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自己紹介文(その1)

 

青年向けのセミナーで

J・ルース駐日米国大使夫妻と

安倍晋三代議士との懇談

古賀俊昭都議と

 

 

●自己紹介の言葉

 

 私、細川一彦のプロフィールは、別のページに揚げている。

私は、東京都港区赤坂に本部のある公益法人に33年務め、平成26年(2014年)に定年を迎え、現在再雇用制度による嘱託として引き続き勤務している。主に国際、広報、企画、管理等の業務を担当してきた。

この間、平成8年(1996年)にインターネット上で言論活動を開始し、28年(2016年)8月で20年が過ぎた。日本の精神文化に関することを始め、政治・経済・家族・教育・歴史・国際関係・文明等について、自分の関心のままに書いてきた。講演も行う。こうした個人的な活動においては、web writerを自称している。

私は、10代の半ばから共産主義の影響を受けた。高校に入ったのは、昭和44年(1969年)。東大安田講堂の攻防戦に始まった年で、70年安保をめぐる運動に国内が騒然としていた。ベトナム戦争の反戦運動が急進化するなか、アメリカはアポロによる人類初めての月面歩行に成功した。大学だけでなく、北海道のいなかの高校でも紛争があった。そういう時代だった。
 自然、私は共産党系、新左翼系の活動に触れ、また当時の新しいマルクス研究も知った。しかし、マルクス主義を学ぶにつれ、私はその理論に矛盾を感じ、運動に限界を、活動家たちの人格に疑問を感じた。共産主義を克服することが、20代半ば過ぎまでの私の最大の課題となった。
 昭和40年代の終わりには、地球環境の問題が、人類の新たな危機を明らかにしつつあった。人口、食糧、エネルギー等の危機が加わり、19世紀的な発想では対応のできない事態であることが判然としてきた。当然、共産主義は地球人類の課題対応に無力であり、むしろ有害でしかない。

 だが、左翼の描く歴史観は、私に日本という国への疑問や悔恨を駆り立てるものだった。当時、私が最も深く衝撃を受けたものに、デビッド・バーガミニの『天皇の陰謀』と朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』がある。これらの本の内容と、父の世代の語る民族や天皇への思い、朝鮮や満州の記憶とは、大きな違いがあった。ルーズベルトやスターリン、蒋介石や毛沢東の権謀術数、また三国人の非道について語る父の世代の話には、実感がこもっていた。

 こうしたなかで知ったパール博士の『日本無罪論』は、私の閉塞感を破ってくれた。私が20代のはじめだったころ、周囲の同世代でパール博士を知る人はほとんどいなかった。博士は、日本人による自己弁護の歴史観でも、米・ソ・中の利己本位の歴史観でもなく、真理と正義に基づく歴史の見方を示してくれた。
 東京裁判の検証を通じて、私は、近代の日本史や世界史を根本から見直すことが出来るようになった。『天皇の陰謀』や『強制連行』の記述は、ひどい捏造であることがわかった。同時に、林房雄、葦津珍彦、渡部昇一、小室直樹らの諸氏の描く歴史の構図が理解できるようになった。
 この歴史認識の転換がなければ、その後の私の人生がどのようになっていたか、わからない。観念の迷路の中をさまようばかりだったろう。そんなわけで、私はパール博士を自分の恩人の一人と思っている。

 共産主義の超克という課題は、長く苦しい格闘だった。そのため、私は、哲学を中心に、心理学・社会学・人類学・国際関係学・日本学・文明学・科学史・ニューサイエンス・宗教学・超心理学・東洋思想など、手当たり次第に乱読し、思索を重ねた。それを通じて、理論的にも実際的にも克服を進めることができた。
 大学という機関は、こういう人生をかけた課題に全身全霊を込めて取り組むには、ほとんど役立たない。勢い途中でやめることにした。

 20世紀の世界を二分するほどの影響力をふるった共産主義に対する価値判断は、世界的に大きな課題であり、きちんと総括をする必要がある、と私は思う。学者や有識者には、その点があいまいなまま変節している人が多い。
 総括には、文明論的な掘り下げが求められる。共産主義が生まれ出てきた近代西洋文明への批判、さらに人類文明の反省へと進まねばならない。その反省から、地球規模・人類全体の危機解決の道へと探索の歩みが始まる。私のささやかな総括は、「共産主義」と「人類の展望」のページに掲げてある。

 上記のような格闘と掘り下げにおいて、既成の発想や考え方の枠組みから自由になることができたのは、松岡正剛さんの「遊学」に負うところが大きい。遊学とは、科学・宗教・哲学・文学・芸術・芸能等の既成の枠組みを超えた精神の自由な活動をいう。

松岡さんは現在、編集工学研究所の所長をしているが、1960年代から70年代にかけて、『objet-magazine遊』を発行し、あらゆるジャンルを超えて、精神の自由を開拓した世界的な巨人だった。
 私が進路をどうすべきか悩んでいたときに、松岡さんは的確な助言を与えてくれた。その道に進んで、現在に至っている。そういうことで、松岡さんには感謝している。

 進路とは、昭和51年(1976年)に、生涯の師と仰ぐ大塚寛一先生の教えに出会ったことによる。先生の教えを学ぶに従い、その大きさ、深さ、高さは、古今に比類ないことがわかった。なかでも先生の説く「真の日本精神」が、私の蒙を啓(ひら)いてくれた。日本の伝統・文化・国柄について、新たな視点に立って考究できるようになった。数年を経て、私は、大塚先生の教えを導きとして、真理の探究と実践の道を歩むことに決めた。
 大塚先生の事績については、私のサイトの「基調」に挙げてある。また、拙稿“学ぼう、日本のこと”セミナー:日本文明と人類の新時代」でも、先生の言葉を紹介している。

20代半ばから40代はじめにかけて、私は、精神科学による真理の探求・実践に専念した。その時期を経て、40歳代のはじめだった平成8年(1996年)から様々な主題について、拙稿をパソコン通信やインターネットに書くようになり、今日に至っている。主な拙稿は、分野別に分類・整理して、この<ほそかわ・かずひこのオピニオン・サイト>に掲載している。この間の経緯は、自己紹介文(その2)に書いた。

 振り返ってみると、ここに書いた方々以外にも、いろいろな人にお世話になって、今の私がある。自分もいくばくかでも、人のためになれるようなことをしていきたい。特に若い世代の人たちに。それが、お世話になった人たちへの恩返しにもなると思っている。(ページの頭へ)


●精神の軌跡

時々、専攻は何ですかと訊かれるので、補足する。

専攻は何かと訊かれたとき、私は「専攻といえるほどのものはない」と答えている。実際、大学で何かを専攻したわけではなく、その後も何かを専門的にやっているわけではない。ただ自分の関心のままに、いろいろな問題に、自分なりの仕方で取り組んでいるにすぎない。私は、学者でも職業的な研究者でもない。強いて言えば、日本精神の実践究明の道の途上にある者である。


 高校時代の半ばから哲学を専攻したいと思っていたのだが、そのころから数年間心身の不調のどん底に陥り、希望する方向に進むことができなかった。また、やむなく進学した大学では、途中で考えを変えた。

私は、10代の末期から20代のはじめにかけて、マルクスの弁証法的唯物論と西田幾多郎の「絶対無の場所」論の総合を試みていた。共産主義の克服の一環としての哲学的な課題だった。当時、マルクス=エンゲルスについては、廣松渉、平田清明らがソ連共産党の教理を打ち破る新しい文献研究の成果を次々に発表していた。マルクスの理解は実体論的解釈から関係論的解釈へ、その応用はヘーゲル主義的な方法から構造主義的な方法へと世界的に変化しつつあった。一方、わが国では、西田の弟子たちが西田哲学を継承し、戦前から倫理学・科学論・宗教論等で独自の思考を発展させていた。だが、西田もその弟子の田辺元、三木清、梯明秀らも、マルクス理解については、当時のソ連の教理をもとにしたものだった。

私は新たなマルクス研究と西田学派の動向に注目しながら、西洋哲学史をたどり、現象学・解釈学・構造主義・記号論等を学び、様々なジャンルのものを乱読した。それによって、より大きな構図をもって、自分の課題を検討できるようになった。その結果、私は、マルクスにおける唯物論/観念論という対立図式は根本的に間違っていることを認識した。また、西田が生み出した判断式に基づく述語的論理には、言語論的に誤りがあることを発見した。

ともに破綻したもの同士ゆえ、マルクスと西田の総合は、不可能な課題であることが分かった。論文を書くことはやめた。先に書いたように、さらに大きな課題に取り組むには大学という機関は役に立たないと考え、途中で大学をやめることにした。もともと独学志向の強い私は、以後、アカデミスムとは無縁の人生を送っている。

 学生時代に哲学に関して認識したことのひとつに、次のことがある。言葉を用いて思考する以上、思考には言語による限界がある。言葉の壁を超えて真理に近づこうとすると、象徴的な表現になる。ニーチェ、ハイデガーがその典型だが、彼らの文章に現れた象徴的表現が、ユング心理学におけるマンダラや老賢者等と解釈できるものであることを発見し、私は、近代西欧の哲学は心理学の域を出ないことを知った。この体験は、私の視野を東洋思想や日本学へと大きく開くことになった。
 その後、大塚寛一先生が「結論の出ている哲学はひとつもない」と説かれていることを知り、衝撃を受けた。確かに哲学は哲学者の数だけあり、諸説紛々である。その状態は、どの説も真理に達していない証拠である。真理とは単なる知識ではなく、真理に到達すれば即、力となって、現実に作用するものであることを大塚先生は、実証で示されていた。病者が医薬に頼らずとも健康を回復し、脳細胞が活性化して、頭骨の形まで変わる。女性は自然分娩で、短時間の楽なお産ができる。人々は死の恐怖から解放され、遺体は長時間体温が冷めず、死後硬直や死臭・死斑が現れない。動物や植物まで生き生きと成長する。私は、こうした現代の科学では説明のできない現象を数多く見聞し、自ら体験もしている。


 西洋哲学の研究者の中には、神経衰弱になったり、病的な行動をするようになったりした人がいる。結論が出ていないものをいくら分析・検討しても、「ああでもない、こうでもない」の繰り返しで、精神が参ってしまうのだろう。東洋思想・日本学の碩学・安岡正篤氏も学生時代、そういう体験をしたことを自伝に書いている。
 哲学とはその程度のものなのだが、西欧における哲学は諸学の源であって、ある程度哲学を学んだことは、私の知的活動の基礎となった。
 17世紀の西欧では、哲学と科学は分かれていなかった。数学も物理学、化学、生物学等も、哲学から発達した。社会科学も同様である。政治学も経済学、法学、社会学、心理学等も、哲学から分かれて専門化した。近代西欧に限らず、古代ギリシャにおいてもそうだった。だから、自然科学にせよ社会科学にせよ、科学を基礎から理解するには、哲学を学ぶ必要がある。プラトンやデカルト、カントを知らずして、科学の成果だけを利用するのは、安直である。そういう点で、10代の末期から20代のはじめにかけて、哲学を独学したことは、無駄ではなかったと思っている。

 先にマルクスと西田の総合は不可能だと認識したと書いたが、マルクスと西田の問題圏を超え出て、私の関心は、主に次のような領域に向かった。一つは、和辻哲郎、湯浅泰雄を介して日本学へ。一つは、ベルグソン、ラインを介して超心理学へ。一つは、ユング、エリアーデを介してトランスパーソナル学へ。一つは、ウェーバー、トインビーを介して文明学へ。一つは、そこからさらにハンチントン、トッドを介して国際関係学へ。一つは、ケインズとその批判的継承者たちを介して政策科学へ、である。これらのどの領域も別々の空間ではなく、部分的に重なり合っている。

 

ところで、精神科学という言葉は、聞きなれない人が多いだろう。精神科学は自然科学に対する社会科学と一部重なり合うが、人間を単に物質的ではなく心霊的存在でもあるととらえる点が異なる。宗教学・超心理学・トランスパーソナル学は、精神科学に包含され、その中核部分を為す。私においては、これらは下図のような関係になる。

 

社会科学

(文明学・法学・政治学・経済学・社会学・心理学・日本学等)

自然科学

↑展開

哲   学

基盤

精神科学

(宗教学・超心理学・トランスパーソナル学)

↓掘り下げ・実践

 

図において基盤に位置するのが、哲学である。自分では20歳前後に多少哲学を学んだことが、見えない形で活きていると思っている。学んだというのは、哲学の知識や方法のことではなく、物事の本質を求め、全体の構造や関係、大きな流れをとらえ、それを実践に生かすという態度を、先人に学んだという意味である。(ページの頭へ)


●人間観

 次に、自己紹介の一環として、私の人間観について述べたい。

人間はいかに生きるべきか。この問いを中心として、三つの問いが、神話から哲学、宗教、科学を貫いて問われ続けている。すなわち、人間とは何か、世界はどういう構造か、実在とは何かである。これらの問いの探求は、それぞれ人間観、世界観、実在観を形成する。人間とは何かという問いの答えによって、世界観・実在観は変わる。人間が人間である以上、この問いが、探求の中心となる。

先に人間を単に物質的ではなく心霊的存在ととらえるという考え方を書いたが、私は概ね次のような人間観を持っている。日本や人類の精神・政治・経済・社会・文明・科学・環境等を考えるに当たって、私の根底にあるものなので、ご参考に願いたい。

 いったい人生の根本問題とは何か。成長して大人になること、自分に合った伴侶を得ること、子供を産み育てること、よい死に方をすること。私はこれらに集約されると思う。そして、よい死に方をするためには、自分が生まれてきた意味・目的を知ること、生きがいのある人生を送ること、自己の本質を知ること、死後の存在について知ることが必要になる。人生の根本問題の前半は、なかば生物学的・社会学的なものである。しかし、死の問題は違う。死の問題は、哲学的であり、宗教的な問題である。唯物論は、人生の後半の問題については、まったく役に立たない。むしろ、自己の本質について、根本的な誤解を与える。

 死んで終わりなのか、死後も存在しつづけるのか。死の認識で思想は大きく二つに分かれる。死ねば終わりと考えるのを唯物論と呼び、死後も続くと考えるのを心霊論と呼ぶことにしよう。心霊論には、キリスト教のような人格的唯一神による創造説や、仏教のような縁による発生説がある。人生は一回きりという一生説と、輪廻転生を繰り返すという多生説がある。また、祖霊の祭祀を行う場合と、行わない場合がある。単に思い出、記憶として親や先祖を思うという場合もある。しかし、心霊論は、死後の存在を想定して人生を生きる点では、共通している。

 心霊論的人間観では、死は無機物に戻るのではなく、別の世界に移るための転回点であると考える。身体は自然に返る。しかし、霊魂は、死の時点で身体から離れ、死後の世界に移っていく。人生においては、この死の時に向かっての準備が重要となる。霊魂を認め、来世を想定する心霊論的な人間観に立つと、フロイトの「死の本能(タナトス)」とは違う意味での「死の本能」が想定される。来世への移行本能と言っても良いし、別の次元の生に生きる再生本能と言っても良い。

 身体から独立した霊魂を認めるという考え方は、特異なものではない。近代西洋の唯物論的人間観が有力になるまで、ほとんどの人類は、そのように考えていた。唯物論的人間観の優勢は、物質科学・西洋医学の発展やダーウィンの進化論、マルクス、ニーチェ、フロイトらの思想によるところが大きい。だが、近代西洋にあっても、カント、ショーペンハウアー、シジウィックらの哲学者、ウォーレス、クルックス、ユングらの科学者は、霊的現象に強い関心を示したり、心霊論的信条を明らかにしたりしてきた。20世紀の代表的な知性であるベルグソンは、特にテレパシーの事例に注目した。ベルグソンは「心は体からはみ出ている」として、身体と霊魂の関係を「ハンガーと洋服」の関係にたとえている。テレパシー以外にも臨死体験や体外離脱体験等には、否定しがたい多数の事例があり、それらをもとに、霊魂が身体と相対的に独立し、死後は別の仕方で存在することを主張することができる。

心霊論的な人間観に立つと、社会や文明に対する見方は、現在の常識や諸科学とは、大きく異なったものになる。私は、心霊論的人間観の復権と確立のために、超心理学とトランスパーソナル学の発展に期待している。また、それらを補助とした新しい精神科学の興隆が、文明の転換、人類の飛躍の推進力になると思う。

心霊論的人間観に関する拙稿としては、「カントの哲学と心霊論的人間観」をご参照願いたい。また、現時点で私の主著となる「人権――その起源と目標」も、心霊論的人間観に基づくものである。21世紀の半ば以降、人類の基本的な人間観は心霊論的人間観に転換し、それに伴って、人権の概念も拙稿に書いた考え方の方向に変化するだろう。

●結びに

 

 今後とも日本の再建、人類の発展を促進するために、様々な機会を通じて交流とお互いの啓発をさせていただけると幸いである。(ページの頭へ)

 

関連掲示

自己紹介(その2) 「ネットで言論活動、はじめて20年」等

 

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