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■インドへの協力・連携の拡大を

〜シン首相の国会演説と日印新時代

2007.4.19

 

<目次>

 はじめに

報道されなかったシン首相の国会演説

マンモハン・シンという指導者

安倍首相とシン首相の画期的な共同声明

結びに〜アジア全体、地球全体を視野に入れた戦略を

 

補説1 翌年安倍首相が訪印し、感動的な演説を行った

補説2 6年半後、安倍・シン両首相が再び共同声明

 

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はじめに

 

昨年(平成18年、2006年)12月、インドのマンモハン・シン首相が来日し、安倍首相と共同声明を発表した。日本とインドは、戦略的なパートナーとして、新たな歩みを始めたわけである。

滞在中の14日、シン首相は、衆議院で演説をした。その内容を、日本のマスメディアは、新聞・テレビとも報道していないことが、インターネット上で問題になった。ネットのユーザーが次々に演説文を転載して伝達した。それによって、シン首相の演説内容が徐々に知られるにいたっている。

シン首相の演説は、衆議院TVのサイトでは公開されている。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm?ex=VL

しかし、演説の文章は、衆議院のサイトに掲載されていない。外務省のサイトにも掲載されていない。

今日インドは日本にとって既に重要な存在であり、これからインドの成長とともにますますその重要性を増していくことは確実である。それを考えると、このたびのメディアの対応は、マスコミの社会的役割を果たしていない。おそらく中国共産党の反発を恐れて、自粛したものだろう。

インドの現在と今後の可能性及びシン首相の人物について知れば、一層この演説の歴史的意義と、その演説内容を報道しないことの欺瞞性が明らかになるだろう。

わが国は、これまでの偏向を脱し、アジア全体、地球全体を視野に入れて、21世紀の戦略を考え、行動すべきである。

 

1.報道されなかったシン首相の衆議院演説

 

シン首相が国会で行なった演説は、以下のような内容のものである。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
マンモハン・シン・インド首相演説

2006年12月14日
東京

河野洋平衆議院議長閣下
扇千景参議院議長閣下
安倍晋三内閣総理大臣閣下
衆議院議員ならびに参議院議員の皆様
著名な指導者の皆様ならびにご列席の皆様

 この威厳のある議会において演説の機会を得ましたことは栄誉なことと認識しております。我々二カ国の国民が互いに寄せる善意と友情の表れです。
 ご列席の皆様
 日本とインドは文明的にも近い国であります。我々の最も古い絆を形成するのが、共通する遺産でもある仏教です。二つの文化は歴史を通して交流し、豊かさを増してきました。1000年余り前、インドの僧侶ボディセナ(菩提僊那)は、東大寺の大仏開眼供養に参列するため奈良を訪れました。近代においては、タゴールと岡倉天心が、アジアの偉大なる両国の間に理解の新しい架け橋を築きました。
 科学技術の発展に基づく明治維新以降の日本の近代化と、戦後に日本再建の基となった活力と気概は、インドの初代首相であるジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。
 インドが日本からのODA(政府開発援助)の最初の受益国になるよう尽力されたのは、当時の岸信介総理大臣でした。今日、インドは日本のODAの最大の受益国であり、こうした援助に我々は深く感謝しております。
 日本の工業は、自動車や石油化学などインド産業の発展のために貴重な役割を果してきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥った時期、日本は迷うことなく支援し続けてくださいました。
 1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています。
 こうした出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです。
 日本を訪れるたびに、お国の発展を見て真に鼓舞され、寛大さに心を打たれます。私は、1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それは、インドの財務相として初の両国間の訪問でした。
 1991年に前例のない経済危機に対処した際、日本から送られた支援に謝意を述べるための訪日でした。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく経済を開放し、新たな前進への道を乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでした。当時、弾力性や献身といった長所、あるいは逆境にあって如何に機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとして、我々は日本に目を向けたのでした。
 新生インドの首相として、今日、私は日本に戻ってまいりました。過去15年間、インド経済は年率平均6パーセントを上回る成長を遂げてきました。近年は一層弾みがつき、成長率は年間8パーセント以上に加速しています。現在、インドの投資率は対GNP比で30パーセントに相当します。1990年代初頭に立ち上げた広範な経済改革の結果、インド経済は、経済のグローバル化と多極化の進む世界の出現によってもたらされた課題やチャンスを受けいれる柔軟性を身につけました。
 インドは、開かれた社会、開かれた経済として前進を続けています。民主的な政体の枠組みの中でインドを変容させようとする我々の努力が成功を収めることは、アジアと世界の平和と発展にとって極めて重要です。これまでに、10億を超える人々が民族や文化など多元的な要素を抱えた民主主義の枠組みの中で貧困を撲滅し、社会と経済を現代化しようと試みた例は全くありません。
 インドは、現在、持続的な高度成長の波に乗っていると思います。サービス主導型かつ技術先導型の経済によるグローバル経済との統合という新しいモデルを開発してきました。今日、インドは、情報技術、バイオテクノロジー、医薬品など、知識を基礎とする分野で主要な役割を担う国として台頭してきました。道路、鉄道、電気通信、港湾、空港などから成る物理的および社会的インフラを拡大し現代化するため、大規模な投資が行われています。こうした発展は、インドの製造業の競争力と生産性を大いに高めるでしょう。
 インドと日本が両国間の結びつきを急速に発展させるための土台は、こうした経過と国際的な筋書きの変化によって生まれました。二つの古代文明にとって、戦略的かつグローバルな関係を含む、強固で今日的な関係を構築する時が到来したと思います。それは、アジアと世界にとって大変重要な意味をもつでしょう。
 我々は、自由、民主主義、基本的権利、法の支配という普遍的に擁護された価値を共有するアジアの二つの大国です。両国間に存在するこの共通の価値と膨大な経済的補完性を活用し、互いに相手国を最重要と認める強固なパートナーシップを築いていかなければなりません。
 また、新たな国際秩序の中で、インドと日本は国力に見合った均衡の取れた役割を演じなければならないという点でも、考え方を共有しています。日印間の強い絆は、開かれた包容力のあるアジアを構築し、地域の平和と安定を強化するための重要な要素です。
 経済関係が二国間関係の基盤となるべきであり、この分野での結びつきを強力に推し進めることが必要です。日印間の貿易や投資は、到底その可能性を発揮しているとはいえません。それとは対照的に、インドと中国、インドと韓国の貿易は好調で、昨年は両国との貿易がおよそ40パーセントの伸びを示しました。中国との貿易は日印貿易の3倍近くに膨らんでおり、韓国との貿易も日印貿易とほぼ肩を並べています。
 経済協力の可能性を十分に生かすには、両国の政府、経済界、産業界の積極的な努力が必要です。
 将来、このパートナーシップを築くことができる最も重要な分野は、知識経済であると信じています。両国の経済構造、比較的得意な分野の均衡状態、人口動態の違いなどを考えれば納得できるでしょう。
 科学技術の分野でも、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、生命科学、情報通信技術といった将来の成長分野での提携を加速させていく必要があります。インドのソフト産業と日本のハード産業は、相乗効果を活用しながら発展しなければなりません。
 心ある賢人同士のパートナーシップは、人事の交流をより盛んにすることを意味します。私は、インドにおいて日本語を学ぶ学生の数が増えることを願っています。日本語は、既にインドの中等教育で外国語の選択科目として導入されています。明日、安部総理大臣と私は、「将来への投資構想」を立ち上げます。今後数年の間に何千人ものインドの若者が日本語を学ぶことができるようにしたいと望んでいます。
 相互が関心を持っているもう一つの分野は、エネルギーの安全保障です。アジア地域全体として、エネルギー供給の安全を保障し、エネルギー市場を効率的に機能させることが必要です。
 我々は貿易とエネルギーの流れを確保するために、シーレーンを保護することを含めた、防衛協力の促進に同等の関心をよせています。
 日本と同様にインドも、増加するエネルギー需要に対応するため、原子力が現実的でクリーンなエネルギー資源だと考えています。これを実現させるために、国際社会による革新的で前向きな取り組みが軌道に乗るよう、我々は日本の支援を求めます。
 テロは平和に対する共通の脅威で、開かれた我々の社会の調和と組織を脅かします。テロには多くの側面があり、その原因も多様で、地理的な境界も無視されるという複雑な問題なのです。我々が力を合わせないかぎり、テロとの戦いには勝てません。
 私は、国連と国連安全保障理事会が今日の情勢に対応できるものになるよう、その活性化と改革に向けて両国が協力してきたことをうれしく思います。両国は国連とさまざまな国連関係機関の効率強化に関心を持っています。この意味において、今、我々が置かれているグローバル化された世界で、各国の相互依存関係を秩序正しく公正に運営していくべく、両国の協力関係を強化しなければなりません。
 アジアで最大の民主主義国と最も発達した民主主義国である両国は、お互いの発展と繁栄に利害関係を有しています。我々は、インドの経済環境が投資のしやすいものになるよう努める決意です。日本企業に是非インドにおけるプレゼンスを拡大していただきたいのです。安部総理大臣と私は、二国間の投資、貿易、テクノロジーの流れを増大させるべく、包括的経済連携協定の締結につながる交渉を開始します。
 我々のパートナーシップは、アジア全域に「優位と繁栄の弧」を創出する可能性を秘めています。それは、アジア経済共同体の形成の基礎となるものです。
 こういった日印間のパートナーシップを拡大させたいという希望や抱負は、あらゆるレベルでの交流を増すことによってのみ現実のものとなります。我々はハイレベルでの「エネルギー対話」を設置することで合意していますが、このような機会がさらに多くの分野で設置されるべきであり、とりわけ貿易と産業分野では不可欠です。
 ご列席の皆様、いかなる戦略的パートナーシップにおいても、その礎となるのは人々の友情です。日本の若者の間で映画『踊るマハラジャ』が人気を博していると聞き、うれしく思っています。インドの子供たちは、日本のロボット『踊るアシモ』を見て歓声を上げていました。また、日本ではインド料理店の数が驚異的に増えているようですし、インドでも寿司と天婦羅への人気が高まってきたことは間違いありません。
 2007年は日印友好年であり、日印観光交流年でもあります。さらに、両国を結ぶ航空便の大幅な増便も望んでいます。老いも若きも多くの日本人がインドを訪れ、古代と現代のインドが放つ数多くの輝きをご自身の目で見てほしいと思います。
 インドと日本の新たなパートナーシップという構想は、本日、その決定的瞬間を迎えました。私の訪日はこの構想を具体化するためであり、21世紀をアジアの世紀にするために我々が努力して演じている役割に、将来の世代が感謝することができるようにするためなのです。
 ご清聴、ありがとうございました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 マンモハン・シン首相は、演説の中で、重要なことをいくつも述べている。ネール首相が日本の近代化と復興に学ぼうとしたこと、日本のODA支援と岸信介元首相への感謝、90年代のインド経済危機への支援への謝意、インドは戦後賠償を放棄したこと、東京裁判でのパル判事の見解、民主主義国同志である日印のパートナーシップの構築、インドのソフト産業と日本のハード産業の相乗効果、シーレーン保護を含めた防衛協力、国連における日印の協力、インドへの日本企業の進出の要請、アジア経済共同体の形成等である。
 この演説は、歴史的な意義を持った演説となるだろう。日本とインドの関係においてだけではない。アジアの安定と繁栄にとっても、世界の平和と協調にとっても。
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2.マンモハン・シンという指導者


 アジアには、20世紀の後半以降、インドネシアのスカルノ、シンガポールのリー・クワン・ユー、マレーシアのマハティール等、優れた指導者が多く現れている。中でも、10億の人口を抱える世界最大のデモクラシー国家・インドを、国家破産の危機から驚異的な発展に導いたマンモハン・シンは、偉大な指導者だと思う。中国のケ小平と比較することもできようが、独裁・強権によってではなく、話し合いと合意によって、改革を実現していることに、大きな違いがある。
 以下は、ほとんどの内容を慶応大学教授の榊原英資氏に負っている。氏の著書『経済の世界勢力図』(文藝春秋)、『インドを知らん明日の日本を語ったらあかんよ』(竹村健一氏との対談、PHP)等による。

 インドは、1947年の独立以来、政治体制はデモクラシーだが、経済的には政府主導の社会主義政策を取ってきた。規制と管理を続けてきたツケで、財政赤字と経常赤字がどんどん悪化し、1991年1月には、のっぴきならない状況になっていた。
 そこに、勃発したのが、湾岸戦争。原油が暴騰した。当時インドの国際収支は、印僑(海外に居住するインド人僑)からの送金で何とか支えられていた。その送金が、戦争の影響で止まってしまった。しかも、預金が海外逃避して、外貨準備高は年間輸入額のわずか2週間分、7億ドルまで落ち込んでしまった。ソ連圏の崩壊によって、主要な貿易相手国も失っていた。

 経済がこうした状況だから、政治も大混乱に陥った。91年の下院選挙中に、国民会議派のリーダー、ラジブ・ガンジー元首相が暗殺された。ここに至り、IMFやインド援助国会議は、対インド融資の延期を決定。インドはデフォルト(国家債務不履行)の間際まで追い詰められた。
 その最中に誕生したのが、国民会議派のナラシムハ・ラオ政権。ラオ政権は、起死回生を賭けて、「新経済政策」を実施した。その中心となった者こそ、財務大臣に就任したマンモハン・シンだった。IMFと世界銀行から約28億ドルの支援を取り付け、市場経済体制を選択して、経済改革を断行した。

 新経済政策は、次のようなものである。
@産業許認可制度と輸入許認可制度の事実上の廃止
A公的部門での独占事業を民間に開放
B輸出補助金の撤廃
C平均関税率の大幅な引き下げ
D外資出資制度の緩和
E財政支出の大幅削減
F通貨の切り下げの断行
等である。
 こうした政策の実施によって、インドは劇的に立ち直った。GDP成長率は、91年度には、0.9%と低迷していたが、95年度には7%にまで上昇した。インフレも鎮まり、外貨準備高は170臆ドルを超えた。

 マンモハン・シンは、1932年生まれ。オックスフォード大学の学位を持つ。国家破産の危機に瀕していたインド経済を立て直したその手腕は、イギリスの『エコノミスト』誌によって、「改革の設計師」と称えられている。まさに「インド改革の生みの親」といっていい人物なのである。
 ところが、国内に複雑な事情を抱えるインド。96年の下院選挙では、与党・国民会議派が、インド人民党に敗れ、シンも蔵相を辞任した。しかし、シンの経済改革の基本方針は、新たなバジパイ政権でも変わることなく実行された。
 2004年5月の下院選挙では、国民会議派が雪辱。総裁ソニア・ガンジーは、マンモハン・シンに政権を託した。以来、首相となったシンによる改革は、再び勢いよく推し進められてきた。

 1980年代に活発化した東欧の民主化運動は、ソ連の崩壊をもたらした。宗主国・ソ連の解体によって、アジア・アフリカ・ラテンアメリカでも強い影響力を持っていた社会主義が大きく後退した。インドも、ソ連との関係が深い国だったが、ソ連・東欧の共産主義体制の瓦解によって、新生インドが誕生したわけである。

 インドは、社会主義をやめ、自由化に転換した。この点、インドは、共産主義の統制政治を固守している中国とは、大きな対比をなす。
 中国は、1978年にケ小平が改革開放政策を始めた。インドの改革は、中国に13年遅れた。しかし、スタートが遅れたおかげで、インドはまったく新しい道を進むことができた。IT革命と同時期に経済改革を行うことになったのだ。ソフトウエア産業の育成を、経済戦略の核にすえるには、またとないタイミングだった。驚異的に高い数理的能力を持つインド人の本領が発揮され、IT産業が高成長を続け、インド経済を牽引することになった。インドは、かつての借金大国から純債権国へと、ごく短期間に転換した。

 このインドを指導するシン政権は現在、貧困対策の基本に、インフラの整備と製造業の活性化による雇用の拡大を掲げている。IT中心だったこれまでの成長パターンから、産業の裾野を広げる意図がある。
 インドでは、中産階級(年収3000ドル以上)が急増しており、その数は1億5千万人といわれる。日本の人口より多いのである。この新しい消費者によって、自動車、家電製品、マンション、化粧品等の需要が拡大している。その成長可能性は、中国にまさることを世界のエコノミストの多くが、指摘している。
 そのインドの指導者が日本に率直に感謝し、敬意を表し、さらなる協力を求めているのである。

 インドは、人類史上、どこも経験したことのない発展の仕方をしようとしている。まずハイテクのITが先行し、ひどく遅れていたインフラや製造業が後から伸びるというIT主導の成長パターンである。これを企画し、推進しているのが、マンモハン・シン首相とその政権である。
 インドは、これまで弱点だった道路、港湾、電力、空港、通信などのインフラの整備と製造業に力を入れている。これは、日本や日本の企業にとって、大きなビジネス・チャンスである。しかし、日本は国も企業も、インドの重要性を深く理解し、積極的に行動できていなかった。欧米や韓国に大きく後れを取っている。
 こうした時期に、マンモハン・シン首相が日本を訪れ、衆議院で演説をした。その内容は、21世紀の日本・アジア・世界を考える時、日本人に戦略的な視野と思考を促す、非常に重要な演説だと思う。
 残念ながら、その演説がマスメディアでは報道されていないのである。衆議院や外務省のサイトにも文書が掲載されていない。安倍首相とシン首相は、共同声明を発表したのだから、行政やマスメディアは、相手国首相の国会演説の内容を国民に知らせ、日本とインドのパートナーシップの意義を、周知すべきだろう。
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3.安倍首相とシン首相の画期的な共同声明


 安倍首相とシン首相による共同声明は、「『日印戦略的グローバル・パートナーシップ』に向けた共同声明」と題して、外務省のサイトにその骨子が掲載されている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0612_gps_ks.html
 この声明は、「安倍総理とシン首相は、両国がアジアで最も発展した民主主義国及びアジア最大の民主主義国として、アジアと世界の平和と安定に積極的な役割を果たさなければならないこと、地域的・世界的な挑戦に対応する責任と能力を有することを認識し、日印関係を更なる高みへと引き上げるため、「戦略的グローバル・パートナーシップ」の構築を決意した」という前置きで始まる。
 「政治、防衛、安全保障における協力」「包括的な経済パートナーシップ」「科学技術イニシアティブ」「国民交流」「地域的・国際的協力」の5項目にわたり、さまざまな合意事項が掲載されている。どれもじゅうようだが、二国間関係で基礎となるのは経済だから、その項目のみ見ると、以下の点が合意された。

1)経済連携協定(EPA)交渉を速やかに開始することを決定。およそ2年のうちの可能な限り早期に交渉を実質的に終了させることを目指すことを確認。
2)インド側は、インドが円借款の最大の受取国であることを評価。日本側は、インドが引き続きODAの重点国であることを確認。
3)日本企業の対印投資促進のためのインフラ整備、インド製造業の強化のための人材育成等を内容とする「経済パートナーシップ・イニシアティブ(SEPI)」を発表。
4)インド幹線貨物鉄道輸送力強化計画に関するJICAの開発調査の中間報告提出を歓迎。
5)インド情報技術大学(IIIT)への協力を確認。
6)スズキ、ホンダ、日産、三井物産のプロジェクトのような日本からインドへの主要な投資プロジェクトを歓迎。
7)日印両国のビジネスリーダーから構成される「ビジネスリーダーズ・フォーラム」の立ち上げを表明。両首脳はフォーラムに助言する上級代表も指名。
8)ハイテク貿易を円滑化し、輸出管理制度に関する事項を扱うための協議メカニズムを立ち上げることを決定。
9)閣僚級の日印エネルギー対話の開始を確認。都市開発、情報通信技術、知的財産等の分野における協力を確認。

 私としては、単なる経済的利益の追求ではなく、自然環境との調和に基づく「持続可能な社会」を目指した協力を追求してほしいと思う。日本とインドには、東洋文明の伝統を踏まえて、21世紀の世界で、新しい文明のモデルを創造する責務があると思う。
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結びに〜アジア全体、地球全体を視野に入れた戦略を


 シン首相は安倍総理に対し、来年中の訪印を招請し、安倍総理はこの招請を受け入れた。日本は、インドという新たな戦略的なパートナーと本格的な付き合いを始めた。このことは、日本は、中国に対して、インドというカードを持つことを意味することでもある。
 共産中国とインドは、対照的である。――反日的な中国と、親日的なインド。共産主義の中国と、デモクラシーのインド。日本のODAに感謝するどころかゆすりたかりのようにする中国と、日本の援助に感謝するインド。約束無視・権利侵害を平気でする中国と、国際的な商慣習を守るインド。核ミサイルを日本に向けて恫喝する中国と、シーレーンの防衛に協力を求めるインド。国内に多くの矛盾が高まり崩壊の可能性のある中国と、若々しい成長力をもったインド等。
 中国の政治的・経済的重要性は言うまでもないが、日本人としての誇りを捨ててまで、目先の利益のために、共産党に媚び、おもねることはない。インドという良き友との付き合いを深めながら、共産中国との関係は主体的に調整していけば良い。

 共産中国と同じく北朝鮮や現在の韓国政府も、反日的・侮日的である。現在の経済や外交、領土、安全保障等の国家間問題を有利にするために、歴史認識や歴史教育、靖国参拝等の問題を持ち出し、執拗にわが国を批判している。
 日本人は、これらの国々をもって、アジア全体的であるかのように錯覚しやすい。しかし、これらの「特定アジア」の国々が例外なのであって、それ以外の国は、日本に敬意と感謝を示し、日本の協力を要望している。インド以外にも、台湾、東南アジア諸国、オ−ストラリア、トルコ、アラブ諸国等、親日的・友好的な国々の方が、はるかに多い。
 政治家・官僚・財界人・マスコミ人は、アジア全体、地球全体を視野に入れ、21世紀の世界で、日本はどう生き抜き、また世界に貢献すべきか。戦略的に考え、行動すべきだと思う。
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関連掲示

  拙稿「中国偏重からインドへのシフト

  拙稿「日米印の戦略的協力の強化を

 

補説1 翌年安倍首相が訪印し、感動的な演説を行った

2007.12.1

 シン首相の訪日及び日印共同声明の翌年、平成19年(2007年)8月、安倍首相はインドを訪問した。その際、インドの国会で演説を行った。シン首相の日本国会における演説も素晴らしいものだったが、安倍首相のインド国会における演説も勝るとも劣らない立派なものである。以下のような内容である。

 

●外務省のサイトより

 

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0822.html

インド国会における安倍総理大臣演説

 

「二つの海の交わり」 Confluence of the Two Seas

平成19年8月22日

 

モハンマド・ハミド・アンサリ上院議長、

マンモハン・シン首相、

ソームナート・チャタジー下院議長、

インド国民を代表する議員の皆様と閣僚、大使、並びにご列席の皆様、

 

 初めに私は、いまこの瞬間にも自然の大いなる猛威によって犠牲となり、苦しみに耐えておられる方々、ビハール州を中心とする豪雨によって多大の被害を受けたインドの皆様に、心からなるお見舞いを申し上げたいと思います。

 さて、本日私は、世界最大の民主主義国において、国権の最高機関で演説する栄誉に浴しました。これから私は、アジアを代表するもう一つの民主主義国の国民を代表し、日本とインドの未来について思うところを述べたいと思っています。

 The different streams, having their sources in different places, all mingle their water in the sea.

 インドが生んだ偉大な宗教指導者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)の言葉をもって、本日のスピーチを始めることができますのは、私にとってこのうえない喜びであります。

 皆様、私たちは今、歴史的、地理的に、どんな場所に立っているでしょうか。この問いに答えを与えるため、私は1655年、ムガルの王子ダーラー・シコー(Dara Shikoh)が著した書物の題名を借りてみたいと思います。

 すなわちそれは、「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)が生まれつつある時と、ところにほかなりません。

 太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、一つのダイナミックな結合をもたらしています。従来の地理的境界を突き破る「拡大アジア」が、明瞭な形を現しつつあります。これを広々と開き、どこまでも透明な海として豊かに育てていく力と、そして責任が、私たち両国にはあるのです。

 私は、このことをインド10億の人々に直接伝えようとしてまいりました。だからこそ私はいま、ここ「セントラル・ホール」に立っています。インド国民が選んだ代議員の皆様に、お話ししようとしているのです。

 

 日本とインドの間には、過去に幾度か、お互いを引き合った時期がありました。

 ヴィヴェーカーナンダは、岡倉天心なる人物――この人は近代日本の先覚にして、一種のルネサンス人です――が、知己を結んだ人でありました。岡倉は彼に導かれ、その忠実な弟子で有名な女性社会改革家、シスター・ニヴェーディター(Sister Nivedita)とも親交を持ったことが知られています。

 明日私は、朝の便でコルカタへ向かいます。ラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事のご子息に、お目にかかることとなるでしょう。極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパール判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めているのです。

 ベンガル地方から現れ、日本と関わりを結んだ人々は、コルカタの空港が誇らしくも戴く名前の持ち主にせよ、ややさかのぼって、永遠の詩人、ラビンドラナート・タゴールにしろ、日本の同時代人と、いずれも魂の深部における交流を持っていました。まったく、近代において日本とインドの知的指導層が結んだ交わりの深さ、豊かさは、我々現代人の想像を超えるものがあります。

 にもかかわらず、私はある確信を持って申し上げるのですが、いまインドと日本の間に起きつつある変化とは、真に前例を見ないものです。第一に、日本における今日のインド熱、インドにおける例えば日本語学習意欲の高まりが示しているように、それは一部特定層をはるかに超えた国民同士、大衆相互のものです。

 背後にはもちろん、両国経済が関係を深めていくことへの大きな期待があります。その何より雄弁な証拠は、今回の私の訪問に、日本経団連会長の御手洗富士夫さん始め、200人ちかい経営者が一緒に来てくれていることです。

 第二に、大衆レベルでインドに関心を向けつつある日本人の意識は、いま拡大アジアの現実に追いつこうとしています。利害と価値観を共にする相手として、誰に対しても透明で開かれた、自由と繁栄の海を共に豊かにしていく仲間として、日本はインドを「発見」(The Discovery of India)し直しました。

 インドでは、日本に対して同じような認識の変化が起きているでしょうか。万一まだだとしても、今日、この瞬間をもって、それは生じたと、そう申し上げてもよろしいでしょうか?

 

 ここで私は、インドが世界に及ぼした、また及ぼし得る貢献について、私見を述べてみたいと思います。当の皆様に対して言うべき事柄ではないかもしれません。しかし、すぐ後の話に関連してまいります。

 インドが世界史に及ぼすことのできる貢献とはまず、その寛容の精神を用いることではないでしょうか。いま一度、1893年シカゴでヴィヴェーカーナンダが述べた意味深い言葉から、結びの部分を引くのをお許しください。彼はこう言っています。

 "Help and not Fight", "Assimilation and not Destruction", "Harmony and Peace and not Dissension."

 今日の文脈に置き換えてみて、寛容を説いたこれらの言葉は全く古びていないどころか、むしろ一層切実な響きを帯びていることに気づきます。

 アショカ王の治世からマハトマ・ガンディーの不服従運動に至るまで、日本人はインドの精神史に、寛容の心が脈々と流れているのを知っています。

 私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います。

 私が思うインドの貢献とは第二に、この国において現在進行中の壮大な挑戦そのものであります。

 あらゆる統計の示唆するところ、2050年に、インドは世界一の人口を抱える国となるはずです。また国連の予測によれば、2030年までの時期に区切っても、インドでは地方から大小都市へ、2億7000万人にものぼる人口が新たに流れ込みます。

 インドの挑戦とは、今日に至る貧困との闘いと、人口動態の変化に象徴的な社会問題の克服とを、あくまで民主主義において成し遂げようとしている、それも、高度経済成長と二つながら達成しようとしているという、まさしくそのことであろうと考えるのです。

 一国の舵取りを担う立場にある者として、私は皆様の企図の遠大さと、随伴するあろう困難の大きさとに、言葉を失う思いです。世界は皆様の挑戦を、瞳を凝らして見つめています。私もまた、と申し添えさせていただきます。

 

 皆様、日本はこのほど貴国と「戦略的グローバル・パートナーシップ」を結び、関係を太く、強くしていくことで意思を一つにいたしました。貴国に対してどんな認識と期待を持ってそのような判断に至ったのか、私はいま私見を申し述べましたが、一端をご理解いただけたことと思います。

 このパートナーシップは、自由と民主主義、基本的人権の尊重といった基本的価値と、戦略的利益とを共有する結合です。

 日本外交は今、ユーラシア大陸の外延に沿って「自由と繁栄の弧」と呼べる一円ができるよう、随所でいろいろな構想を進めています。日本とインドの戦略的グローバル・パートナーシップとは、まさしくそのような営みにおいて、要(かなめ)をなすものです。

 日本とインドが結びつくことによって、「拡大アジア」は米国や豪州を巻き込み、太平洋全域にまで及ぶ広大なネットワークへと成長するでしょう。開かれて透明な、ヒトとモノ、資本と知恵が自在に行き来するネットワークです。

 ここに自由を、繁栄を追い求めていくことこそは、我々両民主主義国家が担うべき大切な役割だとは言えないでしょうか。

 また共に海洋国家であるインドと日本は、シーレーンの安全に死活的利益を託す国です。ここでシーレーンとは、世界経済にとって最も重要な、海上輸送路のことであるのは言うまでもありません。

 志を同じくする諸国と力を合わせつつ、これの保全という、私たちに課せられた重責を、これからは共に担っていこうではありませんか。

 今後安全保障分野で日本とインドが一緒に何をなすべきか、両国の外交・防衛当局者は共に寄り合って考えるべきでしょう。私はそのことを、マンモハン・シン首相に提案したいと思っています。

 

 ここで、少し脱線をいたします。貴国に対する日本のODAには、あるライトモティーフがありました。それは、「森」と「水」にほかなりません。

 例えばトリプラ州において、グジャラート州で、そしてタミル・ナード州で、森の木を切らなくても生計が成り立つよう、住民の皆様と一緒になって森林を守り、再生するお手伝いをしてまいりました。カルナタカ州でも、地域の人たちと一緒に植林を進め、併せて貧困を克服する手立てになる事業を進めてきました。

 それから、母なるガンジスの流れを清めるための、下水道施設の建設と改修、バンガロールの上下水道整備や、ハイデラバードの真ん中にあるフセイン・サーガル湖の浄化――これらは皆、インドの水よ、清くあれと願っての事業です。

 ここには日本人の、インドに対する願いが込められています。日本人は、森をいつくしみ、豊富な水を愛する国民です。そして日本人は、皆様インドの人々が、一木一草に命を感じ、万物に霊性を読み取る感受性の持ち主だということも知っています。自然界に畏れを抱く点にかけて、日本人とインド人にはある共通の何かがあると思わないではいられません。

 インドの皆様にも、どうか森を育て、生かして欲しい、豊かで、清浄な水の恩恵に、浴せるようであってほしいと、日本の私たちは強く願っています。だからこそ、日本のODAを通じた協力には、毎年のように、必ず森の保全、水質の改善に役立つ項目が入っているのです。

 私は先頃、「美しい星50(Cool Earth 50)」という地球温暖化対策に関わる提案を世に問いました。温室効果ガスの排出量を、現状に比べて「50」%、20「50」年までに減らそうと提案したものです。

 私はここに皆様に呼びかけたいと思います。「2050年までに、温室効果ガス排出量をいまのレベルから50%減らす」目標に、私はインドと共に取り組みたいと思います。

 私が考えますポスト京都議定書の枠組みとは、主な排出国をすべて含み、その意味で、いまの議定書より大きく前進するものでなくてはなりません。各国の事情に配慮の行き届く、柔軟で多様な枠組みとなるべきです。技術の進歩をできるだけ取り込み、環境を守ることと、経済を伸ばすこととが、二律背反にならない仕組みとしなくてはなりません。

 インド国民を代表する皆様に、申し上げたいと思います。自然との共生を哲学の根幹に据えてこられたインドの皆様くらい、気候変動との闘いで先頭に立つのにふさわしい国民はありません。

 どうか私たちと一緒になって、経済成長と気候変動への闘いを両立させる、難しいがどうしても通っていかなくてはならない道のりを、歩いて行ってはくださいませんでしょうか。無論、エネルギー効率を上げるための技術など、日本としてご提供できるものも少なくないはずであります。

 

 先ほどご紹介しましたとおり、私の今度の旅には、日本を代表する企業の皆様が200人ちかく、一緒に来てくれています。まさに今、この時間帯、インド側のビジネスリーダーとフォーラムを開き、両国関係強化の方策を論じてくださっているはずです。

  こうなると、私も、日本とインドとの間で経済連携協定を、それも、世界の模範となるような包括的で質の高い協定を一刻も早く結べるよう、日本側の交渉担当者を励まさなくてはなりません。インドの皆様にも、早く締結できるようご支持を賜りたいと、そう思っております。

 両国の貿易額はこれから飛躍的に伸びるでしょう。あと3年で200億ドルの線に達するのはたぶん間違いないところだと思います。

  シン首相は、ムンバイとデリー、コルカタの総延長2800キロメートルに及ぶ路線を平均時速100キロの貨物鉄道で結ぶ計画に熱意を示しておいでです。あと2カ月もすると、開発調査の最終報告がまとまります。大変意義のある計画ですから、これに日本として資金の援助ができるよう、積極的に検討しているところです。

 そしてもう一つ、貨物鉄道計画を核として、デリーとムンバイを結ぶ産業の大動脈をつくろうとする構想については、日本とインドの間で今いろいろと議論を進めています。とくにこの構想を具体化していくための基金の設立に向けて、インド政府と緊密に協力していきたいと考えています。

 今夕、私はシン首相とお目にかかり、日本とインドの関係をこれからどう進めていくか、ロードマップをご相談するつもりです。会談後に、恐らくは発表することができるでありましょう。

 この際インド国民の代表であられる皆様に申し上げたいことは、私とシン首相とは、日本とインドの関係こそは「世界で最も可能性を秘めた二国間関係である」と、心から信じているということです。「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である」という捉え方においても、二人は完全な一致を見ています。

 

 インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい「拡大アジア」が形をなしつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じております。

 そこで私は、今後5年にわたり、インドから毎年500人の若者を日本へお迎えすることといたしました。日本語を勉強している人、教えてくれている人が、そのうちの100人を占めるでしょう。これは、未来の世代に対する投資にほかなりません。

 しかもそれは、日本とインド両国のためはもとよりのこと、新しい「拡大アジア」の未来に対する投資でもあるのです。世界に自由と繁栄を、そしてかのヴィヴェーカーナンダが説いたように異なる者同士の「共生」を、もたらそうとする試みです。

 それにしても、インドと日本を結ぶ友情たるや、私には確信めいたものがあるのですが、必ず両国国民の、魂の奥深いところに触れるものとなるに違いありません。

 私の祖父・岸信介は、いまからちょうど50年前、日本の総理大臣として初めて貴国を訪問しました。時のネルー首相は数万の民衆を集めた野外集会に岸を連れ出し、「この人が自分の尊敬する国日本から来た首相である」と力強い紹介をしたのだと、私は祖父の膝下(しっか)、聞かされました。敗戦国の指導者として、よほど嬉しかったに違いありません。

 また岸は、日本政府として戦後最初のODAを実施した首相です。まだ貧しかった日本は、名誉にかけてもODAを出したいと考えました。この時それを受けてくれた国が、貴国、インドでありました。このことも、祖父は忘れておりませんでした。

 私は皆様が、日本に原爆が落とされた日、必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。それから皆様は、代を継いで、今まで四頭の象を日本の子供たちにお贈りくださっています。

 ネルー首相がくださったのは、お嬢さんの名前をつけた「インディラ」という名前の象でした。その後合計三頭の象を、インド政府は日本の動物園に寄付してくださるのですが、それぞれの名前はどれも忘れがたいものです。

 「アーシャ(希望)」、「ダヤー(慈愛)」、そして「スーリヤ(太陽)」というのです。最後のスーリヤがやって来たのは、2001年の5月でした。日本が不況から脱しようともがき、苦しんでいるその最中、日本の「陽はまた上る」と言ってくれたのです。

 これらすべてに対し、私は日本国民になり代わり、お礼を申し上げます。

 

 最後に皆様、インドに来た日本人の多くが必ず目を丸くして驚嘆するのは、なんだかご存知でしょうか。

 それは、静と動の対照も鮮やかな「バラタナティアム」や、「カタック・ダンス」といったインドの舞踊です。ダンサーと演奏家の息は、リズムが精妙を極めた頂点で、申し合わせたようにピタリと合う。――複雑な計算式でもあるのだろうかとさえ、思いたがる向きがあるようです。

 インドと日本も、そんなふうに絶妙の同調を見せるパートナーでありたいものです。いえ必ずや、なれることでありましょう。

 ご清聴ありがとうございました。

 

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 最後の一文を読み終えて安倍総理が深い礼をした直後、静寂が打ち破られ、インドの国会議員が全員総立ちになり、長く拍手が鳴り止まなかったという。またインドの主要メディアは一言も略さず全文を伝えた。

 とりわけ、次の部分は深く感動的である。

 「私は皆様が、日本に原爆が落とされた日、必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。それから皆様は、代を継いで、今まで四頭の象を日本の子供たちにお贈りくださっています。

 ネルー首相がくださったのは、お嬢さんの名前をつけた『インディラ』という名前の象でした。その後合計三頭の象を、インド政府は日本の動物園に寄付してくださるのですが、それぞれの名前はどれも忘れがたいものです。

 『アーシャ(希望)』、『ダヤー(慈愛)』、そして『スーリヤ(太陽)』というのです。最後のスーリヤがやって来たのは、2001年の5月でした。日本が不況から脱しようともがき、苦しんでいるその最中、日本の「陽はまた上る」と言ってくれたのです。

 これらすべてに対し、私は日本国民になり代わり、お礼を申し上げます」

 

 だが、わが国では、演説の内容はおろか演説があったことさえ、ほとんど報道されなかった。その理由は、一つは中国に対する恐れとへつらい、もう一つはインドに対する無知と侮りによるだろう。ページの頭へ

 

補説2 6年半後、安倍・シン両首相が再び共同声明

2013.6.25

 安倍晋三氏は、平成24年(2012)12月に首相の座に返り咲いた。25年(2013)5月29日、第2次安倍内閣を率いる安倍氏は、来日したインドのシン首相と会談し、共同声明を発表した。両氏による二度目の共同声明は「国際法の諸原則に基づく航行の自由への関与」に言及し、東シナ海や南シナ海で権益拡大の野心をあらわにする中国を牽制した。

 安全保障は、海上自衛隊の救難飛行艇US−2の輸出に向けた合同作業部会の設置や、海自とインド海軍の共同訓練の活発化で合意した。経済協力では、日本の原発輸出の前提となる原子力協定の「早期妥結」で一致した。首脳会談では、インド政府が進めるムンバイ−アーメダバード間の高速鉄道計画について、共同調査を行うことでも合意した。

 インドは自由と民主主義、法の支配といった普遍的価値を日本と共有しており、安倍首相が掲げる「価値観外交」で重要な位置を占める。インドは中国と並ぶ2大新興経済国であり、今世紀半ばには、GDPで中国を抜くという予想もある。何より、有数の親日国である。

 シン首相は、第1次安倍内閣のときにも来日し、平成18年12月安倍首相と共同声明を発表した。その時から日本とインドは、戦略的なパートナーとして、新たな歩みを始めた。この来日の際、シン首相は、衆議院で演説をした。だが、その内容を、日本のマスメディアは、新聞・テレビとも報道していなかった。おそらく中国共産党の反発を恐れて、自粛したものだろう。

 シン首相は、この演説で、重要なことを述べた。ネール首相が日本の近代化と復興に学ぼうとしたこと、日本のODA支援と岸信介元首相への感謝、90年代のインド経済危機への支援への謝意、インドは戦後賠償を放棄したこと、東京裁判でのパル判事の見解、民主主義国同志である日印のパートナーシップの構築、インドのソフト産業と日本のハード産業の相乗効果、シーレーン保護を含めた防衛協力、国連における日印の協力、インドへの日本企業の進出の要請、アジア経済共同体の形成等である。日本とインドの関係においてだけではなく、アジアの安定と繁栄にとっても、世界の平和と協調にとっても、歴史的な意義を持った演説だった。

 それから、6年半。インドはこの間、確実に成長を続け、存在感を増している。その一方、中国はパキスタンやスリランカ、ミャンマーなどで港湾開発に協力することを通じて、インド洋での拠点づくりを着々と進めている。中国の覇権主義的な海洋進出は、日印両国にとって共通の懸念であり、安全保障の協力が必要である。

 シン首相の訪日に先立って、中国の李克強首相が就任後初の外遊先としてインドを訪問した。中印の「相互信頼」を強調した。インドは、李首相の訪印前の4月中旬に、カシミール地方の支配地で中国人民解放軍の侵入と駐留を受けたばかりだった。中国軍は突如、実効支配線からインド側に10キロ以上も侵入した。インドは3年前から国境警備を軍から警察に移し、国境を守る意思の低下というスキを中国に与えていた。そして李首相の訪印を前に、中国軍の撤退の見返りに監視所を撤去し、塹壕など防御要塞を破壊することに合意してしまったという。こうした体験をしているインドは、日本が尖閣や沖縄をめぐって中国から理不尽な圧力をかけられていることを理解できるだろう。膨張する中国に対し、日印が防衛協力を行い、米国や他のアジア諸国とも協力して「アジア協調」体制を築くべきである。また日印の経済協力を拡大し、中国の進出に一部追従し、一部反発している東南アジア諸国を、自由主義の側に引き付け、日本―東南アジアーインドを結ぶ自由と協調の経済圏を築くべきである。

 

<資料>

外務省のサイトより

 

共同声明 国交樹立60周年を超えた日インド戦略的グローバル・パートナーシップの強化(仮訳)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000005382.pdf

 

安倍晋三総理大臣とマンモハン・シン首相による共同声明(骨子)

〜国交樹立60周年を超えた日インド戦略的グローバル・パートナーシップの強化〜

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000005380.pdf

 

1. 2012年の国交樹立 60周年に祝意。「戦略的グローバル・パートナーシップ」の一層の定着・強化を決意。両陛下に国賓としてインドを御訪問いただけるよう調整することで一致。閣僚級経済対話,2+2対話,日米印協議をはじめサイバー,テロ対策,経済連携等に関する対話・交流評価。海洋に関する対話の実施歓迎。

2. 海上自衛隊とインド海軍との間の二国間共同訓練の定期的・より頻繁な実施。US-2飛行艇に関する協力の態様を模索する合同作業部会(JWG)設置。

3. 包括的経済連携協定第2回合同委員会開催等歓迎。社会保障協定署名を歓迎しつつ,早期発効に向けた作業を関係政府当局に指示。

4. シン首相は, ODAの継続に謝意。円借款案件「ムンバイ地下鉄」(710億)の交換公文署名歓迎,「インド工科大ハイデラバード校」(177億)等の供与意図表明。

5. 貨物専用鉄道建設計画(DFC)の進展,デリー・ムンバイ間産業大動脈構想(DMIC)及び個別事業の進展,チェンナイ・バンガロール地域開発の包括的な統合マスタープラン策定作業の進展を歓迎。

6. 高速鉄道のムンバイ・アーメダバード路線に関する共同調査の実施を決定。

7. 日インド原子力協定の早期妥結に向け交渉を加速。

8. JENESYS2.0によるインド人青少年日本招待。観光の協力強化を確認。インド工科大学ハイデラバード校,インド情報技術大学ジャバルプル校の協力進展,ナーランダ大学に関する日本の平和研究等の貢献の意図,製造業経営幹部育成(VLFM)計画を評価。

9. 国際法に基づく海洋における航行の自由等を再確認。海上保安庁と沿岸警備隊との間の連携訓練の実施歓迎。

10. 東アジア首脳会議(EAS)に関し,ASEAN海洋フォーラム拡大会合開催等歓迎。

11.核兵器の全面的な廃絶に向けた両国のコミットメントを再確認。安倍総理は,包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効の重要性強調。シン首相は,一方的かつ自主的な核実験モラトリアムに対するインドのコミットメントを改めて表明。両首脳は,兵器用核分裂性物質の生産禁止条約(FMCT)の交渉即時開始及び早期締結支持。両首脳は,輸出管理レジームへのインド参加の素地を作るために引き続き作業していくことで一致。

12. アフガニスタン,北朝鮮,テロ対策,気候変動,安保理改革等での協力確認。

13.シン首相による年次首脳会談のための訪印招待を安倍総理受諾。

 

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