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ヤスパースの「新基軸時代」と日本の役割

2004.4.3

 

<目次>

はじめに

第1章 世界史の「基軸時代」

(1)世界史に「基軸時代」を設定

(2)来るべき「第二の基軸時代」

(3)「基軸時代」と日本の登場

(4)世界史における日本文明の役割

第2章 現代をどうとらえるか

(1)現代を特徴づける科学と技術

(2)大衆化とニヒリズムの進行

(3)「現代の精神的状況」の起因と展開

(4)呻吟の中からの「未来への問い」

第3章 21世紀日本のあり方

(1)21世紀の今も同じ状況が続く

(2)日本が果たすべき役割

 

 

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はじめに

 

現代の世界は、物質文明が高度に発達していながら、これに精神文化の発達が伴っておらず、さまざまな矛盾や対立・抗争が表れている。物質文明を真に人類に有益なものとするには、科学や技術をコントロールする精神文化の発達が必要である。そして、物心調和の新文明を創造することをめざさねばならない。このためには、東洋人が持ち前の精神文化を発揮することが期待されている。そして、私は精神文化の促進と新文明の創造において、日本は大きな役割を果たすことができると考える。

本稿では、カール・ヤスパースの歴史観・文明論をひもときながら、来るべき人類の新時代と日本の役割について考察してみたいと思う。

 

 

第1章 世界史の「基軸時代」

 

(1)世界史に「基軸時代」を設定

 

カール・ヤスパース(1883-1969)は、ドイツが生んだ20世紀を代表する世界的な知性の一人である。最初は精神病理学者として活躍したが、その後、哲学に転じ、「実存哲学」の哲学者としてハイデッガーと並び称される存在となった。そして人類の歴史を総括し、人類の未来について多くの提言をした。

第二次世界大戦の終結直後に刊行された彼の著書『歴史の起源と目標』(1949)は、現代の視点に立って、人類の歴史について考察した名著である。

ヤスパースは、本書において、最初に、私たちは人類の歴史の起源と目標を知らないと述べている。人類の歴史は「絶対に表象できず考え尽くすことのできない起源」と「私たちがいかなる具体的像においても適切に描き出すことのできない目標」との間で生起しているとヤスパースは言う。これではまるで、心もとない話である。そこで、ヤスパースは、次のような見方を提案する。

起源も目標も決定的には見渡せないとなると、人類史のなかに、なにか「基軸」となる時点を設定しなければ、現代の私たちの立っている地点を見定めることもできない。そこで、ヤスパースは「基軸時代」(Achsenzeit)というものを設定することによって、「世界史の図式」の大枠を構想しようとする。

 ヤスパースは、欧米人だが、世界史を真に世界的な視野で見ようとした。彼によれば、欧米人のキリスト教信仰は、世界的に見ると、ひとつの信仰に過ぎず、「人類の信仰」ではない。それゆえに、「世界史の基軸」があるとすれば、キリスト教を離れて見つけ出さねばならないと言う。それは、あらゆる民族にとって「歴史的自己意識の共通の枠」となるようなものでなければならないからである。

こうしてヤスパースは、自説を開陳する。世界史の基軸は、「紀元前ほぼ500年頃、つまり前800年と前200年の間に起こった精神的過程のなかにあるように思われる」、そこに「今日まで私たちがそれとともに生きている人間というものが生じた」と。

具体的にこの時代の世界を概観すると、シナでは老子・孔子が出現し、インドではウパニシャッドが成立し、釈迦が活躍していた。イランではゾロアスター、パレスチナではエリヤ、エレミヤ、第二イザヤなどの預言者、そして、ギリシャではホメロス、プラトン、アルキメデス等が輩出している。

 ヤスパースによると、この時代には、シナ、インド、西洋(中東より西)の三つの世界に共通の体験として、「人間が、存在の全体と自己自身と自己の限界とを自覚するに至った」、また「私たちが今日まで物を考えるときの根本カテゴリー」が現れた。また「世界宗教の端緒が創り出され」「あらゆる意味において、普遍的なものへの歩みがなされた」。要するに、人類の「精神化」が起こった。このようにヤスパースは、世界史の基軸時代の意味を明らかにしていく。

とはいえ、基軸時代以前に何もなかったのではない。その前に何千年も続いた古い高度文化があった。その高度文化が基軸時代の出現とともに終わり、基軸時代のなかに採り入れられて、発展的に解消していったのである。そして、基軸時代において、「起こり、創造され、考えられた」ことに基づいて、「人類は今日まで生きてきた」とヤスパースは説く。

 ヤスパースは、世界史に基軸時代を設定することによって、「人類全体に共通のもの」が得られ、「果てしない交わりへの要求」が立てられると説いた。「交わり」とは、文明間・民族間・個人間のコミュニケーションのことであり、対話と相互理解を意味する。

こうしたヤスパースの歴史観は、人類に共通の見方を与えたものだと私は思う。基軸時代の設定は、人類の文明史を振り返る時に、もはや不可欠の枠組みと言えよう。ページの頭へ

 

(2)来るべき「第二の基軸時代」

 

ヤスパースは、世界史に基軸時代を設定した後、その枠組みのもとに、世界史の図式を描き出す。それは次のようなものである。

 

第1段階: 先史時代

時期: プロメテウス時代の始まり

  内容: 言語の発生、道具の発生、火の使用の発生

 第2段階: 古い高度文化の基礎付けの始まり

時期: 西暦紀元前5000年以降

  内容: 四大文明の発生(メソポタミア、エジプト、インダス河流域、

黄河流域)

第3段階: 基軸時代の始まり

時期: 西暦紀元前800〜200年

内容: 諸宗教・哲学の発生、人類の「精神化」(インド、シナ、西洋)

第4段階: 科学技術時代の始まり

 時期: 17世紀の科学革命と18世紀末の技術発展

 内容: 科学と技術による世界の変容

 

 

すなわち、第1段階の先史時代に「人間は初めて人間となった」、第2段階の高度文化の基礎づけの後、第3段階の基軸時代に「人間は精神的に全面的に開かれた本来的人間となった」、そして、第4段階の科学技術時代に入り、「この時代の変容過程をいま私たちがみずから経験している」と、ヤスパースはとらえる。

 ヤスパースは、このように人類史を4段階に分け、この段階的展開のうちに「二つの息づかい」を見る。「第一の息づかい」は「プロメテウス時代から、古い高度文化を越えて、基軸時代とその帰結へといたる」息づかいである。「第二の息づかい」は「科学技術による新しいプロメテウス的な時代」から、「新しい、私たちにはまだ遠い、見えない第二の基軸時代」への息づかいである。

「息づかい」というのはヤスパース独特の表現だが、これを呼吸ととらえることができるだろう。歴史の大きな波ととらえるとわかりやすいと思う。

 ヤスパースによれば、「第一の息づかい」は地域的であったのに対し、「第二の息づかい」は「普遍的で、すべてを包括」し、「人類全体」を巻き込んだ息づかいである。ただし、ルネッサンス以来の西欧の科学と技術は「純粋にヨーロッパ的現象」であって、到底「第二の基軸」とは呼べないと、ヤスパースは断言する。そして、来るべき「第二の基軸」は、「人類的な、世界を包括する基軸」でなければならないと強調する。

彼によれば、現代の科学と技術のうちから、やがて現れるべき第二の基軸時代は、ヨーロッパのみならず、アメリカとロシア、中国とインド等、要するに世界全体を包括したものでなければならない。しかし、人類の新しい未来の第二の基軸時代は、まだ見えないまま、遠くにある。そして、私たちは、地球全体をおおう、来るべき新しい未来の第二の基軸時代に向かう途上にあり、模索と課題の中で、日夜、呻吟している、とヤスパースは考えた。

第一の基軸時代はもはやなく、第二の基軸時代はまだない、その中間に、現代の私たちの立っている地点がある、それがヤスパースの時代認識だった。

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(3)「基軸時代」と日本の登場

 

ここで、わが国のことについて補足したい。ヤスパースは西欧人でありながら西欧中心主義ではなく、世界的な視野をもった賢者だったが、『歴史の起源と目標』における彼の視野には、日本が入っていない。これは重大な欠陥と言わねばならない。そこで、日本の存在を加えることによって、彼の歴史観を補正したいと思う。

世界史の基軸時代以前に、わが国には、縄文時代があった。縄文時代は今から約1万2〜3千年前に始まり、約2千3百年前に終わった。その約1万年間の文化を縄文文化と呼んでいる。縄文文化は、世界最古の高度土器文化だった。これは、ヤスパースのいう基軸時代以前の高度文化に比せられる。そして、縄文時代の晩期から弥生時代の始め頃が、ほぼ世界史の基軸時代にあたる。

当時の我が国の宗教や思想については、明確なことはわかっていないが、独自の世界観・価値観をもっていたことは、間違いない。そして、この日本固有の文化が基礎となって、その後の日本文明が発展する。

20世紀最大の歴史家・トインビーは、日本は一個の文明であると認識した。彼は、日本文明はシナ文明本体とし、そこから「側枝(offshoot)」として発生したと考えた。シナ文明の周辺文明として発生した日本文明には、誕生の当時から独自の文化要素が自生していた。それは、私の見方では、神道・皇室・家族国家である。トインビーは文明の中核は宗教であると説いたが、日本においてはこれにあたる固有の宗教が、神道である。また、宗教的政治制度としては皇室が中心となり、民族全体が一大家族国家のような社会構成となっている。これらは、シナ文明のさまざまな影響を受けながらも、一貫して変化することのなかった日本文明の特徴である。

日本文明が明らかな個性を表現するのは、7世紀の聖徳太子の時代である。太子は、皇室に受け継がれる神道や、固有の価値観である「和」の精神を、思想として表現した。「十七条憲法」がそれである。また8世紀には『古事記』『日本書紀』や『万葉集』が編纂され、ユニークな文化を創造した。こうして、日本は、基軸時代に千年ほど遅れて、世界史にその存在を表わした。ページの頭へ

 

(4)世界史における日本文明の役割

 

日本文明は、その後もシナ文明の影響を受けながら、その文化的要素を取捨選択して、自らの文化を豊かなものとしていった。そして、遅くとも13世紀には、一個の主要文明として確立し、より一層、個性を明確にし、まぎれもなく独自の文明として極東の地に開花した。例えば、神道を基盤として、仏教・儒教の共存・融合が行われ、日本的な仏教が出現し、また茶道が発達して建築・造園・花道・陶芸等に、日本文明の独自性が表れた。これらは、武士集団が政治・社会の担い手となって以降、一層促進された。そして武士道という独自の精神文化が、数世紀かけて熟成したことが、日本文明の個性に比類ない輝きを加えている。こうした日本文明は、徳川時代の末期、19世紀に西洋の近代文明と遭遇するのである。

ここでヤスパースの世界史の図式に戻るならば、日本は世界史の第3段階と第4段階の間に重要な働きをしている。時は、「基軸時代」と「科学と技術の時代」の間の約1千8百年の間である。

インドより東を東洋、中近東より西を西洋とわけるならば、日本は基軸時代に現れた東洋の精神文化を総合する場所となったのである。すなわち、インドの仏教・ヒンズー教、シナの儒教・道教等の東洋文化が、極東の日本に到達し、そこで融合・発展したからである。

こうして東洋精神文化総合の場所となった日本は、世界史の第4段階において、東洋文明と西洋文明の出会いの地となった。すなわち、西欧に発生した近代科学技術文明が東アジアに波及し、19世紀中半に、日本に到達した。その「文明の挑戦と応戦」(トインビー)を通じて、日本は明治維新を成し遂げ、非西洋社会ではじめて近代化を成し遂げた。その結果、わが国はヤスパースのいう現代のただなかにあるわけである。ページの頭へ

 

 

第2章 現代をどうとらえるか

 

(1)現代を特徴づける科学と技術

 

ヤスパースは、日本もその中にある現代、つまり第4段階の世界をどのようにとらえているだろうか。

 ヤスパースは、現代を「科学と技術」によって規定された時代とし、さらに「大衆」が登場し、「ニヒリズム」が蔓延した状況にあるととらえている。

まずヤスパースは、科学について、科学と技術を峻別し、科学は技術への観点なしに物事を知ろうとするものだとする。彼は、西欧に発生した近代科学は、キリスト教の心構えや衝動なしには考えられないとする。すなわち、すべてのものは神の創造であるから知るに値するという考えが根底にあり、知識欲に駆り立てられ、極限まで徹底して探求しようとするのが、近代西欧科学だと言う。しかし、世界全体というものは人間には知りえないのであって、科学知によって存在のすべてを知り尽くしていると妄信してはならないと警告する。

次に、ヤスパースは、技術について、技術とは手段であるのに、手段そのものが目的となり、絶対的となるという「逸脱」が生じていると指摘する。技術の発達のおかげで、人間に「新しい世界」が生じ、自由を獲得したかに見えるが、その一方で、人間はあらゆる地盤から切り離され、根元を失い、故郷喪失という状態に結果している。いまや「技術の限界についての明察」が必要であるとヤスパースは説く。技術には「魔性」があり、それを克服するためには、技術を役立てるべき「人間的英知の指導性」が必要だと強調力説する。

要約すれば、人間は、科学が発達したからといって、なにもかも知り尽くしているなどと思い上がることなく、自ら手に入れた技術を人間に有益なものとして使うために英知を働かせることが必要だというのが、ヤスパースの主張するところである。ページの頭へ

 

(2)大衆化とニヒリズムの進行

 

ヤスパースは、科学と技術の時代である現代において、はじめて「地球上で人類が実際にひとつに」なり、「あらゆる本質的問題が世界中の問題となり、状況は人類の状況となった」とする。そして、こうした状況にある現代世界をとらえ、現代の特徴は「大衆(マス)」の登場と「ニヒリズム」の台頭にあると分析する。

 まず大衆化とは、何か。これは欧米に始まった社会的傾向である。技術の発達が産業と社会を変化させ、大衆を生み出した。ヤスパースは、現代は「大衆が出来事の決定的要因となった」と言う。大衆は民族とは異なる。「民族は自己意識的であるのに対し、大衆は自分自身を意識しない」。そして「大衆は宣伝によって動かされ、合言葉を必要とし、指導者によって操られる」。大衆は宣伝や暗示の対象であり、無責任であるとヤスパースは言う。

大衆とは「人間存在の解体」であるとヤスパースは指摘する。それは非人格的な集団であり、いまや「人間存在の実体」が流動化し、その核心が脅かされている。それゆえ、大衆のあり方の中から人間存在が「再獲得」されなければならない、とヤスパースは主張する。

 次にニヒリズムとは、何か。西欧におけるニヒリズムの到来を唱えたのは、19世紀の哲人ニーチェだった。二ヒリズムは、複雑な概念だが、簡単に言えば、従来の宗教的価値観の喪失や否定・破壊を意味する。ヤスパースはニーチェの主張の重要性を感じ取り、西欧におけるニヒリズムの問題を考察した。

かつて西欧ではキリスト教が人々の日々の生活を導いていた。ところが、いまや「現代の増大する無信仰」はニヒリズムをもたらし、ニヒリズムが「支配的な思考様式」となっている。その結果、欧米では「基軸時代以来の全伝統」が失われ、「ホメロスからゲーテまでの歴史」が忘れられようとしている。そのために人々は、啓蒙による「無信仰」から、「盲目的な信仰」つまり「偽りの科学的全体直観」や精神分析(フロイト)や人種理論(ナチス)に閉じこもっている。加えてイデオロギー的思考(マルクス主義等)がまかり通っている。イデオロギーとは、簡単に言えば歴史的・社会的に制約された観念形態である。ヤスパースは、一切がイデオロギーとされ、真理の意識が見失われたと認識した。ページの頭へ

 

(3)「現代の精神的状況」の起因と展開

 

それでは、「大衆化」と「ニヒリズム」を特徴とする現代の精神的状況は、何を原因としているのか。ヤスパースは、起因は、西欧における17世紀以来の啓蒙の登場、フランス革命、ドイツ観念論のあいまいな危機意識と完成意識のうちにあると見る。すなわち、

 

(1)17世紀以来の啓蒙の結果、無信仰が生まれた。キリスト教では、全知全能の神を称える姿勢から自然の研究が進んで知識が発達し、キリスト教自体を否定する思想を生み出した。

(2)フランス革命は、「自由と理性」を要求したが、専制と暴力に転じた。人間理性を信仰する狂信に走る恐ろしさを白日の下にさらし、近代の無信仰の表現と起源となった。

(3)ドイツ観念論哲学において、フィヒテとヘーゲルは、全体知と絶対的真理を所有していると思い込んだ。その仮象の信念が打ち倒されると、無信仰へと急変した。

 

これらが現代の精神的状況を生み出した起因だとヤスパースは指摘する。私見を述べると、(1)〜(3)を要約すると、「無信仰」の発生と拡大ということである。キリスト教の信仰が失われてきたことが、現代西洋の精神的状況の起因だとヤスパースは言うのである。確かに、啓蒙主義は伝統的なキリスト教を批判し、キリスト教を合理化したり、道徳化したりした。またそこから唯物論や無神論が生まれた。フランス革命では、絶対王政と結託するカトリック教会への反発が激化し、理性崇拝の儀式や「至高の存在」を祀る祝典が行われた。ドイツ観念論は、ヘーゲルの絶対精神の自己展開としての哲学に極まったが、フォイエルバッハは「神学の秘密は人間学にある」としてヘーゲルの観念論を唯物論に転倒させ、それを受けたマルクスは、宗教は「民衆の阿片」であると決めつけ、唯物論的共産主義を唱導した。これらに共通するものは、一言でいうと、キリスト教的な神の否定と人知への過度の自信である。ヤスパースは、こうした動向を「無信仰」の発生と拡大ととらえ、現代西洋社会の大衆化状況とニヒリズムの起因となったと主張していると理解される。

大衆化については、現代人は、いやがおうでも大衆の一員となっている。共同体の解体で生まれた都市社会では、さまざまな人々が未組織なまま集合している。大衆社会の中で多くの人は、疎外感を感じている。ヤスパースは、大衆とは「人間存在の解体」であり、「人間存在の実体」が流動化し、その核心が脅かされていると説いたが、技術と産業とメディアの発達、家族や村落などの伝統的な共同体の解体、官僚制の巨大化等によって、本来の人間性を喪失しつつあるのが、現代人である。

次にニヒリズムの登場とは、文明の中核である宗教が力を失い、世俗化が進行していることを意味する現象である。西欧においてキリスト教の価値喪失を招いた最大の原因は、近代科学の発達だった。神の偉業を知る新しい知識が、それまでのキリスト教的な世界観・価値観を倒壊させることになった。そして、実証主義的で数理計算的な物質科学の絶対化こそ、ニヒリズムの典型となっている。

こうした西欧発の大衆化とニヒリズムは、近代西洋文明の伝播とともに非西洋社会にも広がっている。大衆化は、西洋化・近代化を進めて科学技術・産業主義・民主主義等を採り入れた国々で進行し、ニヒリズムは各文明において固有の宗教、すなわち仏教、儒教、神道、イスラーム教、ヒンズー教等に基づく価値観を破壊し続けている。

わが国においても同様である。わが国に19世紀から流入した西洋近代文明は、キリスト教出自のものではあったが、すでに世俗化が進み、ニヒリズムが蔓延した文化の総体だった。こうした外来文明によって、伝統的な神道・仏教・儒教等の価値観が侵食されてきた。とりわけ、ニーチェが西欧以上のニヒリズムと警戒したアメリカニズムが、戦後日本に強引な仕方で移植された。敗戦後の占領政策によるものだった。それにより、国民の民族的団結が失われ、メディアの発達と相乗して、急速に大衆化が進んだ。また、祖先伝来の歴史観や倫理観を否定・剥奪され、急速にニヒリズムが進んだ。その結果、西欧キリスト教文化圏と同様に「無信仰」が広がり、一部には「盲目的な信仰」が席巻している。無批判的な科学信仰や、共産主義・フェミニズムなどの外来思想への盲従がそれである。

日本のみならず、いまや世界の多くの地域で、大衆化とニヒリズムが顕著な傾向となっている。そして、「人間存在」が解体され流動化されつつある。人々は「無信仰」か「盲目的信仰」に陥って、超越的な存在を信じず、祖先の伝統を敬わず、宇宙的な生命の本源との結びつきを見失っている。自らの存在の地盤・根拠を失った現代人は、自ら自己を崩壊させていく自滅的傾向にあると私は思う。しかも、それが進歩であり、流行であると錯覚しながら。ページの頭へ

 

(4)呻吟の中からの「未来への問い」

 

 さて、ヤスパースにとって、私たちの生きている現代とは、世界史の「第一の基軸時代」と、来るべき「第二の基軸時代」の間にある時代だった。そして、この時代は、科学と技術に支配された時代であり、大衆化とニヒリズムが進行する時代なのだった。

 では、こうした現代において、世界史の新しい基軸時代は、現れ得るのだろうか。言い換えると、科学技術と大衆化とニヒリズムの時代を生きる精神的原理を生み出しうるだろうか。ヤスパースに確固とした答えは見出せない。彼は、模索と課題の中で、呻吟している。その呻吟のなかから、「未来への問い」として、さまざまな意見を述べている。その中から、二つの点に注目したいと思う。

一点目は、「世界統一」の展望についての意見である。ヤスパースは、現代は「地球的な最終秩序への移行」の段階であると考えている。それが「征服によって得られ統一的に支配される帝国」として成立するのか、それとも「相互理解と契約によって成り立つ諸国家の統合による世界政治」の形で成立するのか、どちらの形を選ぶかが重大な問題である。

前者の形の「世界帝国」であれば、「血と剣」による統一であって、専制・暴力・テロ・全体計画・監視・隷属の世界が地球に出現する。これは、具体的には、共産主義やファシズムによる世界支配を想定しているのだろう。これに比し、後者の形の「世界秩序」であれば、暴力による統一ではなく、「相互の成熟した理解のうちから協議によって成立する秩序」が地上に出現する。そして、協議・多数決・少数者尊重・修正変更の果てしない過程のなかで、万人の共同権利が保障された「世界秩序」が追求されていく。そして、ヤスパースは、将来、地上にどのような事態が展開しようとも、「世界秩序」の理念は消えてなくならないだろうと考えるのである。ヤスパース自身は、晩年、自由と連帯を求める社会民主主義的で世界市民的な発言に情熱を燃やした。

二点目に注目したいのは、「信仰と愛」についての意見である。ここにいう「信仰と愛」とは、もとよりキリスト教に限るものではない。ヤスパースは、世界的な視野でキリスト教を相対化しており、さまざまな宗教・思想・倫理に共通するもの、その根源となるものを求めているからである。ヤスパースは「人間は信仰なしに生きることはない」と言う。そして、人間は、自己と、その「自己を贈り届けてくれた超越者」と、他者と、世界のなかの開かれた諸可能性とに対する、深い信頼と信念と確信を持つことなしには、この世を生き抜くことはできないのだ、と。そして、人間の「深い存在意識」は「愛」の心となって表れるだろうと説く。「愛」のうちから「存在の内実」が顕わとなり、「愛」の深みの中で「真理」も立ち現れるとヤスパースは述べている。こうした「信仰と愛」のうちからのみ、人類の未来は開かれると、ヤスパースはその信念を明らかにする。これは、諸宗教の根源、生命の本源、人間存在の根拠でもある超越的存在への信仰と、人類の同胞愛を訴えるものと理解される。

一点目の「世界統一」の展望についての意見と二点目の「信仰と愛」についての意見を合わせると、平和的な「世界秩序」の形成は、諸国民・諸民族・諸個人が「信仰と愛」をもって、対話と相互理解を重ねることによってのみ可能となると理解される。これは深い人間愛に裏付けられた、理性的な辛抱強い努力である。ヤスパースは、世界史の第二基軸時代は、「信仰と愛」の中から生まれ得ることに期待しているのだろう。

ヤスパースは、本書『歴史の起源と目標』の最後を「歴史の意味」と題する章としている。私たちは歴史的世界において一回限りの人生を生きている。しかし、時に悠久の自然に抱かれたり、時代を超えた真実に触れたり、芸術に結晶した偉大な精神に打たれたりする。こうした時、私たちは、歴史を超えた「永遠の現在」というものに思いを馳せる。そして、永遠不滅の存在に裏付けられてこそ、本当に充実した人生を、この歴史的世界において生きることができる。ヤスパースは、こうしたことを示唆しているのである。ページの頭へ

 

 

第3章 21世紀日本のあり方

 

(1)21世紀の今も同じ状況が続く

 

 ヤスパースが本書『歴史の起源と目標』を書いて、50年以上が経った。彼が亡くなって30年以上の年月が過ぎた。そして、私たちは21世紀という新たな世紀を生きている。しかし、基本的な状況は、ヤスパースが診断したところと変わってはいない。科学はとめどなく知識の追求を続けている。宇宙や物質や生命や情報について、人類の知識は、拡大しつつある。科学的発見は、技術と産業に利用され、かつてない問題を生み出している。特に地球環境(オゾン層の破壊、地球温暖化、沙漠化等)の問題と生命倫理(人工授精、クローン人間等)の問題は重大である。技術を制御する「人間的英知の指導性」はまだ十分表れていない。人類共通の普遍的倫理はまだ合意に達していない。大衆化は情報通信手段の発達によって、ますます進展している。ニヒリズムは諸文明における既成の価値を破壊し続けている。科学主義・合理主義による世俗化・近代化は、全地球的な規模で進展している。

 第2次世界大戦後、幸い武力による世界統一は避けられている。全体主義的な共産主義による世界革命は挫折した。世界は対立・抗争から対話・協調の方向に徐々に進みつつある。欧州連合(EU)ができ、先進国によるサミットが行われ、さまざまな国際会議や国際交流が行われている。しかし、その一方で、冷戦後の世界では、ハンチントンが「文明の衝突」と名づけたような、文明・宗教・民族間の対立が顕著になっている。その先鋭な現れは、イラク対アメリカの戦争とテロリズムの横行である。そして、地球上で最も激しい対立が見られる中近東では、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の抗争がいつやむとも知れず繰り返されている。核兵器や生物化学兵器がひとたび使用されれば、報復と怨恨の連鎖に陥る可能性は高い。

今日、科学兵器の増大と地球環境の破壊の中で、人類が生存を維持し、「世界秩序」をつくりあげるためには、諸国民・諸民族・諸個人の対話と相互理解が求められる。人種・国境・文化・経済事情などのさまざまな違いを超えて、人間は、諸宗教の根源、人間存在の根拠を共にしているという認識が広がらねばならない。それには、宗教・哲学・心理学・トランスパーソナル学などに大きな期待が寄せられている。宗教的な領域では、従来の宗教を超えた、より根源的、より普遍的な新時代の宗教の出現が期待される。(註1) また、非宗教的な領域では、人間には「自己実現」「自己超越」の欲求が内在することが知られ、相互の自己実現・自己超越を促進することが期待される。(註2) そして、人種・国境・文化等の違いを超え、互いに同胞愛をもって、対話と相互理解を積み重ねていく、理性的な辛抱強い努力が必要だろう。ページの頭へ

 

(1)従来の宗教を超えた新時代の超宗教については、次のサイトをご参照下さい。

 http://www.srk.info/

(2)自己実現・自己超越に関しては、次の拙稿をご参照下さい。

 「人間には自己実現・自己超越の欲求がある

 

 

 (2)日本が果たすべき役割

 

さて、こうした世界の状況と課題において、私たち日本人は何をなすべきだろうか。

私は先に、世界史の第3段階と第4段階の間に、日本は重要な働きをしたと述べた。すなわち、日本は「第一の基軸時代」に生まれた東洋の宗教・思想の総合場所となったのである。そして、世界史の第4段階である科学技術時代において、東洋文明と西洋文明の出会いの地となった。すなわち、西欧の近代科学技術文明が19世紀中半に、日本に到達し、日本は明治維新を成し遂げ、非西洋社会初の近代化を成し遂げた。そして、日本文明は、これまでの人類の諸文明を総合した新たな文明を生み出す結節点に位置していると私は考える。

 そして、日本は諸文明・諸宗教・諸民族の対話と相互理解を促進すべき立場にあると私は思う。東洋に伝わる英知を持って、科学に謙虚さを、技術に指導性を加え、失われた超越的存在への信仰の回復を促し、人類愛の成長・強化に貢献できると思う。とりわけ日本文明の精神的中核である神道は、自然との調和を重んじ、宇宙的生命に神を感じ、対立・抗争より共存調和を求める生き方を継承している。こうした生き方を世界に伝えることにより、人類の精神的向上に貢献できると思う。そして、私は日本人が大いに努力することによって、ヤスパースのいうところの、来るべき新しい「第二の基軸時代」の到来を早めることができるだろうと私は考える。

この新時代は、世界史の第5段階となるものである。それは、人類諸文明の総合を通じて、人間存在の根底へと到達するものとなるだろう。それは、古代からの精神文化と、近代の物質文化を調和させ、より高次元のものに発展させたものとなっていくだろう。そして、従来の宗教の違いを超え、既成の思想の違いを超え、唯物的な科学の限界を超えた新しい指導原理が登場するだろう。文化的には物心の調和、社会的には共存共栄が、その理念となるだろう。それは、「真理」という言葉で表現すべきものである。それこそ、世界史の「第二の基軸時代」において、全人類の共通理念となるべき最高指導原理である。

私は、日本人は、自己の精神に立ち返って自己固有の文明を活性化することにより、人類の新時代に貢献するために、いよいよ活動すべき時を迎えていると思う。(3) ページの頭へ

 

(3)人類史に対する文明学の見方、及び21世紀における日本の役割に関しては、次の拙稿をご参照下さい。

人類史に対する文明学の見方

人類史の中の日本文明

参考資料

ヤスパース著『歴史の起源と目標』(理想社)

トインビー著『試練に立つ文明(社会思想社)

 

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