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自己紹介文(その2)

 

 

●ネットで言論活動、はじめて20年

 

2016.9.4

 

 自己紹介(その1)にも書いたが、私は平成8年に自分の意見をサイバースペース(電脳空間)で発表するようになった。そのきっかけは、慰安婦問題である。翌年春から中学校の歴史教科書に慰安婦問題が掲載されることを知り、強い憤りを感じた。私には娘が二人いる。自分の子供たちが将来、学校で教師から捏造された「従軍慰安婦」を教えられるようになることを許せなかった。そこで、自分も発言しようと思い立った。一人の日本人として、また一人の人間として、日本の再建や人類の発展にいくばくかでも努めたいという思いによる。
 慰安婦問題については、ほおっておくと、どんどん深刻な問題になっていくのではないかという嫌な予感がした。不幸なことにその予感が現実になってしまっている。
 平成10年(1998年)11月からニフティ・サーブの会員掲示板に約9年間にわたって「日本の心」シリーズを連載した。並行して、様々なオピニオンを掲載した。この掲示板は、「スピリット(こころ)のコーナー」といって、当時人気の掲示板だった。最初は、私のような伝統尊重的保守は少数派で、左翼的な意見が多かったが、数年のうちに大きく逆転した。ネット上における世論の変化を、その流れの中で、自ら意見を発ししつ体験した。

 平成11年(1999)年7月にホームページを開設した。個人による実名・写真入りのサイトである。政治・経済・社会・歴史・文明等に関するオピニオンを掲示している。既に単行本にすると、20冊くらいの分量になっていると思う。「日本の心」シリーズは、このサイトに主題別に分類して掲載してある。
 確かその平成11年だったと思うが、日本茶掲示板というツリー型の掲示板が開設された。保守・リベラル・左翼等の多くの論者が集い、活発に意見交換や論争を行った。匿名の掲示板だったが、私もよく書き込みをした。この掲示板は平成14年(2002年)ころから、ネチケットの低下が目立つようになり、やがて閉鎖された。
 掲示板型のサイトが機能的にも運営的にも限界にぶつかっていたころ、SNSが広まり出した。私は、平成17年(2005年)3月にMIXIに入った。当時は会員80万人くらいだった。その後、急速に会員が増え、一時は1000万人に達するかと言われるくらいの勢いだった。SNSに記事を連載して、それを編集してマイサイトに載せるという私のスタイルが、ここで確立した。同じ17年の10月にブログを始めた。MIXIの場合は会員制のクラブゆえ、マナーは良いが、読者が限定される。ブログはインターネットを利用する人は誰でも読める。また検索エンジンを用いて読みに来る人もある。自分のブログ内で検索や主題別の掲示もできる。そこで私はブログとMIXIを併用している。

 平成21年(2009年)8月、私はわが国でも流行り出した Twitter Facebook に加入した。大統領や政府も広報に利用する米国に比べると、わが国では最初、利用状況は低調だったが、従来のツールにない大きな発展可能性を感じた。私の見るところ、わが国で Twitter Facebook の利用者が急激に増え、ネット上の中心がそれらに移ったのは、平成23年(2011年)3月の東日本大震災以降だと思う。政治家・有識者等の利用者が増え、そうした人々とのつながりが格段と増大した。私は、今年(平成28年)6月にFBの友達が上限の5000人に達した。新しいリクエストに応えるため、関わりの少ない人は整理させていただいているところである。
 現在も私は、拙稿をMIXIとブログの両方に掲示し、主な記事は編集してマイサイトに掲載するという仕方で言論活動を行っている。国内政治や社会問題、国際情勢等に関しては、時々刻々、入ってくる情報に基づいて、まずフェイスブックに書いたり、情報を拡散したりすることが多い。ある程度の長文の掲示ができ、また写真・動画等を気軽に添付できるのが、FBの強みである。欠点は掲示文がどんどん流れていってしまうことで、文書資源を分類・整理をして活用するには、やはりウェブサイトが欠かせない。

私は、基本的にネット上に書くものは、無料で誰でも自由に読めるようにすることをポリシーとしている。日本を愛し、世界を憂える人々に対し、いくばくかでも参考になり、また活用していただければ幸いである。

 これからも健康で通信活動が出来る限り、インターネットを利用して、言論活動を行っていきたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。(ページの頭へ)

 

●若い人々へ

 

2006.6.23

※拙稿「脱少子化と日本再建は一体の課題」より

 

 (略)若い人々へのお願いを書きたい。

 

 私は快活な少年だったが、10代で健康を損ね、心身ともにどん底に落ち込んだ。20代のはじめには自殺を決行しようと思いつめた。そんなことで大学は途中でやめた。

 当時の私は、まともな社会生活はできなかった。仮に生きさらばえていたとしても、廃人に近い人生だったろう。健康上の問題から、就職も結婚も考えられなかった。幸い22歳の時、大塚寛一先生の教えを知り、人生の大転換を体験し、どん底からよみがえった。

 

 健康と活力を得た私は、その後、33歳で結婚した。翌年、上の子、さらに2年後に下の子をさずかった。妻は二人の子を安産した。陣痛のない自然分娩だった。私は二度とも出産に立会うことができた。生命の誕生に感動した。妻は母乳で二人とも育てた。父母に孫の顔を見せることもできた。

 子育ては、頭の痛いことが多いが、喜びはその何倍も大きい。孤独と不安に打ち震えていた青春の日々を思うと、しみじみと幸せを感じる。また夫として、父親としての役割を通じて、自己研鑽をすることもできる。それは職業や社会活動で得られるものとは違う、より深い経験だ。

 

 そんな私から若い人々へのお願いを書きたいと思う。

 

 まず男性に対して。

 

 私が結婚した年齢、男にとっての33歳は、特に結婚が遅いというほうではない。私はいま52歳だが、子どもは二人とも高校生。自分が60歳になるとき、下の子はようやく23歳。何とか自立しているかどうかという年齢だ。そこで自分の人生の設計ということを考える必要があるのだ。

 職業によって違うが、勤め人の場合は、再雇用制度が法制化され、将来的には65歳まで雇用が延長される。しかし、多くの人は60歳を境に収入が減る。定年が55歳またはそれ以下の人もいる。子供の教育には多額のお金がかかる。収入が減っても、教育に多額の支出をし続けることは、自分たち夫婦の老後の生活に影響する。

 

 そう考えると、結婚は遅くなればなるほど、先の負担が大きくなるわけだ。仮に子供が2人で、ともに22歳まで教育を受けさせるとすれば、男性の場合、35歳までに結婚することが望ましいだろう。仮に38歳までに2児を得たとしても、自分が60歳の時に、下の子供が22歳。ようやく教育を終えるというところだ。

 そこで、男性は35歳を一つの上限と考えてみてはどうだろうか。人生の節目が55歳の人なら、5歳引いて考えるとよいだろう。

 これを読んでいる人には、その年齢を過ぎている男性もいるだろう。そういう人は、さらに自分の人生をじっくり見つめていただきたいと思う。

 人生には決断が必要だ。自分が意志を固めれば、道は開ける。

 

 次に女性に対して。

 

 一般に言われるように、子供を産み育てるには、若い方がよい。20代のうちに終えたほうがよく、できれば20代前半までのほうがよい。これは生理的な問題である。30代に入ると、女性の体は生理的に変化し、段々、出産の身体的負担が大きくなる。特に初産の場合はそうである。

 

 私は長年、人生相談のような形で、いろいろな人の話を聴く機会があるのだが、近年、30代独身で子供を産んだことのない女性に、婦人科の病が増えているように思う。子宮筋腫、卵巣嚢腫、乳房や子宮のガンなどである。また、うつ傾向・自律神経失調症なども増えているように思う。

 おそらくストレス、生活習慣、飲食物等、さまざまな原因が複合的に影響しているものだろう。私が特に感じるところを書くと、一般に女性は、10台の早期に初潮を迎え、乳房が膨らむ。それは身体が、性交・妊娠・出産・哺乳をするようにできているからだ。自分の意思とはかかわりなく、身体は生命の原理にのっとって成長・活動する。そのエネルギーは自分が思っているより遥かに大きい。

 結婚や出産をしないまま年齢を重ねている女性は、身体に内在する生命のエネルギーがうまく循環されず、心身の不調や病を生じやすいのではないかと思う。生命の原理に逆らっては、健康を維持することは出来ない。

 三砂ちづる氏の『オニババ化する女たちーー女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)が話題になった。賛否両論あるが、そこに書かれていることは、ささやかな私の経験とはよく符合する。

 自分の考えにばかりとらわれずに、大きなものに自分をゆだねることも人生には必要だ。

 

 上に記したことは参考にならない人が多いかもしれない。職業・経済・家庭の事情等でいろいろ事情は異なるだろうからだ。しかし、心身の健康状態や家族関係等の条件の許す人は、適当な年齢で結婚し、子供を産み育てていく、そういう生き方を自然とする考え方を回復していただきたいと思う。20代、30代の方々には、これを読むことをひとつのきっかけとして、自分の人生について考えてみてほしいと思う。

 

 「光陰矢のごとし」と言う。時の流れは速い。漫然と過ごせば、人は30歳となり、35歳、40歳などあっという間に訪れる。

 若い方々に申し上げたい。自分の人生を大切に思い、またこの日本を愛するなら、自分のいのちを子孫に伝える、愛と喜びのある人生を生きられよ。

 いかに幅広い社会経験をし、高邁な知見を得ても、独身のまま歳月を過ごせば、やがて老いが訪れる。

 生命に基づくものの考え方、生き方を学び、伴侶を得て、子供を産み育て、豊かな人生を生きられよ。またそれが家族・民族・国家への貢献ともなることを理解なされよ。(ページの頭へ

 

●わが家の体験

 

2007.7.23

 ※拙稿「脱少子化は、命と心の復活から」より

 

 私は、子供が二人いる。妻の出産の時、二度とも立会った。ともに助産院でのお産で、家庭出産ではない。二度とも短時間で楽な自然分娩のお産だった。

これは、大塚寛一先生の教えを実践した結果である。

 

 大塚寛一先生は、真の日本精神を伝える運動を提唱された方である。大塚先生は、日本の文化や伝統には、非常に優れたものがあると説いている。日本人は、人と人が調和し、人と自然が調和して生きる生き方を心がけてきた。そうして生きていた日本人が先祖代々受け継いできた心を、大塚先生は日本精神と呼んでいる。

 ところが、日本人はその大切な日本精神を失ってきている。そこに、今日の社会の問題(健康・家庭・教育・社会・国家等)の大きな原因がある。そして、日本の再建のため、「日本人は日本精神に帰れ」と大塚先生は訴えておられる。

 大塚先生はまた、宇宙にはすべてのものを貫く法則がある、その自然の法則に沿って生きると、健康で幸福に生きられるということを説いている。お産にしても、自然で楽なお産で健康な子が授かるという。

 もともと人間のお産は、動物と同じように楽だった。ところが、お産というと長時間陣痛で苦しむものという既成観念がつくられ、お産は女性の大厄とも言われるようになった。これは本来の姿とは違う。本来の人間の体には、自然なお産で楽に子供を生めるような働きが備わっている。その働きにそっていけば、自然分娩で健康な子供を授かることができる。そういう自然にそった生き方、考え方をお産という場面でも大切にしていくように、大塚先生は、説いておられる。

 わが家は、大塚先生の教えを実行することにより、自然分娩による無痛安産で子供を授かった。

 

 一度目のお産は、ちょうど私の休みの日だった。妻と二人で助産院に行った。産むのは、妻である。男は、何もすることができない。祈るしかない。妻と二人で祈った。妻は、陣痛で苦しむことなく、助産院の先生から、「静かですね。普通はこんな風にしていられないのですよ」「よくここまでコントロールできますね」などと言われた。妻はいろいろ姿勢を変え、最後は、私が分娩台の端に座り、妻は私の肩に身をもたげ、ひざ立ちで産んだ。

 私は父親として、生まれた我が子のへその緒を切らせてもらった。今もそのときの光景がよみがえる。生命の誕生に感動した。それは、自分の命を受けた子供の誕生への感動でもあった。

 出産後、妻はすぐ分娩台から立って、別の部屋に移動した。先生から、「お産の後じゃないみたいですね」と言われた。

 

 二度目の時は、別の助産院だった。妻が産気づいたのは、早朝だった。その日は、特に仕事の予定がなく、休みにしてもらった。このときは、産婆さんのやり方が違い、私は妻に精神的に協力する形だった。産婆さんが妻の体をさすっている間、私は産婆さんといろいろな話をした。妻は、まったく痛がることがなく、声一つ出さずに、二度の息みで、子供は産まれた。

 産婆さんに取り上げられた我が子の姿が、まぶしく感じた。産婆さんが。「この子は、元気はつらつだね!」と言ったのが、うれしかった。義母に連れられて入室した上の子が、「赤ちゃん! 赤ちゃん!」と言って喜んだ。

 この時も妻は、すぐ別の部屋に移った。生まれたばかりの子が、手足を高く上げて、大きな声で鳴き続けた。産婆さんがそれを見て、また「元気はつらつだね!」と言った。

 

 妻は、二度とも産後の肥立ちもよく、完全母乳で二人の子を育てた。子供は、夜泣きをせず、私は睡眠を妨げられて困ったことがない。幸い子どもたちは、二人とも健やかに成長している。

 妻が妊娠してから、自分は、お腹の子供に声をかけたり、歌を歌ったり、テープを作って音楽を聞かせたりした。子供が誕生すると、父親としての役割や責任は、もっとはるかに大きく、重いものだということを実感するようになった。上記のような立会い出産を経験できたことが、その思いを強くしていると思っている。

 

 私は結婚する前から、足掛け10年ほど、民間の日曜学校のようなところで、小中学生の担当をした。子育てに関わることの大切さ、子供に接する楽しさを感じ、子供にものを教えることを通じて、子供から教えられることによって、自分の性格や考え方がずいぶん変わった。父母の方々と接し、一緒に子育てにかかわることで、人生の先輩からいろいろ学ばせてもらった。

 自分に子供が生まれてからは、それまでこうした活動を通じて抱いていた思いが、格段と深くなった。今日、しつけや家庭教育のことなど、教育や社会問題等に関して、ネット上で発言したり講演したりしているのは、こうした体験に裏付けられてのものである。(ページの頭へ)

 

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