「イギリスは、1649年に国王の首を刎ねることでその近代政治の時代を開幕したヨーロッパ最初の革命国家だった」「イギリスがヨーロッパの政治的・経済的テイクオフに決定的な役割を果たしたことは、だれも否定しないだろう。それは早期に識字化された国であった。しかしイギリスのテイクオフの目に付く最初の結果は、まさにイデオロギー的・政治的危機であった。それは表現としては宗教的であって、今日のヨーロッパ人には理解に苦しむような内戦を引き起こすに至った」と。
 識字化については、ピューリタン革命の当時、イギリスは、過半数の識字化のハードルを越えたばかりだった。ドイツの方が識字化は早いが、近代化は遅れた。イギリスにおける危機は、「表現としては宗教的」だったとトッドが言うのは、ピューリタニズムの熱狂のことである。国王の処刑や内戦による殺戮は、フランス革命のそれに先立つ。
 私は市民革命の原型はイギリス革命であることを重視する。それゆえ、この点に関してトッドの主張に同意する。わが国にはフランス革命を偏重する傾向がある。しかし、西欧近代文明の主要要素である近代科学、資本主義、自由主義、デモクラシー、個人主義等は、みなイギリスで発生したものである。イギリスの市民革命は中途半端な革命で、フランス革命こそ典型的な市民革命だとする見方では、西欧近代文明の特質を十分把握できない。その結果、西欧近代文明を相対化できず、西欧近代文明の超克のために有効な理論を生み出すこともできないできた、と私は考える。
ページの頭へ

 

(3)家族制度と価値観

 

●家族制度と社会思想には関係がある

 トッドの移行期論を理解するためには、彼の理論的支柱の一つである家族制度の研究を知る必要がある。トッドは、世界各地の家族制度を研究し、婚姻や遺産相続のあり方等によって、八つの家族型に分類した。絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、外婚制共同体家族、内婚制共同体家族、非対称共同体家族、アノミー的家族、アフリカ・システムである。そのうちヨーロッパには、絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、外婚制共同体家族の四つの類型が存在すると指摘する。そして、近代化の過程で現れた西欧の様々な社会思想は、その思想が生まれた社会の家族制度と関係していると主張する。それぞれの家族制度には特有の価値観があり、それが社会思想に反映していると指摘する。また、これらの社会思想は、伝統的な社会から近代的な社会へ移行する移行期のイデオロギーであると位置づける。

 ヨーロッパに存在する四つの家族型について見ていこう。
 まず絶対核家族では、親子は自立的であり、子供は成人すると親から独立する。
遺産相続では、親が自由に遺産の分配を決定できる遺言の慣行があり、兄弟間の平等には無関心である。この類型は、ヨーロッパに特有の家族型だった。イギリスの大ブリテン島の大部分(イングランド、ウェールズ)、オランダの主要部、デンマーク、ノルウェー南部、それにフランスのブルターニュ地方に分布するのみ。植民によって、アメリカ合衆国とカナダの大部分にも分布を広げた。社会における基本的価値は、自由である。平等には重きを置かない。その価値観をもとに、イギリスでは、近代化の過程で自由主義や個人主義が発達した。アングロ・サクソンが主流を占めるアメリカ合衆国でも、この価値観が継承されている。

なお本稿では、国家としてのイギリスと、地域としてのイングランドを区別するため、国名はイギリスと表記する。


 平等主義核家族では、絶対核家族と同じく親子は自立的だが、遺産は兄弟で均等に分配され、兄弟は平等である。この類型は、パリ盆地を中心とする北フランス、北部イタリア、南イタリアとシチリア、イベリア半島の中部および南部に分布する。ほかにポーランド、ルーマニア、ギリシャ、エチオピアに見られ、スペイン・ポルトガルの植民地だったラテン・アメリカではほぼ全域に分布する。

社会における基本的価値は、自由と平等である。兄弟間の平等から、諸国民や万人の平等を信じる傾向がある。この傾向をトッドは普遍主義という。フランスは、中心部が普遍主義なので、国全体が普遍主義の傾向を持つ。自由・平等を掲げるフランス革命がパリ盆地で起こったのは、この家族型の価値観による。

 

直系家族では、親は子に対して権威的であり、子供のうち一人のみを跡取りとし、結婚後も親の家に同居させ、遺産を相続させる。遺産は主に長男に相続されるので、兄弟は不平等である。直系家族は、ヨーロッパに広く見られる。ドイツ、オーストリア、ドイツ語圏スイス、ベルギー、チェコ、スウェーデン・ノルウェーの大部分、イギリスのスコットランド、アイルランド、イベリア半島北部、フランス南部のオック語地方、及びフランスが植民活動をしたカナダのケベック地方に分布する。ヨーロッパ以外では、日本と朝鮮、そしてユダヤが直系家族である。

社会における基本的価値は、権威と不平等である。その価値観をもとに、ドイツでは、権威主義と自民族中心主義が発達した。

トッドは、日本の家族型は直系家族だとし、日本社会とドイツ社会の共通性を指摘する。ユダヤ、朝鮮等も直系家族だとする。
 

外婚制共同体家族では、親は子に対し権威的だが、遺産は均等に分配され、兄弟は平等である。結婚後も息子がすべて親元に残って、大家族を作る。ヨーロッパには、自分の属する集団の外部から配偶者を得る外婚制の共同体家族が存在し、イタリアのトスカナ地方およびその周辺、フィンランド、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ブルガリアのみに見られる。ヨーロッパ以外では、ロシア、シナ、モンゴル、北インド、ベトナム、アラブ圏など、ユーラシア大陸の大半に分布する。他にキューバにも分布する。

社会における基本的価値は、権威と平等である。トッドは、共産主義が広がった地域が、外婚制共同体家族の地域と一致することを発見した。なお、外婚に対し、自分の属する集団の内部で配偶者を得ることを内婚という。ここで集団とは、家族ないし親族のことである。外婚・内婚は族外婚・族内婚とも言う。共同体家族には、族外婚と族内婚の二つの型がある。ヨーロッパでは族外婚だが、アラブ圏は族内婚である。

 

 トッドによれば、こうした家族型の違いは、価値観の違いを生み出す。その価値観は、親子関係により自由主義的であるか権威主義的であるか、兄弟関係により平等主義的であるか不平等主義的であるか、外婚・内婚により集団が外に開かれることを好むか嫌うかで異なる。トッドは、家族的価値観の違いが近代化において現れる社会思想に影響するとして、著書『新ヨーロッパ大全』(藤原書店)で詳細なイデオロギー分析をしている。

●家族型の分布が意味するもの

 トッドは、このように家族制度と社会思想の相関性を指摘する。とりわけトッドが、共産主義が浸透した地域と、外婚制共同体家族が優勢な地域の分布が、ほぼ一致することを発見したことは、重大な業績だと思う。共産主義は、西欧の先進国ではなく、ロシアで実現を見た。そして、旧ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ハンガリー等の東欧や中国・モンゴル・ベトナム・キューバ等に勢力を拡大した。これらの地域は、みな外婚制共同体家族が分布する地域なのである。
 外婚制共同体家族の社会における基本的価値は、権威と平等である。こうした家族型の社会では、共産党の権威を受け入れ、また平等を重んじる思想に従う土壌があったと考えられる。逆に、権威より自由に価値を置く英・米・仏等の核家族の地域や、権威の下での不平等が制度化されている日・独等の直系家族の地域では、共産主義は結局、浸透しなかった。
 次に、家族型の地理的な分布についても、トッドは興味深い説を唱えている。トッドによると、ユーラシア大陸の内陸部には、外婚制および内婚制の父系共同体家族が分布し、その外側のドイツや日本には、直系家族が分布する。さらにその外側のイギリス、フランス北部、東南アジアには、核家族が分布している。
 どうしてこうした家族型の分布が見られるのか。言語地理学者のローラン・サガールは、言語の分布は、中核部から新しい言語が伝播し、周辺部に古い言語が残るという構造となっていることを、トッドに指摘した。トッドは、家族型にも、この法則が当てはまると考える。すなわち、家族型の分布は、父系共同体家族が最も新しく、次に直系家族が新しく、核家族が最も古い残存形態であることを示していると言うのである。ユーラシア中核部で生まれた父系共同体家族は、遊牧民族の家族型である。父の権威のもとに、兄弟は平等で大家族を作る。この組織は強い軍事力を発揮し、征服を通して周囲に広まった。その侵攻の及ばなかった地域に、直系家族が残り、さらにその外側の遠い地域には核家族が残ったという。

 一般には、核家族が最も新しいものと考えられ、近代西欧において発生し、非西洋に広がったとされてきた。トッドによると、実際はそうではなく、核家族が最も古い家族型である。この伝統的な家族型が残存していたイギリスで近代化が始まったため、近代化の伝播とともに核家族が他の地域に広がった。親子関係が自立的であり、兄弟の平等に無関心な絶対核家族では、共同体の解体が起こりやすく、階級分化や個人のアトム化が容易に進んだのだろう。都市に流入した無産者は、工場労働者となり、資本主義が発達する要因となった。
 アングロ・サクソン人の自由主義・個人主義や女性の地位の高さも、近代化で初めて生まれたものではなく、もとの文化の特徴が近代化の過程で、近代的な形態に変化したものと考えられる。近代的核家族は、伝統的核家族の地域からこそ生まれたと推察されよう。
 

●移行期の危機に、家族の伝統的価値を再確認

 伝統的社会から近代的社会への移行期の危機には、国内的側面と対外的側面がある。まず国内的側面から見ていこう。
 トッドは、先に書いた家族理論に基づき、近代化の過程で現れた西欧の様々な社会思想には、家族制度に特有な価値観が反映していると指摘する。そして、これらの社会思想は、近代的な社会への移行期のイデオロギーとして表われ、国内に政治的不安定をもたらす。
 移行期の危機への反応について、トッドは、次のように言う。
 「移行期危機は初期段階では人類学的価値をヒステリー化する。近代性の伝統離脱は、家族の伝統的価値をイデオロギー的形態で再確認するという反応を引き起こす。移行期イデオロギーがある意味ではいずれも原理主義的であるのはそのためである。どれもが自覚的もしくは無自覚的に、過去への執着を再確認する」
 伝統的価値をイデオロギー的形態で再確認するという反応は、近代化の発祥の地・イギリスに始まった。私見によると、イギリスでは、伝統的共同体が解体し、市民社会が形成される過程で、家族の伝統的価値が再確認された。イギリスでは、近代化する以前から核家族が家族型だった。核家族の中でも、絶対核家族と呼ばれる型である。
 絶対核家族では、親子は自立的であり、子供は成人すると親から独立する。遺産は、親の遺言に従って分配され、兄弟の平等には無関心である。社会における基本的価値は、自由である。平等には重きを置かない。その価値観をもとに、イギリスでは、自由主義や個人主義が発達したと説明される。

 私は、トッドの理論は、どうしてイギリスの自由主義が個人を尊重しながら身分制を否定せず、格差を固定したか。どうして先進国イギリスの自由主義がフランスに入ると、自由と平等をともに求める思想に急進化したのか。どうして後進国ドイツでは、英仏流の価値観に対抗する思想が発達したのか等の問いの解明に、有効なものと思っている。
 トッドは、家族の伝統的価値の再確認という反応は、共産主義においても同様だと言う。
 「たとえば共産主義のように激烈に近代的であると自称している場合も、それは変わらない。ロシアにおいては単一政党、中央集権化された経済、さらにはKGB(国家保安委員会)が、伝統的農民家族が果たしてきた全体主義的な役割を引き継いだのである」と。
 この点でもトッドの見方は、どうしてロシアで西欧的共産主義が一党独裁的・個人崇拝的な思想に変質したのかという問いの解明に有効だと私は思う。

●危機は一時的、その後、リベラル・デモクラシーが普及

 移行期の危機は、国内的側面とともに、対外的側面もある。トッドは、対外的側面について、次のように言う。
 「伝統的社会はいずれも、識字化という同一の歴史の動きに引きずられていく。しかし移行期は諸民族・諸国民間の対立を劇的に強調する。そこでフランス人とドイツ人、アングロ・サクソンとロシア人の間の敵対関係は最大限に達する。それぞれがイデオロギー的形式の下に、己の本来の人類学的特殊性を、こういって良ければ、がなり立てるからである」
 フランス人とドイツ人、アングロ・サクソン人とロシア人の間には、家族型や基本的価値観の違いがある。移行期の危機にある社会は、それぞれ自己の伝統に基づく価値観を強調し、他者の価値観を排斥する。普遍的人権思想とナチズム、自由主義と共産主義の対立は、移行期の危機における対外的反応の相互作用と考えられる。
 こうした対立が強く現れた場合は、戦争となる。ヨーロッパにおいては、ヨーロッパ全体が近代化される過程で、何度も戦争が繰り返された。戦争は拡大し、第1次世界大戦、次いで第2次世界大戦へと大規模化した。自由主義、社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズム等が激しくぶつかり合った。それを経て初めてヨーロッパは、協調と統合への道に進んだ。

 トッドは、伝統的社会から近代的社会への移行期は、一時的な局面であり、移行期における社会現象は、「この局面が終わると、危機は鎮静化する」と説く。そして、移行期のイデオロギーが後退した後に普及するのは、デモクラシーだとする。
 トッドは言う。「どの人類学的システムも、時間的なずれはあっても並行的に、識字化に由来する個人主義の伸長という同じ動きによって手を加えられる、ということが徐々に分かって来ている。デモクラシーへの収斂の要素がついに出現するのである」と。
 トッドの言う「デモクラシー」とは、個人の意識が発達することによる自由主義的な民主主義、リベラル・デモクラシーのことである。社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズム等の移行期イデオロギーは、やがて後退し、自由主義的民主主義が普及するというのが、トッドの主張である。
ページの頭へ

 

(4)文明の「衝突」か「接近」か

 

●ハンチントンの「文明の衝突」への批判と誤解

 これまで何度か、ハンチントンの「文明の衝突」について触れた。ここで、トッドの理論と主張、ハンチントンの理論と主張の違いについて、重要な点を三つ述べておきたい。

 第一に、文明学について。
 トッドの『帝国以後』は、ハンチントンの「文明の衝突」説への批判に基づいている。ハンチントン批判の根底には、ハンチントンが拠って立つ文明学への批判がある。トッドは、文明学の理論を評価しない。トッドは、家族制度の違いによって社会を分類する。分類された社会は、国家より小さい集団となる。その一方、国際社会は文明を単位に動いてはいないという見方に立ち、国家を中心として国際関係を見る。
 私は、人類の歴史をとらえるには、国家や民族を単位とするのではなく、文明を単位としてとらえることが適切だと考える。これはトインビー以来の文明学の基本的な見方である。文明とは、一般に一つ以上の国家や、複数の人種・民族を含む大規模な社会であって、他とは異なる文化を持つものである。
 ハンチントンは「冷戦後の世界において、歴史上初めて世界政治が多極化し、多文明化した」という認識に立つ。冷戦時代の世界は、アメリカが主導する自由世界と、ソ連を中心とする共産圏、そして発展途上の第三世界に分かれていた。しかし、冷戦後の世界は、7または8の文明によって区分されるとした。西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、ヒンドゥー文明、シナ文明、日本文明、ラテン・アメリカ文明。これら7つに、今後可能性のあるものとして、アフリカ文明を加えると8つになる。そして、ハンチントンは、人類の歴史で初めて、世界政治が真に多文明化すると説き、文明学に基づく国家間関係を分析する。
 これに比べ、トッドは個々の社会を分析する一方、文明という大きな枠組みを軽視していると私は思う。そのため、トッドの所論からは、人類の世界史や現代世界の全体像が浮かび上がってこない。またその結果、人類が目指すべき世界の将来像は部分的に示唆されるのみである。

 第二に、文明の「衝突」について。
 トッドは、ハンチントンの主張は「文明の衝突」説だという理解に立つ。文明は衝突しない、接近するという反論を打ち上げる。しかし、ハンチントンは、もともと主著に「世界秩序の再生」という題名を考えていた。「文明の衝突」は編集者が考えた題名だった。その二つをつなぎ合わせて「文明の衝突と世界秩序の再生」という題がつけられた。
 「文明の衝突」という文言は強烈な衝撃を読者に与えたので、ハンチントンは「文明の衝突」を説き、アメリカが衝突に勝利する道を説いているという誤解が広がった。ハンチントン自身は、多極化・多文明化する世界で文明の衝突を防ぎ、世界秩序の再生を図ることを目的として、本書を書いた。そして、世界秩序再生のための具体的な方策を提示している。その姿勢は、世界政治の安定をめざすトッドに通じるものである。

 第三に、イスラーム文明について。
 トッドとハンチントンの最大の違いと一般に見られているのが、イスラーム文明の見方である。トッドは、ハンチントンはイスラーム教諸国が「文明の衝突」を起こすと説いていると理解し、これを強く批判する。イスラーム教諸国は近代化が進むにつれ、鎮静化し、西洋文明とイスラーム文明の衝突は起こらないと強く反論する。
 しかし、ハンチントンは、人口の増加、特に若年層の増加がイスラーム教諸国の過激化を生み出しており、人口増加が収まれば、鎮静化するだろうと予測している。歴史人口学の専門家であるトッドのように、精緻な理論と豊富なデータをもとに述べるものではないが、大意はトッドに通じるものである。

 それゆえ、トッドのハンチントン批判には、誤解に基づく点がある。トッドとハンチントンの所説の比較は、後にもしばしば行なうが、ここでは上記の三つを指摘するにとどめ、トッドの理論の検討に戻ろう。

●イスラーム教の暴力は鎮静化する

 ハンチントンに対して、トッドは、前記のような誤解に立ちながらも、強く批判的である。トッドは、イスラーム・アラブ諸国の闘争性やイスラーム・テロリストの暴力性は、イスラーム教の教えによるのではなく、イスラーム教諸国が近代化の過程における「移行期の危機」にあるからだと言う。今日、それらの諸国は、イギリス革命、フランス革命、日本の明治維新、ロシア革命の時期と同じような人口学的危機に達しつつあるとトッドは指摘する。そして、トッドは、イスラーム教原理主義を「移行期の危機」におけるイデオロギーと解釈する。そして、次のように言う。「アラーの名において行なわれるジハード(註 聖戦)は、移行期の危機を体現しているのである。暴力、宗教的熱狂は、一時的なものにすぎない」。

 トッドは、識字化と出生調節の普及という二つの要素から、イスラーム教諸国では近代化が進みつつあるととらえる。
 識字化について、トッドは、次のように言う。「多くのイスラーム教国が大規模な移行を敢行しつつあるのだ。読み書きを知らない世界の平穏な心性的慣習生活から抜け出して、全世界的な識字化によって定義されるもう一つの安定した世界の方へと歩んでいるのである」と言う。
 「全世界的な識字化」とは、識字率の上昇が全世界的に進んでいるということであり、その構図の中で、イスラーム教諸国での識字化をとらえるものである。教育の発達が、識字率を上昇させる。それによって個人としての自覚が生まれ、政治的社会的運動が起こる。
 出生調節については、次のように言う。「識字化によって個人としての自覚に至った女性は出生調節を行なうようになる。その結果、イスラーム圏でも出生率の低下が進行し、それはアラブ的大家族を実質的に掘り崩す」「今日アラブ・イスラーム圏は最後の足掻きのように西欧との差異を劇的に強調してみせる。特に女性の地位について強調するが、現実にはイランやアラブ圏の女性は出生調節によって解放されつつあるのだ」と。
 アラブ的大家族は、内婚制共同体家族という家族型である。この家族型は、共同体家族の類型だが、親の権威は形式的である。また外婚制ではいとこ婚が禁止されるが、内婚制では父方平行いとこ(兄と弟の子供同士)の結婚が優先される。女性の識字化と出生率の低下は、そうした伝統的な家族制度に変化を起こしつつある。

 トッドは、イスラーム教諸国のうち、特にイランに注目する。イランは、イスラーム教原理主義が高揚した地であり、1979年(昭和54年)のイラン革命によって反米化した。現在も、世界的な反米運動を唱導する国の一つとなっている。
 イランの識字率は、革命後の1980年に51%だったが、2000年には77%に上昇した。トッドは言う。「当初においてイランの大衆を運動に駆り立てたのは、すでに高い水準に達していた識字率なのであり、それが第2段階に入ると国全体を一般的な心性の近代化に引き込んだのである。出生率の低下は、アヤトラ・ホメイニの政権奪取の直後に起こっている」
 トッドは、イランは近代化しつつあるのだと見る。あるインタビューでは「イランはかつてのアメリカ合衆国と同様に、宗教的母胎から生まれる民主制の誕生を経験することになるだろう。イスラーム教の一派であるシーア派は、反抗と論争という価値観を持っているが、それがアメリカのデモクラシーの源泉となったプロテスタンティズムと同じ役回りを果たすことになるだろう」と語っている。

 トッドは、こうしてイスラーム教諸国は現在、「移行期の危機」にあるのであり、この局面が終わると、危機は鎮静化すると見ているのである。
 『帝国以後』は、副題が「アメリカ・システムの崩壊」となっており、アメリカ論を中心としている。イスラーム教についての記述は少ない。しかし、今日及び将来の世界を論じる上で、イスラーム文明の考察は重要である。トッドは、『帝国以後』の5年後、イスラーム教諸国に焦点を合わせた続編を出版した。次にその書『文明の接近――「イスラームVS西洋」の虚構』(藤原書店)をもとに、イスラーム教論を中心としたトッドの人類文明論を見ていこう。

●文明は「衝突」しない。「接近」する

 エマニュエル・トッドの主張のうち、私が最も関心のあるのは、世界人口は均衡に向かうという主張である。イスラーム教の信者数は11億人といわれ、世界人口の約6分の1を占める。イスラーム教徒(ムスリム)は、人口増加の著しいアジア、アフリカに多く存在する。イスラーム教諸国における人口動態は、世界人口の動向を大きく左右する。それゆえ、トッドの人口論を見るうえで、イスラーム教論は重要である。

 トッドは、世界的なベストセラー『帝国以後』の5年後、イスラーム教圏の人口動態の研究者ユセフ・クルバージュとともに、『文明の接近――「イスラームVS西洋」の虚構』を出版した。本書の題名「文明の接近(ランデブー)」は、明らかにハンチントンの著書『文明の衝突』への反論である。題名にある「接近」という言葉は、「ランデブー(rendez-vous)」の訳語である。ランデブーは、「会う約束」や「約束による会合」を意味する。単なる近づきや出会いではなく、双方に集合する意思があり、会って対話したり、共同の行為をするのが、ランデブーである。
 本書は、「イスラームVS西洋の虚構」という副題の通り、『帝国以後』における主張を、イスラーム教諸国と西洋諸国の関係を中心に展開したものである。イスラーム教論が主だが、それをもとに、世界人類の将来についても見解を明らかにしている。
 基本的な主張は、『帝国以後』と同じである。イスラーム教は「近代化をはねつける宗教」ではなく、イスラーム教原理主義は「本質的な敵対性の表現」ではない。「『文明の衝突』は起こらないだろう。それどころか、社会と歴史の底流を示す指標を検討するなら、『文明の接近』の観念が浮かび上がってくるのである」と、トッドは言う。
 トッドは、本書で「近代性とは西洋固有の事柄であるとする一種西洋主義的イデオロギーともいうべきもの」と闘う姿勢を明らかにし、「イスラーム教諸国とキリスト教系の諸国との間に存在する差異は、本質的な、本性上の違いではなく、時間的ずれに由来する差異である」ことを示そうと努めている。そして、「イスラーム教圏は現在、人口学的・文化的・心性的革命に突入しているが、その革命こそ、かつて今日の最先端地域の発展を可能にしたものに他ならない。イスラーム教圏もそれなりに、世界史の集合点に向かって歩みを続けている」と言う。
 この「世界史の集合点」に向かって歩むことが、文明の「ランデブー」、接近ということだろう。

●イスラーム教諸国も近代化で安定した社会になる

 トッドは、文化や宗教の違いよりも、人類の普遍性に重点を置く。文化や宗教に関わらず、どの社会も近代化する。キリスト教が近代化を妨げなかったように、イスラーム教も近代化を妨げるものではないことを、トッドは本書で論述する。トッドによると、イスラーム文明と西洋文明は、本質的に対立関係にあるのではなく、イスラーム教諸国において現在起こっていることは、かつてヨーロッパ諸国で起こった近代化の過程における危機と同じ現象である。すなわち、17世紀のイギリス、18世紀のフランス、20世紀のロシアなどと同じようなパターンが、今日イスラーム教諸国で繰り返されていると見るのである。
 イギリス、フランス、ロシアについては、トッドは、具体的に次のように書いている。
 「1649年、イギリスのピューリタン革命は、クロムウエルの軍事独裁の下で国王を斬首するに至る。フランス革命に先立つこと1世紀のことである。識字化と革命の進行過程を結合させることを発見した歴史家、ローレンス・ストーンが指摘しているように、当時イングランドを中心とするイギリスは、過半数の識字化のハードルを越えたばかりであった。
 1730年頃、パリ盆地では、20歳から24歳の男性の過半数は読み書きが出来た。1770年頃、フランス北部小都市で出生率が下がり始める。そして1789年に、イデオロギー的・政治的危機が開始し、それは(1891年に)第3共和国として安定化するまで継続する。
 ロシアも、識字化と避妊が組み合わさる類似的進行過程を見せている。男性の半数の識字化のハードルは、1900年頃に越えられ、ツアーリ政体(帝政ロシア)の崩壊は、1917年に生起する。女性の過半数の識字化は、1920年頃始まる出生率の低下に道を開くが、それだけでなく、スターリニズムという革命の再躍進への道も開くのである。これは10月革命とそれに続いて起こった内戦よりもはるかに多くの死者を出すことになる。集団化、強制労働と強制収容所の全般化は、ロシアにとって、新たな革命の試練に他ならなかったのである」

 トッドは、こうした諸国において見られる移行期の危機のパターンが、今日イスラーム教諸国で繰り返されていると見る。これに対し、たとえばイラン革命について、欧米人の多くは、異教徒による前近代的な宗教的熱狂であって、欧米における革命とは違うものと見る。
 しかし、トッドは、次のように言う。「1640年のイギリス革命は、プロテスタント宗教改革から生まれたものであって、神の名において君主制の打倒に至った点は、イランと同じだからである。イラン革命は一方では、その平等主義的側面からして、フランス革命およびロシア革命のいとこにあたる。イギリス革命の方は、平等の観念を撥ね付けた。救済の可能性の平等を信じないプロテスタントは、普遍的人間の観念を基本的前提とすることはなかったのである」と。
 トッドは、イスラーム教諸国は、現在その最中にある人口学的な危機を乗り越えれば、近代的社会になっていくとし、詳細にデータを上げて論証している。そして、近代化の進行によって、個人の意識やデモクラシーが発達し、やがて安定した社会になると予想する。

●イスラーム教諸国における識字率の上昇

 近代化の指標としてトッドが重視するのが、識字率と出生数である。彼は著書『文明の接近』で、識字率の上昇と出生数の低下と深い関係のあるものとして脱宗教化を強調している。
 まず識字化についてだが、本書でトッドは、各国における国勢調査を分析し、20〜24歳の男性及び女性における識字率を対照する。そして、社会の近代化において、識字率が50%を超える時点を、近代化におけるキーポイントとしている。識字率が50%を超えると、その社会は近代的社会への移行期に入り、「移行期の危機」を経験する。トッドは言う。この50%超えは、ほとんどの社会で、まず男性で起こり、次に女性で起こる。
 「識字率が50%を越えた社会とはどんな社会か、具体的に思い描いてみる必要がある。それは息子たちは読み書きができるが、父親はできない、そうした世界なのだ。全般化された教育は、やがて家族内での権威関係を不安定化することになる」とトッドは言う。
 私の理解するところ、父親の世代は、大多数が文盲で旧来の権威の影響下にある。息子の世代は、読み書き計算ができ、新しい知識を身につけている。息子の世代は、新知識をもたない父親の世代に権威を感じなくなり、二つの世代がぶつかり合う。それが、政治的な不安定を生み出し、革命や内戦が発生する。トルコでの男性識字化(50%超え)は1932年、エジプトは1960年、イランは1964年であり、この傾向がイスラーム教諸国でも見られることが分かる。

●劇的な出生数の低下が起こっている

 識字率の上昇とは、家庭や社会における教育の普及である。識字率の上昇は、男性、次いで女性に起こる。男性の識字率が50%を超えると、政治的変動が起こる。女性の識字率が50%を超えると、出生調節が普及し、出生率の低下が起こる。イスラーム教諸国では、この低下か顕著である。
 「人口学者たちは、ここ30年前から、イスラーム圏の出生率が激減しているのを目にしている。その平均は、1975年に女性一人当たり子供6.8であったのが、2005年には3.7まで落ちた。イスラーム圏各国の指標は、今ではニジェールの7.6からアゼルジャンの1.7までの間に分布している。出生率の指標は、今やイランとチュニジアでは、フランスのそれと同じなのだ」とトッドは述べている。
 最後のフランスと同じと言うのは、2.0程度を意味する。人口を維持するために必要な合計特殊出生数は、2.08であるから、それをやや下回る水準である。
 女性の識字化は、出生数の低下をもたらすだけではない。伝統的な権威の低下をももたらす。男性の識字化は父親の権威が低下させるが、女性の識字化は、「男女間の伝統的関係、夫の妻に対する権威を揺るがすことになる」とトッドは言う。つまり、識字化によって、父親の権威と夫の権威という二つの権威が失墜する。
 「この二つの権威失墜は、二つ組み合わさるか否かにかかわらず、社会の全般的な当惑を引き起こし、大抵の場合、政治的権威の過渡的崩壊を引き起こす。そしてそれは多くの人間の死をもたらすことにもなり得るのである。別の言い方をすると、識字化と出生調節の時代は、大抵の場合、革命の時代でもある、ということになる。この過程の典型的な例を、イギリス革命、フランス革命、ロシア革命、中国革命は供給している」とトッドは、『文明の接近』で述べている。この記述は、『帝国以後』における記述を補足するものとなる。
 トッドは、識字化と出生調節がイスラーム教の社会を大きく揺り動かし、男性の権威が低下する一方、女性の地位が向上しつつあることを観察している。イスラーム教の女性の多くは、依然としてベールで顔を覆い、慣習に従っているが、そのベールの下で、意識の変化が起こっていると見られる。

●伝統的家族制度の変化が、社会に変化をもたらす

 トッドによれば、「移行期の危機」の具体的な現れ方に関する最重要の要因は、各社会の伝統的な家族制度である。家族制度の組織原則たる価値観は、多様である。自由主義的であるか権威主義的であるか、平等主義的であるか不平等主義的であるか、集団が外に開かれることを好むか嫌うか。「識字化によってどのような型の価値が活性化するかによって、どのような型の移行期危機が、文化的に浮上した国を揺り動かすかが、決まるのである」とトッドは、『文明の接近』に書いている。
 トッドは、本書でイスラーム教諸国における家族制度と近代化の関係を、地域ごとに詳説している。イスラーム教の分布地域は、中東から中央アジア、南アジア、東南アジア、アフリカ等に広がる。各社会の家族型は、地域によって異なる。中心地域のアラブ諸国やイラン、トルコ等は、内婚制共同体家族である。その周縁にある中央アジアには、外婚制の諸国があり、さらに遠い最周縁のアフリカ南部には、多種の家族型が存在する。そうした家族型に応じて、近代化の進展はさまざまである。しかし、その多様性は、「移行期の危機」の激しさや速度の違いをもたらしはするが、近代化を阻むものではないとトッドはとらえる。
 イスラーム教の中心地域であるアラブ諸国では、出生率の低下は、伝統的な家族制度である内婚制共同体家族を実質的に掘り崩していく。内婚制共同体家族は、兄弟が結婚して子供が出来ても親の家にとどまって大家族を形成する。さらに婚姻が父方平行いとこ、すなわち兄弟の子供の間で行なわれる。こうした家族型は、子供の数が少なくなれば、自ずと解体していく。社会の基礎を成す家族制度の変化は、社会全体に変化をもたらす。
 トッドは、その変化の方向は、デモクラシーの普及だという。識字化は、トッドによれば、デモクラシーの条件である。識字化によって、イスラーム教諸国もデモクラシーの発達の道をたどっている、とトッドは指摘する。それとともに、トッドは、イスラーム教諸国における脱宗教化をも大胆に予想する。この点については、次の項目で述べたい。

●伝統的宗教の衰退と近代化の進行

 トッドは『文明の接近』で、「本書の最も根底的な命題は、イスラーム教は、キリスト教と同様に、俗世間の非宗教化と信仰の消滅にまで行き着くことがありうる、というもの」であると言う。
 世界の主要な既成宗教のうち、現在最も信者が増えているのは、イスラーム教である。それは、キリスト教諸国の多くで人口減少と脱宗教化が進んでいると対照的である。イスラーム教諸国の多くでは人口が増加するとともに、伝統的信仰への回帰が目立つ。それゆえ、トッドの先の命題は、大胆な予想である。
 その予想は、近代化の過程についての人口学的研究に基づく。トッドは、『文明の接近』において、識字化と出生調節という二つの指標が、脱宗教化と深く関係していることを、西欧諸国をはじめ、ロシア、日本、シナ等の近代化の過程で跡づけている。そして、次のように言う。
「いかなる宗教も、人口革命を妨害する力を持つとは思われない。その点ではイスラーム教も、キリスト教や仏教と同様である。しかし人口学的移行期の歴史を見てみるなら、大抵の場合、おそらくはすべての場合に、出生率の低下に先立って宗教的危機が起こっているのであり、宗教的危機の重要性がわかるのである」と。

 宗教的危機とは、伝統的な宗教の権威が揺らぎ、改革運動が起こったり、宗教離れが起こったりすることをいう。トッドは、「宗教的信仰の崩壊が出生率低下の前提条件である」と言う。教育水準の上昇だけでなく、宗教実践の低下が、出生率の低下を引き起こす決定作用であり、「どちらも等しく必要な二つの条件」であるとする。
 宗教的危機は、多くの社会で脱宗教化に帰結する。西欧においては、脱キリスト教化である。トッドは、西欧では脱キリスト教化に従って、出生率の低下が起こったと指摘する。
 「脱キリスト教化を印づけたものは信仰の全般的後退であったが、それにもまして特に印づけたものは、伝統的に信仰に結合しており、個々人につきまとって寝台の中にまで忍び込んでいた、自分とは別の者がすべてを律する他律の体制の崩壊であったのである」と。
 やや暗示的な表現だが、これは女性が個人の意識に目覚め、伝統的な宗教の教えにとらわれず、自分で出生を制御するようになったことを指す。

●脱宗教化と出生率低下の関係

 トッドは、言う。
 「大衆識字化を前提とする宗教の退潮と出生率の低下の時間的な合致は、一般的現象であり、カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教というキリスト教の三大分派、そして日本もしくはシナにおける仏教を巻き込んだ。
 フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、日本、シナにおいて、宗教実践の転落がまずあり、その後で出生率のきわめて低いレベル、つまり女性一人当たり子供2かそれ以下、時としては子供1.5かそれ以下のレベルへの減少が起こっている」と。
 どうしてこのようなことが起こるのだろうか。トッドは次のように言う。
 「あらゆる宗教は公然もしくは暗然の形で、出産奨励的である。何故なら宗教とは人の命に意味を与えるものだからである。識字化と並んで、宗教の動揺と、それに続いた消失が、出生率の低下の条件になったのは、そのためである」と。
 それゆえ、それぞれの宗教の教えの違いにかかわらず、「普遍的法則」が存在するのではないかとトッドは考えている。そのような考えに立って、トッドは、イスラーム教諸国について、「脱イスラーム教化のプロセスもすでに始動している可能性は大いにある。そして人口動態はその痕跡を示しているのである」「やがては脱イスラーム教化されたイスラーム圏の可能性が、ほとんど確実なものとして輪郭を現している」と述べている。
 本項の最初に、「イスラーム教は、キリスト教と同様に、俗世間の非宗教化と信仰の消滅にまで行き着くことがありうる」というトッドの命題を挙げたが、その意味するところは、以上に略述した事柄である。
ページの頭へ

 

(5)人類は均衡と平和に向かう

 

●人口の増加は収まり、均衡に向かう

 トッドは、『帝国以後』に次のように書いた。人類は「読み書きを知らない世界の平穏な心性的慣習生活」から抜け出して、「全世界的な識字化によって定義されるもう一つの安定した世界の方へと歩んでいる」。この二つの世界の間には、精神的故郷離脱の苦しみと混乱がある」が、この移行期の局面が終わると、「危機は鎮静化する」と。
 人類の人口については、全世界的に識字化が進むと、出生調節が普及する。それによって、各社会で出生率が下がり、世界人口の増加が収まる。20世紀半ばから世界的に識字率が上昇しており、それに伴って、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカで出生調節が広がり、やがて人口は均衡状態に至るというのが、トッドの予測である。
 1970年代の初め、第三世界の人口は、抑制不可能な際限ない人口増加の道に突入したように見えた。ところがその後、すべての大陸、そして間もなくほとんどすべての国で、出生率の低下が進んでいった。出生数が多いのは貧困が原因であり、貧困の解決が人口爆発を止める唯一の方法だという議論が多くされた。しかし、出生率の低下は、単に経済的な要因によるものではない。トッドは、『文明の接近』で次のように言う。「それは心性の革命が起こったという仮説なしには説明がつかない。経済的変遷だけでは、この大転換の原因を解明することはできないからである」と。
 「心性の革命」とは、「心性の近代化」である。トッドによると、その指標は、識字率の上昇と、それが女性に及ぶことによる出生率の低下である。全世界的に心性の革命=近代化が進みつつある。すなわち、全世界的に識字率の上昇と出生率の低下が進んでいる。それに伴って、人口の爆発的増加が収まっていくとトッドは見る。

●全世界的な識字化と出生調節が進む

 まず全世界的な識字化について、トッドは『文明の接近』で、「識字率の上昇は、20世紀に入ると、加速度を増す。すべての国が次から次へと、男性識字率50%のハードルを越え、次いで、それから要する時間はさまざまに異なるものの、女性識字率50%のハードルを越えていく」と書いている。
 識字率は、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国で、急速に上昇している。イランでは80年に51%だったが、2000年には77%に。中国では同期間に66%から85%に上がった。
 トッドは、『帝国以後』に「それほど多くない将来に、地球全体が識字化されることは予想される」「現在の世界は人口学的移行の最終段階にあり、2030年に識字化の全般化が想定されている」「若い世代については2030年頃には地球全体の識字化が実現されると考えることが出来る」と書いていた。『文明の接近』では、次のように述べている。 
 「地球全体を覆う識字率の前進が、人間精神の抗いがたい上昇運動の経験的にしてヘーゲル的なヴィジョンを示してくれる。すべての国が次々と全世界的識字化状態へと向かって足取りも軽く歩んでいく、というものなのだ」と。
 識字率の上昇に続くのは、出生調節である。女性が読み書きを身につけると、出生調節が始まる。1981年(昭和56年)には、世界全体の「出生率指数」(註 合計特殊出生率と同じ)は、3.7。大まかな言い方で言うと、一人の女性が一生の間に生む子供の数が、平均3.7人だった。その数値が、2001年(平成13年)には、2.8に落ちた。アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの多くの国で、出生数が顕著に減少しているからでる。
 人口の維持には、合計特殊出生率は2.08必要である。世界の出生率の平均は、その数値に近づいている。『帝国以後』でトッドは「おそらくは2050年には、世界の人口が安定化し、世界は均衡状態に入ることが予想できる」と述べている。
 

●世界は政治的に安定し、平和が訪れる

 人口の均衡化とともに、トッドが予想するのは、世界の政治的な安定化である。
 トッドは、『帝国以後』では、移行期にある社会について「危機や虐殺は、大抵の場合、単なる退行的現象ではなく、近代化の過程に関連する過渡的な変調なのである」「混乱ののちには、外部からのいかなる介入もない場合には、自動的に安定化が到来する」と言う。この傾向が今後、人類全体についても見られるというのが、トッドの予想である。「現在最終段階にある教育的・人口的移行期の苦痛の中で、世界は安定性へと向かっている」と言う。
 その安定性をもたらすものは、人口の均衡化とともに、デモクラシーの普及だとトッドは考える。「識字化と出生率の低下という二つの全世界的現象が、デモクラシーの全世界への浸透を可能にする」「識字化によって自覚的で平等なものとなった個人は、権威主義的な方式で際限なく統治されることはできなくなる」「多くの政治体制が自由主義的民主主義のほうへと向かっていく」というのが、トッドの仮説である。そして「第三世界はそのイデオロギー的・宗教的熱病の発作を体験しつつ、発展と一層のデモクラシーへと前進しつつある」とトッドは、述べている。
 政治的な安定化に向かう世界は、平和になるとトッドは予想する。この予想は、二度の大戦を経たヨーロッパが、20世紀後半から、協調と統合の道を進み、平和を実現してきた事実に基づく。「識字化され、人口安定の状態に達した世界が、ちょうどヨーロッパの近年の歴史を地球全体に拡大するかのように、基本的に平和への傾向を持つであろう」「平静な諸国が己の精神的・物質的発展に没頭するであろう」とトッドは述べている。このようにトッドは、『帝国以後』で、人類の人口は均衡に向かい、世界は政治的に安定し、平和になっていくと予想する。
 さらにトッドは、『文明の接近』でも、このことについて自説を開陳する。トッドは、近代化の主な指標を識字率と出生率とするが、しばしば脱宗教化を加える。出生率の低下は、脱宗教化を前提として起こると言う。次の引用では、脱宗教化を指標に加えながら、全世界的な近代化とそれによる世界の安定化を予想している。
 「ヨーロッパの近代化を理解するには、次のような長いサイクルを想像することができなければならない。すなわち、識字化、脱キリスト教化、次いで出生率の低下が、当初は宗教別の各地域の間の差異を際立たせるが、その後は収斂に向かうというサイクルである。世界全体の近代化とは、すなわち他の大陸に先立って先ず最初にヨーロッパを襲った心性の近代化の過程に他ならない」
 言い換えると、西欧の近代化の過程と同様に、人類規模で、識字化、脱宗教化、出生率の低下が広がり、全世界的に心性の近代化が進むという予測である。この全世界的な近代化の過程で、トッドが最も重要視しているのは、出生率の低下である。トッドは、そのことを明確にして、次のように言う。
 「出生調節こそ近代性の推進力であり、隠れている心性の進化を明らかに示すものであるという、まことに決定的な重要性を持った仮説を受け入れるなら、われわれは、この地球を、宗教によって異質なものとされた人間たちからなる、互いに相手に対して閉ざされたいくつもの文明に分裂している惑星であるという不吉な表象を免れることができる」
 「世界各地の住民は、文明と宗教を異にするけれども、収斂の軌道に乗っている。出生率指数の収斂は、われわれが将来へと、それも近い将来と想いを馳せることを許してくれるのである。その近い将来においては、文化的伝統の多様性は、もはや衝突を生み出すものと知覚されぬようになり、単に人間の歴史の豊かさを証言するものとなるであろう」
 言い換えれば、全世界的な出生率の低下によって、諸文明・諸社会が穏健化し、デモクラシーが普及し、文明間の衝突が防がれ、世界は協調と融和に向かうという予測である。

 全世界的な近代化は、諸文明の西洋化・均一化に結果するものだろうか。トッドは、西洋文明を普遍的なものとし、西洋文明の世界化をよしとする論者ではない。トッドは、全世界的な近代化は、決して近代化=西洋化となるのではなく、各社会は近代化しつつ、独自の文化を保存し、文化的な多様性は維持されると予想する。トッドは、『文明の接近』で、「近代性とは西洋固有の事柄であるとする一種西洋主義的イデオロギーともいうべきもの」と闘うという意思を表明し、日本は近代的でしかも日本的であるという事実を重視している。ただし、日本は近代化しつつ、固有の日本文化の伝統を大切にし、伝統の中から創造性を発揮したのであって、近代化を西洋化と取り違えた社会は、自己本来の文化を喪失する。
 人口が均衡し、世界が安定に向かい、諸文明が共存調和する地球に、多様な文化の花園を実現できるかどうかは、それぞれの文明の担い手の意思と努力によるだろう。

 なお、トッドの世界の将来予測は、彼にとっては、彼が属するヨーロッパの将来と関わっている。トッドはヨーロッパ統合に反対であり、移民の問題を最大の問題として論を張っている。その移民のほとんどは、イスラーム教徒である。ヨーロッパは統合に向かいながらも、内部に家族制度の違いに基づく多様な価値観の対立を抱え、また異文明のイスラーム教系移民が急速に増大していることによって、ヨーロッパ人とは何かというアイデンティティの問題に直面している。
 これは、東アジアにおけるわが国の今後のあり方と深く関係する事柄であるが、ここでは立ち入らない。トッドの所論を参考にして、地域統合と民族混合、国民的アイデンティティと文明的アイデンティティを考えるには、その前にトッドの国際論を概観する必要があるからである。
 ひとまずトッドの家族人類学・歴史人口学に基づく所論の概説は、ここで終えることにする。第2章では、これまで書いた主張と理論に基づいて、国際関係についてトッドが述べている発言を整理し、また検討を行う。
ページの頭へ

 

 

2章 人類学的な国際関係論

 

(1)文明と国家・資本・宗教

 

●文明と国家

 トッドは、これまで書いたように、家族制度の分析や人口学の統計を用いて、人類の歴史と将来を論じる。彼は、自らの理論に基づき、現代世界の国際関係について、活発に発言している。第1章ではアメリカとイスラーム教諸国に関してしばしば書いたが、第2章では併せてイスラエル及びユダヤ人社会、日本、中国等に関するトッドの発言を整理し、検討を行う。
 そのトッドの国際関係論の個別的な内容に入る前に、前置きとして、三点述べておきたい。第一に文明と国家の関係、第二に国家と資本の関係、第三に文明と宗教の関係についてである。

 まず文明と国家について述べる。
 基本的にトッドは、文明学の理論を評価しない。トッドは、家族型の違いによって社会を分類する。分類された社会は、国家より小さい集団となる。その一方、国際社会は文明を単位に動いてはいないという見方に立ち、国家を中心に国際関係を見る。
 しかし、人類の歴史と将来を考えるには、文明と国家のどちらも軽視せず、文明という単位と国家という単位の両方から、世界をとらえる必要がある。トッドの批判の的であるハンチントンは、もともとは国際政治学者であり、国家を単位とする国際関係をいささかも軽視していない。ハンチントンは、現在の世界は、一極・多極体制だととらえ、諸国家を一つの超大国(アメリカ)と、七つまたは八つの地域大国、第二の地域大国、そのほかの国々との四つの群に分ける。また各国は文明に対して、構成国、中核国、孤立国、分裂国、そして引き裂かれた国家として関係していると位置づけて、諸国家の関係を分析する。また世界的な覇権国家と地域的な覇権国家の争いについては、それらの国家と第二の地域大国や他の文明の大国との関係を加えて分析する。
 これに比べ、トッドは、国際関係を論じる際、国家間の構造的な関係については、見方が平板である。またそのために、諸国家の文化的な集団の最大のものである文明という単位で世界を見ることの有効性がつかめていない。しかし、それでもなおトッドの国際関係論には、耳を傾けるべきものがあると私は評価している。
 トッドは、現在の世界では、西洋文明とイスラーム文明の対立より、旧大陸と新大陸の対立が生じていると主張する。端的に言えば、ヨーロッパとアメリカの対立である。トッドは、自国フランスとアメリカが、同じ西洋文明としてひと括りにされるのが嫌なのだろう。
 ハンチントンは、西洋文明には現在、「二つの中核」がある。つまりアメリカとフランス・ドイツであると見る。その中核同士の対立である。私の見方では、ヨーロッパ文明がアメリカ大陸に広がった。この段階から、私は西欧発の文明を近代西洋文明と呼ぶ。西洋文明では、アメリカ文明という下位文明が内部に発達した。トッドのいう対立は、西洋文明内部でのヨーロッパ文明とアメリカ文明の対立と理解できる。このように文明という単位で見ることは、欧米人にとっても有効なのである。
 そもそもヨーロッパの統合は、単なる地域的・空間的な国家連合ではなく、もともと一つの文明として発達したヨーロッパが、近代国家に分かれて抗争を繰り返した後に、文明としての一体性を回復したものである。同時にヨーロッパ文明は、西方キリスト教の文化圏を境界線として、ロシア正教文明・イスラーム文明との違いを示し、文明単位の並存関係を明徴した。さらに西洋文明の内部でヨーロッパ文明から派生したアメリカ文明に対しても、違いを明らかにする傾向が出ているのである。トッドには、彼自身の理論を整備するために、文明学的な見方が必要である。

●国家と資本

 次に国家と資本について述べる。
 トッドは、経済学者ではないが、家族制度の分析と人口学のデータをもとに、経済活動を含む社会全体をとらえている。経済については、『帝国以後』を刊行する前に、独立した著書『経済幻想』(藤原書店)を出している。グローバリズムに対して、国民経済の重要性を説くところに主張の眼目がある。
 トッドによれば、資本主義は多様性を持っている。絶対核家族が主であるアメリカやイギリスでは、アングロ・サクソン型の個人主義的資本主義が発達し、直系家族が主であるドイツや日本では、直系家族型資本主義が発達した。資本主義をグローバリズムの名のもとで、一律に論じるべきではない。
 『帝国以後』では、資本主義の多様性に関する研究が紹介され、「アングロ・サクソン的な自由主義モデルと対比されるラインラント・モデルがドイツに存在する」「ラインラント・モデルとは、社会的団結、安定性、労働力の養成、長期的な科学技術的投資を特に尊重する、工業的な資本主義であり、それに対してアングロ・サクソン・モデルは、利潤、労働と資本の移動性、短期的なものを奨励する」と言い、日本はドイツに近いとする。
 こうしたトッドの見方は、資本主義を国家の単位でとらえるものである。その場合、私が指摘したいのは、国家と資本の関係である。国家の論理と資本の論理は異なる。国家間の関係だけでは、資本主義をとらえられない。経済には、一定の自律的な法則があるからである。しかしまた、資本主義は、経済原理論だけではとらえられない。経済外的な政府の政策や介入があるからである。それゆえ、権力と富の相関関係を総合的に考察しなければならない。そして、権力と富の関係は、具体的な人物や家族、集団を挙げて見ていかないと、抽象論に終わる。
 トッドの所論には、現代世界の主要な政治家は登場するが、政治家の背後で強い影響力を振るっているロスチャイルド家・ロックフェラー家等の巨大国際金融資本の活動は、具体的に書かれていない。ハンチントンもそうだが、マルクス、ウェーバー、レーニン、ケインズ、ハイエクらも同じ姿勢だった。トッドは、また政治家と資本家を結ぶ組織であるイギリスの王立国際問題研究所(RIIA)、アメリカの外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ・クラブ(BC)、三極委員会(TC)等の超国家的な活動についても分析しない。この点は、ハンチントンも同様である。
 政治や学術に職業を持つ欧米の知識人にとって、ロスチャイルド家・ロックフェラー家・CFR・BC等を解明と批判の対象とすることは、大きなリスクを負うことになるのだろう。しかし、巨大国際金融資本や世界に重要な影響を与える所有者・経営者の行動と組織の分析なくして、権力と富の関係は浮かび上がらず、現代世界の実像に迫ることはできない。

 

●文明と宗教

 第三に、文明と宗教について述べる。
 トッドは、家族制度の分析によって、家族的価値観とイデオロギーの関係について、重要な発見をした。トッドは、文化や宗教の違いよりも、人類の普遍性に重点を置く。文化や宗教に関わらず、どの社会も近代化することを強調する。しかし、家族的価値観が及ぶ範囲は、人間関係に限定される。それに対し、宗教は自然や宇宙や来世を含む総合的な世界観を表す。私は、それぞれの文明の中核的な文化要素に宗教があると考える。ある文明で世俗化ないし脱宗教化が進んでいる場合でも、その文明の精神文化の根底には、もとの宗教の価値観や思考様式が存続する。
 日本人及びアジア人としての私の目で見ると、ユダヤ=キリスト教系の諸文明には明らかな独自性があり、米欧には相違点より相似点が多い。またユダヤ教、キリスト教とイスラーム教には、セム系一神教としての共通性がある。
 私は、世界の諸文明を、大きく二つのグループに分ける。二つのグループとは、セム系一神教文明群、非セム系多神教文明群の二つである。
 セム系一神教文明群は、ハンチントンのいう西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、ラテン・アメリカ文明の四つが主要文明である。私はその周辺文明の一つとして、ユダヤ文明を挙げる。セム系一神教文明群の担い手は、超越神によって創造された人間の子孫であり、世界的大洪水で生存したノアの長子セムの系統と信じられている。宗教的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教である。これらの文明における超越神は、唯一男性神とされる観念的な存在であり、神との契約が宗教の核心にある。地理学的・環境学的には、砂漠に現れた宗教という特徴を持つ。砂漠的な自然が人間心理に影響したものと考えられる。

 これに対し、非セム系多神教文明群とは、ハンチントンのいう日本文明、シナ文明、ヒンドゥー文明を中心とする。いわゆる東洋文明はこれらの文明である。これらの文明では自然が神または原理であり、人間は自然からその一部として生まれた生命体である。文明の担い手は、自然が人間化したものとしての人間である。宗教的には、日本の神道、シナの道教・儒教、ヒンドゥー教、仏教の一部、アニミズム、シャーマニズムである。地理学的・環境学的には、森林に現れた宗教という特徴を持つ。森林的な自然が人間心理に影響したものと考えられる。

 私は、西洋文明の基礎はキリスト教というより、ユダヤ=キリスト教と見る。またユダヤ=キリスト教のユーラシア西方での表れが西洋文明、東方での表れが東方正教文明ととらえる。そして、イスラエル建国後のユダヤ教社会をユダヤ文明とし、ユダヤ=キリスト教系諸文明の周辺文明の一つと位置づける。トッドの所説では、こうした文明学的な構図が浮かび上がってこない。

 私の見方では、西洋文明、ユダヤ文明、イスラーム文明は、同じセム系一神教文明群の諸文明である。西洋文明、ユダヤ文明、イスラーム文明の対立は、同じ文明群の中での対立なのである。セムの子孫同士の戦いであり、異母兄弟の骨肉の争いである。
 そして、現代世界は、イスラエル=パレスチナ紛争を焦点として、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教のセム系一神教の内部争いによって、修羅場のような状態になっている。
 イスラエルの建国後、アラブ諸国はイスラエルと数次にわたって戦争を行い、またアメリカと湾岸戦争、アフガン戦争及びイラク戦争で戦っている。また旧ソ連とはアフガン戦争で戦い、今日は旧ソ連圏のムスリムが中央アジア各地で、ロシアと戦っている。こうした出来事を、私は第2次大戦後という現代において、イスラエルやロシアを含めたユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明の対立・抗争ととらえた方がよいと思う。
 ユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明との関係という視点で見ると、中東には、第1次大戦後、西洋文明の覇権国家イギリスによって文明間の対立がもたらされた。続いて、第2次大戦後、西洋文明の覇権国家アメリカと東方正教文明の対抗国家ソ連によって、その対立は冷戦構造の中に組み込まれた。その結果、争いが憎悪を生み、報復が報復を招いて、抜き差しならない状態となって、今日に至っている。ここには、宗教及び宗教に基づく思想の対立が存在する。その点をとらえるには、文明と宗教の関係に注目する必要がある。
 トッドも、そして現代世界の大局観を提示する点で彼と並ぶ巨人ハンチントンも、ユダヤ=キリスト教、ユダヤ=キリスト教系諸文明、及びセム系一神教文明群が、世界人類にもたらしている災厄とその原因を十分、対象化して把握・批判できていない。そこに西洋人としての彼らの立場と視野の限界を、私は感じている。

 以上、文明と国家、国家と資本、文明と宗教について述べた。それを前置きとして、トッドの国際関係論の個別的内容に入りたい。
ページの頭へ

 

(2)アメリカ論

 

●イラク戦争がアメリカへの反発を強めた

 トッドの著書『帝国以後』は、2001年(平成13年)9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件の約1年後に刊行された。本書は、トッドのアメリカ論であり現代世界論であるが、その中でトッドは9・11以後のアメリカの行動を批判している。
 一方、ハンチントンは、9・11同時多発テロが起こる5年前に刊行した著書『文明の衝突』で、アメリカ国民に警告していた。アメリカが現代世界を唯一の超大国が支配する一極体制であると誤認し、自国の思想や文化を普遍的なものと考えて、他の文明に押し付けないようにすべきだと言うのである。トッドは『帝国以後』でハンチントンの理論や主張を批判しているが、この二人のアメリカに対する見方には、共通する点が多くある。
 ハンチントンは、トッドより早い時期から、冷静にアメリカの衰退を観察している。現在の世界は超大国アメリカと複数の地域大国による一極・多極体制であるが、やがて世界は真の多極体制に至るとハンチントンは予想した。こうした長期的な予想のもとに、アメリカが西欧という自分の文化的な根を自覚し、西欧と連携して、西洋文明として団結することを提案した。
 ブッシュ子政権は、ハンチントンの警告・提言を無視するように、9・11の翌月、アフガニスタンに侵攻した。ハンチントンは、事件の約1年後、「2001年9月11日以降、『文明の衝突』で示した理論で、国際社会が直面する問題をより明確に説明できるようになったと私は確信している」「世界貿易センタービルとペンタゴンへの攻撃は、ある意味で『文明の衝突』で述べたことの証明になった」と著書『引き裂かれる世界』(ダイヤモンド社)に書いている。ただし、この事件は、西洋文明とイスラーム文明の文明単位の衝突ではなく、アメリカとイスラーム教諸国の一部、イスラーム教過激派の争いとハンチントンは認識していた。そして、イスラーム教世界全体を敵対化させてはならないと警告した。
 ところが、ブッシュ政権は、9・11の2年後、2003年(15年)3月にイラク戦争を開始した。アメリカは多数の国々に参戦を求め、戦争を拡大した。その行動は、イスラーム文明諸国の激しい反発を買った。これはハンチントンの主張とは、反対の行動だった。イラク戦争は、正規軍同士の戦闘はその年のうちに終了したが、今もイラク国内では戦闘が続いている。
 ハンチントンの警告・提言がブッシュ子政権に受け入れられなかったのは、政権の中枢をネオコンが占めていたからである。冷戦の終結後、アメリカは世界で唯一の超大国となった。このとき、アメリカの世界的な覇権を確立するために、その圧倒的な軍事力を積極的に使用すべきだという戦略理論が登場した。それが、ネオ・コンサーバティズム(新保守主義)、通称ネオコンである。ネオコンの多くはユダヤ系であり、親イスラエルの軍事強硬論者である。
 ハンチントンは、ネオコンの戦略と行動を批判した。ハンチントンは「文明の衝突」を避けるように提案したのだが、ブッシュ子政権は「文明の衝突」を自ら作り出したのである。

●ネオコンがドイツを離脱させた

 トッドは、『帝国以後』の出版後、各国のメディアに自著について書いたり、識者との対談に応じたりした。日本にも来て、講演や対談を行なった。それらをまとめたものが、『「帝国以後」と日本の選択』(2006年、藤原書店)である。本書(以後、『日本の選択』)において、トッドは、9・11以後のアメリカとヨーロッパの関係について、意見を述べている。
 トッドは、次のように言う。「ハンチントンの文明の衝突論は西洋文明とイスラーム教の間の衝突が問題でしたが、アメリカとヨーロッパの間に衝突が起こったのは皮肉です」と。イラク戦争は、米欧の間に反目を引き起こした。もっともそれはハンチントンの言う「衝突(clash)」にまではいかない。またアメリカの行動によって米欧が対立することのないように、ハンチントンは警告していた。しかし、ハンチントンの警告を無視して独仏連合の離脱を招いたのは、ネオコンである。
 トッドは、ネオコンについて『日本の選択』で次のように言う。「アメリカは単に金融の上で世界に依存しているだけでなく、もはや世界の周辺になってしまった。つまり金融的に世界に依存し、そして世界の片隅、周辺に位置している。もはや世界の中心ではない。それをいかにイデオロギーとして、アメリカこそが世界の中心だという言説をでっち上げるのかが、ネオコンの役割だったのです」と。
 ハンチントンは、1998年(平成10年)に日本で行った講演「21世紀における日本の選択」で、アメリカが共通の文化を持つヨーロッパとの健全な協力関係が、超大国アメリカの「孤立を防ぐための最も重要な手段」であると説き、特にドイツとの関係が「対ヨーロッパの鍵」となることを指摘していた。しかし、ブッシュ子政権によるイラク戦争は、フランスの反発を買い、さらにドイツの離反を招いた。これを見た非西洋文明の諸国が、反米的な姿勢を強め、アメリカは苦境に立った。
 ハンチントンが対ヨーロッパの鍵としたドイツについて、トッドは次のように言う。
 「第2次大戦の敗者であり、アメリカによって負かされ、そしてアメリカによって改造された二つの国、そして経済大国になったのはドイツと日本です」「大戦で負けた二大大国ドイツと日本は、アメリカ・システムの二本の柱でした。ドイツも日本も主要な輸出工業国です。この二国を支配している限り、合衆国は本当の意味で世界の主人でした。したがってドイツの支えを失ったことは極めてつらいことでした」と。
 トッドは、根っからの感情的反米主義者ではない。戦後のアメリカについては、自由主義的民主主義を守り、広めた国として高く評価している。しかし、経済的に他国に依存する略奪者となったアメリカ、弱小国に侵攻して存在を誇示するアメリカ、イスラーム教諸国を力で変革しようとするアメリカを厳しく批判するのである。
ページの頭へ


関連掲示
・9・11については、拙稿「9・11〜欺かれた世界、日本の活路」をご参照ください。トッドやハンチントンは、同時多発テロ事件に関する米国政府の公式発表内容を疑っていないが、私は、ブッシュ政権が事件に関与した可能性が高いと見ている。

 

(3)イスラエル=ユダヤ論

 

●イスラエル及びユダヤを論じる

 前項でネオコンについて書いたが、ネオコンの多くはユダヤ系であり、親イスラエルである。私の見るところ、アメリカ政府が9・11に関与し、アフガン戦争及びイラク戦争を企画・工作した背景には、イスラエルの存在がある。トッドは、フランス国籍の非ユダヤ教的ユダヤ人である。そうした立場から、トッドはネオコンに対して批判的であると同時に、イスラエルに対しても批判的である。
 トッドは、『日本の選択』で次のような主旨のことを述べている。
 「イスラエルと合衆国には驚くべき類似性があって、凋落の運命にある」「それが両国に一体感を与えているのではないか」――「凋落の運命にある」。重い一言だが、イスラエルの将来について長期的な予想を述べたものだろう。
 トッドは、イスラエルとアメリカは「普遍カテゴリーで物事を考えず、不平等を共通項にしている」と言う。異民族や異教徒への差別や自民族中心主義を言うものだろう。イスラエルとアメリカはまた、聖書をともに遵守する。これは、ユダヤ=キリスト教の聖典の共有である。そのうえで、アメリカとイスラエルは「明らかに戦略的な利害も共有している」とトッドは言う。「たとえば、アメリカがイラクを攻撃すれば、合衆国の常駐空母の機能を果たしているイスラエルにとっては、シリア、ヨルダン、エジプト、サウディアラビアを軍事的に相殺する便宜が与えられます。直接戦争には介入していませんが、イスラエルの軍隊はこの戦争において抑制ファクターになっています」と。
 「その一方で、アメリカのユダヤ人(ロビー)がこの同盟に大きな役割を演じているという理論には私は与しません」とトッドは語る。「というのも、驚くべきことに、イスラエルの最も強力な盟友は、伝統的に反ユダヤ主義者の構成メンバーを頼りにしてきた合衆国の右翼だからです」というのがその理由である。「だが、それ以上のことになると、両同盟者が互いに信頼できるかといえば、そんなことはないと私は思います。互いにまったく特定の利益にしか関心のない二国だといえるかもしれません」「両国の目的が衝突したらたちまちお互いを裏切るようになると私は確信しています」と。
 トッドの発言の後半は、イスラエルとアメリカの戦略的利害、アメリカのユダヤ人の役割、二国間関係に関するものである。次にこれら三点について、論評したい。

●トッドのイスラエル=ユダヤ論は踏み込みが浅い

 第一に、トッドはイスラエルとアメリカは、戦略的な利害を共有していると言う。これは明白だが、私は、その重要性を強調したい。
 トッドは、アメリカは、大国は戦わずに、弱小国を攻める「演劇的小規模軍事行動」で世界に存在を誇示しているという。トッドは、その行動の現われがイラクへの攻撃だと言うのだが、イスラーム文明諸国が真に脅威であるのは、アメリカに対してではなく、イスラエルに対してである。アメリカのブッシュ子政権は、9・11以後、アフガニスタンに侵攻し、イラク戦争を展開した。しかし、イラクは、アメリカにとって真の脅威ではない。アメリカは、軍事的にはイスラエルの安全保障のために、イラクに侵攻したのである。
 イスラーム文明は、世界の脅威となるほどの軍事力を持っていない。イスラーム文明には、中核国となる国家がない。イランにしても、宗教は非主流派のシーア派で、民族も非アラブのペルシャ民族であり、イスラーム文明諸国を結集して、アメリカに挑戦するだけの潜在力を持たない。それにもかかわらず、アメリカはイランへの侵攻まで計画していた。それは、アメリカの国益より、イスラエルの国益が優先されているからである。

 第二に、トッドは、アメリカのユダヤ人はアメリカ=イスラエル同盟に大きな役割を果たしていないと言う。私は、この見方は皮相だと思う。長年にわたりアメリカ政府を親イスラエルにしてきたのは、イスラエル・ロビーによる。トッドは、イスラエルの最も強力な盟友は合衆国の右翼だと言う。これはリクードと連携する米共和党タカ派に当てはまる。しかし、イスラエル・ロビーは、アメリカのキリスト教をユダヤ教化し、キリスト教右派をシオニスト化した。それによって、イスラエルの右翼政党、アメリカ・ユダヤ人の強硬派、キリスト教右派が結合した。
 トッドは、現代のアメリカ及び世界に重大な影響をもたらしているイスラエル・ロビーの重要性をよく認識していない。ユダヤ系ネオコンは、長年にわたるユダヤ人のロビー活動の成果を踏まえて、戦闘的なイデオロギーをアメリカの外交・軍事に具体化したのである。

 第三に、トッドは、アメリカとイスラエルの二国間関係は、両国とも互いに自国の利益にしか関心がなく、目的が衝突したら、互いに裏切るような関係だという。アメリカの思惑は天然資源を確保することと軍事行動による存在の誇示であり、イスラエルの論理はまったく局地的に「偉大なイスラエル」を根付かせることでしかないとトッドは見る。
 しかし、私は、これも表面的な見方だと思う。アメリカとイスラエルに住むユダヤ人の多くは、ユダヤ民族の生存とイスラエルの存続に、極めて強い関心を持っている。さらにアメリカのキリスト教右派が、その関心を共有している。だから、国家としてのアメリカとイスラエルは、普通の国々の二国間関係より、はるかに深い結びつきを持つに至ったのである。これは、ユダヤ=キリスト教という宗教思想に基づくものである。
 私は、西洋文明には、下位文明としてアメリカ文明が、周辺文明としてユダヤ文明があると見ている。そして、アメリカ文明とユダヤ文明がユダヤ民族によって結合し、一個のアメリカ=ユダヤ文明というべきものに変貌しつつあるという見方も可能だと考える。

 以上、三点について、トッドのイスラエル=ユダヤ論を論評した。私は、トッドがユダヤ人でありながらイスラエルやネオコンを批判していることを高く評価するが、踏み込みは浅く、イスラエル=ユダヤ論の核心的な問題に迫っていないと思う。
 トッドは、各社会の家族制度とイデオロギーを論じる一方、国際社会は国家を単位として見る。現代社会の支配構造や、ロスチャイルド家・ロックフェラー家等の巨大国際金融資本の活動へと分析を進めない。また、アメリカの外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ・クラブ(BC)、三極委員会(TC)等の超国家的な提携も分析しない。しかし、イスラエル=ユダヤ論は、上記の金融資本や国際組織の分析なくして、核心に迫り得ないというのが私の見解である。
 また、9・11については、トッドも、またハンチントンもそうなのだが、アメリカ政府の公式発表を疑わず、イスラーム・テロリストが単独で起こしたという見方をしている。私は、様々な観点から分析し、ブッシュ子政権は9・11に何らかの形で関与したと見ている。アメリカは、9・11を「21世紀の真珠湾」とすべく計略を立て、アフガン・イラクに侵攻して、「文明の衝突」を仕掛けて、その衝突に勝利しようとした。その利己的行動が、イスラーム教諸国の反米化や過激なテロリズムを引き起こしたものと思う。そして、そこにイスラエル・ロビーの活動を私は見る。こうした点には、トッドもハンチントンも、踏み込みが浅いのである。
 中東での戦争を推進したのは、ネオコンである。ネオコンの戦略は、戦争によって軍事費を増大し、宇宙軍を中心とする戦略の転換、軍の世界的な配置転換(トランスフォーメーション)を断行するものだった。トッドが言うような「演劇的小規模軍事行動」で他国にアメリカの必要性を納得させるという程度の目的の行動ではない。ネオコンの背後には、軍需産業や石油産業が存在する。それらの産業に資金を供給し、利益を吸収する巨大国際金融資本が存在する。

●シオニズム抜きでは論じられない

 イスラエル=ユダヤ論については、もう一つ重要な点がある。それは、シオニズムの克服とユダヤ文明の脱宗教化の可能性である。その点について、次に書く。
 トッドは、『日本の選択』の刊行の翌年、『帝国以後』続編となる『文明の接近』を出した。本書でトッドがイスラエルについて述べているのは、一箇所のみである。イスラエルの人口増加政策とパレスチナ住民の人口増加政策に触れている。紛争の続くなか、多くの戦死者・犠牲者が出ている。双方の指導層は、生存のために、子供を多く生み育てるよう人民に奨励している。ここでトッドは、イスラエルに対して批判的ではあるが、シオニズム自体を論じてはいない。
 シオニズムは、西欧のナショナリズムの影響を受けたユダヤ人による宗教的なナショナリズムである。ユダヤ教に基づく聖地回帰・国家建設の運動である。シオニズムに基づくイスラエルの建国が、パレスチナ問題を生み出した。シオニズムという問題を抜きに、文明の「衝突」も、また「接近」も論じられない。シオニズム抜きでは、アメリカやイスラーム文明を論じることができない、というのが私の見解である。
 まずアメリカについて、私見を述べると、トッドのアメリカ批判は鋭いが、デモクラシーへの脅威、世界の撹乱要因となっているのは、アメリカそのものというよりブッシュ子政権だったのであり、イスラエル・ロビー、ネオコン、その背後にいるロスチャイルド家やロックフェラー家等だった。そして、彼らを結びつけている思想が、シオニズムなのである。
 またイスラーム文明について、トッドは、イスラーム教原理主義は、移行期危機の表現であり、やがて沈静化すると予想する。しかし、イスラーム教原理主義は、単なる国内の改革運動ではない。イスラーム教諸国は、アメリカとイスラエルに反発している。原因には、パレスチナ問題がある。イスラーム教原理主義は、ムスリムによるシオニズムへの対抗であり、シオニズムと結合したアメリカニズムへの拒否である。それゆえ、私は、シオニズム抜きで、アメリカやイスラーム文明を論じることはできず、文明の「衝突」も「接近」も論じられないと考える。

●シオニズムが沈静化するには

 ハンチントンは、西洋文明とイスラーム文明の「衝突」を予測した。トッドはそれを「妄想」だと批判し、文明は「接近」すると反論する。私に言わせると、二人とも事態の核心を避けた発言をしている。20世紀半ば以後、西洋文明とイスラーム文明の関係の核心には、ユダヤ文明とイスラーム文明の「衝突」があるからである。
 そもそも中東の近現代史は、文明の衝突の歴史である。第1次世界大戦は、イスラーム文明の中核国家だったオスマン・トルコ帝国と、西洋文明諸国の戦いが拡大したものだった。瀕死のトルコを見て、イギリスとフランスは中東を分割した。イギリスは、三枚舌外交で、アラブ諸国に告げずに、イスラエルの建国をユダヤ人に約束した。イスラエルの出現は、中東にユダヤ文明とイスラーム文明の衝突を加えた。以後、半世紀以上にわたって、ユダヤ文明とイスラーム文明は対立と抗争を続けている。
 米ソ冷戦期には、ユダヤ文明とイスラーム文明の対立に、二大超大国が関与した。中東は、米ソがイデオロギーと実力を競う闘技場となった。冷戦下に四度の中東戦争が勃発している。冷戦終結後、最初の地域戦争となった湾岸戦争では、アメリカがイラクに勝利し、ペルシャ湾に軍隊を常駐させた。ソ連の崩壊後、唯一の超大国となったアメリカは、イスラエルとの同盟関係を強化した。私の見方では、イスラエルが自国の生存のために、アメリカを中東に深く引き込み、シオニズムをキリスト教徒の間に浸透することに成功したのである。とりわけ9・11とアメリカによるアフガン戦争及びイラク戦争は、アメリカ=イスラエル連合とイスラーム・アラブ諸国の対立を先鋭化した。
 この関係を修復するには、トッドの言うように、イスラーム教の暴力の鎮静化やアメリカの脱帝国化が必要である。だが、それらだけでなく、シオニズムの沈静化が必要である。
 シオニズムが沈静化するためには、アメリカのユダヤ人がシオニズムの危険性を認識し、脱シオニズム化することが必要である。イスラエルという国家の存続は、その権利が保障されねばならない。しかし、同時にパレスチナの住民にも政治的権利が保障されねばならない。アメリカがイスラエルと一体化したような関係を改め、中東の和平、共存に積極的に取り組むことが望ましい。

●ユダヤ人の脱宗教化は可能か

 トッドは、イスラーム教については「俗世間の非宗教化と信仰の消滅」に至り得ることを予想する。一方、ユダヤ教については、言及がないようである。トッドの理論を敷衍すれば、シオニズムが鎮静化するには、ユダヤ人の脱ユダヤ教化が必要である。ユダヤ人の脱ユダヤ教化は、予測できるか。こういう問いを立てねばならない。
 トッドは、識字率の向上が脱宗教化を引き起こすという。しかし、ユダヤ民族は、私の見るところ、識字率に関して、世界人類の中の例外である。ユダヤ教では、聖書を読む能力が不可欠である。だから、ユダヤ民族は、近代以前から、識字率が極めて高い。西欧の近代化の過程で、ユダヤ民族は、経済的・文化的に重要な役割を果たしたが、もともと読み書き計算のできるユダヤ人は、西欧の近代化を先導し、促進できる条件を備えていた。
 近代西欧のユダヤ人の中には、脱ユダヤ教化し、キリスト教に改宗した者や合理主義的な思想を唱導した者もいる。しかし、大多数のユダヤ人は、祖先伝来の信仰を保った。その信仰の中から、祖先の地に自分たちの国家を建設したいというシオニズムの運動が起こった。彼らが聖地に戻り、国家を建設したのが、宗教国家イスラエルである。イスラエルの国民は、最初から識字率が高く、文化的近代化が進んでいた。それゆえ、イスラエルのユダヤ人には、識字率と脱宗教化は関連付けられないと私は考える。
 政治的には、イスラエルは、中東で唯一の民主主義国と言われる。デモクラシーとユダヤ教の信仰が両立している。ゆるやかな宗教的民主制である。同時に強力な軍事国家でもあり、自主的に核武装を行なっている。
 女性の識字化による出生率の低下という一般的傾向も、イスラエルには、当てはまらない。周辺国との抗争の中で国力を維持するため、人口増加政策が行われており、西欧諸国との比較はできない。
 イスラエルでは、ユダヤ教の中に、正統派、保守派、改革派、再建派等のグループがある。政党には、リクード、わが家イスラエル、労働党など異なった政治思想を持つ政党がある。スファラディとアシュケナジーという異なる文化集団がある。一枚岩ではなく、多様性を持つ。国民には、アラブ人もムスリムもいる。
 こうしたイスラエル・ユダヤ人が、トッドがイスラーム教について言うような脱ユダヤ教化し得るかどうかは、少なくとも近い将来に予想できることではないだろう。

●ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の共存調和がポイント

 それでは、アメリカ合衆国のユダヤ人はどうか。アメリカ国民であるユダヤ人は、主にユダヤ教徒である。それ以外にキリスト教徒や脱宗教化したユダヤ人がいる。しかし、そうした宗教的信条の違いはあれども、イスラエルへの支持は、大多数のアメリカ・ユダヤ人に共通している。国境を越えて、民族的なつながりは固い。ユダヤ文明は、アメリカとイスラエルという二つの地域を中心に広がっている。
 課題は、そのイスラエル支持が、偏狭で排外的・闘争的な姿勢ではなく、他宗教・異民族と共存調和する姿勢に替わり得るかどうかだろう。アメリカ=イスラエル連合は、ユダヤ教徒とキリスト教徒の連合である。キリスト教的シオニストについては、脱シオニズム化が期待される。脱ユダヤ=キリスト教化ではなく、むしろキリスト教の隣人愛の教えが復活することがポイントとなるだろう。
 私は、平和のために必要なのは、諸文明の脱宗教化ではなく、諸宗教の共存調和だと思う。宗教同士が互いを理解し、協調を図ることである。「文明の接近」は、脱宗教化による「接近」ではなく、相互理解・相互協調による「接近」という道も可能だろう。
 そして、ユダヤ文明とイスラーム文明の「接近」が起こるとき、初めて西洋文明とイスラーム文明の「接近」が起こると私は予想する。中東和平の実現、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の共存調和がポイントとなるのである。
 これらの宗教は、私がセム系一神教と呼んでいるように、由来をともにする宗教群である。それぞれの宗教が、その教えの根源、生命の本源、人間存在の根拠でもある超越的存在への信仰を掘り下げ、対話と相互理解を重ねることが期待される。その努力がされなければ、人類は、セム系一神教の宗教同士の戦いに、拝金教徒と唯物論者が加わって、地上から宇宙空間へと争いを拡大し、自滅への道を突き進むだろう。ページの頭へ

 

(4)日本論

 

●トッドは日本人に期待する

 ここでエマニュエル・トッドの日本論に入る。トッドは、国際政治学や国債経済学の専門家ではないが、これまで書いてきたような家族人類学・歴史人口学の知見に基づいて、日本に関しても、傾聴すべき意見を述べている。
 トッドは、日本が独自性を保ちながら近代化したことを評価し、日本人に期待を寄せている。著書『文明の接近』に、トッドは「日本の読者へ」という前書きを寄せ、そこに次のように書いている。
 「日本の近代性に異議を唱えようとするものは誰もいないでしょう。日本の近代性は単なる西洋化に過ぎないという者はいないでしょう。誰にとっても、日本は近代的でしかも日本的であるというのは明らかです。日本は日本のままであっても、なおかつ日本の民主主義的制度機構が存在すること、日本の科学技術能力の優れていることに、異議を唱える者は誰もいないでしょう」
 トッドがこのように言うことには、重要な意味がある。トッドは、『文明の接近』において、「近代性とは西洋固有の事柄であるとする一種西洋主義的イデオロギーともいうべきもの」とし、「イスラーム教諸国とキリスト教系の諸国との間に存在する差異は、本質的な、本性上の違いではなく、時間的ずれに由来する差異である」ことを示そうと努めているからである。
 そして、トッドは、日本人に、欧米人における論争に参加するよう求めている。西洋とイスラーム教は本質的に違うのかどうか、という論争への参加である。トッドは言う。
 「日本人は論争に介入して、西洋人――つまり欧米人――に対して、近代性は彼ら西洋人だけのものではないということを思い起こさせるのに、とりわけ絶好の立場にあると思うのです。西洋以外にも、発展し近代化する能力を有する大文化がいくつもあり、それは西洋の色あせたコピーで有るに違いないなどと考えざるを得ないいわれは少しもないのです」と。

●日本及び日本の近代化に関するトッドの見方

 次にトッドの日本及び日本の近代化に関する意見を見ておきたい。
 トッドは、日本の家族制度について、日本の家族型は直系家族であるとしている。直系家族では、親は子に対して権威的であり、子供のうち一人が遺産を受け継ぎ、結婚後も、親元に残る。遺産は主に長男に相続されるので、兄弟は不平等である。社会における基本的価値は、権威と不平等である。トッドは、直系家族はドイツ、スェーデン等に見られるとし、日本社会とドイツ等の社会との共通性を指摘する。トッドは、直系家族をヨーロッパの家族で最も代表的なものと見ており、日本社会はヨーロッパ社会に近似し、同質的であることを強調する。
 トッドは、日本の近代化について、『文明の接近』において、「日本の男性が識字化のハードルを越えたのは、1850年頃に位置づけられる。女性の場合は、1900年頃である。出生率は1920年頃に下がる」と述べる。その出生率の低下を背景にして起こったのが、「真珠湾攻撃に立ち至る日本のファシズムと軍国主義」だとトッドは言う。また出生率低下の前提として、仏教の衰退があったとする。明治初期の廃仏毀釈をきっかけに脱仏教化が進んだと見る。
 次にこうしたトッドの日本論に対し、私の反論と補説を後に述べるが、総じてトッドは、日本及び日本の近代化の独自性について、あまり深い理解を持っていないと私は思う。そこには、方法論的な限界があると思う。識字率、出生率等の数値は、量的な指標に過ぎない。しかし、文化の理解には、質的な内容を理解することが必要である。そのうえで日本の近代化や日本の進路を論じてこそ、有効な分析や予想が可能になるだろう。

●トッドの日本論への反論・補説

 次に、トッドの日本論に対し、具体的な反論と補説を述べておきたい。

 第一に、私は、家族型だけでは、日本と西欧の共通性は語れないと考える。近代西洋文明と遭遇する以前に、日本文明は独自に近代化を始めていた。これを可能にした経済社会的条件は、封建制の発達である。封建制は、日本と西欧でのみ発達した。そのことが、西欧に続いて日本が近代化し得た要因の一つである。封建制は、家族型が絶対核家族のイギリス主要部や、平等主義核家族のフランス等でも発達した。家族型だけでは日本と西欧の共通性は語れないと思う理由である。
 第二に、男性の識字化については、イギリス、フランス等では、政治的な不安定を生じ、革命が起こった。トッドは明確に述べていないが、わが国でこれに当たるのは明治維新である。明治維新は、武士が自ら封建制を廃止し、近代化の道を切り開いた。ただしこの改革は、王室を廃絶するのでなく、天皇を中心とした国家を建設するものだった。また西洋文明がアジアに進出し、植民地化が進められている中で、日本人が白人種に征服・支配されないように興した改革であって、西欧の市民革命とは前提条件が異なる。トッドは、この点をよく把握しておらず、明治維新がアジア、アフリカ諸国の独立運動に与えた影響の世界史的な重要性も、深く理解していない。
 第三に、トッドが近代日本では脱仏教化が進み、それが出生率低下の前提条件となったとしている点について。明治から昭和戦前期までの日本では、仏教が退潮に入る一方、神道が興隆した。トッドは、神道を民族主義的代替信仰と見る。しかし、神道はわが国の固有の宗教であり、西洋文明との遭遇によって、日本人の自己認識が深まり、伝統的な精神文化が復興したのである。また神道は、古代より仏教を受容し、神仏共存を実現した。明治初期に起こった反仏教運動は一時的であり、宗教の共存が続いている。大東亜戦争に敗れた後、わが国は、戦勝国によって、政治と神道との結合を断ち切られ、外力によって伝統的な精神文化が弱体化された。わが国で脱宗教化と見られる現象には、こうした文化的歴史的経緯がある。
 第四に、出生率の低下を背景として「ファシズムと軍国主義」が現れたとトッドがとらえている点について。トッドは、戦前のわが国の国家体制をドイツの国家社会主義に類したものと見ている。しかし、昭和戦前期の日本は、戦時統制体制を取っていたのであって、ファッショ的な政権奪取や一党独裁は起こっていない。明治時代に議会制デモクラシーを実現した日本は、昭和戦前期においても、立憲議会政治が行なわれていた。またトッドは、日本はドイツと同じ直系家族であるので、権威と不平等の家族的価値により、自民族中心主義や異民族への差別が起こったと見る。しかし、日本は、ナチスのユダヤ人虐待のような蛮行はしていない。日本が行った台湾・朝鮮・パラオ等での統治政策は、欧米の植民地政策とは異なり、異民族を同じ人間として扱うものだった。その「一視同仁」「八紘一宇」の理念は、高度に普遍主義的である。この点は、家族型の理論では、説明できない。
 第五に、わが国における出生率の低下について。トッドがいうようにわが国では、1920年頃から出生率の低下がはじまった。低下が顕著になったのは、敗戦後のベビーブームが収まった昭和20年代半ば以後だが、特に1973年(昭和48年)以降である。出生率の低下には、戦勝国が占領期間に強行した日本弱体化政策の影響がある。すなわち、民族の団結力を奪うための、天皇の権威の毀損、伝統的な道徳や歴史観の否定、家制度の廃止、父親の権威の引き下げ等が関わっている。こうしたわが国の歴史の特殊性が、トッドの論説には、盛り込まれていない。

 以上私見を述べたが、総じてトッドは、日本及び日本の近代化の独自性について、あまり深い理解を持っていない。それは、日本の文化の独自性が把握されていないからだろう。文化の理解には、個別の社会の特徴を認識するだけでなく、世界全体の中で、各文化をグループごとにとらえる文明学の見方が必要である。その視点に立つとき、西洋の文化と日本の文化の違いが明確になる。日本文明は、一個の文明と位置づける見方が必要である。そのうえで、日本文明と西洋文明の出会いと相互作用をとらえることは、外国人が日本及び日本の近代化の独自性を理解する助けとなるだろう。

 

●アメリカから自立して欧露と連携を、と助言

 次に、トッドが今日の日本に対して述べる助言について記したい。
 トッドは、著書『帝国以後』において、アメリカ帝国の弱さを指摘し、アメリカ帝国は2050年前後までに解体すると予想している。『帝国以後』の邦訳出版後、日本人向けに刊行された「『帝国以後』と日本の選択」(2006年、藤原書店)という本がある。本書において、トッドは、アメリカの覇権の下から脱し、自立することを日本人に促している。それはあくまでヨーロッパ人の立場から、他者としての日本に自立を勧めるものである。私自身は、わが国が独立主権国家として憲法を改正し、国防を充実して、主体的な外交を行なうことを持論としている。それゆえ、トッドの助言は、当然のことを外国人の立場で言ってくれたものと思っている。
 最初に現代日本に対するトッドの理解を記しておく。トッドは『日本の選択』に収められた対談で次のように述べている。「第2次大戦の犯罪は日本の犯罪がよく語られていますけれども、その何倍ものものがドイツにはあった。ところが日本の場合はパール・ハーバー、これははるかに自分の力を凌駕する大国に向かってカミカゼをやったわけです。これの評価も、いろいろな角度から考えなければならないと私は思っています」と。この見方は、単なる日本悪玉論ではない。
 また戦後日本については、同じく『日本の選択』で概ね次のように語っている。「第2次大戦の敗者であり、アメリカによって負かされ、そしてアメリカによって改造された二つの国、そして経済大国になったのはドイツと日本です」「大戦で負けた二大大国ドイツと日本は、アメリカ・システムの二本の柱でした。ドイツも日本も主要な輸出工業国です。この二国を支配している限り、合衆国は本当の意味で世界の主人でした」と。トッドは、日本がアメリカに対し、従属的な立場にあることを認識している。ただし、トッドは、わが国がアメリカによってどのように改造されたのか、アメリカの占領政策、特に東京裁判と憲法の押し付けについては、理解が深くないようである。
 トッドは、『帝国以後』で、日本に対し、アメリカから自立し、ヨーロッパと連携することを提案する。日欧連携論である。トッドは、ヨーロッパとロシアによるユーラシア連合を唱えており、その連合は進みつつある。それゆえ、トッドの提案は、欧露の連携に日本が参入することを求めるものとなる。

 トッドの助言は、私の理解するところ、三つの認識に基づいている。
 第一に、ヨーロッパはイラク戦争によってアメリカから離脱しつつあり、また既に経済的技術的にアメリカを乗り越えているという認識である。
 『日本の選択』に収められた2004年(平成16年)来日時の講演で、トッドは次のように言う。「ユーラシア大国の東と西とでは、アメリカ・システムの解体を受け入れるスピードが違う」「ヨーロッパのほうが早く受け入れている。ドイツが統一し、フランスと組み、そしてロシアとも組んで、独仏露の枢軸ができつつあります。ですからアメリカなしでやっていけます」と。
 第二に、日欧は同質的という認識である。
 トッドによれば、日本は、ドイツ・スェーデン等と同じく家族型が直系家族であり、近代化がされ、脱宗教化している。トッドは、先ほどの講演でトッドは、日本とヨーロッパの協調を強調する。「日本はもともと農村社会で、非常に急速に産業化し、安定した社会をつくっている」。だから日本は「ヨーロッパ的、ヨーロッパに近い社会」であり、「ヨーロッパと同質的で、協調してやっていけるベースを持った社会だということを申し上げたいのです」と述べている。
 第三に、多極化する世界で日本の役割は重要という認識である。
 トッドは、『日本の選択』に収められた榊原英資氏、小倉和夫氏との討論で、次のように発言している。「世界の安定と成長のために、日本がいま一番重要なキーファクターになりつつある」。アメリカの「一極システムになることによって、世界は不安定要因が増えた」「多極的な、あるいはマルチラテラルな協調関係をつくっていく必要がある。そのためには、日本の役割が重要だ」と。
 トッドは、以上の三つの認識に基づいて、欧露の連携に日本も加わるよう求める。独仏露の枢軸に参加して、共にアメリカに対抗し、多極化を進め、多極体制の世界政治を主導しようという呼びかけである。
 『帝国以後』でトッドは、将来の国際政治の中心は、アメリカではなく国際連合になると想定していた。そして、日本が安全保障理事会の常任理事国になることを支持し、ドイツとフランスは常任理事国の地位を共有することを提案している。

●東アジアにおける日本の進路

 トッドは、日本に対し、アメリカから自立し、欧露と連携すべしと説く。これは東アジアの情勢をよく理解していない見方だが、トッドは東アジアにおける日本の立場に一定の理解を示してはいる。
 『日本の選択』におけるトッドの主張を要約すれば、次のようになる。
 日本の状況は、ヨーロッパのフランスやドイツよりももっと複雑だ。その理由は、第一にアジアにはアジア共同体も統一通貨もない。第二に日本はアジアで孤立している。第三に日本は安保理の常任理事国でもない。従って、日本の切り札は少ないから、アメリカ・システム解体を受け止めることがなかなかできない。
 東アジアの戦略環境はヨーロッパよりもはるかに複雑だ。日本には独仏露枢軸に相当するものがない。日本はドイツに比べて、自立した安定要因になるための条件が整っていない。さらにヨーロッパではフランスとイギリスが核を持ち、いわゆる核の安全保障があるのに対し、日本は核を保有せず、アメリカの核の傘の下にある。
 このようにトッドは見ている。その上で、次のように言う。
 「短期的に見た場合に地政学的な地位から日本がいまのような政策、対米協調を最優先させるような政策をとっているのを、私は理解できます」「しかし中期的な展望に立った場合は違います」「冷戦後、特に1990年代以降大きく世界のジオポリティック(註 地政学的)な情勢が変わって、アメリカはいま世界の安定要因ではなくて、むしろ不安定要因になりつつあります。したがって、事態は変わったのです。中期的に見た場合、アメリカが日本の安定の保護者であるという保証はないと私は見ています」と。
 アメリカは、衰退の過程に入っている。トッドは、2050年前後までにアメリカ帝国は解体する予想する。そして、トッドは、日本がアメリカから自立し、欧露と連携すべしと説く。一部の日本人は、この主張に賛同し、日欧露の連携の道を探っている。しかし、ここは、慎重に検討すべきである。
 わが国は、かつてナチス・ドイツ、イタリアと同盟を結んだことで、アメリカを敵に回して、敗北した。また、ロシアとの間には、旧ソ連時代から北方領土を不法占拠されている問題があり、長年の交渉によっても解決していない。EUやロシアとの協調は、ドル一辺倒の外貨準備をユーロに分散したり、ロシアから石油・天然ガスを輸入し、資源の輸入元を分散できるというメリットはある。しかし、わが国の軍事的な安全保障という点では、独仏露は日米同盟に替わる同盟関係に発展し得る国々ではない。
 何より私の見るところ、21世紀は、西洋文明の衰退とアジア諸文明の興隆が明確に進む時代となる。ヨーロッパやロシアとの協調は必要であるが、日本にとって最重要の政策とはなりえない。日本は、大西洋やユーラシアより、太平洋にしっかり重心を置くべきである。

●核保有という選択肢
 
 トッドが日本に自立を勧める際、最も議論を呼んだのは、彼が核保有も選択肢に入れるべきと発言したことである。『日本の選択』での先の討論で、トッドは次のように言う。
 「核なしで日本が本当に自立できるのか」という問いに対する見解である。「核保有のオプションは無視できません」。フランス人のロジックに立った場合、「核というものは軍国主義の表現ではない」「ヨーロッパの平和のためには、独仏の和解はもちろんだが、核による安全保障が必要不可欠であるとド・ゴールは考えた」とトッドは述べる。そして、「アメリカ・システムの崩壊という危機的状況になった場合、日本がこの核保有というオプションをまったく真剣に考えないで外交的な自立を考えていくことができるとは思えません」「アジアでの安定のため、相互の破壊を避けるためには、日本に小規模の核抑止力を持ってくれと国際世論が要求するかもしれません。そういうオプションもあり得るということを、申し上げたいわけです」とトッドは発言している。
 今日、わが国では、一つの選択肢として核抑止力の保有が国民の間でも、議論されるようになっている。トッドの発言は、2004年(平成16年)の日本に一石を投じたのである。
 私の見るところ、アメリカは衰えつつあるが、5〜10年で急激に衰亡するとは考えにくい。大規模な戦争や破局的な環境破壊が起こらなければ、20〜40年という長期にわたって、徐々にアメリカは衰退していくと考えられる。それゆえ、日本の自立は、独立主権国家としての本来のあり方を実現しつつ、アメリカと対等な同盟関係を築くように進めることが大切である。自立即反米ではなく、自立即対等という道をめざすべきである。核保有に関しても、保有を図る場合は、核保有即反米ではなく、アメリカとの同盟関係を維持しながら、東アジアの安全保障体制を強めるための核抑止力の保有を検討すべきだと思う。

ページの頭へ

 

(5)中国論 

 

●家族制度から見た中国論

 トッドは、『帝国以後』や『文明の接近』でイスラーム教を多く論じる。それは、ハンチントンへの反論となっている。しかし、イスラーム教諸国は、世界の脅威となるだけの軍事力を持っていない。それに比べ、中国は核大国であり、ICBMはアメリカ本土を射程に入れている。さらに猛烈な勢いで軍拡を進め、1989年(平成元年)以後、中国の軍事費は、毎年二桁以上、増加している。トッドは、中国の存在を過小評価している。21世紀の世界の動向を予測する際、まず論ずべきは、イスラーム教諸国よりも中国である。
 トッドの中国理解は、家族制度の分析に基づく。トッドは、シナは外婚制共同体家族が主たる地域だとする。南部には、直系家族が分布する。外婚制共同体家族は、権威と平等を価値とする。それが、ロシアと同じく、シナに共産主義が浸透した条件である。シナが主に外婚制共同体家族に変わったのは、秦によるシナの統一以後である。秦の軍事的優位は、父系共同体家族であることを一因としていた。これに比し、秦の東方の六国は、儒教経典に書かれた直系家族だった。儒教は、秦以降、外婚制共同体家族の平等を基本的価値とする価値観によって、兄弟の序列を重視しなくなった。さらにその権威を基本的価値とする価値観を反映したのが、法家思想である。
 こうした中国理解をもって、トッドは、2004年(平成17年)に来日した際、日本と中国の関係について、次のように語った。『日本の選択』所収の討論においてである。
 「家族制度の点で見ると、核家族で自由で平等である家族関係というものがフランスの中心です。ドイツの場合は権威的で不平等ですから、違ったベースを人類学的持っているわけです。しかし、和解が可能でした。だからその点でいけば、中国と日本は全く家族形態が伝統的に違うけれども、それぞれの多様性、違いを維持しながら、相互に補完し合うような関係をつくっていくことは、独仏の場合にそうであったように、不可能ではないだろうと思います」と。また、トッドは「日中の接近が起こり、さらにヨーロッパと日本の健全な経済がさらに接近した場合、これは新しい世界経済のエンジンになっていくでしょう」と述べている。

●今は中国より欧州と提携を、とトッドは勧める

 ただし、トッドは、04年(17年)時点の中国については、次のように語っている。「中国は大きなポテンシャル、潜在的な可能性を持っています。しかし、まだまだ開発途上国です。経済バランスでは、アメリカ向けの輸出に依存しています。(略)まだ中国は主要なアクターにはなりきってはいないと私は思います。もちろん北朝鮮の問題に対しては、中国が持っている切り札は大きい。しかし金融の面、通貨の面、あるいは経済の面でまだ大きなアクターにはなっていない」と。
 討論に参加した榊原英資夫氏と小倉和夫氏は、日本にとって中長期的に中国との関係が重要であることを主張した。これに対し、トッドは「今日の議論を通して、びっくりしたのは、日本の方々がいかに中国を重視しているかということです」と感想を語った。トッドは、中国は大きな潜在的可能性を持っているが、まだ開発途上国であり、国際社会で主要なアクターになりきっていないという見方である。そして、中国より、ヨーロッパとの連携を日本に求める。
 「短期的には、やはり日本とヨーロッパのユーロ圏。これが世界の経済だけでなくて世界の情勢を考えていく上で重要です」とトッドは語り、アメリカ、ヨーロッパ、日本という三極において、「ヨーロッパと日本の間の協調関係、協議が欠落している」「緊急の世界的な課題を解くためには、日欧の協議は非常に必要だということを結論として述べたいと思います」と討論の最後を締めくくっている。

●中国の将来予測

 今後の中国を中長期的にどう見るか。トッドは、近代のシナについて、移行期の危機のパターンが中国でも見られるとして、『文明の接近』に次のように書く。「男性識字化50%のハードル越えは、1942年頃に起こり、共産主義は1949年に勝利する。1963年頃に起こる女性の過半数の識字化は、1970年頃に始まる出生率の低下に道を開くが、それだけでなく、1966年から1977年の、文化大革命と錯乱的な毛沢東主義への道もまた開くのである」と。
 トッドの理論を中国に当てはめれば、出生率の低下が進むに従って、移行期の危機は収まり、暴力は鎮静化し、やがて中国は民主化すると予想されよう。旧ソ連では、移行期危機の後に民主化運動が起こり、共産主義体制が崩壊して、一定の民主化がされた。
 中国は、文化大革命の終焉以後、移行期の危機は終了したと見ることが出来るだろうか。確かに紅衛兵による過激な行動は、なくなった。ケ小平は、経済の建て直しを進め、中国は経済発展の道に進んだ。経済成長の過程で、中国に欧米の思想が入り、東欧の民主化運動も影響を与えた。1989年(平成元年)天安門広場に民主化を求める学生・青年が集まったが、彼らの運動は、共産党の軍によって鎮圧された。以後、中国では、民主化運動に厳しい弾圧が続いている。
 共産党政府は、1979年(昭和54年)に一人っ子政策を開始した。人口の増加に法規制を加えて、出産または受胎に計画原理を導入したものである。女性の識字化に伴う意識の変化がもたらす出生率の低下とは異なり、政府が出生率を低下させたのである。
 また、中国は、1989(平成元年)から猛烈な軍拡を続けている。また共産党政府は、93年(5年)以後、江沢民のもと反日愛国主義の教育を行なった。国民は、統制の中で、日本への憎悪と敵愾心をたきつけられている。特に若い世代がそうである。それが、過激な反日的行動となって現われている。急激な経済成長は、社会的な矛盾を生み、都市と農村、富裕層と貧困層の格差を拡大している。05年(17年)には年間約9万件の暴動が起きたと政府が発表した。その後、公式発表がないのは、一層深刻になっているからだろう。とりわけ世界経済危機の影響で失業や賃金不払い等により生活を破壊された国民が多くなっている。増大する国民の不満をそらすために、中国政府がファッショ化し、周辺国へ侵攻を行なう危険性がある。

●文明学的な見方が必要

 こうした中国の動向に、トッドの移行期理論は、単純には当てはまらない。ある国家が近代化する過程には、トッドが西欧諸国の歴史から抽出した一般的傾向は存在する。すなわち、識字率の上昇、脱宗教化、出生率の低下、移行期の危機とその後の安定化である。しかし、個々の国家が近代化する過程では、その国家が置かれた国際環境や、社会の支配構造、政府の政策等が重要な条件として作用する。中国の場合、共産党が統治し、統制主義的な政策を行っている点は、旧ソ連と相似的な点があるが、中国独自の特殊な現象も表われている。
 そうした中国が今後、穏健なリベラル・デモクラシーの国家に変わっていくかどうかという問題は、日本にとっても、アジアにとっても、世界全体にとっても、重大な関心事である。トッドは、人類の人口が均衡化し、世界は政治的に安定すると予想するが、そのような世界が実現するためには、中国の民主化は不可欠の条件である。私は、超長期的には、中国は民主化されると考えている。共産党の独裁体制は終焉し、リベラル・デモクラシーが浸透するだろう。しかし、中長期的には、むしろ中国は巨大な帝国への道を歩んでおり、対外的に膨張政策を行う可能性が高い。世界覇権国家アメリカに対抗し、東アジアでの地域覇権を獲得し、世界覇権を奪い取ろうとしていくだろう。
 こうした中国の将来を予想するには、トッドの理論だけでは限界がある。文明学とそれにもとづく国際関係の理論が必要である。中国の将来だけでなく、現代の世界の構造を把握し、人類の課題を明らかにするためにも、文明学とそれにもとづく国際関係論は、有効な概念と有益な分析を提供してくれるのである。
 

●イスラーム教諸国より中国こそ脅威

 トッドは、近代化が世界的に広まっていくと予想する。ただし、世界的な近代化はイコール西洋化ではなく、各社会は文化の多様性を保持しつつ近代化することが可能だと見る。私は、近代化とは「生活全般の合理化」と理解するが、とりわけ科学技術や資本主義は、最も普及しやすい。民衆の政治参加制度としてのデモクラシーも、自由化の程度の違いはあれ、広がっていくだろう。そういう部分では、トッドの言うように、諸文明は「接近」する。それは世界が安定に向かう要因である。しかし、国家異なった文明の間で、近代化した国家同士が、科学兵器で武装した軍事力でぶつかり合う可能性は、依然存在する。
 かつては、西洋文明の内部で、スペインとイギリス、イギリスとドイツ、またアメリカとドイツ等が争った。これは、覇権国家と対抗国家の争いである。欧州勢が衰えた後は、アメリカとソ連という二大超大国が争った。これは、ハンチントンによれば、西洋文明と東方正教文明の中核国家同士による世界覇権をめぐる争いである。私の見方では、ユダヤ=キリスト教系諸文明の内部における争いであった。ソ連が崩壊すると、超大国アメリカの一極支配という世界史上かつてない地球的な規模の大帝国が出現したかと見えた。ハンチントンは、これは一時的なもので、間もなく、一極・多極体制となったとする。
 ハンチントンは、今日の世界は一つの超大国(アメリカ)と複数の大国からなる一極・多極体制だと把握する。そして、将来的にはアメリカの地位が相対的に低下し、真の多極体制になると予想している。また最終的には「キリスト教文明」対「イスラーム・儒教文明連合」の対立の時代を迎えるだろうとも予測する。ハンチントンは、こうした文明間の衝突に備えるため、アメリカとヨーロッパの連合を説く。西洋文明をともにする米欧が協力して、イスラーム文明の諸国やシナ文明の中国に対応することを提唱する。
 しかし、イスラーム文明には、自他ともに認める中核国家がない。イランは地域大国ではあるが、宗教はシーア派、民族はペルシャ系であり、スンニ派アラブ諸国を結集できない。イスラーム文明とシナ文明の連合が形成されるとすれば、主導権を取るのは、中国である。ハンチントンは、中国の潜在的脅威を、1990年代前半から深く認識している。アメリカにとっても日本にとっても、今後、中国への対応が重要になることを明確に述べている。

●中国を中心とした「イスラーム・儒教文明連合」が

 ハンチントンの予測は的中し、近代化を進める中国は、増大する軍事力と経済力によって、アメリカの脅威となっている。中国は、東アジアにおける地域大国であるだけでなく、世界覇権国家アメリカに挑戦しようとしている。これは、西洋文明とシナ文明の中核国家同士の争いである。中国は、中華思想をもって、19世紀清王朝末期に失った地域覇権を取り戻そうとしている。「キリスト教文明」対「イスラーム・儒教文明連合」の対立が現実になるとすれば、世界覇権をかけた米中対決となるだろう。ハンチントンは、日本は、「アメリカが最終的に唯一の超大国としての支配的な地位を失いそうだと見れば、日本は中国と手を結ぶ可能性が高い」と指摘し、アメリカ指導層に日米の連携強化を促した。
 この点において、トッドの中国理解は浅い。トッドは、イスラーム教諸国が近代化し、過激な行動が鎮静化することを強調する反面、中国とイスラーム教諸国の連携を具体的に論じていない。しかし、2001年(平成13年)6月、中国はロシアとともに上海協力機構を作った。9・11の3ヶ月前のことである。上海協力機構には、中央アジアのイスラーム教諸国、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタンが参加している。イランやインド等もオブザーバーとして参加しており、イランは正式に加盟する動きがある。中国はまたイランやバングラデッシュの間で、核開発やミサイル製造の技術供与を行っている。こうした中国とイスラーム教諸国の連携は、「イスラーム・儒教文明連合」へと発展しうる可能性を秘めている。また、より広く、ユーラシア大陸に非西洋文明の多文明諸国連合が形成されつつあるとも言える。これらの動きは、多極化とともに多文明化が進みつつあることを示す動向である。
ページの頭へ

 

(6)再びアメリカ論 

 

●再びトッドのアメリカ論

 第2章の初めに、トッドのアメリカ論を書き、イスラエル及びユダヤ人、日本、中国等に触れてきたところで、最後に再びトッドのアメリカ論を述べたい。

 トッドは、歴史的に見て、帝国には、軍事的・経済的強制力とイデオロギー上の普遍主義が必要だという。ところがこれらの資質が、アメリカには欠けている。「全世界の現在の搾取水準を維持するには、その軍事的・経済的強制力が不十分である」「そのイデオロギー上の普遍主義は衰退しつつあり、平和と繁栄を保証すると同時に搾取するため、人々と諸国民を平等主義的に扱うことができなくなっている」とトッドは指摘する。そして、次のように明言する。「この二つの基準に照らしてみると、アメリカは著しい不足振りを呈する。それを検討するなら、2050年前後にはアメリカ帝国は存在しないだろうと、確実に予言することが出来る」と。
 そして、トッドは、アメリカに対して、帝国であろうとすることを止め、普通の国民国家に戻るよう勧めている。「世界が必要としているのは、アメリカが消え去ることではなく、民主主義的で自由主義的にして、かつ生産力の旺盛な本来のアメリカに立ち戻ることなのである」と。
 トッドは、文明は「衝突」せず、「接近」するとし、それを妨げているのは、アメリカの世界戦略だと批判する。アメリカの帝国的行動に反発するトッドは、ヨーロッパとロシアの連携を支持する。日本に対して、独仏露の枢軸に参加して、ともにアメリカに対抗し、多極化を進め、多極体制の世界政治を主導しようと呼びかける。また、将来の国際政治の中心は、アメリカではなく国際連合になるとトッドは想定し、日本が安全保障理事会の常任理事国になり、ドイツとフランスで常任理事国の地位を共有することを提案している。
 トッドはアメリカ帝国の解体を予想するが、衰退しつつあるのはアメリカだけではない。すでにヨーロッパが衰退しつつある。アメリカはその後を追っている。西洋文明が衰退期に入っているのである。トッドは、ヨーロッパ人として、ヨーロッパの栄光の継続を願っているのだろうが、ヨーロッパは20世紀初頭に絶頂期を過ぎた。2度の大戦によって、文明の内部で相撃ちをし、富の源泉だった植民地を失い、勢力が大きく減少した。ヨーロッパの統合は、こうした傾向に抗して、ヨーロッパを再興しようという努力である。それは、覇権国家アメリカや新興勢力日本への対抗のためでもある。EUの結成や統一通貨ユーロの制定は、成果を挙げている。しかし、個々の国家を見れば、イギリスにもドイツ、フランスにも昔日の面影はない。EU全体でも、かつての大英帝国の強盛はない。
 トッドは、現在の世界では、西洋文明とイスラーム文明の対立より、旧大陸と新大陸の対立が生じていると主張する。端的に言えば、ヨーロッパとアメリカの対立である。もし西洋文明の内部で、ヨーロッパ文明とアメリカ文明の離反が進むならば、西洋文明の全体がいっそう衰退を早めるだろう。

●多極化する世界におけるアメリカのあり方

 トッドに比べ、ハンチントンは、西洋文明の衰退をより客観的に認識している。1998年(平成10年)日本での講演で、ハンチントンは、「西洋文明は、現在はもちろん、今後数十年の間も最も強力な文明でありつづけるだろう。だが、他の文明に対する相対的な力は衰えつつある」と語っている。また、ハンチントンは、アメリカの相対的な地位が低下していくことも予測している。西洋文明とアメリカの衰退を予測するからこそ、ハンチントンは、アメリカは文化的な根っこを大切にして、ヨーロッパとの連携を強化するように勧める。西洋文明を普遍的とせず、自らの価値観を他に押し付けるのをやめ、他の文明を理解し、文明の衝突を回避して、米欧の主導で世界秩序を再構築することを提案するのだろう。
 私が、トッドとハンチントンに明確な違いを見るのは、片やフランス人、片やアメリカ人という、拠って立つ国家が異なる点である。トッドは、反米主義者ではないが、フランス人としてアメリカへの対抗や自立をめざす。アメリカは不要であり、欧露はアメリカに依存せずにやっていけるという。アメリカ人の傲慢に対し、フランス人の意地を示しているようなところがある。ハンチントンは、アメリカ人であり、アメリカの国益をもとに考えている。
 ハンチントンは、1998年(平成10年)日本での講演で、次のように述べている。「多極化する21世紀の世界では、諸大国は合従連衡を繰り返しながら競争し、衝突し、連合していくに違いない。だが、そのような世界では、一極・多極体制の世界の特徴である超大国と諸大国との緊張や対立はなくなる。そのため、アメリカにとっては、多極体制の世界における大国の一つとなるほうが、唯一の超大国であったときよりも要求されるものは少なく、論争も減り、得るものは大きくなるだろう」と。
 トッドは、「世界が必要としているのは、アメリカが消え去ることではなく、民主主義的で自由主義的にして、かつ生産力の旺盛な本来のアメリカに立ち戻ることなのである」と述べているが、その主旨と、ハンチントンの主張は、大きく異なるものではない。トッドもハンチントンも、アメリカの長期的な衰退を予測している点は共通する。また、帝国的な国家から大国の一つに戻ることを勧める点も共通している。
 私もまた日本人の立場から、アメリカの超長期的な衰退を予想する。そして、アメリカは、超大国から大国の一つに地位に移行していくだろうと推測する。日本人は、そうした超長期的な展望のもとに、日本のあり方を考え、対米関係、対中関係を考えなければならない。
 私は、アメリカの強欲的資本主義と中国の貪欲的共産主義には反対する。しかし、反米でも反中でもない。アメリカには、建国理念の再興と多民族の協和を期待する。中国には民主化と伝統的道徳の復活を期待する。そして、日本は、独立主権国家としての自立性を回復し、米中を含む諸国家との共存共栄の道を進むべしと考える。文明学的に言えば、日本文明は、一個の文明としての独自性を自覚し、西洋文明・シナ文明等との共存共栄を図り、世界の平和と発展に貢献すべしと主張する。
ページの頭へ

 

結びに〜人類の文明は大転換しつつある


 エマニュエル・トッドに関する論考は、ここで結びとする。移民と外国人参政権の問題については、別に補説として書く。
 トッドは、人類の人口は21世紀の半ばには均衡に向かい、世界は政治的に安定すると予測している。私は彼の主張のうち、この点に最も注目している。本稿の冒頭「はじめに」に書いたが、人口爆発は、新しい技術の活用によるエネルギー、環境、食糧、水等の問題への取り組みを、すべて空しいものとしかねない。だから、人口増加を制止し、「持続可能な成長」のできる範囲内に、世界の人口を安定させる必要がある。この難課題に関し、トッドの主張は、一つの希望をもたらすものである。
 私見によれば、人類は、文明の「衝突」と「接近」を含みつつ、かつてないスケールで「大転換」しつつある。その「大転換」の様相として、三つ挙げておきたい。西洋からアジアへ、石油の時代から「太陽の時代」へ、新しい精神文化の興隆の三つである。

 第一に、西洋からアジアへ、である。
 トッドの関心は、主に西洋文明内部でのアメリカとヨーロッパの相違と競争、及びイスラーム教諸国に向けられている。そのため、西洋文明から非西洋文明へ、欧米からアジアへと、人類文明の中心が移動している、その大きな構図を見とれていない。トッドの視界には、台頭するアジアの姿がよく映っていない。2050年の世界を語る際に、今後大きく成長する可能性のある中国・インドの将来像はあいまいである。アジア及び世界における日本の役割についても、明確でない。
 この点、ハンチントンは、「長期にわたって支配的だった西洋文明から非西洋文明へと、力は移行しつつある」と、大局的にこの変化をとらえている。そのうえで、西洋文明の存続や繁栄、再興のための方策を、欧米人に提案している。
 1960年代に日本が高度成長に入り、70年代には韓国・台湾・シンガポール・台湾がこれに続いた。80年代には、タイ・マレーシア・インドネシア等も成長の軌道に乗り、「東アジアの奇跡」と呼ばれるようになった。90年代には、中国が急速に成長をはじめ、21世紀には、中国とインドが大国となると予想されている。アジアは世界の人口の3分の2を占め、経済や成長可能性において、他の地域を遥かに凌駕している。
 人類の文明は、西洋文明から非西洋文明へ、欧米からアジアへと、明らかに中心が移動しつつあるのである。

 第二に、石油の時代から「太陽の時代」へ、である。
 19世紀は石炭の時代、20世紀は石油の時代だった。20世紀の後半から21世紀の初頭にかけては、石油、天然ガス等の資源の争奪が世界的に繰り広げられた。21世紀には、食糧と水がこの争奪の対象に加わってきている。こうした資源の問題が改善に向かわないと、世界は安定に向かえない。この改善のために、石油中心の経済から、太陽エネルギーを中心とした経済への移行が始まっている。自然と調和し、太陽光・風力・地熱・潮力等の自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」が、いまや起こりつつある。いわば石油の時代から「太陽の時代」への転換である。
 トッドの将来世界の展望は、この点を欠いているようだが、1970年代の初め、人類はエネルギー、環境、食糧、人口の危機にあると唱えられるようになってから、自然エネルギーの研究が進められてきた。2008年(平成20年)9月の世界経済危機によって、自然エネルギーの活用は、世界各国の現実的課題となり、活発に活用が勧められることになった。
 この変化は、人類の文明に大きな変化を生み出す出来事である。

 第三に、新しい精神文化の興隆である。
 基本的にトッドは、近代化論者なのだろう。控えめな言い方をしてはいるが、西洋文明における脱宗教化・個人主義化をよしとし、近代化による自由主義的民主主義の普及が、世界に平和をもたらすとトッドは期待している。しかし、私は、近代化の進行によって、人々の心が全面的に近代化=合理化するのではないと考える。私は、拙稿「心の近代化と新しい精神文化の興隆」において、この点を論じた。
 キリスト教、イスラーム教、仏教等の伝統的宗教は、紀元前から古代にかけて現れた宗教であり、科学が発達し、人々の意識が向上するにつれて、その役割を終え、発展的に解消していくだろう、と私は考えている。伝統的宗教の衰退は、宗教そのものの消滅を意味しない。むしろ既成観念の束縛から解放された人々は、より高い霊性を目指すようになり、従来の宗教を超えた宗教を求めるようになると考える。近代化の指標としての識字化と出生調節は、人々が古代的な宗教から抜け出て、精神的に成長し、さらに高い水準へと向上する動きだと私は思う。
 近代化=合理化が一定程度進み、個人の意識が発達し、世界や歴史や宇宙に関する知識が拡大したところで、なお合理化し得ない人間の心の深層から、新しい精神文化が興隆する。新しい精神文化は、既成宗教を脱した霊性を発揮し、個人的ではなく超個人的となる。それに応じた政治・経済・社会への改革がされていく。この動きは、西洋からアジアへのトレンドと重なり合う。
 アジアから新しい精神文化が現れる。特に日本が最も期待される。またその精神文化は、自然と調和し、太陽光・風力・水素等の自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」と協調するものとなるだろう。こうした動きが拡大していって、初めて世界の平和と人類の繁栄を実現し得ると私は考える。
ページの頭へ


関連掲示

・拙稿「トッドの移民論と日本
・拙稿“心の近代化”と新しい精神文化の興隆〜ウェーバー・ユング・トランスパーソナルの先へ
参考資料
・エマニュエル・トッド著『世界像革命 家族人類学の挑戦』『新ヨーロッパ大全』『経済幻想』等(藤原書店)
・トッド著『帝国以後 アメリカ・システムの崩壊』、トッド+榊原英資他著『「帝国以後」と日本の選択』(藤原書店)
・トッド+クルバージュ著『文明の接近―「イスラームVS西洋」の虚構』(藤原書店)
・サミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』『文明の衝突と21世紀の日本』(集英社)『引き裂かれる世界』(ダイヤモンド社)

 

「人類の展望」の題目へ戻る

 

説明: 説明: ber117

 

説明: 説明: ICO_170

 

トップ日本の心Blog基調自己紹介おすすめリンク集メール