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デフレ脱却の経済学〜岩田規久男氏

2013.4.1

 

<目次>

はじめに

1.わが国は失政失策でデフレに陥った

2.岩田氏は早くからデフレ阻止を主張

3.歴代政権は歴史的教訓を生かさなかった

4.構造改革派を批判したデフレ・ギャップ派

5.デフレ脱却の経済理論・経済政策を展開

6.マクロ経済安定化のための金融政策を提唱

7.金融政策と財政政策の組み合わせが必要では

8.日銀を厳しく批判、日銀法の改正を訴える

9.デフレを止めれば、超円高も止まる

10.「デフレの番人」の改革に“最もタフなデフレ・ファイター”が参上

結びに〜デフレは必ず脱却できる、日本は復興できる

 

 

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はじめに

 

平成24年(2012)12月、衆議院選挙で政権交代が起こった。政権は民主党から自民党に移り、安倍晋三内閣が発足した。安倍内閣は「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を掲げ、デフレからの脱却に取り組む姿勢を打ち出した。デフレ脱却には日本銀行幹部の人選が重要である。日銀の総裁・副総裁の人事は政府が提案し、国会の同意を得なければならない。政府が提示した総裁に黒田東彦氏、副総裁に岩田規久男氏と中曽宏氏を起用する案が国会で可決され、3月20日日銀の新体制がスタートした。私は、黒田・岩田・中曽のデフレ・ファイターズが安倍内閣と連携して活躍することを期待する。

なかでも岩田規久男氏は、日銀新体制においてデフレ脱却の理論的支柱となり、また改革の旗手となるだろう。本稿は、“最もタフなデフレ・ファイター”岩田規久男氏の理論と主張を紹介するものである。


 

  

1.わが国は失政失策でデフレに陥った

 

 わが国は、平成10年(1998)後半からデフレに陥っている。戦後先進国でデフレに陥ったのは、わが国だけである。しかも現在まで、15年間もの間、デフレが続いている。かつて敗戦から短期間に復興を成し遂げ、世界を驚かす高度経済成長を成し遂げた日本が、これほどまでの混迷に陥るとは、誰が想像しただろうか。

 デフレに陥った直接的な原因は、橋本内閣の失政にある。まずそこまでの経緯を振り返ると、敗戦から復興したわが国は、昭和35年(1960)から高度経済成長を成し遂げた。昭和40年不況、46年のニクソン・ショック、48年の第1次石油ショック、53年の第2次石油ショックも乗り越え、わが国は経済大国にのし上がった。この間、日本銀行はインフレの行き過ぎにならぬようにしながら、経済成長を可能にする金融政策を行った。

 わが国は、昭和60年(1985)のプラザ合意後、ドル防衛に協力のため円高が進み、日銀は金利を引き下げ、余剰資金は土地や株に向った。62年(1987)からこの傾向が顕著になり、バブルが膨らんだ。株価や地価は天井知らずに上昇した。インフレの昂進を恐れた日本銀行は、平成元年(1989)5月に金融引き締め政策に転換し、以後も金利の引き上げを続けた。そのため、2年初頭から株価が暴落し、続いて3年半ばから地価も暴落した。好景気で多額の借り入れをしていた企業は、一転して借金返済に追われるようになった。借金を返すために、売上高を伸ばそうとすると、供給過剰で物価は下落する。それが続くとフローのデフレになる。デフレになると、貨幣の価値が上がるから、債務は一層重くなる。株価や地価の暴落により、資産の価値も下がっていく。それが続くとストックのデフレ(資産デフレ)になる。資産のデフレは、一層フローのデフレを進める。こうした債務デフレによるデフレ・スパイラルが下降回転をしていった。

 日本経済は、国内企業物価指数で見ると、平成元年(1991)後半からデフレ状態になり、GDPデフレーターで見ると、平成6年(1994)からデフレ状態になっていた。そして、平成10年(1998)には、消費者物価指数で見てもそうなり、本格的なデフレに陥った。

 バブルの崩壊によって大打撃を受けたわが国は、1990年代において経済的回復の過程にあった。ようやく回復の兆しを示していた時、平成8年(1996)橋本龍太郎内閣が成立した。

 橋本内閣は、財政改革に重点を置いた構造改革を開始した。橋本首相は、粗債務だけを示して財政悪化を強調する大蔵省(現財務省)の資料を鵜呑みにして、わが国は財政危機にあると判断した。そして、GDPデフレーター(物価の総合指数)がマイナスでデフレ傾向にあるときに、基礎的財政収支均衡策を取って緊縮財政を行い、財政健全化を図るとして、平成9年度(1997)に消費税を3%から5%に引き上げた。加えて特別減税の廃止、医療費の引き上げ等で、国民負担が9兆円増加した。その結果、消費は冷え込み、不況は深刻化した。橋本内閣は、これに加えて、アメリカの強い圧力の下、外国為替法を改正し、「金融ビッグバン」を行った。時価会計・減損会計、ペイ・オフ、銀行の自己資本比率規制が導入され、わが国の経済は悪影響を蒙った。そのほか様々な失政の結果、わが国は本格的なデフレに陥った。

 橋本緊縮財政の結果を見て、後継の小渕恵三内閣は経済政策を軌道修正した。平成10年(1998)後半から12年度(2000年度)までの積極財政によって、日本経済は回復の兆しを示した。だが小渕氏が急病に倒れると、森喜朗内閣が橋本内閣を継承する構造改革政策をまとめ、平成13年(2001)4月に成立した小泉純一郎内閣は、構造改革路線を強力に推進した。

デフレ脱却を最優先とすべき状況において、竹中平蔵大臣が経済政策を取り仕切り、新自由主義的・市場原理主義的な政策を進めた。それは1997年度の大増税の失敗を反省することなく、再び緊縮財政を強行するものだった。

 当時、経済学者の菊池英博氏は、平成13年(2001)2月27日の衆議院予算委員会、及び3月15日の参議院予算委員会公聴会で、「日本の財政は純債務でみるべきであり、財政支出余力は十分ある。日本は積極財政をとらないと、財政赤字は拡大し、政府債務は増加するばかりだ」と公述した。その後も、「小泉経済政策では財政赤字が拡大し、日本は行き詰まるであろう」と言い続けた。14年(2002)2月27日の衆議院予算委員会公聴会では、「緊縮財政(とくに投資関連予算の削減)を継続する限り、デフレは一段と進み、財政赤字は拡大するばかりだ」と主張した。

 その後の推移は、菊池氏が警告した通りになった。歴代の自民党政権は、橋下=小泉構造改革の弊害を総括せず、財務省の財政均衡主義につき従い、デフレを長期化させた。デフレは長引けば、経済の縮小をもたらす。そこに平成20年(2008)9月、リーマン・ショックによる大波が押し寄せた。自民党政治への国民の不満は募り、21年(2009)9月、政権交代により、民主党が政権に就いた。民主党は、所得再配分に重点を置いたバラマキ型の政策を行い、わが国の経済は混迷を深めた。東日本大震災は、さらに深刻な損害をもたらした。24年(2012)12月、再度の政権交代により、第2次安倍政権が誕生し、ようやくデフレ脱却を最優先とする経済政策が実行されつつある。

 この15年間、デフレによる負の需給ギャップの拡大で、わが国がどれほどの富を失い、国民がどれほどの痛みを味わってきたかしれない。平成13年(2001)当時、菊池氏とは違う観点から、わが国がデフレに陥っていることを明確に指摘し、デフレ脱却策を提案していたエコノミストに、岩田規久男氏がいる。菊池氏は、主に政府・財務省の政策を批判するのに対し、岩田氏は、日本銀行の政策を批判する。ともに歯に衣着せぬ言論であり、英知と勇気と愛民に裏付けられている。

 岩田氏は、わが国がバブルの崩壊後、デフレ状態になっていた平成7年(1995)に、日銀の金融政策への批判を開始した。岩田氏は、平成13年12月に『デフレの経済学』(東洋経済新報社)を刊行した。その後も岩田氏は一貫して、わが国がデフレに陥った原因を追究し、デフレを脱却するための具体策を示し続けている。これまで、誰よりも日銀の金融政策を厳しく批判し、日銀幹部の責任を問うてきた岩田氏が日銀幹部になったことにより、日銀の改革が進み、デフレ脱却がようやく現実のものとなるに違いない。

 著書『デフレの経済学』は、岩田氏の経済理論・経済政策を理解する上で重要なものと思われるので、その要所を取り出して概観する。その後、近年の岩田氏の主張を紹介したい。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「経世済民のエコノミスト〜菊池英博氏

 

2.岩田氏は早くからデフレ阻止を主張

 

 岩田規久男氏は、平成13年(2001)の時点で、わが国がデフレに陥っていることをはっきり認識していた経済学者の一人である。

 岩田氏は言う。「1992年以降、現在(2001年秋)まで、日本経済は平均的な実質経済成長率が1%と80年代の約4分の1に落ち込み、『失われた10年』といわれるようになった」と。平成4年(1992)以降、13年(2001)当時までの低成長の原因について、岩田氏は、次の三つを最も有力な候補として挙げる。

 

@フローのデフレ(物価の持続的下落)とストックのデフレ(資産デフレ)により、デフレ・ギャップ(総需要の不足)が発生し、現在まで解消されていない。

Aグローバルな競争が激化するなか、規制などによって産業構造調整が妨げられた。

B不良債権の処理が遅れたため、銀行の金融仲介機能が不全に陥り、そのため、資源が非効率な企業に凍結されて、成長産業への移動がさまたげられた。

 

 これらのうち、岩田氏は、原因を@に求め、「産業構造調整と不良債権処理の遅れはともに、フローとストックのデフレの結果であって、原因ではない」という見解を示した。その理由は、「もしAやBが低成長の原因であれば、92年以降、日本の潜在的供給能力は低下したことになる。そうであれば、総需要が総供給を上回ることにより、インフレが起きたはずである。しかし、実際に起きたのは、物価の持続的低下というデフレであった」と説明する。

 低成長の原因をAに求める論者は、東アジアからの安価な製品の大量輸入がデフレの原因であるとする。この輸入デフレ説は、岩田氏によると、「貨幣供給量の増加率を一定として、安い製品が大量に輸入されるときに、輸入製品と競合しない国内の製品やサービスの価格は変化しないか、もしくは下がることを前提にしている」という点で誤っている。

 次に、Bについては、平成13年(2001)4月に小泉純一郎内閣が誕生した後、多くの国民の支持を得るようになった。Bは、銀行が不良債権を抱えたままでいると、成長産業に貸し出すことができないと主張する。だが、岩田氏は、「不良債権の最終処理は当該債権に関する損失を確定するだけであるから、それだけでは、銀行のバランス・シートは改善せず、自己資本比率も上昇しない。したがって、銀行は不良債権を最終処理したからといって、新たにリスクを取って、成長企業に貸し出せるようになるわけではない」と反論する。

 岩田氏は、平成13年(2001)秋、次のように書いた。「現在は、バブル崩壊によって発生した不良債権の大部分はすでに処理されているが、デフレのために新たに不良債権が発生している状況であると考えられる。デフレ下では、企業の売上単価が下落するため、売上量は増えても売上高は減少してしまう。これでは、借金の負担は重くなるばかりで、デフレでなかったならば健全な債権でも不良債権に転化しやすい。したがって最も優先すべき不良債権対策はデフレの阻止である」と。

 平成13年(2001)秋当時、わが国は、「消費者物価指数で見て高々1%程度、GDPデフレーターで見ても2%弱のデフレ」だった。それが「なぜ産業構造調整を困難にし、不良債権を増やす原因になるのか」。この疑問に対して、岩田氏は、「問題の本質は、マイルドなデフレの下でも、名目賃金と名目金利とが下がりにくいため、実質賃金と実質金利が高止まりし、雇用と投資の減少を招くという点にある。さらに、フローのデフレはストックのデフレを引き起こし、土地担保価値の減少による中小企業の借入れの困難や、株価下落による銀行の金融仲介機能の劣化などを招く」と説明する。そして、「2%程度のデフレだからと安心してデフレを放置しているうちに、デフレが4%程度になると、たとえ名目金利がゼロになっても、実質金利は4%にもなるため、投資は大幅に減少してしまう。なぜなら、実質で4%以上の収益を上げる投資はそれほど多くはないからである」と論を続ける。

 平成13年から現在(25年)までの、ほとんど誰も想定しえなかったわが国経済の縮小のおぞましい経過を振り返ると、岩田氏の見解がほぼ的確だったことが分かる。

 岩田氏は、平成13年(2001)12月発行の『デフレの経済学』において、「いま最も重要な経済政策はデフレを阻止する政策であり、デフレを阻止する政策は金融の量的緩和(それによる円安を含む)以外にないことを明らかにしようとするもの」と書いた。実に本書刊行後約11年を経て、ようやくその政策提言が実現される時を迎えたのである。しかも、著者本人が日銀幹部となって、中央銀行の金融政策を担当してデフレ脱却に当たることになれば、わが国では希有のこととなる。ページの頭へ

 

3.歴代政権は歴史的教訓を生かさなかった

 

 さて、岩田氏は、『デフレの経済学』で、昭和恐慌や1920〜30年代アメリカの大不況に関する歴史的な考察を行い、そこから得られる教訓を四つ挙げている。

 

<歴史の教訓1>

 デフレ下で(需要創出型以外の)構造改革を進めれば、デフレ・スパイラルに陥るリスクが大きい。それでもなお、構造改革を進めて、2〜3年後にデフレ・スパイラルから脱出できたという歴史的な事例はない。そうであれば、需要創出型以外の構造改革を進める前に、デフレから脱出する政策を優先すべきである。

 

<歴史の教訓2>

 デフレから脱出して経済を正常な状況に戻すためには、デフレ政策からリフレ政策へと政策レジーム転換をはっきりと宣言し、人々にその政策レジーム転換を確信させ、それによってデフレ期待を完全に払拭することが重要である。

 

<歴史の教訓3>

 人々のデフレ期待の払拭を確固たるものにするには、貨幣供給量の大幅な増加と為替レートの切下げが有効である。

 

<歴史の教訓4>

 人々の期待を、デフレから、デフレの収束あるいはインフレ期待へと変化させるためには、金融政策担当のトップが、みずからの政策の効果を確信した人に代わらなければならない。

 

 これら四つの教訓には、現実の歴史の研究から得た教訓としての重みがある。だが、平成13年(2001)以降も、わが国の国家指導者は、これらの教訓にほとんど何も学ばなかった。彼らがこれらの教訓に従っていれば、わが国はすみやかにデフレを脱却し、力強い経済成長を成し遂げられていただろう。

 私見を述べると、小泉=竹中構造改革は、デフレ下で需要が減少しているなかで、緊縮財政・規制緩和・不良債権処理等によって、供給能力の増大を図るものだった。経済学者の山家(やんべ)悠紀夫氏は、当時の構造改革論を「供給する側の力を強化する改革」であり、「サプライサイド強化論」と呼んだ。その政策は、特に大企業の側に立って、規制を緩和すべし、市場原理の徹底を図るべし、弱者を淘汰し強者を支援すべしと説く政策だった。その結果、需要不足・供給過剰による需給ギャップが拡大した。財政支出を削減し、デフレを深刻化させたために、経済が萎縮し、名目GDPが落ち込み、税収を激減させてしまった。2005年度予算は税収見込みが44兆円であり、税収がその19年も前の1986年度並みの水準にまで減少して、財政赤字は増大した。2000年度の政府債務(長期国債)は368兆円であったのに対し、小泉首相が退任した2006年度末には、541兆円に達した。労働法の改悪で非正規労働者が増え、地方は疲弊し、社会的格差は拡大した。岩田氏が挙げた昭和恐慌と米国大不況の歴史的教訓は、小泉=竹中政権では、まったく生かされなかったのである。

 日本はかつて1970年代には「21世紀は日本の世紀」(ハーマン・カーン)「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴォーゲル)とまで書かれた。だが、21世紀を前に先進国で唯一デフレに陥り、名目GDPは1997年の523兆円をピークに、500兆円前後を低迷し、2012年には475兆円にまで縮小した。国民一人当たりの名目GDPで見ると、世界第16位(平成22年、IMFによる)という小国並みの水準にとどまっている。国民の潜在力が生かされていない。むしろ政府・財務省・日銀によって、国民の力がまともに発揮できないように抑えられている。実におかしな、そして残念なことである。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「橋本=小泉構造改革を告発〜山家悠紀夫氏

 

4.構造改革派を批判したデフレ・ギャップ派

 

 岩田氏は、先に揚げた<歴史の教訓1>で「需要創出型以外の構造改革を進める前に、デフレから脱出する政策を優先すべき」と述べている。岩田氏の場合は、デフレ脱却を優先する一方、ある種の構造改革は進めるべきと主張していた。この点を補足したい。

 岩田氏は、平成13年(2001)当時の経済政策論者を、構造改革派とデフレ・ギャップ派に分けた。

 岩田氏のいう構造改革派とは、「長期低迷の原因を、産業構造調整の遅れや不良債権処理の先送り、あるいは特殊法人の非効率性など」に求め、「規制緩和、不良債権の最終処理、特殊法人の民営化、無駄の多い公共投資の削減などの構造改革こそが、経済低迷からの脱出条件である」と主張する人々である。それに対して、デフレ・ギャップ派は、1990年代の長期低迷の原因を、「総需要が総供給に比べて不足するというデフレ・ギャップ、またはデフレそのもの」に求め、「総需要拡大政策こそが重要」と主張する。

 私見では、当時の構造改革派には竹中平蔵氏、中谷巌氏、高橋洋一氏らが、デフレ・ギャップ派には、宍戸駿太郎氏、丹羽春喜氏、山家悠紀夫氏、菊池英博氏らがいた。

 岩田氏は、デフレ・ギャップ派の中には、「財政支出の拡大や減税などを主張する財政政策派」「金融政策を主張する金融政策派」「両者を主張する財政金融政策派」があり、「構造改革と金融緩和政策の両方を同時に進めることを主張する人」もいるという。私の見るところ宍戸氏、丹羽氏、菊池氏は財政金融政策派、山家氏は財政政策派だった。これに対し、岩田氏は、デフレ・ギャップ派のうち金融政策を重視する立場だった。そして、その立場から、「金融の量的緩和などの金融緩和政策は構造改革を阻害する」と説く構造改革派を批判した。岩田氏は、当時次のように書いた。

 「デフレ下で、デフレ・ギャップが拡大すれば、相対価格調整メカニズムがスムーズに働かないため、いっそうの需要不足になり、景気は回復するどころか、生産は縮小し、失業率は上昇してしまう可能性が大きい。したがって、いま述べた限りでは、デフレ・ギャップが存在するときには、『構造改革なくして景気回復なし』という命題は成立しない。それどころか、構造改革を進めれば景気は悪化することになってしまう」と。

 小泉首相は「構造改革なくして成長なし」というスローガンで構造改革を訴えた。岩田氏はその路線を批判し、「景気対策と矛盾しない需要創出型構造改革」を主張した。岩田氏が提案する政策は、金融政策一本ではない。岩田氏は「デフレから脱却するための手段として金融の量的緩和を進め、構造改革としては需要創出型構造改革から進めるという立場」だと自らを規定している。金融の量的緩和によってデフレを阻止しつつ、構造改革のうち需要創出型から進める。その後、「その他の構造改革を進めて、より高い潜在的国内総生産の成長経路に移行することを目指している」と述べる。

 需要創出型の構造改革とは何か。岩田氏は、構造改革は「規制緩和や不良債権の最終処理などによって、生産要素を低生産部門から高生産部門へ移動させたり、低生産部門の生産性を高めたることによって、供給能力を増大させる政策」だとする。だが、「構造改革の中には供給能力を増大させるだけでなく、需要も拡大させるものもある」と言う。具体的には、「規制などによって参入が妨げられているため民間投資が起きない分野での規制緩和や、民間投資を呼び込むような公共投資は、景気対策と矛盾しない需要創出型構造改革といえる。つまり、景気対策と矛盾しない需要創出型構造改革とは、民間投資を呼び込むような構造改革であって、単に新たなサービスの供給をもたらすような構造改革ではない。右のような需要創出型構造改革は、短期的には需要を創出するから景気対策になるが、長期的には、投資された設備や社会資本が生産能力化するから、潜在成長率を高める。したがって、それは、デフレ下では、最も優先すべき構造改革である」と説く。

 ところが、岩田氏は、平成13年当時、「小泉内閣はデフレ下での構造改革を進めようとしている。需要創出型構造改革でない限り、構造改革は一般に供給能力だけを増やすから、需給ギャップが存在する場合には、いっそう、デフレ圧力になる。その結果、倒産や失業といった痛みが大きくなる」と予測した。不幸にして、わが国ではデフレ下でデフレを悪化させる供給能力拡大の構造改革が行われたため、国民は多大な痛みに苦しむことになった。岩田氏の予測は、概ね正しかった。それは、先に引用した<歴史の教訓>を踏まえていたからである。

 しかし、今日も小泉=竹中構造改革を評価し続ける政治家・経済学者・経済評論家には、失政失策についての真剣な反省や徹底的な総括が見られない。その中で数少ない例外の一人は、小泉=竹中政権のブレーンとして、構造改革政策を推進した中谷巌氏である。中谷氏は、平成20年(2008)の世界経済危機の後、「懺悔の書」と銘打って、『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社)を公刊した。稿「橋本=小泉構造改革を告発〜山家悠紀夫氏」の「はじめに」に書いたが、中谷氏は、自分のかかわった構造改革政策の結果を反省し、政策の修正・転換を説くのであれば、構造改革政策のもとになった経済理論を検討し、その理論を批判・修正する意見を述べるべきである。だが、氏はこれを行っていない。氏の「懺悔」は不十分であり、氏の「転向」は不徹底である。だが、中谷氏は、自らの「懺悔」を公にした点に誠実さが感じられる。大多数の政治家や学者、エコノミストは、反省も述べずに、いつの間にか論調を変えている。彼らに比べ、岩田氏は、1990年代から今日まで一貫して、デフレ脱却優先の理論と政策を説き続けている。そのことは、高く評価されるべきである。ページの頭へ

 

5.デフレ脱却の経済理論・経済政策を展開

 

 岩田氏は、平成13年(2001)の著書『デフレの経済学』で、巻末に本書全体の要約を載せている。その要約は、明快十全であり、余人が代わって為し得るものではない。そこで、要約の全文を掲載させていただく。

 

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1 日本経済は92年(ほそかわ註 平成4年〔1992年〕)ごろからフローとストックのデフレ状態にある。ストックのデフレは90年の株価バブルの崩壊に始まり、続いて91年に地価バブルが崩壊し、地価は現在(2001年秋)まで下落が続いている。この間、株価は上がることもあったが、傾向としては、地価同様、下落し続けている。他方、フローのデフレは、国内卸売物価は91年終わりごろから、GDPデフレーターは94年の第4四半期から、消費者物価指数もその上方バイアスを取り除くと、94年ごろから、下落し続けている。

(ほそかわ註 フローは「ある長さを持った時間で定義される概念」、ストックは「ある時点で定義される概念」)

 

2 フローのデフレは、一方で企業の名目収益を減少させることにより株価の下落を、他方で地代・家賃の減少をもたらすことにより地価の下落を、それぞれ引き起こす。このストックのデフレは家計や企業や銀行のバランス・シートの悪化(借り手にとっては不良資産の増加、貸し手にとっては不良債権の増加)によって、金融仲介機能を低下させ、消費と投資を減少させるため、いっそうのフローのデフレを引き起こす。このフローのデフレが再びストックのデフレを引き起こすというように、両者は相互に増幅効果を発揮し合いながら、総需要を持続的に減少させ、景気の悪化をもたらす。フローとストックのデフレが実体経済を悪化させ、それが再びフローとストックのデフレを引き起こすことをデフレ・スパイラルという。

 92年の景気後退以降、日本経済は今日まで、このデフレ・スパイラルのリスクを抱えた状態にあり、それが経済の基盤を脆弱なものにしている。

 

3 デフレ下では、名目賃金と名目金利の下方硬直性が高まるとともに、ストックのデフレによる各経済主体のバランス・シートの悪化が加わって、相対価格の調整に歪みが生ずる。具体的には、実質賃金と期待実質金利とが高止まりするとともに、バランス・シートが著しく悪化するため、衰退産業で過剰になった資本や労働や土地といった資源が、成長産業ヘスムーズに移動することが困難になる。これにより、失業率が上昇し、過剰設備や活用されない土地が増加して、産業構造調整が遅れるとともに、経済はデフレ不況に陥る。

 

4 景気を回復させるためにも、産業構造調整を進めるためにも、さらに、不良債権の増加を止めるためにも、まず、フローのデフレを阻止して、経済の基盤を強化することが不可欠である。フローのデフレが止まり、マイルドなインフレに移行すれば、企業の名目収益が高まることにより、株価の下落が止まり、やがて上昇に転ずる。地代・家賃については、その相対価格の低下は、しばらくの間は続くとしても、デフレが止まれば、その絶対水準の低下は止まる()。それを反映して、地価の低下も止まり、やがて、緩やかな上昇に転ずるであろう。すなわち、フローのデフレが止まることが、ストックのデフレが止まる必要条件である。

 以上のようにして、マイルドなインフレ経済に移行すれば、実質賃金や期待実質金利などの相対価格の調整がよりスムーズに進むようになるため、景気が回復するとともに、産業構造調整も進展するであろう。

 

5 マイルドなインフレに移行するためには、デフレからマイルドなインフレへという「金融政策レジーム」の断固たる転換を明確にしたうえで、1〜3%程度のインフレ・ターゲットとその達成時期(1年以内が目安)を明示して金融政策を運営する必要がある。インフレ・ターゲットを達成する手段としては、マネタリー・ベース(あるいはその一部である日本銀行当座預金)の増加を通じて貨幣供給量の増加を促すことと、円安誘導とが有力な候補である。世界同時不況が予想される現在(2001年秋)、1ドル=140円といった本格的な円安誘導政策の採用は、政治経済的に見て、困難であろう。そこで、第一の貨幣供給量を増加させる政策を主とし、毎月、一定額のドル建て資産(米国債)を購入する政策を組み合わせることがとりうる政策になる。貨幣供給量の増加を促すためには、長期国債買い切りオペを大幅に増額するとともに、為替介入の際に銀行に流れた日銀当座預金を日銀が吸収せず放置することによって、日銀当座預金を増やすべきである。

 インフレ・ターゲット政策はインフレの下限だけでなく、上限も設定するので、マイルドなインフレがギャロッピング・インフレ(駆け足のインフレ)もしくはハイパー・インフレに転換することを事前に防止することができる。もしそれができないならば、それは中央銀行の能力の問題であって、インフレ・ターゲット政策それ自体の問題ではない。

 

6 インフレ・ターゲット付き長期国債買い切りオペ増額政策は、当初は銀行の貸出の増加を通ずる経路よりも、債券や株式や外貨建て資産といった資産の価格上昇を通じて、デフレ阻止の効果を発揮するであろう。これにより、総需要が拡大して、デフレが収束するにつれて、銀行の貸出も増加に転じ、やがて、インフレ期待が発生するであろう。しかし、経済が潜在成長経路に乗って、完全雇用が達成されないかぎり、名目金利は期待インフレ率ほどには上昇しないため、期待実質金利は低下する。それにより、経済は潜在成長経路に向かって拡大し続けるであろう。

 

7 デフレ阻止は日本経済が再生するための必要条件であるが、潜在成長率を高める政策ではない。財政構造改革や健康保険・公的年金などの福祉政策の安定化、さらに、少子・高齢化による労働力不足などの問題を解決するためには、長期的には、全体の生産性を高める構造改革を進めて、資本、労働、土地などの資源を低生産部門から高生産部門へと移動させる必要がある。しかし、デフレが続くかぎりは、財政構造改革などのデフレ圧力をともなうものは慎重に進めるべきで、規制緩和などによって需要創出につながる構造改革を優先すべきである。

 構造改革は、民間でやれることは民間にまかせ、政府の仕事を民間ではやれないことに限定するという原則にしたがって進めるべきである。この原則からは、構造改革のなかでまず優先すべきは規制改革と行政改革である。それに対して、政府がリーディング産業や今後、需要が増えると思われる産業(たとえば福祉部門)を指定して補助金や税の優遇措置を与えるべきだという考えがある。しかし、この種の従来型の産業政策は、右の原則からは避けるべきである。産業の育成における政府の役割は、参入障壁のような成長を阻害している規制等を撤廃したり、公正な競争ルールを設定することである。

 

8 政府の長期債務残高がGDPの130%程度にも達している現在、長期的に見て財政構造改革は不可欠である。しかし、デフレ経済では、財政構造改革は一挙に進めるべきでなく、まず、@歳出の中身を検討してむだなものを省いて、需要創出効果の大きな支出を増やし、Aデフレが解消した時点で歳出の削減に踏み切り、Bさらに経済が安定的に成長する段階に入ったのを見きわめて増税する、という三段階アプローチをとるべきである。

 

9 不良債権問題について第一に実施すべき政策は、デフレを阻止することによって、不良債権が発生する元を断つことである。すでに発生してしまった不良債権については、金融庁が実態に合った資産査定をすることによって、銀行が引当金の適切な繰入れ、適切な最終処理、自己資本の増強などを積極的に進めるよう、強い動機付けを与えるべきである。そのうえで、最終処理するとしてどのような方法をとるかは銀行にまかせるべきである。

 ペイ・オフの一部解禁を6カ月後(2001年秋現在)に控えて、不良債権の適正な処理が遅れ、過小資本に陥る銀行は、市場の淘汰のメカニズムにさらされるであろう。不良債権はそうした市場の規律が機能する下で、銀行の自己責任において処理されるべきである。また、政府が優先株の取得により銀行に資本を注入し、その対価として配当を求めたり、経営健全計画の名の下に中小企業貸出の増加を求めたりすることは、不良債権の発生を抑制し、自己資本の増強を図ることによって、銀行経営を健全化させるという資本注入の目的と矛盾する。したがって、資本注入行に優先株配当と中小企業貸出の増加を求めることはやめるべきである。

 

10 銀行に対する市場の規律が働くなかで、自己資本比率が著しく低下する銀行が続出して、システミック・リスクが顕在することが予想されるような事態が発生した場合には、政府は銀行に公的資金を注入することを躊躇すべきではない。

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 以上が、岩田規久男氏自身による『デフレの経済学』の要約である。平成13年時点のものだが、デフレ脱却を最優先、インフレ目標、金融緩和、長期国債の買い切りオペを行うこと。また第一に無駄の削減と重点的支出、第二にデフレ脱却後に歳出削減、第三に増税は安定的な成長に入ってから、という3段階アプローチとすること。こうした政策は、今日もデフレ下にある日本において、適切妥当な政策と私は考える。一方、要約の7〜8にある「需要創出につながる構造改革」については、そのような改革をあえて構造改革と呼ばなくてよいと思う。総需要拡大政策を、インフレ目標のもと大胆な金融緩和を行いながら実行すればよいからである。

 岩田氏は『デフレの経済学』での上記要約の見解を、以後一部修正したり、発展させたりして、今日に至っている。この間、岩田氏はデフレ脱却の経済学を説き続けてきた。氏はまさに“最もタフなデフレ・ファイター”と言えよう。

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6.マクロ経済安定化のための金融政策を提唱

 

 岩田氏は『デフレの経済学』で、昭和恐慌期の高橋是清の財政金融政策を、1990年代からのデフレ脱却のために学ぶべきものと書いた。その一方、デフレ脱却のための財政政策について、効果はかなり限定的なものと見ていた。民間投資が増加するまでの「つなぎの効果」しかなく、財政支出を止めればもとに戻るとした。だが、平成16年(2004)に岩田氏が編著者として刊行した『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)では、高橋是清の脱デフレ政策への理解をさらに深めた。そして、リーマン・ショック後の米国の積極的財政出動を目の当たりにした21年(2009)の著書『世界同時不況』(ちくま新書)では、「1933年3月以降のアメリカの不況対策も昭和恐慌期の高橋財政も、金融政策と財政政策の組み合わせであった」と結論づけている。

 ここで岩田氏の経済理論・経済政策における金融政策と財政政策の組み合わせについて、詳しく見ておこう。

 岩田氏は、『昭和恐慌の研究』刊行の翌年、平成17年(2005)に出した『日本経済を学ぶ』(ちくま新書)で、金融政策・財政政策・構造改革の関係について述べている。

 物価や雇用が安定し、国内総生産が安定的に成長することを、マクロ経済が安定するという。岩田氏は、本書で、「デフレ下で、政府が財政支出の大幅カットや増税によって、本格的に財政構造改革を進めれば一層のデフレになり、失業率も大きく上昇して、マクロ経済は不安定になります。さらに、所得や消費の減少のため、かえって所得税や消費税などの税収が大きく落ち込んでしまい、財政構造改革自体が失敗するでしょう。97年(ほそかわ註 平成7年〔1997〕)の橋本内閣の財政構造改革(消費増税など)の失敗はその典型的な例です」と言う。この見方は、私の認識と一致する。

 岩田氏は、小泉内閣の構造改革について、「市場の競争を維持・促進するような構造改革は生産性と潜在成長率を高めるための重要な経済政策」だとして、郵貯・簡保の民営化についても基本的に賛同の意見を述べた。当時から米国の圧力による郵政民営化の危険性を警告している私は、この点については、岩田氏のとらえ方は浅いと思う。

 それはともあれ、岩田氏の主張のポイントは、「デフレを放置したまま構造改革を実施しても、物価や雇用の安定的な経済成長には結実しない可能性が大きい」という点にある。英国病の原因は、生産性向上を妨げる労使関係や教育制度及び非効率的な国有企業の存在など、供給サイドにあった。岩田氏は、「それに対して、平成の長期経済停滞の原因はデフレを伴った需要不足にあり、供給サイドにはありません。この場合に優先すべき政策は需要不足を解消するマクロ経済安定化政策です」と説く。そして、「マクロ経済を安定させる政策は、構造改革などの供給サイドの政策ではなく、需要サイドに働きかける政策です」「マクロ経済が安定してはじめて、構造改革も成功するでしょう」と述べた。

 岩田氏は、次のように続ける。マクロ経済の安定化政策には、財政政策と金融政策がある。前者は政府の、後者は日銀の担当である。財政政策には財政支出政策と減税政策がある。だが、財政支出は、それが増加している間は需要不足を補うことができるが、財政支出の増加自体には民需を持続的に拡大させる力がないため、民需へのバトンタッチがうまくいかない。また減税は、所得減税が消費増税で相殺されたりしたし、法人税や設備投資税等の減税もデフレ不況を克服する効果は限定的であったりする。そこで実施すべき政策は、金融政策であると岩田氏は主張する。また、「競争を促進する構造改革や公取の競争政策とマクロ経済安定化政策を組み合わせることの重要性」を強調する。

 このように岩田氏は、平成17年(2005)の『日本経済を学ぶ』で金融政策・財政政策・構造改革の関係を述べ、デフレ脱却に金融政策が有効であることを力説する一方、財政政策の限界を指摘し、競争促進の構造改革は必要だが、マクロ経済が安定してはじめて成功するものだと説いた。

 岩田氏は、単にデフレ脱却の経済理論・経済政策を説いているのではない。日本経済の課題を、短期的・長期的・超長期の課題に整理し、まずはデフレ脱却を最優先すべしと力説する。

「デフレ不況を完全に克服してマクロ経済の安定化を図ることは、今すぐ取りかかれば比較的早く効果が現れる短期的課題」であり、一方、「構造改革による潜在成長率や生産性の上昇はもっと時間のかかる長期的課題」である。それに対して、「環境問題を解決して持続可能な社会を築くことは、さらに時間のかかる超長期的な課題」であるとする。

 岩田氏の発言は、長年デフレ脱却の理論と方策にほぼ集中しているが、岩田氏は上記のような長期的課題、超長期的課題への取り組みを掲げつつ、当面の課題としてデフレ克服を強調している。

 長期的課題については、「日本経済は低く見積もっても、2%後半から3%程度の実質成長率を達成できる潜在可能性を持っている」。この潜在成長率を「さらに4%程度に高めるのが構造改革」であり、「高められた潜在成長率を実現するのがマクロの経済安定化政策、特に金融政策」であると説いている。金融政策によって穏やかなインフレを保ってマクロ経済を安定化させ、本格的に構造改革を進めれば、「実質で4%程度、名目で5〜7%程度の経済成長率を達成できる実力を、日本経済は備えている。この潜在的な実力を実現すれば、少子高齢化のもとでの財政構造改革と年金改革にも明るい展望が開けてくる」、と。

また超長期的課題については、日本が持続可能な社会に移行するためには、構造改革を進めるだけでなく、炭素税等の環境税の本格的導入と他の税の減税の組み合わせという新たな税体制に向けて、「本格的に国民的規模で議論する時期」に来ている、と述べている。

岩田氏は、こういう国家的・国民的な課題を掲げつつ、まずデフレ脱却という最優先の短期的課題に集中するのである。だが、そうであれば、氏の姿勢は金融政策だけでなく財政政策を重視し、また市場任せではなく政府の役割を評価する考え方に近いものとなってくる。ページの頭へ

 

7.金融政策と財政政策の組み合わせが必要では

 

 平成20年(2008)9月15日、アメリカでリーマン・ショックが起こった。前年のサブプライム・ローンの破綻に続く、米国大手投資会社の倒産は、1929年の世界大恐慌以後最大の世界的な経済危機をもたらした。米国は大胆な金融緩和を行うとともに、積極的な財政出動を行った。

 岩田氏は、翌21年(2009)に『世界同時不況』(ちくま新書)を出した。この書は、リーマン・ショック後の世界同時不況を、世界大恐慌、昭和恐慌、平成不況の歴史と比較し、世界及び日本がこの不況からどのようにすれば脱出できるかについて提言したものである。本稿では、わが国に限り、また金融政策と財政政策の組み合わせに絞って紹介する。

 岩田氏は、「1933年3月以降のアメリカの不況対策も昭和恐慌期の高橋財政も、金融政策と財政政策の組み合わせであった」と言う。「33年以降のアメリカの場合は、政府が財政支出を増やす一方で、FRBは市場から国債を買い取ることによって、新たに貨幣を供給した」「高橋財政の場合は、政府が発行する国債を日銀に引き受けさせ、政府は日銀から支払われた国債購入代金で、財政支出をまかなった。このようにして、財政支出とともに、市場に貨幣が供給されたのである」と。

 そして、世界大不況から日本が一日も早く脱出するために、岩田氏は量的緩和政策の実行が必要だとする。わが国が取るべき金融政策と財政政策の組み合わせについては、「日銀の国債買いオペが財政支出政策や減税政策に伴えば、仮に、財政支出拡大政策や減税の需要創出効果が小さくても、貨幣供給量の増大子かが期待できる。しかも、いったん供給された貨幣は日銀が売りオペで吸収しない限り、市場に残って効果を発揮し続ける。この長期的・持続的な効果があるという点で、金融政策は短期的な効果しか持たない財政政策よりも不況脱出に有効なのである」と説く。

 金融政策については、本書でも「政府は日銀法を改正して、インフレ目標を設定すべきである」と持論を繰り返す。注目したいのは、財政政策への言及である。というのは、本書で岩田氏は、「財政政策を実施する場合は、金融緩和政策が伴わなければ効果がない」としながら、財政政策について、氏としてはかなり肯定的な見解を述べているからである。すなわち、平成21年(2009)3月当時、「麻生政権が実施しようとしている、非正規社員の雇用保険の適用基準の緩和などの雇用対策は、緊急避難のセーフティ・ネット対策としては妥当であり、早急な実施が望まれる。公共投資もなんでも効果がないというわけではなく、東京圏の渋滞解消などの道路建設や羽田空港の機能強化のための投資などは、不況対策としてだけでなく、日本経済の生産性を高めるためにも有効であろう」「減税も一時的なものでなく、かつ、対象を中低所得者以下に限定すれば、景気浮揚効果がある。しかし、減税は場当たり的なものでなく、中長期的な視点から実施すべきである」と、岩田氏は述べている。この発言は当時、米国が大胆な金融緩和を行うとともに、積極的な財政出動を実施して効果を上げているのを目の当たりにしたことが影響したものだろう。

 その後も、岩田氏に一貫しているのは、わが国はまずデフレを脱却しなければいけない、デフレ脱却には金融政策こそ効果的、インフレ目標政策を採用せよ、という主張である。近年の著書『日本銀行は信用できるか』(21年)『デフレと超円高』『ユーロ危機と超円高恐慌』(以上、23年)『インフレとデフレ』(註 第10章)『日本銀行 デフレの番人』(以上、24年)等でも、繰り返し金融政策によるデフレ脱却・超円高是正策を提示している。その一方、財政政策については、ほとんど言及がない。

 平成18年(2006)に、岩田氏は『「小さな政府」を問い直す』(ちくま新書)を出した。ここで岩田氏は、基本的に「小さな政府」を志向している。この点では、新古典派経済学やフリードマンの流れをくむ新自由主義の経済理論に賛同している。ケインズ主義的な福祉国家は、政府を肥大化させるとともに、インフレと高失業率によるスタグフレーションを引き起こすとし、マクロ経済安定化政策の下での構造改革の必要性を説く。市場における競争という経済的自由を確保し、政府の役割をできるだけ小さくすることで、人々の勤労意欲を高めつつ国民所得を向上させるという方向性を示している。そして、岩田氏は、「低所得者の所得も増加するが、それ以上に中所得者以上の所得が増加することによって拡大する所得格差」を許容し、格差問題については「機会の平等」の確保を求め、その観点から教育切符制度、公的な能力開発支援等は有効であるとする。

この見方は、岩田氏が戦後日本の高度経済成長をもたらしたのは、「企業の自由な創意と工夫」であり、企業の自由な創意と工夫を導き出したのは、「市場の競争を維持・促進する政策」であったと見ていることによる。産業政策すなわち「政府が特定の産業に属する企業の行動に介入したり、企業の補助金を与えたりして、当該産業を保護したり、育成したりする政策」が、高度成長をもたらしたというのが長く通説になっていたが、岩田氏はこの「通念の根拠は薄弱」であるという。

 だが、私は、インフレの時は「小さな政府」を目指すべきだが、デフレの時や非常時には「大きな政府」でいくしかないと思う。デフレ脱却と「小さな政府」を同時に追求するのは、無理がある。デフレを脱却するためには、積極的な財政出動を行い、その資金を大胆な金融緩和で調達する。その際、成長を期待できる分野への重点的な資源配分やイノベーションを促進する産業政策を行って、新たな雇用を生み出しながら、経済成長を目指す。デフレを脱却でき、2〜3%のインフレに安定すれば、民間に任せられることは、民間に任せる。歳出を削減し、金融を引き締め、適度なインフレを持続しながら、経済成長を続ける。財政の規模や公務員の人数は、経済状況に応じて、調整すべきものと考える。

 新古典派・新自由主義の「小さな政府」志向は、市場原理主義の考え方である。資本の論理であって、国家(ネイション)の論理ではない。だが、国防、防災、教育、社会保障、環境保全、エネルギー開発等、中央政府が国家の発展のために、ビジョン・構想・計画を打ち出し、取り組むべき課題は多くある。岩田氏が主張するように、短期的にはデフレ不況を完全に克服してマクロ経済の安定化を図り、長期的には構造改革によって潜在成長率や生産性を上昇させ、超長期的には環境問題を解決して持続可能な社会を築くという諸課題に継続的に取り組むには、国家の論理が必要である。新自由主義・市場原理主義を生んだ米国は、絶対核家族が主たる社会であり、個人主義的な傾向が強い。これと、直系家族が主で共同体重視の傾向を保つ日本は、国民の価値観が基本的に違う。単に経済的な価値の実現を追求するだけでなく、国家の独立と主権、国民の生命と財産を守り、共同体の文化的価値・精神的な価値の実現を図るところに、政府の役割があると私は考える。

 岩田氏は、日本経済の長期的課題・超長期的課題を掲げ、東日本大震災の発生後は、経済の復興、東北の復興、エネルギー政策の転換に係る緊急提言をした。こうした総合的な国家政策を策定・推進するためには、経済学は個別科学的専門的な科学から脱し、政治経済学という経済学が本来持っていた総合性の回復を目指す必要がある。資本の論理だけでなく、国家の論理を踏まえた総合的な政策科学に基づいてこそ、日本復興のビジョンや計画を打ち出すことができるだろう。

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8.日銀を厳しく批判、日銀法の改正を訴える

 

 私は、デフレ不況に陥った国の政府は積極的な財政出動を行い、同時に中央銀行は大胆な金融緩和を行って充分な貨幣を市場に供給すべきと考える。まして15年もの間、デフレから抜け出せずに来たわが国においては、財政政策・金融政策を一本化し、政府と日銀が一体となって、デフレ脱却に全力を挙げなければならない。現下の日本における政策実行の順序は、まずインフレ目標の下で大胆な金融緩和で、インフレ期待を生み出すのがよい。だが、政府は金融政策のみに任せるのではなく、また単にデフレ脱却のためだけでなく、将来の大きな国家構想を持って成長戦略を打ち出し、その実現のための財政政策を強力に進めるべきである。アベノミクスは「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」を3本の矢とするデフレ脱却から経済成長へと目指す総合的な経済政策となっている。その順番で積極果敢に断行してもらいたいと思う。

 岩田規久男氏は、この点、私と財政政策・成長戦略等についての考え方は違うが、日銀の幹部となって大胆な金融政策を推進し、アベノミクスを実効あるものとするには、うってつけのエコノミストであると私は思う。“最もタフなデフレ・ファイター”岩田氏が日銀の幹部になることは、日銀の大改革につながるだろう。

 近年、岩田氏は、日銀の理論・政策・体質に対して、批判的な姿勢を強めてきた。例えば、著書『日本銀行は信用できるか』(平成21年)では、次のように、日銀を批判している。

 「日銀を支配している人は『東京大学法学部卒』である。そうした人の金融政策は、現代の正統派経済学の金融政策の理論とは全く異なる『日銀流理論』に基づく前例主義である。法学部卒が主導する金融政策は前例主義による伝統的金融政策が基本である。そのため、1990年代以降のバブル崩壊や2008年のリーマン・ショック以降の未曽有の大不況などの経済危機に対応するためには不可欠である非伝統的金融政策を積極的に採用することができない」

 「日銀にも正統派金融政策の理論を学び、研究している優れた人も少なくない。しかし、そうした人も結局は日銀流理論に基づく金融政策を支持するために政党派金融理論を応用しがちである」

 「日銀の目指す物価安定とはゼロ・インフレである。そうした金融政策は諸外国に比べて低すぎるインフレあるいはデフレをもたらし、日本経済の長期停滞と外需頼みの経済を生んでいる」

 さらに岩田氏は、平成10年(1998)4月に施行された新日銀法の改正が必要だと訴える。

 「新日本銀行法は日銀に『目標設定の独立性』と『政策手段選択の独立性』の両方を与えた。しかし、中央銀行に『目標設定の独立性』を与えて、目標設定の裁量性を認めることは、日銀法第2条の『物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する』という日銀の理念と相容れない。したがって、日銀法の改正を含めた日銀の改革が必要である」

 「政府は新日銀法を改正して、『政策目標設定の権限』を日銀から取り戻し、金融政策の目的としてインフレ目標を設定し、日銀にその目標達成の義務を課すと同時に、日銀の金融政策を監視・評価する第三者機関を創設すべきである。この改革により、日銀の金融政策の透明性と説明責任は大幅に向上し、その金融政策の有効性も、インフレ目標を採用している中央銀行(ほそかわ註 諸外国のそれ)の金融政策と同じ水準まで高まるであろう。そうなって初めて、日銀の金融政策は国民に信頼され、その国民の信頼が日銀の金融政策の有効性を高めるという好循環が生まれると期待される」と。

 平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が起こった。このとき、私は連日大震災からの復旧・復興、原発事故への対応についてブログ、MIXIに書いた。その一部を拙稿「東日本大震災からの日本復興構想日本の復興は日本精神の復興から〜東日本大震災による国難を乗り越えよう」などにまとめ、掲示している。岩田氏は大震災発生の約2週間後、緊急提言をした。今後、数年にわたって取り組むべき「東日本大震災からの復興政策」を提案したもので、2011年度から直ちに取り組むべき「緊急対策」とその後、長期にわたって取り組むべき「街づくり政策」、「エネルギー政策」および「財政金融政策」とから構成されている。

緊急対策としては、(1)今後5年間程度の間にわたって、総額40〜50兆円程度の復興予算を計上する。初年度の2011年度は「緊急対策」として、10兆円程度の復興予算を計上する。(2)復興費の資金は、復興国債の発行によって調達する。(3)復興国債は、全額、日本銀行が引き受けるものとする。政府は財政法第5条の但し書きを利用して、復興国債を発行して、早急に日銀に引き受けさせる法案を国会に提出する。野党はこの国会議決に協力すべきである、とした。初年度の復興予算の主たる使途は、被災者の食料・医療等必需品の確保、被災者の居住の確保、被災者のうちの入院患者と要介護者の病院と介護施設の確保、瓦礫の除去、道路、港湾、空港など損壊したインフラの修復を挙げた。

そして、岩田氏は、大震災によって「今後、内需(消費と企業投資)の減少が懸念される状況で、増税すれば、消費を中心に一層の内需の減少が予想される。そうなれば、経済成長率は一層低下し、雇用は上で述べた以上に悪化するであろう」「デフレの最中に、増税によって内需が減少すれば、一層のデフレになる。一層のデフレは超円高と株価低下の要因である。超円高が続けば、輸出の減少と輸入の増加をもたらし、株価の低下は消費と投資とを抑制する。これらにより、需要は一層減少し、雇用はますます悪化し、税収と社会保険料収入がともに減少するため、財政と社会保障制度の持続可能性は大きく低下する」と強く警告した。

 そして、関東大震災、大東亜戦争の敗戦、阪神淡路大震災からの復興の経験を踏まえた被災地の街づくりと、持続可能な社会を目指す脱原発のエネルギー政策を提案し、持論の金融政策を、これらの政策を実行する財源を確保するための政策として提示している。

岩田氏の提言は、氏自身の分類によれば、デフレ・ギャップ派のうち財政金融派の考えに近い。大震災からの復興やエネルギー政策の転換は、金融政策のみでできることではない。政府の強力な指導力なくしては進展し得ない。市場の自由と競争に委ねる考え方では、非常時に対応できない。岩田氏は、自説の修正に迫られたことだろう。ページの頭へ

 

9.デフレを止めれば、超円高も止まる

 

 近年のわが国は、デフレとともに円高に苦しんできた。デフレと円高の関係とこれらへの対処について、岩田氏は、平成23年刊行の『デフレと超円高』(講談社)と『ユーロ危機と超円高恐慌』(日本経済新聞社)に書いた。

 岩田氏は前者の著書で次のように言う。「超円高の原因はデフレである」「デフレを止めれば、円高も止まる」と。では、デフレと超円高をもたらしている「真犯人」は、誰か。それは「日銀」だと岩田氏は断定する。「デフレの真の原因は日本銀行の金融政策」であり、「過度の円高の究極的原因もまた日銀の金融政策にある」。ならば、これらを止めることができるのは、誰か。「デフレと超円高を止めることができる唯一の機関は、政府ではなく、日本銀行である」と岩田氏は主張する。

 岩田氏は後者の著書でも次のように言う。「デフレの真の原因は日本銀行の金融政策」であり、「過度の円高の究極的原因もまた日銀の金融政策にある」と岩田氏は主張する。「日銀の金融政策はデフレ予想を生み出し、そのデフレ予想がデフレと超円高を生み出している」。それゆえ、日銀の金融政策を「世界標準の『穏やかなインフレを維持する金融政策』に修正」すれば、「デフレと超円高に終止符を打って、日本経済を再生する基礎ができる」。岩田氏は、「政府にはインフレ目標を掲げて、デフレと円高を止める手段はない」「政府にデフレ対策や円高対策を求めても無駄である。デフレと円高をともに止める手段を持っているのは、日銀だけだからである」と強調する。

 さて、前者の『デフレと超円高』で、岩田氏は、デフレの原因に関するさまざまな「構造デフレ説」を検討する。そして、「構造デフレ説」は「理論的にも実証的にも間違っている」として、大意次のように論じる。

 

@中国安値輸入デフレ説

 中国からの安値輸入品が原因だとする説。1999〜2000年で、日本よりも中国からの輸入の対国内総生産比が大きいか、ほぼ等しい国」、韓国、ニュージーランド、チェコ、ハンガリーは、すべてインフレである。

 

A中抜きデフレ説

 流通において小売店が問屋を通さない中抜きが原因だとする説。中国製品の輸入と同じように、多くの国で起きている現象であるが、デフレになっているのは、日本だけである。

 

B生産性の向上デフレ説

 生産性の向上が原因だとする説。1995〜2007年で、OECD加盟国15か国を見ると、日本よりも生産性上昇率が高い国も、低い国も、日本よりもインフレ率が高く、日本だけがデフレである。

 

C銀行の貸し渋りデフレ説

 不良債権を抱えた銀行の貸し渋りがデフレの原因だとする説、2002〜2008年に、企業の設備投資が停滞したのは、銀行が貸し渋ったため、企業が設備資金を調達できなかったためではない。不良債権が増えたために、デフレになったのでもない。デフレになったために、不良債権が増えたのである。

 

 このように岩田氏は、代表的な構造デフレ説の誤りを明らかにする。岩田氏自身は、日銀の金融政策がデフレの真の原因だと説いている。いわば日銀デフレ説である。

 構造デフレ説は、どれもデフレと貨幣とは無関係である、と見る点で共通していると岩田氏は指摘する。だが、「デフレは貨幣的な現象である」と岩田氏は主張する。

 岩田氏によると、デフレとインフレの関係は次の通り。

 

「(1)貨幣供給が貨幣需要を上回って増加し続ければ、やがて、貨幣の実質価値は低下し続けるようになり、逆に、消費者物価は上昇し続ける、すなわち、インフレになる。

(2)貨幣需要が貨幣供給を上回って増加し続ければ、やがて貨幣の実質価値は上昇し続けるようになり、逆に、消費者物価は低下し続ける、すなわち、デフレになる。

 このように、インフレもデフレも貨幣の需要と供給の変化のスピードの違いから発生する。この意味で、『インフレもデフレも貨幣的現象である』といえる」

 

 岩田氏は、こうした貨幣的現象としてのデフレから脱却するためには、金融政策が有効だという。そして、デフレの脱却は円高の是正にもなるとし、デフレと超円高の解決策を示す。

 「デフレ下の金融政策とは、人々の間におだやかなインフレ予想の形成を促すことによって、デフレと超円高から脱却する政策である」「日銀の金融政策のレジーム(金融政策のスタンス)を『デフレ・ターゲティング』から『おだやかなインフレ・ターゲティング』に転換させれば、インフレ予想が形成され、デフレと超円高から脱却することができる」

 より具体的には、次のようになる。

 「例えば、中央銀行がデフレを脱却して、2%〜3%程度のインフレ目標政策の達成のためにあらゆる手段を取ると宣言すると、市場はインフレ予想をそのように修正するために、まず株価が急上昇する。市場の名目金利も上がるが、完全雇用が達成されるまでは予想インフレ率の上昇ほどには上がらないため、予想実質金利は低下する。これにより、為替相場が安くなる。日本で言えば円安になる。株価の上昇と予想実質金利の低下はともに投資(住宅投資と設備投資)と消費を刺激し、円安は輸出の拡大、輸入の減少による国内の輸入代替財の需要増大をもたらす。このようにして、内需と外需がともに増大するため、実際にも、デフレは終息し、やがて、インフレに転じるのである」と。ページの頭へ

 

10.「デフレの番人」の改革に“最もタフなデフレ・ファイター”が参上

 

 岩田氏は、著書『日本銀行は信用できるか』で、「政府は新日銀法を改正して、『政策目標設定の権限』を日銀から取り戻し、金融政策の目的としてインフレ目標を設定し、日銀にその目標達成の義務を課すと同時に、日銀の金融政策を監視・評価する第三者機関を創設すべきである」と提言した。著書『デフレと超円高』(講談社)でも、岩田氏は、日銀法の改正が必要と力説する。

 「日本経済の不幸は、98年(ほそかわ註 平成10年〔1998〕)4月1日施行の新日銀法で、金融政策の目標の設定に関して、日銀に政府からの独立を認めてしまったことに始まったといっても過言ではない。実際に、消費者物価指数でみて、デフレが始まったのは、新日銀法が施行されてから3か月後の98年7月からである。したがって、政府は、早急に、インフレ目標の達成を日銀に義務付ける日銀法改正案を国会に提出して、その成立に全力を傾けるべきである」

 そして、新日銀法を改正して、日銀にインフレ目標の達成を義務付け、日銀総裁をはじめ政策委員を「リフレ派」に入れ替え、日銀の金融政策レジームをインフレ目標採用国並みの『インフレ目標レジーム』に変えることを、岩田氏は提案している。

 ここでリフレ派とは、デフレで停滞した経済を回復させるために、適正なインフレへの回帰を図るリフレ政策を目指す経済学者や経済専門家である。リフレ政策は、世界大恐慌の時、ルーズベルト米大統領に、経済学者アーヴィング・フィッシャーが提案した政策が原型である。米国が大恐慌を脱することに貢献した実績がある。岩田氏は、現代日本におけるリフレ派の代表格である。その岩田氏が、安倍内閣によって、日銀副総裁に指名された。日銀幹部をリフレ派に入れ替えよ、と要望してきた岩田氏自身が、日銀改革を進める立場になろうとしている。

 岩田氏の日銀批判は、留まるところを知らない。23年の著書『日本銀行――デフレの番人』(日本経済新聞出版社)では、日銀を「デフレの番人」と呼んで、それを書名にまでした。

 日銀は物価の安定を目的とする機関ゆえ、一般に「物価の番人」と呼ばれる。ところが、岩田氏は次のように言う。

 「『物価の番人』である日銀の成績を冷静に判断すれば、物価上昇率をゼロ%以下に抑え、デフレを金科玉条のごとく守ってきた役所としか、評価できない。『デフレの番人』とは皮肉に聞こえるかもしれないが、事実の客観的な表現だと言えよう」と。

 この「デフレの番人」の改革に、“最もタフなデフレ・ファイター”である岩田氏が与ろうとしている。

 本書で岩田氏は、わが国がデフレを脱却するための具体策を提示する。

 なぜわが国は、デフレに陥ったか。「人々の間にデフレ予想が定着したのは、日銀の『日銀理論』に基づく金融政策のためである」と岩田氏は断じる。「いったんデフレ予想が人々の間に定着すると、家計や企業や金融機関などはデフレを予想して、消費や投資や資産選択を決定するようになる。そのため結果的に、デフレが実現する」。そこから脱却するには、「逆に、人々がインフレを予想して行動するようになれば、結果的に、インフレが実現する。したがって、1990年代中ごろから、私たちの間に定着したデフレ予想を覆して、インフレ予想に転換することができれば、デフレからの脱却に成功する。デフレを脱却すれば、穏やかなインフレの下で、名目成長率も実質成長率も上がり、雇用も増加する」。

 日銀の『日銀理論』に基づく金融政策によって、人々の間にデフレ予想が定着した。それゆえ、「デフレ予想を覆し、インフレ予想の形成を図るためには、金融政策の枠組みを変えればよい」。そして、「インフレ予想の形成を促す金融政策の枠組みは、インフレ目標政策である」と岩田氏は主張する。

 インフレ目標政策(インフレ―ション・ターゲティング)とは、インフレを目標とする政策ではない。デフレを脱却し、物価の安定と雇用の最大化の両方をめざして、穏やかなインフレに持っていきながら、経済成長を図る政策である。2006年現在、世界で25カ国が採用し、実績を上げている。岩田氏は、インフレ目標政策を「世界標準の『最適金融政策』」であると言う。

岩田氏は、1990年代初めからインフレ目標政策を採用しているイギリスは、日本より高い成長率を維持しているだけでなく、ヨーロッパ諸国の中ではオランダと肩を並べる低失業率国で、かつての英国病の汚名を完全に返上している。いまや日本とアメリカを除いて、変動相場制を採用している国の大部分は、インフレ目標政策を採用しているという。

 インフレ目標値について、岩田氏は次のように述べている。

 「インフレ目標値は雇用の最大化と両立するような水準に決定する。最近20年ほどの期間の失業率とインフレ率(総合消費者物価指数前年比)の関係を観察すると、インフレ率が中期的に1〜3%の間にあれば、雇用最大化(失業率の最小)が達成される可能性が大きいと推測される。したがって、中期的なインフレ目標を2%に設定し、上下1%を許容範囲とすることが適当であろう」と。

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結びに〜デフレは必ず脱却できる、日本は復興できる

 

 デフレ脱却のメカニズムについて、岩田氏は、『日本銀行――デフレの番人』で次のように書いている。

 「日銀がインフレ目標の達成にコミットした上で、マネタリー・ベースを増やすと、予想インフレ率が上がる。予想インフレ率の上昇は@円安、A株高、B予想実質金利の低下の三つのルートを通じて、総需要を増やす。この総需要の増加により、デフレに終止符が打たれる」

 コミットとは、目標値や目標達成期間を発表し、達成できなかったら説明責任と結果責任を負う約束をすることをいう。責任を取ると約束することを言う。上記引用の後半は、大意次のように展開する。予想インフレ率の上昇は、@円安をもたらす。円安になると、輸出が増え、輸入が減り、企業の設備投資が増える。A株価が上がる。株価が上昇すると、設備投資が増える。またB予想実質金利は下がり、企業設備投資が増える。これらによって、実質国内総生産が増え、雇用が増える。総需要が増加し、需給ギャップが縮小して、物価が上がる。こうして、デフレは終わる。

 昨年12月、安倍政権の誕生の前後から、株高円安となり、本年1月22日の政府・日銀の共同声明で、日銀がインフレ目標2%の受け入れを発表すると、一層株高円安が進んでいる。この現象は、岩田氏の説くデフレ脱却のメカニズムの妥当性を裏付けつつあると言えよう。

 岩田氏は本書で、次のように主張する。「日銀の金融政策を世界標準の金融政策に変えれば、デフレを脱却できる」と。具体的には、「日銀法を改正し、日銀にインフレ率を中期的に2%に維持することにコミットさせる。インフレ率の許容範囲は2%の上下1%とする」。岩田氏は、物価の安定と雇用の最大化を両方めざしつつ安定的な成長を達成するには、これが許容範囲だという。 

 「デフレ下では、需要が供給能力を下回る(この状況を需給ギャップが存在するという)ために、実際の実質成長率は日本経済が達成可能な潜在成長率よりも低くなる。しかしデフレを脱却すれば、実際の実質成長率は潜在成長率まで上昇する。ここまでが、金融政策の役割である。一方、潜在成長率そのものを引き上げるためには、規制緩和や市場開放などの競争政策によって、民間の能力を引き出して、労働生産性を引き上げなければならない。この競争政策は政府の役割である。競争政策によって潜在成長率を高めることは供給能力を高めることに他ならない。したがって、デフレを解消する金融政策が伴わずに、競争政策だけを実施して供給能力を高めるならば、需給ギャップがさらに拡大するだけで、高められた潜在成長率は実現しない。つまり、競争政策はデフレ脱却の金融政策が伴わなければ、その成果は実現しない」と岩田氏は説いている。

 ここで岩田氏が「規制緩和や市場開放などの競争政策」と書いているのは、岩田氏が過去の著作で「市場の競争を維持・促進するような構造改革」と呼んでいたものである。この点、岩田氏は、平成13年(2001)の『デフレの経済学』の時点から、ある種の構造改革の必要性を認める姿勢は変わっていない。デフレ下でやると失敗するが、デフレ脱却の後は、構造改革を進めるべきだというのが、岩田氏の立場である。本書では、「市場の競争を維持・促進するような構造改革」を競争政策と呼び、「デフレを解消する金融政策が伴わずに、競争政策だけを実施して供給能力を高めるならば、需給ギャップがさらに拡大するだけで、高められた潜在成長率は実現しない。つまり、競争政策はデフレ脱却の金融政策が伴わなければ、その成果は実現しない」と強調している。

わが国の政府が為すべき課題は、東日本大震災からの復興、対中国・北朝鮮等に対する国防の強化、来るべき巨大地震に備える国土強靭化、次世代育成のための教育、高齢化に対応する社会保障、地球的課題としての環境保全、自然と調和したエネルギー開発等、多くある。これらの政策課題は、民間に任せていれば、自ずと実現されるものではなく、政府が国家構想を打ち出し、道筋をつけてこそ、民間の力が生かされる。岩田氏のいうような構造改革は、デフレを脱却してからの長期的課題である。その際、過去の橋本=小泉構造改革の誤りを徹底的に総括し、本当に日本のためになる改革案を練り上げなければならない。特に米国追従、米国模倣の姿勢はだめである。日本には日本の道がある。
 昨23年12月から本年1月にかけて、安倍内閣は、日銀法の改正もちらつかせながら、白川方明日銀総裁に迫り、インフレ目標政策を呑ませた。白川総裁は任期前の辞任を表明している。岩田氏は、日銀法を改正しないと日銀は変わらないという見方だったが、安倍首相の交渉力が、こういう展開を生み出したのだろう。安倍内閣は、現時点では日銀法の改革はせずに、日銀にインフレ目標下での大胆な金融改革をさせるという姿勢である。そして、その日銀の総裁に黒田東彦氏、副総裁に岩田氏と中曽宏氏を起用する人事案を国会に提示し、同意を得た。誰よりも厳しく日銀を批判し続け、日銀法の改正を訴えてきた岩田氏が副総裁に就任したことを支持するとともに、氏の活躍に期待したい。
 私は、財政政策・金融政策を一本化し、政府と日銀が一体となって、デフレ脱却を成し遂げ、日本経済を力強く成長軌道に乗せるには、インフレ目標政策だけでなく、現行の日銀法の改正が必要と考える。日銀法の改正を訴えてきた岩田規久男氏が、日銀の幹部となって日銀の改革を進め、今後、政府が日銀法の改正に踏み切るならば、日本の経済的復興は加速するに違いない。
 デフレは必ず脱却できる。そして日本は復興できる。日本と日本人の底力を信じよう。
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関連掲示

・拙稿「経世済民のエコノミスト〜菊池英博氏

・拙稿「橋本=小泉構造改革を告発〜山家悠紀夫氏

・拙稿「デフレを脱却し、新しい文明へ〜三橋貴明氏

参考資料

・岩田規久男著『デフレの経済学』『昭和恐慌の研究』(以上、東洋経済新報社)『経済学を学ぶ』『日本経済を学ぶ』『「小さな政府」を問い直す』『世界同時不況』『経済復興 大震災から立ち上がる』(筑摩書房)『日本銀行は信用できるか』『デフレと超円高』『インフレとデフレ』(以上、講談社)『ユーロ危機と超円高恐慌』『日本銀行 デフレの番人』(以上、日本経済新聞出版社)

 

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