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闇の財テク王・小沢一郎の不正・不敬・横暴

2011.2.25

 

<目次>

はじめに〜「剛腕」と呼ばれた政治家

第1章 民主党最高実力者の実像

第2 天皇陛下特例会見ゴリ押し事件

第3 不正蓄財に走った「闇の財テク王」

結びに〜政治家・小沢一郎の最後

 

 

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はじめに〜「剛腕」と呼ばれた政治家

民主党の最高実力者である小沢一郎氏は、自民党で幹事長まで務めた。しかし、自ら自民党を離党し、いくつかの政党を結成・解党したのち、民主党に合流した。

敗戦後から長く日本の政治を担ってきたのは、自由民主党である。自民党は、革新勢力の合同に対抗するため、保守勢力が合同して作った政党である。自民党は、結党の際につくられた綱領に、自主憲法の制定、自主国防の整備、占領政策の是正等を目的として挙げている。

 だが、自民党は結党以来、その課題を実現できぬまま、変質・劣化してきた。腐敗・堕落を続けた自民党は、国民の信頼と期待を失い、ついに平成21年(2009)9月、民主党に政権を明け渡した。

 小沢氏は、自民党の総裁候補にまで挙げられたが、平成5年(1993)に自民党を離党した。以後、わが国政治は、一面において「親小沢対反小沢」という構図で展開してきた。小沢氏は自民党から政権を奪い、自民党とは異なる政治を行うべく、政治活動を行ってきた。そして、民主党に合流し、民主党に強力な権力志向と選挙戦術を持ち込み、政権交代を実現した。

小沢氏は早くから財テクに励み、巨額の蓄財をしてきた。その手法は、法の抜け穴を用いた巧妙なものであり、疑惑に包まれながらも、近年まで罪に問われることがなかった。しかし、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入・不正献金問題が浮上し、ようやく小沢氏の「政治とカネ」にメスが入れられるようになった。

 人は、小沢氏を「剛腕」と呼ぶ。今日、日本改造を断行できる唯一の政治家だという見方もある。そういう能力ある政治家と期待する人々は、小沢氏の負の部分を重大視しない。だが、私は違う。小沢氏は、自民党の古い体質を持つ金権政治家であり、言動に矛盾が多く、変心を繰り返す、権力欲に凝り固まった政治家だと思う。そして、現状打開のために小沢氏に日本の政治を託すことは、わが国の破滅に至ると考える。

 本稿は、政治家・小沢一郎氏の問題点を追及することを目的とする。

 

 

第1章 民主党最高実力者の実像

 

●民主党は反自民の一点で寄り集まった集団

 

 民主党は、もともと鳩山由紀夫氏を実質的なオーナーとする政党だった。鳩山氏は、昭和22年生まれ、団塊の世代である。祖父・一郎は自民党創設者の一人であり、父・威一郎も同党の有力政治家だった。由紀夫氏は、祖父・父に続き、先に政界に入った弟・邦夫氏の後を追って、政治家となった。

 鳩山由紀夫氏は、昭和61年(1986)、衆議院議員総選挙で自民党から出馬して初当選した。祖父・父の血を引く、保守のサラブレッドとして、注目を集めた。平成5年(1993)、政治改革の考えの違いから自民党を離党し、武村正義氏らの新党さきがけに加入した。

 平成5年(1993)7月の衆議院総選挙で、自民党は単独過半数に達しなかった。55年体制の成立後、自民党は、38年目にして初めて野に下った。ここで誕生したのが、細川護煕氏を首相とする非自民連立政権である。

 非自民連立政権は、新生党・新党さきがけ・日本新党・社会党・公明党等の8党の寄り合い所帯だった。鳩山氏は新党さきがけの主要メンバーとして、連立政権に参加した。首相となった細川氏は、日本新党の代表だった。その細川氏を首相に担いで、非自民連立政権を実現したのは、後に鳩山氏と一蓮托生の関係となる小沢一郎氏の力が大きかった。

 小沢氏は平成元年(1989)、47歳にして自民党の幹事長になった。田中角栄・金丸信の秘蔵っ子として、総裁候補にまで挙がった。しかし、金丸失脚後、経世会の跡目争いに敗れて自民党を離党した。この時、反小沢の急先鋒だったのが、野中広務氏である。以後、日本の政治の一面は小沢対野中、「親小沢対反小沢」という構図で展開した。

 新生党を結成した小沢氏は、自民党の崩壊を目指して野党を結集し、非自民連立政権を実現した。反自民であれば社会党とでも公明党とでも組むというのが、小沢氏の手法である。労働組合や宗教団体の組織票を手に入れるためには、自らの政治理念や重要政策を変える。権力の奪取そのものが目的化される。

 細川内閣は平成6年(1994)4月、細川首相が突然辞任したことにより、短命に終わった。後継首相は小沢氏の盟友、新生党の羽田孜氏だったが、社会党が政権を離脱したため、わずか2ヶ月で退陣した。このとき、自民党は政権に復帰するため、首班指名選挙で社会党の村山富市氏に投票した。それにより同年6月、自社さ連立政権が誕生した。55年体制では考えられない出来事だった。

 自民党の最高実力者となっていた野中氏は、小沢氏に対抗して社会党と組むという無節操な術策を取った。そのため、自民党は結党の精神を失った。自民党は権力の座を維持すること自体を目的とする政治集団に堕落した。

 鳩山氏は、自社さ連立政権においては、さきがけの幹事長として政権を支えた。この時は、自民党と組んでいる。その後、平成8年(1996)にさきがけを離党し、弟の鳩山邦夫氏、菅直人氏とともに旧民主党を結党した。10年(1998)には現・民主党を結成した。

この過程で、民主党には、自民党を出た元自民党員から、旧社会党の右派・中間派、さらに最左派・社会主義協会などまで、幅広く集合した。保守系リベラルからリベラル、左翼の社会民主主義者までが集まった。右から左までの幅広い諸勢力が、反自民という一点で集結した政党が、民主党である。

 

●鳩山氏と小沢氏の合体

 

 鳩山氏が自社さ政権の側にあったとき、小沢氏は、平成6年(1994)新生党を解党して、新進党を結成した。公明党がこれに合流した。小沢氏は創価学会に接近し、手堅い組織票を獲得した。しかし、新進党は分裂に終わり、小沢氏は10年(1998)に自由党を結成した。

 自民党の野中氏は、それまで小沢氏を「悪魔」とまで呼んで批判していた。だが、小渕内閣の官房長官となるや、小沢氏に「ひれ伏してでも」と協力を求め、11年(1999)1月、自自連立政権が成立した。7月には公明党が加わり、自自公連立政権となった。その後、自民党は自自連立の際の政策合意を実行しなかった。不満を持った小沢氏は、小渕首相に自民党・自由党の解党を迫った。要望が入れられないと、翌12年(2000)に連立を離脱した。

 自自連立を仕掛けた野中氏の真の狙いは、公明党と組むことにあった。もはや単独では政権を維持できなくなった自民党は、公明党=創価学会への依存を深めた。公明党は自民党の生命維持装置となった。

 自公連立によって、自民党は約10年政権与党として延命した。しかし、私の見るところ、自民党は平成6年(1994)、政権復帰のために社会党と組んだ時点で、日本の政治を担う責任政党としての資格を失った。野中氏の害悪は大きい。しかし、その先例は小沢氏の非自民連立にあった。小沢氏は直接間接に日本の政治を捻じ曲げ、権力の奪取と維持を目的とする政治に変質させた。

 こうした小沢氏に鳩山氏が合体したところに、今日の民主党がある。民主党は12年(2000)6月の衆院選、13年(2001)7月の参院選など、国政選挙の度に党勢を拡大させた。ここで当時党代表だった鳩山氏は、小沢氏に接近した。政権交代を実現するために、反自民の野党が結集するのが目的だった。

 小沢氏は、鳩山氏の民主・自由両党合併に向けた協議提案を受け入れた。その後、民主党代表となった菅直人氏が合併を決断し、15年(2003)9月、民主党・自由党は正式に合併した。小沢氏は自由党を解党して、民主党に合流した。党名・代表・執行部等、民主党が主となった。形の上では、吸収合併である。しかし、民主党に入り込んだ小沢氏は、党内で地歩を固め、中心的な存在になっていった。

 

●伝統尊重的保守の後退

 

 平成11年(1999)、自民党は公明党と連立を組むことによって、以後10年政権の座にあり続けた。この間に、従来の自民党の体質は変わらず、国民の自民党離れが進んだ。自民党を支持してきた層でも、自民党に不満が高じた時、「自民党をぶっこわす」と訴える小泉純一郎氏が、平成13年(2001)総裁に指名された。自民党の中にいながら、古い自民党を壊すという小泉氏の立場が、有権者に新鮮さを感じさせた。小泉氏は、聖域なき構造改革を唱え、とりわけ郵政民営化を最重要政策とした。そして平成17年(2005)9月11日の衆議院総選挙を、郵政民営化の是非を問うという形で展開した。

 このとき、自民党は歴史的な大勝をした。この選挙は郵政選挙と呼ばれ、自民党内で郵政民営化に反対した勢力が大きく後退した。その一部は伝統尊重的保守だった。

戦後日本の「保守」には、わが国の伝統を尊重する日本主義的な保守と、米英の政治・経済思想を実現しようとする自由主義的な保守がある。私は前者を伝統尊重的保守、後者を経済優先的保守と呼んで区別している。

自民党内の伝統尊重的保守は小泉・竹中による民営化が、まやかしのものであり、日本をアメリカに売り渡す文字通り売国的な政策であることを見抜いていた。小泉首相は、彼らを排除・抑圧した。選挙で公認せず、選挙区に刺客を送るなどして、駆逐しようとした。

 郵政選挙の結果、自民党では伝統尊重的保守が弱小化し、経済優先的保守や保守系リベラルが主流派となった。小泉=竹中政権は従米的・売国的な郵政民営化を推進し、新自由主義、市場原理主義が日本を席巻した。その矛盾・弊害は日増しに増大した。所得の格差拡大、都市と地方の格差拡大、中小企業の倒産、失業の増大、家庭の崩壊、自殺者の増加、凶悪犯罪の増加等、矛盾・弊害が増大した。

 小泉内閣に続く安倍晋三氏は、伝統尊重的保守に分類される政治家である。安倍氏は「戦後体制からの脱却」を掲げ、憲法改正に向けた国民投票法を成立させ、教育基本法を改正するなど、戦後日本の課題に取り組んだ。戦後初めての取り組みだった。しかし、小泉内閣の官房長官だった安倍氏は、真の伝統尊重的保守ではなく、経済政策や郵政民営化は小泉=竹中路線を基本的に継承したため、改革は中途半端なものとなった。安倍氏はその矛盾を抱えた状態で、リベラルや左翼から強い反発を跳ね返せず、任期半ばで辞任した。

 自民党・公明党は、保守系リベラルの福田康夫氏を後継首相とした。福田氏は安倍氏の伝統尊重的な改革を止め、もとに戻そうとした。福田氏は、途中で政権を投げ出し、国民の自民党への信頼はさらに低下した。続いて、安倍氏の盟友・麻生太郎氏が政権を後継した。

 ここで、平成20年(2008)9月、世界経済危機が勃発した。アメリカのサブプライム・ローンの破綻に端を発した金融危機は、大手投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産し、自動車会社のビッグ3も経営破綻に至るという大きな展開を見せた。1929年の世界恐慌以来の経済危機は、わが国にも大波となって押し寄せた。大波の直撃を受けた麻生政権は、景気の回復や格差の是正に努めたが、自民党の長年の腐敗・堕落と、小泉=竹中政治による新自由主義・市場原理主義の弊害を払拭することができなかった。国民の生活は脅かされ、政治への不満は強まった。

 

●民主党の伸長、政権奪取

 

 ここに自民党に替わる政権の受け皿として、民主党が浮上した。民主党は、平成17年(2005)9月11日の衆院選、いわゆる郵政選挙では大敗し、結党以来の危機に直面した。鳩山氏の新憲法試案は、この年に発表されたものである。混迷する民主党にあって、小沢氏は、小泉自民党に巻き返しを図るため、組織固めと選挙対策に専念した。わが国で最も選挙戦術に長けた政治家である小沢氏の力が、民主党で発揮された。

 19年(2007)年7月の参議院選挙では、民主党が大勝した。国会では与党が多数を占める衆議院と、野党が多数を占める参議院という「ねじれ現象」が起こった。国民の自民党と民主党に対する支持は、拮抗するようになった。そして、ついに21年(2009)8月30日の衆議院総選挙で、政権交代が実現した。

 自民党にはもう任せておけないと愛想をつかした人々の多くが、別の受け皿として民主党に期待を寄せて投票した。歴史的大敗を喫して下野した自民党は、もはや多数派が対米追従、経済優先、官僚主導、媚中外交、創価学会依存という集団に変貌していた。その中において、17年の郵政選挙で大きく後退した伝統尊重的保守は、21年の衆議院選挙では、さらに大きく後退した。選挙における自民党の勝ち負けに関わらず、真の日本的な保守は、後退を続けている。

 21年(2009)9月、民主党は社民党・国民新党と連立を組み、鳩山内閣が成立した。私は当時から民主党は、日本を崩壊に導く危険性を持った政党であり、もし民主党政権が長期化すると、わが国は後々回復が困難なほど深刻な打撃を受けるだろう、と発言してきた。

 

●民主党は反自民で集結した政党

 

民主党は平成17年(2005)以降、自民党に対抗するため、労働組合や旧社会党系の団体の要望を多くいれ、また日教組の教育政策をほとんどそのまま受け入れるなど、左傾化が進んだ。さらに21年(2009)政権を取ると、社民党と連立を組み、民主党内の旧社会党左派の政策を容認し、左傾化が著しくなった。

 民主党の本質は、反自民の諸党・諸派が結集した政党という点にある。思想や理念で結束したのではない。だから綱領もつくれない。今も民主党には、綱領がない。

民主党は、巨大化の過程で、傘下に労働組合や各種の左翼団体を抱えるようになった。今日、民主党の最大支持基盤は、労働組合である。最大の支持団体は連合(日本労働組合総連合会)である。また日教組・部落解放同盟を支持団体に持つ。

労働組合や各種の左翼団体は、組織的な集票力がある。それだけ、政党の指導層に影響力を持つ。民主党は、平成17年(2005)以降、自民党に対抗するため、労働組合や旧社会党系の団体の要望を多くいれ、また日教組の教育政策をほとんどそのまま受け入れるなど、左傾化が進んだ。

民主党という名称は、保守的・中道的な感じを与える。ソフトで明るくやさしい感じを与える。その看板のもとに、旧社会党系の諸団体の多くが鳩合し、巨大な政治勢力の中によみがえっている。民主党は「第2社会党」的な政党に変わっているのである。

こうした政党が、平成21年(2009)9月の衆議院総選挙で政権交代を成し遂げ、自民党に替わって政権に就いたのである。そして、この政党の最高実力者が小沢一郎氏である。

 私は、民主党は、55年体制での自社の馴れ合い政治を、政党の形にしたものだと見ている。自民党の金権体質と旧社会党の組合体質が融合し、権力の奪取と強権の行使が目的化している。自民党出身で田中角栄・金丸信の弟子だった小沢一郎氏と、日教組出身の輿石東氏の結束がその象徴である。民主党には国会議員の間ですら、自由な言論ができず、小沢氏を中心とした幹部が意思決定する。民主党には「自由」も「民主」もなく、国民も不在である。

 

●小沢独裁政治を防げ

 

 民主党の本質は、反自民の諸党・諸派が結集した政党という点にある。その中核には、小沢一郎氏がいる。

小沢氏の自由党と合併する前、鳩山氏資金力あるものの、政治的な手腕に乏しく、民主党において求心力に不足していた。菅氏も市民運動上がりで、組織的な指導力を欠いていた。鳩山氏・菅氏が反自民の政権を目指すには、小沢氏の力が必要だった。民主党は、小沢氏の自由党と合併したことによって、政権交代を実現し得る政党に成長した。そして実際に民主党が政権を奪取できたのは、小沢氏の選挙戦術の賜物である。小沢氏と組んだことによって、鳩山氏は政権交代を実現し、鳩山氏、菅氏は首相の座に着くことができた。これは小沢氏なしには不可能だった。

だが、民主党に入り込んだ小沢氏は、巨額のカネと強力な手腕によって、民主党の最高実力者となっていた。鳩山政権が発足すると間もなく、民主党の権力は二重構造となっていることが、国民の目に明らかになった。表では鳩山氏が首相として内閣を総理しているが、裏では小沢氏が政府も選挙も国会対応も取り仕切っている。日本の政治の実権を小沢氏が握り、内閣の外から鳩山首相や閣僚を牛耳っていた。

 鳩山氏は「友愛」を掲げ、自分の理想を目指す政治をしているかのように振る舞ったが、実態は小沢氏のご機嫌をうかがい、小沢氏の意に沿うように動いていた。鳩山氏の「友愛」は、国民に対し、独裁者・小沢一郎の存在をカムフラージュする言葉となっていた。

鳩山氏が退陣すると、後を継いだ菅氏は、脱小沢を志向した。しかし、平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が勃発すると、菅氏は全く指導力を発揮できないのみか、かえって首相の判断や言動によって被害が拡大し、わが国は深刻な事態に陥った。この間、民主党の体質・欠陥・危険性が、国民の目に明らかになった。

 旧社会党や日教組系の政治家は、小沢氏の采配に反発しない。逆に小沢氏を強く支持し、結束している。小沢氏の独裁者的な性格と手法は、マルクス=レーニン主義的な組織原理と親和するのだろう。小沢氏が土地購入・違法献金問題を生き延びれば、民主党は個人独裁の国家社会主義に変貌する可能性がある。人権擁護法案はファッショ化に利用されるだろう。

 民主党に日本を委ねることは、暴君・小沢一郎に日本の政治、日本人の運命を委ねることである。日本人は、このことに気づかねばならない。

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第2章 天皇陛下特例会見ゴリ押し事件

 

●小沢氏が天皇陛下を私的に「政治利用」

 

 平成21年(2009)は天皇陛下御在位20年という喜ばしい年だったが、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件によって、皇室の権威と日本の誇りが損なわれた。この事件において、天皇陛下を私的に利用し、自らの権力の誇示のために、皇室の権威と日本の誇りが損なったのが、小沢一郎氏である。わが国の歴史において、弓削道鏡・足利義満以来の歴史的大事件だった。

 平成21年(2009)12月15日、天皇陛下が、中国の習近平国家副主席と会見された。この場合、正しい用語は「引見」だが、本稿では一般的な用語で記すことをお断りする。外国の賓客が陛下と会見する場合、1カ月前までに文書で正式に申請する「1カ月ルール」と呼ばれる慣例がある。ところが、1ヶ月をきっていながら、中国政府が強く要請したため、鳩山由紀夫首相(当時)が「特例」として実現を指示し、会見が実現することになったという。

 明らかに鳩山政権の中国への追従であり、天皇の「政治利用」である。背後で、民主党の小沢幹事長が首相に会見の実現を働きかけ、首相が平野官房長官に検討を指示したと伝えられる。中国の理不尽な要求を承諾し、陛下の御健康に配慮する慣例を破って会見実現をゴリ押しした小沢氏の不敬・横暴は断じて許しがたい。

 小沢氏は、21年8月、民主党を選挙で大勝せしめ、政権交替を成功させた。わが国の最高権力者は総理大臣ではなく、総理を背後で操る小沢氏であることが明らかになった。独裁者的性格を持つ小沢氏は、国家権力の奪取に活動を集中し、数の強権をもって日本を変造しようとしている。外国人地方参政権付与、人権擁護法案、米国離れ・中国諂いの外交等、小沢氏が推進する政策は、わが国を崩壊に導く危険な政策である。

 小沢氏は、天皇陛下のご会見の時期に、143人の民主党国会議員、同行者600余名を引きつれて訪中し、胡錦濤国家主席と会見した。その姿はシナの皇帝に拝謁する周辺小国の覇王のようだった。しかも小沢氏は、自分を日本の権力を得る途中の「人民解放軍の野戦軍司令官」にたとえた。中国共産党による日本解放の指令を受けた傭兵隊長のような言い草である。

 中国共産党に対して卑屈なほど追従的な小沢氏は、その一方で、天皇陛下に対しては、崇敬の念が見られない。「1カ月ルール」は御高齢の陛下の御健康に配慮して、歴代内閣が守ってきた慣例だという。陛下のお体への気遣いがあれば、慣例破りのゴリ押しなどありえない。私は今回の暴挙は、政治権力者が「民主主義」の名の下に、天皇を下に見て、人形のように使おうとする不敬の極みである。

民主党に政権を任せるということは、小沢氏に日本の権力を預けるということである。日本の運命と自らの運命を、「人民解放軍の野戦軍司令官」に委ねるということである。

 日本の国民・政治家は、小沢氏の訪中、天皇陛下御会見のルール破りをもって、迫り来る独裁の危機に目覚め、国政の是正に立ち上がらねばならない。

 

●天皇陛下ご会見の「1ヶ月ルール」を無視

 

 『週刊文春』と『週刊新潮』は、取材力に定評のある週刊誌である。『文春』と『新潮』は、ともに平成21年12月24日号で、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件(と私は呼ぶ)について、トップで報道した。『文春』は「小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ」、『新潮』は「天皇陛下を中国共産党に差し出した小沢天皇の倣岸」と題して、この事件を速報した。

 『文春』は、リードで「天皇と習近平・中国国家副主席の会見は、民主党の小沢幹事長による前代未聞の『ゴリ押し』によって実現したものだった。もはや『政治利用』ではない。"独裁者"が陛下を『私的利用』したのだ」と糾弾。

 『新潮』も同じく、「『ルール無視』『政治利用』と、囂々たる非難が渦巻く中、天皇陛下との"特例会見"が実現した背景には小沢幹事長の『官邸恫喝』があった」「"1ヶ月ルール"を破り、こともあろうに天皇陛下を中国共産党に差し出した民主党の小沢一郎幹事長(67)。もはや自らを"小沢天皇"と錯誤しているとしか思えない傲岸である。総理はおろか陛下をも意のままに操ろうとする暴君に告ぐ。君、国売りたもうことなかれ!」と忠告した。

 両誌の記事を総合し、また全国紙等のメディアから得た情報を加えると、今回の天皇陛下特例会見ゴリ押し事件の概要は、次の通りである。

 中国の習近平国家副主席は、平成24年(2012)に国家主席になる可能性が高いと見られる政治家である。

 『文春』によると、天皇陛下と習氏のご会見に関する交渉は、21年10月下旬ごろから始まっていた。外務省関係者は、次のように憤る。「こちらは1ヶ月ルールを中国側に説明し、早急な日程確定を迫った。しかし中国側は、『12月の中央経済工作会議の日程が決まらないとわからない。来年の経済政策の方針を決定する大変重要な会議で、習副主席は必ず出なければならない。決まったらこちらから連絡しますよ』と真剣に受け取らなかった」

 「1ヶ月ルール」とは、天皇陛下と外国要人のご会見は、1ヶ月前までに相手国が文書で申請を出さなければならないとするもの。「30日ルール」ともいわれる。天皇陛下の御年齢と御体調を考慮し、平成7年(1995)3月にルール化された。宮内庁式部官長が外務省儀典長あてに「原則として希望日の1ヶ月前に要請」という公文書を出している。ルールが作られたのは、自民党・社会党・新党さきがけの連立政権の時代。鳩山首相は当時、与党さきがけの代表幹事だった。鳩山氏は当然、このルールについてよく知っているわけである。

 「1ヶ月ルール」ができてから、政府はこれを守ってきた。平成15年(2003)に陛下は前立腺ガンの摘出手術をお受けになったが、それを機に、陛下の御健康を考慮して、厳格に守られてきた。平成16年(2004)2月3日に式部官長が儀典長あてに「1ヶ月ルール」の徹底を求める公文書を送付している。「1ヶ月ルール」は、内閣総理大臣を首班とする歴代政権が承知し、それを守ってきた以上、下級役人が勝手に決めたというものではない。

 

●1ヶ月を切ってから、中国外相が小沢氏に要請

 

 『文春』によると、最終的に中国側が「12月14日から3日間」という習氏の日程を伝えてきたのは、11月下旬になってからのことだった。この時点で1ヶ月を切っていた。中国側は、当然のごとく天皇との会見を求めてきた。この時の中国側の態度について、「ハナから『次の最高権力者が行くだから、1ヶ月ルールなんて何とでもなるだろう』という態度だった」と外務省関係者は、『文春』に語っている。

 この間、21年11月19日、楊潔篪外相の随行者が、習氏の12月中旬頃の訪日を内報し、わが国の外務省が宮内庁に会見を要請した。内報とは、内密の知らせを言う。平野官房長官は、この時点で、習氏が来日することを認識した。

 『新潮』によると、翌20日小沢幹事長と中国の楊外相が会談した。その席で楊氏が小沢氏に「習副主席を陛下に会わせて欲しい」と持ちかけた。中国の外務大臣が、日本の一政党の幹事長に、こういうことを頼むのは、異常である。頼むなら、わが国の外務大臣に頼むべきだろう。小沢氏は、何年も政治家をやっているから、「1ヶ月ルール」を知っていたはずである。また習氏の来日予定が30日間を切っているからこそ、楊外相が自分に頼んできたことを理解しただろう。

 その後、小沢氏は、会見の実現に向けて裏で動いた形跡がある。小沢氏は、自分の実力を中国側に示したいと考えたのではないか。それは実力の誇示ではなく、中国共産党指導部への忠誠の証でしかないのだが。

 11月23日、中国側が習氏の訪日日程を正式に伝達してきた。26日、外務省のアジア・大洋州局長が宮内庁式部官長に会見を正式に要請した。宮内庁は「1ヶ月ルールで難しい」と内々に返答したが、翌27日、あらためて外務省に会見は「不可能」と伝達した。これを受け、外務省は都内にある中国大使館に「ほぼ不可能だ」と内報した。外務省は30日に鳩山首相、平野官房長官と協議し、その後、中国側に「不可能」と正式に伝達した。

 ところが、『文春』によると、11月26日以後、中国側はありとあらゆるルートを使って、天皇陛下と習副主席のご会見を実現させるべく工作に奔走していた。

 

●中国側はご会見実現へと工作に奔走

 

 11月26日以後、中国側はありとあらゆるルートを使って、天皇とのご会見を実現させるべく工作に奔走した。

 民主党関係者は、『文春』に次のように語る。「まず中国大使館の依頼を受けた山岡賢次国対委員長は、鳩山首相を始め、平野官房長官、岡田克也外相、羽毛田宮内庁長官などに電話をかけ、『天皇会見の実現は小沢の意向』と圧力をかけましたが、鳩山首相は『1ヶ月ルール』を理由に、いったんは拒否しました」

 山岡氏は、旧自由党時代から、小沢氏の側近中の側近として知られる。このたび小沢氏が訪中した際も同行し、胡錦濤国家主席と民主党議員の握手・撮影の場を仕切っていた。その山岡氏が、中国大使館の依頼を受けつつ、「天皇会見の実現は小沢の意向」として、首相・官房長官・外相に電話をして圧力をかけたという。これは、国対委員長の職務ではない。小沢氏の側近としての動きである。もし山岡氏が、羽毛田宮内庁長官にも電話をしたとすれば、羽毛田氏は、ルール破りのもとが小沢氏であることを、この時点で知っていたということになる。

 『文春』によると、鳩山首相は「1ヶ月ルール」を理由に、いったんは拒否したという。鳩山氏は、まともな判断をしたわけである。氏は「1ヶ月ルール」が作られたときの与党代表幹事だったのだから、ルールの重さをよく知っているだろう。

 中国側は、山岡氏の動きの不調を見て、次の手を打つ。12月3日北京で、王光亜外務次官が宮本雄二駐中国大使を中国外務省に呼びつけた。『文春』によると、王氏は、習近平国家副主席の「訪日の成功は天皇との会見にかかっている」と迫った。「習とは咤懇の仲」と常々語っている宮本氏は、わが国の外務省に「官邸を説得しろ」と伝えた。

 ここで注目すべきは、王外務次官が、習副主席の訪日の成功は天皇とのご会見にかかっていると述べたこと。習氏は、上海出身者による上海派の首領・江沢民のグループに属する。同時に、太子党、すなわち中国共産党の高級幹部の子弟等で特権的地位にいる者たちのリーダーでもある。この上海派・太子党と対立しているのが、団派、すなわち共産主義青年団出身者のグループ。団派の首領は、胡錦濤主席。こちら側には、李克強副首相という習氏のライバルがいる。習氏は、こういう中国指導部内の権力争いを勝ち抜いてこそ、国家主席の座に着くことができるわけである。

 宮本大使は、王氏の意向に従って、外務省に働きかけたが、岡田外相の「1ヶ月ルールを守るべき」の一言で、これも不調に終わった。

 

●中曽根康弘氏にも働きかけた

 

 『文春』によると、最初はタカを括っていた中国側も次第に焦りだした。ある北京特派員は「胡錦濤は副主席時代の98年、天皇と会見しています。ポスト胡錦濤の最有力候補といわれる習副主席が天皇と会見できなかったら、中国側関係者の責任問題になる」と語る。

 そこで、中国側は意外なカードを切った。それが、自民党の元首相・中曽根康弘氏への働きかけだという。

 「日中外交筋」とされる人物が、『文春』に次のように語った。「7日、崔天凱・駐日中国大使が中曽根康弘大勲位のもとを訪れ、会見の実現を依頼、中曽根氏は平野官房長官に『ここまで頼んでいるだから協力してやれ』と電話した」と。

 『文春』によると、中曽根氏の電話を受け、その日、平野官房長官は、羽毛田宮内庁長官に電話した。「日中関係の重要性に鑑み、是非お願いする」と頼んだ平野氏に対し、羽毛田氏は、1ヶ月ルールは「政府内で重視されてきたルールであり、尊重してほしい」と断った。

 この展開の事実関係については、『新潮』の記事も、基本的にほぼ同じである。違うのは、『新潮』はここで、痛烈な中曽根批判を行なっていること。「三つ子の魂百まで、どんなに偉くなろうとも"悪癖"は治らないーー。御歳91歳を迎えた大勲位こと中曽根康弘元総理が、この度の会見問題でも"暗躍"していた。21余年前、媚中のタネを蒔いた張本人であるにもかかわらず、全く以て懲りていない御仁である」と。

 自民党関係者は、『新潮』に次のように語る。中曽根氏は平野氏への電話で、こんな「圧力台詞」を吐いた。「キミ、ここで中国に"貸し"を作っておくのも一つのやり方だよ。習くんは中国の次のリーダーだし」と。

 『新潮』の記事は、次のように中曽根氏を批判する。「何たる媚びっぷり。これでは、中国ロビー活動に屈し、走狗となったと指弾されても致し方あるまい。そもそも、中国が我が国に対して居丈高に迫ってくる萌芽を作ったのは、大勲位ご本人なのだ」と。

 確かに中曽根氏は「21余年前、媚中のタネを蒔いた張本人」である。『新潮』によれば、「85年に当時総理だった中曽根氏は靖国神社を公式参拝したものの、中国から批判を浴びると、翌年には一転、参拝を見送っている。"風見鶏"の本領を発揮してみせたわけだが、以来、"靖国力―ド"を手にした中国は、強請りのネタを仕入れた暴力団よろしく、事ある毎に日本に対する"恫喝"を繰り返すようになったのだ」

 『週刊新潮』の再三にわたる取材申し込みに対し、中曽根氏は一切無視しているという。

 今回の天皇陛下特例会見ゴリ押し事件は、民主党・小沢一郎氏の不敬・横暴が最大の問題なのだが、自民党にも中国に媚びる大物政治家がいる。これがわが国の実態である。中国共産党による対日工作は、日中国交回復以前から、自民党・公明党・旧社会党等に対して、行われてきている。現在、最重要な工作対象が、与党となった民主党の最高実力者・小沢一郎氏であることは、間違いない。

 

●万策尽きた中国側は小沢氏に提案した

 

 12月3日、宮本雄二駐中国大使は、外務省に天皇陛下特例会見の実現を「官邸を説得しろ」と伝えたが、岡田外相は「1ヶ月ルールを守るべき」と断った。その翌日、小沢一郎氏は、鳩山首相と会談した。内容は明らかでないが、特例会見の対応を話し合ったものと見られる。

 それから3日たった12月7日、平野官房長官は、中曽根氏から電話を受け、羽毛田宮内庁長官に電話して、会見の実現を要請した。羽毛田氏は断った。この7日ごろ、外務省の外務省の垂(たるみ)秀夫中国・モンゴル課長は、中曽根元首相に「1ヶ月ルール」を説明し、中曽根氏は「よく分かった」と答えたという。そうであれば、中曽根氏の働きかけは、そこでとまったと考えられる。

 『新潮』によると、「8日頃までは鳩山総理自身も"実現は無理だろうな"という感触だったと見られます。その証拠に、同日午前、崔天凱・駐日中国大使に会った平野官房長官は"実現は難しい"旨伝えており、それは中国本国にも伝達されています」と官邸関係者は語った。

 万策つきた中国側にとって、残された最後のカードが「小沢一郎」だった、と『文春』は書いている。崔大使は9日、国会内で小沢氏と会談した。『文春』の記事で「日中外交筋」は、「9日の時点では、会見の実現はほぼ絶望的でした。ところがこの会談以降、潮目が変わった」と言う。

 小沢氏は11月20日、楊外相から「習副主席を陛下に会わせて欲しい」と頼まれている。12月4日には鳩山首相と会って、対応を話し合ったことだろう。ところが、1ヶ月前どころか、習氏来日予定5日後に迫っても、会見の目処は立っていない。

 小沢氏は、翌10日から、143人の民主党議員を含む総勢600名を超える「大訪中団」を率いて北京を訪れる予定だった。その小沢氏に、中国側は、ある提案を持ちかけた。

 

●「ゴチャゴチャやっとらん早くせい」と鳩山首相を恫喝

 

 『文春』によると、崔天凱・駐日中国大使は、小沢氏に次のように持ちかけた。「もし天皇との会見をセッティングしてくれたら、胡錦濤国家主席が143人の民主党訪中団の議員と一人ひとり握手する写真撮影をセッティングします」と。

 胡主席がこれだけの人数と個別撮影に応じるのは極めて異例であり、この申し出は中国側にとってもリスクあるものだった。先の北京特派員は『文春』に次のように語る。「日本の議員相手にここまでサービスしたとわかれば、依然としで反日感情の強い中国で、胡錦濤への批判が出ることは確実だからです。事実、国家主席が訪中団を迎えた映像は、中国国内で報じられませんでした」

 小沢氏は、崔大使の申し出に、心を動かされたのだろう。当日の9日、小沢サイドから鳩山首相サイドに電話が入り、こう罵倒したーー「オレの面子をつぶす気か」。

 震え上がった首相は、平野官房長官に指示をした。平野氏は再度、羽毛田氏に天皇会見を強く迫った。官僚組織の一員である羽毛田氏に、これ以上、抗うすべはなかった、と『文春』は書いている。ただし、民主党幹事長室は「そのような事実はない」と回答しているという。

 この経過について、『新潮』は、ある官邸関係者から聴いたことを書いている。8、9日頃、膠着していた情勢が「急変」した。契機となったのは、小沢氏の行動だった。小沢氏は鳩山総理に直接電話を入れ、「何をやっとるのか」「ゴチャゴチャやっとらん早くせい」、そう恫喝した。

 「この電話に震え上がった鳩山総理は平野氏に宮内庁への再度の依頼を指示。それが10日の平野氏と羽毛田氏のやり取りに繋がったのです」と官邸関係者は伝える。

 平野氏は「総理の指示で」と強い口調で再度、羽毛田氏に会見の実現を依頼した。羽毛田氏はついに折れ、特例を認めた会見が実現の運びとなった。この受け入れの背景には、小沢氏の恫喝があったというのである。

 

●独裁者・小沢が天皇陛下を「私的利用」

 

 どうして小沢氏は、「1ヶ月ルール」どころか、習氏来日の5日前というぎりぎりの段階になって、12月9日、鳩山首相を恫喝して、天皇陛下の特例会見の実現をゴリ押ししたのか。

 『新潮』は、先の官邸関係者の話を伝える。「小沢氏がそこまで会見の実現に拘った背景には、自らを名誉団長とする大規模訪中団のことがあったのは間違いない。出発は"恫喝電話"直後の10日。民主党の国会議員140人余を含む過去最大規模の630人を引き連れて行くのだから、どうしても大きな“手土産”が必要だったのです」と。

 12月10日、日本国民は、北京の人民大会堂のホールにおける異様な光景を、テレビで目の当たりにした。胡錦濤国家主席の傍らに、民主党議員たちが列を成す。その一人一人が、まるで皇帝の拝謁を賜るかのように恭しく胡主席と握手し、次々にツーショットの写真を撮影していく。

 『新潮』は、小沢氏が、この後に行なわれた胡主席との会談の席で、「それぞれの議員とツーショットをしていただきまして、本当にみんな、大変、喜んでいると思います」と、「深謝」してみせたと書いている。そして、全国紙の政治部記者の言葉として、「確かに、異例の厚遇には違いない。が、それは、胡主席への忠誠の証として、天皇を差し出した"お礼"のようなものだったのです」と書いている。

 12月10日とは、平野官房長官が羽毛田宮内庁長官に電話し、羽毛田氏が会見の実現を受け入れた日である。小沢訪中団の参加者は、民主党議員と胡主席との「握手&ツーショット撮影」について、次のように『文春』に言う。

 「名刺を配るのと話しかけるのは、NGと言われてました。一人3秒もかからない流れ作業です。それでも団長の山岡さんは『全員はムリかもしれないから、もしムリそうなら1年生議員を優先してあげて』なんて言ってましたね。まあ、見ていて気持ちのいいもんじゃないよね」。

小沢氏は胡主席との会談では、国内では滅多に見せることのない笑みを浮かべて、こう語りかけた。「それぞれの議員と"ツーショット"をしていただきまして、本当に皆、大変喜んでいると思います」。その表情には、中国に対する自らの影響力を党内に示すことができた満足感がにじ滲んでいた、と『文春』は書いている。

 『文春』は、記事のリードで「もはや『政治利用』ではない。"独裁者"が陛下を『私的利用』したのだ」と断じている。民主党の最高実力者の小沢氏は、首相や官房長官を動かす独裁者として、自分の権力を誇示し、中国共産党指導部への忠誠を証して見せた。国辱ものである。小沢訪中団の民主党議員にも、恥を知れと言いたい。

 

●「人民解放軍の野戦軍司令官」を自称

 

 12月11日、「1ヶ月ルール」を無視した天皇陛下の特例会見が、正式に決定された。実は、その2日前の12月9日ごろ、中国政府高官が「陛下のご健康に配慮し会見を見送るなら、やむを得ない」と日本側に伝えていた、と後に中国筋から明らかにされた。この高官は、日本側と中国国内で協議した際、「1ヶ月ルール」を理由とした会見見送りには難色を示したが、日本側が「陛下は御高齢であり、健康状態を勘案してほしい」と説明したところ、高官は「そういう話なら会見見送りは理解できる。共産党指導部を説得できる」と受け入れたという。

 これが事実とすれば、小沢氏は、大訪中団の「大きな“手土産”」として、自己の私的利益のために、鳩山首相を恫喝して動かし、御高齢の天皇陛下に特例会見を強いるという不敬・横暴を働いたことが裏付けられるだろう。

 胡錦濤国家主席と会見した際、小沢氏の姿はシナの皇帝に拝謁する周辺小国の覇王のようだった。しかも小沢氏は、会見後の記者会見で、自分を日本の権力を得る途中の「人民解放軍の野戦軍司令官」にたとえた。来年の参議院選挙の選挙対策を指揮していることに掛けたつもりだろう。

 しかし、これは重大発言である。胡主席は中国の軍事委員会主席で、人民解放軍の最高指揮官である。小沢氏が自分を「人民解放軍の戦軍司令官」と言ったことは、胡氏の指揮下に入り、その指令で動く部下になったことを意味する。すなわち、自分は、中国共産党に雇われ、日本解放の指令を実行する傭兵隊長だと述べたに等しい。

 中国共産党の「解放」とは、周辺諸国への侵攻を意味する。チベット・新疆ウイグル等が、「解放」の旗のもとに侵攻され、支配・略奪・虐待を受けてきた。小沢氏は、そういう現代史の事実を知らないのか。それとも、自ら中国共産党の手先となって、日本に中国を招き入れるのか。

 もし小沢氏が「人民解放軍の戦軍司令官」として、中国共産党による日本解放のために、来るべき参議院選挙で絶対権力を狙うというのであれば、良識ある日本人は、日本を守るために、日本の存亡をかけた正義の戦いを戦わなければならない。

 

●羽毛田長官は異例の内閣批判

 

 これまで本稿に書いたことを、わが国の国民は、平成21年(2009)12月11日まで何も知らなかった。小沢訪中団の中国詣での異様な光景が、全国にニュースで流れた翌日、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件は、共同通信のスクープ記事によって、表沙汰になった。

 この報道を受け、宮内庁の羽毛田信吾長官は、緊急記者会見に臨んだ。羽毛田長官は、「大変、異例ではあるが、曲げて陛下に(習氏との)会見をお願いした」と語った。

 「大きく言えば陛下の政治利用ということ」であり「1ヶ月ルールの肝心なところは、相手国の大小や政治的重要性で取り扱いに差をつけずにやってきた点」だと述べ、「日中関係は重要だから」という平野官房長官の二度にわたるゴリ押しがあったことを明らかにした。さらに、特例は「二度とこのようなことがあってほしくない」と、強い不快感を示した。官僚組織の一員が、厳しい文言を連ねて、異例の内閣批判を行なったのである。

 羽毛田氏の発言は、大きな波紋を呼んだ。

 『文春』は、宮内庁元幹部の言葉を伝える。「今回の苦言は、立場から言って、長官の一存というよりより、陛下のご意向に沿うものと考えるのが自然でしょう」と。

 この点について『文春』は、次のように書いている。天皇の「皇室外交」へのお考えは、次のようなエピソードからもうかがえる。平成20年(2008)5月、横浜でアフリカ開発会議が開催され、アフリカ諸国の首脳が来日した。宮内庁関係者によると、「陛下との会見を希望した国が多かったので、宮内庁の内部でさえ、優先順位をつけてはどうか、という案が出たです。それを聞かれた陛下は、『決して分け隔てをしてはならない』と、強くたしなめられた。結局、参加国首脳、全員を招いてのお茶会を開かれました」と。そういう陛下だからこそ、今回の一件を深く憂慮されているという。別の宮内庁関係者は、「両陛下は周囲に『昭和天皇の御世から大切にしてきた、あらゆる国のその立場にある人に公平に分け隔てなくお会いする、ということが、簡単にないがしろに…されてしまった』と漏らされたと聞いております」と『文春』に語っている。

 

●小沢氏は激怒して牙を剥いた

 

 ところが、中国に続いて韓国を訪問し、李明博大統領と会見してから帰国した小沢民主党幹事長は、12月14日定例記者会見で、こう爆発した。

 「何とかという宮内庁の役人が、どうこうだ言うのは、憲法の理念、民主主義を理解していない」「内閣に反対なら辞表を提出した後に言うべきだ」と決めつけ、「国事行為は、内閣の助言と承認で行われるだよ。天皇陛下のお体が優れない、体調が優れないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいということじゃないですか。そうでしょう?」と記者にぶつける。さらに、「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょう』と、必ずそうおっしゃると思いますよ」とまで言い放った。

 どうして、天皇陛下の中国要人との会見について、小沢氏が、これほど激怒して、荒々しいことを言うのか。多くの国民は、小沢氏の訪中と特例会見の実現に何か関係があるな、と感じたことだろう。

 小沢氏は習氏の特例会見の設定を政府に働きかけたのかと問われて、次のように答えた。「私がお会いさせるべきだとか、させるべきでないとかいうことを言った事実はありません」と。

 だが、『文春』によると、この日の夜、“完全オフレコ”の場では、こう怒りを爆発させたという。

 「俺は、1ヶ月ルールがあるから、前からちゃんとやっておくように言ってたんだなのに平野は、何の調整もしてなかった。それも俺の責任になるのか!」

 小沢氏は、働きかけをした。だから、小沢氏は、羽毛田長官の発言に、牙を剥いたのである。一つは、自らを守るために。もう一つは、忠誠を誓う中国国家副主席の天皇陛下への謁見を、邪魔されないために。

 羽毛田長官の記者会見以後、「1ヶ月ルール」を無視して強引に決定された特例会見を取り止めるべきだという声が挙がった。しかし、12月15日、わずか4日前に決まった天皇陛下と習国家副主席の特例会見は、行なわれた。暴君・小沢一郎による天皇陛下の「私的利用」は、実現した。小沢氏に恫喝された鳩山総理大臣が、官房長官を通じて、宮内庁長官に指示したのである。

 

●極めて問題の多い小沢発言

 

 小沢氏は、特例会見の前日だった12月14日、特例会見を実現させるため、記者会見で発言した。それは、極めて問題の多い発言だった。

 

 第一に、小沢氏の立場である。小沢氏は、「何とかという宮内庁の役人が、どうだこうだ言うのは、憲法の理念、民主主義を理解していない」「内閣に反対なら辞表を提出した後に言うべきだ」と言うが、小沢氏は、閣僚ではない。与党とはいえ、一政党の党務を取りまとめている人間に過ぎない。天皇陛下の外国要人とのご会見に関わる宮内庁長官を、公の場で非難するのは、筋違いである。譴責なら、長官の上司である閣僚や首相がすべきだろう。小沢氏は、この発言において、自分が首相や官房長官より上であり、政府を動かしている独裁者であることを、自ら暴露したのである。

 羽毛田長官は、小沢氏の恫喝に対し、「辞める気はありません」と公言した。宮内庁には支持・激励の電話が多数寄せられ、民主党には非難・怒りの電話・メールが殺到したという。

 

 第二に、小沢氏は「国事行為は、内閣の助言と承認で行われるんだよ。」と述べ、天皇陛下と習近平副主席の特例会見を、憲法の定める天皇の「国事行為」だと断言した。その点を質問した記者に、マスコミはちゃんと憲法を読め、と一蹴した。

 日本国憲法は、天皇の国事行為につき第7条に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と定めている。その九号に、「外国の大使及び公使を接受すること。」とある。天皇が接受されるのは、大使・公使のみである。外国の元首等の賓客とのご会見は、国事行為ではない。当然、中国の国家副主席とのご会見は、国事行為ではない。憲法を良く読まねばならないのは、小沢氏のほうである。

 第7条に規定されている国事行為のほかにも、天皇が行われる行為には、公的な性格のものがある。それらを憲法学では「公的行為」と呼ぶ。その中に、外国元首の接受が含まれるとされる。他には、国会の開会式に参列し「おことば」を朗読する行為などがある。ただし、これらの行為については、法的位置付けが定まっていない。「象徴としての地位に基づく公的行為」として容認する意見、第7条十号の「儀式を行ふこと」に該当するとする意見、そのような行為はそもそも認められないとする意見等がある。公的行為は、「内閣の助言と承認」を必要としない。国事行為は天皇に拒否権はないが、公的行為には憲法上の規定がないため、必ずしもその限りではない。

 小沢氏は、こうした憲法を学ぶ学生でも知る程度の知識を欠く。日本国憲法の条文のみを読んでわかったつもりでいるとすれば、一知半解である。そして、誤った理解をもって、宮内庁長官を罵倒し、記者会見の記者を見下し、叱りつけた小沢氏は、自らの知識の程度だけでなく、人格の程度をも満天下にさらけだしたのである。古来、独裁者は、ひとりよがりと傲慢を特徴とする。小沢氏はその典型である。

 

 第三に、小沢氏は、特例会見が「内閣の助言と承認」によって行なわれたかのように述べた。内閣は合議制ゆえ、意思決定には閣議を要する。閣議決定は、全大臣合意のもとに決定される政府全体の最高意思決定方法である。しかし、習副主席とのご会見は国事行為ではないから、閣議決定は必要ない。国事行為以外の公的行為については、内閣は助言と承認を行なわない。

 岡田克也外相は12月18日の記者会見で、天皇陛下の特例会見について「国事行為ではない。公的行為というのが普通の解釈だ」という認識を示した。この発言は、国事行為として閣議決定をしていないことを裏付けている。ところが、天皇陛下の特例会見は、内閣の一員ではない小沢氏によって、鳩山首相→平野官房長官→羽毛田宮内庁長官のラインで、ゴリ押しされた。憲法も民主主義も無視の独裁者の指示で、強引に実現したのである。

 

 第四に、小沢氏は「天皇陛下のお体が優れない、体調が優れないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいい」「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょう』と、必ずそうおっしゃると思いますよ」と述べた。『文春』は、この点について、次のように書いている。小沢氏は「天皇のご心中を勝手に忖度してみせたのだ。まるで、天皇は内閣の指示に黙って従っていればいい、と言うかのような、傲岸不遜なもの言いだった」と。

 また、小沢氏が自分がゴリ押ししたご会見に関し、「それよりも優位性の低い行事はお休みになればいい」と言ったことは、小沢氏が天皇陛下の様々なご公務の優先順位を判断する立場にあるかのような発言である。自分は、天皇陛下より上だと、思っているのだろうか。ご会見当日の15日は夕方から神事が予定されており、そういう日は天皇陛下はご休憩をされるのだという。結果として、そこに強引に押し込んでご会見をしていただいたのだった、

 

 訪中時の胡錦濤国家主席との会見における小沢氏は、中国共産党指導部に対して卑屈なほど追従的である。その一方で、天皇陛下に対しては、小沢氏には崇敬の念がまったく見られない。「1カ月ルール」は御高齢の陛下の御健康に配慮して、歴代内閣が守ってきた慣例である。陛下のお体への気遣いがあれば、慣例破りのゴリ押しなどありえない。

 私は小沢氏の行動は、政治権力者が「民主主義」の名の下に、天皇を下に見て、人形のように使おうとする暴挙だと思う。小沢氏の不敬・横暴は、断じて許しがたい。

 

●小沢氏に同調した鳩山発言

 

 天皇陛下の特例会見に関し、小沢氏は12月14日の記者会見で極めて問題の多い発言をした。この時、鳩山首相は、小沢氏の発言に同調して、次のように述べた。

 「(天皇と習氏の特例会見は)日中関係をさらに発展させるために大変大きな意味がある」「判断は間違っていなかったと思う」「(ルールの横紙破りについて)1ヶ月を数日間切れば杓子定規でダメだということで、果たして本当に諸外国との国際的な親善の意味で正しいのか」「本当に大事な方であれば、若干の変更があっても、天皇陛下のお身体が一番だが、その中で許す限りお会いいただく」

 これもまた問題の多い発言である。『新潮』の記事は、鳩山発言について、4点を挙げて批判している。

 第一に、「日中関係をさらに発展」という言葉自体が政治利用を意味している。

 第二に、「判断は問違っていなかった」と述べたのは、苦し紛れの開き直りであるのが自明である。

 第三に、「1ヶ月を数日間切れば杓子定規でダメだということで……」という発言については、中国側からの会見要請は1ヶ月前を10日も過ぎた11月26日であり、会見決定は会見の5日前だった。日本大学の百地章教授は、『新潮』に「"数日間"の誤差などとは言えません。自分たちの思い通りに皇室を動かせると驕っている証拠で、思い上がりもいいところ」と述べている。

 第四に、「許す限りお会いいただく」という鳩山氏の言い方は「命令口調表現」である。石破茂・自民党政調会長は「こちらは天皇陛下で、向こうは副主席ですよ。月や金星から来るわけではなく、日帰りできる距離の国の人なんですから、日程の折り合いがつかないのであれば、先方が調整すればいい話」と語り、安倍晋三元首相は「鳩山総理が中国側に"陛下への拝謁をお望みなら、時期を改めて1ヶ月前にご要請ください"と伝えれば済む話でした。そうしていれば、中国側は陛下の権威と、日本の揺るぎない姿勢をしっかりと理解したでしょう」と『新潮』に述べている。

 鳩山発言について、『文春』は、宮内庁元幹部の発言を掲載している。「ルールは杓子定規だからこそ意味がある。陛下との会見を求める申し出は膨大な数に上りますが、このルールのおかげで、ご体調面でのご負担をコントロールすることができるんです」と。逆に言うと、「1ヶ月ルール」を強引に破るということは、どれほど天皇陛下に大きなご負担を強いることだったかということである。また先の元幹部は次のように言う。「何より中国を特別扱いすることは、相手国の大小や政治的重要性に関係なく、常に『分け隔てなく』接してこられた、昭和天皇以来の皇室外交のありかたを真っ向から否定することになる」と。

 

●鳩山氏こそ首相ゆえ、責任は重大

 

 次に、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件における鳩山首相の責任について、私の見解を明らかにしたい。鳩山氏は、天皇陛下の親任を受けた内閣総理大臣である。その点において、鳩山氏の責任は、一国会議員にすぎない小沢氏より、遥かに大きい。

 平成21年(2009)12月9日、小沢氏は鳩山首相に直接電話し、「オレの面子をつぶす気か」「何をやっとるのか」「ゴチャゴチャやっとらんで早くせい」と恫喝した。この電話に震え上がった鳩山首相が、平野官房長官に宮内庁への再度の依頼を指示した。平野氏は、羽毛田氏に天皇会見を強く迫り、直前ゴリ押しの特例会見は実現したと伝えられる。

 こうした異常な展開は、鳩山氏が小沢氏に対し、「1ヶ月ルール」があるから認められないと、毅然と言い返せば、止まった事柄である。鳩山氏は総理大臣であるとともに、民主党の代表でもある。小沢氏は、その下で党務を司る幹事長に過ぎない。鳩山氏は「オレの面子をつぶす気か」「ゴチャゴチャ言わんで早く中国に行け」と小沢氏をたしなめれば、よかったのであるーーもっとも、それができる鳩山氏では毛頭ない。鳩山首相は、天皇陛下をお守りすることより、独裁者の命令に従うことに、心を向けている。鳩山氏は、暴君・小沢の伝書鳩、独裁者が操る鳩人形と言わざるを得ない。

 鳩山首相の誤った判断は、天皇陛下に多大な御負担を強いただけではない。『文春』の記事が伝える宮内庁元幹部の言葉のように、「何より中国を特別扱いすることは、相手国の大小や政治的重要性に関係なく、常に『分け隔てなく』接してこられた、昭和天皇以来の皇室外交のありかたを真っ向から否定することになる」。どこの国とも分け隔てなく接する皇室の外交は、明治天皇が示された四海同胞、一視同仁の実行である。これすなわち、わが国に伝わる日本精神の表れである。

 鳩山首相は、こうした日本の美風を曲げ、わが国を中国の属国のように貶め、しかもその役割を、天皇陛下に押し付けたのである。鳩山氏は、首相の座にあって国を乱す国賊として歴史にその名を残すだろう。

 天皇陛下は、わが国の政治家にゴリ押しさせて会見の機会を作って来訪した非礼の外国要人に対しても、慈愛と英知を示された。まことに御立派であったと思う。日本国民は、天皇陛下を日本国の象徴と仰ぎ独立自尊の道を行くか、中国共産党に媚びへつらう小沢氏・鳩山氏につき従うかーーこの日本の存亡に関わる選択を誤ってはならない。

 

●暴君・小沢の独裁を拒否し、日本を再建しよう

 

 小沢一郎氏は、民主党の最高実力者として、平成21年(2009)8月衆議院選挙で民主党を大勝せしめ、政権交替を成功させた。天皇陛下特例会見ゴリ押し事件が、明らかにしたように、わが国の最高権力者は、総理大臣ではない。総理大臣を背後で操る小沢氏である。

 小沢氏は、数々の金銭疑惑に包まれた政治家であり、その金脈をもって政界を動かしてきた。古来、独裁者は、ひとりよがりと傲慢を特徴とする。小沢氏はその典型である。それでいて、小沢氏は、自分より大きなものには、媚びへつらう。こうした金権的・独裁的・売国的な政治家が、最高権力者になってしまった日本は、真の危機にある。

 政権を握った小沢氏は、選挙で得た数の強権をもって日本を変造しようとしている。外国人地方参政権付与、人権擁護法案、米国離れ・中国諂いの外交等、小沢氏が推進する政策は、わが国を崩壊に導く危険な政策である。

 小沢氏は、来年の参議議員選挙で民主党の単独過半数を狙っている。仮に民主党が国会両院で絶対安定多数を取ったならば、小沢氏が何をやらかすか、その正体は、既に明らかである。

 鳩山氏は「友愛政治」を掲げているが、「友愛」は小沢独裁体制のカムフラージュに過ぎない。民主党に政権を任せるということは、天皇陛下をも私的に利用する暴君・小沢に日本の権力を預けるということである。中国共産党の指示を受けた「人民解放軍の野戦軍司令官」に、日本の将来と自らの運命を委ねるということである。

 日本の現状、そして迫り来る独裁の危機は、日本人が自ら招いた危機である。その原因は、日本人が日本人本来の精神を失っていることにある。精神的に大きな空隙の生じている日本を、権力欲の権化たる独裁的政治家や日本の「解放」を工作する勢力が牛耳ろうとしているのである。

 

●小沢氏の言動が尖閣事件に影響

 

 平成22年(2010)9月7日、尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件が起こった。事件に対する民主党連立政権の政府の対応は、極めて弱腰であり、方や中国政府の態度は非常に横暴だった。従来の日中外交でも、わが国の政府(当時は自民党が中心)は、しばしば媚中的な外交、時に土下座外交と呼ばれるほどに卑屈な外交をし、国益を損ねてきた。しかし、尖閣事件の対応は、その程度が大きく悪化しているものだった。

 悪化の要因には、わが国の国内的な事情、中国側の事情、日米関係等の変化がある。なかでも、私は、21年末の天皇陛下特例会見ゴリ押し事件の影響を感じる。特例会見ゴリ押し事件が起こった後、私は小沢一郎氏を糾弾する文章をネットに書き、またこの事件が今後の日中関係に大きな負の影響をもたらすだろうことへの憂慮を語ってきた。

 たとえば、22年2月下旬にある講演では、下記のような要旨の話をした。

 

 「天皇陛下は昨年12月15日、中国の習近平国家副主席と会見された。外国の賓客が陛下と会見する場合、1カ月前までに文書で正式に申請する「1カ月ルール」と呼ばれる慣例がある。「1カ月ルール」は御高齢の陛下の御健康に配慮して、歴代内閣が守ってきた慣例である。中国政府が会見を要請したとき、既に1ヶ月を切っていた。それなのに中国が会見を強く要請したので、鳩山首相が「特例」として実現を指示し、会見が実現することになった。

 背後で、民主党の小沢幹事長が首相に会見の実現を働きかけ、首相が平野官房長官に指示したと伝えられる。陛下のお体への気遣いがあれば、慣例破りのゴリ押しなどありえない。実は小沢氏は、この時、143人の民主党国会議員、同行者600余名を引きつれて訪中し、胡錦濤国家主席と会見した。一人一人が胡主席と握手して撮影する様子がニュースで流れた。この会見と、天皇陛下の特例会見はセットになっていた。明らかに天皇の「政治利用」である。しかも自分の力を誇示するために、天皇陛下を利用したものである。

 中国の理不尽な要求を承諾し、陛下の御健康に配慮する慣例を破って会見実現をゴリ押しし、天皇陛下を私的に利用した小沢氏の不敬・横暴は断じて許しがたい。また、今回の事件が今後の日中関係に大きな負の影響をもたらすことを憂慮せざるを得ない」 と。

 小沢氏は、自身の野望のために天皇陛下を私的利用した。それより、中国共産党指導部を、わが国に対して、より横暴で居丈高な姿勢にさせた。また当時民主党の最高権力者であった小沢氏が不敬・従中の振る舞いをしたことにより、わが国の政府中枢においては、中国に対して従来以上に卑屈な心理が働くようになった。このことによる負の影響の表れを、私は、今回の中国漁船衝突事件の展開に感じる。

 天皇陛下との会見をゴリ押しで実現した習近平氏は、22年(2010)10月中国共産党の中央軍事委員会副主席に選出され、胡錦濤国家主席の後継者としての地位を確立した。再来年には、国家主席の座に就くと見られている。以後、10年間は、習体制が続くことになるだろう。

 特定会見ゴリ押し事件後、小沢氏は、菅氏との民主党代表選で敗れて、政治とカネの問題で強制起訴される身となった。習氏とは対照的な境遇である。

 天皇陛下の特例会見ゴリ押し事件の最大責任は、当時の首相・鳩山由紀夫氏にある。鳩山氏は別件で首相を辞任したが、事件の責任は問われず、あいまいなまま推移している。鳩山氏は、首相とはいえ、小沢氏に指示を受け、それに従っていたに過ぎない。元凶は、小沢氏である。小沢氏は、もはや国政の中枢に戻る可能性はないだろう。しかし、氏が犯した重大な過ちは、わが国に負の影響を与え続ける恐れがある。

 尖閣沖中国漁船衝突事件は、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件、及び小沢訪中団の胡主席会見との関係で、考えてみる必要がある。 天皇の権威を貶めることは、日本国の威信を貶めることである。日本国の威信を貶めるならば、外国に主権を侵され、国益を損なう。そのような行為をした政治家を許すような政党に、国政を委ねていれば、国民は自ら衰亡の道を進むことになる。日本人は、今こそ自己本来の日本精神を取り戻し、国のあり方、政治のあり方を正さなければならない。

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第3章 不正蓄財に走った「闇の財テク王」

 

●政界の「闇の財テク王」

 

 小沢一郎氏は自著『日本改造計画』(講談社、平成5年〔1993〕で、「政治家が政治資金で私腹を肥やしたり、公正であるべき政策決定がカネでゆがめられているのではないかと疑念を持たれている。(略)政治資金規正法違反者に対する罰則を強化し、政治腐敗防止制度を確立すべきである。具体的には、違反者を公民権停止処分にし、違反の言い逃れを封じるために連座制も強化する」と主張した。

 ところが、その裏で、彼ほど資産形成に熱心で、カネの力で権力を握り、政局を動かしてきた政治家はいない。 そして今、小沢氏は政治資金規正法違反の罪で裁かれようとしている。

 小沢氏は、日本の政治を金権政治に変えた田中角栄元首相の弟子だった。田中の死後は、「東京佐川急便事件」で失脚した金丸信元副総裁の子分だった。田中=金丸の後継者として、金銭で汚辱した自民党の負の部分を小沢氏ほど、色濃く継承した政治家は他にいない。

 小沢氏は、政界の「闇の帝王」と呼ばれるが、同時に小沢氏は「闇の財テク王」でもある。

 これまで、小沢氏は、金銭疑惑の上がるたびに、法の網目からすり抜けてきた。しかし、21年に浮上した土地購入疑惑問題では、小沢氏は司法の追及を逃れられないと私は思う。またそれ以上に、国民の批判をこれ以上、かわして権力の座にすわり続けることはできないと私は思う。

政治資金規正法違反は、形式犯の微罪ではない。5年以下の懲役刑は、収賄罪と同等の重罪である。平成15年(2003)、自民党の坂井隆憲元代議士とその秘書は、1億2千万円の虚偽記載で逮捕された。懲役2年8ヶ月の実刑判決を受けた。問題になっている小沢氏の秘書寮の土地は、坂井氏の金額の3倍以上となる4億円の未記載である。かつて小沢氏が著書で主張したように、「政治資金規正法違反者に対する罰則を強化し、政治腐敗防止制度を確立すべき」である。

 

●長年にわたる不正蓄財の疑惑

 

先に書いたように小沢氏は著書で「政治資金規正法違反者に対する罰則を強化し、政治腐敗防止制度を確立すべき」と提言した。その主張は、国民を魅了した。ところが、その言葉と裏腹に、小沢氏は長年にわたって、巨額の不正蓄財をしてきた。

 東京地検特捜部は、東京都世田谷区の秘書寮の土地購入に関わることを捜査の中心とした。小沢氏の不正蓄財の疑いは、それだけではない。

小沢氏の父親は、小沢氏が学生だった時に亡くなった。小沢氏は父親から文京区湯島の土地を相続したが、相続税を払った形跡がない。小沢氏は、この土地を売って、自宅のある世田谷区深沢の土地を買った。湯島の土地は、売っても3億数千万円。深沢の土地は推定10億円という。買うには6億数千万円足りない。不足分はどこから得たのか。

 住まいとしている豪邸の建築には、3億円かかったと推定される。土地建物で計13億円使ったわけである。自宅を購入後、2億円残ったと小沢氏は言う。すると、原資は15億円あったことになる。小沢氏は湯島の土地売却による3億数千万円しか明らかにしていないから、差し引き11億数千万円は、どこかから得たわけである。もちろん税金は払っていない。

 徴税を逃れて11億数千万円もの巨額のカネを貯めるのは、議員の報酬や著書の印税程度では、無理。可能性としては、企業からの裏献金、政治資金の私財化、贈与税を払わぬ贈与、相続税を払わぬ相続だろう。

 不正蓄財の闇は深い。深沢の自宅購入が原点となって、小沢氏は、不動産業と見まごうばかりの財テクに走った。総額10億円以上といわれる不動産を、政治資金の資金洗浄で購入して、小沢一郎個人名義にしてきた。小沢氏の説明は二転三転、一貫性がなく、自分は関与していないと言いながら、土地購入のための銀行融資の書類に自分で署名している。そのほか明らかなウソを乱発している。

小沢氏は資金管理団体を使って、自分名義の不動産を次々に取得した。公開義務のない妻の名義でも不動産を増やした。小沢氏の個人名義の不動産は、小沢氏が死去すれば、親族に相続される。これほど私腹を肥やす方法はない。

 小沢氏の金銭疑惑には、政党交付金をめぐるものがある。小沢氏は金丸の引き立てにより、平成元年(1989)、47歳の若さで自民党幹事長になった。次期総裁候補だったが、経世会の跡目争いに敗れて自民党を離党した。その際、小沢氏は経世会の金庫からカネを持って出たと野中広務氏(元官房長官)は暴露している。

 小沢氏は、自民党を出てから、新生党、新進党、自由党と政党を作っては壊し、作っては壊ししてきたが、新生党、自由党の解党の際には、残った資金を別の政治団体に移す方法で、実質的に自分の支配下においた。現行法では違法ではないが、その資金には政党交付金として政党に交付された国民の税金が多く含まれている。法の抜け穴を通して、税金を私財化するのは、脱法行為と言わざるを得ない。

ほかにも小沢氏には、多くの金銭疑惑がある。ゼネコンの闇献金を資金洗浄して、財テクに使う。岩手めんこいテレビの地元誘致では、「架空株主」で株で儲ける、等々。中でも私が引っかかっていることの一つに、胆沢ダムをめぐる談合問題がある。ジャーナリストの松田賢弥氏は、小沢氏の問題を追究し続けてきた数少ないジャーナリストだが、松田氏は『小沢一郎 虚飾の支配者』(講談社)で、胆沢ダムに係る疑惑を書いている。

胆沢ダムは地元では「小沢ダム」と呼ばれる。子供でも小沢氏が作ったダムだと知っているという。ゼネコンや東北の建設・土木業者が工事に多く関わった。下請け受注した水谷建設の元幹部らが東京地検特捜部の調べに対し、小沢氏側に「計1億円を渡した」などと供述した。またやはり工事を受注した山崎建設が、さまざまなルートの政治献金で、小沢氏側に毎年資金提供していたことがわかった。総額は2千万円を超えるという。期間が、検察が捜査した西松建設が小沢氏側にダミー献金をしていた時期と重なる。

 小沢氏の権力基盤は、岩手県にある。みちのくの「小沢王国」を成り立たせているのは、ゼネコンと東北の建設・土木業者の利権構造、そして彼らによる組織的な選挙活動である。ここにメスを入れないと、政治とカネの問題は、核心部分が解明されない。

小沢氏は、資金管理団体の土地購入疑惑を捜査する検察を、国家権力の乱用だとして厳しく批判した。小沢氏の脱法的な手口は極めて巧妙であり、東京地検特捜部は、小沢氏の起訴を断念した。すると、それまで検察を批判していた小沢氏は、「検察の捜査に勝るものはない」と言い出した。そして、国会で出席を求められている衆院政治倫理審査委員会に出席を拒否する理由にした。以前は検察批判、今度は検察評価。自分の都合でガラッと変わる。そして小沢氏は、検察が不起訴にしたことで不正はないと「国民には理解してもらえる」と強弁した。

 だが、政治家の金の問題には、法的責任だけでなく政治的責任、道義的責任がある。検察が不起訴にしたことと、国会における政治倫理の審査は別である。検察が不起訴にしたから、政倫審に出席しないというのは、日本の政治倫理を破壊するものである。

 小沢氏はかつて政治資金規正法違反者に対する罰則の強化を説き、違反者を公民権停止処分にし、連座制を強化することを提案した。ところが、小沢氏は、同じ人物とは思えないほどに変貌した。これほど劇変した政治家を、私は他に知らない。

数々の疑惑に包まれた小沢氏の資産形成への執着は、すさまじい。不正・脱法の蓄財によってこそ、権力を握り、独裁・専制の体制を築いたのが、小沢一郎氏と言ってよいだろう。

 

●「政治とカネ」に関する小沢語録

 

小沢氏は、「政治とカネ」の問題について、かつて多くを語っていた。小沢氏の発言をいま読むと、ここまで言動が一致しない人間は、政治家の中でもまれである。

昭和58年1月20日産経夕刊、自民党総務局長、愛読書に関連して
 「(前略)最も人間的に好きなのが西郷隆盛である。(中略)西南の役では前途有為な人材を多く失い、政治家としての見通しが悪かったのも確かだ。だが、逆に情に流される西郷に人情政治家の捨てきれない魅力がある。『子孫のために美田を残さず』との言葉も味わい深い。私の亡父(佐重喜元建設相)も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」

昭和61年2月1日読売、自治相、資産公開のコメント
 「閣僚のうちで不動産が二番目に多いとは知らなかった。世田谷の土地は、最近、湯島の家を売って買い換えたもので、両親が残してくれた土地の資産価値が出ただけだ。普通預金はあるにはあるが、公開しなくてもいいというので出さなかった。政治家には資産を持っている人もそうでない人もいるが、肝心なのは、どのように行動していくかであって、資産があるかどうかは、政治家の在り方に、直接かかわりはないと思う」

平成2年2月24日朝日、幹事長、自民党三役に聞く
 「私は個人的には、政治献金をすべてやめるという考えだ。個人からの献金なら良いという話があるが、献金する規模が小さくなればなるほど利害が絡む。ただ、政治家個人ではなく、政党への献金ならいい。との議論はあるかも知れない」

平成2年12月31日朝日、幹事長、党三役インタビュー
 「政治にカネがかからないのがいいことで、かかるのは悪いとマスコミ的な仕分けをするのは非常におかしい。僕はカネのかからない政治を目指す、とは一度も言ったことがない。国民が求めているのは、きちんとしてカネが集まり、きちんとして使われ、それがオープンになることだ。オープンでないところに問題がある」

平成4年7月24日産経、政治改革を聞く
 「(献金は)『小口でたくさん』と言うが、とても集まらないのが実態で、それは幼稚園の作文みたいな話です。そういうのはいけない。カネを出す単位はできるだけ大きい方がいい。単位として一番大きいのは税金です。(中略)だから僕は、『政治活動にかかる金は税金で出しなさい。こんなに安上がりなものはない。いろんなスキャンダルが起きたり、疑われたりするこのロスとコストを考えてみなさい』と言っている」

 

 こうした発言をしていた小沢氏の実像は、まったく違う。政治家であること、国会議員であることを利用して、不正な蓄財に励んできたのである。

 

●覚醒した国民は巨悪を許さない

 

 デモクラシーは、民衆が政治に参加する制度である。国民が民衆が多数決で物事を決定する政治は、愚民政治、または独裁政治に陥りやすい。わが国は今日、大衆民主主義とマスメディアの商業主義によって、愚民政治に陥っている。私は、青島幸男氏、横山ノック氏というお笑い芸人が、それぞれ東京都知事・大阪府知事になった平成7年(1995)から、わが国の政治は愚民政治に堕したと観察している。戦後50年の年だった。日本人の精神的低下が顕著になった大きな節目の年である。

 自民党政権は、わが国の政治が愚民政治に劣化するなかで延命した。21年(2009)9月、腐敗・堕落を続けた自民党は、ついに国民の信任を失い、野党に転落した。自民党に替わって政権についた民主党は、徹底して市民参加を求める政策を打ち出した。民主党の触れ込みによって、利権癒着・官僚主導・中央集権という旧弊を破って、オープンでフェアーな社会にわが国を変え、わが国のデモクラシーを成熟させる政治を、民主党に期待した国民は少なくないだろう。

 ところが、民主党中心の連立政権の発足後、その期待が幻想だったことに気づいた人が、日増しに増えた。民主党では言論が規制され、自由な言論が行なわれておらず、意思決定のプロセスも非民主的であることが、暴露された。民主党は、民主主義を党名に表しているが、その実態は左翼団体における「民主集中制」に近い。それどころか、鳩山政権は総理大臣が最高実力者ではなく、内閣の一員ではない小沢一郎氏が首相の上に立ち、采配を振るっているという構造が明らかになった。

 歴史上しばしば、愚民政治で荒廃した国家には、独裁者が登場した。民主党には、小沢一郎という独裁者が、カネと人事と情報を握って、鎮座している。自分が首相になる可能性を否定していない。

小沢氏は『日本改造計画』に、あるべき政党のあり方、政府と政党の関係を書いている。それによると、「政治改革によって首相がリーダーシップを強化するとき、ポイントとなるのは与党と内閣の一体化なのである」「まず党の重要な役職者を内閣に取り込んでしまう。そして党の政策担当機関を内閣のもとに編成しなおし、正式な機関として位置づける。党の中枢イコール内閣という体制にするのである」。

 また、最も注目すべきは次の点である。「法案について内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議会運営の最高責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる」。小沢氏は、鳩山政権の幹事長として、実質的に小沢氏において「内閣と与党が頂点で一つに」なっていた。おそらく小沢氏は、自分が著書に書いた大統領制以上に「非常に強力な権力体制」のトップとなって、「ほとんど万能に近い権力」を握りたいと考えてきたことだろう。

 仮に小沢氏がこの「ほとんど万能に近い権力」を持つ首相になったら、首相は天皇より上になる。21年(2009)12月の天皇陛下特例会見ゴリ押し事件では、小沢氏は、小沢氏→鳩山首相→平野官房長官→羽毛田宮内庁長官のラインで、天皇陛下を私的に利用した。小沢氏の野望が露呈した出来事だった。

 わが国に独裁政治の危機が迫る状況で、小沢氏の土地購入疑惑問題が浮上した。東京地検特捜部の捜査に対し、小沢氏は、自分は関与していないと言い、ウソを並べ立てて追及をかわそうとしている。

かつて小沢氏は新自由主義の旗手と呼ばれたものだった。先の著書では、日本に欠けているのは、「強力なリーダーシップ」だと指摘し、憲法上、「万能に近い権限を握っている」首相のリーダーシップを確立するために、制度の改革が必要だと訴えた。当然、自分が首相となって、「万能に近い権限」を振るうことを思い描いていたのだろう。

 小沢氏の性格や言動は、自由主義的なアメリカの指導者より、統制主義的な中国・北朝鮮の指導者に、よく似ている。「強力なリーダーシップ」ではなく、「強力な独裁」が、小沢政治である。小沢氏は、側近や部下を恫喝とエサで黙らせ、自分に権力を集中させる。

 小沢氏の土地購入疑惑問題に関し、民主党には、小沢氏を批判する国会議員はほとんどいない状態が続いた。小沢氏は、ネの配分と選挙の公認権と政策情報を一手に集中して、党員を支配してきた。民主党の政治家のほとんどは、小沢氏に逆らうことにより、役職を与えられない、選挙で公認を得られない、選挙で資金をもらえない、活動に必要な情報を得られない等の報復をおそれてきたのだろう。

しかし、小沢氏の手法は、国民には通じない。小沢流で国民を盲従させられると思ったら、大間違いである。国民は、小沢氏の子分でも「小沢チルドレン」でもない。覚醒した日本国民は、「政治とカネ」の問題を許さない。

 

●指導者の選択を誤るな

 

 今なお小沢氏を不世出の大政治家であり、小沢氏でなければ日本の改革はできないと評価する人がいる。まったくの買いかぶりである。小沢氏は著書『日本改造計画』に実行すべき計画を掲げた。ところが、いつの間にか政策を変え、見解を改めている。

たとえば、小沢氏は、著書で、日本には民主主義の前提となる国民の自立が欠けている、国民の自立なしに自由は確立できないと主張し、国民の自己責任を強調した。本書において、小沢氏は自由を最高価値とし、その実現を政治の目的とした。当時、小沢氏は「新自由主義の旗手」と呼ばれた。ところがどうか。平成21年、政権交代を目指す民主党の目玉政策は、子ども手当であり、高速道路通行料の無料化、高校授業料の無償化、農家の戸別所得補償という典型的なばらまき政策である。これは、社会民主主義の政策である。小沢氏は、党の大幹部として、「国民の生活が第一」と訴えた。これは、かつての新自由主義から正反対の社会民主主義に転換したものである。子供手当については、当初民主党で立案していた予算額は、策定前の半分だった。ところが、それでは少ないとして、小沢氏がその倍の金額を言った。それを対象となる世帯数で割ったら、2万6千円になった・だから、どうして月額2万6千円なのかという積算的な根拠はない。ばらまき政策で選挙に勝とうとする小沢氏の戦術によるだけだからである。

他にもいろいろと、変心を重ねている。思想・言動に一貫性がなく、確かな見識がない。その状況、状況で権力を目指し、選挙目当てで変貌しているだけである。近年は、露骨に労働組合や在日韓国人団体に擦り寄っている。「アメリカに対抗し、日本の自立を進めるナショナリスト」だと見る識者(副島隆彦氏等)もいるが、小沢氏は、日本人に日本精神の復興を進める政治家ではない。小沢氏は韓国に行って日本人を軽蔑する発言をし、中国共産党に対しては迎合を隠さない。天皇陛下に特例会見をゴリ押しし、自分の権力を中国にアピールすることに政治利用した。そういう政治家のどこがナショナリストか。

私は、小沢氏は一貫してわが国の首相になって、強権政治をすることを目指して政治活動をしてきたと見ている。自由党を解党し、民主党に参入したのも、民主党で実権を握り、政権交代を成し遂げたのも、その目的の達成のためである。政権交代をしたのは、鳩山氏や菅氏ごときに政権を任せるためではない。自分が権力の頂点に立って、日本を動かすためである。ところが、自分のカネの問題が暴露されてしまい、自分の政治生命が危うくなった。追い詰められた小沢氏は、司法の追及を逃れ、自らの野望を達成しようとしている。

 小沢氏は自らはポストを求めず、影の実力者であろうとする政治家だという見方がある。だが、それは違うと私は発言してきた。小沢氏の著書『日本改造計画』を読めば、その計画書を書いた人物が自らそれを実行しようと考えていることは、明らかである。ではどうして小沢氏は、自らが望めば首相になれるチャンスを見逃してきたのか。私は小沢氏なりの判断で、時期や環境が整うのを待っていたのだと考える。

 小沢氏は数年前から『日本改造計画』の続編にあたる著作を書き続けてきたという。『日本改造計画』は、首相の権限を一般の憲法解釈より強大なものと解釈し、その強大な権限をもって日本を改造する計画書だった。新著の原稿は、旧著をはるかに上回る500ページの大作であり、小沢氏は4年ほど前に、すでに6稿まで書いていたという。こうしてじっくり練り上げてきた政策を、小沢氏は、自ら日本国の首相となって、強大な権限を掌中にして実行するつもりなのである。

 私は、新著の原稿がどういう内容か知らない。しかし。小沢氏の政策と手法による「改造」は、日本を悪化させる「変造」でしかないと見ている。選挙目当てでバラマキ中心の経済政策、年金制度の実態を認識していない年金制度一本化案、「第7艦隊で極東へのプレゼンスは十分」と言っていながら自主国防を整備しようとはしない安全保障政策等、小沢氏による「日本変造」の愚策はいくつもある。

 また小沢氏への権力の集中は、日本の伝統・文化・国柄を破壊するものとなると私は警告する。小沢氏は女性天皇を容認し、永住外国人地方参政権付与を認める見解を公言している。小沢氏の場合は単に見解にとどまるのではなく、それを強力に実現しようとするだろう。自分が権力を握れば、普天間基地問題でも話を蒸し返し、アメリカと距離を置き、共産中国に接近する方向に外交を進めるだろう。これらは日本を脱日本化し、日本が中国に併合される方向への舵取りである。

 私は、平成22年4月の拙稿「友愛を捨てて、日本に返れ」にて、鳩山氏の「友愛」は小沢氏の独裁を先導するものとなり、「友愛政治」に日本を委ねることは、暴君・小沢一郎に日本の政治、日本人の運命を委ねることであると警告した。閉塞状態に陥った社会では、大衆は強い指導者を待望する。大衆はその指導者に依存し、すべてを委任しようとする。こうした心理が働くとき、大衆の目には、その指導者は救世主のように見える。しかし、目の前にいる人物が国を救う指導者かどうかは、その人物の過去の言動を見れば分かる。過去の言動に、その人物が善徳の器か悪徳の器か現れている。指導者の選択を誤ってはならない。ページの頭へ

 

結びに〜政治家・小沢一郎氏の最後

 

●政治資金規正法違反罪で刑事被告人に

 

平成23年(2011)2月、小沢一郎氏が強制起訴された。検察審査会の2度の議決を受けたものである。

 私はそれまで「民主党に自浄能力があるならば、すみやかに小沢氏に離党勧告をすべきである。小沢氏が勧告を受け入れない場合は、除名処分にし、政党としての規律を示すことを期待する」という意見を述べてきた。

 同党はそうした対応をせず、小沢氏の強制起訴という段階を迎えた。離党勧告ないし除名を決定できるかどうか、民主党自体の政治倫理が問われた。だが、菅首相をはじめとする民主党執行部は、小沢氏に厳しい処分をしようとしなかった。かつて自民党の「政治とカネ」の問題を鋭く追及し、クリーンさを売り物にしてきた民主党は、自民党以上に汚れた政党だった。

 自民党を中心とする野党は、小沢氏の証人喚問を求めている。司法とは別に国会は氏を証人喚問し、事実関係を明らかにすべきである。小沢氏は、これに応じなければならない。裁判は裁判、国会は国会である。

 刑事被告人・小沢氏一郎氏の政治家としての身の処し方には、@現状の地位の維持、A単独離党、B小沢擁護の議員とともに集団離党、C議員辞職の4つがある。現在のところ、小沢氏は、@すなわち民主党に所属し、かつ国会議員という地位を保ちながら、裁判に臨むという姿勢を表明している。そして、裁判で真実を語り無実を明らかにするという。

 だが、私には、小沢氏の姿勢は、自己の保身と権力への執着にしか見えない。自分への嫌疑が本当に根拠なきものと確信しているなら、小沢氏は、とうにメディアを通じて国民への説明責任を果たし、また衆院政治倫理審査会でも証人喚問でも自ら積極的に出て、堂々と弁明しているだろう。それをせずに、強制起訴されたから裁判で争うというのは、そもそも政治家として正しい姿勢ではない。

 小沢氏の政治の師、田中角栄氏は昭和51年(1976)、ロッキード事件で逮捕されると、自民党を単独離党した。私は、田中氏なりの倫理があったと思う。田中氏は、離党後外部から自民党に強い影響力を振るい、「闇将軍」と呼ばれた。小沢氏のもう一人の政治の師、金丸信氏は平成4年、東京佐川急便事件で略式起訴された。それをきっかけに金丸氏は議員辞職に追い込まれ、脱税容疑で逮捕された。辞職から3年半後、法廷闘争中に亡くなった。

 小沢氏は田中氏・金丸氏の例を思い返し、自分に最も有利な道を取ろうと考えているに違いない。私は、小沢氏は単独なり集団なりで離党しても、政界を再編して政治を動かす力は残っていないと思う。また「闇将軍」となって民主党を外から操作する力も持っていない。新進党・自由党の時代の小沢氏は、巧妙な手法で資金を集め、資産を増やし、そのカネの力で議員を束ね、動かしていた。しかし、現在の小沢氏は、もはやその手法を使えない。カネの力を失った小沢氏に、他に何の力が残っていると言うのか。権力のためには政治理念や政策を変えて恥じない金権政治家は、カネの力を失ったら、何の力も残りはしないのである。

 しかし、今なお小沢氏に対し、強いリーダーシップで混迷の日本を導いてくれるのではないかという期待を持っている人がいる。小沢氏ならアメリカに対抗して日本の国益を守ってくれるのではないか、国民の生活を第一とした政治をしてくれるのではないか、等々。これらは弱き大衆の願望に過ぎず、根拠なき幻想に過ぎない。

 小沢氏はアメリカに対して多少は物申すだろうが、中国に対しては従中外交をするだろう。約600人を引き連れて訪中した際、民主党議員に胡錦濤主席と握手・撮影をさせ、自分は、人民解放軍の「野戦軍司令官」だと称した。小沢氏には、日本人としての誇りがない。中国の次期最高指導者と目された習近平氏の訪日においては、天皇陛下の特例会見をゴリ押しした。この不敬・横暴について、現在も全く反省がない。国民の生活が第一というのは、政権を取るために大衆をひきつけるキャッチフレーズに過ぎない。それほど国民の生活を思う政治家なら、国民の税金を原資としたカネを政党から政党へと持ち歩かないだろう。

 小沢氏への幻想は、捨てるべきである。

 民主党は、すみやかに小沢氏に離党勧告をすべし。小沢氏が勧告に応じなければ、除名とすべし。小沢氏は、国会議員の地位にとどまりたいのであれば、証人喚問に応じるべし。喚問に応じないならば、議員辞職すべし。ページの頭へ

 

参考資料

・小沢一郎著『日本改造計画』(講談社)、『剛腕維新』(角川学芸出版)

・松田賢弥著『小沢一郎 虚飾の支配者』(講談社)、『闇将軍〜野中広務と小沢一郎の正体』(講談社)

・大下英治著『小沢一郎の政権奪取戦略』(河出文庫)

関連掲示

・拙稿「友愛を捨てて、日本に返れ〜鳩山政治哲学の矛盾・偽善・破綻

  

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