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日本的な「保守」の役割と課題

〜右翼・左翼・リベラル等との対比を踏まえて

2005.10.1

 

<目次>

 はじめに

「右翼」「左翼」とは何か

保守主義の源流

日本的な「保守」と西欧の「保守」

「保守」と「進歩」「革新」の違い

「保守」と「リベラル」の違い

「リベラル」と「左翼」との関係

「保守」といわゆる「右翼」との違い

日本的な「保守」の歴史と課題

結びに〜「保守」に日本精神という背骨を

 

ber117

 

はじめに

 

平成17年9月11日、日本の岐路となるだろう衆議院選挙が行われた。結果は自民党の歴史的大勝、民主党の壊滅的惨敗となった。その中で、日本の伝統を尊重する保守系の議員の多数が自民党から公認を得られず、またそのうち約半数が議席を失った。自民党と公明党の選挙協力はかつてないほどに深まり、自公の一体化が進んだ選挙でもあった。今後、自公が一層融合していくのか、それとも数を得た自民党が公明党と決別するときが来るのか、注目されるところである。

衆議院で絶対安定多数を得た自公連立政権は、これからさまざまな「改革」を進めるだろう。参議院はこれに概ね同調するだろう。郵政民営化の次は、憲法改正が焦点となるだろう。

しかし、私はどのような改革も、日本人が自らの伝統的な精神を取り戻し、「日本精神」を発揮することなくして、成功しないと見ている。そのような考えのもとに、これからも日本の舵取りを担う「保守」について検討してみたい。

私の見方は、文明論的な観点に基づく。文明論的とは、幕末における西洋列強との遭遇、今日における中国・コリアとの軋轢等を、文明間の問題としてとらえる見方である。この観点をしっかり持っていないと、日本の「保守」は、日本人本来の精神に基づく「保守」でなくなり、アメリカ・中国・コリアの圧力に右往左往し、従米・媚中・阿朝の「変造」を「改革」と偽るものとなる。それは、日本のためにも世界のためにもならない。私はそのように考えている。

そこで、日本的な「保守」について、右翼・左翼、進歩・革新・リベラルと対比して整理し、その役割と課題を明らかにしたい。

 

 

1.「右翼」「左翼」とは何か

 
 最初に、右翼と左翼とは何かの弁別から始めよう。右翼・左翼という場合、左翼のほうははっきりしている。社会主義・共産主義を信奉する勢力が、左翼である。これに比べ普通、わが国で右翼というと、街宣車で大音量の放送をしている政治結社というイメージを持っている人が多いだろう。自民党とそこから分かれた少数政党は、一般に右翼ではなく、「保守」という。

だが、中国共産党は自民党のことを「右翼」と呼ぶ。「右翼反動勢力」とも言う。「新しい歴史教科書をつくる会」などは、「極右翼」だという。逆にわが国から見れば、中国共産党は左翼であり、国内の左翼以上の「極左翼」である。
 まず言えることは、このように右翼・左翼は、相対的な位置関係を表わす言葉に過ぎないということである。


 右翼・左翼の由来は、フランス革命時代の国民議会にある。国民議会において、議長席から見た左側に革命の急進化を主張するジャコバン党が、右側に革命の急進化に反対するジロンド党が、位置していた。これが、右翼・左翼という用語の始まりである。

ジャコバン党が暴力革命を推進し、煽動された民衆は王政を倒して、共和制を実現した。急進的な共和主義の中から、社会主義が登場した。社会主義は、1848年の二月革命において、世界史の表舞台に登場した。その中に、革命によって「コンミューン(共同体)」をめざす共産主義の思想があった。中心となったのが、マルクス=エンゲルスである。同年同月、「共産党宣言」が出され、マルクス主義的共産主義が、以後の「左翼」の中心となっていく。


 西欧先進国では、1871年のパリ・コミューン以後、マルクスが予言した階級の二極分化、恐慌の到来は起こらず、事務や技術の管理職(ビューロクラット)が現れ、中間階層が増大した。19世紀後半、イギリスを始めとする諸国は、かつてない繁栄を享受した。その繁栄は、産業資本主義の高度な生産力によるとともに、15世紀末以降、白人種が諸大陸に進出・拡張した植民地からの収奪に多くを負っていた。左翼の多数は、議会を通じて社会改良を進める方向に転じた。
 しかし、後進国のロシアで、革命が起こった。レーニンの率いるボルシェビキが、ジャコバン主義的な暴力革命を成功させたのだ。その後、ソ連を中心とするロシア型の共産主義が、世界の共産化を謀って猛威を振るった。


 20世紀以降、左翼と言えば、社会主義・共産主義である。これに対抗して、資本主義・自由主義を守る側は、右翼となる。

右翼と左翼の関係は、左翼の視点から論じられることが多い。左翼は、既存の体制を変革しようとする。フランス革命を肯定し、共和主義を推進し、社会主義・共産主義を実現しようという思想である。これに対抗する右翼は、「進歩(progressive)」に対する「保守(conservative)」、「急進(radical)」に対する「漸進(gradual)」、「革命(revolutionary)」に対する「反動(reactive)」だとされる。ここには、「進歩」「急進」「革命」は良いもの、右翼は改革に対する反対派という価値判断が入っているわけだ。
 しかし、西欧には、フランス革命の共和主義・暴力主義を批判する国が多い。イギリス、スペイン、スェーデン、オランダ、ベルギー等がそうである。フランス革命では、ギロチンによる虐殺や総計200万人の殺戮が繰り広げられた。研究が進むにつれ、フランス国内でも、革命の狂熱を批判する学者・専門家が増えているという。


 左翼は、資本主義から社会主義への移行は歴史的必然であるという仮説に基づく。生産手段の私有から共有へという方向に進むことを「進歩的」だというのである。その中心概念は、自由より平等である。平等の実現のために、自由を規制し、統制を行う。また、唯物論・合理主義を、進歩的な思想とする。

ところが、自由の拡大を進歩的と考える立場から見れば、左翼のいう「進歩的」は、逆に自由の後退であり、自由への障害である。結果の平等より、機会の平等こそ尊重されるべきだとする。また、人間の精神的向上を進歩的と考える立場から見れば、唯物論は、精神の退化であり、精神への抑圧である。20世紀以降、共産主義によって命を失った犠牲者は、1億人とも推算されている。(註1


 一般に、「伝統の尊重」「国民・民族の固有性の保持」を志向する勢力や人物を、右翼とすることが多い。逆に、左翼は、形式的な普遍思想によって、伝統を否定し、固有の文化・精神を破壊する。歴史の実際を言えば、世界的に左翼の主流は、ソ連の唱導するロシア型の共産主義であった。その理論・世界観を標準として、各国に革命を起こし、画一的に伝播しようとした。ソ連は第2次世界大戦では、英米と「デモクラシー」(スターリン独裁のソ連が!)による連合国を結成し、戦後は東欧を分割支配し、覇権主義を極めた。当時、各国の左翼とは、このソ連の覇権主義に奉仕する従ソ主義者のことだった。


 右翼・左翼という用語をわが国に当てはめれば、昭和30年以来、約40年続いた55年体制においては自民党が右翼、社会党・共産党が左翼だった。ここでは、資本主義、自由主義とともに、日本の伝統・文化・国柄を守り、共和主義・共産主義に反対するものが、右翼である。今日では、自民党・公明党が右翼、社民党・共産党が左翼となる。民主党は、一部が右翼、一部が左翼で、左右にまたがっている。


 フランス革命の国民議会では、右翼と左翼は、共和主義の中の漸進派と急進派の違いだった。それ以外に、共和主義に反対する王党派がいた。王党派は、いわば「極右翼」ということになる。この点から現在のわが国を見ると、憲法に天皇を国家の象徴、国民統合の象徴と定め、大多数の国民は皇室制度を支持している。いわばわが国では国民大多数が王党派であり、「極右翼」ということになる。


 このように、右翼・左翼は、その言葉を使う人がどのような政治的な思想を持ち、どのような立場にあるかによって、相対的に変わってくるのである。「保守」は、この分け方をすれば、当然、右翼である。左翼ではあり得ない。

次章では、その「保守」の由来について述べたい。ページの頭へ

 

(1)共産主義については、以下の項目をご参照ください。

 「共産主義

 

 

2.保守主義の源流

 

フランス革命は、右翼・左翼を生み出しただけではない。「保守」を西欧に生み出した。「保守」とは、フランス革命に対抗するため、イギリスに現れた政治的態度である。フランスの急進的・暴力的な共和主義から、イギリス自生の君主制議会政治を守ろうとしたのが、西欧の「保守」の始めである。

 17世紀イギリスで、チャールズ1世は新税を強行しようとした。これに対し議会が反抗して革命が起こった。清教徒革命(1640-60年)である。国王は処刑され、共和制となった。ここでクロムウェルの独裁となり、凄惨な内戦が行われた。クロムウェルの没後、秩序回復をめざし、王政復古がされた。しかし、再び王の横暴が行われたため、国王が交代され、「権利章典」を交わし国王の権力が規制された。名誉革命(1689年)である。このような経緯により、イギリスでは「君臨すれども統治せず」という形式的君主制による議会制デモクラシーが確立された。その後、イギリスの社会は安定し、繁栄の道を歩んだ。

 イギリスで発達した近代政治思想は、欧州大陸の知識人に影響を与えた。フランスでは絶対王政への反発から思想が急進化した。そして、ルソーや百科全書派らの思想によって、フランス革命(1789-99年)が勃発した。イギリス同様、国王が処刑されて君主制が廃止され、共和制が実現した。ロベスピエールが登場して独裁が行われ、ギロチンによる処刑や反対派の殺戮が繰り広げられた。まるで140年ほど前のイギリスの悲劇の再演である。
 しかもフランスでは、科学的な啓蒙主義・合理主義が徹底され、人間理性を崇拝する思想が信奉された。専制的な国王の主権(神のごとき国内最高権力)を奪い取った急進派が、人民主権を振り回し、人間の知恵と力への過信が、狂熱の嵐を巻き起こしていった。

 大陸で革命が勃発すると、イギリスにも共和主義に同調する者が表れた。その中で、フランス革命を敢然と批判したのが、イギリスの政治家、エドマンド・バークである。
 バークは革命の最中である1790年に『フランス革命の省察』を書いた。フランスやドイツなどで翻訳されて読まれた。西欧諸国は、フランス革命の波及から自国の伝統・体制を守ろうとしていた。バークの思想は、各国の「保守」の形成に影響を与えた。それによって、バークは、「保守主義」の元祖とされている。
 19世紀後半、わが国に近代西洋文明が押し寄せてきた時、この外来文明はフランス革命とそれへの対応を経た段階にあった。日本人は西洋列強から独立を死守する中で、日本的な「保守」を形成した。それゆえ、われわれにとってもバークと西欧の保守主義には参考にすべき点がある。

 さきほどの著書でバークは、フランス革命を次のように見る。貴族・僧侶による伝統的な秩序を打破して自己の利益を拡大するため、新興の貨幣所有階級が啓蒙思想家と手を組み、民衆を扇動して起こした破壊行動であると。いまや「騎士道の時代は永遠に過ぎ去り、詭弁家・守銭奴・計算屋の時代がそれに続くであろう」とバークは言う。しかし、「恥知らずの純粋デモクシー」たる暴徒の支配によって、最後は社会そのものの崩壊と荒廃にいたるだろうと予測した。
 バークが守ろうとするのは、13世紀のマグナ・カルタ以来、400年、500年とかけて熟成されたイギリスの政体であり、伝統である。自由主義とデモクラシーの融合である。すなわち、権力の介入への規制と、民衆の権力への参加のバランスである。また、近代科学による知識と、人間を超えたものへの信仰との共存である。すなわち、理性と感情のバランスである。
 バークは、イギリスでは国王と貴族と民衆、教会と国家、私有財産と社会的義務、自由と服従、理性と愛情などの諸要素が調和し、美しい統一的秩序を為していると説く。この秩序ある体制は中世以来の騎士道精神と、宗教改革を経た国教制のキリスト教が結合し、長い歴史の中で生まれてきたものだとバークは主張した。そういう祖先の英知をバークは尊重し継承しようとする。

 バークの主張の背後には、「知は力なり」と言ったF・ベーコン流の科学的楽観主義に対し、人間理性による進歩への懐疑があった。また人間は放任されると際限なく利己主義と無秩序に走るものであり、社会の秩序のためには権威と権力が不可欠だという人間観察があった。この点において、彼は同時代の哲学者ヒュームに通じる。
 ヒュームは、人知の限界を思索し、自然科学や形而上学が学として成り立つかどうかを疑った。その深い洞察は、カントに衝撃を与え、彼を批判哲学に向かわせた。ヒュームはフランスでの革命の到来を予見し、頭の中で考えた観念的な理論は破壊・混乱をもたらすことを警告していた。人間は現実的な経験を重んじ、歴史的に培われてきた英知を大切にすべきことを説いていた。

 

フランス革命は、誰もの予測を超えた展開を続けた。ロベスピエールの恐怖政治は、テルミドールの反動で終焉を迎えた。するとナポレオンがクーデタを起こし、王政よりさらに古い中世的な皇帝の座を持ち出した。この希代の軍事的天才は周辺諸国の干渉をはねのけ、さらに周辺諸国に攻勢に出た。この戦いは、17世紀のドイツ30年戦争以来の欧州大戦となった。これは周辺諸国にとっては、侵攻戦争である。破竹の勢いだったナポレオンは、ロシアの冬将軍に苦戦した。ワーテルローの戦い(1815年)で、イギリス中心の諸国連合軍はフランスを破った。そして各国は、フランスの急進的暴力的な思想から、既成の制度や各国の伝統を守ることに努めた。

 その後、「保守主義」という言葉が一般化するのは、イギリスで1830年代初めにトーリー党が、「保守党」に改名したことによる。この時、「保守」は単なる守旧ではなく、「秩序ある変革の擁護者」という意味で名づけられた。続いて19世紀後半以降、西欧諸国で「保守」を名のる政党が多くなる。ちなみにトーリー党のライバルのホイッグ党は「自由党」となった。ここに「保守」と「リベラル」の対立の原型が生まれた。

 西欧諸国の保守政党が維持しようとしたものの内容は、一様ではない。各国の伝統や事情が異なっていたからである。そのため、保守主義は、普遍的な政治理論を否定し、それぞれの固有文化の価値を主張することが多い。
 しかし、保守主義の根底に共通するのは、フランス革命に対する批判である。人間の知恵と力を過信した、近代西欧の啓蒙主義・合理主義・暴力主義に対する西欧人自身による反省である。そこには、近代西洋文明に対する一定の内在的批判を読み取ることが出来る。

 近代化とは「生活全般の合理化」(マックス・ウェーバー)である。それは、政治・経済・社会・文化のすべての分野で進行する。そして、人間の心に変容をもたらす。政治的分野での近代化は、近代主権国家の成立、近代官僚制と近代デモクラシーの形成等である。その進行を全面的によしとしない考え方がある。ゲルマン民族の古来の慣習や、キリスト教の中にある宗教的価値観等を、政治的分野において保存していこうという考え方である。君主制はさらに古い祭祀王制度に起源を持ち、統治権の源泉は先祖や神に求められる。
 近代化=合理化は、こうした前近代的なもの、近代人にとって非合理的なものを根絶やしにしようとする。近代などわずか400年ほどのことにすぎないのだが、近代人は、近代以前の数千年、数万年の歴史を経てきたものを否定しさろうとする。理性はこの根絶やしを正当化する。
 しかし、人間の心には、これを疑い、先祖から受け継がれてきたもののなかに、もっと奥深い価値を求める性向がある。その性向の政治的分野における表れが、保守主義であろうと、文明論的には考えられる。このような文明論的観点に立つとき、日本文明に生きているわれわれにとって、文明間の文化的要素の違いを超えて、西欧の保守主義には汲み取るべきものがあると思うのである。(註1,2

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(1)私の日本文明論は、以下の拙稿をご参照のこと。
人類史の中の日本文明

(2)私の近代文明論は、以下の拙稿をご参照のこと。

心の近代化と新しい精神文化の興隆
参考資料
・「世界の名著 41 バーク・マルサス」(中央公論新社)

 

 

3.日本的な「保守」と西欧の「保守」

 

西欧の保守主義の根底には、フランス革命への対抗がある。その対抗の結果として、西欧には君主制を維持し、共和制をとっていない国々がある。イギリスをはじめ、スペイン、スウェーデン、ノルウェー、オランダ、ベルギー等である。
 わが国は古来、皇室制度を頂く国であり、固有の宗教としては神道、国民の構成としては大家族国家を保ち続けてきた。西欧には、これに匹敵するほどの歴史・伝統を持つ国はない。この差異を踏まえた上で先の国々とわが国が共通しているのは、近代化の中でも君主制を維持していることである。

 フランス革命は、わが国では自由・平等・人権の実現の始原とされている。日本国憲法の基本思想にも色濃く流れ込んでいる。「左翼」はフランス革命を近代市民革命の典型とし、それに比べてわが国はブルジョワ革命が十分達成されていないともいう。
 だが、実際のフランスは決して美化されるものではない。ギロチンによる指導者同士の処刑、ヴァンデ地方での農夫・女性・子供の虐殺等、革命は200万人も犠牲を生んだと推算されている。闘争・混乱の行き着いた先はナポレオンの帝政であり、干渉・反攻の戦争が欧州大戦に発展した。ナポレオンが失脚すると、王政復古となった。イギリスではここで君権と民権の均衡が生まれたが、フランスでは激動が続き、七月王政、第二帝政、第二共和政、第三共和政と政体が変化した。
 こうした政体のめまぐるしい変遷は、革命後のフランスがいかに不安定だったかを示している。落ち着きを見せたのは、ようやく20世紀後半、第五共和政になってからである。革命から160年もかかった。現在は大統領の下に首相を置く体制となっているが、フランスの大統領は選挙で選ぶ「国王の代用品」といった側面がある。

 これに比べ、西欧に現在も多くある君主制国家はどうか。それらの国々が、共和制を取るアメリカやフランスより、遅れているということはない。そのことは科学技術や社会福祉の発達などを見れば分かるし、むしろ社会が長く安定し、個性ある文化を損なうことなく、花開かせている。
 君主制の廃止は、イギリス・フランスがそうだったように、独裁者が現れたり、大量殺戮が行われた例が多い。第1次大戦後、ロシアでは、ロマノフ王朝を倒した共産党支配のもとで、ピョートル大帝の再来のようなスターリンが現れた。ドイツでは、国家社会主義を標榜するナチス政権のもとで、ナポレオンの再来のようなヒトラーが現れた。彼らはクロムウェルやロベスピエールより強大な権力者となった。共産主義も国家社会主義も、共和制の一形態である。共和制は、一党独裁や個人崇拝を生じうるのである。こうした歴史を見ると、単純に共和制がよいとは決して言えない。共産主義に反対する者は、その起点にある共和主義をも検証すべきである。

 共和制のはじめは、イギリスの清教徒革命で一時的に現れたものだが、国家として本格的に実現したのは、アメリカ(1776年宣言、1783年完全独立)である。アメリカはイギリスの植民地だったが独立戦争に勝利して、連合王国から離脱した。ここにかつてない新しい国家が誕生した。国王なき国家が建国された。それがフランス革命に影響を与えた。
 アメリカの建国思想は、共和制・連邦制である。この点は、イギリスと当然異なる。しかし、個人主義・自由主義・デモクラシー・資本主義・キリスト教は、イギリスと共通する。他の西欧諸国にも、これらの理念は共通している。君主制か共和制かの違いはあれ、以上の点は、西洋各国の「保守」の共通思想である。

 こうした近代西洋思想を構成する個人主義・自由主義・デモクラシー・資本主義の思想は、源を探ると、ジョン・ロックにたどり着く。ロックは医者であり、近代科学思想に通じていた。その新知識に基づき、中世的プラトニズムを排して生得観念を否定し、感覚に基づく経験論を説いた。また、デカルト的・要素還元主義的な発想によって、個人を社会の原理とする個人主義的な社会契約論を打ち出した。ロックは清教徒革命の悲惨を見ており、共和主義の危険性を知っていた。名誉革命の理論家といわれるように、彼は君主制の下での議会制デモクラシーを理論化した。また彼は労働による所有意義づけて私有財産肯定し、近代資本主義を正当化した。
 ロックの契約国家論は、実際のイギリス史とは一致しない。しかし、歴史・伝統を尊重する立場から一定の修正を行えば、彼の思想は「保守」の理論的基礎ともなる。

 この一方、ロックは、国王が人民の権利を守らない場合は、これに抵抗することを正当化した。この抵抗権を徹底すると、革命を追求する「共和主義」が出てくる。これがルソーの革命思想やアメリカの独立運動に発展した。
 それゆえ、ロックの継承者には、君主制の下での議会制デモクラシーを守ろうとする穏健派と、共和主義を実現しようという急進派が出てくる。ロック以降の政治社会思想は、ロックをどのように解するかによって分かれているともいえる。
 ロックの思想は17世紀以降、この21世紀まで、世界に甚大な影響を与えている。その重要性は、マルクスやニーチェやフロイトの比ではない。わが日本国憲法も、根本思想はロックである。世界人権宣言も、ロックが基底にある。今日の世界を論じる者は、ドクター・ロックをどのように評価し、また批判するかを明らかにしなければならないだろう。

 さて、わが国では戦後、「保守」といえば、長く自民党のことであった。そこに近年、「保守主義」を標榜する論者が現れてきた。西部邁氏、中川八洋氏、八木秀次氏らである。「保守」の理論家ということでは、これに小室直樹氏、渡部昇一氏、西尾幹二氏らを加えることが出来るだろう。「主義」と自称するかどうかより、主張の中身で見れば、である。
 彼らの言論は、英米の「保守主義」、直接的には1980年代以降のサッチャー、レーガンの「保守革命」の成功を意識したものであろう。英米の「保守革命」はロシア・東欧の共産主義政権の崩壊を促進し、西欧の社会主義に打撃を与え、歴史の流れを変えた。今日の日本の保守主義者は、これ以降の新しい「保守」のあり方を唱導している。ただし、上記の人々は、アメリカ一極構造となった世界でアメリカニズム・グローバリズムに順応する「経済優先的な保守」とは違う。日本の伝統・文化・国柄を尊重しているから、私は彼らを「伝統尊重的な保守」の理論家たちと認識している。
 冷戦の終焉後、共産主義陣営の大崩れによって、旧来の「保守」は対抗するものを失い、大きな油断に陥った。その隙に、「左翼」が新たな形で活動を展開している。歴史教科書の自虐化、個人主義の徹底、家族の解体、ジェンダーフリー、過激な性教育などである。また、「左翼」はソ連依存から中国・コリアとの連携に方針を変えた。それにより、大陸アジアの抗日・反日を日本人が積極的に代行するという倒錯的な事態が生まれている。
 旧来の「保守」では、こうした「左翼」の策動に対応できない。わが国の保守主義者は、こうした状況に応じて、単なる保守的な「態度」ではなく、保守の「思想」を打ち固めようとしている。

 私には保守主義の論者から学ばせてもらうことは多い。ただし、「保守」の思想が単なる翻訳・輸入ではなく、日本自生の思想を継承するものであろうとするには、幕末・維新の思想と運動を学ぶ必要があると思う。また、明治から平成にいたるわが国の歴史を追跡する必要があると思う。
 なぜならば、わが国は、非西洋世界に位置し、日本文明と西洋文明の衝突において、独立を死守しようとして、近代化の道を歩んできたからである。日本の「保守」の最大の課題は、日本文明の固有性を保持しつつ、近代西洋文明を摂取し繁栄・発展を続けてきた、わが国の舵取りを誤らないことである。それゆえ、この近代日本の伝統を主体的に継承する立場から、欧米の「保守主義」を参考にするのが、日本的な「保守」の基本姿勢であると考える。

 文明の本質は精神である。日本文明と西洋文明の衝突は、日本精神と西洋精神の遭遇である。その中で、日本文明の固有性を保とうとする者は、日本精神を学び、継承し、復興する者とならねばならないだろう。今日の「保守主義」が日本自生の思想であろうとするならば、自ずと日本精神を根幹においたものとなると思う。(註1

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(1)日本精神については、以下をご参照下さい。

 「基調

 

 

4.「保守」と「進歩」「革新」の違い

 

イギリスでは、19世紀中ごろから、「保守(conservative)」に対して、「進歩(progressive)」が現れる。産業資本主義の発達によって、貧富の格差が拡がり、社会的矛盾が増大した。そこで、これまでの自由競争的な自由主義を修正し、社会改良を行っていくという考えが「進歩」である。社会主義の主張も理解しつつ、議会を通じて漸進的に社会政策を進めていこうという思想である。代表的なのは、ジョン・スチュアート・ミルである。


 「進歩」は、その後、「リベラル(liberal)」と称するようになる。もともとの古典的な自由主義(リベラリズム)から名前を奪ってしまったわけだ。そして、「リベラル」と言えば「進歩的」というイメージをつくった。「リベラル」は今日、一大勢力になっている。この点は次の章に書く。

イギリスの歴史と伝統を踏まえて進むという点では、「保守」も「進歩=リベラル」も同じである。右翼・左翼という分け方で言えば、「保守」も「進歩=リベラル」も右翼である。社会主義・共産主義に反対し、資本主義・自由主義を維持しようとするからである。同時代のマルクス=エンゲルスの側からは、「革命」に対する「反動」ということになる。


 ところで、わが国を含む非西洋世界には、西洋諸国とまったく異なる条件がある。すなわち、15世紀末以来、西洋白人種による征服・支配を受けてきたということである。近代西洋文明の威力によって、ラテン・アメリカ、アフリカ、アジアの大半が植民地にされ、有色人種は次々に奴隷化された。19世紀半ば、列強の手はシナ、そして日本へと延びてきた。

わが国は、西洋諸国の圧倒的な軍事力・技術力・経済力に直面し、征服・支配の危機に陥った。この時、有色人種諸民族を殺戮・搾取していた者こそ、列強の「保守」であり「進歩」であった。「左翼」もまたその恩恵を受けて生活していた。白人種の「右翼」も「左翼」も、大陸間にわたる帝国の中枢部における内部対立である。西洋文明の非西洋文明への支配構造が構築されていた。
 わが国においては、これに抵抗して独立を維持し、日本文明に固有の伝統・文化・国柄を守ろうとした。文明の「挑戦」対する「応戦」である。その文明論的な対応にこそ、非西洋世界における「保守」の原点があると私は考えている。佐久間象山、吉田松陰、横井小楠、西郷隆盛らを、日本的な「保守」の先人として挙げておこう。


 さて、明治維新以後、わが国では、一般的に近代化・西洋化を進歩的とする。進取の姿勢によって、文明開化・富国強兵・殖産興業を推進した。その中で、前近代的・非合理的なもの、非西洋的・民族的なものに価値を認めず、これらを蔑み否定する思想が、明治・大正・昭和と現れてきた。

最も典型的なのは、昭和戦後期にわが国の論壇をリードした「進歩的文化人」である。彼らは、近代主義者・欧化主義者であり、またその多くは「左翼」に同調していた。代表的なのは、横田喜三郎、大塚久雄、丸山真男、大内兵衛らである。
これに対し、近代化の意義と必要性を認めつつも、主体性を失わず、日本文明の固有性、民族の伝統・文化・国柄を守ろうという勢力がある。明治から昭和まで、大多数の国民はこの姿勢を保ってきた。昭和戦後期のわが国では、これを「保守」と称する。「右翼」とは一般に言わない。右翼は普通、狭義の「右翼」つまり少数派の政治結社を指す。「保守」を広義の右翼とするならば、いわゆる右翼は「極右翼」となる。


 日本の「右翼」「保守」は自然生えである。これに対し、「左翼」は、コミンテルンとGHQが育てたものである。明治末期から西欧の社会主義思想が流入し、ロシア革命後はソ連共産党の影響が強くなり、コミンテルン日本支部として日本共産党が結成された。大東亜戦争の敗戦後、占領下でGHQにより政治犯・思想犯が釈放されて、共産党員が公然と活動するようになった。また日教祖などの労働組合が育成され、社会主義者が勢力を得た。

昭和30年(1955)に社会党の右派・左派が統合され、日本社会党が再発足した。これに対抗するため、自由党と日本民主党の保守合同が行われ、自由民主党が誕生した。その結果、「55年体制」といわれる自民党と社会党の対立構図が出来上がった。これは、米ソ冷戦に対応した国内の構図だった。この時、右翼・左翼という用語を使うならば、自民党が右翼、社会党が左翼になる。しかし、右翼という言葉を避け、自民党は自らを「保守」と称した。

戦後日本の「保守」の本来の姿は、日本文明の固有の伝統・文化・国柄を保ち、皇室制度を護持し、自由主義・デモクラシー・資本主義を守ることを特徴とする。


 「自社55年体制」は、38年間続いた。この時期の「保守」に対抗する側が、「革新」と呼ばれた。この「革新」は、「左翼」のことである。「革新」は「進歩」「急進」「革命」を含む概念である。単なる「進歩」でも「急進」でもなく、「革命」的な思想・運動に特徴がある。「革新」は、社会主義・共産主義の実現が進歩的と考える。「革新=左翼」からすれば、社会主義・共産主義に反対するのが「保守」であり、反革命的な「保守」を「保守反動」と称する。

 
 もともと「革新」という言葉は、戦前、「reformist」の訳語として、明治期から使われた。改良派・改革派である。その後、「極右翼」の国家革新運動・昭和維新運動に「革新」が使われるようになった。

この「革新的」な右翼は、ロシア革命後、日本に浸透した「左翼」に対抗して出現した。共産革命を防ぎつつ国家総力戦時代に対応するため、強力な国家統制体制を構築しようとする。北一輝らの影響を受けた青年将校を「革新将校」と呼び、ナチスやソ連の影響を受け軍部と結びついた企画院を中心とする官僚を「革新官僚」と呼んだ。日本主義的な「観念右翼」に対し、ドイツ模倣的な「革新右翼」という使い方もあった。


 それゆえ、「極右翼」に使われた「革新」という言葉が、戦後は「左翼」に使われたわけである。よく違和感がなかったものだが、実は「革新」の本質は、統制主義にある。それが共通点なのである。戦後日本の自由・民主・平和・人権を旗印にする「革新」は、戦前のファッショ的な「革新」と比べ、右から左に反転している。右翼統制主義から左翼統制主義への反転である。


 米ソの冷戦が終焉すると、「革新=左翼」は大きく後退した。日本社会党は分裂し、現在の民主党・社民党・少数派に細分化した。それとともに、「革新」という言葉は、あまり使われなくなった。

しかし、日本を愛する人々は、政治家や学者・評論家の中には今日、もともと「リベラル」だったような装いをしているが、かつては社会主義・共産主義を信奉する「革新=左翼」だった者がいることを忘れてはならない。

 民主党にはそういう議員が多くいる。またソ連崩壊後、一切、過去の言動を反省・総括せずに、いつの間にか「リベラル」に主張を変えた学者・評論家が少なくない。

かつてソ連に追従していた者が、いまは中国やコリアとの連帯を説いている。そこに無いのは、日本である。日本精神を喪失して、大陸の抗日・反日を代行するような倒錯に陥っている。そうした人々には、是非、幕末からのわが国の歩みを、文明論的な観点から見直してもらいたいと思う。ページの頭へ

 

第5章 「保守」と「リベラル」の違い

 

「保守」と「リベラル」の違いとは何か。「保守」は変化を嫌い、頭が古いタカ派の人、「リベラル」は進歩的で民主的なハト派の人。この程度のイメージの人が多いのではないか。一体、その違いは何か。

 わが国の戦後の「保守」は自由主義・デモクラシーを基本的な要素に持っている。これは「リベラル」も同様である。まずこれらの共通要素を理解することが、違いを知る第一歩である。
 自由主義は、イギリスにおいて、強大化する王権に対する臣民の権利の擁護から始まった。自由主義とは、国家権力の介入を排し、個人の自由と権利を守り、拡大していこうという態度のことである。
 近代的自由の中核は思想・信条の自由であり、信教の自由が最も重要だった。キリスト教のどの宗派を信ずるかがしばしば争いの原因となった。それが政治的自由と絡み合っていた。また、経済的自由としては、私有財産の取得・処分や市場における商品売買の自由が中心である。これを理論的に説いたのは、ロック、アダム=スミス、ベンサムらである。

 自由主義とデモクラシーは由来が違う。デモクラシーとは、民衆が政治権力に参加する制度のことである。古代ギリシャに現れた君主制、貴族制と並ぶ政体の一つである。愚かな民衆が支配する堕落した形態とみなされていた。
 近代イギリスでは、自由主義の発達がデモクラシーを生んだ。これがリベラル・デモクラシーとしての近代デモクラシーとなった。デモクラシーは、一般に「民主主義」と訳される。この訳は誤解を招く。「人民主権主義」つまり「共和主義」と混同するからである。「民衆参政制」と訳すべきであるが、ややこしくなるので、ここではデモクラシーとしておく。

 近代西洋文明では、デモクラシーは人間の進歩を表わすものとされてきた。ところが、デモクラシーほど、いい加減な言葉は珍しい。なんらかの形で民衆が政治に関わることができ、選挙なり議会なりの形式さえ存在すれば、デモクラシーを自称できる。君主制のイギリスも、共和制のアメリカも、一党独裁のソ連も、かの首領世襲制の北朝鮮までもが、デモクラシーを標榜している。
 だから、「デモクラティック」「民主的」だというだけでは、大した価値はない。その体制で「自由」が実現しているかどうかが、重要である。また、その体制の政治権力に参加している民衆が、どのような知識と意識を持っているかが重要である。
 以上の自由主義・デモクラシーを基本的な要素に持つ点では、戦後日本の「保守」と「リベラル」は共通している。

 次に、「リベラル」のことに話を移す。17世紀イギリス以来の自由主義を、古典的自由主義と呼ぶことにする。これは言葉の本来の意味での自由主義であり、国権の抑制と自由競争に特徴がある。
 それに対し、今日の「リベラル」は、19世紀半ばのイギリスに現れた「進歩」にもとがあり、それまでの自由主義を修正したものである。社会改良と弱者救済に特徴があり、修正的自由主義と呼ぶことにする。

 前者の古典的自由主義は、英米では、保守主義の態度でもある。なぜなら、これらの国々では、国権の抑制と自由競争が歴史的に制度化され、伝統となっているからである。自助努力と自己責任の原則を強調し、機会均等を達成した上で、効率的な市場経済を担保しようとする。
 こうした伝統は、わが国には無い。厳密に言うと、欧州でも内発的に近代化を開始したイギリスにしかない。他のフランス・ドイツ等の国は、先進的なイギリスに対抗するために摂取した。その点、欧州の後進国とわが国には一定の類似性がある。

 古典的自由主義に比し、修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、弱者救済を目的として自由競争を制限する。名前は同じリベラリズムだが、国権抑制・自由競争型と社会改良・弱者救済型では、政策に大きな違いがある。経済的には、前者はハイエク、フリードマンの系統、後者はミル、ケインズ学派、ニューディーラーの系統となろう。この後者の系統が、今日の「リベラル」であると私は理解している。

 大雑把に言って、アメリカでは、共和党は「保守」、民主党は「リベラル」となるだろう。地域・宗教・外政・内政、いろいろ複雑な要素があり、こんな単純な分け方で済む話ではないが。
 もともと古典的自由主義が「リベラリズム」だったのだが、修正派に「リベラル」の看板をとられてしまった。英米の「リベラル」は個人主義的で、左傾化すると社会民主主義と結びつく。状況によっては、共産主義にさえ同調する。F・D・ルーズベルト大統領やGHQのニューデューラーたちがそうだった。
 また、アメリカの「リベラル」が進歩的で平和的だと思うのは大間違いである。民主党は対外政策に積極的で、大衆を欺いて第2次大戦を行い、人類史上初の原爆を日本に落とし、またベトナム戦争に深入りしたのは民主党政権の時代だった。

 「リベラル」に看板を取られた古典的自由主義者の中には、「リバータリアニズム」と自称する人もある。「徹底的自由主義」とでも訳せるだろう。英米では、これが伝統的な「保守」である。いわゆる「ネオコン」と呼ばれる新保守主義者は、この新種である。
 ネオ・コンサーバティブのグループは、もともと民主党員だった。それが共和党に移って、今日のブッシュ政権の基本思想となっている。高度な情報技術による金融操作と軍事力に基づくアメリカ主導のグローバリズムである。これが、今日のわが国の政治に重大な影響を与えている。同時に、世界の思潮を変えるとともに、イスラムを中心に激しい反発を引き起こしている。

 現代のわが国では、大雑把に言って、自民党は「保守」、民主党は「リべラル」となるだろう。これも中身に入ると、様々な要素があるが。ところが、「保守」の政党である自由民主党が、「リベラル」デモクラティック・パーティと称している。

この「リベラル」は古典型と修正型の両方にまたがっており、国権抑制・自由競争的と社会改良・弱者救済的という本来異なった考え方が、一つの政党の中に共存している。それは、もともとわが国には、日本的な「共同体主義(コミュニタリアニズム)」とでも称すべき伝統があるからである。

今日、自民党の主導権を握っている小泉首相・竹中大臣の基本思想は、アメリカ流の自由主義的な新保守主義だと思う。そこには、わが国の戦後の「保守」が持っていた日本文明の固有性を守ろうという姿勢、個人より家族・共同体を尊重し、自由競走を基本としつつも弱者救済を配慮するといった態度が見失われている。
 

先ほど触れた日本的な「共同体主義」とは、個人の利益より、家族や地域社会等、共同体全体の利益を優先する生き方である。これは、近代西洋の個人主義に基づく自由主義とは、大きく異なっている。このわが国の伝統的な社会思想には、利己的個人主義の弊害を除くために社会改良や弱者救済を行う「リベラル」(修正的自由主義)とは多少通じる部分があると思われる。また、J・S・ミルを継承した、トマス・ヒル・グリーンが説いた「すべての人の人格の成長」を社会の理想とする理想主義的自由主義とは、より多く通じる点があると思う。しかし、いずれにせよ根本的な違いは、個人を価値の中心に置くか、共同体を価値の中心に置くかという原理的な違いである。これは、伝統・文化・国柄の違いによる。わが国には、天皇と国民が親子の情で結ばれ、祖先祭祀をともにしてきた歴史があるからである。

 さて、戦後日本では、アメリカ的価値観を押しつけられ、伝統的な共同体は封建的・前近代的なものであり、個人の自由と権利を束縛するものとみなされがちだった。また産業化・都市化の進行によって、村落共同体の解体が進み、家族は核家族化が進んだ。しかし、その中において、わが国の日本的な「共同体主義」の伝統に価値を見出し、これを保とうとしてきたのが、「保守」の態度だったといえよう。
 特に「伝統尊重的な保守」は、明治以来行ってきたように、日本的な「共同体主義」の発想を経済政策・社会政策に生かしてきた。それが、わが国が戦後復興と高度経済成長を成し遂げた一因ともなっていた。わが国が世界で最も成功した「社会主義国」だと言われるのは、こういう点をたとえて表現したものだろう。
 もっともわが国の「共同体主義」には、悪しき慣習にしばられたり、機能集団が擬制共同体となりがちなどの弱点・欠点もある。また、情報通信技術が発達し、世界経済が大競争時代に入った今日では、それが成長力・競争力にマイナスに働いてもいるようである。そこでわが国政府は「個の自立」を強調し、個人単位の社会へと日本を変造しようとして躍起になっている。しかし、個人の自由と権利、経済的な利益と物質的な繁栄の追求に偏ると、アメリカ社会の二の舞になると私はおそれるものである。
 欧米では、1980年代から個人主義的自由主義の弊害を反省し、「共同体」の重要性を見直す考え方が出てきている。それがアメリカ的な「共同体主義(コミュニタリアニズム)」である。クリントン政権・ブッシュ政権が、家族の価値を強調し、道徳教育に力を入れてきた背景には、この思想の影響があるように見受けられる。
 日本はアメリカやスェーデンのような殺伐とした社会の後追いをしてはならない。日本の伝統的な「共同体主義」の中にある良い面、家族道徳・公共道徳や民利国益の考え方を再評価し、今日に生かしていくべきだと私は思う。「保守」特に「伝統尊重的な保守」や、日本を愛する「リベラル」の人々には、日本の伝統的な社会思想の再認識をお願いしたいと思っている。
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6.「リベラル」と「左翼」との関係

 

本章では、「保守」との関係で「リベラル」と「左翼」について書く。
 私は大雑把に分けると、自民党は「保守」、民主党は「リベラル」だと思う。また、社民党や共産党は、「左翼」である。

 自民党に次ぐ大政党が、民主党である。 民主党は、英語名を「デモクラティック・パーティ・オブ・ジャパン」と称する。
 前に書いたが、デモクラシーほど、いい加減な言葉は珍しい。なんらかの形で民衆が政治に関わることができ、選挙なり議会なりの形式さえ存在すれば、デモクラシーを自称できる。君主制のイギリスも、共和制のアメリカも、一党独裁のソ連も、かの首領世襲制の北朝鮮までもが、デモクラシーを標榜している。
 だから、民主党も、「デモクラティック」というだけでは、何を主張したいのかわからない。

 民主党の実態は、「55年体制」の崩壊後、集合離散を繰り返した「反自民党」の人たちが、その一点で寄り集まった集団だということに尽きる。民主党には、自民党出身の保守系政治家がいて、自民党に対抗する二大政党のようなイメージを与えている。このイメージで見ると、民主党は、旧民社党や旧社会党右派を保守の方に引き込んで、「中道」「左翼」の全体を保守化させたところに成立した政党と考えられる。
 自民党を厳しく批判する若手の保守系政治家は、アンチ自民で戦うために民主党から出馬する。無所属では選挙に勝てないとなると、民主党しかないのだろう。そうした若い保守系の政治家の存在も、民主党の二大政党的なイメージをかもし出している。

 しかし、実態は、党の顔となり要職を占める上層部には保守系の有名政治家がいるものの、下層部は主に労働組合を支持母体としているのが、民主党である。表面はアンチ自民党の「保守」「リベラル」、中身は旧民社党・旧社会党系を主とした社会民主主義である。
 政党は、政治家個々の人気だけでは、選挙に勝てない。勝敗は、組織票をどれだけ確保しているかにかかっている。民主党は労働組合・左翼団体の組織票にのっかっている。当然、その歴史観、国家観、人権論は、労働組合・左翼団体のものと近くなる。個々の党員によって個人的な考えの違いはあろうが、全体としては、「誇りある歴史教育」や首相の靖国参拝に反対、外国人参政権や人権擁護法案に賛成ということになる。それは、上記のような構造によっていると思う。
 これを党全体でとらえれば、「リベラル」の左派と見ることができると思う。しかし、「リベラル」に分類される民主党の党名には「リベラル」がない。ややこしい話である。

 次に、公明党は、日本で唯一の宗教政党であるが、基本的には社会改良・弱者救済型のリベラリズムの政党であると、私は理解している。現在は「リベラル」の右派と位置づけられよう。かつては「55年体制」の自社伯仲の状況の中で、「中道」と称して登場し、当初は「革新」と連携していた。ところが、「保守」との連携に転じて、自民党と連立政権を組むようになり、年々、選挙協力・国会運営等で自民・公明は一体化しつつある。
 公明党の歴史観は、中国・韓国に対して自虐的である。こうした政党が与党に長くいると、日本文明の固有性を損ねることとなるだろう。

ここで日本独自の「リベラル」として、日本の伝統・文化・国柄の理解に基づいた社会改良・弱者救済という態度があり得る。言い換えると、伝統重視的な日本主義的・ナショナリズム的の「リベラル」である。しかし、こうした「リベラル」は今日存在感が薄くなってきており、「リベラル」を自称する人の相当部分が、従米的・媚中的(=シナに媚びを売る)・阿朝的(=コリアに阿る)の傾向にある。歴史観が東京裁判史観の枠を出ていないために、戦勝国や第三国の主張に押されやすいのであろう。


 さて、「左翼」には、社会民主主義と共産主義がある。社会民主主義は、基本的に社会主義をめざす社会思想である。社会主義は、社会的不平等をなくすために、私有財産制の制限ないし廃止を目標とする。それ議会通じて実現するのが社会民主主義、暴力革命によって実現するのが共産主義である。すなわち、社会民主主義とは、議会を通じて社会主義を実現していこうという思想である。西欧ではフランス革命後に、社会主義・共産主義が現れ、武装闘争による権力の奪取を試みたが、これに失敗すると、議会政治によって漸進的に社会改良を行う方針に転換した。これが社会民主主義である。マルクス主義では、これを修正主義という。修正的リベラリズムとの違いは、基本的に社会主義であることである。自由より平等を重視する点が異なる。日本の「リベラル」は、かなりの部分が社会民主主義と癒着している。
 わが国では民主党の多数である旧社会党系が、社会民主主義であるが、表からは見えない。はっきり社会民主主義と識別できるのは、社民党や旧社会党系の団体である。

社会民主主義に比し、共産主義は、武力闘争によって革命を起こして権力を奪取し、社会主義を実現しようとする思想・運動である。ただ暴力的に政権を取るだけではない。プロレタリアート独裁という無産者による独裁を行う。共産主義は19世紀末の西欧では後退したが、後進国ロシアでレーニン=ボルシェビキが革命に成功し、西欧に逆輸入された。プロレタリアート独裁は、プロレタリア階級の前衛党である共産党による独裁に置き換えられた。このロシア型の共産主義は、コミンテルン(国際共産党)によって世界に広まったものの、ソ連崩壊後は大きく後退した。
 しかし、冷戦は、東アジアでは終結していない。中国の共産党政権、北朝鮮の首領世襲制の労働党政権健在であり、わが国に強い影響力を及ぼしている。私は、中国共産党・朝鮮党を、共産主義に分類している。日本でも共産主義勢力は存続している。西欧先進諸国では、ほとんどの国で、共産党は名称を変えた。社会民主主義の政党に転じた。だが、わが国では、戦前以来の日本共産党が存在している。ほとんどはその別れである新左翼諸党派も活動している。それは、東アジアでは冷戦が終わっておらず、むしろ中国・韓国・北朝鮮の国力が増大して、わが国に圧力をかけている状況と相即する。
 日本共産党は、近年戦術的には社会民主主義に近づいている。主に議会主義の社民党・日本共産党は「左翼」、武闘主義の新左翼諸党派、中核派・赤軍派等は「極左翼」である。

 日本の「保守」は、今日、こうした「リベラル」「社会民主主義」「共産主義」に対して、単に数の優位だけでなく、理論的・政策的に自己を確立するという課題を抱いている。

 さて、今日国際社会で日本がとり得る「政略(ポリティカル・ストラテジー)」は、三つである。自主自立を目指すか、アメリカと提携するか、中国と提携するかである。
 これを文明論的にいえば、日本文明は、今日、東のアメリカ文明と西のシナ文明の両方から、不断の「挑戦」を受けている。その中で、日本文明の固有性を守ろうとする人々と、アメリカ文明に追従して日本のアメリカ化に順応しようという人々と、シナ文明に迎合して日本のシナ化に順応しようという人々とが、国内でしのぎを削っている状況にある。
 ここでいうシナ文明には、朝鮮半島の文化社会を含む。儒教文化が発達していた時代の「大中華」に対する「小中華」という関係は、文明論的には今も基本的に変わっていない。 

 私は自主自立の精神をもって、米中との共存共栄を目指すべきと考える。自主自立の精神を失ったならば、アメリカを選ぶか、中国を選ぶかという話に尽きる。そして、いったん向きを決めると、ますます自主自立の精神を失い、従米か媚中・阿朝かに傾いていく。いずれも「脱日本化(De-nipponization)」の道である。
 最も重要なことは、日本人が自己本来の日本精神をしっかり自覚することである。それなくしては、「保守」も「リベラル」も「左翼」もみな他国・異文明に飲み込まれて、ますます自己を失うことになる。
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7.「保守」といわゆる右翼との違い

 

 「保守」と一般にいう「右翼」、私の区分でいう「極右翼」との違いは、なにか。
 多くの国では、ナショナリズムや反共主義を強調する勢力は、「右翼」とされる。「左翼」に対する「右翼」という意味では、自由主義・デモクラシー・資本主義を守る者が、「右翼」である。「保守」「リベラル」は、この広義の「右翼」である。
 「右翼」の中には、マルクス=レーニン主義に対抗し、テロやクーデタを手段とする団体がある。これが「極右翼」であり、狭義の「右翼」である。

 「極右翼」は、戦前のドイツのナチスやイタリアのファシスト党、スペインのファランヘ党等が、これである。類例は、戦前のわが国における北一輝・大川周明らとその同調者の集団である。当時は「革新」といわれた。戦後のわが国では、こういう武闘派の「極右翼」は、ごく小規模となっている。

 「右翼」は、一般にナショナリズムや反共主義の勢力を言う。ここでナショナリズムとは、国家・国民・民族のどれに重点を置くかで三種ある。細かく言うと、近代的な国民国家の形成・発展を追及する場合に、国家が優先か、国民が優先かの2種、国家単位ではない文化的な意味での民族の維持・発展を追及する場合とがある。前者を愛国主義、後者を民族主義ということもできる。
 ナショナリズムは右翼だけのものかというと、そうではない。これがややこしい。実際、日本以外の国の左翼は、愛国的である。
 第1次世界大戦の時、西欧諸国の社会主義者は、社会主義的国際主義より、自国の利害と名誉のために戦った。ロシアで暴力革命を成功させたレーニンは、マルクスにならって「万国の労働者、団結せよ!」と訴えたが、彼のつくったコミンテルン(国際共産党)は、ソ連共産党官僚の指導による世界共産化のための国際組織となった。
 これをさらにソ連の覇権主義の道具としたのが、スターリンである。この独裁者は国家主義的な政策を行い、対ドイツ戦争では愛国主義を吹聴した。共産主義という意味で「左翼」と呼び、ナショナリズム的という意味で「右翼」という言葉を使うならば、スターリニズムは左翼的であり、かつ右翼的である。ややこしい言い方になるが、ナショナリズム的な共産主義なのである。
 スターリン以降、一国社会主義を取る左翼は、みなこれである。中国共産党も北朝鮮の労働党も、非常にナショナリズム的である。江沢民の反日愛国主義は、それを極端化したものである。

 必ずしもナショナリズムが左右に関係ないとすると、「左翼」と識別できる「右翼」の最も重要な特徴は、反共産主義である。この点、アメリカでは、共和党も民主党も「右翼」である。わが国では、共産主義革命は皇室制度の廃止を目指すから、天皇を保守する対象とするか、打倒の対象とするかが、右翼・左翼の分岐となる。これに対し、反共産主義は、積極的に皇室を護持しようとする者と、必ずしもそうではない者がある。

共産主義から自由主義・デモクラシー・資本主義を守ろうとする人々の中には、皇室制度を積極的に護持しようとはしない者、または皇室制度を廃止し共和主義に移行するのが望ましいと考えている者がいる。「経済優先的保守」や「リベラル」の中には、少なくないと思われる。いまや皇室は、国民が真剣に皇統の存続を願い、具体的な方策を講じなければならないところにある。日本を愛する人々は、わが国の伝統・文化・国柄を理解し、皇室制度の保守を、重要課題としなければならないと思う。そうしなければ、日本の共和主義化、さらには共産主義化を防ぎ得ない事態に陥りかねない。

 次に「保守」と「右翼」、つまり広義の右翼と狭義の右翼(「極右翼」)を分けるポイントは、何か。私は、以下の三つと思う。

@言論とテロリズム
 保守=法を守り、言論を手段とする
 右翼=反対勢力に対し、テロを行う
A議会政治とクーデタ主義
 保守=立憲議会制デモクラシーに基づく
 右翼=暴力による権力奪取を図る
B国際協調と排外主義
 保守=国際協調を基本とする。ただし、国益は堂々と主張する
 右翼=他国・他民族に対して排外的・敵対的である
  
 日本は、法治国家である。「保守」は、この秩序のもとに、言論による活動を行っている。これに対し、「右翼」(狭義の、つまり「極右翼」)は、現状打破のため、実力行動によって、自らの思想を実現しようとする。
 「右翼」のテロリズムについては、戦前は大隈重信襲撃事件、血盟団事件、戦後は浅沼社会党委員長刺殺事件が有名である。また、クーデタ運動については、戦前は5・15事件、2・26事件、戦後は三島事件が有名である。これに対し、「保守」は、右翼による実力行動を、警察力によって鎮圧し、治安を維持する。

 

「極右翼」に関しては、個々の団体・個人については、上記の分類に関して微妙な場合があるだろう。明治初期の「右翼の源流」とされる玄洋社をはじめ、その前身を含めて戦前・戦後、千有余のいわゆる「右翼団体」があるといわれる。そのうち、上に挙げたような特徴を持たない、または失った団体は、ここで分類対象とした政治団体というより、思想団体・教育団体・修養団体というべきものだろうと思う。その場合は、「極右翼」ではなく「伝統尊重的保守」と考える。ただし、実際に自ら行動しないにしても、テロ・クーデタを容認・支持する場合は「極右翼」に類別できる。

 
 ここで保守との関係で、右翼・左翼、リベラル、社民、共産について整理しておきたい。わが国の政治団体を大雑把にわけると、以下のような感じになるのではないか。(例外的に点在する個人・小集団は除く)

●極右翼    ―― 極少数派の政治結社
●右翼
 保守
  伝統尊重的保守(日本主義的・共同体主義的)
        ―― 自民党の少数派
  経済優先的保守(アメリカニズム的・グローバリズム的)
        ―― 自民党の多数派
 リベラル   ―― 自民党の少数派、民主党の少数派、公明党
●左翼
 社会民主主義 ―― 民主党の多数派、社民党
 共産主義   ―― 共産党
●極左翼    ―― 新左翼諸派

 

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8.日本的な「保守」の歴史と課題

 

(1)幕末から日露戦争まで

 

 「右翼」と「左翼」の違いを明らかにし、「保守」の源泉を振り返り、「保守」と進歩・革新、「リベラル」「左翼」等との違いを書いてきた。ここで、改めて日本的な「保守」の歴史を素描し、それを通じて今日の課題を確認しておきたい。

 わが国は、幕末に西洋列強が来襲し、独立の危機に直面した。これは、日本文明に対する西洋文明の「挑戦」だった。この「挑戦」に対し、幕末の日本人は近代西洋文明の圧倒的な軍事力・技術力・経済力を前にし、征服・支配されないために、必死で国を守ろうとした。そして、尊皇倒幕の運動が高まり、明治維新がなしとげられた。それは、世界史上に残る画期的な「応戦」だった。
 明治の日本人は、日本の伝統・文化・国柄を保持しつつ、そこに近代西洋文明を摂取して近代化を行い、西洋列強に伍すことのできる近代国家を建設しようとした。この時、日本人が国是としたもの。それが、「五箇条の御誓文」である。

<原文>
「一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
 一、上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
 一、官武一途(いっと)庶民に至るまで、各々其の志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめむことを要す。
 一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし。
 一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
我国未曾有の変革を為(なさ)んとし、朕躬(み)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大(おおい)に斯(この)国是を定め、万民保全の道を立(たて)んとす。衆亦此(この)旨趣(ししゅ)に基き協心努力せよ。」

<訳文>
「一、会議を開き、多くの人の意見を聞いて政策をきめる。
 一、身分の上下に関係なく、心を合わせて、政策を行おう。
 一、公家、武士や庶民の区別なく、国民の志がかなえられ、失望のない社会にしよう。
 一、これまでの慣習をやめ、国際社会の習慣に従おう。
 一、新しい知識を世界の各国に求め、国家を繁栄させよう。
 わが国は、未曾有の大改革を行うので、私はみずから先頭に立ち、天地神明に誓い、重大なる決意を持って、国政の基本方針を決め、国家・国民の安定を図る大方針を確立するつもりである。国民の皆さんにもこの趣旨にしたがい、努力をお願いしたい。」

 われわれの先祖・先人は、明治天皇が発した「御誓文」のもとに、自分たちの国づくりに命を賭けた。そこに自ずと「日本精神」が発揮された。

 わが国は、外発的・後発的な近代化を政府主導で行った。その点では、欧州の後進国と一定の共通点があり、後進国型の保守主義に多くを学んだ。西欧で保守主義の元祖とされるエドマンド・バークは戦前、わが国ではほとんど読まれていない。明治時代に金子堅太郎がバークを翻訳・紹介したが、注目されていない。政府は主にドイツ(プロシア)の保守政策を学んだ。バークの影響を受けて発達した後進国型の保守主義を取り入れたわけだ。
 これに対し、薩長藩閥政府を有司専制と批判する自由民権運動は、イギリスのミル・スペンサーらの「修正的自由主義」、今日にいう「リベラル」や、フランスのルソーらの思想を取り入れた。自由民権家は、自由の獲得・拡大をめざし、議会開設・憲法制定等を要求した。しかし、その根本にあったのは、「五箇条の御誓文」に示された君民一体の実現であり、尊皇愛国の態度に貫かれていた。

 こうした政府対民権、ドイツ流対英仏流のぶつかり合いのなかで、伊藤博文・井上毅らが主導して、明治22年(1889)に帝国憲法の公布、翌年教育勅語の発布、また帝国議会の開設が行われた。すなわち、帝国憲法・教育勅語・帝国議会による近代的な国家体制である。ここに、天皇を中心とした立憲君主制議会政治が開始された。特に教育勅語は、伝統的な「日本精神」をよく表現するとともに、それを近代的な国家国民を形成する道徳の基礎を示した。

 この明治の政体は、近代西洋文明の「挑戦」に「応戦」した日本文明が、わが国古来の国柄を保ちつつ、外来の文化的要素を取り入れて作りあげた傑作だった。「御誓文」に示された国是を具体的な形として実現したものだった。私は現代日本人、特に「保守」を自認する人々は、この明治日本の国是と体制を継承する立場にあることを自覚すべきと思う。

 明治20年代に構築された近代日本の国家体制が大きな試練にぶつかったのが、日清・日露戦争だった。この元寇以来の日本存亡の危機において、日本国民は「日本精神」で団結し、大国シナ、ロシアに勝利した。日本がロシアに勝ったことは、白人種西洋文明が有色人種諸文明を支配してきた近代史を大きく転換点させる重要な意義のある出来事だった。
 本年(平成17年)は日露戦争戦勝百年という記念すべき年に当たる。日本を愛し、「保守」を自認する人々は、その意義を深く受け止めるべき時にあると思う。また、その意義を深く理解するとき、自ずと日本的な「保守」は、今日いかにあるべきかが浮かび上がってくることと思う。
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(2)明治末期から戦後まで

 

日露戦争という存亡の危機を乗り越えたわが国は、立憲君主制議会政治を進めた。これが「憲政」として定着し、大正期には「民本主義」を説く吉野作造らを中心に「大正デモクラシー」が発達した。
 ところが、昭和5年ころから、統帥権干犯問題をきっかけに、「極右翼」(狭義の右翼)と軍の一部が、テロによって議会政治に圧力を加えるようになった。また、5・15事件、2・26事件等のクーデタ未遂事件が繰り返され、それが推進力となってファッショ化が行われた。

 明治時代に自覚・表現された日本精神は、大正・昭和と下るにしたがって、外来思想の影響を受けるようになっていた。明治天皇の遺勅に反して政治に介入した軍部は、昭和天皇の御心に背いて、ドイツ・イタリアのファシズムを模倣し、日本精神を捻じ曲げ、戦争遂行に国民を駆り立てた。これに抵抗して、明治以来の日本的デモクラシーを守ろうとした政治家・学者等には、厳しい言論統制が行われた。
 こうした中で、わが国は昭和12年に勃発した支那事変を解決できぬまま、英米との関係が悪化し、遂に昭和16年12月、大東亜戦争に突入した。

 わが国は、建国以来ない大敗を喫した。敗戦後、わが国はその痛手から立ち上がり、日本の再建に取り組んだ。
 このとき昭和天皇は、昭和21年1月1日に「新日本建設に関する詔書」を発せられた。いわゆる「人間宣言」として知られものだが、天皇は冒頭に「五箇条の御誓文」を掲げられた。天皇はその真意について、昭和52年に次のように明らかにされている。
 「民主主義を採用したのは、明治大帝が思召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条御誓文』を発して、それがもとになって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないことを示す必要が大いにあったと思います」と。

 ここでわが国は、自国の伝統に基づいて日本の再建を行うのが、本来の道である。ところが、当時のわが国は、主権を失っていた。わが国と戦火を交えて苦戦したアメリカは、日本の強さの原因を国民の団結力に見出し、日本を弱体化する政策を強行した。日本人を精神的に骨抜きにするため、明治憲法を無効とし、教育勅語を排除させた。
 代わりに、秘密裏に作成した憲法を押し付け、個人・自由・権利を強調するアメリカ的価値観を植え付けた。天皇と国民の紐帯を弱め、家族・地域等の共同体を破壊するなどし、「左翼」の活動を容認・育成して国内に対立を醸成した。また、東京裁判で日本を一方的に裁き、日本の過去の歴史を断罪した。これらの結果、占領期間に、日本人の多数が本来の「日本精神」を見失った。

 文明の本質は、精神である。日本文明は、日本精神を中核とする。この精神を失うならば、西洋精神、アメリカ精神に取って代わられる。それゆえ、「日本精神」の復興こそ、戦後日本の中心課題であり続けている。

 昭和27年4月28日、敗戦による主権喪失状態から独立を回復した日本は、GHQが行った日本弱体化政策を打消し、わが国の伝統を回復せねばならなかった。この際、昭和天皇が掲げられた「五箇条の御誓文」が、改めて近代日本の国是として確認された。その上で、不当にも占領下で押し付けられた憲法を改正することが急務だった。それが全日本人の課題だった。ここで、戦時中のファッショ模倣的な日本精神のゆがみを正し、本来の日本精神を取り戻して、国民が団結することが必要だったわけである。

 しかし、占領期に「左翼」が伸長したことにより、国民の思想が二分してしまった。日本精神が失われた空隙に、アメリカだけでなく、ソ連の思想もが入り込んだ。
 こうしたなか、昭和30年、改憲のために、保守合同が行われ、自由民主党が結成された。以来、自民党は憲法改正を最大の課題としている。だが吉田茂首相は、独立回復後も憲法改正を積極的に行おうとせず、「吉田学校」と呼ばれる吉田門下の政治家が「保守本流」となった。門下生・池田隼人首相は高度経済成長を目指し、「所得倍増」政策を打ち出した。
 以後、改憲は棚上げとなった。経済優先の政治が続くうち、自民党の中で、改憲派と護憲派に分かれるようになった。この党は今日まで結党以来の最大課題を実行できていない。主権独立国家でありながら軍事的にはアメリカに依存しているという矛盾を、解消できていない。

 池田氏の派閥である宏池会の系統が、自民党の主流となった。当初は、伝統尊重的で日本主義的・ナショナリズム的が多数派だった「保守」の中に、経済優先的でアメリカニズム的の「保守」が増え、多数派に逆転した。それに伴い、「保守」の有力政治家の多くが東京裁判史観に呪縛されたまま、誤った歴史認識をもって内政や外交を行っている。
 この克服は、わが国の興亡にかかわる事柄である。
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(3)ソ連崩壊から今日へ

 

日本の「保守」を代表してきた自民党は、さまざまな思潮の集合であり、結党以来、50年間ただ一点共通しているのは、「反共」である。その意味では、英語の党名通り、「リベラル」・デモクラティック・パーティである。「自由」を守る、つまり社会主義から資本主義、統制主義から自由主義を守ることにおいて、「リベラル」である。

 日本は米ソ冷戦下の世界では、米ソのどちらにつくか、つまり自由主義圏に属すか、共産主義圏に移るかという選択に迫られていた。この時、アメリカと結んで自由主義圏にあり続けようとしたのが「右翼」、一般にいう「保守」である。ソ連と結んで共産主義圏に移ろうとしたのが、「左翼」であり、進歩的な「リベラル」は、「左翼」と連携していた。「保守」はその中での思想の違いを超えて、「反共」という一点で集合していた。
 そこに大きな変化が訪れた。平成3年(1991)年、ソ連の共産党政権崩壊とともに、世界に大きな地殻変動が起こった。わが国においては、反共一点で集合していた自民党に「反共」という共通項がなくなった。

 その後、自民党の中に、中国共産党に追従したり、北朝鮮・韓国に同調したりする者が出てきた。日中国交回復を実現した田中角栄氏の派閥が力を得ると、中国との関係は単なる友好より迎合へと傾斜した。また金丸信氏など北朝鮮の利権問題を疑われている有力者も少なくない。
 さらに、近年は米英の古典的自由主義による新保守主義に同調する者が出てきた。現在の小泉自民党は、国権抑制・自由競争的な古典的なリベラリズムが主導権を握っている。自助努力と自己責任の原則を強調し、機会均等を達成した上で、効率的な市場経済を担保しようとする態度である。これは、個人主義を徹底するものとなる。個人の自立が強調される一方、家族が解体し、地域共同体が崩壊しつつある。アメリカ型の社会への転換が、政府自体によって推進されている。

 従来は、伝統尊重的・経済優先的のどちらの「保守」も、近年まで英米的な徹底した個人主義・自由主義の考えではなく、競争を緩和し、弱者に配慮する傾向がある。その点では、「リべラル」に通じる部分がある。しかし、古典的自由主義による新保守主義が主導権を握っていることにより、わが国本来の「保守」、つまり日本文明の固有性を守るという日本的な「保守」とは、大きく異なる方向に進んでいるのが、現在のわが国である。

 ここで再度、日本的な「保守」のあり方を踏み固める必要があると思う。戦後の日本人は、GHQによる日本弱体化政策の克服を、全国民的な課題とした。その取り組みにおいて、何を拠って立つ標準とし、起点とすべきだったのか。日本国憲法か大東亜共栄圏か。もっとさかのぼって、明治新政府か自由民権運動か。さらにさかのぼって、文明開化か尊皇攘夷か。
 私は、明治維新後の「五箇条のご誓文」を国是とした帝国憲法・教育勅語・帝国議会による国家体制こそ、拠って立つものだったと考える。明治の憲法や体制をそっくり復元するという意味ではない。日本人の先祖・先人が自らの手で築き上げたものを再評価し、これを誇りをもって継承・発展させるという態度が、戦後の日本人に必要だったという意味である。

 このような態度は、歴史観においては、東京裁判史観を克服しようとする態度と相即する。東京裁判は、昭和3年以来の日本人の歩みを断罪し、さらにはわが国の伝統・文化・国柄までも破壊しようとした。それによって、戦後の日本人は、近代西洋文明と遭遇して以来、われわれの先祖・先人が努力して作り上げたものまでも、否定する傾向に陥った。

 戦後の「保守」とは、本来、全日本人の課題であるものを自らの課題と自覚している人びとのことであると思う。だから、自分は「リベラル」だと考えている人も、「社会民主主義」がよいと思っている人も、日本を愛する人々は、東京裁判史観を克服し、日本文明固有の歴史観を持って、明治以来の伝統に目を向けてみるべきだろう。

ここに書いた日本的な「保守」の歴史は、素描にとどまる。いずれ改めて幕末から今日までの歴史的な考察を行いたいと思う。ページの頭へ

 

結びに〜「保守」に日本精神という背骨を

 

本稿のはじめに、日本の再生は、日本人の伝統的な精神、「日本精神」を取り戻すことなくして、不可能であると書いた。そのような考えのもとに、文明論的な観点に立ち、日本の「保守」について、右翼・左翼、進歩・革新・リベラルと対比し、またその課題について述べてきた。

多くの日本人がそうであるように、日本的な「保守」もまた日本人が受け継いできた精神を見失いがちになっている。私は、日本人が今日のさまざまな課題に取り組むためには、自己本来の「日本精神」を取り戻し、精神的な建て直しをすることが、最も必要であると思う。また、そうでなければ、日本文明はアメリカ文明またはシナ文明に飲み込まれてしまうおそれがある。
 日本人は、日本の伝統・文化・国柄を理解し、「日本精神」を精神的な背骨として一本自分の中に通してこそ、自己に内在するものを、最もよく発揮できると思う。

「日本精神」は、本サイト全体のテーマである。オピニオンに「日本精神」という項目があるので、そちらをご参照願いたい。また端的には「基調」をお読み願いたい。ページの頭へ

参考資料

  「真の日本精神」のサイト

 http://www.nsfs.jp

 

 

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